灯明之巻
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著者名:泉鏡花 

       一

「やあ、やまかがしや蝮(まむし)が居(お)るぞう、あっけえやつだ、気をつけさっせえ。」
「ええ。」
 何と、足許(あしもと)の草へ鎌首が出たように、立すくみになったのは、薩摩絣(さつまがすり)の単衣(ひとえ)、藍鼠(あいねずみ)無地の絽(ろ)の羽織で、身軽に出立(いでた)った、都会かららしい、旅の客。――近頃は、東京でも地方でも、まだ時季が早いのに、慌てもののせいか、それとも値段が安いためか、道中の晴の麦稈帽(むぎわらぼう)。これが真新しいので、ざっと、年よりは少(わか)く見える、そのかわりどことなく人体(にんてい)に貫目のないのが、吃驚(びっくり)した息もつかず、声を継いで、
「驚いたなあ、蝮は弱ったなあ。」
 と帽子の鍔(つば)を――薄曇りで、空は一面に陰気なかわりに、まぶしくない――仰向(あおむ)けに崖(がけ)の上を仰いで、いま野良声を放った、崖縁にのそりと突立(つった)つ、七十余りの爺(じい)さんを視(み)ながら、蝮は弱ったな、と弱った。が、実は蛇ばかりか、蜥蜴(とかげ)でも百足(むかで)でも、怯(おび)えそうな、据(すわ)らない腰つきで、
「大変だ、にょろにょろ居るかーい。」
「はああ、あアに、そんなでもねえがなし、ちょくちょく、鎌首をつん出すでい、気をつけさっせるがよかんべでの。」
「お爺さん、おい、お爺さん。」
「あんだなし。」
 と、谷へ返答だまを打込(ぶちこ)みながら、鼻から煙を吹上げる。
「煙草銭(たばこせん)ぐらい心得るよ、煙草銭を。だからここまで下りて来て、草生(くさっぱ)の中を連戻してくれないか。またこの荒墓(あれはか)……」
 と云いかけて、
「その何だ。……上の寺の人だと、悪いんだが、まったく、これは荒れているね。卵塔場へ、深入りはしないからよかったけれど、今のを聞いては、足がすくんで動かれないよ。」
「ははははは。」
 鼻のさきに漂(ただよ)う煙が、その頸窪(ぼんのくぼ)のあたりに、古寺の破廂(やれびさし)を、なめくじのように這(は)った。
「弱え人だあ。」
「頼むよ――こっちは名僧でも何でもないが、爺さん、爺さんを……導きの山の神と思うから。」
「はて、勿体(もったい)もねえ、とんだことを言うなっす。」
 と両(ふた)つ提(さげ)の――もうこの頃では、山の爺が喫(の)む煙草がバットで差支えないのだけれど、事実を報道する――根附(ねつけ)の処を、独鈷(とっこ)のように振りながら、煙管(きせる)を手弄(てなぶ)りつつ、ぶらりと降りたが、股引(ももひき)の足拵(あしごしら)えだし、腰達者に、ずかずか……と、もう寄った。
「いや、御苦労。」
 と一基の石塔の前に立並んだ、双方、膝の隠れるほど草深い。
 実際、この卵塔場は荒れていた。三方崩れかかった窪地の、どこが境というほどの杭(くい)一つあるのでなく、折朽(おれく)ちた古卒都婆(ふるそとば)は、黍殻(きびがら)同然に薙伏(なぎふ)して、薄暗いと白骨に紛れよう。石碑も、石塔も、倒れたり、のめったり、台に据っているのはほとんどない。それさえ十ウの八つ九つまでは、ほとんど草がくれなる上に、積った落葉に埋(うも)れている。青芒(あおすすき)の茂った、葉越しの谷底の一方が、水田に開けて、遥々(はるばる)と連る山が、都に遠い雲の形で、蒼空(あおぞら)に、離れ島かと流れている。
 割合に土が乾いていればこそで――昨日(きのう)は雨だったし――もし湿地だったら、蝮、やまかがしの警告がないまでも、うっかり一歩も入(い)れなかったであろう。
 それでもこれだけ分入(わけい)るのさえ、樹の枝にも、卒都婆にも、苔(こけ)の露は深かった。……旅客の指の尖(さき)は草の汁に青く染まっている。雑樹(ぞうき)の影が沁(し)むのかも知れない。
 蝙蝠(こうもり)が居そうな鼻の穴に、煙は残って、火皿に白くなった吸殻を、ふっふっと、爺は掌(てのひら)の皺(しわ)に吹落し、眉をしかめて、念のために、火の気のないのを目でためて、吹落すと、葉末にかかって、ぽすぽすと消える処を、もう一つ破草履(やれぞうり)で、ぐいと踏んで、
「ようござらっせえました、御参詣(ごさんけい)でがすかな。」
「さあ……」
 と、妙な返事をする。
「南無(なむ)、南無、何かね、お前様、このお墓に所縁の方でがんすかなす。」
 胡桃(くるみ)の根附を、紺小倉のくたびれた帯へ挟んで、踞(しゃが)んで掌を合せたので、旅客も引入れられたように、夏帽を取って立直った。
「所縁にも、無縁にも、お爺さん、少し墓らしい形の見えるのは、近間では、これ一つじゃあないか――それに、近い頃、参詣があったと見える、この線香の包紙のほぐれて残ったのを、草の中に覗(のぞ)いたものは、一つ家(や)の灯のように、誰だって、これを見当(みあて)に辿(たど)りつくだろうと思うよ。山路(やまみち)に行暮れたも同然じゃないか。」
 碑の面(おもて)の戒名は、信士とも信女(しんにょ)とも、苔に埋れて見えないが、三つ蔦(づた)の紋所が、その葉の落ちたように寂しく顕(あら)われて、線香の消残った台石に――田沢氏――と仄(ほのか)に読まれた。
「は、は、修行者のように言わっしゃる、御遠方からでがんすかの、東京からなす。」
「いや、今朝は松島から。」
 と袖を組んで、さみしく言った。
「御風流でがんす、お楽(たのし)みでや。」
「いや、とんでもない……波は荒れるし。」
「おお。」
「雨は降るし。」
「ほう。」
「やっと、お天気になったのが、仙台からこっちでね、いや、馬鹿々々しく、皈(かえ)って来た途中ですよ。」
 成程、馬鹿々々しい……旅客は、小県(おがた)、凡杯(ぼんはい)――と自称する俳人である。
 この篇の作者は、別懇の間柄だから、かけかまいのない処を言おう。食い続きは、細々ながらどうにかしている。しかるべき学校は出たのだそうだが、ある会社の低い処を勤めていて、俳句は好きばかり、むしろ遊戯だ。処で、はじめは、凡俳、と名のったが、俳句を遊戯に扱うと、近来は誰も附合わない。第一なぐられかねない。見ずや、きみ、やかなの鋭き匕首(あいくち)をもって、骨を削り、肉を裂いて、人性(じんせい)の機微を剔(ぬ)き、十七文字で、大自然の深奥(しんおう)を衝(つ)こうという意気込の、先輩ならびに友人に対して済まぬ。憚(はばか)り多い処から、「俳」を「杯」に改めた。が、一盞(いっさん)献ずるほどの、余裕も働きもないから、手酌で済ます、凡杯である。
 それにしても、今時、奥の細道のあとを辿(たど)って、松島見物は、「凡」過ぎる。近ごろは、独逸(ドイツ)、仏蘭西(フランス)はつい隣りで、マルセイユ、ハンブルク、アビシニヤごときは津々浦々の中に数えられそうな勢(いきおい)。少し変った処といえば、獅子狩(ししがり)だの、虎狩だの、類人猿の色のもめ事などがほとんど毎月の雑誌に表われる……その皆がみんな朝夷(あさひな)島めぐりや、おそれ山の地獄話でもないらしい。
 最近も、私を、作者を訪ねて見えた、学校を出たばかりの若い人が、一月ばかり、つい御不沙汰(ごぶさた)、と手軽い処が、南洋の島々を渡って来た。……ピイ、チョコ、キイ、キコと鳴く、青い鳥だの、黄色な鳥だの、可愛らしい話もあったが、聞く内にハッと思ったのは、ある親島から支島(えだじま)へ、カヌウで渡った時、白熱の日の光に、藍(あい)の透通る、澄んで静かな波のひと処、たちまち濃い萌黄(もえぎ)に色が変った。微風も一繊雲もないのに、ゆらゆらとその潮が動くと、水面に近く、颯(さっ)と黄薔薇(きばら)のあおりを打った。その大(おおき)さ、大洋の只中(ただなか)に計り知れぬが、巨大なる□(えい)の浮いたので、近々と嘲(あざ)けるような黄色な目、二丈にも余る青い口で、ニヤリとしてやがて沈んだ。海の魔宮の侍女であろう。その消えた後も、人の目の幻に、船の帆は少時(しばし)その萌黄の油を塗った。……「畳で言いますと」――話し手の若い人は見まわしたが、作者の住居(すまい)にはあいにく八畳以上の座敷がない。「そうですね、三十畳、いやもっと五十畳、あるいはそれ以上かも知れなかったのです。」と言うのである。
 半日隙(はんにちびま)とも言いたいほどの、旅の手軽さがこのくらいである処を、雨に降られた松島見物を、山の爺(じじい)に話している、凡杯の談話ごときを――読者諸賢――しかし、しばらくこれを聴け。

       二

 小県凡杯は、はじめて旅をした松島で、着いた晩と、あくる日を降籠(ふりこ)められた。景色は雨に埋(うず)もれて、竈(かまど)にくべた生薪(なままき)のいぶったような心地がする。屋根の下の観光は、瑞巌寺(ずいがんじ)の大将、しかも眇(かため)に睨(にら)まれたくらいのもので、何のために奥州へ出向いたのか分らない。日も、懐中(ふところ)も、切詰めた都合があるから、三日めの朝、旅籠屋(はたごや)を出で立つと、途中から、からりとした上天気。
 奥羽線の松島へ戻る途中、あの筋には妙に豆府屋が多い……と聞く。その油揚が陽炎(かげろう)を軒に立てて、豆府のような白い雲が蒼空(あおぞら)に舞っていた。
 おかしな思出はそれぐらいで、白河近くなるにつれて、東京から来がけには、同じ処で夜(よ)がふけて、やっぱりざんざ降(ぶり)だった、雨の停車場(ステエション)の出はずれに、薄ぼやけた、うどんの行燈(あんどう)。雨脚も白く、真盛(まっさか)りの卯(う)の花が波を打って、すぐの田畝(たんぼ)があたかも湖のように拡がって、蛙(かえる)の声が流れていた。これあるがためか、と思ったまで、雨の白河は懐しい。都をば霞とともに出でしかど……一首を読むのに、あの洒落(しゃれ)ものの坊さんが、頭を天日に曝(さら)したというのを思出す……「意気な人だ。」とうっかり、あみ棚に預けた夏帽子の下で素頭(すこうべ)を敲(たた)くと、小県はひとりで浮(うっ)かり笑った。ちょっと駅へ下りてみたくなったのだそうである。
 そこで、はじめて気がついたと云うのでは、まことに礼を失するに当る。が、ふとこの城下を離れた、片原というのは、渠(かれ)の祖先の墳墓の地である。
 海も山も、斉(ひと)しく遠い。小県凡杯は――北国(ほっこく)の産で、父も母もその処の土となった。が、曾祖、祖父、祖母、なおその一族が、それか、あらぬか、あの雲、あの土の下に眠った事を、昔話のように聞いていた。
 ――家は、もと川越(かわごえ)の藩士である。御存じ……と申出るほどの事もあるまい。石州浜田六万四千石……船つきの湊(みなと)を抱えて、内福の聞こえのあった松平某氏(なにがし)が、仔細(しさい)あって、ここの片原五万四千石、――遠僻(えんぺき)の荒地に国がえとなった。後に再び川越に転封(てんぽう)され、そのまま幕末に遭遇した、流転の間に落ちこぼれた一藩の人々の遺骨、残骸(ざんがい)が、草に倒れているのである。
 心ばかりの手向(たむけ)をしよう。
 不了簡(ふりょうけん)な、凡杯も、ここで、本名の銑吉(せんきち)となると、妙に心が更(あらた)まる。煤(すす)の面(つら)も洗おうし、土地の模様も聞こうし……で、駅前の旅館へ便(たよ)った。
「姉さん、風呂には及ばないが、顔が洗いたい。手水(ちょうず)……何、洗面所を教えておくれ。それから、午飯(おひる)を頼む。ざっとでいい。」
 二階座敷で、遅めの午飯を認(したた)める間に、様子を聞くと、めざす場所――片原は、五里半、かれこれ六里遠い。――
 鉄道はある、が地方のだし、大分時間が費(かか)るらしい。
 自動車の便はたやすく得られて、しかも、旅館の隣が自動車屋だと聞いたから、価値(ねだん)を聞くと、思いのほか廉(れん)であった。
「早速一台頼んでおくれ。……このちょっとしたものだが、荷物は預けて行きたいと思う。……成るべく、日暮までに帰って、すぐ東京へ立ちたいのだがね、時間の都合で遅くなったら一晩厄介になるとして――勘定はその時と――自動車は、ああ、成程隣りだ。では、世話なしだ、いや、お世話でした。」
 表階子(おもてはしご)を下りかけて、
「ねえさん。」
「へい。」
「片原に、おっこち……こいつ、棚から牡丹餅(ぼたもち)ときこえるか。――恋人でもあったら言伝(ことづけ)を頼まれようかね。」
「いやだ、知りましねえよ、そんげなこと。」
「ああ、自動車屋さん、御苦労です。ところで、料金だが、間違はあるまいね。」
「はい。」
 と恭(うやうや)しく帽を脱いだ、近頃は地方の方が夏帽になるのが早い。セルロイドの目金(めがね)を掛けている。
「ええ、大割引で勉強をしとるです。で、その、ちょっとあらかじめ御諒解を得ておきたいのですが、お客様が小人数(こにんず)で、車台が透いております場合は、途中、田舎道、あるいは農家から、便宜上、その同乗を求めらるる客人がありますと、御迷惑を願う事になっているのでありますが。」
「ははあ、そんな事だろうと思った。どうもお値段の塩梅(あんばい)がね。」
 女中も帳場も皆笑った。
 ロイドめがねを真円(まんまる)に、運転手は生真面目(きまじめ)で、
「多分の料金をお支払いの上、お客様がですな、一人で買切っておいでになりましても、途中、その同乗を求むるものをたって謝絶いたしますと、独占的ブルジョアの横暴ででもありますかのように、階級意識を刺戟しまして――土地が狭いもんですから――われわれをはじめ、お客様にも、敵意を持たれますというと、何かにつけて、不便宜、不利益であります処から。……は。」
「分りました、ごもっともです。」
「ですが、沿道は、全く人通りが少いのでして、乗合といってもめったにはありません。からして、お客様には、事実、御利益になっておりますのでして。」
「いや、損をしても構いません。妙齢(としごろ)の娘か、年増の別嬪(べっぴん)だと、かえってこっちから願いたいよ。」
「……運転手さん、こちらはね、片原へ恋人に逢いにいらっしゃったんだそうですから。」
 しっぺい返しに、女中にトンと背中を一つ、くらわされて、そのはずみに、ひょいと乗った。元来おもみのある客ではない。
「へい御機嫌よう……お早く、お帰りにどうぞ。」
 番頭の愛想を聞流しに乗って出た。
 惜(おし)いかな、阿武隈(あぶくま)川の川筋は通らなかった。が、県道へ掛(かか)って、しばらくすると、道の左右は、一様に青葉して、梢(こずえ)が深く、枝が茂った。一里ゆき、二里ゆき、三里ゆき、思いのほか、田畑も見えず、ほとんど森林地帯を馳(はし)る。……
 座席の青いのに、濃い緑が色を合わせて、日の光は、ちらちらと銀の蝶の形して、影も翼も薄青い。
 人(じん)、馬(ば)、時々飛々(とびとび)に数えるほどで、自動車の音は高く立ちながら、鳴く音(ね)はもとより、ともすると、驚いて飛ぶ鳥の羽音が聞こえた。
 一二軒、また二三軒。山吹、さつきが、淡い紅(あか)に、薄い黄に、その背戸、垣根に咲くのが、森の中の夜(よ)があけかかるように目に映ると、同時に、そこに言合せたごとく、人影が顕(あら)われて、門(かど)に立ち、籬(まがき)に立つ。
 村人よ、里人よ。その姿の、轍(わだち)の陰にかくれるのが、なごり惜(おし)いほど、道は次第に寂しい。
 宿に外套(がいとう)を預けて来たのが、不用意だったと思うばかり、小県は、幾度(いくたび)も襟を引合わせ、引合わせしたそうである。
 この森の中を行(ゆ)くような道は、起伏凹凸が少く、坦(たいら)だった。がしかし、自動車の波動の自然に起るのが、波に揺らるるようで便りない。埃(ほこり)も起(た)たず、雨のあとの樹立(こだち)の下は、もちろん濡色が遥(はるか)に通っていた。だから、偶(たま)に行逢う人も、その村の家も、ただ漂々蕩々(とうとう)として陰気な波に揺られて、あとへ、あとへ、漂って消えて行(ゆ)くから、峠の上下(うえした)、並木の往来で、ゆき迎え、また立顧みる、旅人同士とは品かわって、世をかえても再び相逢うすべのないような心細さが身に沁(し)みたのであった。
 かあ、かあ、かあ、かあ。
 鈍くて、濁って、うら悲しく、明るいようで、もの陰気で。
「烏がなくなあ。」
「群れておるです。」
 運転手は何を思ったか、口笛を高く吹いて、
「首くくりでもなけりゃいいが、道端の枝に……いやだな。」
 うっかり緩めた把手(ハンドル)に、衝(つ)と動きを掛けた時である。ものの二三町は瞬く間だ。あたかもその距離の前途(ゆくて)の右側に、真赤(まっか)な人のなりがふらふらと立揚(たちあが)った。天象、地気、草木、この時に当って、人事に属する、赤いものと言えば、読者は直ちに田舎娘の姨(おば)見舞か、酌婦の道行振(みちゆきぶり)を瞳に描かるるであろう。いや、いや、そうでない。
 そこに、就中(なかんずく)巨大なる杉の根に、揃って、踞(つくば)っていて、いま一度に立揚ったのであるが、ちらりと見た時は、下草をぬいて燃ゆる躑躅(つつじ)であろう――また人家がある、と可懐(なつか)しかった。
 自動車がハタと留まって、窓を赤く蔽(おお)うまで、むくむくと人数(にんず)が立ちはだかった時も、斉(ひと)しく、躑躅の根から湧上(わきあが)ったもののように思われた。五人――その四人は少年である。……とし十一二三ばかり。皆真赤なランニング襯衣(しゃつ)で、赤い運動帽子を被(かぶ)っている。彼等を率いた頭目らしいのは、独り、年配五十にも余るであろう。脊の高い瘠男(やせおとこ)の、おなじ毛糸の赤襯衣を着込んだのが、緋(ひ)の法衣(ころも)らしい、坊主袖の、ぶわぶわするのを上に絡(まと)って、脛(すね)を赤色の巻きゲエトル。赤革の靴を穿(は)き、あまつさえ、リボンでも飾った状(さま)に赤木綿の蔽(おおい)を掛け、赤い切(きれ)で、みしと包んだヘルメット帽を目深(まぶか)に被った。……
 頤骨(あごぼね)が尖(とが)り、頬がこけ、無性髯(ぶしょうひげ)がざらざらと疎(あら)く黄味を帯び、その蒼黒(あおぐろ)い面色(かおいろ)の、鈎鼻(かぎばな)が尖って、ツンと隆(たか)く、小鼻ばかり光沢(つや)があって蝋色(ろういろ)に白い。眦(まなじり)が釣り、目が鋭く、血の筋が走って、そのヘルメット帽の深い下には、すべての形容について、角が生えていそうで不気味に見えた。
 この頭目、赤色(せきしょく)の指導者が、無遠慮に自動車へ入ろうとして、ぎろりと我が銑吉を視(み)て、胸(むな)さきで、ぎしと骨張った指を組んで合掌した……変だ。が、これが礼らしい。加うるに慇懃(いんぎん)なる会釈だろう。けれども、この恭屈頂礼をされた方は――また勿論されるわけもないが――胸を引掻(ひっか)いて、腸(はらわた)でも□(むし)るのに、引導を渡されでもしたようで、腹へ風が徹(とお)って、ぞッとした。
 すなわち、手を挙げるでもなし、声を掛けるでもなし、運転手に向ってもまた合掌した。そこで車を留めたが、勿論、拝む癖に傲然(ごうぜん)たる態度であったという。それもあとで聞いたので、小県がぞッとするまで、不思議に不快を感じたのも、赤い闖入者(ちんにゅうしゃ)が、再び合掌して席へ着き、近々と顔を合せてからの事であった。樹から湧こうが、葉から降ろうが、四人の赤い子供を連れた、その意匠、右の趣向の、ちんどん屋……と奥筋でも称(とな)うるかどうかは知らない、一種広告隊の、林道を穿(うが)って、赤五点、赤長短、赤大小、点々として顕われたものであろう、と思ったと言うのである。
 が、すぐその間違いが分った。客と、銑吉との間へ入って腰を掛けた、中でも、脊のひょろりと高い、色の白い美童だが、疳(かん)の虫のせいであろう、……優しい眉と、細い目の、ぴりぴりと昆虫の触角のごとく絶えず動くのが、何の級に属するか分らない、折って畳んだ、猟銃の赤なめしの袋に包んだのを肩に斜(ななめ)に掛けている。且つこれは、乗込もうとする車の外で、ほかの少年の手から受取って持替えたものであった。そうして、栗鼠(りす)が(註、この篇の談者、小県凡杯は、兎のように、と云ったのであるが、兎は私が贔屓(ひいき)だから、栗鼠にしておく。)後脚(あとあし)で飛ぶごとく、嬉しそうに、刎(は)ねつつ飛込んで、腰を掛けても、その、ぴょん、が留(や)まないではずんでいた。
 ――後に、四童、一老が、自動車を辞し去った時は、ずんぐりとして、それは熊のように、色の真黒(まっくろ)な子供が、手がわりに銃を受取ると斉(ひと)しく、むくむく、もこもこと、踊躍(ようやく)して降りたのを思うと、一具の銃は、一行の名誉と、衿飾(きんしょく)の、旗表(はたじるし)であったらしい。
 猟期は過ぎている。まさか、子供を使って、洋刀(ナイフ)や空気銃の宣伝をするのではあるまい。
 いずれ仔細(しさい)があるであろう。
 ロイドめがねの黒い柄を、耳の尖(さき)に、?のように、振向いて運転手が、
「どちらですか。」
「ええ処で降りるんじゃ。」
 と威圧するごとくに答えながら、双手を挙げて子供等を制した。栗鼠ばかりでない。あと三個も、補助席二脚へ揉合(もみあ)って[#「揉合(もみあ)って」は底本では「揉合(もみあ)つて」]乗ると斉(ひと)しく、肩を組む、頬を合わせる、耳を引張(ひっぱ)る、真赤(まっか)な洲浜形(すはまがた)に、鳥打帽を押合って騒いでいたから。
 戒(いましめ)は顕われ、しつけは見えた。いまその一弾指のもとに、子供等は、ひっそりとして、エンジンの音立処(たちどころ)に高く響くあるのみ。その静(しずか)さは小県ただ一人の時よりも寂然(ひっそり)とした。
 なぜか息苦しい。
 赤い客は咳(しわぶき)一つしないのである。
 小県は窓を開放って、立続(たてつ)けて巻莨(まきたばこ)を吹かした。
 しかし、硝子(がらす)を飛び、風に捲(ま)いて、うしろざまに、緑林に靡(なび)く煙は、我が単衣(ひとえ)の紺のかすりになって散らずして、かえって一抹(いちまつ)の赤気(せっき)を孕(はら)んで、異類異形に乱れたのである。
「きみ、きみ、まだなかなかかい。」
「屋根が見えるでしょう――白壁が見えました。」
「留まれ。」
 その町の端頭(はずれ)と思う、林道の入口の右側の角に当る……人は棲(す)まぬらしい、壊屋(こわれや)の横羽目に、乾草(ほしくさ)、粗朶(そだ)が堆(うずたか)い。その上に、惜(おし)むべし杉の酒林(さかばやし)の落ちて転んだのが見える、傍(わき)がすぐ空地の、草の上へ、赤い子供の四人が出て、きちんと並ぶと、緋の法衣(ころも)の脊高が、枯れた杉の木の揺(ゆら)ぐごとく、すくすくと通るに従って、一列に直って、裏の山へ、夏草の径(こみち)を縫って行(ゆ)く――この時だ。一番あとのずんぐり童子が、銃を荷(にな)った嬉しさだろう、真赤な大(おおき)な臀(しり)を、むくむくと振って、肩で踊って、
「わあい。」
 と馬鹿調子のどら声を放す。
 ひょろ長い美少年が、
「おうい。」
 と途轍(とてつ)もない奇声を揚げた。
 同時に、うしろ向きの赤い袖が飜(ひるがえ)って、頭目は掌(てのひら)を口に当てた、声を圧(おさ)えたのではない、笛を含んだらしい。ヒュウ、ヒュウと響くと、たちまち静(しずか)に、粛々として続いて行(ゆ)く。
 すぐに、山の根に取着いた。が草深い雑木の根を、縦に貫く一列は、殿(しんがり)の尾の、ずんぐり、ぶつりとした大赤楝蛇(おおやまかがし)が畝(うね)るようで、あのヘルメットが鎌首によく似ている。
 見る間に、山腹の真黒(まっくろ)な一叢(ひとむら)の竹藪(たけやぶ)を潜(くぐ)って隠れた時、
「やーい。」
「おーい。」
 ヒュウ、ヒュウと幽(かすか)に聞こえた。なぜか、その笛に魅せられて、少年等が、別の世、別の都、別の町、あやしきかくれ里へ攫(さら)われて行(ゆ)きそうで、悪酒に酔ったように、凡杯の胸は塞(ふさが)った。
 自動車たるべきものが、スピイドを何とした。
 茫然(ぼうぜん)とした状(さま)して、運転手が、汚れた手袋の指の破れたのを凝(じっ)と視(み)ている。――掌に、銀貨が五六枚、キラキラと光ったのであった。

「――お爺さん、何だろうね。」
「…………」
「私も、運転手も、現に見たんだが。」
「さればなす……」
 と、爺さんは、粉煙草(こなたばこ)を、三度ばかりに火皿の大きなのに撮(つま)み入れた。
 ……根太の抜けた、荒寺の庫裡(くり)に、炉の縁で。……

       三

 西明寺(さいみょうじ)――もとこの寺は、松平氏が旧領石州から奉搬の伝来で、土地の町村に檀家(だんか)がない。従って盆暮のつけ届け、早い話がおとむらい一つない。如法(にょほう)の貧地で、堂も庫裡も荒れ放題。いずれ旧藩中ばかりの石碑だが、苔(こけ)を剥(む)かねば、紋も分らぬ。その墓地の図面と、過去帳は、和尚が大切にしているが、あいにく留守。……
 墓参のよしを聴いて爺さんが言ったのである。
「ほか寺の仏事の手伝いやら托鉢(たくはつ)やらで、こちとら同様、細い煙を立てていなさるでなす。」
 あいにく留守だが、そこは雲水、風の加減で、ふわりと帰る事もあろう。
「まあ一服さっせえまし、和尚様とは親類づきあい、渋茶をいれて進ぜますで。」
 とにかく、いい人に逢った。爺さんは、旧藩士ででもあんなさるかと聞くと、
「孫八とこいて、いやはや、若い時から、やくざでがしての。縁は異なもの、はッはッはッ。お前様、曾祖父様(ひいじいさま)や、祖父様の背戸畑で、落穂を拾った事もあんべい。――鼠棚(ねずみだな)捜いて麦こがしでも進ぜますだ。」
 ともなわれて庫裡に居(お)る――奥州片原の土地の名も、この荒寺では、鼠棚がふさわしい。いたずらものが勝手に出入(ではい)りをしそうな虫くい棚の上に、さっきから古木魚が一つあった。音も、形も馴染(なじみ)のものだが、仏具だから、俗家の小県は幼いいたずら時にもまだ持って見たことがない。手頃なのは大抵想像は付くけれども、かこみほとんど二尺、これだけの大きさだと、どのくらい重量(めかた)があろうか。普通は、本堂に、香華(こうげ)の花と、香の匂(におい)と明滅する処に、章魚(たこ)胡坐(あぐら)で構えていて、おどかして言えば、海坊主の坐禅のごとし。……辻の地蔵尊の涎掛(よだれかけ)をはぎ合わせたような蒲団(ふとん)が敷いてある。ところを、大木魚の下に、ヒヤリと目に涼しい、薄色の、一目見て紛(まが)う方なき女持ちの提紙入(ハンドバック)で。白い桔梗(ききょう)と、水紅色(ときいろ)の常夏(とこなつ)、と思ったのが、その二色(ふたいろ)の、花の鉄線かずらを刺繍(ししゅう)した、銀座むきの至極当世な持もので、花はきりりとしているが、葉も蔓(つる)も弱々しく、中のものも角ばらず、なよなよと、木魚の下すべりに、優しい女の、帯の端を引伏せられたように見えるのであった。
 はじめ小県が、ここの崖を、墓地へ下りる以前に、寺の庫裡を覗(のぞ)いた時、人気(ひとけ)も、火の気もない、炉の傍(そば)に一段高く破れ落ちた壁の穴の前に、この帯らしいものを見つけて、うつくしい女の、その腰は、袖は、あらわな白い肩は、壁外に逆(さかさ)になって、蜘蛛(くも)の巣がらみに、蒼白(あおじろ)くくくられてでもいそうに思った。
 瞬間の幻視である。手提(てさげ)はすぐ分った。が、この荒寺、思いのほか、陰寂な無人(ぶじん)の僻地(へきち)で――頼もう――を我が耳で聞返したほどであったから。……
私の隣の松さんは、熊野へ参ると、髪結(ゆ)うて、
熊野の道で日が暮れて、
あと見りゃ怖(おそろ)しい、先見りゃこわい。
先の河原で宿取ろか、跡の河原で宿取ろか。
さきの河原で宿取って、鯰(なまず)が出て、押えて、
手で取りゃ可愛いし、足で取りゃ可愛いし、
杓子(しゃくし)ですくうて、線香(せんこ)で担(にな)って、燈心で括(くく)って、
仏様のうしろで、一切(ひときれ)食や、うまし、二切食や、うまし……
 紀州の毬唄(まりうた)で、隠微な残虐(ざんぎゃく)の暗示がある。むかし、熊野詣(もうで)の山道に行暮れて、古寺に宿を借りた、若い娘が燈心で括って線香で担って、鯰を食べたのではない。鯰の方が若い娘を、……あとは言わずとも可(よ)かろう。例証は、遠く、今昔物語、詣鳥部寺女の語(はなし)にある、と小県はかねて聞いていた。
 紀州を尋ねるまでもなかろう。
……今年はじめて花見に出たら、寺の和尚に抱きとめられて、
高い縁から突落されて、笄(こうがい)落し、小枕(こまくら)落し……
 古寺の光景は、異様な衝動で渠(かれ)を打った。
 普通、草双紙なり、読本なり、現代一種の伝奇においても、かかる場合には、たまたま来(きた)って、騎士(ナイト)がかの女を救うべきである。が、こしらえものより毬唄の方が、現実を曝露(ばくろ)して、――女は速(すみやか)に虐(しえた)げられているらしい。
 同時に、愛惜(あいじゃく)の念に堪えない。ものあわれな女が、一切食われ一切食われ、木魚に圧(おさ)え挫(ひし)がれた、……その手提に見入っていたが、腹のすいた狼(おおかみ)のように庫裡へ首を突込(つっこ)んでいて可(い)いものか。何となく、心ゆかしに持っていた折鞄(おりかばん)を、縁側ずれに炉の方へ押入れた。それから、卵塔の草を分けたのであった。――一つは、鞄を提げて墓詣(はかまいり)をするのは、事務を扱うようで気がさしたからであった。
 今もある。……木魚の下に、そのままの涼しい夏草と、ちょろはげの鞄とを見較(みくら)べながら、
「――またその何ですよ。……待っていられては気忙(きぜわ)しいから、帰りは帰りとして、自然、それまでに他(ほか)の客がなかったらお世話になろう。――どうせ隙(ひま)だからいつまでも待とうと云うのを――そういってね、一旦(いったん)運転手に分れた――こっちの町尽頭(はずれ)の、茶店……酒場(バア)か。……ざっとまあ、饂飩屋(うどんや)だ。それからは、見た目にも道わるで、無理に自動車を通した処で、歩行(ある)くより難儀らしいから下りたんですがね――饂飩酒場(うどんバア)の女給も、女房(かみ)さんらしいのも――その赤い一行は、さあ、何だか分らない、と言う。しかし、お小姓に、太刀のように鉄砲を持たしていれば、大将様だ。大方、魔ものか、変化にでも挨拶(あいさつ)に行(ゆ)くのだろう、と言うんです。
 魔ものだの、変化だのに、挨拶は変だ、と思ったが、あとで気がつくと、女連(れん)は、うわさのある怪しいことに、恐しく怯(おび)えていて、陰でも、退治(たいじ)るの、生捉(いけど)るのとは言い憚(はばか)ったものらしい。がまあ、この辺にそんなものが居るのかね。……運転手は笑っていたが、私は真面目さ。何でも、この山奥に大沼というのがある?……ありますか、お爺さん。」
「あるだ。」
 その時、この気軽そうな爺さんが、重たく点頭した。
「……阿武隈川が近いによって、阿武沼と、勿体(もったい)つけるで、国々で名高い、湖や、潟ほど、大いなものではねえだがなす、むかしから、それを逢魔沼(おうまぬま)と云うほどでの、樹木が森々(しんしん)として凄(すご)いでや、めったに人が行がねえもんだで、山奥々々というだがね。」
 と額を暗く俯向(うつむ)いた。が、煙管(きせる)を落して、門――いや、門も何もない、前通りの草の径(こみち)を、向うの原越しに、差覗(さしのぞ)くがごとく、指をさし、
「あの山を一つ背後(うしろ)へ越した処だで、沢山(たんと)遠い処ではねえが。」
 と言う。
 その向う山の頂に、杉檜(ひのき)の森に包まれた、堂、社(やしろ)らしい一地がある。
「……途中でも、気が着いたが。」
 水の影でも映りそうに、その空なる樹(こ)の間(ま)は水色に澄んで青い。
「沼は、あの奥に当るのかね。」
「えへい、まあ、その辺の見当ずら。」
 と、掌をもじゃもじゃと振るのが、枯葉が乱れて、その頂の森を掻乱(かきみだ)すように見え、
「何かね、その赤い化もの……」
「赤いのが化けものじゃあない――お爺さん。」
「はあ、そうけえ。」
 と妙に気の抜けた返事をする。
「……だから、私が――じゃあ、その阿武沼、逢魔沼か。そこへ、あの連中は行ったんだろうか、沼には変った……何か、可恐(おそろし)い、可怪(あやし)い事でもあるのかね。饂飩酒場の女房が、いいえ、沼には牛鬼が居るとも、大蛇(おろち)が出るとも、そんな風説(うわさ)は近頃では聞きませんが、いやな事は、このさきの街道――畷(なわて)の中にあった、というんだよ。寺の前を通る道は、古い水戸街道なんだそうだね。」
「はあ、そうでなす。」
「ぬかるみを目の前にして……さあ、出掛けよう。で、ここへ私が来る道だ。何が出ようとこの真昼間(まっぴるま)、気にはしないが、もの好きに、どんな可恐(おそろし)い事があったと聞くと、女給と顔を見合わせてね、旦那(だんな)、殿方には何でもないよ。アハハハと笑って、陽気に怯(おど)かす……その、その辺を女が通ると、ひとりでに押孕(おっぱら)む……」
「馬鹿あこけ、あいつ等。」
 と額にびくびくと皺(しわ)を刻み、痩腕(やせうで)を突張(つっぱ)って、爺は、彫刻のように堅くなったが、
「あッはッはッ。」
 唐突(だしぬけ)に笑出した。
「あッはッはッ。」
 たちまち口にふたをして、
「ここは噴出す処でねえ。麦こがしが消飛(けしと)ぶでや、お前様もやらっせえ、和尚様の塩加減が出来とるで。」
 欠茶碗にもりつけた麦こがしを、しきりに前刻(さっき)から、たばせた。が、匙(さじ)は附木(つけぎ)の燃(もえ)さしである。
「ええ塩梅(あんばい)だ。さあ、やらっせえ、さ。」
 掻(か)い候え、と言うのである。これを思うと、木曾殿の、掻食わせた無塩(ぶえん)の平茸(ひらたけ)は、碧澗(へきかん)の羹(あつもの)であろう。が、爺さんの竈禿(くどはげ)の針白髪(はりしらが)は、阿倍の遺臣の概(がい)があった。
「お前様の前だがの、女が通ると、ひとりで孕むなぞと、うそにも女の身になったらどうだんべいなす、聞かねえ分で居さっせえまし。優しげな、情合(じょうあい)の深い、旦那、お前様だ。」
「いや、恥かしい、情があるの、何のと言って。墓詣りは、誰でもする。」
「いや、そればかりではねえ。――知っとるだ。お前様は人間扱いに、畜類にものを言わしったろ。」
「畜類に。」
「おお、鷺(さぎ)によ。」
「鷺に。」
「白鷺に。畷(なわて)さ来る途中でよ。」
「ああ、知ってるのかい、それはどうも。」

       四

 ――きみ、きみ――
 白鷺に向って声を掛けた。
「人に聞かれたのでは極(きま)りが悪いね……」
 西明寺を志して来る途中、一処、道端の低い畝(あぜ)に、一叢(ひとむら)の緋牡丹(ひぼたん)が、薄曇る日に燃ゆるがごとく、二輪咲いて、枝の莟(つぼみ)の、撓(たわわ)なのを見た。――奥路に名高い、例の須賀川の牡丹園の花の香が風に伝わるせいかも知れない、汽車から視(なが)める、目の下に近い、門(かど)、背戸、垣根。遠くは山裾(やますそ)にかくれてた茅屋(かやや)にも、咲昇る葵(あおい)を凌(しの)いで牡丹を高く見たのであった。が、こんなに心易い処に咲いたのには逢わなかった。またどこにもあるまい。細竹一節の囲(かこい)もない、酔える艶婦(えんぷ)の裸身である。
 旅の袖を、直ちに蝶の翼に開いて――狐が憑(つ)いたと人さえ見なければ――もっとも四辺(あたり)に人影もなかったが――ふわりと飛んで、花を吸おうとも、莟を抱こうとも、心のままに思われた。
 それだのに、十歩……いや、もっと十間ばかり隔たった処に、銑吉が立停(たちど)まったのは、花の莟を、蓑毛(みのけ)に被(かつ)いだ、舞の烏帽子(えぼし)のように翳(かざ)して、葉の裏すく水の影に、白鷺が一羽、婀娜(あだ)に、すっきりと羽を休めていたからである。
 ここに一筋の小川が流れる。三尺ばかり、細いが水は清く澄み、瀬は立ちながら、悠揚として、さらさらと聞くほどの音もしない。山入(やまいり)の水源は深く沈んだ池沼(ちしょう)であろう。湖と言い、滝と聞けば、末の流(ながれ)のかくまで静(しずか)なことはあるまいと思う。たとい地理にしていかなりとも。
 ――松島の道では、鼓草(たんぽぽ)をつむ道草をも、溝を跨(また)いで越えたと思う。ここの水は、牡丹の叢(むら)のうしろを流れて、山の根に添って荒れた麦畑の前を行き、一方は、角(つの)ぐむ蘆(あし)、茅の芽の漂う水田であった。
 道を挟んで、牡丹と相向う処に、亜鉛(トタン)と柿(こけら)の継はぎなのが、ともに腐れ、屋根が落ち、柱の倒れた、以前掛茶屋か、中食(ちゅうじき)であったらしい伏屋の残骸(ざんがい)が、蓬(よもぎ)の裡(なか)にのめっていた。あるいは、足休めの客の愛想に、道の対(むこ)う側を花畑にしていたものかも知れない。流転のあとと、栄花の夢、軒は枯骨のごとく朽ちて、牡丹の膚(はだ)は鮮紅である。
 古蓑(ふるみの)が案山子(かかし)になれば、茶店の骸骨も花守をしていよう。煙は立たぬが、根太を埋めた夏草の露は乾かぬ。その草の中を、あたかも、ひらひら、と、ものの現(うつつ)のように、いま生れたらしい蜻蛉(とんぼ)が、群青(ぐんじょう)の絹糸に、薄浅葱(うすあさぎ)の結び玉を目にして、綾の白銀(しろがね)の羅(うすもの)を翼に縫い、ひらひら、と流(ながれ)の方へ、葉うつりを低くして、牡丹に誘われたように、道を伝った。
 またあまりに儚(はかな)い。土に映る影もない。が、その影でさえ、触ったら、毒気でたちまち落ちたろう。――畷道(なわてみち)の真中(まんなか)に、別に、凄(すさま)じい虫が居た。
 しかも、こっちを、銑吉の方を向いて、髯(ひげ)をぴちぴちと動かす。一疋七八分にして、躯(み)は寸に足りない。けれども、羽に碧緑(あおみどり)の艶(つや)濃く、赤と黄の斑(ふ)を飾って、腹に光のある虫だから、留った土が砥(と)になって、磨いたように燦然(さんぜん)とする。葛上亭長(まめ)、芫青(あお)、地胆(つち)、三種合わせた、猛毒、膚(はだえ)に粟(あわ)すべき斑□(はんみょう)の中(うち)の、最も普通な、みちおしえ、魔の憑(つ)いた宝石のように、□燿(ぎらぎら)と招いていた。
「――こっちを襲って来るのではない。そこは自然の配剤だね。人が進めば、ひょいと五六尺退(しさ)って、そこで、また、おいでおいでをしているんだ。碧緑赤黄の色で誘うのか知らん。」
 蜻蛉では勿論ない。それを狙っているらしい。白鷺が、翼を開くまでもなかった。牡丹の花の影を、きれいな水から、すっと出て、斑□の前へ行(ゆ)くと思うと、約束通り、前途(むこう)へ退(さが)った。人間に対すると、その挙動は同一(おんなじ)らしい。……白鷺が再び、すっと進む。
 あの歩(あし)の運びは、小股(こまた)がきれて、意気に見える。斑□は、また飛びしさった。白鷺が道の中を。……
 ――きみ、――きみ――
「うっかり声を出して呼んだんだよ、つい。……毒虫だ、大毒だ。きみ、哺(くわ)えてはいけないと。あの毒は大変です、その卵のくッついた野菜を食べると、血を吐いて即死だそうだ。
 現に、私がね、ただ、触られてかぶれたばかりだが。
 北国(ほっこく)の秋の祭――十月です。半ば頃、その祭に呼ばれて親類へ行った。
 白山宮(はくさんぐう)の境内、大きな手水鉢(ちょうずばち)のわきで、人ごみの中だったが、山の方から、颯(さっ)と虫が来て頬へとまった。指のさきで払い落したあとが、むずむずと痒(かゆ)いんだね。
 御手洗(みたらし)は清くて冷い、すぐ洗えばだったけれども、神様の助けです。手も清め、口もそそぐ。……あの手をいきなり突込(つっこ)んだらどのくらい人を損(そこな)ったろう。――たとい殺さないまでもと思うと、今でも身の毛が立つほどだ。ほてって、顔が二つになったほど幅ったく重い。やあ、獅子(しし)のような面(つら)だ、鬼の面(めん)だ、と小児(こども)たちに囃(はや)されて、泣いたり怒ったり。それでも遊びにほうけていると、清らかな、上品な、お神巫(みこ)かと思う、色の白い、紅(もみ)の袴(はかま)のお嬢さんが、祭の露店に売っている……山葡萄(やまぶどう)の、黒いほどな紫の実を下すって――お帰んなさい、水で冷すのですよ。
 ――で、駆戻ると、さきの親類では吃驚(びっくり)して、頭を冷して寝かしたんだがね。客が揃って、おやじ……私の父が来たので、御馳走(ごちそう)の膳(ぜん)の並んだ隣へ出て坐った処、そこらを視(み)て、しばらくして、内の小僧は?……と聞くんだね。袖の中の子が分らないほど、面(つら)が鬼になっていたんです。おやじの顔色が変ると、私も泣出した。あとをよくは覚えていないんだが、その山葡萄を雫(しずく)にして、塗ったり吸ったりして無事に治った……虫は斑□だった事はいうまでもないのです。」
「何と、はあ、おっかねえもんだ、なす。知らねえ虫じゃねえでがすが、……もっとも、あの、みちおしえは、誰も触らねえ事にしてあるにはあるだよ。」
「だから、つい、声も掛けようではないか。」
「鷺の鳥はどうしただね。」
「お爺さん、それは見ていなかったかい。」
「なまけもんだ、陽気のよさに、あとはすぐとろとろだ。あの潰屋(つぶれや)の陰に寝ころばっておったもんだでの。」
 白鷺はやがて羽を開いた。飛ぶと、宙を翔(かけ)る威力には、とび退(しさ)る虫が嘴(くちばし)に消えた。雪の蓑毛(みのけ)を爽(さわやか)に、もとの流(ながれ)の上に帰ったのは、あと口に水を含んだのであろうも知れない。諸羽(もろはね)を搏(う)つと、ひらりと舞上る時、緋牡丹の花の影が、雪の頸(うなじ)に、ぼっと沁(し)みて薄紅(うすくれない)がさした。そのまま山の端(は)を、高く森の梢(こずえ)にかくれたのであった。
「あの様子では確(たしか)に呑んだよ、どうも殺(や)られたろうと思うがね。」
 爺(じい)は股引(ももひき)の膝を居直って、自信がありそうに云った。
「うんや、鳥は悧巧(りこう)だで。」
「悧巧な鳥でも、殺生石には斃(おち)るじゃないか。」
「うんや、大丈夫でがすべよ。」
「が、見る見るあの白い咽喉(のど)の赤くなったのが可恐(おそろし)いよ。」
「とろりと旨(うま)いと酔うがなす。」
 にたにたと笑いながら、
「麦こがしでは駄目だがなす。」
「しかし……」
「お前様、それにの、鷺はの、明神様のおつかわしめだよ、白鷺明神というだでね。」
「ああ、そうか、あの向うの山のお堂だね。」
「余り人の行(ゆ)く処でねえでね。道も大儀だ。」
 と、なぜか中を隔てるように、さし覗(のぞ)く小県の目の前で、頭を振った。
 明神の森というと――あの白鷺はその梢へ飛んだ――なぜか爺が、まだ誰(たれ)も詣でようとも言わぬものを、悪く遮りだてするらしいのに、反感を持つとまでもなかったけれども、すぐにも出掛けたい気が起った。黒塚の婆(ばば)の納戸で、止(や)むを得ない。
「――時に、和尚さんは、まだなかなか帰りそうに見えないね。とすると、位牌(いはい)も過去帳も分らない。……」
「何しろ、この荒寺だ、和尚は出がちだよって、大切な物だけは、はい、町の在家の確かな蔵に預けてあるで。」
「また帰途(かえり)に寄るとしよう。」
 不意に立掛けた。が、見掛けた目にも、若い綺麗(きれい)な人の持ものらしい提紙入(ハンドバック)に心を曳(ひ)かれた。またそれだけ、露骨に聞くのが擽(くすぐ)ったかったのを、ここで銑吉が棄鞭(すてむち)を打った。
「お爺さん、お寺には、おかみさん、いや、奥さんか。」
 小さな声で、
「おだいこくがおいでかね。」
「は、とんでもねえ、それどころか、檀那(だんな)がねえで、亡者も居ねえ。だがな、またこの和尚が世棄人過ぎた、あんまり悟りすぎた。参詣の女衆(おなごしゅ)が、忘れたればとって、預けたればとって、あんだ、あれは。」
 と、せきこんで、
「……外廻りをするにして、要心に事を欠いた。木魚を圧(おし)に置くとは何(あん)たるこんだ。」
 と、やけに突立(つった)つ膝がしらに、麦こがしの椀を炉の中へ突込(つっこ)んで、ぱっと立つ白い粉に、クシンと咽(む)せたは可笑(おかし)いが、手向(たむけ)の水の涸(か)れたようで、見る目には、ものあわれ。
 もくりと、掻落すように大木魚を膝に取って、
「ぼっかり押孕(おっぱら)んだ、しかも大(でっか)い、木魚講を見せつけられて、どんなにか、はい、女衆は恥かしかんべい。」
 その時、提紙入(ハンドバック)の色が、紫陽花(あじさい)の浅葱(あさぎ)淡く、壁の暗さに、黒髪も乱れつつ、産婦の顔の萎(しお)れたように見えたのである。
 谷間の卵塔に、田沢氏の墓のただ一基苔(こけ)の払われた、それを思え。
「お爺さん、では、あの女の持ものは、お産で死んだ記念(かたみ)の納(おさめ)ものででもあるのかい。」
 べそかくばかりに眉を寄せて、
「牡丹に立った白鷺になるよりも、人間は娑婆(しゃば)が恋しかんべいに、産で死んで、姑獲鳥(うぶめ)になるわ。びしょびしょ降(ぶり)の闇暗(くらやみ)に、若い女が青ざめて、腰の下さ血だらけで、あのこわれ屋の軒の上へ。……わあ、情(なさけ)ない。……お救い下され、南無普門品(なむふもんぼん)、第二十五。」
 と炉縁をずり直って、たとえば、小県に股引の尻を見せ、向うむきに円く踞(うずくま)ったが、古寺の狸などを論ずべき場合でない――およそ、その背中ほどの木魚にしがみついて、もく、もく、もく、もく、と立てつけに鳴らしながら、
「南無普門品第二十五。」
「普門品第二十五。」
 小県も、ともに口の裡(うち)で。
「この寺に観世音。」
「ああ居らっしゃるとも、難有(ありがた)い、ありがたい……」
「その本堂に。」
「いや、あちらの棟だ。――ああ、参らっしゃるか。」
「参ろうとも。」
「おお、いい事だ、さあ、ござい、ござい。」
 と抱込んだ木魚を、もく、もくと敲(たた)きながら、足腰の頑丈づくりがひょこひょこと前(さき)へ立った。この爺さん、どうかしている。
 が、導かれて、御廚子(みずし)の前へ進んでからは――そういう小県が、かえって、どうかしないではいられなくなったのである。
 この庫裡(くり)と、わずかに二棟、隔ての戸もない本堂は、置棚の真中(まんなか)に、名号(みょうごう)を掛けたばかりで、その外の横縁に、それでも形(かた)ばかり階段が残った。以前は橋廊下で渡ったらしいが、床板の折れ挫(ひしゃ)げたのを継合せに土に敷いてある。
 明神の森が右の峰、左に、卵塔場を谷に見て、よく一人で、と思うばかり、前刻(さっき)彳(たたず)んだ、田沢氏の墓はその谷の草がくれ。
 向うの階(きざはし)を、木魚が上(あが)る。あとへ続くと、須弥壇(しゅみだん)も仏具も何もない。白布を蔽(おお)うた台に、経机を据えて、その上に黒塗の御廚子があった。
 庫裡の炉の周囲(まわり)は筵(むしろ)である。ここだけ畳を三畳ほどに、賽銭(さいせん)の箱が小さく据(すわ)って、花瓶(はながめ)に雪を装(も)った一束の卯(う)の花が露を含んで清々(すがすが)しい。根じめともない、三本ほどのチュリップも、蓮華(れんげ)の水を抽(ぬき)んでた風情があった。
 勿体ないが、その卯の花の房々したのが、おのずから押になって、御廚子の片扉を支えたばかり、片扉は、鎧(よろい)の袖の断(たた)れたように摺(ず)れ下っていたのだから。
「は、」
 ただ伏拝むと、斜(ななめ)に差覗(さしのぞ)かせたまうお姿は、御丈(おんたけ)八寸、雪なす卯の花に袖のひだが靡(なび)く。白木一彫(ひとほり)、群青の御髪(みぐし)にして、一点の朱の唇、打微笑(うちほほえ)みつつ、爺を、銑吉を、見そなわす。
「南無普門品第二十五。」
「失礼だけれど、准胝観音(じゅんでいかんのん)でいらっしゃるね。」
「はあい、そうでがすべ。和尚どのが、覚えにくい名を称(とな)えさっしゃる。南無普門品第二十五。」
 よし、ただ、南無とばかり称え申せ、ここにおわするは、除災、延命(えんみょう)、求児(ぐうじ)の誓願、擁護愛愍(ようごあいみん)の菩薩(ぼさつ)である。
「お爺さん、ああ、それに、生意気をいうようだけれど、これは素晴らしい名作です。私は知らないが、友達に大分出来る彫刻家があるので、門前の小僧だ。少し分る……それに、よっぽど時代が古い。」
「和尚に聞かして下っせえ、どないにか喜びますべい、もっとも前藩主(せんとのさま)が、石州からお守りしてござったとは聞いとりますがの。」
 と及腰(およびごし)に覗(のぞ)いていた。
 お蝋燭(ろうそく)を、というと、爺が庫裡へ調達に急いだ――ここで濫(みだり)に火あつかいをさせない注意はもっともな事である――
「たしかに宝物。」
 憚(はばか)り多いが、霊容の、今度は、作を見ようとして、御廚子に寄せた目に、ふと卯の花の白い奥に、ものを忍ばすようにして、供物をした、二つ折の懐紙を視(み)た。備えたのはビスケットである。これはいささか稚気を帯びた。が、にれぜん河(が)のほとり、菩提樹(ぼだいじゅ)の蔭に、釈尊にはじめて捧げたものは何であろう。菩薩の壇にビスケットも、あるいは臘八(ろうはち)の粥(かゆ)に増(まさ)ろうも知れない。しかしこれを供えた白い手首は、野暮なレエスから出たらしい。勿論だ。意気なばかりが女でない。同時に芬(ぷん)と、媚(なまめ)かしい白粉(おしろい)の薫(かおり)がした。
 爺が居て気がつかなかったか。木魚を置いたわきに、三宝が据って、上に、ここがもし閻魔堂(えんまどう)だと、女人を解いた生血と膩肉(あぶらみ)に紛(まが)うであろう、生々(なまなま)と、滑かな、紅白の巻いた絹。
「ああ、誓願のその一、求児――子育(こそだて)、子安の観世音として、ここに婦人の参詣がある。」
 世に、参り合わせた時の順に、白は男、紅(あか)は女の子を授けらるる……と信仰する、観世音のたまう腹帯である。
 その三宝の端に、薄色の、折目の細い、女扇が、忘れたように載っていた。
 正面の格子も閉され、人は誰も居ない……そっと取ると、骨が水晶のように手に冷(ひや)りとした。卯の花の影が、ちらちらと砂子を散らして、絵も模様も目には留まらぬさきに――せい……せい、と書いた女文字。
 今度は、覚えず瞼(まぶた)が染まった。
 銑吉には、何を秘(かく)そう、おなじ名の恋人があったのである。

       五

 作者は、小県銑吉の話すまま、つい釣込まれて、恋人――と受次いだが、大切な処だ。念のため断るが、銑吉には、はやく女房がある。しかり、女房があって資産がない。女房もちの銭(ぜに)なしが当世色恋の出来ない事は、昔といえども実はあまりかわりはない。
 打あけて言えば、渠(かれ)はただ自分勝手に、惚(ほ)れているばかりなのである。
 また、近頃の色恋は、銀座であろうが、浅草であろうが、山の手新宿のあたりであろうが、つつしみが浅く、たしなみが薄くなり、次第に面の皮が厚くなり、恥が少くなったから、惚れたというのに憚(はばか)ることだけは、まずもってないらしい。
 釣の道でも(岡)と称(な)がつくと軽(かろ)んぜられる。銑吉のも、しかもその岡惚れである。その癖、夥間(なかま)で評判である。
 この岡惚れの対象となって、江戸育ちだというから、海津か卵であろう、築地辺の川端で迷惑をするのがお誓さんで――実は梅水という牛屋の女中(ねえ)さん。……御新規お一人様、なまで御酒(ごしゅ)……待った、待った。そ、そんなのじゃ決してない。第一、お客に、むらさきだの、鍋下(なべした)だのと、符帳でものを食うような、そんなのも決して無い。
 梅水は、以前築地一流の本懐石、江戸前の料理人が庖丁を□(さ)びさせない腕を研(みが)いて、吸ものの運びにも女中の裙(すそ)さばきを睨(にら)んだ割烹(かっぽう)。震災後も引続き、黒塀の奥深く、竹も樹も静まり返って客を受けたが、近代のある世態では、篝火船(かがりぶね)の白魚より、舶来の塩鰯(しおいわし)が幅をする。正月飾りに、魚河岸に三個(みッつ)よりなかったという二尺六寸の海老(えび)を、緋縅(ひおどし)の鎧(よろい)のごとく、黒松の樽に縅した一騎駈(がけ)の商売では軍(いくさ)が危い。家の業が立ちにくい。がらりと気を替えて、こうべ肉のすき焼、ばた焼、お望み次第に客を呼んで、抱一(ほういつ)上人の夕顔を石燈籠(いしどうろう)の灯でほの見せる数寄屋(すきや)づくりも、七賢人の本床に立った、松林の大広間も、そのままで、びんちょうの火を堆(うずたか)く、ひれの膏(あぶら)を□(に)る。
 この梅水のお誓は、内の子、娘分であるという。来たのは十三で、震災の時は十四であった。繰返していうでもあるまい――あの炎の中を、主人の家(うち)を離れないで、勤め続けた。もっとも孤児(みなしご)同然だとのこと、都にしかるべき身内もない。そのせいか、沈んだ陰気な質(たち)ではないが、色の、抜けるほど白いのに、どこか寂しい影が映る。膚(はだ)をいえば、きめが細(こまか)く、実際、手首、指の尖(さき)まで化粧をしたように滑らかに美しい。細面で、目は、ぱっちりと、大きくないが張(はり)があって、そして眉が優しい。緊(しま)った口許(くちもと)が、莞爾(にっこり)する時ちょっとうけ口のようになって、その清い唇の左へ軽く上るのが、笑顔ながら凜(りん)とする。総てが薄手で、あり余る髪の厚ぼったく見えないのは、癖がなく、細く、なよなよとしているのである。緋(ひ)も紅も似合うものを、浅葱だの、白の手絡(てがら)だの、いつも淡泊(あっさり)した円髷(まるまげ)で、年紀(とし)は三十を一つ出た。が、二十四五の上には見えない。一度五月の節句に、催しの仮装の時、水髪の芸子島田に、青い新藁(しんわら)で、五尺の菖蒲(あやめ)の裳(もすそ)を曳(ひ)いた姿を見たものがある、と聞く。……貴殿はいい月日の下に生れたな、と言わねばならぬように思う。あるいは一度新橋からお酌で出たのが、都合で、梅水にかわったともいうが、いまにおいては審(つまびらか)でない。ただ不思議なのは、さばかりの容色(きりょう)で、その年まで、いまだ浮気、あらわに言えば、旦那があったうわさを聞かぬ。ほかは知らない、あのすなおな細い鼻と、口許がうそを言わぬ。――お誓さんは処女だろう……(しばらく)――これは小県銑吉の言うところである。
 十六か七の時、ただ一度――場所は築地だ、家は懐石、人も多いに、台所から出入りの牛乳屋(ちちや)の小僧が附ぶみをした事のあるのを、最も古くから、お誓を贔屓(ひいき)の年配者、あたまのきれいに兀(は)げた粋人が知っている。梅水の主人夫婦も、座興のように話をする。ゆらの戸の歌ではなけれど、この恋の行方は分らない。が、対手(あいて)が牛乳屋の小僧だけに、天使と牧童のお伽話(とぎばなし)を聞く気がする。ただその玉章(たまずさ)は、お誓の内証(ないしょ)の針箱にいまも秘めてあるらしい。……
「……一生の願(ねがい)に、見たいものですな。」
「お見せしましょうか。」
「恐らく不老長寿の薬になる――近頃はやる、性の補強剤に効能の増(まさ)ること万々だろう。」
「そうでしょうか。」
 その頬が、白く、涼しい。
「見せろよ。」
 低い声の澄んだ調子で、
「ほほほ。」
 と莞爾(にっこり)。
 その口許の左へ軽くしまるのを見るがいい。……座敷へ持出さないことは言うまでもない。
 色気の有無(ほど)が不可解である。ある種のうつくしいものは、神が惜(おし)んで人に与えない説がある。なるほどそういえば、一方円満柔和な婦人に、菩薩相(ぼさつそう)というのがある。続いて尼僧顔がないでもあるまい。それに対して、お誓の処女づくって、血の清澄明晰(せいしょうめいせき)な風情に、何となく上等の神巫(みこ)の麗女(たおやめ)の面影が立つ。
 ――われ知らず、銑吉のかくれた意識に、おのずから、毒虫の毒から救われた、うつくしい神巫(おみこ)の影が映るのであろう。――
 おお美わしのおとめよ、と賽銭(さいせん)に、二百金、現に三百金ほどを包んで、袖に呈(てい)するものさえある。が、お誓はいつも、そのままお帳場へ持って下って、おかみさんの前で、こんなもの。すぐ、おかみさんが、つッと出て、お給仕料は、お極(きま)りだけ御勘定の中に頂いてありますから。……これでは、玉の手を握ろう、紅(もみ)の袴(はかま)を引こうと、乗出し、泳上る自信の輩(やから)の頭(こうべ)を、幣結(しでゆ)うた榊(さかき)をもって、そのあしきを払うようなものである。
 いわんや、銑吉のごとき、お月掛なみの氏子(うじこ)をや。
 その志を、あわれむ男が、いくらか思(おもい)を通わせてやろうという気で。……
「小県の惚れ方は大変だよ。」
「…………」
「嬉しいだろう。」
「ええ。」
 目で、ツンと澄まして、うけ口をちょっとしめて、莞爾(にっこり)……
「嬉しいですわ。」
 しかも、銑吉が同座で居た。
 余計な事だが――一説がある。お誓はうまれが東京だというのに「嬉しいですわ。」は、おかしい。この言葉づかいは、銀座あるきの紳士、学生、もっぱら映画の弁士などが、わざと粋がって「避暑に行ったです。」「アルプスへ上るです。」と使用するが、元来は訛(なまり)である。恋われて――いやな言葉づかいだが――挨拶(あいさつ)をするのに、「嬉しいですわ。
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