画の悲み
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:国木田独歩 

 畫(ゑ)を好(す)かぬ小供(こども)は先(ま)づ少(すく)ないとして其中(そのうち)にも自分(じぶん)は小供(こども)の時(とき)、何(なに)よりも畫(ゑ)が好(す)きであつた。(と岡本某(をかもとぼう)が語(かた)りだした)。
 好(す)きこそ物(もの)の上手(じやうず)とやらで、自分(じぶん)も他(た)の學課(がくゝわ)の中(うち)畫(ゑ)では同級生(どうきふせい)の中(うち)自分(じぶん)に及(およ)ぶものがない。畫(ゑ)と數學(すうがく)となら、憚(はゞか)りながら誰(たれ)でも來(こ)いなんて、自分(じぶん)も大(おほい)に得意(とくい)がつて居(ゐ)たのである。しかし得意(とくい)といふことは多少(たせう)競爭(きやうさう)を意味(いみ)する。自分(じぶん)の畫(ゑ)の好(す)きなことは全(まつた)く天性(てんせい)といつても可(よ)からう、自分(じぶん)を獨(ひとり)で置(お)けば畫(ゑ)ばかり書(か)いて居(ゐ)たものだ。
 獨(ひとり)で畫(ゑ)を書(か)いて居(ゐ)るといへば至極(しごく)温順(おとな)しく聞(きこ)えるが、其癖(そのくせ)自分(じぶん)ほど腕白者(わんぱくもの)は同級生(どうきふせい)の中(うち)にないばかりか、校長(かうちやう)が持(も)て餘(あま)して數々(しば/\)退校(たいかう)を以(もつ)て嚇(おど)したのでも全校(ぜんかう)第(だい)一といふことが分(わか)る。
 全校(ぜんかう)第(たい)[#ルビの「たい」に「ママ」の注記]一腕白(わんぱく)でも數學(すうがく)でも。しかるに天性(てんせい)好(す)きな畫(ゑ)では全校(ぜんかう)第(だい)一の名譽(めいよ)を志村(しむら)といふ少年(せうねん)に奪(うば)はれて居(ゐ)た。この少年(せうねん)は數學(すうがく)は勿論(もちろん)、其他(そのた)の學力(がくりよく)も全校(ぜんかう)生徒中(せいとちゆう)、第(だい)二流(りう)以下(いか)であるが、畫(ゑ)の天才(てんさい)に至(いた)つては全(まつた)く並(なら)ぶものがないので、僅(わづか)に壘(るゐ)を摩(ま)さうかとも言(い)はれる者(もの)は自分(じぶん)一人(にん)、其他(そのた)は悉(こと/″\)く志村(しむら)の天才(てんさい)を崇(あが)め奉(たてまつ)つて居(ゐ)るばかりであつた。ところが自分(じぶん)は志村(しむら)を崇拜(すうはい)しない、今(いま)に見(み)ろといふ意氣込(いきごみ)で頻(しき)りと勵(は)げんで居(ゐ)た。
 元來(ぐわんらい)志村(しむら)は自分(じぶん)よりか歳(とし)も兄(あに)、級(きふ)も一年(ねん)上(うへ)であつたが、自分(じぶん)は學力(がくりよく)優等(いうとう)といふので自分(じぶん)の居(ゐ)る級(くらす)と志村(しむら)の居(ゐ)る級(くらす)とを同時(どうじ)にやるべく校長(かうちやう)から特別(とくべつ)の處置(しよち)をせられるので自然(しぜん)志村(しむら)は自分(じぶん)の競爭者(きやうさうしや)となつて居(ゐ)た。
 然(しか)るに全校(ぜんかう)の人氣(にんき)、校長(かうちやう)教員(けうゐん)を始(はじ)め何百(なんびやく)の生徒(せいと)の人氣(にんき)は、温順(おとな)しい志村(しむら)に傾(かたむ)いて居(ゐ)る、志村(しむら)は色(いろ)の白(しろ)い柔和(にうわ)な、女(をんな)にして見(み)たいやうな少年(せうねん)、自分(じぶん)は美少年(びせうねん)ではあつたが、亂暴(らんばう)な傲慢(がうまん)な、喧嘩好(けんくわず)きの少年(せうねん)、おまけに何時(いつ)も級(くらす)の一番(ばん)を占(し)めて居(ゐ)て、試驗(しけん)の時(とき)は必(かな)らず最優等(さいゝうとう)の成績(せいせき)を得(う)る處(ところ)から教員(けうゐん)は自分(じぶん)の高慢(かうまん)が癪(しやく)に觸(さは)り、生徒(せいと)は自分(じぶん)の壓制(あつせい)が癪(しやく)に觸(さは)り、自分(じぶん)にはどうしても人氣(にんき)が薄(うす)い。そこで衆人(みんな)の心持(こゝろもち)は、せめて畫(ゑ)でなりと志村(しむら)を第(だい)一として、岡本(をかもと)の鼻柱(はなばしら)を挫(くだ)いてやれといふ積(つもり)であつた。自分(じぶん)はよく此(この)消息(せうそく)を解(かい)して居(ゐ)た。そして心中(しんちゆう)ひそかに不平(ふへい)でならぬのは志村(しむら)の畫(ゑ)必(かなら)ずしも能(よ)く出來(でき)て居(ゐ)ない時(とき)でも校長(かうちやう)をはじめ衆人(みんな)がこれを激賞(げきしやう)し、自分(じぶん)の畫(ゑ)は確(たし)かに上出來(じやうでき)であつても、さまで賞(ほ)めて呉(く)れ手(て)のないことである。少年(こども)ながらも自分(じぶん)は人氣(にんき)といふものを惡(にく)んで居(ゐ)た。
 或日(あるひ)學校(がくかう)で生徒(せいと)の製作物(せいさくぶつ)の展覽會(てんらんくわい)が開(ひら)かれた。其(その)出品(しゆつぴん)は重(おも)に習字(しふじ)、※畫(づぐわ)[#「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」、466-8]、女子(ぢよし)は仕立物(したてもの)等(とう)で、生徒(せいと)の父兄姉妹(ふけいしまい)は朝(あさ)からぞろ/\と押(おし)かける。取(と)りどりの評判(ひやうばん)。製作物(せいさくぶつ)を出(だ)した生徒(せいと)は氣(き)が氣(き)でない、皆(み)なそは/\して展覽室(てんらんしつ)を出(で)たり入(はひ)つたりして居(ゐ)る自分(じぶん)も此(この)展覽會(てんらんくわい)に出品(しゆつぴん)する積(つも)りで畫紙(ゑがみ)一枚(まい)に大(おほ)きく馬(うま)の頭(あたま)を書(か)いた。馬(うま)の顏(かほ)を斜(はす)に見(み)た處(ところ)で、無論(むろん)少年(せうねん)の手(て)には餘(あま)る畫題(ぐわだい)であるのを、自分(じぶん)は此(この)一擧(きよ)に由(よつ)て是非(ぜひ)志村(しむら)に打勝(うちかた)うといふ意氣込(いきごみ)だから一生懸命(しやうけんめい)、學校(がくかう)から宅(たく)に歸(かへ)ると一室(しつ)に籠(こも)つて書(か)く、手本(てほん)を本(もと)にして生意氣(なまいき)にも實物(じつぶつ)の寫生(しやせい)を試(こゝろ)み、幸(さいは)ひ自分(じぶん)の宅(たく)から一丁[#ルビ抜けはママ]ばかり離(はな)れた桑園(くはゞたけ)の中(なか)に借馬屋(しやくばや)があるので、幾度(いくたび)となく其處(そこ)の廐(うまや)に通(かよ)つた。輪廓(りんくわく)といひ、陰影(いんえい)と云(い)ひ、運筆(うんぴつ)といひ、自分(じぶん)は確(たしか)にこれまで自分(じぶん)の書(か)いたものは勿論(もちろん)、志村(しむら)が書(か)いたものゝ中(うち)でこれに比(くら)ぶべき出來(でき)はないと自信(じしん)して、これならば必(かなら)ず志村(しむら)に勝(か)つ、いかに不公平(ふこうへい)な教員(けうゐん)や生徒(せいと)でも、今度(こんど)こそ自分(じぶん)の實力(じつりよく)に壓倒(あつたう)さるゝだらうと、大勝利(だいしようり)を豫期(よき)して出品(しゆつぴん)した。
 出品(しゆつぴん)の製作(せいさく)は皆(みん)な自宅(じたく)で書(か)くのだから、何人(なにぴと)も誰(たれ)が何(なに)を書(か)くのか知(し)らない、又(また)互(たがひ)に祕密(ひみつ)にして居(ゐ)た殊(こと)に志村(しむら)と自分(じぶん)は互(たがひ)の畫題(ぐわだい)を最(もつと)も祕密(ひみつ)にして知(し)らさないやうにして居(ゐ)た。であるから自分(じぶん)は馬(うま)を書(か)きながらも志村(しむら)は何(なに)を書(か)いて居(ゐ)るかといふ問(とひ)を常(つね)に懷(いだ)いて居(ゐ)たのである。
 さて展覽會(てんらんくわい)の當日(たうじつ)、恐(おそ)らく全校(ぜんかう)數百(すうひやく)の生徒中(せいとちゆう)尤(もつと)も胸(むね)を轟(とゞろ)かして、展覽室(てんらんしつ)に入(い)つた者(もの)は自分(じぶん)であらう。※畫室(づぐわしつ)[#「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」、467-4]は既(すで)に生徒(せいと)及(およ)び生徒(せいと)の父兄姉妹(ふけいしまい)で充滿(いつぱい)になつて居(ゐ)る。そして二枚(まい)の大畫(たいぐわ)(今日(けふ)の所謂(いはゆ)る大作(たいさく))が並(なら)べて掲(かゝ)げてある前(まへ)は最(もつと)も見物人(けんぶつにん)が集(たか)つて居(ゐ)る二枚(まい)の大畫(たいぐわ)は言(い)はずとも志村(しむら)の作(さく)と自分(じぶん)の作(さく)。
 一見(けん)自分(じぶん)は先(ま)づ荒膽(あらぎも)を拔(ぬ)かれてしまつた。志村(しむら)の畫題(ぐわだい)はコロンブスの肖像(せうざう)ならんとは! 而(しか)もチヨークで書(か)いてある。元來(ぐわんらい)學校(がくかう)では鉛筆畫(えんぴつぐわ)ばかりで、チヨーク畫(ぐわ)は教(をし)へない。自分(じぶん)もチヨークで畫(か)くなど思(おも)ひもつかんことであるから、畫(ゑ)の善惡(よしあし)は兔(と)も角(かく)、先(ま)づ此(この)一事(じ)で自分(じぶん)は驚(おどろ)いてしまつた。その上(うへ)ならず、馬(うま)の頭(あたま)と髭髯(しぜん)面(めん)を被(おほ)ふ堂々(だう/\)たるコロンブスの肖像(せうざう)とは、一見(けん)まるで比(くら)べ者(もの)にならんのである。且(か)つ鉛筆(えんぴつ)の色(いろ)はどんなに巧(たく)みに書(か)いても到底(たうてい)チヨークの色(いろ)には及(およ)ばない。畫題(ぐわだい)といひ色彩(しきさい)といひ、自分(じぶん)のは要(えう)するに少年(せうねん)が書(か)いた畫(ぐわ)、志村(しむら)のは本物(ほんもの)である。技術(ぎじゆつ)の巧拙(かうせつ)は問(と)ふ處(ところ)でない、掲(かゝ)げて以(もつ)て衆人(しゆうじん)の展覽(てんらん)に供(きよう)すべき製作(せいさく)としては、いかに我慢強(がまんづよ)い自分(じぶん)も自分(じぶん)の方(はう)が佳(い)いとは言(い)へなかつた。さなきだに志村(しむら)崇拜(すうはい)の連中(れんちゆう)は、これを見(み)て歡呼(くわんこ)して居(ゐ)る。『馬(うま)も佳(い)いがコロンブスは如何(どう)だ!』などいふ聲(こゑ)が彼處(あつち)でも此處(こつち)でもする。
 自分(じぶん)は學校(がくかう)の門(もん)を走(はし)り出(で)た。そして家(うち)には歸(かへ)らず、直(す)ぐ田甫(たんぼ)へ出(で)た。止(と)めやうと思(おも)ふても涙(なみだ)が止(と)まらない。口惜(くやし)いやら情(なさ)けないやら、前後夢中(ぜんごむちゆう)で川(かは)の岸(きし)まで走(はし)つて、川原(かはら)の草(くさ)の中(うち)に打倒(ぶつたふ)れてしまつた。
 足(あし)をばた/\やつて大聲(おほごゑ)を上(あ)げて泣(な)いて、それで飽(あ)き足(た)らず起上(おきあが)つて其處(そこ)らの石(いし)を拾(ひろ)ひ、四方八方[#ルビ抜けはママ]に投(な)げ付(つ)けて居(ゐ)た。
 かう暴(あば)れて居(ゐ)るうちにも自分(じぶん)は、彼奴(きやつ)何時(いつ)の間(ま)にチヨーク畫(ぐわ)を習(なら)つたらう、何人(だれ)が彼奴(きやつ)に教(をし)へたらうと其(そ)ればかり思(おも)ひ續(つゞ)けた。
 泣(な)いたのと暴(あば)れたので幾干(いくら)か胸(むね)がすくと共(とも)に、次第(しだい)に疲(つか)れて來(き)たので、いつか其處(そこ)に臥(ね)てしまひ、自分(じぶん)は蒼々(さう/\)たる大空(おほぞら)を見上(みあ)げて居(ゐ)ると、川瀬(かはせ)の音(おと)が淙々(そう/\)として聞(きこ)える。若草(わかくさ)を薙(な)いで來(く)る風(かぜ)が、得(え)ならぬ春(はる)の香(か)を送(おく)つて面(かほ)を掠(かす)める。佳(い)い心持(こゝろもち)になつて、自分(じぶん)は暫時(しばら)くぢつとして居(ゐ)たが、突然(とつぜん)、さうだ自分(じぶん)もチヨークで畫(か)いて見(み)やう、さうだといふ一念(ねん)に打(う)たれたので、其儘(そのまゝ)飛(と)び起(お)き急(いそ)いで宅(うち)に歸(か)へり、父(ちゝ)の許(ゆるし)を得(え)て、直(す)ぐチヨークを買(か)ひ整(とゝの)へ畫板(ぐわばん)を提(ひつさ)げ直(す)ぐ又(また)外(そと)に飛(と)び出(だ)した。
 この時(とき)まで自分(じぶん)はチヨークを持(も)つたことが無(な)い。どういふ風(ふう)に書(か)くものやら全然(まるで)不案内(ふあんない)であつたがチヨークで書(か)いた畫(ゑ)を見(み)たことは度々(たび/\)あり、たゞこれまで自分(じぶん)で書(か)かないのは到底(たうてい)未(ま)だ自分(じぶん)どもの力(ちから)に及(およ)ばぬものとあきらめて居(ゐ)たからなので、志村(しむら)があの位(くら)ゐ書(か)けるなら自分(じぶん)も幾干(いくら)か出來(でき)るだらうと思(おも)つたのである。
 再(ふたゝ)び先(さき)の川邊(かはゞた)へ出(で)た。そして先(ま)づ自分(じぶん)の思(おも)ひついた畫題(ぐわだい)は水車(みづぐるま)、この水車(みづぐるま)は其以前(そのいぜん)鉛筆(えんぴつ)で書(か)いたことがあるので、チヨークの手始(てはじ)めに今(いま)一度(ど)これを寫生(しやせい)してやらうと、堤(つゝみ)を辿(たど)つて上流(じやうりう)の方(はう)へと、足(あし)を向(む)けた。
 水車(みづぐるま)は川向(かはむかふ)にあつて其(その)古(ふる)めかしい處(ところ)、木立(こだち)の繁(しげ)みに半(なか)ば被(おほ)はれて居(ゐ)る案排(あんばい)、蔦葛(つたかづら)が這(は)ひ纏(まと)ふて居(ゐ)る具合(ぐあひ)、少年心(こどもごころ)にも面白(おもしろ)い畫題(ぐわだい)と心得(こゝろえ)て居(ゐ)たのである。これを對岸(たいがん)から寫(うつ)すので、自分(じぶん)は堤(つゝみ)を下(お)りて川原(かはら)の草原(くさはら)に出(で)ると、今(いま)まで川柳(かはやぎ)の蔭(かげ)で見(み)えなかつたが、一人(ひとり)の少年(せうねん)が草(くさ)の中(うち)に坐(すわ)つて頻(しき)りに水車(みづぐるま)を寫生(しやせい)して居(ゐ)るのを見(み)つけた。自分(じぶん)と少年(せうねん)とは四五十間(けん)隔(へだ)たつて居(ゐ)たが自分(じぶん)は一見(けん)して志村(しむら)であることを知(し)つた。彼(かれ)は一心(しん)になつて居(ゐ)るので自分(じぶん)の近(ちかづ)いたのに氣(き)もつかぬらしかつた。
 おや/\、彼奴(きやつ)が來(き)て居(ゐ)る、どうして彼奴(きやつ)は自分(じぶん)の先(さき)へ先(さき)へと廻(ま)はるだらう、忌(い)ま/\しい奴(やつ)だと大(おほい)に癪(しやく)に觸(さは)つたが、さりとて引返(ひきか)へすのは猶(な)ほ慊(いや)だし、如何(どう)して呉(く)れやうと、其儘(そのまゝ)突立(つゝた)つて志村(しむら)の方(はう)を見(み)て居(ゐ)た。
 彼(かれ)は熱心(ねつしん)に書(か)いて居(ゐ)る草(くさ)の上(うへ)に腰(こし)から上(うへ)が出(で)て、其(その)立(た)てた膝(ひざ)に畫板(ぐわばん)が寄掛(よりか)けてある、そして川柳(かはやぎ)の影(かげ)が後(うしろ)から彼(かれ)の全身(ぜんしん)を被(おほ)ひ、たゞ其(その)白(しろ)い顏(かほ)の邊(あたり)から肩先(かたさき)へかけて楊(やなぎ)を洩(も)れた薄(うす)い光(ひかり)が穩(おだや)かに落(お)ちて居(ゐ)る。これは面白(おもし)ろい、彼奴(きやつ)を寫(うつ)してやらうと、自分(じぶん)は其儘(そのまゝ)其處(そこ)に腰(こし)を下(おろ)して、志村(しむら)其人(そのひと)の寫生(しやせい)に取(と)りかゝつた。それでも感心(かんしん)なことには、畫板(ぐわばん)に向(むか)うと最早(もはや)志村(しむら)もいま/\しい奴(やつ)など思(おも)ふ心(こゝろ)は消(き)えて書(か)く方(はう)に全(まつた)く心(こゝろ)を奪(と)られてしまつた。
 彼(かれ)は頭(かしら)を上(あ)げては水車(みづぐるま)を見(み)、又(また)畫板(ゑばん)に向(むか)ふ、そして折(を)り/\左(さ)も愉快(ゆくわい)らしい微笑(びせう)を頬(ほゝ)に浮(うか)べて居(ゐ)た彼(かれ)が微笑(びせう)する毎(ごと)に、自分(じぶん)も我知(われし)らず微笑(びせう)せざるを得(え)なかつた。
 さうする中(うち)に、志村(しむら)は突然(とつぜん)起(た)ち上(あ)がつて、其拍子(そのひやうし)に自分(じぶん)の方(はう)を向(む)いた、そして何(なん)にも言(い)ひ難(がた)き柔和(にうわ)な顏(かほ)をして、につこりと笑(わら)つた。自分(じぶん)も思(おも)はず笑(わら)つた。
『君(きみ)は何(なに)を書(か)いて居(ゐ)るのだ、』と聞(き)くから、
『君(きみ)を寫生(しやせい)して居(ゐ)たのだ。』
『僕(ぼく)は最早(もはや)水車(みづぐるま)を書(か)いてしまつたよ。』
『さうか、僕(ぼく)は未(ま)だ出來(でき)ないのだ。』
『さうか、』と言(い)つて志村(しむら)は其儘(そのまゝ)再(ふたゝ)び腰(こし)を下(お)ろし、もとの姿勢(しせい)になつて、
『書(か)き給(たま)へ、僕(ぼく)は其間(そのま)にこれを直(なほ)すから。』
 自分(じぶん)は畫(か)き初(はじ)めたが、畫(か)いて居(ゐ)るうち、彼(かれ)を忌(い)ま/\しいと思(おも)つた心(こゝろ)は全(まつた)く消(き)えてしまひ、却(かへつ)て彼(かれ)が可愛(かあい)くなつて來(き)た。其(その)うちに書(か)き終(をは)つたので、
『出來(でき)た、出來(でき)た!』と叫(さけ)ぶと、志村(しむら)は自分(じぶん)の傍(そば)に來(きた)り、
『をや君(きみ)はチヨークで書(か)いたね。』
『初(はじ)めてだから全然(まるで)畫(ゑ)にならん、君(きみ)はチヨーク畫(ぐわ)を誰(だれ)に習(なら)つた。』
『そら先達(せんだつて)東京(とうきやう)から歸(かへ)つて來(き)た奧野(おくの)さんに習(なら)つた然(しか)し未(ま)だ習(なら)ひたてだから何(なん)にも書(か)けない。』
『コロンブスは佳(よ)く出來(でき)て居(ゐ)たね、僕(ぼく)は驚(おどろ)いちやツた。』
 それから二人(ふたり)は連立(つれだ)つて學校(がくかう)へ行(い)つた。此以後(このいご)自分(じぶん)と志村(しむら)は全(まつた)く仲(なか)が善(よ)くなり、自分(じぶん)は心(こゝろ)から志村(しむら)の天才(てんさい)に服(ふく)し、志村(しむら)もまた元來(ぐわんらい)が温順(おとな)しい少年(せうねん)であるから、自分(じぶん)を又無(またな)き朋友(ほういう)として親(した)しんで呉(く)れた。二人[#ルビ抜けはママ]で畫板(ゑばん)を携(たづさ)へ野山(のやま)を寫生(しやせい)して歩(ある)いたことも幾度(いくど)か知(し)れない。
 間(ま)もなく自分(じぶん)も志村(しむら)も中學校(ちゆうがくかう)に入(い)ることゝなり、故郷(こきやう)の村落(そんらく)を離(はな)れて、縣(けん)の中央(ちゆうわう)なる某町(ぼうまち)に寄留(きりう)することゝなつた。中學(ちゆうがく)に入(い)つても二人[#ルビ抜けはママ]は畫(ゑ)を書(か)くことを何(なに)よりの樂(たのしみ)にして、以前(いぜん)と同(おな)じく相伴(あひともな)ふて寫生(しやせい)に出掛(でか)けて居(ゐ)た。
 此(この)某町(ぼうまち)から我村落(わがそんらく)まで七里(り)、若(も)し車道(しやだう)をゆけば十三里(り)の大迂廻(おほまはり)になるので我々(われ/\)は中學校(ちゆうがくかう)の寄宿舍(きしゆくしや)から村落(そんらく)に歸(かへ)る時(とき)、決(けつ)して車(くるま)に乘(の)らず、夏(なつ)と冬(ふゆ)の定期休業(ていききうげふ)毎(ごと)に必(かなら)ず、此(この)七里(り)の途(みち)を草鞋(わらぢ)がけで歩(ある)いたものである。
 七里(り)の途(みち)はたゞ山(やま)ばかり、坂(さか)あり、谷(たに)あり、溪流(けいりう)あり、淵(ふち)あり、瀧(たき)あり、村落(そんらく)あり、兒童(じどう)あり、林(はやし)あり、森(もり)あり、寄宿舍(きしゆくしや)の門(もん)を朝早(あさはや)く出(で)て日(ひ)の暮(くれ)に家(うち)に着(つ)くまでの間(あひだ)、自分(じぶん)は此等(これら)の形(かたち)、色(いろ)、光(ひかり)、趣(おもむ)きを如何(どう)いふ風(ふう)に畫(か)いたら、自分(じぶん)の心(こゝろ)を夢(ゆめ)のやうに鎖(と)ざして居(ゐ)る謎(なぞ)を解(と)くことが出來(でき)るかと、それのみに心(こゝろ)を奪(と)られて歩(ある)いた。志村(しむら)も同(おな)じ心(こゝろ)、後(あと)になり先(さき)になり、二人(ふたり)で歩(ある)いて居(ゐ)ると、時々(とき/″\)は路傍(ろばう)に腰(こし)を下(お)ろして鉛筆(えんぴつ)の寫生(しやせい)を試(こゝろ)み、彼(かれ)が起(た)たずば我(われ)も起(た)たず、我(われ)筆(ふで)をやめずんば彼(かれ)も止(や)めないと云(い)ふ風(ふう)で、思(おも)はず時(とき)が經(た)ち、驚(おど)ろいて二人(ふたり)とも、次(つぎ)の一里(り)を駈足(かけあし)で飛(と)んだこともあつた。
 爾來(じらい)數年(すねん)、志村(しむら)は故(ゆゑ)ありて中學校(ちゆうがくかう)を退(しりぞ)いて村落(そんらく)に歸(かへ)り、自分(じぶん)は國(くに)を去(さ)つて東京(とうきやう)に遊學(いうがく)することゝなり、いつしか二人(ふたり)の間(あひだ)には音信(おんしん)もなくなつて、忽(たちま)ち又四五年[#ルビ抜けはママ]經(た)つてしまつた。東京(とうきやう)に出(で)てから、自分(じぶん)は畫(ゑ)を思(おも)ひつゝも畫(ゑ)を自(みづか)ら書(か)かなくなり、たゞ都會(とくわい)の大家(たいか)の名作(めいさく)を見(み)て、僅(わづか)に自分(じぶん)の畫心(ゑごころ)を滿足(まんぞく)さして居(ゐ)たのである。
 處(ところ)が自分(じぶん)の二十の時(とき)であつた、久(ひさ)しぶりで故郷(こきやう)の村落(そんらく)に歸(かへ)つた。宅(たく)の物置(ものおき)に曾(かつ)て自分(じぶん)が持(もち)あるいた畫板(ゑばん)が有(あ)つたの[#(を脱カ)の注記]見(み)つけ、同時(どうじ)に志村(しむら)のことを思(おも)ひだしたので、早速(さつそく)人(ひと)に聞(き)いて見(み)ると、驚(おどろ)くまいことか、彼(かれ)は十七の歳(とし)病死(びやうし)したとのことである。
 自分(じぶん)は久(ひさ)しぶりで畫板(ゑばん)と鉛筆(えんぴつ)を提(ひつさ)げて家(いへ)を出(で)た。故郷(こきやう)の風景(ふうけい)は舊(もと)の通(とほ)りである、然(しか)し自分(じぶん)は最早(もはや)以前(いぜん)の少年(せうねん)ではない、自分(じぶん)はたゞ幾歳(いくつ)かの年(とし)を増(ま)したばかりでなく、幸(かう)か不幸(ふかう)か、人生(じんせい)の問題(もんだい)になやまされ、生死(せいし)の問題(もんだい)に深入(ふかい)りし、等(ひと)しく自然(しぜん)に對(たい)しても以前(いぜん)の心(こゝろ)には全(まつた)く趣(おもむき)を變(か)へて居(ゐ)たのである。言(い)ひ難(がた)き暗愁(あんしう)は暫時(しばらく)も自分(じぶん)を安(やす)めない。
 時(とき)は夏(なつ)の最中(もなか)自分(じぶん)はたゞ畫板(ゑばん)を提(ひつさ)げたといふばかり、何(なに)を書(か)いて見(み)る氣(き)にもならん、獨(ひと)りぶら/\と野末(のずゑ)に出(で)た。曾(かつ)て志村(しむら)と共(とも)に能(よ)く寫生(しやせい)に出(で)た野末(のずゑ)に。
 闇(やみ)にも歡(よろこ)びあり、光(ひかり)にも悲(かなしみ)あり麥藁帽(むぎわらばう)の廂(ひさし)を傾(かたむ)けて、彼方(かなた)の丘(をか)、此方(こなた)の林(はやし)を望(のぞ)めば、まじ/\と照(て)る日(ひ)に輝(かゞや)いて眩(まば)ゆきばかりの景色(けしき)。自分(じぶん)は思(おも)はず泣(な)いた。




ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:20 KB

担当:undef