雪の翼
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著者名:泉鏡花 

 柏崎海軍少尉(かしはざきかいぐんせうゐ)の夫人(ふじん)に、民子(たみこ)といつて、一昨年(いつさくねん)故郷(ふるさと)なる、福井(ふくゐ)で結婚(けつこん)の式(しき)をあげて、佐世保(させぼ)に移住(うつりす)んだのが、今度(こんど)少尉(せうゐ)が出征(しゆつせい)に就(つ)き、親里(おやざと)の福井(ふくゐ)に歸(かへ)り、神佛(しんぶつ)を祈(いの)り、影膳(かげぜん)据(す)ゑつつ座(ざ)にある如(ごと)く、家(いへ)を守(まも)つて居(ゐ)るのがあつた。
 旅順(りよじゆん)の吉報(きつぱう)傳(つた)はるとともに幾干(いくばく)の猛將(まうしやう)勇士(ゆうし)、或(あるひ)は士卒(しそつ)――或(あるひ)は傷(きず)つき骨(ほね)も皮(かは)も散々(ちり/″\)に、影(かげ)も留(とゞ)めぬさへある中(なか)に夫(をつと)は天晴(あつぱれ)の功名(こうみやう)して、唯(たゞ)纔(わづか)に左(ひだり)の手(て)に微傷(かすりきず)を受(う)けたばかりと聞(き)いた時(とき)、且(か)つ其(そ)の乘組(のりく)んだ艦(ふね)の帆柱(ほばしら)に、夕陽(せきやう)の光(ひかり)を浴(あ)びて、一羽(は)雪(ゆき)の如(ごと)き鷹(たか)の來(きた)り留(とま)つた報(はう)を受(う)け取(と)つた時(とき)、連添(つれそ)ふ身(み)の民子(たみこ)は如何(いか)に感(かん)じたらう。あはれ新婚(しんこん)の式(しき)を擧(あ)げて、一年(ひとゝせ)の衾(ふすま)暖(あたゝ)かならず、戰地(せんち)に向(むか)つて出立(いでた)つた折(をり)には、忍(しの)んで泣(な)かなかつたのも、嬉涙(うれしなみだ)に暮(く)れたのであつた。
 あゝ、其(そ)のよろこびの涙(なみだ)も、夜(よる)は片敷(かたし)いて帶(おび)も解(と)かぬ留守(るす)の袖(そで)に乾(かわ)きもあへず、飛報(ひはう)は鎭守府(ちんじゆふ)の病院(びやうゐん)より、一家(いつけ)の魂(たましひ)を消(け)しに來(き)た。
 少尉(せうゐ)が病(や)んで、豫後(よご)不良(ふりやう)とのことである。
 此(こ)の急信(きふしん)は××年(ねん)××月(ぐわつ)××日(にち)、午後(ごご)三時(じ)に屆(とゞ)いたので、民子(たみこ)は蒼(あを)くなつて衝(つ)と立(た)つと、不斷着(ふだんぎ)に繻子(しゆす)の帶(おび)引緊(ひきし)めて、つか/\と玄關(げんくわん)へ。父親(ちゝおや)が佛壇(ぶつだん)に御明(みあかし)を點(てん)ずる間(ま)に、母親(はゝおや)は、財布(さいふ)の紐(ひも)を結(ゆは)へながら、駈(か)けて出(で)て之(これ)を懷中(ふところ)に入(い)れさせる、女中(ぢよちう)がシヨオルをきせかける、隣(となり)の女房(にようばう)が、急(いそ)いで腕車(くるま)を仕立(したて)に行(ゆ)く、とかうする内(うち)、お供(とも)に立(た)つべき與曾平(よそべい)といふ親仁(おやぢ)、身支度(みじたく)をするといふ始末(しまつ)。さて、取(と)るものも取(と)りあへず福井(ふくゐ)の市(まち)を出發(しゆつぱつ)した。これが鎭守府(ちんじゆふ)の病院(びやうゐん)に、夫(をつと)を見舞(みま)ふ首途(かどで)であつた。
 冬(ふゆ)の日(ひ)の、山國(やまぐに)の、名(な)にしおふ越路(こしぢ)なり、其日(そのひ)は空(そら)も曇(くも)りたれば、漸(やうや)く町(まち)をはづれると、九頭龍川(くづりうがは)の川面(かはづら)に、早(は)や夕暮(ゆふぐれ)の色(いろ)を籠(こ)めて、暗(くら)くなりゆく水蒼(みづあを)く、早瀬(はやせ)亂(みだ)れて鳴(な)る音(おと)も、千々(ちゞ)に碎(くだ)けて立(た)つ波(なみ)も、雪(ゆき)や!其(そ)の雪(ゆき)の思(おも)ひ遣(や)らるゝ空模樣(そらもやう)。近江(あふみ)の國(くに)へ山越(やまごし)に、出(い)づるまでには、中(なか)の河内(かはち)、木(き)の芽峠(めたうげ)が、尤(もつと)も近(ちか)きは目(め)の前(まへ)に、春日野峠(かすがのたうげ)を控(ひか)へたれば、頂(いたゞき)の雲(くも)眉(まゆ)を蔽(おほ)うて、道(みち)のほど五里(り)あまり、武生(たけふ)の宿(しゆく)に着(つ)いた頃(ころ)、日(ひ)はとつぷりと暮(く)れ果(は)てた。
 長旅(ながたび)は抱(かゝ)へたり、前(まへ)に峠(たうげ)を望(のぞ)んだれば、夜(よ)を籠(こ)めてなど思(おも)ひも寄(よ)らず、柳屋(やなぎや)といふに宿(やど)を取(と)る。
 路(みち)すがら手(て)も足(あし)も冷(ひ)え凍(こほ)り、火鉢(ひばち)の上(うへ)へ突伏(つゝぷ)しても、身(み)ぶるひやまぬ寒(さむ)さであつたが、
 枕(まくら)に就(つ)いて初夜(しよや)過(す)ぐる頃(ころ)ほひより、少(すこ)し氣候(きこう)がゆるんだと思(おも)ふと、凡(およ)そ手掌(てのひら)ほどあらうといふ、俗(ぞく)に牡丹(ぼたん)となづくる雪(ゆき)が、しと/\と果(はて)しもあらず降出(ふりだ)して、夜中頃(よなかごろ)には武生(たけふ)の町(まち)を笠(かさ)のやうに押被(おつかぶ)せた、御嶽(おんたけ)といふ一座(いちざ)の峰(みね)、根(ね)こそぎ一搖(ひとゆ)れ、搖(ゆ)れたかと思(おも)ふ氣勢(けはひ)がして、風(かぜ)さへ颯(さつ)と吹(ふ)き添(そ)つた。
 一(いち)の谷(たに)、二(に)の谷(たに)、三(さん)の谷(たに)、四(し)の谷(たに)かけて、山々(やま/\)峰々(みね/\)縱横(じうわう)に、荒(あ)れに荒(あ)るゝが手(て)に取(と)るやう、大波(おほなみ)の寄(よ)せては返(かへ)すに齊(ひと)しく、此(こ)の一夜(いちや)に北國空(ほくこくぞら)にあらゆる雪(ゆき)を、震(ふる)ひ落(おと)すこと、凄(すさ)まじい。
 民子(たみこ)は一炊(いつすゐ)の夢(ゆめ)も結(むす)ばず。あけ方(がた)に風(かぜ)は凪(な)いだ。
 昨夜(ゆうべ)雇(やと)つた腕車(くるま)が二臺(だい)、雪(ゆき)の門(かど)を叩(たゝ)いたので、主從(しうじう)は、朝餉(あさげ)の支度(したく)も□々(そこ/\)に、身(み)ごしらへして、戸外(おもて)に出(で)ると、東雲(しのゝめ)の色(いろ)とも分(わ)かず黄昏(たそがれ)の空(そら)とも見(み)えず、溟々(めい/\)濛々(もう/\)として、天地(てんち)唯(たゞ)一白(いつぱく)。
 不意(ふい)に積(つも)つた雪(ゆき)なれば、雪車(そり)と申(まを)しても間(ま)に合(あは)ず、ともかくもお車(くるま)を。帳場(ちやうば)から此處(こゝ)へ參(まゐ)る内(うち)も、此(こ)の通(とほ)りの大汗(おほあせ)と、四人(よつたり)の車夫(しやふ)は口(くち)を揃(そろ)へ、精一杯(せいいつぱい)、後押(あとおし)で、お供(とも)はいたして見(み)まするけれども、前途(さき)のお請合(うけあひ)はいたされず。何(なに)はしかれ車(くるま)の齒(は)の埋(うづ)まりますまで、遣(や)るとしませう。其上(そのうへ)は、三人(にん)がかり五人(にん)がかり、三井寺(みゐでら)の鐘(かね)をかつぐ力(ちから)づくでは、とても一寸(いつすん)も動(うご)きはしませぬ。お約束(やくそく)なれば當(たう)柳屋(やなぎや)の顏立(かほだて)に參(まゐ)つたまで、と、しり込(ごみ)すること一方(ひとかた)ならず。唯(たゞ)急(いそ)ぎに急(いそ)がれて、こゝに心(こゝろ)なき主從(しうじう)よりも、御機嫌(ごきげん)ようと門(かど)に立(た)つて、一曳(ひとひき)ひけば降(ふ)る雪(ゆき)に、母衣(ほろ)の形(かたち)も早(は)や隱(かく)れて、殷々(いん/\)として沈(しづ)み行(ゆ)く客(きやく)を見送(みおく)る宿(やど)のものが、却(かへ)つて心細(こゝろぼそ)い限(かぎ)りであつた。
 酒代(さかて)は惜(をし)まぬ客人(きやくじん)なり、然(しか)も美人(びじん)を載(の)せたれば、屈竟(くつきやう)の壯佼(わかもの)勇(いさみ)をなし、曳々聲(えい/\ごゑ)を懸(か)け合(あ)はせ、畷(なはて)、畦道(あぜみち)、村(むら)の徑(みち)、揉(も)みに揉(も)んで、三里(り)の路(みち)に八九時間(じかん)、正午(しやうご)といふのに、峠(たうげ)の麓(ふもと)、春日野村(かすがのむら)に着(つ)いたので、先(ま)づ一軒(けん)の茶店(ちやみせ)に休(やす)んで、一行(いつかう)は吻(ほつ)と呼吸(いき)。
 茶店(ちやみせ)のものも爐(ろ)を圍(かこ)んで、ぼんやりとして居(ゐ)るばかり。いふまでもなく極月(しはす)かけて三月(さんぐわつ)彼岸(ひがん)の雪(ゆき)どけまでは、毎年(まいねん)こんな中(なか)に起伏(おきふし)するから、雪(ゆき)を驚(おどろ)くやうな者(もの)は忘(わす)れても無(な)い土地柄(とちがら)ながら、今年(ことし)は意外(いぐわい)に早(はや)い上(うへ)に、今時(いまどき)恁(か)くまで積(つも)るべしとは、七八十になつた老人(らうじん)も思(おも)ひ懸(が)けないのであつたと謂(い)ふから。
 來(く)る道(みち)でも、村(むら)を拔(ぬ)けて、藪(やぶ)の前(まへ)など通(とほ)る折(をり)は、兩側(りやうがは)から倒(たふ)れ伏(ふ)して、竹(たけ)も三尺(じやく)の雪(ゆき)を被(かつ)いで、或(あるひ)は五間(けん)、或(あるひ)は十間(けん)、恰(あたか)も眞綿(まわた)の隧道(トンネル)のやうであつたを、手(て)で拂(はら)ひ笠(かさ)で拂(はら)ひ、辛(から)うじて腕車(くるま)を潛(くゞ)らしたれば、網(あみ)の目(め)にかゝつたやうに、彼方(あなた)此方(こなた)を、雀(すゞめ)がばら/\、洞(ほら)に蝙蝠(かうもり)の居(ゐ)るやうだつた、と車夫同士(くるまやどうし)語(かた)りなどして、しばらく澁茶(しぶちや)に市(いち)が榮(さか)える。
 聲(こゑ)の中(なか)に噫(あツ)と一聲(ひとこゑ)、床几(しやうぎ)から轉(ころ)げ落(お)ちさう、脾腹(ひばら)を抱(かゝ)へて呻(うめ)いたのは、民子(たみこ)が供(とも)の與曾平親仁(よそべいおやぢ)。
 這(こ)は便(びん)なし、心(しん)を冷(ひや)した老(おい)の癪(しやく)、其(そ)の惱(なやみ)輕(かろ)からず。
 一體(いつたい)誰彼(たれかれ)といふ中(うち)に、さし急(いそ)いだ旅(たび)なれば、註文(ちうもん)は間(ま)に合(あは)ず、殊(こと)に少(わか)い婦人(をんな)なり。うつかりしたものも連(つ)れられねば、供(とも)さして遣(や)られもせぬ。與曾平(よそべい)は、三十年餘(みそとせあま)りも律儀(りちぎ)に事(つか)へて、飼殺(かひごろし)のやうにして置(お)く者(もの)の氣質(きだて)は知(し)れたり、今(いま)の世(よ)の道中(だうちう)に、雲助(くもすけ)、白波(しらなみ)の恐(おそ)れなんど、あるべくも思(おも)はれねば、力(ちから)はなくても怪(け)しうはあらず、最(もつと)も便(たより)よきは年(とし)こそ取(と)つたれ、大根(だいこん)も引(ひ)く、屋根(やね)も葺(ふ)く、水(みづ)も汲(く)めば米(こめ)も搗(つ)く、達者(たつしや)なればと、この老僕(おやぢ)を擇(えら)んだのが、大(おほい)なる過失(くわしつ)になつた。
 いかに息災(そくさい)でも既(すで)に五十九、あけて六十にならうといふのが、内(うち)でこそはくる/\□(まは)れ、近頃(ちかごろ)は遠路(とほみち)の要(えう)もなく、父親(ちゝおや)が本(ほん)を見(み)る、炬燵(こたつ)の端(はし)を拜借(はいしやく)し、母親(はゝおや)が看經(かんきん)するうしろから、如來樣(によらいさま)を拜(をが)む身分(みぶん)、血(ち)の氣(け)の少(すく)ないのか、とやかくと、心遣(こゝろづか)ひに胸(むね)を騷(さわ)がせ、寒(さむ)さに骨(ほね)を冷(ひや)したれば、忘(わす)れて居(ゐ)た持病(ぢびやう)がこゝで、生憎(あいにく)此時(このとき)。
 雪(ゆき)は小止(をやみ)もなく降(ふ)るのである、見(み)る/\内(うち)に積(つも)るのである。
 大勢(おほぜい)が寄(よ)つて集(たか)り、民子(たみこ)は取縋(とりすが)るやうにして、介抱(かいほう)するにも、藥(くすり)にも、ありあはせの熊膽(くまのゐ)位(くらゐ)、其(それ)でも心(こゝろ)は通(つう)じたか、少(すこ)しは落着(おちつ)いたから一刻(いつこく)も疾(はや)くと、再(ふたゝ)び腕車(くるま)を立(た)てようとすれば、泥除(どろよけ)に噛(かじ)りつくまでもなく、與曾平(よそべい)は腰(こし)を折(を)つて、礑(はた)と倒(たふ)れて、顏(かほ)の色(いろ)も次第(しだい)に變(かは)り、之(これ)では却(かへ)つて足手絡(あしてまと)ひ、一式(いつしき)の御恩(ごおん)報(はう)じ、此(こ)のお供(とも)をと想(おも)ひましたに、最(も)う叶(かな)はぬ、皆(みんな)で首(くび)を縊(し)めてくれ、奧樣(おくさま)私(わし)を刺殺(さしころ)して、お心懸(こゝろがかり)のないやうに願(ねが)ひまする。おのれやれ、死(し)んで鬼(おに)となり、無事(ぶじ)に道中(だうちう)はさせませう、魂(たましひ)が附添(つきそ)つて、と血狂(ちくる)ふばかりに急(あせ)るほど、弱(よわ)るは老(おい)の身體(からだ)にこそ。
 口々(くち/″\)に押宥(おしなだ)め、民子(たみこ)も切(せつ)に慰(なぐさ)めて、お前(まへ)の病氣(びやうき)を看護(みと)ると謂(い)つて此處(こゝ)に足(あし)は留(と)められぬ。棄(す)てゝ行(ゆ)くには忍(しの)びぬけれども、鎭守府(ちんじゆふ)の旦那樣(だんなさま)が、呼吸(いき)のある内(うち)一目(ひとめ)逢(あ)ひたい、私(わたし)の心(こゝろ)は察(さつ)しておくれ、とかういふ間(ま)も心(こゝろ)は急(せ)く、峠(たうげ)は前(まへ)に控(ひか)へて居(ゐ)るし、爺(ぢい)や!
 もし奧樣(おくさま)。
 と土間(どま)の端(はし)までゐざり出(い)でて、膝(ひざ)をついて、手(て)を合(あは)すのを、振返(ふりかへ)つて、母衣(ほろ)は下(お)りた。
 一臺(だい)の腕車(わんしや)二人(にん)の車夫(しやふ)は、此(こ)の茶店(ちやみせ)に留(とゞ)まつて、人々(ひと/″\)とともに手當(てあて)をし、些(ちつ)とでもあがきが着(つ)いたら、早速(さつそく)武生(たけふ)までも其日(そのひ)の内(うち)に引返(ひつかへ)すことにしたのである。
 民子(たみこ)の腕車(くるま)も二人(ふたり)がかり、それから三里半(りはん)だら/\のぼりに、中空(なかぞら)に聳(そび)えたる、春日野峠(かすがのたうげ)にさしかゝる。
 ものの半道(はんみち)とは上(のぼ)らないのに、車(くるま)の齒(は)の軋(きし)り強(つよ)く、平地(ひらち)でさへ、分(わ)けて坂(さか)、一分間(ぷんかん)に一寸(すん)づゝ、次第(しだい)に雪(ゆき)が嵩(かさ)増(ま)すので、呼吸(いき)を切(き)つても、もがいても、腕車(くるま)は一歩(ぽ)も進(すゝ)まずなりぬ。
 前(まへ)なるは梶棒(かぢぼう)を下(おろ)して坐(すわ)り、後(あと)なるは尻餅(しりもち)ついて、御新造(ごしんぞ)さん、とてもと謂(い)ふ。
 大方(おほかた)は恁(か)くあらむと、期(ご)したることとて、民子(たみこ)も豫(あらかじ)め覺悟(かくご)したから、茶店(ちやみせ)で草鞋(わらぢ)を穿(は)いて來(き)たので、此處(こゝ)で母衣(ほろ)から姿(すがた)を顯(あらは)し、山路(やまぢ)の雪(ゆき)に下立(おりた)つと、早(は)や其(そ)の爪先(つまさき)は白(しろ)うなる。
 下坂(くだりざか)は、動(うごき)が取(と)れると、一名(めい)の車夫(しやふ)は空車(から)を曳(ひ)いて、直(す)ぐに引返(ひつかへ)す事(こと)になり、梶棒(かぢぼう)を取(と)つて居(ゐ)たのが、旅鞄(たびかばん)を一個(ひとつ)背負(しよ)つて、之(これ)が路案内(みちあんない)で峠(たうげ)まで供(とも)をすることになつた。
 其(そ)の鐵(てつ)の如(ごと)き健脚(けんきやく)も、雪(ゆき)を踏(ふ)んではとぼ/\しながら、前(まへ)へ立(た)つて足(あし)あとを印(いん)して上(のぼ)る、民子(たみこ)はあとから傍目(わきめ)も觸(ふ)らず、攀(よ)ぢ上(のぼ)る心細(こゝろぼそ)さ。
 千山(せんざん)萬岳(ばんがく)疊々(てふ/″\)と、北(きた)に走(はし)り、西(にし)に分(わか)れ、南(みなみ)より迫(せま)り、東(ひがし)より襲(おそ)ふ四圍(しゐ)たゞ高(たか)き白妙(しろたへ)なり。
 さるほどに、山(やま)又(また)山(やま)、上(のぼ)れば峰(みね)は益(ます/\)累(かさな)り、頂(いたゞき)は愈々(いよ/\)聳(そび)えて、見渡(みわた)せば、見渡(みわた)せば、此處(こゝ)ばかり日(ひ)の本(もと)を、雪(ゆき)が封(ふう)ずる光景(ありさま)かな。
 幸(さいはひ)に風(かぜ)が無(な)く、雪路(ゆきみち)に譬(たと)ひ山中(さんちう)でも、然(さ)までには寒(さむ)くない、踏(ふ)みしめるに力(ちから)の入(い)るだけ、却(かへ)つて汗(あせ)するばかりであつたが、裾(すそ)も袂(たもと)も硬(こは)ばるやうに、ぞつと寒(さむ)さが身(み)に迫(せま)ると、山々(やま/\)の影(かげ)がさして、忽(たちま)ち暮(くれ)なむとする景色(けしき)。あはよく峠(たうげ)に戸(と)を鎖(とざ)した一軒(けん)の山家(やまが)の軒(のき)に辿(たど)り着(つ)いた。
 さて奧樣(おくさま)、目當(めあて)にいたして參(まゐ)つたは此(こ)の小家(こいへ)、忰(せがれ)は武生(たけふ)に勞働(はたらき)に行(い)つて居(を)り、留守(るす)は山(やま)の主(ぬし)のやうな、爺(ぢい)と婆(ばゞ)二人(ふたり)ぐらし、此處(こゝ)にお泊(とま)りとなさいまし、戸(と)を叩(たゝ)いてあけさせませう。また彼方此方(あつちこち)五六軒(けん)立場茶屋(たてばぢやや)もござりますが、美(うつく)しい貴女(あなた)さま、唯(たつた)お一人(ひとり)、預(あづ)けまして、安心(あんしん)なは、此(こ)の外(ほか)にござりませぬ。武生(たけふ)の富藏(とみざう)が受合(うはあ)ひました、何(なん)にしろお泊(とま)んなすつて、今夜(こんや)の樣子(やうす)を御覽(ごらう)じまし。此(こ)の雪(ゆき)の止(や)むか止(や)まぬかが勝負(しようぶ)でござります。もし留(や)みませぬと、迚(とて)も路(みち)は通(つう)じません、降(ふり)やんでくれさへすれば、雪車(そり)の出(で)ます便宜(たより)もあります、御存(ごぞん)じでもありませうが、此(こ)の邊(へん)では、雪籠(ゆきごめ)といつて、山(やま)の中(なか)で一夜(いちや)の内(うち)に、不意(ふい)に雪(ゆき)に會(あ)ひますると、時節(じせつ)の來(く)るまで何方(どちら)へも出(で)られぬことになりますから、私(わたくし)は稼人(かせぎにん)、家(うち)に四五人(にん)も抱(かゝ)へて居(を)ります、萬(まん)に一(ひと)つも、もし、然(さ)やうな目(め)に逢(あ)ひますると、媽々(かゝあ)や小兒(こども)が□(あご)を釣(つ)らねばなりませぬで、此(こ)の上(うへ)お供(とも)は出來(でき)かねまする。お別(わか)れといたしまして、其處(そこ)らの茶店(ちやみせ)をあけさせて、茶碗酒(ちやわんざけ)をぎうとあふり、其(そ)の勢(いきほひ)で、暗雲(やみくも)に、とんぼを切(き)つて轉(ころ)げるまでも、今日(けふ)の内(うち)に麓(ふもと)まで歸(かへ)ります、とこれから雪(ゆき)の伏家(ふせや)を叩(たゝ)くと、老人夫婦(らうじんふうふ)が出迎(いでむか)へて、富藏(とみざう)に仔細(しさい)を聞(き)くと、お可哀相(かはいさう)のいひつゞけ。
 行先(ゆくさき)が案(あん)じられて、我(われ)にもあらずしよんぼりと、門(と)に彳(たゝず)んで入(はひ)りもやらぬ、媚(なまめか)しい最明寺殿(さいみやうじどの)を、手(て)を採(と)つて招(せう)じ入(い)れて、舁据(かきす)ゑるやうに圍爐裏(ゐろり)の前(まへ)。
 お前(まへ)まあ些(ちつ)と休(やす)んでと、深切(しんせつ)にほだされて、懷(なつか)しさうに民子(たみこ)がいふのを、いゝえ、さうしては居(を)られませぬ、お荷物(にもつ)は此處(こゝ)へ、もし御遠慮(ごゑんりよ)はござりませぬ、足(あし)を投出(なげだ)して、裾(すそ)の方(はう)からお温(ぬくも)りなされませ、忘(わす)れても無理(むり)な路(みち)はなされますな。それぢやとつさん頼(たの)んだぜ、婆(ばあ)さん、いたはつて上(あ)げてくんなせい。
 富藏(とみざう)さんとやら、といつて、民子(たみこ)は思(おも)はず涙(なみだ)ぐむ。
 へい、奧(おく)さま御機嫌(ごきげん)よう、へい、又(また)通(とほ)りがかりにも、お供(とも)の御病人(ごびやうにん)に氣(き)をつけます。あゝ、いかい難儀(なんぎ)をして、おいでなさるさきの旦那樣(だんなさま)も御大病(ごたいびやう)さうな、唯(たゞ)の時(とき)なら橋(はし)の上(うへ)も、欄干(らんかん)の方(はう)は避(よ)けてお通(とほ)りなさらうのに、おいたはしい。お天道樣(てんたうさま)、何分(なにぶん)お頼(たの)み申(まを)しますぜ、やあお天道樣(てんたうさま)といや降(ふ)ることは/\。
 あとに頼(たの)むは老人夫婦(らうじんふうふ)、之(これ)が又(また)、補陀落山(ふだらくさん)から假(かり)にこゝへ、庵(いほり)を結(むす)んで、南無(なむ)大悲(だいひ)民子(たみこ)のために觀世音(くわんぜおん)。
 其(そ)の情(なさけ)で、饑(う)ゑず、凍(こゞ)えず、然(しか)も安心(あんしん)して寢床(ねどこ)に入(はひ)ることが出來(でき)た。
 佗(わび)しさは、食(た)べるものも、着(き)るものも、こゝに斷(ことわ)るまでもない、薄(うす)い蒲團(ふとん)も、眞心(まごころ)には暖(あたゝか)く、殊(こと)に些(ちと)は便(たよ)りにならうと、故(わざ)と佛間(ぶつま)の佛壇(ぶつだん)の前(まへ)に、枕(まくら)を置(お)いてくれたのである。
 心靜(こゝろしづか)に枕(まくら)には就(つ)いたが、民子(たみこ)は何(ど)うして眠(ねむ)られよう、晝(ひる)の疲勞(つかれ)を覺(おぼ)ゆるにつけても、思(おも)ひ遣(や)らるゝ後(のち)の旅(たび)。
 更(ふ)け行(ゆ)く閨(ねや)に聲(こゑ)もなく、凉(すゞ)しい目(め)ばかりぱち/\させて、鐘(かね)の音(ね)も聞(きこ)えぬのを、徒(いたづら)に指(ゆび)を折(を)る、寂々(しん/\)とした板戸(いたど)の外(そと)に、ばさりと物音(ものおと)。
 民子(たみこ)は樹(き)を辷(すべ)つた雪(ゆき)のかたまりであらうと思(おも)つた。
 しばらくして又(また)ばさりと障(さは)つた、恁(かゝ)る時(とき)、恁(かゝ)る山家(やまが)に雪(ゆき)の夜半(よは)、此(こ)の音(おと)に恐氣(おぢけ)だつた、婦人氣(をんなぎ)はどんなであらう。
 富藏(とみざう)は疑(うたが)はないでも、老夫婦(らうふうふ)の心(こゝろ)は分(わか)つて居(ゐ)ても、孤家(ひとつや)である、この孤家(ひとつや)なる言(ことば)は、昔語(むかしがたり)にも、お伽話(とぎばなし)にも、淨瑠璃(じやうるり)にも、ものの本(ほん)にも、年紀(とし)今年(ことし)二十(はたち)になるまで、民子(たみこ)の耳(みゝ)に入(はひ)つた響(ひゞ)きに、一(ひと)ツとして、悲慘(ひさん)悽愴(せいさう)の趣(おもむき)を今(いま)爰(こゝ)に囁(さゝや)き告(つ)ぐる、材料(ざいれう)でないのはない。
 呼吸(いき)を詰(つ)めて、なほ鈴(すゞ)のやうな瞳(ひとみ)を凝(こら)せば、薄暗(うすぐら)い行燈(あんどう)の灯(ひ)の外(ほか)、壁(かべ)も襖(ふすま)も天井(てんじやう)も暗(くらが)りでないものはなく、雪(ゆき)に眩(くる)めいた目(め)には一(ひと)しほで、ほのかに白(しろ)いは我(われ)とわが、俤(おもかげ)に立(た)つ頬(ほゝ)の邊(あたり)を、確乎(しつか)とおさへて枕(まくら)ながら幽(かすか)にわなゝく小指(こゆび)であつた。
 あなわびし、うたてくもかゝる際(さい)に、小用(こよう)がたしたくなつたのである。
 もし。ふるへ聲(ごゑ)で又(また)、
 もし/\と、二聲(ふたこゑ)三聲(みこゑ)呼(よ)んで見(み)たが、目(め)ざとい老人(らうじん)も寐入(ねいり)ばな、分(わ)けて、罪(つみ)も屈託(くつたく)も、山(やま)も町(まち)も何(なん)にもないから、雪(ゆき)の夜(よ)に靜(しづ)まり返(かへ)つて一層(いつそう)寐心(ねごころ)の好(よ)ささうに、鼾(いびき)も聞(きこ)えずひツそりして居(ゐ)る。
 堪(たま)りかねて、民子(たみこ)は密(そつ)と起(お)き直(なほ)つたが、世話(せわ)になる身(み)の遠慮深(ゑんりよぶか)く、氣味(きみ)が惡(わる)いぐらゐには家(いへ)のぬし起(おこ)されず、其(その)まゝ突臥(つゝぷ)して居(ゐ)たけれども、さてあるべきにあらざれば、恐々(こは/″\)行燈(あんどう)を引提(ひつさ)げて、勝手(かつて)は寢(ね)しなに聞(き)いて置(お)いた、縁側(えんがは)について出(で)ようとすると、途絶(とだ)えて居(ゐ)たのが、ばたりと當(あた)ツて、二三度(ど)續(つゞ)けさまにばさ、ばさ、ばさ。
 はツと唾(つば)をのみ、胸(むね)を反(そら)して退(すさ)つたが、やがて思切(おもひき)つて用(よう)を達(た)して出(で)るまでは、まづ何事(なにごと)もなかつた處(ところ)。
 手(て)を洗(あら)はうとする時(とき)は、民子(たみこ)は殺(ころ)されると思(おも)つたのである。
 雨戸(あまど)を一枚(まい)ツト開(あ)けると、直(たゞ)ちに、東西南北(とうざいなんぼく)へ五里(り)十里(り)の眞白(まつしろ)な山(やま)であるから。
 如何(いか)なることがあらうも知(し)れずと、目(め)を瞑(ねむ)つて、行燈(あんどう)をうしろに差置(さしお)き、わなゝき/\柄杓(ひしやく)を取(と)つて、埋(う)もれた雪(ゆき)を拂(はら)ひながら、カチリとあたる水(みづ)を灌(そゝ)いで、投(な)げるやうに放(はな)したトタン、颯(さつ)とばかり雪(ゆき)をまいて、ばつさり飛込(とびこ)んだ一個(いつこ)の怪物(くわいぶつ)。
 民子(たみこ)は思(おも)はずあツといつた。
 夫婦(ふうふ)はこれに刎起(はねお)きたが、左右(さいう)から民子(たみこ)を圍(かこ)つて、三人(さんにん)六(むつ)の目(め)を注(そゝ)ぐと、小暗(をぐら)き方(かた)に蹲(うづくま)つたのは、何(なに)ものかこれ唯(たゞ)一羽(は)の雁(かり)なのである。
 老人(らうじん)は口(くち)をあいて笑(わら)ひ、いや珍(めづら)しくもない、まゝあること、俄(にはか)の雪(ゆき)に降籠(ふりこ)められると、朋(とも)に離(はな)れ、塒(ねぐら)に迷(まよ)ひ、行方(ゆくへ)を失(うしな)ひ、食(じき)に饑(う)ゑて、却(かへ)つて人(ひと)に懷(なづ)き寄(よ)る、これは獵師(れふし)も憐(あはれ)んで、生命(いのち)を取(と)らず、稗(ひえ)、粟(あは)を與(あた)へて養(やしな)ふ習(ならひ)と、仔細(しさい)を聞(き)けば、所謂(いわゆる)窮鳥(きうてう)懷(ふところ)に入(い)つたるもの。
 翌日(あくるひ)も降(ふ)り止(や)まず、民子(たみこ)は心(こゝろ)も心(こゝろ)ならねど、神佛(かみほとけ)とも思(おも)はるゝ老(おい)の言(ことば)に逆(さか)らはず、二日(ふつか)三日(みつか)は宿(やど)を重(かさ)ねた。
 其夜(そのよ)の雁(かり)も立去(たちさ)らず、餌(ゑ)にかはれた飼鳥(かひどり)のやう、よくなつき、分(わ)けて民子(たみこ)に慕(した)ひ寄(よ)つて、膳(ぜん)の傍(かたはら)に羽(はね)を休(やす)めるやうになると、はじめに生命(いのち)がけ恐(おそろ)しく思(おも)ひしだけ、可愛(かはい)さは一入(ひとしほ)なり。つれ/″\には名(な)を呼(よ)んで、翼(つばさ)を撫(な)でもし、膝(ひざ)に抱(だ)きもし、頬(ほゝ)もあて、夜(よる)は衾(ふすま)に懷(ふところ)を開(ひら)いて、暖(あたゝか)い玉(たま)の乳房(ちぶさ)の間(あひだ)に嘴(はし)を置(お)かせて、すや/\と寐(ね)ることさへあつたが、一夜(あるよ)、凄(すさま)じき寒威(かんい)を覺(おぼ)えた。あけると凍(い)てて雪車(そり)が出(で)る、直(すぐ)に發足(ほつそく)。
 老人夫婦(らうじんふうふ)に別(わかれ)を告(つ)げつつ、民子(たみこ)は雁(かり)にも殘惜(のこりを)しいまで不便(ふびん)であつたなごりを惜(をし)んだ。
 神(かみ)の使(つかひ)であつたらう、この鳥(とり)がないと、民子(たみこ)は夫(をつと)にも逢(あ)へず、其(そ)の看護(みとり)も出來(でき)ず、且(か)つやがて大尉(たいゐ)に昇進(しようしん)した少尉(せうゐ)の榮(さかえ)を見(み)ることもならず、與曾平(よそべい)の喜顏(よろこびがほ)にも、再會(さいくわい)することが出來(でき)なかつたのである。
 民子(たみこ)をのせて出(で)た雪車(そり)は、路(みち)を辷(すべ)つて、十三谷(や)といふ難所(なんしよ)を、大切(たいせつ)な客(きやく)ばかりを千尋(ちひろ)の谷底(たにそこ)へ振(ふ)り落(おと)した、雪(ゆき)ゆゑ怪我(けが)はなかつたが、落込(おちこ)んだのは炭燒(すみやき)の小屋(こや)の中(なか)。
 五助(ごすけ)。
 權九郎(ごんくらう)。
 といふ、兩名(りやうめい)の炭燒(すみやき)が、同一(おなじ)雪籠(ゆきごめ)に會(あ)つて封(ふう)じ込(こ)められたやうになり、二日(ふつか)三日(みつか)は貯蓄(たくはへ)もあつたが、四日目(よつかめ)から、粟(あは)一粒(ひとつぶ)も口(くち)にしないで、熊(くま)の如(ごと)き荒漢等(あらをのこら)、山狗(やまいぬ)かとばかり痩(や)せ衰(おとろ)へ、目(め)を光(ひか)らせて、舌(した)を噛(か)んで、背中合(せなかあは)せに倒(たふ)れたまゝ、唸(うめ)く聲(こゑ)さへ幽(かすか)な處(ところ)、何(なに)、人間(にんげん)なりとて容赦(ようしや)すべき。
 帶(おび)を解(と)き、衣(きぬ)を剥(は)ぎ、板戸(いたど)の上(うへ)に縛(いまし)めた、其(そ)のありさまは、こゝに謂(い)ふまい。立處(たちどころ)其(そ)の手足(てあし)を炙(あぶ)るべく、炎々(えん/\)たる炭火(すみび)を熾(おこ)して、やがて、猛獸(まうじう)を拒(ふせ)ぐ用意(ようい)の、山刀(やまがたな)と斧(をの)を揮(ふる)つて、あはや、其(その)胸(むね)を開(ひら)かむとなしたる處(ところ)へ、神(かみ)の御手(みて)の翼(つばさ)を擴(ひろ)げて、其(その)膝(ひざ)、其(その)手(て)、其(その)肩(かた)、其(その)脛(はぎ)、狂(くる)ひまつはり、搦(から)まつて、民子(たみこ)の膚(はだ)を蔽(おほ)うたのは、鳥(とり)ながらも心(こゝろ)ありけむ、民子(たみこ)の雪車(そり)のあとを慕(した)うて、大空(おほぞら)を渡(わた)つて來(き)た雁(かり)であつた。
 瞬(またゝ)く間(ま)に、雁(かり)は炭燒(すみやき)に屠(ほふ)られたが、民子(たみこ)は微傷(かすりきず)も受(う)けないで、完(まつた)き璧(たま)の泰(やす)らかに雪(ゆき)の膚(はだへ)は繩(なは)から拔(ぬ)けた。
 渠等(かれら)は敢(あへ)て鬼(おに)ではない、食(じき)を得(え)たれば人心地(ひとごこち)になつて、恰(あたか)も可(よ)し、谷間(たにあひ)から、いたはつて、負(おぶ)つて世(よ)に出(で)た。




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