三尺角
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著者名:泉鏡花 

        一

「…………」
 山(やま)には木樵唄(きこりうた)、水(みづ)には船唄(ふなうた)、驛路(うまやぢ)には馬子(まご)の唄(うた)、渠等(かれら)はこれを以(もつ)て心(こゝろ)を慰(なぐさ)め、勞(らう)を休(やす)め、我(おの)が身(み)を忘(わす)れて屈託(くつたく)なく其(その)業(げふ)に服(ふく)するので、恰(あたか)も時計(とけい)が動(うご)く毎(ごと)にセコンドが鳴(な)るやうなものであらう。また其(それ)がために勢(いきほひ)を増(ま)し、力(ちから)を得(う)ることは、戰(たゝかひ)に鯨波(とき)を擧(あ)げるに齊(ひと)しい、曳々(えい/\)!と一齊(いつせい)に聲(こゑ)を合(あ)はせるトタンに、故郷(ふるさと)も、妻子(つまこ)も、死(し)も、時間(じかん)も、慾(よく)も、未練(みれん)も忘(わす)れるのである。
 同(おな)じ道理(だうり)で、坂(さか)は照(て)る/\鈴鹿(すゞか)は曇(くも)る=といひ、袷(あはせ)遣(や)りたや足袋(たび)添(そ)へて=と唱(とな)へる場合(ばあひ)には、いづれも疲(つかれ)を休(やす)めるのである、無益(むえき)なものおもひを消(け)すのである、寧(むし)ろ苦勞(くらう)を紛(まぎ)らさうとするのである、憂(うさ)を散(さん)じよう、戀(こひ)を忘(わす)れよう、泣音(なくね)を忍(しの)ばうとするのである。
 それだから追分(おひわけ)が何時(いつ)でもあはれに感(かん)じらるゝ。つまる處(ところ)、卑怯(ひけふ)な、臆病(おくびやう)な老人(らうじん)が念佛(ねんぶつ)を唱(とな)へるのと大差(たいさ)はないので、語(ご)を換(か)へて言(い)へば、不殘(のこらず)、節(ふし)をつけた不平(ふへい)の獨言(つぶやき)である。
 船頭(せんどう)、馬方(うまかた)、木樵(きこり)、機業場(はたおりば)の女工(ぢよこう)など、あるが中(なか)に、此(こ)の木挽(こびき)は唄(うた)を謠(うた)はなかつた。其(そ)の木挽(こびき)の與吉(よきち)は、朝(あさ)から晩(ばん)まで、同(おな)じことをして木(き)を挽(ひ)いて居(ゐ)る、默(だま)つて大鋸(おほのこぎり)を以(もつ)て巨材(きよざい)の許(もと)に跪(ひざまづ)いて、そして仰(あふ)いで禮拜(らいはい)する如(ごと)く、上(うへ)から挽(ひ)きおろし、挽(ひ)きおろす。此(この)度(たび)のは、一昨日(をとゝひ)の朝(あさ)から懸(かゝ)つた仕事(しごと)で、ハヤ其(その)半(なかば)を挽(ひ)いた。丈(たけ)四間半(けんはん)、小口(こぐち)三尺(じやく)まはり四角(しかく)な樟(くすのき)を眞二(まつぷた)つに割(わ)らうとするので、與吉(よきち)は十七の小腕(こうで)だけれども、此(この)業(わざ)には長(た)けて居(ゐ)た。
 目鼻立(めはなだち)の愛(あい)くるしい、罪(つみ)の無(な)い丸顏(まるがほ)、五分刈(ごぶがり)に向顱卷(むかうはちまき)、三尺帶(さんじやくおび)を前(まへ)で結(むす)んで、南(なん)の字(じ)を大(おほき)く染拔(そめぬ)いた半被(はつぴ)を着(き)て居(ゐ)る、これは此處(こゝ)の大家(たいけ)の仕着(しきせ)で、挽(ひ)いてる樟(くすのき)も其(そ)の持分(もちぶん)。
 未(ま)だ暑(あつ)いから股引(もゝひき)は穿(は)かず、跣足(はだし)で木屑(きくづ)の中(なか)についた膝(ひざ)、股(もゝ)、胸(むね)のあたりは色(いろ)が白(しろ)い。大柄(おほがら)だけれども肥(ふと)つては居(を)らぬ、ならば袴(はかま)でも穿(は)かして見(み)たい。與吉(よきち)が身體(からだ)を入(い)れようといふ家(いへ)は、直(すぐ)間近(まぢか)で、一町(ちやう)ばかり行(ゆ)くと、袂(たもと)に一本(ぽん)暴風雨(あらし)で根返(ねがへ)して横樣(よこざま)になつたまゝ、半(なか)ば枯(か)れて、半(なか)ば青々(あを/\)とした、あはれな銀杏(いてふ)の矮樹(わいじゆ)がある、橋(はし)が一個(ひとつ)。其(そ)の澁色(しぶいろ)の橋(はし)を渡(わた)ると、岸(きし)から板(いた)を渡(わた)した船(ふね)がある、板(いた)を渡(わた)つて、苫(とま)の中(なか)へ出入(でいり)をするので、此(この)船(ふね)が與吉(よきち)の住居(すまひ)。で干潮(かんてう)の時(とき)は見(み)るも哀(あはれ)で、宛然(さながら)洪水(でみづ)のあとの如(ごと)く、何時(いつ)棄(す)てた世帶道具(しよたいだうぐ)やら、缺擂鉢(かけすりばち)が黒(くろ)く沈(しづ)むで、蓬(おどろ)のやうな水草(みづくさ)は波(なみ)の隨意(まに/\)靡(なび)いて居(ゐ)る。この水草(みづくさ)はまた年(とし)久(ひさ)しく、船(ふね)の底(そこ)、舷(ふなばた)に搦(から)み附(つ)いて、恰(あたか)も巖(いはほ)に苔蒸(こけむ)したかのやう、與吉(よきち)の家(いへ)をしつかりと結(ゆは)へて放(はな)しさうにもしないが、大川(おほかは)から汐(しほ)がさして來(く)れば、岸(きし)に茂(しげ)つた柳(やなぎ)の枝(えだ)が水(みづ)に潛(くゞ)り、泥(どろ)だらけな笹(さゝ)の葉(は)がぴた/\と洗(あら)はれて、底(そこ)が見(み)えなくなり、水草(みづくさ)の隱(かく)れるに從(したが)うて、船(ふね)が浮上(うきあが)ると、堤防(ていばう)の遠方(をちかた)にすく/\立(た)つて白(しろ)い煙(けむり)を吐(は)く此處彼處(こゝかしこ)の富家(ふか)の煙突(えんとつ)が低(ひく)くなつて、水底(みづそこ)の其(そ)の缺擂鉢(かけすりばち)、塵芥(ちりあくた)、襤褸切(ぼろぎれ)、釘(くぎ)の折(をれ)などは不殘(のこらず)形(かたち)を消(け)して、蒼(あを)い潮(しほ)を滿々(まん/\)と湛(たゝ)へた溜池(ためいけ)の小波(さゝなみ)の上(うへ)なる家(いへ)は、掃除(さうぢ)をするでもなしに美(うつく)しい。
 爾時(そのとき)は船(ふね)から陸(りく)へ渡(わた)した板(いた)が眞直(まつすぐ)になる。これを渡(わた)つて、今朝(けさ)は殆(ほとん)ど滿潮(まんてう)だつたから、與吉(よきち)は柳(やなぎ)の中(なか)で※(ぱつ)[#「火+發」、692-5]と旭(あさひ)がさす、黄金(こがね)のやうな光線(くわうせん)に、其(その)罪(つみ)のない顏(かほ)を照(て)らされて仕事(しごと)に出(で)た。

        二

 其(それ)から日(ひ)一日(にち)おなじことをして働(はたら)いて、黄昏(たそがれ)かゝると日(ひ)が舂(うすづ)き、柳(やなぎ)の葉(は)が力(ちから)なく低(た)れて水(みづ)が暗(くら)うなると汐(しほ)が退(ひ)く、船(ふね)が沈(しづ)むで、板(いた)が斜(なゝ)めになるのを渡(わた)つて家(いへ)に歸(かへ)るので。
 留守(るす)には、年寄(としよ)つた腰(こし)の立(た)たない與吉(よきち)の爺々(ちやん)が一人(ひとり)で寢(ね)て居(ゐ)るが、老後(らうご)の病(やまひ)で次第(しだい)に弱(よわ)るのであるから、急(きふ)に容體(ようだい)の變(かは)るといふ憂慮(きづかひ)はないけれども、與吉(よきち)は雇(やと)はれ先(さき)で晝飯(ひるめし)をまかなはれては、小休(こやすみ)の間(あひだ)に毎日(まいにち)一度(ど)づつ、見舞(みまひ)に歸(かへ)るのが例(れい)であつた。
「ぢやあ行(い)つて來(く)るぜ、父爺(ちやん)。」
 與平(よへい)といふ親仁(おやぢ)は、涅槃(ねはん)に入(い)つたやうな形(かたち)で、胴(どう)の間(ま)に寢(ね)ながら、佛造(ほとけづく)つた額(ひたひ)を上(あ)げて、汗(あせ)だらけだけれども目(め)の涼(すゞ)しい、息子(せがれ)が地藏眉(ぢざうまゆ)の、愛(あい)くるしい、若(わか)い顏(かほ)を見(み)て、嬉(うれ)しさうに頷(うなづ)いて、
「晩(ばん)にや又(また)柳屋(やなぎや)の豆腐(とうふ)にしてくんねえよ。」
「あい、」といつて苫(とま)を潛(くゞ)つて這(は)ふやうにして船(ふね)から出(で)た、與吉(よきち)はづツと立(た)つて板(いた)を渡(わた)つた。向(むか)うて筋違(すぢつかひ)、角(かど)から二軒目(けんめ)に小(ちひ)さな柳(やなぎ)の樹(き)が一本(ぽん)、其(そ)の低(ひく)い枝(えだ)のしなやかに垂(た)れた葉隱(はがく)れに、一間口(けんぐち)二枚(まい)の腰障子(こししやうじ)があつて、一枚(まい)には假名(かな)、一枚(まい)には眞名(まな)で豆腐(とうふ)と書(か)いてある。柳(やなぎ)の葉(は)の翠(みどり)を透(す)かして、障子(しやうじ)の紙(かみ)は新(あた)らしく白(しろ)いが、秋(あき)が近(ちか)いから、破(やぶ)れて煤(すゝ)けたのを貼替(はりか)へたので、新規(しんき)に出來(でき)た店(みせ)ではない。柳屋(やなぎや)は土地(とち)で老鋪(しにせ)だけれども、手廣(てびろ)く商(あきなひ)をするのではなく、八九十軒(けん)もあらう百軒(けん)足(た)らずの此(こ)の部落(ぶらく)だけを花主(とくい)にして、今代(こんだい)は喜藏(きざう)といふ若(わか)い亭主(ていしゆ)が、自分(じぶん)で賣(う)りに□(まは)るばかりであるから、商(あきなひ)に出(で)た留守(るす)の、晝過(ひるすぎ)は森(しん)として、柳(やなぎ)の蔭(かげ)に腰障子(こししやうじ)が閉(し)まつて居(ゐ)る、樹(き)の下(した)、店(みせ)の前(まへ)から入口(いりくち)へ懸(か)けて、地(ぢ)の窪(くぼ)むだ、泥濘(ぬかるみ)を埋(う)めるため、一面(いちめん)に貝殼(かひがら)が敷(し)いてある、白(しろ)いの、半分(はんぶん)黒(くろ)いの、薄紅(うすべに)、赤(あか)いのも交(まじ)つて堆(うづたか)い。
 隣屋(となり)は此(この)邊(へん)に棟(むね)を並(なら)ぶる木屋(きや)の大家(たいけ)で、軒(のき)、廂(ひさし)、屋根(やね)の上(うへ)まで、犇(ひし)と木材(もくざい)を積揃(つみそろ)へた、眞中(まんなか)を分(わ)けて、空高(そらだか)い長方形(ちやうはうけい)の透間(すきま)から凡(およ)そ三十疊(でふ)も敷(し)けようといふ店(みせ)の片端(かたはし)が見(み)える、其(そ)の木材(もくざい)の蔭(かげ)になつて、日(ひ)の光(ひかり)もあからさまには射(さ)さず、薄暗(うすぐら)い、冷々(ひや/\)とした店前(みせさき)に、帳場格子(ちやうばがうし)を控(ひか)へて、年配(ねんぱい)の番頭(ばんとう)が唯(たゞ)一人(ひとり)帳合(ちやうあひ)をしてゐる。これが角屋敷(かどやしき)で、折曲(をれまが)ると灰色(はひいろ)をした道(みち)が一筋(ひとすぢ)、電柱(でんちう)の著(いちじる)しく傾(かたむ)いたのが、前(まへ)と後(うしろ)へ、別々(べつ/\)に頭(かしら)を掉(ふ)つて奧深(おくぶか)う立(た)つて居(ゐ)る、鋼線(はりがね)が又(また)半(なか)だるみをして、廂(ひさし)よりも低(ひく)い處(ところ)を、弱々(よわ/\)と、斜(なゝ)めに、さも/\衰(おとろ)へた形(かたち)で、永代(えいたい)の方(はう)から長(なが)く續(つゞ)いて居(ゐ)るが、圖(づ)に描(か)いて線(せん)を引(ひ)くと、文明(ぶんめい)の程度(ていど)が段々(だん/\)此方(こつち)へ來(く)るに從(したが)うて、屋根越(やねごし)に鈍(にぶ)ることが分(わか)るであらう。
 單(たん)に電柱(でんちう)ばかりでない、鋼線(はりがね)ばかりでなく、橋(はし)の袂(たもと)の銀杏(いてふ)の樹(き)も、岸(きし)の柳(やなぎ)も、豆腐屋(とうふや)の軒(のき)も、角家(かどや)の塀(へい)も、それ等(ら)に限(かぎ)らず、あたりに見(み)ゆるものは、門(もん)の柱(はしら)も、石垣(いしがき)も、皆(みな)傾(かたむ)いて居(ゐ)る、傾(かたむ)いて居(ゐ)る、傾(かたむ)いて居(ゐ)るが盡(こと/″\)く一樣(いちやう)な向(むき)にではなく、或(ある)ものは南(みなみ)の方(はう)へ、或(ある)ものは北(きた)の方(はう)へ、また西(にし)の方(はう)へ、東(ひがし)の方(はう)へ、てん/″\ばら/\になつて、此(この)風(かぜ)のない、天(そら)の晴(は)れた、曇(くもり)のない、水面(すゐめん)のそよ/\とした、靜(しづ)かな、穩(おだや)かな日中(ひなか)に處(しよ)して、猶且(なほか)つ暴風(ばうふう)に揉(も)まれ、搖(ゆ)らるゝ、其(そ)の瞬間(しゆんかん)の趣(おもむき)あり。ものの色(いろ)もすべて褪(あ)せて、其(その)灰色(はひいろ)に鼠(ねずみ)をさした濕地(しつち)も、草(くさ)も、樹(き)も、一部落(ぶらく)を蔽包(おほひつゝ)むだ夥多(おびたゞ)しい材木(ざいもく)も、材木(ざいもく)の中(なか)を見(み)え透(す)く溜池(ためいけ)の水(みづ)の色(いろ)も、一切(いつさい)、喪服(もふく)を着(つ)けたやうで、果敢(はか)なく哀(あはれ)である。

        三

 界隈(かいわい)の景色(けしき)がそんなに沈鬱(ちんうつ)で、濕々(じめ/\)として居(ゐ)るに從(したが)うて、住(す)む者(もの)もまた高聲(たかごゑ)ではものをいはない。歩行(あるく)にも内端(うちわ)で、俯向(うつむ)き勝(がち)で、豆腐屋(とうふや)も、八百屋(やほや)も默(だま)つて通(とほ)る。風俗(ふうぞく)も派手(はで)でない、女(をんな)の好(このみ)も濃厚(のうこう)ではない、髮(かみ)の飾(かざり)も赤(あか)いものは少(すく)なく、皆(みな)心(こゝろ)するともなく、風土(ふうど)の喪(も)に服(ふく)して居(ゐ)るのであらう。
 元來(ぐわんらい)岸(きし)の柳(やなぎ)の根(ね)は、家々(いへ/\)の根太(ねだ)よりも高(たか)いのであるから、破風(はふ)の上(うへ)で、切々(きれ/″\)に、蛙(かはづ)が鳴(な)くのも、欄干(らんかん)の壞(くづ)れた、板(いた)のはなれ/″\な、杭(くひ)の拔(ぬ)けた三角形(さんかくけい)の橋(はし)の上(うへ)に蘆(あし)が茂(しげ)つて、蟲(むし)がすだくのも、船蟲(ふなむし)が群(むら)がつて往來(わうらい)を驅(か)けまはるのも、工場(こうぢやう)の煙突(えんとつ)の烟(けむり)が遙(はる)かに見(み)えるのも、洲崎(すさき)へ通(かよ)ふ車(くるま)の音(おと)がかたまつて響(ひゞ)くのも、二日(ふつか)おき三日(みつか)置(お)きに思出(おもひだ)したやうに巡査(じゆんさ)が入(はひ)るのも、けたゝましく郵便脚夫(いうびんきやくふ)が走込(はしりこ)むのも、烏(からす)が鳴(な)くのも、皆(みな)何(なん)となく土地(とち)の末路(まつろ)を示(しめ)す、滅亡(めつばう)の兆(てう)であるらしい。
 けれども、滅(ほろ)びるといつて、敢(あへ)て此(こ)の部落(ぶらく)が無(な)くなるといふ意味(いみ)ではない、衰(おとろ)へるといふ意味(いみ)ではない、人(ひと)と家(いへ)とは榮(さか)えるので、進歩(しんぽ)するので、繁昌(はんじやう)するので、やがて其(その)電柱(でんちう)は眞直(まつすぐ)になり、鋼線(はりがね)は張(はり)を持(も)ち、橋(はし)がペンキ塗(ぬり)になつて、黒塀(くろべい)が煉瓦(れんぐわ)に換(かは)ると、蛙(かはづ)、船蟲(ふなむし)、そんなものは、不殘(のこらず)石灰(いしばひ)で殺(ころ)されよう。即(すなは)ち人(ひと)と家(いへ)とは、榮(さか)えるので、恁(かゝ)る景色(けしき)の俤(おもかげ)がなくならうとする、其(そ)の末路(まつろ)を示(しめ)して、滅亡(めつばう)の兆(てう)を表(あら)はすので、詮(せん)ずるに、蛇(へび)は進(すゝ)んで衣(ころも)を脱(ぬ)ぎ、蝉(せみ)は榮(さか)えて殼(から)を棄(す)てる、人(ひと)と家(いへ)とが、皆(みな)他(た)の光榮(くわうえい)あり、便利(べんり)あり、利益(りえき)ある方面(はうめん)に向(むか)つて脱出(ぬけだ)した跡(あと)には、此(この)地(ち)のかゝる俤(おもかげ)が、空蝉(うつせみ)になり脱殼(ぬけがら)になつて了(しま)ふのである。
 敢(あへ)て未來(みらい)のことはいはず、現在(げんざい)既(すで)に其(そ)の姿(すがた)になつて居(ゐ)るのではないか、脱(ぬ)け出(だ)した或者(あるもの)は、鳴(な)き、且(か)つ飛(と)び、或者(あるもの)は、走(はし)り、且(か)つ食(くら)ふ、けれども衣(きぬ)を脱(ぬ)いで出(で)た蛇(へび)は、殘(のこ)した殼(から)より、必(かなら)ずしも美(うつく)しいものとはいはれない。
 あゝ、まぼろしのなつかしい、空蝉(うつせみ)のかやうな風土(ふうど)は、却(かへ)つてうつくしいものを産(さん)するのか、柳屋(やなぎや)に艶麗(あでやか)な姿(すがた)が見(み)える。
 與吉(よきち)は父親(ちゝおや)に命(めい)ぜられて、心(こゝろ)に留(と)めて出(で)たから、岸(きし)に上(あが)ると、思(おも)ふともなしに豆腐屋(とうふや)に目(め)を注(そゝ)いだ。
 柳屋(やなぎや)は淺間(あさま)な住居(すまひ)、上框(あがりがまち)を背後(うしろ)にして、見通(みとほし)の四疊半(よでふはん)の片端(かたはし)に、隣家(となり)で帳合(ちやうあひ)をする番頭(ばんとう)と同一(おなじ)あたりの、柱(はしら)に凭(もた)れ、袖(そで)をば胸(むね)のあたりで引(ひ)き合(あ)はせて、浴衣(ゆかた)の袂(たもと)を折返(をりかへ)して、寢床(ねどこ)の上(うへ)に坐(すわ)つた膝(ひざ)に掻卷(かいまき)を懸(か)けて居(ゐ)る。背(うしろ)には綿(わた)の厚(あつ)い、ふつくりした、竪縞(たてじま)のちやん/\を着(き)た、鬱金木綿(うこんもめん)の裏(うら)が見(み)えて襟脚(えりあし)が雪(ゆき)のやう、艶氣(つやけ)のない、赤熊(しやぐま)のやうな、ばさ/\した、餘(あま)るほどあるのを天神(てんじん)に結(ゆ)つて、淺黄(あさぎ)の角絞(つのしぼり)の手絡(てがら)を弛(ゆる)う大(おほ)きくかけたが、病氣(びやうき)であらう、弱々(よわ/\)とした後姿(うしろすがた)。
 見透(みとほし)の裏(うら)は小庭(こには)もなく、すぐ隣屋(となり)の物置(ものおき)で、此處(こゝ)にも犇々(ひし/\)と材木(ざいもく)が建重(たてかさ)ねてあるから、薄暗(うすぐら)い中(なか)に、鮮麗(あざやか)な其(その)淺黄(あさぎ)の手絡(てがら)と片頬(かたほ)の白(しろ)いのとが、拭込(ふきこ)むだ柱(はしら)に映(うつ)つて、ト見(み)ると露草(つゆぐさ)が咲(さ)いたやうで、果敢(はか)なくも綺麗(きれい)である。
 與吉(よきち)はよくも見(み)ず、通(とほ)りがかりに、
「今日(こんにち)は、」と、聲(こゑ)を掛(か)けたが、フト引戻(ひきもど)さるゝやうにして覗(のぞ)いて見(み)た、心着(こゝろづ)くと、自分(じぶん)が挨拶(あいさつ)したつもりの婦人(をんな)はこの人(ひと)ではない。

        四

「居(ゐ)ない。」と呟(つぶや)くが如(ごと)くにいつて、其(その)まゝ通拔(とほりぬ)けようとする。
 ト日(ひ)があたつて暖(あた)たかさうな、明(あかる)い腰障子(こししやうじ)の内(うち)に、前刻(さつき)から靜(しづ)かに水(みづ)を掻□(かきまは)す氣勢(けはひ)がして居(ゐ)たが、ばつたりといつて、下駄(げた)の音(おと)。
「與吉(よきち)さん、仕事(しごと)にかい。」
 と婀娜(あだ)たる聲(こゑ)、障子(しやうじ)を開(あ)けて顏(かほ)を出(だ)した、水色(みづいろ)の唐縮緬(たうちりめん)を引裂(ひつさ)いたまゝの襷(たすき)、玉(たま)のやうな腕(かひな)もあらはに、蜘蛛(くも)の圍(ゐ)を絞(しぼ)つた浴衣(ゆかた)、帶(おび)は占(し)めず、細紐(ほそひも)の態(なり)で裾(すそ)を端折(はしよ)つて、布(ぬの)の純白(じゆんぱく)なのを、短(みじ)かく脛(はぎ)に掛(か)けて甲斐々々(かひ/″\)しい。
 齒(は)を染(そ)めた、面長(おもなが)の、目鼻立(めはなだち)はつきりとした、眉(まゆ)は落(おと)さぬ、束(たば)ね髮(がみ)の中年増(ちうどしま)、喜藏(きざう)の女房(にようばう)で、お品(しな)といふ。
 濡(ぬ)れた手(て)を間近(まぢか)な柳(やなぎ)の幹(みき)にかけて半身(はんしん)を出(だ)した、お品(しな)は與吉(よきち)を見(み)て微笑(ほゝゑ)むだ。
 土間(どま)は一面(いちめん)の日(ひ)あたりで、盤臺(はんだい)、桶(をけ)、布巾(ふきん)など、ありつたけのもの皆(みな)濡(ぬ)れたのに、薄(うす)く陽炎(かげろふ)のやうなのが立籠(たちこ)めて、豆腐(とうふ)がどんよりとして沈(しづ)んだ、新木(あらき)の大桶(おほをけ)の水(みづ)の色(いろ)は、薄(うす)ら蒼(あを)く、柳(やなぎ)の影(かげ)が映(うつ)つて居(ゐ)る。
「晩方(ばんがた)又(また)來(く)るんだ。」
 お品(しな)は莞爾(につこり)しながら、
「難有(ありがた)う存(ぞん)じます、」故(わざ)と慇懃(いんぎん)にいつた。
 つか/\と行懸(ゆきか)けた與吉(よきち)は、これを聞(き)くと、あまり自分(じぶん)の素氣(そつけ)なかつたのに氣(き)がついたか、小戻(こもど)りして眞顏(まがほ)で、眼(め)を一(ひと)ツ瞬(しばだた)いて、
「えゝ、毎度(まいど)難有(ありがた)う存(ぞん)じます。」と、罪(つみ)のない口(くち)の利(き)きやうである。
「ほゝゝ、何(なに)をいつてるのさ。」
「何(なに)がよ。」
「だつてお前樣(まへさん)はお客樣(きやくさま)ぢやあないかね、お客樣(きやくさま)なら私(わたし)ン處(ところ)の旦那(だんな)だね、ですから、あの、毎度(まいど)難有(ありがた)う存(ぞん)じます。」と柳(やなぎ)に手(て)を縋(すが)つて半身(はんしん)を伸出(のびで)たまゝ、胸(むね)と顏(かほ)を斜(なゝ)めにして、與吉(よきち)の顏(かほ)を差覗(さしのぞ)く。
 與吉(よきち)は極(きまり)の惡(わる)さうな趣(おもむき)で、
「お客樣(きやくさま)だつて、あの、私(わたし)は木挽(こびき)の小僧(こぞう)だもの。」
 と手眞似(てまね)で見(み)せた、與吉(よきち)は兩手(りやうて)を突出(つきだ)してぐつと引(ひ)いた。
「かうやつて、かう挽(ひ)いてるんだぜ、木挽(こびき)の小僧(こぞう)だぜ。お前樣(まへさん)はおかみさんだらう、柳屋(やなぎや)のおかみさんぢやねえか、それ見(み)ねえ、此方(こつち)でお辭儀(じぎ)をしなけりやならないんだ。ねえ、」
「あれだ、」とお品(しな)は目(め)を□(みは)つて、
「まあ、勿體(もつたい)ないわねえ、私達(わたしたち)に何(なん)のお前(まへ)さん……」といひかけて、つく/″\瞻(みまも)りながら、お品(しな)はづツと立(た)つて、與吉(よきち)に向(むか)ひ合(あ)ひ、其(そ)の襷懸(たすきが)けの綺麗(きれい)な腕(かひな)を、兩方(りやうはう)大袈裟(おほげさ)に振(ふ)つて見(み)せた。
「かうやつて威張(ゐば)つてお在(いで)よ。」
「威張(ゐば)らなくツたつて、何(なに)も、威張(ゐば)らなくツたつて構(かま)はないから、父爺(ちやん)が魚(さかな)を食(く)つてくれると可(い)いけれど、」と何(なん)と思(おも)つたか與吉(よきち)はうつむいて悄(しを)れたのである。
「何(ど)うしたんだね、又(また)餘計(よけい)に惡(わる)くなつたの。」と親切(しんせつ)にも優(やさ)しく眉(まゆ)を顰(ひそ)めて聞(き)いた。
「餘計(よけい)に惡(わる)くなつて堪(たま)るもんか、此(この)節(せつ)あ心持(こゝろもち)が快方(いゝはう)だつていふけれど、え、魚氣(さかなつけ)を食(く)はねえぢやあ、身體(からだ)が弱(よわ)るつていふのに、父爺(ちやん)はね、腥(なまぐさ)いものにや箸(はし)もつけねえで、豆腐(とうふ)でなくつちやあならねえツていふんだ。え、おかみさん、骨(ほね)のある豆腐(とうふ)は出來(でき)まいか。」と思出(おもひだ)したやうに唐突(だしぬけ)にいつた。

        五

「おや、」
 お品(しな)は與吉(よきち)がいふことの餘(あま)り突拍子(とつぴやうし)なのを、笑(わら)ふよりも先(ま)づ驚(おどろ)いたのである。
「ねえ、親方(おやかた)に聞(き)いて見(み)てくんねえ、出來(でき)さうなもんだなあ。雁(がん)もどきツて、ほら、種々(いろん)なものが入(はひ)つた油揚(あぶらあげ)があらあ、銀杏(ぎんなん)だの、椎茸(しひたけ)だの、あれだ、あの中(なか)へ、え、肴(さかな)を入(い)れて交(ま)ぜツこにするてえことあ不可(いけ)ねえのかなあ。」
「そりや、お前(まへ)さん。まあ、可(い)いやね、聞(き)いて見(み)て置(お)きませうよ。」
「あゝ、聞(き)いて見(み)てくんねえ、眞個(ほんと)に肴(さかな)ツ氣(け)が無(な)くツちやあ、臺(だい)なし身體(からだ)が弱(よわ)るツていふんだもの。」
「何故(なぜ)父上(おとつさん)は腥(なまぐさ)をお食(あが)りぢやあないのだね。」
 與吉(よきち)の眞面目(まじめ)なのに釣込(つりこ)まれて、笑(わら)ふことの出來(でき)なかつたお品(しな)は、到頭(たうとう)骨(ほね)のある豆腐(とうふ)の注文(ちうもん)を笑(わら)はずに聞(き)き濟(す)ました、そして眞顏(まがほ)で尋(たづ)ねた。
「えゝ、其(その)何(なん)だつて、物(もの)をこそ言(い)はねえけれど、目(め)もあれば、口(くち)もある、それで生白(なまじろ)い色(いろ)をして、蒼(あを)いものもあるがね、煮(に)られて皿(さら)の中(なか)に横(よこ)になつた姿(すがた)てえものは、魚々(さかな/\)と一口(ひとくち)にやあいふけれど、考(かんが)へて見(み)りやあ生身(なまみ)をぐつ/\煮着(につ)けたのだ、尾頭(をかしら)のあるものの死骸(しがい)だと思(おも)ふと、氣味(きみ)が惡(わる)くツて食(た)べられねえツて、左樣(さう)いふんだ。
 詰(つま)らねえことを父爺(ちやん)いふもんぢやあねえ、山(やま)ン中(なか)の爺婆(ぢゞばゞ)でも鹽(しほ)したのを食(た)べるツてよ。
 煮(に)たのが、心持(こゝろもち)が惡(わる)けりや、刺身(さしみ)にして食(た)べないかツていふとね、身震(みぶるひ)をするんだぜ。刺身(さしみ)ツていやあ一寸試(いつすんだめし)だ、鱠(なます)にすりやぶつ/\切(ぎり)か、あの又(また)目口(めくち)のついた天窓(あたま)へ骨(ほね)が繋(つなが)つて肉(にく)が絡(まと)ひついて殘(のこ)る圖(づ)なんてものは、と厭(いや)な顏(かほ)をするからね。あゝ、」といつて與吉(よきち)は頷(うなづ)いた。これは力(ちから)を入(い)れて對手(あひて)に其(その)意(い)を得(え)させようとしたのである。
「左樣(さう)なんかねえ、年紀(とし)の故(せゐ)もあらう、一(ひと)ツは氣分(きぶん)だね、お前(まへ)さん、そんなに厭(いや)がるものを無理(むり)に食(た)べさせない方(はう)が可(い)いよ、心持(こゝろもち)を惡(わる)くすりや身體(からだ)のたしにもなんにもならないわねえ。」
「でも痩(や)せるやうだから心配(しんぱい)だもの。氣(き)が着(つ)かないやうにして食(た)べさせりや、胸(むね)を惡(わる)くすることもなからうからなあ、いまの豆腐(とうふ)の何(なに)よ。ソレ、」
「骨(ほね)のあるがんもどきかい、ほゝゝゝほゝ、」と笑(わら)つた、垢拔(あかぬ)けのした顏(かほ)に鐵漿(かね)を含(ふく)んで美(うつく)しい。
 片頬(かたほ)に觸(ふ)れた柳(やなぎ)の葉先(はさき)を、お品(しな)は其(その)艶(つや)やかに黒(くろ)い前齒(まへば)で銜(くは)へて、扱(こ)くやうにして引斷(ひつき)つた。青(あを)い葉(は)を、カチ/\と二(ふた)ツばかり噛(か)むで手(て)に取(と)つて、掌(てのひら)に載(の)せて見(み)た。トタンに框(かまち)の取着(とツつき)の柱(はしら)に凭(もた)れた淺黄(あさぎ)の手絡(てがら)が此方(こつち)を見向(みむ)く、うら少(わかい)のと面(おもて)を合(あ)はせた。
 其(その)時(とき)までは、殆(ほとん)ど自分(じぶん)で何(なに)をするかに心着(こゝろづ)いて居(ゐ)ないやう、無意識(むいしき)の間(あひだ)にして居(ゐ)たらしいが、フト目(め)を留(と)めて、俯向(うつむ)いて、じつと見(み)て、又(また)梢(こずゑ)を仰(あふ)いで、
「與吉(よきち)さんのいふやうぢやあ、まあ、嘸(さぞ)此(こ)の葉(は)も痛(いた)むこツたらうねえ。」
 と微笑(ほゝゑ)んで見(み)せて、少(わか)いのが其(その)清(すゞし)い目(め)に留(と)めると、くるりと□(まは)つて、空(そら)ざまに手(て)を上(あ)げた、お品(しな)はすつと立(た)つて、しなやかに柳(やなぎ)の幹(みき)を叩(たゝ)いたので、蜘蛛(くも)の巣(す)の亂(みだ)れた薄(うす)い色(いろ)の浴衣(ゆかた)の袂(たもと)は、ひらひらと動(うご)いた。
 與吉(よきち)は半被(はつぴ)の袖(そで)を掻合(かきあ)はせて、立(た)つて見(み)て居(ゐ)たが、急(きふ)に振返(ふりかへ)つて、
「さうだ。ぢやあ親方(おやかた)に聞(き)いて見(み)ておくんな。可(い)いかい、」
「あゝ、可(い)いとも、」といつて向直(むきなほ)つて、お品(しな)は掻潛(かいくゞ)つて襷(たすき)を脱(はづ)した。斜(なゝ)めに袈裟(けさ)になつて結目(むすびめ)がすらりと下(さが)る。
「お邪魔(じやま)申(まを)しました。」
「あれだよ。又(また)、」と、莞爾(につこり)していふ。
「さうだつけな、うむ、此方(こつち)あお客(きやく)だぜ。」
 與吉(よきち)は獨(ひとり)で頷(うなづ)いたが、背向(うしろむき)になつて、肱(ひぢ)を張(は)つて、南(なん)の字(じ)の印(しるし)が動(うご)く、半被(はつぴ)の袖(そで)をぐツと引(ひ)いて、手(て)を掉(ふ)つて、
「おかみさん、大威張(おほゐばり)だ。」
「あばよ。」

        六

「あい、」といひすてに、急足(いそぎあし)で、與吉(よきち)は見(み)る内(うち)に間近(まぢか)な澁色(しぶいろ)の橋(はし)の上(うへ)を、黒(くろ)い半被(はつぴ)で渡(わた)つた。眞中頃(まんなかごろ)で、向岸(むかうぎし)から駈(か)けて來(き)た郵便脚夫(いうびんきやくふ)と行合(ゆきあ)つて、遣違(やりちが)ひに一緒(いつしよ)になつたが、分(わか)れて橋(はし)の兩端(りやうはし)へ、脚夫(きやくふ)はつか/\と間近(まぢか)に來(き)て、與吉(よきち)は彼(か)の、倒(たふ)れながらに半(なか)ば黄(き)ばんだ銀杏(いてふ)の影(かげ)に小(ちひ)さくなつた。

        七

「郵便(いうびん)!」
「はい、」と柳(やなぎ)の下(した)で、洗髮(あらひがみ)のお品(しな)は、手足(てあし)の眞黒(まつくろ)な配達夫(はいたつふ)が、突當(つきあた)るやうに目(め)の前(まへ)に踏留(ふみと)まつて棒立(ぼうだち)になつて喚(わめ)いたのに、驚(おどろ)いた顏(かほ)をした。
「更科(さらしな)お柳(りう)さん、」
「手前(てまへ)どもでございます。」
 お品(しな)は受取(うけと)つて、青(あを)い状袋(じやうぶくろ)の上書(うはがき)をじつと見(み)ながら、片手(かたて)を垂(た)れて前垂(まへだれ)のさきを抓(つま)むで上(あ)げつゝ、素足(すあし)に穿(は)いた黒緒(くろを)の下駄(げた)を揃(そろ)へて立(た)つてたが、一寸(ちよつと)飜(かへ)して、裏(うら)の名(な)を讀(よ)むと、顏(かほ)の色(いろ)が動(うご)いて、横目(よこめ)に框(かまち)をすかして、片頬(かたほ)に笑(ゑみ)を含(ふく)むで、堪(たま)らないといつたやうな聲(こゑ)で、
「柳(りう)ちやん、來(き)たよ!」といふが疾(はや)いか、横(よこ)ざまに驅(か)けて入(い)る、柳腰(やなぎごし)、下駄(げた)が脱(ぬ)げて、足(あし)の裏(うら)が美(うつく)しい。

        八

 與吉(よきち)が仕事場(しごとば)の小屋(こや)に入(はひ)ると、例(れい)の如(ごと)く、直(す)ぐ其(その)まゝ材木(ざいもく)の前(まへ)に跪(ひざまづ)いて、鋸(のこぎり)の柄(え)に手(て)を懸(か)けた時(とき)、配達夫(はいたつふ)は、此處(こゝ)の前(まへ)を横切(よこぎ)つて、身(み)を斜(なゝめ)に、波(なみ)に搖(ゆ)られて流(なが)るゝやうな足取(あしどり)で、走(はし)り去(さ)つた。
 與吉(よきち)は見(み)も遣(や)らず、傍目(わきめ)も觸(ふ)らないで挽(ひ)きはじめる。
 巨大(きよだい)なる此(こ)の樟(くすのき)を濡(ぬ)らさないために、板屋根(いたやね)を葺(ふ)いた、小屋(こや)の高(たか)さは十丈(ぢやう)もあらう、脚(あし)の着(つ)いた臺(だい)に寄(よ)せかけたのが突立(つツた)つて、殆(ほとん)ど屋根裏(やねうら)に屆(とゞ)くばかり。この根際(ねぎは)に膝(ひざ)をついて、伸上(のびあが)つては挽(ひ)き下(お)ろし、伸上(のびあが)つては挽(ひ)き下(お)ろす、大鋸(おほのこぎり)の齒(は)は上下(うへした)にあらはれて、兩手(りやうて)をかけた與吉(よきち)の姿(すがた)は、鋸(のこぎり)よりも小(ちひ)さいかのやう。
 小屋(こや)の中(うち)には單(たゞ)こればかりでなく、兩傍(りやうわき)に堆(うづたか)く偉大(ゐだい)な材木(ざいもく)を積(つ)んであるが、其(そ)の嵩(かさ)は與吉(よきち)の丈(たけ)より高(たか)いので、纔(わづか)に鋸屑(おがくづ)の降積(ふりつも)つた上(うへ)に、小(ちひ)さな身體(からだ)一(ひと)ツ入(い)れるより他(ほか)に餘地(よち)はない。で恰(あたか)も材木(ざいもく)の穴(あな)の底(そこ)に跪(ひざまづ)いてるに過(す)ぎないのである。
 背後(うしろ)は突拔(つきぬ)けの岸(きし)で、こゝにも地(つち)と一面(いちめん)な水(みづ)が蒼(あを)く澄(す)むで、ひた/\と小波(さゝなみ)の畝(うねり)が絶(た)えず間近(まぢか)う來(く)る。往來傍(わうらいばた)には又(また)岸(きし)に臨(のぞ)むで、果(はて)しなく組違(くみちが)へた材木(ざいもく)が並(なら)べてあるが、二十三十づゝ、四(よ)ツ目形(めなり)に、井筒形(ゐづつがた)に、規律(きりつ)正(たゞ)しく、一定(いつてい)した距離(きより)を置(お)いて、何處(どこ)までも續(つゞ)いて居(ゐ)る、四(よ)ツ目(め)の間(あひだ)を、井筒(ゐづつ)の彼方(かなた)を、見(み)え隱(かく)れに、ちらほら人(ひと)が通(とほ)るが、皆(みな)默(だま)つて歩行(ある)いて居(ゐ)るので。
 淋(さみし)い、森(しん)とした中(なか)に手拍子(てびやうし)が揃(そろ)つて、コツ/\コツ/\と、鐵槌(かなづち)の音(おと)のするのは、この小屋(こや)に並(なら)んだ、一棟(ひとむね)、同一(おなじ)材木納屋(ざいもくなや)の中(なか)で、三個(こ)の石屋(いしや)が、石(いし)を鑿(き)るのである。
 板圍(いたがこひ)をして、横(よこ)に長(なが)い、屋根(やね)の低(ひく)い、濕(しめ)つた暗(くら)い中(なか)で、働(はたら)いて居(ゐ)るので、三人(にん)の石屋(いしや)も齊(ひと)しく南屋(みなみや)に雇(やと)はれて居(ゐ)るのだけれども、渠等(かれら)は與吉(よきち)のやうなのではない、大工(だいく)と一所(いつしよ)に、南屋(みなみや)の普請(ふしん)に懸(かゝ)つて居(ゐ)るので、ちやうど與吉(よきち)の小屋(こや)と往來(わうらい)を隔(へだ)てた眞向(まむか)うに、小(ちひ)さな普請小屋(ふしんごや)が、眞新(まあたらし)い、節穴(ふしあな)だらけな、薄板(うすいた)で建(た)つて居(ゐ)る、三方(さんぱう)が圍(かこ)つたばかり、編(あ)むで繋(つな)いだ繩(なは)も見(み)え、一杯(いつぱい)の日當(ひあたり)で、いきなり土(つち)の上(うへ)へ白木(しらき)の卓子(テエブル)を一脚(きやく)据(す)ゑた、其(その)上(うへ)には大土瓶(おほどびん)が一個(こ)、茶呑茶碗(ちやのみぢやわん)が七個(なゝつ)八個(やつ)。
 後(うしろ)に置(お)いた腰掛臺(こしかけだい)の上(うへ)に、一人(ひとり)は匍匐(はらばひ)になつて、肱(ひぢ)を張(は)つて長々(なが/\)と伸(の)び、一人(ひとり)は横(よこ)ざまに手枕(てまくら)して股引(もゝひき)穿(は)いた脚(あし)を屈(かゞ)めて、天窓(あたま)をくツつけ合(あ)つて大工(だいく)が寢(ね)そべつて居(ゐ)る。普請小屋(ふしんごや)と、花崗石(みかげいし)の門柱(もんばしら)を並(なら)べて扉(とびら)が左右(さいう)に開(ひら)いて居(ゐ)る、門(もん)の内(うち)の横手(よこて)の格子(かうし)の前(まへ)に、萌黄(もえぎ)に塗(ぬ)つた中(なか)に南(みなみ)と白(しろ)で拔(ぬ)いたポンプが据(すわ)つて、其(その)縁(ふち)に釣棹(つりざを)と畚(ふご)とがぶらりと懸(かゝ)つて居(ゐ)る、眞(まこと)にもの靜(しづ)かな、大家(たいけ)の店前(みせさき)に人(ひと)の氣勢(けはひ)もない。裏庭(うらには)とおもふあたり、遙(はる)か奧(おく)の方(かた)には、葉(は)のやゝ枯(か)れかゝつた葡萄棚(ぶだうだな)が、影(かげ)を倒(さかしま)にうつして、此處(こゝ)もおなじ溜池(ためいけ)で、門(もん)のあたりから間近(まぢか)な橋(はし)へかけて、透間(すきま)もなく亂杭(らんぐひ)を打(う)つて、數限(かずかぎり)もない材木(ざいもく)を水(みづ)のまゝに浸(ひた)してあるが、彼處(かしこ)へ五本(ほん)、此處(こゝ)へ六本(ぽん)、流寄(ながれよ)つた形(かたち)が判(はん)で印(お)した如(ごと)く、皆(みな)三方(さんぱう)から三(みつ)ツに固(かたま)つて、水(みづ)を三角形(さんかくけい)に區切(くぎ)つた、あたりは廣(ひろ)く、一面(いちめん)に早苗田(さなへだ)のやうである。この上(うへ)を、時々(とき/″\)ばら/\と雀(すゞめ)が低(ひく)う。

        九

 其(その)他(た)に此處(こゝ)で動(うご)いてるものは與吉(よきち)が鋸(のこぎり)に過(す)ぎなかつた。
 餘(あま)り靜(しづ)かだから、しばらくして、又(また)しばらくして、樟(くすのき)を挽(ひ)く毎(ごと)にぼろ/\と落(お)つる木屑(きくづ)が判然(はつきり)聞(きこ)える。
(父親(ちやん)は何故(なぜ)魚(さかな)を食(た)べないのだらう、)とおもひながら膝(ひざ)をついて、伸上(のびあが)つて、鋸(のこぎり)を手元(てもと)に引(ひ)いた。木屑(きくづ)は極(きは)めて細(こま)かく、極(きは)めて輕(かる)く、材木(ざいもく)の一處(ひとところ)から湧(わ)くやうになつて、肩(かた)にも胸(むね)にも膝(ひざ)の上(うへ)にも降(ふ)りかゝる。トタンに向(むか)うざまに突出(つきだ)して腰(こし)を浮(う)かした、鋸(のこぎり)の音(おと)につれて、又(また)時雨(しぐれ)のやうな微(かすか)な響(ひゞき)が、寂寞(せきばく)とした巨材(きよざい)の一方(いつぱう)から聞(きこ)えた。
 柄(え)を握(にぎ)つて、挽(ひ)きおろして、與吉(よきち)は呼吸(いき)をついた。
(左樣(さう)だ、魚(さかな)の死骸(しがい)だ、そして骨(ほね)が頭(あたま)に繋(つな)がつたまゝ、皿(さら)の中(なか)に殘(のこ)るのだ、)
 と思(おも)ひながら、絶(た)えず拍子(ひやうし)にかゝつて、伸縮(のびちゞみ)に身體(からだ)の調子(てうし)を取(と)つて、手(て)を働(はたら)かす、鋸(のこぎり)が上下(じやうげ)して、木屑(きくづ)がまた溢(こぼ)れて來(く)る。
(何故(なぜ)だらう、これは鋸(のこぎり)で挽(ひ)く所爲(せゐ)だ、)と考(かんが)へて、柳(やなぎ)の葉(は)が痛(いた)むといつたお品(しな)の言(ことば)が胸(むね)に浮(うか)ぶと、又(また)木屑(きくづ)が胸(むね)にかゝつた。
 與吉(よきち)は薄暗(うすぐら)い中(なか)に居(ゐ)る、材木(ざいもく)と、材木(ざいもく)を積上(つみあ)げた周圍(しうゐ)は、杉(すぎ)の香(か)、松(まつ)の匂(にほひ)に包(つゝ)まれた穴(あな)の底(そこ)で、目(め)を□(みは)つて、跪(ひざまづ)いて、鋸(のこぎり)を握(にぎ)つて、空(そら)ざまに仰(あふ)いで見(み)た。
 樟(くすのき)の材木(ざいもく)は斜(なゝ)めに立(た)つて、屋根裏(やねうら)を漏(も)れてちら/\する日光(につくわう)に映(うつ)つて、言(い)ふべからざる森嚴(しんげん)な趣(おもむき)がある。この見上(みあ)ぐるばかりな、これほどの丈(たけ)のある樹(き)はこの邊(あたり)でつひぞ見(み)た事(こと)はない、橋(はし)の袂(たもと)の銀杏(いてふ)は固(もと)より、岸(きし)の柳(やなぎ)は皆(みな)短(ひく)い、土手(どて)の松(まつ)はいふまでもない、遙(はるか)に見(み)える其(その)梢(こずゑ)は殆(ほとん)ど水面(すゐめん)と並(なら)んで居(ゐ)る。
 然(しか)も猶(なほ)これは眞直(まつすぐ)に眞四角(ましかく)に切(きつ)たもので、およそ恁(かゝ)る角(かく)の材木(ざいもく)を得(え)ようといふには、杣(そま)が八人(にん)五日(いつか)あまりも懸(かゝ)らねばならぬと聞(き)く。
 那(そん)な大木(たいぼく)のあるのは蓋(けだ)し深山(しんざん)であらう、幽谷(いうこく)でなければならぬ。殊(こと)にこれは飛騨山(ひだやま)から□(まは)して來(き)たのであることを聞(き)いて居(ゐ)た。
 枝(えだ)は蔓(はびこ)つて、谷(たに)に亙(わた)り、葉(は)は茂(しげ)つて峰(みね)を蔽(おほ)ひ、根(ね)はたゞ一山(ひとやま)を絡(まと)つて居(ゐ)たらう。
 其(その)時(とき)は、其(その)下蔭(したかげ)は矢張(やつぱり)こんなに暗(くら)かつたが、蒼空(あをぞら)に日(ひ)の照(て)る時(とき)も、と然(さ)う思(おも)つて、根際(ねぎは)に居(ゐ)た黒(くろ)い半被(はつぴ)を被(き)た、可愛(かはい)い顏(かほ)の、小(ちひ)さな蟻(あり)のやうなものが、偉大(ゐだい)なる材木(ざいもく)を仰(あふ)いだ時(とき)は、手足(てあし)を縮(ちゞ)めてぞつとしたが、
(父親(ちやん)は何(ど)うしてるだらう、)と考(かんが)へついた。
 鋸(のこぎり)は又(また)動(うご)いて、
(左樣(さう)だ、今頃(いまごろ)は彌六(やろく)親仁(おやぢ)がいつもの通(とほり)、筏(いかだ)を流(なが)して來(き)て、あの、船(ふね)の傍(そば)を漕(こ)いで通(とほ)りすがりに、父上(ちやん)に聲(こゑ)をかけてくれる時分(じぶん)だ、)
 と思(おも)はず振向(ふりむ)いて池(いけ)の方(はう)、うしろの水(みづ)を見返(みかへ)つた。
 溜池(ためいけ)の眞中(まんなか)あたりを、頬冠(ほゝかむり)した、色(いろ)のあせた半被(はつぴ)を着(き)た、脊(せい)の低(ひく)い親仁(おやぢ)が、腰(こし)を曲(ま)げ、足(あし)を突張(つツぱ)つて、長(なが)い棹(さを)を繰(あやつ)つて、畫(ゑ)の如(ごと)く漕(こ)いで來(く)る、筏(いかだ)は恰(あたか)も人(ひと)を乘(の)せて、油(あぶら)の上(うへ)を辷(すべ)るやう。
 する/\と向(むか)うへ流(なが)れて、横(よこ)ざまに近(ちか)づいた、細(ほそ)い黒(くろ)い毛脛(けずね)を掠(かす)めて、蒼(あを)い水(みづ)の上(うへ)を鴎(かもめ)が弓形(ゆみなり)に大(おほ)きく鮮(あざや)かに飛(と)んだ。

        十

「與太坊(よたばう)、父爺(ちやん)は何事(なにごと)もねえよ。」と、池(いけ)の眞中(まんなか)から聲(こゑ)を懸(か)けて、おやぢは小屋(こや)の中(なか)を覗(のぞ)かうともせず、爪(つま)さきは小波(さゝなみ)を浴(あ)ぶるばかり沈(しづ)むだ筏(いかだ)を棹(さを)さして、此(この)時(とき)また中空(なかぞら)から白(しろ)い翼(つばさ)を飜(ひるがへ)して、ひら/\と落(おと)して來(き)て、水(みづ)に姿(すがた)を宿(やど)したと思(おも)ふと、向(むか)うへ飛(と)んで、鴎(かもめ)の去(さ)つた方(かた)へ、すら/\と流(なが)して行(ゆ)く。
 これは彌六(やろく)といつて、與吉(よきち)の父翁(ちゝおや)が年來(ねんらい)の友達(ともだち)で、孝行(かうかう)な兒(こ)が仕事(しごと)をしながら、病人(びやうにん)を案(あん)じて居(ゐ)るのを知(し)つて居(ゐ)るから、例(れい)として毎日(まいにち)今時分(いまじぶん)通(とほ)りがかりに其(その)消息(せうそく)を傳(つた)へるのである。與吉(よきち)は安堵(あんど)して又(また)仕事(しごと)にかゝつた。
(父親(ちやん)は何事(なにごと)もないが、何故(なぜ)魚(さかな)を喰(た)べないのだらう。左樣(さう)だ、刺身(さしみ)は一寸(すん)だめしで、鱠(なます)はぶつぶつ切(ぎり)だ、魚(うを)の煮(に)たのは、食(た)べると肉(にく)がからみついたまゝ頭(あたま)に繋(つなが)つて、骨(ほね)が殘(のこ)る、彼(あ)の皿(さら)の中(なか)の死骸(しがい)に何(ど)うして箸(はし)がつけられようといつて身震(みぶるひ)をする、まつたくだ。そして魚(さかな)ばかりではない、柳(やなぎ)の葉(は)も食切(くひき)ると痛(いた)むのだ、)と思(おも)ひ/\、又(また)この偉大(ゐだい)なる樟(くす)の殆(ほとん)ど神聖(しんせい)に感(かん)じらるゝばかりな巨材(きよざい)を仰(あふ)ぐ。
 高(たか)い屋根(やね)は、森閑(しんかん)として日中(ひなか)薄暗(うすぐら)い中(なか)に、ほの/″\と見(み)える材木(ざいもく)から又(また)ぱら/\と、ぱら/\と、其處(そこ)ともなく、鋸(のこぎり)の屑(くづ)が溢(こぼ)れて落(お)ちるのを、思(おも)はず耳(みゝ)を澄(す)まして聞(き)いた。中央(ちうあう)の木目(もくめ)から渦(うづま)いて出(で)るのが、池(いけ)の小波(さゝなみ)のひた/\と寄(よ)する音(おと)の中(なか)に、隣(となり)の納屋(なや)の石(いし)を切(き)る響(ひゞき)に交(まじ)つて、繁(しげ)つた葉(は)と葉(は)が擦合(すれあ)ふやうで、たとへば時雨(しぐれ)の降(ふ)るやうで、又(また)無數(むすう)の山蟻(やまあり)が谷(たに)の中(なか)を歩行(ある)く跫音(あしおと)のやうである。
 與吉(よきち)はとみかうみて、肩(かた)のあたり、胸(むね)のあたり、膝(ひざ)の上(うへ)、跪(ひざまづ)いてる足(あし)の間(あひだ)に落溜(おちたま)つた、堆(うづたか)い、木屑(きくづ)の積(つも)つたのを、樟(くすのき)の血(ち)でないかと思(おも)つてゾツとした。
 今(いま)まで其(その)上(うへ)について暖(あたゝか)だつた膝頭(ひざがしら)が冷々(ひや/\)とする、身體(からだ)が濡(ぬ)れはせぬかと疑(うたが)つて、彼處此處(あちこち)袖(そで)襟(えり)を手(て)で拊(はた)いて見(み)た。仕事最中(しごとさいちう)、こんな心持(こゝろもち)のしたことは始(はじ)めてである。
 與吉(よきち)は、一人(ひとり)谷(たに)のドン底(ぞこ)に居(ゐ)るやうで、心細(こゝろぼそ)くなつたから、見透(みす)かす如(ごと)く日(ひ)の光(ひかり)を仰(あふ)いだ。薄(うす)い光線(くわうせん)が屋根板(やねいた)の合目(あはせめ)から洩(も)れて、幽(かす)かに樟(くす)に映(うつ)つたが、巨大(きよだい)なるこの材木(ざいもく)は唯(たゞ)單(たん)に三尺角(さんじやくかく)のみのものではなかつた。
 與吉(よきち)は天日(てんぴ)を蔽(おほ)ふ、葉(は)の茂(しげ)つた五抱(いつかゝへ)もあらうといふ幹(みき)に注連繩(しめなは)を張(は)つた樟(くすのき)の大樹(だいじゆ)の根(ね)に、恰(あたか)も山(やま)の端(は)と思(おも)ふ處(ところ)に、しツきりなく降(ふ)りかゝる翠(みどり)の葉(は)の中(なか)に、落(お)ちて落(お)ち重(かさ)なる葉(は)の上(うへ)に、あたりは眞暗(まつくら)な處(ところ)に、蟲(むし)よりも小(ちひさ)な身體(からだ)で、この大木(たいぼく)の恰(あたか)も其(そ)の注連繩(しめなは)の下(した)あたりに鋸(のこぎり)を突(つき)さして居(ゐ)るのに心着(こゝろづ)いて、恍惚(うつとり)として目(め)を□(みは)つたが、氣(き)が遠(とほ)くなるやうだから、鋸(のこぎり)を拔(ぬ)かうとすると、支(つか)へて、堅(かた)く食入(くひい)つて、微(かす)かにも動(うご)かぬので、はツと思(おも)ふと、谷々(たに/″\)、峰々(みね/\)、一陣(いちぢん)轟(ぐわう)!と渡(わた)る風(かぜ)の音(おと)に吃驚(びつくり)して、數千仞(すうせんじん)の谷底(たにそこ)へ、眞倒(まつさかさま)に落(お)ちたと思(おも)つて、小屋(こや)の中(なか)から轉(ころ)がり出(だ)した。
「大變(たいへん)だ、大變(たいへん)だ。」
「あれ! お聞(き)き、」と涙聲(なみだごゑ)で、枕(まくら)も上(あが)らぬ寢床(ねどこ)の上(うへ)の露草(つゆくさ)の、がツくりとして仰向(あをむ)けの淋(さびし)い素顏(すがほ)に紅(べに)を含(ふく)んだ、白(しろ)い頬(ほゝ)に、蒼(あを)みのさした、うつくしい、妹(いもうと)の、ばさ/\した天神髷(てんじんまげ)の崩(くづ)れたのに、淺黄(あさぎ)の手絡(てがら)が解(と)けかゝつて、透通(すきとほ)るやうに眞白(まつしろ)で細(ほそ)い頸(うなじ)を、膝(ひざ)の上(うへ)に抱(だ)いて、抱占(かゝへし)めながら、頬摺(ほゝずり)していつた。お品(しな)が片手(かたて)にはしつかりと前刻(さつき)の手紙(てがみ)を握(にぎ)つて居(ゐ)る。
「ねえ、ねえ、お聞(き)きよ、あれ、柳(りう)ちやん――柳(りう)ちやん――しつかりおし。お手紙(てがみ)にも、そこらの材木(ざいもく)に枝葉(えだは)がさかえるやうなことがあつたら、夫婦(ふうふ)に成(な)つて遣(や)るツて書(か)いてあるぢやあないか。
 親(おや)の爲(ため)だつて、何(なん)だつて、一旦(いつたん)他(ほか)の人(ひと)に身(み)をお任(まか)せだもの、道理(もつとも)だよ。お前(まへ)、お前(まへ)、それで氣(き)を落(おと)したんだけれど、命(いのち)をかけて願(ねが)つたものを、お前(まへ)、其(それ)までに思(おも)ふものを、柳(りう)ちやん、何(なん)だつてお見捨(みす)てなさるものかね、解(わか)つたかい、あれ、あれをお聞(き)きよ。もう可(い)いよ。大丈夫(だいぢやうぶ)だよ。願(ねがひ)は叶(かな)つたよ。」
「大變(たいへん)だ、大變(たいへん)だ、材木(ざいもく)が化(ば)けたんだぜ、小屋(こや)の材木(ざいもく)に葉(は)が茂(しげ)つた、大變(たいへん)だ、枝(えだ)が出來(でき)た。」
 と普請小屋(ふしんごや)、材木納屋(ざいもくなや)の前(まへ)で叫(さけ)び足(た)らず、與吉(よきち)は狂氣(きやうき)の如(ごと)く大聲(おほごゑ)で、此(この)家(や)の前(まへ)をも呼(よば)はつて歩行(ある)いたのである。
「ね、ね、柳(りう)ちやん――柳(りう)ちやん――」
 うつとりと、目(め)を開(あ)いて、ハヤ色(いろ)の褪(あ)せた唇(くちびる)に微笑(ほゝゑ)むで頷(うなづ)いた。人(ひと)に血(ち)を吸(す)はれたあはれな者(もの)の、將(まさ)に死(し)なんとする耳(みゝ)に、與吉(よきち)は福音(ふくいん)を傳(つた)へたのである、この與吉(よきち)のやうなものでなければ、實際(じつさい)また恁(かゝ)る福音(ふくいん)は傳(つた)へられなかつたのであらう。




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