作物の用意
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著者名:泉鏡花 

 私が作物に對する用意といふのは理窟はない、只好いものを書きたいといふ事のみです。されば現代の風潮はどうあらうと其□事(そんなこと)には構はず私は私の好きなものの、胸中に浮んだものを書くばかりです。人間には誰にでも好き嫌ひがあつて自分が嫌ひなものでも文壇の風潮だと云つて無理に書いたものは、何等の興味が無くつて丁度毛脛に緋縮緬が搦んだ樣なものですから、私は何等の流行を追はず好いたものを書かうと思つて居ます、否(いや)書いて居るのです。例へば茲に一人の人物を描くにしたところが其性格は第二、第一其人にならなければ不可(いけ)ぬと思ふと同時にまた一方には描かうと思ふ人物を幻影の中に私の眼前に現はして、筆にする、其人物が假にお梅さんといふ若い女とすれば、そのお梅さんに饒舌(しやべ)つて貰ひ、立つて貰ひ、坐つて貰つて而して夫を筆に現はすと、私が日頃みて居る以上によく描けると思ふ。であるから、作者其物が如何に辯舌が不得手でも其處に雄辯家を書かうと思ふなら、其□樣(そんなやう)な人を眼中に描いて而して饒舌らすると、自然其書いたものに流暢なる雄辯家が現れる、繼母と繼子と對話させるにした處が同じで如何に作者に其□經驗が無くともお前は繼母だからドン/\云ひたい事は言つて呉れといふやうなものを胸中に描いて而して筆にするのです、斯うなれば陸軍の知識が無い作者でも其處に堂々たる軍人を躍如させる事も出來、外國語の出來ない人でも外國語の出來る人を現す事が出來、また盜坊にしたところが其眞物に劣らないものを書く事が出來ると思ひます。夫から小説の如きものは自分が一人見て樂しんだり喜んだりするものではない、多くの人に讀ませるものであるから如何に自然を其儘に寫すと言つても相當のお化粧もし且禮儀が無ければならぬ。芝居の立□りにしたところが其目的は「投げられた、投げる」といふにあるのだから如何に寫實を觀せるとした處で投げられても觀客の方に向つて褌を見せなくつてもよろしい、投げられる時にバツクの方へ向うて轉べば可いのである。作物も是れと同じで、假に此處に十日以上も病床に惱んで窶れ果てた女を描くとしても前に申した通り人に讀ませ且見せるものであるから一應お湯をつかはせて病床に寢かせて置きたい、如何にお湯をつかはせても病人は病人である、それから美人とは書くものの其の起居振舞に際し妙な厭に匂がする樣なものを描いて滿足してゐる人がある。這□事(こんなこと)は作者として餘程注意せなければならぬと思ふ。夫から今度は時刻と場所の關係だ、室内に二人の人物が居て實にしめやかな話しをして居るのにも拘らず室外は豪雨が降つて夫に風さへ混じる外面(そと)の景色を書いては釣合が取れない。外で暴風雨(あらし)がして居るのなら、其樣に内に居る人物にも外面に適合した樣な話をさせ、且つ行爲を演ぜさせねばならぬ。而して私達は、人の作に對し最初から批評的に讀む事を好まない。であるから作者の方でも、最初は何等批評をさせず面白く讀む、一度二度讀んで良く噛しめさせて而して後批評するなら批評させる樣な作物を書かなくつては不可ないと思ふ……また其□作物でなければ決して面白いものではない、近頃見る或る作物の樣に、最初から批評的に讀んで呉れ、と言つた樣な小説は讀んで決して興味を持つものではない。
明治四十三年十一月



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