青春の逆説
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著者名:織田作之助 

 第一部  二十歳

    第一章

      一

 お君は子供のときから何かといえば跣足になりたがった。冬でも足袋をはかず、夏はむろん、洗濯などするときは決っていそいそと下駄をぬいだ。共同水道場の漆喰(しっくい)の上を跣足のままペタペタと踏んで、
「ああ、良え気持やわ」
 それが年頃になっても止まぬので、無口な父親も流石に、
「冷えるぜエ」とたしなめたが、聴かなんだ。蝸牛を掌にのせ、腕を這わせ、肩から胸へ、じめじめとした感触を愉んだ。また、銭湯で水を浴びるのを好んだ。湯気のふき出ている裸にざあッと水が降り掛って、ピチピチと弾み切った肢態が妖しく顫えながら、すくッと立った。官能がうずくのだった。何度も浴びた。
「五へんも六ぺんも水かけまんねん。良え気持やわ」と、後年夫の軽部(かるべ)に言ったら、若い軽部は顔をしかめた。
 お君が軽部と結婚したのは十八の時だった。軽部は小学校の教師、出世がこの男の固着観念で、若い身空で浄瑠璃など習っていたが、むろん浄瑠璃ぐるいの校長に取り入るためだった。下寺町の広沢八助に入門し、校長の驥尾(きび)に附して、日本橋筋五丁目の裏長屋に住む浄瑠璃本写本師、毛利金助に稽古本を註文したりなどした。
 お君は金助のひとり娘だった。金助は朝起きぬけから夜おそくまで、背中をまるめてこつこつと浄瑠璃の文句を写しているだけが能の、古ぼけた障子のようにひっそりした無気力な男だった。女房はまるで縫物をするために生れて来たような女で、いつ見ても薄暗い奥の間にぺたりに坐り込んで針を運ばせていた。糖尿病をわずらってお君の十六の時に死んだ。女手がなくなって、お君は早くから一人前の大人並みに家の切りまわしをした。炊事、針仕事、借金取の断り、その他写本を得意先に届ける役目もした。若い見習弟子がひとりいたけれど、薄ぼんやりで役に立たず、邪魔になるというより、むしろ哀れだった。
 お君が上本町九丁目の軽部の下宿先へ写本を届けに行くと、二十八の軽部はぎょろりとした眼をみはった。裾から二寸も足が覗いている短い着物をお君は着て、だから軽部は思わず眼をそらした。
「女は出世のさまたげ」
 熱っぽいお君の臭いにむせながら、日頃の持論にしがみついた。しかし、三度目にお君が来たとき、
「本に間違いないか、今ちょっと調べて見るよってな、そこで待っとりや」と坐蒲団をすすめて置いて、写本をひらき、
 ――あと見送りて政岡が……、ちらちらお君を盗見していたが、次第に声もふるえて来て、生唾をぐっと呑み込み、
 ――ながす涙の水こぼし……
 いきなり霜焼けした赤い手を掴んだ。声も立てぬのが、軽部は不気味だった。その時のことを、あとでお君が、
「なんや斯う、眼エの前がぱッと明うなったり、真ッ黒けになったりして、あんたの顔こって牛みたいに大けな顔に見えた」と言って、軽部にいやな想いをさせたことがある。軽部は小柄な割に顔の造作が大きく、太い眉毛の下にぎょろりと眼が突き出し、分厚い唇の上に鼻がのし掛っていて、まるで文楽人形の赤面みたいだが、彼はそれを雄大な顔だと己惚れていた。けれども、顔のことに触れられると、さすがに何がなし良い気持はしなかった。
 ……その時、軽部は大きな鼻の穴からせわしく煙草のけむりを吹き出しながら、
「この事は誰にも言うたらあかんぜ。分ったやろ。また来るんやぜ」と駄目押した。けれども、それきりお君は来なかった。軽部は懊悩した。このことはきっと出世のさまたげになるだろうと思った。序でに、良心の方もちくちく痛んだ。あの娘は妊娠しよるやろか、せんやろかと終日思い悩み、金助が訪ねて来ないだろうかと怖れた。己惚れの強い彼は、「教育者の醜聞」そんな見出の新聞記事まで予想し、ここに至って、苦悩は極まった。いろいろ思い案じた挙句、今の内にお君と結婚すれば、たとえ妊娠しているにしても構わないわけだと気がつき、ほッとした。何故このことにもっと早く気がつかなかったか、間抜けめと自ら嘲った。けれども、結婚は少くとも校長級の家の娘とする予定だった。写本師風情の娘との結婚など夢想だにしなかったのではないか。僅かに、お君の美貌が彼を慰めた。
 某日、軽部の同僚と称して、薄地某が宗右衛門町の友恵堂の最中(もなか)を手土産に出しぬけに金助を訪れ、呆気にとられている金助を相手に四方山の話を喋り散らして帰って行き、金助にはさっぱり要領の得ぬことだった。ただ、薄地某の友人の軽部村彦という男が品行方正で、大変評判の良い、血統の正しい男であるということだけが朧気にわかった。
 三日経つと、当の軽部がやって来た。季節外れの扇子などを持っていた。ポマードでぴったりつけた頭髪を二三本指の先で揉みながら、
「実はお宅の何を小生の……」妻にいただきたいと申し出でた。金助がお君に、お前は、と訊くと、お君は恐らく物心ついてから口癖であるらしく、
「私(あて)でっか。私(あて)は如何(どない)でもよろしおま」表情一つ動かさず、強いて言うならば、綺麗な眼の玉をくるりくるり廻していた。
 あくる日、金助が軽部を訪れて、
「ひとり娘のことでっさかい。養子ちゅうことにして貰いましたら……」
 都合が良いとは言わせず、軽部は、
「それは困ります」と、まるで金助は叱られに行ったみたいだった。
 やがて、軽部は小宮町に小さな家を借りてお君を迎えたが、この若い嫁に「大体に於て満足している」と、同僚たちに言いふらした。お君は白い綺麗なからだをしていた。なお、働き者で、夜が明けるともうぱたぱたと働いていた。
 ――ここは地獄の三丁目、行きは良い良い帰りは怖い。と朝っぱらから唄うたが、間もなく軽部にその卑俗性を理由に禁止された。
「浄瑠璃みたいな文学的要素がちょっともあれへん」と言いきかせた。かつて彼は国漢文中等教員検定試験を受けて、落第したことがあった。それで、お君は、
 ――あはれ逢瀬の首尾あらば、それを二人が最期日と、名残りの文のいひかはし、毎夜毎夜の死覚悟、魂抜けてとぼとぼうかうか身をこがす……。と、「紙治」のサワリなどをうたった。下手糞でもあったので、軽部は何か言い掛けたが、しかし満足することにした。
 ある日、軽部の留守中、日本橋の家で聞いて来たんですがと、若い男が顔を出した。
「まあ、田中の新ちゃんやないの、どないしてたの?」
 もと近所に住んでいた古着屋の息子の田中新太郎で、朝鮮の聯隊に入営していたが、除隊になって昨日帰って来たところだという。何はともあれと、上るなり、
「嫁はんになったそうやな。なんで自分に黙って嫁入りしたんや」と、田中新太郎は詰問した。かつて唇を三回盗まれたことがあり、体のことがなかったのは単に機会だったと今更口惜しがっている彼の肚の中などわからぬお君は、そんな詰問は腑に落ちかねた。が、さすがに日焼けした顔に泛んでいるしょんぼりした表情を見ては、哀れを催した。天婦羅丼をとったりして、もてなしたが、彼はこんなものが食えるかと、お君の変心を怒りながら、帰ってしまった。その事を夕飯のときに軽部に話した。軽部は新聞を膝の上に拡げたままふんふんと聴いていたが、話が唇のことに触れると、いきなり、新聞がばさりと音を立て、続いて、箸、茶碗、そしてお君の頬がぴしゃりと鳴った。お君はきょとんとした顔で暫く軽部の顔を見ていたがにわかに泣声を出した。すると、大きな涙がぽたぽたと畳の上に落ちた。泣声をあとに、軽部は憂鬱な散歩に出掛けた。出しなに、ちらりと眼に入れた肩の線がそんな話のあとでは一層悩ましく、ものの三十分もしない内に帰って来ると、お君の姿が見えぬ。火鉢の側に腰を浮かせて、半時間ばかりうずくまっていると、
 ――魂抜けて、とぼとぼうかうか……、
 声がきこえ、湯上りの匂いをぷんぷんさせて、帰って来た。その顔を一つ撲って置いてから、軽部は、
「女いうもんはな、結婚まえには神聖な体でおらんといかんのやぞ。キッスだけのことにしろやね、……」
 言い掛けて、いつかの苦い想出がふっと頭に来た。何か矛盾めくことを言うようだったから、簡単な訓戒に止めることにした。軽部はお君と結婚したことを後悔した。しかし、お君が翌年の三月、男の子を産むと、日を繰ってみてひやっとし、結婚して置いて良かったと思った。生れた子は豹一と名付けられた。日本が勝ち、ロシヤが負けたという意味の唄が未だ大阪を風靡していたときのことだった。その年、軽部は五円昇給した。
 同じ年の暮、二ツ井戸の玉突屋日本橋クラブの二階広間で広沢八助連中素人浄瑠璃大会が開かれ、聴衆約百名、随分盛会だった。
 軽部村彦こと軽部八寿はそのときはじめて高座に上った。はじめてのことだからと露払いを買って出で、ぱらりぱらりと集りかけた聴衆の前で簾を下したまま語ったが、それでも、沢正オ! と声が掛ったほどの熱演だった。熱演賞として湯呑一個貰った。露払いを済ませ、あと汗びしょのまま会の接待役としてこまめに立ち働いたのが悪かったのか、翌日から風邪をひいて寝込んだ。こじれて急性肺炎になった。かなり良い医者に診てもらったのだが、ぽくりと軽部は死んだ。涙というものは何とよく出るものかと不思議なほど、お君はさめざめと泣き、夫婦はこれでなくては値打がないと、ひとびとはその泣き振りに見とれた。
 しかし、二(ふた)七日の夜、追悼浄瑠璃大会が校長の肝いりで同じく日本橋クラブの二階でひらかれると、お君は赤ん坊を連れて姿を見せ、どっさりの校長が語った「紙治」のサワリで、パチパチと音高く拍手した。
 手を顔の上にあげ、人眼につきひとびとは眉をひそめた。軽部の同僚たちは、何か腹の中でお互いの妻の顔を想い泛べて、随分頼りない気持を顔に見せた。校長はお君の拍手に満悦したようだった。
 三七日の夜、あらたまって親族会議があった。四国の田舎から来た軽部の父が、お君の身の振り方に就て、お君の籍は金助のところに戻し、豹一(こども)も金助の養子にしてもろたらどんなもんじゃけんと、渋い顔をして意見を述べ、お君の意嚮を訊くと、
「私(あて)でっか。私(あて)は如何(どない)でもよろしおま」
 金助は一言も意見らしい口をきかなかった。
 いよいよ実家に戻ることになり、お君が豹一を連れて日本橋の裏長屋へ帰ってみると、家の中は呆れるほど汚かった。障子の桟にはべたッと埃がへばりつき、天井には蜘蛛の巣がいくつも、押入れには汚れ物が一杯あった。お君が嫁いだ後、金助は手伝い婆さんを雇って家の中を任せていたが、よりによって婆さんは腰が曲り、耳も遠かったのだ。
「此のたびはえらい御不幸な……」と挨拶した婆さんに抱いていた子供を預けると、お君は一張羅の小浜縮緬の羽織も脱がず、ぱたぱたとそこら中はたきはじめた。
 三日経つと、家の中は見違えるほど綺麗になった。婆さんは、実は田舎の息子がと自分から口実を作って暇をとらざるを得なかった。そして、
 ――ここは地獄の三丁目、の唄が朝夕きかれた。よく働いた。そんなお君の帰って来たことを金助は喜んだが、この父は亀のように無口であった。軽部の死に就てもついぞ一言も纒まった慰めをしなかった。
 古着屋の田中新太郎は既に若い嫁をもらっており、金助の抱いて行った子供を迎えに、お君が銭湯の脱衣場へ姿を見せると、その嫁も最近生れた赤ん坊を迎えに来ていて、仲善しになった。雀斑だらけの鼻の低いその嫁と見比べてみると、お君の美貌は改めて男湯で問題になるのだった。露骨に俺の嫁になれと持ち掛けるものもあったが、お君はくるりくるり綺麗な眼の玉をまわして、笑っていた。金助の所へ話をもって行くものもあった。その都度金助がお君の意見を訊くと、例によって、
「私(あて)は如何(どない)でも……」
 良いが、俺は嫌だと、こんどは金助は話を有耶無耶に断ってしまった。
 夏、寝苦しい夜、軽部の乱暴な愛撫が瞼に重くちらついた。見習弟子はもう二十一歳になっていて白い乳房を子供にふくませて転寝しているお君を見ては、固唾をのみ、空しく胸を燃していた。
 歳月が流れた。

      二

 五年経ち、お君が二十四、子供が六つの年の暮、金助は不慮の災難であっけなく死んでしまった。
 その日、大阪は十一月末というに珍らしくちらちら粉雪が舞うていた。孫の成長と共にすっかり老い込み、耄碌していた金助が、お君に五十銭貰い、孫の手をひっぱって千日前の楽天地へ都築文男一派の連鎖劇を見に行った帰り、日本橋一丁目の交叉点で恵美須町行きの電車にひかれたのだった。救助網に撥ね飛ばされて危うく助かった豹一が、誰かにもらったキャラメルを手にもち、ひとびとに取りかこまれて、わあわあ泣いているところを見た近所の若い者が、「あッ、あれは毛利のちんぴらや」と自転車を走らせて急を知らせてくれ、お君が駈けつけると、黄昏の雪空にもう電燈をつけた電車が何台も立往生し、車体の下に金助のからだが丸く転っていた。ぎゃッと声を出したが、不思議に涙は出ず、豹一がキャラメルのべとべとひっついた手でしがみついて来たとき、はじめて咽喉の中が熱くなった。そして何も見えなくなった。やがて、活気づいた電車の音がした。
 その夜、近所の質屋の主人が大きな風呂敷包をもってやって来、おくやみを述べたあと、
「実は先達(せんだって)お君はんの嫁入りのときでしてん。支度の費用や言うてからに、金助はんにお金を御融通しましたのや。そのときの品が、利子もはいってまへんので、もう流れてまんネやけど、なんやこうお君はんとこでは大切な品や思いまんので、相談によって何せんこともおまへん、と、こない思いましてな。何れ電車会社の……」慰藉金を少くとも千円と見込んで、これでんねんと出したのを見ると、系図一巻と太刀一振だった。ある戦国時代の城主の血をかすかに引いている金助の立派な家柄が、それでわかるのだったが、お君にははじめて見る品だった。金助から左様な家柄に就てついぞ一言もきかされたこともなく、むろん軽部も知らず、軽部がそれを知らずに死んだのは、彼の不幸の一つだった。お君に知らさなかった金助も金助だが、お君もまたお君で、
「折角でっけど、そんなもん私(あて)には要(いり)用おまへん」と、質屋の申出を断り、その後家柄のことも忘れてしまった。利子の期限云々とむろん慾に掛って執拗にすすめられたが、お君は、ただ気の毒そうに、
「私(あて)にはどうでも良えことだっさかい。それになんだんねん……」電車会社の慰藉金はなぜか百円そこそこの零細な金一封で、その大半は暇をとることになった見習弟子に呉れてやる肚だった。そんなお君に山口の田舎から来た親戚の者は呆れかえって、葬式、骨揚げと二日の務めを済ませるとさっさとひきあげてしまい、家の中ががらんとしてしまった夜、ふと眼をさまして、
「誰?」と、暗闇に声を掛けたが、答えず、思わぬ大金をもらって気が変になったのか、こともあろうにそれは見習弟子だと、やがて判った。しかし、あくる日になると、見習弟子は不思議なくらいしょげ返ってお君の視線を避けて、男らしくなく、むしろ哀れだったが、夕方国元から兄と称する男が引取りに来ると彼はほッとしたようだった。永々厄介な小僧を世話でしたのうと兄が挨拶したあと、ぺこんと頭を下げ、
「ほんの心じゃけ、受けてつかわさい」と、白い紙包を差し出して、何ごともなかった顔で、こそこそ出て行った。見ると、写本の字体で、ごぶつぜんとあり、お君が呉れてやったお金がそっくりそのままはいっていた。国へ帰って百姓すると言った彼の貧弱な体やおどおどした態度を憐み、お君はひとけのなくなった家の中の空虚さに暫くぽかんと坐ったままだったが、やがて、
 ――船に積んだアら、どこまで行きやアる、木津や難波(なんば)アの橋のしイたア……
 思い出したように哀調を帯びた子守唄を高い声で豹一に聴かせた。
 お君は上塩町地蔵路地の裏長屋に家賃五円の平屋(ひらや)を見つけて、そこに移ると、早速、「おはり教えます」と、小さな木札を軒先に吊した。長屋の者には判読しがたい変った書体で、それは父親譲り、裁縫(おはり)は絹物、久留米物など上手とはいえなかったが、これは母親譲り、月謝五十銭の界隈の娘たち相手にはどうにか間に合い、むろん近所の仕立物も引き受けた。
 慌しい年の暮、頼まれた正月(はる)着の仕立に追われて、夜を徹する日が続いたが、ある夜更け、豹一がふと眼をさますと、スウスウと水洟をすする音がきこえ、お君は赤い手で火鉢の炭火を掘りおこしていた。戸外では霜の色が薄れて行き、……そんな母親の姿に豹一は幼心にもふと憐みを感じたが、お君は子供の年に似合わぬ同情や感傷など与り知らぬ母だった。
「お君さんは運(かた)が悪うおますな」と、長屋の者が慰めに掛っても、
「仕方おまへん」と、笑って見せた。軽部の死、金助の死と相つづく不幸もどこ吹いた風かといった顔だったから、愚痴の一つも聞いてやり、貰い泣きもさして貰いまひょと期待した長屋の女たちは、何か物足らなかった。
 大阪の路地にはたいてい石地蔵が祀(まつ)られていて、毎年八月の末に地蔵盆(さん)の年中行事が行われたが、お君の住んでいる地蔵路地は名前からして、他所(よそ)の行事に負けられなかった。戸毎に絵行燈をかかげ、狭苦しい路地の中で、近所の男や女が、
 ――トテテラチンチン、トテテラチン、チンテンホイトコ、イトハトコ、ヨヨイトサッサ、……と踊った。お君は無理して西瓜二十個寄進し、薦められて踊りの仲間にはいった。お君が踊りに加わったため、夜二時までとの警察のお達しが明け方まで忘れられた。
 相変らず、銭湯で水を浴びた。肌は娘の頃の艶を増していた。ぬか袋を使うのかと訊かれた。水を浴びてすくっと立っている、眼の覚めるような鮮かな肢態に固唾をのむような嫉妬を感じていた長屋の女が、あるときお君の頸筋を見て、
「まあ、お君さんたら、頸筋に生ぶ毛が一杯……」生えているのに気が付いたのを倖い、大袈裟に言うので、銭湯の帰り、散髪屋へ立ち寄ってあたって貰った。剃刀が冷やりと顔に触れた途端、どきッと戦慄を感じたが、やがてさくさくと皮膚の上を走って行く快い感触に、思わず体が堅くなり、石鹸と化粧料の匂いのしみ込んだ手が顔の筋肉をつまみあげるたびに、体が空を飛び、軽部を想い出した。
 そのようなお君に、そこの職人の村田は商売だからという顔をときどき鏡にたしかめて見なければならなかった。しかし、その後月に二回は必ずやって来るお君に、村田は平気で居れず、ある夜、新聞紙に包んだセルの反物を持って路地へやって来て、
「思い切って一張羅イを張りこみましてん。済んまへんが一つ……」縫うてくれと頼むと、そのままぎこちない世間話をしながらいつまでも坐り込み、お君を口説く機会は今だ今だと心に叫んでいたが、そんな彼の肚を知ってか知らずにか、お君は、長願寺の和尚(おっ)さんももう六十一の本卦ですなというつまらぬ話にも、くるりくるりと眼玉をまわして、げらげら笑っていた。
 豹一は側に寝そべっていたが、いきなり、つと起き上ると、きちんと両手を膝の上に並べて、村田の顔を瞶(みつ)め、何か年齢を超えて挑みかかって来る眼付きだと、村田は怖れ見た。やがて村田は自分の内気を嘲りながら、帰って行った。路地の入口で放尿した。その音を聞きながら、豹一は不安な顔でごろりと横になった。

      三

 豹一は早生れだから、七つで尋常一年生になった。始業式の日にもう泣いて帰ったから、お君は日頃の豹一のはにかみ屋を思い出し、この先が案じられると、訊けば、同級の男の子を三人も撲ったので教師に叱られた、ということだった。
 学校での休暇時間には好んで女の子と遊んだ。少女のような体つきで、顔も色白くこぢんまり整っていたから、女教師たちがいきなり抱きしめに来た。豹一は赧い顔で逃げ、二、三日はその教師の顔をよう見なかった。身なりのみすぼらしさを恥じていたのである。一つには、可愛がられるということが身につかぬ感じで、皮膚はもう自分から世間の風に寒く当っていた。
 一週間に五人ぐらい、同級の男の子が彼に撲られて泣いた。子供にしては余り笑わなかった。泣けば、自分の泣き声に聴き惚れているかのような泣き方をした。泣き声の大きさは界隈の評判だと、自分でも知っていた。ある時、何に腹立ってか、路地の井戸端にある地蔵に小便をひっ掛けた。見ている人があったので、一層ゆっくりと小便をした。お君は気の向いた時に叱った。
 八つの時、学校から帰ると、いきなり仕立おろしの久留米の綿入を着せられた。筒っぽの袖に鼻をつけると、紺の匂いがぷんぷん鼻の穴にはいって来て、気取り屋の豹一には嬉しい晴着だったが、流石に有頂天にはなれなかった。お君はいつになく厚化粧し、その顔を子供心に美しいと見たが、何故かうなずけなかった。仕付糸をとってやりながら、
「向う様へ行ったら行儀ようするんやぜ」
 お君は常の口調だったが、豹一は何か叱られていると聴いた。
 路地の入口に人力車が三台来て並ぶと、母の顔は瞬間面(めん)のようになり、子供の分別ながらそれを二十六の花嫁の顔と見て、取りつく島もないしょんぼりした気持になった。火の気を消してしまった火鉢の上に手をかざし、張子の虎のように抜衣紋した白い首をぬっと突き出し、じじむさい恰好で坐っているところを、豹一は立たされ、人力車に乗せられた。見知らぬ人が前の車に、母はその次に、豹一はいちばん後の車。一人前に車の上にちょこんと収っている姿をひねてると思ったか、車夫は、
「坊(ぼ)ん坊(ぼ)ん。落ちんようにしっかり掴まってなはれや」
 その声にお君はちらりと振り向いた。もう日が暮れていた。
「落てへんわいな」と豹一はわざとふざけた声で言い、それが夕闇のなかに消えて行くのをしんみり聴いていた。ふわりと体が浮いて、人力車は走り出した。だんだん暗さが増した。ひっそりとした寺がいくつも並んだ寺町を通るとき、木犀の匂いが光った。豹一は眩暈がし、一つにはもう人力車に酔うていたのだった。それが恥しく情けなかった。梶棒の先につけた提灯の火が車夫の手の動脈を太く浮び上らせていた。尋常二年の眼で提灯に書かれた「野瀬」の二字を判読しようとしていたが、頭の血がすうすう引いて行くような胸苦しさで、困難だった。その夜、一人で寝た。
 蒲団についたナフタリンの匂いが何か勝手が違って、母親のいない淋しさをしみじみ感じさせた。泣けもしなかった。小さな眼で意味もなく天井を睨んでいた。母は階下で見知らぬ人といた。野瀬安二郎だと、あとで判った。
 野瀬安二郎は谷町九丁目いちばんの金持と言われ、慾張りとも言われた。高利貸をして、女房を三度かえ、お君は四番目の女房だった。ことし四十八歳の安二郎がお君を見染めて、縁談を取りきめるまでには、大した手間は掛らなかった。
「私(あて)でっか。私(あて)は如何(どない)でもよろしおま」
 しかし、流石にお君は、豹一が小学校を卒業したら中学校へやらせてくれと条件をつけた。これは吝嗇漢(けちんぼ)の安二郎にはちくちく胸痛む条件だったが、けれどもお君の肩は余りにも柔かそうにむっちり肉づいていた。
 安二郎には子供がなく、さきの女房を死なせると、直ぐ女中を雇って炊事をやらせるほか、女房の代りも時にはさせていたが、お君が来ると、途端に女中を追い出し、こんどはお君が女中の代りとなった。
「人間は節約(しまつ)せんことには、あかんネやぜ、よう聴いときや」と口癖して、一銭のお金もお君の自由に任せず、毎日の市場行きには十銭、二十銭と端金を渡し、帰ると、釣銭を出させた。ときには自分で市場へ行き、安鰯を六匹ほど買うて来て、自分は四匹、あとはお君と豹一に一匹ずつ与えた。いつか集金に行って乱暴をされたことがあって以来、山谷という四十男を雇って集金に廻らせていたが、むろん山谷は手弁当で、安二郎のところで昼食すら出すことはなかった。山谷は破戒僧面をして、ひとり身だった。ある日、豹一に淫らな表情で、お君と安二郎のことに就て、きくにたえぬ話を言って聞かせた。
「如何(どない)してん? 坊(ぼ)ん坊(ぼ)ん」山谷が驚いて豹一の顔を見ると、怖いほど蒼白み、唇に血がにじみ、前歯も少し赤かった。眼がぎらぎら光って、涙をためていた。
 誇張して言えば、その時豹一の自尊心は傷ついた。人一倍傷つき易かった。なお、しょんぼりした。辱かしめられたと思い、性的なものへの嫌悪もこのとき種を植えつけられた。持前の敵愾心は自尊心の傷から膿んだ。横眼を使うことが堂に入り、安二郎を見る眼つきが変った。安二郎の背中で拳骨を振り廻した。母は毎晩安二郎の肩をいそいそ揉んだ。
 豹一は一里以上もある築港まで歩いて行き、黄昏れる大阪湾を眺めて、夕陽を浴びて港を出て行く汽船にふと郷愁を感じたり、訳もなく海に毒づいたりした。
 ある日、港の桟橋で、ヒーヒー泣き声を出したい気持をこらえて、その代り海に向って、
「馬鹿野郎」と、呶鳴った。誰もいないと思ったのが、釣をしていた男がいきなり振り向いて、
「こら、何ぬかす」そして白眼をむいている表情が生意気だと撲られた。泣きながら一里半の道を歩いて帰った。とぼとぼ来て夕凪橋の上でとっぷり日が暮れ、小走りに行くと、電燈をつけた電車が物凄い音で追い駈けて来て、怖かった。
 家へはいると、安二郎は風呂銭を節約(しまつ)しての行水で、お君は袂をたかくあげて背中を流していた。それが済むと、お君が行水し、安二郎は男だてらにお君の背中を流した。そのあと、豹一のはいる番だったが、狸寝入して、呼ばれても起きなかった。
 だんだん憂鬱な少年となり、やがて小学校を卒業した。改めてお君が中学校へ入れてくれるように安二郎に頼んだが、
「わいは知らんぜ」安二郎はとぼけて見せた。軽部が中学校の教員になりたがっていたことなども俄かに想い出されて、お君はすっかり体の力が抜けた。安二郎は豹一に算盤を教え、いずれ奉公に出すか高利の勘定や集金に使う肚らしかった。
 夜寝しな、豹一の優等免状を膝の上に拡げていつまでも見、安二郎が言ってもなかなか寝なかった。やがて物も言わずに突き膝で箪笥の方へにじり寄り、それを蔵(しま)いこむ、その腰のあたりを見ると、安二郎はおかしいほど狼狽した。お君が箪笥から自分のものを取り出して、そのまま暇を取ってしまうかと、思い込んだのである。渋々承知した。
 やがて豹一は中学校へはいったが、しかし、安二郎は懐を傷めなかった。お君はどこからか仕立物を引き受けて来て、その駄賃で豹一の学資を賄った。賃仕事だけでは追っ付かず、自分の頭のものや着物を質に入れたり、近所の人に一円、二円と小金を借りたりした。高利貸の御寮はんが他人に金を借りるのはおかしいやおまへんかと言われた。が、実は入学の時の纒った金は安二郎に借り、むろん安二郎はお君から利子をとる肚でいた。仕立物に追われて、お君の眼のふちはだんだん黝んで来た。

    第二章

      一

 中学生の豹一は自分には許嫁があるのだと言い触らした。そのためかえって馬鹿にされていると気が付く迄、相当時間が掛った。その間、自分に箔をつけたつもりで、芸もなくやに下っていたのである。
 彼は絶えず誰かに嘲笑されるだろうという恐怖を疥癬(ひぜん)のように皮膚に繁殖させていた。必要以上に肩身の狭い思いを、きょろきょろ身辺を見廻す眼の先にぶら下げていたのである。少年らしい虚栄心で、だから彼には人一倍箔をつける必要があった。おまけに入学試験の時、彼の自尊心にとっては致命傷とも言う失敗があったのだ。
 入学試験は自分の運命を試すようなものだと、彼は子供心にも異様な興奮を感じながら試験場へはいっていた。ところが余り興奮したので、ふと尿意を催した。未だ答案は全部出来ていなかった。出るわけにはいかなかった。その旨監督の教師に言って、途中で便所へ行かせて貰うことも考えたが、実行しかねた。人とは違って自分にはそんなことを要求出来ない子供だと、日頃から何か諦めていたのである。どうにも我慢が出来ず、書きかけの答案を提出して、試験場を出てしまおうか。しかし、そうすれば、落第だ。彼は下腹を押えたままじっとこらえていた。そわそわして問題の意味もろくに頭にはいらなかった。こんなことでは駄目だと、頭を敲きながら、答案用紙にしがみついていると、ふと下腹から注意が外れた。いきなり怖いような快意に身を委ねて、ええ、もうどうでもなれ。坐尿してしまった。あと周章てて答案を書き、机の上へ裏がえしに重ねて、そわそわと出て行く拍子に、答案用紙が下へ落ちた。濡れたのである。
 試験中三時間も子供たちを閉じこめて置くので、こんなことは屡□あることだから、監督の教師は無表情な顔で坐尿の場所へ来た。教師は黙って拾い上げた。机の上へ置いて、また教壇の方へ戻って行った。しかし、豹一は、教師は俺の顔と答案用紙の番号を見較べた、と思った。途端に落第だと諦めた。
 ところが運良く合格した。つまり難なく中学生になったのである。すると、改めて坐尿のことが苦しくなって来た。入学式の時、誰かあのことを知っているだろうかと、うかがう眼付きになった。試験の時だったからお互いに未だ顔を見知っていなかったが、一人二人素早く見覚えていた奴はあるに違いないと思った。その時の監督の教師は国語を担当していて、豹一の教室へも一週間に四度やって来た。そのたびに、豹一は身を縮めて、ばらされやしないかと冷やひやしていたのである。
 もう一つ、こんなことがあった。同級生間で、誰がどんな家に住んでいるか見届けようと、放課後探偵気取りで尾行することが流行した。ある日、豹一にも順番が廻って来た。家の構えはともかく、高利貸の商売をしているのを知られるのがいやで、尾行(つけ)られたと気付くと、蒼くなって曲り角からどんどん逃げた。家へ駈け込むとき、軒先へ傘を置き忘れた。果して、
「毛利君! 毛利君! 出て来い」表で呶鳴る声が聴えた。豹一は二階で犯人のように小さく息をこらしていた。顔を両手の中に埋め、眼を閉じていた。表札が「野瀬」となっていることも辛かった。
 そんなことがあって見れば、箔をつける必要も充分あった。しかし、よりによって許嫁があるなどと言い触らしたのはなんとしたことか。許嫁があると言い触らすことによって、家庭的に恵まれている風に見せたかったのだが、未だ一年生の同級生を相手では、効果はなかった。許嫁を羨しがる早熟な者もいなかったのである。やがて、だんだんに馬鹿にされていると気がつくと、もう首席にでもなるよりほかに、自尊心の保ちようがないと思った。
 豹一は顔色が変る位勉強した。自分の学資をこしらえる為に夜おそく迄針仕事をしている母親のことを考えれば、いくら勉強しても足りない気持だった。試験前になると、お君は寝巻のままでお茶と菓子を盆にのせて机の傍へ持って来てくれた。そんな風にされるのが豹一には身に余って嬉しいのである。たとえそれが母親にしろ、夜おそく人にお茶を沸かして貰えようとは夢にも希んでいなかったのだ。階下から聴える安二郎の乱暴な鼾もなぜか勉強に拍車を掛けるのに役立った。もう寝ようと、ふと窓の外を見ると、東の空が紫色に薄れて行き、軒には氷柱が掛り、屋根には霜が降りていた。さすがにしんみりとした気持になるのだった。
 二年に進級する時、成績が発表された。首席になっていた。豹一はかなり幸福な気持になった。しかし、全く幸福だと言っては言い過ぎだった。何かの間違いだろうという心配があったからである。からかわれているのではないかと、身体を見廻す眼付になるのだった。自分の頭脳にはひどく自信がなかったからである。クラスの者は少くとも彼の暗記力の良さだけは認め、怖れを成していたのだが、豹一には人から敬服されるなど与り知らぬことだった。まして首席という位置は、日頃諦めている運命には似つかわしくなかったのである。
 だから、自分でも屡□首席だという事実を顧る必要があった。言い触らした。いつか「首席」が渾名になってしまった。いわば首席の貫禄がなかったのである。ふと、母親のことや坐尿のことを想い出すと、
「こんどめは誰が二番になるやろな」クラスの者を掴えて言うのだった。
 これは随分鼻についた。クラスの者はうんざりし、豹一がそんな風に首席に箔をつけたがるので、いつかそれをメッキだと思い込んだ。
「あいつはたかが点取虫だ」
 一学期の試験の前日、豹一は新世界の第一朝日劇場へ出掛けた。マキノ輝子の映画を見、試験場へそのプログラムの紙を持って来て見せた。
 そのことが知れて豹一は一週間の停学処分を受けた。一週間経って、教室へ行くと、受持の教師が来て、出席点呼が済むなり、
「此の級は今まで学校中の模範クラスだったが、たった一人クラスを乱す奴がいるので、一ぺんに評判が下ってしまった。残念なことだ」とこんな意味のことを言った。自分のことを言われたのだと豹一はポンと頭を敲いて、舌を出し、首を縮めた。しかも誰も笑いもしなかった。それどころか、そんな豹一の仕草をとがめるような視線がいくつかじろりと来た。豹一はすっかり当が外れてしまった。
 やっと休憩時間になると、豹一はキャラメルをやけにしゃぶっていた。普通、級長のせぬことである。案の定、沼井という生徒が傍へ来て、
「君一人のためにクラス全体が悪くなる」とわざと標準語で言った。豹一は、
「そら、いま教師の言ったことや。君に聴かせてもらわんでもええ。それに心配せんでもええ。君みたいな模範生がいたら、めったにクラスは悪ならん」
 沼井はぞろぞろとクラスの者が集って来たのに力を得たのか、
「教室でものを食べるのは悪いことだよ、君」と言った。またしても標準語だった。
「だから君は食べないやろ? それでええやないか。俺が食べるのはこら勝手や」そう言うと、いきなり沼井の手が豹一の腕を掴んだ。
「口のものを吐き出せ。郷に入れば郷に従えということがある」
 いつかクラスの者に取り囲まれていた。が、その時ベルが鳴った。豹一は授業中もキャラメルをしゃぶっていた。
 三日経った放課後、沼井を中心に二十人ばかりの者にとりかこまれて、鉄拳制裁をされた。豹一は二十分程奮闘したが、結局無暴だった。鼻を警戒していたが、いつの間にか猛烈に鼻血を吹き出し、そして白い眼をむいた。それから間もなく、二学期の試験がはじまった。泡喰って問題用紙に獅噛みついているクラスの者の顔をなんと浅ましいと見た途端、いきなり敵愾心が頭をもたげて来て、ぐっと胸を突きあげた。沼井の方を見ると、沼井もしきりに鉛筆の芯をけずっているのだ。沼井は点取虫だということになっていた。
(ところが俺も点取虫と言われたことがある。沼井と同じ様に思われてたまるものか)
 豹一は書きかけの答案を周章てて消した。そして、つかつかと教壇の下まで行って、提出した。余り豹一の出し方が早いので、皆はあっ気にとられて、豹一の顔を見上げた。
「なんやこれ?」監督の教師は外していた眼鏡を掛けて覗き込んだ。
「白紙です」そして、わざと後も向かず、ざまあ見ろと胸を張って、教室を出た。はじめてほのぼのとした自尊心の満足があった。しかしその満足がもっと完全になるまで、もう三月掛った。翌年の三月、白紙の答案を補うに充分なほどの成績を取って進級するところを見せる必要があったのである。その三月は永かった。それだけに進級した時の喜びはじっと自分ひとりの胸に秘めて置けぬほどだった。気候も良かった。桜の花も咲き初めて、生温い風が吹くのである。豹一はまるで口笛でも鳴らしたい気持で、白紙の答案を想い出した。クラスの者は当分の間彼の声をきいてもぞっとした。なかには落第した者もいるのである。
 そんな風だから豹一はもう完全にクラスの者から憎まれてしまった。しかし、彼の敵愾心は最初から彼等を敵と決めていたから、憎まれてかえってサバサバと落ち着いた。美貌に眼をつけた上級生が無気味な媚で近寄って来ると、かえってその愛情に報いる術を知らぬ奇妙な困惑に陥るのだった。
 三年生の終り頃、ローマ字を書いた名を二つ並べ、同じ字を消して行くという恋占いが流行った。教室の黒板が盛んに利用され皆が公然(おおぴら)に占っているのを、除け者の豹一はつまらなく見ていたが、ふと誰もが一度は水原紀代子という名を書いているのに気がついた途端、眼が異様に光った。豹一は最も成績の悪い男を掴え、相手にはまるで何を訊こうとしているのかわからぬ廻りくどい調子で半時間も喋り立てた挙句、水原紀代子に関する二、三の知識を得た。大軌電車沿線S女学校生徒だと知ったので、その日の午後、授業をサボって周章てて上本町六丁目の大軌構内へ駈けつけた。が、余り早く行き過ぎたので、緑色のネクタイをしめたS女学校の生徒が改札口からぞろぞろ出て来るまで、二時間待った。そして、やっと紀代子の姿を見つけることが出来た。教えられた臙脂の風呂敷包と、雀斑はあるが、非常に背が高くスマートだという目印でそれと分ったのだが、そんな目印がなくとも、つんと澄まして上を向いている表情は彼女になくてかなわぬものだと、豹一は思った。げらげらと愛想の良い女なら、二時間も待つ甲斐がなかったのである。
(しかし、なにがS女学校第一の美女だ。笑わせるではないか)
 けれども、大袈裟に大阪中の中学生の憧れの的だと騒がれている点を勘定に入れて、美人だと思うことにした。一般的見解に従ったまでだが、しかし澄み切った両の眼は冷たく輝いて、近眼であるのにわざと眼鏡を掛けないだけの美しさはあった。そんな事を咄嗟の間に考えていると、紀代子は足早に傍を通り過ぎようとした。豹一は瞬間さっと蒼ざめた。話し掛ける言葉がなぜか出て来ない口惜しさだった。
(この一瞬のために二時間を失うてはならない)
 この数学的な思い付きでやっと弾みつけられて、いきなり帽子を取って、
「卒爾ながら伺いますが、あなたは水原紀代子さんですか」
 月並でない、勿体振った言い方をと二時間も考えていた末の言葉だったから、紀代子も一寸呆れた。しかし、紀代子にしてみれば、こんな事はたびたびあることだ。大して赧くもならずに、
「はあ」そして、どうせ手紙を渡すならどうぞ早くという眼付きで、豹一を見た。そんな事務的な表情で来られたので、豹一はすっかり狼狽してしまい、考えていた次の言葉を忘れてしまった。いきなり逃げ出して、われながら不様(ぶざま)だった。
 不良中学生にしてはなんと内気なと、紀代子は嗤って、振り向きもしなかったが、彼の美貌だけは一寸心に止っていた。(誰それさんならミルクホールへ連れて行って三つ五銭の回転焼を御馳走したくなるような少年やわ)ニキビだらけのクラスメートの顔をちらと想い泛べた。(しかし、私は違う)彼女は来年十八歳で卒業すると、いま東京帝国大学の法学部にいる従兄と結婚することになっており、十六の少年など十も下に見える姉さん面が虚栄の一つだった。
 それ故、その翌日から三日も続けて、上本町六丁目から小橋(おばせ)西之町への舗道を豹一に尾行られると、半分は五月蠅いという気持から、
「何か用ですの」いきなり振り向いて、きめつけてやる気になった。三日間尾行するよりほかに物一つ言えなかった弱気を苦しんでいた豹一の自尊心は、紀代子からそんな態度に出られたために、本来の面目を取り戻した。
「あんたなんかに用はありませんよ。己惚れなさんな。ただ歩いているだけです」
 すらすらと言葉が出た。その言葉が紀代子の自尊心をかなり傷つけた。
「不良中学生! うろうろしないで、早くお帰り」
「勝手なお世話です」
「子供の癖に……」と言い掛けたが、巧い言葉も出ないので、紀代子は、
「教護聯盟に言いますよ」
 近頃校外の中等学生を取締るために大阪府庁内に設けられた怖い機関を持ち出して、悪趣味だった。
「言いなさい。何なら此処へ呼びましょうか」そう言う不逞な言葉になると、豹一の独壇場だった。
「強情ね、あんたは。一体何の用なの」
「用はない言うてまっしゃろ。分らん人やな、あんたは……」大阪弁が出たので、少し和かになって来た。紀代子はちらと微笑し、
「用もないのに尾行るのん不良やわ。もう尾行んときね。学校どこ?」大阪弁だった。
「帽子見れば分りまっしゃろ」
「見せて御覧」紀代子はわざと帽子に手を触れた。それくらい傍に寄ると、豹一の睫毛の長さがはっきり分るからだった。
「K中ね。あんたとこの校長さん知ってんのよ」
「言いつけたら宜しいがな」
「言いつけるわよ。本当に知ってんねんし。柴田さん言う人でしょ?」
「スッポンいう綽名や」
 いつの間にか並んで歩き出していた。家の近くまで来ると、紀代子は、
「さいなら。今度尾行たら承知せえへんし」
 そして、別れた。
 その間、豹一は、(成功だろうか、失敗だろうか?)とその事ばかり考えていた。結局別れ際に、「承知せえへんし」と命令的な調子でたたきつけられて、返す言葉もなく別れてしまった事から判断して、完全な失敗だと思った。しかし、失敗ほど此の少年を奮起せしむるものはないのである。
 翌日は非常な意気込で紀代子の帰りを待ち伏せた。紀代子は豹一の姿を見ると、瞬間いやな気持になった。昨日はちょっと豹一に好感を持ったのだが、こうして今日もまた待ち伏せられてみると、此の少年も矢張りありきたりの不良学生かと思われたのである。
 紀代子は素知らぬ顔で豹一の傍を通り過ぎた。豹一は駈寄って来て、真赧な顔で帽子を取ってお辞儀をした。すると、紀代子は、
(今日こそ此の少年を思う存分やっつけてやろう。昨日は失敗したが……)
 こんな事を自分への口実にして、並んで歩いてやることにした。実は豹一の真赧な顔が可愛かったのである。ところが、豹一はまるで一人で歩いているみたいに、どんどん大股で歩くのだった。真赧になった自分に腹を立てていたのである。紀代子は並んで歩くにも、歩きようがなかった。
「もう少しゆっくり歩かれへんの?」われにもあらず、紀代子は哀願的になった。
「あんたが早よ歩いたらよろしいねん」
(こいつは上出来の文句だ)と豹一は微笑んだ。紀代子はむっとして、
「あんた女の子と歩く術も知れへんのやなあ。武骨者だわ」嘲笑的に言うと、豹一は再び赧くなった。女の子と歩くのに馴れている振りを存分に装っていた筈なのである。
(此の少年は私の反撥心が憎悪に進む一歩手前で食い止めるために、しばしば可愛い花火を打ち揚げる)文学趣味のある紀代子はこう思った。なお、(此の少年は私を愛している)と己惚れた。それを此の少年の口から告白させるのは面白いと思ったので、紀代子は、
「あんた私(うち)が好きやろ」
 豹一はすっかり狼狽した。こんな質問に答えるべき言葉を用意していなかったのである。また彼は小説本など余り読まなかったから、こんな場合何と答えるべきか、参考にすべきものがなかった。無論、「はい好きです」とは言えなかった。第一、彼は少しも紀代子を好いていないのである。心にもないことを言うのは癪だった。暫く口をもぐもぐさせていたが、やっと、
「嫌いやったら一緒に歩けしまへん」という言葉を考え出して、ほッとした。
「けったいな言い方やなあ。嫌いやのん。それとも好きやの。どっちやの。好きでしょ?」さすがに終りの方は早口だった。豹一は困った。好きでない以上、嫌いだと答えるべきだが、それでは余り打ちこわしだ。
「好きです」小さな声で、「好き」という字をカッコに入れた気持で答えた。紀代子ははじめて、豹一を好きになる気持を自分に許した。
 しかし、豹一は「好きです」と言ったために、もう紀代子に会うのが癪だと思っていた。翌日は日曜だったので、もっけの倖いだと思った。紀代子を獲得するまで毎日紀代子に会うべしと、自分に言い聴かせていたのだった。豹一は千日前へ遊びに行った。楽天地の地下室で、八十二歳の高齢で死んだという讃岐国某尼寺のミイラが陳列されていた。「女性の特徴たる乳房その他の痕跡歴然たり。教育の参考資料」という宣伝に惹きつけられて、こそこそ入場料を払ってはいった。ひそかに抱いていた性的なものへの嫌悪に逆に作用された捨鉢な好奇心からだった。
 自虐めいたいやな気持で出て来た途端、思い掛けなくぱったり紀代子に出くわした。(変な好奇心からミイラを見て来たのを見抜かれたに違いない)豹一はみるみる赧くなった。近眼の紀代子は豹一らしい姿に気がつくと確めようとして、眼を細め、眉の附根を引き寄せていた。それが眉をひそめていると、豹一には思われた。胃腸の悪い紀代子はかねがね下唇をなめる癖があり、此の時も、おや花火を揚げている、と思ってなめていた。そんな表情を見ると、もう豹一は我慢が出来なかった。いきなり、逃げ出した。
(あんな恥しいところを見られた以上、俺はもう嫌われるに違いない)豹一は簡単にそう決めてしまった。すると、もう紀代子に会う勇気を失うのだった。もう彼は翌日から紀代子を待ち伏せしなかった。
 ところが、紀代子は豹一が二、三日顔を見せないと、なんとなく物足りなかった。楽天地の前で豹一が逃げ出した理由も分らぬのである。
「何故逃げたのだろうか?」そのことばかり考えていた。つまり、豹一のことばかり考えるのと同じわけである。(嫌われたのではないだろうか?)己惚れの強い紀代子にはこれがたまらなかった。(あんなに仲良くしていたのに……)
 やがて十日も豹一の顔を見ないと、彼女はもはや明らかに豹一を好いている気持を否定しかねた。(なんだ! あんな少年……)
 紀代子は豹一を嫌いになるために、随分努力を図った。彼女は毎日許嫁の写真を見た。許嫁は大学の制帽を被り、頼もしく、美丈夫だと言っても良い程の容貌をしていた。彼女はそれを見ると、豹一の影も薄くなるだろうと、毎日眺めていた。が、余り屡□眺め過ぎて、許嫁の顔も鼻に突いて来た。(此の顔はひねている。髭の跡も濃い!)彼女はそんな無理なことを考えた。なるほど豹一はおずおずとうぶ毛を見せた少年なのである。しかし、許嫁から度々手紙が来て、東京の学生生活などを書いた文句を見ると、豹一などとは段違いの頼もしさがあった。
 二週間ほど経って、豹一を嫌いになる考えが大体纒り掛けたある日、紀代子は大軌の構内でばったり豹一に出会った。思わずあらと顔を赧くした。彼女は豹一が自分を待っていてくれたと思ったのである。
(やっぱり病気だったのやわ)この考えは一縷の希望として秘めて置いたのだった。彼女は微笑を禁じ得なかった。豹一を嫌いになる考えを咄嗟に捨ててしまった。ところが、豹一は、しまったと、半分逃げ腰だった。実は、彼は紀代子に会うのが怖くて、ずっと大軌の構内を避けていた。学校から帰り途だったが、わざと廻り道をしていた位である。ところが、今日は、うっかりと大軌の構内を通り抜けたのであった。つまり、もう紀代子のことは半分忘れ掛けていたからである。
 いきなり逃げ出そうとした。その足へ途端に自尊心が蛇のようにするする頭をあげて来て、からみついた。(ここで逃げてしまっては、俺は一生恥しい想いに悩まされねばならない。名誉を回復しなければならない)豹一は辛くも思い止った。しかし、名誉を回復するのはどういう風にして良いか分らなかった。まさか紀代子を相手に決闘も出来なかった。豹一はただまごまごしていた。そして、そんな決心にもかかわらず、紀代子の顔もろくによう見なかった。横を向いていた。
 紀代子は豹一が自分の顔を見てくれないのが、恨めしかった。つと寄り添うて、
「どないしてたの? なんぜ会ってくれなかったの? 病気していたの?」
 恨み言を言った。が、豹一は答える術を知らなかった。そして、答える術を知らない自分にむっと腹を立てていた。そんな顔を見ると、紀代子は、やっぱり嫌われたのかと、不安になって来た。それで一層豹一を好いてしまった。例の如く並んで歩いたが、豹一はわれにもあらずぎこちなかった。別れしな、
「今夜六時に天王寺公園で会えへん?」紀代子の方から言い出した。その頃、宵闇せまれば悩みは果てなしという唄が流行していた。約束して別れた。
 豹一はわざと約束の時間より半時間遅れて行った。紀代子は着物を着て、公園の正門の前にしょんぼり佇んでいた。臙脂色の着物に緑色の兵児帯をしめ、頬紅をさしていた。それが、子供めいても、また色っぽく見えた。
「一時間も待ってたんやわ」と紀代子は半泣きのまま、寄り添うて来た。
 並んで歩いた。夜がするすると落ちて、瓦斯燈の蒼白い光の中へ沈んで消えていた。美術館の建物が小高い丘の上に黒く聳えていた。グランドではランニングシャツを着た男がほの暗い電燈の光を浴びて、影絵のように走っていた。藤棚の下を通る時、植物の匂いがした。紀代子は胸をふくらました。時々肩が擦れた。豹一にはそれが飛び上るような痛い感触だった。
(女と夜の公園を散歩するなんて、いやなことだ)
 彼はこの感想をニキビの同級生に伝えてやろうと思った。紀代子にそれと分る位露骨に、つと離れて歩いた。そんな豹一が紀代子には好ましかった。(此の少年は恥しがりで、神経質だわ)しみじみと見上げると、豹一の子供じみた顔の中で一個所だけ、子供離れしたところがあった。広い額に一筋静脈が蒼白く浮き出しているのだ。それが物想いに悩む少年らしく見えた。(きっと私のことで思い悩んでいるのだわ!)
 しかし、その瞬間豹一は、こともあろうに、
(お前の母親はいま高利貸の亭主に女中のようにこき使われているんだぞ! いや、それよりも、もっとひどい事をされているんだぞ)と自分に言い聴かせていた。紀代子は着物を着ると、如何にも良家の娘らしかった。(此の女は俺の母親が俺の学資を作るために、毎晩針仕事をしたり近所の人に金を借りたり、亭主に高利の金を借りたりしていることは知るまい。いや、俺が今日此処へ来る前に漬物と冷飯だけの情けない夕食をしたことは知るまい。無論あとでこっそり母親が玉子焼を呉れたが、これは有難すぎて咽喉へ通らなかった。俺の口はしょっちゅう漬物臭いぞ。今も臭いぞ。それを此の女は知るまい。此の香水の匂いをプンプンさせている女は知るまい。俺の母親は銭湯の髪洗い料を倹約するから、いつもむっと汗くさい髪をしているぞ)
 豹一はふっと泪が出そうになった。が、その眼を素早くこすると、また考え続けた。(この女は俺が坐尿したことを知ったら、もう俺と歩きはしまいだろうな)だからこそ、この娘を獲得することは自尊心を満足さすことになるのだと、豹一は漸く紀代子と歩いている自分の役割に気がついた。
(何か喋らなければならない)
 豹一は急に周章て出した。が、どんなことを喋って良いか分らなかった。恋愛小説など読んだことがないのである。獲得だと大それたことを考えてみたところで、それがどんな実際の言動を意味しているものかも分らなかったのである。今更のように、われながらぎこちなく黙々としている状態に気がつくと、もう豹一は紀代子と歩いているのが息苦しくなった。何か気の利いたことを言おう、はっきりと自分の目的に適ったことを言おうと思いながら、少しもそんな言葉の泛んで来ない自分にいら立っていた。彼はだんだん気持が重くなって来て、随分つまらぬ顔をしていた。(お前は女と口を利く術を知らないのではないか?)そんな自分が紀代子の眼にどんな風にうつるだろうかと考えて見た。彼はもう少しで紀代子に軽蔑されるだろうという心配を抱くところだった。が、紀代子の頬紅をつけた顔を見て、僅にその心配だけは免れた。紀代子の日頃の勝気そうな顔は頬紅をつけているので、今日はいくらか間が抜けて見えたのである。(俺はなんという不調法な男だろう)豹一は自嘲していたが、この不調法という言葉が気に入って、やや救われた。しかし彼はそんな心配をする必要もなかったのだ。紀代子は口をひらけば必ず傲慢な、憎たらしいことを言う豹一よりも、おずすおずと黙っている豹一の方が好きなのである。一つには、彼女は苦しいほど幸福といっても良い気持をもて余して、豹一に口を利かす余裕も与えないくらい、ひとりで喋り出したからである。
 文学趣味のある紀代子は、歯の浮くような言葉ばかり使った。豹一が意味を了解しかねるような言葉や、季節外れの花の名も紀代子の口から飛び出した。もし豹一が紀代子の使う言葉の意味が分らない自分を恥しく思い、俺は何と無学だろうと自分に腹を立てているのでなければ、もう少しで欠伸が出るところだった。
(中学生の俺よりも女学生の紀代子の方がむずかしいことを知っているのは、中学校の教育が悪いからだ)
 紀代子がもし聴いたらうんざりするような、そんな無味乾燥なことを考えながら、豹一は退屈をこらえていた。
 紀代子の「気の利いた」文学趣味のある言葉は、しかしそう永くは続かなかった。知っている限りの言葉を言い尽してしまったからである。
 道が急に明るくなって、いつか公園を抜けて、ラジウム温泉の傍へ来ていた。
 毒々しい色の電燈がごたごたとついている新世界の外れだった。
「俗悪やわ。引き返しましょう」
 そして彼女自身もひどく散文的な気持になってしまって、紀代子は豹一の友達が彼女に下手な文章の恋文を送った話などをした。すると、急に豹一の眼は輝いた。
「誰とどいつが送ったんや?」と訊いて、その名前を確めると、もう豹一は退屈しなかった。はじめて自尊心が満足された。豹一は恋文を見せて貰われへんやろかと、熱心に頼んだ。紀代子は即座に承知した。
「そんならあした見せたげるわね」
 それで翌日の約束が出来てしまった。

      二

 そんな交際が三月続いた。が、二人の仲は無邪気なものだった。もし仮りに恋愛とでもいうべきものに似たものがあるとすれば、紀代子が豹一に綿々たる思いを書きつらねた手紙を手渡したぐらいなものだった。つまり、紀代子は彼女の文学趣味を喋るだけでは満足出来ず、文章にして見せたかったのである。手渡したのは、その場で読んで欲しかったからだったのと、さすがに許嫁のある身で、郵送するのははばかられたからである。豹一は紀代子と喋るだけでも相当気骨の折れる仕事だったから、手紙など書いてみようとすら思わなかった。だいいち、それが証拠品となって誰かに嗤われる種となるかも知れないと、警戒したのである。どんな場合でも、彼のそんな警戒心は去らない。
 しかし、彼の自尊心は紀代子から手紙を貰ったことで、かなり満足されていた。自分に課した義務からもう解放されても良い頃だった。少くとも、紀代子への恋文を送った同級生の前では、どんな無茶なことでも言えるのだ。だから、もうあとの交際は半分惰性のようなものだった。実は、少しうんざりしていたのである。ただ、いやな父親の顔を見ているよりは、紀代子と会っている方が気が楽だった位のものである。それともう一つ、豹一にも案外気の弱い、しおらしいところがあって、理由もないのに約束をすっぽかすことが済まなく思われたからである。
 そんな風だったから、二人の仲は三月も続いたが、あとで紀代子が自分に言って聴かせたように、「手一つ握り合わなかった清い仲」だった。豹一にそれ以上のものを求める理由もなかったからだった。紀代子にもたいして恋愛の経験はなく、また生れもよかったから慎しみ深かった。豹一と言えば全く少年だった。それに、豹一にはそんな真似を自ら進んでして、嗤われるだろうという心配があった。そんな臆病な自分を、しかしののしったこともある。
(紀代子がどんな顔をするか、いやがるかどうかを試してみる必要があるかも知れない)
 しかし、もし豹一がその必要をもっと激しく感じたとしたら、元来が向う見ずな男だから、もっと大胆な行動に訴えたかも分らぬ。ところがそれだけは如何なる破目に陥っても出来ぬわけがあった。集金人の山谷からいつか聴いた話が心の底に執拗く根を張っていたから、そのようなことを想い泛べるだけで胸がかきむしられるのだった。
 そんな風に三月続いたのだが、いきなり紀代子は豹一から離れてしまった。まるで何の先触れもなかったのである。豹一は訳が分らなかった。彼はつまらぬ顔をして、毎日そのことを考えた。が、ふと、つまりこれは紀代子のことを考えている勘定になるのではないかと、いまいましくなった。紀代子が鹿の眼のようだとうっとりしていた豹一の眼は、にわかに持ち前の険しい色を泛べ出した。(もっけの幸じゃないか)しかし、それだけでは釈然と出来ぬわけがあった。つい最近彼は紀代子と回転焼屋へ行った。いつも紀代子が勘定を払っていたが、その日に限って彼は、ふと虫の居所の関係で、(お前はこの女に施しを受ける気か?)という気になって自分で勘定を払おうとした。途端に、ズボンから銅貨が三十個ばかり三和土の上へばらばらと落ちた。二銭銅貨が二個あるほかは一銭銅貨ばかりで、白銅一つなかった。彼はみるみる赧くなった。もし落さなかったら、彼は「どや、銅貨ばっかりやろ」とわざとふざけて言って、勘定をすますところだった。それなら如何にも中学生らしいのである。ところが、落してみると、にわかにあのお君の息子となってしまった。紀代子ははッと豹一の顔を見たが、彼を愛していたから、直ぐ膝まずいて、一つ一つ拾ってくれた。そのため豹一は一層恥しい想いをしたのだった。母親がその一枚をこしらえるのにもどれだけ苦労したか分らぬその金を、のんきに女と二人で行った回転焼屋で落した。というだけでも辛かったのに、紀代子にそんな風にされると、もう彼は死ぬ程辛かった。
 だから、そのことはなるべく想い出さぬようにしていた。想い出すたびに、ぎゃあーと腹の底から唸り声が出て来るのだ。しかし、紀代子が自分から去ったかと考えると、否応なしにそこへ突き当らざるを得ない。
(あのために俺は嫌われたのだ)
 しかし、序でに言えば、紀代子はその時真赧になって半泣きの表情を泛べていた豹一の顔ほど、可愛いと思ったことはなかった。従兄と結婚してからも、この時の豹一の顔だけは想い出した位である。
 つまり、紀代子は卒業の、即ち結婚の日が迫って来たのだった。正式の結納品が部屋に飾られたのを見た途端、紀代子はまるであっさりと心が変ってしまった。もともと彼女は、年齢よりも老けた気持をもっており、同級生の中でもいちばん早く結婚するのを誇りにしていたのだった。言わば、それが彼女の美貌を証拠だてるというわけである。豹一の魅力を以てしても、結婚を迎える胸騒がしい彼女の気持に打ち勝つことは出来なかった。それに、もともと豹一にはたった一つの魅力が欠けていた。
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