源氏物語
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著者名:紫式部 

ほど近き法(のり)の御山(みやま)をたのみたる女郎花(をみなへし)かと見ゆるなりけれ    (晶子)
 そのころ比叡(ひえ)の横川(よかわ)に某僧都(なにがしそうず)といって人格の高い僧があった。八十を越えた母と五十くらいの妹を持っていた。この親子の尼君が昔かけた願果たしに大和(やまと)の初瀬(はせ)へ参詣(さんけい)した。僧都は親しくてよい弟子(でし)としている阿闍梨(あじゃり)を付き添わせてやったのであって、仏像、経巻の供養を初瀬では行なわせた。そのほかにも功徳のことを多くして帰る途中の奈良坂(ならざか)という山越えをしたころから大尼君のほうが病気になった。このままで京へまで伴ってはどんなことになろうもしれぬと、一行の人々は心配して宇治の知った人の家へ一日とまって静養させることにしたが、容体が悪くなっていくようであったから横川へしらせの使いを出した。僧都は今年(ことし)じゅう山から降りないことを心に誓っていたのであったが、老いた母を旅中で死なせることになってはならぬと胸を騒がせてすぐに宇治へ来た。ほかから見ればもう惜しまれる年齢でもない尼君であるが、孝心深い僧都は自身もし、また弟子の中の祈祷(きとう)の効験をよく現わす僧などにも命じていたこの客室での騒ぎを家主は聞き、その人は御嶽(みたけ)参詣のために精進潔斎(しょうじんけっさい)をしているころであったため、高齢の人が大病になっていてはいつ死穢(しえ)の家になるかもしれぬと不安がり、迷惑そうに蔭(かげ)で言っているのを聞き、道理なことであると気の毒に思われたし、またその家は狭く、座敷もきたないため、もう京へ伴ってもよいほどに病人はなっていたが、陰陽道(おんようどう)の神のために方角がふさがり、尼君たちの住居(すまい)のほうへは帰って行かれぬので、お亡(かく)れになった朱雀(すざく)院の御領で、宇治の院という所はこの近くにあるはずだと僧都は思い出し、その院守(いんもり)を知っていたこの人は、一、二日宿泊をさせてほしいと頼みにやると、ちょうど昨日初瀬へ家族といっしょに行ったと言い、貧相な番人の翁(おきな)を使いは伴って帰って来た。
「おいでになるのでございましたらがらっとしております寝殿をお使いになるほかはございませんでしょう。初瀬や奈良へおいでになる方はいつもそこへお泊まりになります」
 と翁は言った。
「それでけっこうだ。官有の邸(やしき)だけれどほかの人もいなくて気楽だろうから」
 僧都はこう言って、また弟子を検分に出した。番人の翁はこうした旅人を迎えるのに馴(な)れていて、短時間に簡単な設備を済ませて迎えに来た。僧都は尼君たちよりも先に行った。非常に荒れていて恐ろしい気のする所であると僧都はあたりをながめて、
「坊様たち、お経を読め」
 などと言っていた。初瀬へついて行った阿闍梨と、もう一人同じほどの僧が何を懸念(けねん)したのか、下級僧にふさわしく強い恰好(かっこう)をした一人に炬火(たいまつ)を持たせて、人もはいって来ぬ所になっている庭の後ろのほうを見まわりに行った。森かと見えるほど繁(しげ)った大木の下の所を、気味の悪い場所であると思ってながめていると、そこに白いものの拡(ひろ)がっているのが目にはいった。あれは何であろうと立ちどまって炬火を明るくさせて見ると、それはすわった人の姿であった。
「狐(きつね)が化けているのだろうか。不届な、正体を見あらわしてやろう」
 と言った一人の阿闍梨は少し白い物へ近づきかけた。
「およしなさい。悪いものですよ」
 もう一人の阿闍梨はこう言ってとめながら、変化(へんげ)を退ける指の印を組んでいるのであったが、さすがにそのほうを見入っていた。髪の毛がさかだってしまうほどの恐怖の覚えられることでありながら、炬火を持った僧は無思慮に大胆さを見せ、近くへ行ってよく見ると、それは長くつやつやとした髪を持ち、大きい木の根の荒々しいのへ寄ってひどく泣いている女なのであった。
「珍しいことですね。僧都様のお目にかけたい気がします」
「そう、不思議千万なことだ」
 と言い、一人の阿闍梨は師へ報告に行った。
「狐が人に化けることは昔から聞いているが、まだ自分は見たことがない」
 こう言いながら僧都は庭へおりて来た。
 尼君たちがこちらへ移って来る用意に召使の男女がいろいろの物を運び込む騒ぎの済んだあとで、ただ四、五人だけがまた庭の怪しい物を見に出たが、さっき見たのと少しも変わっていない。怪しくてそのまま次の刻に移るまでもながめていた。
「早く夜が明けてしまえばいい。人か何かよく見きわめよう」
 と言い、心で真言(しんごん)の頌(じゅ)を読み、印を作っていたが、そのために明らかになったか、僧都は、
「これは人だ。決して怪しいものではない。そばへ寄って聞いてみるがよい。死んではいない。あるいはまた死んだ者を捨てたのが蘇生(そせい)したのかもしれぬ」
 と言った。
「そんなことはないでしょう。この院の中へ死人を人の捨てたりすることはできないことでございます。真実の人間でございましても、狐とか木精(こだま)とかいうものが誘拐(ゆうかい)してつれて来たのでしょう。かわいそうなことでございます。そうした魔物の住む所なのでございましょう」
 と一人の阿闍梨は言い、番人の翁を呼ぼうとすると山響(やまびこ)の答えるのも無気味であった。翁は変な恰好(かっこう)をし、顔をつき出すふうにして出て来た。
「ここに若い女の方が住んでおられるのですか。こんなことが起こっているが」
 と言って、見ると、
「狐の業(わざ)ですよ。この木の下でときどき奇態なことをして見せます。一昨年(おととし)の秋もここに住んでおります人の子供の二歳(ふたつ)になりますのを取って来てここへ捨ててありましたが、私どもは馴(な)れていまして格別驚きもしませんじゃった」
「その子供は死んでしまったのか」
「いいえ、生き返りました。狐はそうした人騒がせはしますが無力なものでさあ」
 なんでもなく思うらしい。
「夜ふけに召し上がりましたもののにおいを嗅(か)いで出て来たのでしょう」
「ではそんなものの仕事かもしれん。まあとっくと見るがいい」
 僧都は弟子たちにこう命じた。初めから怖気(おじけ)を見せなかった僧がそばへ寄って行った。
「幽鬼(おに)か、神か、狐か、木精(こだま)か、高僧のおいでになる前で正体を隠すことはできないはずだ、名を言ってごらん、名を」
 と言って着物の端を手で引くと、その者は顔を襟(えり)に引き入れてますます泣く。
「聞き分けのない幽鬼(おに)だ。顔を隠そうたって隠せるか」
 こう言いながら顔を見ようとするのであったが、心では昔話にあるような目も鼻もない女鬼(めおに)かもしれぬと恐ろしいのを、勇敢さを人に知らせたい欲望から、着物を引いて脱がせようとすると、その者はうつ伏しになって、声もたつほど泣く。何にもせよこんな不思議な現われは世にないことであるから、どうなるかを最後まで見ようと皆の思っているうちに雨になり、次第に強い降りになってきそうであった。
「このまま置けば死にましょう。垣根(かきね)の所へまででも出しましょう」
 と一人が言う。
「真の人間の姿だ。人間の命のそこなわれるのがわかっていながら捨てておくのは悲しいことだ。池の魚、山の鹿(しか)でも人に捕えられて死にかかっているのを助けないでおくのは非常に悲しいことなのだから、人間の命は短いものなのだからね、一日だって保てる命なら、それだけでも保たせないではならない。鬼か神に魅入(みい)られても、また人に置き捨てにされ、悪だくみなどでこうした目にあうことになった人でも、それは天命で死ぬのではない、横死(おうし)をすることになるのだから、御仏(みほとけ)は必ずお救いになるはずのものなのだ。生きうるか、どうかもう少し手当をして湯を飲ませなどもして試みてみよう。それでも死ねばしかたがないだけだ」
 と僧都(そうず)は言い、その強がりの僧に抱かせて家の中へ運ばせるのを、弟子たちの中に、
「よけいなことだがなあ。重い病人のおられる所へ、えたいの知れないものをつれて行くのでは穢(けが)れが生じて結果はおもしろくないことになるがなあ」
 と非難する者もあった。また、
「変化(へんげ)のものであるにせよ、みすみすまだ生きている人をこんな大雨に打たせて死なせてしまうのはあわれむべきことだから」
 こう言う者もあった。下(しも)の者は物をおおぎょうに言いふらすものであるからと思い、あまり人の寄って来ない陰のほうの座敷へ拾った人を寝させた。
 尼君たちの車が着き、大尼君がおろされる時に苦しがると言って皆は騒いだ。
 少し静まってから僧都は弟子に、
「あの婦人はどうなったか」
 と問うた。
「なよなよとしていましてものも申しません。確かによみがえったとも思われません。何かに魂を取られている人なのでしょう」
 こう答えているのを僧都の妹の尼君が聞いて、
「何でございますの」
 と尋ねた。こんなことがあったのだと僧都は語り、
「自分は六十何年生きているがまだ見たこともないことにあった」
 と言うのを聞いて、尼君は、
「まあ、私が初瀬(はせ)でお籠(こも)りをしている時に見た夢があったのですよ。どんな人なのでしょう、ともかく見せてください」
 泣きながら尼君は言うのであった。
「すぐその遣戸(やりど)の向こう側に置きましたよ。すぐ御覧なさい」
 兄の言葉を聞いて尼君は急いでそのほうへ行った。だれもそばにいず打ちやられてあった人は若くて美しく、白い綾(あや)の服一重ねを着て、紅の袴(はかま)をはいていた。薫香(くんこう)のにおいがかんばしくついていてかぎりもなく気品が高い。自分の恋い悲しんでいる死んだ娘が帰って来たのであろうと尼君は言い、女房をやって自身の室(へや)へ抱き入れさせた。発見された場所がどんな無気味なものであったかを知らない女たちは、恐ろしいとも思わずそれをしたのである。生きているようでもないが、さすがに目をほのかにあけて見上げた時、
「何かおっしゃいよ。どんなことでこんなふうになっていらっしゃるのですか」
 と尼君は言ってみたが、依然失心状態が続く。湯を持って来させて自身から口へ注ぎ入れなどするが、衰弱は加わっていくばかりと見えた。
「この人を拾うことができて、そしてまた死なせてしまう悲しみを味わわなければならぬだろうか」
 と尼君は言い、
「この人は死にそうですよ。加持をしてください」
 と初瀬へ行った阿闍梨(あじゃり)へ頼んだ。
「だからむだな世話焼きをされるものだと言ったことだった」
 この人はつぶやいたが、憑(つ)きもののために経を読んで祈っていた。僧都もそこへちょっと来て、
「どうかね。何がこうさせたかをよく物怪(もののけ)を懲らして言わせるがよい」
 と言っていたが、女は弱々しく今にも消えていく命のように見えた。
「むずかしいらしい。思いがけぬ死穢(しえ)に触れることになって、われわれはここから出られなくなるだろうし、身分のある人らしく思われるから、死んでもそのまま捨てることはならないだろう。困ったことにかかり合ったものだ」
 弟子たちはこんなことを言っているのである。
「まあ静かにしてください。人にこの人のことは言わないでくださいよ。めんどうが起こるといけませんから」
 と口固めをしておいて、尼君は親の病よりもこの人をどんなにしても生かせたいということで夢中になり、親身の者のようにじっと添っていた。知らない人であったが、容貌(ようぼう)が非常に美しい人であったから、このまま死なせたくないと惜しんで、どの女房も皆よく世話をした。さすがにときどきは目をあけて見上げなどするが、いつも涙を流しているのを見て、
「まあ悲しい。私の恋しい死んだ子の代わりに仏様が私の所へ導いて来てくだすった方だと思って私は喜んでますのに、このままになってはかえって以前にました物思いをする私になるでしょう。宿縁があればこそこうして出逢うことになったあなたと私に違いないのですよ。なんとか少しでもものをお言いなさいよ」
 こう長々と言われたあとで、やっと、
「生きることができましても、私はもうこの世にいらない人間でございます。人に見せないでこの川へ落としてしまってください」
 低い声で病人は言った。何にもせよ珍しくものを言いだしたことをうれしく尼君は思った。
「悲しいことを、まあどうしてそんなことをお言いになりますの、どうしてそんな所に来ておいでになったの」
 と尋ねても、もうそれきり何も言わなかった。身体(からだ)にひょっと傷でもできているのではないかと思って調べてみたが、疵(きず)らしい疵もなく、ただ美しいばかりであったから、心は驚きに満たされ、さらに悲しみを覚え、実際兄の弟子たちの言うように、変化(へんげ)のものであってしばらく人の心を乱そうがためにこんな姿で現われたのではないかと疑われもした。
 一行は二日ほどここに滞留していて、老尼と拾った若い貴女(きじょ)のために祈りをし、加持をする声が絶え間もなく聞こえていた。宇治の村の人で、僧都に以前仕えたことのあった男が、宇治の院に僧都が泊まっていると聞いて訪(たず)ねて来ていろいろと話をするのを聞いていると、
「以前の八の宮様の姫君で、右大将が通って来ておいでになった方が、たいした御病気でもなしににわかにお亡(かく)れになったといってこの辺では騒ぎになっております。そのお葬式のお手つだいに行ったりしたものですから昨日は伺うことができませんでした」
 こんなことも言っている。そうした貴女の霊魂を鬼が奪って持って来たのがこの人ではあるまいかと思われた尼君は、今は目に見ているが跡形もなく消えてしまう人のように思われ、危うくも恐ろしくも拾った姫君を思った。女房らが、
「昨夜ここから見えた灯(ひ)はそんな大きい野べ送りの灯とも見えなんだけれど」
 と言うと、
「わざわざ簡単になすったのですよ」
 こんな説明をした。死穢に触れた男であるから病人の家に近づかせてはならないと言い、立ち話をさせただけで追い返した。
「大将さんが八の宮の姫君を奥様にしていらっしゃったのは、お亡(な)くなりになってもうだいぶ時がたっていることだのに、だれのことをいうのだろう。姫宮と結婚をしておいでになる方だから、そんな隠れた愛人などをお持ちになるはずもないことだし」
 とも尼君は言っていた。
 大尼君の病気は癒(い)えてしまった。それに方角の障(さわ)りもなくなったことであるから、こうした怪異めいたことを見る所に長くいるのはよろしくないといって、僧都の一行は帰ることになった。拾った貴女はまだ弱々しく見えた。途中が心配である、いたいたしいことであると女房たちは言い合っていた。二つの車の一台の僧都と大尼君の乗ったのにはその人に奉仕している尼が二人乗り、次の車には尼夫人が病の人を自身とともに乗せ、ほかに一人の女房を乗せて出た。車をやり通させずに所々でとめて病人に湯を飲ませたりした。比叡(ひえ)の坂本(さかもと)の小野という所にこの尼君たちの家はあった。そこへの道程(みちのり)は長かった。途中で休息する所を考えておけばよかったと言いながらも小野の家へ夜ふけになって帰り着いた。僧都は母を、尼君はこの知らぬ人を世話して皆抱きおろして休ませた。
 老いた尼君はいつもすぐれた健康を持っているのではない上、遠い旅をしたあとであったから、その後しばらくはわずらっていたもののようやく快癒(かいゆ)したふうの見えたために僧都は横川(よかわ)の寺へ帰った。身もとの知れない若い女の病人を伴って来たというようなことは僧としてよい噂(うわさ)にならぬことであったから、初めから知らぬ人には何も話さなかった。尼君もまた同行した人たちに口固めをしているのであって、もし捜しに来る人もあったならばと思うことがこの人を不安にしていた。どうしてあの田舎人ばかりのいる所にこの人がこぼされたように落ちていたのであろう、初瀬へでも参詣(さんけい)した人が途中で病気になったのを継母(ままはは)などという人が悪意で捨てさせたのであろうと、このごろではそんな想像をするようになった。河(かわ)へ流してほしいと言った一言以外にまだ今まで何も言わないのであったからたよりなく思った。そのうち健康(じょうぶ)にさせて手もとで養うことにしたいと尼君は願っているのであるが、いつまでも寝たままで起き上がれそうにもなく、重態な様子でその人はいたから、このまま衰弱して死んでしまうのではなかろうかと思われはするものの無関心にはなれそうもなかった。初瀬で見た夢の話もして、宇治で初めから祈らせていた阿闍梨にも尼君はそっと祈祷(きとう)をさせていた。それでもはかばかしくないことに気をもんで尼君は僧都の所へ手紙を書いた。
ぜひ下山してくださいまして私の病人を助けてくださいまし。重態なようでしかも今日まで死なずにいることのできた人には、何かがきっと憑(つ)いていて禍(わざわ)いをしているものらしく思われます。私の仏のお兄様、京へまでお出になるのはよろしくないかもしれませんが、ここへまでおいでくださるだけのことはお籠(こも)りに障(さわ)ることでもないではございませんか。
 などと、切な願いを言い続けたものであった。不思議なことである、今までまだ死なずにおられた人を、あの時うちやっておけばむろん死んだに違いない、前生の因縁があったからこそ、自分が見つけることにもなったのであろう、試みにどこまでも助けることに骨を折ってみよう、それでとめられない命であったなら、その人の業が尽きたのだとあきらめてしまおうと僧都は思って山をおりた。
 うれしく思った尼君は僧都を拝みながら今までの経過を話した。
「こんなに長わずらいをする人というものはどこかしら病人らしい気味悪さが自然にでてくるものですが、そんなことはないのでございますよ。少しも衰えたふうはなくて、きれいで清らかなのですよ。そうした人ですから危篤にも見えながら生きられるのでしょうね」
 尼君は真心から病人を愛して泣く泣く言うのであった。
「はじめ見た時から珍しい美貌(びぼう)の人だったね。どんなふうでいます」
 と言い、僧都は病室をのぞいた。
「実際この人はすぐれた麗人だね。前生での功徳(くどく)の報いでこうした容姿を得て生まれたのだろうが、また宿命の中にどんな障(さわ)りがあってこんな目にあうことになったのだろう。何かほかから思いあたるような話を聞きましたか」
「少しもございません。そんなことを考える必要はないと思います。私へ初瀬(はせ)の観音様がくだすった人ですもの」
 と尼君は言う。
「それにはそれの順序がありますよ。虚無から人の出てくるものではないからね」
 などと僧都(そうず)は言い、不思議な女性のために修法を始めた。宮中からのお召しさえ辞退して山にこもっている自分が、だれとも知らぬ女のために自身で祈祷(きとう)をしていることが評判になっては困ることであると僧都も思い、弟子たちも言って、修法の声を人に聞かすまいと隠すようにした。いろいろと非難がましく言う弟子たちに僧都は、
「静かにするがよい。自分は無慚(むざん)の僧で、御仏(みほとけ)の戒めを知らず知らず破っていたことも多かったであろうが、女に関することだけではまだ人の譏(そし)りを受けず、みずから認める過失はなかった。年六十を過ぎた今になって世の非難を受けてもしかたのないことに関与するのも、前生からの約束事だろう」
 と言った。
「悪口好きな人たちに悪く解釈され、評判が立ちますればそれが根本の仏法の疵(きず)になることでございましょう」
 快く思っていない弟子はこんな答えをした。自分のする修法の間に効験のない場合にはと非常な決心までもして夜明けまで続けた加持のあとで、他の人に物怪(もののけ)を移し、どんなものがこうまで人を苦しめるかと話をさせるため、弟子の阿闍梨(あじゃり)がとりどりにまた加持をした。そうしていると先月以来少しも現われて来なかった物怪が法に懲らされてものを言いだした。
「自分はここへまで来て、こんなに懲らされるはずの者ではない。生きている時にはよく仏の勤めをした僧であったが、少しの憾(うら)みをこの世に遺(のこ)したために、成仏ができずさまよい歩くうちに、美しい人の幾人もいる所へ住みつくことになり、一人は死なせてしまったが、この人は自身から人生を恨んで、どうしても死にたいということを夜昼言っていたから、自分の近づくのに都合がよくて、暗い晩に一人でいたのを取って来たのだ。けれども観音がいろいろにして守っておられるため、とうとうこの僧都に負けてしまった。もう帰る」
 叫ぶようにこれは言われたのである。
「そう言う者はだれか」
 と問うたが、移してあった人が単純な者でわきまえの少なかったせいか、それをつまびらかに言うことをなしえなかった。
 浮舟(うきふね)の姫君はこの時気分が癒(なお)り、意識が少し確かになって見まわすと、一人として知った顔はなく、皆老いた僧、顔のゆがんだ尼たちだけであったから、未知の国へ来た気がして非常に悲しくなった。以前のことを思い出そうとするが、どこに住んでいたとも、何という人で自分があったかということすらしかと記憶から呼び出すことができないのであった。ただ自分は入水(じゅすい)する決心をして身を投げに行ったということが意識に上ってきた。そしてどこへ来たのであろうとしいて過去を思い出してみると、生きていることがもう堪えがたく悲しいことに思われて、家の人の寝たあとで妻戸をあけて外へ出てみると、風が強く吹いていて川波の音響も荒かったため、一人であることが恐ろしくなり、前後も考えて見ず縁側から足を下へおろしたが、どちらへ向いて行ってよいかもわからず、今さら家の中へ帰って行くこともできず、気強く自殺を思い立ちながら、人に見つけられるような恥にあうよりは鬼でも何でも自分を食べて死なせてほしいと口で言いながらそのままじっと縁側によりかかっていた所へ、きれいな男が出て来て、「さあおいでなさい私の所へ」と言い、抱いて行く気のしたのを、宮様と申した方がされることと自分は思ったが、そのまま失心したもののようであった。知らぬ所へ自分をすわらせてその男は消えてしまったのを見て、自分はこんなことになって、目的とした自殺も遂げられなかったと思い、ひどく泣いていたと思うがそれからのことは何も記憶にない。今人々の語っているのを聞くとそれから多くの日がたったようである。どんなに醜態を人の前にさらした自分で、どんなに知らぬ人の介抱(かいほう)を受けてきたのかと思うと恥ずかしく、そしてしまいには今のように蘇生(そせい)をしてしまったのであると思われるのが残念で、かえって失心状態であった今日までは意識してではなくものもときどきは食べてきた浮舟の姫君であったが、今は少しの湯さえ飲もうとしない。
「どうしてそんなにたよりないふうをばかりお見せになりますか。もうずっと発熱することもなくなって、病苦はあなたから去ったように見えるのを私は喜んでいますのに」
 こう言って、尼夫人という緊張した看病人がそばを離れず世話をしていた。他の女房たちも惜しい美貌(びぼう)の浮舟の君の恢復(かいふく)を祈って皆真心を尽くして世話をした。浮舟の心では今もどうかして死にたいと願うのであったが、あのあぶない時にすら助かった人の命であったから、望んでいる死は近寄って来ず、恢復のほうへこの人は運ばれていった。ようやく頭を上げることができるようになり、食事もするようになったころにかえって重い病中よりも顔の痩(や)せが見えてきた。この人の命を取りとめえたことがうれしく、そのうち健康体になるであろうと尼君は喜んでいるのに、
「尼にしてくださいませ、そうなってしまえば生きてもよいという気になれるでしょうから」
 と言い、浮舟は出家を望んだ。
「いたいたしいあなたをどうしてそんなことにされますか」
 と尼君は言い、頭の頂の髪少しを切り、五戒だけを受けさせた。それだけで安心はできないのであるが、賢(さか)しげにしいてそれを実現させてくれとも言えなかった。山の僧都は、
「もう大丈夫です。このくらいのところで快癒を御仏におすがりすることはやめたらいいでしょう」
 と言い残して寺へ帰った。
 予期もせぬ夢のような人が現われたものであるというように尼君は恢復期の浮舟を喜んで、しいて勧めて起こし、髪を自身で梳(す)いてやった。長い病中打ちやられてあった髪であるが、はなはだしくは乱れていないで、まもなく縺(もつ)れもほぐれて梳(す)きおろされてしまうと、つやつやと光沢が出てきれいに見えた。「百年(ももとせ)に一とせ足らぬ九十九髪(つくもがみ)」というような人たちの中へ、目もくらむような美しい天女が降って来たように見えるのも、跡なくかき消される姿ではないかという危うさを尼君に覚えさせることになった。
「なぜあなたに人情がわからないのでしょう。私がどんなにあなたを愛しているかしれないのに、物隠しをしてばかりおいでになりますね。どこの何という家の方で、なぜ宇治というような所へ来ておいでになりましたの」
 尼君から熱心に聞かれて浮舟の姫君は恥ずかしく思った。
「重くわずらっておりましたうちに皆忘れてしまったのでしょうか、どんなふうにどこにいたかを少しも覚えていないのですよ。ただね、私は夕方ごとに庭へ近い所に出て寂しい景色(けしき)をながめていたらしゅうございます。そんな時に近くにあった大木の蔭(かげ)から人が出て来まして私をつれて行ったという気がします。それ以外のことは自分ながらも、だれであるかも思い出されないのですよ」
 と姫君は可憐(かれん)なふうで言い、
「私がまだ生きているということをだれにも知られたくないと思います。それを人が知ってしまっては悲しゅうございます」
 と告げて泣いた。あまり聞かれるのが苦しいふうであったから尼君はそれ以上を尋ねようとしなかった。かぐや姫を竹の中に見つけた翁(おきな)よりも貴重な発見をしたように思われるこの人は、どんな隙(すき)から消えていくかもしれぬということが不安に思われてならぬ尼夫人であった。この家の人も貴族であった。若いほうの尼君は高級官吏の妻であったが、良人(おっと)に死に別れたあとで、一人よりない娘を大事に育てていて、よい公達(きんだち)を婿にすることができ、その世話を楽しんでしていたのであるが、娘は病になって死んだ。それを非常に悲しみ尼になってこの山里へ移って来たのである。忘れる時もなく恋しい娘の形見とも思うことのできる人を見つけたいとつれづれなあまりに願っていた人が、意外な、容貌(ようぼう)も様子も死んだ子にまさった姫君を拾いえたのであったから、現実のことともこれを思うことができず、変わりなしにこの幸福の続いていくかどうかをあやぶみながらもうれしく思っている尼君であった。年はいっているがきれいで、品がよく、身のとりなしにも気高(けだか)いところがあった。ここは浮舟のいた宇治の山荘よりは水の音も静かで優しかった。庭の作りも雅味があって、木の姿が皆よく、前の植え込みの灌木(かんぼく)や草も上手(じょうず)に作られてあった。
 秋になると空の色も人の哀愁をそそるようになり、門前の田は稲を刈るころになって、田舎(いなか)らしい催し事をし、若い女は唄(うた)を高声に歌ってはうれしがっていた。引かれる鳴子の音もおもしろくて浮舟は常陸(ひたち)に住んだ秋が思い出されるのであった。同じ小野ではあるが夕霧の御息所(みやすどころ)のいた山荘などよりも奥で、山によりかかった家であったから、松影が深く庭に落ち、風の音も心細い思いをさせる所で、つれづれになってはだれも勤行ばかりをする仏前の声が寂しく心をぬらした。尼君は月の明るい夜などに琴を弾(ひ)いた。少将の尼という人は琵琶(びわ)を弾いて相手を勤めていた。
「音楽をなさいますか。でなくては退屈でしょう」
 と尼君は姫君に言っていた。昔も母の行く国々へつれまわられていて、静かにそうしたものの稽古(けいこ)をする間もなかった自分は風雅なことの端も知らないで人となった、こんな年のいった人たちさえ音楽の道を楽しんでいるのを見るおりおりに浮舟(うきふね)の姫君はあわれな過去の自身が思い出されるのであった。そして何の信念も持ちえなかった自分であったとはかなまれて、手習いに、

身を投げし涙の川の早き瀬にしがらみかけてたれかとどめし

 こんな歌を書いていた。よいことの拾い出せない過去から思えば将来も同じ薄命道を続けて歩んで行くだけであろうと自身がうとましくさえなった。
 月の明るい夜ごとに老いた女たちは気どった歌を詠(よ)んだり、昔の思い出話をするのであったが、その中へ混じりえない浮舟の姫君はただつくづくと物思いをして、

われかくて浮き世の中にめぐるともたれかは知らん月の都に

 こんな歌も詠まれた。自殺を決意した時には、もう一度逢いたく思った人も多かったが、他の人々のことはそう思い出されもしない。母がどんなに悲しんだことであろう。乳母(めのと)がどうかして自分に人並みの幸福を得させたいとあせっていたかしれぬのにあの成り行きを見て、さぞ落胆をしたことであろう、今はどこにいるだろう、自分がまだ生きていると知りえようはずがない、気の合った人もないままに、主従とはいえ隔てのない友情を持ち合ったあの右近(うこん)のこともおりおりは思い出される浮舟であった。若い女がこうした山の家に世の中をあきらめて暮らすことは不可能なことであったから、そうした女房はいず、長く使われている尼姿の七、八人だけが常の女房であった。その人たちの娘とか孫とかいう人らで、京で宮仕えをしているのも、また普通の家庭にいるのも時々出て来ることがあった。そうした人が宇治時代の関係者の所へ出入りすることもあって、自分の生きていることが宮にも大将にも知れることになったならきわめて恥ずかしいことである、ここへ来た経路についてどんな悪い想像をされるかもしれぬ、過去において正しく踏みえた人の道ではなかったのであるからと思う羞恥(しゅうち)心から、姫君は京の人たちには決して姿を見せることをしなかった。尼君は侍従という女房とこもきという童女を姫君付きにしてあった。容貌も性質も昔日の都の女たちにくらべがたいものであった。何につけても人の世とは別な世界というものはこれであろうと思われる。こんなふうに人にかくれてばかりいる浮舟を、この人の言うとおりにめんどうなつながりを世間に持っていて、それからのがれたい理由(わけ)が何ぞあるのであろうと尼君も今では思うようになって、くわしいことは家の人々にも知らせないように努めていた。
 尼君の昔の婿は現在では中将になっていた。弟の禅師が僧都の弟子になって山にこもっているのを訪(たず)ねに兄たちはよく寺へ上った。横川(よかわ)へ行く道にあたっているために中将はときどき小野の尼君を訪ねに寄った。前払(さきばら)いの声が聞こえ、品のよい男が門をはいって来るのを、家からながめて浮舟の姫君は、いつでも目だたぬふうにしてあの宇治の山荘へ来た薫(かおる)の幻影をさやかに見た。心細い家ではあるが住みなれた人は満足して、きれいにあたりが作ってあって、垣(かき)に植えた撫子(なでしこ)も形よく、女郎花(おみなえし)、桔梗(ききょう)などの咲きそめた植え込みの庭へいろいろの狩衣(かりぎぬ)姿をした若い男たちが付き添い、中将も同じ装束ではいって来たのであった。
 南向きの座敷へ席が設けられたのでそこへすわり、沈んだふうを見せてその辺を見まわしていた。年は二十七、八で、整った男盛りと見え、あさはかでなく見せたい様子を作っていた。尼君は隣室の襖子(からかみ)の口へまで来て対談した。少し泣いたあとで、
「過ぎた月日の長くなりましたことで、あの時代といいますものが遠い世のような気がいたされながら、おいでくださいますのを山里に添えられる光明のように思われまして、今でもあなたをお待ちすることが心から離れませんのを不思議に思っております」
 と言うのを聞いて、中将は湿った気持ちになり、
「昔のことの思われない時もないのですが、世の中から離脱したことを標榜(ひょうぼう)しておいでになるような今の御生活に対して、古いことにとらわれている自分が恥ずかしくって、お訪ねいたすのも怠りがちになってしまいました。山ごもりをしている弟もまたうらやましくなり、僧都(そうず)のお寺へはよくまいるのですが、ぜひ同行したいという人が多いものですから、お寄りするのを妨げられる結果になりまして、失礼もしましたが、今日は都合よくその連中を断わって来ました」
 と言っていた。
「山ごもりをおうらみになったりしては、かえって近ごろの流行かぶれに思われますよ。昔をお忘れにならないお志は現代の風潮と変わったありがたいことと、お噂(うわさ)を聞いて思うことが多うございます」
 などと言うのは尼君であった。ついて来た人々に水飯(すいはん)が饗応(きょうおう)され、中将には蓮(はす)の実などを出した。そんな間食をしたりすることもここでは遠慮なくできる中将であったから、おりから俄雨(にわかあめ)の降り出したのにも出かけるのをとめられて尼君となおもしみじみとした話をかわしていた。娘を失ったことよりも情のこまやかであったこの婿君を家の人でなくしてしまったことが、より以上尼君に悲痛なことであって、娘はなぜ忘れ形見でも残していかなかったかとそれを歎いている心から、たまさかにこうして中将の訪問を受けるのは非常な悦(よろこ)びであったから、大事な秘密としていることもつい口へ出てしまうことになりそうであった。
 浮舟の姫君は昔について尼君とは異なった悲しみを多く覚え、庭のほうをながめ入っている顔が非常に美しい。同じ白といってもただ白い一方でしかない、目に情けなく見える単衣(ひとえ)に、袴(はかま)も檜皮(ひはだ)色の尼の袴を作りなれたせいか黒ずんだ赤のを着けさせられていて、こんな物も昔着た物に似たところのないものであると姫君は思いながら、そのこわごわとしたのをそのまま着た姿もこの人だけには美しい感じに受け取れた。女房たちが、
「このごろはお亡(かく)れになった姫君が帰っておいでになった気がしているのに、中将様さえも来ておいでになってはいよいよその時代が今であるような錯覚が起こりますね。できるならば昔どおりにこの姫君と御夫婦におさせしたい、よくお似合いになるお二人でしょう」
 こんなことを言っているのも浮舟の耳にはいった。思いも寄らぬことである、普通の女の生活に帰って、どんな人とにもせよ結婚をすることなどはしようと思わない、それによって自分はただ昔を思うばかりの人になるであろうから、もうそうした身の上には絶対になるまい、そして昔を忘れたいと浮舟の姫君は思った。
 尼君が内へ引っ込んだあとで、中将は降りやまぬ雨をながめることに退屈を覚え、少将といった人の声に聞き覚えがあってそばへ呼び寄せた。
「昔のなじみの人たちは今も皆ここにおられるのであろうかと、思ってみる時があっても、こうした御訪問も自然できなくなってしまっている私を、薄情なようにも皆さんは思っておられるでしょう」
 こんなことを中将は言った。親しく中将にも仕えていた女房であったから、昔の妻についての思い出話をしたあとで、
「私がさっき廊の端を通ったころに、風がひどく吹いていて、簾(すだれ)が騒がしく動く紛れに、その合い間から、普通の女房とは思われない人の後ろへ引いた髪が見えたから、尼様たちのお住居(すまい)にだれが来ておられるのかと驚きましたよ」
 と中将が言いだした。姫君が立って隣室へお行きになった後ろ姿を見たのであろうと少将は思い、まして細かに見せたなら多大に心の惹(ひ)かれることであろう、あの方に比べれば昔の方はずっと劣っておいでになったのであるが、まだ忘られぬように恋しがっている人であるからと少将は心に思い、ひとり決めではなやかに事の発展していくことを予期して、
「お亡(かく)れになった姫君のことがお忘れになれませんで困っていらっしゃいます時に、思いがけぬ姫君をお見つけになりまして、今では明け暮れの慰めにして奥様がお世話をしておいでになるのですが、そのお姿を不思議にお目におとめになりましたのでございますね」
 こう語った。そんなおもしろい事実があったのかと興味のわいてきた中将は、どうした家の娘であろう、それとなく今少将が言うとおりに美しい人らしくほのかに見ただけの人からかえって深い印象の与えられたのを中将は感じた。くわしく聞こうとするのであるが、少将は事実をそのまま告げようとはせずに、
「そのうちおわかりになるでしょう」
 とだけ言っているのに対して、にわかに質問をしつこくするのも恥ずかしくなり、従者が、
「雨もやみました。日が暮れるでしょうから」
 と促(うなが)す声のままに中将は出かけようとするのであった。縁側を少し離れた所に咲いた女郎花(おみなえし)を手に折って「何にほふらん」(女郎花人のもの言ひさがにくき世に)と口ずさんで立っていた。
「人から何とか言われるのをさすがに恐れておいでになるのですね」
 などと古めかしい人らはそれをほめていた。
「ますますきれいにおなりになってりっぱだね。できることなら昔どおりの間柄になってつきあいたい」
 と尼君も言っているのであった。
「藤(とう)中納言のお家(うち)へは始終通っておいでになると見せておいでになって、気に入った奥さんでないらしくてね、お父様のお邸(やしき)に暮らしておいでになることのほうが多いということだね」
 こんな話も女房相手にしてから、浮舟へ、
「あなたはまだ私に隔て心を持っておいでになるのが恨めしくてなりませんよ。もう何事も宿命によるのだとあきらめておしまいになって、晴れ晴れしくなってくださいよ。この五、六年片時も忘れることができなくて悲しい悲しいと思っていた人のことも、あなたという方をそばで見るようになってからは忘れてしまいましたよ私は。あなたをお愛しになった方がたがこの世においでになっても、もうあなたはお亡(な)くなりになったものと今ではあきらめておいでになりましょうよ。何のことだってその当時ほどに人は思わないものですからね」
 と言うのを聞くうちにも姫君は涙ぐまれてくるのであった。
「私は何も隔てをお置きする気などはないのですけれども、不思議な蘇生(そせい)をしましてからは、何も皆夢のようにしか思い出せなくなっていまして、別の世界へ生まれた人はこんな気がするものであろうと感じられますから、身寄りというものがこの世にまだあるとも、思っていません私は、あなたの愛だけを頼みにしているのでございます」
 と言う浮舟(うきふね)の顔に純真さが見えてかわいいのを尼君は笑(え)みながら見守っていた。
 山の寺へ着いた中将を僧都も喜んで迎え、いろいろと世上の話を聞いたりした。その夜は宿泊することにして尊い声の出る僧たちに経を読ませて遊び明かした。弟の禅師とこまやかな話をしているうちに中将は、
「小野へ寄って来たがね、身にしむ思いを味わわせられた。出家したあとまであれだけ高雅な趣味のある生活のできる人は少ないだろうね」
 こんなことを言い、続いて、
「風が御簾(みす)を吹き上げた時に、髪の長い美しい人を見た。あらわになったと気のついたように立って行ったが、後ろ姿が平凡な人とは見えなかった。ああした所に若い貴女などは置いていいものでないね。明け暮れ見る人といっては坊様だけだから、のぞく者がないかと使う神経が弛緩(ちかん)してしまうからね、気の毒だよ」
 こんな話をした。
「この春初瀬(はせ)へ詣(まい)って不思議な縁でおつれになった若いお嬢さんだということです」
 禅師は自身の携わった事件でなく知るはずもなかったから細かには言わない。
「かわいそうな人なのだね、どんな家の人だろう。世の中が悲しくなったればこそそうした寺へ来て隠れていたのだろうからね。昔の小説の中のことのようだ」
 と中将は言った。
 翌日山からの帰途にもまた、
「通り過ぎることができぬ気になって」
 こんなことを言って小野の家へ立ち寄った。ここでは迎えることを期していて食事の仕度(したく)もできていた。昔どおりに給仕をする少将の尼の普通に異なった袖口(そでぐち)の色も悪い感じはせず美しく思われた。尼夫人は昨日(きのう)よりもまだひどい涙目になって中将を見た。感謝しているのである。話のついでに中将が、
「このお家(うち)に来ておいでになる若い方はどなたですか」
 と尋ねた。めんどうになるような気はするのであったが、すでに隙見(すきみ)をしたらしい人に隠すふうを見せるのはよろしくないと思った尼君は、
「昔の人のことをあまり心に持っていますのは罪の深いことになると思いまして、ここ幾月か前から娘の代わりに家へ住ませることになった人のことでしょう。どういう理由か沈んだふうでばかりいまして、自分の存在が、人に知れますことをいやがっておりますから、こんな谷底へだれがあなたを捜しに来ますかと私は慰めて隠すようにしてあげているのですが、どうしてその人のことがおわかりになったのでしょう」
「かりに突然求婚者になって現われた私としましても、遠い路(みち)も思わず来たということで特典を与えられなければならないのですからね、ましてあなたが昔の人と思ってお世話をしていらっしゃる方であれば、私の志を昔に継いで受け入れてくだすっていいはずだと思います。どんな理由で人生を悲観していられる方なのですかねえ。慰めておあげしたく思われますよ」
 好奇心の隠せぬふうで中将は言った。帰りぎわに懐紙へ、

あだし野の風になびくな女郎花(をみなへし)われしめゆはん路(みち)遠くとも

 と書いて、少将の尼に姫君の所へ持たせてやった。尼君もそばでいっしょに読んだ。
「返しを書いておあげなさい。紳士ですから、それがあとのめんどうを起こすことになりますまいからね」
 こう勧められても、
「まずい字ですから、どうしてそんなことが」
 と言い、浮舟の聞き入れないのを見て、失礼になることだからと尼君が、
お話しいたしましたように、世間馴(な)れぬ内気な人ですから、

移し植ゑて思ひ乱れぬ女郎花浮き世をそむく草の庵(いほり)に

 と書いて出した。はじめてのことであってはこれが普通であろうと思って中将は帰った。
 中将は小野の人に手紙を送ることもさすがに今さら若々しいことに思われてできず、しかもほのかに見た姿は忘れることができずに苦しんでいた。厭世(えんせい)的になっているのは何の理由であるかはわからぬが哀れに思われて、八月の十日過ぎにはまた小鷹狩(こたかが)りの帰りに小野の家へ寄った。例の少将の尼を呼び出して、
「お姿を少し隙見で知りました時から落ち着いておられなくなりました」
 と取り次がせた。浮舟の姫君は返辞をしてよいことと認めず黙っていると、尼君が、
「待乳(まつち)の山の(たれをかも待乳の山の女郎花秋と契れる人ぞあるらし)と見ております」
 と言わせた。それから昔の姑(しゅうとめ)と婿は対談したのであるが、
「気の毒な様子で暮らしておいでになるとお話しになりました方のことをくわしく承りたく思います。満足のできない生活が続くものですから、山寺へでもはいってしまいたくなるのですが、同意されるはずもない両親を思いまして、そのままにしています私は、幸福な人には自分の沈んだ心から親しんでいく気になれませんが、不幸な人には慰め合うようになりたく思われてなりません」
 中将は熱心に言う。
「不しあわせをお話しになろうとなさいますのには相当したお相手だと思いますけれど、あの方はこのまま俗の姿ではもういたくないということを始終言うほどにも悲観的になっています。私ら年のいった人間でさえいよいよ出家する時には心細かったのですから、春秋に富んだ人に、それが実行できますかどうかと私はあぶながっています」
 尼君は親がって言うのであった。姫君の所へ行ってはまた、
「あまり冷淡な人だと思われますよ。少しでも返辞を取り次がせておあげなさいよ。こんなわび住まいをしている人たちというものは、自尊心は陰へ隠して人情味のある交際をするものなのですよ」
 などと言うのであるが、
「私は人とどんなふうにものを言うものなのか、その方法すら知らないのですもの。私は何の点でも人並みではございません」
 浮舟の姫君はそのまま横になってしまった。中将はあちらで、
「どちらへおいでになったのですか、御冷遇を受けますね。『秋を契(ちぎ)れる』はただ私をおからかいになっただけなのですか」
 などと尼君を恨めしそうに言い、

松虫の声をたづねて来しかどもまた荻原(をぎはら)の露にまどひぬ

 と歌いかけた。
「まあおかわいそうに、歌のお返しでもなさいよ」
 尼夫人はこう姫君に迫るのであったが、そんな恋愛の遊戯めいたことをする気はなく、また一度歌を詠(よ)めば、こうした時々に返しを返しをと責められるであろうことも煩わしいと思う心から、ものも言わずにいるのを見て尼夫人も女房もあまりにふがいない人と思うらしかった。尼君は若い時代に機智(きち)を誇った才女であったのであろう。

「秋の野の露分け来たる狩りごろも葎(むぐら)茂れる宿にかこつな

 迷惑がっておられます」
 と言っているのを、浮舟は聞きながら、こうしたことからまだ自分の世の中にいることが昔の人々に知れ始めることにならないであろうかと苦しく思っていた。姫君の気持ちも知らずに、昔の姫君と同じくこの婿君をもなつかしがることの多い女房たちは、
「ただちょっと深い意味でもなくお立ち寄りになった方ですから、お話をなすってもよろしくない方へ進出しようなどとは大丈夫なさいませんから、御結婚問題などは別にして、好意のある程度のお返辞だけはしておあげなさいまし」
 などと言い、身体(からだ)も引き動かすばかりに言うのであった。さすがに年を取った女たちは尼君が柄にもなく若々しく歌らしくもない歌をいい気で詠(よ)んで中将の相手をしていることは興ざめることと思っているのである。
 なんという不幸な自分であろう、捨てるのに躊躇(ちゅうちょ)しなかった命さえもまだ残っていて、この先どうなっていくのであろう、全く死んだ者として何人(なんびと)からも忘れられたいと思い悩んで、横になったままの姿で浮舟(うきふね)はいた。中将は何かほかにも愁(うれ)わしいことがあるのか、ひどく歎息(たんそく)をして、笛を鳴らしながら「鹿(しか)の鳴く音(ね)に」(山里は秋こそことにわびしけれ鹿の鳴く音に目をさましつつ)などと口ずさんでいる様子は相当な男と見えた。
「ここへまいっては昔の思い出に心は苦しみますし、また新しく私をあわれんでくだすってよい方はその心になってくださらないし『世のうき目見えぬ山路』とも思われません」
 と恨めしそうに言い、帰ろうとした時に、尼君が、
「あたら夜を(あたら夜の月と花とを同じくは心知れらん人に見せばや)お帰りになるのですか」
 と言って、御簾(みす)の所へ出て来た。
「もうたくさんですよ。山里も悲しいものだということがわかりましたから」
 などと中将は言い、新しい姫君へむやみに接近したいふうを見せることもしたくない、ほのかに少し見た人の印象のよかったばかりに、空虚で退屈な心の補いに恋をし始めたにすぎない相手があまりに冷淡に思い上がった態度をとっているのは場所柄にもふさわしくないことであると不快に思われる心から、帰ろうとするのであったが、尼君は笛の音に別れることすらも惜しくて、

深き夜の月を哀れと見ぬ人や山の端(は)近き宿にとまらぬ

 と奥様は仰せられますと取り次ぎで言わせたのを聞くとまたときめくものを覚えた。

山の端に入るまで月をながめ見ん閨(ねや)の板間もしるしありやと

 こんな返しを伝えさせている時、この家の大尼君が、さっきから笛の音を聞いていて、心の惹(ひ)かれるままに出て来た。間で咳(せき)ばかりの出るふるえ声で話をするこの老人はかえって昔のことを言いだしたりはしない。笛を吹く人がだれであるかもわからぬらしい。
「さあそこの琴をあなたはお弾(ひ)きよ。横笛は月夜に聞くのがいいね。どこにいるか、童女たち、琴を奥様におあげなさい」
 と言っている。さっきから大尼君らしいと中将は察して聞いていたのであるが、この家のどこにこうした大年寄が無事に暮らしていたのであろうと思い、老若(ろうにゃく)も差別のない無常の世がこれによってまた思われて悲しまれるのであった。盤渉調(ばんしきちょう)を上手(じょうず)に吹いて、
「さあ、それではお合わせください」
 と言う。これも相応に風流好きな尼夫人は、
「あなたのお笛は昔聞きましたよりもずっと巧妙におなりになったように思いますのも、平生山風以外に聞くもののないせいかもしれません。私のはまちがいだらけになっているでしょう」
 と言いながら琴を弾いた。現代の人はあまり琴の器楽を好まなくなって、弾き手も少なくなったためか、珍しく身にしむように思って、中将は相手の絃(いと)の音(ね)を聞いた。松風もゆるやかに伴奏をし、月光も笛の音を引き立てるようにさしていたから、いよいよ大尼君を喜ばせることになって、宵(よい)まどいもせず起き続けていた。
「昔はこの年寄りも和琴をうまく弾きこなしたものですがねえ、今は弾き方も変わっているかしれませんね。息子(むすこ)の僧都(そうず)から、聞き苦しい、念仏よりほかのことをあなたはしないようになさいと叱(しか)られましてね。それじゃあ弾かせてもらわないでもいいと思って弾かないのですよ。それに私の手もとにある和琴は名器なのですよ」
 大尼君はこんなふうに言い続けて弾きたそうに見えた。中将は忍び笑いをして、
「僧都がおとめになるのはどうしたことでしょう。極楽という所では菩薩(ぼさつ)なども皆音楽の遊びをして、天人は舞って遊ぶということなどで極楽がありがたく思われるのですがね。仏勤めの障(さわ)りになることでもありませんしね、今夜はそれを伺わせてください」
 とからかう気で言った言葉に、大尼君は満足して、
「さあ座敷がかりの童女たち、和琴(あずま)を持っておいでよ」
 この短い言葉の間にも咳(せき)は引っきりなしに出た。尼夫人も女房たちも大尼君に琴を弾かれては見苦しいことになるとは思ったが、このためには僧都をさえも恨めしそうに人へ訴える人であるからと同情して自由にさせておいた。楽器が来ると、笛で何が吹かれていたかも思ってみず、ただ自身だけがよい気持ちになって、爪音(つまおと)もさわやかに弾き出した。笛も琴も音のやんだのは自分の音楽をもっぱらに賞美したい心なのであろうと当人は解釈して、ちりふり、ちりちり、たりたりなどとかき返してははしゃいだ言葉もつけて言うのも古めかしいことのかぎりであった。
「おもしろいですね。ただ今では聞くことのできないような言葉がついていて」
 などと中将がほめるのを、耳の遠い老尼はそばの者に聞き返して、
「今の若い者はこんなことが好きでなさそうですよ。この家(うち)に幾月か前から来ておいでになる姫君も、容貌(きりょう)はいいらしいが、少しもこうしたむだな遊びをなさらず引っ込んでばかりおいでになりますよ」
 と、賢(さかし)がって言うのを尼夫人などは片腹痛く思った。大老人のあずま琴で興味のしらけてしまった席から中将の帰って行く時も山おろしが吹いていた。それに混じって聞こえてくる笛の音が美しく思われて人々は寝ないで夜を明かした。
 翌日中将の所から、
昨日は昔と今の歎きに心が乱されてしまいまして、失礼な帰り方をしました。

忘られぬ昔のことも笛竹の継ぎし節(ふし)にも音(ね)ぞ泣かれける

あの方へ私の誠意を認めてくださるようにお教えください。内に忍んでいるだけで足る心でしたならこんな軽はずみ男と見られますようなことまでは決して申し上げないでしょう。
 と言う消息が尼君へあった。これを見て昔の婿君をなつかしんでいる尼夫人は泣きやむことができぬふうに涙を流したあとで返事を書いた。

笛の音に昔のことも忍ばれて帰りしほども袖ぞ濡(ぬ)れにし

不思議なほど普通の若い人と違った人のことは老人の問わず語りからも御承知のできたことと思います。
 と言うのである。
 恋しく思う人の字でなく、見なれた昔の姑(しゅうとめ)の字であるのに興味が持てず、そのまま中将は置き放しにしたことであろうと思われる。
 荻(おぎ)の葉に通う秋風ほどもたびたび中将から手紙の送られるのは困ったことである。人の心というものはどうしていちずに集まってくるのであろう、と昔の苦しい経験もこのごろはようやく思い出されるようになった浮舟は思い、もう自分に恋愛をさせぬよう、また人からもその思いのかからぬように早くしていただきたいと仏へ頼む意味で経を習って姫君は読んでいた。心の中でもそれを念じていた。こんなふうに寂しい道を選んでいる浮舟を、若い人でありながらおもしろい空気も格別作らず、うっとうしいのがその性質なのであろうと周囲の人は思った。容貌(ようぼう)のすぐれて美しいことでほかの欠点はとがめる気もせず朝暮の目の慰めにしていた。少し笑ったりする時には、珍しく華麗なものを見せられる喜びを皆した。
 九月になって尼夫人は初瀬(はせ)へ詣(まい)ることになった。さびしく心細いばかりであった自分は故人のことばかりが思われてならなかったのに、この姫君のように可憐で肉身とより思えぬ人を得たことは観音の利益であると信じて尼君はお礼詣りをするのであった。
「さあいっしょに行きましょう。だれにわかることがあるものですか。同じ仏様でもあのお寺などにこもってお願いすることは効験(ききめ)があってよい結果を見た例がたくさんあるのですよ」
 と言って、尼君は姫君に同行を勧めるのであったが、昔母や乳母(めのと)などがこれと同じことを言ってたびたびお詣りをさせたが、自分には、何のかいもなかった、命さえも意(こころ)のままにならず、言いようもない悲しい身になっているではないか、と浮舟は思ううちにもこの一家の知らぬ人々に伴われてあの山路(やまみち)を自分の来たことは恥ずかしい事実であったと身に沁(し)んでさえ思われた。強情(ごうじょう)らしくは言わずに、
「私は気分が始終悪うございますから、そうした遠路(とおみち)をしましてまた悪くなるようなことがないかと心配ですから」
 と断わっていた。いかにもそうした物恐れをしそうな人であると思って、尼君はしいても言わなかった。

はかなくて世にふる川のうき瀬には訪ねも行かじ二本(ふたもと)の杉(すぎ)

 と書いた歌が手習い紙の中に混じっていたのを尼君が見つけて、
「二本(ふたもと)とお書きになるのでは、もう一度お逢いになりたいと思う方があるのですね」
 と冗談(じょうだん)で言いあてられたために、姫君ははっとして顔を赤くしたのも愛嬌(あいきょう)の添ったことで美しかった。

ふる川の杉の本立(もとだち)知らねども過ぎにし人によそへてぞ見る

 平凡なものであるが尼君は考える間もないほどのうちにこんな歌を告げた。目だたぬようにして行くことにしていたのであるが、だれもかれもが行きたがり、留守(るす)宅の人の少ない中へ姫君を置いて行くのを尼君は心配して、賢い少将の尼と、左衛門(さえもん)という年のいった女房、これと童女だけを置いて行った。
 皆が出立して行く影を浮舟(うきふね)はいつまでもながめていた。昔に変わった荒涼たる生活とはいいながらも、今の自分には尼君だけがたよりに思われたのに、その自分を愛してくれる唯一の人と別れているのは心細いものであるなどと思い、つれづれを感じているうちに中将から手紙が来た。
「お読みあそばせよ」
 と言うが、浮舟は聞きも入れなかった。そして常よりもまた寂しくなった家の庭をながめ入り、過去のこと、これからあとのことを思っては歎息ばかりされるのであった。
「拝見していましても苦しくなるほどお滅入(めい)りになっていらっしゃいますね。碁をお打ちなさいませよ」
 と少将が言う。
「下手(へた)でしょうがないのですよ」
 と言いながらも打つ気に浮舟はなった。盤を取りにやって少将は自信がありそうに先手を姫君に打たせたが、さんざんなほど自身は弱くて負けた。それでまた次の勝負に移った。
「尼奥様が早くお帰りになればよい、姫君の碁をお見せしたい。あの方はお強いのですよ。僧都様はお若い時からたいへん碁がお好きで、自信たっぷりでいらっしゃいましたところがね、尼奥様は碁聖(きせい)上人になって自慢をしようとは思いませんが、あなたの碁には負けないでしょうとお言いになりまして、勝負をお始めになりますと、そのとおりに僧都様が二目(にもく)お負けになりました。碁聖の碁よりもあなたのほうがもっとお強いらしい。まあ珍しい打ち手でいらっしゃいます」
 と少将はおもしろがって言うのであった。昔はたまにより見ることのなかった年のいった尼梳(あます)きの額に、面と向かって始終相手をさせられるようになってはいやである。興味を持たれてはうるさい、めんどうなことに手を出したものであると思った浮舟の姫君は、気分が悪いと言って横になった。
「時々は晴れ晴れしい気持ちにもおなりあそばせよ。惜しいではございませんか、青春を沈んでばかりおいでになりますことは。ほんとうに玉に瑕(きず)のある気がされます」
 などと少将は言った。夕風の音も身に沁(し)んで思い出されることも多い人は、

心には秋の夕べをわかねどもながむる袖(そで)に露ぞ乱るる

 こんな歌も詠(よ)まれた。月が出て景色(けしき)のおもしろくなった時分に、昼間手紙をよこした中将が出て来た。

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