雪たたき
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著者名:幸田露伴 

   上

 鳥が其巣を焚(や)かれ、獣が其窟(あな)をくつがえされた時は何様(どう)なる。
 悲しい声も能(よ)くは立てず、うつろな眼は意味無く動くまでで、鳥は篠(ささ)むらや草むらに首を突込み、ただ暁の天(そら)を切ない心に待焦るるであろう。獣は所謂(いわゆる)駭(おどろ)き心になって急に奔(はし)ったり、懼(おそ)れの目を張って疑いの足取り遅くのそのそと歩いたりしながら、何ぞの場合には咬(か)みつこうか、はたきつけようかと、恐ろしい緊張を顎骨(あごぼね)や爪の根に漲(みなぎ)らせることを忘れぬであろう。
 応仁、文明、長享、延徳を歴(へ)て、今は明応の二年十二月の初である。此頃は上(かみ)は大将軍や管領から、下(しも)は庶民に至るまで、哀れな鳥や獣となったものが何程(どれほど)有ったことだったろう。
 此処は当時明(みん)や朝鮮や南海との公然または秘密の交通貿易の要衝で大富有の地であった泉州堺の、町外れというのでは無いが物静かなところである。
 夕方から零(お)ち出した雪が暖地には稀(めず)らしくしんしんと降って、もう宵の口では無い今もまだ断(き)れ際(ぎわ)にはなりながらはらはらと降っている。片側は広く開けて野菜圃(やさいばたけ)でも続いているのか、其間に折々小さい茅屋(ぼうおく)が点在している。他の片側は立派な丈の高い塀つづき、それに沿うて小溝が廻されている、大家(たいか)の裏側通りである。
 今時分、人一人通ろうようは無い此様(こん)なところの雪の中を、何処を雪が降っているというように、寒いも淋しいも知らぬげに、昂然(こうぜん)として又悠然として田舎の方から歩いて来る者があった。
 こんなところを今頃うろつくのは、哀れな鳥か獣か。小鳥では無いまでも、いずれ暖い洞窟が待っているのでは無い獣でもあるか。
 薄筵(うすむしろ)の一端を寄せ束(つか)ねたのを笠にも簑(みの)にも代えて、頭上から三角なりに被(かぶ)って来たが、今しも天(そら)を仰いで三四歩ゆるりと歩いた後に、いよいよ雪は断れるナと判じたのだろう、
「エーッ」
と、それを道の左の広みの方へかなぐり捨てざまに抛(ほう)って了った。如何にも其様(そん)な悪びれた小汚い物を暫時にせよ被(き)ていたのが癇(かん)に触るので、其物に感謝の代りに怒喝を加えて抛(なげ)棄(す)てて気を宜(よ)くしたのであろう。もっとも初から捨てさせるつもりで何処ぞで呉れ、捨てるつもりで被て来たには相違無いわびしいものであった。
 少し速足になった。雪はもとよりべた雪だった。ト、下駄の歯の間に溜(たま)った雪に足を取られて、ほとほと顛(ころ)びそうになった。が、素捷(すばや)い身のこなし、足の踏立変(ふみたてが)えの巧さで、二三歩泳ぎはしたが、しゃんと踏止まった。
「エーッ」
 今度は自分の不覚を自分で叱る意で毒喝したのである。余程肚(はら)の中がむしゃくしゃして居て、悪気が噴出したがっていたのであろう。
 叱咤(しった)したとて雪は脱(と)れはしない、益々固くなって歯の間に居しこるばかりだった。そこで、ふと見ると小溝の上に小さな板橋とおぼしいのが渡っているのが見えたので、其板橋の堅さを仮りてと橋の上にかかったが、板橋では無くて、柴橋に置土をした風雅のものだったのが一ト[#「ト」は小書き]踏で覚り知られた。これではいけぬと思うより早く橋を渡り越して其突当りの小門の裾板に下駄を打当てた。乱暴ではあるが構いはしなかった。
「トン、トン、トン」
 蹴(け)着(つ)けるに伴なって雪は巧く脱(ぬ)けて落ちた。左足の方は済んだ。今度は右のをと、左足を少し引いて、又
「トン、トン」
と、蹴つけた。ト、漸(ようや)くに雪のしっかり嵌(はま)り込んだのが脱けた途端に、音も無く門は片開きに開いた。開くにつれて中の雪がほの白く眼に映った。男はさすがにギョッとしない訳にはゆかなかった。
 が、逃げもしなかった、口も利かなかった。身体は其儘(そのまま)、不意に出あっても、心中は早くも立直ったのだ。自分の方では何とすることもせず、先方の出を見るのみに其瞬間は埋められたのであった。然し先方は何のこだわりも無く、身を此方へ近づけると同時に、何の言葉も無く手をさしのべて、男の手を探り取ってやさしく握って中へ引入れんとした。触った其手は暖かであった、なよやかであった。其力はやわらかであった、たしかに鄙(いや)しく無い女の手であった。これには男は又ギョッとした。が、しかし逃げもしなかった、口もきかなかった。
「何んな運にでもぶつかって呉りょう、運というものの面(つら)が見たい。」
というような料簡(りょうけん)が日頃定(き)まって居るので無ければ斯様(こう)は出来ぬところだが、男は引かるるままに中へ入った。
 女は手ばしこく門を鎖(とざ)した。佳(よ)い締り金物と見えて音も少く、しかもぴったりと厳重に鎖されたようだった。雲の余りの雪は又ちらちらと降って来た。女は門の内側に置いてあった恐ろしい大きな竹の笠、――茶の湯者の露次に使う者を片手で男の上へかざして雪を避けながら、片手は男の手を取って謹(つつし)まやかに導く。庭というでは無い小広い坪の中(うち)を一ト[#「ト」は小書き]筋敷詰めてある石道伝いに進むと、前に当って雪に真黒く大きな建物が見えた。左右は張り出たように、真中は引入れてあるように見えたが、そこは深廂(ふかびさし)になっていて、其突当りは中ノ[#「ノ」は小書き]口とも云うべきところか。其処へかかると中に灯火(ともしび)が無く、外の雪明りは届かぬので、ただ女の手に引かるるのみの真暗闇に立つ身の、男は聊(いささ)か不安を覚えぬでは無かった。
 然し男は「ままよ」の安心で、大戸の中の潜(くぐ)り戸(ど)とおぼしいところを女に従って、ただ只管(ひたすら)に足許(あしもと)を気にしながら入った。女は一寸復(また)締りをした。少し許(ばか)りの土間を過ぎて、今宵(こよい)の不思議な運を持来らした下駄と別れて上へあがった。女は何時の間に笠を何処へ置いたろう、これに気付いた時は男は又ギョッとして、其のさかしいのに驚いた。板の間を過ぎた。女は一寸男の手を上げた。男は悟った。畳厚さだけ高くなるのだナと。それで躓(つまず)くことなども無しに段々進んだ。物騒な代(よ)の富家大家は、家の内に上り下りを多くしたものであるが、それは勝手知らぬ者の潜入闖入(ちんにゅう)を不利ならしむる設けであった。
 幾間かを通って遂に物音一ツさせず奥深く進んだ。未だ灯火を見ないが、やがてフーンと好い香がした。沈(じん)では無いが、外国の稀品(きひん)と聞かるる甘いものであった。
 女はここへ坐れと云うように暗示した。そして一寸会釈したように感じられたが、もの静かに去った。男は外国織物と思わるる稍(やや)堅い茵(しとね)の上にむんずと坐った。室隅には炭火が顔は見せねど有りしと知られて、室(へや)はほんのりと暖かであった。
 これだけの家だ。奥にこそ此様(こんな)に人気(ひとけ)無くはしてあれ、表の方には、相応の男たち、腕筋も有り才覚も有る者どもの居らぬ筈は無い。運の面は何様(どん)なつらをして現われて来るものか、と思えば、流石(さすが)に真暗の中に居りながらも、暗中一ぱいに我が眼が見張られて、自然と我が手が我が左の腰に行った。然し忽(たちま)ち思返して、運は何様な面をしておれの前に出て来るか知らぬが、おれは斯様(こん)な面をして運に見せて遣(や)れ、とにったりとした笑い顔をつくった。
 其時上手(かみて)の室に、忍びやかにはしても、男の感には触れる衣(きぬ)ずれ足音がして、いや、それよりも紅燭(こうしょく)の光がさっと射して来て、前の女とおぼしいのが銀の燭台を手にして出て来たのにつづいて、留木のかおり咽(む)せるばかりの美服の美女が現われて来た。が、互に能(よ)くも見交さぬに、
「アッ」
と前の女は驚いて、燭台を危く投げんばかりに、膝も腰も潰(つい)え砕けて、身を投げ伏して面(おもて)を匿(かく)して終(しま)った。
「にッたり」
と男は笑った。
 主人は流石に主人だけあった。これも驚いて仰反(のけぞ)って倒れんばかりにはなったが、辛く踏止まって、そして踏止まると共に其姿勢で、立ったまま男を憎悪と憤怒との眼で睨(にら)み下した。悍(たけ)しい、峻(さが)しい、冷たい、氷の欠片(かけ)のような厳しい光の眼であった。しかし美しいことは美しい、――悪の美しさの眼であった。
「にッたり」
と男は笑った。曇った鏡が人を映すように男は鈍々(のろのろ)と主人を見上げた。年はまだ三十前、肥(ふと)り肉(じし)の薄皮だち、血色は激したために余計紅いが、白粉(おしろい)を透(とお)して、我邦(わがくに)の人では無いように美しかった。眼鼻、口耳、皆立派で、眉は少し手が入っているらしい、代りに、髪は高貴の身分の人の如くに、綰(わが)ねずに垂れている、其処が傲慢(ごうまん)に見える。
 夜盗の類(たぐい)か、何者か、と眼稜(めかど)強(きつ)く主人が観た男は、額広く鼻高く、上り目の、朶(たぶ)少き耳、鎗(やり)おとがいに硬そうな鬚(ひげ)疎(まば)らに生い、甚だ多き髪を茶筅(ちゃせん)とも無く粗末に異様に短く束(つか)ねて、町人風の身づくりはしたれど更に似合わしからず、脇差一本指したる体(てい)、何とも合点が行かず、痩(や)せて居れども強そうに、今は貧相なれども前には人の上に立てるかとも思われ、盗賊の道の附入りということを現在には為したのなれど、癇癖(かんぺき)強くて正(まさ)しく意地を張りそうにも見え、すべて何とも推量に余る人品であった。その不気味な男が、前に
「にッたり」
と笑ったきり、何時までも顔の様子をかえず、にッたりを木彫(きぼり)にしたような者に「にッたり」と対(むか)っていられて、憎悪も憤怒も次第に裏崩れして了った。実に怒る者は知る可し、笑う者は測るべからず、である。求むる有るものは弱し、恐るるに足らず、求むる無き者は強し、之を如何ともする能(あた)わず、である。不可解は恐怖になり、恐怖は遁逃(とんとう)を思わしめるに至った。で、何も責め立てられるでも無く、強請されるでも無いが、此男の前に居るに堪え無くなって、退(の)こうとした。が、前に泣(なき)臥(ふ)している召使を見ると、そこは女の忽然(こつねん)として憤怒になって、
「コレ」
と、小さい声ではあったが叱るように云った。
「…………」
「…………」
「…………」
であって、短い時間では有ったが、非常に長い時間のように思われて、女は其の無言無物の寂寞(せきばく)の苦に、十万億土を通るというのは斯様いうものででもあるかと苦んでいたので、今、「コレ」と云われると、それが厳しい叱咤であろうと何であろうと、活路を死中に示され、暗夜に灯火を得たが如く、急に涙の顔を挙げて、
「ハイ」
と答えたが、事態の現在を眼にすると、復(また)今更にハラハラと泣いて、
「まことに相済みませぬ疎忽(そこつ)を致しました。御相図(おあいず)と承わり、又御物ごしが彼方(あのかた)様其儘(そのまま)でござりましたので、……如何様にも私を御成敗下さりまして、……又此方様は、私、身を捨てましても、御引取いただくよう願いまして、然(さ)よう致しますれば……」
と、今まで泣伏していた間に考えていたものと見えて、心有りたけを澱(よど)みなく言立てた。真実はおもてに現われて、うそや飾りで無いことは、其の止途無(とめどな)い涙に知れ、そして此の紛(まぎ)れ込者を何様(どう)して捌(さば)こうか、と一生懸命真剣になって、男の顔を伺った。目鼻立のパラリとした人並以上の器量、純粋の心を未だ世に濁されぬ忠義一図(いちず)の立派な若い女であった。然し此女の言葉は主人の昨日(きのう)今日(きょう)を明白にして了った。そして又真正面から見た
「にッたり」
の木彫に出会って、これが自分で捌き得る人物だろうかと、大(おおい)に疑懼(ぎく)の念を抱かざるを得なくなり、又今更に艱苦(かんく)にぶつかったのであった。
 主人の憤怒はやや薄らいだらしいが、激情が退くと同時に冷透の批評の湧く余地が生じたか、
「そちが身を捨てましても、と云って、ホホホ、何とするつもりかえ。」
と云って冷笑すると、女は激して、
「イエ、ほんとに身を捨てましても」
とムキになって云ったが、主人は
「いや、それよりも」
と、女を手招きして耳に口を寄せて、何かささやいた。女は其意を得て屏風(びょうぶ)を遶(めぐ)り、奥の方(かた)へ去り、主人は立っても居られず其便に坐した。
 やがて女は何程か知れぬが相当の金銀を奉書を敷いた塗三宝に載せて持て来て男の前に置き、
「私軽忽(きょうこつ)より誤って御足を留(とど)め、まことに恐れ入りました。些少(さしょう)にはござりますれど、御用を御欠かせ申しましたる御勘弁料差上げ申しまする。何卒(なにとぞ)御納め下されまして、御随意御引取下されまするように。」
と、利口に云廻して指をついて礼をすると、主人も同時に軽く頭(かしら)を下げて挨拶した。
 すると「にッたり」は「にッたり」で無くなった。俄(にわか)に強く衝(つ)き動かされて、ぐらぐらとなったように見えたが、憤怒と悲みとが交り合って、ただ一ツの真面目さになったような、犯し難い真面目さになって、
「ム」
と行詰ったが如くに一ト[#「ト」は小書き]息した。真面目の顔からは手強(てごわ)い威が射した。主人も女も其威に打たれ、何とも測りかねて伏目にならざるを得なかった。蝋燭(ろうそく)の光りにちらついていた金銀などは今誰の心にも無いものになった。主人にも女にも全く解釈の手がかりの無い男だった。
「おのれ等」
と、見だての無い衣裳を着けている男の口からには似合わない尊大な一語が発された。然し二人は圧倒されて愕然(がくぜん)とした、中辺の高さでは有るが澄んで良い声であった。
「揃いも揃って、感心しどころのある奴の。」
 罵(ののし)らるべくもあるところを却(かえ)って褒められて、二人は裸身(はだかみ)の背中を生(なま)蛤(はまぐり)で撫でられたでもあるような変な心持がしたろう。
「これほどの世間の重宝を、手ずからにても取り置きすることか、召使に心ままに出し入れさすること、日頃の大気、又下(しも)の者を頼みきって疑わぬところ、アア、人の主(しゅ)たるものは然様(そう)無(の)うては叶わぬ、主に取りたいほどの器量よし。……それが世に無くて、此様(こん)なところにある、……」
 二人を相手にしての話では無かった。主は家隷(けらい)を疑い、郎党は主を信ぜぬ今の世に対しての憤懣(ふんまん)と悲痛との慨歎(がいたん)である。此家(このや)の主人はかく云われて、全然意表外のことを聞かされ、へどもどするより外は無かった。
「しかし、此処の器量よしめの。かほどの器量までにおのれを迫(せり)上(あ)げて居おるのも、おのれの私を成そうより始まったろう。エーッ、忌々しい。」
 眼の中より青白い火が飛んで出たかと思われた。主人は訳はわからぬが、其一閃(いっせん)の光に射られて、おのずと吾(わ)が眼を閉じて了った。
「この女めも、弁口、取りなし、下の者には十二分の出来者。しかも生命(いのち)を捨ててもと云居った、うその無い、あの料簡(りょうけん)分別、アア、立派な、好い侍、かわゆい、忠義の者ではある。人に頼まれたる者は、然様のうては叶わぬ。高禄をくれても家隷(けらい)に有(も)ちたいほどの者ではある。……しかし大すじのことが哀れや分って居らぬ、致方無い、教えの足らぬ世で、忠義の者が忠義でないことをして、忠義と思うて死んで行く。善人と善人とが生命を棄てあって、世を乱している。エーッ忌々しい。」
 全然二人の予期した返答は無かったが、ここに至って、此の紛れ入り者は、何の様な者かということが朧気(おぼろげ)に解って来た。しかし自分達が何様扱われるかは更に測り知られぬので、二人は畏服(いふく)の念の増すに連れ、愈々(いよいよ)底の無い恐怖に陥った。
 男はおもむろに室(へや)の四方を看まわした。屏風(びょうぶ)、衝立(ついたて)、御厨子(みずし)、調度、皆驚くべき奢侈(しゃし)のものばかりであった。床の軸は大きな傅彩(ふさい)の唐絵(からえ)であって、脇棚にはもとより能(よ)くは分らぬが、いずれ唐物と思われる小さな貴げなものなどが飾られて居り、其の最も低い棚には大きな美しい軸盆様のものが横たえられて、其上に、これは倭物(わもの)か何かは知らず、由緒ありげな笛が紫絹を敷いて安置されていた。二人は男の眼の行く方(かた)を見護ったが、男は次第に復「にッたり」に反った。透(す)かさず女は恐る恐る、
「何卒わたくし不調法を御ゆるし下されますよう、如何ようにも御詫(おわび)の次第は致しまする。」
と云うと、案外にも言葉やさしく、
「許してくれる。」
と訳も無く云放った。二人はホッとしたが、途端にまた
「おのれの疎忽は、けも無い事じゃ。ただし此家(や)の主人(あるじ)はナ」
と云いかけて、一寸口をとどめた。主人と云ったのは此処には居らぬ真(まこと)の主人を云ったことが明らかだったから、二人は今さらに心を跳(おど)らせた。
「実は、我が昵懇(じっこん)のものであるでの。」
と云い出された。二人は大鐘を撞(つ)かれたほどに驚いた。それが虚言(うそ)か真実(まこと)かも分らぬが、これでは何様いう始末になるか全く知れぬので、又新(あらた)に身内が火になり氷になった。男はそれを見て、「にッたり」を「にたにたにた」にして、
「ハハハ、心配しおるな、主人は今、海の外に居るのでの。安心し居れ。今宵(こよい)の始末を知らそうとて知らそう道は無い。帰って来居る時までは、おのれ等、敵の寄せぬ城に居るも同然じゃ。好きにし居れ、おのれ等。楽まば楽め。人のさまたげはせぬが功徳じゃ。主人が帰るそれまでは、我とおのれ等とは何の関りも無い。帰る。宜かろう。何様じゃ。互に用は無い。勝手にしおれおのれ等。ハハハハハハ、公方(くぼう)が河内(かわち)正覚寺(しょうがくじ)の御陣にあらせられた間、桂の遊女を御相手にしめされて御慰みあったも同じことじゃ、ハハハハハハ。」
と笑った。二人は畳に頭(こうべ)をすりつけて謝した。其間(ひま)に男は立上って、手早く笛を懐中して了って歩き出した。雪に汚れた革(かわ)足袋(たび)の爪先の痕(あと)は美しい青畳の上に点々と印(いん)されてあった。

   中

 南北朝の頃から堺は開けていた。正平の十九年に此処の道祐(どうゆう)というものの手によって論語が刊出され、其他文選(もんぜん)等の書が出されたことは、既に民戸の繁栄して文化の豊かな地となっていたことを語っている。山名氏清(うじきよ)が泉州守護職となり、泉府と称して此処に拠った後、応永の頃には大内義弘が幕府から此地を賜わった。大内は西国の大大名で有った上、四国中国九州諸方から京洛(きょうらく)への要衝の地であったから、政治上交通上経済上に大発達を遂げて愈々(いよいよ)殷賑(いんしん)を加えた。大内は西方智識の所有者であったから歟(か)、堺の住民が外国と交商して其智識を移し得たからである歟、我邦(わがくに)の城は孑然(げつぜん)として町の内、多くは外に在るのを常として、町は何等の防備を有せぬのを例としていたが、堺は町を繞(めぐ)らして濠(ほり)を有し、町の出入口は厳重な木戸木戸を有し、堺全体が支那の城池のような有様を持っていた。乱世に於けるかかる形式は、自然と人民をして自ら治むることの有利にして且喫緊なことを悟らしめた。当時の外国貿易に従事する者は、もとより市中の富有者でもあり、智識も手腕も有り、従って勢力も有り、又多少の武力――と云ってはおかしいが、子分子方、下人僮僕(どうぼく)の手兵ようの者も有って、勢力を実現し得るのであった。それで其等の勢力が愛郷土的な市民に君臨するようになったか、市民が其等の勢力を中心として結束して自己等の生活を安固幸福にするのを悦(よろこ)んだためであるか、何時となく自治制度様のものが成立つに至って、市内の豪家(ごうか)鉅商(きょしょう)の幾人かの一団に市政を頼むようになった。木戸木戸の権威を保ち、町の騒動や危険事故を防いで安寧を得せしむる必要上から、警察官的権能をもそれに持たせた。民事訴訟の紛紜(ふんうん)、及び余り重大では無い、武士と武士との間に起ったので無い刑事の裁断の権能をもそれに持たせた。公辺からの租税夫役等の賦課其他に対する接衝等をもそれに委(ゆだ)ねたのであった。実際に是(かく)の如き公私の中間者の発生は、栄え行こうとする大きな活気ある町には必要から生じたものであって、しかも猫の眼の様にかわる領主の奉行、――人民をただ納税義務者とのみ見做(みな)して居る位に過ぎぬ戦乱の世の奉行なんどよりは、此の公私中間者の方が、何程か其土地を愛し、其土地の利を図り、其人民に幸福を齎(もた)らすものであったか知れぬのであった。それで足利(あしかが)幕府でも領主でも奉行でも、何時となくこれを認めるようになったのである。此等の人々を当時は、納屋衆、又は納屋貸衆と云い、それが十人を定員とした時は納屋十人衆などと云ったのであった。納屋とは倉庫のことである。交通の便利は未だ十分ならず、商業機関の発達も猶(なお)幼稚であった時に際して、信頼すべき倉庫が、殆んど唯一の此の大商業地に必要で有ったろうことは云うまでも無い。納屋貸衆は多くの信ぜらるる納屋を有していて之を貸し、或は其在庫品に対して何等かの商業上の便宜を与えもしたで有ろうから、勿論世間の為にもなり、自分の為にも利を見たのであろう。夙(つと)に外国貿易に従事した堺の小島太郎左衛門、湯川宣阿(せんあ)、小島三郎左衛門等は納屋衆の祖先となったのか知れぬ。しかも納屋衆は殆ど皆、朝鮮、明、南海諸地との貿易を営み、大資本を運転して、勿論冒険的なるを厭(いと)わずに、手船(しゅせん)を万里に派し、或は親しく渡航視察の事を敢てするなど、中々一ト[#「ト」は小書き]通りで無い者共で無くては出来ぬことをする人物であるから、縦(たと)い富有の者で無い、丸裸の者にしてからが、其の勇気が逞(たくま)しく、其経営に筋が通り、番頭、手代、船頭其他のしたたか者、荒くれ者を駕馭(がぎょ)して行くだけのことでも相当の人物で無くてはならぬのであったろうから、町の者から尊敬もされ、依信もされ、そして納屋衆と人民とは相持(あいもち)に持合って、堺の町は月に日に栄を増して行ったものであろう。後に至って、天正の頃呂宋(ルソン)に往来して呂宋助左衛門と云われ、巨富を擁して、美邸を造り、其死後に大安寺となしたる者の如きも亦是れ納屋衆であった。永禄年中三好家の堺を領せる時は、三十六人衆と称し、能登屋(のとや)臙脂屋(べにや)が其首(しゅ)であった。信長に至っては自家集権を欲するに際して、納屋衆の崛強(くっきょう)を悪(にく)み、之を殺して梟首(きょうしゅ)し、以て人民を恐怖せしめざるを得無かったほどであった。いや、其様(そん)な後の事を説いて納屋衆の堺に於て如何様の者であったかを云うまでも無く、此物語の時の一昨年延徳三年の事であった。大内義弘亡滅の後は堺は細川の家領(けりょう)になったが、其の怜悧(れいり)で、機変を能(よ)く伺うところの、冷酷険峻(けんしゅん)の、飯綱(いづな)使(つか)い魔法使いと恐れられた細川政元が、其の頼み切った家臣の安富元家を此処の南の荘(しょう)の奉行にしたが、政元の威権と元家の名誉とを以てしても、何様(どう)もいざこざが有って治まらなかったのである。安富は細川の家では大したもので、応仁の恐ろしい大乱の時、敵の山名方の幾(いく)頭(かしら)かの勇将軍が必死になって目ざして打取って辛くも悦んだのは安富之綱であった。又打死(うちじに)はしたが、相国寺の戦に敵の総帥の山名宗全を脅かして、老体の大入道をして大汗をかいて悪戦させたのは安富喜四郎であった。それほど名の通った安富の家の元家が、管領細川政元を笠に被(き)て出て来ても治まらなかったというのは、何で治まらなかった歟、納屋衆が突張ったからで無くて何であろう。それほどの誇りを有(も)った大商業地、富の地、殷賑の地、海の向うの朝鮮、大明(だいみん)、琉球(りゅうきゅう)から南海の果まで手を伸ばしている大腹中のしたたか者の蟠踞(ばんきょ)して、一種特別の出し風を吹出し、海風を吹入れている地、泣く児と地頭には勝てぬに相違無いが、内々は其諺(ことわざ)通りに地頭を――戦乱の世の地頭、銭ばかり取りたがる地頭を、飴(あめ)ばかりせびる泣く児のように思っている人民の地、文化は勝(すぐ)れ、学問諸芸遊伎(ゆうぎ)等までも秀でている地の、其の堺の大小路(おおしょうじ)を南へ、南の荘の立派な屋並の中(うち)の、分けても立派な堂々たる家、納屋衆の中でも頭株の嚥脂屋の奥の、内庭を前にした美しい小室に、火桶(ひおけ)を右にして暖かげに又安泰に坐り込んでいるのは、五十余りの清らな赭(あか)ら顔の、福々しい肥(ふと)り肉(じし)の男、にこやかに
「フム」
とばかりに軽く聴いている。何を些細(ささい)な事という調子である。これに対して下坐に身を伏せて、如何にもかしこまり切っている女は、召使筋の身分の故からというばかりでは無く、恐れと悲しみとにわなわなと顫(ふる)えているのは、今下げた頭(かしら)の元結(もとゆい)の端の真中に小波(さざなみ)を打っているのにも明らかであり、そして訴願の筋の差逼(さしせま)った情に燃えていることと見える。
「…………」
「…………」
 双方とも暫時(しばし)言葉は無かった。屈託無げにはしているが福々爺(ふくふくや)の方は法体(ほったい)同様の大きな艶々した前(まえ)兀頭(はげあたま)の中で何か考えているのだろう、にこやかには繕っているが、其眼はジッと女の下げている頭(かしら)を射透(いすか)すように見守っている。女は自分の申出たことに何の手答のある言葉も無いのに堪えかねたか、やがて少し頭を擡(もた)げた。燐みを乞う切ない眼の潤み、若い女の心の張った時の常の血の上った頬の紅色(くれない)、誰が見てもいじらしいものであった。
「どうぞ、然様(そう)いう訳でございますれば、……の御帰りになりまする前までに、こなた様の御力を以て其品を御取返し下さいまするよう。」
と復(また)一度、心から頭を下げた。そして、
「御帰りの近々に逼って居りますことは、こなた様にも御存知の通り。御帰りになりますれば、日頃御重愛(ごちょうあい)の品、御手ならしの品とて、しばらく御もてあそび無かった後ゆえ、直にも御心のそれへ行くは必定(ひつじょう)、其時其御秘蔵が見えぬとあっては、御方様の御申訳の無いはもとより、ひいては何の様なことが起ろうも知れませぬ。御方様のきつい御心配も並一通りではござりませぬ。それ故に、御方様の、たっての御願い、生命(いのち)にもかかることと思召(おぼしめ)して、どうぞ吾(わ)が手に戻るようの御計らいをと、……」
 生命にもかかるの一語は低い声ではあったが耳に立たぬわけには行かなかった。
「ナニ、生命にもかかる。」
 最高級の言葉を使ったのを福々爺は一寸咎(とが)めた迄ではあるが、女に取ってはそれが言葉甲斐の有ったので気がはずむのであろう、やや勢込んで、
「ハイ、そうおッしゃられたのでござりまする。全く彼(あ)の笛が無いとありましては、わたくし共めまでも何の様な……」
「いや、聟(むこ)殿(どの)があれを二(に)の無いものに大事にして居らるるは予(かね)て知ってもおるが、……多寡が一管の古物(こぶつ)じゃまで。ハハハ、何でこのわし程のものの娘の生命(いのち)にかかろう。帰って申せ、わしが詫(わ)びてやる、心配には及ばぬとナ。女は夫を持つと気が小さくなるというが、娘の時のあれは困り者のほどな大気の者であったが、余程聟殿を大事にかけていると見えて、大層女らしくなり居ったナ。好いわ、それも夫婦中が細やかなからじゃ。ハハハハ。」
「…………」
「分らぬか、まだ。よいか、わしが無理借りに此方(こち)へ借りて来て、七ツ下(さが)りの雨と五十からの芸事、とても上りかぬると謗(そし)らるるを関(かま)わず、しきりに吹習うている中(うち)に、人の居らぬ他所(よそ)へ持って出ての帰るさに取落して終(しも)うた、気が付いて探したが、かいくれ見えぬ、相済まぬことをした、と指を突いてわしがあやまったら聟殿は頬を膨(ふく)らしても何様(どう)にもなるまい。よいわ、京へ人を遣って、当りを付けて瘠(やせ)公卿(くげ)の五六軒も尋ね廻らせたら、彼(あの)笛に似つこらしゅうて、あれよりもずんと好い、敦盛(あつもり)が持ったとか誰やらが持ったとかいう名物も何の訳無う金で手に入る。それを代りに与えて一寸あやまる。それで一切は済んで終(しま)う。たとえ聟殿心底は不足にしても、それでも腹なりが治まらぬとは得云うまい。代りに遣る品が立派なものなら、却(かえ)って喜んで恐縮しようぞ。分ったろう。……帰って宜(よ)う云え。」
 話すに明らさまには話せぬ事情を抱いていて、笛の事だけを云ったところを、斯様(こう)すらりと見事に捌(さば)かれて、今更に女は窮して終った。口がききたくても口がきけぬのである。
「…………」
 何と云って宜いか、分らぬのである。しかし何様あっても此(この)儘(まま)に帰ったのでは何の役にも立たぬ。これでは何様あっても帰れぬのである。苧(お)ごけの中に苧は一杯あるのだが、抽出(ひきだ)して宜い糸口が得られぬ苦みである。いや糸口はハッキリして居て、それを引っぱり出しさえずれば埒(らち)は明くのだが、それを引出すことは出来なくて、強いて他の糸口、それは無いに定(き)まっている糸口を見出さなくてはならぬので、何とも為方の無い苦みに心が□(もが)かれているのである。
「…………」
 頭(かしら)も上げ得ず、声も出し得ず、石のようになっている意外さに、福々爺も遂に自分の会得のゆかぬものが有ることを感じ出した。其感じは次第次第に深くなった。そして是は自分の智慧の箭(や)の的たるべき魔物が其中に在ることは在るに違無いが何処に在るか分らないので、吾(わ)が頼むところの利器の向け処を知らぬ悩みに苦しめられ、そして又今しがた放った箭が明らかに何も無いところに取りっぱなしにされた無効さの屈辱に憤りを覚えた。福々爺もやや福々爺で無くなった。それでも流石(さすが)に尖(とが)り声などは出さず、やさしい気でいじらしい此女を、いたわるように
「そうしたのではまずいのか。」
と問うた。驚くべき処世の修行鍛錬を積んだ者で無くては出ぬ語調だった。女は其の調子に惹(ひ)かれて、それではまずいので、とは云兼ぬるという自意識に強く圧(お)されていたが、思わず知らず
「ハ、ハイ」
と答えると同時に、忍び音(ね)では有るが激しく泣出して終った。苦悩が爆発したのである。
「何も彼(か)も皆わたくしの恐ろしい落度から起りましたので。」
 自ら責めるよりほかは無かったが、自ら責めるばかりで済むことでは無い、という思が直に※(むね)[#「匈/月」、997-上-1]の奥から逼(せま)り上(のぼ)って、
「おかた様のきつい御難儀になりました。若(も)し其の笛を取った男が、笛を証拠にして御帰りなされた御主人様におかた様の上を悪しく申しますれば、証拠のある事ゆえ、抜差しはならず、おかた様は大変なことに御成りなされまする。それで是非共に、あれを、御自由のきく此方(こなた)様(さま)の御手で御取返しを願いに、必死になって出ました訳。わたくしめに死ねとなら、わたくしは此処ででも何処ででも死んでも宜しゅうございます、どうぞ此願の叶えられますよう。」
と、しどろもどろになって、代りの品などが何の役にも立たぬことをいう。潜在している事情の何かは知らず重大なことが感ぜられて、福々爺も今はむずかしい顔になった。
「ハテ」
と卒爾(そつじ)の一句を漏らしたが、後はしばらく無言になった。眼は半眼になって終った。然しまだ苦んだ顔にはならぬ、碁の手でも按(あん)ずるような沈んだのみの顔であった。
「取った男は何様(どん)な男だ。其顔つきは。」
「額広く鼻は高く、きれの長い末上りのきつい目、朶(たぶ)の無いような耳、おとがい細く一体に面長で、上髭(うわひげ)薄く、下鬚(したひげ)疎(まば)らに、身のたけはすらりと高い方で。」
「フム――。……して浪人か町人か。」
「なりは町人でござりましたなれど、小脇差。御発明なおかた様は慥(たしか)に浪人と……」
 問わるるままに女は答えた。それを咎(とが)めるというのではなく、
「娘もそなたもそれほど知ったものに、何で大切(だいじ)な物を取らせた。」
と、おのずから出ずべき疑をおのずからの調子で尋ね問われて、女はギクリと行詰まったが、
「それがわたくしの飛んでも無い過ちからでござりまして。」
と、悪いことは身にかぶって、立切(たてき)って終う。そして又切なさに泣いて終う。福々爺の顔は困惑に陥り、明らかに悶(もだ)えだした。然し、
「よいよい、そなたを責めるのでは無い。訳が分らぬから聞くまでじゃ。では面(おもて)は見知っても、名はもとより知らぬものじゃナ。前々から知った者でも無いナ。」
と責めるでは無いと云いながら責め立てる。
「ハイ。ハイ。取られました其夜初めて見ました者で。」
と答える。
「フム――。そなた等で承知して奪(と)らせよう訳は無いことじゃ。忍び入ることなどは叶わぬようにしてもあるし、又物騒の世なれば、二人三人の押入り者などが来るとも、むざとは物など奪られぬよう、用心の男も飼うてある家じゃ。それじゃに、そなた等、おもては知ったが、知らぬ者に、大事なものを奪られたというのか。フム――。そして何も彼もそなたの恐ろしい落度から起ったというのじゃナ。身の罪に責められて、そなたは生命を取られてもと云い居るのじゃナ。」
「ハイ、あの有難いお方様のために、御役に立つことならば只今でも……」
 真紅(まっか)になった面をあげて、キラリと光った眼に一生懸命の力を現わして老主人の顔を一寸見たが、忽(たちま)ちにして崩(くず)折(お)れ伏した。髪は領元(えりもと)からなだれて、末は乱れた。まったく、今首を取るぞと云われても後へは退(ひ)かぬ態(てい)に見えた。
 心の誠というものは神力(しんりき)のあるものである。此の女の心の誠は老主人の心に響いたのであろう。主人の面には甘さも苦さも無くなって、ただ正しい確乎(しか)とした真面目さばかりになった。それは利害などを離れて、ただ正しい解釈と判断とを求めようとする真剣さの威光の籠(こも)り満ちているものであった。
「して其男が聟殿に何事を申そうという心配があるのか。何事。何事を……」
 的の真ただ中に箭鏃(やじり)のさきは触れた。女は何とすることも出来無かった。其儘(そのまま)に死にでもするように、息を詰めるより外はなかった。
「…………」
「…………」
 恐るべき沈黙はしばし続いた。そして其沈黙はホンノしばしであったに関らず、三阿僧祇劫(さんあそぎごう)の長さでもあるようだった。
「チュッ、チュッ、チュ、チュッ」
 庭樹に飛んで来た雀が二羽三羽、枝(えだ)遷(うつ)りして追随しながら、睦(むつ)ましげに何か物語るように鳴いた。
「告口……証拠……大変なことになる……フム――」
と口の中で独りつぶやいて居た主人は、突然として
「アッ」
と云って、恐ろしいものにでも打のめされたように大動揺したが、直ちに
「ム」
と脣(くちびる)を結んで自ら堪えた。我を失ったのであった。大努力したのであった。今や満身の勇気を振い起したのであった。勇気は勝った。顔は赤みさした。
「アア」
という一嘆息に、過ぎたことはすべて葬り去って終(しま)って、
「よいわ。子は親を悩ませ苦めるようなことを為し居っても、親は子を何処までも可愛(かわゆ)く思う。それを何様(どう)とも仕ようとは思わぬ。あれはかわゆい、助けてやらねば……」
と、自分から自分を評すように云った。たしかにそれは目の前の女に対(むか)って言ったのでは無かった。然し其調子は如何にもしんみりとしたもので、怜悧(りこう)な此の女が帰って其主人に伝え忘れるべくも無いものであった。
 一切の事情は洞察されたのであった。
 女の才弁と態度と真情とは、事の第一原因たる吾(わ)が女主人の非行に触れること無く、又此家(や)の老主人の威厳を冒すことも無く、巧みに一枝(いっし)の笛を取返すことの必要を此家の主人に会得させ、其の力を借(か)ることを乞いて、将(まさ)に其目的を達せんとするに至ったのである。此家の主人の処世の老練と、観照の周密と、洞察力の鋭敏とは、一切を識破して、そして其力を用いて、将に発せんとする不幸の決潰(けっかい)を阻止せんとするのである。しかも其の中でも老主人は人の心を攬(と)ることを忘れはし無かった。
「分った。言う通りにして計らってやる。それにしてもそちは見上げた器量じゃ。過ちは時の魔というものだ、免(ゆる)してやる。口も能(よ)く利ける、気立も好い、感心に忠義ごころも厚い。行末は必ず好い男を見立てて出世させて遣る。」
と附足して、やさしい眼で女を見遣った時は、前の福々爺(ふくふくや)になっていた。女はただ頭(かしら)を下げて無言に恩を謝するのみであった。
「ただナ、惜いことは其時そちが今一ト[#「ト」は小書き]働きして呉れていたら十二分だったものを。其様に深くは、望む方が無理じゃが。あれも其処までは気が廻らなかったろうか。」
「ト仰(おっし)ありまするのは。」
「イヤサ、少し調べれば直(じき)に分ることだから好いようなものの、此方(こなた)は何の何某(なにがし)というものの家と、其男めには悟られて了って居ながら、其男めを此方では、何処の何という者と、大よその見当ぐらいも着かぬままに済ませたは、分が悪かったからナ。」
と余談的に云うと、女は急に頭を上げて勇気に充ちた面持で、小声ではあるが、
「イエ、其事でございまするなら、一旦其男を出して帰らせました後、直(ただち)に身づくろい致しまして、低下駄の無提灯(むぢょうちん)、幸いの雪の夜道にポッツリと遠く黒く見えまする男のあとを、悟られぬようつけてまいりました。」
と云いかくるに、老主人は思わず知らず声を出して、
「ナニ、直に其後をつけたというのか。」
「ハイ、悟られぬよう……、見失わぬよう……、もし悟られて逆に捉えられましたならば何と致しましょうか、と随分切ない心遣いをいたしながら、冷たさに足も痛く、寒さに身も凍り縮みましたなれど、一生懸命、とうとう首尾好くつけおおせました。」
 主人は感心極まったので身を乗出して、
「オオ。ヤ、えらい奴じゃ。よくやり居った。思いついて出たのもえらいが、つけ果(おお)せたとは、ハテ恐ろしい。女にしては恐ろしいほどの甲斐性者。シテ……」
「イエ何、御方様の御指図でござりましたので、……私はただ私の不調法を償(つぐな)いましょうばっかりに、一生懸命に致しましたことで。それに全く一面の雪の明るさが有ったればこそで、随分遠く遠く見失いかねませぬほど隔たっても、彼方(あなた)の丈高い影は見え、此方は頭上から白(しら)はげた古かつぎを細紐(ほそひも)の胴ゆわいというばかりの身なりから、気取られました様子も無く、巧くゆきましたのでございまする。」
「フム。シテ其男の落着いたところは。」
「塩孔(しおな)の南、歟(か)とおぼえまする、一丁余りばかり離れて、人家少し途絶え、ばらばら松七八本の其のはずれに、大百姓の古家か、何にせよ屋の棟の割合に高い家、それに其姿は蔵(かく)れて見えずなりましたのでございまする。ばらばら松の七八本が動かぬ目処(めど)にございまする。」
「ム、よし。すぐに調べはつく。アア、峻(さが)しい世の中のため、人は皆さかしくなっているとは云え、女子供までがそれほどの事をするか。よし、厭(いや)なことではあるが、乃公(おれ)も何とかして呉れいでは。」
と、強い決意の色を示したが、途端に身の周囲(まわり)を見廻して、手近にあった紙おさえにしてあった小さなものを取って、
「遣る。」
と、女に与えた。当座の褒美と思われた。それは唐(から)の□猊(さんげい)か何かの、黄金色(きん)だの翠色(みどり)だのの美しく綺(いろ)え造られたものだった。畳に置かれた白々(しろじろ)とした紙の上に、小さな宝玩(ほうがん)は其の貴い輝きを煥発(かんぱつ)した。女は其前に平伏(ひれふ)していた。
「チュッ、チュッ、チュ、チュ」
 雀の声が一霎時(いちしょうじ)の閑寂の中(うち)に投入れられた。

   下

 舳(へ)の松村の村はずれ、九本松(くほんまつ)という俚称(りしょう)は辛く残りながら、樹々は老い枯(から)び痩(や)せかじけて将(まさ)に齢(よわい)尽きんとし、或は半ば削(そ)げ、或は倒れかかりて、人の愛護の手に遠ざかれるものの、自然の風残雪虐に堪えかねたる哀しき姿を現わしたる其の端に、昔は立派でも有ったろうが、今は不幸な家運を語る証拠物のように遺っているに過ぎぬというべき一軒屋の、ほかには母屋を離れて立腐れになりたる破れ厩(まや)、屋根の端の斜に地に着きて倒れ潰(つぶ)れたる細長き穀倉などの見ゆるのみの荒廃さ加減は、恐らくは怨霊(おんりょう)屋敷なんど呼ばれて人住まずなった月日が、既に四五年以上も経たものであろう。それでも、だだ広い其の母屋の中(うち)の広座敷の、古畳の寄せ集め敷(じき)、隙間もあれば凸凹(たかひく)もあり、下手の板戸は立附が悪くなって二寸も裾があき、頭があき、上手の襖(ふすま)は引手が脱(ぬ)けて、妖魔(ようま)の眼のように□然(ようぜん)と奥の方(かた)の灰暗(ほのぐら)さを湛(たた)えている其中に、主客の座を分って安らかに対座している二人がある。客はあたたかげな焦茶の小袖(こそで)ふくよかなのを着て、同じ色の少し浅い肩衣(かたぎぬ)の幅細なのと、同じ袴(はかま)。慇懃(いんぎん)なる物ごし、福々しい笑顔。それに引かえて主人(あるじ)は萎(な)え汚れて黒ばめる衣裳を、流石(さすが)に寒げに着てこそは居ないが、身の痩(やせ)の知らるる怒り肩は稜々(りょうりょう)として、巌骨(がんこつ)霜を帯びて屹然(きつぜん)として聳(そび)ゆるが如く、凜(りん)として居丈高に坐った風情は、容易に傍(そば)近く寄り難いありさまである。然し其姿勢にも似ず、顔だけは不思議にもにッたりと笑を含んで、眼にも嶮(けわ)しい光は見せて居らぬが、それは此人が此頃何処からか仮りて来て被(かぶ)っている仮面では無いかと疑われる、むしろ無気味なものであった。
 座の一隅には矮(ひく)い脚を打った大きな折敷(おしき)に柳樽(やなぎだる)一荷(か)置かれてあった。客が従者(じゅうしゃ)に吊らせて来て此処へ餉(おく)ったものに相違無い。
 突然として何処やらで小さな鈴の音(ね)が聞えた。主人(あるじ)も客も其の音(おと)に耳を立てたというほどのことは無かったが、主人は客が其音を聞いたことを覚り、客も主人が其の音を聞いたことを覚った。客は其音が此家(や)へ自分の尋ねて来た時、何処からか敏捷(びんしょう)に飛出して来て脚元に戯(じゃ)れついた若い狗(いぬ)の首に着いていた余り善くも鳴らぬ小さな鈴の音であることを知った。随(したが)って新に何人かが此家へ音ずれたことを覚った。しかし召使の百姓上りのよぼよぼ婆(ばば)が入口へ出て何かぼそぼそと云っていたようだったが、帰ったのか入ったのか、それきりで此方へは何も通じは仕無かった。
 主人は改めて又にッたりとして、
「ヤ、了休禅坊の御話といい、世間の評話といい、いろいろ面白うござった。今日(きょう)はじめて御尋をいただいたなれど十年の知己の心持が致す。」
「左様仰あって頂き得て、何よりにござる。人と人との気の合うたるは好い、合いたがったるは悪い、と然(さ)る方が仰せられたと承わり居りまするが、まことに自然に、性分の互に反りかえらぬ同士というはなつかしいものでござる。」
「反りかえった同士が西と東とに立分れ、反りかえらぬ同士が西にかたまり、東にかたまり、そして応仁の馬鹿戦が起ったかナ。ハハハハ。」
「イヤ、そればかりでもござりますまい。損得勘定が大きな分け隔てを致しましたろう。」
「其の損得という奴が何時も人間を引廻すのが癪(しゃく)に障る。損得に引廻されぬ者のみであったなら世間はすらりと治まるであろうに。」
「ハハハ。そこに又面白いことがござりまする。先ず世間の七八分までは、得に就かぬものは無いのでござりまするから、得に就いた者が必定に得になりましたなら、世間は疾(と)く治まりまする訳でござりまするが、得を取る筈の者が却(かえ)って損を取り、損をする筈の者が意外に得をしたり致しますことが、得て有るものでござりまするので、二重にも三重にも世間は治まり兼ぬるのではござりますまいか。」
「おもしろい。されば愈々(いよいよ)損得に引廻わされぬ者を世間の心(しん)にせねばならぬ。」
「ところが、見す見す敗(ま)けるという方に附く者は今の世――何時の世にも少いでござりましょう。されば損得に引廻されないような大将の方に旗の数が多くなろう理は先ず以て無いことでござれば、そこで世の中は面倒なのでござる。」
「癪に触る。損得勘定のみに賢い奴等、かたッぱしからたたき切るほかは無い。」
「しかし、申しては憚(はばか)りあることでござれど」
と声を落して、粛然として、
「正覚寺の、さきだっての戦(いくさ)の如く、桃井、京極、山名、一色殿等の上に細川殿まで首(しゅ)となって、敵勢の四万、味方は二三千とあっては、如何(いかに)とも致し方無く、公方、管領の御職位、御権威は有っても遂に是非なく、たたき切ろうにも力及ばず、公方は囚(とら)われ、管領は御自害、律儀者の損得かまわずは、世を思切って、僧になって了休となるような始末、彼などは全く損得の沖を越えたものでござる。人柄はまことになつかしいものでござるが、世捨人入道雲水ばかり出来ても善人が世に減る道理。又管領殿御臣下も多人数御切腹あり、武士の行儀はそれにて宜敷けれど、世間より申せば、義によって御腹召すほどの善い方々が、それだけ世間に減った道理。そういうことで世間の行末が好くなって行こう理窟はござらぬ。これは何としても世間一体を良くしようという考え方に向わねば、何時迄経っても鑓(やり)刀(かたな)、修羅の苦患(くげん)を免れる時は来ないと存じまする。」
 主人は公方や管領の上を語るのを聞いている中(うち)に、やや激したのであろう、にッたりと緩めて居た顔つきは稍々(やや)引緊(ひきしま)って硬(こわ)ばって来たが、それを打消そうと力(つと)むるのか、裏の枯れたような高笑い、
「ハッハッハ。其通り。了休がまだ在俗の時、何処からか教えられてまいったことであろうが、二ツの泥づくりの牛が必死に闘いながら海へ入って了う、それが此世の様(さま)だと申居った。泥牛、泥人形、みんな泥牛、泥人形。世間一体を良くしようなどと心底から思うものが何処にござろう。又仮令(たとい)然様(そう)思う者が有ったにしても、何様(どう)すれば世間が良くなるか、其様な道を知っているものが何処にござろう。道が分らぬから術(て)を求める。術を以て先ずおのが角を立派にし、おのが筋骨を強くし、おのが身を大きくしようとする。其段になればやはり闘だ。如何に愛宕(あたご)の申子なればとて、飯綱愛宕の魔法を修行し、女人禁制の苦を甘ない、経陀羅尼(きょうだらに)を誦(じゅ)して、印を結び呪(じゅ)を保ち、身を虚空に騰(あが)らせようなどと、魔道の下(もと)に世をひれ伏さしょうとするほどのたわけ者が威を振って、公方を手づくねの泥細工で仕立つる。それが当世でござる。癪に触らいでか。道も知らぬ、術も知らぬ、身柄家柄も無い、頼むは腕一本限(ぎ)りの者に取っては、気に食わぬ奴は容赦無くたたき斬(き)って、時節到来の時は、つんのめって海に入る。然様したスッキリした心持で生きて、生きとおしたら今宵死んでも可い、それが又自然に世の中の為にもなろう。ハハハハハハ。」
「それで世の中は何時迄も修羅道つづきで……御身は修羅道の屈原のような。」
「ナニ、屈原とナ。」
「心を厳しく清く保って主に容れられず、世に容れられず、汨羅(べきら)に身を投げて歿(な)くなられた彼(あ)の。」
「フ、フ。ヤ、それがしはおとなしくは死なぬ、暴れ屈原か。ハハハハ。」
「世を遁(のが)れて仏道に飛込まれた彼の了休禅坊はおとなしい屈原で。」
「ハハ、ハハ。良い男だが、禅に入るなど、ケチな奴で。」
「失礼御免を蒙(こうむ)りまするが、たたき斬り三昧(ざんまい)で、今宵死んで悔いぬとのみの暴れ屈原も……」
「貴様の存分な意見からは……」
「ケチではござらぬかナ。と申したい。」
「アッハッハ。何でまた。」
「物さしで海の深さを測る。物さしのたけが尽きても海が尽きたではござらぬ。今の武家の世も一ト[#「ト」は小書き]世界でござる、仏道の世界も一ト[#「ト」は小書き]世界でござる、日本国も一ト[#「ト」は小書き]世界でござる。が、世界がそれらで尽きたではござらぬ。高麗(こうらい)、唐土(もろこし)、暹羅(シャム)国、カンボジャ、スマトラ、安南(あんなん)、天竺(てんじく)、世界ははて無く広がって居りまする。ここの世界が癪に触るとて、癪に触らぬ世界もござろう。紀伊の藤代から大船(たいせん)を出して、四五十反の帆に東々北の風を受ければ、忽(たちま)ちにして煩わしい此の世界はこちらに残り、あちらの世界はあちらに現われる。異った星の光、異った山の色、随分おもしろい世界もござるげな。何といろいろの世界を股にかける広い広い大きな渡海商いの世界から見ましょうなら、何人が斬れるでも無い一本の刀で癇癪(かんしゃく)の腹を癒(いや)そうとし、時節到来の暁は未練なく死のうまでよと、身を諦めて居らるる仁有らば、いさぎよくはござれど狭い、小さい、見て居らるる世界が小さく限られて、自然と好みも小さいかと存ずる。大海(だいかい)に出た大船の上で、一天の星を兜(かぶと)に被(き)て、万里の風に吹かれながら、はて知れぬ世界に対(むか)って武者振いして立つ、然様いう境界(きょうがい)もあるのでござりまするから」
と言いかけたる時、狗の鈴の音しきりに鳴りて、又此家に人の一人二人ならず訪(と)い来れる様子の感ぜらる。
 此時主人は改めて大きくにッたりと笑って、其眼は客を正目(まさめ)に見ながら、
「如何にも手広い渡海商いは、まことに心地よいことでござろう。小さな癇癪などは忘るるほどのことでもござろう。然しナ、其の大海の上で万里の風に吹かれながら、真蒼(まっさお)の空の光を美しいと見て立っている時、これから帰り着くべき故郷の吾(わ)が家でノ、最愛の妻が明るうないことを仕居って、其召使が誤って……あらぬ男を引入れ、そして其のケチな男に手証の品を握って帰られた……と知ったなら、広い海の上に居ても、大腹中でも、やはり小さな癇癪(かんしゃく)が起らずには居まいがナ。」
と、三斗の悪水(おすい)は驀向(まっこう)から打澆(うちか)けられた。
 客は愕然(がくぜん)として急に左の膝を一ト[#「ト」は小書き]膝引いて主人(あるじ)を一ト眼見たが、直に身を伏せて、少時(しばし)は頭(かしら)を上げ得無かった。然し流石(さすが)は老骨だ。
「恐れ入りました。」
と、一句、ただ一句に一切を片づけて了って、
「了休禅坊とは在俗中も出家後も懇意に致居りましたを手寄(たよ)りに、御尋致しましたるところ、御隔意無く種々御話し下され、失礼ながら御気象も御思召(おぼしめし)も了休御噂の如く珍しき御器量に拝し上げ、我を忘れて無遠慮に愚存など申上げましたが、畢竟(ひっきょう)は只今御話の一ト[#「ト」は小書き]品を頂戴致したい旨を申出ずるに申出兼ねて、何(なに)彼(かに)、右左、と御物語致し居りたる次第、但し余談とは申せ、詐(いつわ)り飾りは申したのではござりませぬ、御覧の如くの野人にござりまする。何卒了休禅坊御懇親の御縁に寄り、私の至情御汲取り下されまして、私めまで右品御戻しを御願い致しまする。御無礼、御叱りには測り兼ねまするが、今後御熟懇、永く御為に相成るべき者と御見知り願い度、猶(なお)不日了休禅坊同道相伺い、御礼に罷出(まかりで)ます、重々御恩に被(き)ますることでござりまする。親子の情、是(かく)の如く、真実心を以て相願いまする。」
と、顔を擡(あ)げてじっと主人を看る眼に、涙のさしぐみて、はふり墜(お)ちんとする時、また頭(かしら)を下げた。中々食えぬ老人(としより)には相違無いが、此時の顔つきには福々しさも図々(ずうずう)しさも無くなって、ただ真面目ばかりが充ち溢(あふ)れていた。ところが、それに負けるような主人では無かった。
「いやでござる。」
と言下に撥(は)ねかえした。にッたりとはして居なかった、苦りかえっていた。
「おいやと御思いではござりましょうが、何卒御思い返し下されまして、……何卒、何卒、私娘の生命(いのち)にかかることでござりまする。」
「…………」
「あの生先(おいさき)長いものが、酷(むご)らしいことにもなりまするのでござりまするから。」
「…………」
「何としても、私、このままに見ては居れませぬ。仏とも神とも仰ぎたてまつります。何卒、何卒、御あわれみをもちまして。」
「…………」
「如何様の事でも致しまする。あれさえ御返し下さりょうならば、如何様の事を仰せられましょうと、必ず仰のままに致しまする。何卒、何となりと仰せられて下さりませ。何卒何卒。」
「…………」
「斯程(かほど)に御願い申上げても、よしあし共に仰せられぬは、お情無い。私共を何となれとの御思召か、又彼(かの)品(しな)を何となさりょう御思召か。何の御役に立ちましょうものでもござりますまいに。」
「御身等を、何となれとも、それがしは思っておらぬ。すべて他人の事に差図がましいことすることは、甚だ厭(いと)わしいことにして居るそれがしじゃ。御身等は船の上の人が何とか捌(さば)こうまでじゃ。少しもそれがしの関(あず)からぬことじゃ。」
「如何にも冷い厳しい……彼の品は何となさる思召で。」
「彼品は船の上の人の帰り次第、それがしが其人に逢い、かくかくの仔細(しさい)で、かくかくの場合に臨んだ、其時の証として仮りに持帰った、もとより御身の物ゆえ御身に返す、と其人に渡す。それがしの為すべきことはそれだけのことじゃ。」
「何故に、然様(さよう)なさりませねばならぬと固くは御思いになりまする?」
「表裏反覆の甚だしい世じゃ。思うても見られい、公方と管領とが総州を攻められた折は何様(どう)じゃ。総州が我(が)を立てたが故に攻められたのじゃ。然るに細川、山名、一色等は公方管領を送り出して置いて、長陣(ながじん)に退屈させて、桂の遊女を陣中に召さするほどに致し置き、おのれ等ゆるゆると大勢(たいぜい)を組揃え、急に起(た)って四方より取囲み、其謀計合期(ごうご)したれば、管領は御自害ある。留守の者が急に敵になって、出先の者を攻めたでは出先の者の亡びぬ訳は無い。恐ろしい表裏の世じゃ。ましてそれがしが、御身の妻女はこれこれと、其の良からぬことを告げたところで、証拠無ければただ是讒言(ざんげん)。女の弁舌に云廻されては、男は却(かえ)ってそれがしをこそ怪しき者に思え、何で吾(わ)が妻女を疑い、他人を信としようぞ。惣(そう)じてかかる場合、たといそれがしが其家譜代の郎党であって、忠義かねて知られたものにせよ、斯様の事を迂闊(うかつ)に云出さば、却って逆に不埒者(ふらちもの)に取って落され、辛き目に逢うは知れた事、世上に其例(ためし)いくらも有り。又後暗いことするほどの才ある女が、其迷いが募っては何ぞの折に夫を禍するに至ることも世に多きためし。それがしが彼(かの)人(ひと)に証を以て告口せずに置かば、彼人の行末も空恐ろしく、又それがしは悪を助けて善を助けぬ外道魔道の眷属(けんぞく)となる。此の外道魔道の眷属が今の世には充ち満ちている。公方を追落し、管領を殺したも、皆かかる眷属共の為たことである。何事も知らぬ顔して、おのが利得にならぬことは指一ツ動かさず、ぬっぺりと世を送りくさって、みずから手は下さねど、見す見す正道の者の枯れ行き、邪道の者の栄え行くのを見送っている、癇(かん)に触る奴めらが世間一杯。一々たたき斬(き)って呉れたい虫けらども。其虫けらにそれがしがなろうや。もとよりとげとげしい今の此世、それがしが身の分際では、朝起きれば夕までは生命ありとも思わず、夜を睡れば明日(あした)まであたたかにあろうとも思わず、今すぐここに切死にするか、切り殺さるるか、と突詰め突詰めて時を送っている。殊更此頃は進んでも鎗(やり)ぶすまの中に突懸り、猛火の中にも飛入ろう所存に燃えておる。癪に触るものは一ツでも多く叩き潰(つぶ)し、一人でも多く叩き斬ろうに、遠慮も斟酌(しんしゃく)も何有ろう。御身は器量骨柄も勝(すぐ)れ、一ト[#「ト」は小書き]風ある気象もおもしろいで、これまでは談(はなし)も交したなれど、御身の頼みは聴入れ申さぬ。」
と感慨交りに厳しくことわられ、取縋(とりすが)ろうすべも無く没義道(もぎどう)に振放された。
「かほどまでに真実(まこと)を尽して御願い申しましても。」
「いやでござる。」
「金銀財宝、何なりと思召す通りに計らいましても。」
「いやでござる。」
「何事の御手助けなりとも致しましても。」
「いやでござる。」
「如何様にも御指図下さりますれば、仮令(たとい)臙脂屋身代悉(ことごと)く灰となりましても御指図通りに致しまするが……」
「いやでござる。」
 ここに至って客の老人(としより)は徐(おもむ)ろに頭(こうべ)を擡(あ)げた。艶やかに兀(は)げた前頭からは光りが走った。其の澄んだ眼はチラリと主人を射た。
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