半七捕物帳 (作品データ)
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タイトルデータ
・作品名
  半七捕物帳
・作品名読み
  はんしちとりものちょう
・副題
  11 朝顔屋敷
・副題読み
  11 あさがおやしき
・著者名
  岡本 綺堂 

作品データ
・作品について
  安政3(1856)年11月16日の朝、八丁堀同心槇原の屋敷に呼ばれた半七は、裏四番町の旗本杉野家の用人中島から内密に相談を受けた。八日前、お茶の水の聖堂で行われる素読吟味(旗本御家人の子弟対象の儒学の試験)のため、早朝家を出た杉野家の嫡男大三郎が、付き添いの中小姓が草履の緒をすげ替えるわずかな間に、姿を消してしまったというのだ。とかく入り組んだ事情のある旗本屋敷のこと、直接杉野家の様子を探ろうとした半七は、失踪の際に付き添っていた中小姓山崎の素っ気無い態度に、疑問を感じる。『朝顔屋敷』という怪談の伝えられる杉野家には、いったい何が隠されているのか?(ぷんきゅのちち)ぷんきゅのちちさんによる、より詳細な解説はこちら。
・仮名遣い種別
  新字新仮名

作家データ
・分類
  著者
・作家名
  岡本 綺堂
・作家名読み
  おかもと きどう
・ローマ字表記
  Okamoto, Kido
・生年
  1872-11-15
・没年
  1939-03-01
・人物について
  劇作家、小説家。本名は敬二、別号に狂綺堂。イギリス公使館に勤めていた元徳川家御家人、敬之助の長男として、東京高輪に生まれる。幼くして歌舞伎に親しみ、父の影響を受けて英語も能くした。東京府立一中卒業後、1890(明治23)年に東京日日新聞に入社。以来、中央新聞社、絵入日報社などを経て、24年間を新聞記者として過ごす。この間、1896(明治29)年には処女戯曲「紫宸殿」を発表。岡鬼太郎と合作した「金鯱噂高浪(こがねのしゃちうわさのたかなみ)」は、1902(明治35)年に歌舞伎座で上演された。江戸から明治にかけて、歌舞伎の台本は劇場付きの台本作家によって書かれてきたが、明治半ばからは、坪内逍遥ら、演劇界革新の担い手に新作をあおいだ〈新歌舞伎〉が台頭する。二世市川左団次に書いた「維新前後」(1908年)、「修禅寺物語」(1911年)の成功によって、綺堂は新歌舞伎を代表する劇作家となった。1913(大正2)年以降は作家活動に専念し、生涯に196篇の戯曲を残す。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物を原著でまとめて読んだのをきっかけに、江戸を舞台とした探偵小説の構想を得、1916(大正5)年からは「半七捕物帳」を書き始めた。「岡本綺堂

底本データ
・底本
  時代推理小説 半七捕物帳(一)
・出版社
  光文社時代小説文庫、光文社
・初版発行日
  1985(昭和60)年11月20日
・校正に使用
  1986(昭和61)年12月1日第5刷

工作員データ
・入力
  tatsuki
・校正
  曽我部真弓


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