光と風と夢
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著者名:中島敦 

   一

 一八八四年五月の或夜遅く、三十五歳のロバァト・ルゥイス・スティヴンスンは、南仏イエールの客舎で、突然、ひどい喀血(かっけつ)に襲われた。駈付けた妻に向って、彼は紙切に鉛筆で斯(こ)う書いて見せた。「恐れることはない。之が死なら、楽なものだ。」血が口中を塞(ふさ)いで、口が利けなかったのである。
 爾来(じらい)、彼は健康地を求めて転々しなければならなくなった。南英の保養地ボーンマスでの三年の後、コロラドを試みては、という医者の言葉に従って、大西洋を渡った。米国も思わしくなく、今度は南洋行が試みられた。七十噸(トン)の縦帆船(スクーナー)は、マルケサス・パウモツ・タヒティ・ハワイ・ギルバァトを経て一年半に亘る巡航の後、一八八九年の終にサモアのアピア港に着いた。海上の生活は快適で、島々の気候は申分なかった。自ら「咳と骨に過ぎない」というスティヴンスンの身体も、先ず小康を保つことが出来た。彼は此処で住んで見る気になり、アピア市外に四百エーカーばかりの土地を買入れた。勿論、まだ此処で一生を終えようなどと考えていた訳ではない。現に、翌年の二月、買入れた土地の開墾や建築を暫く人手に委(ゆだ)ねて、自分はシドニー迄出掛けて行った。其処で便船を待合せて、一旦英国に帰るつもりだったのである。
 しかし、彼は、やがて、在英の一友人に宛てて次の様な手紙を書かねばならなかった。「……実をいえば、私は、最早一度しか英国に帰ることはないだろうと思っている。そして其の一度とは、死ぬ時であろう。熱帯に於てのみ私は纔(わず)かに健康なのだ。亜熱帯の此処(ニュー・カレドニア)でさえ、私は直ぐに風邪を引く。シドニーでは到頭喀血をやって了った。霧の深い英国へ婦るなど、今は思いも寄らぬ。……私は悲しんでいるだろうか? 英国にいる七・八人、米国にいる一人二人の友人と会えなくなること、それが辛いだけだ。それを別にすれば、寧(むし)ろサモアの方が好ましい。海と島々と土人達と、島の生活と気候とが、私を本当に幸福にして呉れるだろう。私は此の流謫(るたく)を決して不幸とは考えない……。」

 その年の十一月、彼は漸(ようや)く健康を取戻してサモアに帰った。彼の買入地には、土人の大工の作った仮小舎が出来ていた。本建築は白人大工でなければ出来ないのである。それが出来上るまで、スティヴンスンと彼の妻ファニイとは仮小舎に寝起し、自ら土人達を監督して開墾に当った[#「当った」は底本では「当つた」]。其処はアピア市の南方三哩(マイル)、休火山ヴァエアの山腹で、五つの渓流と三つの瀑布(ばくふ)と、その他幾つかの峡谷断崖を含む・六百呎(フィート)から千三百呎に亘る高さの台地である。土人は此の地をヴァイリマと呼んだ。五つの川の意である。鬱蒼(うっそう)たる熱帯林や渺茫(びょうぼう)たる南太平洋の眺望をもつ斯うした土地に、自分の力で一つ一つ生活の礎石を築いて行くのは、スティヴンスンにとって、子供の時の箱庭遊に似た純粋な歓びであった。自分の生活が自分の手によって最も直接に支えられていることの意識――その敷地に自分が一杙(ひとくい)打込んだ家に住み、自分が鋸(のこぎり)をもって其の製造の手伝をした椅子に掛け、自分が鍬(くわ)を入れた畠の野菜や果実を何時も喰べていること――之は、幼時始めて自力で作上げた手工品を卓子(テーブル)の上に置いて眺めた時の・新鮮な自尊心を蘇(よみがえ)らせて呉れる。此の小舎を組立てている丸木や板も、又、日々の食物も、みんな素性の知れたものであること――つまり、其等の木は悉(ことごと)く自分の山から伐出(きりだ)され自分の眼の前で鉋(かんな)を掛けられたものであり、其等の食物の出所も、みんなはっきり判っている(このオレンジはどの木から取った、このバナナは何処の畠のと)こと。之も、幼い頃母の作った料理でなければ安心して喰べられなかったスティヴンスンに、何か楽しい心易さを与えるのであった。
 彼は今ロビンソン・クルーソー、或いはウォルト・ホイットマンの生活を実験しつつある。「太陽と大地と生物とを愛し、富を軽蔑(けいべつ)し、乞う者には与え、白人文明を以て一の大なる偏見と見做(みな)し、教育なき・力(ちから)溢(あふ)るる人々と共に闊歩(かっぽ)し、明るい風と光との中で、労働に汗ばんだ皮膚の下に血液の循環を快く感じ、人に嗤(わら)われまいとの懸念を忘れて、真に思う事のみを言い、真に欲する事のみを行う。」之が彼の新しい生活であった。

   二

一八九〇年十二月×日
 五時起床。美しい鳩色の明方。それが徐々に明るい金色に変ろうとしている。遥か北方、森と街との彼方に、鏡のような海が光る。但し、環礁の外は相変らず怒濤(どとう)の飛沫(しぶき)が白く立っているらしい。耳をすませば、確かに其の音が地鳴のように聞えて来る。
 六時少し前朝食。オレンジ一箇。卵二箇。喰べながらヴェランダの下を見るともなく見ていると、直ぐ下の畑の玉蜀黍(とうもろこし)が二三本、いやに揺れている。おやと思って見ている中に、一本の茎が倒れたと思うと、葉の茂みの中に、すうっと隠れて了った。直ぐに降りて行って畑に入ると、仔豚が二匹慌てて逃出した。
 豚の悪戯(いたずら)には全く弱る。欧羅巴(ヨーロッパ)の豚のような、文明のために去勢されて了ったものとは、全然違う。実に野性的で活力的で逞(たくま)しく、美しいとさえ言っていいかも知れぬ。私は今迄豚は泳げぬものと思っていたが、どうして、南洋の豚は立派に泳ぐ。大きな黒牝豚(くろめすぶた)が五百碼(ヤード)も泳いだのを、私は確かに見た。彼等は怜悧(れいり)で、ココナットの実を日向(ひなた)に乾かして割る術(すべ)をも心得ている。獰猛(どうもう)なのになると、時に仔羊を襲って喰殺したりする。ファニイの近頃は、毎日豚の取締りに忙殺されているらしい。
 六時から九時まで仕事。一昨日以来の「南洋だより」の一章を書上げる。直ぐに草刈に出る。土人の若者等が四組に分れて畑仕事と道拓(みちひら)きに従っている。斧(おの)の音。煙の匂。ヘンリ・シメレの監督で、仕事は大いに捗(はかど)っているようだ。ヘンリは元来サヴァイイ島の酋長(しゅうちょう)の息子なのだが、欧羅巴の何処へ出しても恥ずかしくない立派な青年だ。
 生垣の中にクイクイ(或いはツイツイ)の叢生(そうせい)している所を見付けて、退治にかかる。この草こそ我々の最大の敵だ。恐ろしく敏感な植物。狡猾(こうかつ)な知覚――風に揺れる他の草の葉が触れたときは何の反応も示さないのに、ほんの少しでも人間がさわると忽(たちま)ち葉を閉じて了う。縮んでは鼬(いたち)のように噛みつく植物、牡蠣(かき)が岩にくっつくように、根で以て執拗(しつよう)に土と他の植物の根とに、からみ付いている。クイクイを片付けてから、野生のライムにかかる。棘(とげ)と、弾力ある吸盤とに、大分素手を傷められた。
 十時半、ヴェランダから法螺貝(ブウ)が響く。昼食――冷肉・木犀果(アヴォガドオ・ペア)・ビスケット・赤葡萄酒(あかぶどうしゅ)。
 食後、詩を纏(まと)めようとしたが、巧(うま)く行かぬ。銀笛(フラジオレット)を吹く。一時から又外へ出てヴァイトリンガ河岸への径(みち)を開きにかかる。斧を手に、独りで密林にはいって行く。頭上は、重なり合う巨木、巨木。其の葉の隙から時々白く、殆ど銀の斑点(はんてん)の如く光って見える空。地上にも所々倒れた巨木が道を拒んでいる。攀上(よじのぼ)り、垂下り、絡みつき、輪索(わな)を作る蔦葛(つたかずら)類の氾濫(はんらん)。総(ふさ)状に盛上る蘭類。毒々しい触手を伸ばした羊歯(しだ)類。巨大な白星海芋。汁気の多い稚木(わかぎ)の茎は、斧の一振でサクリと気持よく切れるが、しなやかな古枝は中々巧く切れない。
 静かだ。私の振る斧の音以外には何も聞えない。豪華な此の緑の世界の、何という寂しさ! 白昼の大きな沈黙の、何という恐ろしさ!
 突然遠くから或る鈍い物音と、続いて、短い・疳高(かんだか)い笑声とが聞えた。ゾッと悪寒が背を走った。はじめの物音は、何かの木魂(こだま)でもあろうか? 笑声は鳥の声? 此の辺の鳥は、妙に人間に似た叫をするのだ。日没時のヴァエア山は、子供の喚声に似た、鋭い鳥共の鳴声で充たされる。しかし、今の声は、それとも少し違っている。結局、音の正体は判らずじまいであった。
 帰途、ふと一つの作品の構想が浮んだ。この密林を舞台としたメロドラマである。弾丸の様に其の思いつきが(又、その中の情景の一つが)私を貫いたのだ。巧く纏まるかどうか分らないが、とにかく私は此の思いつきを暫く頭の隅に暖めて置こう。□が卵をかえす時のように。
 五時、夕食、ビーフシチウ・焼バナナ・パイナップル入クラレット。
 食後ヘンリに英語を教える。というよりも、サモア語との交換教授だ。ヘンリが毎日毎日、此の憂鬱(ゆううつ)な夕方の勉学に、どうして堪えられるか、不思議でならぬ。(今日は英語だが、明日は初等数学だ。)享楽的なポリネシア人の中でも特に陽気なのが彼等サモア人だのに。サモア人は自ら強いることを好まない。彼等の好むのは、歌と踊と美服(彼等は南海の伊達者(ダンディ)だ。)と、水浴とカヴァ酒とだ。それから、談笑と演説と、マランガ――之は、若者が大勢集まって村から村へと幾日も旅を続けて遊び廻ること。訪ねられた村では必ず彼等をカヴァ酒や踊で歓待しなければならないことになっている。サモア人の底抜の陽気さは、彼等の国語に「借財」或いは「借りる」という言葉の無いことだ。近頃使われているのはタヒティから借用した言葉だ。サモア人は元々、借りるなどという面倒な事はせずに、皆貰って了うのだから、従って、借りるという言葉も無いのである。貰う――乞う――強請する、という言葉なら、実に沢山ある。貰うものの種類によって、――魚だとか、タロ芋だとか、亀だとか、筵(むしろ)だとか、それに依って「貰う」という言葉が幾通りにも区別されているのだ。もう一つの長閑(のどか)な例――奇妙な囚人服を着せられ道路工事に使役されている土人の囚人の所へ、日曜着の綺羅(きら)を飾った囚人等の一族が飲食物携帯で遊びに行き、工事最中の道路の真中に筵を敷いて、囚人達と一緒に一日中飲んだり歌ったりして楽しく過すのだ。何という、とぼけた明るさだろう! 所で、うちのヘンリ・シメレ君は斯(こ)うした彼の種族一般と何処か違っている。その場限りでないもの、組織的なものを求める傾向が、この青年の中にある。ポリネシア人としては異数のことだ。彼に比べると、白人ではあるが、料理人のポールなど、遥かに知的に劣っている。家畜係のラファエレと来ては、之は又典型的なサモア人だ。元来サモア人は体格がいいが、ラファエレも六呎(フィート)四吋(インチ)位はあろう。身体ばかり大きいくせに一向意気地がなく、のろまな哀願的人物である。ヘラクレスの如くアキレスの如き巨漢が、甘ったれた口調で、私のことを「パパ、パパ」と呼ぶのだから、やり切れない。彼は幽霊をひどく怖がっている。夕方一人でバナナ畑へ行けないのだ。(一般に、ポリネシア人が「彼は人だ」という時、それは、「彼が幽霊ではなく、生きた人間である。」という意味だ。)二三日前ラファエレが面白い話をした。彼の友人の一人が、死んだ父の霊を見たというのだ。夕方、その男が、死んでから二十日ばかりになる父の墓の前に佇(たたず)んでいた。ふと気がつくと、何時の間にか、一羽の雪白の鶴が珊瑚(さんご)屑の塚の上に立っている。之こそは父の魂だと、そう思いながら見ている中に、鶴の数が殖えて来て、中には黒鶴も交っていた。その中に、何時か彼等の姿が消え、その代りに塚の上には、今度は白猫が一匹いる。やがて、白猫の周りに、灰色、三毛、黒、と、あらゆる毛色の猫共が、幻のように音も無く、鳴声一つ立てずに忍び寄って来た。その中に、其等の姿も周囲の夕闇の中へ融去って了った。鶴になった父親の姿を見たと其の男は堅く信じている…………云々(うんぬん)。

十二月××日
 午前中、稜鏡(プリズム)羅針儀を借りて来て仕事にかかる。この器械に私は一八七一年以来触れたことがなく、又、それに就いて考えたこともなかったのだが、兎に角、三角形を五つ引いた。エディンバラ大学工科卒業生たるの誇を新たにする。だが、何という怠惰な学生で私はあったか! ブラッキイ教授やテイト教授のことを、ひょいと思出した。
 午後は又、植物共のあらわな生命力との無言の闘争。こうして斧(おの)や鎌を揮(ふる)って六片(ペンス)分も働くと、私の心は自己満足でふくれ返るのに、家の中で机に向って二十磅(ポンド)稼いでも、愚かな良心は、己の怠惰と時間の空費とを悼むのだ。之は一体どうした訳か。
 働きながら、ふと考えた。俺は幸福か? と。しかし、幸福というやつは解らぬ。それは自意識以前のものだ。が、快楽なら今でも知っている。色々な形の・多くの快楽を。(どれも之も完全なものとてないが。)其等の快楽の中で、私は、「熱帯林の静寂の中で唯一人斧を揮う」この伐木作業を、高い位置に置くものだ。誠に、「歌の如く、情熱の如く」此の仕事は私を魅する。現在の生活を、私は、他の如何なる環境とも取換えたく思わない。しかも一方、正直な所を云えば、私は今、或る強い嫌悪の情で、絶えずゾッとしているのだ。本質的にそぐわない環境の中へ強いて身を投じた者の感じねばならない肉体的な嫌悪というやつだろうか。神経を逆撫する荒っぽい残酷さが、何時も私の心を押しつける。蠢(うごめ)き、まつわるものの、いやらしさ。周囲の空寂と神秘との迷信的な不気味さ。私自身の荒廃の感じ。絶えざる殺戮(さつりく)の残酷さ。植物共の生命が私の指先を通して感じられ、彼等のあがきが、私には歎願のように応える。血に塗(まみ)れているような自分を感じる。

 ファニイの中耳炎。まだ痛むらしい。
 大工の馬が□卵(けいらん)十四箇を踏みつぶした。昨夕は、うちの馬が脱出して、隣(といっても随分離れているが)の農耕地に大きな穴をあけたそうだ。

 身体の調子は頗(すこぶ)る良いのだが、肉体労働が少し過ぎるらしい。夜、蚊帳(かや)の下のベッドに横になると、背中が歯痛のように痛い。閉じた瞼(まぶた)の裏に、私は、近頃毎晩ハッキリと、限りない、生々した雑草の茂み、その一本一本を見る。つまり、私は、くたくたになって横たわった儘(まま)何時間も、昼の労働の精神的復誦(ふくしょう)をやってのける訳だ。夢の中でも、私は、強情な植物共の蔓(つる)を引張り、蕁麻(いらくさ)の棘(とげ)に悩まされ、シトロンの針に突かれ、蜂には火の様に螫(さ)され続ける。足許でヌルヌルする粘土、どうしても抜けない根、恐ろしい暑さ、突然の微風、近くの森から聞える鳥の声、誰かがふざけて私の名を呼ぶ声、笑声、口笛の合図…………大体、昼の生活を夢の中で、もう一ぺん、し直すのである。

十二月××日
 昨夜仔豚三頭盗まる。
 今朝巨漢ラファエレが、おずおずと我々の前に現れたので、この事に就いて質問し、やまをかけて見る。全く子供欺(だま)しのトリック。但し、之はファニイがやったので、私は余り斯(こ)んな事を好まぬ。先ずラファエレを前に坐らせ、こちらは少し離れて彼の前に立ち、両腕を伸ばし両方の人差指でラファエレの両眼を指しながら徐々に近づいて行く、こちらの勿体ぶった様子にラファエレは既に恐怖の色を浮べ、指が近付くと眼を閉じて了う。其の時、左手の人差指と親指とを拡げて彼の両眼の瞼に触れ、右手はラファエレの背後(うしろ)に廻して、頭や背を軽く叩く。ラファエレは、自分の両眼にさわっているのは左右の人差指と信じているのだ。ファニイは右手を引いて元の姿勢に復(かえ)り、ラファエレに眼を開かせる。ラファエレは変な顔をして、先刻頭の後にさわったのは何です、と聞く。「私に付いている魔物だよ。」とファニイが云う。「私は私の魔物を呼び起したんだよ。もう大丈夫。豚盗人は、魔物がつかまえて呉れるから。」
 三十分後、ラファエレは心配そうな顔をして、又、我々の所へ来る。さっきの魔物の話は本当かと念を押す。
「本当だよ。盗(と)った男が今晩寐(ね)ると、魔物も其処へ寐に行くんだよ。じきに其の男は病気になるだろうよ。豚を盗った酬(むくい)さ。」
 幽霊信者の巨漢は益々不安の面持になる。彼が犯人とは思わないが、犯人を知っていることだけは確かのようだ。そして、恐らく今晩あたり其の仔豚の饗宴(きょうえん)にあずかるであろうことも。但し、ラファエレにとって、それは余り楽しい食事ではなくなるだろう。

 此の間、森の中で思い付いた例の物語、どうやら頭の中で大分醗酵(はっこう)して来たようだ。題は、「ウルファヌアの高原林」とつけようかと思う。ウルは森。ファヌアは土地。美しいサモア語だ。之を作品中の島の名前に使うつもり。未だ書かない作品中の色々な場面が、紙芝居の絵のように次から次へと現れて来て仕方がない。非常に良い叙事詩になるかも知れぬ。実に下らない甘ったるいメロドラマに堕する危険も多分にありそうだ。何か電気でも孕(はら)んだような工合で、今執筆中の「南洋だより」のような紀行文など、ゆっくり書いていられなくなる。随筆や詩(もっとも、私の詩は、いきぬきの為の娯楽の詩だから、話にならないが)を書いている時は、決して、こんな興奮に悩まされることはないのだが。

 夕方、巨樹の梢と、山の背後とに、壮大な夕焼。やがて、低地と海との彼方から満月が出ると、此の地には珍しい寒さが始まった。誰一人眠れない。皆起出して、掛蒲団(かけぶとん)を探す。何時頃だったろう。――外は昼のように明るかった。月は正にヴァエア山巓(さんてん)に在った。丁度真西だ。鳥共も奇妙に静まり返っている。家の裏の森も寒さに疼(うず)いているように見えた。
 六十度より降(くだ)ったに違いない。

   三

 明けて一八九一年の正月になると、旧宅、ボーンマスのスケリヴォア荘から、家財道具一切を纏(まと)めて、ロイドがやって来た。ロイドはファニイの息子で、最早二十五歳になっていた。
 十五年前フォンテンブロオの森でスティヴンスンが始めてファニイに会った時、彼女は既に廿歳に近い娘と九歳になる男の児との母親であった。娘はイソベル、男の児はロイドといった。ファニイは当時、戸籍の上では未だ米国人オスボーンの妻であったけれど、久しく夫から脱(のが)れて欧洲に渡り、雑誌記者などをしながら、二人の子をかかえて自活していたのである。
 それから三年の後、スティヴンスンは、其の時カリフォルニアに帰っていたファニイの後を追うて、大西洋を渡った。父親からは勘当同様となり、友人達の切なる勧告(彼等は皆スティヴンスンの身体を気遣っていた。)をも斥(しりぞ)けて、最悪の健康状態と、それに劣らず最悪の経済状態とを以て彼は出発した。果して加州に着いた時は、殆ど瀕死(ひんし)の有様だった。しかし、兎に角どうにか頑張り通して生延びた彼は、翌年、ファニイの・前夫との離婚成立を待って漸(ようや)く結婚した。時にファニイは、スティヴンスンより十一歳年上の四十二。前年娘のイソベルがストロング夫人となって長男を挙げていたから、彼女は既に祖母となっていた訳である。
 斯(こ)うして、世の辛酸を嘗(な)めつくした中老の亜米利加(アメリカ)女と、坊ちゃん育ちで、我儘(わがまま)で天才的な若いスコットランド人との結婚生活が始まった。夫の病弱と妻の年齢とは、しかし、二人を、やがて、夫婦というよりも寧(むし)ろ、芸術家と其のマネージャアの如きものに変えて了った。スティヴンスンに欠けている実際家的才能を多分に備えていたファニイは、彼のマネージャアとして確かに優秀であった。が、時に、優秀すぎる憾(うらみ)がないではなかった。殊に、彼女が、マネージャアの分を超えて批評家の域に入ろうとする時に。
 事実、スティヴンスンの原稿は、必ず一度はファニイの校閲を経なければならないのである。三晩寐(ね)ないで書上げた「ジィキルとハイド」の初稿をストーヴの中に叩き込ませたのは、ファニイであった。結婚以前の恋愛詩を断然差押えて出版させなかったのも、彼女であった。ボーンマスにいた頃、夫の身体の為とはいえ、古い友達の誰彼を、頑として一切病室に入れなかったのも、彼女であった。之にはスティヴンスンの友人達も大分気を悪くした。直情径行のW・E・ヘンレイ(ガルバルジイ将軍を詩人にした様な男だ)が真先に憤慨した。何の為に、あの色の浅黒い・隼(はやぶさ)の様な眼をした亜米利加女が、でしゃばらねばならぬのか。あの女のためにスティヴンスンはすっかり変って了った、と。此の豪快な赤髯(あかひげ)詩人も、自己の作品の中に於てなら、友情が家庭や妻のために蒙(こうむ)らねばならぬ変化を充分冷静に観察できた筈だのに、今、実際眼の前で、最も魅力ある友が一婦人のために奪い去られるのには、我慢がならなかったのである。スティヴンスンの方でも、確かに、フアニイの才能に就いて幾分誤算をしていた所があった。一寸利口な婦人ならば誰しもが本能的に備えている男性心理への鋭い洞察や、又、そのジャアナリスティックな才能を、芸術的な批評能力と買いかぶった所が確かにあった。後になって、彼も其の誤算に気付き、時として心服しかねる妻の批評(というより干渉といっていい位、強いもの)に辟易(へきえき)せねばならなかった。「鋼鉄(はがね)の如く真剣に、刃(やいば)の如く剛直な妻」と、或る戯詩の中で、彼はファニイの前に兜(かぶと)を脱いだ。
 連子のロイドは、義父と生活を共にしている間に、何時か自分も小説を書くことを覚え出した。此の青年も母親に似て、ジャアナリスト的な才能を多く有(も)っているようである。息子の書いたものに義父が筆を加え、それを母親が批評するという、妙な一家が出来上った。今迄に父子の合作は一つ出来ていたが、今度ヴァイリマで一緒に暮らすようになってから、「退潮(エッブ・タイド)」なる新しい共同作品の計画が建てられた。
 
 四月になると、愈々(いよいよ)屋敷が出来上った。芝生とヒビスカスの花とに囲まれた・暗緑色の木造二階建、赤屋根の家は、ひどく土人達の眼を驚かせた。スティヴロン氏、或いはストレーヴン氏(彼の名を正確に発音できる土人は少かった)或いはツシタラ(物語の語り手を意味する土語)が、富豪であり、大酋長(だいしゅうちょう)であることは、最早疑いなきものと彼等には思われた。彼の豪壮(?)な邸宅の噂は、やがてカヌーに乗って、遠くフィジー、トンガ諸島あたり迄喧伝(けんでん)された。

 やがて、スコットランドからスティヴンスンの老母が来て一緒に暮らすことになった。それと共に、ロイドの姉イソベル・ストロング夫人が長男のオースティンを連れてヴァイリマに合流した。
 スティヴンスンの健康は珍しく上乗で、伐木や乗馬にもさして疲れないようになった。原稿執筆は、毎朝決って五時間位。建築費に三千磅(ポンド)も使った彼は、いやでも書(かき)捲(ま)くらざるを得なかったのである。

   四

一八九一年五月×日
 自分の領土(及び其の地続き)内の探険。ヴァイトゥリンガ流域の方は先日行って見たので、今日はヴァエア河の上流を探る。
 叢林(そうりん)の中を大体見当をつけて東へ進む。漸く河の縁へ出る。最初河床は乾いている。ジャック(馬)を連れて来たのだが、河床の上に樹々が低く密生して馬は通れないので、叢林の中の木に繋(つな)いで置く。乾いた川筋を上って行く中に、谷が狭くなり、所々に洞(ほら)があったりして、横倒しになった木の下を屈(かが)まずにくぐって歩けた。
 北へ鋭く曲る。水の音が聞えた。暫くして、峙(そばだ)つ岩壁にぶつかる。水が其の壁面を簾(すだれ)のように浅く流れ下っている。其の水は直ぐ地下に潜って見えなくなって了う。岩壁は攀登(よじのぼ)れそうもないので、木を伝って横の堤に上る。青臭い草の匂がむんむんして、暑い。ミモザの花。羊歯(しだ)類の触手。身体中を脈搏(みゃくはく)が烈しく打つ。途端に何か音がしたように思って耳をすます。確かに水車の廻るような音がした。それも、巨大な水車が直ぐ足許でゴーッと鳴った様な、或いは、遠雷の様な音が、二三回。そして、その音が強くなる度に、静かな山全体が揺れるように感じた。地震だ。
 又、水路に沿って行く。今度は水が多い。恐ろしく冷たく澄んだ水。夾竹桃(きょうちくとう)、枸櫞樹(シトロン)、たこの木、オレンジ。其等の樹々の円天井の下を暫く行くと、また水が無くなる。地下の熔岩(ようがん)の洞穴の廊下に潜り込むのだ。私は其の廊下の上を歩く。何時迄行っても、樹々に埋れた井戸の底から仲々抜出られぬ。余程行ってから、漸く繁みが浅くなり、空が葉の間から透けて見えるようになった。
 ふと、牛の鳴声を聞きつける。確かに私の所有する牛には違いないが、先方では所有主を見知るまいから、頗(すこぶ)る危険だ。立停り、様子をうかがって、巧(うま)くやり過ごす。暫く進むと、□々(るいるい)たる熔岩の崖に出くわす。浅い美しい滝がかかっている。下の水溜(みずたまり)の中を、指ぐらいの小魚の影がすいすいと走る。ざりがにもいるらしい。朽ち倒れ、半ば水に浸った巨木の洞。渓流の底の一枚岩が不思議にルビイの様に紅い。
 やがて又も河床は乾き、いよいよヴァエア山の嶮(けわ)しい面を上って行く。河床らしいものもなくなり、山頂に近い台地に出る。彷徨(ほうこう)すること暫し、台地が東側の大峡谷に落ちこむ縁の所に、一本の素晴らしい巨樹を見付けた。榕樹(ガジマル)だ。高さは二百呎(フィート)もあろう。巨幹と数知れぬ其の従者共(気根)とは、地球を担うアトラスの様に、怪鳥の翼を拡げたるが如き大枝の群を支え、一方、枝々の嶺(みね)の中には、羊歯・蘭類がそれぞれ又一つの森のように叢(むら)がり茂っている。枝々の群は、一つの途方もなく大きな円蓋(ドーム)だ。それは層々□々と盛上って、明るい西空(既に大分夕方に近くなっていた)に高く向い合い、東の方(かた)数哩(マイル)の谿(たに)から野にかけて蜿蜒(えんえん)と拡がる其の影の巨(おお)きさ! 誠に、何とも豪宕(ごうとう)な観ものであった。
 もう遅いので慌てて、帰途に就く。馬を繋いで置いた所へ来て見ると、ジャックは半狂乱の態だ。独りぼっちで森の中に半日捨て置かれた恐怖の為らしい。ヴァエア山にはアイトゥ・ファフィネなる女怪が出ると土人は云うから、ジャックはそれを見たのかも知れぬ。何度もジャックに蹴られそうになりながら、漸(ようや)くのことで宥(なだ)めて、連れ帰った。

五月×日
 午後、ベル(イソベル)のピアノに合せて銀笛(フラジオレット)を吹く。クラックストン師来訪。「壜の魔物(ボットル・イムプ)」をサモア語に訳して、オ・レ・サル・オ・サモア誌に載せ度き由。欣(よろこ)んで承諾。自分の短篇の中でも、ずっと昔の「ねじけジャネット」や、この寓話(ぐうわ)など、作者の最も好きなものだ。南海を舞台にした話だから、案外土人達も喜ぶかも知れない。之で愈々(いよいよ)私は彼等のツシタラ(物語の語り手)となるのだ。
 夜、寝に就いてから、雨の音。海上遠く微かな稲妻。

五月××日
 街へ下りる。殆ど終日為替のことでゴタゴタ。銀の騰落は、此の地に於ては頗(すこぶ)る大問題なり。
 午後、港内に碇泊(ていはく)中の船々に弔旗揚がる。土人の女を妻とし、サメソニの名を以て島民に親しまれていたキャプテン・ハミルトンが死んだのだ。
 夕方、米国領事館の方へ歩いて見た。満月の美しい夜。マタウトゥの角を曲った時、前方から讃美歌の合唱の声が聞えた。死者の家のバルコニイに女達(土人の)が沢山いて唱(うた)っているのだった。未亡人になったメァリイ(矢張、サモア人だが)が、家の入口の椅子に掛けていた。私と見知越しの彼女は、私を請じ入れて自分の隣に掛けさせた。室内の卓子(テーブル)の上に、シーツに包まれて横たわっている故人の遺骸を私は見た。讃美歌が終ってから、土人の牧師が立上って、話を始めた。長い話だった。灯明の光が扉や窓から外へ流れ出していた。褐色の少女達が沢山私の近くに坐っていた。恐ろしく蒸暑かった。牧師の話が終ると、メァリイは私を中に案内した。故キャプテンの指は胸の上に組まれ、其の死顔は穏かだった。今にも何か口をききそうであった。之程生々した・美しい蝋細工(ろうざいく)の面を未だ見たことがない。
 一礼して私は表へ出た。月が明るく、オレンジの香が何処からか匂っていた、既に此の世の戦を終え、こんな美しい熱帯の夜、乙女等の唄に囲まれて静かに眠っている故人に対して、一種甘美な羨望(せんぼう)の念を私は覚えた。

五月××日
 「南洋だより」は、編輯者(へんしゅうしゃ)並びに読者に不満の由。曰(いわ)く、『南洋研究の資料蒐集(しうしふ)[#ルビの「しうしふ」は底本では「しうしう」]、或ひは科学的観察ならば、又、他に人もあるべし。読者のR・L・S・氏に望む所のものは、固(もと)よりその麗筆に係る南海の猟奇的冒険詩に有之候』冗談ではない。私があの原稿を書く時、頭に浮べていた模範(モデル)は、十八世紀風の紀行文、筆者の主観や情緒を抑えて、即物的な観察に終始した・ああいう行き方なのだ。「宝島」の作者は何時迄も海賊と埋もれた宝物のことを書いていればいいのであって、南海の殖民事情や、土着民の人口減少現象や、布教状態に就いて考察する資格が無いとでもいうのか? やり切れないことには、ファニイ迄が亜米利加(アメリカ)の編輯者と同意見なのだ。「精確な観察よりも、華(はな)やかで面白い話を書かなければ、」と云うのだ。
 大体、私は近頃、従来の自分の極彩色描写が段々厭(いや)になって来た。最近の私の文体は、次の二つを目指している積りだ。一、無用の形容詞の絶滅。二、視覚的描写への宣戦。ニューヨーク・サン紙の編輯者にもファニイにもロイドにも、未だに此の事が解らないのだ。

「難破船引揚業者(レッカー)」は順調に進捗(しんちょく)しつつある。ロイドの他にイソベルという一層叮嚀(ていねい)な筆記者が殖えたのは、大いに助かる。
 家畜の宰領をしているラファエレに、現在の頭数を聞いて見たら、乳牛三頭、犢(こうし)が牝(めす)牡(おす)各一頭ずつ、馬八頭、(ここ迄は聞かなくても知っている。)豚が三十匹余り。家鴨(あひる)と□とは随処に出没するので殆ど無数という外はなく、尚、別に夥(おびただ)しい野良猫共が跋扈(ばっこ)している由。野良猫は家畜なりや?

五月××日
 街に、島巡りのサーカスが来たというので、一家総出で見に行く。真昼の大天幕の下、土人の男女の喧騒(けんそう)の中で、生温い風に吹かれながら、曲芸を見る。これが我々にとっての唯一の劇場だ。我々のプロスペロオは球乗(たまのり)の黒熊。ミランダは馬の背に乱舞しつつ火の輪を潜る。
 夕方、帰る。何か心怡(たの)しまず。

六月×日
 昨夜八時半頃ロイドと自室にいると、ミタイエレ(十一・二歳の少年召使)がやって来て、一緒に寐(ね)ているパータリセ(最近、戸外労働から室内給仕に昇格した十五・六歳の少年、ワリス島の者で英語は皆目判らず、サモア語も五つしか知らない。)が、急に変な事を言出して気味が悪い、と言った。何でも、「今から森の中にいる家族(うち)の者に逢いに行く。」といって聞かないのだそうだ。「森の中に、あの子の家があるのか?」と聞くと、「あるもんですか。」とミタイエレが言う。直ぐにロイドと、彼等の寝室へ行った。パータリセは睡っている者のように見えたが、何かうわ言を言っている。時々、脅された鼠(ねずみ)の様な声を立てる。身体にさわると冷たい。脈は速くない。呼吸の度に腹が大きく上下する。突然、彼は起上り、頭を低く下げ、前へつんのめるような恰好(かっこう)で、扉に向って走った。(といっても、其の動作は余り速くなく、ぜんまいの弛(ゆる)んだ機械玩具のような奇妙なのろさであった。)ロイドと私とが彼をつかまえてベッドに寐かしつけた。暫くして又逃出そうとした。今度は猛烈な勢なので、やむを得ず、みんなで彼をベッドに(シーツや縄で)括(くく)り付けた。パータリセは、そうやって抑え付けられた儘(まま)時々何か呟き、時に、怒った子供の様に泣いた。彼の言葉は、「ファアモレモレ(何卒(なにとぞ))」が繰返される外、「家の者が呼んでいる」とも言っているらしい。その中(うち)にアリック少年とラファエレとサヴェアとがやって来た。サヴェアはパータリセと同じ島の生れで、彼と自由に話が出来るのだ。我々は彼等に後を任せて部屋に戻った。
 突然、アリックが私を呼んだ。急いで駈付けると、パータリセは縛(いましめ)をすっかり脱し、巨漢ラファエレにつかまえられている。必死の抵抗だ。五人がかりで取抑えようとしたが、狂人は物凄い力だ。ロイドと私とが片脚の上に乗っていたのに、二人とも二呎(フィート)も高く跳ね飛ばされて了った。午前一時頃迄かかって、到頭抑えつけ、鉄の寝台脚に手首足首を結びつけた。厭な気持だが、やむを得ない。其の後も発作は刻一刻と烈しくなるようだ。何のことはない。まるで、ライダー・ハガードの世界だ。(ハガードといえば、今、彼の弟が土地管理委員としてアピアの街に住んでいる。)
 ラファエレが「狂人の工合は大変悪いから、自分の家の家伝の秘薬を持って来よう」と言って、出て行った。やがて、見慣れぬ木の葉を数枚持って来、それを噛んで狂少年の眼に貼付(はりつ)け、耳の中に其の汁を垂らし、(ハムレットの場面?)鼻孔(びこう)にも詰込んだ。二時頃、狂人は熟睡に陥った。それから朝迄発作が無かったらしい。今朝ラファエレに聞くと、「あの薬は使い方一つで、一家鏖殺(おうさつ)位、訳なく出来る劇毒薬で、昨夜は少し利き過ぎなかったかと心配した。自分のほかに、もう一人、比の島で此の秘法を知っている者がある。それは女で、其の女は之を悪い目的の為に使ったことがある。」と。
 入港中の軍艦の医者に今朝来て貰ったが、パータリセを診て、異常なしという。少年は、今日は仕事をするのだと言って聞かず、朝食の時、皆の所へ来て、昨夜の謝罪のつもりだろうか、家中の者に接吻した。この狂的接吻には、一同少からず辟易(へきえき)。しかし、土人達は皆パータリセの譫言(うわごと)を信じているのだ。パータリセの家の死んだ一族が多勢、森の中から寝室へ来て、少年を幽冥界(ゆうめいかい)へ呼んだのだと。又、最近死んだパータリセの兄が其の日の午後叢林(そうりん)の中で少年に会い、彼の額を打ったに違いないと。又、我々は死者の霊と、昨夜一晩戦い続け、竟(つい)に死霊共は負けて、暗い夜(そこが彼等の住居である)へと逃げて行かねばならなかったのだと。

六月×日
 コルヴィンの所から写真を送って来た。ファニイ(感傷的な涙とは凡(およ)そ縁の遠い)が思わず涙をこぼした。
 友人! 何と今の私に、それが欠けていることか! (色々な意味で)対等に話すことの出来る仲間。共通の過去を有(も)った仲間。会話の中に頭註や脚註の要らない仲間。ぞんざいな言葉は使いながらも、心の中では尊敬せずにいられぬ仲間。この快適な気候と、活動的な日々との中で、足りないものは、それだけだ。コルヴィン、バクスター、W・E・ヘンレイ、ゴス、少し遅れて、ヘンリィ・ジェイムズ、思えば俺の青春は豊かな友情に恵まれていた。みんな俺より立派な奴ばかりだ。ヘンレイとの仲違(なかたが)いが、今、最も痛切な悔恨を以て思出される。道理から云って、此方が間違っているとは、さらさら思わない。しかし、理窟なんか問題じゃない。巨大な・捲鬚(まきひげ)の・赭(あか)ら顔の・片脚の・あの男と、蒼ざめた痩(や)せっぽちの俺とが、一緒に秋のスコットランドを旅した時の、あの二十代の健かな歓びを思っても見ろ。あの男の笑い声――「顔と横隔膜とのみの笑ではなく、頭から踵(かかと)に及ぶ全身の笑」が、今も聞えるようだ。不思議な男だった、あの男は。あの男と話していると、世の中に不可能などというものは無いような気がして来る。話している中に、何時か此方迄が、富豪で、天才で、王者で、ランプを手に入れたアラディンであるような気がして来たものだ。…………
 昔の懐かしい顔(オールド・ファミリアー・フェイシズ)の一つ一つが眼の前に浮かんで来て仕方がない。無用の感傷を避けるため、仕事の中に逃れる。先日から掛かっているサモア紛争史、或いは、サモアに於ける白人横暴史だ。

 しかし、英国とスコットランドとを離れてから、もう丁度、四年になるのだ。

   五

――サモアに於ては古来地方自治の制、極めて鞏固(きょうこ)にして、名目は王国なれども、王は殆ど政治上の実権を有せず。実際の政治は悉(ことごと)く、各地方のフォノ(会議)によって決定せられたり。王は世襲に非ず。又、必ずしも常置の位にも非ず。古来此の諸島には、其の保持者に王者たるの資格を与うべき・名誉の称号、五つあり。各地方の大酋長(だいしゅうちょう)にして、此の五つの称号の全部、もしくは過半数を(人望により、或いは功績により)得たる者、推されて王位に即(つ)くなり。而して、通常、五つの称号を一人にて兼ね有する場合は極めて稀(まれ)にして、多くは、王の他に、一つ或いは二つの称号を保持する者あるを常とす。されば、王は、絶えず、他の王位請求権保持者の存在に脅されざるを得ず。かかる状態は必然的に其の中に内乱紛争の因由を蔵するものというべし。
――J・B・ステェア「サモア地誌」――
 一八八一年、五つの称号の中、「マリエトア」「ナトアイテレ」「タマソアリィ」の三つを有(も)つ大酋長ラウペパが推されて王位に即いた。「ツイアアナ」の称号を有(も)つタマセセと、もう一つの称号「ツイアトゥア」の持主マターファとは、代る代る副王の位に即くべく定められ、先ず始めにタマセセが副王となった。
 其の頃から丁度、白人の内政干渉が烈しくなって来た。以前は、会議(フォノ)及び其の実権者、ツラファレ(大地主)達が王を操っていたのに、今は、アピアの街に住む極く少数の白人が之に代ったのである。元来アピアには、英・米・独の三国がそれぞれ領事を置いている。併し、最も権力のあるのは領事達ではなくて、独逸(ドイツ)人の経営に係る南海拓殖商会であった。島の白人貿易商等の間に在って、此の商会は正(まさ)しく小人国のガリヴァアであった。曾(かつ)ては此の商会の支配人が独逸領事を兼ねたこともあり、又其の後、自国の領事(此の男は若い人道家で、商会の土人労働者虐待に反対したので)と衝突して之を辞めさせたこともある。アピアの西郊ムリヌウ岬から其の附近一帯の広大な土地が独逸商会の農場で、其処でコーヒー、ココア、パイナップル等を栽培していた。千に近い労働者は、主に、サモアよりも更に未開の他の島々や、或いは遠くアフリカから、奴隷同様にして連れて来られたものである。
 過酷な労働が強制され、白人監督に笞(むち)打(う)たれる黒色人褐色人の悲鳴が日毎に聞かれた。脱走者が相継ぎ、しかも彼等の多くは捕えられ、或いは殺された。一方、遥かに久しい以前から食人の習慣を忘れている此の島に、奇怪な噂が弘まった。外来の皮膚の黒い人間が島民の子供を取って喰うと。サモア人の皮膚は浅黒、乃至(ないし)、褐色だから、アフリカの黒人が恐ろしいものに見えたのであろう。
 島民の、商会に対する反感が次第に昂(たか)まった。美しく整理された商会の農場は、土人の眼に公園の如く映り、其処へ自由に入ることが許されぬのは、遊び好きな彼等にとって不当な侮辱と思われた。折角苦労して沢山のパイナップルを作り、それを自分達で喰べもせずに、船に載せて他処へ運んで了うに至っては、土人の大部分にとって、全く愚にもつかぬナンセンスである。
 夜、農場へ忍び入って畑を荒すこと、之が流行になった。之は、ロビンフッド的な義侠(ぎきょう)行為と見做(みな)され、島民一般の喝采(かっさい)を博した。勿論、商会側も黙ってはいない。犯人を捕えると、直ぐに商会内の私設監獄にぶち込んだばかりでなく、此の事件を逆用し、独逸領事と結んでラウペパ王に迫り、賠償を取るのは勿論、更に脅迫によって勝手な税法(白人、殊に独人に有利な)に署名させるに至った。王を始め島民達は、此の圧迫に堪えられなくなった。彼等は英国に縋(すが)ろうとした。そして、全く莫迦莫迦(ばかばか)しいことに、王、副王以下各大酋長の決議で「サモア支配権を英国に委(ゆだ)ねたい」旨を申出そうとしたのだ。虎に代うるに狼を以てしようとする此の相談は、しかし、直ぐ独逸側に洩(も)れた。激怒した独逸商会と独逸領事とは、直ちにラウペパをムリヌウの王宮から逐(お)い、代りに、従来の副王タマセセを立てようとした。一説には、タマセセが独逸側と結んで、王を裏切ったのだとも云われる。兎に角英米二国は独逸の方針に反対した。紛争が続き、結局、独逸は(ビスマルク流の遣り方だ)軍艦五隻をアピアに入港させ、其の威嚇の下にクー・デ・タを敢行した。タマセセは王となり、ラウペパは南方の山地深く逃れた。島民は新王に不服だったが、諸所の暴動も独逸軍艦の砲火の前に沈黙しなければならなかった。
 独兵の追跡を逃れて森から森へと身を隠していた前王ラウペパの許に、或夜、彼の腹心の一酋長から使が来た。「明朝中に貴下が独逸の陣営に出頭しなければ、更に大きな災禍(わざわい)が此の島に起るであろう」云々(うんぬん)。意志の弱い男ではあったが、尚、此の島の貴族にふさわしい一片の道義心を失ってはいなかったラウペパは、直ぐに自己犠牲を覚悟した。其の夜の中に彼はアピアの街に出て、秘かに前の副王候補者であったマターファに会見し、之に後事を託した。マターファは、ラウペパに対する独逸(ドイツ)の要求を知っていた。ラウペパは、ほんの暫くの間、独艦に乗って何処かへ連去られねばならぬ。但し、艦上に於ては前王として出来る限り厚遇すると、独逸艦長が保証していることを、マターファは附加えた。ラウペパは信じなかった。彼は覚悟していた、自分は二度とサモアの地を踏めまいと。彼は、全サモア人への訣別(けつべつ)の辞を認(したた)めて、マターファに渡した。二人は涙の中に別れ、ラウペパは独逸領事館に出頭した。其の午後、彼は独艦ビスマルク号に載せられ、何処へともなく立去った。彼の訣別の辞は悲しいものであった。
「……我が島々と、我が全サモア人への愛の為に、余は独逸政府の前に自らを投出す。彼等は、その欲するままに余を遇するであろう。余は、貴きサモアの血が、我故に再び流されることを望まぬ。しかし、余の犯した如何なる罪が、彼等皮膚白き者をして、(余に対し、又、余の国土に対し)斯(か)くも憤らしめたか、余には未だにそれが解らぬのだ。……」最後に彼は、サモアの各地方の名前を感傷的に呼びかけている。「マノノよ、さらば、ツツイラよ。アアナよ。サファライよ……」島民は之を読んで皆涙を流した。
 スティヴンスンが此の島に定住するより三年前の出来事である。

 新王タマセセに対する島民の反感は烈しかった。衆望はマターファに集まっていた。一揆(いっき)が相継いで起り、マターファは自分の知らぬ間に、自然推戴の形で、叛軍の首領になっていた。新王を擁立する独逸と、之に対立する英米(彼等は別にマターファに好意を寄せていた訳ではないが、独逸に対する対抗上、事毎に新王に楯(たて)ついた)との軋轢(あつれき)も次第に激化して来た。一八八八年の秋頃から、マターファは公然兵を集めて山岳密林帯に立籠(たてこも)った。独逸の軍艦は沿岸を回航して叛軍の部落に大砲をぶち込んだ。英米が之に抗議し、三国の関係は、かなり危い所まで行った。マターファは度々王の軍を破り、ムリヌウから王を追うてアピアの東方ラウリイの地に包囲した。タマセセ王救援の為に上陸した独艦の陸戦隊はファンガリィの峡谷でマターファ軍のために惨敗した。多数の独逸兵が戦死し、島民は欣(よろこ)んだというより寧(むし)ろ自ら驚いて了った。今迄半神(セミ・ゴッド)の如く見えた白人が、彼等の褐色の英雄によって仆(たお)されたのだから。タマセセ王は海上に逃亡し、独逸の支持する政府は完全に潰(つい)えた。
 憤激した独逸領事は、軍艦を用いて島全体に頗(すこぶ)る過激な手段を加えようとした。再び、英米、殊に米国が正面から之に反対し、各国はそれぞれ軍艦をアピアに急航させて、事態は更に緊迫した。一八八九年の三月、アピア湾内には、米艦二隻英艦一隻が独艦三隻と対峙(たいじ)し、市の背後の森林にはマターファの率いる叛軍が虎視眈々(たんたん)と機を窺(うかが)っていた。方(まさ)に一触即発のこの時、天は絶妙な劇作家的手腕を揮(ふる)って人々を驚かせた。かの歴史的な大惨禍、一八八九年の大颶風(ハリケーン)が襲来したのである。想像を絶した大暴風雨がまる一昼夜続いた後、前日の夕方迄碇泊(ていはく)していた六隻の軍艦の中、大破損を受けながらも兎に角水面に浮んでいたのは、僅か一隻に過ぎなかった。最早、敵も味方もなくなり、白人も土人も一団となって復旧作業に忙しく働いた。市の背後の密林に潜んでいた叛軍の連中迄が、街や海岸に出て来て、死体の収容や負傷者の看護に当った。今は独逸人も彼等を捕えようとはしなかった。此の惨禍は、対立した感情の上に意外な融和を齎(もたら)した。
 比の年、遠くベルリンで、サモアに関する三国の協定が成立した。その結果、サモアは依然名目上の王を戴き、英・米・独三国人から成る政務委員会が之を扶(たす)けるという形式になった。この委員会の上に立つべき政務長官と、全サモアの司法権を握るべきチーフ・ジャスティス(裁判所長)と、この二人の最高官吏は欧洲から派遣されることとなり、又、爾後(じご)、王の選出には政務委員会の賛成が絶対必要と定められた。
 同じ年(一八八九年)の暮、二年前に独艦上に姿を消して以来まるで消息の知れなかった前々王ラウペパが、ひょっこり憔悴(しょうすい)した姿で戻って来た。サモアから濠洲(ごうしゅう)へ、濠洲から独領西南アフリカヘ、アフリカから独逸本国へ、独逸から又ミクロネシアヘと、盥廻(たらいまわ)しに監禁護送されて来たのである。しかし、彼の帰って来たのは、傀儡(かいらい)の王として再び立てられる為であった。
 もし王の選出が必要とあれば、順序から云っても、人物や人望から云っても、当然マターファが選ばるべきだった。が、彼の剣には、ファンガリィの峡谷に於ける独逸水兵の血潮が釁(ちぬ)られている。独逸人は皆マターファの選出に絶対反対であった。マターファ自身も別に強いて急ごうとしなかった。いずれは順が廻って来ると楽観的に考えてもいたし、又、二年前涙と共に別れた・そして今やつれ果てて帰って来た老先輩への同情もあった。ラウペパの方は又ラウペパで、始めは、実力上の第一人者たるマターファに譲るつもりでいた。元々意志の弱い男が、二年に亘る流浪の間に、絶えざる不安と恐怖とのために、すっかり覇気を失って了ったからである。
 斯(こ)うした二人の友情を無理やりに歪めて了ったのが、白人達の策動と熱烈な島民の党派心とである。政務委員会の指図で否応なしにラウペパが即位させられてから一月も経たない中に、(まだ仲の良かった二人が大変驚いたことに)王とマターファの間の不和の噂が伝えられ出した。二人は気まずく思い、そして、又実際、奇妙な、いたましいコースをとって、二人の間の関係は本当に気まずいものに成って行ったのである。

 此の島に来た最初から、スティヴンスンは、此処にいる白人達の・土人の扱い方に、腹が立って堪(たま)らなかった。サモアにとって禍(わざわい)なことに、彼等白人は悉(ことごと)く――政務長官から島巡り行商人に至る迄――金儲(かねもうけ)の為にのみ来ているのだ。これには、英・米・独、の区別はなかった。彼等の中誰一人として(極く少数の牧師達を除けば)此の島と、島の人々とを愛するが為に此処に留まっているという者が無いのだ。スティヴンスンは初め呆れ、それから腹を立てた。植民地常識から考えれば、之は、呆れる方がよっぽどおかしいのかも知れないが、彼はむきになって、遥かロンドン・タイムズに寄稿し、島の此の状態を訴えた。白人の横暴、傲岸(ごうがん)、無恥。土人の惨めさ、等々。しかし、此の公開状は、冷笑を以て酬(むく)いられたに過ぎなかった。大小説家の驚くべき政治的無知、云々(うんぬん)。「ダウニング街の俗物共」の軽蔑者(けいべつしゃ)たるスティヴンスンのこととて、(曾(かつ)て大宰相グラッドストーンが「宝島」の初版を求めて古本屋を漁(あさ)っていると聞いた時も、彼は真実、虚栄心をくすぐられる所でなく、何か莫迦莫迦(ばかばか)しいような不愉快さを感じていた)政治的実際に疎いのは事実だったが、植民政策も土着の人間を愛することから始めよ、という自分の考が間違っているとは、どうしても思えなかった。此の島に於ける白人の生活と政策とに対する彼の非難は、アピアの白人達(英国人をも含めて)と彼との間に溝を作って行った。
 スティヴンスンは、故郷スコットランドの高地人(ハイランダァ)の氏族(クラン)制度に愛着をもっていた。サモアの族長制度も之に似た所がある。彼は、始めてマターファに会った時、その堂々たる体躯(たいく)と、威厳のある風貌とに、真の族長らしい魅力を見出した。
 マターファはアピアの西、七哩(マイル)のマリエに住んでいる。彼は形の上の王ではなかったが、公認の王たるラウペパに比べて、より多くの人望と、より多くの部下と、より多くの王者らしさとを有(も)っていた。彼は、白人委員会の擁立する現在の政府に対して、曾て一度も反抗的な態度を執ったことがない。白人官吏が自ら納税を怠っている時でも、彼だけはちゃんと納めたし、部下の犯罪があれば何時でも大人しく裁判所長(チーフ・ジャスティス)の召喚に応じた。にも拘(かか)わらず、何時の間にか、彼は現政府の一大敵国と見做(みな)され、恐れられ、憚(はばか)られ、憎まれるようになっていた。彼が秘かに弾薬を集めているなどと政府に密告する者も出て来た。王の改選を要求する島民の声が政府を脅していたことは事実だが、マターファ自身は一度も、まだ、そんな要求をしたことはない。彼は敬虔(けいけん)なクリスチャンであった。独身で、今は六十歳に近いが、二十年来、「主のこの世に生き給いし如く」生きようと誓って(婦人に関することに就いて言っているのだ)、それを実行して来た、と、自ら言っていた。夜毎、島の各地方から来た語り手を灯の下に集めて円座を作らせ、彼等から、古い伝説(いいつたえ)や古譚(こたん)詩の類を聞くのが、彼の唯一つの楽しみであった。

   六

一八九一年九月×日
 近頃島中に怪しい噂が行われている。「ヴァイシンガノの河水が紅く染まった。」「アピア湾で捕れた怪魚の腹に不吉な文字が書かれていた。」「頭の無い蜥蜴(とかげ)が酋長(しゅうちょう)会議の壁を走った。」「夜毎、アポリマ水道の上空で、雲の中から物凄い喊声(かんせい)が聞える。ウポル島の神々と、サヴァイイ島の神々とが戦っているのだ。」…………土人達は之を以て、来るべき戦争の前兆と真面目に考えている。彼等は、マターファが何時かは立上って、ラウペパと、白人達の政府(マロ)とを倒すであろうと期待しているのだ。無理もない。全く今の政府(マロ)はひどい。莫大(ばくだい)な(少くともポリネシアにしては)給料を貪(むさぼ)りながら、何一つ――全く完全に何一つ――しないでノラクラしている役人共ばかりだ。裁判所長(チーフ・ジャスティス)のツェダルクランツも個人としては厭(いや)な男ではないが、役人としては全く無能だ。政務長官のフォン・ピルザッハに至っては、事毎に島民の感情を害(そこな)ってばかりいる。税ばかり取立てて、道路一つ作らぬ。着任以来、土民に官を授けたことが一度もない。アピアの街に対しても、王に対しても、島に対しても、一文の金も出さぬ。彼等は、自分等がサモアにいること、又、サモア人というものがあり、やはり目と耳と若干の知能とを有(も)っているのだ、という事を忘れている。政務長官の為した唯一のこと、それは、自分の為に堂々たる官邸を建てることを提案し、既にそれに着手していることだ。しかも、ラウペパ王の住居は、その官邸の直ぐ向いの、島でも中流以下の、みすぼらしい建物(小舎?)なのである。
 先月の政府の人件費の内訳を見よ。

裁判所長(チーフ・ジャスティス)の俸給………………………………五〇〇弗(ドル)
政務長官の俸給………………………………四一五弗
警察署長(瑞典(スウェーデン)人)の俸給…………………一四〇弗
裁判所長秘書官の俸給………………………一〇〇弗
サモア王ラウペパの俸給………………………九五弗

 一斑(いっぱん)推して全豹(ぜんぴょう)を知るべし。之が新政府下のサモアなのだ。
 植民政策に就いて何一つ知りもせぬ文士のくせに、出しゃばって、無智な土人に安っぽい同情を寄せるR・L・S・氏は、宛然(さながら)ドン・キホーテの観があるそうな。之は、アピアの一英人の言葉である。あの奇矯な義人の博大な人間愛に比べられた光栄を、先ず、感謝しよう。実際私は政治に就いて何一つ知らないし、又、知らないことを誇ともしている。植民地、或いは、半植民地に於て、何が常識になっているか、をも知らぬ。仮令(たとえ)、知っていたとしても、私は文学者だから、心から納得の行かない限り、そんな常識を以て行為の基準とする訳には行かない。
 本当に、直接(じか)に、心に沁(し)みて感じられるもの、それのみが私を、(或いは芸術家を)行為にまで動かし得るのだ。所で、今の私にとって、其の「直接(じか)に感じられるもの」とは何か、といえば、それは、「私が最早一旅行者の好奇の眼を以てでなく、一居住者の愛著(あいちゃく)を以て、此の島と、島の人々とを愛し始めた」ということである。
 兎に角、目前に危険の感じられる内乱と、又、それを誘発すべき白人の圧迫とを、何とかして防がねばならぬ。しかも、斯(こ)うした事柄に於ける私の無力さ! 私は、まだ選挙権さえ有っていない。アピアの要人達と会って話して見るのだが、彼等は私を真面目に扱っていないように思われる。辛抱して私の話を聞いて呉れるのも、実は、文学者としての私の名声に対してのことに過ぎない。私が立去ったあとでは、屹度(きっと)舌でも出しているに相違ない。
 自分の無力感が、いたく私を噛む。この愚劣と不正と貪慾(どんよく)とが日一日と烈しくなって行くのを見ながら、それに対して何事をも為し得ないとは!

九月××日
 マノノで又新しい事件が起った。全く、こんなに騒動ばかり起す島はない。小さな島のくせに、全サモアの紛争の七割は、此処から発生する。マノノのマターファ側の青年共が、ラウペパ側の者の家を襲って焼払ったのだ。島は大混乱に陥った。丁度、裁判所長(チーフ・ジャスティス)が官費でフィジーへ大名旅行中だったので、長官のピルザッハが自らマノノヘ赴き、独りで上陸して(此の男も感心に勇気だけはあると見える)暴徒に説いた。そして、犯人等に自らアピア迄出頭するように命じた。犯人達は男らしく自らアピアヘ出て来た。彼等は六ヶ月禁錮(きんこ)の宣告を受け、直ぐ牢(ろう)に繋(つな)がれることになった。彼等に附添って一緒に来た、他の剽悍(ひょうかん)なマノノ人等は、犯人達が街を通って牢へ連れて行かれる途中で、大声に呼びかけた。「いずれ助け出してやるぞ!」実弾の銃を担った三十人の兵に囲まれて進んで行く囚人等は、「それには及ばぬ。大丈夫だ。」と答えた。それで話は終った訳だが、一般には、近い中に救助破獄が行われるだろうと固く信じられている。監獄では厳重な警戒が張られた。日夜の心配に堪えられなくなった守衛長(若い瑞典人)は、遂に、乱暴極まる措置を思いついた。ダイナマイトを牢の下に仕掛け、襲撃を受けた場合、暴徒も囚人も共に爆破して了ったらどうだろうと。彼は政務長官に之を話して賛成を得た。それで、碇泊(ていはく)中のアメリカ軍艦へ行ってダイナマイトを貰おうとしたが拒絶され、やっと、難破船引揚業者(前々年の大颶風(ハリケーン)で湾内に沈没したままになっている軍艦二隻をアメリカがサモア政府に寄贈することになったので、其の引揚作業のため目下アピアに来ている。)から、それを手に入れたらしい。この事が一般に洩(も)れ、この二三週間、流言が頻(しき)りに飛んでいる。余り大騒ぎになりそうなので、怖くなった政府では、最近、突如囚人達をカッターに乗せてトケラウス島へ移して了った。大人しく服罪している者を爆破しようというのは勿論言語道断だが、勝手に禁錮を流罪に変更するのも随分目茶な話だ。斯うした卑劣と臆病と破廉恥とが野蛮に臨む文明の典型的な姿態(すがた)である。白人は皆こんな事に賛成なのだ、と、土人等に思わせてはならない。
 此の件に就いての質問書を、早速、長官宛に出したが、未だに返辞がない。

十月×日
 長官よりの返書、漸(ようや)く来る。子供っぽい傲慢(ごうまん)と、狡猾(こうかつ)な言抜け。要領を得ず。直ちに、再質問書を送る。こんないざこざは大嫌いだが、土人達がダイナマイトで吹飛ばされるのを黙って見ている訳には行かない。
 島民はまだ静かにしている。之が何時迄続くか、私は知らぬ。白人の不人気は日毎に昂(たか)まるようだ。穏和な、我がへンリ・シメレも今日、「浜(アピア)の白人は厭だ。むやみに威張ってるから。」と云った。一人の威張りくさった白人の酔漢がヘンリに向い山刀を振上げて、「貴様の首をぶった切るぞ」と嚇(おど)しつけたのだそうだ。之が文明人のやることか? サモア人は概して慇懃(いんぎん)で、(常に上品とはいえないにしても)穏和で、(盗癖を別として)彼等自身の名誉観を有(も)っており、そして、少くともダイナマイト長官ぐらいには開化している。
 スクリブナー誌連載中の「難破船引揚業者(レッカー)」第二十三章書上げ。

十一月××日
 東奔西走、すっかり政治屋に成り果てた。喜劇? 秘密会、密封書、暗夜の急ぎ路。この島の森の中を暗夜に通ると、青白い燐光(りんこう)が点々と地上一面に散り敷かれていて美しい。一種の菌類が発光するのだという。
 長官への質問書が署名人の一人に拒まる。その家へ出掛けて行って説得、成功。
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