玉川の草
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著者名:泉鏡花 

 ――これは、そゞろな秋のおもひでである。青葉の雨を聞きながら――

 露を其のまゝの女郎花(おみなえし)、浅葱(あさぎ)の優しい嫁菜の花、藤袴、また我亦紅(われもこう)、はよく伸び、よく茂り、慌てた蛙は、蒲(がま)の穂(ほ)と間違へさうに、(我こそ)と咲いて居る。――添へて刈萱(かるかや)の濡れたのは、蓑にも織らず、折からの雨の姿である。中に、千鳥と名のあるのは、蕭々(しようしよう)たる夜半(よわ)の風に、野山の水に、虫の声と相触れて、チリチリ鳴りさうに思はれる……その千鳥刈萱。――通称はツリガネニンジンであるが、色も同じ桔梗を薄く絞つて、俯向(うつむ)けにつら/\と連(つらな)り咲く紫の風鈴草、或は曙(あけぼの)の釣鐘草と呼びたいやうな草の花など――皆、玉川の白露(しらつゆ)を鏤(ちりば)めたのを、――其の砧(きぬた)の里に実家のある、――町内の私のすぐ近所の白井氏に、殆ど毎年のやうに、土産にして頂戴する。
 其年も初秋の初夜過ぎて、白井氏が玉川べりの実家へ出向いた帰りだと云って、――夕立が地雨に成つて、しと/\と降る中を、まだ寝ぬ門を訪れて、框(かまち)にしつとりと置いて、帰んなすつた。
 慣れても、真新しい風情の中に、其の釣鐘草の交つたのが、わけて珍らしかつたのである。

 鏑木清方(かぶらぎきよかた)さんが――まだ浜町に居る頃である。塵も置かない綺麗事の庭の小さな池の縁(ふち)に、手で一寸(ちよつと)劃(しき)られるばかりな土に、紅蓼(べにたで)、露草、蚊帳釣草、犬ぢやらしなんど、雑草なみに扱はるゝのが、野山路(みち)、田舎の状(さま)を髣髴(ほうふつ)として、秋晴の薄日に乱れた中に、――其の釣鐘草が一茎、丈伸びて高く、すつと咲いて、たとへば月夜の村芝居に、青い幟(のぼり)を見るやうな、色も灯(とも)れて咲いて居た。
 遣水(やりみず)の音がする。……
 萩も芙蓉も、此の住居には頷かれるが、縁日の鉢植を移したり、植木屋の手に掛けたものとは思はれない。
「あれは何(ど)うしたのです。」
 と聞くと、お照さん――鏑木夫人――が、
「春ね、皆で玉川へ遊びに行きました時、――まだ何にも生えて居ない土を、一かけ持つて来たんですよ。」
 即ち名所の土の傀儡師(かいらいし)が、箱から気を咲かせた草の面影なのであつた。
 さら/\と風に露が散る。
 また遣水の音がした。
 金をかけて、茶座敷を営むより、此の思ひつき至つて妙、雅(が)にして而して優である。
 ……其の後、つくし、餅草摘みに、私たち玉川へ行つた時、真似して、土を、麹一枚ばかりと、折詰を包んだ風呂敷を一度ふるつては見たものの、土手にも畦にも河原にも、すく/\と皆気味の悪い小さな穴がある。――釣鐘草の咲く時分に、振袖の蛇体(じやたい)なら好(い)いとして、黄頷蛇(あおだいしよう)が、によろによろ、などは肝を冷(ひや)すと何だか手をつけかねた覚えがある。

「何を振廻はして居るんだな、早く水を入れて遣らないかい。」
 でん/\太鼓を貰へたやうに、馬鹿が、嬉しがつて居る家内のあとへ、私は縁側へついて出た。
「これですもの、どつさりあつて……枝も葉もほごしてからでないと、何ですかね、蝶々が入つて寝て居さうで……いきなり桶へ突込んでは気の毒ですから。」
 へん、柄にない。
 フヽンと苦笑(にがわらい)をする処(ところ)だが、此処(ここ)は一つ、敢て山のかみのために弁じたい。

 秋は、これよりも深かつた。――露の凝(こ)つた秋草を、霜早き枝のもみぢに添へて、家内が麹町の大通りの花政と云ふのから買つて帰つた事がある。
 ……其時、おや、小さな木兎(みみずく)、雑司ヶ谷から飛んで来たやうな、木葉(このは)木兎(ずく)、青葉(あおば)木兎(ずく)とか称ふるのを提げて来た。
 手広い花屋は、近まはり近在を求(あさ)るだけでは間に合はない。其処で、房州、相模はもとより、甲州、信州、越後あたりまで――持主から山を何町歩と買ひしめて、片つ端から鎌を入れる。朝夕の風、日南(ひなた)の香(か)、雨、露、霜も、一斉(いつとき)に貨物車に積込むのださうである。――其年活けた最初の錦木は、奥州の忍の里、竜胆(りんどう)は熊野平碓氷の山岨(やまそば)で刈りつゝ下枝を透かした時、昼の半輪の月を裏山の峰にして、ぽかんと留まつたのが、……其の木兎で。
 若い衆が串戯(じようだん)に生捉(いけど)つた。
 こんな事はいくらもある。
「洒落(しやれ)に持つてつて御覧なせえ。」と、花政の爺さんが景(けい)ぶつに寄越したのだと言ふのである。
 げに人柄こそは思はるれ。……お嬢さん、奥方たち、婦人の風采(ふうさい)によつては、鶯、かなりや、……せめて頬白、□子鳥(あとり)ともあるべき処(ところ)を、よこすものが、木兎か。……あゝ人柄が思はれる。
 が、秋日の縁側に、ふはりと懸り、背戸(せど)の草に浮上つて、傍に、其のもみぢに交る樫の枝に、団栗(どんぐり)の実の転げたのを見た時は、恰(あたか)も買つて来た草中から、ぽつと飛出したやうな思ひがした。
 いき餌(え)だと言ふ。……牛肉を少々買つて、生々と差しつけては見たけれど、恁(こ)う、嘴(はし)を伏せ、翼(はね)をすぼめ、あとじさりに、目を据ゑつゝ、あはれに悄気(しよげ)て、ホ、と寂しく、ホと弱く、ポポーと真昼の夢に魘(うな)されたやうに鳴く。
 その真黄な大きな目からは、玉のやうな涙がぽろ/\と溢(こぼ)れさうに見える。山懐(やまふところ)に抱かれた稚(おさな)い媛(ひめ)が、悪道士、邪仙人の魔法で呪はれでもしたやうで、血の牛肉どころか、吉野、竜田の、彩色の菓子、墨絵の落雁(らくがん)でも喙(ついば)みさうに、しをらしく、いた/\しい。
 ……その菓子の袋を添へて、駄賃を少々。特に、もとの山へ戻すやうに、と云つて、花屋の店へ返したが。――まつたく、木の葉草の花の精が顕はれたやうであつた。
 こゝに於て、蝶の宿(やどり)を、秋の草にきづかつたのを嘲(あざけ)らない。
「あゝ、ちら/\。」
 手にほごす葉を散つて、小さな白いものが飛んだ。障子をふつと潜(くぐ)りつゝ、きのふ今日蚊帳を除つた、薄掻巻(うすかいまき)の、袖に、裾に、ちら/\と舞ひまうたのは、それは綿よりも軽い蘆の穂であつた。
(大正十三年十月)



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