或る女
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:有島武郎 

       一

 新橋(しんばし)を渡る時、発車を知らせる二番目の鈴(ベル)が、霧とまではいえない九月の朝の、煙(けむ)った空気に包まれて聞こえて来た。葉子(ようこ)は平気でそれを聞いたが、車夫は宙を飛んだ。そして車が、鶴屋(つるや)という町のかどの宿屋を曲がって、いつでも人馬の群がるあの共同井戸のあたりを駆けぬける時、停車場の入り口の大戸をしめようとする駅夫と争いながら、八分(ぶ)がたしまりかかった戸の所に突っ立ってこっちを見まもっている青年の姿を見た。
「まあおそくなってすみませんでした事……まだ間に合いますかしら」
 と葉子がいいながら階段をのぼると、青年は粗末な麦稈(むぎわら)帽子をちょっと脱いで、黙ったまま青い切符(きっぷ)を渡した。
「おやなぜ一等になさらなかったの。そうしないといけないわけがあるからかえてくださいましな」
 といおうとしたけれども、火がつくばかりに駅夫がせき立てるので、葉子は黙ったまま青年とならんで小刻みな足どりで、たった一つだけあいている改札口へと急いだ。改札はこの二人(ふたり)の乗客を苦々(にがにが)しげに見やりながら、左手を延ばして待っていた。二人がてんでんに切符を出そうとする時、
「若奥様、これをお忘れになりました」
 といいながら、羽被(はっぴ)の紺の香(にお)いの高くするさっきの車夫が、薄い大柄(おおがら)なセルの膝掛(ひざか)けを肩にかけたままあわてたように追いかけて来て、オリーヴ色の絹ハンケチに包んだ小さな物を渡そうとした。
「早く早く、早くしないと出っちまいますよ」改札がたまらなくなって癇癪声(かんしゃくごえ)をふり立てた。
 青年の前で「若奥様」と呼ばれたのと、改札ががみがみどなり立てたので、針のように鋭い神経はすぐ彼女をあまのじゃくにした。葉子は今まで急ぎ気味(ぎみ)であった歩みをぴったり止めてしまって、落ち付いた顔で、車夫のほうに向きなおった。
「そう御苦労よ。家に帰ったらね、きょうは帰りがおそくなるかもしれませんから、お嬢さんたちだけで校友会にいらっしゃいってそういっておくれ。それから横浜(よこはま)の近江屋(おうみや)――西洋小間物屋(こまものや)の近江屋が来たら、きょうこっちから出かけたからっていうようにってね」
 車夫はきょときょとと改札と葉子とをかたみがわりに見やりながら、自分が汽車にでも乗りおくれるようにあわてていた。改札の顔はだんだん険しくなって、あわや通路をしめてしまおうとした時、葉子はするするとそのほうに近よって、
「どうもすみませんでした事」
 といって切符をさし出しながら、改札の目の先で花が咲いたようにほほえんで見せた。改札はばかになったような顔つきをしながら、それでもおめおめと切符に孔(あな)を入れた。
 プラットフォームでは、駅員も見送り人も、立っている限りの人々は二人(ふたり)のほうに目を向けていた。それを全く気づきもしないような物腰(ものごし)で、葉子は親しげに青年と肩を並べて、しずしずと歩きながら、車夫の届けた包み物の中には何があるかあててみろとか、横浜のように自分の心をひく町はないとか、切符を一緒にしまっておいてくれろとかいって、音楽者のようにデリケートなその指先で、わざとらしく幾度か青年の手に触れる機会を求めた。列車の中からはある限りの顔が二人を見迎え見送るので、青年が物慣れない処女(しょじょ)のようにはにかんで、しかも自分ながら自分を怒(おこ)っているのが葉子にはおもしろくながめやられた。
 いちばん近い二等車の昇降口の所に立っていた車掌は右の手をポッケットに突っ込んで、靴(くつ)の爪先(つまさき)で待ちどおしそうに敷き石をたたいていたが、葉子がデッキに足を踏み入れると、いきなり耳をつんざくばかりに呼び子を鳴らした。そして青年(青年は名を古藤(ことう)といった)が葉子に続いて飛び乗った時には、機関車の応笛(おうてき)が前方で朝の町のにぎやかなさざめきを破って響き渡った。
 葉子は四角なガラスをはめた入り口の繰り戸を古藤が勢いよくあけるのを待って、中にはいろうとして、八分通りつまった両側の乗客に稲妻(いなずま)のように鋭く目を走らしたが、左側の中央近く新聞を見入った、やせた中年の男に視線がとまると、はっと立ちすくむほど驚いた。しかしその驚きはまたたく暇もないうちに、顔からも足からも消えうせて、葉子は悪(わる)びれもせず、取りすましもせず、自信ある女優が喜劇の舞台にでも現われるように、軽い微笑を右の頬(ほお)だけに浮かべながら、古藤に続いて入り口に近い右側の空席に腰をおろすと、あでやかに青年を見返りながら、小指をなんともいえないよい形に折り曲げた左手で、鬢(びん)の後(おく)れ毛(げ)をかきなでるついでに、地味(じみ)に装って来た黒のリボンにさわってみた。青年の前に座を取っていた四十三四の脂(あぶら)ぎった商人体(てい)の男は、あたふたと立ち上がって自分の後ろのシェードをおろして、おりふし横ざしに葉子に照りつける朝の光線をさえぎった。
 紺の飛白(かすり)に書生下駄(しょせいげた)をつっかけた青年に対して、素性(すじょう)が知れぬほど顔にも姿にも複雑な表情をたたえたこの女性の対照は、幼い少女の注意をすらひかずにはおかなかった。乗客一同の視線は綾(あや)をなして二人(ふたり)の上に乱れ飛んだ。葉子は自分が青年の不思議な対照になっているという感じを快く迎えてでもいるように、青年に対してことさら親しげな態度を見せた。
 品川(しながわ)を過ぎて短いトンネルを汽車が出ようとする時、葉子はきびしく自分を見すえる目を眉(まゆ)のあたりに感じておもむろにそのほうを見かえった。それは葉子が思ったとおり、新聞に見入っているかのやせた男だった。男の名は木部孤□(きべこきょう)といった。葉子が車内に足を踏み入れた時、だれよりも先に葉子に目をつけたのはこの男であったが、だれよりも先に目をそらしたのもこの男で、すぐ新聞を目八分(ぶ)にさし上げて、それに読み入って素知(そし)らぬふりをしたのに葉子は気がついていた。そして葉子に対する乗客の好奇心が衰え始めたころになって、彼は本気に葉子を見つめ始めたのだ。葉子はあらかじめこの刹那(せつな)に対する態度を決めていたからあわても騒ぎもしなかった。目を鈴(すず)のように大きく張って、親しい媚(こ)びの色を浮かべながら、黙ったままで軽くうなずこうと、少し肩と顔とをそっちにひねって、心持ち上向(うわむ)きかげんになった時、稲妻のように彼女の心に響いたのは、男がその好意に応じてほほえみかわす様子のないという事だった。実際男の一文字眉(いちもんじまゆ)は深くひそんで、その両眼はひときわ鋭さを増して見えた。それを見て取ると葉子の心の中はかっとなったが、笑(え)みかまけたひとみはそのままで、するすると男の顔を通り越して、左側の古藤の血気(けっき)のいい頬(ほお)のあたりに落ちた。古藤は繰り戸のガラス越しに、切り割りの崕(がけ)をながめてつくねんとしていた。
「また何か考えていらっしゃるのね」
 葉子はやせた木部(きべ)にこれ見よがしという物腰ではなやかにいった。
 古藤はあまりはずんだ葉子の声にひかされて、まんじりとその顔を見守った。その青年の単純な明(あか)らさまな心に、自分の笑顔(えがお)の奥の苦い渋い色が見抜かれはしないかと、葉子は思わずたじろいだほどだった。
「なんにも考えていやしないが、陰になった崕(がけ)の色が、あまりきれいだもんで……紫に見えるでしょう。もう秋がかって来たんですよ。」
 青年は何も思っていはしなかったのだ。
「ほんとうにね」
 葉子は単純に応じて、もう一度ちらっと木部を見た。やせた木部の目は前と同じに鋭く輝いていた。葉子は正面に向き直るとともに、その男のひとみの下で、悒鬱(ゆううつ)な険しい色を引きしめた口のあたりにみなぎらした。木部はそれを見て自分の態度を後悔すべきはずである。

       二

 葉子は木部が魂を打ちこんだ初恋の的(まと)だった。それはちょうど日清(にっしん)戦争が終局を告げて、国民一般はだれかれの差別なく、この戦争に関係のあった事柄や人物やに事実以上の好奇心をそそられていたころであったが、木部は二十五という若い齢(とし)で、ある大新聞社の従軍記者になってシナに渡り、月並みな通信文の多い中に、きわだって観察の飛び離れた心力のゆらいだ文章を発表して、天才記者という名を博してめでたく凱旋(がいせん)したのであった。そのころ女流キリスト教徒の先覚者として、キリスト教婦人同盟の副会長をしていた葉子の母は、木部の属していた新聞社の社長と親しい交際のあった関係から、ある日その社の従軍記者を自宅に招いて慰労の会食を催した。その席で、小柄(こがら)で白皙(はくせき)で、詩吟の声の悲壮な、感情の熱烈なこの少壮従軍記者は始めて葉子を見たのだった。
 葉子はその時十九だったが、すでに幾人もの男に恋をし向けられて、その囲みを手ぎわよく繰りぬけながら、自分の若い心を楽しませて行くタクトは充分に持っていた。十五の時に、袴(はかま)をひもで締(し)める代わりに尾錠(びじょう)で締めるくふうをして、一時女学生界の流行を風靡(ふうび)したのも彼女である。その紅(あか)い口びるを吸わして首席を占めたんだと、厳格で通(とお)っている米国人の老校長に、思いもよらぬ浮き名を負わせたのも彼女である。上野(うえの)の音楽学校にはいってヴァイオリンのけいこを始めてから二か月ほどの間(あいだ)にめきめき上達して、教師や生徒の舌を巻かした時、ケーべル博士(はかせ)一人(ひとり)は渋い顔をした。そしてある日「お前の楽器は才で鳴るのだ。天才で鳴るのではない」と無愛想(ぶあいそ)にいってのけた。それを聞くと「そうでございますか」と無造作(むぞうさ)にいいながら、ヴァイオリンを窓の外にほうりなげて、そのまま学校を退学してしまったのも彼女である。キリスト教婦人同盟の事業に奔走し、社会では男まさりのしっかり者という評判を取り、家内では趣味の高いそして意志の弱い良人(おっと)を全く無視して振る舞ったその母の最も深い隠れた弱点を、拇指(ぼし)と食指(しょくし)との間(あいだ)にちゃんと押えて、一歩もひけを取らなかったのも彼女である。葉子の目にはすべての人が、ことに男が底の底まで見すかせるようだった。葉子はそれまで多くの男をかなり近くまで潜(もぐ)り込ませて置いて、もう一歩という所で突っ放(ぱな)した。恋の始めにはいつでも女性が祭り上げられていて、ある機会を絶頂に男性が突然女性を踏みにじるという事を直覚のように知っていた葉子は、どの男に対しても、自分との関係の絶頂がどこにあるかを見ぬいていて、そこに来かかると情け容赦もなくその男を振り捨ててしまった。そうして捨てられた多くの男は、葉子を恨むよりも自分たちの獣性を恥じるように見えた。そして彼らは等しく葉子を見誤っていた事を悔いるように見えた。なぜというと、彼らは一人(ひとり)として葉子に対して怨恨(えんこん)をいだいたり、憤怒(ふんぬ)をもらしたりするものはなかったから。そして少しひがんだ者たちは自分の愚を認めるよりも葉子を年(とし)不相当にませた女と見るほうが勝手だったから。
 それは恋によろしい若葉の六月のある夕方(ゆうがた)だった。日本橋(にほんばし)の釘店(くぎだな)にある葉子の家には七八人の若い従軍記者がまだ戦塵(せんじん)の抜けきらないようなふうをして集まって来た。十九でいながら十七にも十六にも見れば見られるような華奢(きゃしゃ)な可憐(かれん)な姿をした葉子が、慎みの中にも才走った面影(おもかげ)を見せて、二人(ふたり)の妹と共に給仕(きゅうじ)に立った。そしてしいられるままに、ケーベル博士からののしられたヴァイオリンの一手も奏(かな)でたりした。木部の全霊はただ一目(ひとめ)でこの美しい才気のみなぎりあふれた葉子の容姿に吸い込まれてしまった。葉子も不思議にこの小柄な青年に興味を感じた。そして運命は不思議ないたずらをするものだ。木部はその性格ばかりでなく、容貌(ようぼう)――骨細(ほねぼそ)な、顔の造作の整った、天才風(ふう)に蒼白(あおじろ)いなめらかな皮膚の、よく見ると他の部分の繊麗な割合に下顎骨(かがっこつ)の発達した――までどこか葉子のそれに似ていたから、自意識の極度に強い葉子は、自分の姿を木部に見つけ出したように思って、一種の好奇心を挑発(ちょうはつ)せられずにはいなかった。木部は燃えやすい心に葉子を焼くようにかきいだいて、葉子はまた才走った頭に木部の面影を軽く宿して、その一夜の饗宴(きょうえん)はさりげなく終わりを告げた。
 木部の記者としての評判は破天荒(はてんこう)といってもよかった。いやしくも文学を解するものは木部を知らないものはなかった。人々は木部が成熟した思想をひっさげて世の中に出て来る時の華々(はなばな)しさをうわさし合った。ことに日清戦役という、その当時の日本にしては絶大な背景を背負っているので、この年少記者はある人々からは英雄(ヒーロー)の一人(ひとり)とさえして崇拝された。この木部がたびたび葉子の家を訪れるようになった。その感傷的な、同時にどこか大望(たいもう)に燃え立ったようなこの青年の活気は、家じゅうの人々の心を捕えないでは置かなかった。ことに葉子の母が前から木部を知っていて、非常に有為(ゆうい)多望な青年だとほめそやしたり、公衆の前で自分の子とも弟ともつかぬ態度で木部をもてあつかったりするのを見ると、葉子は胸の中でせせら笑った。そして心を許して木部に好意を見せ始めた。木部の熱意が見る見る抑(おさ)えがたく募り出したのはもちろんの事である。
 かの六月の夜が過ぎてからほどもなく木部と葉子とは恋という言葉で見られねばならぬような間柄(あいだがら)になっていた。こういう場合葉子がどれほど恋の場面を技巧化し芸術化するに巧みであったかはいうに及ばない。木部は寝ても起きても夢の中にあるように見えた。二十五というそのころまで、熱心な信者で、清教徒風(せいきょうとふう)の誇りを唯一の立場としていた木部がこの初恋においてどれほど真剣になっていたかは想像する事ができる。葉子は思いもかけず木部の火のような情熱に焼かれようとする自分を見いだす事がしばしばだった。
 そのうちに二人(ふたり)の間柄はすぐ葉子の母に感づかれた。葉子に対してかねてからある事では一種の敵意を持ってさえいるように見えるその母が、この事件に対して嫉妬(しっと)とも思われるほど厳重な故障を持ち出したのは、不思議でないというべき境(さかい)を通り越していた。世故(せこ)に慣れきって、落ち付き払った中年の婦人が、心の底の動揺に刺激されてたくらみ出すと見える残虐な譎計(わるだくみ)は、年若い二人の急所をそろそろとうかがいよって、腸も通れと突き刺してくる。それを払いかねて木部が命限りにもがくのを見ると、葉子の心に純粋な同情と、男に対する無条件的な捨て身な態度が生まれ始めた。葉子は自分で造り出した自分の穽(おとしあな)にたわいもなく酔い始めた。葉子はこんな目もくらむような晴れ晴れしいものを見た事がなかった。女の本能が生まれて始めて芽をふき始めた。そして解剖刀(メス)のような日ごろの批判力は鉛のように鈍ってしまった。葉子の母が暴力では及ばないのを悟って、すかしつなだめつ、良人(おっと)までを道具につかったり、木部の尊信する牧師を方便にしたりして、あらん限りの知力をしぼった懐柔策も、なんのかいもなく、冷静な思慮深い作戦計画を根気(こんき)よく続ければ続けるほど、葉子は木部を後ろにかばいながら、健気(けなげ)にもか弱い女の手一つで戦った。そして木部の全身全霊を爪(つめ)の先(さき)想(おも)いの果てまで自分のものにしなければ、死んでも死ねない様子が見えたので、母もとうとう我(が)を折った。そして五か月の恐ろしい試練の後に、両親の立ち会わない小さな結婚の式が、秋のある午後、木部の下宿(げしゅく)の一間(ひとま)で執り行なわれた。そして母に対する勝利の分捕(ぶんど)り品(ひん)として、木部は葉子一人のものとなった。
 木部はすぐ葉山(はやま)に小さな隠れ家(が)のような家を見つけ出して、二人はむつまじくそこに移り住む事になった。葉子の恋はしかしながらそろそろと冷え始めるのに二週間以上を要しなかった。彼女は競争すべからぬ関係の競争者に対してみごとに勝利を得てしまった。日清戦争というものの光も太陽が西に沈むたびごとに減じて行った。それらはそれとしていちばん葉子を失望させたのは同棲(どうせい)後始めて男というものの裏を返して見た事だった。葉子を確実に占領したという意識に裏書きされた木部は、今までおくびにも葉子に見せなかった女々(めめ)しい弱点を露骨(ろこつ)に現わし始めた。後ろから見た木部は葉子には取り所のない平凡な気の弱い精力の足りない男に過ぎなかった。筆一本握る事もせずに朝から晩まで葉子に膠着(こうちゃく)し、感傷的なくせに恐ろしくわがままで、今日(こんにち)今日の生活にさえ事欠きながら、万事を葉子の肩になげかけてそれが当然な事でもあるような鈍感なお坊(ぼっ)ちゃんじみた生活のしかたが葉子の鋭い神経をいらいらさせ出した。始めのうちは葉子もそれを木部の詩人らしい無邪気さからだと思ってみた。そしてせっせせっせと世話女房らしく切り回す事に興味をつないでみた。しかし心の底の恐ろしく物質的な葉子にどうしてこんな辛抱がいつまでも続こうぞ。結婚前までは葉子のほうから迫ってみたにも係わらず、崇高と見えるまでに極端な潔癖屋だった彼であったのに、思いもかけぬ貪婪(どんらん)な陋劣(ろうれつ)な情欲の持ち主で、しかもその欲求を貧弱な体質で表わそうとするのに出っくわすと、葉子は今まで自分でも気がつかずにいた自分を鏡で見せつけられたような不快を感ぜずにはいられなかった。夕食を済ますと葉子はいつでも不満と失望とでいらいらしながら夜を迎えねばならなかった。木部の葉子に対する愛着が募れば募るほど、葉子は一生が暗くなりまさるように思った。こうして死ぬために生まれて来たのではないはずだ。そう葉子はくさくさしながら思い始めた。その心持ちがまた木部に響いた。木部はだんだん監視の目をもって葉子の一挙一動を注意するようになって来た。同棲(どうせい)してから半か月もたたないうちに、木部はややもすると高圧的に葉子の自由を束縛するような態度を取るようになった。木部の愛情は骨にしみるほど知り抜きながら、鈍っていた葉子の批判力はまた磨(みが)きをかけられた。その鋭くなった批判力で見ると、自分と似よった姿なり性格なりを木部に見いだすという事は、自然が巧妙な皮肉をやっているようなものだった。自分もあんな事を想(おも)い、あんな事をいうのかと思うと、葉子の自尊心は思う存分に傷つけられた。
 ほかの原因もある。しかしこれだけで充分だった。二人(ふたり)が一緒になってから二か月目に、葉子は突然失踪(しっそう)して、父の親友で、いわゆる物事のよくわかる高山(たかやま)という医者の病室に閉じこもらしてもらって、三日(みっか)ばかりは食う物も食わずに、浅ましくも男のために目のくらんだ自分の不覚を泣き悔やんだ。木部が狂気のようになって、ようやく葉子の隠れ場所を見つけて会いに来た時は、葉子は冷静な態度でしらじらしく面会した。そして「あなたの将来のおためにきっとなりませんから」と何げなげにいってのけた。木部がその言葉に骨を刺すような諷刺(ふうし)を見いだしかねているのを見ると、葉子は白くそろった美しい歯を見せて声を出して笑った。
 葉子と木部との間柄はこんなたわいもない場面を区切りにしてはかなくも破れてしまった。木部はあらんかぎりの手段を用いて、なだめたり、すかしたり、強迫までしてみたが、すべては全く無益だった。いったん木部から離れた葉子の心は、何者も触れた事のない処女のそれのようにさえ見えた。
 それから普通の期間を過ぎて葉子は木部の子を分娩(ぶんべん)したが、もとよりその事を木部に知らせなかったばかりでなく、母にさえある他の男によって生んだ子だと告白した。実際葉子はその後、母にその告白を信じさすほどの生活をあえてしていたのだった。しかし母は目ざとくもその赤ん坊に木部の面影を探り出して、キリスト信徒にあるまじき悪意をこのあわれな赤ん坊に加えようとした。赤ん坊は女中部屋(じょちゅうべや)に運ばれたまま、祖母の膝(ひざ)には一度も乗らなかった。意地(いじ)の弱い葉子の父だけは孫のかわいさからそっと赤ん坊を葉子の乳母(うば)の家に引き取るようにしてやった。そしてそのみじめな赤ん坊は乳母の手一つに育てられて定子(さだこ)という六歳の童女になった。
 その後葉子の父は死んだ。母も死んだ。木部は葉子と別れてから、狂瀾(きょうらん)のような生活に身を任せた。衆議院議員の候補に立ってもみたり、純文学に指を染めてもみたり、旅僧のような放浪生活も送ったり、妻を持ち子を成し、酒にふけり、雑誌の発行も企てた。そしてそのすべてに一々不満を感ずるばかりだった。そして葉子が久しぶりで汽車の中で出あった今は、妻子を里に返してしまって、ある由緒(ゆいしょ)ある堂上華族(どうじょうかぞく)の寄食者となって、これといってする仕事もなく、胸の中だけにはいろいろな空想を浮かべたり消したりして、とかく回想にふけりやすい日送りをしている時だった。

       三

 その木部の目は執念(しゅうね)くもつきまつわった。しかし葉子はそっちを見向こうともしなかった。そして二等の切符でもかまわないからなぜ一等に乗らなかったのだろう。こういう事がきっとあると思ったからこそ、乗り込む時もそういおうとしたのだのに、気がきかないっちゃないと思うと、近ごろになく起きぬけからさえざえしていた気分が、沈みかけた秋の日のように陰ったりめいったりし出して、冷たい血がポンプにでもかけられたように脳のすきまというすきまをかたく閉ざした。たまらなくなって向かいの窓から景色でも見ようとすると、そこにはシェードがおろしてあって、例の四十三四の男が厚い口びるをゆるくあけたままで、ばかな顔をしながらまじまじと葉子を見やっていた。葉子はむっとしてその男の額(ひたい)から鼻にかけたあたりを、遠慮もなく発矢(はっし)と目でむちうった。商人は、ほんとうにむちうたれた人が泣き出す前にするように、笑うような、はにかんだような、不思議な顔のゆがめかたをして、さすがに顔をそむけてしまった。その意気地(いくじ)のない様子がまた葉子の心をいらいらさせた。右に目を移せば三四人先に木部がいた。その鋭い小さな目は依然として葉子を見守っていた。葉子は震えを覚えるばかりに激昂(げきこう)した神経を両手に集めて、その両手を握り合わせて膝(ひざ)の上のハンケチの包みを押えながら、下駄(げた)の先をじっと見入ってしまった。今は車内の人が申し合わせて侮辱でもしているように葉子には思えた。古藤が隣座(となりざ)にいるのさえ、一種の苦痛だった。その瞑想的(めいそうてき)な無邪気な態度が、葉子の内部的経験や苦悶(くもん)と少しも縁が続いていないで、二人(ふたり)の間には金輸際(こんりんざい)理解が成り立ち得ないと思うと、彼女は特別に毛色の変わった自分の境界(きょうがい)に、そっとうかがい寄ろうとする探偵(たんてい)をこの青年に見いだすように思って、その五分刈(ぶが)りにした地蔵頭(じぞうあたま)までが顧みるにも足りない木のくずかなんぞのように見えた。
 やせた木部の小さな輝いた目は、依然として葉子を見つめていた。
 なぜ木部はかほどまで自分を侮辱するのだろう。彼は今でも自分を女とあなどっている。ちっぽけな才力を今でも頼んでいる。女よりも浅ましい熱情を鼻にかけて、今でも自分の運命に差し出がましく立ち入ろうとしている。あの自信のない臆病(おくびょう)な男に自分はさっき媚(こ)びを見せようとしたのだ。そして彼は自分がこれほどまで誇りを捨てて与えようとした特別の好意を眦(まなじり)を反(かえ)して退けたのだ。
 やせた木部の小さな目は依然として葉子を見つめていた。
 この時突然けたたましい笑い声が、何か熱心に話し合っていた二人(ふたり)の中年の紳士の口から起こった。その笑い声と葉子となんの関係もない事は葉子にもわかりきっていた。しかし彼女はそれを聞くと、もう欲にも我慢がしきれなくなった。そして右の手を深々(ふかぶか)と帯の間にさし込んだまま立ち上がりざま、
「汽車に酔ったんでしょうかしらん、頭痛がするの」
 と捨てるように古藤にいい残して、いきなり繰り戸をあけてデッキに出た。
 だいぶ高くなった日の光がぱっと大森田圃(おおもりたんぼ)に照り渡って、海が笑いながら光るのが、並み木の向こうに広すぎるくらい一どきに目にはいるので、軽い瞑眩(めまい)をさえ覚えるほどだった。鉄の手欄(てすり)にすがって振り向くと、古藤が続いて出て来たのを知った。その顔には心配そうな驚きの色が明(あか)らさまに現われていた。
「ひどく痛むんですか」
「ええかなりひどく」
 と答えたがめんどうだと思って、
「いいからはいっていてください。おおげさに見えるといやですから……大丈夫あぶなかありませんとも……」
 といい足した。古藤はしいてとめようとはしなかった。そして、
「それじゃはいっているがほんとうにあぶのうござんすよ……用があったら呼んでくださいよ」
 とだけいって素直(すなお)にはいって行った。
「Simpleton!」
 葉子は心の中でこうつぶやくと、焼き捨てたように古藤の事なんぞは忘れてしまって、手欄(てすり)に臂(ひじ)をついたまま放心して、晩夏の景色をつつむ引き締まった空気に顔をなぶらした。木部の事も思わない。緑や藍(あい)や黄色のほか、これといって輪郭のはっきりした自然の姿も目に映らない。ただ涼しい風がそよそよと鬢(びん)の毛をそよがして通るのを快いと思っていた。汽車は目まぐるしいほどの快速力で走っていた。葉子の心はただ渾沌(こんとん)と暗く固まった物のまわりを飽きる事もなく幾度も幾度も左から右に、右から左に回っていた。こうして葉子にとっては長い時間が過ぎ去ったと思われるころ、突然頭の中を引っかきまわすような激しい音を立てて、汽車は六郷川(ろくごうがわ)の鉄橋を渡り始めた。葉子は思わずぎょっとして夢からさめたように前を見ると、釣(つ)り橋(ばし)の鉄材が蛛手(くもで)になって上を下へと飛びはねるので、葉子は思わずデッキのパンネルに身を退(ひ)いて、両袖(りょうそで)で顔を抑(おさ)えて物を念じるようにした。
 そうやって気を静めようと目をつぶっているうちに、まつ毛を通し袖を通して木部の顔とことにその輝く小さな両眼とがまざまざと想像に浮かび上がって来た。葉子の神経は磁石(じしゃく)に吸い寄せられた砂鉄のように、堅くこの一つの幻像の上に集注して、車内にあった時と同様な緊張した恐ろしい状態に返った。停車場に近づいた汽車はだんだんと歩度をゆるめていた。田圃(たんぼ)のここかしこに、俗悪な色で塗り立てた大きな広告看板が連ねて建ててあった。葉子は袖(そで)を顔から放して、気持ちの悪い幻像を払いのけるように、一つ一つその看板を見迎え見送っていた。所々(ところどころ)に火が燃えるようにその看板は目に映って木部の姿はまたおぼろになって行った。その看板の一つに、長い黒髪を下げた姫が経巻(きょうかん)を持っているのがあった。その胸に書かれた「中将湯(ちゅうじょうとう)」という文字を、何(なに)げなしに一字ずつ読み下すと、彼女は突然私生児の定子の事を思い出した。そしてその父なる木部の姿は、かかる乱雑な連想の中心となって、またまざまざと焼きつくように現われ出た。
 その現われ出た木部の顔を、いわば心の中の目で見つめているうちに、だんだんとその鼻の下から髭(ひげ)が消えうせて行って、輝くひとみの色は優しい肉感的な温(あたた)かみを持ち出して来た。汽車は徐々に進行をゆるめていた。やや荒れ始めた三十男の皮膚の光沢(つや)は、神経的な青年の蒼白(あおじろ)い膚の色となって、黒く光った軟(やわ)らかい頭(つむり)の毛がきわ立って白い額をなでている。それさえがはっきり見え始めた。列車はすでに川崎(かわさき)停車場のプラットフォームにはいって来た。葉子の頭の中では、汽車が止まりきる前に仕事をし遂(おお)さねばならぬというふうに、今見たばかりの木部の姿がどんどん若やいで行った。そして列車が動かなくなった時、葉子はその人のかたわらにでもいるように恍惚(うっとり)とした顔つきで、思わず知らず左手を上げて――小指をやさしく折り曲げて――軟(やわ)らかい鬢(びん)の後(おく)れ毛(げ)をかき上げていた。これは葉子が人の注意をひこうとする時にはいつでもする姿態(しな)である。
 この時、繰り戸がけたたましくあいたと思うと、中から二三人の乗客がどやどやと現われ出て来た。
 しかもその最後から、涼しい色合いのインバネスを羽織(はお)った木部が続くのを感づいて、葉子の心臓は思わずはっと処女の血を盛(も)ったようにときめいた。木部が葉子の前まで来てすれすれにそのそばを通り抜けようとした時、二人(ふたり)の目はもう一度しみじみと出あった。木部の目は好意を込めた微笑にひたされて、葉子の出ようによっては、すぐにも物をいい出しそうに口びるさえ震えていた。葉子も今まで続けていた回想の惰力に引かされて、思わずほほえみかけたのであったが、その瞬間燕返(つばめがえ)しに、見も知りもせぬ路傍の人に与えるような、冷刻な驕慢(きょうまん)な光をそのひとみから射出(いだ)したので、木部の微笑は哀れにも枝を離れた枯れ葉のように、二人の間をむなしくひらめいて消えてしまった。葉子は木部のあわてかたを見ると、車内で彼から受けた侮辱にかなり小気味よく酬(むく)い得たという誇りを感じて、胸の中がややすがすがしくなった。木部はやせたその右肩を癖のように怒らしながら、急ぎ足に濶歩(かっぽ)して改札口の所に近づいたが、切符を懐中から出すために立ち止まった時、深い悲しみの色を眉(まゆ)の間にみなぎらしながら、振り返ってじっと葉子の横顔に目を注いだ。葉子はそれを知りながらもとより侮蔑(ぶべつ)の一瞥(いちべつ)をも与えなかった。
 木部が改札口を出て姿が隠れようとした時、今度は葉子の目がじっとその後ろ姿を逐(お)いかけた。木部が見えなくなった後も、葉子の視線はそこを離れようとはしなかった。そしてその目にはさびしく涙がたまっていた。
「また会う事があるだろうか」
 葉子はそぞろに不思議な悲哀を覚えながら心の中でそういっていたのだった。

       四

 列車が川崎駅を発すると、葉子はまた手欄(てすり)によりかかりながら木部の事をいろいろと思いめぐらした。やや色づいた田圃(たんぼ)の先に松並み木が見えて、その間(あいだ)から低く海の光る、平凡な五十三次風(つぎふう)な景色が、電柱で句読(くとう)を打ちながら、空洞(うつろ)のような葉子の目の前で閉じたり開いたりした。赤とんぼも飛びかわす時節で、その群れが、燧石(ひうちいし)から打ち出される火花のように、赤い印象を目の底に残して乱れあった。いつ見ても新開地じみて見える神奈川(かながわ)を過ぎて、汽車が横浜の停車場に近づいたころには、八時を過ぎた太陽の光が、紅葉坂(もみじざか)の桜並み木を黄色く見せるほどに暑く照らしていた。
 煤煙(ばいえん)でまっ黒にすすけた煉瓦(れんが)壁の陰に汽車が停(と)まると、中からいちばん先に出て来たのは、右手にかのオリーヴ色の包み物を持った古藤だった。葉子はパラソルを杖(つえ)に弱々しくデッキを降りて、古藤に助けられながら改札口を出たが、ゆるゆる歩いている間に乗客は先(さき)を越してしまって、二人(ふたり)はいちばんあとになっていた。客を取りおくれた十四五人の停車場づきの車夫が、待合部屋(まちあいべや)の前にかたまりながら、やつれて見える葉子に目をつけて何かとうわさし合うのが二人の耳にもはいった。「むすめ」「らしゃめん」というような言葉さえそのはしたない言葉の中には交じっていた。開港場のがさつな卑しい調子は、すぐ葉子の神経にびりびりと感じて来た。
 何しろ葉子は早く落ち付く所を見つけ出したかった。古藤は停車場の前方の川添いにある休憩所まで走って[#「走って」は底本では「走つて」]行って見たが、帰って来るとぶりぶりして、駅夫あがりらしい茶店の主人は古藤の書生っぽ姿をいかにもばかにしたような断わりかたをしたといった。二人はしかたなくうるさく付きまつわる車夫を追い払いながら、潮の香の漂った濁った小さな運河を渡って、ある狭いきたない町の中ほどにある一軒の小さな旅人宿にはいって行った。横浜という所には似もつかぬような古風な外構(そとがま)えで、美濃紙(みのがみ)のくすぶり返った置き行燈(あんどん)には太い筆つきで相模屋(さがみや)と書いてあった。葉子はなんとなくその行燈に興味をひかれてしまっていた。いたずら好きなその心は、嘉永(かえい)ごろの浦賀(うらが)にでもあればありそうなこの旅籠屋(はたごや)に足を休めるのを恐ろしくおもしろく思った。店にしゃがんで、番頭と何か話しているあばずれたような女中までが目にとまった。そして葉子が体(てい)よく物を言おうとしていると、古藤がいきなり取りかまわない調子で、
「どこか静かな部屋(へや)に案内してください」
 と無愛想(ぶあいそ)に先(さき)を越してしまった。
「へいへい、どうぞこちらへ」
 女中は二人をまじまじと見やりながら、客の前もかまわず、番頭と目を見合わせて、さげすんだらしい笑いをもらして案内に立った。
 ぎしぎしと板ぎしみのするまっ黒な狭い階子段(はしごだん)を上がって、西に突き当たった六畳ほどの狭い部屋(へや)に案内して、突っ立ったままで荒っぽく二人を不思議そうに女中は見比べるのだった。油じみた襟元(えりもと)を思い出させるような、西に出窓のある薄ぎたない部屋の中を女中をひっくるめてにらみ回しながら古藤は、
「外部(そと)よりひどい……どこか他所(よそ)にしましょうか」
 と葉子を見返った。葉子はそれには耳もかさずに、思慮深い貴女(きじょ)のような物腰で女中のほうに向いていった。
「隣室(となり)も明いていますか……そう。夜まではどこも明いている……そう。お前さんがここの世話をしておいで?……なら余(ほか)の部屋(へや)もついでに見せておもらいしましょうかしらん」
 女中はもう葉子には軽蔑(けいべつ)の色は見せなかった。そして心得顔(こころえがお)に次の部屋との間(あい)の襖(ふすま)をあける間(あいだ)に、葉子は手早く大きな銀貨を紙に包んで、
「少しかげんが悪いし、またいろいろお世話になるだろうから」
 といいながら、それを女中に渡した。そしてずっと並んだ五つの部屋を一つ一つ見て回って、掛け軸、花びん、団扇(うちわ)さし、小屏風(こびょうぶ)、机というようなものを、自分の好みに任せてあてがわれた部屋のとすっかり取りかえて、すみからすみまできれいに掃除(そうじ)をさせた。そして古藤を正座に据(す)えて小ざっぱりした座ぶとんにすわると、にっこりほほえみながら、
「これなら半日ぐらい我慢ができましょう」
 といった。
「僕はどんな所でも平気なんですがね」
 古藤はこう答えて、葉子の微笑を追いながら安心したらしく、
「気分はもうなおりましたね」
 と付け加えた。
「えゝ」
 と葉子は何げなく微笑を続けようとしたが、その瞬間につと思い返して眉(まゆ)をひそめた。葉子には仮病(けびょう)を続ける必要があったのをつい忘れようとしたのだった。それで、
「ですけれどもまだこんななんですの。こら動悸(どうき)が」
 といいながら、地味(じみ)な風通(ふうつう)の単衣物(ひとえもの)の中にかくれたはなやかな襦袢(じゅばん)の袖(そで)をひらめかして、右手を力なげに前に出した。そしてそれと同時に呼吸をぐっとつめて、心臓と覚(おぼ)しいあたりにはげしく力をこめた。古藤はすき通るように白い手くびをしばらくなで回していたが、脈所(みゃくどころ)に探りあてると急に驚いて目を見張った。
「どうしたんです、え、ひどく不規則じゃありませんか……痛むのは頭ばかりですか」
「いゝえ、お腹(なか)も痛みはじめたんですの」
「どんなふうに」
「ぎゅっと錐(きり)ででももむように……よくこれがあるんで困ってしまうんですのよ」
 古藤は静かに葉子の手を離して、大きな目で深々(ふかぶか)と葉子をみつめた。
「医者を呼ばなくっても我慢ができますか」
 葉子は苦しげにほほえんで見せた。
「あなただったらきっとできないでしょうよ。……慣れっこですからこらえて見ますわ。その代わりあなた永田(ながた)さん……永田さん、ね、郵船会社の支店長の……あすこに行って船の切符の事を相談して来ていただけないでしょうか。御迷惑ですわね。それでもそんな事までお願いしちゃあ……ようござんす、わたし、車でそろそろ行きますから」
 古藤は、女というものはこれほどの健康の変調をよくもこうまで我慢をするものだというような顔をして、もちろん自分が行ってみるといい張った。
 実はその日、葉子は身のまわりの小道具や化粧品を調(ととの)えかたがた、米国行きの船の切符を買うために古藤を連れてここに来たのだった。葉子はそのころすでに米国にいるある若い学士と許嫁(いいなずけ)の間柄になっていた。新橋で車夫が若奥様と呼んだのも、この事が出入りのものの間に公然と知れわたっていたからの事だった。
 それは葉子が私生子を設けてからしばらく後の事だった。ある冬の夜、葉子の母の親佐(おやさ)が何かの用でその良人(おっと)の書斎に行こうと階子段(はしごだん)をのぼりかけると、上から小間使いがまっしぐらに駆けおりて来て、危うく親佐にぶっ突かろうとしてそのそばをすりぬけながら、何か意味のわからない事を早口にいって[#「いって」は底本では「いつて」]走り去った。その島田髷(しまだまげ)や帯の乱れた後ろ姿が、嘲弄(ちょうろう)の言葉のように目を打つと、親佐は口びるをかみしめたが、足音だけはしとやかに階子段(はしごだん)を上がって、いつもに似ず書斎の戸の前に立ち止まって、しわぶきを一つして、それから規則正しく間(ま)をおいて三度戸をノックした。
 こういう事があってから五日(いつか)とたたぬうちに、葉子の家庭すなわち早月家(さつきけ)は砂の上の塔のようにもろくもくずれてしまった。親佐はことに冷静な底気味わるい態度で夫婦の別居を主張した。そして日ごろの柔和に似ず、傷ついた[#「傷ついた」は底本では「傷ついに」]牡牛(おうし)のように元どおりの生活を回復しようとひしめく良人(おっと)や、中にはいっていろいろ言いなそうとした親類たちの言葉を、きっぱりとしりぞけてしまって、良人を釘店(くぎだな)のだだっ広い住宅にたった一人(ひとり)残したまま、葉子ともに三人の娘を連れて、親佐は仙台(せんだい)に立ちのいてしまった。木部の友人たちが葉子の不人情を怒って、木部のとめるのもきかずに、社会から葬ってしまえとひしめいているのを葉子は聞き知っていたから、ふだんならば一も二もなく父をかばって母に楯(たて)をつくべきところを、素直(すなお)に母のするとおりになって、葉子は母と共に仙台に埋(うず)もれに行った。母は母で、自分の家庭から葉子のような娘の出た事を、できるだけ世間(せけん)に知られまいとした。女子教育とか、家庭の薫陶とかいう事をおりあるごとに口にしていた親佐は、その言葉に対して虚偽という利子を払わねばならなかった。一方をもみ消すためには一方にどんと火の手をあげる必要がある。早月母子(さつきおやこ)が東京を去るとまもなく、ある新聞は早月(さつき)ドクトルの女性に関するふしだらを書き立てて、それにつけての親佐の苦心と貞操とを吹聴(ふいちょう)したついでに、親佐が東京を去るようになったのは、熱烈な信仰から来る義憤と、愛児を父の悪感化から救おうとする母らしい努力に基づくものだ。そのために彼女はキリスト教婦人同盟の副会長という顕要な位置さえ投げすてたのだと書き添えた。
 仙台における早月親佐はしばらくの間(あいだ)は深く沈黙を守っていたが、見る見る周囲に人を集めて華々(はなばな)しく活動をし始めた。その客間は若い信者や、慈善家や、芸術家たちのサロンとなって、そこからリバイバルや、慈善市(いち)や、音楽会というようなものが形を取って生まれ出た。ことに親佐が仙台支部長として働き出したキリスト教婦人同盟の運動は、その当時野火(のび)のような勢いで全国に広がり始めた赤十字社の勢力にもおさおさ劣らない程の盛況を呈した。知事令夫人も、名だたる素封家(そほうか)の奥さんたちもその集会には列席した。そして三か年の月日は早月親佐を仙台には無くてはならぬ名物の一つにしてしまった。性質が母親とどこか似すぎているためか、似たように見えて一調子違っているためか、それとも自分を慎むためであったか、はたの人にはわからなかったが、とにかく葉子はそんなはなやかな雰囲気(ふんいき)に包まれながら、不思議なほど沈黙を守って、ろくろく晴れの座などには姿を現わさないでいた。それにもかかわらず親佐の客間に吸い寄せられる若い人々の多数は葉子に吸い寄せられているのだった。葉子の控え目なしおらしい様子がいやが上にも人のうわさを引く種(たね)となって、葉子という名は、多才で、情緒の細(こま)やかな、美しい薄命児をだれにでも思い起こさせた。彼女の立ちすぐれた眉目形(みめかたち)は花柳(かりゅう)の人たちさえうらやましがらせた。そしていろいろな風聞が、清教徒風に質素な早月の佗住居(わびずまい)の周囲を霞(かすみ)のように取り巻き始めた。
 突然小さな仙台市は雷にでも打たれたようにある朝の新聞記事に注意を向けた。それはその新聞の商売がたきである或(あ)る新聞の社主であり主筆である某が、親佐と葉子との二人(ふたり)に同時に慇懃(いんぎん)を通じているという、全紙にわたった不倫きわまる記事だった。だれも意外なような顔をしながら心の中ではそれを信じようとした。
 この日髪の毛の濃い、口の大きい、色白な一人(ひとり)の青年を乗せた人力車(じんりきしゃ)が、仙台の町中を忙(せわ)しく駆け回ったのを注意した人はおそらくなかったろうが、その青年は名を木村(きむら)といって、日ごろから快活な活動好きな人として知られた男で、その熱心な奔走の結果、翌日の新聞紙の広告欄には、二段抜きで、知事令夫人以下十四五名の貴婦人の連名で早月親佐(さつきおやさ)の冤罪(えんざい)が雪(すす)がれる事になった。この稀有(けう)の大(おお)げさな広告がまた小さな仙台の市中をどよめき渡らした。しかし木村の熱心も口弁も葉子の名を広告の中に入れる事はできなかった。
 こんな騒ぎが持ち上がってから早月親佐の仙台における今までの声望は急に無くなってしまった。そのころちょうど東京に居残っていた早月が病気にかかって薬に親しむ身となったので、それをしおに親佐は子供を連れて仙台を切り上げる事になった。
 木村はその後すぐ早月母子(おやこ)を追って東京に出て来た。そして毎日入りびたるように早月家に出入りして、ことに親佐の気に入るようになった。親佐が病気になって危篤に陥った時、木村は一生の願いとして葉子との結婚を申し出た。親佐はやはり母だった。死期を前に控えて、いちばん気にせずにいられないものは、葉子の将来だった。木村ならばあのわがままな、男を男とも思わぬ葉子に仕えるようにして行く事ができると思った。そしてキリスト教婦人同盟の会長をしている五十川(いそがわ)女史に後事を託して死んだ。この五十川女史のまあまあというような不思議なあいまいな切り盛りで、木村は、どこか不確実ではあるが、ともかく葉子を妻としうる保障を握ったのだった。

       五

 郵船会社の永田は夕方でなければ会社から退(ひ)けまいというので、葉子は宿屋に西洋物店のものを呼んで、必要な買い物をする事になった。古藤はそんならそこらをほッつき歩いて来るといって、例の麦稈(むぎわら)帽子を帽子掛けから取って立ち上がった。葉子は思い出したように肩越しに振り返って、
「あなたさっきパラソルは骨が五本のがいいとおっしゃってね」
 といった。古藤は冷淡な調子で、
「そういったようでしたね」
 と答えながら、何か他の事でも考えているらしかった。
「まあそんなにとぼけて……なぜ五本のがお好き?」
「僕が好きというんじゃないけれども、あなたはなんでも人と違ったものが好きなんだと思ったんですよ」
「どこまでも人をおからかいなさる……ひどい事……行っていらっしゃいまし」
 と情を迎えるようにいって向き直ってしまった。古藤が縁側に出るとまた突然呼びとめた。障子(しょうじ)にはっきり立ち姿をうつしたまま、
「なんです」
 といって古藤は立ち戻(もど)る様子がなかった。葉子はいたずら者らしい笑いを口のあたりに浮かべていた。
「あなたは木村と学校が同じでいらしったのね」
「そうですよ、級は木村の……木村君のほうが二つも上でしたがね」
「あなたはあの人をどうお思いになって」
 まるで少女のような無邪気な調子だった。古藤はほほえんだらしい語気で、
「そんな事はもうあなたのほうがくわしいはずじゃありませんか……心(しん)のいい活動家ですよ」
「あなたは?」
 葉子はぽんと高飛車(たかびしゃ)に出た。そしてにやりとしながらがっくりと顔を上向きにはねて、床の間の一蝶(いっちょう)のひどい偽(まが)い物(もの)を見やっていた。古藤がとっさの返事に窮して、少しむっとした様子で答え渋っているのを見て取ると、葉子は今度は声の調子を落として、いかにもたよりないというふうに、
「日盛りは暑いからどこぞでお休みなさいましね。……なるたけ早く帰って来てくださいまし。もしかして、病気でも悪くなると、こんな所で心細うござんすから……よくって」
 古藤は何か平凡な返事をして、縁板を踏みならしながら出て行ってしまった。
 朝のうちだけからっと破ったように晴れ渡っていた空は、午後から曇り始めて、まっ白な雲が太陽の面をなでて通るたびごとに暑気は薄れて、空いちめんが灰色にかき曇るころには、膚寒く思うほどに初秋の気候は激変していた。時雨(しぐれ)らしく照ったり降ったりしていた雨の脚(あし)も、やがてじめじめと降り続いて、煮しめたようなきたない部屋(へや)の中は、ことさら湿(しと)りが強く来るように思えた。葉子は居留地のほうにある外国人相手の洋服屋や小間物屋などを呼び寄せて、思いきったぜいたくな買い物をした。買い物をして見ると葉子は自分の財布(さいふ)のすぐ貧しくなって行くのを怖(おそ)れないではいられなかった。葉子の父は日本橋ではひとかどの門戸(もんこ)を張った医師で、収入も相当にはあったけれども、理財の道に全く暗いのと、妻の親佐(おやさ)が婦人同盟の事業にばかり奔走していて、その並み並みならぬ才能を、少しも家の事に用いなかったため、その死後には借金こそ残れ、遺産といってはあわれなほどしかなかった。葉子は二人(ふたり)の妹をかかえながらこの苦しい境遇を切り抜けて来た。それは葉子であればこそし遂(おお)せて来たようなものだった。だれにも貧乏らしいけしきは露ほども見せないでいながら、葉子は始終貨幣一枚一枚の重さを計って支払いするような注意をしていた。それだのに目の前に異国情調の豊かな贅沢品(ぜいたくひん)を見ると、彼女の貪欲(どんよく)は甘いものを見た子供のようになって、前後も忘れて懐中にありったけの買い物をしてしまったのだ。使いをやって正金(しょうきん)銀行で換えた金貨は今鋳出(いだ)されたような光を放って懐中の底にころがっていたが、それをどうする事もできなかった。葉子の心は急に暗くなった。戸外の天気もその心持ちに合槌(あいづち)を打つように見えた。古藤はうまく永田から切符をもらう事ができるだろうか。葉子自身が行き得ないほど葉子に対して反感を持っている永田が、あの単純なタクトのない古藤をどんなふうに扱ったろう。永田の口から古藤はいろいろな葉子の過去を聞かされはしなかったろうか。そんな事を思うと葉子は悒鬱(ゆううつ)が生み出す反抗的な気分になって、湯をわかさせて入浴し、寝床をしかせ、最上等の三鞭酒(シャンペン)を取りよせて、したたかそれを飲むと前後も知らず眠ってしまった。
 夜になったら泊まり客があるかもしれないと女中のいった五つの部屋(へや)はやはり空(から)のままで、日がとっぷりと暮れてしまった。女中がランプを持って来た物音に葉子はようやく目をさまして、仰向いたまま、すすけた天井に描かれたランプの丸い光輪をぼんやりとながめていた。
 その時じたッじたッとぬれた足で階子段(はしごだん)をのぼって来る古藤の足音が聞こえた。古藤は何かに腹を立てているらしい足どりでずかずかと縁側を伝って来たが、ふと立ち止まると大きな声で帳場(ちょうば)のほうにどなった。
「早く雨戸をしめないか……病人がいるんじゃないか。……」
「この寒いのになんだってあなたも言いつけないんです」
 今度はこう葉子にいいながら、建て付けの悪い障子をあけていきなり中にはいろうとしたが、その瞬間にはっと驚いたような顔をして立ちすくんでしまった。
 香水や、化粧品や、酒の香をごっちゃにした暖かいいきれがいきなり古藤に迫ったらしかった。ランプがほの暗いので、部屋のすみずみまでは見えないが、光の照り渡る限りは、雑多に置きならべられたなまめかしい女の服地や、帽子や、造花や、鳥の羽根や、小道具などで、足の踏みたて場もないまでになっていた。その一方に床の間を背にして、郡内(ぐんない)のふとんの上に掻巻(かいまき)をわきの下から羽織った、今起きかえったばかりの葉子が、はでな長襦袢(ながじゅばん)一つで東ヨーロッパの嬪宮(ひんきゅう)の人のように、片臂(かたひじ)をついたまま横になっていた。そして入浴と酒とでほんのりほてった顔を仰向けて、大きな目を夢のように見開いてじっと古藤を見た。その枕(まくら)もとには三鞭酒(シャンペン)のびんが本式に氷の中につけてあって、飲みさしのコップや、華奢(きゃしゃ)な紙入れや、かのオリーヴ色の包み物を、しごきの赤が火の蛇(くちなわ)のように取り巻いて、その端が指輪の二つはまった大理石のような葉子の手にもてあそばれていた。
「お遅(おそ)うござんした事。お待たされなすったんでしょう。……さ、おはいりなさいまし。そんなもの足ででもどけてちょうだい、散らかしちまって」
 この音楽のようなすべすべした調子の声を聞くと、古藤は始めて illusion から目ざめたふうではいって来た。葉子は左手を二の腕がのぞき出るまでずっと延ばして、そこにあるものを一払(ひとはら)いに払いのけると、花壇の土を掘り起こしたようにきたない畳が半畳ばかり現われ出た。古藤は自分の帽子を部屋のすみにぶちなげて置いて、払い残された細形(ほそがた)の金鎖を片づけると、どっかとあぐらをかいて正面から葉子を見すえながら、
「行って来ました。船の切符もたしかに受け取って来ました」
 といってふところの中を探りにかかった。葉子はちょっと改まって、
「ほんとにありがとうございました」
 と頭を下げたが、たちまち roughish な目つきをして、
「まあそんな事はいずれあとで、ね、……何しろお寒かったでしょう、さ」
 といいながら飲み残りの酒を盆の上に無造作に捨てて、二三度左手をふってしずくを切ってから、コップを古藤にさしつけた。古藤の目は何かに激昂(げきこう)しているように輝いていた。
「僕は飲みません」
「おやなぜ」
「飲みたくないから飲まないんです」
 この角(かど)ばった返答は男を手もなくあやし慣れている葉子にも意外だった。それでそのあとの言葉をどう継ごうかと、ちょっとためらって古藤の顔を見やっていると、古藤はたたみかけて口をきった。
「永田ってのはあれはあなたの知人ですか。思いきって尊大な人間ですね。君のような人間から金を受け取る理由はないが、とにかくあずかって置いて、いずれ直接あなたに手紙でいってあげるから、早く帰れっていうんです、頭から。失敬なやつだ」
 葉子はこの言葉に乗じて気まずい心持ちを変えようと思った。そしてまっしぐらに何かいい出そうとすると、古藤はおっかぶせるように言葉を続けて、
「あなたはいったいまだ腹が痛むんですか」
 ときっぱりいって堅くすわり直した。しかしその時に葉子の陣立てはすでにでき上がっていた。初めのほほえみをそのままに、
「えゝ、少しはよくなりましてよ」
 といった。古藤は短兵急(たんぺいきゅう)に、
「それにしてもなかなか元気ですね」
 とたたみかけた。
「それはお薬にこれを少しいただいたからでしょうよ」
 と三鞭酒(シャンペン)を指さした。
 正面からはね返された古藤は黙ってしまった。しかし葉子も勢いに乗って追い迫るような事はしなかった。矢頃(やごろ)を計ってから語気をかえてずっと下手(したで)になって、
「妙にお思いになったでしょうね。わるうございましてね。こんな所に来ていて、お酒なんか飲むのはほんとうに悪いと思ったんですけれども、気分がふさいで来ると、わたしにはこれよりほかにお薬はないんですもの。さっきのように苦しくなって来ると私はいつでも湯を熱めにして浴(はい)ってから、お酒を飲み過ぎるくらい飲んで寝るんですの。そうすると」
 といって、ちょっといいよどんで見せて、
「十分か二十分ぐっすり寝入るんですのよ……痛みも何も忘れてしまっていい心持ちに……。それから急に頭がかっと痛んで来ますの。そしてそれと一緒に気がめいり出して、もうもうどうしていいかわからなくなって、子供のように泣きつづけると、そのうちにまた眠たくなって一寝入りしますのよ。そうするとそのあとはいくらかさっぱりするんです。……父や母が死んでしまってから、頼みもしないのに親類たちからよけいな世話をやかれたり、他人力(ひとぢから)なんぞをあてにせずに妹二人(ふたり)を育てて行かなければならないと思ったりすると、わたしのような、他人様(ひとさま)と違って風変(ふうが)わりな、……そら、五本の骨でしょう」
 とさびしく笑った。
「それですものどうぞ堪忍(かんにん)してちょうだい。思いきり泣きたい時でも知らん顔をして笑って通していると、こんなわたしみたいな気まぐれ者になるんです。気まぐれでもしなければ生きて行けなくなるんです。男のかたにはこの心持ちはおわかりにはならないかもしれないけれども」
 こういってるうちに葉子は、ふと木部との恋がはかなく破れた時の、われにもなく身にしみ渡るさびしみや、死ぬまで日陰者であらねばならぬ私生子の定子の事や、計らずもきょうまのあたり見た木部の、心(しん)からやつれた面影などを思い起こした。そしてさらに、母の死んだ夜、日ごろは見向きもしなかった親類たちが寄り集まって来て、早月家(さつきけ)には毛の末ほども同情のない心で、早月家の善後策について、さも重大らしく勝手気ままな事を親切ごかしにしゃべり散らすのを聞かされた時、どうにでもなれという気になって、暴(あば)れ抜いた事が、自分にさえ悲しい思い出となって、葉子の頭の中を矢のように早くひらめき通った。葉子の顔には人に譲ってはいない自信の色が現われ始めた。
「母の初七日(しょなぬか)の時もね、わたしはたて続けにビールを何杯飲みましたろう。なんでもびんがそこいらにごろごろころがりました。そしてしまいには何がなんだか夢中になって、宅に出入りするお医者さんの膝(ひざ)を枕(まくら)に、泣き寝入りに寝入って、夜中(よなか)をあなた二時間の余(よ)も寝続けてしまいましたわ。親類の人たちはそれを見ると一人帰り二人帰りして、相談も何もめちゃくちゃになったんですって。母の写真を前に置いといて、わたしはそんな事までする人間ですの。おあきれになったでしょうね。いやなやつでしょう。あなたのような方から御覧になったら、さぞいやな気がなさいましょうねえ」
「えゝ」
 と古藤は目も動かさずにぶっきらぼうに答えた。
「それでもあなた」
 と葉子は切(せつ)なさそうに半ば起き上がって、
「外面(うわつら)だけで人のする事をなんとかおっしゃるのは少し残酷ですわ。……いゝえね」
 と古藤の何かいい出そうとするのをさえぎって、今度はきっとすわり直った。
「わたしは泣き言(ごと)をいって他人様(ひとさま)にも泣いていただこうなんて、そんな事はこれんばかりも思やしませんとも……なるならどこかに大砲(おおづつ)のような大きな力の強い人がいて、その人が真剣に怒(おこ)って、葉子のような人非人(にんぴにん)はこうしてやるぞといって、わたしを押えつけて心臓でも頭でもくだけて飛んでしまうほど折檻(せっかん)をしてくれたらと思うんですの。どの人もどの人もちゃんと自分を忘れないで、いいかげんに怒(おこ)ったり、いいかげんに泣いたりしているんですからねえ。なんだってこう生温(なまぬる)いんでしょう。
 義一(ぎいち)さん(葉子が古藤をこう名で呼んだのはこの時が始めてだった)あなたがけさ、心(しん)の正直ななんとかだとおっしゃった木村に縁づくようになったのも、その晩の事です。五十川(いそがわ)が親類じゅうに賛成さして、晴れがましくもわたしをみんなの前に引き出しておいて、罪人にでもいうように宣告してしまったのです。わたしが一口でもいおうとすれば、五十川のいうには母の遺言ですって。死人に口なし。ほんとに木村はあなたがおっしゃったような人間ね。仙台であんな事があったでしょう。あの時知事の奥さんはじめ母のほうはなんとかしようが娘のほうは保証ができないとおっしゃったんですとさ」
 いい知らぬ侮蔑(ぶべつ)の色が葉子の顔にみなぎった。
「ところが木村は自分の考えを押し通しもしないで、おめおめと新聞には母だけの名を出してあの広告をしたんですの。
 母だけがいい人になればだれだってわたしを……そうでしょう。
次ページ
ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:322 KB

担当:undef