玉藻の前 (作品データ)
[青空文庫|▼Menu]
作品を読む

タイトルデータ
・作品名
  玉藻の前
・作品名読み
  たまものまえ
・著者名
  岡本 綺堂 

作品データ
・作品について
  烏帽子折りの少年千枝松の幼なじみ藻は、白面金毛九尾の狐に魅入られ、ついには時の関白忠通の寵愛を受け玉藻の前と名のるようになる。ここに、安倍晴明の子孫泰親が登場し、玉藻の前との戦いが始まる。一方、泰親の弟子となった千枝松は、仇である藻のことが忘れられない。魔物と知りつつ思い切れない悲しい男の物語でもある。「玉藻の前」は、謡曲や人形浄瑠璃の「殺生石」に登場する伝説上の人物。半七とはひと味違う岡本綺堂の伝奇小説。(小林繁雄)
・仮名遣い種別
  新字新仮名

作家データ
・分類
  著者
・作家名
  岡本 綺堂
・作家名読み
  おかもと きどう
・ローマ字表記
  Okamoto, Kido
・生年
  1872-11-15
・没年
  1939-03-01
・人物について
  劇作家、小説家。本名は敬二、別号に狂綺堂。イギリス公使館に勤めていた元徳川家御家人、敬之助の長男として、東京高輪に生まれる。幼くして歌舞伎に親しみ、父の影響を受けて英語も能くした。東京府立一中卒業後、1890(明治23)年に東京日日新聞に入社。以来、中央新聞社、絵入日報社などを経て、24年間を新聞記者として過ごす。この間、1896(明治29)年には処女戯曲「紫宸殿」を発表。岡鬼太郎と合作した「金鯱噂高浪(こがねのしゃちうわさのたかなみ)」は、1902(明治35)年に歌舞伎座で上演された。江戸から明治にかけて、歌舞伎の台本は劇場付きの台本作家によって書かれてきたが、明治半ばからは、坪内逍遥ら、演劇界革新の担い手に新作をあおいだ〈新歌舞伎〉が台頭する。二世市川左団次に書いた「維新前後」(1908年)、「修禅寺物語」(1911年)の成功によって、綺堂は新歌舞伎を代表する劇作家となった。1913(大正2)年以降は作家活動に専念し、生涯に196篇の戯曲を残す。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物を原著でまとめて読んだのをきっかけに、江戸を舞台とした探偵小説の構想を得、1916(大正5)年からは「半七捕物帳」を書き始めた。「岡本綺堂

底本データ
・底本
  修禅寺物語
・出版社
  光文社文庫、光文社
・初版発行日
  1992(平成4)年3月20日

工作員データ
・入力
  tatsuki
・校正
  小林繁雄


青空文庫検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

By eucalyptus.
担当:undef