鵞鳥
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著者名:幸田露伴 

 ガラーリ
 格子(こうし)の開(あ)く音がした。茶の間に居た細君(さいくん)は、誰(だれ)かしらんと思ったらしく、つと立上って物の隙(すき)からちょっと窺(うかが)ったが、それがいつも今頃(いまごろ)帰るはずの夫だったと解(わか)ると、すぐとそのままに出て、
「お帰りなさいまし。」
と、ぞんざいに挨拶(あいさつ)して迎(むか)えた。ぞんざいというと非難するように聞えるが、そうではない、シネクネと身体(からだ)にシナを付けて、語音に礼儀(れいぎ)の潤(うるお)いを持たせて、奥様(おくさま)らしく気取って挨拶するようなことはこの細君の大の不得手(ふえて)で、褒(ほ)めて云(い)えば真率(しんそつ)なのである。それもその道理で、夫は今でこそ若崎(わかざき)先生、とか何とか云われているものの、本(もと)は云わば職人で、その職人だった頃には一□通りでは無い貧苦(ひんく)と戦ってきた幾年(いくねん)の間(あいだ)を浮世(うきよ)とやり合って、よく搦手(からめて)を守りおおさせたいわゆるオカミサンであったのであるし、それに元来が古風実体(こふうじってい)な質(たち)で、身なり髪(かみ)かたちも余り気にせぬので、まだそれほどの年では無いが、もはや中婆(ちゅうば)ァさんに見えかかっている位である。
「ア、帰ったよ。」
と夫が優しく答えたことなどは、いつの日にも無いことではあったが、それでも夫は神経が敏(さと)くて、受けこたえにまめで、誰に対(むか)っても自然と愛想好(あいそよ)く、日々家へ帰って来る時立迎えると、こちらでもあちらを見る、あちらでもこちらを見る、イヤ、何も互(たがい)にワザと見るというのでも無いが、自然と相見るその時に、夫の眼(め)の中に和(やわ)らかな心、「お前も平安、おれも平安、お互に仕合(しあわ)せだナア」と、それほど立入った細かい筋路(すじみち)がある訳では無いが、何となく和楽(わらく)の満足を示すようなものが見える。その別に取立てて云うほどの何があるでも無い眼を見て、初めて夫がホントに帰って来たような気がし、そしてまた自分がこの人の家内(かない)であり、半身であると無意識的に感じると同時に、吾(わ)が身が夫の身のまわりに附(つ)いてまわって夫を扱(あつか)い、衣類を着換(きか)えさせてやったり、坐(ざ)を定めさせてやったり、何にかかにか自分の心を夫に添(そ)わせて働くようになる。それがこの数年の定跡(じょうせき)であった。
 ところが今日(きょう)はどういうものであろう。その一□眼が自分には全く与(あた)えられなかった。夫はまるで自分というものの居ることを忘れはてているよう、夫は夫、わたしはわたしで、別々の世界に居るもののように見えた。物は失われてから真の価(あたい)がわかる。今になって毎日毎日の何でも無かったその一□眼が貴(たっと)いものであったことが悟(さと)られた。と、いうように何も明白に順序立てて自然に感じられるわけでは無いが、何かしら物苦しい淋(さび)しい不安なものが自分に逼(せま)って来るのを妻は感じた。それは、いつもの通りに、古代の人のような帽子(ぼうし)――というよりは冠(かんむり)を脱(ぬ)ぎ、天神様(てんじんさま)のような服を着換えさせる間にも、いかにも不機嫌(ふきげん)のように、真面目(まじめ)ではあるが、勇(いさ)みの無い、沈(しず)んだ、沈んで行きつつあるような夫の様子(ようす)で、妻はそう感じたのであった。
 永年(ながねん)連添(つれそ)う間には、何家(どこ)でも夫婦(ふうふ)の間に晴天和風ばかりは無い。夫が妻に対して随分(ずいぶん)強い不満を抱(いだ)くことも有り、妻が夫に対して口惜(くや)しい厭(いや)な思(おもい)をすることもある。その最も甚(はなはだ)しい時に、自分は悪い癖(くせ)で、女だてらに、少しガサツなところの有る性分(しょうぶん)か知らぬが、ツイ荒(あら)い物言いもするが、夫はいよいよ怒(おこ)るとなると、勘高(かんだか)い声で人の胸にささるような口をきくのも止(や)めてしまって、黙(だま)って何も言わなくなり、こちらに対って眼は開(あ)いていても物を見ないかのようになる。それが今日(きょう)の今のような調子合(ちょうしあい)だ。妙(みょう)なところに夫は坐(すわ)り込(こ)んだ。細工場(さいくば)、それは土間になっているところと、居間とが続いている、その居間の端(はし)、一段低くなっている細工場を、横にしてそっちを見ながら坐ったのである。仕方がない、そこへ茶をもって行った。熱いもぬるいも知らぬような風に飲んだ。顔色(かおいろ)が冴(さ)えない、気が何かに粘(ねば)っている。自分に対して甚しく憎悪(ぞうお)でもしているかとちょっと感じたが、自分には何も心当りも無い。で、
「どうかなさいましたか。」
と訊(き)く。返辞が無い。
「気色(きしょく)が悪いのじゃなくて。」
とまた訊くと、うるさいと云わぬばかりに、
「何とも無い。」
 附(つ)き穂(ほ)が無いという返辞の仕方だ。何とも無いと云われても、どうも何か有るに違(ちが)い無い。内(うち)の人の身分が好(よ)くなり、交際(こうさい)が上って来るにつけ、わたしが足らぬ、つり合い足らぬと他の人達に思われ云われはせぬかという女気(おんなぎ)の案じがなくも無いので、自分の事かしらんとまたちょっと疑(うたぐ)ったが、どうもそうでも無いらしい。
 定(き)まって晩酌(ばんしゃく)を取るというのでもなく、もとより謹直(きんちょく)倹約(けんやく)の主人であり、自分も夫に酒を飲まれるようなことは嫌(きら)いなのではあるが、それでも少し飲むと賑(にぎ)やかに機嫌好くなって、罪も無く興じる主人である。そこで、
「晩には何か取りまして、ひさしぶりで一本あげましょうか。」
と云った。近来大(おおい)に進歩して、細君はこの提議(ていぎ)をしたのである。ところが、
「なぜサ。」
と善良な夫は反問の言外に明らかにそんなことはせずとよいと否定(ひてい)してしまった。是非(ぜひ)も無い、簡素(かんそ)な晩食(ばんしょく)は平常(いつも)の通りに済(す)まされたが、主人の様子は平常(いつも)の通りでは無かった。激(げき)しているのでも無く、怖(おそ)れているのでも無いらしい。が、何かと談話(だんわ)をしてその糸口(いとぐち)を引出そうとしても、夫はうるさがるばかりであった。サア、まことの糟糠(そうこう)の妻たる夫思いの細君はついに堪(こら)えかねて、真正面から、
「あなたは今日はどうかなさったの。」
と逼(せま)って訊いた。
「どうもしない。」
「だって。……わたしの事?」
「ナーニ。」
「それならお勤先の事?」
「ウウ、マアそうサ。」
「マアそうサなんて、変な仰(おっしゃ)り様(よう)ネ。どういうこと?」
「…………」
「辞職?」
と聞いたのは、吾が夫と中村という人とは他の教官達とは全く出(で)が異(ちが)っていて、肌合(はだあい)の職人風のところが引装(ひきつくろ)わしてもどこかで出る、それは学校なんぞというものとは映(うつ)りの悪いことである。それを仲の好い二人(ふたり)が笑って話合っていた折々のあるのを知っていたからである。
「ナーニ。」
「免職(めんしょく)? 御(お)さとし免職ってことが有るってネ。もしか免職なんていうんなら、わたしゃ聴(き)きやしない。あなたなんか、ヤイヤイ云われて貰(もら)われたレッキとした堅気(かたぎ)のお嬢(じょう)さんみたようなもので、それを免職と云えば無理離縁(りえん)のようなものですからネ。」
「誰も免職とも何とも云ってはいないよ。お先ッ走り! うるさいネ。」
「そんならどうしたの? 誰か高慢(こうまん)チキな意地悪と喧嘩(けんか)でもしたの。」
「イイヤ。」
「そんなら……」
「うるさいね。」
「だって……」
「うるさいッ。」
「オヤ、けんどんですネ、人が一生懸命(いっしょうけんめい)になって訊(き)いてるのに。何でそんなに沈んでいるのです?」
「別に沈んじゃいない。」
「イイエ、沈んでいます。かわいそうに。何でそんなに。」
「かわいそうに、は好かったネ、ハハハハ。」
「人をはぐらかすものじゃありませんよ。ホン気になっているものを。サ、なんで、そんなに……。なんでですよ。」
「ひとりでにカなア。」
「マア! 何も隠(かく)さなくったッていいじゃありませんか。どういう入(い)□訳(わけ)なんですか聴かせて下さい。実はコレコレとネ。女だって、わたしあ、あなたの忠臣(ちゅうしん)じゃありませんか。」
 忠臣という言葉は少し奇異(きい)に用いられたが、この人にしてはごもっともであった。実際この主人の忠臣であるに疑いない。しかし主人の耳にも浄瑠璃(じょうるり)なんどに出る忠臣という語に連関して聞えたか、
「話せッて云ったって、隠すのじゃ無いが、おんなわらべの知る事ならずサ。」
 浄瑠璃の行われる西の人だったから、主人は偶然(ぐうぜん)に用いた語り物の言葉を用いたのだが、同じく西の人で、これを知っていたところの真率で善良で忠誠な細君はカッとなって瞋(いか)った。が、直(じき)にまた悲痛な顔になって堪(こら)え涙(なみだ)をうるませた。自分の軽視されたということよりも、夫の胸の中(うち)に在るものが真に女わらべの知るには余るものであろうと感じて、なおさら心配に堪(た)えなくなったのである。
 格子戸は一つ格子戸である。しかし明ける音は人々で異る。夫の明けた音は細君の耳には必ず夫の明けた音と聞えて、百に一つも間違(まちが)うことは無い。それが今日は、夫の明けた音とは聞えず、ハテ誰が来たかというように聞えた。今その格子戸を明けるにつけて、細君はまた今更に物を思いながら外へ出た。まだ暮(く)れたばかりの初夏(しょか)の谷中(やなか)の風は上野つづきだけに涼(すず)しく心よかった。ごく懇意(こんい)でありまたごく近くである同じ谷中の夫の同僚(どうりょう)の中村の家を訪(と)い、その細君に立話しをして、中村に吾家(うち)へ遊びに来てもらうことを請(こ)うたのである。中村の細君は、何、あなた、ご心配になるようなことではございますまい、何でもかえってお喜びになるような事がお有りのはずに、チラと承りました、しかし宅(たく)は必ず伺(うかが)わせますよう致(いた)しましょう、と請合(うけあ)ってくれた。同じ立場に在る者は同じような感情を懐(いだ)いて互によく理解し合うものであるから、中村の細君が一も二も無く若崎の細君の云う通りになってくれたのでもあろうが、一つには平常(いつも)同じような身分の出というところからごくごく両家が心安くし合い、また一つには若崎が多くは常に中村の原型によってこれを鋳(い)ることをする芸術上の兄弟分(きょうだいぶん)のような関係から、自然と離(はな)れ難(がた)き仲になっていた故もあったろう。若崎の細君(さいくん)はいそいそとして帰った。

     ○

 顔も大きいが身体(からだ)も大きくゆったりとしている上に、職人上りとは誰にも見せぬふさふさとした頤鬚(あごひげ)上髭(うわひげ)頬髯(ほおひげ)を無遠慮(ぶえんりょ)に生(は)やしているので、なかなか立派に見える中村が、客座にどっしりと構えて鷹揚(おうよう)にまださほどは居ぬ蚊(か)を吾家(うち)から提(さ)げた大きな雅(が)な団扇(うちわ)で緩(ゆる)く払(はら)いながら、逼(せま)らぬ気味合(きみあい)で眼のまわりに皺(しわ)を湛(たた)えつつも、何か話すところは実に堂々として、どうしても兄分である。そしてまたこの家(や)の主人に対して先輩(せんぱい)たる情愛と貫禄(かんろく)とをもって臨んでいる綽々(しゃくしゃく)として余裕(よゆう)ある態度は、いかにもここの細君をしてその来訪を需(もと)めさせただけのことは有る。これに対座している主人は痩形(やせがた)小づくりというほどでも無いが対手(あいて)が対手だけに、まだ幅(はば)が足らぬように見える。しかしよしや大智深智(だいちしんち)でないまでも、相応に鋭(するど)い智慧(ちえ)才覚が、恐(おそ)ろしい負けぬ気を後盾(うしろだて)にしてまめに働き、どこかにコッツリとした、人には決して圧潰(おしつぶ)されぬもののあることを思わせる。
 客は無雑作(むぞうさ)に、
「奥さん。トいう訳だけで、ほかに何があったのでも無いのですから、まわり気(ぎ)の苦労はなさらないでいいのですヨ。おめでたいことじゃありませんかネ、ハハハ。」
と朗(ほがら)かに笑った。ここの細君は今はもう暗雲を一掃(いっそう)されてしまって、そこは女だ、ただもう喜びと安心とを心配の代りに得て、大風(たいふう)の吹(ふ)いた後の心持で、主客の間の茶盆(ちゃぼん)の位置をちょっと直しながら、軽く頭(かしら)を下げて、
「イエもう、業(わざ)の上の工夫(くふう)に惚(ほ)げていたと解りますれば何のこともございません。ホントにこの人は今までに随分こんなこともございましたッけ。」
と云った。客と主人との間の話で、今日学校で主人が校長から命ぜられた、それは一週間ばかり後に天子様が学校へご臨幸(りんこう)下さる、その折に主人が御前(ごぜん)で製作をしてご覧(らん)に入れるよう、そしてその製品を直(ただち)に、学校から献納(けんのう)し、お持帰りいただくということだったのが、解ったのであった。それで主人の真面目顔をしていたのは、その事に深く心を入れていたためで、別にほかに何があったのでもない、と自然に分明(ぶんみょう)したから、細君は憂(うれい)を転(てん)じて喜と為(な)し得た訳だったが、それも中村さんが、チョクに遊びに来られたお蔭(かげ)で分ったと、上機嫌になったのであった。
 女は上機嫌になると、とかくに下らない不必要なことを饒舌(しゃべ)り出して、それが自分の才能ででもあるような顔をするものだが、この細君は夫の厳(きび)しい教育を受けてか、その性分からか、幸(さいわい)にそういうことは無い人であった。純粋(じゅんすい)な感謝(かんしゃ)の念の籠(こも)ったおじぎを一つボクリとして引退(ひきさが)ってしまった。主人はもっと早く引退ってもよかったと思っていたらしく、客もまたあるいはそうなのか、細君が去ってしまうとかえって二人は解放されたような様子になった。
「君のところへ呼(よ)びに行きはしなかったかネ。もしそうだったら勘弁(かんべん)してくれたまえ。」
「ム。ハハハ。ナニ、ちょうど、話しに来ようと思っていたのサ。」
 主客の間にこんな挨拶が交されたが、客は大きな茶碗(ちゃわん)の番茶をいかにもゆっくりと飲乾(のみほ)す、その間主人の方を見ていたが、茶碗を下へ置くと、
「君は今日最初辞退をしたネ。」
と軽く話し出した。
「エエ。」
と主人は答えた。
「なぜネ。」
「なぜッて。イヤだったからです。」
「御前へ出るのにイヤってことはあるまい。」
 ホンの会話的の軽い非難だったが、答えは急遽(せわ)しかった。
「御前へ出るのにイヤの何のと、そんな勿体(もったい)ないことは夢にも思いません。だから校長に負けてしまいました。」
「ハハア、校長のいいつけがイヤだったのだネ。」
「そうです。だがもう私がすぐに負けてしまったのだから論はありません。」
「負けた負けたというのが変に聞えるよ。分らないネ。校長が別に無理なことを云ったとも私には思えないが。私も校長のいいつけで御前製作をして、面目(めんぼく)をほどこしたことのあるのは君も知っててくれるだろうに。」
と、少し面(おもて)をあげて鬚をしごいた。少し兄分振(ぶ)っているようにも見えた。しかし若崎の何か勘ちがいをした考(かんがえ)を有(も)っているらしい蒙(もう)を啓(ひら)いてやろうというような心切(しんせつ)から出た言葉に添った態度だったので、いかにも教師くさくは見えたが、威張(いば)っているとは見えなかった。
 若崎は話しの流れ方の勢(いきおい)で何だか自分が自分を弁護(べんご)しなければならぬようになったのを感じたが、貧乏神(びんぼうがみ)に執念(しゅうね)く取憑(とりつ)かれたあげくが死神にまで憑かれたと自ら思ったほどに浮世の苦酸(くさん)を嘗(な)めた男であったから、そういう感じが起ると同時にドッコイと踏止(ふみとど)まることを知っているので、反撃的(はんげきてき)の言葉などを出すに至るべき無益と愚(ぐ)との一歩手前で自ら省みた。
「ヤ、あの鶏(にわとり)は実に見事に出来ましたネ。私もあの鶏のような作がきっと出来るというのなら、イヤも鉄砲(てっぽう)も有りはしなかったのですがネ。」
と謙遜(けんそん)の布袋(ぬのぶくろ)の中へ何もかも抛(ほう)り込んでしまう態度を取りにかかった。世の中は無事でさえあれば好(い)いというのなら、これでよかったのだ。しかし若崎のこの答は、どうしても、何か有るのを露(あら)わすまいとしているのであると感じられずにはいない。
「きっと出来るよ。君の腕(うで)だからナ。」
と軽い言葉だ。善意の奨励(しょうれい)だ。赤剥(あかむ)きに剥いて言えば、世間に善意の奨励ほどウソのものは無い。悪意の非難がウソなら、善意の奨励もウソである。真実は意の無いところに在る。若崎は徹底(てってい)してオダテとモッコには乗りたくないと平常(いつも)思っている。客のこの言葉を聞くとブルッとするほど厭(いや)だった。ウソにいじりまわされている芸術ほどケチなものは無いと思っているからである。で、思わず知らず鼻のさきで笑うような調子に、
「腕なんぞで、君、何が出来るかネ。僕等(ぼくら)よりズット偉(えら)い人だって、腕なんかがアテになるものじゃあるまい。」
と云った。何かが破裂(はれつ)したのだ。客はギクリとしたようだったが、さすがは老骨(ろうこつ)だ。禅宗(ぜんしゅう)の味噌(みそ)すり坊主(ぼうず)のいわゆる脊梁骨(せきりょうこつ)を提起(ていき)した姿勢(しせい)になって、
「そんな無茶なことを云い出しては人迷(ひとまよ)わせだヨ。腕で無くって何で芸術が出来る。まして君なぞ既(すで)にいい腕になっているのだもの、いよいよ腕を磨(みが)くべしだネ。」
 戦闘(せんとう)が開始されたようなものだ。
「イヤ腕を磨くべきはもとよりだが、腕で芸術が出来るものではない。芸術は出来るもので、こしらえるものでは無さそうだ。君の方ではこしらえとおせるかも知れないが、僕の方や窯業(ようぎょう)の方の、火の芸術にたずさわるものは、おのずと、芸術は出来るものであると信じがちだ。火のはたらきは神秘(しんぴ)霊奇(れいき)だ。その火のはたらきをくぐって僕等の芸術は出来る。それを何ということだ。鋳金(ちゅうきん)の工作過程(かてい)を実地にご覧に入れ、そして最後には出来上ったものを美術として美術学校から献上(けんじょう)するという。そううまく行くべきものだか、どうだか。むかしも今も席画というがある、席画に美術を求めることの無理で愚(ぐ)なのは今は誰しも認(みと)めている。席上鋳金に美術を求める、そんな分らない校長ではないと思っていたが、校長には校長の考えもあろうし、鋳金はたとい蝋型(ろうがた)にせよ純粋美術とは云い難いが、また校長には把掖(はえき)誘導(ゆうどう)啓発(けいはつ)抜擢(ばってき)、あらゆる恩(おん)を受けているので、実はイヤだナアと思ったけれども枉(ま)げて従った。この心持がせめて君には分ってもらいたいのだが……」
と、中頃は余り言いすごしたと思ったので、末にはその意を濁(にご)してしまった。言ったとて今更どうなることでも無いので、図に乗って少し饒舌(しゃべ)り過ぎたと思ったのは疑いも無い。
 中村は少し凹(へこ)まされたかども有るが、この人は、「肉の多きや刃(やいば)その骨に及(およ)ばず」という身体(からだ)つきの徳(とく)を持っている、これもなかなかの功(こう)を経ているものなので、若崎の言葉の中心にはかまわずに、やはり先輩ぶりの態度を崩(くず)さず、
「それで家(うち)へ帰って不機嫌だったというのなら、君はまだ若過ぎるよ。議論みたようなことは、あれは新聞屋や雑誌屋(ざっしや)の手合にまかせておくサ。僕等は直接に芸術の中に居るのだから、塀(へい)の落書(らくがき)などに身を入れて見ることは無いよ。なるほど火の芸術と君は云うが、最後の鋳(い)るという一段だけが君の方は多いネ。ご覧に入れるには割が悪い。」
と打解けて同情し、場合によったら助言でも助勢でもしてやろうという様子だ。
「イヤ割が悪いどころでは無い、熔金(ゆ)を入れるその時に勝負が着くのだからネ。機嫌が甚(ひど)く悪いように見えたのは、どういうものだか、帰りの道で、吾家(うち)が見えるようになってフト気中(きあた)りがして、何だか今度の御前製作は見事に失敗するように思われ出して、それで一倍鬱屈(うっくつ)したので。」
「気アタリという奴(やつ)は厭なものだネ。わたしも若い時分には時々そういうおぼえがあったが。ナーニ必ず中るとばかりでも無いものだよ。今度の仏像(ぶつぞう)は御首(みぐし)をしくじるなんと予感して大(おおき)にショゲていても、何のあやまちも無く仕上って、かえって褒(ほ)められたことなんぞもありました。そう気にすることも無いものサ。」
と云いかけて、ちょっと考え、
「いったい、何を作ろうと思いなすったのか、まだ未定なのですか。」
と改まったように尋(たず)ねた。
「それが奇妙(きみょう)で、学校の門を出るとすぐに題が心に浮んで、わずかの道の中ですっかり姿(すがた)が纏(まと)まりました。」
「何を……どんなものを。」
「鵞鳥(がちよう)を。二羽(わ)の鵞鳥を。薄い平(ひら)めな土坡(どば)の上に、雄(おす)の方は高く首を昂(あ)げてい、雌(めす)はその雄に向って寄って行こうとするところです。無論小さく、写生風(しゃせいふう)に、鋳膚(いはだ)で十二分に味を見せて、そして、思いきり伸(の)ばした頸(くび)を、伸ばしきった姿の見ゆるように随分(ずいぶん)細く」
と話すのを、こっちも芸術家だ、眼をふさいで瞑想(めいそう)しながら聴いていると、ありありとその姿が前に在るように見えた。そしてまだ話をきかぬ雌までも浮いて見えたので、
「雌の方の頸はちょいと一□うねりしてネ、そして後足の爪(つめ)と踵(かかと)とに一□工夫がある。」
というと、不思議にも言い中(あ)てられたので、
「ハハハ、その通りその通り。」
と主人は爽(さわ)やかに笑った。が、その笑声の終らぬ中(うち)に、客はフト気中りがして、鵞鳥が鋳損(いそん)じられた場合を思った。デ、好い図ですネ、と既に言おうとしたのを呑(の)んでしまった。
 主人は、
「気中りがしてもしなくても構いませんが、ただ心配なのは御前ですからな。せっかくご天覧いただいているところで失敗しては堪(たま)りませんよ。と云って火のわざですから、失敗せぬよう理詰(りづ)めにはしますが、その時になって土を割ってみない中は何とも分りません。何だか御前で失敗するような気がすると、居ても立っても居られません。」
 中村は今現(げん)に自分にも変な気がしたのであったから、主人に同情せずにはいられなくなった。なるほど火の芸術は! 一切(いっさい)芸術の極致(きょくち)は皆そうであろうが、明らかに火の芸術は腕ばかりではどうにもならぬ。そこへ天覧という大きなことがかぶさって来ては! そこへまた予感という妖(あや)しいことが湧上(わきあが)っては! 鳴呼(ああ)、若崎が苦しむのも無理は無い。と思った。が、この男はまだ芸術家になりきらぬ中、香具師(やし)一流の望(のぞみ)に任(まか)せて、安直に素張(すば)らしい大仏を造ったことがある。それも製作技術の智慧からではあるが、丸太(まるた)を組み、割竹(わりだけ)を編み、紙を貼(は)り、色を傅(つ)けて、インチキ大仏のその眼の孔(あな)から安房(あわ)上総(かずさ)まで見ゆるほどなのを江戸(えど)に作ったことがある。そういう質(たち)の智慧のある人であるから、今ここにおいて行詰まるような意気地無(いくじな)しではなかった。先輩として助言した。
「君、なるほど火の芸術は厄介(やっかい)だ。しかしここに道はある。どうです、鵞鳥だからむずかしいので。蟾蜍(ひきがえる)と改題してはどんなものでしょう。昔(むかし)から蟾蜍の鋳物は古い水滴(すいてき)などにもある。醜(みにく)いものだが、雅はあるものだ。あれなら熔金(ゆ)の断(き)れるおそれなどは少しも無くて済む。」
 好意からの助言には相違無いが、若崎は侮辱(ぶじょく)されたように感じでもしたか、
「いやですナア蟾蜍は。やっぱり鵞鳥で苦(くるし)みましょうヨ。」
と、悲しげにまた何だか怨(うら)みっぽく答えた。
「そんなに鵞鳥に貼(つ)くこともありますまい。」
「イヤ、君だってそうでしょうが、題は自然に出て来るもので、それと定(き)まったら、もうわたしには棄(す)てきれませぬ。逃(に)げ道のために蝦蟇(がま)の術をつかうなんていう、忍術(にんじゅつ)のようなことは私には出来ません。進み進んで、出来る、出来ない、成就(じょうじゅ)不成就の紙一重(ひとえ)の危(あやう)い境(さかい)に臨んで奮(ふる)うのが芸術では無いでしょうか。」
「そりゃそういえば確にそうだが、忍術だって入□用のものだから世に伊賀流(いがりゅう)も甲賀流(こうがりゅう)もある。世間には忍術使いの美術家もなかなか多いよ。ハハハ。」
「御前製作ということでさえ無ければ、少しも屈托(くったく)は有りませんがナア。同じ火の芸術の人で陶工(とうこう)の愚斎(ぐさい)は、自分の作品を窯(かま)から取出す、火のための出来損じがもとより出来る、それは一々取っては抛(な)げ、取っては抛げ、大地へたたきつけて微塵(みじん)にしたと聞いています。いい心持の話じゃありませんか。」
「ムム、それで六兵衛(ろくべえ)一家(いっか)の基(もとい)を成したというが、あるいはマアお話じゃ無いかネ。」
「ところが御前で敲(たた)き毀(こわ)すようなものを作ってはなりませぬ、是非とも気の済(す)むようなものを作ってご覧をいただかねばなりませぬ。それが果して成るか成らぬか。そこに脊骨(せぼね)が絞(しぼ)られるような悩(なや)みが……」
「ト云うと天覧を仰(あお)ぐということが無理なことになるが、今更野暮(やぼ)を云っても何の役にも立たぬ。悩むがよいサ。苦むがよいサ。」
と断崖(だんがい)から取って投げたように言って、中村は豪然(ごうぜん)として威張った。
 若崎は勃然(むっ)として、
「知れたことサ。」
と見かえした。身体中に神経がピンと緊(きび)しく張ったでもあるように思われて、円味(まるみ)のあるキンキン声はその音ででも有るかと聞えた。しかしまたたちまちグッタリ沈んだ態(てい)に反(かえ)って、
「火はナア、……火はナア……」
と独(ひと)り言(ご)った。スルト中村は背を円くし頭(かしら)を低くして近々と若崎に向い、声も優しく細くして、
「火の芸術、火の芸術と君は云うがネ。何の芸術にだって厄介なところはきっと有る。僕の木彫(もくちょう)だって難関は有る。せっかくだんだんと彫上(ほりあ)げて行って、も少しで仕上(しあげ)になるという時、木の事だから木理(もくめ)がある、その木理のところへ小刀(こがたな)の力が加わる。木理によって、薄(うす)いところはホロリと欠けぬとは定まらぬ。たとえば矮鶏(ちゃぼ)の尾羽(おは)の端(はし)が三分(ぶ)五分欠けたら何となる、鶏冠(とさか)の蜂(みね)の二番目三番目が一分二分欠けたら何となる。もう繕(つくろ)いようもどうしようも無い、全く出来損じになる。材料も吟味(ぎんみ)し、木理も考え、小刀も利味(ききあじ)を善(よ)くし、力加減も気をつけ、何から何まで十二分に注意し、そして技(わざ)の限りを尽(つく)して作をしても、木の理(め)というものは一々に異(ちが)う、どんなところで思いのほかにホロリと欠けぬものでは無い。君の熔金(ゆ)の廻りがどんなところで足る足らぬが出来るのも同じことである。万一異(い)なところから木理がハネて、釣合(つりあい)を失えば、全体が失敗になる。御前でそういうことがあれば、何とも仕様は無いのだ。自分の不面目はもとより、貴人のご不興も恐多いことでは無いか。」
 ここまで説かれて、若崎は言葉も出せなくなった。何の道にも苦(くるし)みはある。なるほど木理は意外の業(わざ)をする。それで古来木理の無いような、粘(ねば)りの多い材、白檀(びゃくだん)、赤檀(しゃくだん)の類を用いて彫刻(ちょうこく)するが、また特に杉檜(すぎひのき)の類、刀(とう)の進みの早いものを用いることもする。御前彫刻などには大抵(たいてい)刀の進み易(やす)いものを用いて短時間に功を挙(あ)げることとする。なるほど、火、火とのみ云って、火の芸術のみを難儀(なんぎ)のもののように思っていたのは浅はかであったと悟った。
「なるほど。何の道にも苦しい瀬戸(せと)はある。有難い。お蔭で世界を広くしました。」
と心からしみじみ礼を云って頭(かしら)を畳(たたみ)へすりつけた。中村も悦(よろこ)ばしげに謝意を受けた。
「ところで若崎さん、御前細工というものは、こういう難儀なものなのに相違無いが、木彫その他の道において、御前細工に不首尾のあったことはかつて無い。徳川(とくがわ)時代、諸大名(しょだいみょう)の御前で細工事(さいくごと)ご覧に入れた際、一度でも何の某(なにがし)があやまちをしてご不興を蒙(こうむ)ったなどということは聞いたことが無い。君はどう思う。わかりますか。」
 これには若崎はまた驚(おどろ)かされた。
「一度もあやまちは無かった!」
「さればサ。功名(こうみょう)手柄(てがら)をあらわして賞美を得た話は折々あるが、失敗した談はかつて無い。」
 自分は今天覧の場合の失敗を恐れて骨を削(けず)り腸(はらわた)を絞(しぼ)る思をしているのである。それに何と昔からさような場合に一度のあやまちも無かったとは。
「ムーッ。」
と若崎は深い深い考に落ちた。心は光りの飛ぶごとくにあらゆる道理の中を駈巡(かけめぐ)ったが、何をとらえることも出来無かった。ただわずかに人の真心――誠(まこと)というものの一切に超越(ちょうえつ)して霊力(れいりょく)あるものということを思い得て、
「一心の誠というものは、それほどまでに強いものでしょうかナア。」
と真顔になって尋ねた。中村はニヤリと笑った。
「誠はもとより尊(たっと)い。しかし準備もまた尊いよ。」
 若崎には解釈出来なかった。
「竜(りゅう)なら竜、虎(とら)なら虎の木彫をする。殿様(とのさま)御前(ごぜん)に出て、鋸(のこぎり)、手斧(ちょうな)、鑿(のみ)、小刀を使ってだんだんとその形を刻(きざ)み出(いだ)す。次第に形がおよそ分明になって来る。その間には失敗は無い。たとい有ったにしても、何とでも作意を用いて、失敗の痕(あと)を無くすことが出来る。時刻が相応に移る。いかに物好な殿にせよ長くご覧になっておらるる間には退屈(たいくつ)する。そこで鱗(うろこ)なら鱗、毛なら毛を彫って、同じような刀法を繰返(くりかえ)す頃になって、殿にご休息をなさるよう申す。殿は一度お入りになってお茶など召させらるる。準備が尊いのはここで。かねて十分に作りおいたる竜なら竜、虎なら虎をそこに置き、前の彫りかけを隠(かく)しおく。殿復(ふたた)びお出ましの時には、小刀を取って、危気(あぶなげ)無きところを摩(な)ずるように削り、小々(しょうしょう)の刀屑(かたなくず)を出し、やがて成就の由(よし)を申し、近々ご覧に入るるのだ。何の思わぬあやまちなどが出来よう。ハハハ。すりかえの謀計(ぼうけい)である。君の鋳物などは最後は水桶(みずおけ)の中で型の泥(どろ)を割って像を出すのである。準備さえ水桶の中に致しておけば、容易に至難(しなん)の作品でも現わすことが出来る。もとより同人の同作、いつわり、贋物(がんぶつ)を現わすということでは無い。」
と低い声で細々(こまごま)と教えてくれた。若崎は唖然(あぜん)として驚いた。徳川期にはなるほどすべてこういう調子の事が行われたのだなと暁(さと)って、今更ながら世の清濁(せいだく)の上に思を馳(は)せて感悟(かんご)した。
「有難うございました。」
と慄(ふる)えた細い声で感謝した。
 その夜若崎は、「もう失敗しても悔(く)いない。おれは昔の怜悧者(りこうもの)ではない。おれは明治(めいじ)の人間だ。明治の天子様は、たとえ若崎が今度失敗しても、畢竟(ひっきょう)は認(みと)めて下さることを疑わない」と、安心(あんしん)立命(りつめい)の一境地に立って心中に叫んだ。

     ○

 天皇(てんのう)は学校に臨幸(りんこう)あらせられた。予定のごとく若崎の芸術をご覧あった。最後に至って若崎の鵞鳥は桶の水の中から現われた。残念にも雄の鵞鳥の頸は熔金(ゆ)のまわりが悪くて断(き)れていた。若崎は拝伏(はいふく)して泣いた。供奉(ぐぶ)諸官、及び学校諸員はもとより若崎のあの夜の心の叫(さけ)びを知ろうようは無かった。
 しかし、天恩洪大(こうだい)で、かえって芸術の奥には幽眇(ゆうびょう)不測なものがあることをご諒知(りょうち)下された。正直な若崎はその後しばしば大なるご用命を蒙り、その道における名誉(めいよ)を馳(は)するを得た。
(昭和十四年十二月)



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