月令十二態
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:泉鏡花 

      一月(いちぐわつ)

 山嶺(さんれい)の雪(ゆき)なほ深(ふか)けれども、其(そ)の白妙(しろたへ)に紅(くれなゐ)の日(ひ)や、美(うつく)しきかな玉(たま)の春(はる)。松籟(しようらい)時(とき)として波(なみ)に吟(ぎん)ずるのみ、撞(つ)いて驚(おどろ)かす鐘(かね)もなし。萬歳(まんざい)の鼓(つゞみ)遙(はる)かに、鞠唄(まりうた)は近(ちか)く梅(うめ)ヶ香(か)と相(あひ)聞(き)こえ、突羽根(つくばね)の袂(たもと)は松(まつ)に友染(いうぜん)を飜(ひるがへ)す。をかし、此(こ)のあたりに住(すま)ふなる橙(だい/\)の長者(ちやうじや)、吉例(きちれい)よろ昆布(こんぶ)の狩衣(かりぎぬ)に、小殿原(ことのばら)の太刀(たち)を佩反(はきそ)らし、七草(なゝくさ)の里(さと)に若菜(わかな)摘(つ)むとて、讓葉(ゆづりは)に乘(の)つたるが、郎等(らうどう)勝栗(かちぐり)を呼(よ)んで曰(いは)く、あれに袖形(そでかた)の浦(うら)の渚(なぎさ)に、紫(むらさき)の女性(によしやう)は誰(た)そ。……蜆(しゞみ)御前(ごぜん)にて候(さふらふ)。

      二月(にぐわつ)

 西日(にしび)に乾(かわ)く井戸端(ゐどばた)の目笊(めざる)に、殘(のこ)ンの寒(さむ)さよ。鐘(かね)いまだ氷(こほ)る夜(よ)の、北(きた)の辻(つじ)の鍋燒(なべやき)饂飩(うどん)、幽(かすか)に池(いけ)の石(いし)に響(ひゞ)きて、南(みなみ)の枝(えだ)に月(つき)凄(すご)し。一(ひと)つ半鉦(ばん)の遠(とほ)あかり、其(それ)も夢(ゆめ)に消(き)えて、曉(あかつき)の霜(しも)に置(お)きかさぬる灰色(はひいろ)の雲(くも)、新(あたら)しき障子(しやうじ)を壓(あつ)す。ひとり南天(なんてん)の實(み)に色鳥(いろどり)の音信(おとづれ)を、窓(まど)晴(は)るゝよ、と見(み)れば、ちら/\と薄雪(うすゆき)、淡雪(あはゆき)。降(ふ)るも積(つも)るも風情(ふぜい)かな、未開紅(みかいこう)の梅(うめ)の姿(すがた)。其(そ)の莟(つぼみ)の雪(ゆき)を拂(はら)はむと、置(おき)炬燵(ごたつ)より素足(すあし)にして、化粧(けはひ)たる柴垣(しばがき)に、庭(には)下駄(げた)の褄(つま)を捌(さば)く。

      三月(さんぐわつ)

 いたいけなる幼兒(をさなご)に、優(やさ)しき姉(あね)の言(い)ひけるは、緋(ひ)の氈(せん)の奧(おく)深(ふか)く、雪洞(ぼんぼり)の影(かげ)幽(かすか)なれば、雛(ひな)の瞬(またゝ)き給(たま)ふとよ。いかで見(み)むとて寢(ね)もやらず、美(うつく)しき懷(ふところ)より、かしこくも密(そ)と見參(みまゐ)らすれば、其(そ)の上(うへ)に尚(な)ほ女夫(めをと)雛(びな)の微笑(ほゝゑ)み給(たま)へる。それも夢(ゆめ)か、胡蝶(こてふ)の翼(つばさ)を櫂(かい)にして、桃(もゝ)と花菜(はなな)の乘合(のりあひ)船(ぶね)。うつゝに漕(こ)げば、うつゝに聞(き)こえて、柳(やなぎ)の土手(どて)に、とんと當(あた)るや鼓(つゞみ)の調(しらべ)、鼓草(たんぽぽ)の、鼓(つゞみ)の調(しらべ)。

      四月(しぐわつ)

 春(はる)の粧(よそほひ)の濃(こ)き淡(うす)き、朝夕(あさゆふ)の霞(かすみ)の色(いろ)は、消(き)ゆるにあらず、晴(は)るゝにあらず、桃(もゝ)の露(つゆ)、花(はな)の香(か)に、且(か)つ解(と)け且(か)つ結(むす)びて、水(みづ)にも地(つち)にも靡(なび)くにこそ、或(あるひ)は海棠(かいだう)の雨(あめ)となり、或(あるひ)は松(まつ)の朧(おぼろ)となる。山吹(やまぶき)の背戸(せど)、柳(やなぎ)の軒(のき)、白鵝(はくが)遊(あそ)び、鸚鵡(あうむ)唄(うた)ふや、瀬(せ)を行(ゆ)く筏(いかだ)は燕(つばめ)の如(ごと)く、燕(つばめ)は筏(いかだ)にも似(に)たるかな。銀鞍(ぎんあん)の少年(せうねん)、玉駕(ぎよくが)の佳姫(かき)、ともに恍惚(くわうこつ)として陽(ひ)の闌(たけなは)なる時(とき)、陽炎(かげろふ)の帳(とばり)靜(しづか)なる裡(うち)に、木蓮(もくれん)の花(はな)一(ひと)つ一(ひと)つ皆(みな)乳房(ちゝ)の如(ごと)き戀(こひ)を含(ふく)む。

      五月(ごぐわつ)

 藤(ふぢ)の花(はな)の紫(むらさき)は、眞晝(まひる)の色香(いろか)朧(おぼろ)にして、白日(はくじつ)、夢(ゆめ)に見(まみ)ゆる麗人(れいじん)の面影(おもかげ)あり。憧憬(あこが)れつゝも仰(あふ)ぐものに、其(そ)の君(きみ)の通(かよ)ふらむ、高樓(たかどの)を渡(わた)す廻廊(くわいらう)は、燃立(もえた)つ躑躅(つゝじ)の空(そら)に架(かゝ)りて、宛然(さながら)虹(にじ)の醉(ゑ)へるが如(ごと)し。海(うみ)も緑(みどり)の酒(さけ)なるかな。且(か)つ見(み)る後苑(こうゑん)の牡丹花(ぼたんくわ)、赫耀(かくえう)として然(しか)も靜(しづか)なるに、唯(たゞ)一(ひと)つ繞(めぐ)り飛(と)ぶ蜂(はち)の羽音(はおと)よ、一杵(いつしよ)二杵(にしよ)ブン/\と、小(ちひ)さき黄金(きん)の鐘(かね)が鳴(な)る。疑(うたが)ふらくは、これ、龍宮(りうぐう)の正(まさ)に午(ご)の時(とき)か。

      六月(ろくぐわつ)

 照(て)り曇(くも)り雨(あめ)もものかは。辻々(つじ/\)の祭(まつり)の太鼓(たいこ)、わつしよい/\の諸勢(もろぎほひ)、山車(だし)は宛然(さながら)藥玉(くすだま)の纒(まとひ)を振(ふ)る。棧敷(さじき)の欄干(らんかん)連(つらな)るや、咲(さき)掛(かゝ)る凌霄(のうぜん)の紅(くれなゐ)は、瀧夜叉姫(たきやしやひめ)の襦袢(じゆばん)を欺(あざむ)き、紫陽花(あぢさゐ)の淺葱(あさぎ)は光圀(みつくに)の襟(えり)に擬(まが)ふ。人(ひと)の往來(ゆきき)も躍(をど)るが如(ごと)し。酒(さけ)はさざんざ松(まつ)の風(かぜ)。緑(みどり)いよ/\濃(こまや)かにして、夏木立(なつこだち)深(ふか)き處(ところ)、山(やま)幽(いう)に里(さと)靜(しづか)に、然(しか)も今(いま)を盛(さかり)の女(をんな)、白百合(しらゆり)の花(はな)、其(そ)の膚(はだへ)の蜜(みつ)を洗(あら)へば、清水(しみづ)に髮(かみ)の丈(たけ)長(なが)く、眞珠(しんじゆ)の流(ながれ)雫(しづく)して、小鮎(こあゆ)の簪(かんざし)、宵月(よひづき)の影(かげ)を走(はし)る。

      七月(しちぐわつ)

 灼熱(しやくねつ)の天(てん)、塵(ちり)紅(あか)し、巷(ちまた)に印度(インド)更紗(サラサ)の影(かげ)を敷(し)く。赫耀(かくえう)たる草(くさ)や木(き)や、孔雀(くじやく)の尾(を)を宇宙(うちう)に翳(かざ)し、羅(うすもの)に尚(な)ほ玉蟲(たまむし)の光(ひかり)を鏤(ちりば)むれば、松葉牡丹(まつばぼたん)に青蜥蜴(あをとかげ)の潛(ひそ)むも、刺繍(ぬひとり)の帶(おび)にして、驕(おご)れる貴女(きぢよ)の裝(よそほひ)を見(み)る。盛(さかん)なる哉(かな)、炎暑(えんしよ)の色(いろ)。蜘蛛(くも)の圍(ゐ)の幻(まぼろし)は、却(かへつ)て鄙下(ひなさが)る蚊帳(かや)を凌(しの)ぎ、青簾(あをすだれ)の裡(なか)なる黒猫(くろねこ)も、兒女(じぢよ)が掌中(しやうちう)のものならず、髯(ひげ)に蚊柱(かばしら)を號令(がうれい)して、夕立(ゆふだち)の雲(くも)を呼(よ)ばむとす。さもあらばあれ、夕顏(ゆふがほ)の薄化粧(うすげしやう)、筧(かけひ)の水(みづ)に玉(たま)を含(ふく)むで、露臺(ろだい)の星(ほし)に、雪(ゆき)の面(おもて)を映(うつ)す、姿(すがた)また爰(こゝ)にあり、姿(すがた)また爰(こゝ)にあり。

      八月(はちぐわつ)

 向日葵(ひまはり)、向日葵(ひまはり)、百日紅(ひやくじつこう)の昨日(きのふ)も今日(けふ)も、暑(あつ)さは蟻(あり)の數(かず)を算(かぞ)へて、麻野(あさの)、萱原(かやはら)、青薄(あをすゝき)、刈萱(かるかや)の芽(め)に秋(あき)の近(ちか)きにも、草(くさ)いきれ尚(な)ほ曇(くも)るまで、立(たち)蔽(おほ)ふ旱雲(ひでりぐも)恐(おそろ)しく、一里塚(いちりづか)に鬼(おに)はあらずや、並木(なみき)の小笠(をがさ)如何(いか)ならむ。否(いな)、炎天(えんてん)、情(なさけ)あり。常夏(とこなつ)、花(はな)咲(さ)けり。優(やさ)しさよ、松蔭(まつかげ)の清水(しみづ)、柳(やなぎ)の井(ゐ)、音(おと)に雫(しづく)に聲(こゑ)ありて、旅人(たびびと)に露(つゆ)を分(わか)てば、細瀧(ほそだき)の心太(ところてん)、忽(たちま)ち酢(す)に浮(う)かれて、饂飩(うどん)、蒟蒻(こんにやく)を嘲(あざ)ける時(とき)、冷奴豆腐(ひややつこ)の蓼(たで)はじめて涼(すゞ)しく、爪紅(つまくれなゐ)なる蟹(かに)の群(むれ)、納涼(すゞみ)の水(みづ)を打(う)つて出(い)づ。やがてさら/\と渡(わた)る山風(やまかぜ)や、月(つき)の影(かげ)に瓜(うり)が踊(をど)る。踊子(をどりこ)は何々(なに/\)ぞ。南瓜(たうなす)、冬瓜(とうがん)、青瓢(あをふくべ)、白瓜(しろうり)、淺瓜(あさうり)、眞桑瓜(まくはうり)。

      九月(くぐわつ)

 殘(のこん)の暑(あつ)さ幾日(いくにち)ぞ、又(また)幾日(いくにち)ぞ。然(しか)も刈萱(かるかや)の蓑(みの)いつしかに露(つゆ)繁(しげ)く、芭蕉(ばせを)に灌(そゝ)ぐ夜半(よは)の雨(あめ)、やがて晴(は)れて雲(くも)白(しろ)く、芙蓉(ふよう)に晝(ひる)の蛬(こほろぎ)鳴(な)く時(とき)、散(ち)るとしもあらず柳(やなぎ)の葉(は)、斜(なゝめ)に簾(すだれ)を驚(おどろ)かせば、夏痩(なつや)せに尚(な)ほ美(うつく)しきが、轉寢(うたゝね)の夢(ゆめ)より覺(さ)めて、裳(もすそ)を曳(ひ)く濡縁(ぬれえん)に、瑠璃(るり)の空(そら)か、二三輪(にさんりん)、朝顏(あさがほ)の小(ちひさ)く淡(あは)く、其(そ)の色(いろ)白(しろ)き人(ひと)の脇(わき)明(あけ)を覗(のぞ)きて、帶(おび)に新涼(しんりやう)の藍(あゐ)を描(ゑが)く。ゆるき扱帶(しごき)も身(み)に入(し)むや、遠(とほ)き山(やま)、近(ちか)き水(みづ)。待人(まちびと)來(きた)れ、初雁(はつかり)の渡(わた)るなり。

      十月(じふぐわつ)

 雲(くも)往(ゆ)き雲(くも)來(きた)り、やがて水(みづ)の如(ごと)く晴(は)れぬ。白雲(しらくも)の行衞(ゆくへ)に紛(まが)ふ、蘆間(あしま)に船(ふね)あり。粟(あは)、蕎麥(そば)の色紙畠(しきしばたけ)、小田(をだ)、棚田(たなだ)、案山子(かゝし)も遠(とほ)く夕越(ゆふご)えて、宵(よひ)暗(くら)きに舷(ふなばた)白(しろ)し。白銀(しろがね)の柄(え)もて汲(く)めりてふ、月(つき)の光(ひかり)を湛(たゝ)ふるかと見(み)れば、冷(つめた)き露(つゆ)の流(なが)るゝ也(なり)。凝(こ)つては薄(うす)き霜(しも)とならむ。見(み)よ、朝凪(あさなぎ)の浦(うら)の渚(なぎさ)、潔(いさぎよ)き素絹(そけん)を敷(し)きて、山姫(やまひめ)の來(きた)り描(ゑが)くを待(ま)つ處(ところ)――枝(えだ)すきたる柳(やなぎ)の中(なか)より、松(まつ)の蔦(つた)の梢(こずゑ)より、染(そ)め出(いだ)す秀嶽(しうがく)の第一峯(だいいつぽう)。其(そ)の山颪(やまおろし)里(さと)に來(きた)れば、色鳥(いろどり)群(む)れて瀧(たき)を渡(わた)る。うつくしきかな、羽(はね)、翼(つばさ)、霧(きり)を拂(はら)つて錦葉(もみぢ)に似(に)たり。

      十一月(じふいちぐわつ)

 青碧(せいへき)澄明(ちようめい)の天(てん)、雲端(うんたん)に古城(こじやう)あり、天守(てんしゆ)聳立(そばだ)てり。濠(ほり)の水(みづ)、菱(ひし)黒(くろ)く、石垣(いしがき)に蔦(つた)、紅(くれなゐ)を流(なが)す。木(こ)の葉(は)落(お)ち落(お)ちて森(もり)寂(しづか)に、風(かぜ)留(や)むで肅殺(しゆくさつ)の氣(き)の充(み)つる處(ところ)、枝(えだ)は朱槍(しゆさう)を横(よこた)へ、薄(すゝき)は白劍(はくけん)を伏(ふ)せ、徑(こみち)は漆弓(しつきう)を潛(ひそ)め、霜(しも)は鏃(やじり)を研(と)ぐ。峻峰(しゆんぽう)皆(みな)將軍(しやうぐん)、磊嚴(らいがん)盡(こと/″\)く貔貅(ひきう)たり。然(しか)りとは雖(いへど)も、雁金(かりがね)の可懷(なつかしき)を射(い)ず、牡鹿(さをしか)の可哀(あはれ)を刺(さ)さず。兜(かぶと)は愛憐(あいれん)を籠(こ)め、鎧(よろひ)は情懷(じやうくわい)を抱(いだ)く。明星(みやうじやう)と、太白星(ゆふつゞ)と、すなはち其(そ)の意氣(いき)を照(て)らす時(とき)、何事(なにごと)ぞ、徒(いたづら)に銃聲(じうせい)あり。拙(つたな)き哉(かな)、驕奢(けうしや)の獵(れふ)、一鳥(いつてう)高(たか)く逸(いつ)して、谺(こだま)笑(わら)ふこと三度(みたび)。

      十二月(じふにぐわつ)

 大根(だいこん)の時雨(しぐれ)、干菜(ほしな)の風(かぜ)、鳶(とび)も烏(からす)も忙(せは)しき空(そら)を、行(ゆ)く雲(くも)のまゝに見(み)つゝ行(ゆ)けば、霜林(さうりん)一寺(いちじ)を抱(いだ)きて峯(みね)靜(しづか)に立(た)てるあり。鐘(かね)あれども撞(つ)かず、經(きやう)あれども僧(そう)なく、柴(しば)あれども人(ひと)を見(み)ず、師走(しはす)の市(まち)へ走(はし)りけむ。聲(こゑ)あるはひとり筧(かけひ)にして、巖(いは)を刻(きざ)み、石(いし)を削(けづ)りて、冷(つめた)き枝(えだ)の影(かげ)に光(ひか)る。誰(た)がための白(しろ)き珊瑚(さんご)ぞ。あの山(やま)越(こ)えて、谷(たに)越(こ)えて、春(はる)の來(きた)る階(きざはし)なるべし。されば水筋(みづすぢ)の緩(ゆる)むあたり、水仙(すゐせん)の葉(は)寒(さむ)く、花(はな)暖(あたゝか)に薫(かを)りしか。刈(かり)あとの粟畑(あはばたけ)に山鳥(やまどり)の姿(すがた)あらはに、引棄(ひきす)てし豆(まめ)の殼(から)さら/\と鳴(な)るを見(み)れば、一抹(いちまつ)の紅塵(こうぢん)、手鞠(てまり)に似(に)て、輕(かろ)く巷(ちまた)の上(うへ)に飛(と)べり。
大正九年一月―十二月



ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:12 KB

担当:undef