人魚の祠
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著者名:泉鏡花 URL:../../index_pages/person886

        一

「いまの、あの婦人(ふじん)が抱(だ)いて居(ゐ)た嬰兒(あかんぼ)ですが、鯉(こひ)か、鼈(すつぽん)ででも有(あ)りさうでならないんですがね。」
「…………」
 私(わたし)は、默(だま)つて工學士(こうがくし)の其(そ)の顏(かほ)を視(み)た。
「まさかとは思(おも)ひますが。」
 赤坂(あかさか)の見附(みつけ)に近(ちか)い、唯(と)ある珈琲店(コオヒイてん)の端近(はしぢか)な卓子(テエブル)で、工學士(こうがくし)は麥酒(ビイル)の硝子杯(コツプ)を控(ひか)へて云(い)つた。
 私(わたし)は卷莨(まきたばこ)を點(つ)けながら、
「あゝ、結構(けつこう)。私(わたし)は、それが石地藏(いしぢざう)で、今(いま)のが姑護鳥(うぶめ)でも構(かま)ひません。けれども、それぢや、貴方(あなた)が世間(せけん)へ濟(す)まないでせう。」
 六月(ぐわつ)の末(すゑ)であつた。府下(ふか)澁谷(しぶや)邊(へん)に或(ある)茶話會(さわくわい)があつて、斯(こ)の工學士(こうがくし)が其(そ)の席(せき)に臨(のぞ)むのに、私(わたし)は誘(さそ)はれて一日(あるひ)出向(でむ)いた。
 談話(はなし)の聽人(きゝて)は皆(みな)婦人(ふじん)で、綺麗(きれい)な人(ひと)が大分(だいぶ)見(み)えた、と云(い)ふ質(たち)のであるから、羊羹(やうかん)、苺(いちご)、念入(ねんいり)に紫(むらさき)袱紗(ふくさ)で薄茶(うすちや)の饗應(もてなし)まであつたが――辛抱(しんばう)をなさい――酒(さけ)と云(い)ふものは全然(まるで)ない。が、豫(かね)ての覺悟(かくご)である。それがために意地汚(いぢきたな)く、歸途(かへり)に恁(か)うした場所(ばしよ)へ立寄(たちよ)つた次第(しだい)ではない。
 本來(ほんらい)なら其(そ)の席(せき)で、工學士(こうがくし)が話(はな)した或種(あるしゆ)の講述(かうじゆつ)を、こゝに筆記(ひつき)でもした方(はう)が、讀(よ)まるゝ方々(かた/″\)の利益(りえき)なのであらうけれども、それは殊更(ことさら)に御海容(ごかいよう)を願(ねが)ふとして置(お)く。
 實(じつ)は往路(いき)にも同伴立(つれだ)つた。
 指(さ)す方(かた)へ、煉瓦塀(れんぐわべい)板塀(いたべい)續(つゞ)きの細(ほそ)い路(みち)を通(とほ)る、とやがて其(そ)の會場(くわいぢやう)に當(あた)る家(いへ)の生垣(いけがき)で、其處(そこ)で三(み)つの外圍(そとがこひ)が三方(さんぱう)へ岐(わか)れて三辻(みつつじ)に成(な)る……曲角(まがりかど)の窪地(くぼち)で、日蔭(ひかげ)の泥濘(ぬかるみ)の處(ところ)が――空(そら)は曇(くも)つて居(ゐ)た――殘(のこ)ンの雪(ゆき)かと思(おも)ふ、散敷(ちりし)いた花(はな)で眞白(まつしろ)であつた。
 下(した)へ行(ゆ)くと學士(がくし)の背廣(せびろ)が明(あかる)いくらゐ、今(いま)を盛(さかり)と空(そら)に咲(さ)く。枝(えだ)も梢(こずゑ)も撓(たわゝ)に滿(み)ちて、仰向(あをむ)いて見上(みあ)げると屋根(やね)よりは丈(たけ)伸(の)びた樹(き)が、對(つゐ)に並(なら)んで二株(ふたかぶ)あつた。李(すもゝ)の時節(じせつ)でなし、卯木(うつぎ)に非(あら)ず。そして、木犀(もくせい)のやうな甘(あま)い匂(にほひ)が、燻(いぶ)したやうに薫(かを)る。楕圓形(だゑんけい)の葉(は)は、羽状複葉(うじやうふくえふ)と云(い)ふのが眞蒼(まつさを)に上(うへ)から可愛(かはい)い花(はな)をはら/\と包(つゝ)んで、鷺(さぎ)が緑(みどり)なす蓑(みの)を被(かつ)いで、彳(たゝず)みつゝ、颯(さつ)と開(ひら)いて、雙方(さうはう)から翼(つばさ)を交(かは)した、比翼連理(ひよくれんり)の風情(ふぜい)がある。
 私(わたし)は固(もと)よりである。……學士(がくし)にも、此(こ)の香木(かうぼく)の名(な)が分(わか)らなかつた。
 當日(たうじつ)、席(せき)でも聞合(きゝあは)せたが、居合(ゐあ)はせた婦人連(ふじんれん)が亦(また)誰(たれ)も知(し)らぬ。其(そ)の癖(くせ)、佳薫(いゝかをり)のする花(はな)だと云(い)つて、小(ちひ)さな枝(えだ)ながら硝子杯(コツプ)に插(さ)して居(ゐ)たのがあつた。九州(きうしう)の猿(さる)が狙(ねら)ふやうな褄(つま)の媚(なまめ)かしい姿(すがた)をしても、下枝(したえだ)までも屆(とゞ)くまい。小鳥(ことり)の啄(ついば)んで落(おと)したのを通(とほ)りがかりに拾(ひろ)つて來(き)たものであらう。
「お乳(ちゝ)のやうですわ。」
 一人(ひとり)の處女(しよぢよ)が然(さ)う云(い)つた。
 成程(なるほど)、近々(ちか/″\)と見(み)ると、白(しろ)い小(ちひ)さな花(はな)の、薄(うつす)りと色着(いろづ)いたのが一(ひと)ツ一(ひと)ツ、美(うつくし)い乳首(ちゝくび)のやうな形(かたち)に見(み)えた。
 却説(さて)、日(ひ)が暮(く)れて、其(そ)の歸途(かへり)である。
 私(わたし)たちは七丁目(なゝちやうめ)の終點(しうてん)から乘(の)つて赤坂(あかさか)の方(はう)へ歸(かへ)つて來(き)た……あの間(あひだ)の電車(でんしや)は然(さ)して込合(こみあ)ふ程(ほど)では無(な)いのに、空(そら)怪(あや)しく雲脚(くもあし)が低(ひく)く下(さが)つて、今(いま)にも一降(ひとふり)來(き)さうだつたので、人通(ひとどほ)りが慌(あわたゞ)しく、一町場(ひとちやうば)二町場(ふたちやうば)、近處(きんじよ)へ用(よう)たしの分(ぶん)も便(たよ)つたらしい、停留場(ていりうぢやう)毎(ごと)に乘人(のりて)の數(かず)が多(おほ)かつた。
 で、何時(いつ)何處(どこ)から乘組(のりく)んだか、つい、それは知(し)らなかつたが、丁(ちやう)ど私(わたし)たちの並(なら)んで掛(か)けた向(むか)う側(がは)――墓地(ぼち)とは反對(はんたい)――の處(ところ)に、二十三四の色(いろ)の白(しろ)い婦人(ふじん)が居(ゐ)る……
 先(ま)づ、色(いろ)の白(しろ)い婦(をんな)と云(い)はう、が、雪(ゆき)なす白(しろ)さ、冷(つめた)さではない。薄櫻(うすざくら)の影(かげ)がさす、朧(おぼろ)に香(にほ)ふ裝(よそほひ)である。……こんなのこそ、膚(はだへ)と云(い)ふより、不躾(ぶしつけ)ながら肉(にく)と言(い)はう。其(その)胸(むね)は、合歡(ねむ)の花(はな)が雫(しづく)しさうにほんのりと露(あらは)である。
 藍地(あゐぢ)に紺(こん)の立絞(たてしぼり)の浴衣(ゆかた)を唯(たゞ)一重(ひとへ)、絲(いと)ばかりの紅(くれなゐ)も見(み)せず素膚(すはだ)に着(き)た。襟(えり)をなぞへに膨(ふつく)りと乳(ちゝ)を劃(くぎ)つて、衣(きぬ)が青(あを)い。青(あを)いのが葉(は)に見(み)えて、先刻(さつき)の白(しろ)い花(はな)が俤立(おもかげだ)つ……撫肩(なでがた)をたゆげに落(おと)して、すらりと長(なが)く膝(ひざ)の上(うへ)へ、和々(やは/\)と重量(おもみ)を持(も)たして、二(に)の腕(うで)を撓(しな)やかに抱(だ)いたのが、其(それ)が嬰兒(あかんぼ)で、仰向(あをむ)けに寢(ね)た顏(かほ)へ、白(しろ)い帽子(ばうし)を掛(か)けてある。寢顏(ねがほ)に電燈(でんとう)を厭(いと)つたものであらう。嬰兒(あかんぼ)の顏(かほ)は見(み)えなかつた、だけ其(それ)だけ、懸念(けねん)と云(い)へば懸念(けねん)なので、工學士(こうがくし)が――鯉(こひ)か鼈(すつぽん)か、と云(い)つたのは此(これ)であるが……
 此(こ)の媚(なま)めいた胸(むね)のぬしは、顏立(かほだ)ちも際立(きはだ)つて美(うつく)しかつた。鼻筋(はなすぢ)の象牙彫(ざうげぼり)のやうにつんとしたのが難(なん)を言(い)へば強過(つよす)ぎる……かはりには目(め)を恍惚(うつとり)と、何(なに)か物思(ものおも)ふ體(てい)に仰向(あをむ)いた、細面(ほそおも)が引緊(ひきしま)つて、口許(くちもと)とともに人品(じんぴん)を崩(くづ)さないで且(か)つ威(ゐ)がある……其(そ)の顏(かほ)だちが帶(おび)よりも、きりゝと細腰(ほそごし)を緊(し)めて居(ゐ)た。面(おもて)で緊(し)めた姿(すがた)である。皓齒(しらは)の一(ひと)つも莞爾(につこり)と綻(ほころ)びたら、はらりと解(と)けて、帶(おび)も浴衣(ゆかた)も其(そ)のまゝ消(き)えて、膚(はだ)の白(しろ)い色(いろ)が颯(さつ)と簇(むらが)つて咲(さ)かう。霞(かすみ)は花(はな)を包(つゝ)むと云(い)ふが、此(こ)の婦(をんな)は花(はな)が霞(かすみ)を包(つゝ)むのである。膚(はだへ)が衣(きぬ)を消(け)すばかり、其(そ)の浴衣(ゆかた)の青(あを)いのにも、胸襟(むねえり)のほのめく色(いろ)はうつろはぬ、然(しか)も湯上(ゆあが)りかと思(おも)ふ温(あたゝか)さを全身(ぜんしん)に漲(みなぎ)らして、髮(かみ)の艶(つや)さへ滴(したゝ)るばかり濡々(ぬれ/\)として、其(それ)がそよいで、硝子窓(がらすまど)の風(かぜ)に額(ひたひ)に絡(まつ)はる、汗(あせ)ばんでさへ居(ゐ)たらしい。
 ふと明(あ)いた窓(まど)へ横向(よこむ)きに成(な)つて、ほつれ毛(げ)を白々(しろ/″\)とした指(ゆび)で掻(か)くと、あの花(はな)の香(か)が強(つよ)く薫(かを)つた、と思(おも)ふと緑(みどり)の黒髮(くろかみ)に、同(おな)じ白(しろ)い花(はな)の小枝(こえだ)を活(い)きたる蕚(うてな)、湧立(わきた)つ蕊(しべ)を搖(ゆる)がして、鬢(びんづら)に插(さ)して居(ゐ)たのである。
 唯(と)、見(み)た時(とき)、工學士(こうがくし)の手(て)が、確(しか)と私(わたし)の手(て)を握(にぎ)つた。
「下(お)りませう。是非(ぜひ)、談話(はなし)があります。」
 立(た)つて見送(みおく)れば、其(そ)の婦(をんな)を乘(の)せた電車(でんしや)は、見附(みつけ)の谷(たに)の窪(くぼ)んだ廣場(ひろば)へ、すら/\と降(お)りて、一度(いちど)暗(くら)く成(な)つて停(と)まつたが、忽(たちま)ち風(かぜ)に乘(の)つたやうに地盤(ぢばん)を空(そら)ざまに颯(さつ)と坂(さか)へ辷(すべ)つて、青(あを)い火花(ひばな)がちらちらと、櫻(さくら)の街樹(なみき)に搦(から)んだなり、暗夜(くらがり)の梢(こずゑ)に消(き)えた。
 小雨(こさめ)がしと/\と町(まち)へかゝつた。
 其處(そこ)で珈琲店(コオヒイてん)へ連立(つれだ)つて入(はひ)つたのである。
 こゝに、一寸(ちよつと)斷(ことわ)つておくのは、工學士(こうがくし)は嘗(かつ)て苦學生(くがくせい)で、其(その)當時(たうじ)は、近縣(きんけん)に賣藥(ばいやく)の行商(ぎやうしやう)をした事(こと)である。

        二

「利根川(とねがは)の流(ながれ)が汎濫(はんらん)して、田(た)に、畠(はたけ)に、村里(むらざと)に、其(そ)の水(みづ)が引殘(ひきのこ)つて、月(つき)を經(へ)、年(とし)を過(す)ぎても涸(か)れないで、其(そ)のまゝ溜水(たまりみづ)に成(な)つたのがあります。……
 小(ちひ)さなのは、河骨(かうほね)の點々(ぽつ/\)黄色(きいろ)に咲(さ)いた花(はな)の中(なか)を、小兒(こども)が徒(いたづら)に猫(ねこ)を乘(の)せて盥(たらひ)を漕(こ)いで居(ゐ)る。大(おほ)きなのは汀(みぎは)の蘆(あし)を積(つ)んだ船(ふね)が、棹(さを)さして波(なみ)を分(わ)けるのがある。千葉(ちば)、埼玉(さいたま)、あの大河(たいが)の流域(りうゐき)を辿(たど)る旅人(たびびと)は、時々(とき/″\)、否(いや)、毎日(まいにち)一(ひと)ツ二(ふた)ツは度々(たび/″\)此(こ)の水(みづ)に出會(でつくは)します。此(これ)を利根(とね)の忘(わす)れ沼(ぬま)、忘(わす)れ水(みづ)と呼(よ)んで居(ゐ)る。
 中(なか)には又(また)、あの流(ながれ)を邸内(ていない)へ引(ひ)いて、用水(ようすゐ)ぐるみ庭(には)の池(いけ)にして、筑波(つくば)の影(かげ)を矜(ほこ)りとする、豪農(がうのう)、大百姓(おほびやくしやう)などがあるのです。
 唯今(たゞいま)お話(はなし)をする、……私(わたし)が出會(であ)ひましたのは、何(ど)うも庭(には)に造(つく)つた大池(おほいけ)で有(あ)つたらしい。尤(もつと)も、居周圍(ゐまはり)に柱(はしら)の跡(あと)らしい礎(いしずゑ)も見當(みあた)りません。が、其(それ)とても埋(うも)れたのかも知(し)れません。一面(いちめん)に草(くさ)が茂(しげ)つて、曠野(あらの)と云(い)つた場所(ばしよ)で、何故(なぜ)に一度(いちど)は人家(じんか)の庭(には)だつたか、と思(おも)はれたと云(い)ふのに、其(そ)の沼(ぬま)の眞中(まんなか)に拵(こしら)へたやうな中島(なかじま)の洲(す)が一(ひと)つ有(あ)つたからです。
 で、此(こ)の沼(ぬま)は、話(はなし)を聞(き)いて、お考(かんが)へに成(な)るほど大(おほき)なものではないのです。然(さ)うかと云(い)つて、向(むか)う岸(ぎし)とさし向(むか)つて聲(こゑ)が屆(とゞ)くほどは小(ちひ)さくない。それぢや餘程(よほど)廣(ひろ)いのか、と云(い)ふのに、又(また)然(さ)うでもない、ものの十四五分(ふん)も歩行(ある)いたら、容易(たやす)く一周(ひとまは)り出來(でき)さうなんです。但(たゞ)し十四五分(ふん)で一周(ひとまはり)と云(い)つて、すぐに思(おも)ふほど、狹(せま)いのでもないのです。
 と、恁(か)う言(い)ひます内(うち)にも、其(そ)の沼(ぬま)が伸(の)びたり縮(ちゞ)んだり、すぼまつたり、擴(ひろ)がつたり、動(うご)いて居(ゐ)るやうでせう。――居(ゐ)ますか、結構(けつこう)です――其(そ)のつもりでお聞(き)き下(くだ)さい。
 一體(いつたい)、水(みづ)と云(い)ふものは、一雫(ひとしづく)の中(なか)にも河童(かつぱ)が一個(ひとつ)居(ゐ)て住(す)むと云(い)ふ國(くに)が有(あ)りますくらゐ、氣心(きごころ)の知(し)れないものです。分(わ)けて底(そこ)澄(ず)んで少(すこ)し白味(しろみ)を帶(お)びて、とろ/\と然(しか)も岸(きし)とすれ/″\に滿々(まん/\)と湛(たゝ)へた古沼(ふるぬま)ですもの。丁(ちやう)ど、其(そ)の日(ひ)の空模樣(そらもやう)、雲(くも)と同一(おなじ)に淀(どんよ)りとして、雲(くも)の動(うご)く方(はう)へ、一所(いつしよ)に動(うご)いて、時々(とき/″\)、てら/\と天(てん)に薄日(うすび)が映(さ)すと、其(そ)の光(ひかり)を受(う)けて、晃々(きら/\)と光(ひか)るのが、沼(ぬま)の面(おもて)に眼(まなこ)があつて、薄目(うすめ)に白(しろ)く人(ひと)を窺(うかゞ)ふやうでした。
 此(これ)では、其(そ)の沼(ぬま)が、何(なん)だか不氣味(ぶきみ)なやうですが、何(なに)、一寸(ちよつと)の間(ま)の事(こと)で、――四時(じ)下(さが)り、五時(じ)前(まへ)と云(い)ふ時刻(じこく)――暑(あつ)い日(ひ)で、大層(たいそう)疲(つか)れて、汀(みぎは)にぐつたりと成(な)つて一息(ひといき)吐(つ)いて居(ゐ)る中(うち)には、雲(くも)が、なだらかに流(なが)れて、薄(うす)いけれども平(たひら)に日(ひ)を包(つゝ)むと、沼(ぬま)の水(みづ)は靜(しづか)に成(な)つて、そして、少(すこ)し薄暗(うすぐら)い影(かげ)が渡(わた)りました。
 風(かぜ)はそよりともない。が、濡(ぬ)れない袖(そで)も何(なん)となく冷(つめた)いのです。
 風情(ふぜい)は一段(いちだん)で、汀(みぎは)には、所々(ところ/″\)、丈(たけ)の低(ひく)い燕子花(かきつばた)の、紫(むらさき)の花(はな)に交(まじ)つて、あち此方(こち)に又(また)一輪(りん)づゝ、言交(いひか)はしたやうに、白(しろ)い花(はな)が交(まじ)つて咲(さ)く……
 あの中島(なかじま)は、簇(むらが)つた卯(う)の花(はな)で雪(ゆき)を被(かつ)いで居(ゐ)るのです。岸(きし)に、葉(は)と花(はな)の影(かげ)の映(うつ)る處(ところ)は、松葉(まつば)が流(なが)れるやうに、ちら/\と水(みづ)が搖(ゆ)れます。小魚(こうを)が泳(およ)ぐのでせう。
 差渡(さしわた)し、池(いけ)の最(もつと)も廣(ひろ)い、向(むか)うの汀(みぎは)に、こんもりと一本(ぽん)の柳(やなぎ)が茂(しげ)つて、其(そ)の緑(みどり)の色(いろ)を際立(きはだ)てて、背後(うしろ)に一叢(ひとむら)の森(もり)がある、中(なか)へ横雲(よこぐも)を白(しろ)くたなびかせて、もう一叢(ひとむら)、一段(いちだん)高(たか)く森(もり)が見(み)える。うしろは、遠里(とほざと)の淡(あは)い靄(もや)を曳(ひ)いた、なだらかな山(やま)なんです。――柳(やなぎ)の奧(おく)に、葉(は)を掛(か)けて、小(ちひ)さな葭簀張(よしずばり)の茶店(ちやみせ)が見(み)えて、横(よこ)が街道(かいだう)、すぐに水田(みづた)で、水田(みづた)のへりの流(ながれ)にも、はら/\燕子花(かきつばた)が咲(さ)いて居(ゐ)ます。此(こ)の方(はう)は、薄碧(うすあを)い、眉毛(まゆげ)のやうな遠山(とほやま)でした。
 唯(と)、沼(ぬま)が呼吸(いき)を吐(つ)くやうに、柳(やなぎ)の根(ね)から森(もり)の裾(すそ)、紫(むらさき)の花(はな)の上(うへ)かけて、霞(かすみ)の如(ごと)き夕靄(ゆふもや)がまはりへ一面(いちめん)に白(しろ)く渡(わた)つて來(く)ると、同(おな)じ雲(くも)が空(そら)から捲(ま)き下(おろ)して、汀(みぎは)に濃(こ)く、梢(こずゑ)に淡(あは)く、中(なか)ほどの枝(えだ)を透(す)かして靡(なび)きました。
 私(わたし)の居(ゐ)た、草(くさ)にも、しつとりと其(そ)の靄(もや)が這(は)ふやうでしたが、袖(そで)には掛(かゝ)らず、肩(かた)にも卷(ま)かず、目(め)なんぞは水晶(すゐしやう)を透(とほ)して見(み)るやうに透明(とうめい)で。詰(つま)り、上下(うへした)が白(しろ)く曇(くも)つて、五六尺(しやく)水(みづ)の上(うへ)が、却(かへ)つて透通(すきとほ)る程(ほど)なので……
 あゝ、あの柳(やなぎ)に、美(うつくし)い虹(にじ)が渡(わた)る、と見(み)ると、薄靄(うすもや)に、中(なか)が分(わか)れて、三(みつ)つに切(き)れて、友染(いうぜん)に、鹿(か)の子(こ)絞(しぼり)の菖蒲(あやめ)を被(か)けた、派手(はで)に涼(すゞ)しい裝(よそほひ)の婦(をんな)が三人(にん)。
 白(しろ)い手(て)が、ちら/\と動(うご)いた、と思(おも)ふと、鉛(なまり)を曳(ひ)いた絲(いと)が三條(みすぢ)、三處(みところ)へ棹(さを)が下(お)りた。
(あゝ、鯉(こひ)が居(ゐ)る……)
 一尺(しやく)、金鱗(きんりん)を重(おも)く輝(かゞや)かして、水(みづ)の上(うへ)へ飜然(ひらり)と飛(と)ぶ。」

        三

「それよりも、見事(みごと)なのは、釣竿(つりざを)の上下(あげおろし)に、縺(もつ)るゝ袂(たもと)、飜(ひるがへ)る袖(そで)で、翡翠(かはせみ)が六(むつ)つ、十二の翼(つばさ)を飜(ひるがへ)すやうなんです。
 唯(と)、其(そ)の白(しろ)い手(て)も見(み)える、莞爾(につこり)笑(わら)ふ面影(おもかげ)さへ、俯向(うつむ)くのも、仰(あふ)ぐのも、手(て)に手(て)を重(かさ)ねるのも其(そ)の微笑(ほゝゑ)む時(とき)、一人(ひとり)の肩(かた)をたゝくのも……莟(つぼみ)がひら/\開(ひら)くやうに見(み)えながら、厚(あつ)い硝子窓(がらすまど)を隔(へだ)てたやうに、まるつ切(きり)、聲(こゑ)が……否(いや)、四邊(あたり)は寂然(ひつそり)して、ものの音(おと)も聞(きこ)えない。
 向(むか)つて左(ひだり)の端(はし)に居(ゐ)た、中(なか)でも小柄(こがら)なのが下(おろ)して居(ゐ)る、棹(さを)が滿月(まんげつ)の如(ごと)くに撓(しな)つた、と思(おも)ふと、上(うへ)へ絞(しぼ)つた絲(いと)が眞直(まつすぐ)に伸(の)びて、するりと水(みづ)の空(そら)へ掛(かゝ)つた鯉(こひ)が――」
 ――理學士(りがくし)は言掛(いひか)けて、私(わたし)の顏(かほ)を視(み)て、而(そ)して四邊(あたり)を見(み)た。恁(か)うした店(みせ)の端近(はしぢか)は、奧(おく)より、二階(にかい)より、却(かへ)つて椅子(いす)は閑(しづか)であつた――
「鯉(こひ)は、其(それ)は鯉(こひ)でせう。が、玉(たま)のやうな眞白(まつしろ)な、あの森(もり)を背景(はいけい)にして、宙(ちう)に浮(う)いたのが、すつと合(あは)せた白脛(しろはぎ)を流(なが)す……凡(およ)そ人形(にんぎやう)ぐらゐな白身(はくしん)の女子(ぢよし)の姿(すがた)です。釣(つ)られたのぢやありません。釣針(つりばり)をね、恁(か)う、兩手(りやうて)で抱(だ)いた形(かたち)。
 御覽(ごらん)なさい。釣濟(つりす)ました當(たう)の美人(びじん)が、釣棹(つりざを)を突離(つきはな)して、柳(やなぎ)の根(ね)へ靄(もや)を枕(まくら)に横倒(よこだふ)しに成(な)つたが疾(はや)いか、起(おき)るが否(いな)や、三人(にん)ともに手鞠(てまり)のやうに衝(つ)と遁(に)げた。が、遁(に)げるのが、其(そ)の靄(もや)を踏(ふ)むのです。鈍(どん)な、はずみの無(な)い、崩(くづ)れる綿(わた)を踏越(ふみこ)し踏越(ふみこ)しするやうに、褄(つま)が縺(もつ)れる、裳(もすそ)が亂(みだ)れる……其(それ)が、やゝ少時(しばらく)の間(あひだ)見(み)えました。
 其(そ)の後(あと)から、茶店(ちやみせ)の婆(ばあ)さんが手(て)を泳(およ)がせて、此(これ)も走(はし)る……
 一體(いつたい)あの邊(へん)には、自動車(じどうしや)か何(なに)かで、美人(びじん)が一日(いちにち)がけと云(い)ふ遊山宿(ゆさんやど)、乃至(ないし)、温泉(をんせん)のやうなものでも有(あ)るのか、何(ど)うか、其(そ)の後(ご)まだ尋(たづ)ねて見(み)ません。其(それ)が有(あ)ればですが、それにした處(ところ)で、近所(きんじよ)の遊山宿(ゆさんやど)へ來(き)て居(ゐ)たのが、此(こ)の沼(ぬま)へ來(き)て釣(つり)をしたのか、それとも、何(なん)の國(くに)、何(なん)の里(さと)、何(なん)の池(いけ)で釣(つ)つたのが、一種(いつしゆ)の蜃氣樓(しんきろう)の如(ごと)き作用(さよう)で此處(こゝ)へ映(うつ)つたのかも分(わか)りません。餘(あま)り靜(しづか)な、もの音(おと)のしない樣子(やうす)が、夢(ゆめ)と云(い)ふよりか其(そ)の海市(かいし)に似(に)て居(ゐ)ました。
 沼(ぬま)の色(いろ)は、やゝ蒼味(あをみ)を帶(お)びた。
 けれども、其(そ)の茶店(ちやみせ)の婆(ばあ)さんは正(しやう)のものです。現(げん)に、私(わたし)が通(とほ)り掛(がか)りに沼(ぬま)の汀(みぎは)の祠(ほこら)をさして、(あれは何樣(なにさま)の社(やしろ)でせう。)と尋(たづ)ねた時(とき)に、(賽(さい)の神樣(かみさま)だ。)と云(い)つて教(をし)へたものです。今(いま)其(そ)の祠(ほこら)は沼(ぬま)に向(むか)つて草(くさ)に憩(いこ)つた背後(うしろ)に、なぞへに道芝(みちしば)の小高(こだか)く成(な)つた小(ちひ)さな森(もり)の前(まへ)にある。鳥居(とりゐ)が一基(いつき)、其(そ)の傍(そば)に大(おほき)な棕櫚(しゆろ)の樹(き)が、五株(かぶ)まで、一列(れつ)に並(なら)んで、蓬々(おどろ/\)とした形(かたち)で居(ゐ)る。……さあ、此(これ)も邸(やしき)あとと思(おも)はれる一條(ひとつ)で、其(そ)の小高(こだか)いのは、大(おほ)きな築山(つきやま)だつたかも知(し)れません。
 處(ところ)で、一錢(せん)たりとも茶代(ちやだい)を置(お)いてなんぞ、憩(やす)む餘裕(よゆう)の無(な)かつた私(わたし)ですが、……然(さ)うやつて賣藥(ばいやく)の行商(ぎやうしやう)に歩行(ある)きます時分(じぶん)は、世(よ)に無(な)い兩親(りやうしん)へせめてもの供養(くやう)のため、と思(おも)つて、殊勝(しゆしよう)らしく聞(きこ)えて如何(いかゞ)ですけれども、道中(だうちう)、宮(みや)、社(やしろ)、祠(ほこら)のある處(ところ)へは、屹(きつ)と持合(もちあは)せた藥(くすり)の中(なか)の、何種(なにしゆ)のか、一包(ひとつゝみ)づゝを備(そな)へました。――詣(まう)づる人(ひと)があつて神佛(しんぶつ)から授(さづ)かつたものと思(おも)へば、屹(きつ)と病氣(びやうき)が治(なほ)りませう。私(わたし)も幸福(かうふく)なんです。
 丁度(ちやうど)私(わたし)の居(ゐ)た汀(みぎは)に、朽木(くちき)のやうに成(な)つて、沼(ぬま)に沈(しづ)んで、裂目(さけめ)に燕子花(かきつばた)の影(かげ)が映(さ)し、破(やぶ)れた底(そこ)を中空(なかぞら)の雲(くも)の往來(ゆきき)する小舟(こぶね)の形(かたち)が見(み)えました。
 其(それ)を見棄(みす)てて、御堂(おだう)に向(むか)つて起(た)ちました。
 談話(はなし)の要領(えうりやう)をお急(いそ)ぎでせう。
 早(はや)く申(まを)しませう。……其(そ)の狐格子(きつねがうし)を開(あ)けますとね、何(ど)うです……
(まあ、此(これ)は珍(めづら)しい。)
 几帳(きちやう)とも、垂幕(さげまく)とも言(い)ひたいのに、然(さ)うではない、萌黄(もえぎ)と青(あを)と段染(だんだら)に成(な)つた綸子(りんず)か何(なん)ぞ、唐繪(からゑ)の浮模樣(うきもやう)を織込(おりこ)んだのが窓帷(カアテン)と云(い)つた工合(ぐあひ)に、格天井(がうてんじやう)から床(ゆか)へ引(ひ)いて蔽(おほ)うてある。此(これ)に蔽(おほ)はれて、其(そ)の中(なか)は見(み)えません。
 此(これ)が、もつと奧(おく)へ詰(つ)めて張(は)つてあれば、絹一重(きぬひとへ)の裡(うち)は、すぐに、御廚子(みづし)、神棚(かみだな)と云(い)ふのでせうから、誓(ちか)つて、私(わたし)は、覗(のぞ)くのではなかつたのです。が、堂(だう)の内(うち)の、寧(むし)ろ格子(かうし)へ寄(よ)つた方(はう)に掛(かゝ)つて居(ゐ)ました。
 何心(なにごころ)なく、端(はし)を、キリ/\と、手許(てもと)へ、絞(しぼ)ると、蜘蛛(くも)の巣(す)のかはりに幻(まぼろし)の綾(あや)を織(お)つて、脈々(みやく/\)として、顏(かほ)を撫(な)でたのは、薔薇(ばら)か菫(すみれ)かと思(おも)ふ、いや、それよりも、唯今(たゞいま)思(おも)へば、先刻(さつき)の花(はな)の匂(にほひ)です、何(なん)とも言(い)へない、甘(あま)い、媚(なまめ)いた薫(かをり)が、芬(ぷん)と薫(かを)つた。」
 ――學士(がくし)は手巾(ハンケチ)で、口(くち)を蔽(おほ)うて、一寸(ちよつと)額(ひたひ)を壓(おさ)へた――
「――其處(そこ)が閨(ねや)で、洋式(やうしき)の寢臺(ねだい)があります。二人寢(ふたりね)の寛(ゆつた)りとした立派(りつぱ)なもので、一面(いちめん)に、光(ひかり)を持(も)つた、滑(なめ)らかに艶々(つや/\)した、絖(ぬめ)か、羽二重(はぶたへ)か、と思(おも)ふ淡(あは)い朱鷺色(ときいろ)なのを敷詰(しきつ)めた、聊(いさゝ)か古(ふる)びては見(み)えました。が、それは空(そら)が曇(くも)つて居(ゐ)た所爲(せゐ)でせう。同(おな)じ色(いろ)の薄掻卷(うすかいまき)を掛(か)けたのが、すんなりとした寢姿(ねすがた)の、少(すこ)し肉附(にくづき)を肥(よ)くして見(み)せるくらゐ。膚(はだ)を蔽(おほ)うたとも見(み)えないで、美(うつくし)い女(をんな)の顏(かほ)がはらはらと黒髮(くろかみ)を、矢張(やつぱ)り、同(おな)じ絹(きぬ)の枕(まくら)にひつたりと着(つ)けて、此方(こちら)むきに少(すこ)し仰向(あをむ)けに成(な)つて寢(ね)て居(ゐ)ます。のですが、其(それ)が、黒目勝(くろめがち)な雙(さう)の瞳(ひとみ)をぱつちりと開(あ)けて居(ゐ)る……此(こ)の目(め)に、此處(こゝ)で殺(ころ)されるのだらう、と餘(あま)りの事(こと)に然(さ)う思(おも)ひましたから、此方(こつち)も熟(じつ)と凝視(みつめ)ました。
 少(すこ)し高過(たかす)ぎるくらゐに鼻筋(はなすぢ)がツンとして、彫刻(てうこく)か、練(ねり)ものか、眉(まゆ)、口許(くちもと)、はつきりした輪郭(りんくわく)と云(い)ひ、第一(だいいち)櫻色(さくらいろ)の、あの、色艶(いろつや)が、――其(それ)が――今(いま)の、あの電車(でんしや)の婦人(ふじん)に瓜二(うりふた)つと言(い)つても可(い)い。
 時(とき)に、毛(け)一筋(ひとすぢ)でも動(うご)いたら、其(そ)の、枕(まくら)、蒲團(ふとん)、掻卷(かいまき)の朱鷺色(ときいろ)にも紛(まが)ふ莟(つぼみ)とも云(い)つた顏(かほ)の女(をんな)は、芳香(はうかう)を放(はな)つて、乳房(ちぶさ)から蕊(しべ)を湧(わ)かせて、爛漫(らんまん)として咲(さ)くだらうと思(おも)はれた。」

        四

「私(わたし)の目(め)か眩(くら)んだんでせうか、婦(をんな)は瞬(またゝき)をしません。五分(ふん)か一時(いつとき)と、此方(こつち)が呼吸(いき)をも詰(つ)めて見(み)ます間(あひだ)――で、餘(あま)り調(そろ)つた顏容(かほだち)といひ、果(はた)して此(これ)は白像彩塑(はくざうさいそ)で、何(ど)う云(い)ふ事(こと)か、仔細(しさい)あつて、此(こ)の廟(べう)の本尊(ほんぞん)なのであらう、と思(おも)つたのです。
 床(ゆか)の下(した)……板縁(いたえん)の裏(うら)の處(ところ)で、がさ/\がさ/\と音(おと)が發出(しだ)した……彼方(あつち)へ、此方(こつち)へ、鼠(ねずみ)が、ものでも引摺(ひきず)るやうで、床(ゆか)へ響(ひゞ)く、と其(そ)の音(おと)が、變(へん)に、恁(か)う上(うへ)に立(た)つてる私(わたし)の足(あし)の裏(うら)を擽(くすぐ)ると云(い)つた形(かたち)で、むづ痒(がゆ)くつて堪(たま)らないので、もさ/\身體(からだ)を搖(ゆす)りました。――本尊(ほんぞん)は、まだ瞬(またゝき)もしなかつた。――其(そ)の内(うち)に、右(みぎ)の音(おと)が、壁(かべ)でも攀(よ)ぢるか、這上(はひあが)つたらしく思(おも)ふと、寢臺(ねだい)の脚(あし)の片隅(かたすみ)に羽目(はめ)の破(やぶ)れた處(ところ)がある。其(そ)の透間(すきま)へ鼬(いたち)がちよろりと覗(のぞ)くやうに、茶色(ちやいろ)の偏平(ひらつた)い顏(つら)を出(だ)したと窺(うかゞ)はれるのが、もぞり、がさりと少(すこ)しづゝ入(はひ)つて、ばさ/\と出(で)る、と大(おほ)きさやがて三俵法師(さんだらぼふし)、形(かたち)も似(に)たもの、毛(け)だらけの凝團(かたまり)、足(あし)も、顏(かほ)も有(あ)るのぢやない。成程(なるほど)、鼠(ねずみ)でも中(なか)に潛(もぐ)つて居(ゐ)るのでせう。
 其奴(そいつ)が、がさ/\と寢臺(ねだい)の下(した)へ入(はひ)つて、床(ゆか)の上(うへ)をずる/\と引摺(ひきず)つたと見(み)ると、婦(をんな)が掻卷(かいまき)から二(に)の腕(うで)を白(しろ)く拔(ぬ)いて、私(わたし)の居(ゐ)る方(はう)へぐたりと投(な)げた。寢亂(ねみだ)れて乳(ちゝ)も見(み)える。其(それ)を片手(かたて)で祕(かく)したけれども、足(あし)のあたりを震(ふる)はすと、あゝ、と云(い)つて其(そ)の手(て)も兩方(りやうはう)、空(くう)を掴(つか)むと裙(すそ)を上(あ)げて、弓形(ゆみなり)に身(み)を反(そ)らして、掻卷(かいまき)を蹴(け)て、轉(ころ)がるやうに衾(ふすま)を拔(ぬ)けた。……
 私(わたし)は飛出(とびだ)した……
 壇(だん)を落(お)ちるやうに下(お)りた時(とき)、黒(くろ)い狐格子(きつねがうし)を背後(うしろ)にして、婦(をんな)は斜違(はすつかひ)に其處(そこ)に立(た)つたが、呀(あ)、足許(あしもと)に、早(は)やあの毛(け)むくぢやらの三俵法師(さんだらぼふし)だ。
 白(しろ)い踵(くびす)を揚(あ)げました、階段(かいだん)を辷(すべ)り下(お)りる、と、後(あと)から、ころ/\と轉(ころ)げて附着(くツつ)く。さあ、それからは、宛然(さながら)人魂(ひとだま)の憑(つき)ものがしたやうに、毛(け)が赫(かつ)と赤(あか)く成(な)つて、草(くさ)の中(なか)を彼方(あつち)へ、此方(こつち)へ、たゞ、伊達卷(だてまき)で身(み)についたばかりのしどけない媚(なまめ)かしい寢着(ねまき)の婦(をんな)を追□(おひまは)す。婦(をんな)はあとびつしやりをする、脊筋(せすぢ)を捩(よぢ)らす。三俵法師(さんだらぼふし)は、裳(もすそ)にまつはる、踵(かゝと)を嘗(な)める、刎上(はねあが)る、身震(みぶるひ)する。
 やがて、沼(ぬま)の縁(ふち)へ追迫(おひせま)られる、と足(あし)の甲(かふ)へ這上(はひあが)る三俵法師(さんだらぼふし)に、わな/\身悶(みもだえ)する白(しろ)い足(あし)が、あの、釣竿(つりざを)を持(も)つた三人(にん)の手(て)のやうに、ちら/\と宙(ちう)に浮(う)いたが、するりと音(おと)して、帶(おび)が辷(すべ)ると、衣(き)ものが脱(ぬ)げて草(くさ)に落(お)ちた。
「沈(しづ)んだ船(ふね)――」と、思(おも)はず私(わたし)が聲(こゑ)を掛(か)けた。隙(ひま)も無(な)しに、陰氣(いんき)な水音(みづおと)が、だぶん、と響(ひゞ)いた……
 しかし、綺麗(きれい)に泳(およ)いで行(ゆ)く。美(うつくし)い肉(にく)の脊筋(せすぢ)を掛(か)けて左右(さいう)へ開(ひら)く水(みづ)の姿(すがた)は、輕(かる)い羅(うすもの)を捌(さば)くやうです。其(そ)の膚(はだ)の白(しろ)い事(こと)、あの合歡花(ねむのはな)をぼかした色(いろ)なのは、豫(かね)て此(こ)の時(とき)のために用意(ようい)されたのかと思(おも)ふほどでした。
 動止(うごきや)んだ赤茶(あかちや)けた三俵法師(さんだらぼふし)が、私(わたし)の目(め)の前(まへ)に、惰力(だりよく)で、毛筋(けすぢ)を、ざわ/\とざわつかせて、うツぷうツぷ喘(あへ)いで居(ゐ)る。
 見(み)ると驚(おどろ)いた。ものは棕櫚(しゆろ)の毛(け)を引束(ひツつか)ねたに相違(さうゐ)はありません。が、人(ひと)が寄(よ)る途端(とたん)に、ぱちぱち豆(まめ)を燒(や)く音(おと)がして、ばら/\と飛着(とびつ)いた、棕櫚(しゆろ)の赤(あか)いのは、幾千萬(いくせんまん)とも數(かず)の知(し)れない蚤(のみ)の集團(かたまり)であつたのです。
 早(は)や、兩脚(りやうあし)が、むづ/\、脊筋(せすぢ)がぴち/\、頸首(えりくび)へぴちんと來(く)る、私(わたし)は七顛八倒(しつてんはつたう)して身體(からだ)を振(ふ)つて振飛(ふりと)ばした。
 唯(と)、何(なん)と、其(そ)の棕櫚(しゆろ)の毛(け)の蚤(のみ)の巣(す)の處(ところ)に、一人(ひとり)、頭(づ)の小(ちひ)さい、眦(めじり)と頬(ほゝ)の垂下(たれさが)つた、青膨(あをぶく)れの、土袋(どぶつ)で、肥張(でつぷり)な五十(ごじふ)恰好(かつかう)の、頤鬚(あごひげ)を生(はや)した、漢(をとこ)が立(た)つて居(ゐ)るぢやありませんか。何(なに)ものとも知(し)れない。越中褌(ゑつちうふんどし)と云(い)ふ……あいつ一(ひと)つで、眞裸(まつぱだか)で汚(きたな)い尻(けつ)です。
 婦(をんな)は沼(ぬま)の洲(す)へ泳(およ)ぎ着(つ)いて、卯(う)の花(はな)の茂(しげり)にかくれました。
 が、其(そ)の姿(すがた)が、水(みづ)に流(なが)れて、柳(やなぎ)を翠(みどり)の姿見(すがたみ)にして、ぽつと映(うつ)つたやうに、人(ひと)の影(かげ)らしいものが、水(みづ)の向(むか)うに、岸(きし)の其(そ)の柳(やなぎ)の根(ね)に薄墨色(うすずみいろ)に立(た)つて居(ゐ)る……或(あるひ)は又(また)……此處(こゝ)の土袋(どぶつ)と同一(おなじ)やうな男(をとこ)が、其處(そこ)へも出(で)て來(き)て、白身(はくしん)の婦人(をんな)を見(み)て居(ゐ)るのかも知(し)れません。
 私(わたし)も其(そ)の一人(ひとり)でせうね……
(や、待(ま)てい。)
 青膨(あをぶく)れが、痰(たん)の搦(から)んだ、ぶやけた聲(こゑ)して、早(は)や行掛(ゆきかゝ)つた私(わたし)を留(と)めた……
(見(み)て貰(もれ)えたいものがあるで、最(も)う直(ぢき)ぢやぞ。)と、首(くび)をぐたりと遣(や)りながら、横柄(わうへい)に言(い)ふ。……何(なん)と、其(そ)の兩足(りやうあし)から、下腹(したばら)へ掛(か)けて、棕櫚(しゆろ)の毛(け)の蚤(のみ)が、うよ/\ぞろ/\……赤蟻(あかあり)の列(れつ)を造(つく)つてる……私(わたし)は立窘(たちすく)みました。
 ひら/\、と夕空(ゆふぞら)の雲(くも)を泳(およ)ぐやうに柳(やなぎ)の根(ね)から舞上(まひあが)つた、あゝ、其(それ)は五位鷺(ごゐさぎ)です。中島(なかじま)の上(うへ)へ舞上(まひあが)つた、と見(み)ると輪(わ)を掛(か)けて颯(さつ)と落(おと)した。
(ひい。)と引(ひ)く婦(をんな)の聲(こゑ)。鷺(さぎ)は舞上(まひあが)りました。翼(つばさ)の風(かぜ)に、卯(う)の花(はな)のさら/\と亂(みだ)るゝのが、婦(をんな)が手足(てあし)を畝(うね)らして、身(み)を□(もが)くに宛然(さながら)である。
 今(いま)考(かんが)へると、それが矢張(やつぱ)り、あの先刻(さつき)の樹(き)だつたかも知(し)れません。同(おな)じ薫(かをり)が風(かぜ)のやうに吹亂(ふきみだ)れた花(はな)の中(なか)へ、雪(ゆき)の姿(すがた)が素直(まつすぐ)に立(た)つた。が、滑(なめら)かな胸(むね)の衝(つ)と張(は)る乳(ちゝ)の下(した)に、星(ほし)の血(ち)なるが如(ごと)き一雫(ひとしづく)の鮮紅(からくれなゐ)。絲(いと)を亂(みだ)して、卯(う)の花(はな)が眞赤(まつか)に散(ち)る、と其(そ)の淡紅(うすべに)の波(なみ)の中(なか)へ、白(しろ)く眞倒(まつさかさま)に成(な)つて沼(ぬま)に沈(しづ)んだ。汀(みぎは)を廣(ひろ)くするらしい寂(しづ)かな水(みづ)の輪(わ)が浮(う)いて、血汐(ちしほ)の綿(わた)がすら/\と碧(みどり)を曳(ひ)いて漾(たゞよ)ひ流(なが)れる……
(あれを見(み)い、血(ち)の形(かたち)が字(じ)ぢやらうが、何(なん)と讀(よ)むかい。)
 ――私(わたし)が息(いき)を切(き)つて、頭(かぶり)を掉(ふ)ると、
(分(わか)らんかい、白痴(たはけ)めが。)と、ドンと胸(むね)を突(つ)いて、突倒(つきたふ)す。重(おも)い力(ちから)は、磐石(ばんじやく)であつた。
(又(また)……遣直(やりなほ)しぢや。)と呟(つぶや)きながら、其(そ)の蚤(のみ)の巣(す)をぶら下(さ)げると、私(わたし)が茫然(ばうぜん)とした間(あひだ)に、のそのそ、と越中褌(ゑつちうふんどし)の灸(きう)のあとの有(あ)る尻(しり)を見(み)せて、そして、やがて、及腰(およびごし)の祠(ほこら)の狐格子(きつねがうし)を覗(のぞ)くのが見(み)えた。
(奧(おく)さんや、奧(おく)さんや――蚤(のみ)が、蚤(のみ)が――)
 と腹(はら)をだぶ/\、身悶(みもだ)えをしつゝ、後退(あとじさ)りに成(な)つた。唯(と)、どしん、と尻餅(しりもち)をついた。が、其(そ)の頭(あたま)へ、棕櫚(しゆろ)の毛(け)をずぼりと被(かぶ)る、と梟(ふくろふ)が化(ば)けたやうな形(かたち)に成(な)つて、其(そ)のまゝ、べた/\と草(くさ)を這(は)つて、縁(えん)の下(した)へ這込(はひこ)んだ。――
 蝙蝠傘(かうもりがさ)を杖(つゑ)にして、私(わたし)がひよろ/\として立去(たちさ)る時(とき)、沼(ぬま)は暗(くら)うございました。そして生(なま)ぬるい雨(あめ)が降出(ふりだ)した……
(奧(おく)さんや、奧(おく)さんや。)
 と云(い)つたが、其(そ)の土袋(どぶつ)の細君(さいくん)ださうです。土地(とち)の豪農(がうのう)何某(なにがし)が、内證(ないしよう)の逼迫(ひつぱく)した華族(くわぞく)の令孃(れいぢやう)を金子(かね)にかへて娶(めと)つたと言(い)ひます。御殿(ごてん)づくりでかしづいた、が、其(そ)の姫君(ひめぎみ)は可恐(おそろし)い蚤(のみ)嫌(ぎら)ひで、唯(たゞ)一匹(ぴき)にも、夜(よる)も晝(ひる)も悲鳴(ひめい)を上(あ)げる。其(そ)の悲(かな)しさに、別室(べつしつ)の閨(ねや)を造(つく)つて防(ふせ)いだけれども、防(ふせ)ぎ切(き)れない。で、果(はて)は亭主(ていしゆ)が、蚤(のみ)を除(よ)けるための蚤(のみ)の巣(す)に成(な)つて、棕櫚(しゆろ)の毛(け)を全身(ぜんしん)に纏(まと)つて、素裸(すつぱだか)で、寢室(しんしつ)の縁(えん)の下(した)へ潛(もぐ)り潛(もぐ)り、一夏(ひとなつ)のうちに狂死(くるひじに)をした。――
(まだ、迷(まよ)つて居(ゐ)さつしやるかなう、二人(ふたり)とも――旅(たび)の人(ひと)がの、あの忘(わす)れ沼(ぬま)では、同(おな)じ事(こと)を度々(たび/\)見(み)ます。)
 旅籠屋(はたごや)での談話(はなし)であつた。」
 工學士(こうがくし)は附(つ)けたして、
「……祠(ほこら)の其(そ)の縁(えん)の下(した)を見(み)ましたがね、……御存(ごぞん)じですか……異類(いるゐ)異形(いぎやう)な石(いし)がね。」
 日(ひ)を經(へ)て工學士(こうがくし)から音信(おとづれ)して、あれは、乳香(にうかう)の樹(き)であらうと言(い)ふ。




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