野道
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著者名:幸田露伴 

 流鶯(りゅうおう)啼破(ていは)す一簾(いちれん)の春。書斎に籠(こも)っていても春は分明(ぶんみょう)に人の心の扉(とびら)を排(ひら)いて入込(はいりこ)むほどになった。
 郵便脚夫(ゆうびんきゃくふ)にも燕(つばめ)や蝶(ちょう)に春の来ると同じく春は来たのであろう。郵便という声も陽気に軽やかに、幾個(いくつ)かの郵便物を投込んで、そしてひらりと燕がえしに身を翻(ひるが)えして去った。
 無事平和の春の日に友人の音信(おとずれ)を受取るということは、感じのよい事の一(いつ)である。たとえば、その書簡(てがみ)の封(ふう)を開くと、その中からは意外な悲しいことや煩(わずら)わしいことが現われようとも、それは第二段の事で、差当っては長閑(のどか)な日に友人の手紙、それが心境に投げられた恵光(けいこう)で無いことは無い。
 見るとその三四の郵便物の中の一番上になっている一封の文字は、先輩(せんぱい)の某氏(ぼうし)の筆(ふで)であることは明らかであった。そして名宛(なあて)の左側の、親展とか侍曹(じそう)とか至急とか書くべきところに、閑事(かんじ)という二字が記されてあった。閑事と表記してあるのは、急を要する用事でも何んでも無いから、忙(いそ)がしくなかったら披(ひら)いて読め、他(た)に心の惹(ひ)かれる事でもあったら後廻(あとまわ)しにしてよい、という注意である。ところがその閑事としてあったのが嬉(うれ)しくて、他の郵書よりはまず第一にそれを手にして開読した、さも大至急とでも注記してあったものを受取ったように。
 書中のおもむきは、過日絮談(じょだん)の折にお話したごとく某々氏等(ら)と瓢酒(ひょうしゅ)野蔬(やそ)で春郊(しゅんこう)漫歩(まんぽ)の半日を楽(たのし)もうと好晴の日に出掛(でか)ける、貴居(ききょ)はすでに都外故その節(せつ)お尋(たず)ねしてご誘引(ゆういん)する、ご同行あるならかの物二三枚をお忘れないように、呵々(かか)、というまでであった。
 おもしろい。自分はまだ知らないことだ。が、教えられていたから、妻に対(むか)って、オイ、二三枚でよいが杉(すぎ)の赤身(あかみ)の屋根板は無いか、と尋ねた。そんなものはございません、と云(い)ったが、少し考えてから、老婢(ろうひ)を近処(きんじょ)の知合(しりあい)の大工(だいく)さんのところへ遣(や)って、巧(うま)く祈(いの)り出して来た。滝割(たきわり)の片木(へぎ)で、杉の佳(よ)い香(か)が佳い色に含(ふく)まれていた。なるほどなるほどと自分は感心して、小短冊(こたんじゃく)位の大きさにそれを断(き)って、そして有合せの味噌(みそ)をその杓子(しゃくし)の背で五厘(りん)か七厘ほど、一分(ぶ)とはならぬ厚さに均(なら)して塗(ぬ)りつけた。妻と婢とは黙(だま)って笑って見ていた。今度からは汝達(おまえたち)にしてもらう、おぼえておけ、と云いながら、自分は味噌の方を火に向けて片木(へぎ)を火鉢(ひばち)の上に翳(かざ)した。なるほどなるほど、味噌は巧(うま)く板に馴染(なじ)んでいるから剥落(はくらく)もせず、よい工合に少し焦(こ)げて、人の※意(さんい)[#「飫」のへん+「巉」のつくり、398-6]を催(もよお)させる香気(こうき)を発する。同じようなのが二枚出来たところで、味噌の方を腹合せにしてちょっと紙に包(くる)んで、それでもう事は了(りょう)した。
 その翌日になった。照りはせぬけれども穏(おだ)やかな花ぐもりの好い暖い日であった。三先輩は打揃(うちそろ)って茅屋(ぼうおく)を訪(と)うてくれた。いずれも自分の親としてよい年輩の人々で、その中(うち)の一人は手製の東坡巾(とうばきん)といったようなものを冠(かぶ)って、鼠紬(ねずみつむぎ)の道行振(みちゆきぶり)を被(き)ているという打扮(いでたち)だから、誰(だれ)が見ても漢詩の一つも作る人である。他の二人も老人らしく似(に)つこらしい打扮だが、一人の濃(こ)い褐色(かっしょく)の土耳古帽子(トルコぼうし)に黒い絹(きぬ)の総糸(ふさいと)が長く垂(た)れているのはちょっと人目を側立(そばだ)たせたし、また他の一人の鍔無(つばな)しの平たい毛織帽子に、鼠甲斐絹(ねずみかいき)のパッチで尻端折(しりはしょり)、薄(うす)いノメリの駒下駄穿(こまげたば)きという姿(なり)も、妙な洒落(しゃれ)からであって、後輩の自分が枯草色(かれくさいろ)の半毛織の猟服(りょうふく)――その頃(ころ)銃猟(じゅうりょう)をしていたので――のポケットに肩(かた)から吊(つ)った二合瓶(にごうびん)を入れているのだけが、何だか野卑(やひ)のようで一群に掛離(かけはな)れ過ぎて見えた。
 庭口から直(ちょく)に縁側(えんがわ)の日当りに腰(こし)を卸(おろ)して五分ばかりの茶談の後、自分を促(うなが)して先輩等は立出でたのであった。自分の村人は自分に遇(あ)うと、興がる眼(め)をもって一行を見て笑いながら挨拶(あいさつ)した。自分は何となく少しテレた。けれども先輩達は長閑気(のんき)に元気に溌溂(はつらつ)と笑い興じて、田舎道(いなかみち)を市川の方へ行(ある)いた。
 菜(な)の花畠(はなばたけ)、麦(むぎ)の畠、そらまめの花、田境(たざかい)の榛(はん)の木を籠(こ)める遠霞(とおがすみ)、村の児(こ)の小鮒(こぶな)を逐廻(おいまわ)している溝川(みぞかわ)、竹籬(たけがき)、薮椿(やぶつばき)の落ちはららいでいる、小禽(ことり)のちらつく、何ということも無い田舎路ではあるが、ある点を見出しては、いいネエ、と先輩がいう。なるほど指摘(してき)されて見ると、呉春(ごしゅん)の小品でも見る位には思えるちょっとした美がある。小さな稲荷(いなり)のよろけ鳥居が薮げやきのもじゃもじゃの傍(そば)に見えるのをほめる。ほめられて見ると、なるほどちょっとおもしろくその丹(に)ぬりの色の古ぼけ加減が思われる。土橋(どばし)から少し離(はな)れて馬頭観音(ばとうかんのん)が有り無しの陽炎(かげろう)の中に立っている、里の子のわざくれだろう、蓮華草(れんげそう)の小束(こたば)がそこに抛(ほう)り出されている。いいという。なるはど悪くはない。今はじまったことでは無いが、自分は先輩のいかにも先輩だけあるのに感服させられて、ハイなるほどそうですネ、ハイなるほどそうですネ、と云っていると、東坡巾の先生は□然(てんぜん)として笑出して、君そんなに感服ばかりしていると、今に馬糞(まぐそ)の道傍(みちばた)に盛上(もりあ)がっているのまで春の景色(けいしょく)だなぞと褒(ほ)めさせられるよ、と戯(たわむ)れたので一同(みんな)哄然(どっ)と笑声(しょうせい)を挙(あ)げた。
 東坡巾先生は道行振の下から腰にしていた小さな瓢(ひさご)を取出した。一合少し位しか入らぬらしいが、いかにも上品な佳(よ)い瓢だった。そして底の縁(へり)に小孔(こあな)があって、それに細い組紐(くみひも)を通してある白い小玉盃(しょうぎょくはい)を取出して自ら楽しげに一盃(いっぱい)を仰(あお)いだ。そこは江戸川の西の土堤(どて)へ上(あが)り端(ばな)のところであった。堤(つつみ)の桜(さくら)わずか二三株(しゅ)ほど眼界に入っていた。
 土耳古帽(トルコぼう)は堤畔(ていはん)の草に腰を下して休んだ。二合余も入りそうな瓢にスカリのかかっているのを傍に置き、袂(たもと)から白い巾(きれ)に包(くる)んだ赤楽(あからく)の馬上杯(ばじょうはい)を取出し、一度拭(ぬぐ)ってから落ちついて独酌(どくしゃく)した。鼠股引(ねずみももひき)の先生は二ツ折にした手拭(てぬぐい)を草に布(し)いてその上へ腰を下して、銀の細箍(ほそたが)のかかっている杉の吸筒(すいづつ)の栓(せん)をさし直して、張紙(はりこ)の□猪口(ぬりちょく)の中は総金箔(ひたはく)になっているのに一盃ついで、一ト口呑(の)んだままなおそれを手にして四方(あたり)を眺(なが)めている。自分は人々に傚(なら)って、堤腹に脚(あし)を出しながら、帰路(かえり)には捨てるつもりで持って来た安い猪口に吾(わ)が酒を注(つ)いで呑んだ。
 見ると東坡巾先生は瓢も玉盃も腰にして了(しま)って、懐中(ふところ)の紙入から弾機(ばね)の無い西洋ナイフのような総真鍮製(そうしんちゅうせい)の物を取出して、刃(は)を引出して真直(まっすぐ)にして少し戻(もど)すと手丈夫(てじょうぶ)な真鍮の刀子(とうす)になった。それを手にして堤下(どてした)を少しうろついていたが、何か掘(ほ)っていると思うと、たちまちにして春の日に光る白い小さい球根を五つ六つ懐(ふところ)から出した半紙の上に載(の)せて戻(もど)って来た。ヤア、と云って皆は挨拶した。
 鼠股引氏は早速(さっそく)にその球(たま)を受取って、懐紙(かいし)で土を拭って、取出した小短冊形の杉板の焼味噌にそれを突掛(つっか)けて喫(た)べて、余りの半盃を嚥(の)んだ。土耳古帽氏も同じくそうした。東坡巾先生は味噌は携(たずさ)えていなくって、君がたんと持って来たろうと思っていたといって自分に出させた。果して自分が他に比すれば馬鹿(ばか)に大きな板を二枚持っていたので、人々に哄笑(こうしょう)された。自分も一顆(か)の球を取って人々の為(な)すがごとくにした。球は野蒜(のびる)であった。焼味噌の塩味(しおみ)香気(こうき)と合(がっ)したその辛味(からみ)臭気(しゅうき)は酒を下(くだ)すにちょっとおもしろいおかしみがあった。
 真鍮刀は土耳古帽氏にわたされた。一同(みんな)はまたぶらぶらと笑語しながら堤上や堤下を歩いた。ふと土耳古帽氏は堤下の田の畔(くろ)へ立寄って何か採(と)った。皆々はそれを受けたが、もっさりした小さな草だった。東坡巾先生は叮嚀(ていねい)にその疎葉(そよう)を捨て、中心部の□(わか)いところを揀(えら)んで少し喫(た)べた。自分はいきなり味噌をつけて喫べたが、微(すこ)しく甘(あま)いが褒(ほ)められないものだった。何です、これは、と変な顔をして自分が問うと、鼠股引氏が、薺(なずな)さ、ベンペン草も君はご存知ないのかエ、と意地の悪い云い方をした。エ、ぺンペン草で一盃(いっぱい)飲まされたのですか、と自分が思わず呆(あき)れて不興(ふきょう)して言うと、いいサ、粥(かゆ)じゃあ一番いきな色を見せるという憎(にく)くもないものだから、と股引氏はいよいよ人を茶(ちゃ)にしている。土耳古帽氏は復(ふたた)び畠の傍(そば)から何か採(と)って来て、自分の不興を埋合(うめあわ)せるつもりでもあるように、それならこれはどうです、と差出してくれた。それを見ると東坡巾先生は悲しむように妙(みょう)に笑ったが、まず自ら手を出して喫べたから、自分も安心して味噌を着けて試みたが、歯切れの好いのみで、可も不可も無い。よく視(み)るとハコべの□(わか)いのだったので、ア、コリャ助からない、□(とり)じゃあ有るまいし、と手に残したのを抛捨(なげす)てると、一同(みんな)がハハハと笑った。
 土耳古帽氏が真鍮刀を鼠股引氏に渡すと、氏は直(ただち)にそれを予(よ)に逓与(わた)して、わたしはこれは要(い)らない、と云いながら、見つけたものが有るのか、ちょっと歩きぬけて、百姓家(ひゃくしょうや)の背戸(せど)の雑樹籬(ぞうきがき)のところへ行った。籬には蔓草(つるぐさ)が埒無(らちな)く纏(まと)いついていて、それに黄色い花がたくさん咲きかけていた。その花や莟(つぼみ)をチョイチョイ摘取(つみと)って、ふところの紙の上に盛溢(もりこぼ)れるほど持って来た。サア、味噌までにも及びません、と仲直り気味にまず予に薦(すす)めてくれた。花は唇形(しんけい)で、少し佳い香(かおり)がある。食べると甘い、忍冬花(すいかずら)であった。これに機嫌(きげん)を直して、楽しく一杯酒を賞(しょう)した。
 氏はまた蒲公英(たんぽぽ)少しと、蕗(ふき)の晩(おく)れ出(で)の芽(め)とを採ってくれた。双方(そうほう)共に苦いが、蕗の芽は特(こと)に苦い。しかしいずれもごく少許(しょうきょ)を味噌と共に味わえば、酒客好(しゅかくごの)みのものであった。
 困ったのは自分が何か採ろうと思っても自分の眼(め)に何も入らなかったことであった。まさかオンバコやスギ菜を取って食わせる訳にもゆかず、せめてスカンポか茅花(つばな)でも無いかと思っても見当らず、茗荷(みょうが)ぐらいは有りそうなものと思ってもそれも無し、山椒(さんしょ)でも有ったら木(こ)の芽(め)だけでもよいがと、苦(くるし)みながら四方(あたり)を見廻(みまわ)しても何も無かった。八重桜が時々見える。あの花に味噌を着けたら食えぬことは有るまい、最後はそれだ、と腹の中で定(き)めながら、なお四辺を見て行くと、百姓家の小汚(こぎたな)い孤屋(こおく)の背戸に椎(しい)の樹(き)まじりに粟(くり)だか何だか三四本生(は)えてる樹蔭(こかげ)に、黄色い四弁(べん)の花の咲いている、毛の生えた茎(くき)から、薄い軟(やわ)らかげな裏の白い、桑のような形に裂(き)れこみの大きい葉の出ているものがあった。何というものか知らないが、菜の類(たぐい)の花を着けているからその類のものだろうと、別に食べる気でも食べさせる気でも無かったが、真鍮刀でその一茎を切って手にして一行のところへ戻(もど)って来ると、鼠股引は目敏(めざと)くも、それは何です、と問うた。何だか知らないのであるがそう尋(たず)ねられると、自分が食べてさえ見せればよいような気になって、答えもせずに口のほとりへ持って行った。途端(とたん)に恐ろしい敏捷(すばや)さで東坡巾先生は突(つ)と出て自分の手からそれを打落(うちおと)して、やや慌(あわ)て気味(ぎみ)で、飛んでもない、そんなものを口にして成るものですか、と叱(しっ)するがごとくに制止した。自分は呆(あき)れて驚(おどろ)いた。
 先生の言(げん)によると、それはタムシ草と云って、その葉や茎から出る汁(しる)を塗(ぬ)れば疥癬(ひぜん)の虫さえ死んでしまうという毒草だそうで、食べるどころのものでは無い危いものだということであって、自分も全く驚いてしまった。こんな長閑気(のんき)な仙人(せんにん)じみた閑遊(かんゆう)の間にも、危険は伏在(ふくざい)しているものかと、今更ながら呆れざるを得なかった。
 ペンペン草の返礼にあれを喫(た)べさせられては、と土耳舌帽氏も恐れ入った。人々は大笑いに笑い、自分も笑ったが、自分の慙入(はじい)った感情は、洒々落々(しゃしゃらくらく)たる人々の間の事とて、やがて水と流され風と払(はら)われて何の痕(あと)も留(とど)めなくなった。
 その日はなお種々(いろいろ)のものを喫(きっ)したが、今詳(くわ)しく思出すことは出来ない。その後のある日にもまた自分が有毒のものを採って叱(しか)られたことを記憶(きおく)しているが、三十余年前のかの晩春の一日(いちじつ)は霞(かすみ)の奥(おく)の花のように楽しい面白かった情景として、春ごとの頭に浮んで来る。
(昭和三年五月)



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