千鳥
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著者名:鈴木三重吉 

 千鳥の話は馬喰(ばくろう)の娘のお長で始まる。小春の日の夕方、蒼ざめたお長は軒下へ蓆(むしろ)を敷いてしょんぼりと坐っている。干し列べた平茎(ひらぐき)には、もはや糸筋ほどの日影もささぬ。洋服で丘を上(あが)ってきたのは自分である。お長は例の泣きだしそうな目もとで自分を仰ぐ。親指と小指と、そして襷(たすき)がけの真似(まね)は初やがこと。その三人ともみんな留守だと手を振る。頤(あご)で奥を指(ゆびさ)して手枕をするのは何のことか解らない。藁(わら)でたばねた髪の解(ほつ)れは、かき上げてもすぐまた顔に垂れ下る。
 座敷へ上っても、誰も出てくるものがないから勢(はずみ)がない。廊下へ出て、のこのこ離れの方へ行ってみる。麓(ふもと)の家で方々に白木綿を織るのが轡虫(くつわむし)が鳴くように聞える。廊下には草花の床(とこ)が女帯ほどの幅で長く続いている。二三種の花が咲いている。水仙の一と株に花床が尽きて、低い階段を拾うと、そこが六畳の中二階である。自分が記念に置いて往った摺絵(すりえ)が、そのままに仄暗(ほのぐら)く壁に懸っている。これが目につくと、久しぶりで自分の家(うち)に帰ってきでもしたように懐(なつか)しくなる。床の上に、小さな花瓶に竜胆(りんどう)の花が四五本挿してある。夏二た月の逗留(とうりゅう)の間、自分はこの花瓶に入り替りしおらしい花を絶やしたことがなかった。床の横の押入から、赤い縮緬(ちりめん)の帯上げのようなものが少しばかり食(は)みだしている。ちょっと引っ張ってみるとすうと出る。どこまで出るかと続けて引っ張るとすらすらとすっかり出る。
 自分はそれをいくつにも畳んでみたり、手の甲へ巻きつけたりしていじくる。後には頭から頤(あご)へ掛けて、冠(かんむり)の紐(ひも)のように結んで、垂れ下ったところを握ったまま、立膝になって、壁の摺絵を見つめる。「ネイションス・ピクチュア」から抜いた絵である。女が白衣の胸にはさんだ一輪の花が、血のように滲(にじ)んでいる。目を細くして見ていると、女はだんだん絵から抜けでて、自分の方へ近寄ってくるように思われる。
 すると、いつの間にか、年若い一人の婦人が自分の後に坐っている。きちんとした嬢さんである。しとやかに挨拶をする。自分はまごついて冠を解き捨てる。
 婦人は微笑(ほほえ)みながら、
「まあ、この間から毎日毎日お待ち申していたんですよ」という。
「こんな不自由な島ですから、ああはおっしゃってもとうとお出でくださらないのかもしれないと申しまして、しまいにはみんなで気を落していましたのでございますよ」と、懐かしそうに言うのである。自分は狐にでもつままれたようであった。丘の上の一(ひと)つ家(や)の黄昏(たそがれ)に、こんな思いも設けぬ女の人がのこりと現れて、さも親しい仲のように対してくる。かつて見も知らねば、どこの誰という見当もつかぬ。自分はただもじもじと帯上を畳んでいたが、やっと、
「おばさんもみんな留守なんだそうですね」とはじめて口を聞く。
「あの、今日は午過ぎから、みんなで大根を引きに行ったんですの」
「どの畠へ出てるんですか。――私ちょっと行ってみましょう」
「いいえ、もうただ今お長をやりましたから大騒ぎをして帰っていらっしゃいますわ」
「さっき私は誰もいないのだと思って、一人でずんずんここへ上ってきたんでした」と言って、お長が手枕の真似をしたことを胸に浮べる。女の人は少し頭痛がしたので奥で寝(やす)んでいたところ、お長が裏口へ廻って、障子を叩いて起してくれたのだと言う。
「もう何ともございません」と伏し目になる。起きて着物をちゃんとして出てきたものらしい。ややあって、
「あなたはこの節は少しはおよろしい方でございますか」と聞く。自分の事は何でもすっかり知っているような口ぶりである。
「どうもやっぱり頭がはきはきしません。じつは一年休学することにしたんです」
「そうでございますってね。小母さんは毎日あなたの事ばかり案じていらっしゃるんですよ。今度またこちらへお出でになることになりましてから、どんなにお喜びでしたかしれません。……考えると不思議な御縁ですわね」
「妙なものですね。この夏はどうしたことからでしたか、ふとこちらへ避暑に来る気になったんですが、――私はあまり人のざわつくところは厭だもんですから。――その代り宿屋なんぞのないということははじめから承知の上なんでしたけれど、さあ、船から上ってそこらの家(うち)へ頼んでみると、はたしてみんな断ってしまうでしょう。困ったんですよ」
 婦人は微笑む。
「それでしかたがないもんだから、とうとのこのこ役場へやって行ったんでした。くるくる坊主ですねここの村長は」
「ええ、ほほほ」
「そしたらあの人が親切に心配してくれたんです」
「そしてここの小母さんに、私は母というものがないんだから、こんな家へ置いてもらったらいいのですがって、そうおっしゃったのですってね」
「そうでしたかなあ。とにかく小母さんを一と目見るとから、何かしら懐しくなったんです」
「そんなにおっしゃったものですから、小母さんもしおらしい方だと思って、お世話をする気になったんですって」
「私は今では小母さんが生みの親のように思われるんですよ。私の家にいたって何だか旅の下宿にでもいるような気がするんですもの」
「小母さんも青木さんはあたしの内証の子なんだかもしれないなんて冗談をおっしゃるんですよ」
「あ、いつか小母さんが指へ傷をしたというのはもう直ったのですか」
「ええただナイフでちょっと切ったばかりなんですから」
 二人はこのような話をしながら待っている。築地(ついじ)の根を馬の鈴が下りてゆく。馬を引く女が唄を歌う。
 障子(しょうじ)を開けてみると、麓(ふもと)の蜜柑畑が更紗(サラサ)の模様のようである。白手拭を被った女たちがちらちらとその中を動く。蜜柑を積んだ馬が四五匹続いて出る。やはり女が引いている。向いの、縞(しま)のようになった山畠に烟(けむり)が一筋揚っている。焔(ほのお)がぽろぽろと光る。烟は斜に広がって、末は夕方の色と溶けてゆく。
 女の人も自分のそばへ寄って等しく外を見る。山畠のあちらこちらを馬が下りる。馬は犬よりも小さい。首を出してみると、庭の松の木のはずれから、海が黒く湛(たた)えている。影のごとき漁船(りょうせん)が後先になって続々帰る。近い干潟(ひがた)の仄白い砂の上に、黒豆を零(こぼ)したようなのは、烏の群が下りているのであろうか。女の人の教える方を見れば、青松葉をしたたか背負った頬冠りの男が、とことこと畦道(あぜみち)を通る。間もなくこちらを背にして、道について斜に折れると思うと、その男はもはや、ただ大きな松葉の塊(かたまり)へ股引の足が二本下ったばかりのものとなって動いている。松葉の色がみるみる黒くなる。それが蜜柑畑の向うへはいってしまうと、しばらく近くには行くものの影が絶える。谷間谷間の黒みから、だんだんとこちらへ迫ってくる黄昏(たそがれ)の色を、急がしい機(はた)の音が招き寄せる。
「小母さんは何でこんなに遅いのでしょうね」と女の人は慰めるようにいう。あたりは見るうちに薄暗くなる。女の人がちょっと出て行って、今度帰って坐った時には、向き合いになってももう面輪(おもわ)が定かに見えない。
 女の人は、立って押入から竹洋灯(ランプ)を取りだして、油を振ってみて、袂から紙を出して心(しん)を摘む。下へ置いた笠に何か書いた紙切れが喰っついている。読んでみると章坊の手らしい幼い片仮名で、フジサンガマタナクと書いてある。
「あら」と女の人は恥かしそうに笑ってその紙を剥(は)がす。
「章ちゃんがこんな悪戯(いたずら)をするんですわ。嘘ですのよ、みんな」と打消すようにいう。
「何の事なんです、これは」
「ほほほ」
「フジサンというのは」
「あたしでございます」
「ああ、お藤さんとおっしゃるんですか」
「はい」と藤さんは微笑みながら、立って押入れを探す。
 藤さんという名はこうして知ったのである。
「そしてあなたが何でお泣きになったんです?」
「いいえ、嘘ですの、そんなことは」
「燐寸(マッチ)を探していらっしゃるんですか。私が持っています」
「あら、冗談なのでございますわ。あれは章ちゃんが……」と勘違えをしている。ポケットから燐寸を出して洋灯を点(とも)すと、
「まあ、恐れ入ります」と藤さんは坐る。灯火(ともしび)に見れば、油絵のような艶(あでや)かな人である。顔を少し赤らめている。

「あしが一番あん」と章坊が着物を引っ抱えて飛びだすと、入れ違いに小母さんがはいってきて、シャツの上から着物を着せかけてくれる。
「さ、これをあげましょう」と下締(したじめ)を解く。それを結んで小暗い風呂場から出てくると、藤さんが赤い裏の羽織を披(ひろ)げて後へ廻る。
「そんなものを私に着せるのですか」
「でもほかにはないんですもの」と肩へかける。
「それでも洋服とは楽でがんしょうがの」と、初やが焜炉(こんろ)を煽(あお)ぎながらいう。羽織は黄八丈である。藤さんのだということは問わずとも別っている。
「着物が少し長いや。ほら、踵(かかと)がすっかり隠れる」と言うと、
「母さんのだもの」と炬燵(こたつ)から章坊が言う。
「小母さんはこんなに背が高いのかなあ」
「なんの、あなたが少し低うなりなんしたのいの。病気をしなんすもんじゃけに」と初やが冗談をいう。
「女は腰のところを下帯で紮(から)げて着るんですから」と言って、藤さんはそばから羽織の襟を直してくれる。
「なぜそうするんでしょう」
「みんなそうするんですわ。おや、羽織に紐がございませんわね」
「いいえけっこう」というと、初やが、
「まあ、お二人で仲のいいこと」と言いさま、きゅうにばたばたとはげしく煽ぎだす。
「まあ」と藤さんは赤い顔をしている。

 蜜柑箱を墨で塗って、底へ丸い穴を開けたのへ、筒抜けの鑵詰の殻(から)を嵌(は)めて、それを踏台の上に乗せて、上から風呂敷をかけると、それが章坊の写真機である。
「またみんなを玩具(おもちゃ)にするのかい」と小母さんが笑う。この細工は床屋の寅吉に泣きついてさせたのだという。章坊は、
「兄さんを写してあげるんだから、よう、炬燵から出てくださいよ」と甘えるように言うかと思うと、
「じきです。じき写ります」と、まじめに写真やのつもりでいる。
「兄さんは炬燵へ当ってる方がうまく写るよ」
「だって姉さんが邪魔をしてるんだもの」と風呂敷の中へ頭を入れる。
「姉さんぐずぐずしてると背中が写ってしまいますよ」
「はいはい」と、藤さんは笑いながら自分の隣へ移る。
「兄さん、もっと真っ直ぐ」
「私の顔が見えるの?」
「見えるとも、そら笑ってらあ。やあい」
 がたがたと箱を揺ぶる。やがてもったいらしく身構えをして、
「はい、写しますよ」とこちらを見詰める。
「あら、目を閉(つぶ)ってるものがあるものか。……さ、写りますよ。……ただ今。はいありがとう」と手に持った厚紙の蓋(ふた)を鑵詰へ被(かぶ)せると、箱の中から板切れを出して、それを提(さ)げて、得意になって押入の前へ行く。
「章ちゃん、もう夜はそんな押入なぞへはいるもんじゃないよ」と小母さんが止めると、
「だってお母さん。写真を薬でよくするんじゃありませんか」と泣きそうな顔をする。
「それよりか写真屋さん。一昨日(おととい)かしら写したあたしの写真はいつできるんですか」と藤さんが問う。小母さんも、「私ももう五六度写ったはずだがねえ。いつできるんだろう。まだ一枚もくれないのね」と突っ込む。それから小母さんは、向いの地方(じがた)へ渡って章坊と写真を撮(と)った話をする。章坊は、
「今度は電話だ」と言って、二つの板紙(ボールがみ)の筒を持って出てくる。筒の底には紙が張ってあって、長い青糸が真ん中を繋(つな)いでいる。勧工場(かんこうば)で買ったのだそうである。章坊は片方の筒を自分に持たせて、しばらく何かしら言って、
「ね、解ったでしょう?」という。
「ああ、解ったよ」といい加減に間(ま)を合わしておくと、
「万歳」と言ってにこにこして飛んできて、藤さんを除(ど)けて自分の隣りへあたる。
「よ。姉さんもだよ」という。
「よしよし」
「何の事なんです」と藤さんは微笑む。
「今電話がかかりましてね、……」
「ああ今言っちゃいけないんだよ兄さん。あれは姉さんには言われないんだから」
「何でしょう。人が悪いのね」
 このようなことを言っているところへ、初やが狐饅頭(きつねまんじゅう)を買って帰ってくる。小提灯(ぢょうちん)を消すと、蝋燭(ろうそく)から白い煙がふわふわと揚(あが)る。
「奥さま、今度の狐もやっぱり似とりますわいの」と言ってげらげらと初やが笑う。
 饅頭を食べながら話を聞くと、この饅頭屋の店先には、娘に化けて手拭を被った張子の狐が立たせてあった。その狐の顔がそこの家(うち)の若い女房におかしいほどそっくりなので、この近在で評判になった。女房の方では少しもそんなことは知らないでいたが、先達(せんだって)ある馬方が、饅頭の借りを払ったとか払わないとかでその女房に口論をしかけて、
「ええ、この狐め」
「何でわしが狐かい」
「狐じゃい。知らんのか。鏡を出してこの招牌(かんばん)と較べてみい。間抜けめ」
 こういったようなことから、後で女房が亭主に話すと、亭主はこの辺では珍らしい捌(さば)けた男なんだそうで、それは今ごろ始った話じゃないんだ。己の家の饅頭がなぜこんなに名高いのだと思う、などとちゃらかすので、そんならお前さんはもう早くから人の悪口(わるくち)も聞いていたのかと問えば、うん、と言ってすましている。女房はわっと泣きだして、それを今日まで平気でいたお前が恨(うら)めしい。畢竟(ひっきょう)わしをばかにしているからだ。もうこれぎり実家(さと)へ帰って死んでしまうと言って、箪笥(たんす)から着物などを引っ張りだす。やがて二人で大立廻りをやって、女房は髪を乱して向いの船頭の家へ逃げこむやら、とうと面倒なことになったが、とにかく船頭が仲裁して、お前たちも、元を尋ねると踊りの晩に袖を引き合いからの夫妻(めおと)じゃないか。さあ、仲直りに二人で踊れよおい、と五合ばかり取ってきた。その時の女房との条約に基(もとづ)いて、店の狐は翌日から姿を隠してしまった。ほかの狐が箱にはいって城下の人形屋から来て、ふたたび店に立ったのはついこの間の事である。今度のは大きさも鼬(いたち)ぐらいしかないし、顔も少し趣を変えるように注文したのであろうけれど、
「なんぼどのような狐を拵(こしら)えてきたところで、お孝ちゃんの顔が元のままじゃどうしてもだめでがんすわいの。へへへへへ」と、初やは、やっと廻りくどい話を切ってあちらへ立つ。藤さんはもう先達も聞いたから、今夜はそんなにおかしくはないと言ったけれど、それでもやはりはじめてのように笑っていた。
 話が途絶(とだ)える。藤さんは章坊が蒲団へ落した餡(あん)を手の平へ拾う。影法師が壁に写っている。頭が動く。やがてそれがきちんと横向きに落ちつくと、自分は目口眉毛を心でつける。小母さんの臂(うで)がちょいちょい写る。簪(かんざし)で髪の中を掻(か)いているのである。
 裏では初やが米を搗(つ)く。

 自分は小母さんたちと床を列べて座敷へ寝る。
 枕が大きくて柔かいから嬉しいと言うと、この夏にはうっかりしていたが、あんな枕では頭に悪いからと小母さんがいう。藤さんはこの枕を急いで拵えてから、あだに十日あまりを待ち暮したと話す。
 藤さんは小母さんの蒲団の裾(すそ)を叩いて、それから自分のを叩く。肩のところへ坐って夜着の袖をも押えてくれる。自分は何だか胸苦しいような気がする。やがてあちらで藤さんが帯を解く気色(けはい)がする。章坊は早く小さな鼾(いびき)になる。自分は何とはなしに寝入ってしまうのが惜しい。
「ね、小母さん」とふたたび話しかける。
「え?」と、小母さんは閉じていた目を開ける。
「あの、いったい藤さんはどうした人なんです?」と聞くと、
「なぜ?」と言う。
 聞いてみると、この家(うち)が江田島の官舎にいた時に、藤さんの家と隣り合せだったのだそうである。まだ章坊も貰(もら)わない、ずっと先の事であったし、小母さんは大変に藤さんを可愛がって、後には夜も家へ帰すよりか自分の側へ泊らせる方が多いくらいにしていた。はじめそこへ移ってきた翌(あく)る日であったか、藤さんがふと境の扇骨木垣(かなめがき)の上から顔を出して、
「小母さま。今日は」と物を言いかけたのが元であった。藤さんが七つ八つにすぎぬころであったろう。それから四五年してここの主人が亡くなって、小母さんはこちらへ住居をきめることになった。別れの時には藤さんも小母さんも泣いた。藤さんはその後いつまでも小母さん小母さんと恋しがって、今日まで月に一二度、手紙を欠かしたことはない。藤さんの家は今佐世保にあるのだそうで、お父さんは大佐だそうである。
「それでは佐世保からはるばる来たんですか」
「いいえ、あの娘(こ)だけは二た月ばかり前から、この対岸(むかい)にいるんです。あなたでも同(おんな)じですけれど、こんなになると、情合はまったく本当の親子と変りませんわ」
「それだのにこの夏には、あの人の話はちょっとも出ませんでしたね」
「そうでしたかね。おや、そうだったかしら」
「そして私の事はもうすっかりあの人に話してあるようですね」
「ふふふそれはあなた、家では何とかいうとすぐあなたの話が出るんですから、あの人だって、まだ見もしないうちからもう青木さん青木さんと言って、お出でになってもまるで兄妹(きょうだい)かなぞのように思っているんですもの」と章坊の枕を直してやる。
「さっきもね、初やから、お嬢さんは存外人に恥かしがらない方だとかなんとか言ってからかわれたんでしょう。そうするとね、だってあの方はもうよくお知り申してる方なんだものってそう言うんですよ。それでいてまだずいぶん子供のようなところがあるんですからね」
「私だって何だか、はじめて会った人のようには思えませんよ。――まだ永く逗留(とうりゅう)するんですか」
「あの娘(こ)ですか。そうですね……いったい今度こちらへまいったというのが……」
 しまいを欠(あくび)といっしょに言って、枕へ手を添えたと見ると、小母さんはその後を言わないで、それなりふいと眉毛のあたりまで埋まりこんでしまう。しばらく待ってみても容易にふたたび顔を出さない。蒲団の更紗へ有明行灯(ありあけあんどん)の灯(あかり)が朧(おぼろ)にさして赤い花の模様がどんよりとしている。
 何だか煮えきらない。藤さんが今度来たのはどうしたのだというのか。何かおもしろくない事情があるのであろうか。小母さんは何とか言いかけてひょっくり黙ってしまった。藤さんはどうして九月から家を出ているのか。この対岸(むかい)のどんな人のところにいるのであろう。
 池へ山水の落ちるのが幽(かす)かに聞える。小母さんはいつしか顔を出してすやすやと眠っている。大根を引くので疲れたのかもしれない。小母さんの静かな寝顔をじっと見ていると、自分もだんだんに瞼(まぶた)が重くなる。

 千鳥の話は一と夜明ける。
 自分は中二階で長い手紙を書いている。藤さんが、
「兄さん」と言ってはいってくる。
「あのただ今船頭が行李(こうり)を持ってまいりましたよ」という。
「あれは私のです」と言ったまま、やっぱりずんずんと書いて行く。
「それはそうですけれど、どうせこちらへ運ばなければならないのでしょう?」
「ええ」
「ではこの押入には、下の方はあたしのものが少しばかりはいっておりますから、あなたは当分上の段だけで我慢してくださいましな」
「………」
「ねえ」
「ええ」
「まあ一心になっていらっしゃるんだわ」という。
 ちょうど一と区切りついたから向きなおる。藤さんは少し離れて膝を突いている。
「お召し物も来たんでしょう?――では早くお着換えなさいましな。女の着物なんか召しておかしいわ」と微笑む。自分は笑って、袖を翳(かざ)してみる。
「さっきね」と、藤さんは袂(たもと)へ手を入れて火鉢の方へ来る。
「これごらんなさい」と、袂の紅絹(もみ)裏の間から取りだしたのは、茎(くき)の長い一輪の白い花である。
「このごろこんな花が」
「蒲公英(たんぽぽ)ですか」と手に取る。
「どこで目っけたんです? たった一本咲いてたんですか」
「どうですか。さっき玉子を持ってきた女の子がくれてったんですの。どこかの石垣に咲いていたんだそうです。初やがね、これはこのごろあんまり暖かいものだから、つい欺(だま)されて出てきたんですって」
 返した花を藤さんは指先でくるくる廻している。
「本当にもう春のようですね、こちらの気候は」
「暖いところですのね」
 自分はもくもくと日のさした障子を見つめて、陽炎(かげろう)のような心持になる。
「私ただ今お邪魔じゃございませんか」
「何がです?」
「お手紙はお急ぎじゃないのですか」
「そうですね。――郵便の船は午(ひる)に出るんでしたね」
「ええ。ではあとですぐ行李をこちらへ運ばせますから」と、藤さんは張合がなさそうに立って行く。
「あ、この花は?」
「え?」と出口で振り向いて、
「それはあなたにおあげ申したのですわ」
 藤さんが行ってしまったあとは何やら物足りないようである。たんぽぽを机の上に置く。手紙はもう書きたくない。藤さんがもう一度やってこないかと思う。ちぎった書き崩しを拾って、くちゃくちゃに揉んだのを披(ひろ)げて、皺(しわ)を延ばして畳んで、また披げて、今度は片端から噛み切っては口の中で丸める。いつしかいろいろの夢を見はじめる。――自分は覚めていて夢を見る。夢と自分で名づけている。
 馬の鈴が聞えてくる。女が謡(うた)うのが聞える。
 ふと立って廊下へ出る。藤さんが池のそばに踞(しゃが)んでいて、
「もうおすみになって?」と声をかける。自分は半煮えのような返事をする。母屋(おもや)の縁先で何匹かのカナリヤがやっきに囀(さえず)り合っている。庭いっぱいの黄色い日向は彼らが吐きだしているのかと思われる。
「ちょっといらっしてごらんなさいな。小さな鮒(ふな)かしらたくさんいますわ」と、藤さんは眩(まぶ)しそうにこちらを見る。
「だって下駄がないじゃありませんか」
「あたしだって足袋のままですわ」
 自分もそれなり降りて花床を跨(また)ぐ。はかなげに咲き残った、何とかいう花に裾(すそ)が触れて、花弁(はなびら)の白いのがはらはらと散る。庭は一面に裏枯れた芝生である。離れの中二階の横に松が一叢(ひとむら)生えている。女松の大きいのが二本ある。その中に小さな水の溜りがある。すべてこの宅地を開く時に自然のままを残したのである。
 藤さんは、水のそばの、苔(こけ)の被った石の上に踞んでいる。水ぎわにちらほらと三葉四葉ついた櫨(はぜ)の実生えが、真赤な色に染っている。自分が近づけば、水の面が小砂を投げたように痺(しび)れを打つ。
「おや、みんな沈みました」と藤さんがいう。自分は、水を隔(へだ)てて斜に向き合って芝生に踞む。手を延ばすなら、藤さんの膝にかろうじて届くのである。水は薄黒く濁っていれど、藤さんの翳(かざ)す袂(たもと)の色を宿している。自分の姿は黒く写って、松の幹の影に切られる。
「また浮きますよ」と藤さんがいう。指(ゆびさ)すところをじっと見守っていると、底の水苔を味噌汁のように煽(おだ)てて、幽かな色の、小さな鮒子がむらむらと浮き上る。上へ出てくるにつれて、幻から現(うつつ)へ覚めるように、順々に小黒い色になる。しばらくいっしょに集ってじっとしている。やがて片端から二三匹ずつ繰(く)りだして、列を作って、小早に日の当る方へと泳いで行く。ちらちらと腹を返すのがある。水の底には、泥を被(かぶ)った水草の葉が、泥へ彫刻したようになっている。ややあって、ふと、鮒子の一隊が水の色とまぎれたと思うと、底の方を大きな黒いのがうじゃうじゃと通る。
「大きなのもいるんですね。あ、あそこに」と指すと、
「どこに」と藤さんが聞く。しかしそれは写っている影であった。鮒子はやっぱり小さく上の方を行く。自分は足元の松葉をかき寄せて投げつける。鮒子は響のごとくに沈んで、争い乱れて味噌汁へ逃げこんでしまう。
 藤さんが笑う。
 手飼の白鳩が五六羽、離れの屋根のあたりから羽音を立てて芝生へ下りる。
「あの鴎(かもめ)は綺麗な鳥ですね」と藤さんがいう。
「あれは鳩じゃありませんか」
「ほほほほ、あれじゃないんですの。あたしね、ほほほほ」
「どうしたんです?」
「いいえ、あたしとんでもないことを思いだしたんですわ」と一人で微笑む。
「何を?」
「何でもないことです。――先達(せんだって)あたしがこちらへ渡ってくる途中でね、鴎が一匹、小さな枝切れへ棲(とま)って、波の上をふわりふわりしていたんですの。ちょうど学校なぞにある標本を流したようでしたわ」
 自分は気がついたように、海の方を見わたす。はるかの果てに地方(じがた)の山が薄(う)っすら見える。小島の蔭に鳥貝を取る船が一(ひ)と群(むれ)帆を聯(つら)ねている。
「ね、鳩が餌を拾うでしょう」と藤さんがいう。
「芝生に何か落ちてるんでしょうか」
「あたしがさっき撒(ま)いておいたんです。いつでもあそこへ餌を撒くんです」
「あ、あれは足をどうかしてるようですね」
 初やがすたすたとやってくる。紺(こん)の絆天(はんてん)の上に前垂をしめて、丸く脹(ふく)れている。
「お嬢さん」
「何?」
「いいや、男のお嬢さんじゃわいの」
「まあ。今お着換えなさるんだわ」
「私がどうした」
「冗談は置いて、あなたは蟹(かに)を食べなんしたか」
「いつ?」
「ほほほ、鴎のような話ね。――蟹を召しあがれば買ってくるつもりなの?」
「ええ、はあ買うたるのよの。午に煮ようかと思うんでがんさ。はあじきにお午じゃけに。――食べなんしたことががんすのかいの」
「食べるけど、あれは厄介(やっかい)なばかりでしかたがないや」
「おいしいものですけれどね」
「それはうもうがんすえの。それにこのごろは月がないころじゃけになおさらうまいんでがんすわいの。いいえ、ほんとでがんすて。月夜にはの、あれが自分の影に怖れてびくびくするけに痩せるんでがんすといの」
 村の水天宮様の御威徳を説く時の顔つきである。
「ほほほ」
「おもしろいな、それは」
「そんなら食べなんすか」
「食べるよ」
「じゃ、よかった」と、またあちらへすたすたと、草履の踵(かかと)へ短い影法師を引いて行く。
 鳩は少しも人に怖れぬ。

 自分は外へ出てみたくなる。藤さんは一人で座敷で縫物をしている。いっしょに浜の方へでも出てみぬかと誘うと、
「そうですね」と、にっこりしたが、何だか躊躇(ちゅうちょ)の色が見える。二人で行ったとて誰が咎(とが)めるものかと思う。
「だってあんまりですから」と、ややあって言う。
「何が」
「でもたった今これを始めたばかりですから」
「ついでに仕上げてしまいたいのですか」
「いいえ、そうじゃないのですけど、何だか小母さんにすまないから。――あたし行きたいんですけれど」
「では行けばいいじゃありませんか」
「そんなことはかまわないんですけどね、あたしこちらへまいってから、いつも鬱(ふさ)いでばかりいて、何一つろくにお手伝いしたこともないんでしょう」
 自分は立膝をして、物尺(ものさし)を持って針山の針をこつこつ叩いて、順々に少しずつ引っこませていたが、ふと叩きすぎて、一本の針を頭も見えないようにしてしまう。幸にそれにはちょっとした糸がついていたので、ぐいとその糸を引くと、針はすらりと抜ける。
「もう一と月からになるのですのに、ずっと私そんなでしたものですから、今日は気分はいいし、私の方からそう言って、これを言いつかったのですのに」
「かまわないや、そんなことは」
「だって女はそうも……」と、針に糸を通す。
 自分は素直に立って、独りで玄関へ下りたが、何だか張合が抜けたようでしばらくぼんやりと敷居に立っている。
 と、
「兄さん」と藤さんが出てくる。
「あそこに水天宮さまが見えてるでしょう。あそこの浜辺に綺麗(きれい)な貝殻がたくさんありますから、拾っていらっしゃいな」という。そんなに勢(はず)まないのだけれど、もうよそうとも言えないので、干し列べた平茎の中をぶらぶらと出て行く。
 五六歩すると藤さんがまた呼びかける。
「あなたお背(せな)に綿屑かしら喰っついていますよ」
「どこに?」
「もっと下」
「このへんですか」
「いいえ」
「大きいのですか」
「あ、もうちょっと上」と言い言い出てきて取ってくれる。真綿の切れに赤い絹糸の絡(から)んだのが喰っついていたのである。藤さんはそれを手で揉(も)みながら、
「いいお天気ですね」という。いっしょに行ってみたいという念がそぶりに表われている。門を出しなに振り返ると、藤さんはまだうろうろと立っている。
「お早くお帰りなさいましな」
「ええ」と自分は後の事は何んにも知らずに、ステッキを振り廻しながらとことこと出て行ったけれど、二人はついにこれが永き別れとなったのである。
 もちろんこの時には、借りた着物はもう着換えていた。着換えるまで自分は何の気もなしにいたけれど、こうして島の宿りに客となって、女の人の着物を借りて着たのかと思うと、脱ぐ段になって一種の艶(えん)な感じが起った。何だかもう少し着ていたいようにも思われた。そして、しばらく羽織の赤い裏の裏返ったのを見守った。自分の家なぞでは、こんな花やかな着物を脱ぎ捨ててあることはついに見られない。姉は十一で死んだ。その後家じゅうに赤い切れなぞは切れっ端もあったことはない。自分の家は冬枯れの野のようだとつくづくそう思う。そのうちにふと蛇の脱殻(ぬけがら)が念頭に浮んだ。蛇は自分の皮を脱いで、脱いだ皮を何と見るであろうかと、とんでもないことを考えだした時、初やがやってきて、着換えた着物を持って行った。
 今自分は、その蛇が皿を巻いたような丘の小道をぐるぐると下りて行く。一曲りずつ下りるにつれて、女の歌っているのがおいおいに鮮かに聞き取れる。
「ねんねしなされ、おやすみなされ。鶏(とり)がないたら起きなされ」と歌う。艶(つや)やかな声である。
「おきて往(い)なんせ、東が白む。館々(やかたやかた)の鶏が啼く」と丘を下りてしまうと、歌うのは角の豆腐屋のお仙である。すべてこの島の女はよく唄を歌う。機(はた)を織るにも畠を打つにも、舟を漕ぐにも馬を曳くにも、働く時にはいつも歌う。朝から晩まで歌っている。行くところに歌の揚(あが)らぬことがあれば、そこには若い女がいないのである。若い女はみんな歌う。そしてお仙なぞは一番うまい組のようである。
 お仙は外に背中を向けて豆を挽(ひ)いている。野袴をつけた若者が二人、畠の道具を門口へ転がしたまま、黒燻(くろくすぶ)りの竈(かまど)の前に踞(しゃが)んで煙草を喫(の)んでいる。破れた唐紙の陰には、大黒頭巾を着た爺さんが、火鉢を抱えこんで、人形のように坐っている。真っ白い長い顎髯(あごひげ)は、豆腐屋の爺さんには洒落(しゃれ)すぎたものである。
「おかしかしかし樫の葉は白い。今の娘の歯は白い」
 お仙は若い者がいるので得意になって歌っている。家について曲ると、
「青木さんよう」と、呼び止める。人並よりよほど広い額に頭痛膏をべたべたと貼り塞(ふさ)いでいる。昨夕(ゆうべ)の干潟の烏のようである。
「昨日(きんにょう)来(き)なんしたげなの。わしゃちょうど馬を換えに行っとりましての」と、手を休めて、
「乗りなんせい。今度のもおとなしゅうがんすわいの」と言ったかと思うと、またすぐに歌になる。
「親が二十(はたち)で子が二十一。どこで算用(さんにょ)が違(ちご)たやら」
「ようい、よい」と野袴の一人が囃(はや)す。
 横の馬小屋を覗(のぞ)いてみたが、中に馬はいなかった。馬小屋のはずれから、道の片側を無花果(いちじゅく)の木が長く続いている。自分はその影を踏んで行く。両方は一段低くなった麦畠である。お仙の歌はおいおいに聞えなくなる。ふと藤さんの事が胸に浮んでくる。藤さんはもう一と月も逗留しているのだと言った。そして毎日鬱(ふさ)いでばかりいたと言った。何か訳があるのであろう。昨夜(ゆうべ)小母さんがにわかに黙ってしまったのは、眠いからばかりではなかったらしい。どういうことなのであろうかとしきりに考えてみる。
 後(うしろ)から鈴の音が来る。自分はわが考えの中で鳴るのかと思う。前から藁(わら)を背負った男が来る。後で、
「ごめんなんせ」という。振り向くと、馬の鼻が肩のところに覗いている。小走りに百姓家の軒下へ避(よ)ける。そこには土間で機(はた)を織っている。小声で歌を謡っている。
「おおい」と言って馬を曳いた男が立ちどまる。藁の男は足早に同じ軒下へ避(よ)ける。馬は通り抜ける。蜜柑(みかん)を積んでいる。
 と、
「まあ誰ぞいの」と機を織っていた女が甲走(かんばし)った声を立てる。藁の男が入口に立ち塞(ふさが)って、自分を見て笑いながら、じりじりとあとしざりをして、背中の藁を中へ押しこめているのである。
「暗いわいの」と女がいうと、
「ふふふ」と男は笑っている。打とけた仲かもしれない。
 ふたたび藤さんの事を考えつつ行く。初やは事情を知っているかもしれぬ。あれに喋(しゃべ)らせてみようかしらと思う。
 このあたりはすべて漁師(りょうし)の住居である。赤ん坊を竹籠へ入れて、軒へぶらぶら釣り下げて、時々手を挙げて突きながら、網の破れをかがっている女房がある。縁先の蓆(むしろ)に広げた切芋へ、蠅が真っ黒に集(たか)って、まるで蠅を干したようになっているのがある。だけれど、初やに聞くというのは、何だか、小母さんが言わないでいることを蔭へ廻って探るようで変である。聞くまい。知れる時には知れるのだ。自分はなぜこんなに藤さんの事を気にするのであろう。たんに好奇心というにすぎないのであろうか。
 この時自分は、浜の堤(つつみ)の両側に背丈よりも高い枯薄(かれすすき)が透間(すきま)もなく生え続いた中を行く。浪がひたひたと石崖(いしがけ)に当る。ほど経て横手からお長が白馬を曳いて上ってきた。何やら丸い物を運ぶのだと手真似で言って、いっしょに行かぬかと言うのである。自分はついて行く気になる。馬の腹がざわざわと薄の葉を撫(な)でる。
 そこを出ると水天宮の社(やしろ)である。あとで考えると、このへんで引き返しさえしたらよかったのに、自分はいつまでも馬の臀(しり)について、山畠を五つも六つも越えて、とうとお長の行くところまで行ったのであった。谷合いの畠にお長の双(ふ)た親(おや)と兄の常吉がいた。二三寸延びた麦の間の馬鈴薯を掘っていたのである。
「まあ、よう来てくれなんしたいの」と言ってみんなで喜ぶ。爺さんは顔じゅうを皺にして、
「わしらはあんたが往(い)んなんしたあと、いつまでもあんたの事ばかり話していたんぞ」とにこにこする。
「はあ死ぬまで会われんのかいと思うたに」と母親が言う。自分は小さい時の乳母にでも会ったような心持がする。しばらくいろいろの話をする。
 やがて双た親は掘りはじめる。枯れ萎れた茎の根へ、ぐいと一と鍬(くわ)入れて引き起すと、その中にちらりと猿の臀のような色が覗く。茎を掴んで引き抜くと、下に芋が赤く重なってついている。常吉はうしろからぽきぽきとそれをもぎ取って畚(ふご)へ入れる。一と畚溜ればうんと引っ抱えて、畦(くろ)に放した馬の両腹の、網の袋へうつしこむ。馬は畠へ影を投げて笹の葉を喰っている。自分はお長と並んで、畠の隅の蓆の上で煙草を吹かす。双た親は鍬を休めるたびごとには自分の方を向いて話しをする。お長も時々袖を引いて手真似で話す。沖の鳥貝を掻く船を指(ゆびさ)して、どの船も帆を三つずつ横向きにかけている。両端から二本の碇綱(いかりづな)を延しているゆえ、帆に風を孕(はら)んでも船は動かない。帆が張っているから碇綱は弛(ゆる)まぬ。鳥貝は日に干して俵に詰めるのだなどと言う。浪が畠の下の崖に砕(くだ)ける。日向(ひなた)がもくもくと頭の髪に浸みる。
 やがて常吉の若い嫁が、赤い馬を引いてやってくる。その馬が豆腐屋のであった。嫁も掘る。自分も掘ってみたいと言ったけれど、着物がよごれるからだめだと言って母親が聞かない。嫁は唄を謡う。母親も小声で謡う。謡えぬお長は俯(う)つ伏(ぶ)して蓆の端を□(むし)っている。
 常吉が手を叩くと、お長は立って、白馬を引いて行く。網の袋には馬鈴薯がいっぱいになっている。白馬が帰ってくると、嫁の赤馬が出て行く。赤が帰ると白が出る。
「父(とう)やん、はあ止(や)めにしなんせ」と常吉が鉢巻(はちまき)を取った時には、もう馬の影も地に写らなかった。自分は何時間おったか知らぬ。鳥貝の白帆もとくにいなくなっている。
「旦那は先い往(い)んなんせ。お初やんが尋ねに出ましょうに」と母親がいう。自分は初めて貝殻の事を思いだして、そこそこに水天宮のところまで帰ってくる。
 夕日がはるか向いの島蔭に沈みかかっている。貝殻はもう止そうかしらと思ったが、何だか気がすまぬゆえ、せめて三つ四つばかりでもと思って干潟へ下りる。嫁の皿という貝殻がたくさんころがっている。拾いだすとなかなか止められない。とうと片っ方の袂(たもと)へおおかたいっぱいになるまで拾う。
 上へ上ってみると、自分の歩いた下駄の跡(あと)が、居坐った二つの漁船(りょうせん)の間にうねすねと二筋に続いている。帰ったら藤さんが一番に出てきて、まあ何をしておいでになったんですと言うであろう。そして貝殻を玄関へうつしだすと、おやたくさんにまあと言って嬉しそうにするであろう。自分はそれをもうあったことのように考え浮べながら、袂を抱えて小早に帰る。豆腐屋の前まで来ると、お仙が門口でカンテラへ油をさしていた。
 丘を上る途中で、今朝買わせたばかりの下駄だのに、ぷすり前鼻緒が切れる。元が安物で脆弱(ひよわ)いからであろうけれど、初やなぞに言わせると、何か厭なことがある前徴である。しかたがないから、片足袋ぬいで、半分跣足(はだし)になる。
 家へ帰ると、戸口から藤さんを呼びかけて、しばらく玄関にうろついていたが、何の返事もない。もう一度高く呼んで、今度は小母さんと言ってみたがやっぱり返事がない。家じゅうがしんとしていて、自分の声のはいって行く跡が見えるようである。勝手へ廻って初やを呼んでも初やもいない。変だと思いながら、あり合せの下駄を提(さ)げて井戸端へ出て、足を洗おうとしていると、誰かしら障子の内でしくしくと啜(すす)り泣きをしている。障子を開けてみると章坊である。足を投げ出してしょんぼりしている。
「どうしたんだ」と問えど、返事もしないでただ涙を払う。
「お母さんはいないの?」と言えば顔を横に振る。
「いるの?」と言えどやっぱり横に振る。
「どうしたんだ。姉さんはどこへ行ったんだい?」と聞くと、章坊は涙の目を見張って、
「姉さんはもう帰っちゃったんだもの」と泣きだすのである。
「おや、いつ?」
「よその伯父さんが連れに来たんだ」
「どんな伯父さんが」
「よその伯父さんだよ」と涙を啜る。
 自分は深い谷底へ一人取残されたような心持がする。藤さんはにわかに荷物を纒(まと)めて帰って行ったというのである。その伯父さんというのはだいぶ年の入(い)った、鼻の先に痘痕(あばた)がちょぼちょぼある人だという。小母さんも初やもいっしょに隣村の埠頭場(はとば)までついて行ったのだそうである。夕方の船はこの村からは出ないのである。初やは大きな風呂敷包みを背負って行った。も少し先のことだという。その伯父さんは章坊が学校から帰ったらもう来ていたというのである。自分は藤さんの身辺の事情が、いろいろに廻り灯籠(どうろう)の影のように想像の中を廻る。今埠頭場まで駈けつけたら、船はまだ出ないうちかもしれない。隣村の真ん中までは二十町ぐらいはあろうけれど、どこかの百姓馬を飛ばせば訳はない。何だか会って一(ひ)と言(こと)別れがしたいようである。このままでは物足りない。欺(だま)されでもしたようにあっけない。駈けつけてみようかしらと思うけれど、考えると、その伴れに来た人間に顔を見られるのが厭である。何だか無性に人相のよくない人間のような気がしてならない。それが怪しげな眼つきをしてじろじろと白眼(にら)みでもすると厭である。また船が出た後であっては間抜けている。そして小母さんに自分などは来なくてもいいのにと思われると何だかきまりが悪い。こう思って決心がつかない。しばらくぼんやりと立って、その伯父さんの顔を考えてみる。これまで見たことのある厭な意地くねの悪い顔をいろいろ取りだして、白髪の鬘(かつら)の下へ嵌(は)めて、鼻へ痘痕(あばた)を振ってみる。
 やがて自分はのこのこと物置の方へ行って、そこから稲妻の形に山へついた切道を、すたすたと片跣足(かたはだし)のままで駈け上る。高みに立てば沖がずっと見えるのである。そして、隣村の埠頭場から出る帆があれば、それが藤さんの船だと思ったからである。上(あが)れるだけ一足でも高く、境に繞(めぐ)らす竹垣の根まで、雑木の中をむりやりに上って、小松の幹を捉(つかま)えて息を吐く。
 白帆が見える。池のごとくに澄みきった黄昏(たそがれ)の海に、白帆が一つ、動くともなく浮いている。藤さんの船に違いない。帆のない船はみんな漁船(りょうせん)である。藤さんが何か考えこんで斜(はすかい)に坐っているところが想われる。伴れに来た人は何にも言わないで、鼻の痘痕を小指の爪でせせくって坐っているような気がする。藤さんはどんな心持がしているであろう。どういうことからこんなに不意に伴れて行かれたのであろうか。小母さんのところに一と月もいたのはどうしたゆえであろうかと、いろんなことが一度に考えられて、物足りないような、いらだたしい心持がする。船から隣村の岸までは、目で見てもここからこの前の岸までよりかはるかに遠いけれど、まだ一里と乗りだしてはいない。自分が畑に永くいさえしなかったら、少くとも藤さんが出かけるところへなりと帰ってきたであろうに。それともなぜはじめから出て行くのを止さなかったろう。いっしょにいる間は別に何とも思わなかったけれど、こうなってみれば、自分は何かしらあなたをいじらしく思うとくらいは言っておきたかったような気がする。このままで永く別れてしまうのは何だか物足りない。自分がどんな気でいるかは藤さんは知ってはいまい。別れた後は元の知らぬ人と考えているように思っていてくれては張合がない。自分は何だかお前さんの事が案じられてならないのである。
 このあたりの見渡しは、この時のみは何やら意味があるようであった。暮れて行く空や水や、ありやなしやの小島の影や、山や蜜柑畑や、森や家々や、目に見るものがことごとく、藤さんの白帆が私語(ささや)く言葉を取り取りに自分に伝えているような気がする。
 と、ふと思わぬところにもう一つ白帆がある。かなたの山の曲り角に、靄(もや)に薄れて白帆が行く。目の迷いかと眸(ひとみ)を凝(こ)らしたが、やっぱり帆である。しかし藤さんの船はぜひとも前からの白帆と定めたい。遠い分はよく見えぬ。そして、間もなく靄の中に消えてしまうのである。よく見えて永く消えないのが藤さんの船でなければならぬ。
 はらはらと風もないのに松葉が降る。方々の機(はた)の音が遠くの虫を聞くようである。自分は足もとのわが宿を見下す。宿は小鳥の逃げた空籠のようである。離れの屋根には木の葉が一面に積って朽(く)ちている。物置の屋根裏で鳩がぽうぽうと啼(な)いている。目の前の枯枝から女郎蜘蛛(じょろうぐも)が下る。手を上げて祓(はら)い落そうとすると、蜘蛛はすらすらと枝へ帰る。この時袂(たもと)の貝殻ががさと鳴る。今までとんと忘れていたけれど、もうこの貝殻も持っていたってつまらないと思って、一つずつ出しては離れの屋根を目がけて投げつける。屋根へ届くのは一つもない。みんな途中へ落ちる。落ちて木の葉が幽(かす)かに鳴る。今のは何とも答がなかったと思うと、しばらくして思いだしたようにばさというのがある。目を閉じて横の方へうんと投げて、どの見当で音がするか当ててみる。しなければするまで投げる。しまいには三つも四つも握(にぎ)ってむちゃくちゃに投げる。とうとう袂の底には、からからの藻草の切れと小砂とが残ったばかりである。
 ふたたび白帆を見る。藤さんのはいつまでも一つところにいる。遠くの分はもう亡くなっている。そして、近く岸の薄(すすき)のはずれにこちらへ帰る帆がまた一つある。どこから帰ったのかとはじめは訝(いぶか)しむ。そのうちに、これは一番はじめのがこちらへ近づいたのではあるまいかと疑う。みるみる岸に近くなる。それでは藤さんの船だと思ったのは、こちらへ帰る船ではなかったろうか。今の藤さんの船は、靄の中のがこちらへ出てきたのではあるまいか。自分はわが説が嘲(あざけ)りの中に退けられたように不快を感ずる。もしかなたの帆も同じくこちらへ帰るのだとすると、実際の藤さんの船はどれであろう。あちらへ出るのには今の場合は帆が利かぬわけである。けれども帆のない船であちらへ行くのは一つもない。右から左へ、左から右へと隈(くま)なく探しても一つもない。自分は気がいらだってくる。それでは先に靄の中へ隠れたのが藤さんのだ。そしてもう山を曲って、今は地方(じがた)の岬を望んで走っているのである。それに極(き)めねば収まりがつかない。むりでもそれに違いない、と権柄(けんぺい)ずくで自説を貫(つらぬ)いて、こそこそと山を下(お)りはじめる。
 下りる途中に、先に投げた貝殻が道へぽつぽつ落ちている。綺麗(きれい)な貝殻だから、未練にもまた拾って行きたくなる。あるだけは残らず拾ったけれどやっと、片手に充ちるほどしかない。
 下りてみると章坊が淋しそうに山羊(やぎ)の檻(おり)を覗いて立っている。
「兄さんどこへ行ったの」と聞く。
「おい、貝殻をやろうか章坊」というと、素気なくいらないと言う。
私は不意に帰らねばならぬことと相なり候。わけは後でお聞きなさることと存候。容易にはまたとお目もじも叶(かな)うまじと存ぜられ候。あなたさまはいつまでも私のお兄さまにておわし候。静かに御養生なされ候ようお祈り申しあげ候。おものも申さで立ち候こと本意(ほい)なき限りに存じまいらせ候。なにとぞお許しくだされたく候。
 これは足を洗いながら自分が胸の中で書いた手紙である。そして実際にこんな手紙が残してあるかもしれないと思う。出ようとする間ぎわに、藤さんはとんとんと離れへはいって行って、急いで一と筆さらさらと書く。母家(おもや)で藤さんと呼ぶ。はいと言い言い、あらあらかしくと書きおさめて、硯(すずり)の蓋を重しに置いて出て行く。――自分が藤さんなら、こんな時にはぜひとも何とか書き残しておく。行ってみれば実際何か机の上に残してあるかもしれないという気がする。
 しかしやっぱりそんな手紙はなかった。
 けれども、ふと机の抽斗(ひきだし)を開けてみると、中から思わぬ物が出てきた。緋(ひ)の紋羽二重に紅絹(もみ)裏のついた、一尺八寸の襦袢(じゅばん)の片袖が、八つに畳んで抽斗の奥に突っ込んであった。もとより始めは奇怪なことだと合点が行かなかった。別に証拠といってはないのだから、それが、藤さんがひそかに自分に残した形見であるとは容易に信じられるわけもない。しかし抽斗は今朝初やに掃除をさせて、行李から出した物を自分で納めたのである。袖はそれより後に誰かが入れたものだ。そしてこの袖は藤さんのに相違はない。小母さんや初やや、そんな二三十年前の若い女に今ごろこんな花やかな物があるはずがない。はたして藤さんが入れたのだとは断言できぬけれど、しかしほかのものがどう間違ったってこんな物を自分の抽斗へ入れこむわけがない。藤さんのしたことに極(きま)っている。そうすればただうっかり無意味で入れたのではない。心あって自分にくれたのである。そう推定したってむりとは言えまい。自分は袖を翳(かざ)して何だかほろりとなった。
 しかし自分は藤さんについてはついにこれだけしか知らないのである。ああして不意に帰ったのはどういう訳であったのか、それさえとうと聞かないずくであった。その後どこにどうしているのか、それも知らない。何にも知らない。
 というとちょっと合点が行かぬかもしれぬけれど、それは自分がわざわざ心配してこんな風にしてしまったのである。千鳥の話が大切なからである。千鳥の話とは、唖(おし)のお長の手枕にはじまって、絵に描いた女が自分に近よって、狐が鼬(いたち)ほどになって、更紗の蒲団の花が淀んで、鮒(ふな)が沈んで針が埋(うず)まって、下駄の緒(お)が切れて女郎蜘蛛が下って、それから机の抽斗から片袖が出た、その二日の記憶である。自分は袖を膝の上に載せたまま、暗くなるまでじっと坐っていろいろな思いにくれた末、一番しまいにこう考えた。話はただこの二日で終らなければおもしろくない。跡へ尾を曳いてはもうつまらないと考えた。ある西の国の小島の宿りにて、名を藤さんという若い女に会った。女は水よりも淡き二日の語らいに、片袖を形見に残して知らぬ間にいなくなってしまった。去ってどうしたのか分らぬ。それでたくさんである。何事も二日に現れた以外に聞かぬ方がいい。もしやよけいなことを聞いたりして、千鳥の話の中の彼女に少しでも傷がついては惜しいわけである。こう思ったから自分はその夕方、小母さんや初やなどに会うのが気になった。二人が何とか藤さんの身の上を語って、千鳥の話を壊(こわ)しはしまいかと気がもめた。
 小母さんは帰ってくるやいなや、
「あなたお腹(なか)がすいたでしょう。私気になって急いで帰ったのでしたけど」と、初やにお菜(さい)の指図をして、
「これから当分は何だかさびしいでしょうね。まったく不意にこんなことになったのですよ」と、そろそろ何か言いだしそうであったから、自分はすぐ、
「あの豆腐屋の親爺さんは、どういう気であんなに髯(ひげ)を生やしているんでしょう。長い髯ですね」と言って、話の芽を枯らしてしまった。
 それ以来小母さんたちがちょっとでも藤さんの事を言いだすと、自分はたちまち二日の記憶を抱いて遁(に)げて行くのであった。どんな場合でもすぐ遁げる。どうしても遁げられない時には、一生懸命にほかのことを心の中で考え続けて、話は少しも耳へ入れぬようにしていた。後には、小母さんも藤さんの事は先方から避けていっさい自分の前では言わなくなった。初やも言い含められでもしたのか、妙に藤さんの名さえも口に出さなかった。二人で何とか考えての事かもしれないと思ったが、そんなことはどうでもよかった。聞かされさえしなければいいのである。その後小母さんからよこす手紙にも、いつでも自分がいたころの事をあれこれ回想していながら、今に藤さんの話は垢ほども書いてはこない。
 以来永く藤さんの事は少しも思わない。よく思うのは思うけれど、それは藤さんを思うのではない。千鳥の話の中の藤さんを思うのである。今でも時々あの袖を出してみることがある。寝つかれぬ宵なぞにはかならず出してみる。この袖を見るには夜も更けぬとおもしろくない。更けて自分は袖の両方の角を摘(つま)んで、腕を斜に挙げて灯(とも)し火の前に釣るす。赤い袖の色に灯影が浸みわたって、真中に焔が曇るとき、自分はそぞろに千鳥の話の中へはいって、藤さんといっしょに活動写真のように動く。自分の芝居を自分で見るのである。始めから終りまで千鳥の話を詳(くわ)しく見てしまうまでは、翳(かざ)す両手のくたぶれるのも知らぬ。袖を畳むとこう思う。この袂(たもと)の中に、十七八の藤さんと二十ばかりの自分とが、いつまでも老いずに封じてあるのだと思う。藤さんは現在どこでどうしていてもかまわぬ。自分の藤さんは袂の中の藤さんである。藤さんはいつでもありありとこの中に見ることができる。
 千鳥千鳥とよくいうのは、その紋羽二重の紋柄である。




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