木の子説法
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著者名:泉鏡花 

「――鱧(はも)あみだ仏(ぶつ)、はも仏と唱うれば、鮒(ふな)らく世界に生れ、鯒(こち)へ鯒へと請(しょう)ぜられ……仏と雑魚(ざこ)して居べし。されば……干鯛(ひだい)貝らいし、真経には、蛸(たこ)とくあのく鱈(たら)――」
 ……時節柄を弁(わきま)えるがいい。蕎麦(そば)は二銭さがっても、このせち辛さは、明日の糧を思って、真面目(まじめ)にお念仏でも唱えるなら格別、「蛸とくあのく鱈。」などと愚にもつかない駄洒落(だじゃれ)を弄(もてあそ)ぶ、と、こごとが出そうであるが、本篇に必要で、酢にするように切離せないのだから、しばらく御海容を願いたい。
「……干鯛かいらいし……ええと、蛸とくあのく鱈、三百三もんに買うて、鰤菩薩(ぶりぼさつ)に参らする――ですか。とぼけていて、ちょっと愛嬌(あいきょう)のあるものです。ほんの一番だけ、あつきあい下さいませんか。」
 こう、つれに誘われて、それからの話である。「蛸とくあのくたら。」しかり、これだけに対しても、三百三もんがほどの価値(ねうち)をお認めになって、口惜(くやし)い事はあるまいと思う。
 つれは、毛利一樹(いちじゅ)、という画工(えかき)さんで、多分、挿画家(そうがか)協会会員の中に、芳名が列(つらな)っていようと思う。私は、当日、小作(しょうさく)の挿画(さしえ)のために、場所の実写を誂(あつら)えるのに同行して、麻布我善坊(あざぶがぜんぼう)から、狸穴(まみあな)辺――化けるのかと、すぐまたおなかまから苦情が出そうである。が、憚(はばか)りながらそうではない。我ながらちょっとしおらしいほどに思う。かつて少年の頃、師家の玄関番をしていた折から、美しいその令夫人のおともをして、某子爵家の、前記のあたりの別荘に、栗を拾いに来た。拾う栗だから申すまでもなく毬(いが)のままのが多い。別荘番の貸してくれた鎌で、山がかりに出来た庭裏の、まあ、谷間で。御存じでもあろうが、あれは爪先(つまさき)で刺々(とげとげ)を軽く圧(おさ)えて、柄(え)を手許(てもと)へ引いて掻(か)く。……不器用でも、これは書生の方がうまかった。令夫人は、駒下駄(こまげた)で圧えても転げるから、褄(つま)をすんなりと、白い足袋はだし、それでも、がさがさと針を揺(ゆす)り、歯を剥(む)いて刎(は)ねるから、憎らしい……と足袋もとって、雪を錬(ね)りものにしたような素足で、裳(もすそ)をしなやかに、毬栗(いがぐり)を挟んでも、ただすんなりとして、露に褄もこぼれなかった。――この趣(おもむき)を写すのに、画工(えかき)さんに同行を願ったのである。これだと、どうも、そのまま浮世絵に任せたがよさそうに思われない事もない。が、そうすると、さもしいようだが、作者の方が飯にならぬ。そッとして置く。
 もっとも三十年も以前の思出である。もとより別荘などは影もなくなった。が、狸穴、我善坊の辺だけに、引潮のあとの海松(みる)に似て、樹林は土地の隅々に残っている。餅屋が構図を飲込んで、スケッチブックを懐に納めたから、ざっと用済みの処、そちこち日暮だ。……大和田は程遠し、ちと驕(おご)りになる……見得を云うまい、これがいい、これがいい。長坂の更科(さらしな)で。我が一樹も可なり飲(い)ける、二人で四五本傾けた。
 時は盂蘭盆(うらぼん)にかかって、下町では草市が立っていよう。もののあわれどころより、雲を掻裂きたいほど蒸暑かったが、何年にも通った事のない、十番でも切ろうかと、曾我ではなけれど気が合って歩行(ある)き出した。坂を下りて、一度ぐっと低くなる窪地(くぼち)で、途中街燈の光が途絶えて、鯨が寝たような黒い道があった。鳥居坂の崖下(がけした)から、日(ひ)ヶ窪の辺らしい。一所(ひとところ)、板塀の曲角に、白い蝙蝠(こうもり)が拡(ひろが)ったように、比羅(びら)が一枚貼(は)ってあった。一樹が立留まって、繁った樫(かし)の陰に、表町の淡い燈(ひ)にすかしながら、その「――干鯛かいらいし――……蛸とくあのくたら――」を言ったのである。
「魚説法(うおせっぽう)、というのです――狂言があるんですね。時間もよし、この横へ入った処らしゅうございますから。」
 すぐ角を曲るように、樹の枝も指せば、おぼろげな番組の末に箭(や)の標示がしてあった。古典な能の狂言も、社会に、尖端(せんたん)の簇(やじり)を飛ばすらしい。けれども、五十歩にたりぬ向うの辻の柳も射ない。のみならず、矢竹の墨が、ほたほたと太く、蓑(みの)の毛を羽にはいだような形を見ると、古俳諧にいわゆる――狸を威(おど)す篠張(しのはり)の弓である。
 これもまた……面白い。
「おともしましょう、望む処です。」
 気競(きお)って言うまで、私はいい心持に酔っていた。

「通りがかりのものです。……臨時に見物をしたいと存じますのですが。」
「望む所でございます。」
 と、式台正面を横に、卓子(テエブル)を控えた、受附世話方の四十年配の男の、紋附の帷子(かたびら)で、舞袴(まいばかま)を穿(は)いたのが、さも歓迎の意を表するらしく気競(きお)って言った。これは私たちのように、酒気(さけけ)があったのでは決してない。
 切符は五十銭である。第一、順と見えて、六十を越えたろう、白髪(しらが)のお媼(ばあ)さんが下足(げた)を預るのに、二人分に、洋杖(ステッキ)と蝙蝠傘を添えて、これが無料で、蝦蟇口(がまぐち)を捻(ひね)った一樹の心づけに、手も触れない。
 この世話方の、おん袴に対しても、――(たかが半円だ、ご免を被って大きく出ておけ。)――軽少過ぎる。卓子(テエブル)を並べて、謡本少々と、扇子が並べてあったから、ほんの松の葉の寸志と見え、一樹が宝生雲の空色なのを譲りうけて、その一本を私に渡し、
「いかが。」
「これも望む処です。」
 つい私は莞爾(にっこり)した。扇子店(おうぎみせ)の真上の鴨居(かもい)に、当夜の番組が大字(だいじ)で出ている。私が一わたり読み取ったのは、唯今(ただいま)の塀下ではない、ここでの事である。合せて五番。中に能の仕舞もまじって、序からざっと覚えてはいるが――狸の口上らしくなるから一々は記すまい。必要なのだけを言おう。
 必要なのは――魚説法――に続く三番目に、一(ひとつ)、茸(きのこ)、(くさびら。)――鷺(さぎ)、玄庵――の曲である。
 道の事はよくは知らない。しかし鷺の姿は、近ごろ狂言の流(ながれ)に影は映らぬと聞いている。古い隠居か。むかしものの物好(ものずき)で、稽古(けいこ)を積んだ巧者が居て、その人たち、言わば素人の催しであろうも知れない。狸穴近所には相応(ふさわ)しい。が、私のいうのは流儀の事ではない。曲である。
 この、茸――
 慌(あわただ)しいまでに、一樹が狂言を見ようとしたのも、他(ほか)のどの番組でもなく、ただこれあるがためであろう、と思う仔細(しさい)がある。あたかも一樹が、扇子のせめを切りながら、片手の指のさきで軽く乳のあたりと思う胸をさすって、返す指で、左の目を圧(おさ)えたのを見るにつけても。……
 一樹を知ったほどのもので、画工(えかき)さんの、この癖を認めないものはなかろう。ちょいと内証で、人に知らせないように遣(や)る、この早業(はやわざ)は、しかしながら、礼拝と、愛撫と、謙譲と、しかも自恃(ほこり)をかね、色を沈静にし、目を清澄にして、胸に、一種深き人格を秘したる、珠玉を偲(しの)ばせる表顕(ひょうげん)であった。
 こういううちにも、舞台――舞台は二階らしい。――一間四面の堂の施主が、売僧(まいす)の魚説法を憤って、
「――おのれ何としょうぞ――」
「――打たば打たしめ、棒鱈(ぼうだら)か太刀魚(たちうお)でおうちあれ――」
「――おのれ、また打擲(ちょうちゃく)をせいでおこうか――」
「――ああ、いかな、かながしらも堪(たま)るものではない――」
「――ええ、苦々しいやつかな――」
「――いり海老(えび)のような顔をして、赤目張(あかめば)るの――」
「――さてさて憎いやつの――」
 相当の役者と見える。声が玄関までよく通って、その間に見物の笑声(わらいごえ)が、どッと響いた。
「さあ、こちらへどうぞ、」
「憚(はばか)り様。」
 階子段(はしごだん)は広い。――先へ立つ世話方の、あとに続く一樹、と並んで、私の上りかかる処を、あがり口で世話方が片膝をついて、留まって、「ほんの仮舞台、諸事不行届きでありまして。」
 挨拶(あいさつ)するのに、段を覗込(のぞきこ)んだ。その頭と、下から出かかった頭が二つ……妙に並んだ形が、早や横正面に舞台の松と、橋がかりの一二三の松が、人波をすかして、揺れるように近々と見えるので……ややその松の中へ、次の番組の茸が土を擡(もた)げたようで、余程おかしい。……いや、高砂(たかさご)の浦の想われるのに対しては、むしろ、むくむくとした松露であろう。
 その景色の上を、追込まれの坊主が、鰭(ひれ)のごとく、キチキチと法衣(ころも)の袖(そで)を煽(あお)って、
「――こちゃただ飛魚(とびうお)といたそう――」
「――まだそのつれを言うか――」
「――飛魚しょう、飛魚しょう――」
 と揚幕へ宙を飛んだ――さらりと落す、幕の隙(すき)に、古畳と破障子(やれしょうじ)が顕(あら)われて、消えた。……思え、講釈だと、水戸黄門が竜神の白頭(しろがしら)、床几(しょうぎ)にかかり、奸賊(かんぞく)紋太夫を抜打に切って棄てる場所に……伏屋(ふせや)の建具の見えたのは、どうやら寂(さ)びた貸席か、出来合の倶楽部などを仮に使った興行らしい。
 見た処、大広間、六七十畳、舞台を二十畳ばかりとして、見物は一杯とまではない、が賑(にぎやか)であった。
 この暑さに、五つ紋の羽織も脱がない、行儀の正しいのもあれば、浴衣で腕まくりをしたのも居る。――裾模様(すそもよう)の貴婦人、ドレスの令嬢も見えたが、近所居まわりの長屋連らしいのも少くない。印半纏(しるしばんてん)さえも入れごみで、席に劃(しきり)はなかったのである。
 で、階子(はしご)の欄干際を縫って、案内した世話方が、
「あすこが透いております。……どうぞ。」
 と云った。脇正面、橋がかりの松の前に、肩膝を透いて、毛氈(もうせん)の緋(ひ)が流れる。色紙、短冊でも並びそうな、おさらいや場末の寄席(よせ)気分とは、さすが品(しな)の違った座をすすめてくれたが、裾模様、背広連が、多くその席を占めて、切髪の後室も二人ばかり、白襟で控えて、金泥(きんでい)、銀地の舞扇まで開いている。
 われら式、……いや、もうここで結構と、すぐその欄干に附着(くッつ)いた板敷へ席を取ると、更紗(さらさ)の座蒲団(ざぶとん)を、両人に当てがって、
「涼(すずし)い事はこの辺が一等でして。」
 と世話方は階子を下りた。が、ひどく蒸暑い。
「御免を被って。」
「さあ、脱ぎましょう。」
 と、こくめいに畳んで持った、手拭(てぬぐい)で汗を拭(ふ)いた一樹が、羽織を脱いで引(ひっ)くるめた。……羽織は、まだしも、世の中一般に、頭に被(かぶ)るものと極(きま)った麦藁(むぎわら)の、安値なのではあるが夏帽子を、居かわり立直る客が蹴散(けち)らし、踏挫(ふみひし)ぎそうにする……
 また幕間で、人の起居(たちい)は忙しくなるし、あいにく通筋(とおりすじ)の板敷に席を取ったのだから堪(たま)らない。膝の上にのせれば、跨(また)ぐ。敷居に置けば、蹴る、脇へずらせば踏もうとする。
「ちょッ。」
 一樹の囁(ささや)く処によれば、こうした能狂言の客の不作法さは、場所にはよろうが、芝居にも、映画場にも、場末の寄席にも比較しようがないほどで。男も女も、立てば、座(すわ)ったものを下人(げにん)と心得る、すなわち頤(あご)の下に人間はない気なのだそうである。
 中にも、こども服のノーテイ少女、モダン仕立ノーテイ少年の、跋扈跳梁(ばっこちょうりょう)は夥多(おびただ)しい。……
 おなじ少年が、しばらくの間に、一度は膝を跨(また)ぎ、一度は脇腹を小突き、三度目には腰を蹴つけた。目まぐろしく湯呑所(ゆのみじょ)へ通ったのである。
 一樹が、あの、指を胸につけ、その指で、左の目をおさえたと思うと、
「毬栗(いがぐり)は果報ものですよ。」
 私を見て苦笑(にがわらい)しながら、羽織でくるくると夏帽子を包んで、みしと言わせて、尻にかって、投膝に組んで掌(てのひら)をそらした。
「がきに踏まれるよりこの方がさばさばします。」
 何としても、これは画工(えかき)さんのせいではない――桶屋(おけや)、鋳掛屋でもしたろうか?……静かに――それどころか!……震災前(ぜん)には、十六七で、渠(かれ)は博徒の小僧であった。
 ――家、いやその長屋は、妻恋坂下(つまごいざかした)――明神の崖うらの穴路地で、二階に一室(ひとま)の古屋(ふるいえ)だったが、物干ばかりが新しく突立(つった)っていたという。――
 これを聞いて、かねて、知っていたせいであろう。おかしな事には、いま私たちが寄凭(よりかか)るばかりにしている、この欄干が、まわりにぐるりと板敷を取って、階子壇(はしごだん)を長方形の大穴に抜いて、押廻わして、しかも新しく切立っているので、はじめから、たとえば毛利一樹氏、自叙伝中の妻恋坂下の物見に似たように思われてならなかったのである。

「――これはこのあたりのものでござる――」
 藍(あい)の長上下(なががみしも)、黄の熨斗目(のしめ)、小刀をたしなみ、持扇(もちおうぎ)で、舞台で名のった――脊の低い、肩の四角な、堅くなったか、癇(かん)のせいか、首のやや傾(かし)いだアドである。

「――某(それがし)が屋敷に、当年はじめて、何とも知れぬくさびらが生えた――ひたもの取って捨つれども、夜(よ)の間には生え生え、幾たび取ってもまたもとのごとく生ゆる、かような不思議なことはござらぬ――」

 鷺玄庵、シテの出る前に、この話の必要上、一樹――本名、幹次郎(みきじろう)さんの、その妻恋坂の時分の事を言わねばならぬ。はじめ、別して酔った時は、幾度も画工(えかき)さんが話したから、私たちはほとんどその言葉通りといってもいいほど覚えている。が、名を知られ、売れッこになってからは、気振(けぶ)りにも出さず、事の一端に触れるのをさえ避けるようになった。苦心談、立志談は、往々にして、その反対の意味の、自己吹聴(ふいちょう)と、陰性の自讃、卑下高慢になるのに気附いたのである。談中――主なるものは、茸(きのこ)で、渠(かれ)が番組の茸を遁(に)げて、比羅(びら)の、蛸(たこ)のとあのくたらを説いたのでも、ほぼ不断の態度が知れよう。
 但し、以下の一齣(ひとくさり)は、かつて、一樹、幹次郎が話したのを、ほとんどそのままである。

「――その年の残暑の激しさといってはありませんでした。内中皆裸体(はだか)です。六畳に三畳、二階が六畳という浅間ですから、開放しで皆見えますが、近所が近所だから、そんな事は平気なものです。――色気も娑婆気(しゃばけ)も沢山な奴等(やつら)が、たかが暑いくらいで、そんな状(ざま)をするのではありません。実はまるで衣類がない。――これが寒中だと、とうの昔凍え死んで、こんな口を利くものは、貴方がたの前に消えてしまっていたんでしょうね。
 男はまだしも、婦(おんな)もそれです。ご新姐(しんぞ)――いま時、妙な呼び方で。……主人が医師(いしゃ)の出来損いですから、出来損いでも奥さん。……さしあたってな小博打(こばくち)が的(あて)だったのですから、三下(さんした)の潜(もぐ)りでも、姉さん。――話のついでですが、裸の中の大男の尻の黄色なのが主人で、汚れた畚褌(もっこふんどし)をしていたのです、褌が畚じゃ、姉(あね)ごとは行きません。それにした処で、姉(あね)さんとでも云うべき処を、ご新姐――と皆が呼びましたのは。――
 万世橋向うの――町の裏店(うらだな)に、もと洋服のさい取を萎(なや)して、あざとい碁会所をやっていた――金六、ちゃら金という、野幇間(のだいこ)のような兀(はげ)のちょいちょい顔を出すのが、ご新姐、ご新姐という、それがつい、口癖になったんですが。――膝股(ひざもも)をかくすものを、腰から釣(つる)したように、乳を包んだだけで。……あとはただ真白(まっしろ)な……冷い……のです。冷い、と極(き)めたのは妙ですけれども、飢えて空腹(ひだる)くっているんだから、夏でも火気はありますまい。死(しに)ぎわに熱でも出なければ――しかし、若いから、そんなに痩(や)せ細ったほどではありません。中肉で、脚のすらりと、小股(こまた)のしまった、瓜(うり)ざね顔で、鼻筋の通った、目の大(おおき)い、無口で、それで、ものいいのきっぱりした、少し言葉尻の上る、声に歯ぎれの嶮(けん)のある、しかし、気の優しい、私より四つ五つ年上で――ただうつくしいというより仇(あだ)っぽい婦人(おんな)だったんです。何しろその体裁ですから、すなおな髪を引詰(ひッつ)めて櫛巻(くしまき)でいましたが、生際が薄青いくらい、襟脚が透通って、日南(ひなた)では消えそうに、おくれ毛ばかり艶々(つやつや)として、涙でしょう、濡れている。悲惨な事には、水ばかり飲むものだから、身籠(みごも)ったようにかえってふくれて、下腹のゆいめなぞは、乳の下を縊(くび)ったようでしたよ。
 空腹(すきはら)にこたえがないと、つよく紐(ひも)をしめますから、男だって。……
 お雪さん――と言いました。その大切な乳をかくす古手拭は、膚(はだ)に合った綺麗好きで、腰のも一所に、ただ洗いただ洗いするんですから、油旱(あぶらでり)の炎熱で、銀粉のようににじむ汗に、ちらちらと紗(しゃ)のように靡(なび)きました。これなら干ぼしになったら、すぐ羽にかわって欄間を飛ぶだろうと思ったほどです。いいえ、天人なぞと、そんな贅沢(ぜいたく)な。裏長屋ですもの、くさばかげろうの幽霊です。
 その手拭が、娘時分に、踊のお温習(さらい)に配ったのが、古行李(ふるこうり)の底かなにかに残っていたのだから、あわれですね。
 千葉だそうです。千葉の町の大きな料理屋、万翠楼(ばんすいろう)の姉娘が、今の主人の、その頃医学生だったのと間違って。……ただ、それだけではないらしい。学生の癖に、悪く、商売人じみた、はなを引く、賭碁(かけご)を打つ。それじゃ退学にならずにいません。佐原の出で、なまじ故郷が近いだけに、外聞かたがた東京へ遁出(にげだ)した。姉娘があとを追って遁げて来て――料理屋の方は、もっとも継母だと聞きましたが――帰れ、と云うのを、男が離さない。女も情を立てて帰らないから、両方とも、親から勘当になったんですね、親類義絶――つまるところ。
 一枚、畚褌の上へ引張(ひっぱ)らせると、脊は高し、幅はあり、風采(ふうさい)堂々たるものですから、まやかし病院の代診なぞには持って来いで、あちこち雇われもしたそうですが、脉(みゃく)を引く前に、顔の真中(まんなか)を見るのだから、身が持てないで、その目下の始末で。……
 変に物干ばかり新しい、妻恋坂下へ落ちこぼれたのも、洋服の月賦払(げっぷばらい)の滞(とどこおり)なぞから引(ひっ)かかりの知己(ちかづき)で。――町の、右の、ちゃら金のすすめなり、後見なり、ご新姐の仇(あだ)な処をおとりにして、碁会所を看板に、骨牌賭博(かるたばくち)の小宿(こやど)という、もくろみだったらしいのですが、碁盤の櫓(やぐら)をあげる前に、長屋の城は落ちました。どの道落ちる城ですが、その没落をはやめたのは、慾(よく)にあせって、怪しい企(たくらみ)をしたからなんです。
 質の出入れ――この質では、ご新姐の蹴出し……縮緬(ちりめん)のなぞはもう疾(とっ)くにない、青地のめりんす、と短刀一口(ひとふり)。数珠一聯(れん)。千葉を遁げる時からたしなんだ、いざという時の二品(ふたしな)を添えて、何ですか、三題話のようですが、凄(すご)いでしょう。……事実なんです。貞操の徴(しるし)と、女の生命とを預けるんだ。――(何とかじゃ築地へ帰(けえ)られねえ。)――何の事だかわかりませんがね、そういって番頭を威(おど)かせ、と言いつかった通り、私が(一樹、幹次郎、自分をいう。)使(つかい)に行ったんです。冷汗(ひやあせ)を流して、談判の結果が三分、科学的に数理で顕(あらわ)せば、七十と五銭ですよ。
 お雪さんの身になったらどうでしょう。じか肌と、自殺を質に入れたんですから。自殺を質に入れたのでは、死ぬよりもつらいでしょう。――
 ――当時、そういった様子でしてね。質の使、笊(ざる)でお菜漬(はづけ)の買ものだの、……これは酒よりは香(におい)が利きます。――はかり炭、粉米(こごめ)のばら銭買の使いに廻らせる。――わずかの縁に縋(すが)ってころげ込んだ苦学の小僧、(再び、一樹、幹次郎自分をいう。)には、よくは、様子は分らなかったんですが、――ちゃら金の方へ、鴨(かも)がかかった。――そこで、心得のある、ここの主人(あるじ)をはじめ、いつもころがり込んでいる、なかまが二人、一人は検定試験を十年来落第の中老の才子で、近頃はただ一攫千金(いっかくせんきん)の投機を狙(ねら)っています。一人は、今は小使を志願しても間に合わない、慢性の政治狂と、三個(さんにん)を、紳士、旦那、博士に仕立てて、さくら、というものに使って、鴨を剥(はい)いで、骨までたたこうという企謀(たくらみ)です。
 前々から、ちゃら金が、ちょいちょい来ては、昼間の廻燈籠(まわりどうろう)のように、二階だの、濡縁(ぬれえん)だの、薄羽織と、兀頭(はげあたま)をちらちらさして、ひそひそと相談をしていましたっけ。
 当日は、小僧に一包み衣類を背負(しょ)わして――損料です。黒絽(くろろ)の五つ紋に、おなじく鉄無地のべんべらもの、くたぶれた帯などですが、足袋まで身なりが出来ました。そうは資本(もとで)が続かないからと、政治家は、セルの着流しです。そのかわり、この方は山高帽子で――おやおや忘れた――鉄無地の旦那に被(かぶ)せる帽子を。……そこで、小僧のを脱がせて、鳥打帽です。
 ――覚えていますが、その時、ちゃら金が、ご新姐に、手づくりのお惣菜、麁末(そまつ)なもの、と重詰の豆府滓(とうふがら)、……卯(う)の花を煎(い)ったのに、繊(せん)の生姜(しょうが)で小気転を利かせ、酢にした□鰯(しこいわし)で気前を見せたのを一重。――きらずだ、繋(つな)ぐ、見得(けんとく)がいいぞ、吉左右(きっそう)! とか言って、腹が空(す)いているんですから、五つ紋も、仙台平(ひら)も、手づかみの、がつがつ喰(ぐい)。……
 で、それ以来――事件の起りました、とりわけ暑い日になりますまで、ほとんど誰も腹に堪(たま)るものは食わなかったのです。――……つもっても知れましょうが、講談本にも、探偵ものにも、映画にも、名の出ないほどの悪徒なんですから、その、へまさ加減。一つ穴のお螻(けら)どもが、反対に鴨にくわれて、でんぐりかえしを打ったんですね。……夜になって、炎天の鼠(ねずみ)のような、目も口も開かない、どろどろで帰って来た、三人のさくらの半間さを、ちゃら金が、いや怒るの怒らないの。……儲けるどころか、対手方(あいてかた)に大分の借(かり)が出来た、さあどうする。……で、損料……立処(たちどころ)に損料を引剥(ひっぱ)ぐ。中にも落第の投機家なぞは、どぶつで汗ッかき、おまけに脚気(かっけ)を煩っていたんだから、このしみばかりでも痛事(いたごと)ですね。その時です、……洗いざらい、お雪さんの、蹴出しと、数珠と、短刀の人身御供(ひとみごくう)は――
 まだその上に、無慙(むざん)なのは、四歳(よッつ)になる男の児(こ)があったんですが、口癖に――おなかがすいた――おなかがすいた――と唱歌のように唱(うた)うんです。
(――かなしいなあ――)
 お雪さんは、その、きっぱりした響く声で。……どうかすると、雨が降過ぎても、
(――かなしいなあ――)
 と云う一つ癖があったんです。尻上りに、うら悲しい……やむ事を得ません、得ませんけれども、悪い癖です。心得なければ不可(いけ)ませんね。
 幼い時聞いて、前後(あとさき)うろ覚えですが、私の故郷の昔話に、(椿(つばき)ばけ――ばたり。)農家のひとり子で、生れて口をきくと、(椿ばけ――ばたり。)と唖(おし)の一声ではないけれども、いくら叱っても治らない。弓が上手で、のちにお城に、もののけがあって、国の守(かみ)が可恐(おそろし)い変化(へんげ)に悩まされた時、自から進んで出て、奥庭の大椿に向っていきなり矢を番(つが)えた。(椿ばけ――ばたり。)と切って放すと、枝も葉も萎々(なえなえ)となって、ばたり。で、国のやみが明(あかる)くなった――そんな意味だったと思います。言葉は気をつけなければ不可(いけ)ませんね。
 食不足で、ひくひく煩っていた男の児(こ)が七転八倒します。私は方々の医師(いしゃ)へ駆附けた。が、一人も来ません。お雪さんが、抱いたり、擦(さす)ったり、半狂乱でいる処へ、右の、ばらりざんと敗北した落武者が這込(はいこ)んで来た始末で……その悲惨さといったらありません。
 食あたりだ。医師(いしゃ)のお父さんが、診察をしたばかりで、薮(やぶ)だからどうにも出来ない。あくる朝なくなりました。きらずに煮込んだ剥身(むきみ)は、小指を食切るほどの勢(いきおい)で、私も二つ三つおすそわけに預るし、皆も食べたんですから、看板の□(しこ)のせいです。幾月ぶりかの、お魚だから、大人は、坊やに譲ったんです。その癖、出がけには、坊や、晩には玉子だぞ。お土産は電車だ、と云って出たんですのに。――
 お雪さんは、歌磨の絵の海女(あま)のような姿で、鮑(あわび)――いや小石を、そッと拾っては、鬼門をよけた雨落(あまおち)の下へ、積み積みしていたんですね。
(――かなしいなあ――)
 めそめそ泣くような質(たち)ではないので、石も、日も、少しずつ積りました。
 ――さあ、その残暑の、朝から、旱(て)りつけます中へ、端書(はがき)が来ましてね。――落目もこうなると、めったに手紙なんぞ覗(のぞ)いた事のないのに、至急、と朱がきのしてあったのを覚えています。ご新姐あてに、千葉から荷が着いている。お届けをしようか、受取りにおいで下さるか、という両国辺の運送問屋から来たのでした。
 品物といえば釘の折でも、屑屋(くずや)へ売るのに欲(ほし)い処。……返事を出す端書が買えないんですから、配達をさせるなぞは思いもよらず……急いで取りに行く。この使(つかい)の小僧ですが、二日ばかりというもの、かたまったものは、漬菜(つけな)の切れはし、黒豆一粒入っていません。ほんとうのひもじさは、話では言切れない、あなた方の腹がすいたは、都合によってすかせるのです。いいえ、何も喧嘩をするのじゃありません、おわかりにならんと思いますから、よしますが。
 もっとも、その前日も、金子(かね)無心の使に、芝の巴町(ともえちょう)附近辺(あたり)まで遣られましてね。出来ッこはありません。勿論、往復とも徒歩(てく)なんですから、帰途(かえり)によろよろ目が眩(くら)んで、ちょうど、一つ橋を出ようとした時でした。午砲(どん)!――あの音で腰を抜いたんです。土を引掻(ひッか)いて起上がる始末で、人間もこうなると浅間しい。……行暮れた旅人が灯をたよるように、山賊の棲(す)でも、いかさま碁会所でも、気障(きざ)な奴でも、路地が曲りくねっていても、何となく便(たよ)る気が出て。――町のちゃら金の店を覗くと、出窓の処に、忠臣蔵の雪の夜討の炭部屋の立盤子(たてばんこ)を飾って、碁盤が二三台。客は居ません。ちゃら金が、碁盤の前で、何だか古い帳面を繰っておりましたっけ。(や、お入り。)金歯で呼込んで、家内が留守で蕎麦(そば)を取る処だ、といって、一つ食わしてくれました。もり蕎麦は、滝の荒行ほど、どっしりと身にこたえましたが、そのかわり、ご新姐――お雪さんに、(おい、ごく内証(ない)だぜ。)と云って、手紙を托(ことづ)けたんです。菫色(すみれいろ)の横封筒……いや、どうも、その癖、言う事は古い。(いい加減に常盤御前(ときわごぜん)が身のためだ。)とこうです。どの道そんな蕎麦だから、伸び過ぎていて、ひどく中毒(あた)って、松住町(まつずみちょう)辺をうなりながら歩くうちに、どこかへ落してしまいましたが。
 ――今度は、どこで倒れるだろう。さあ使いに行く。着るものは――
 私の田舎の叔母が一枚送ってくれた単衣(ひとえ)を、病人に着せてあるのを剥(は)ぐんです。その臭さというものは。……とにかく妻恋坂下の穴を出ました。
 こんなにしていて、どうなるだろう。櫓(やぐら)のような物干を見ると、ああ、いつの間にか、そこにも片隅に、小石が積んであるんです。何ですか、明神様の森の空が、雲で真暗(まっくら)なようでした。
 鰻屋(うなぎや)の神田川――今にもその頃にも、まるで知己(ちかづき)はありませんが、あすこの前を向うへ抜けて、大通りを突切(つっき)ろうとすると、あの黒い雲が、聖堂の森の方へと馳(はし)ると思うと、頭の上にかぶさって、上野へ旋風(つむじかぜ)を捲(ま)きながら、灰を流すように降って来ました。ひょろひょろの小僧は、叩きつけられたように、向う側の絵草紙屋の軒前(のきさき)へ駆込んだんです。濡れるのを厭(いと)いはしません。吹倒されるのが可恐(おそろし)かったので、柱へつかまった。
 一軒隣に、焼芋屋がありましてね。またこの路地裏の道具屋が、私の、東京ではじめて草鞋(わらじ)を脱いだ場所で、泊めてもらった。しかもその日、晩飯を食わせられる時、道具屋が、めじの刺身を一臠(ひときれ)箸(はし)で挟んで、鼻のさきへぶらさげて、東京じゃ、これが一皿、じゃあない、一臠、若干金(いくら)につく。……お前たちの二日分の祭礼(まつり)の小遣いより高い、と云って聞かせました。――その時以来、腹のくちい、という味を知らなかったのです。しかし、ぼんやり突立(つった)っては、よくこの店を覗(のぞ)いたものです。――横なぐりに吹込みますから、古風な店で、半分蔀(ひよけ)をおろしました。暗くなる……薄暗い中に、颯(さっ)と風に煽(あお)られて、媚(なま)めかしい婦(おんな)の裙(もすそ)が燃えるのかと思う、あからさまな、真白(まっしろ)な大きな腹が、蒼(あお)ざめた顔して、宙に倒(さかさま)にぶら下りました。……御存じかも知れません、芳年(よしとし)の月百姿の中の、安達(あだち)ヶ原、縦絵二枚続(にまいつづき)の孤家(ひとつや)で、店さきには遠慮をする筈(はず)、別の絵を上被(うわっぱ)りに伏せ込んで、窓の柱に掛けてあったのが、暴風雨(あらし)で帯を引裂いたようにめくれたんですね。ああ、吹込むしぶきに、肩も踵(かかと)も、わなわな震えている。……
 雨はかぶりましたし、裸のご新姐の身の上を思って……」
(――語ってここを言う時、その胸を撫でて、目を押える、ことをする。)
「まぶたを溢(あふ)れて、鼻柱をつたう大粒の涙が、唇へ甘く濡れました。甘い涙。――いささか気障(きざ)ですが、うれしい悲しいを通り越した、辛い涙、渋い涙、鉛の涙、男女の思迫(おもいせま)った、そんな味は覚えがない、ひもじい時の、芋の涙、豆の涙、餡(あん)ぱんの涙、金鍔(きんつば)の涙。ここで甘い涙と申しますのは。――結膜炎だか、のぼせ目だか、何しろ弱り目に祟(たた)り目でしょう。左の目が真紅(まっか)になって、渋くって、辛くって困りました時、お雪さんが、乳を絞って、つぎ込んでくれたのです。
(――かなしいなあ――)
 走りはしません、ぽたぽたぐらい。一人児(ひとりっこ)だから、時々飲んでいたんですが、食が少いから涸(か)れがちなんです。私を仰向(あおむ)けにして、横合から胸をはだけて、……まだ袷(あわせ)、お雪さんの肌には微(かす)かに紅(くれない)の気(け)のちらついた、春の末でした。目をはずすまいとするから、弱腰を捻(ひね)って、髷(まげ)も鬢(びん)もひいやりと額にかかり……白い半身が逆になって見えましょう。……今時……今時……そんな古風な、療治を、禁厭(まじない)を、するものがあるか、とおっしゃいますか。ええ、おっしゃい。そんな事は、まだその頃ありました、精盛薬館、一二(おいちに)を、掛売で談ずるだけの、余裕があっていう事です。
 このありさまは、ちょっと物議になりました。主人(あるじ)の留守で。二階から覗いた投機家が、容易ならぬ沙汰をしたんですが、若い燕だか、小僧の蜂だか、そんな詮議(せんぎ)は、飯を食ったあとにしようと、徹底した空腹です。
 それ以来、涙が甘い。いまそのこぼれるにつけても、さかさに釣られた孤家(ひとつや)の女の乳首が目に入って来そうで、従って、ご新姐の身の上に、いつか、おなじ事でもありそうでならなかった。――予感というものはあるものでしょうか。
 その日の中(うち)に、果しておなじような事が起ったんです。――それは受取った荷物……荷は籠(かご)で、茸(きのこ)です。初茸(はつたけ)です。そのために事が起ったんです。
 通り雨ですから、すぐに、赫(かっ)と、まぶしいほどに日が照ります。甘い涙の飴(あめ)を嘗(な)めた勢(いきおい)で、あれから秋葉ヶ原をよろよろと、佐久間町の河岸(かし)通り、みくら橋、左衛門橋。――とあの辺から両側には仕済(しすま)した店の深い問屋が続きますね。その中に――今思うと船宿でしょう。天井に網を揃えて掛けてあるのが見えました。故郷の市場の雑貨店で、これを扱うものがあって、私の祖父(じじい)――地方(いなか)の狂言師が食うにこまって、手内職にすいた出来上がりのこの網を、使(つかい)で持って行ったのを思い出して――もう国に帰ろうか――また涙が出る。とその涙が甘いのです。餅か、団子か、お雪さんが待っていよう。
(一銭五厘です。端書代が立替えになっておりますが。)
(つい、あの、持って来ません。)
(些細(ささい)な事ですが、店のきまりはきまりですからな。)
 年の少(わか)い手代は、そっぽうを向く。小僧は、げらげらと笑っている。
(貸して下さい。)
(お貸し申さないとは申しませんが。)
(このしるしを置いて行きます。貸して下さい。)
 私は汗じみた手拭を、懐中(ふところ)から――空腹(すきはら)をしめていたかどうかはお察し下さい――懐中から出すと、手代が一代の逸話として、よい経験を得たように、しかし、汚(きたな)らしそうに、撮(つま)んで拡(ひろ)げました。
(よう!)と反(そ)りかえった掛声をして、
(みどり屋、ゆき。――荷は千葉と。――ああ、万翠楼だ。……医師(いしゃ)と遁(に)げた、この別嬪(べっぴん)さんの使ですかい、きみは。……ぼくは店用で行って知ってるよ。……果報ものだね、きみは。……可愛がってくれるだろう。雪白肌の透綾娘(すきあやむすめ)は、ちょっと浮気ものだというぜ。)
 と言やあがった……
 その透綾娘は、手拭の肌襦袢(はだじゅばん)から透通った、肩を落して、裏の三畳、濡縁の柱によっかかったのが、その姿ですから、くくりつけられでもしたように見えて、ぬの一重の膝の上に、小児(こども)の絵入雑誌を拡げた、あの赤い絵の具が、腹から血ではないかと、ぞっとしたほど、さし俯向(うつむ)いて、顔を両手でおさえていました。――やっと小僧が帰った時です。――
(来たか、荷物は。)
 と二階から、力のない、鼻の詰(つま)った大(おおき)な声。
(初茸ですわ。)
 と、きっぱりと、投上げるように、ご新姐が返事をすると、
(あああ、銭(ぜに)にはならずか――食おう。)
 と、また途方もない声をして、階子段(はしごだん)一杯に、大(おおきな)な男が、褌(ふんどし)を真正面(まっしょうめん)に顕(あら)われる。続いて、足早に刻(きざ)んで下りたのは、政治狂の黒い猿股(さるまた)です。ぎしぎしと音がして、青黄色に膨れた、投機家が、豚を一匹、まるで吸った蛭(ひる)のように、ずどうんと腰で摺(ず)り、欄干に、よれよれの兵児帯(へこおび)をしめつけたのを力綱に縋(すが)って、ぶら下がるように楫(かじ)を取って下りて来る。脚気(かっけ)がむくみ上って、もう歩けない。
 小児(こども)のつかった、おかわを二階に上げてあるんで、そのわきに西瓜(すいか)の皮が転がって、蒼蠅(あおばえ)が集(たか)っているのを視(み)た時ほど、情(なさけ)ない思いをした事は余りありません。その二階で、三人、何をしているかというと、はなをひくか、あの、泥石の紙の盤で、碁を打っていたんですがね。
 欠けた瀬戸火鉢は一つある。けれども、煮ようたって醤油(しょうゆ)なんか思いもよらない。焼くのに、炭の粉(こ)もないんです。政治狂が便所わきの雨樋(あまどい)の朽ちた奴を……一雨ぐらいじゃ直ぐ乾く……握り壊して来る間に、お雪さんは、茸に敷いた山草を、あの小石の前へ挿しましたっけ。古新聞で火をつけて、金網をかけました。処で、火気は当るまいが、溢出(はみで)ようが、皆引掴(ひッつか)んで頬張る気だから、二十ばかり初茸(はつたけ)を一所に載せた。残らず、薄樺色(うすかばいろ)の笠を逆(さかさ)に、白い軸を立てて、真中(まんなか)ごろのが、じいじい音を立てると、……青い錆(さび)が茸の声のように浮いて動く。
(塩はどうした。)
(ござんせん。)
(魚断(うおだち)、菜断(さいだち)、穀断(こくだち)と、茶断(ちゃだち)、塩断(しおだち)……こうなりゃ鯱立(しゃっちょこだ)ちだ。)
 と、主人(あるじ)が、どたりと寝て、両脚を大の字に開くと、
(あああ、待ちたまえ、逆(さかさ)になった方が、いくらか空腹(ひだる)さが凌(しの)げるかも知れんぞ。経験じゃ。)
 と政治狂が、柱へ、うんと搦(から)んで、尻を立てた。
(ぼくは、はや、この方が楽で、もう遣っとるが。)
 と、水浸しの丸太のような、脚気の足を、襖(ふすま)の破(や)れ桟に、ぶくぶくと掛けている。
(幹もやれよ。)
 と主人(あるじ)が、尻で尺蠖虫(しゃくとりむし)をして、足をまた突張(つっぱ)って、
(成程、気がかわっていい、茸は焼けろ、こっちはやけだ。)
 その挙げた足を、どしんと、お雪さんの肩に乗せて、柔かな細頸(ほそくび)をしめた時です。
(ああ、ひもじいを逆(さかさ)にすれば、おなかが、くちいんだわね。)
 と真俯向(まうつむ)けに、頬を畳に、足が、空で一つに、ひたりとついて、白鳥が目を眠ったようです。
 ハッと思うと、私も、つい、脚を天井に向けました。――その目の前で、
(男は意気地がない、ぐるぐる廻らなくっちゃあ。)
 名工のひき刀が線を青く刻んだ、小さな雪の菩薩(ぼさつ)が一体、くるくると二度、三度、六地蔵のように廻る……濃い睫毛(まつげ)がチチと瞬いて、耳朶(みみたぶ)と、咽喉(のど)に、薄紅梅の血が潮(さ)した。
(初茸と一所に焼けてしまえばいい。)
 脚気は喘(あえ)いで、白い舌を舐(な)めずり、政治狂は、目が黄色に光り、主人(あるじ)はけらけらと笑った。皆逆立ちです。そして、お雪さんの言葉に激(はげ)まされたように、ぐたぐたと肩腰をゆすって、逆(さかさま)に、のたうちました。
 ひとりでに、頭のてっぺんへ流れる涙の中(うち)に、網の初茸が、同じように、むくむくと、笠軸を動かすと、私はその下に、燃える火を思った。
 皆、咄嗟(とっさ)の間、ですが、その、廻っている乳が、ふわふわと浮いて、滑らかに白く、一列に並んだように思う……
(心配しないでね。)
 と莞爾(にっこり)していった、お雪さんの言(ことば)が、逆(さかさ)だから、(お遁(に)げ、危(あぶな)い。)と、いうように聞えて、その白い菩薩の列の、一番框(かまち)へ近いのに――導かれるように、自分の頭と足が摺(ず)って出ると、我知らず声を立てて、わッと泣きながら遁出(にげだ)したんです。
 路地口の石壇を飛上り、雲の峰が立った空へ、桟橋のような、妻恋坂の土に突立った、この時ばかり、なぜか超然として――博徒なかまの小僧でない。――ひとり気が昂(あが)ると一所に、足をなぐように、腰をついて倒れました。」

 天地震動、瓦(かわら)落ち、石崩れ、壁落つる、血煙の裡(うち)に、一樹が我に返った時は、もう屋根の中へ屋根がめり込んだ、目の下に、その物干が挫(ひしゃ)げた三徳のごとくになって――あの辺も火は疾(はや)かった――燃え上っていたそうである。
 これ――十二年九月一日の大地震であった。

「それがし、九識(くしき)の窓の前、妙乗の床のほとりに、瑜伽(ゆが)の法水を湛(たた)え――」

 時に、舞台においては、シテなにがし。――山の草、朽樹(くちき)などにこそ、あるべき茸が、人の住(すま)う屋敷に、所嫌わず生出(はえい)づるを忌み悩み、ここに、法力の験(げん)なる山伏に、祈祷(きとう)を頼もうと、橋がかりに向って呼掛けた。これに応じて、山伏が、まず揚幕の裡(うち)にて謡ったのである。が、鷺玄庵と聞いただけでも、思いも寄らない、若く艶(つや)のある、しかも取沈めた声であった。
 幕――揚る。――
「――三密の月を澄ます所に、案内(あない)申さんとは、誰(た)そ。」
 すらすらと歩を移し、露を払った篠懸(すずかけ)や、兜巾(ときん)の装(よそおい)は、弁慶よりも、判官(ほうがん)に、むしろ新中納言が山伏に出立(いでた)った凄味(すごみ)があって、且つ色白に美しい。一二の松も影を籠(こ)めて、袴(はかま)は霧に乗るように、三密の声は朗らかに且つ陰々として、月清く、風白し。化鳥(けちょう)の調の冴(さ)えがある。
「ああ、婦人だ。……鷺流(さぎりゅう)ですか。」
 私がひそかに聞いたのに、
「さあ。」
 一言いったきり、一樹が熟(じっ)と凝視(みつ)めて、見る見る顔の色がかわるとともに、二度ばかり続け様に、胸を撫(な)でて目をおさえた。
 先を急ぐ。……狂言はただあら筋を言おう。舞台には茸の数が十三出る。が、実はこの怪異を祈伏(いのりふ)せようと、三山の法力を用い、秘密の印(いん)を結んで、いら高の数珠を揉(も)めば揉むほど、夥多(おびただ)しく一面に生えて、次第に数を増すのである。
 茸は立衆(たてしゅう)、いずれも、見徳、嘯吹(うそのふき)、上髭(うわひげ)、思い思いの面を被(かぶ)り、括袴(くくりばかま)、脚絆(きゃはん)、腰帯、水衣(みずぎぬ)に包まれ、揃って、笠を被る。塗笠、檜笠(ひのきがさ)、竹子笠、菅(すげ)の笠。松茸、椎茸、とび茸、おぼろ編笠、名の知れぬ、菌(きのこ)ども。笠の形を、見物は、心のままに擬(なぞ)らえ候え。
「――あれあれ、」
 女山伏の、優しい声して、
「思いなしか、茸の軸に、目、鼻、手、足のようなものが見ゆる。」
 と言う。詞(ことば)につれて、如法の茸どもの、目を剥(む)き、舌を吐いて嘲(あざ)けるのが、憎く毒々しいまで、山伏は凛(りん)とした中(うち)にもかよわく見えた。
 いくち、しめじ、合羽(かっぱ)、坊主、熊茸、猪茸(ししたけ)、虚無僧茸(こむそうたけ)、のんべろ茸、生える、殖(ふ)える。蒸上り、抽出(ぬきいで)る。……地蔵が化けて月のむら雨に托鉢(たくはつ)をめさるるごとく、影朧(おぼろ)に、のほのほと並んだ時は、陰気が、緋(ひ)の毛氈(もうせん)の座を圧して、金銀のひらめく扇子(おうぎ)の、秋草の、露も砂子も暗かった。
 女性の山伏は、いやが上に美しい。
 ああ、窓に稲妻がさす。胸がとどろく。
 たちまち、この時、鬼頭巾に武悪の面して、極めて毒悪にして、邪相なる大茸が、傘を半開きに翳(かざ)し、みしと面(つら)をかくして顕(あら)われた。しばらくして、この傘を大開きに開く、鼻を嘯(うそぶ)き、息吹(いぶ)きを放ち、毒を嘯いて、「取て噛(か)もう、取て噛もう。」と躍りかかる。取着き引着(ひッつ)き、十三の茸は、アドを、なやまし、嬲(なぶ)り嬲り、山伏もともに追込むのが定(じょう)であるのに。――
「あれへ、毒々しい半びらきの菌(きのこ)が出た、あれが開いたらばさぞ夥多(おびただ)しい事であろう。」
 山伏の言(ことば)につれ、件(くだん)の毒茸(どくたけ)が、二の松を押す時である。
 幕の裙(すそ)から、ひょろりと出たものがある。切禿(きりかむろ)で、白い袖を着た、色白の、丸顔の、あれは、いくつぐらいだろう、這(は)うのだから二つ三つと思う弱々しい女の子で、かさかさと衣(き)ものの膝ずれがする。菌(きのこ)の領した山家(やまが)である。舞台は、山伏の気が籠(こも)って、寂(しん)としている。ト、今まで、誰一人ほとんど跫音(あしおと)を立てなかった処へ、屋根は熱し、天井は蒸して、吹込む風もないのに、かさかさと聞こえるので、九十九折(つづらおり)の山路へ、一人、篠(しの)、熊笹を分けて、嬰子(あかご)の這出(はいだ)したほど、思いも掛けねば無気味である。
 ああ、山伏を見て、口で、ニヤリと笑う。
 悚然(ぞっ)とした。
「鷺流?」
 這う子は早い。谿河(たにがわ)の水に枕なぞ流るるように、ちょろちょろと出て、山伏の裙(もすそ)に絡(まつ)わると、あたかも毒茸が傘の轆轤(ろくろ)を弾(はじ)いて、驚破す、取て噛(か)もう、とあるべき処を、――
「焼き食おう!」
 と、山伏の、いうと斉(ひと)しく、手のしないで、数珠を振(ふる)って、ぴしりと打って、不意に魂消(たまげ)て、傘なりに、毒茸は膝をついた。
 返す手で、
「焼きくおう。焼きくおう。」
 鼻筋鋭く、頬は白澄(しろず)む、黒髪は兜巾(ときん)に乱れて、生競(はえきそ)った茸の、のほのほと並んだのに、打振(うちふる)うその数珠は、空に赤棟蛇(やまかがし)の飛ぶがごとく閃(ひらめ)いた。が、いきなり居すくまった茸の一つを、山伏は諸手(もろて)に掛けて、すとんと、笠を下に、逆(さかさ)に立てた。二つ、三つ、四つ。――
 多くは子方だったらしい。恐れて、魅(み)せられたのであろう。
 長上下(なががみしも)は、脇座にとぼんとして、ただ首の横ざまに傾きまさるのみである。
「一樹さん。」
 真蒼(まっさお)になって、身体(からだ)のぶるぶると震う一樹の袖を取った、私の手を、その帷子(かたびら)が、落葉、いや、茸のような触感で衝(つ)いた。
 あの世話方の顔と重(かさな)って、五六人、揚幕から。切戸口にも、楽屋の頭(かしら)が覗(のぞ)いたが、ただ目鼻のある茸になって、いかんともなし得ない。その二三秒時よ。稲妻の瞬く間よ。
 見物席の少年が二三人、足袋を空に、逆(さかさ)になると、膝までの裙(すそ)を飜(ひるがえ)して仰向(あおむけ)にされた少女がある。マッシュルームの類であろう。大人は、立構えをし、遁身(にげみ)になって、声を詰めた。
 私も立とうとした。あの舞台の下は火になりはしないか。地震、と欄干につかまって、目を返す、森を隔てて、煉瓦(れんが)の建(たて)もの、教会らしい尖塔(せんとう)の雲端に、稲妻が蛇のように縦にはしる。
 静寂、深山に似たる時、這う子が火のつくように、山伏の裙(すそ)を取って泣出した。
 トウン――と、足拍子を踏むと、膝を敷き、落した肩を左から片膚(かたはだ)脱いだ、淡紅の薄い肌襦袢(はだじゅばん)に膚が透く。眉をひらき、瞳を澄まして、向直って、
「幹次郎さん。」
「覚悟があります。」
 つれに対すると、客に会釈と、一度に、左右へ言(ことば)を切って、一樹、幹次郎は、すっと出て、一尺ばかり舞台の端に、女の褄(つま)に片膝を乗掛けた。そうして、一度押戴(おしいただ)くがごとくにして、ハタと両手をついた。
「かなしいな。……あれから、今もひもじいわ。」
 寂しく微笑(ほほえ)むと、掻(か)いはだけて、雪なす胸に、ほとんど玲瓏(れいろう)たる乳が玉を欺(あざむ)く。
「御覧なさい――不義の子の罰で、五つになっても足腰が立ちません。」
「うむ、起(た)て。……お起ち、私が起たせる。」
 と、かッきと、腕にその泣く子を取って、一樹が腰を引立てたのを、添抱(そえだ)きに胸へ抱いた。
「この豆府娘。」
 と嘲(あざけ)りながら、さもいとしさに堪えざるごとく言う下に、
「若いお父さんに骨をお貰い。母さんが血をあげる。」
 俯向(うつむ)いて、我と我が口にその乳首を含むと、ぎんと白妙(しろたえ)の生命(いのち)を絞った。ことこと、ひちゃひちゃ、骨なし子の血を吸う音が、舞台から響いた。が、子の口と、母の胸は、見る見る紅玉の柘榴(ざくろ)がこぼれた。
 颯(さっ)と色が薄く澄むと――横に倒れよう――とする、反らした指に――茸は残らず這込んで消えた――塗笠を拾ったが、
「お客さん――これは人間ではありません。――紅茸(べにたけ)です。」
 といって、顔をかくして、倒れた。顔はかくれて、両手は十ウの爪紅(つまべに)は、世に散る卍(まんじ)の白い痙攣(けいれん)を起した、お雪は乳首を噛切(かみき)ったのである。

 一昨年(おととし)の事である。この子は、母の乳が、肉と血を与えた。いま一樹の手に、ふっくりと、且つ健かに育っている。
 
 不思議に、一人だけ生命(いのち)を助かった女が、震災の、あの劫火(ごうか)に追われ追われ、縁あって、玄庵というのに助けられた。その妾(めかけ)であるか、娘分であるかはどうでもいい。老人だから、楽屋で急病が起って、踊の手練(てだれ)が、見真似の舞台を勤めたというので、よくおわかりになろうと思う。何、何、なぜ、それほどの容色(きりょう)で、酒場へ出なかった。とおっしゃるか? それは困る、どうも弱ったな。一樹でも分るまい。なくなった、みどり屋のお雪さんに……お聞き下さい。
昭和五(一九三○)年九月



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