源氏物語
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:紫式部 

あふけなく大御(おほみ)むすめをいにしへの人に似よとも思ひけるかな  (晶子)
 そのころ後宮(こうきゅう)で藤壺(ふじつぼ)と言われていたのは亡き左大臣の女(むすめ)の女御(にょご)であった。帝(みかど)がまだ東宮でいらせられた時に、最も初めに上がった人であったから、親しみをお持ちになることは殊に深くて、御愛情はお持ちになるのであったが、それの形になって現われるようなこともなくて歳月(としつき)がたつうちに、中宮(ちゅうぐう)のほうには宮たちも多くおできになって、それぞれごりっぱにおなりあそばされたにもかかわらず、この女御は内親王をお一人お生みすることができただけであった。自分が後宮の競争に失敗する悲しい運命を見たかわりに、この宮を長い将来にかけて唯一の慰安にするまでも完全な幸福のある方にしたいと女御は大事にかしずいていた。御容貌(ようぼう)もお美しかったから帝も愛しておいでになり、中宮からお生まれになった女一(にょいち)の宮(みや)を、世にたぐいもないほど帝が尊重しておいでになることによって、世間がまた格別な敬意を寄せるという、こうした点は別として、皇女としてはなやかな生活をしておいでになることではあまり劣ることもなくて、女御の父大臣の勢力の大きかった名残(なごり)はまだ家に残り、物質的に不自由のないところから、女二の宮の侍女たちの服装をはじめとし、御殿内を季節季節にしたがって変える装飾もはなやかにして、派手(はで)でそして重厚な貴女らしさを失わぬ用意のあるおかしずきをしていた。宮の十四におなりになる年に裳着(もぎ)の式を行なおうとして、その春から専心に仕度(したく)をして、何事も並み並みに平凡にならぬようにしたいと女御は願っていた。自家の祖先から伝わった宝物類も晴れの式に役だてようと捜し出させて、非常に熱心になっていた女御が、夏ごろから物怪(もののけ)に煩(わずら)い始めてまもなく死んだ。残念に思召(おぼしめ)されて帝(みかど)もお歎きになった。優しい人であったため、殿上役人なども御所の内が寂しくなったように言って惜しんだ。直接の関係のなかった女官たちなども藤壺(ふじつぼ)の女御を皆しのんだ。女二の宮はまして若い少女心(おとめごころ)にお心細くも悲しくも思い沈んでおいでになろうことを、哀れに気がかりに思召す帝は、四十九日が過ぎるとまもなくそっと御所へお呼び寄せになった。その藤壺へおいでになって帝は女二の宮を慰めておいでになるのであった。黒い喪服姿になっておいでになる宮は、いっそう可憐(かれん)に見え、品よさがすぐれておいでになった。性質も聡明(そうめい)で、母の女御よりも静かで深みのあることは少しまさっているのをお知りになって、御安心はあそばされるのであったが、実際問題としてはこの方に確かな後援者と見るべき伯父(おじ)はなく、わずかに女御と腹違いの兄弟が大蔵卿(おおくらきょう)、修理大夫(だゆう)などでいるだけであったから、格別世間から重んぜられてもいず地位の高くもない人を背景にしていることは女の身にとって不利な場合が多いであろうことが哀れであると、帝はただ一人の親となってこの宮のことに全責任のある気のあそばすのもお苦しかった。
 お庭の菊の花がまだ終わりがたにもならず盛りなころ、空模様も時雨(しぐれ)になって寂しい日であったが、帝はどこよりもまず藤壺へおいでになり、故人の女御のことなどをお話し出しになると、宮はおおようではあるが子供らしくはなく、難のないお答えなどされるのを帝はかわいく思召した。こうした人の価値を認めて愛する良人(おっと)のないはずはない、朱雀(すざく)院が姫宮を六条院へお嫁(とつ)がせになった時のことを思ってごらんになると、あの当時は飽き足らぬことである、皇女は一人でおいでになるほうが神聖でいいとも世間で言ったものであるが、源中納言のようなすぐれた子をお持ちになり、それがついているために昔と変わらぬ世の尊敬も女三の宮が受けておいでになる事実もあるではないか、そうでなく独身でおいでになれば、弱い女性の身には、自発的のことでなく過失に堕(お)ちてしまうことがあって、自然人から軽侮を受ける結果になっていたかもしれぬと、こんなことを帝はお思い続けになって、ともかくも自分の位にいるうちに婿をきめておきたい、だれが好配偶者とするに足る人物であろうとお思いになると、その女三の宮の御子の源中納言以外に適当な婿はないということへ帝のお考えは帰着した。内親王の良人(おっと)としてどの点でも似合わしくないところはない、愛人を他に持っていたとしても、妻になった宮を辱(はずか)しめるようなことはしないはずの男である、しかしながら早くしないでは正妻というものをいつまでも持たずにいるわけはないのであるから、その前に自分の意向をかれにほのめかしておきたいとこんなことを帝は時々思召した。
 ある日帝は碁を打っておいでになった。暮れがたになり時雨(しぐれ)の走るのも趣があって、菊へ夕明りのさした色も美しいのを御覧になって、蔵人(くろうど)を召して、
「今殿上の室にはだれとだれがいるか」
 と、お尋ねになった。
「中務卿親王(なかつかさきょうしんのう)、上野(こうずけ)の親王(しんのう)、中納言(ちゅうなごん)源(みなもと)の朝臣(あそん)がおられます」
「中納言の朝臣をこちらへ」
 と、仰せがあって薫(かおる)がまいった。実際源中納言はこうした特別な御愛寵(あいちょう)によって召される人らしく、遠くからもにおう芳香をはじめとして、高い価値のある風采(ふうさい)を持っていた。
「今日の時雨(しぐれ)は平生よりも明るくて、感じのよい日に思われるのだが、音楽は聞こうという気はしないし、つまらぬことにせよつれづれを慰めるのにはまずこれがいいと思うから」
 と帝はお言いになって、碁盤をそばへお取り寄せになり、薫へ相手をお命じになった。いつもこんなふうに親しくおそばへお呼びになる習慣から、格別何でもなく薫が思っていると、
「よい賭物(かけもの)があっていいはずなんだがね、少しの負けぐらいでそれは渡せない。何だと思う、それを」
 という仰せがあった。お心持ちを悟ったのか薫は平生よりも緊張したふうになっていた。碁の勝負で三番のうち二番を帝はお負けになった。
「くやしいことだ。まあ今日はこの庭の菊一枝を許す」
 このお言葉にお答えはせずに薫は階(きざはし)をおりて、美しい菊の一枝を折って来た。そして、

世の常の垣根(かきね)ににほふ花ならば心のままに折りて見ましを

 この歌を奏したのは思召しに添ったことであった。

霜にあへず枯れにし園の菊なれど残りの色はあせずもあるかな

 と帝は仰せられた。こんなふうにおりおりおほのめかしになるのを、直接薫は伺いながらも、この人の性質であるから、すぐに進んで出ようとも思わなかった。結婚をするのは自分の本意でない、今までもいろいろな縁談があって、その人々に対して気の毒な感情もありながら、断わり続けてきたのに、今になって妻を持っては、俗人と違うことを標榜(ひょうぼう)していたものが、俗の世間へ帰った気が自分でもして妙なものであろう。恋しくてならぬ人ででもあればともかくもであるがと否定のされる心でまた、これが后腹(きさきばら)の姫君であれば、そうも思わないであろうがと考える中納言はおそれおおくもあまりに思い上がったものである。
 この話を左大臣は聞いて、六の君との縁組みに兵部卿(ひょうぶきょう)の宮の進まぬふうは見せられても、薫は一度はああして断わってみせたものの、ねんごろに頼めばしぶしぶにもせよ結婚をしてくれるはずであると楽観していたのに、意外なことが起こってきそうであると思い、兵部卿の宮は正面からの話にはお乗りにはならないでいて、何かと六の君に交渉を求めて手紙をよくおよこしになるのであるから、それは真実性の少ないものであっても、妻にされれば御愛情の生じないはずもない、どんなに忠実な良人(おっと)になる人があっても地位の低い男にやるのは世間体も悪く、自身の心も満足のできないことであろうからと思って、やはり兵部卿の宮を目標として進むことに定めた。女の子によい婿のあることの困難な世の中になり、帝(みかど)すらも御娘のために婿選びの労をおとりになるのであるから、普通の家の娘が婚期をさえ過ぎさせてしまってはならぬなどと、帝のお考えに多少の非難めいたことも左大臣は言い、中宮へ兵部卿の宮との縁組みの実現されるように訴えることがたびたびになったため、后の宮はお困りになり、宮へ、
「気の毒なように長くそれを望んで大臣は待ち暮らしていたのだのに、口実を作っていつまでもお応じにならないのも無情なことですよ。親王というものは後援者次第で光りもし、光らなくも見えるものなのですよ。お上(かみ)の御代(みよ)ももう末になっていくと始終仰せになるのだからね。あなたはよく考えなければならない。普通の人の場合は定(きま)った夫人を持っていてさらに結婚することは困難なのですよ。それでもあの大臣がまじめ一方でいながら二人の夫人を持ち、双方を同じように愛していくことができているという実例もあるではありませんか。ましてあなたはお上の思召しどおりの地位ができれば、幾人でも侍していていいわけなのだから」
 と、平生にまして長々御教訓をあそばすのを承って、兵部卿の宮御自身も無関心では決しておいでにならない女性のことであったから、それをしいてお拒(こば)みになる理由もないのである。ただ権家(けんか)に婿君としてたいそうな扱いを受けることは、自由を失うことであろうと、その点がいやなようにお思われになるのであるが、母宮のお言葉どおりにこの大臣の反感を多く買っておくことは得策でないと、今になっては抵抗力も少なくおなりになった。多情な御性質であるから、あの按察使(あぜち)大納言の家の紅梅の姫君をもまだ断念してはおいでにならず、なお花紅葉(もみじ)につけ好奇心の対象としてそこへも御消息はよこしておいでになるのである。
 その年は事なしに終わった。女二の宮の喪期も終わったのであるから、帝はもうおはばかりあそばすことはなくなった。
「御懇望にさえなればすぐにお許しになりたい思召しとうかがわれます」
 こんなふうに薫へ告げに来る人々もあるためあまりに知らず顔に冷淡なのも無礼なことであると、しいて心を引き立てて、女二の宮付きの人を通して、求婚者としての手紙をおりおり送ることもするようになったが、取り合わぬ態度などはもとよりお示しになるはずもない。帝は何月ごろと結婚の期を思召すというようなことも人から聞き、自身でも御許容あそばすことはうかがわれるのであったが、心の中では今も死んだ宇治の人ばかりが恋しく思われて、この悲しみを忘れ尽くせる日があろうとは思われぬために、こうまで心のつながれる因縁のあったあの人と、ついに夫婦とはならずに終わったのはどうしたことなのであろうとそれを怪しがっていた。身分がどれほど低くとも、あの人に少しでも似たところのある人であれば自分は妻として愛するであろう、反魂香(はんごんこう)の煙が描いたという影像だけでも見る方法はないかとこんなことばかりが薫には思われて、女二(にょに)の宮(みや)との結婚の成立を待つ心もないのである。
 左大臣のほうでは六の君の結婚の用意にかかって、八月ごろにと宮へその期を申し上げた。これを二条の院の中の君も聞いた。やはりそうであった、自分などという何のよい背景も持たない女には必ず幸福の破綻(はたん)があるであろうと思いつつ、今日まで来たのである。多情な御性質とはかねて聞いていて、頼みにならぬ方とは思いながらも、いっしょにいては恨めしく思うようなことも宮はしてお見せにならず、深い愛の変わる世もないような約束ばかりをあそばした。それがにわかに権家の娘の良人(おっと)になっておしまいになったなら、どうして静めえられる自分の心であろう、並み並みの身分の男のように、まったく自分から離れておしまいになることはあるまいが、どんなに悩ましい思いを多くせねばならぬことであろう、自分はどうしても薄命な生まれなのであるから、しまいにはまた宇治の山里へ帰ることになるのであろうと考えられるにつけても、出て来たままになるよりも再び帰ることは宇治の里人にも譏(そし)らわしいことであるに違いない、返す返すも父宮の御遺言にそむいて結婚をし、山荘を出て来た自分の誤りが恥ずかしい、しかさせた運命が恨めしいと中の君は思うのであった。姉君はおおようで、柔らかいふうなところばかりが外に見えたが、精神は確(しか)としておいでになった。中納言が今も忘れがたいように姉君の死を悲しみ続けているが、もし生きていたらば、今の自分のような物思いをすることがあったかもしれぬ、そうした未来をよく察して、あの人の妻になろうとされなかった、いろいろに身をかわすようにして中納言の恋からのがれ続けていて、しまいには尼になろうとしたではないか、命が助かっても必ず仏弟子(ぶつでし)になっていたに違いない、今思ってみればきわめて深い思慮のある方であった、父宮も姉君も自分をこの上もない、軽率な女であるとあの世から見ておいでになるであろうと、恥ずかしく悲しく思うのであったが、何も言うまい、言っても効(かい)のないことを言って嫉妬(しっと)がましい心を見られる必要もないと中の君は思い返して、宮の新しい御縁組みのことは耳にはいってこぬふうで過ごしていた。
 宮はこの話のきまってからは、平生よりもまた多く愛情をお示しになり、なつかしいふうに将来のことをどの日もどの日もお話しになり、この世だけでない永久の夫婦の愛をお約しになるのであった。中の君はこの五月ごろから普通でない身体(からだ)の悩ましさを覚えていた。非常に苦しがるようなことはないが、食欲が減退して、毎日横にばかりなっていた。妊婦というものを近く見る御経験のなかった宮は、ただ暑いころであるからこんなふうになっているのであろうと思召したが、さすがに不審に思召すこともあって、
「ひょっとすればあなたに子ができるようになったのではないだろうか。妊婦というものはそんなふうに苦しがるものだそうだから」
 ともお言いになったが、中の君は恥ずかしくて、そうでないふうばかりを作っているのを、進み出て申し上げる人もないため、確かには宮もおわかりにならなかった。
 八月になると、左大臣の姫君の所へ宮がはじめておいでになるのは幾日ということが外から中の君へ聞こえてきた。宮は隔て心をお持ちになるのではないが、お言いだしになることは気の毒でかわいそうに思われておできにならないのを、夫人はそれをさえ恨めしく思っていた。隠れて行なわれることでなく、世間じゅうで知っていることをいつごろとだけもお言いにならぬのであるから、中の君の恨めしくなるのは道理である。この夫人が二条の院へ来てからは、特別な御用事などがないかぎりは御所へお行きになっても、ほかへおまわりになり、泊まってお帰りになるようなことを宮はあそばさないのであって、情人の所をお訪(たず)ねになって孤閨(こけい)を夫人にお守らせになることもなかったのが、にわかに一方で結婚生活をするようになればどんな気がするであろうと、お心苦しくお思われになるため、今から習慣を少しつけさせようとされて、時々御所で宿直(とのい)などをあそばされたりするのを、夫人にはそれも皆恨めしいほうにばかり解釈されたに違いない。中納言もかわいそうなことであると、この問題における中の君を思っていて、宮は浮気(うわき)な御性質なのであるから、愛してはおいでになっても、はなやかな新しい夫人のほうへお心が多く引かれることになるであろう、婚家もまた勢いをたのんでいる所であるから、間断なしに婿君をお引き留めしようとすることになれば、今までとは違った変わり方に中の君は待ち続ける夜を重ねることになっては哀れであるなどと、こんなことが思われるにつけても、なんたることであろう、不都合なのは自分である、何のためにあの人を宮へお譲りしたのであろう、死んだ姫君に恋を覚えてからは、宗教的に澄み切った心も不透明なものになり、盲目的になり、あらゆる情熱を集めてあの人を思いながらも、同意を得ずに男性の力で勝つことは本意でないとはばかって、ただ少しでもあの人に愛されて相思う恋の成立をば夢見て未来の楽しい空想ばかりを自分はしていたのに、あの人は恋を感じぬふうを見せ続け、さすがに冷淡には自分を見ていない証(あかし)として、同じ身だと思えと言って中の君との結婚を勧めたのであったが、自分にとってはただあの人の態度がくやしく恨めしかったところから、あの人の計画をこわして宮と中の君との結婚を行なわせてしまえばなどと、無理な道をとって狂気じみた媒介者になった時のことを思い出すと、不都合なのは自分であったと返す返す薫は悔やまれた。宮もどんな御事情になっていても、あの時のことをお思い出しになれば自分に対してでも少し御遠慮があっていいはずであると思うのであったが、また宮はそんな方ではない、あれ以来あの時のことを話題にされるようなことはないではないか、多情な人というものは、異性にだけでなく、友情においても誠意の少ないものらしいなどとお憎みする心さえ薫に起こった。自身があまりに純一な心から他人をもどかしく思うのであるらしい。あの人を死なせてからの自分の心は帝の御娘を賜わるということになったのもうれしいこととは思われない、中の君を妻に得られていたならと思う心が月日にそえ勝ってくるのも、ただあの人の妹であるということが原因(もと)になっていてその思いが捨てられないのである、姉妹(きょうだい)といううちにもあの二人の女性の持ち合っていた愛は限度もないものであって、臨終に近づいたころにも、残しておく妹を自分と同じものに思えと言い、ほかに心残りはないが、自分がこうなれと願ったあの縁組みをはずされたこと、他へ譲られたことで安心ができず、その成り行きを見るためにだけ生きていたい気がするとあの人が言ったのであったから、あの世で宮の新しい御結婚のことなどを知っては、いっそう自分を恨めしく思うことであろうなどと、切実に寂しい独(ひと)り寝をする夜ごとに薫(かおる)は、風の音にも目のさめてこんなことが思われ、過去と未来を思い、この世を味気なくばかり思った。かりそめの情で愛人とし、女房として家に置いてある人たちの中には、自然と真実の愛も生じてきそうな人もあるはずであるが、事実としてはそんな人もない。いつも独身者の心持ちよりほかを知らなかった。そうした女房勤めしている中には、宇治の姫君たちにも劣らぬ階級の人も、時世の移りで不幸な身の上になり、心細く暮らしていたりしたのを、同情して家へ呼んだというような種類の女房が少なくはないのであるが、異性との交渉はそれほどにとどめて、出家の目的の達せられる時に、取り立ててこの人が心にかかると思われるような愛着の覚えられる人は作らないでおこうと深く思っていた自分であったにもかかわらず、今では死んだ恋人のゆかりの中の君に多く心の惹(ひ)かれている自分が認められる、人並みな恋でない恋に苦しむとは自分のことながらも残念であるなどという思いにとらわれていて、そのまま眠りえずに明かしてしまった暁、立つ霧を隔てて草花の姿のいろいろと美しく見える中にはかない朝顔の混じっているのが特に目にとまる気がした。人生の頼みなさにたとえられた花であるから身に沁(し)んで薫は見られたのであろう。宵(よい)のまま揚げ戸も上げたままにして縁の近い所でうたた寝のようにして横たわり朝になったのであったから、この花の咲いていくところもただ一人薫がながめていたのであった。侍を呼んで、
「北の院へ伺おうと思うから、簡単な車を出させるように」
 と命じてから装束を改めた。
 出かけるために庭へおりて、秋の花の中に混じって立った薫は、わざわざ艶(えん)なふうを見せようとするのではないが、不思議なまで艶で、高貴な品が備わり、気どった風流男などとは比べられぬ美しさがあった。朝顔を手もとへ引き寄せるとはなはだしく露がこぼれた。

「今朝(けさ)のまの色にや愛(め)でん置く露の消えぬにかかる花と見る見る

 はかない」
 などと独言(ひとりごと)をしながら薫は折って手にした。女郎花(おみなえし)には触れないで。
 明け放れるのにしたがって霧の濃くなった空の艶な気のする下を二条の院へ向かった薫は、宮のお留守(るす)の日はだれもゆるりと寝ていることであろう、格子や妻戸をたたいて案内を乞(こ)うのも物馴(な)れぬ男に思われるであろう、あまり早朝に来すぎたと思いながら薫は従者を呼んで、中門のあいた口から中をのぞかせてみると、
「お格子が皆上がっているようでございます。そして女房たちの何かいたします気配(けはい)がいたします」
 と言う。下車して霧の中を美しく薫の歩いてはいって来るのを女房たちは知り、宮がお微(しの)び場所からお帰りになったのかと思っていたが、露に湿った空気が薫の持つ特殊のにおいを運んできたためにだれであるかを悟り、
「やはり特別な方ですね。ただあまりに澄んだふうでいらっしゃるのが物足らないだけね」
 とも若い女房はささやいていた。
 驚いたふうも現わさず、感じのよいほどにその人たちが衣擦(きぬず)れの音を立てて褥(しとね)を出したりする様子も品よく思われた。
「ここにすわってもよいとお許しくださいます点は名誉に思われますが、しかしこうした御簾(みす)の前の遠々しいおもてなしを受けることで悲観されて、たびたびは伺えないのです」
 と薫が言うと、
「それではどういたせばお気が済むのでございますか」
 女房はこう答えた。
「北側のお座敷というような、隠れた室が私などという古なじみのゆるりとさせていただくによい所です。しかしそれも奥様の思召しによることですから、不平は申し上げません」
 と言い、薫は縁側から一段高い長押(なげし)に上半身を寄せかけるようにして坐(ざ)しているのを見て、例の女房たちが、
「ほんの少しあちらへおいであそばせ」
 などと言い、夫人を促していた。
 もとから様子のおとなしい、男の荒さなどは持たぬ薫であるが、いよいよしんみり静かなふうになっていたから、中の君はこの人と対談することの恥ずかしく思われたことも、時がもはや薄らがせてなしやすく思うようになっていた。
「お身体(からだ)が悪いと伺っていますのはどんなふうの御病気ですか」
 などと薫は聞くが、夫人からはかばかしい返辞を得ることはできない。平生よりもめいったふうの見えるのに理由のあることを知っている薫は、それを哀れに見て、こまやかに世の中に処していく心の覚悟というようなものを、兄弟などがあって、教えもし慰めもするふうに言うのであった。声なども特によく似たものともその当時は思わなかったのであるが、怪しいほど薫には昔の人のとおりに聞こえる中の君の声であった。人目に見苦しくなければ、御簾(みす)も引き上げて差し向かいになって話したい、病気をしているという顔が見たい心のいっぱいになるのにも、人間は生きている間次から次へ物思いの続くものであるということはこれである、自分はまたこうした心の悶(もだ)えをしていかねばならぬ身になったと薫はみずから悟った。
「はなやかなこの世の存在ではなくとも、心に物思いをして歎きにわが身をもてあますような人にはならずに、一生を過ごしたいと願っていた私ですが、自身の心から悲しみも見ることになり、愚かしい後悔もこもごも覚えることになりましたのは残念です。官位の昇進が思うようにならぬということを人は最も大きな歎きとしていますが、それよりも私のする歎きのほうが少し罪の深さはまさるだろうと思われます」
 などと言いながら、薫は持って来た花を扇に載せて見ていたが、そのうちに白い朝顔は赤みを帯びてきて、それがまた美しい色に見られるために、御簾の中へ静かにそれを差し入れて、

よそへてぞ見るべかりける白露の契りかおきし朝顔の花

 と言った。わざとらしくてこの人が携えて来たのでもないのに、よく露も落とさずにもたらされたものであると思って、中の君がながめ入っているうちに見る見る萎(しぼ)んでいく。

「消えぬまに枯れぬる花のはかなさにおくるる露はなほぞまされる

『何にかかれる』(露のいのちぞ)」
 と低い声で言い、それに続けては何も言わず、遠慮深く口をつぐんでしまう中の君のこんなところも故人によく似ていると思うと、薫はまずそれが悲しかった。
「秋はまたいっそう私を憂鬱(ゆううつ)にします。慰むかと思いまして先日も宇治へ行って来たのです。庭も籬(まがき)も実際荒れていましたから、(里は荒れて人はふりにし宿なれや庭も籬も秋ののらなる)堪えがたい気持ちを覚えました。私の父の院がお亡(かく)れになったあとで、晩年出家をされ籠(こも)っておいでになった嵯峨(さが)の院もまた六条院ものぞいて見る者は皆おさえきれず泣かされたものです。木や草の色からも、水の流れからも悲しみは誘われて、皆涙にくれて帰るのが常でした。院の御身辺におられたのは平凡な素質の人もなく皆りっぱな方がたでしたがそれぞれ別な所へ別れて行き、世の中とは隔離した生活を志されたものです、またそうたいした身の上でない女房らは悲しみにおぼれきって、もうどうなってもいいというように山の中へはいったり、つまらぬ田舎(いなか)の人になったりちりぢりに皆なってしまいました。そうして故人の家を事実上荒らし果てたあとで、左大臣がまた来て住まれるようになり、宮がたもそれぞれ別れて六条院をお使いになることになって、ただ今ではまた昔の六条院が再現された形になりました。あれほど大きな悲しみに逢(あ)ったあとでも年月が経(ふ)ればあきらめというものが出てくるものなのであろう、悲しみにも時が限りを示すものであると私はその時見ました。こう私は言っていましても昔の悲しみは少年時代のことでしたから、悲痛としていても悲痛がそれほど身にしまなかったのかもしれません。近く見ました悲しみの夢は、まだそれからさめることもどうすることもできません。どちらも死別によっての感傷には違いありませんが、親の死よりも罪深い恋人関係の人の死のほうに苦痛を多く覚えていますのさえみずから情けないことだと思っています」
 こう言って泣く薫に、にじみ出すほどな情の深さが見えた。大姫君を知らず、愛していなかった人でも、この薫の悲しみにくれた様子を見ては涙のわかないはずもないと思われるのに、まして中の君自身もこのごろの苦い物思いに心細くなっていて、今まで以上にも姉君のことが恋しく思い出されているのであったから、薫の憂いを見てはいっそうその思いがつのって、ものを言われないほどになり、泣くのをおさえきれずになっているのを薫はまた知って、双方で哀れに思い合った。
「世の憂(う)きよりは(山里はものの寂しきことこそあれ世の憂きよりは住みよかりけり)と昔の人の言いましたようにも私はまだ比べて考えることもなくて京に来て住んでおりましたが、このごろになりましてやはり山里へはいって静かな生活をしたいということがしきりに思われるのでございます。でも思ってもすぐに実行のできませんことで弁の尼をうらやましくばかり思っております。今月の二十幾日はあすこの山の御寺(みてら)の鐘を聞いて黙祷(もくとう)をしたい気がしてならないのですが、あなたの御好意でそっと山荘へ私の行けるようにしていただけませんでしょうかと、この御相談を申し上げたく私は思っておりました」
 と中の君は言った。
「宇治をどんなに恋しくお思いになりましてもそれは無理でしょう。あの道を辛抱(しんぼう)して簡単に御婦人が行けるものですか。男でさえ往来するのが恐ろしい道ですからね、私なども思いながらあちらへまいることが延び延びになりがちなのです。宮様の御忌日のことはあの阿闍梨(あじゃり)に万事皆頼んできました。山荘のほうは私の希望を申せば仏様だけのものにしていただきたいのですよ。時々行っては痛い悲しみに襲われる所ですから、罪障消滅のできますような寺にしたいと私は思うのですが、あなたはどうお考えになりますか。あなたの御意見によってどうとも決めたいと思うのですから、ああしたいとか、そうしてもいいとか腹蔵なくおっしゃってください。何事にもあなたのお心持ちをそのまま行なわせていただけばそれで私は満足なのです」
 と言い、まじめな話を薫(かおる)はした。経巻や仏像の供養などもこの人はまた宇治で行なおうとしているらしい。中の君が父宮の御忌日に託して宇治へ行き、そのまま引きこもろうとするのに賛同を求めるふうであるのを知って、
「宇治へ引きこもろうというようなお考えをお出しになってはいけませんよ。どんなことがあっても寛大な心になって見ていらっしゃい」
 などとも忠告した。
 日が高く上ってきて伺候者が集まって来た様子であったから、あまり長居をするのも秘密なことのありそうに誤解を受けることであろうから帰ろうと薫はして、
「どこへまいっても御簾(みす)の外へお置かれするような経験を持たないものですから恥ずかしくなります。またそのうち伺いましょう」
 こう挨拶(あいさつ)をして行ったが、宮は御自身の留守の時を選んでなぜ来たのであろうとお疑いをお持ちになるような方であるからと薫は思い、それを避けるために侍所(さぶらいどころ)の長になっている右京大夫(うきょうだゆう)を呼んで、
「昨夜宮様が御所からお出になったと聞いて伺ったのですが、まだ御帰邸になっておられないので失望をしました。御所へまいってお目にかかったらいいでしょうか」
 と言った。
「今日はお帰りでございましょう」
「ではまた夕方にでも」
 薫はそして二条の院を出た。中の君の物越しの気配(けはい)に触れるごとに、なぜ大姫君の望んだことに自分はそむいて、思慮の足らぬ処置をとったのであろうと後悔ばかりの続いて起こるのを、なぜ自分はこうまで一徹な心であろうと薫は反省もされた。この人はまだ精進を続けて仏勤めばかりを家ではしているのである。母宮はまだ若々しくたよりない御性質ではあるが、薫のこうした生活を危険なことと御覧になって、
「私はもういつまでも生きてはいないのでしょうから、私のいる間は幸福なふうでいてください。あなたが仏道へはいろうとしても、私自身尼になっていながらとめることはできないのだけれど、この世に生きている間の私はそれを寂しくも悲しくも思うことだろうから、結局罪を作ることになるだろうからね」
 とお言いになるのが、薫にはもったいなくもお気の毒にも思われて、母宮のおいでになる所では物思いのないふうを装っていた。
 左大臣家では東の御殿をみがくようにもして設備(しつら)い婿君を迎えるのに遺憾なくととのえて兵部卿(ひょうぶきょう)の宮をお待ちしているのであったが、十六夜(いざよい)の月がだいぶ高くなるまでおいでにならぬため、非常にお気が進まないらしいのであるから将来もどうなることかと不安を覚えながらも使いを出してみると、夕方に御所をお出になって二条の院においでになるというしらせがもたらされた。愛する人を持っておいでになるのであるからと不快に大臣は思ったが、今夜に済まさねば世間体も悪いと思い、息子(むすこ)の頭(とうの)中将を使いとして次の歌をお贈りするのであった。

大空の月だに宿るわが宿に待つ宵(よひ)過ぎて見えぬ君かな

 宮はこの日に新婚する自分を目前に見せたくない、あまりにそれは残酷であると思召(おぼしめ)して御所においでになったのであるが、手紙を中の君へおやりになった、その返事がどんなものであったのか、宮が深くお動かされになって、そっとまた二条の院へおはいりになったのである。
 可憐(かれん)な夫人を見て出かけるお気持ちにはならず、気の毒に思召す心からいろいろに将来の長い誓いをさせるのであるが、中の君の慰まない様子をお知りになり、誘うていっしょに月をながめておいでになる時に使いの頭中将は二条の院へ着いたのである。夫人は今までも煩悶(はんもん)は多くしてきたが、外へは出して見せまいとおさえきってきていて、素知らぬふうを作っていたのであるから、今夜に何事があるかも聞かずおおようにしているのを哀れにお思いになる宮であった。頭中将の来たのをお聞きになると、さすがに宮はあちらの人もかわいそうにお思われになり、お出かけになろうとして、
「すぐ帰って来ます。一人で月を見ていてはいけませんよ。気の張り切っていない時などには危険で心配だから」
 とお言いになり、きまりの悪いお気持ちで隠れた廊下から寝殿へお行きになった。お後ろ姿を見送りながら中の君は枕(まくら)も浮き上がるほどな涙の流れるのをみずから恥じた。恨めしい宮に愛情を覚えるのは恥ずかしいことであるとしていたのに、いつかそのほうへ自分は引かれていって、恨みの起こるのもそれがさせるのであると悟ったのである。幼い日から母のない娘で、この世をお愛しにもならぬ父宮を唯一の頼みにしてあの寂しい宇治の山荘に長くいたのであるが、いつとなくそれにも馴(な)れ、徒然(つれづれ)さは覚えながらも、今ほど身にしむ悲しいものとは山荘時代の自分は世の中を知らなかった。父宮と姉君に死に別れたあとでは片時も生きていられないように故人を恋しく悲しく思っていたが、命は失われずあって、軽蔑(けいべつ)した人たちが思ったよりも幸福そうな日が長く続くものとは思われなかったが、自分に対する宮の態度に御誠実さも見え、正妻としてお扱いになるのによって、ようやく物思いも薄らいできていたのであるが、今度の新しい御結婚の噂(うわさ)が事実になってくるにしたがい、過去にも知らなんだ苦しみに身を浸すこととなった、もう宮と自分との間はこれで終わったと思われる、人の死んだ場合とは違って、どんなに新夫人をお愛しになるにもせよ、時々はおいでになることがあろうと思ってよいはずであるが、今夜こうして寂しい自分を置いてお行きになるのを見た刹那(せつな)から、過去も未来も真暗(まっくら)なような気がして心細く、何を思うこともできない、自分ながらあまりに狭量であるのが情けない、生きていればまた悲観しているようなことばかりでもあるまいなどと、みずから慰めようと中の君はするのであるが、姨捨山(おばすてやま)の月(わが心慰めかねつ更科(さらしな)や姨捨山に照る月を見て)ばかりが澄み昇(のぼ)って夜がふけるにしたがい煩悶(はんもん)は加わっていった。松風の音も荒かった山おろしに比べれば穏やかでよい住居(すまい)としているようには今夜は思われずに、山の椎(しい)の葉の音に劣ったように中の君は思うのであった。

山里の松の蔭(かげ)にもかくばかり身にしむ秋の風はなかりき

 過去の悲しい夢は忘れたのであろうか。
 老いた女房などが、
「もうおはいりあそばせ、月を長く見ますことはよくないことだと申しますのに。それにこの節ではちょっとしましたお菓子すら召し上がらないのですから、こんなことでどうおなりになりますでしょう。よくございません。以前の悲しいことも私どもにお思い出させになりますのは困ります。おはいりあそばせ」
 こんなことを言う。若い女房らは情けない世の中であると歎息をして、
「宮様の新しい御結婚のこと、ほんとうにいやですね。けれどこの奥様をお捨てあそばすことにはならないでしょう。どんな新しい奥様をお持ちになっても、初めに深くお愛しになった方に対しては情けの残るものだと言いますからね」
 などと言っているのも中の君の耳にはいってくる。見苦しいことである、もうどんなことになっても何とも自分からは言うまい、知らぬふうでいようとこの人が思っているというのは、人には批評をさせまい、自身一人で宮をお恨みしようと思うのであるかもしれない。
「そうじゃありませんか、宮様に比べてあの中納言様の情のお深さ」
 とも老いた女は言い、
「あの方の奥様になっておいでにならないで、こちらの奥様におなりになったというのも不可解な運命というものですね」
 こんなこともささやき合っていたのである。
 宮は中の君を心苦しく思召(おぼしめ)しながらも、新しい人に興味を次々お持ちになる御性質なのであるから、先方に喜ばれるほどに美しく装っていきたいお心から、薫香(くんこう)を多くたきしめてお出かけになった姿は、寸分の隙(すき)もないお若い貴人でおありになった。六条院の東御殿もまた華麗であった。小柄な華奢(きゃしゃ)な姫君というのではなく、よいほどな体格をした新婦であったから、どんな人であろう、たいそうに美人がった柔らかみのない、自尊心の強いような女ではなかろうか、そんな妻であったならいやになるであろうと、こんなことを最初はお思いになったのであるが、そうではないらしくお感じになったのか愛をお持ちになることができた。秋の長夜ではあったが、おそくおいでになったせいでまもなく明けていった。
 兵部卿の宮はお帰りになってもすぐに西の対へおいでになれなかった。しばらく御自身のお居間でお寝(やす)みになってから起きて新夫人の文(ふみ)をお書きになった。あの御様子ではお気に入らないのでもなかったらしいなどと女房たちは陰口(かげぐち)をしていた。
「対の奥様がお気の毒ですね。どんなに大きな愛を宮様が持っておいでになっても、自然気押(けお)されることも起こるでしょうからね」
 ただの主従でない関係も宮との間に持っている人が多かったから、ここでも嫉妬(しっと)の気はかもされているのである。あちらからの返事をここで見てからと宮は思っておいでになったのであるが、別れて明かしたのもただの夜でないのであるから、どんなに寂しく思っていることであろうと、中の君がお気にかかってそのまま西の対へおいでになった。まだ夜のまま繕われていない夫人の顔が非常に美しく心を惹(ひ)くところがあって、宮のおいでになったことを知りつつ寝たままでいるのも、反感をお招きすることであるからと思い、少し起き上がっている顔の赤みのさした色などが、今朝(けさ)は特別にまたきれいに見えるのであった。何のわけもなく宮は涙ぐんでおしまいになって、しばらく見守っておいでになるのを、中の君は恥ずかしく思って顔を伏せた。そうされてまた、髪の掛かりよう、はえようなどにたぐいもない美を宮はお感じになった。きまりの悪さに愛の言葉などはちょっと口へ出ず、なにげないふうに紛らして、
「どうしてこんなに苦しそうにばかり見えるのだろう。暑さのせいだとあなたは言っていたからやっと涼しくなって、もういいころだと思っているのに、晴れ晴れしくないのはいけないことですね。いろいろ祈祷(きとう)などをさせていても効験(しるし)の見えない気がする。それでも祈祷はもう少し延ばすほうがいいね。効験をよく見せる僧がほしいものだ、何々僧都(そうず)を夜居(よい)にしてあなたにつけておくのだった」
 というようなまじめらしい話をされるのにもお口じょうずなのがうとましく思われる中の君でもあったが、何もお返辞をしないのは平生に違ったことと思われるであろうとはばかって、
「私は昔もこんな時には普通の人のような祈祷も何もしていただかないで自然になおったのですから」
 と言った。
「それでよくなおっているのですか」
 と宮はお笑いになって、なつかしい愛嬌(あいきょう)の備わった点はこれに比べうる人はないであろうとお思いになったのであるが、お心の一方では新婦をなおよく知りたいとあせるところのおありになるのは、並み並みならずあちらにも愛着を覚えておいでになるのであろう。しかしながらこの人と今いっしょにおいでになっては、昨日(きのう)の愛が減じたとは少しもお感じにならぬのか、未来の世界までもお言いだしになって、変わらない誓いをお立てになるのを聞いていて、中の君は、
「仏の教えのようにこの世は短いものに違いありません。しかもその終わりを待ちますうちにも、あなたが恨めしいことをなさいますのを見なければなりませんから、それよりも未来の世のお約束のほうをお信じしていていいかもしれないと思うことで、まだ懲りずにあなたのお言葉に信頼しようと思います」
 と言い、もう忍びきれなかったのか今日は泣いた。今日までもこんなふうに思っているとはお見せすまいとして自身で紛らわしておさえてきた感情だったのであるが、いろいろと胸の中に重なってきて隠されぬことになり、こぼれ始めた涙はとめようもなく多く流れるのを、恥ずかしく苦しく思って、顔をすっかり向こうに向けているのを、しいて宮はこちらへお引き向けになって、
「二人がいっしょに暮らして、同じように愛しているのだと思っていたのに、あなたのほうにはまだ隔てがあったのですね。それでなければ昨夜(ゆうべ)のうちに心が変わったのですか」
 こうお言いになり宮は御自身の袖(そで)で夫人の涙をおぬぐいになると、
「夜の間の心変わりということからあなたのお気持ちがよく察せられます」
 中の君は言って微笑を見せた。
「ねえ、どうしたのですか、ねえ、なんという幼稚なことをあなたは言いだすのですか。けれどもあなたはほんとうは私へ隔てを持っていないから、心に浮かんだだけのことでもすぐ言ってみるのですね。だから安心だ。どんなにじょうずな言い方をしようとも私が別な妻を一人持ったことは事実なのだから私も隠そうとはしない。けれど私を恨むのはあまりにも世間というものを知らないからですよ。可憐(かれん)だが困ったことだ。まああなたが私の身になって考えてごらんなさい。自身を自身の心のままにできないように私はなっているのですよ。もし光明の世が私の前に開けてくればだれよりもあなたを愛していた証明をしてみせることが一つあるのです。これは軽々しく口にすべきことではないから、ただ命が長くさえあればと思っていてください」
 などと言っておいでになるうちに宮が六条院へお出しになった使いが、先方で勧められた酒に少し酔い過ぎて、斟酌(しんしゃく)すべきことも忘れ、平気でこの西の対の前の庭へ出て来た。美しい纏頭(てんとう)の衣類を肩に掛けているので後朝(ごちょう)の使いであることを人々は知った。いつの間にお手紙は書かれたのであろうと想像するのも快いことではないはずである。宮もしいてお隠しになろうと思召さないのであるが、涙ぐんでいる人の心苦しさに、少し気をきかせばよいものをと、ややにがにがしく使いのことをお思いになったが、もう皆暴露してしまったのであるからとお思いになり、女房に命じて返事の手紙をお受け取らせになった。できるならば朗らかにしていま一人の妻のあることを認めさせてしまおうと思召して、手紙をおあけになると、それは継母(ままはは)の宮のお手になったものらしかったから、少し安心をあそばして、そのままそこへお置きになった。他の人の書いたものにもせよ、宮としてはお気のひけることであったに違いない。
私などが出すぎたお返事をいたしますことは、失礼だと思いまして、書きますことを勧めるのですが、悩ましそうにばかりいたしておりますから、

をみなへし萎(しを)れぞ見ゆる朝露のいかに置きける名残(なごり)なるらん

 貴女(きじょ)らしく美しく書かれてあった。
「恨みがましいことを言われるのも迷惑だ。ほんとうは私はまだ当分気楽にあなたとだけ暮らして行きたかったのだけれど」
 などと宮は言っておいでになったが、一夫一婦であるのを原則とし正当とも見られている普通の人の間にあっては、良人(おっと)が新しい結婚をした場合に、その前からの妻をだれも憐(あわれ)むことになっているが、高い貴族をその道徳で縛ろうとはだれもしない。いずれはそうなるべきであったのである。宮たちと申し上げる中でも、輝く未来を約されておいでになるような兵部卿(ひょうぶきょう)の宮であったから、幾人でも妻はお持ちになっていいのであると世間は見ているから、格別二条の院の夫人が気の毒であるとも思わぬらしい。こんなふうに夫人としての待遇を受けて、深く愛されている中の君を幸福な人であるとさえ言っているのである。
 中の君自身もあまりに水も洩(も)らさぬ夫婦生活に慣らされてきて、にわかに軽く扱われることが歎かわしいのであろうと見えた。こんなに二人と一人というような関係になった場合は、どうして女はそんなに苦悶(くもん)をするのであろうと昔の小説を読んでも思い、他人のことでも腑(ふ)に落ちぬ気がしたのであるが、わが身の上になれば心の痛いものである、苦しいものであると、今になって中の君は知るようになった。宮は前よりもいっそう親しい良人ぶりをお見せになって、
「何も食べぬということは非常によろしくない」
 などとお言いになり、良製の菓子をお取り寄せになりまた特に命じて調製をさせたりもあそばして夫人へお勧めになるのであったが、中の君の指はそれに触れることのないのを御覧になって、
「困ったことだね」
 と宮は歎息をしておいでになったが、日暮れになったので寝殿のほうへおいでになった。涼しい風が吹き立って、空の趣のおもしろい夕べである。はなやかな趣味を持っておいでになったから、こんな場合にはまして美しく御風采(ふうさい)をお作りになり出てお行きになる宮を知っていて、物哀れな夫人の心には忍び余る愁(うれ)いの生じるのも無理でない。蜩(ひぐらし)の声を聞いても宇治の山陰の家ばかりが恋しくて、

おほかたに聞かましものを蜩の声うらめしき秋の暮れかな

 と独言(ひとりご)たれた。今夜はそう更(ふ)かさずに宮はお出かけになった。前駆の人払いの声の遠くなるとともに涙は海人(あま)も釣(つ)り糸を垂(た)れんばかりに流れるのを、われながらあさましいことであると思いつつ中の君は寝ていた。結婚の初めから連続的に物思いをばかりおさせになった宮であると、その時、あの時を思うと、しまいにはうとましくさえ思われた。身体(からだ)の苦しい原因をなしている妊娠も無事に産が済まされるかどうかわからない、短命な一族なのであるから、その場合に死ぬのかもしれないなどと思っていくと、命は惜しく思われぬが、また悲しいことであるとも中の君は思った。またそうした場合に死ぬのは罪の深いことなのであるからなどと眠れぬままに思い明かした。
 次の日は中宮(ちゅうぐう)が御病気におなりになったというので、皆御所へまいったのであるが、少しの御風気(ごふうき)で御心配申し上げることもないとわかった左大臣は、昼のうちに退出した。源中納言を誘って同車して自邸へ向かったのである。この日が三日の露見(ろけん)の式の行なわれる夜になっていた。どんなにしても華麗に大臣は式を行なおうとしているのであろうが、こんな時のことは来賓に限りがあって、派手(はで)にしようもなかろうと思われた。薫(かおる)をそうした席へ連ならせるのはあまりに高貴なふうがあって心恥ずかしく大臣には思われるのであるが、婿君と親密な交情を持つ人は自分の息子(むすこ)たちにもないのであったし、また一家の人として他へ見せるのに誇りも感じられる薫であったから伴って行ったらしい。平生にも似ず兄とともに忙しい気持ちで六条院へはいって、六の君を他人の妻にさせたことを残念に思うふうもなく、何かと式の用を兄のために手つだってくれるのを、大臣は少し物足らぬことに思いもした。
 八時少し過ぐるころに宮はおいでになった。寝殿の南の間の東に寄せて婿君のお席ができていた。高脚(たかあし)の膳(ぜん)が八つ、それに載せた皿は皆きれいで、ほかにまた小さい膳が二つ、飾り脚のついた台に載せたお料理の皿など、見る目にも美しく並べられて、儀式の餠(もち)も供えられてある。こんなありふれたことを書いておくのがはばかられる。
 大臣が新夫婦の居間のほうへ行って、もう夜がふけてしまったからと女房に言い、宮の御出座を促すのであったが、宮は六の君からお離れになりがたいふうで渋っておいでになった。今夜の来賓としては雲井(くもい)の雁(かり)夫人の兄弟である左衛門督(さえもんのかみ)、藤宰相(とうさいしょう)などだけが外から来ていた。やっとしてから出ておいでになった宮のお姿は美しくごりっぱであった。主人がたの頭(とうの)中将が盃(さかずき)を御前へ奉り、膳部を進めた。宮は次々に差し上げる盃を二つ三つお重ねになった。薫が御前のお世話をして御酒(みき)をお勧めしている時に、宮は少し微笑をお洩(も)らしになった。
 以前にこの縁組みの話をあそばして、堅苦しく儀礼ばることの好きな家の娘の婿になることなどは自分に不似合いなことでいやであると薫へお言いになったのを思い出しておいでになるのであろう。中納言のほうでは何も覚えていぬふうで、あくまで慇懃(いんぎん)にしていた。そしてまたこの人は東の対の座敷のほうに設けたお供の役人たちの酒席へまで顔を出して接待をした。はなやかな殿上役人も多かった四位の六人へは女の装束に細長、十人の五位へは三重襲(がさね)の唐衣(からぎぬ)、裳(も)の腰の模様も四位のとは等差があるもの、六位四人は綾(あや)の細長、袴(はかま)などが出された纏頭(てんとう)であった。この場合の贈り物なども法令に定められていてそれを越えたことはできないのであったから、品質や加工を精選してそろえてあった。召次侍(めしつぎざむらい)、舎人(とねり)などにもまた過分なものが与えられたのである。こうした派手(はで)な式事は目にもまばゆいものであるから、小説などにもまず書かれるのはそれであるが、自分に語った人はいちいち数えておくことができなかったそうであった。
 源中納言の従者の中に、あまり重用(ちょうよう)されない男かもしれぬが、暗い紛れに庭の中へはいって、それらの行なわれるのを見て来て、歎息(たんそく)を洩(も)らし、
「うちの殿様はなぜいざこざをお言いにならないでこちらの殿様の婿におなりにならなかったろう、つまらぬ御独身生活だ」
 と中門の所でつぶやいているのが耳にはいって中納言はおかしく思った。自身たちは夜ふけまで待たされていて、ただつまらぬ眠さを覚えさせられているだけであるのと、婿君の従者が美酒に酔わされて快くどこかの座敷で身を横たえているらしく思われるのとを比較してみてうらやましかったのであろう。
 薫は家に入り寝室で横になりながら、新しい婿として式に臨むことはきまりの悪そうなことである、たいそうな恰好(かっこう)をした舅(しゅうと)が席に出ていて、平生からなじみのある仲にもかかわらず燭(ひ)をあかあかともして勧める盃などを宮は落ち着いて受けておいでになったのはごりっぱなものであったなどと思い出していた。それは実際自分でもすぐれた娘というようなものを持っていれば、この宮以外には御所へでもお上げする気にはなれなかったであろうと思われた薫は、どこの家でも匂宮(におうみや)へ奉ろうとして志を得なかった人はまだ源中納言という同じほどな候補者があると、何にも自分が宮にお並べして言われるのは世間の受けが決して悪くない自分とせねばならないなどと思い上がりもされた。内親王を賜わるという帝の思召(おぼしめ)しなるものが真実であれば、こんなふうに気の進まぬ自分はどうすればいいのであろう、名誉なことにもせよ、自分としてありがたく思われない、女二(にょに)の宮(みや)が死んだ恋人によく似ておいでになったならその時はうれしいであろうがとさすがに否定をしきっているのでもない中納言であった。例のような目のさめがちな独(ひと)り寝のつれづれさを思って按察使(あぜち)の君と言って、他の愛人よりはやや深い愛を感じている女房の部屋(へや)へ行ってその夜は明かした。朝になりきればとて人が奇怪がることでもないのであるが、そんなことも気にするらしく急いで起きた薫を、女は恨めしく思ったに違いない。

うち渡し世に許しなき関川をみなれそめけん名こそ惜しけれ

 と按察使は言った。哀れに思われて、

深からず上は見ゆれど関川のしもの通ひは絶ゆるものかは

 薫はこう言った。恋の心は深いと言われてさえ頼みにならぬものであるのに、上は浅いと認めて言われるのに女は苦痛を覚えなかったはずはない。妻戸を薫はあけて、
「この夜明けの空のよさを思って早く出て見たかったのだ。こんな深い趣を味わおうとしない人の気が知れないね、風流がる男ではないが、夜長を苦しんで明かしたのちの秋の黎明(れいめい)は、この世から未来の世のことまでが思われて身にしむものだ」
 こんなことを紛らして言いながら薫は出て行った。女を喜ばそうとして上手(じょうず)なことを多く言わないのであるが、艶(えん)な高雅な風采(ふうさい)を備えた人であるために、冷酷であるなどとはどの相手も思っていないのであった。仮なように作られた初めの関係を、そのままにしたくなくて、せめて近くにいて顔だけでも見ることができればというような考えを持つのか、尼になっておいでになる所にもかかわらず、縁故を捜してこの宮へ女房勤めに出ている人々はそれぞれ身にしむ思いをするものらしく見えた。
 兵部卿の宮は式のあったのちの日に新夫人を昼間御覧になることによって、いっそう深い愛をお覚えになった。中くらいな背丈(せたけ)で、全体から受ける感じが清らかな人である。頬(ほお)にかかった髪、頭(かしら)つきはその中でも目だって美しい。皮膚があまりにも白いにおわしい色をした誇らかな気高(けだか)い顔の眸(め)つきはきわめて貴女らしくて、何の欠点もない美人というほかはない。二十一、二であった。少女ではないから完成されぬところもなくて妍麗(けんれい)なる盛りの花と見えた。大事に育てられてきた価値は十分に受けとれた。親の愛でこれを見れば、目もくらむ美女と思われるに違いない。ただ柔らかで愛嬌(あいきょう)があって、可憐(かれん)な点は中の君のよさがお思われになる宮であった。話をされた時にする返辞(へんじ)も羞(は)じらってはいるが、またたよりない気を覚えさせもしない。確かな価値の備わった才女らしい姫君であった。きれいな若い女房が三十人ほど、童女六人が姫君付きで、そうした人の服装なども、きらきらしいものは飽くほど見ておいでになる兵部卿(ひょうぶきょう)の宮だと思い、不思議なほど目だたぬふうに作らせてあった。三条の夫人が生んだ長女を東宮へ奉った時よりも今度の婿迎えを大事に夕霧の大臣は準備したというのも、宮の御声望の高さがさせたことであろう。
 それからのちの宮は二条の院へ気安くおいでになることもおできにならなかった。軽い御身分でなかったから、昼間をそちらへ行っておいでになるということもむずかしくて、六条院の中の南の御殿に以前ずっとおいでになったようにしてお住みになり、日が暮れると東御殿を余所(よそ)にしてお出かけになることもおできになれなかったりして、宮が幾日もおいでにならぬことのあるため、こうなることであろうとは思ったが、すぐにも露骨に冷淡なお扱いを受けることになったではないか、賢い人であれば自分の無価値さをよく知って京へまでは出て来なかったはずであったと、今になっては返す返す宇治を離れて来たことが正気をもってしたこととは思えなくて悲しい中の君は、やはりどうともして宇治へ行くことにしたい、ここを捨てて行くふうではなくて、あちらでしばらくでも心を休めたい、反抗的に行なえば人聞きも悪いであろうが、それならばいいはずである、とこの煩悶(はんもん)を一人で背負いきれぬように思い、恥ずかしくは思ったが源中納言に手紙を送った。
父君の仏事の日のことは阿闍梨(あじゃり)から報告がございましてくわしく知ることができました。あなたのように昔の名残(なごり)を思ってくださいます方がありませんでしたなら、どんなに故人はみじめであったかと思われますにつけても御親切がうれしくばかり思われます。なおこのお礼はお目にかかれます時に自身で申し上げたいと思います。
 という文(ふみ)であった。檀紙の上の字も見栄(みえ)をかまわずまじめな書きぶりがしてあるのであるが、それもまた美しく思われた。八の宮の御忌日に僧を集めて法事を宇治で薫が行なってくれたのに対する礼状なのであって、おおげさに謝意は述べてないが好意は深く認めているらしく思われた。平生はこちらから送る手紙の返事さえ気を置くふうに短くより書いて来ない人が、自身でまた口ずからお礼を申し上げたいと思うというようなことの書かれてあることのうれしさに薫の心はときめいた。宮がお得になったはなやかな生活に心が多くお引かれになって、二条の院へはよくもおいでにならないことについての中の君の煩悶(はんもん)も見えるのが哀れで、恋愛的なものではない手紙であるが、手から放たず何度となく薫は繰り返して読んでいた。返事は、
承りました。先日は僧のようなことを多く申して、昔のことばかりを歎いた私でしたが、それは追想にとらわれざるをえない時節だったからです。名残とお書きになりましたことで、私が故人の宮様にお持ちする感情を少し浅く御覧になっていらっしゃるのではないかと恨めしくなります。
何も皆近く参上してお話しいたしましょう。
 と、きまじめな文章が、白い厚い色紙に書いて送られた。
 薫(かおる)は翌日の夕方に二条の院の中の君を訪(たず)ねた。中の君を恋しく思う心の添った人であるから、わけもなく服装などが気になり、柔らかな衣服に、備わるが上の薫香(くんこう)をたきしめて来たのであったから、あまりにも高いにおいがあたりに散り、常に使っている丁字(ちょうじ)染めの扇が知らず知らず立てる香などさえ美しい感じを覚えさせた。中の君も昔のあの夜のことが思い出されることもないのではなかったから、父宮と姉君への愛の深さが認識されるにつけても、運命が姉の意志のままになっていたのであったらと心の動揺を覚えたかもしれない。少女ではないのであるから、恨めしい方の心と比べてみて、何につけてもりっぱな薫がわかったのか、平生あまりに遠々しくもてなしていて気の毒であった、人情にうとい女だとこの人が思うかもしれぬと思い、今日は前の室の御簾(みす)の中へ入れて、自身は中央の室の御簾に几帳(きちょう)を添え、少し後ろへ身を引いた形で対談をしようとした。
「お招きくだすったのではありませんが、来てもよろしいとのお許しが珍しくいただけましたお礼に、すぐにもまいりたかったのですが、宮様が来ておいでになると承ったものですから、御都合がお悪いかもしれぬと御遠慮を申して今日にいたしました。これは長い間の私の誠意がようやく認められてまいったのでしょうか。
次ページ
ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:118 KB

担当:undef