青衣童女像
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著者名:寺田寅彦 

 木枯らしの夜おそく神保町(じんぼうちょう)を歩いていたら、版画と額縁を並べた露店の片すみに立てかけた一枚の彩色石版(クロモリソグラフ)が目についた。青衣の西洋少女が合掌して上目に聖母像を見守る半身像である。これを見ると同時にある古いなつかしい記憶が一時に火をつけたようによみがえって来た。木枯らしにまたたく街路の彩燈の錦(にしき)の中にさまざまの幻影が浮かびまた消えるような気がするのであった。
 十四五歳のころであったかと思う。そのころ田舎(いなか)では珍しかった舶来の彩色石版の美しさにひどく心酔したものであった。われわれはそれを「油絵」と呼んでいたが、ほんとうの油絵というものはもちろんまだ見た事がなかったのである。この版画の油絵はたしかに一つの天啓、未知の世界から使者として一人の田舎少年(いなかしょうねん)の柴(しば)の戸ぼそにおとずれたようなものであったらしい。
 当時は町の夜店に「のぞきからくり」がまだ幅をきかせていた時代である。小栗判官(おぐりはんかん)、頼光(らいこう)の大江山(おおえやま)鬼退治、阿波(あわ)の鳴戸(なると)、三荘太夫(さんしょうだゆう)の鋸引(のこぎりび)き、そういったようなものの陰惨にグロテスクな映画がおびえた空想の闇(やみ)に浮き上がり、しゃがれ声をふりしぼるからくり師の歌がカンテラのすすとともに乱れ合っていたころの話である。そうして東京みやげの「江戸絵」を染めたアニリン色素のなまなましい彩色がまだ柔らかい網膜を残忍にただらせていたころの事である。こういうものに比べて見たときに、このいわゆる「油絵」の温雅で明媚(めいび)な色彩はたしかに驚くべき発見であり啓示でなければならなかった。遠い美しい夢の天国が夕ばえの雲のかなたからさし招いているようなものであった。
 当時の自分のこの「油絵」の貧しいコレクションの中には「シヨンの古城」があった。それからたしかルツェルンかチューリヒ湖畔の風景もあった。スイスの湖水と氷河の幻はそれから約二十年の間自分につきまとっていた。そうしてとうとう身親しくその地をおとずれる日が来たのであったが、その時からまたさらに二十年を隔てた今の自分には、この油絵のスイスと、現実に体験したスイスとの間の差別の障壁はおおかた取り払われてしまって、かえって二十年前の現実が四十年前の幻像の中に溶け込むようにも思われるのである。
 ナポリの湾内にイタリアの艦隊の並んだ絵も一枚あった。背景にはヴェスヴィオが紅の炎を吐き、前景の崖(がけ)の上にはイタリア笠松(かさまつ)が羽をのしていた。一九一〇年の元旦(がんたん)にこの火山に登って湾を見おろした時には、やはりこの絵が眼前の実景の上に投射され、また同時に鴎外(おうがい)の「即興詩人」の場面がまざまざと映写されたのであった。
 静物が一枚あった。テーブルの上に酒びん、葡萄酒(ぶどうしゅ)のはいったコップ、半分皮をむいたみかん、そんなものが並んでいた。そしてそれはその後に目で見た現実のあらゆるびんやコップや果物(くだもの)よりも美しいものであった。すべてがほの暗いそうして底光りのする雰囲気(ふんいき)の中から浮き出した宝玉のようなものであった。
 そうしてそのほかに一枚青衣の少女の合掌した半身像があった。これは両親と自分との居間の□間(びかん)に掲げられたままで長い年月を経た。中学の同級生のうちで自分がこういう少女像の額なんか掛けているのをおかしいと言って非難するものもあった。十九の年に中学を出てから他郷に流寓(りゅうぐう)した。妻を迎えて東京をあっちこっちと移り住んだ。その間に年に一度ぐらい帰省するそのたびにこの少女像は昔のままに同じ□間に同じ姿勢のままに合掌して聖母像を見守っていたのである。
 父がなくなってから郷里の家をたたんだ時にこれらの「油絵」がどうなったか。不思議なことにはこれに関する自分の記憶が全く空白になっている。事によると自分が家の始末に帰る前にもう取り片付けに着手していた母の手で何かといっしょに倉の中へしまい込まれて今でもどこかに自分の所有物として現存しているのか、それとも雑品の中に交じってくず屋の手に渡ってしまったのかもしれない。郷里の家は人に貸してあるので、たまたま帰省しても、締め切ったままの座敷倉へはいる機会はまれである。のみならずこれらの絵の事は実際にもう長い間自分の識域の底深く沈んでいたのであった。神田(かんだ)の夜店の木枯らしの中に認めたこの青衣少女の二重像(ドッペルゲンガー)はこのほとんど消えてしまっていた記憶を一時に燃え上がらせた。少女は四十年前と同じ若々しさ、あどけなさをそのままに保存してエメラルド色のひとみを上げて壁間の聖母像に見入っているのである。着物の青も豊頬(ほうきょう)の紅も昔よりもかえって新鮮なように思われるのであった。
 ただ一瞥(いちべつ)を与えただけで自分は惰性的に神保町の停車場まで来てしまった。この次に見つけたらあれを買って来るのだと思いついた時には、自分をのせた電車はもう水道橋(すいどうばし)を越えて霜夜の北の空に向かって走っていた。昔のわが家の油絵はどうなったか、それを聞き出す唯一の手がかりはもう六年前になくなった母とともに郷里の久万山(くまやま)の墓所の赤土の中にうずもれてしまっているのであった。
 その後おりおり神保町の夜店をひやかすようなときは、それとなく気をつけているが、この青衣少女にはめぐり会わない。夏がやって来た。夕方浴後の涼風を求めて神田の街路をそぞろ歩きするたびにはこの「初恋」の少女の姿を物色する五十四歳の自分を発見して微笑する。そうしてウェルズの短編「壁の扉(とびら)」の幻覚を思い出しながら、この次にいついかなる思いもかけぬ時と場所で再びこの童女像にめぐり会うであろうかという可能性を、さじの先でかき回しながら一杯の不二家(ふじや)のコーヒーをすするのである。
(昭和六年九月、雑味)



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