旅僧
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著者名:泉鏡花 

        上

 去(い)にし年(とし)秋(あき)のはじめ、汽船(きせん)加能丸(かのうまる)の百餘(ひやくよ)の乘客(じようかく)を搭載(たふさい)して、加州(かしう)金石(かないは)に向(むか)ひて、越前(ゑちぜん)敦賀港(つるがかう)を發(はつ)するや、一天(いつてん)麗朗(うらゝか)に微風(びふう)船首(せんしゆ)を撫(な)でて、海路(かいろ)の平穩(へいをん)を極(きは)めたるにも關(かゝ)はらず、乘客(じようかく)の面上(めんじやう)に一片(いつぺん)暗愁(あんしう)の雲(くも)は懸(かゝ)れり。
 蓋(けだ)し薄弱(はくじやく)なる人間(にんげん)は、如何(いか)なる場合(ばあひ)にも多(おほ)くは己(おのれ)を恃(たの)む能(あた)はざるものなるが、其(そ)の最(もつと)も不安心(ふあんしん)と感(かん)ずるは海上(かいじやう)ならむ。
 然(さ)れば平日(ひごろ)然(さ)までに臆病(おくびやう)ならざる輩(はい)も、船出(ふなで)の際(さい)は兎(と)や角(かく)と縁起(えんぎ)を祝(いは)ひ、御幣(ごへい)を擔(かつ)ぐも多(おほ)かり。「一人女(ひとりをんな)」「一人坊主(ひとりばうず)」は、暴風(あれ)か、火災(くわさい)か、難破(なんぱ)か、いづれにもせよ危險(きけん)ありて、船(ふね)を襲(おそ)ふの兆(てう)なりと言傳(いひつた)へて、船頭(せんどう)は太(いた)く之(これ)を忌(い)めり。其日(そのひ)の加能丸(かのうまる)は偶然(ぐうぜん)一人(にん)の旅僧(たびそう)を乘(の)せたり。乘客(じようかく)の暗愁(あんしう)とは他(た)なし、此(こ)の不祥(ふしやう)を氣遣(きづか)ふにぞありける。
 旅僧(たびそう)は年紀(とし)四十二三、全身(ぜんしん)黒(くろ)く痩(や)せて、鼻(はな)隆(たか)く、眉(まゆ)濃(こ)く、耳許(みゝもと)より頤(おとがひ)、頤(おとがひ)より鼻(はな)の下(した)まで、短(みじか)き髭(ひげ)は斑(まだら)に生(お)ひたり。懸(か)けたる袈裟(けさ)の色(いろ)は褪(あ)せて、法衣(ころも)の袖(そで)も破(やぶ)れたるが、服裝(いでたち)を見(み)れば法華宗(ほつけしう)なり。甲板(デツキ)の片隅(かたすみ)に寂寞(じやくまく)として、死灰(しくわい)の如(ごと)く趺坐(ふざ)せり。
 加越地方(かゑつちはう)は殊(こと)に門徒眞宗(もんとしんしう)、歸依者(きえしや)多(おほ)ければ、船中(せんちう)の客(きやく)も又(また)門徒(もんと)七八分(ぶ)を占(し)めたるにぞ、然(さ)らぬだに忌(いま)はしき此(こ)の「一人坊主(ひとりばうず)」の、別(わ)けて氷炭(ひようたん)相容(あひい)れざる宗敵(しうてき)なりと思(おも)ふより、乞食(こつじき)の如(ごと)き法華僧(ほつけそう)は、恰(あたか)も加能丸(かのうまる)の滅亡(めつばう)を宣告(せんこく)せむとて、惡魔(あくま)の遣(つか)はしたる使者(ししや)としも見(み)えたりけむ、乘客等(じようかくら)は二人(にん)三人(にん)、彼方(あなた)此方(こなた)に額(ひたひ)を鳩(あつ)めて呶々(どゞ)しつゝ、時々(とき/″\)法華僧(ほつけそう)を流眄(しりめ)に懸(か)けたり。
 旅僧(たびそう)は冷々然(れい/\ぜん)として、聞(きこ)えよがしに風説(うはさ)して惡樣(あしざま)に罵(のゝし)る聲(こゑ)を耳(みゝ)にも入(い)れざりき。
 せめては四邊(あたり)に心(こゝろ)を置(お)きて、肩身(かたみ)を狹(せま)くすくみ居(ゐ)たらば、聊(いさゝ)か恕(じよ)する方(はう)もあらむ、遠慮(ゑんりよ)もなく席(せき)を占(し)めて、落着(おちつ)き澄(すま)したるが憎(にく)しとて、乘客(じようかく)の一人(にん)は衝(つ)と其(そ)の前(まへ)に進(すゝ)みて、
「御出家(ごしゆつけ)、今日(けふ)の御天氣(おてんき)は如何(いかゞ)でせうな。」
 旅僧(たびそう)は半眼(はんがん)に閉(ふさ)ぎたる眼(め)を開(ひら)きて、
「さればさ、先刻(さつき)から降(ふ)らぬから、お天氣(てんき)でござらう。」と言(い)ひつゝ空(そら)を打仰(うちあふ)ぎて、
「はゝあ、是(これ)はまた結構(けつこう)なお天氣(てんき)で、日本晴(につぽんばれ)と謂(い)ふのでござる。」
 此(こ)の暢氣(のんき)なる答(こたへ)を聞(き)きて、渠(かれ)は呆(あき)れながら、
「そりや、誰(だれ)だつて知(し)つてまさ、私(わつし)は唯(たゞ)急(きふ)に天氣模樣(てんきもやう)が變(かは)つて、風(かぜ)でも吹(ふ)きやしまいかと、其(それ)をお聞(き)き申(まを)すんでさあ。」
「那樣事(そんなこと)は知(し)らぬな。私(わし)は目下(いま)の空模樣(そらもやう)さへお前(まへ)さんに聞(き)かれたので、やつと氣(き)が着(つ)いたくらゐぢやもの。いや又(また)雨(あめ)が降(ふ)らうが、風(かぜ)が吹(ふ)かうが、そりや何(なに)もお天氣次第(てんきしだい)ぢや、此方(こつち)の構(かま)ふこツちや無(な)いてな。」
「飛(と)んだ事(こと)を。風(かぜ)が吹(ふ)いて耐(たま)るもんか。船(ふね)だ、もし、私等(わつしら)御同樣(ごどうやう)に船(ふね)に乘(の)つて居(ゐ)るんですぜ。」
 と渠(かれ)は良(やゝ)怒(いかり)を帶(お)びて聲高(こわだか)になりぬ。旅僧(たびそう)は少(すこ)しも騷(さわ)がず、
「成程(なるほど)、船(ふね)に居(ゐ)て暴風雨(あれ)に逢(あ)へば、船(ふね)が覆(かへ)るとでも謂(い)ふ事(こと)かの。」
「知(し)れたこツたわ。馬鹿々々(ばか/\)しい。」
 渠(かれ)の次第(しだい)に急込(せきこ)むほど、旅僧(たびそう)は益(ますま)す落着(おちつ)きぬ。
「して又(また)、船(ふね)が覆(かへ)れば生命(いのち)を落(おと)さうかと云(い)ふ、其(そ)の心配(しんぱい)かな。いや詰(つま)らぬ心配(しんぱい)ぢや。お前(まへ)さんは何(なに)か(人相見(にんさうみ))に、水難(すゐなん)の相(さう)があるとでも言(い)はれたことがありますかい。まづ/\聞(き)きなさい。さも無(な)ければ那樣(そんな)ことを恐(こは)がると云(い)ふ理窟(りくつ)がないて。一體(いつたい)お前(まへ)さんに限(かぎ)らず、乘合(のりあひ)の方々(かた/″\)も又(また)然(さ)うぢや、初手(しよて)から然(さ)ほど生命(いのち)が危險(けんのん)だと思(おも)ツたら、船(ふね)なんぞに乘(の)らぬが可(い)いて。また生命(いのち)を介(かま)はずに乘(の)ツた衆(しう)なら、風(かぜ)が吹(ふ)かうが、船(ふね)が覆(かへ)らうが、那樣事(そんなこと)に頓着(とんぢやく)は無(な)い筈(はず)ぢやが、恁(か)う見渡(みわた)した處(ところ)では、誰方(どなた)も怯氣々々(びく/\)もので居(ゐ)らるゝ樣子(やうす)ぢやが、さて/\笑止千萬(せうしせんばん)な、水(みづ)に溺(おぼ)れやせぬかと、心配(しんぱい)する樣(やう)な者(もの)は、何(ど)の道(みち)はや平生(へいぜい)から、後生(ごしやう)の善(い)い人(ひと)ではあるまい。
 先(ま)づ人(ひと)に天氣(てんき)を問(と)はうより、自分(じぶん)の胸(むね)に聞(き)いて見(み)るぢやて。
(己(おのれ)は難船(なんせん)に會(あ)ふやうなものか、何(ど)うぢや。)と、其處(そこ)で胸(むね)が、(お前(まへ)は隨分(ずゐぶん)罪(つみ)を造(つく)つて居(ゐ)るから何(ど)うだか知(し)れぬ。)と恁(か)う答(こた)へられた日(ひ)にや、覺悟(かくご)もせずばなるまい。もし(否(いゝや)、惡(わる)い事(こと)をした覺(おぼえ)もないから、那樣(そんな)氣遣(きづかひ)は些(ちつ)とも無(な)い。)と恁(か)うありや、何(なん)の雨風(あめかぜ)ござらばござれぢや。喃(なあ)、那樣(そんな)ものではあるまいか。
 して見(み)るとお前(まへ)さん方(がた)のおど/\するのは、心(こゝろ)に覺束(おぼつか)ない處(ところ)があるからで、罪(つみ)を造(つく)つた者(もの)と見(み)える。懺悔(ざんげ)さつしやい、發心(ほつしん)して坊主(ばうず)にでもならつしやい。(一人坊主(ひとりばうず))だと言(い)うて騷(さわ)いでござるから丁度(ちやうど)可(い)い、誰(だれ)か私(わし)の弟子(でし)になりなさらんか、而(さう)して二三人(にん)坊主(ぼうず)が出來(でき)りや、もう(一人坊主(ひとりばうず))ではなくなるから、頓(とん)と氣(き)が濟(す)んで可(よ)くござらう。」
 斯(か)く言(い)ひつゝ法華僧(ほつけそう)は哄然(こうぜん)と大笑(たいせう)して、其(その)まゝ其處(そこ)に肱枕(ひぢまくら)して、乘客等(のりあひら)がいかに怒(いか)りしか、いかに罵(のゝし)りしかを、渠(かれ)は眠(ねむ)りて知(し)らざりしなり。

        下

 恁(かく)て、數時間(すうじかん)を經(へ)たりし後(のち)、身邊(あたり)の人聲(ひとごゑ)の騷(さわ)がしきに、旅僧(たびそう)は夢(ゆめ)破(やぶ)られて、唯(と)見(み)れば變(かは)り易(やす)き秋(あき)の空(そら)の、何時(いつ)しか一面(いちめん)掻曇(かきくも)りて、暗澹(あんたん)たる雲(くも)の形(かたち)の、凄(すさま)じき飛天夜叉(ひてんやしや)の如(ごと)きが縱横無盡(じうわうむじん)に馳(は)せ□(まは)るは、暴風雨(あらし)の軍(いくさ)を催(もよほ)すならむ、其(その)一團(いちだん)は早(はや)く既(すで)に沿岸(えんがん)の山(やま)の頂(いたゞき)に屯(たむろ)せり。
 風(かぜ)一陣(ひとしきり)吹(ふ)き出(い)でて、船(ふね)の動搖(どうえう)良(やゝ)激(はげ)しくなりぬ。恁(かく)の如(ごと)き風雲(ふううん)は、加能丸(かのうまる)既往(きわう)の航海史上(かうかいしじやう)珍(めづら)しからぬ現象(げんしやう)なれども、(一人坊主(ひとりばうず))の前兆(ぜんてう)に因(よ)りて臆測(おくそく)せる乘客(じやうかく)は、恁(かゝ)る現象(げんしやう)を以(もつ)て推(すゐ)すベき、風雨(ふうう)の程度(ていど)よりも、寧(むし)ろ幾十倍(いくじふばい)の恐(おそれ)を抱(いだ)きて、渠(かれ)さへあらずば無事(ぶじ)なるべきにと、各々(おの/\)我(わが)命(いのち)を惜(をし)む餘(あまり)に、其(その)死(し)を欲(ほつ)するに至(いた)るまで、怨恨(うらみ)骨髓(こつずゐ)に徹(てつ)して、此(こ)の法華僧(ほつけそう)を憎(にく)み合(あ)へり。
 不幸(ふかう)の僧(そう)はつく/″\此(この)状(さま)を□(みまは)し、慨然(がいぜん)として、
「あゝ、末世(まつせ)だ、情(なさけ)ない。皆(みんな)が皆(みんな)で、恁(か)う又(また)信仰(しんかう)の弱(よわ)いといふは何(ど)うしたものぢやな。此處(こゝ)で死(し)ぬものか、死(し)なないものか、自分(じぶん)で判斷(はんだん)をして、活(い)きると思(おも)へば平氣(へいき)で可(よ)し、死(し)ぬと思(おも)や靜(しづか)に未來(みらい)を考(かんが)へて、念佛(ねんぶつ)の一(ひと)つも唱(とな)へたら何(ど)うぢや、何方(どつち)にした處(ところ)が、わい/\騷(さわ)ぐことはない。はて、見苦(みぐる)しいわい。
 然(しか)し私(わし)も出家(しゆつけ)の身(み)で、人(ひと)に心配(しんぱい)を懸(か)けては濟(す)むまい。可(よ)し、可(よ)し。」
 と渠(かれ)は獨(ひと)り頷(うなづ)きつゝ、從容(しようよう)として立上(たちあが)り、甲板(デツキ)の欄干(てすり)に凭(よ)りて、犇(ひしめ)き合(あ)へる乘客等(じようかくら)を顧(かへり)みて、
「いや、誰方(どなた)もお騷(さわ)ぎなさるな。もう斯(か)うなつちや神佛(かみほとけ)の信心(しんじん)では皆(みな)の衆(しう)に埒(らち)があきさうもないに依(よ)つて、唯(たゞ)私(わし)が居(ゐ)なければ大丈夫(だいぢやうぶ)だと、一生懸命(いつしやうけんめい)に信仰(しんかう)なさい、然(さ)うすれば屹度(きつと)助(たす)かる。宜(よろ)しいか/\。南無(なむ)、」
 と一聲(ひとこゑ)、高(たか)らかに題目(だいもく)を唱(とな)へも敢(あ)へず、法華僧(ほつけそう)は身(み)を躍(をど)らして海(うみ)に投(とう)ぜり。
「身投(みなげ)だ、助(たす)けろ。」
 船長(せんちやう)の命(めい)の下(もと)に、水夫(すいふ)は一躍(いちやく)して難(なん)に赴(おもむ)き、辛(から)うじて法華僧(ほつけそう)を救(すく)ひ得(え)たり。
 然(しか)りし後(のち)、此(こ)の(一人坊主(ひとりばうず))は、前(さき)とは正反對(せいはんたい)の位置(ゐち)に立(た)ちて、乘合(のりあひ)をして却(かへ)りて我(われ)あるがために船(ふね)の安全(あんぜん)なるを確(たしか)めしめぬ。
 如何(いかん)となれば、乘客等(じようかくら)は爾(しか)く身(み)を殺(ころ)して仁(じん)を爲(な)さむとせし、此(この)大聖人(だいせいじん)の徳(とく)の宏大(くわうだい)なる、天(てん)は其(そ)の報酬(はうしう)として渠(かれ)に水難(すゐなん)を與(あた)ふべき理由(いはれ)のあらざるを斷(だん)じ、恁(かゝ)る聖僧(せいそう)と與(とも)にある者(もの)は、此(この)結縁(けちえん)に因(よ)りて、必(かなら)ず安全(あんぜん)なる航行(かうかう)をなし得(う)べしと信(しん)じたればなり。良(やゝ)時(とき)を經(へ)て乘客(じようかく)は、活佛(くわつぶつ)――今(いま)新(あら)たに然(し)か思(おも)へる――の周圍(しうゐ)に集(あつま)りて、一條(いちでう)の法話(ほふわ)を聞(き)かむことを希(こひねが)へり。漸(やうや)く健康(けんかう)を囘復(くわいふく)したる法華僧(ほつけそう)は、喜(よろこ)んで之(これ)を諾(だく)し、打咳(うちしはぶ)きつゝ語出(かたりいだ)しぬ。
「私(わし)は一體(いつたい)京都(きやうと)の者(もの)で、毎度(まいど)此(こ)の金澤(かなざは)から越中(ゑつちう)の方(はう)へ出懸(でか)けるが、一度(ど)ある事(こと)は二度(ど)とやら、船(ふね)で(一人坊主(ひとりばうず))になつて、乘合(のりあひ)の衆(しう)に嫌(きら)はれるのは今度(こんど)がこれで二度目(どめ)でござる。今(いま)から二三年前(ねんまへ)のこと、其時(そのとき)は、船(ふね)の出懸(でが)けから暴風雨模樣(あれもやう)でな、風(かぜ)も吹(ふ)く、雨(あめ)も降(ふ)る。敦賀(つるが)の宿(やど)で逡巡(しりごみ)して、逗留(とうりう)した者(もの)が七分(ぶ)あつて、乘(の)つたのはまあ三分(ぶ)ぢやつた。私(わし)も其時分(そのじぶん)は果敢(はか)ない者(もの)で、然(さう)云(い)ふ天氣(てんき)に船(ふね)に乘(の)るのは、實(じつ)は二(に)の足(あし)の方(はう)であつたが。出家(しゆつけ)の身(み)で生命(いのち)を惜(をし)むかと、人(ひと)の思(おも)はくも恥(はづ)かしくて、怯氣々々(びく/\)もので乘込(のりこ)みましたぢや。さて段々(だん/\)船(ふね)の進(すゝ)むほど、風(かぜ)は荒(あら)くなる、波(なみ)は荒(あ)れる、船(ふね)は搖(ゆ)れる。其(その)又(また)搖(ゆ)れ方(かた)と謂(い)うたら一通(ひととほり)でなかつたので、吐(は)くやら、呻(うめ)くやら、大苦(おほくるし)みで正體(しやうたい)ない者(もの)が却(かへ)つて可羨(うらやま)しいくらゐ、と云(い)ふのは、氣(き)の確(たしか)なものほど、生命(いのち)が案(あん)じられるでな、船(ふね)が恁(か)うぐつと傾(かたむ)く度(たび)に、はツ/\と冷(つめた)い汗(あせ)が出(で)る。さてはや、念佛(ねんぶつ)、題目(だいもく)、大聲(おほごゑ)に鯨波(とき)の聲(こゑ)を揚(あ)げて唸(うな)つて居(ゐ)たが、やがて其(それ)も蚊(か)の鳴(な)くやうに弱(よわ)つてしまふ。取亂(とりみだ)さぬ者(もの)は一人(ひとり)もない。
 恁(かう)云(い)ふ私(わし)が矢張(やはり)その、おい/\泣(な)いた連中(れんぢう)でな、面目(めんぼく)もないこと。
 昔(むかし)彼(か)の文覺(もんがく)と云(い)ふ荒法師(あらほふし)は、佐渡(さど)へ流(なが)される船路(みち)で、暴風雨(あれ)に會(あ)つたが、船頭水夫共(せんどうかこども)が目(め)の色(いろ)を變(か)へて騷(さわ)ぐにも頓着(とんぢやく)なく、大(だい)の字(じ)なりに寢(ね)そべつて、雷(らい)の如(ごと)き高鼾(たかいびき)ぢや。
 すると船頭共(せんどうども)が、「恁□(こんな)惡僧(あくそう)が乘(の)つて居(ゐ)るから龍神(りうじん)が祟(たゝ)るのに違(ちが)ひない、疾(はや)く海(うみ)の中(なか)へ投込(なげこ)んで、此方人等(こちとら)は助(たす)からう。」と寄(よ)つて集(たか)つて文覺(もんがく)を手籠(てごめ)にしようとする。其時(そのとき)荒坊主(あらばうず)岸破(がば)と起上(おきあが)り、舳(へさき)に突立(つゝた)ツて、はつたと睨(ね)め付(つ)け、「いかに龍神(りうじん)不禮(ぶれい)をすな、此(この)船(ふね)には文覺(もんがく)と云(い)ふ法華(ほつけ)の行者(ぎやうじや)が乘(の)つて居(ゐ)るぞ!」と大音(だいおん)に叱(しか)り付(つ)けたと謂(い)ふ。
 何(なん)と難有(ありがた)い信仰(しんかう)ではないか。強(つよ)い信仰(しんかう)を持(も)つて居(ゐ)る法師(ほふし)であつたから、到底(たうてい)龍神(りうじん)如(ごと)きがこの俺(おれ)を沈(しづ)めることは出來(でき)ない、波浪(はらう)不能沒(ふのうもつ)だ、と信(しん)じて疑(うたが)はぬぢやから、其處(そこ)でそれ自若(じじやく)として居(ゐ)られる。
 又(また)死(し)んでも極樂(ごくらく)へ確(たしか)に行(ゆ)かれる身(み)ぢやと固(かた)く信(しん)じて居(ゐ)る者(もの)は、恁(かう)云(い)ふ時(とき)には驚(おどろ)かぬ。
 まあ那樣事(そんなこと)は措(お)いて、其時(そのとき)船(ふね)の中(なか)で、些(ちつ)とも騷(さわ)がぬ、いやも頓(とん)と平氣(へいき)な人(ひと)が二人(ふたり)あつた。美(うつく)しい娘(むすめ)と可愛(かはい)らしい男(をとこ)の兒(こ)ぢや。※弟(きやうだい)[#「姉」の正字、「女+□のつくり」、9-3]と見(み)えてな、似(に)て居(ゐ)ました。
 最初(さいしよ)から二人(ふたり)對坐(さしむかひ)で、人交(ひとまぜ)もせぬで何(なに)か睦(むつ)まじさうに話(はなし)をして居(ゐ)たが、皆(みんな)がわい/\言(い)つて立騷(たちさわ)ぐのを見(み)ようともせず、まるで別世界(べつせかい)に居(ゐ)るといふ顏色(かほつき)での。但(たゞ)金石間近(かないはまぢか)になつた時(とき)、甲板(かんぱん)の方(はう)に何(なに)か知(し)らん恐(おそろ)しい音(おと)がして、皆(みんな)が、きやツ!と叫(さけ)んだ時(とき)ばかり、少(すこ)し顏色(かほいろ)を變(か)へたぢや。別(べつ)に仔細(しさい)もなかつたと見(み)えて、其内(そのうち)靜(しづ)まつたが、※弟(きやうだい)[#「姉」の正字、「女+□のつくり」、9-7]は立(た)ちさうにもせず、まことに常(つね)の通(とほ)りに、澄(すま)して居(ゐ)たに因(よ)つて、餘(あま)り不思議(ふしぎ)に思(おも)うたから、其日(そのひ)難(なん)なく港(みなと)に着(つ)いて、※弟(きやうだい)[#「姉」の正字、「女+□のつくり」、9-8]が建場(たてば)の茶屋(ちやや)に腕車(くるま)を雇(やと)ひながら休(やす)んで居(ゐ)る處(ところ)へ行(い)つて、言葉(ことば)を懸(か)けて見(み)ようとしたが、其(その)子達(こだち)の氣高(けだか)さ!貴(たふと)さ! 思(おも)はず此(こ)の天窓(あたま)が下(さが)つたぢや。
 そこで土間(どま)へ手(て)を支(つか)へて、「何(ど)ういふ御修行(ごしゆぎやう)が積(つ)んで、あのやうに生死(しやうじ)の場合(ばあひ)に平氣(へいき)でお在(いで)なされた」と、恐入(おそれい)つて尋(たづ)ねました。
 すると答(こたへ)には、「否(いゝえ)、私等(わたくしども)は東京(とうきやう)へ修行(しゆぎやう)に參(まゐ)つて居(ゐ)るものでござるが、今度(こんど)國許(くにもと)に父(ちゝ)が急病(きふびやう)と申(まを)す電報(でんぱう)が懸(かゝ)つて、其(それ)で歸(かへ)るのでござるが、急(いそ)いで見舞(みま)はんければなりませんので、止(や)むを得(え)ず船(ふね)にしました。しかし父樣(おとつさん)には私達(わたしたち)二人(ふたり)の外(ほか)に、子(こ)と云(い)ふものはござらぬ、二人(ふたり)にもしもの事(こと)がありますれば、家(いへ)は絶(た)えてしまひまする。父樣(おとつさん)は善(よ)いお方(かた)で、其(それ)きり跡(あと)の斷(た)えるやうな惡(わる)い事(こと)爲置(しお)かれた方(かた)ではありませんから、私(わたくし)どもは甚□(どんな)危(あぶな)い恐(こは)い目(め)に出會(であ)ひましても、安心(あんしん)でございます。それに私(わたくし)が危(あやふ)ければ、此(こ)の弟(おとうと)が助(たす)けてくれます、私(わたくし)もまた弟(おとうと)一人(ひとり)は殺(ころ)しません。其(それ)で二人(ふたり)とも大丈夫(だいぢやうぶ)と思(おも)ひますから。少(すこ)しも恐(こは)くはござらぬ。」と恁(か)う云(い)ふぢや。私(わし)にはこれまで讀(よ)んだ御經(おきやう)より、餘程(よつぽど)難有(ありがた)くて涙(なみだ)が出(で)た。まことに善知識(ぜんちしき)、そのお庇(かげ)で大(おほ)きに悟(さと)りました。
 乘合(のりあひ)の衆(しう)も何(なに)がなしに、自分(じぶん)で自分(じぶん)を信仰(しんかう)なさい。船(ふね)が大丈夫(だいぢやうぶ)と信(しん)じたら乘(の)つて出(で)る、出(で)た上(うへ)では甚□(どんな)颶風(はやて)が來(こ)ようが、船(ふね)が沈(しづ)まうが、體(からだ)が溺(おぼ)れようが、なに、大丈夫(だいぢやうぶ)だと思(おも)つてござれば、些(ちつ)とも驚(おどろ)くことはない。こりやよし死(し)んでも生返(いきかへ)る。もし又(また)船(ふね)が危(あぶな)いと信(しん)じたらば、乘(の)らぬことでござるぞ。何(なん)でもあやふやだと安心(あんしん)がならぬ、人(ひと)を恃(たの)むより神佛(しんぶつ)を信(しん)ずるより、自分(じぶん)を信仰(しんかう)なさるが一番(いちばん)ぢや。」
 船(ふね)の港(みなと)に着(つ)きけるまで懇(ねんごろ)に説聞(ときき)かして、此(この)殺身爲仁(さつしんゐじん)の高僧(かうそう)は、飄然(へうぜん)として其(その)名(な)も告(つ)げず立去(たちさ)りにけり。




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