玉藻の前
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著者名:岡本綺堂 

玉藻の前岡本綺堂清水詣(きよみずもう)で    一「ほう、よい月じゃ。まるで白銀(しろがね)の鏡を磨(と)ぎすましたような」 あらん限りの感嘆のことばを、昔から言いふるしたこの一句に言い尽くしたというように、男は晴れやかな眉をあげて、あしたは十三夜という九月なかばのあざやかな月を仰いだ。男は今夜の齢(よわい)よりも三つばかりも余計に指を折ったらしい年頃で、まだ一人前の男のかずには入らない少年であった。彼はむろん烏帽子(えぼし)をかぶっていなかった。黒い髪をむすんでうしろに垂れて、浅黄(あさぎ)無地に大小の巴(ともえ)を染め出した麻の筒袖に、土器(かわらけ)色の短い切袴(きりばかま)をはいていた。夜目にはその着ている物の色目もはっきりとは知れなかったが、筒袖も袴も洗いざらしのように色がさめて、袴の裾は皺(しわ)だらけに巻くれあがっていた。 そのわびしい服装(みなり)に引きかえて、この少年は今夜の月に照らされても恥ずかしくないほどの立派な男らしい顔をもっていた。彼に玉子色の小袖を着せて、うす紅梅の児水干(ちごすいかん)をきせて、漢竹の楊条(ようじょう)を腰にささせたらば、あわれ何若丸とか名乗る山門の児(ちご)として悪僧ばらが渇仰随喜(かつごうずいき)の的(まと)にもなりそうな美しく勇ましい児ぶりであった。しかし今の彼のさびしい腰のまわりには楊条もなかった。小(ちい)さ刀(がたな)も見えなかった。彼は素足に薄いきたない藁草履(わらぞうり)をはいていた。「ほんによい月じゃ」 彼に口をあわせるように答えたのは、彼と同年か一つぐらいも年下かと思われる少女で、この物語の進行をいそぐ必要上、今くわしくその顔かたちなどを説明している余裕がない。ここでは唯、彼女が道連れの少年よりも更に美しく輝いた気高い顔をもっていて、陸奥(みちのく)の信夫摺(しのぶず)りのような模様を白く染め出した薄萌黄(うすもえぎ)地の小振袖を着て、やはり素足に藁草履をはいていたというだけを、記(しる)すにとどめて置きたい。 少年と少女とは、清水(きよみず)の坂に立って、今夜の月を仰いでいるのであった。京の夜露はもうしっとりと降(お)りてきて、肌の薄い二人は寒そうに小さい肩を擦り合ってあるき出した。今から七百六十年も前の都は、たとい王城の地といっても、今の人たちの想像以上に寂しいものであったらしい。ことにこの戊辰(つちのえたつ)の久安(きゅうあん)四年には、禁裏に火の災(わざわ)いがあった。談山(たんざん)の鎌足公(かまたりこう)の木像が自然に裂けて毀(こわ)れた。夏の間にはおそろしい疫病がはやった。冬に近づくに連れて盗賊が多くなった。さしもに栄えた平安朝時代も、今では末の末の代になって、なんとはなしに世の乱れという怖れが諸人の胸に芽を吹いてきた。前に挙げたもろもろの災いは、何かのおそろしい前兆であるらしく都の人びとをおびやかした。 そのなかでも盗賊の多いというのが覿面(てきめん)におそろしいので、この頃は都大路(みやこおおじ)にも宵から往来が絶えてしまった。まして片隅に寄ったこの清水堂(きよみずどう)のあたりは、昼間はともあれ、秋の薄い日があわただしく暮れて、京の町々の灯がまばらに薄黄色く見おろされる頃になると、笠の影も草履の音も吹き消されたように消えてしまって、よくよくの信心者でも、ここまで夜詣りの足を遠く運んで来る者はなかった。 その寂しい夜の坂路を、二人はたよりなげにたどって来るのであった。月のひかりは高い梢にささえられて、二人の小さい姿はときどきに薄暗い蔭に隠された。両側の高藪(たかやぶ)は人をおどすように不意にざわざわと鳴って、どこかで狐の呼ぶ声もきこえた。「のう、藻(みくず)」「おお、千枝(ちえ)ま[#「ま」に傍点]よ」 男と女とはたがいにその名を呼びかわした。藻は少女の名で、千枝松は少年の名であった。用があって呼んだのではない、あまりの寂しさに堪えかねて、ただ訳もなしに人を呼んだのである。二人はまた黙ってあるいた。「観音さまの御利益(ごりやく)があろうかのう」と、藻はおぼつかなげに溜息をついた。「無うでか、御利益がのうでか」と、千枝松はすぐに答えた。「み仏を疑うてはならぬと、叔母御が明け暮れに言うておらるる。わしも観音さまを信仰すればこそ、こうしてお前と毎夜連れ立って来るのじゃ」「それでも父(とと)さまはこの春、この清水詣でに来たときに、三年坂で苔(こけ)にすべって転んだのがもとで、それからどっと床に就くようにならしゃれた。三年坂でころんだものは、三年生きぬと聞いている」と、藻の声はうるんでいた。 邪魔な梢の多いところを出離れたので、月はまた明かるい光りを二人の上に投げた。玉のような藻の頬には糸を引いた涙が白くひかっていた。千枝松は又すぐに打ち消した。「三年坂というのは嘘じゃ。ありゃ産寧坂というのじゃ。ころんだとて、つまずいたとて、はは、何があろうかい」 むぞうさに言い破られて、藻はまた口を結んでしまった。二人は山科(やましな)の方をさして夜の野路を急いで行った。いったんは男らしく強そうに言ったものの、少年の胸の奥にも三年坂の不安が微かに宿っていた。「お前の父御(ててご)の病気も長いことじゃ。きょうでもう幾日になるかのう」と、彼は歩きながら訊いた。「もうやがて半年じゃ。どうなることやら、心細いでのう」「医師(くすし)はなんと言わしゃれた」「貧に暮らす者の悲しさは、医師もこの頃は碌(ろく)ろくに見舞うて下さらぬ」と、藻は袖を眼にあてた。「まだそればかりでない。父さまが長のわずらいで、家(うち)じゅうのあるほどの物はもうみんな売り尽くしてしもうた。秋はもう末になる。北山しぐれがやがて降り出すようになったら、わたしら親子は凍(こご)えて死ぬか。飢えて死ぬか。それを思うと、ほんに悲しい。きのうも隣りの陶器師(すえものつくり)の婆どのが見えられて、いっそ江口(えぐち)とやらの遊女に身を沈めてはどうじゃ。煩(わずろ)うている父御ひとりを心安う過ごさせることも出来ようぞと、親切にいうて下されたが……」「陶器師の婆めがそのようなことを教えたか」と、千枝松は驚きと憤りとに、声をふるわせた。「して、お前はなんと言うた」「なんとも言いはせぬ。ただ黙って聴いていたばかりじゃ」「重ねてそのようなことを言うたら、すぐわしに知らしてくれ、あの婆(ばば)めが店さきへ石塊(いしくれ)なと打ち込んで、新しい壺の三つ四つも微塵(みじん)に打ち砕いてくるるわ」 罵(ののし)る権幕があまりに激しいので、藻はなにやら心もとなくなった。彼女はなだめるように男に言った。「わたしらの難儀を見かねて、あの婆どのは親切に言うてくれたのじゃ」「なにが親切か」と、千枝松は冷笑(あざわら)った。「あの疫病(やくびょう)婆め。ひとの難儀に付け込んでいろいろの悪巧みをしおるのじゃ。世間でいうに嘘はない。ほんに疫病よりも怖ろしい婆じゃ。あんな奴の言うこと、善いにつけ、悪いにつけ、なんでも一切(いっさい)取り合うてはならぬぞ」 兄が妹をさとすようにませた口吻(くちぶり)で言い聞かせると、藻はおとなしく聴いていた。千枝松はまだ胸が晴れないらしく、自分が知っている限りの軽蔑や呪詛(のろい)のことばを並べ立てて、自分たちの家(うち)へ帰り着くまで、憎い、憎い、陶器師の疫病婆を罵りつづけていた。 秋の宵はまだ戌(いぬ)の刻(午後八時)をすぎて間もないのに、山科(やましな)の村は明かるい月の下に眠っていた。どこの家(いえ)からも灯のかげは洩れていなかった。大きい柿の木の下に藻は立ちどまった。「あすの晩も誘いに来るぞよ」と、千枝松はやさしく言った。「きっと誘いに来てくだされ」「おお、受け合うた」 ふた足ばかり行きかけて、千枝松はまた立ち戻って来た。「途(みち)みちも言うた通りじゃ。疫病婆めが何を言おうとも、必ず取り合うてはならぬぞよ。よいか、よいか」 小声に力をこめて彼は幾たびも念を押すと、藻は無言でうなずいて、柿の木の下から狭い庭口へ消えるように姿をかくした。彼女が我が家へはいるのを見とどけて、千枝松はぬき足をして隣りの陶器師の門(かど)に立った。年寄り夫婦は早く寝付いてしまったらしく、内には物の音もきこえなかった。彼は作り声をして呶鳴った。「愛宕(あたご)の天狗の使いじゃ。戸をあけい」 表の戸を破れるばかりに二、三度たたいて、千枝松は一目散に逃げ出した。    二「あれ、鴉(からす)めがまた来おりました」 あくる朝は美しく晴れて、大海のようにひろく碧(あお)い空の下に、柿のこずえが高く突き出していた。その紅い実をうかがって来る鴉のむれを、藻は竹縁(ちくえん)に出て追っていた。「はは、鴉めがまた来おったか。憎い奴のう。が、とても追い尽くせるものでもあるまい。捨てて置け」と、父の行綱は皺だらけになった紙衾(かみぶすま)を少し掻いやりながら、蘆(あし)の穂綿のうすい蒲団の上に起き直った。「千枝ま[#「ま」に傍点]が見えたら鳥おどしなと作って貰いましょ」「それもよかろうよ」と、父は狭い庭いっぱいの朝日をまぶしそうに仰ぎながらほほえんだ。「夜はもう火桶(ひおけ)が欲しいほどじゃが、昼はさすがに暖かい。孝行なそなたが夜ごとの清水詣で、止めても止まるまいと思うて、心のままにさせて置くが、これからの夜はだんだん寒くなる。露も深くなる。風邪ひかぬように気をつけてくれよ。夏から秋、秋から冬の変わり目はとかく病人の身体にようないものじゃ。いっそ冬になり切ってしもうたら、おれも起きられるようになろうも知れぬ。あまり案じてたもるなよ。おれの手足がすこやかになったら、太刀の柄(つか)巻きしても、雀弓(すずめゆみ)の矢を矧(は)いでも、親子ふたりの口すぎには事欠くまい。はは、今すこしの辛抱じゃ」「あい」 柿のこずえには大きい鴉が狡猾(こうかつ)そうな眼をひからせて、尖ったくちばしを振り立てながら枝から枝へと飛び渡っていたが、藻はもう手をあげて追おうともしなかった。彼女は父の前に手をついて、おとなしくうつむいていた。くずれかかった竹縁の下では昼でもこおろぎが鳴いていた。 父の行綱は今こそこんなにやつれ果てているが、七年前は坂部庄司蔵人行綱(さかべのしょうじくらんどゆきつな)と呼ばれて、院の北面(ほくめん)を仕(つこ)うまつる武士であった。ある日のゆうぐれ、清涼殿のきざはしの下に一匹の狐があらわれたのを関白殿がごろうじて、あれ射止めよと仰せられたので、そこに居あわせた行綱はすぐに弓矢をとって追いかけたが、一の矢はあえなくも射損じた。慌てて二の矢を射出そうとすると、どうしたのか弓弦(ゆづる)がふつりと切れた。狐はむろん逃げてしまった。当の獲物を射損じたばかりか、事に臨(のぞ)んで弓弦が切れたのは平生(ひごろ)の不用意も思いやらるるとあって、彼は勅勘(ちょっかん)の身となった。彼は御忠節を忘れるような人間ではなかった。武士のたしなみを怠るような男でもなかった。こうなるのも彼が一生の不運で、行綱は妻と娘とを連れて、この頃では京の田舎という山科郷(やましなごう)の片はずれに隠れて、わびしい浪人生活を送ることになった。 彼の不運を慰めるはずの妻は、それから半年あまりの後に夫と娘とを振り捨ててあの世へ行ってしまった。まだ男盛りの行綱は二度の妻を迎えようともしないで、不自由な男やもめの手ひとつで幼い娘の藻を可愛がって育てた。美しい顔をもって生まれた藻は心までが美しかった。自分にもう出世の望みのない父は、どうしても自分の後つぎに取りすがるよりほかはないので、行綱は老後の楽しい夢を胸に描きながら、ひたすらに娘の生長を待っていた。藻はことし十四になった。 その年の春に、行綱は娘を連れて清水の観音詣でに行った。その時にいわゆる三年坂でつまずいたのがもとで、彼は三月の末から病いの床に横たわる身の上になった。夏が過ぎ、秋が来ても、彼はやはり枕と薬とに親しんでいるので、孝行な藻の苦労は絶えなかった。貧と病いとにさいなまれている父を救うがために、彼女はふだんから信仰する観音さまへ三七日(さんしちにち)の夜まいりを思い立って、八月の末から夜露を踏んで毎晩清水へかよった。京も荒れて、盗賊の多いこの頃の秋の夜に、乙女(おとめ)ひとりの夜道は心もとないと父も最初はしきりにとめたが、藻はどうしても肯(き)かなかった。彼女は父の病いを癒したい一心に、おそろしい夜道を遠くかよいつづけた。 しかし一七日(いちしちにち)の後には、藻に頼もしい道連れができた。それはかの千枝松で、彼は烏帽子折(お)りの子であった。これも早くふた親にわかれた不運な孤児(みなしご)で、やはり烏帽子折りを生業(なりわい)としている叔父叔母のところへ引き取られて、ことし十五になった。叔父の大六は店あきないをしているのでない。京伏見から大津のあたりを毎日めぐり歩いて、呼び込まれた家(うち)の烏帽子を折っているのであった。したがって家にいる日は少ないので、千枝松は叔母と二人で毎日さびしく留守番をしていた。村こそ違え、同じ山科郷に住んでいるので、彼はいつか一つ違いの藻と親しくなって、ほかの子供たちには眼をくれないで、二人はいつも仲好く遊んだ。「藻と千枝ま[#「ま」に傍点]は女夫(めおと)じゃ」 ほかの子供たちが妬(ねた)んでからかうと、千枝松はいつでも真っ赤になって怒った。「はて、言うものには言わして置いたがよい。わたしも父さまの病いが癒ったら、お前の叔母さまのところへ烏帽子を折り習いに行きたい」と、藻は言った。「おお、叔母御でのうてもわしが教えてやる。横さびでも風折(かざお)りでも、わしはみんな知っている。来年になったら、わしも叔父御と連れ立ってあきないに出るのじゃ」と、千枝松は誇るように言った。 千枝松は烏帽子折りの職人になるのである。藻もその烏帽子を折り習いたいという。そこにどういう意味があるのか、確かに理解していないまでも、千枝松の若い胸には微かに触れるものがあった。彼はいよいよ藻と親しくなった。その藻の父が長くわずらっているので、彼は自分の父を案じるように毎日見舞いに来た。そうして、藻が清水へ夜詣りにゆくことを一七日の後に初めて知って、彼はいつになく怨んで怒った。「なぜわしに隠していた。幼い女ひとりが夜道(よみち)して何かのあやまちがあったらどうするぞ。わしも今夜から一緒にゆく」 彼は叔母の許しをうけて、それから藻と毎夜一緒に連れ立って行った。強そうな顔をしていても、千枝松はまだ十五の少年である。盗賊や鬼はおろか、山犬に出逢っても果たして十分に警護の役目を勤めおおせるかどうだか、よそ目には頗(すこぶ)る不安に思われたが、藻に取っては世にも頼もしい、心(こころ)丈夫な道連れであった。彼女は千枝松が毎晩誘いに来るのを楽しんで待っていた。千枝松もきっと約束の時刻をたがえずに来て、二人は聞き覚えの普門品(ふもんぼん)を誦(ず)しながら清水へかよった。 その藻をそそのかして、江口の遊女になれと勧めた陶器師の婆は、たとい善意にもしろ、悪意にもしろ、千枝松の眼から見れば確かに憎い仇であった。彼が口をきわめて罵るのも無理はなかった。戸をたたいて嚇(おど)した位では、なかなか腹が癒(い)えなかった。彼はその晩自分の家へ逃げて帰っても、まだ苛(いら)いらしてよく眠られなかった。よもやとは思うものの、どうも安心ができないので、彼はあくる朝、叔父があきないに出るのを見送って、すぐにとなり村の藻の家へたずねて来た。 来ると、彼はまず隣りの陶器師の店をのぞいた。店の小さい窯(かま)の前には人の善さそうな陶器師の翁(おきな)が萎(な)えな烏帽子をかぶって、少し猫背に身をかがめて、小さい莚の上で何か壺のようなものを一心につくねていた。日よけに半分垂れたすだれの外には、自然に生えたらしい一本の野菊がひょろひょろと高く伸びて、白い秋の蝶が疲れたようにその周(まわ)りをたよたよと飛びめぐっていた。婆は奥のうす暗いところで麻を績(う)んでいた。「爺(じい)さま。よい天気じゃな」 千枝松はわざと声をかけると、翁は手をやすめて振り向いた。そうして、白い長い眉を皺めながらにこにこ笑った。「おお、となり村の千枝ま[#「ま」に傍点]か。ほんによい秋日和(あきびより)じゃよ。秋も末になると、いつも雨の多いものじゃが、ことしは日和つづきで仕合わせじゃ。わしらのあきないも降ってはどうもならぬ」「そうであろうのう」と、千枝松は翁の手に持っている壺をながめていた。婆は憎いが、この翁にむかっては彼は喧嘩を売るわけにはいかなかった。それでも彼はおどすように声をひそめて訊いた。「この頃ここらへ天狗が出るという。ほんかな」「なんの」と、翁はまた笑った。「ここらに住んでいる者はみんな善い人ばかりじゃ。悪い者は一人もない。天狗さまのお祟(たた)りを受けよう筈がないわ。ははははは。鬼の天狗のというても、大抵は人間のいたずらじゃ。ゆうべもわしの家の戸をたたいて、天狗じゃとおどかした奴があった」「ほんに悪いことをする奴じゃ」と、婆も奥から声をかけた。「今度またいたずらをしおったら、すぐに追い掛けて捉(とら)まえて、あの鎌で向こう脛を薙(な)いでくるるわ」「天狗がつかまるかな」と、千枝松はあざけるように笑った。「はて、天狗じゃない、人間じゃというに……。和郎(わろ)もそのいたずら者を見つけたら、教えてくりゃれ」と、婆は睨むような白い眼をして言った。 千枝松はすこし薄気味悪くなって、もしや自分のいたずらということを覚(さと)られたのではないかとも思った。しかし彼は弱味を見せまいとして、またあざ笑った。「天狗でも人間でも、こちらで悪いことさえせにゃなんの祟りもいたずらもせまいよ」「わしらがなんの悪いことをした」と、婆は膝を立て直した。 おお、悪いことをした。となりの娘を遊女に売ろうとした――と、千枝松は負けずに言おうとしたが、さすがに躊躇した。「悪いことせにゃ、それでよい。悪いことをすると、今夜にも天狗がつかみに来ようぞ」 こう言い捨てて、彼はここの店さきをつい[#「つい」に傍点]と出ると、出逢いがしらに赤とんぼうが彼の鼻の先きをかすめて通った。彼は忌(いま)いましそうに顔を皺めながら、隣りの家の門(かど)に立つと、柿の梢がまず眼にはいった。「しッしッ」と、彼は足もとにある土くれを拾って鴉を逐った。その声を聞きつけて、藻は縁さきへ出た。「千枝ま[#「ま」に傍点]か」 二人はなつかしそうに向き合った。さっきの白い蝶が千枝松の裾にからんで来たらしく、二人の間にひらひらと舞った。    三 行綱の病気を見舞ったあとで、千枝松と藻とは手をひかれて近所の小川のふちに立った。今夜は十三夜で、月に供える薄(すすき)を刈りに出たのであった。 幅は三間(げん)に足らない狭い川であったが、音もなしに冷(ひや)びやと流れてゆく水の上には、水と同じような空の色が碧(あお)く映って、秋の雲の白い影も時どきにゆらめいて流れた。低い堤は去年の出水(でみず)に崩れてしまって、その後に手入れをすることもなかったので、水と陸(おか)との間にははっきりした境もなくなったが、そこには秋になると薄や蘆が高く伸びるので、水と人とはこの草むらを挟んで別々にかよっていた。それでも蟹を拾う子供や、小鮒(こぶな)をすくう人たちが、水と陸とのあいだの通路を作るために、薄や蘆を押し倒して、ところどころに狭い路を踏み固めてあるので、二人もその路をさぐって水のきわまで行き着いた。そこには根こぎになって倒れている柳の大木のあることを二人は知っていた。「水は美しゅう澄んでいるな」 二人はその柳の幹に腰をかけて、爪さき近く流れている秋の水をじっと眺めた。半分は水にひたされている大きい石のおもてが秋の日影にきらきらと光って、石の裾には蓼(たで)の花が紅く濡れて流れかかっていた。川のむこうには黍(きび)の畑が広くつづいて、その畑と岸とのあいだの広い往来を大津牛が柴車をひいてのろのろと通った。時どきに鵙(もず)も啼いて通った。「わしは歌を詠(よ)めぬのがくやしい」 千枝松が突然に言い出したので、藻は美しい眼を丸くした。「歌が詠めたらどうするのじゃ」「このような晴れやかな景色を見ても、わしにはなんとも歌うことが出来ぬ。藻、お前は歌を詠むのじゃな」「父(とと)さまに習うたけれど、わたしも不器用な生まれで、ようは詠まれぬ。はて、詠まれいでも大事ない。歌など詠んで面白そうに暮らすのは、上臈(じょうろう)や公家(くげ)殿上人(てんじょうびと)のすることじゃ」「それもそうじゃな」と、千枝松は笑った。「実はゆうべ家へ帰ったら、叔父御が京の町からこのようなことを聞いて来たというて話しゃれた。先日関白殿のお歌の会に『独り寝の別れ』というむずかしい題が出た。独り寝に別れのあろう筈がない。こりゃ昔から例(ためし)のない難題じゃというて、さすがの殿上人も頭を悩まされたそうなが、どう思案しても工夫が付かないで、一人も満足な歌を詠み出したものがなかった。この上は広い都に住むほどの者、商人(あきうど)でも職人でも百姓でも身分はかまわぬ。よき歌を作って奉(たてまつ)るものには莫大の御褒美を下さるると、御歌所(おうたどころ)の大納言のもとから御沙汰があったそうな。そこで叔父御が言わしゃるには、おれも長年烏帽子こそ折れ、腰折れすらも得(え)詠(よ)まれぬは何(なん)ぼう無念じゃ。こういう折りによい歌作って差し上げたら、一生安楽に過ごされようものをと、笑いながらも悔んでいられた」「ほう、そんなことは初めて聞いた」と、藻も眉をよせた。「なるほど、独り寝の別れ、こりゃおかしい。どんな名人上手でも、世にためしのないことは詠まれまい。ほんに晦日(みそか)の月というのと同じことじゃ」「水の底で火を焚くというのと同じことじゃ」「木にのぼって魚を捕るというのと同じことじゃ」 二人は顔をみあわせて、子供らしく一度に笑い出した。その笑い声を打ち消すように、どこやらの寺の鐘が秋の空に高くひびいてうなり出した。「おお、もう午(ひる)じゃ」 藻がまずおどろいて起(た)った。千枝松もつづいて起った。二人は慌ててそこらの薄を折り取って、ひとたばずつ手に持って帰った。千枝松は藻と門(かど)で別れる時にまた訊いた。「けさは隣りの婆が見えなんだか」 藻は誰も来ないと言った。それでもまだなんだか不安なので、千枝松は帰るときに陶器師の店を又のぞくと、翁はさっきと同じところに屈(かが)んで、同じような姿勢で一心に壺をつくねていた。婆の姿は見えなかった。 風のない秋の日は静かに暮れて、薄い夕霧が山科(やましな)の村々に低く迷ったかと思うと、それが又だんだんに明るく晴れて、千枝松がゆうべ褒めたような冴えた月が、今夜もつめたい白い影を高く浮かべた。藻が門(かど)の柿の葉は霜が降ったように白く光っていた。「藻よ。今夜はすこし遅うなった。堪忍しや」 千枝松は息を切って駈けて来て、垣の外から声をかけたが内にはなんの返事もなかった。彼は急いで二、三度呼びつづけると、ようように行綱の返事がきこえた。藻は小半※(こはんとき)も前に家を出たというのであった。「ほう、おくれた」 千枝松はすぐにまた駈け出した。その頃の山科から清水へかよう路には田畑が多いので、明るい月の下に五町(ちょう)八町はひと目に見渡されたが、そこには藻はおろか、野良犬一匹のさまよう影も見えなかった。千枝松はいよいよ急(せ)いてまっしぐらに駈けた。駈けて、駈けて、とうとう清水までひと息にゆき着いたが、堂の前にも小さい女の拝んでいるうしろ姿はみえなかった。念のために伸びあがって覗くと、うす暗い堂の奥には黄色い灯が微かにゆらめいて、堂守(どうもり)の老僧が居睡りをしていた。千枝松は僧をよび起こして、たった今ここへ十四、五の娘が参詣に来なかったかと訊いた。 僧は耳が疎(うと)いらしい。幾度も聞き直した上で笑いながら言った。「日が暮れてから誰が拝みに来ようぞ。この頃は世のなかが閙(さわ)がしいでな」 半分聞かないで、千枝松は引っ返してまた駈け出した。言い知れない不安が胸いっぱいに湧いてきて、彼は夢中で坂を駈け降りた。往くも復(かえ)るもひとすじ道であるから、途中で行き違いになろう筈はない。こう思うと、彼の不安はいよいよ募ってきた。彼はもう堪(た)まらなくなって、大きい声で女の名を呼びながら駈けた。「藻よ。藻よ」 彼の足音に驚かされたのか、路ばたの梢から寝鳥(ねとり)が二、三羽ばたばたと飛び立った。人間の声はどこからも響いてこなかった。夢中で駈けつづけて、長い田圃路(たんぼみち)の真ん中まで来た時には、彼の足もさすがに疲れてすくんで、もう倒れそうになってきたので、彼は路ばたの地蔵尊(じぞうそん)の前にべったり坐って、大きい息をしばらく吐いていた。そうして、見るともなしに見あげると、澄んだ大空には月のひかりが皎々(こうこう)と冴えて、見渡すかぎりの広い田畑も薄黒い森も、そのあいだにまばらに見える人家の低い屋根も、霜の光りとでもいいそうな銀色の靄(もや)の下に包まれていた。汗の乾かない襟のあたりには夜の寒さが水のように沁みてきた。 狐の啼く声が遠くきこえた。「狐にだまされたのかな」と、千枝松はかんがえた。さもなければ盗人(ぬすびと)にさらわれたのである。藻のような美しい乙女(おとめ)が日暮れて一人歩きをするというのは、自分から求めて盗人の網に入るようなものである。千枝松はぞっとした。 狐か、盗人か、千枝松もその判断に迷っているうちに、ふとかの陶器師のことが胸に泛(う)かんできた。あの婆め、とうとう藻をそそのかして江口(えぐち)とやらへ誘い出したのではあるまいかと、彼は急に跳(おど)りあがって又一散に駈け出した。藻の門(かど)の柿の木を見た頃には、彼はもう疲れて歩かれなくなった。「藻よ。戻ったか」 垣の外から声をかけると、今度はすぐに行綱の返事がきこえた。今夜は娘の帰りが遅いので、自分も案じている。おまえは途中で逢わなかったかと言った。千枝松は自分も逢わなかったと口早に答えて、すぐに隣りの陶器師の戸をあらく叩いた。「また天狗のいたずら者が来おったそうな」 内では翁(おきな)の笑う声がきこえた。千枝松は急(せ)いて呶鳴った。「天狗でない。千枝ま[#「ま」に傍点]じゃ」「千枝ま[#「ま」に傍点]が今頃なにしに来た」と、今度は婆が叱るように訊いた。「婆に逢いたい。あけてくれ」「日が暮れてからうるさい。用があるならあす出直して来やれ」 千枝松はいよいよ焦(じ)れた。彼は返事の代りに表の戸を力まかせに続けて叩いた。「ええ、そうぞうしい和郎(わろ)じゃ」 口小言(くちこごと)をいいながら婆は起きて来て、明るい月のまえに寝ぼけた顔を突き出すと、待ち構えていた千枝松は蝗(いなご)のように飛びかかって婆の胸倉を引っ掴んだ。「言え。となりの藻をどこへやった」「なんの、阿呆らしい。藻の詮議なら隣りへ行きゃれ。ここへ来るのは門(かど)ちがいじゃ」「いや、おのれが知っている筈じゃ。やい、婆め。おのれは藻をそそのかして江口の遊女に売ったであろうが……。まっすぐに言え」と、千枝松は掴んだ手に力をこめて強く小突(こづ)いた。「ええ、おのれ途方もない言いがかりをしおる。ゆうべのいたずらも大方おのれであろう。爺さま、早う来てこやつを挫(ひし)いでくだされ」と、婆はよろめきながら哮(たけ)った。 翁も寝床から這(は)い出して来た。熱い息をふいて哮り立っている二人を引き分けて、だんだんにその話をきくと、彼も長い眉を子細らしく皺めた。「こりゃおかしい。ふだんから孝行者の藻が親を捨てて姿を隠そう筈がない。こりゃ大方は盗人か狐のわざじゃ。盗人ではそこらにうかうかしていようとも思えぬが、狐ならばその巣を食っているところも大方は知れている。千枝ま[#「ま」に傍点]よ、わしと一緒に来やれ」「よさっしゃれ」と、婆は例の白い眼をして言った。「子供じゃと思うても、藻ももう十四じゃ。どんな狐が付いていようも知れぬ。正直にそこらを探し廻って骨折り損じゃあるまいか」 千枝松はまたむっとした。しかしここで争っているのは無益だと賢くも思い直して、彼は無理無体に翁を表へ引っ張り出した。「爺さま。狐の穴はどこじゃ」「まあ、急(せ)くな。野良狐めが巣を食っているところはこのあたりにたくさんある。まず手近の森から探してみようよ」 翁は内へ引っ返して小さい鎌と鉈(なた)とを持ち出して来た。畜生めらをおどすには何か得物(えもの)がなくてはならぬと、彼はその鉈を千枝松にわたして、自分は鎌を腰に挟んだ。そうして、田圃を隔てた向こうの小さい森を指さした。「お前も知っていよう。あの森のあたりで時どきに狐火が飛ぶわ」「ほんにそうじゃ」 二人は向こうの森へ急いで行った。落葉や枯草を踏みにじって、そこらを隈なく猟(あさ)りあるいたが、藻の姿は見付からなかった。二人はそこを見捨てて、さらにその次の丘へ急いだ。千枝松は喉(のど)の嗄(か)れるほどに藻の名を呼びながら歩いたが、声は遠い森に木谺(こだま)するばかりで、どこからも人の返事はきこえなかった。それからそれへと一※(とき)ほども猟りつくして、二人はがっかりしてしまった。気がついて振り返ると、どこをどう歩いたか、二人は山科郷のうちの小野という所に迷って来ていた。ここは小野小町(おののこまち)の旧蹟だと伝えられて、小町の水という清水が湧いていた。二人はその冷たい清水をすくって、息もつかずに続けて飲んだ。「千枝ま[#「ま」に傍点]よ。夜が更けた。もう戻ろう。しょせん今夜のことには行くまい」と、翁は寒そうに肩をすくめながら言った。「じゃが、もう少し探してみたい。爺さま、ここらに狐の穴はないか」「はて、執念(しゅうね)い和郎じゃ。そうよのう」 少し考えていたが、翁は口のまわりを拭きながらうなずいた。「おお、ある、ある。なんでもこの小町の水から西の方に、大きい杉の木の繁った森があって、そこにも狐が棲んでいるという噂じゃ。しかし迂闊にそこへ案内はならぬ。はて、なぜというて、その森の奥には、百年千年の遠い昔に、いずこの誰を埋めたとも知れぬ大きい古塚がある。その塚のぬしが祟(たた)りをなすと言い伝えて、誰も近寄ったものがないのじゃ」「そりゃ塚のぬしが祟るのでのうて、狐が禍(わざわ)いをなすのであろう」と、千枝松は言った。「どちらにしても、祟りがあると聞いてはおそろしいぞ」と、翁はさとすように言った。「いや、おそろしゅうても構わぬ。わしは念晴らしに、その森の奥を探ってみる」 千枝松は鉈をとり直して駈け出した。独(ひと)り寝(ね)の別(わか)れ    一 止めても止まりそうもないと見て、陶器師の翁(おきな)はおぼつかなげに少年のあとを慕って行った。二人は幽怪な伝説を包んでいる杉の森の前に立った。 杉の古木は枝をかわして、昼でも暗そうに掩いかぶさっているが、森の奥はさのみ深くもないらしく、うしろは小高い丘につづいていた。千枝松は鉈を手にして猶予なく木立ちの間をくぐって行こうとするのを翁はまた引き止めた。「これ、悪いことは言わぬ。昔から魔所のように恐れられているところへ、夜ふけに押して行こうとは余りに大胆じゃ。やめい、やめい」「いや、やめられぬ。爺さまがおそろしくば、わし一人でゆく」 つかまれた腕を振り放して、彼は藻の名を呼びながら森のなかへ狂うように跳り込んで行った。翁は困った顔をして少しく躊躇していたが、さすがにこの少年一人を見殺しにもできまいと、彼も一生の勇気を振るい起こしたらしく、腰から光る鎌をぬき取って、これも千枝松のあとから続いた。森の中は外から想像するほどに暗くもなかった。杉の葉をすべって来る十三夜の月の光りが薄く洩れているので、手探りながらもどうにかこうにか見当はついた。多年人間が踏み込んだことがないので、腐った落葉がうず高く積もって、二人の足は湿(しめ)った土のなかへ気味の悪いようにずぶずぶと吸い込まれるので、二人は立ち木にすがって沼を渡るように歩いた。「千枝ま[#「ま」に傍点]よ、ありゃなんじゃ」 翁がそっとささやくと、千枝松も思わず立ちすくんだ。これが恐らくあの古塚というのであろう。ひときわ大きい杉の根本に高さ五、六尺ばかりかと思われる土饅頭(どまんじゅう)のようなものが横たわっていて、その塚のあたりに鬼火のような青い冷たい光りが微かに燃えているのであった。「なんであろう」と、千枝松もささやいた。言い知れぬ恐れのほかに、一種の好奇心も手伝って、彼はその怪しい光りを頼りに、木の根に沿うて犬のようにそっと這って行った。と思うと、彼はたちまちに声をあげた。「おお、藻じゃ。ここにいた」「そこにいたか」と、翁も思わず声をあげて、木の根につまずきながら探り寄った。 藻は古塚の下に眠るように横たわっていた。鬼火のように青く光っているのは、彼女が枕にしている一つの髑髏(されこうべ)であった。藻はむかしから人間のはいったことのないという森の奥に隠れ、髑髏を枕にして古塚の下に眠っているのであった。この奇怪なありさまに二人はまたぞっとしたが、千枝松はもう怖ろしいよりも嬉しい方が胸いっぱいで、前後も忘れて女の枕もとへ這い寄った。彼は藻の手をつかんで叫んだ。「藻よ、千枝ま[#「ま」に傍点]じゃ。藻よ」 翁も声をそろえて呼んだ。呼ばれて藻はふらふらと立ち上がったが、彼女はまだ夢みる人のようにうっとりとして、千枝松の腕に他愛なく倚(よ)りかかっているのを、二人は介抱しながら森の外へ連れ出した。明るい月の下に立って、藻はよみがえったようにほっと長い息をついた。「どうじゃ。心持に変わることはないか」「どうしてこんなところに迷いこんだのじゃ」 千枝松と翁は代るがわるにきいたが、藻は夢のようでなんにも知らないといった。今夜はいつもよりも千枝ま[#「ま」に傍点]の誘いに来るのが遅いので、彼女は一人で家を出て清水の方へ足を運んだ。それまでは確かに覚えているが、それから先きは夢うつつで何処(どこ)をどう歩いたのか、どうしてこの森の奥へ迷い込んだのか、どうしてここに寝ていたのか、自分にもちっとも判らないとのことであった。「やっぱり野良狐めのいたずらじゃ」と、翁はうなずいた。「しかしまあ無事でめでたい。父御もさぞ案じていらりょう。さあ、早う戻らっしゃれ」 夜はもう更(ふ)けていた。三人は自分の影を踏みながら黙ってあるいた。陶器師の翁は自分の家の前で二人に別れた。千枝松は隣りの門口まで藻を送って行って又ささやいた。「これに懲りてこの後は一人で夜歩きをせまいぞ。あすの晩もわしが誘いにゆくまで、きっと待っていやれ。よいか」 念を押して別れようとして、千枝松は女が左の手に抱えている或る物をふと見付けた。それは彼女が枕にしていた古い髑髏で、月の前に蒼白く光っていた。千枝松はぎょっとして叱るように言った。「なんじゃ、そんなものを……。気味が悪いとは思わぬか。抛(ほう)ってしまえ。捨ててしまえ」 藻は返事もしないで、その髑髏を大事そうに抱えたままで、つい[#「つい」に傍点]と内へはいってしまった。千枝松は呆れてそのうしろ影を見送っていた。そうして、狐がまだ彼女を離れないのではないかとも疑った。 その晩に、千枝松は不思議な夢をみた。 第一の夢の世界は鉄もとろけるような熱い国であった。そこには人の衣(きぬ)を染めるような濃緑の草や木が高く生(お)い茂っていて、限りもないほどに広い花園には、人間の血よりも紅(あか)い芥子(けし)の花や、鬼の顔よりも大きい百合の花が、うずたかく重なり合って一面に咲きみだれていた。花は紅ばかりでない、紫も白も黒も黄も灼(や)けるような強い日光にただれて、見るから毒々しい色を噴き出していた。その花の根にはおそろしい毒蛇の群れが紅い舌を吐いて遊んでいた。「ここはどこであろう」 千枝松は驚異の眼をみはって唯ぼんやりと眺めていると、一種異様の音楽がどこからか響いて来た。京の或る分限者(ぶげんしゃ)が山科の寺で法会(ほうえ)を営(いとな)んだときに、大勢の尊い僧たちが本堂にあつまって経を誦(ず)した。その時に彼は寺の庭にまぎれ込んでその音楽に聞き惚れて、なんとも言われない荘厳の感に打たれたことがあったが、今聞いている音楽のひびきも幾らかそれに似ていて、しかも人の魂をとろかすような妖麗なものであった。彼は酔ったような心持で、その楽(がく)の音(ね)の流れて来る方をそっと窺うと、日本(にっぽん)の長柄(ながえ)の唐傘(からかさ)に似て、その縁(へり)へ青や白の涼しげな瓔珞(ようらく)を長く垂れたものを、四人の痩せた男がめいめいに高くささげて来た。男はみな跣足(はだし)で、薄い鼠色の着物をきて、胸のあたりを露(あら)わに見せていた。それにつづいて、水色のうすものを着た八人の女が唐団扇(とううちわ)のようなものを捧げて来た。その次に小山のような巨大(おおき)い獣(けもの)がゆるぎ出して来た。千枝松は寺の懸け絵で見たことがあるので、それが象という天竺(てんじく)の獣であることを直ぐに覚った。象は雪のように白かった。 象の背中には欄干(てすり)の付いた輿(こし)のようなものを乗せていた。輿の上には男と女が乗っていた。象のあとからも大勢の男や女がつづいて来た。まわりの男も女もみな黒い肌を見せているのに、輿に乗っている女の色だけが象よりも白いので、千枝松も思わず眼をつけると、女はその白い胸や腕を誇るように露(あら)わして、肌も透き通るような薄くれないの羅衣(うすもの)を着ていた。千枝松はその顔をのぞいて、忽(たちま)ちあっと叫ぼうとして息を呑み込んだ。象の上の女は確かにかの藻であった。 さらによく視ると、女は藻よりも六、七歳も年上であるらしく思われた。彼女は藻のような無邪気らしい乙女でなかった。しかしその顔かたちは藻とちっとも違わなかった。どう見直してもやはり藻そのままであった。「藻よ」と、彼は声をかけて見たくなった。もしそのまわりに大勢の人の眼がなかったら、彼は大きい象の背中に飛びあがって、女の白い腕に縋(すが)り付いたかもしれなかった。しかし藻に似た女はこちらを見向きもしないで、なにか笑いながらそばの男にささやくと、男は草の葉で編んだ冠(かんむり)のようなものを傾けて高く笑った。 空の色は火のように焼けていた。その燃えるような紅い空の下で音楽の響きが更に調子を高めると、花のかげから無数の毒蛇がつながって現われて来て、楽の音につれて一度にぬっと鎌首(かまくび)をあげた。そうしてそれがだんだんに大きい輪を作って、さながら踊りだしたように糾(よ)れたり縺(もつ)れたりして狂った。千枝松はいよいよ息をつめて眺めていると、更にひとむれの男や女がここへ追い立てられて来た。男も女も赤裸で、ふとい鉄の鎖でむごたらしくつながれていた。 この囚人(めしうど)はおよそ十人ばかりであろう。そのあとから二、三十人の男が片袒(かたはだ)ぬぎで長い鉄の笞(むち)をふるって追い立てて来た。恐怖におののいている囚人はみな一斉に象の前にひざまずくと、女は上からみおろして冷(ひや)やかに笑った。その涼しい眼には一種の殺気を帯びて物凄かった。千枝松も身を固くして窺っていると、女は低い声で何か指図した。鉄の笞を持っていた男どもはすぐに飛びかかって、かの囚人らを片っ端から蹴倒すと、男も女も仰(のけ)ざまに横ざまに転げまわって無数の毒蛇の輪の中へ―― もうその先きを見とどける勇気はないので、千枝松は思わず眼をふさいで逃げ出した。そのうしろには藻に似た女の華やかな笑い声ばかりが高くきこえた。千枝松は夢のように駈けてゆくと、誰か知らないがその肩を叩く者があった。はっとおびえて眼をあくと、高い棕梠(しゅろ)の葉の下に一人の老僧が立っていた。「お前はあの象の上に乗っている白い女を識(し)っているのか」 あまりに怖ろしいので、千枝松は識らないと答えた。老僧は静かに言った。「それを識ったらお前も命はないと思え。ここは天竺という国で、女と一緒に象に乗っている男は斑足太子(はんそくたいし)というのじゃ。女の名は華陽(かよう)夫人、よく覚えておけ。あの女は世にたぐいなく美しゅう見えるが、あれは人間ではない。十万年に一度あらわるる怖ろしい化生(けしょう)の者じゃ。この天竺の仏法をほろぼして、大千(だいせん)世界を魔界の暗闇に堕(おと)そうと企(くわだ)つる悪魔の精じゃ。まずその手始めとして斑足太子をたぶらかし、天地開闢(かいびゃく)以来ほとんどそのためしを聞かぬ悪虐をほしいままにしている。今お前が見せられたのはその百分の一にも足らぬ。現にきのうは一日のうちに千人の首を斬って、大きい首塚を建てた。しかし彼女(かれ)が神通自在でも、邪は正にかたぬ。まして天竺は仏の国じゃ。やがて仏法の威徳によって悪魔のほろぶる時節は来る。決して恐るることはない。しかし、いつまでもここに永居(ながい)してはお前のためにならぬ。早く行け。早う帰れ」 僧は千枝松の手を取って門の外へ押しやると、くろがねの大きい扉(とびら)は音もなしに閉じてしまった。千枝松は魂が抜けたように唯うっとりと突(つ)っ立っていた。しかし幾らかんがえ直しても、かの華陽夫人とかいう美しい女は、自分と仲の好い藻に相違ないらしく思われた。化生の者でもよい。悪魔の精でも構わない。もう一度かの花園へ入り込んで、白い象の上に乗っている白い女の顔をよそながら見たいと思った。 彼はくろがねの扉を力まかせに叩いた。拳(こぶし)の骨は砕けるように痛んで、彼ははっと眼をさました。しかし彼はこのおそろしい夢の記憶を繰(く)り返すには余りに頭が疲れていた。彼は枕に顔を押し付けてまたすやすやと眠ってしまった。    二 第二の夢の世界は、前の天竺よりはずっと北へ偏寄(かたよ)っているらしく、大陸の寒い風にまき上げられる一面の砂煙りが、うす暗い空をさらに黄色く陰(くも)らせていた。宏大な宮殿がその渦巻く砂のなかに高くそびえていた。 宮殿は南にむかって建てられているらしく、上がり口には高い階段(きざはし)があって、階段の上にも下にも白い石だたみを敷きつめて、上には錦の大きい帳(とばり)を垂れていた。ところどころに朱く塗った太い円い柱が立っていて、柱には鳳凰(ほうおう)や龍や虎のたぐいが金や銀や朱や碧や紫やいろいろの濃い彩色(さいしき)を施して、生きたもののようにあざやかに彫(ほ)られてあった。折りまわした長い欄干(てすり)は珠(たま)のように光っていた。千枝松はぬき足をして高い階段の下に怖るおそる立った。階段の下には彼のほかに大勢の唐人(とうじん)が控えていた。「しっ」 人を叱るような声がどこからともなくおごそかに聞こえて、錦の帳は左右に開いてするすると巻き上げられた。正面の高いところには、錦の冠をいただいて黄色い袍(ほう)を着た男が酒に酔ったような顔をして、珠をちりばめた榻(とう)に腰をかけていた。これが唐人の王様であろうと千枝松は推量した。王のそばには紅の錦の裳(すそ)を長く曳いて、竜宮の乙姫(おとひめ)さまかと思われる美しい女が女王のような驕慢な態度でおなじく珠の榻に倚りかかっていた。千枝松は伸び上がってまたおどろいた。その美しい女はやはりあの藻をそのままであった。「酒はなぜ遅い。肉を持って来ぬか」と王は大きい声で叱るように呶鳴った。 藻に似た女は妖艶なひとみを王の赤い顔にそそいで高く笑いこけた。笑うのも無理はない、王の前には大きい酒の甕(かめ)が幾つも並んでいて、どの甕にも緑の酒があふれ出しそうに満(なみ)なみと盛ってあった。珠や玳瑁(たいまい)で作られた大きい盤の上には、魚の鰭(ひれ)や獣の股(もも)が山のように積まれてあった。長夜の宴に酔っている王の眼には、酒の池も肉の林ももうはっきりとは見分けがつかないらしかった。家来どもも侍女らもただ黙って頭をたれていた。 そのうちに藻に似た女が何かささやくと、王は他愛なく笑ってうなずいた。家来の唐人はすぐに王の前に召し出されて何か命令された。家来はかしこまって退いたかと思うと、やがて大きい油壺を重そうに荷(にな)って来た。千枝松は今まで気がつかなかったが、このとき初めて階段の下の一方に太いあかがねの柱が立っているのを見つけ出した。大勢の家来が寄って、その柱にどろどろした油をしたたかに塗り始めると、ほかの家来どもはたくさんの柴を運んで来て、柱の下の大きい坑(あな)の底へ山のように積み込んだ。二、三人が松明(たいまつ)のようなものを持って来て、またその中へ投げ込んだ。ある者は油をそそぎ込んだ。「寒いので焚火をするのか知らぬ」と、千枝松は思った。しかし彼の想像はすぐにはずれた。 柴はやがて燃え上がったらしい。地獄の底から紅蓮(ぐれん)の焔を噴くように、真っ赤な火のかたまりが坑いっぱいになって炎々と高くあがると、その凄まじい火の光りがあかがねの柱に映って、あたりの人びとの眉や鬢(びん)を鬼のように赤く染めた。遠くから覗いている千枝松の頬までが焦(こ)げるように熱くなってきた。火が十分燃えあがるのを見とどけて、藻に似た女は持っている唐団扇をたかく挙げると、それを合図に耳もつぶすような銅鑼(どら)の音が響いた。千枝松はまたびっくりして振り向くと、鬚(ひげ)の長い男と色の白い女とが階段の下へ牽き出されて来た。かれらも天竺の囚人のように、赤裸の両手を鉄の鎖につながれていた。 千枝松はぞっとした。銅鑼の音はまた烈しく鳴りひびいて、二人の犠牲(いけにえ)は銅の柱のそばへ押しやられた。千枝松は初めて覚った。油を塗った柱に倚りかかった二人は、忽ちにからだを滑らせて地獄の火坑にころげ墜ちるのであろう。彼はもう堪まらなくなって眼をとじようとすると、階段の下に忙がわしい靴の音がきこえた。 今ここへ駈け込んで来た人は、身の長(たけ)およそ七尺もあろうかと思われる赭(あか)ら顔の大男で、黄牛(あめうし)の皮鎧に真っ黒な鉄の兜をかぶって、手には大きい鉞(まさかり)を持っていた。彼は暴れ馬のように跳って柱のそばへ近寄ったかと思うと、大きい手をひろげて二人の犠牲を抱き止めた。それをさえぎろうとした家来の二、三人はたちまち彼のために火の坑へ蹴込まれてしまった。彼は裂けるばかりに瞋恚(いかり)のまなじりをあげて、霹靂(はたたがみ)の落ちかかるように叫んだ。「雷震(らいしん)ここにあり。妖魔亡びよ」 鉞をとり直して階段を登ろうとすると、女は金鈴を振り立てるような凛とした声で叱った。大勢の家来どもは剣をぬいて雷震を取り囲んだ。坑の火はますます盛んに燃えあがって、広い宮殿をこがすばかりに紅く照らした。その猛火を背景にして、無数の剣のひかりは秋のすすきのように乱れた。雷震の鉞は大きい月のように、その叢(むら)すすきのあいだを見えつ隠れつしてひらめいた。 藻に似た女は王にささやいてしずかに席を起った。千枝松はそっとあとをつけてゆくと、二人は手をとって高い台(うてな)へ登って行った。二人のあとをつけて来たのは千枝松ばかりでなく、鎧兜を着けた大勢の唐人どもが弓や矛(ほこ)を持って集まって来て、台のまわりを忽ち幾重(いくえ)にも取りまいた。そのなかで大将らしいのは、白い鬢髯(びんひげ)を鶴の毛のように長く垂れた老人であった。千枝松は老人のそばへ行ってこわごわ訊いた。「ここはなんという所でござります。お前はなんというお人でござります」 ここは唐土(もろこし)で、自分は周(しゅう)の武王(ぶおう)の軍師で太公望(たいこうぼう)という者であると彼は名乗った。そうして、更にこういうことを説明して聞かせた。「今この国の政治(まつりごと)を執っている殷(いん)の紂王(ちゅうおう)は妲己(だっき)という妖女にたぶらかされて、夜も昼も淫楽にふける。まだそればかりか、妲己のすすめに従って、炮烙(ほうらく)の刑という世におそろしい刑罰を作り出した。お前も先刻(さっき)からここにいたならば、おそらくその刑罰を眼(ま)のあたりに見たであろう。いや、まだそのほかにも、妲己の残虐は言い尽くせぬほどある。生きた男を捕らえて釜うでにする。姙(はら)み女の腹を割(さ)く。鬼女とも悪魔とも譬えようもない極悪(ごくあく)非道の罪業(ざいごう)をかさねて、それを日々の快楽(けらく)としている。このままに捨て置いたら、万民は野に悲しんで世は暗黒の底に沈むばかりじゃ。わが武王これを見るに堪えかねて、四百余州(しひゃくよしゅう)の諸侯伯をあつめ、紂王をほろぼし、妲己を屠(ほふ)って世をむかしの明るみにかえし、あわせて万民の悩みを救おうとせらるるのじゃ。紂王はいかに悪虐の暴君というても、しょせんは唯の人間じゃ。これを亡ぼすのは、さのみむずかしいとは思わぬが、ただ恐るべきはかの妲己という妖女で、彼女(かれ)の本性は千万年の劫(こう)を経(へ)た金毛(きんもう)白面(はくめん)の狐じゃ。もし誤ってこの妖魔を走らしたら、かさねて世界の禍いをなすは知れてある」 そのことばのいまだ終わらぬうちに、高い台(うてな)の上から黄色い煙りがうず巻いて噴き出した。老人は煙りを仰いで舌打ちをした。「さては火をかけて自滅と見ゆるぞ。暴君の滅亡は自然の命数(めいすう)じゃが、油断してかの妖魔を取り逃がすな。雷震はおらぬか。煙りのなかへ駈け入って早く妖魔を誅戮(ちゅうりく)せよ」 かの大まさかりを掻い込んで、雷震はどこからか現われた。彼はどよめいている唐人どもを掻き退けて、兜の上に降りかかる火の粉(こ)の雨をくぐりながら、台の上へまっしぐらに駈けあがって行った。老人は気づかわしそうに台をみあげた。千枝松も手に汗を握って同じく高い空を仰いでいると、台の上からは幾すじの黄色い煙りが大きい龍のようにのたうって流れ出した。その煙りのなかから、藻に似た女の顔が白くかがやいて見えた。「射よ」と老人は鞭(むち)をあげて指図した。 無数の征矢(そや)は煙りを目がけて飛んだ。女は下界(げかい)をみおろして冷笑(あざわら)うように、高く高く宙を舞って行った。千枝松はおそろしかった。それと同時に、言い知れない悲しさが胸に迫ってきて、彼は思わず声をあげて泣いた。 不思議な夢はこれで醒めた。 あくる朝になっても千枝松は寝床を離れることが出来なかった。ゆうべ不思議な夢におそわれたせいか、彼は悪寒(さむけ)がして頭が痛んだ。叔父や叔母は夜露にあたって冷えたのであろうと言った。叔母は薬を煎(せん)じてくれた。千枝松はその薬湯(やくとう)をすすったばかりで、粥(かゆ)も喉には通らなかった。「藻はどうしたか」 彼はしきりにそれを案じていながらも、意地の悪い病いにおさえ付けられて、いくらもがいても起きることが出来なかった。叔母も起きてはならないと戒(いまし)めた。それから五日ばかりの間、彼は病いの床に封じ込められて、藻の身の上にも、世間の上にも、どんな事件が起こっているか、なんにも知らなかった。    三 碧(あお)い空は静かに高く澄んでいるが、その高い空から急に冬らしい尖った風が吹きおろして来て、柳の影はきのうにくらべると俄に痩せたように見えた。大納言師道(もろみち)卿の屋形(やかた)の築地(ついじ)の外にも、その柳の葉が白く散っていた。 ひとりの美しい乙女(おとめ)が屋形の四足門(よつあしもん)の前に立って案内を乞うた。「山科郷にわびしゅう暮らす藻(みくず)という賤(しず)の女(め)でござります。殿にお目見得(めみえ)を願いとうて参じました」 取次ぎの青侍(あおざむらい)は卑しむような眼をして、この貧しげな乙女の姿をじろりと睨(ね)めた。しかもその睨めた眼はだんだんにとろけて、彼は息をのんで乙女の美しい顔を穴のあく程に見つめていた。藻はかさねて言った。「承りますれば、関白さまの御沙汰として、独り寝の別れというお歌を召さるるとやら。不束(ふつつか)ながらわたくしも腰折れ一首詠み出(い)でましたれば、御覧に入(い)りょうと存じまして……」 彼女は恥ずかしそうに少しく顔を染めた。青侍は我に返ったようにうなずいた。「おお、そうじゃ。関白殿下の御沙汰によって、当屋形の大納言殿には独り寝の別れという歌を広く世間から召し募らるる。そなたもその歌を奉ろうとか。奇特(きどく)のことじゃ。しばらく待て」 もう一度美しい乙女の顔をのぞいて、彼は奥へはいった。柳の葉が乙女の上に又はらはらと降りかかって来た。しばらく待たせて青侍は再び出て来て優しく言った。「殿が逢おうと仰(おっ)しゃる。子細(しさい)ない、すぐに通れ」 案内されて、藻は奥の書院めいたひと間へ通された。どこからか柔かい香(こう)の匂いが流れて来て、在所(ざいしょ)育ちの藻はおのずと行儀を正さなければならなかった。あるじの大納言師道卿は彼女と親しく向かい合って坐った。敷島の道には上下の隔てもないという優しい公家気質(くげかたぎ)から、大納言はこの賤の女にむかっても物柔らかに会釈(えしゃく)した。「聞けば独り寝の別れの歌を披露しようとて参ったとか。堂上(どうじょう)でも地下(じげ)でも身分は論ぜぬ。ただ良(よ)い歌を奉ればよいのじゃ。名は藻とか聞いたが、父母(ちちはは)はいずこの何という者じゃな」「父は……」と、言いかけて藻はすこしためらった。 しばらく待っていても次の句が容易に出て来ないので、師道は催促するように訊いた。「身分は論ぜぬと申しながら、いらぬ詮議をするかとも思おうが、これは関白殿下の御覧に入るる歌じゃ。一応は詠人(よみびと)の身分を詮議し置かないでは、わしの役目が立たぬ。父は誰であれ、母は何者であれ、恥ずるに及ばぬ。憚るにおよばぬ。ただ、正直に名乗ってくるればよいのじゃ」「母はもうこの世におりませぬ。父の名をあからさまに申し上げませいでは、歌の御披露はかないませぬか」と藻は聞き返した。「かなわぬと申すではないが、まずおのれの身分を名乗って、それから改めて披露を頼むというがひと通りの筋道じゃ。父の名は申されぬか」「はい」「なぜ言われぬ。不思議じゃのう」と、師道はほほえんだ。「ははあ、聞こえた。父の名をさきに申し立てて、もしその歌が無下(むげ)に拙(つたな)いときには、家(いえ)の恥辱になると思うてか。年端(としは)のゆかぬ女子(おなご)としては無理もない遠慮じゃ。よい、よい。さらばわしも今は詮議すまい。何者の子とも知れぬ藻という女子を相手にして、その歌というのを見て取らそう。料紙(りょうし)か短冊(たんざく)にでもしたためてまいったか」「いえ、料紙も短冊も持参いたしませぬ」と、藻は恥ずかしそうに答えた。 師道はすぐに硯や料紙のたぐいを運ばせた。この歌を広く世に募られてから、大納言の手もとへは毎日幾十枚の色紙や短冊がうずたかく積まれる。さすがは都、これほどの詠みびとが隠れているかと面白く思うにつけても、心に叶うような歌は一首も見いだされなかった。人の顔かたちを見て、もとよりその歌の高下(こうげ)を判ずるわけにはいかないが、この乙女の世にたぐいなき顔かたちと、そのさかしげな物の言い振りとを併せて考えると、師道の胸には一種の興味が湧いてきた。世にかくれたる才女が突然ここに現われて来て、自分を驚かすのではないかとも思われた。彼はじっと眼を据(す)えて、乙女の筆のなめらかに走るのを見つめていた。「お恥ずかしゅうござります」 藻は料紙をささげて、大納言の前に手をついた。師道は待ち兼ねたように読んだ。  夜や更(ふ)けぬ 閨(ねや)のともしびいつか消えて わが影にさへ別れてしかも「ほう」と、彼は思わず感嘆の息をついて、料紙のおもてと乙女の顔とを等分に見くらべていた。想像は事実となって、隠れたる才女が果たして彼を驚かしに来たのであった。「おお、あっぱれじゃ。見事じゃ。ひとり寝の別れという難題をこれ程に詠みいだす者は、都はおろか、日本じゅうにもあるまい。まことによう仕(つか)まつった。奇特のことじゃ。関白殿下にも定めて御満足であろう。世は末世(まっせ)となっても、敷島の道はまだ衰えぬかと思うと、われらも嬉しい」 師道は幾たびか繰り返してその歌を読んだ。文字のあともあざやかであった。かれは感に堪えてしばらくは涙ぐんでいた。それにつけても彼はこの才女の身の上を知りたかった。「今も聞く通りじゃ。これほどの歌は又とあるまい。すぐに関白殿下に御披露申さねばならぬが、さてその時にこの詠みびとは何者じゃと問われたら、わしは何と申してよかろう。もうこの上は隠すにも及ぶまい。いずこの誰の子か、正直に明かしてくりゃれ」「どうでも申さねばなりませぬか」と、藻は思い煩らうように言った。「身分の御詮議(ごせんぎ)がむずかしゅうござりまするなら、詠みびと知らずとなされて下さりませ」「それもそうじゃが、なぜ親の名をいわれぬかのう」「申し上げられませぬ。わたくしはこれでお暇(いとま)申し上げまする」 言い切って、藻はしとやかに座を起(た)った。その凛とした威に打たれたように、大納言は無理に引き留めることも出来なかった。彼はこの美しい不思議な乙女のうしろ姿を夢のように見送っていたが、急に心づいて青侍を呼んだ。「あの乙女のあとをつけて、いずこの何者か見とどけてまいれ」 青侍を出してやって、師道は再び料紙を手に取って眺めた。容貌(きりょう)といい、手蹟(しゅせき)といい、これほどの乙女が地下(じげ)の者の胤(たね)であろう筈がない。あるいは然るべき人の姫ともあろう者が、このようないたずらをして興(きょう)じているのか。但しは鬼か狐か狸か。彼もその判断に迷っていると、日の暮れる頃になって青侍が疲れたような顔をして戻って来た。「殿。あの乙女の宿は知れました」「おお、見とどけて参ったか」「京の東、山科郷の者でござりました。あたりの者に問いましたら、父はそのむかし北面の武士で坂部庄司なにがしとか申す者じゃと教えてくれました」「北面の武士で坂部なにがし……」と、大納言は眼をとじて考えていたが、やがて思い出したように膝を打った。「おお、それじゃ。坂部庄司蔵人行綱……確かにそれじゃ。彼は大床(おおゆか)の階段(きざはし)の下で狐を射損じたために勅勘(ちょっかん)の身となった。その後いずこに忍んでいるとも聞かなんだが、さては山科に隠れていて、藻は彼の娘であったか。親にも生まれまさった子を持って、彼はあっぱれの果報者(かほうもの)じゃ」 藻が父の名をつつんだ子細もそれで判った。勅勘の身を憚ったのである。父が教えたか、娘が自分に思いついたか、そのつつましやかな心根を大納言はゆかしくも又あわれにも思った。彼はその夜すぐに関白忠通(ただみち)卿の屋形に伺候(しこう)して、世にめずらしい才女の現われたことを報告すると、関白もその歌を読みくだして感嘆の声をあげた。 あらためて註するまでもないが、源の俊顕(としあきら)の歿後は和歌の道もだんだん衰えてきたのを、再び昔の盛りにかえそうと努めたのは、この忠通卿である。久安(きゅうあん)百首はこの時代の産物で、男には俊成(しゅんぜい)がある。清輔(きよすけ)がある。隆季(たかすえ)がある。女には堀川がある。安芸(あき)がある。小大進(こだいしん)がある。国歌はあたかも再興の全盛時代であった。その時代の名ある歌人すらもみな詠み悩んだ「独り寝のわかれ」の難題を、名も知らぬ賤の乙女がこう易(やす)やすと詠み出したのであるから、関白や大納言が驚歎の舌をまいたのも無理はなかった。「父は勅勘の身ともあれ、娘には子細あるまい。予が逢いたい。すぐに召せ」と、忠通は言った。
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