春昼
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著者名:泉鏡花 

       一

「お爺(じい)さん、お爺さん。」
「はあ、私(わし)けえ。」
 と、一言(ひとこと)で直(す)ぐ応じたのも、四辺(あたり)が静かで他(た)には誰もいなかった所為(せい)であろう。そうでないと、その皺(しわ)だらけな額(ひたい)に、顱巻(はちまき)を緩(ゆる)くしたのに、ほかほかと春の日がさして、とろりと酔ったような顔色(がんしょく)で、長閑(のど)かに鍬(くわ)を使う様子が――あのまたその下の柔(やわらか)な土に、しっとりと汗ばみそうな、散りこぼれたら紅(くれない)の夕陽の中に、ひらひらと入(はい)って行(ゆ)きそうな――暖(あたたか)い桃(もも)の花を、燃え立つばかり揺(ゆす)ぶって頻(しきり)に囀(さえず)っている鳥の音(ね)こそ、何か話をするように聞こうけれども、人の声を耳にして、それが自分を呼ぶのだとは、急に心付(こころづ)きそうもない、恍惚(うっとり)とした形であった。
 こっちもこっちで、かくたちどころに返答されると思ったら、声を懸(か)けるのじゃなかったかも知れぬ。
 何為(なぜ)なら、さて更(あらた)めて言うことが些(ち)と取(と)り留(と)めのない次第なので。本来ならこの散策子(さんさくし)が、そのぶらぶら歩行(あるき)の手すさびに、近頃買求(かいもと)めた安直(あんちょく)な杖(ステッキ)を、真直(まっすぐ)に路(みち)に立てて、鎌倉(かまくら)の方へ倒れたら爺(じい)を呼ぼう、逗子(ずし)の方へ寝たら黙って置こう、とそれでも事は済(す)んだのである。
 多分(たぶん)は聞えまい、聞えなければ、そのまま通り過ぎる分(ぶん)。余計な世話だけれども、黙(だまり)きりも些(ちっ)と気になった処(ところ)。響(ひびき)の応ずるが如きその、(はあ、私(わし)けえ)には、聊(いささ)か不意を打たれた仕誼(しぎ)。
「ああ、お爺さん。」
 と低い四目垣(よつめがき)へ一足(ひとあし)寄ると、ゆっくりと腰をのして、背後(うしろ)へよいとこさと反(そ)るように伸びた。親仁(おやじ)との間は、隔てる草も別になかった。三筋(みすじ)ばかり耕(たが)やされた土が、勢込(いきおいこ)んで、むくむくと湧(わ)き立つような快活な香(におい)を籠(こ)めて、しかも寂寞(せきばく)とあるのみで。勿論(もちろん)、根を抜かれた、肥料(こやし)になる、青々(あおあお)と粉(こな)を吹いたそら豆の芽生(めばえ)に交(まじ)って、紫雲英(れんげそう)もちらほら見えたけれども。
 鳥打(とりうち)に手をかけて、
「つかんことを聞くがね、お前さんは何(なん)じゃないかい、この、其処(そこ)の角屋敷(かどやしき)の内(うち)の人じゃないかい。」
 親仁(おやじ)はのそりと向直(むきなお)って、皺(しわ)だらけの顔に一杯の日当り、桃の花に影がさしたその色に対して、打向(うちむか)うその方(ほう)の屋根の甍(いらか)は、白昼青麦(あおむぎ)を□(あぶ)る空に高い。
「あの家(うち)のかね。」
「その二階のさ。」
「いんえ、違います。」
 と、いうことは素気(そっけ)ないが、話を振切(ふりき)るつもりではなさそうで、肩を一(ひと)ツ揺(ゆす)りながら、鍬(くわ)の柄(え)を返して地(つち)についてこっちの顔を見た。
「そうかい、いや、お邪魔をしたね、」
 これを機(しお)に、分れようとすると、片手で顱巻(はちまき)を□(かなぐ)り取って、
「どうしまして、邪魔も何もござりましねえ。はい、お前様(まえさま)、何か尋(たず)ねごとさっしゃるかね。彼処(あすこ)の家(うち)は表門(おもてもん)さ閉(しま)っておりませども、貸家(かしや)ではねえが……」
 その手拭(てぬぐい)を、裾(すそ)と一緒に、下からつまみ上げるように帯へ挟(はさ)んで、指を腰の両提(ふたつさ)げに突込(つきこ)んだ。これでは直ぐにも通れない。
「何ね、詰(つま)らん事さ。」
「はいい?」
「お爺さんが彼家(あすこ)の人ならそう言って行(ゆ)こうと思って、別に貸家を捜しているわけではないのだよ。奥の方で少(わか)い婦人(おんな)の声がしたもの、空家でないのは分ってるが、」
「そうかね、女中衆(じょちゅうしゅう)も二人ばッかいるだから、」
「その女中衆についてさ。私(わたし)がね、今彼処(あすこ)の横手をこの路へかかって来ると、溝の石垣の処(ところ)を、ずるずるっと這(は)ってね、一匹いたのさ――長いのが。」

       二

 怪訝(けげん)な眉を臆面(おくめん)なく日に這(は)わせて、親仁(おやじ)、煙草入(たばこいれ)をふらふら。
「へい、」
「余り好物(こうぶつ)な方(ほう)じゃないからね、実は、」
 と言って、笑いながら、
「その癖(くせ)恐(こわ)いもの見たさに立留(たちど)まって見ていると、何(なん)じゃないか、やがて半分ばかり垣根へ入って、尾を水の中へばたりと落して、鎌首(かまくび)を、あの羽目板(はめいた)へ入れたろうじゃないか。羽目(はめ)の中は、見た処(ところ)湯殿(ゆどの)らしい。それとも台所かも知れないが、何しろ、内(うち)にゃ少(わか)い女たちの声がするから、どんな事で吃驚(びっくり)しまいものでもない、と思います。
 あれッきり、座敷へなり、納戸(なんど)へなりのたくり込めば、一も二もありゃしない。それまでというもんだけれど、何処(どこ)か板(いた)の間(ま)にとぐろでも巻いている処へ、うっかり出会(でっくわ)したら難儀(なんぎ)だろう。
 どの道(みち)余計なことだけれど、お前さんを見かけたから、つい其処(そこ)だし、彼処(あそこ)の内(うち)の人だったら、ちょいと心づけて行(ゆ)こうと思ってさ。何ね、此処(ここ)らじゃ、蛇なんか何でもないのかも知れないけれど、」
「はあ、青大将(あおだいしょう)かね。」
 といいながら、大きな口をあけて、奥底(おくそこ)もなく長閑(のどか)な日の舌に染(し)むかと笑いかけた。
「何でもなかあねえだよ。彼処(あすこ)さ東京の人だからね。この間(あいだ)も一件(いっけん)もので大騒ぎをしたでがす。行って見て進(しん)ぜますべい。疾(と)うに、はい、何処(どっ)かずらかったも知んねえけれど、台所の衆とは心安(こころやす)うするでがすから、」
「じゃあ、そうして上げなさい。しかし心ない邪魔をしたね。」
「なあに、お前様、どうせ日は永(なげ)えでがす。はあ、お静かにござらっせえまし。」
 こうして人間同士がお静かに分れた頃には、一件はソレ竜(りゅう)の如きもの歟(か)、凡慮(ぼんりょ)の及ぶ処(ところ)でない。
 散策子は踵(くびす)を廻(めぐ)らして、それから、きりきりはたり、きりきりはたりと、鶏(にわとり)が羽(は)うつような梭(おさ)の音(おと)を慕(した)う如く、向う側の垣根に添うて、二本(ふたもと)の桃の下を通って、三軒の田舎屋(いなかや)の前を過ぎる間(あいだ)に、十八、九のと、三十(みそじ)ばかりなのと、機(はた)を織る婦人の姿を二人見た。
 その少(わか)い方は、納戸(なんど)の破障子(やぶれしょうじ)を半開(はんびら)きにして、姉(ねえ)さん冠(かぶり)の横顔を見た時、腕(かいな)白く梭(おさ)を投げた。その年取った方は、前庭(まえにわ)の乾いた土に筵(むしろ)を敷いて、背(うしろ)むきに機台(はただい)に腰かけたが、トンと足をあげると、ゆるくキリキリと鳴ったのである。
 唯(ただ)それだけを見て過ぎた。女今川(おんないまがわ)の口絵(くちえ)でなければ、近頃は余り見掛けない。可懐(なつか)しい姿、些(ちっ)と立佇(たちどま)ってという気もしたけれども、小児(こども)でもいればだに、どの家(うち)も皆(みんな)野面(のら)へ出たか、人気(ひとけ)はこの外(ほか)になかったから、人馴(ひとな)れぬ女だち物恥(ものはじ)をしよう、いや、この男の俤(おもかげ)では、物怖(ものおじ)、物驚(ものおどろき)をしようも知れぬ。この路を後(あと)へ取って返して、今蛇(へび)に逢(あ)ったという、その二階屋(にかいや)の角(かど)を曲ると、左の方に脊(せ)の高い麦畠(むぎばたけ)が、なぞえに低くなって、一面に颯(さっ)と拡がる、浅緑(あさみどり)に美(うつくし)い白波(しらなみ)が薄(うっす)りと靡(なび)く渚(なぎさ)のあたり、雲もない空に歴々(ありあり)と眺めらるる、西洋館さえ、青異人(あおいじん)、赤異人(あかいじん)と呼んで色を鬼のように称(とな)うるくらい、こんな風(ふう)の男は髯(ひげ)がなくても(帽子被(シャッポかぶ)り)と言うと聞く。
 尤(もっと)も一方(いっぽう)は、そんな風(ふう)に――よし、村のものの目からは青鬼(あおおに)赤鬼(あかおに)でも――蝶(ちょう)の飛ぶのも帆艇(ヨット)の帆(ほ)かと見ゆるばかり、海水浴に開(ひら)けているが、右の方は昔ながらの山の形(なり)、真黒(まっくろ)に、大鷲(おおわし)の翼(つばさ)打襲(うちかさ)ねたる趣(おもむき)して、左右から苗代田(なわしろだ)に取詰(とりつ)むる峰の褄(つま)、一重(ひとえ)は一重(ひとえ)ごとに迫って次第に狭く、奥の方(かた)暗く行詰(ゆきつま)ったあたり、打(ぶッ)つけなりの茅屋(かやや)の窓は、山が開いた眼(まなこ)に似て、あたかも大(おおい)なる蟇(ひきがえる)の、明け行(ゆ)く海から掻窘(かいすく)んで、谷間(たにま)に潜(ひそ)む風情(ふぜい)である。

       三

 されば瓦(かわら)を焚(や)く竈(かまど)の、屋(や)の棟(むね)よりも高いのがあり、主(ぬし)の知れぬ宮(みや)もあり、無縁になった墓地もあり、頻(しきり)に落ちる椿(つばき)もあり、田には大(おおき)な鰌(どじょう)もある。
 あの、西南(せいなん)一帯の海の潮(しお)が、浮世の波に白帆(しらほ)を乗せて、このしばらくの間に九十九折(つづらおり)ある山の峡(かい)を、一ツずつ湾(わん)にして、奥まで迎いに来ぬ内は、いつまでも村人は、むこう向(むき)になって、ちらほらと畑打(はたう)っているであろう。
 丁(ちょう)どいまの曲角(まがりかど)の二階家あたりに、屋根の七八(ななやっ)ツ重(かさな)ったのが、この村の中心で、それから峡(かい)の方へ飛々(とびとび)にまばらになり、海手(うみて)と二、三町(ちょう)が間(あいだ)人家(じんか)が途絶(とだ)えて、かえって折曲(おれまが)ったこの小路(こみち)の両側へ、また飛々(とびとび)に七、八軒続いて、それが一部落になっている。
 梭(おさ)を投げた娘の目も、山の方へ瞳(ひとみ)が通(かよ)い、足踏みをした女房の胸にも、海の波は映(うつ)らぬらしい。
 通りすがりに考えつつ、立離(たちはな)れた。面(おもて)を圧(あっ)して菜種(なたね)の花。眩(まばゆ)い日影が輝くばかり。左手(ゆんで)の崕(がけ)の緑なのも、向うの山の青いのも、偏(かたえ)にこの真黄色(まっきいろ)の、僅(わずか)に限(かぎり)あるを語るに過ぎず。足許(あしもと)の細流(せせらぎ)や、一段(いちだん)颯(さっ)と簾(すだれ)を落して流るるさえ、なかなかに花の色を薄くはせぬ。
 ああ目覚(めざ)ましいと思う目に、ちらりと見たのみ、呉織(くれはとり)文織(あやはとり)は、あたかも一枚の白紙(しらかみ)に、朦朧(もうろう)と描(えが)いた二個(ふたつ)のその姿を残して余白を真黄色に塗ったよう。二人の衣服(きもの)にも、手拭(てぬぐい)にも、襷(たすき)にも、前垂(まえだれ)にも、織っていたその機(はた)の色にも、聊(いささか)もこの色のなかっただけ、一入(ひとしお)鮮麗(あざやか)に明瞭に、脳中に描(えが)き出(いだ)された。
 勿論(もちろん)、描いた人物を判然(はっきり)と浮出(うきだ)させようとして、この彩色(さいしょく)で地(じ)を塗潰(ぬりつぶ)すのは、画(え)の手段に取って、是(ぜ)か、非(ひ)か、巧(こう)か、拙(せつ)か、それは菜の花の預(あずか)り知る処(ところ)でない。
 うっとりするまで、眼前(まのあたり)真黄色な中に、機織(はたおり)の姿の美しく宿った時、若い婦人(おんな)の衝(つ)と投げた梭(おさ)の尖から、ひらりと燃えて、いま一人の足下(あしもと)を閃(ひらめ)いて、輪になって一(ひと)ツ刎(は)ねた、朱(しゅ)に金色(こんじき)を帯びた一条(いちじょう)の線があって、赫燿(かくよう)として眼(まなこ)を射て、流(ながれ)のふちなる草に飛んだが、火の消ゆるが如くやがて失せた。
 赤楝蛇(やまかがし)が、菜種(なたね)の中を輝いて通ったのである。
 悚然(ぞっ)として、向直(むきなお)ると、突当(つきあた)りが、樹の枝から梢(こずえ)の葉へ搦(から)んだような石段で、上に、茅(かや)ぶきの堂の屋根が、目近(まぢか)な一朶(いちだ)の雲かと見える。棟(むね)に咲いた紫羅傘(いちはつ)の花の紫も手に取るばかり、峰のみどりの黒髪(くろかみ)にさしかざされた装(よそおい)の、それが久能谷(くのや)の観音堂(かんおんどう)。
 我が散策子は、其処(そこ)を志(こころざ)して来たのである。爾時(そのとき)、これから参ろうとする、前途(ゆくて)の石段の真下の処へ、殆(ほとん)ど路の幅一杯に、両側から押被(おっかぶ)さった雑樹(ぞうき)の中から、真向(まむき)にぬっと、大(おおき)な馬の顔がむくむくと湧(わ)いて出た。
 唯(ただ)見る、それさえ不意な上、胴体は唯一(ただひと)ツでない。鬣(たてがみ)に鬣が繋(つな)がって、胴に胴が重なって、凡(およ)そ五、六間(けん)があいだ獣(けもの)の背である。
 咄嗟(とっさ)の間(かん)、散策子は杖(ステッキ)をついて立窘(たちすく)んだ。
 曲角(まがりかど)の青大将と、この傍(かたわら)なる菜の花の中の赤楝蛇(やまかがし)と、向うの馬の面(つら)とへ線を引くと、細長い三角形の只中(ただなか)へ、封じ籠められた形になる。
 奇怪なる地妖(ちよう)でないか。
 しかし、若悪獣囲繞(にゃくあくじゅういにょう)、利牙爪可怖(りげしょうかふ)も、※蛇及蝮蝎(がんじゃぎゅうふくかつ)[#「虫+元」、16-3]、気毒煙火燃(けどくえんかねん)も、薩陀(さった)彼処(かしこ)にましますぞや。しばらくして。……

       四

 のんきな馬士(まご)めが、此処(ここ)に人のあるを見て、はじめて、のっそり馬の鼻頭(はなづら)に顕(あらわ)れた、真正面(ましょうめん)から前後三頭一列に並んで、たらたら下(お)りをゆたゆたと来るのであった。
「お待遠(まちどお)さまでごぜえます。」
「はあ、お邪魔さまな。」
「御免(ごめん)なせえまし。」
 と三人、一人々々(ひとりひとり)声をかけて通るうち、流(ながれ)のふちに爪立(つまだ)つまで、細くなって躱(かわ)したが、なお大(おおい)なる皮の風呂敷に、目を包まれる心地であった。
 路(みち)は一際(ひときわ)細くなったが、かえって柔(やわら)かに草を踏んで、きりきりはたり、きりきりはたりと、長閑(のどか)な機(はた)の音に送られて、やがて仔細(しさい)なく、蒼空(あおぞら)の樹(こ)の間(ま)漏(も)る、石段の下(もと)に着く。
 この石段は近頃すっかり修復が出来た。(従って、爪尖(つまさき)のぼりの路も、草が分れて、一筋(ひとすじ)明らさまになったから、もう蛇も出まい、)その時分は大破して、丁(ちょう)ど繕(つくろ)いにかかろうという折から、馬はこの段の下(した)に、一軒、寺というほどでもない住職(じゅうしょく)の控家(ひかえや)がある、その背戸(せど)へ石を積んで来たもので。
 段を上(のぼ)ると、階子(はしご)が揺(ゆれ)はしまいかと危(あやぶ)むばかり、角(かど)が欠け、石が抜け、土が崩れ、足許も定まらず、よろけながら攀(よ)じ上(のぼ)った。見る見る、目の下の田畠(たはた)が小さくなり遠くなるに従うて、波の色が蒼(あお)う、ひたひたと足許に近づくのは、海を抱(いだ)いたかかる山の、何処(いずこ)も同じ習(ならい)である。
 樹立(こだ)ちに薄暗い石段の、石よりも堆(うずたか)い青苔(あおごけ)の中に、あの蛍袋(ほたるぶくろ)という、薄紫(うすむらさき)の差俯向(さしうつむ)いた桔梗(ききょう)科の花の早咲(はやざき)を見るにつけても、何となく湿(しめ)っぽい気がして、しかも湯滝(ゆだき)のあとを踏むように熱く汗ばんだのが、颯(さっ)と一風(ひとかぜ)、ひやひやとなった。境内(けいだい)はさまで広くない。
 尤(もっと)も、御堂(みどう)のうしろから、左右の廻廊(かいろう)へ、山の幕を引廻(ひきまわ)して、雑木(ぞうき)の枝も墨染(すみぞめ)に、其処(そこ)とも分(わ)かず松風(まつかぜ)の声。
 渚(なぎさ)は浪(なみ)の雪を敷いて、砂に結び、巌(いわお)に消える、その都度(つど)音も聞えそう、但(ただ)残惜(のこりおし)いまでぴたりと留(や)んだは、きりはたり機(はた)の音。
 此処(ここ)よりして見てあれば、織姫(おりひめ)の二人の姿は、菜種(なたね)の花の中ならず、蒼海原(あおうなばら)に描かれて、浪に泛(うか)ぶらん風情(ふぜい)ぞかし。
 いや、参詣(おまいり)をしましょう。
 五段の階(きざはし)、縁(えん)の下を、馬が駈け抜けそうに高いけれども、欄干(らんかん)は影も留(とど)めない。昔はさこそと思われた。丹塗(にぬり)の柱、花狭間(はなはざま)、梁(うつばり)の波の紺青(こんじょう)も、金色(こんじき)の竜(りゅう)も色さみしく、昼の月、茅(かや)を漏(も)りて、唐戸(からど)に蝶(ちょう)の影さす光景(ありさま)、古き土佐絵(とさえ)の画面に似て、しかも名工の筆意(ひつい)に合(かな)い、眩(まば)ゆからぬが奥床(おくゆか)しゅう、そぞろに尊く懐(なつか)しい。
 格子(こうし)の中は暗かった。
 戸張(とばり)を垂れた御廚子(みずし)の傍(わき)に、造花(つくりばな)の白蓮(びゃくれん)の、気高く俤(おもかげ)立つに、頭(こうべ)を垂れて、引退(ひきしりぞ)くこと二、三尺。心静かに四辺(あたり)を見た。
 合天井(ごうてんじょう)なる、紅々白々(こうこうはくはく)牡丹(ぼたん)の花、胡粉(ごふん)の俤(おもかげ)消え残り、紅(くれない)も散留(ちりとま)って、あたかも刻(きざ)んだものの如く、髣髴(ほうふつ)として夢に花園(はなぞの)を仰(あお)ぐ思いがある。
 それら、花にも台(うてな)にも、丸柱(まるばしら)は言うまでもない。狐格子(きつねごうし)、唐戸(からど)、桁(けた)、梁(うつばり)、□(みまわ)すものの此処(ここ)彼処(かしこ)、巡拝(じゅんぱい)の札(ふだ)の貼りつけてないのは殆どない。
 彫金(ほりきん)というのがある、魚政(うおまさ)というのがある、屋根安(やねやす)、大工鉄(だいてつ)、左官金(さかんきん)。東京の浅草(あさくさ)に、深川(ふかがわ)に。周防国(すおうのくに)、美濃(みの)、近江(おうみ)、加賀(かが)、能登(のと)、越前(えちぜん)、肥後(ひご)の熊本、阿波(あわ)の徳島。津々浦々(つつうらうら)の渡鳥(わたりどり)、稲負(いなおお)せ鳥(どり)、閑古鳥(かんこどり)。姿は知らず名を留(と)めた、一切の善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんにょにん)。木賃(きちん)の夜寒(よさむ)の枕にも、雨の夜の苫船(とまぶね)からも、夢はこの処(ところ)に宿るであろう。巡礼たちが霊魂(たましい)は時々此処(ここ)に来て遊(あす)ぼう。……おかし、一軒一枚の門札(もんふだ)めくよ。

       五

 一座の霊地(れいち)は、渠(かれ)らのためには平等利益(びょうどうりやく)、楽(たのし)く美しい、花園である。一度詣(もう)でたらんほどのものは、五十里、百里、三百里、筑紫(つくし)の海の果(はて)からでも、思いさえ浮んだら、束(つか)の間(ま)に此処(ここ)に来て、虚空(こくう)に花降(はなふ)る景色を見よう。月に白衣(びゃくえ)の姿も拝もう。熱あるものは、楊柳(ようりゅう)の露の滴(したたり)を吸うであろう。恋するものは、優柔(しなやか)な御手(みて)に縋(すが)りもしよう。御胸(おんむね)にも抱(いだ)かれよう。はた迷える人は、緑の甍(いらか)、朱(あけ)の玉垣(たまがき)、金銀の柱、朱欄干(しゅらんかん)、瑪瑙(めのう)の階(きざはし)、花唐戸(はなからど)。玉楼金殿(ぎょくろうきんでん)を空想して、鳳凰(ほうおう)の舞う竜(たつ)の宮居(みやい)に、牡丹(ぼたん)に遊ぶ麒麟(きりん)を見ながら、獅子王(ししおう)の座に朝日影さす、桜の花を衾(ふすま)として、明月(めいげつ)の如き真珠を枕に、勿体(もったい)なや、御添臥(おんそいぶし)を夢見るかも知れぬ。よしそれとても、大慈大悲(だいじだいひ)、観世音(かんぜおん)は咎(とが)め給(たま)わぬ。
 さればこれなる彫金(ほりきん)、魚政(うおまさ)はじめ、此処(ここ)に霊魂の通(かよ)う証拠には、いずれも巡拝(じゅんぱい)の札(ふだ)を見ただけで、どれもこれも、女名前(おんななまえ)のも、ほぼその容貌と、風采(ふうさい)と、従ってその挙動までが、朦朧(もうろう)として影の如く目に浮ぶではないか。
 かの新聞で披露(ひろう)する、諸種の義捐金(ぎえんきん)や、建札(たてふだ)の表(ひょう)に掲示する寄附金の署名が写実である時に、これは理想であるといっても可(よ)かろう。
 微笑(ほほえ)みながら、一枚ずつ。
 扉の方へうしろ向けに、大(おおき)な賽銭箱(さいせんばこ)のこなた、薬研(やげん)のような破目(われめ)の入った丸柱(まるばしら)を視(なが)めた時、一枚懐紙(かいし)の切端(きれはし)に、すらすらとした女文字(おんなもじ)。
うたゝ寐(ね)に恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき――玉脇(たまわき)みを―― と優(やさ)しく美(うつくし)く書いたのがあった。
「これは御参詣で。もし、もし、」
 はッと心付くと、麻(あさ)の法衣(ころも)の袖(そで)をかさねて、出家(しゅっけ)が一人、裾短(すそみじか)に藁草履(わらぞうり)を穿(は)きしめて間近(まぢか)に来ていた。
 振向(ふりむ)いたのを、莞爾(にこ)やかに笑(え)み迎えて、
「些(ちっ)とこちらへ。」
 賽銭箱(さいせんばこ)の傍(わき)を通って、格子戸に及腰(およびごし)。
「南無(なむ)」とあとは口の裏(うち)で念じながら、左右へかたかたと静(しずか)に開けた。
 出家は、真直(まっす)ぐに御廚子(みずし)の前、かさかさと袈裟(けさ)をずらして、袂(たもと)からマッチを出すと、伸上(のびあが)って御蝋(おろう)を点じ、額(ひたい)に掌(たなそこ)を合わせたが、引返(ひきかえ)してもう一枚、彳(たたず)んだ人の前の戸を開けた。
 虫ばんだが一段高く、かつ幅の広い、部厚(ぶあつ)な敷居(しきい)の内に、縦に四畳(よじょう)ばかり敷かれる。壁の透間(すきま)を樹蔭(こかげ)はさすが、縁(へり)なしの畳(たたみ)は青々(あおあお)と新しかった。
 出家は、上に何(なん)にもない、小机(こづくえ)の前に坐って、火入(ひいれ)ばかり、煙草(たばこ)なしに、灰のくすぼったのを押出(おしだ)して、自分も一膝(ひとひざ)、こなたへ進め、
「些(ちっ)とお休み下さい。」
 また、かさかさと袂(たもと)を探って、
「やあ、マッチは此処(ここ)にもござった、ははは、」
 と、も一(ひと)ツ机の下から。
「それではお邪魔を、ちょっと、拝借。」
 とこなたは敷居越(しきいごし)に腰をかけて、此処(ここ)からも空に連なる、海の色より、より濃(こまやか)な霞(かすみ)を吸った。
「真個(ほんと)に、結構な御堂(おどう)ですな、佳(い)い景色じゃありませんか。」
「や、もう大破(たいは)でござって。おもりをいたす仏様に、こう申し上げては済まんでありますがな。ははは、私力(わたくしちから)にもおいそれとは参りませんので、行届(ゆきとど)かんがちでございますよ。」

       六

「随分(ずいぶん)御参詣はありますか。」
 先ず差当(さしあた)り言うことはこれであった。
 出家は頷(うなず)くようにして、机の前に座を斜めに整然(きちん)と坐り、
「さようでございます。御繁昌(ごはんじょう)と申したいでありますが、当節は余りござりません。以前は、荘厳美麗(そうごんびれい)結構なものでありましたそうで。
 貴下(あなた)、今お通りになりましてございましょう。此処(ここ)からも見えます。この山の裾(すそ)へかけまして、ずッとあの菜種畠(なたねばたけ)の辺(あたり)、七堂伽藍(しちどうがらん)建連(たてつら)なっておりましたそうで。書物(かきもの)にも見えますが、三浦郡(みうらごおり)の久能谷(くのや)では、この岩殿寺(いわとでら)が、土地の草分(くさわけ)と申しまする。
 坂東(ばんどう)第二番の巡拝所(じゅんぱいじょ)、名高い霊場(れいじょう)でございますが、唯今(ただいま)ではとんとその旧跡(きゅうせき)とでも申すようになりました。
 妙(みょう)なもので、かえって遠国(えんごく)の衆(しゅう)の、参詣が多うございます。近くは上総(かずさ)下総(しもうさ)、遠い処は九州西国(さいこく)あたりから、聞伝(ききつた)えて巡礼なさるのがあります処(ところ)、この方(かた)たちが、当地へござって、この近辺で聞かれますると、つい知らぬものが多くて、大きに迷うなぞと言う、お話しを聞くでございますよ。」
「そうしたもんです。」
「ははは、如何(いか)にも、」
 と言ってちょっと言葉が途切(とぎ)れる。
 出家の言(ことば)は、聊(いささ)か寄附金の勧化(かんげ)のように聞えたので、少し気になったが、煙草(たばこ)の灰を落そうとして目に留(と)まった火入(ひいれ)の、いぶりくすぶった色あい、マッチの燃(もえ)さしの突込(つッこ)み加減(かげん)。巣鴨辺(すがもへん)に弥勒(みろく)の出世を待っている、真宗大学(しんしゅうだいがく)の寄宿舎に似て、余り世帯気(しょたいげ)がありそうもない処(ところ)は、大(おおい)に胸襟(きょうきん)を開いてしかるべく、勝手に見て取った。
 そこでまた清々(すがすが)しく一吸(ひとすい)して、山の端(は)の煙を吐くこと、遠見(とおみ)の鉄拐(てっかい)の如く、
「夏はさぞ涼(すずし)いでしょう。」
「とんと暑さ知らずでござる。御堂(おどう)は申すまでもありません、下の仮庵室(かりあんじつ)なども至極(しごく)その涼(すずし)いので、ほんの草葺(くさぶき)でありますが、些(ち)と御帰りがけにお立寄(たちよ)り、御休息なさいまし。木葉(きのは)を燻(くす)べて渋茶(しぶちゃ)でも献じましょう。
 荒れたものでありますが、いや、茶釜(ちゃがま)から尻尾(しっぽ)でも出ましょうなら、また一興(いっきょう)でござる。はははは、」
「お羨(うらやまし)い御境涯(ごきょうがい)ですな。」
 と客は言った。
「どうして、貴下(あなた)、さように悟りの開けました智識(ちしき)ではございません。一軒屋の一人住居(ひとりずまい)心寂しゅうござってな。唯今(ただいま)も御参詣のお姿を、あれからお見受け申して、あとを慕って来ましたほどで。
 時に、どちらに御逗留(ごとうりゅう)?」
「私(わたし)? 私は直(じ)きその停車場(ステイション)最寄(もより)の処(ところ)に、」
「しばらく、」
「先々月(せんせんげつ)あたりから、」
「いずれ、御旅館で、」
「否(いいえ)、一室(ひとま)借りまして自炊(じすい)です。」
「は、は、さようで。いや、不躾(ぶしつけ)でありまするが、思召(おぼしめ)しがござったら、仮庵室(かりあんじつ)御用にお立て申しまする。
 甚(はなは)だ唐突(とうとつ)でありまするが、昨年夏も、お一人な、やはりかような事から、貴下(あなた)がたのような御仁(ごじん)の御宿(おやど)をいたしたことがありまする。
 御夫婦でも宜(よろ)しい。お二人ぐらいは楽でありますから、」
「はい、ありがとう。」
 と莞爾(にっこり)して、
「ちょっと、通りがかりでは、こういう処(ところ)が、こちらにあろうとは思われませんね。真個(ほんとう)に佳(い)い御堂ですね、」
「折々御遊歩(ごゆうほ)においで下さい。」
「勿体(もったい)ない、おまいりに来ましょう。」
 何心(なにごころ)なく言った顔を、訝(いぶか)しそうに打視(うちなが)めた。

       七

 出家は膝に手を置いて、
「これは、貴下方(あなたがた)の口から、そういうことを承(うけたまわ)ろうとは思わんでありました。」
「何故(なぜ)ですか、」
 と問うては見たが、予(あらかじ)め、その意味を解するに難(かと)うはないのであった。
 出家も、扁(ひらた)くはあるが、ふっくりした頬に笑(えみ)を含んで、
「何故(なぜ)と申すでもありませんがな……先ず当節のお若い方が……というのでござる。はははは、近い話がな。最(もっと)もそう申すほど、私(わたくし)が、まだ年配ではありませんけれども、」
「分りましたとも。青年の、しかも書生(しょせい)が、とおっしゃるのでしょう。
 否(いいえ)、そういう御遠慮をなさるから、それだから不可(いけ)ません。それだから、」
 とどうしたものか、じりじりと膝を向け直して、
「段々お宗旨(しゅうし)が寂(さび)れます。こちらは何(なに)お宗旨だか知りませんが。
 対手(あいて)は老朽(おいく)ちたものだけで、年紀(とし)の少(すくな)い、今の学校生活でもしたものには、とても済度(さいど)はむずかしい、今さら、観音(かんおん)でもあるまいと言うようなお考えだから不可(いか)んのです。
 近頃は爺婆(じじばば)の方が横着(おうちゃく)で、嫁をいじめる口叱言(くちこごと)を、お念仏で句読(くとう)を切ったり、膚脱(はだぬぎ)で鰻(うなぎ)の串(くし)を横銜(よこぐわ)えで題目を唱(とな)えたり、……昔からもそういうのもなかったんじゃないが、まだまだ胡散(うさん)ながら、地獄極楽(じごくごくらく)が、いくらか念頭にあるうちは始末がよかったのです。今じゃ、生悟(なまさと)りに皆(みんな)が悟りを開いた顔で、悪くすると地獄の絵を見て、こりゃ出来が可(い)い、などと言い兼ねません。
 貴下方(あなたがた)が、到底対手(あいて)にゃなるまいと思っておいでなさる、少(わか)い人たちが、かえって祖師(そし)に憧(あこ)がれてます。どうかして、安心立命(あんしんりつめい)が得たいと悶(もだ)えてますよ。中にはそれがために気が違うものもあり、自殺するものさえあるじゃありませんか。
 何でも構わない。途中で、ははあ、これが二十世紀の人間だな、と思うのを御覧なすったら、男子(おとこ)でも女子(おんな)でもですね、唐突(だしぬけ)に南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と声をかけてお試しなさい。すぐに気絶するものがあるかも知れず、たちどころに天窓(あたま)を剃(そっ)て御弟子になりたいと言おうも知れず、ハタと手を拍(う)って悟るのもありましょう。あるいはそれが基(もと)で死にたくなるものもあるかも知れません。
 実際、串戯(じょうだん)ではない。そのくらいなんですもの。仏教はこれから法燈(ほうとう)の輝く時です。それだのに、何故(なぜ)か、貴下(あんた)がたが因循(いんじゅん)して引込思案(ひっこみじあん)でいらっしゃる。」
 頻(しきり)に耳を傾けたが、
「さよう、如何(いか)にも、はあ、さよう。いや、私(わたくし)どもとても、堅く申せば思想界は大維新(だいいしん)の際(さい)で、中には神を見た、まのあたり仏(ぶつ)に接した、あるいは自(みず)から救世主であるなどと言う、当時の熊本の神風連(じんぷうれん)の如き、一揆(いっき)の起りましたような事も、ちらほら聞伝(ききつた)えてはおりますが、いずれに致せ、高尚な御議論、御研究の方(ほう)でござって、こちとらづれ出家がお守(も)りをする、偶像なぞは……その、」
 と言いかけて、密(そっ)と御廚子(みずし)の方(かた)を見た。
「作(さく)がよければ、美術品、彫刻物(ちょうこくもの)として御覧なさろうと言う世間。
 あるいは今後、仏教は盛(さかん)になろうも知れませんが、ともかく、偶像の方となりますると……その如何(いかが)なものでござろうかと……同一(おなじ)信仰にいたしてからが、御本尊(ごほんぞん)に対し、礼拝(らいはい)と申す方(かた)は、この前(さき)どうあろうかと存じまする。ははは、そこでございますから、自然、貴下(あたた)[#ルビの「あたた」はママ]がたには、仏教、即(すなわ)ち偶像教でないように思召(おぼしめ)しが願いたい、御像(おすがた)の方は、高尚な美術品を御覧になるように、と存じて、つい御遊歩(ごゆうほ)などと申すような次第でございますよ。」
「いや、いや、偶像でなくってどうします。御姿(おすがた)を拝まないで、何を私(わたし)たちが信ずるんです。貴下(あなた)、偶像とおっしゃるから不可(いか)ん。
 名がありましょう、一体ごとに。
 釈迦(しゃか)、文殊(もんじゅ)、普賢(ふげん)、勢至(せいし)、観音(かんおん)、皆、名があるではありませんか。」

       八

「唯(ただ)、人と言えば、他人です、何でもない。これに名がつきましょう。名がつきますと、父となります、母となり、兄となり、姉となります。そこで、その人たちを、唯(ただ)、人にして扱いますか。
 偶像も同一(どういつ)です。唯(ただ)偶像なら何でもない、この御堂のは観世音(かんぜおん)です、信仰をするんでしょう。
 じゃ、偶像は、木(き)、金(かね)、乃至(ないし)、土。それを金銀、珠玉(しゅぎょく)で飾り、色彩を装(よそお)ったものに過ぎないと言うんですか。人間だって、皮、血、肉、五臓(ごぞう)、六腑(ろっぷ)、そんなもので束(つか)ねあげて、これに衣(き)ものを着せるんです。第一貴下(あなた)、美人だって、たかがそれまでのもんだ。
 しかし、人には霊魂(れいこん)がある、偶像にはそれがない、と言うかも知れん。その、貴下(あなた)、その貴下(あなた)、霊魂が何だか分らないから、迷いもする、悟りもする、危(あやぶ)みもする、安心もする、拝みもする、信心もするんですもの。
 的(まと)がなくって弓の修業が出来ますか。軽業(かるわざ)、手品(てじな)だって学ばねばならんのです。
 偶像は要(い)らないと言う人に、そんなら、恋人は唯(た)だ慕う、愛する、こがるるだけで、一緒にならんでも可(い)いのか、姿を見んでも可(い)いのか。姿を見たばかりで、口を利かずとも、口を利いたばかりで、手に縋(すが)らずとも、手に縋っただけで、寝ないでも、可(い)いのか、と聞いて御覧なさい。
 せめて夢にでも、その人に逢(あ)いたいのが実情です。
 そら、幻にでも神仏(かみほとけ)を見たいでしょう。
 釈迦(しゃか)、文殊(もんじゅ)、普賢(ふげん)、勢至(せいし)、観音(かんおん)、御像(おすがた)はありがたい訳(わけ)ではありませんか。」
 出家は活々(いきいき)とした顔になって、目の色が輝いた。心の籠(こも)った口のあたり、髯(ひげ)の穴も数えつびょう、
「申されました、おもしろい。」
 ぴたりと膝に手をついて、片手を額(ひたい)に加えたが、
「――うたゝ寐(ね)に恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき――」
 と独(ひと)り俯向(うつむ)いた口の裏(うち)に誦(じゅ)したのは、柱に記(しる)した歌である。
 こなたも思わず彼処(かしこ)を見た、柱なる蜘蛛(ささがに)の糸、あざやかなりけり水茎(みずぐき)の跡。
「そう承(うけたまわ)れば恥入(はじい)る次第で、恥を申さねば分らんでありますが、うたゝ寐(ね)の、この和歌でござる、」
「その歌が、」
 とこなたも膝の進むを覚えず。
「ええ、御覧なさい。其処中(そこらじゅう)、それ巡拝札(じゅんぱいふだ)を貼り散らしたと申すわけで、中にはな、売薬や、何かの広告に使いまするそうなが、それもありきたりで構わんであります。
 また誰(たれ)が何時(いつ)のまに貼って参るかも分りませんので。ところが、それ、其処(そこ)の柱の、その……」
「はあ、あの歌ですか。」
「御覧になったで、」
「先刻(さっき)、貴下(あなた)が声をおかけなすった時に、」
「お目に留(と)まったのでありましょう、それは歌の主(ぬし)が分っております。」
「婦人ですね。」
「さようで、最(もっと)も古歌(こか)でありますそうで、小野小町(おののこまち)の、」
「多分そうのようです。」
「詠(よ)まれたは御自分でありませんが、いや、丁(とん)とその詠(よ)み主(ぬし)のような美人でありましてな、」
「この玉脇(たまわき)……とか言う婦人が、」
 と、口では澄(す)ましてそう言ったが、胸はそぞろに時(とき)めいた。
「なるほど、今貴下(あなた)がお話しになりました、その、御像(おすがた)のことについて、恋人云々(うんぬん)のお言葉を考えて見ますると、これは、みだらな心ではのうて、行(ゆ)き方(かた)こそ違いまするが、かすかに照らせ山(やま)の端(は)の月、と申したように、観世音(かんぜおん)にあこがるる心を、古歌に擬(なぞ)らえたものであったかも分りませぬ。――夢てふものは頼み初(そ)めてき――夢になりともお姿をと言う。
 真個(まこと)に、ああいう世に稀(まれ)な美人ほど、早く結縁(けちえん)いたして仏果(ぶっか)を得た験(ためし)も沢山(たくさん)ございますから。
 それを大掴(おおづかみ)に、恋歌(こいか)を書き散らして参った。怪(け)しからぬ事と、さ、それも人によりけり、御経(おきょう)にも、若有女人設欲求男(にゃくうにょにんせつよくぐなん)、とありまするから、一概(いちがい)に咎(とが)め立てはいたさんけれども。あれがために一人殺したでござります。」
 聞くものは一驚(いっきょう)を吃(きっ)した。菜の花に見た蛇のそれより。

       九

「まさかとお思いなさるでありましょう、お話が大分唐突(だしぬけ)でござったで、」
 出家は頬に手をあてて、俯(うつむ)いてやや考え、
「いや、しかし恋歌(こいか)でないといたして見ますると、その死んだ人の方(ほう)が、これは迷いであったかも知れんでございます。」
「飛んだ話じゃありませんか、それはまたどうした事ですか。」
 と、こなたは何時(いつ)か、もう御堂(おどう)の畳に、にじり上(あが)っていた。よしありげな物語を聞くのに、懐(ふところ)が窮屈(きゅうくつ)だったから、懐中(かいちゅう)に押込(おしこ)んであった、鳥打帽(とりうちぼう)を引出して、傍(かたわら)に差置(さしお)いた。
 松風が音(ね)に立った。が、春の日なれば人よりも軽く、そよそよと空を吹くのである。
 出家は仏前の燈明(とうみょう)をちょっと見て、
「さればでござって。……
 実は先刻お話(はなし)申した、ふとした御縁で、御堂(おどう)のこの下の仮庵室(かりあんじつ)へお宿をいたしました、その御仁(ごじん)なのでありますが。
 その貴下(あなた)、うたゝ寝(ね)の歌を、其処(そこ)へ書きました、婦人のために……まあ、言って見ますれば恋煩(こいわずら)い、いや、こがれ死(じに)をなすったと申すものでございます。早い話が、」
「まあ、今時(いまどき)、どんな、男です。」
「丁(ちょう)ど貴下(あなた)のような方(かた)で、」
 呀(あ)? 茶釜(ちゃがま)でなく、這般(この)文福和尚(ぶんぶくおしょう)、渋茶(しぶちゃ)にあらぬ振舞(ふるまい)の三十棒(さんじゅうぼう)、思わず後(しりえ)に瞠若(どうじゃく)として、……唯(ただ)苦笑(くしょう)するある而已(のみ)……
「これは、飛んだ処(ところ)へ引合いに出しました、」
 と言って打笑(うちわら)い、
「おっしゃる事と申し、やはりこういう事からお知己(ちかづき)になったと申し、うっかり、これは、」
「否(いや)、結構ですとも。恋で死ぬ、本望です。この太平の世に生れて、戦場で討死(うちじに)をする機会がなけりゃ、おなじ畳の上で死ぬものを、憧(こが)れじにが洒落(しゃれ)ています。
 華族の金満家(きんまんか)へ生れて出て、恋煩(こいわずら)いで死ぬ、このくらいありがたい事はありますまい。恋は叶(かな)う方が可(よ)さそうなもんですが、そうすると愛別離苦(あいべつりく)です。
 唯(ただ)死ぬほど惚(ほ)れるというのが、金(かね)を溜(た)めるより難(かた)いんでしょう。」
「真(まこと)に御串戯(ごじょうだん)ものでおいでなさる。はははは、」
「真面目(まじめ)ですよ。真面目だけなお串戯(じょうだん)のように聞えるんです。あやかりたい人ですね。よくそんなのを見つけましたね。よくそんな、こがれ死(じに)をするほどの婦人が見つかりましたね。」
「それは見ることは誰にでも出来ます。美しいと申して、竜宮(りゅうぐう)や天上界(てんじょうかい)へ参らねば見られないのではござらんで、」
「じゃ現在いるんですね。」
「おりますとも。土地の人です。」
「この土地のですかい。」
「しかもこの久能谷(くのや)でございます。」
「久能谷の、」
「貴下(あなた)、何んでございましょう、今日此処(ここ)へお出でなさるには、その家(うち)の前を、御通行(おとおり)になりましたろうで、」
「その美人の住居(すまい)の前をですか。」
 と言う時、機(はた)を織った少(わか)い方の婦人(おんな)が目に浮んだ、赫燿(かくよう)として菜の花に。
「……じゃ、あの、やっぱり農家の娘で、」
「否々(いやいや)、大財産家(だいざいさんか)の細君でございます。」
「違いました、」
 と我を忘れて、呟(つぶや)いたが、
「そうですか、大財産家(おおがねもち)の細君ですか、じゃもう主(ぬし)ある花なんですね。」
「さようでございます。それがために、貴下(あなた)、」
「なるほど、他人のものですね。そうして誰が見ても綺麗(きれい)ですか、美人なんですかい。」
「はい、夏向(なつむき)は随分(ずいぶん)何千人という東京からの客人で、目の覚めるような美麗(びれい)な方(かた)もありまするが、なかなかこれほどのはないでございます。」
「じゃ、私(わたし)が見ても恋煩(こいわずら)いをしそうですね、危険(けんのん)、危険(けんのん)。」
 出家は真面目に、
「何故(なぜ)でございますか。」
「帰路(かえり)には気を注(つ)けねばなりません。何処(どこ)ですか、その財産家の家(うち)は。」

       十

 菜種(なたね)にまじる茅家(かやや)のあなたに、白波と、松吹風(まつふくかぜ)を右左(みぎひだ)り、其処(そこ)に旗のような薄霞(うすがすみ)に、しっとりと紅(くれない)の染(そ)む状(さま)に桃の花を彩(いろど)った、その屋(や)の棟(むね)より、高いのは一つもない。
「角(かど)の、あの二階家(にかいや)が、」
「ええ?」
「あれがこの歌のかき人(て)の住居(すまい)でござってな。」
 聞くものは慄然(ぞっ)とした。
 出家は何んの気もつかずに、
「尤(もっと)も彼処(あすこ)へは、去年の秋、細君だけが引越(ひきこ)して参ったので。丁(ちょう)ど私(わたくし)がお宿を致したその御仁(ごじん)が……お名は申しますまい。」
「それが可(よ)うございます。」
「唯(ただ)、客人――でお話をいたしましょう。その方(かた)が、庵室(あんじつ)に逗留中、夜分な、海へ入って亡(な)くなりました。」
「溺(おぼ)れたんですか、」
「と……まあ見えるでございます、亡骸(なきがら)が岩に打揚(うちあ)げられてござったので、怪我(けが)か、それとも覚悟の上か、そこは先(ま)ず、お聞取(ききと)りの上の御推察でありますが、私は前(ぜん)申す通り、この歌のためじゃようにな、」
「何しろ、それは飛んだ事です。」
「その客人が亡くなりまして、二月(ふたつき)ばかり過ぎてから、彼処(あすこ)へ、」
 と二階家の遥(はるか)なのを、雲の上から蔽(おお)うよう、出家は法衣(ころも)の袖(そで)を上げて、
「細君が引越して来ましたので。恋じゃ、迷(まよい)じゃ、という一騒(ひとさわ)ぎござった時分は、この浜方(はまがた)の本宅に一家族、……唯今(ただいま)でも其処(そこ)が本家、まだ横浜にも立派な店(たな)があるのでありまして、主人は大方(おおかた)その方(ほう)へ参っておりましょうが。
 この久能谷(くのや)の方は、女中ばかり、真(まこと)に閑静に住んでおります。」
「すると別荘なんですね。」
「いやいや、――どうも話がいろいろになります、――ところが久能谷の、あの二階家が本宅じゃそうで、唯今の主人も、あの屋根の下で生れたげに申します。
 その頃は幽(かすか)な暮しで、屋根と申した処(ところ)が、ああではありますまい。月も時雨(しぐれ)もばらばら葺(ぶき)。それでも先代の親仁(おやじ)と言うのが、もう唯今では亡くなりましたが、それが貴下(あなた)、小作人ながら大の節倹家(しまつや)で、積年の望みで、地面を少しばかり借りましたのが、私(わたくし)庵室(あんじつ)の背戸(せど)の地続きで、以前立派な寺がありました。その住職(じゅうしょく)の隠居所(いんきょじょ)の跡だったそうにございますよ。
 豆を植えようと、まことにこう天気の可(い)い、のどかな、陽炎(かげろう)がひらひら畔(あぜ)に立つ時分。
 親仁殿(おやじどの)、鍬(くわ)をかついで、この坂下へ遣(や)って来て、自分の借地(しゃくち)を、先(ま)ずならしかけたのでございます。
 とッ様昼上(ひるあが)りにせっせえ、と小児(こども)が呼びに来た時分、と申すで、お昼頃でありましょうな。
 朝疾(と)くから、出しなには寒かったで、布子(ぬのこ)の半纏(はんてん)を着ていたのが、その陽気なり、働き通しじゃ。親仁殿は向顱巻(むこうはちまき)、大肌脱(おおはだぬぎ)で、精々(せっせっ)と遣(や)っていた処(ところ)。大抵(たいてい)借用分の地券面(ちけんめん)だけは、仕事が済んで、これから些(ち)とほまちに山を削ろうという料簡(りょうけん)。ずかずか山の裾(すそ)を、穿(ほ)りかけていたそうでありますが、小児(こども)が呼びに来たについて、一服(いっぷく)遣(や)るべいかで、もう一鍬(ひとくわ)、すとんと入れると、急に土が軟(やわら)かく、ずぶずぶと柄(え)ぐるみにむぐずり込んだで。
 ずいと、引抜いた鍬(くわ)について、じとじとと染(にじ)んで出たのが、真紅(まっか)な、ねばねばとした水じゃ、」
「死骸ですか、」と切込(きりこ)んだ。
「大違い、大違い、」
 と、出家は大きくかぶりを掉(ふ)って、
「註文(ちゅうもん)通り、金子(かね)でござる、」
「なるほど、穿当(ほりあ)てましたね。」
「穿当(ほりあ)てました。海の中でも紅(べに)色の鱗(うろこ)は目覚(めざま)しい。土を穿(ほ)って出る水も、そういう場合には紫より、黄色より、青い色より、その紅色が一番見る目を驚かせます。
 はて、何んであろうと、親仁殿(おやじどの)が固くなって、もう二、三度穿(ほ)り拡げると、がっくり、うつろになったので、山の腹へ附着(くッつ)いて、こう覗(のぞ)いて見たそうにござる。」

       十一

「大蛇(だいじゃ)が顋(あぎと)を開(あ)いたような、真紅(まっか)な土の空洞(うつろ)の中に、づほらとした黒い塊(かたまり)が見えたのを、鍬(くわ)の先で掻出(かきだ)して見ると――甕(かめ)で。
 蓋(ふた)が打欠(ぶっか)けていたそうでございますが、其処(そこ)からもどろどろと、その丹色(にいろ)に底澄(そこす)んで光のある粘土(ねばつち)ようのものが充満(いっぱい)。
 別に何んにもありませんので、親仁殿(おやじどの)は惜気(おしげ)もなく打覆(ぶっかえ)して、もう一箇(ひとつ)あった、それも甕で、奥の方へ縦(たて)に二ツ並んでいたと申します――さあ、この方が真物(ほんもの)でござった。
 開(あ)けかけた蓋を慌(あわ)てて圧(おさ)えて、きょろきょろと其処(そこ)ら□(みまわ)したそうでございますよ。
 傍(そば)にいて覗(のぞ)き込んでいた、自分の小児(こども)をさえ、睨(にら)むようにして、じろりと見ながら、どう悠々(ゆうゆう)と、肌(はだ)なぞを入れておられましょう。
 素肌(すはだ)へ、貴下(あなた)、嬰児(あかんぼ)を負(おぶ)うように、それ、脱いで置いたぼろ半纏(ばんてん)で、しっかりくるんで、背負上(しょいあ)げて、がくつく腰を、鍬(くわ)を杖(つえ)にどッこいなじゃ。黙っていろよ、何んにも言うな、きっと誰にも饒舌(しゃべ)るでねえぞ、と言い続けて、内(うち)へ帰って、納戸(なんど)を閉切(しめき)って暗くして、お仏壇(ぶつだん)の前へ筵(むしろ)を敷いて、其処(そこ)へざくざくと装上(もりあ)げた。尤(もっと)も年が経(た)って薄黒くなっていたそうでありますが、その晩から小屋は何んとなく暗夜(やみよ)にも明るかった、と近所のものが話でござって。
 極性(ごくしょう)な朱(しゅ)でござったろう、ぶちまけた甕(かめ)充満(いっぱい)のが、時ならぬ曼珠沙華(まんじゅしゃげ)が咲いたように、山際(やまぎわ)に燃えていて、五月雨(さみだれ)になって消えましたとな。
 些(ちっ)と日数(ひかず)が経ってから、親仁どのは、村方(むらかた)の用達(ようたし)かたがた、東京へ参ったついでに芝口(しばぐち)の両換店(りょうがえや)へ寄って、汚(きたな)い煙草入(たばこいれ)から煙草の粉だらけなのを一枚だけ、そっと出して、いくらに買わっしゃる、と当って見ると、いや抓(つま)んだ爪(つめ)の方が黄色いくらいでござったに、正(しょう)のものとて争われぬ、七両(りょう)ならば引替(ひきか)えにと言うのを、もッと気張(きば)ってくれさっせえで、とうとう七両一分(ぶ)に替えたのがはじまり。
 そちこち、気長(きなが)に金子(かね)にして、やがて船一艘(そう)、古物(ふるもの)を買い込んで、海から薪炭(まきすみ)の荷を廻し、追々(おいおい)材木へ手を出しかけ、船の数も七艘までに仕上げた時、すっぱりと売物に出して、さて、地面を買う、店を拡げる、普請(ふしん)にかかる。
 土台が極(きま)ると、山の貸元(かしもと)になって、坐っていて商売が出来るようになりました、高利(こうり)は貸します。
 どかとした山の林が、あの裸になっては、店さきへすくすくと並んで、いつの間にか金(かね)を残しては何処(どこ)へか参る。
 そのはずでござるて。
 利のつく金子(かね)を借りて山を買う、木を伐(き)りかけ、資本(もとで)に支(つか)える。ここで材木を抵当(ていとう)にして、また借りる。すぐに利がつく、また伐りかかる、資本(もとで)に支(つか)える、また借りる、利でござろう。借りた方は精々(せっせっ)と樹(き)を伐(き)り出して、貸元(かしもと)の店へ材木を並べるばかり。追っかけられて見切って売るのを、安く買い込んでまた儲(もう)ける。行ったり、来たり、家の前を通るものが、金子(かね)を置いては失せるのであります。
 妻子眷属(さいしけんぞく)、一時(いっとき)にどしどしと殖(ふ)えて、人は唯(ただ)、天狗(てんぐ)が山を飲むような、と舌を巻いたでありまするが、蔭(かげ)じゃ――その――鍬(くわ)を杖(つえ)で胴震(どうぶる)いの一件をな、はははは、こちとら、その、も一ツの甕(かめ)の朱(しゅ)の方だって、手を押(おッ)つけりゃ血になるだ、なぞと、ひそひそ話(ばなし)を遣(や)るのでござって、」
「そういう人たちはまた可(い)い塩梅(あんばい)に穿(ほ)り当てないもんですよ。」
 と顔を見合わせて二人が笑った。
「よくしたものでございます。いくら隠していることでも何処(どこ)をどうして知れますかな。
 いや、それについて、」
 出家は思出(おもいだ)したように、
「こういう話がございます。その、誰にも言うな、と堅く口留(くちど)めをされた斉之助(せいのすけ)という小児(こども)が、(父様(とっさま)は野良(のら)へ行って、穴のない天保銭(てんぽうせん)をドシコと背負(しょ)って帰らしたよ。)
 ……如何(いかが)でござる、ははははは。」
「なるほど、穴のない天保銭。」
「その穴のない天保銭が、当主でございます。多額納税議員(たがくのうぜいぎいん)、玉脇斉之助(たまわきせいのすけ)、令夫人おみを殿、その歌をかいた美人であります、如何(いかが)でございます、貴下(あなた)、」

       十二

「先ずお茶を一ツ。御約束通り渋茶でござって、碌(ろく)にお茶台(ちゃだい)もありませんかわりには、がらんとして自然に片づいております。お寛(くつろ)ぎ下さい。秋になりますると、これで町へ遠うございますかわりには、栗(くり)柿(かき)に事を欠きませぬ。烏(からす)を追って柿を取り、高音(たかね)を張ります鵙(もず)を驚かして、栗を落してなりと差上げましょうに。
 まあ、何よりもお楽に、」
 と袈裟(けさ)をはずして釘(くぎ)にかけた、障子(しょうじ)に緋桃(ひもも)の影法師(かげぼうし)。今物語(いまものがたり)の朱(しゅ)にも似て、破目(やれめ)を暖(あたたか)く燃ゆる状(さま)、法衣(ころも)をなぶる風情(ふぜい)である。
 庵室(あんじつ)から打仰(うちあお)ぐ、石の階子(はしご)は梢(こずえ)にかかって、御堂(みどう)は屋根のみ浮いたよう、緑の雲にふっくりと沈んで、山の裾(すそ)の、縁(えん)に迫って萌葱(もえぎ)なれば、あま下(さが)る蚊帳(かや)の外に、誰(たれ)待つとしもなき二人、煙(けぶ)らぬ火鉢のふちかけて、ひらひらと蝶(ちょう)が来る。
「御堂(おどう)の中では何んとなく気もあらたまります。此処(ここ)でお茶をお入れ下すった上のお話じゃ、結構(けっこう)過ぎますほどですが、あの歌に分れて来たので、何んだかなごり惜(おし)い心持(こころもち)もします。」
「けれども、石段だけも、婀娜(あだ)な御本尊(ごほんぞん)へは路(みち)が近うなってございますから、はははは。
 実(じつ)の処(ところ)仏の前では、何か私(わたくし)が自分に懺悔(ざんげ)でもしまするようで心苦しい。此処(ここ)でありますと大きに寛(くつろ)ぐでございます。
 師のかげを七尺(しゃく)去るともうなまけの通りで、困ったものでありますわ。
 そこで客人でございます。――
 日頃のお話ぶり、行為(おこない)、御容子(ごようす)な、」
「どういう人でした。」
「それは申しますまい。私も、盲目(めくら)の垣覗(かきのぞ)きよりもそッと近い、机覗(つくえのぞ)きで、読んでおいでなさった、書物(しょもつ)などの、お話も伺(うかが)って、何をなさる方じゃと言う事も存じておりますが、経文(きょうもん)に書いてあることさえ、愚昧(ぐまい)に饒舌(しゃべ)ると間違います。
 故人をあやまり伝えてもなりませず、何か評(ひょう)をやるようにも当りますから、唯々(ただただ)、かのな、婦人との模様だけ、お物語りしましょうで。
 一日(あるひ)晩方(ばんがた)、極暑(ごくしょ)のみぎりでありました。浜の散歩から返ってござって、(和尚(おしょう)さん、些(ちっ)と海へ行って御覧なさいませんか。綺麗(きれい)な人がいますよ。)
(ははあ、どんな、貴下(あなた)、)
(あの松原の砂路(すなじ)から、小松橋(こまつばし)を渡ると、急にむこうが遠目金(とおめがね)を嵌(は)めたように円(まる)い海になって富士(ふじ)の山が見えますね、)
 これは御存じでございましょう。」
「知っていますとも。毎日のように遊びに出ますもの、」
「あの橋の取附(とッつ)きに、松の樹で取廻(とりまわ)して――松原はずッと河を越して広い洲(す)の林になっておりますな――そして庭を広く取って、大玄関(おおげんかん)へ石を敷詰(しきつ)めた、素ばらしい門のある邸(やしき)がございましょう。あれが、それ、玉脇(たまわき)の住居(すまい)で。
 実はあの方(ほう)を、東京の方(かた)がなさる別荘を真似(まね)て造ったでありますが、主人が交際(つきあい)ずきで頻(しきり)と客をしまする処(ところ)、いずれ海が、何よりの呼物(よびもの)でありますに。この久能谷(くのや)の方は、些(ちっ)と足場(あしば)が遠くなりますから、すべて、見得装飾(みえかざり)を向うへ持って参って、小松橋(こまつばし)が本宅のようになっております。
 そこで、去年の夏頃は、御新姐(ごしんぞ)。申すまでもない、そちらにいたでございます。
 でその――小松橋を渡ると、急に遠目金(とおめがね)を覗(のぞ)くような円(まる)い海の硝子(がらす)へ――ぱっと一杯に映(うつ)って、とき色の服の姿が浪(なみ)の青いのと、巓(いただき)の白い中へ、薄い虹(にじ)がかかったように、美しく靡(なび)いて来たのがある。……

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