鐘に釁る
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著者名:寺田寅彦 

 昔シナで鐘を鋳た後にこれに牛羊の鮮血を塗ったことが伝えられている。しかしそれがいかなる意味の作業であったかはたしかにはわからないらしい。この事について幸田露伴(こうだろはん)博士の教えを請うたが、同博士がいろいろシナの書物を渉猟された結果によると釁(ちぬ)るという文字は犠牲の血をもって祭典を挙行するという意味に使われた場合が多いようであるが、しかしとにかく、一書には鐘を鋳た後に羊の血をもってその裂罅(れっか)に塗るという意味に使われているそうである。孟子(もうし)にはそれが牛の血を塗ることになっているのである。
 鐘に血を塗るというのは、本来はおそらく犠牲の血によって物を祭り清めるという宗教的の意義しかなかったのであろうが、しかし特に鐘の割れ目に塗るということがあったとすると、それは何かしら割れ目のために生じた鐘の欠点を補正するという意味があったのではないかと疑わせる。そうしないと特に割れ目に塗るという言葉が無意味になってしまうのである。
 もし空想をたくましゅうすることを許されれば、最初は宗教的儀式としてやっていた事が偶然鐘の音に対してある有利な効果のある事を発見し、次いでそれが鋳物の裂罅から来る音響学的欠点を修正するためだということに考え及び、そうして今度は意識的にそういう作業を施すようになったのかもしれないと思われるのである。
 現在のわれわれの分子物理学上の知識から考えて、こういう想像は必ずしもそう乱暴なものではないということは次のような考察をすれば、何人(なんびと)にも一応は首肯されるであろうと思う。
 金属と油脂類との間の吸着力の著しいことは日常の経験からもよく知られている。真鍮(しんちゅう)などのみがいた鏡面を水で完全に湿(うるお)すのが困難であるのは、目に見えない油脂の皮膜のためである。こういう皮膜がいわゆる boundary lubrication の作用をして面の固体摩擦を著しく減少することは Rayleigh, Hardy, Langmuir, Devaux らの研究によって明らかになったことである。こういう皮膜は多くの場合に一分子だけの厚さをもつものであるから、割れ目の間隙(かんげき)が 10-8[#「-8」は上付き小文字]cm 程度である場合にこの種の皮膜ができればそれによって間隙は充填(じゅうてん)され、その皮膜はもはや流体としてではなく固体のごとき作用をして、音波が割れ目の面で反射され分散されるのを防止し、鐘の振動を完全にすることができるであろうと想像されうる。しかし黄銅の場合にこの種の単分子皮膜が固体面に沿うて自由に伸展し、吸着した湿気やガスを駆逐しつつ裂罅(れっか)を埋めるかどうかは実験しなければ確かなことはわからない。しかし他の多くのよく知られた実験の結果から推定してたぶん間違いないであろうと思われる。
 割れ目があまり大きくては困るが、しかし必ずしも 10-8[#「-8」は上付き小文字] や 10-7[#「-7」は上付き小文字] でなくてもミクロン程度のものならば、その間隙を液体で充填することによって割れ目の面における音波の反射をかなりまで防止し従って鐘の正常な定常振動を回復することができるであろうと考えられる。もっとも割れ目の空隙(くうげき)が厚くなるほど、これを充填した血液の水分は蒸発し、有機物は次第に分解変化して効力を失うであろうから、やはり目に見えない程度の分子的な割れ目に対して最も効力を発揮するであろうと考えられる。
 以上のスペキュレーションが多少でも事実に該当するとした時に血液成分中に含まれるいかなる成分が最も有効であるかという問題が起こるが、多くの場合から類推すると、おそらく膠(にかわ)のようなものや脂酸のようなもので COOH 根を有するものが最も有効であろうと考えられる。
 Lubrication に関して油の oiliness と称するものがこの場合の問題に密接な関係をもつであろうと思われる。この減摩油の効力を規定する因子としての oiliness は、ある学者の説では炭水素連鎖の屈撓性(くっとうせい)、あるいは連鎖が界面に横臥(おうが)しうる性質と関連しているとのことであるが、現在の場合でも連鎖が屈伸自在であればあるほど、金属の molecular な空隙(くうげき)に潜入してこれを充填(じゅうてん)するのに好都合であろうと想像することができる。
 以上は単なるスペキュレーションに過ぎないが近来ますます盛んになった分子物理学上の諸問題と連関して種々興味ある研究題目を暗示する点において多少の意味があろうと思うので本誌の余白を借りて思いついたままをしるした次第である。
 金属と油との境界面については単に lubrication のみでなく、もっといろいろの違った方面の事がらと関係してもっといろいろ研究されてよいように思われるのに、この方面の研究が割合に少ないように見えるのは遺憾である。金相学者と界面化学者との協同によってこの方面の研究を進める事ができれば存外有益な効果をあげる事ができそうに思われるのである。
(昭和八年一月、応用物理)



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