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著者名:寺田寅彦 

 私が九つの秋であった、父上が役を御やめになって家族一同郷里の田舎へ引移る事になった。勿論(もちろん)その頃はまだ東海道鉄道は全通しておらず、どうしても横浜から神戸まで船に乗らねばならぬ。が、困った事には父上の外は揃いも揃うた船嫌いで海を見るともう頭痛がすると云う塩梅(あんばい)で。何も急(せ)く旅でもなしいっそ人力(じんりき)で五十三次も面白かろうと、トウトウそれと極(きま)ってからかれこれ一月の果(はて)を車の上、両親の膝の上にかわるがわる載せられて面白いやら可笑(おか)しいやらの旅をした事がある。惜しい事には歳が歳であったから見もし聞きもした場所も事実も、二昔も程遠き今日からふりかえって考えてみると夢のような取り止めも付かぬ切々(きれぎれ)が、かすかな記憶の糸につながれて、廻り燈籠のように出て来るばかりで。こんな風であるから、これも自分には覚えておらぬが横浜から雇った車夫の中に饅頭形の檜笠(ひのきがさ)を冠(かぶ)ったのがあったそうだ。仕合せに晴天が続いて毎日よく照りつける秋の日のまだなかなか暑かったであろう。斜めに来る光がこの饅頭笠をかぶった車夫の影法師を乾き切った地面の白い上へうつして、それが左右へゆれながら飛んで行くのが訳もなく子供心に面白かったと見える。自分はこの車夫に椎茸(しいたけ)と云う名をつけた。それは影法師の形がいくらか似ていると思ったからである。街道に沿うた松並木の影の中をこの椎茸がニョキ/\と飛んで行くのがドンナに可笑しかったろう。朝はこの椎茸が恐ろしく長くて、露にしめった道傍の草の上を大蛇のようにうねって行く。どうかするとこの影が小川へ飛込んで見えなくなったと思うと、不意に向うの岸の野菊の中から頭を出す。出すかと思うと一飛びに土堤(どて)を飛越えてまた芒(すすき)の上をチラリ/\して行く。なお面白いのは日が高くなるにつれて椎茸が次第に縮んで、おしまいにはもう椎茸とも何とも分らぬものになって石ころ道の上を飛び飛び転がって行く。少し厭(あ)き気味になると父上に謡(うたい)をうたえの話をせよのとねだっているうちに日が西に傾く。しかし今度は朝のような工合に行かぬ。大体が西を向いて行くのであるから、椎茸は車の右脇へ頭を出したり左へ出したり。どうかすると自分の脚の上へ来るのでキャッ/\と大騒ぎをする。こんな坊チャマを膝へ乗せた父上も大概な事ではなかったらしいが、椎茸もトンダ目に会ったものだ。この椎茸少々宜(よろ)しからぬ事があって途中から免職になったのはよかったが、その後任の爺さんがドーモ椎茸でなかったので坊チャン一通りの不平でない。これにはさすがの両親も持て余したと云う。(明治三十三年九月『ホトトギス』)



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