黄金の腕環
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著者名:押川春浪 

  一 伯爵の別荘

 流星の飛ぶのを見るのは、余り気味の好(よ)いものでは無い、シーンとした真夜中頃(ごろ)、青い光がスーと天空から落ちて来る有様は、恰(あたか)も人魂(ひとだま)でも飛んで来たよう、それが眼(め)に入(い)った瞬間は、誰(だれ)でもハッと思い、流星の落ちたと覚(おぼ)しき淋(さび)しき場所へは、余程の勇士でも、何(ど)うも恐ろしくて行き兼ねると云(い)う事だ。
 然(しか)るにこの流星に関し、花の様に美しい一人の少女が、世にも面白い手柄を立てた話がある。
 処(ところ)は英国(えいこく)の或(あ)る海岸に、一軒の立派な家がある、之(こ)れは老貴族松浪(まつなみ)伯爵の別荘で、伯爵は極(ご)く愉快な人物、それに三人の娘があって、いずれも絶世の美人と評判が高い。
 頃(ころ)は十二月三十一日の夜、明日(あす)はお正月と云う前晩だが、何不自由なき貴族の事とて、年の暮にテンテコ舞する様な事は無い、一家は数日以前から此(この)別荘に来て、今宵(こよい)も三人の娘は先程より、ストーブの熾(さか)んに燃える父伯爵の居間に集り、いろいろ面白い談話(だんわ)に耽(ふけ)って居(お)る、その面白い談話と云うのは、好奇(ものずき)な娘達が頻(しき)りに聴きたがる、妖怪(ようかい)談や幽霊物語の類で、談話(はなし)上手の伯爵が、手を振り声を潜め眼を円くして、古城で変な足音の聴えた事や、深林に怪火(あやしび)の現われた事など、それから夫(そ)れへと巧(たくみ)に語るので、娘達は恐(こわ)ければ恐い程面白く、だんだん夜の更けるのも知らずに居った。
 すると此時忽(たちま)ち室(へや)の扉(と)がスーと明いて、入って来たのは此家の老家扶(かふ)で、恭しく伯爵の前に頭を下げ、「殿様に申上げます唯今(ただいま)之れなる品物が、倫敦(ロンドン)の玉村(たまむら)侯爵家より到着致して御座います」と、一個の綺麗(きれい)な小箱を卓子(テイブル)の上に戴(の)せて立去った。
 玉村侯爵とは松浪伯爵の兄君で、三人の娘には伯父君(おじぎみ)[#ルビの「おじぎみ」は底本では「ぎみ」]に当って居(お)る、余程面白い人で、時々いろいろ好奇(ものずき)な事をする。
 伯爵は侯爵の送って来た箱を開けて見て、
「マア、非常に綺麗な腕環が入って居る」と、夜光珠(ダイヤモンド)や真珠の鏤(ちりば)めてある、一個の光輝燦爛(こうきさんらん)たる黄金(おうごん)の腕環を取出した。
 一番年長(としうえ)の娘は、直(す)ぐに夫れを父伯爵の手から借りて見て、
「まあ何んと云う綺麗な腕環でしょう、之れは屹度(きっと)伯父様から、妾(わたくし)に贈って下さったのですよ」と云えば、二番目の娘は横合から覗込(のぞきこ)んで、
「いいえ、伯父様と妾(わたくし)と大の仲好しですもの、妾に贈って下さったに相違はありません」と争う。
 三番目の娘は其名(そのな)を露子(つゆこ)と云う、三人の中でも一番美しく、日頃から極く温順な少女なので、此時も決して争う様な事はせず、黙って腕環を眺めて居る。
 父伯爵は微笑を浮べて、
「イヤ待て、腕環は一個(ひとつ)で、娘は三人、誰に贈るのか分らぬ、何か書付でも入って居るだろう」と、猶およく箱の中を調べて見ると、果して玉村侯爵自筆の短い書面が出た、伯爵は手に取って夫れを読み下せば――
一、この腕環は、玉村侯爵家に、祖先より伝われる名誉ある宝物(ほうもつ)なり、新年の贈物にと貴家に呈す、但し一個の外は無ければ、三人の令嬢の内、この年の暮に、最も勇ましき振舞を為(な)せし人、この腕環を得べき権利あり、而(しこう)して此腕環を得し人は、同時に更に多くの宝物を得べき幸運を有す、
と書いてあった。

  二 三人姫君

「オヤオヤオヤ」と、一番目の娘と二番目の娘とは顔を見合せた。
 伯爵は三人の娘の顔を打眺(うちなが)め、黄金(おうごん)の腕環(うでわ)を再び自分の手に取って、「玉村(たまむら)侯爵は相変らず面白い事をする人だ、この腕環は侯爵家の祖先照子(てるこ)姫と云(い)う人の用いたもので、世の貴婦人達の羨(うらや)む珍品である、之(こ)れを三人の娘の内、この年の暮に最も勇ましい振舞をしたものに与えると云う、然(しか)し年の暮と云えば、今日(きょう)は十二月三十一日の夜、今夜中に誰(だれ)が一番勇ましい事をするか、私(わし)は夫(そ)れを試験する役目を帯びて居る」
「何(ど)んな試験をなさるのです」と、一番目の娘は問うた。
「サア、何んな試験をしたら宜(よ)かろう」
 二番目の娘は父伯爵の顔を見上げ、
「そして阿父様(おとうさま)、玉村侯爵のお手紙に依(よ)ると、この黄金の腕環を得た者は、同時に更に多くの宝物を得べき幸運を有すと書いてありますが、その宝物とは何んなものでしょう」
「どんな物かは、夫れは後で分るだろう、兎(と)に角(かく)私(わし)は今、頻(しき)りに今夜の試験方法を考えて居るのだ」と、快活なる伯爵は小首を傾けて、凝乎(じっ)と窓から外を眺めて居る、何うも其(その)様子が何んだか意味有り気なので、三人の娘も眼(まなこ)を上げて、窓の硝子(ガラス)を透して外を眺めると、今夜は朧月夜(おぼろづきよ)であるが、既に夜は更けて天地万物眠れる如(ごと)く、遥(はる)か彼方(かなた)の森林では、梟(ふくろう)の鳴く声[#「声」は底本では「聞」]も聴(きこ)え、実に物凄(ものすご)い程静かな有様である。
 途端(とたん)! 一同は思わずハッとした様子、それは何故(なぜ)かと云うに、今しも不意に一つの巨大(おおき)な流星が空中に現われ、青い光は東から西へ人魂(ひとだま)の如く飛んで、彼(か)の梟の鳴いて居る森林の辺でスーと消えて仕舞ったのを見たからだ。
「マア何んと云う巨大(おおき)な流星でしょう」と、一番目の娘も二番目の娘も眼(め)を円くして叫んだ。
 すると之れを見た伯爵は、忽(たちま)ち何か考え出した様子で、
「オオ、面白い試験方法が胸に浮んだ」
「何んな試験方法です」
「他(ほか)でも無い、あの流星と云うものは何んだか気味の悪いもので、それが落ちたと覚(おぼ)しき場所へは、余程の勇士でも其夜(そのよ)直(す)ぐに行くのは厭(いや)がると云う、爾(そう)して昔からの口碑(いいつたえ)にも、流星の消えた場所には何か不思議な物が落ちて居ると云われて居る、夫れは本当か嘘(うそ)か分らぬが、兎に角今あの淋(さび)しい森林の中へは流星が落ちた、和女(そなた)等(ら)は未(ま)だあの森林の中へ入った事はあるまいが、随分変った場所だから、誰でも今夜あの森林を一番奥まで探検して、果して其様(そん)な不思議な物が落ちて居るか否か、最も正確に林中の模様を私(わし)に報告した者をば、今夜一番勇ましい振舞をした者と認め、私は玉村侯爵に代り此(この)腕環を与える事としよう」
「まあ厭な試験方法ですこと」と、一番目の娘も二番目の娘も叫んだ。
「厭なら仕方が無い、権利を放棄(ほうき)する迄(まで)さ、其代り此腕環を貰(もら)う事は出来ないぞ」
 腕環の貰えぬのは閉口である、「それなら参りましょう」と二人共答えた。
 伯爵は三番目の娘の露子(つゆこ)に向って、
「露子、和女(そなた)は何うじゃ」
 露子は此時初めて口を開き、
「ハイ、妾(わたし)何んだか恐(こわ)い様に思いますけど、阿父様の仰(おっ)しゃる事なら参りましょう」
 斯(か)くて相談は定(き)まり、三人の娘は一人ずつ流星の落ちた森林を探検する事となった。
 先(ま)ず一番先に出かけたのは一番目の娘であったが、唯(た)だ一人小さい角燈を下げて家を出ると、朧月夜に風寒く、家を離れれば離れる程四辺(あたり)は淋しくなって、やがて森林の側(そば)まで来て見れば、林中は真暗で何んだか化物(ばけもの)でも潜んで居るよう、何うしても踏み込んで探検する気にはなれず、一歩進んでは二歩退き、二歩進んでは三歩退き、其間に独り思うには、此林中には立木と草のあるばかり、流星が此処(ここ)で消えたとて何んの不思議な物が落ちて居るものか、好奇(ものずき)に此様(こん)な気味の悪い森林に入るよりは此儘(このまま)此処から家に帰り、阿父様に林中の有様を問われたら、森林を残る隈(くま)なく探検しましたが、唯だ立木と草のあるばかりで、不思議な物は少しも見えませんかったと答えよう、此方が余程利口であると、娘の癖に狡猾(ずる)い事を考え、来る時の足の遅さとは反対に、飛ぶ様に家に帰って来た。
 次に行(い)ったのは二番目の娘であったが、此娘は姉様より更に臆病(おくびょう)なので、森林の側まで行くか行かぬに早や身慄(みぶる)いがし矢張り姉様と同じ様な狡猾い事を考え、一目散に家に帰って来た。

  三 流星の落し物

 今度は三番目の娘露子(つゆこ)の番である、露子とて年若き娘の身の、何んで夜の恐ろしさを感ぜずには居よう、けれど彼女は極(ご)く正直な性質なので、一旦(いったん)父君に森林を探検して来ると約束した以上は、たとえ生命(いのち)を取られても其(その)約束を果さねばならぬと思い、森林の側(そば)まで来た時は夜(よ)もかれこれ十二時に近く、林中には相変らず梟(ふくろう)の鳴声も聴(きこ)えて、其物凄(ものすご)い事は限りもなかったが、露子は意を決して真暗な林中に入って行った、入って見ると、歩行も左程(さほど)困難では無く、彼女は何んでも約束通り探検を果そうと思う一心に小さな角燈の光に路(みち)を照して彼方此方(かなたこなた)[#ルビの「かなたこなた」は底本では「かなたあなた」]と歩いて居る内に森林の入口から凡(およ)そ四五町も来たと覚(おぼ)しき頃(ころ)、前方に当り一個の驚くべき物を発見した、それは地上三尺ばかりの所に、一点の青い光が幽霊火の如(ごと)く輝いて居るのである。
 露子はギョッとして立止った、今頃この淋(さび)しい林中に、あんな光の点(とも)って居る筈(はず)は無い、実に不思議千万である、イヤ不思議なばかりでは無く、誰(だれ)でも恐ろしく思うだろう、露子は最(も)う此処(ここ)から逃げ帰ろうかと考えたけれど、夫(そ)れでは充分に探検したものと云(い)われない、彼女は此(この)場合にも父君との約束を胸に浮べ、妖怪(ようかい)であれ幽霊であれ、是非その正体を見届けねばならぬと決心し、静かに歩んで彼(か)の青い光の直(す)ぐ側に行って見ると、更に意外である、幽霊火と見えたのは其様(そん)な恐ろしい物では無く、一個の青色球燈が樹(き)の枝に吊(つる)してあり、其真下の地面には、青い光に照されて、一尺四方ばかりの奇妙な箱が置いてあった。
「オヤ不思議だこと、先刻(さっき)の流星が此様(こん)な物を落して行ったのではありますまいか、不思議と云えば此箱こそ実に不思議なもの、持って帰って阿父様(おとうさま)に御覧に入れましょう」と、露子は其箱を持上げて見ると非常に重かったけれど、夫れを両手に抱えて家に帰って来た。
 三人の娘が尽(ことごと)く帰って来たので、父伯爵は一同其居間に呼び、先(ま)ず一番目の娘に向い、
「和女(そなた)は森林を探検して、何も不思議な物を見なかったか」と問えば、一番目の娘は澄ました顔で、
「ハイ、林中には立木と草のあるばかりで、隈(くま)なく探検しても少しも不思議な物は見えませんかった」と答えた、二番目の娘も同じ様に答えた、すると伯爵は三番目の娘に向い、
「和女(そなた)も矢張り不思議な物を見なかったか」
 と云うと、三番目の娘露子は、携えて来た彼の奇妙な箱を室(へや)の隅から持出し、
「阿父様、不思議と云えば不思議でしょう、此様(こん)な箱が森林の中に落ちて居りました」と答えた。
 伯爵は其箱を見、この答えを聴くより、忽(たちま)ち露子の腕を取って、其腕に玉村(たまむら)侯爵から贈って来た腕環(うでわ)を嵌(は)め満面に溢(あふ)るるばかりの笑(えみ)を湛(たた)えて、
「露子こそ最も勇ましき振舞をしたものだ、此腕環は和女の物である、爾(そ)して此箱も私(わし)が好奇(ものずき)の玉村侯爵の申込により、あの淋しい森林中に置いて、和女等三人の内、誰が一番勇ましいかを試したもの、侯爵の書面に『この腕環を得し人は、同時に更に多くの宝物を得べき幸運を有す』とあったのは、即(すなわ)ち勇気ある者が、此箱を取る事が出来ると云う事を意味するのだ、私(わし)は一つ此箱を開けて見せよう、之(こ)れも総(すべ)て露子の物である」と云いつつ、隠袋(ポケット)から鍵(かぎ)を取出して其箱を開けば、中から出て来たのは、金銀宝玉の装飾品数十種、いずれも眩(まばゆ)きばかりの珍品である。
 一番目の娘も二番目の娘も、森林を探検し得なかった臆病(おくびょう)が露顕して真赤になった。
 明日(あした)はお正月! 露子は何(ど)の様に楽しい事であろう。




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