土佐の地名
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著者名:寺田寅彦 

 地名には意味の分らないのが多い。これはむしろ当然の事である。地名は保存されつつ永い年代の間に転訛(てんか)する、一方で吾々の通用語はまたこれと別の経路を取って変遷するからである。こういう訳であるから地名の研究が民族の過去の歴史を研究する上に重要な意義をもつのは勿論である。しかしそういう意味から地名を研究する場合には、現在の通用語をもって解釈しようとするのでは、無駄でないまでも有効でない。結局循環論理のようなものに陥ってしまう恐れがある。また旧い記録例えば記紀のごときものの記事にあるような語源説が信用出来ないという事は既に学者の明白に認めているところである。それではほとんど唯一の有意義な方法と考えられるのは、現在日本人と隣接する民族の国語との関係を捜す事である。
 こういう立場からすれば例えば土佐の地名を現在あるいは過去の日本語で説明しようとするよりは、むしろこれらの地名とアイヌ、朝鮮、支那、前インド、マレイ、ポリネシア等の現在語との関係を捜す方が有意義である。
 こういう研究は既にその方の専門家によっては追究されている。自分はこの方には全然門外漢であるが、自分の専門と多少の関係があるので少しばかり土佐の地名を考えてみた。勿論まだ何ら纏(まとま)った結果を得た訳ではないが、少しばかり考えた断片的の結果を左に記して、専門家やまた土佐の歴史に明るい先輩諸氏の示教を仰ぎたいと思う。
 誤解をなくするために断っておきたいと思う事は、左に地名と対応させた外国語は要するにこじつけであって、ただある一つの可能性を示唆し、いわゆる作業仮説としての用をなすものに過ぎないという事である。また例えばアイヌ語との関係を示しても、それだけでは現在のアイヌと土佐と直接の交渉があったという証拠には決してならない事も明白である。
 最近に坪井博士はその著『我が国民国語の曙』において四国の地名についても多少の考証をしておられる。それは主として、チャム、モン、クメール、マラヨポリネシア系の言語によって解釈を試みておられる。しかし自分の見るところでは、アイヌ語らしい地名もかなり見受けられるからここには主にその方のものを並べてみる事にする。
種崎(タネザキ) アイヌの「タンネ」は長い。「サッカイ」は砂堆ですなわち長い砂嘴。(大阪近くの境も出雲の境も砂嘴か。)孕(ハラミ) 「パラモイ」は広き静処で湾の名になる。しかしチャムで「ハラム」は閉鎖の義であるからその方かもしれぬ。比島(ヒシマ) 「ピ」は小の義、「シュマ」は石。サ島 「サ□」は乾、乾出せる岩礁か。万々(ママ) 「メム」は沼またラグーン。物部(モノベ) 「ポロペッ」大河。韮生(ニラフ) 「ニナラ」高原。また「ニ」樹「オロ」豊富。夜須(ヤス) 「ヤシ」網を引く。別府(ベップ) 「ペッポ」小河。別役(ベッチャク) 「ペッチャ」河「クッ」咽喉。またチャムで「ボ□」は遮断、「チョ□」は山。仁西(ニサイ) 「ニセイ」絶壁。野見(ノミ) 「ヌムイ」豊漁の湾。与津(ヨツ) 「エツイ」岬。小籠(コゴメ) 「コム」は瘤、また小山。「コムコム」か。咥内(コーナイ) 「カウンナイ」係蹄をかけて鹿を捕る沢。石狩にもこの地名あり。加江(カエ) は岩の割目。大河内(オオコウチ) 「ウーコッ」川の合流。(この名は諸国に多い。)甲殿(コードノ) 「コタン」は村。またマレイで「コタ」は町。またビルマ語で「コーンダーン」は小さき山脈。和喰(ワジキ) 「ワシ」波浪「ケプ」破れる。また「ケ」場所。奴田(ヌータ) 「ヌ□」頂の平たき山「タプ」円頂丘。日下(クサカ) 「クサハ」河を渡船で渡る。勿論土佐の日下は山地である、人名等より来たであろうが、もとは渡しかもしれぬ、崇神紀(すじんき)に「クスハノワタシ」というのがある。十市(トーチ) 「トンチ」穴(十市には鍾乳洞がある)。また「トツエ」は沼の潰れし処。またチャム「ト」は中央「テ」は場所。十市の地名は記紀にもある。穴内(アナナイ) 「オンネナイ」は大川。しかしまたチャム語でも「ナイ」は河または河辺の野であり、アイヌやサモア、マオリ語でも「アナ」は穴でもある。戸波(ヘハ) 「ペッパロ」は川口。またモン語で「ウェア」は平原。大西 「オニウシ」大きな森。奈路(ナロ) この地名は土佐各所の山中にある。アイヌで「ノル」は熊の足跡であるが、ことによると「ナ」河流と「ロロ」または「ロッ」上座の義かもしれぬ。この地名は大抵河の畔(ほとり)にあるから。また朝鮮で「ナル」は山であるがこれであるかもしれない。御畳瀬(ミマセ) 「ピパ」牡蠣の種類。「シ」は在所。「セッ」巣。北海道に地名ビバウシがある、バチェラーはやはり「貝のある所」と解している。bがmに変るのは普通だからこれは同じものらしい。仁淀(ニヨド) 坪井博士はチャム語「ニオト」塩魚、塩肉としている。ビルマ「ニアジヨーク」も干魚である。しかしアイヌとすれば「ニ」樹木「オロ」豊富。またマレイ「ニアタ」は用材樹木。仁淀川と塩魚は縁が薄いが材木とは縁が深い。越知(オチ) 「オチ」は水の渦を巻く義。手結(テイ) 「タイ」森。これではないらしい。あるいは「ツイ」切れるか。ビルマでは「テー」砂。出雲の手結(タユイ)とは必ずしも同じではないかもしれぬ。津呂(ツロ) 「ツル」は突き出る。二箇所の津呂いずれも国の突端に近い。(長津呂のツロも同じか。)以布利(イブリ) バタク語で「イフル」は前同様突端でこれが津呂に近くあるのは面白い。足褶(アシズリ) 「アツイ」海「ツリ」突出。すなわち海中に突き出る義か。安和(アワ) 「アパ」入口。または海上より見た河口。阿波国名もあるいは同じか。五百蔵(イオロイ) 「イウォロ」山。斗賀野(トガノ) 「ツク」上方に拡がる「ヌ□平原丘。四万十(シマント)川 「シ」甚だ。「マムタ」美しき。布師田(ヌノシダ) 北海道に「ヌ□ノユシ」の地名がある。蓬野の義である。伊尾木(イオキ) 「イオチ」は蛇の居るであるか。またセマング語で「イオ」は森、「クイン」は樹である。伊与木も伊尾木も多分同じものか。フィン語の「ヨキ」は川である。あるいはアイヌ「イオク」釣針で捕るすなわち釣魚の義か。サカイ語では「カドー」でこれが門谷のカドに関係するかもしれない。
土佐 門狭(とさ)ですなわち佐渡の狭門(さど)に同じく狭い海峡をはいって行く国だとの説がある。しかしアイヌで「ツサ」は袖の義である。土佐の海岸どこに立って見ても東西に陸地が両袖を拡げたようになっているから、この附会は附会として興味がある。もしこれがアイヌだとすると、隣国讃岐(さぬき)は「サンノッケウ」すなわち顎であろう。能登がアイヌの「ノト」頤(おとがい)である事は多くの人が信じている。坪井博士の説ではトサはやはりチャム系の言葉で雨嵐の国だそうである。これだとあまり有難くない国である。
高知 これは従来の説では、河内(こうち)すなわちデルタだそうである。坪井博士の説ではチャム語で島である。しかしアイヌだと「コッチ」「コーチ」宅地となる。これはまたマレイの「コータ」堡塁とのある関係を思わせる。 以上は大部分ただ偶然の暗号に過ぎないかもしれない。しかし中には実際ある関係をもつものもあるかもしれない。関係があるとしても、それがどういう関係であるかは分らない。実際アイヌの先祖の言葉であるのか、また我々の先祖の言葉が今のアイヌの言語に混入しているのか、あるいは朝鮮、支那、前インド、南洋から後に渡来したのがアイヌの先祖と吾等の先祖の言語に混合しているのかそれはなかなか容易に決定し難い問題である。
 ただ以上のようにこじつけ得られるという事自身には何らかの意義があるであろう。この事実がもし我郷土の研究者に何かの暗示を与える端緒ともならば大幸である。
(昭和三年一月『土佐及土佐人』)



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