おせん
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著者名:邦枝完二 

    六

 鬼(おに)七の問(とい)は、まったく千吉(きち)には思(おも)いがけないことであった。――子供(こども)の時分(じぶん)から好(す)きでこそあれ、嫌(きら)いではない菊之丞(きくのじょう)を、おせんがどれ程(ほど)思(おも)い詰(つ)めているかは、いわずと知(し)れているものの、今(いま)では江戸(えど)一番(ばん)の女形(おやま)といわれている菊之丞(きくのじょう)が、自分(じぶん)からおせんの許(もと)へ、それも毎晩(まいばん)通(かよ)って来(き)ようなぞとは、どこから出(で)た噂(うわさ)であろう。岡焼半分(おかやきはんぶん)の悪刷(わるずり)にしても、あんまり話(はなし)が食(く)い違(ちが)い過(す)ぎると、千吉(きち)は思(おも)わず鬼(おに)七の顔(かお)を見返(みかえ)した。
「何(な)んで、そんな不審(ふしん)そうな顔(かお)をするんだ」
「何(な)んでと仰(おっ)しゃいますが、あんまり親方(おやかた)のお聞(き)きなさることが、解(げ)せねえもんでござんすから。……」
「おいらの訊(き)くことが解(げ)せねえッて。――何(なに)が解(げ)せねえんだ」
「浜村屋(はまむらや)は、おせんのところへなんざ、命(いのち)を懸(か)けて頼(たの)んだって、通(かよ)っちゃくれませんや」
「おめえ、まだ隠(かく)してるな」
「どういたしやして、嘘(うそ)も隠(かく)しもありゃァしません。みんなほんまのことを申(もうし)上(あ)げて居(お)りやすんで。……」
「千吉(きち)」
「へ」
「おめえ、二三日前(にちまえ)に行(い)った時(とき)、おせんが誰(だれ)と話(はなし)をしてえたか、そいつをいって見(み)ねえ」
「話(はなし)でげすって」
「そうだ。おせん一人(ひとり)じゃなかったろう。たしか相手(あいて)がいたはずだ」
「お袋(ふくろ)が、隣座敷(となりざしき)にいた外(ほか)にゃ、これぞといって、人(ひと)らしい者(もの)ァいやァいたしません」
「ふふふ、お七はいなかったか」
「お七ッ」
「どうだ、お七の衣装(いしょう)を着(き)た浜村屋(はまむらや)が、ちゃァんと一人(ひとり)いたはずだ。おめえはその眼(め)で見(み)たじゃねえか」
「ありゃァ親方(おやかた)。――」
「あれもこれもありゃァしねえ。おいらはそいつを訊(き)いてるんだ」
「人形(にんぎょう)じゃござんせんか」
「とぼけちゃいけねえ。人間(にんげん)を人形(にんぎょう)と見違(みちが)える程(ほど)、鬼(おに)七ァまだ耄碌(もうろく)しちゃァいねえよ。ありゃァ菊之丞(きくのじょう)に違(ちげ)えあるめえ」
「確(たしか)にそうたァ申上(もうしあげ)られねえんで。……」
「おめえ、眼(め)が上(あが)ったな。判(わか)った。――もういいから帰(けえ)ンな」
「有難(ありがと)うござんすが、――親方(おやかた)、あれがもしか浜村屋(はまむらや)だったら、どうなせえやすんで。……」
「どうもしやァしねえ」
「どうもしねンなら、何(なに)も。――」
「聞(き)きてえか」
「どうか、お聞(き)かせなすっておくんなせえやし」
「浜村屋(はまむらや)は、役者(やくしゃ)を止(や)めざァならねえんだ」
「何(な)んでげすッて」
「口(くち)が裂(さ)けてもいうじゃァねえぞ。――南御町奉行(みなみおまちぶぎょう)の、信濃守様(しなののかみさま)の妹御(いもうとご)のお蓮様(れんさま)は、浜村屋(はまむらや)の日本(にほん)一の御贔屓(ごひいき)なんだ」
「ではあの、壱岐様(いきさま)からのお出戻(でもど)りの。――」
「叱(し)っ。余計(よけい)なこたァいっちゃならねえ」
「へえ」
「さ、帰(けえ)ンねえ」
「有難(ありがと)うござんす」
 千吉(きち)は、ふところの小判(こばん)を気(き)にしながら、ほっとして頭(あたま)を下(さ)げた。
 襟(えり)に当(あた)る秋(あき)の陽(ひ)は狐色(きつねいろ)に輝(かがや)いていた。

    七

 無理(むり)やりに、手習(てなら)いッ子(こ)に筆(ふで)を握(にぎ)らせるようにして、たった二行(ぎょう)の文(ふみ)ではあったが、いや応(おう)なしに書(か)かされた、ありがたく存(ぞん)じ候(そうろう)かしこの十一文字(もじ)が気(き)になるままに、一夜(や)をまんじりともしなかったおせんは、茶(ちゃ)の味(あじ)もいつものようにさわやかでなく、まだ小半時(こはんとき)も早(はや)い、明(あ)けたばかりの日差(ひざし)の中(なか)を駕籠(かご)に揺(ゆ)られながら、白壁町(しろかべちょう)の春信(はるのぶ)の許(もと)を訪(おとず)れたのであった。
 弟子(でし)の藤吉(とうきち)から、おせんが来(き)たとの知(し)らせを聞(き)いた春信(はるのぶ)は、起(お)き出(で)たばかりで顔(かお)も洗(あら)っていなかったが、とりあえず画室(がしつ)へ通(とお)して、磁器(じき)の肌(はだ)のように澄(す)んだおせんの顔(かお)を、じっと見詰(みつ)めた。
「大(たい)そう早(はや)いの」
「はい。少(すこ)しばかり思(おも)い余(あま)ったことがござんして、お智恵(ちえ)を拝借(はいしゃく)に伺(うかが)いました」
「智恵(ちえ)を貸(か)せとな。はッはッは。これは面白(おもしろ)い。智恵(ちえ)はわたしよりお前(まえ)の方(ほう)が多分(たぶん)に持合(もちあわ)せているはずだがの」
「まァお師匠(ししょう)さん」
「いや、それァ冗談(じょうだん)だが、いったいどんなことが持上(もちあが)ったといいなさるんだ」
「あのう、いつもお話(はな)しいたします兄(あに)が、ゆうべひょっこり、帰(かえ)って来(き)たのでござんす」
「なに、兄(にい)さんが帰(かえ)って来(き)たと」
「はい」
「よく聞(き)くお前(まえ)の話(はなし)では、千吉(きち)とやらいう兄(にい)さんは、まる三年(ねん)も行方(ゆくえ)知(し)れずになっていたとか。――それがまた、どうして急(きゅう)に。――」
「面目次第(めんぼくしだい)もござんせぬが、兄(にい)さんは、お宝(たから)が欲(ほ)しいばっかりに、帰(かえ)って来(き)たのだと、自分(じぶん)の口(くち)からいってでござんす」
「金(かね)が欲(ほ)しいとの。したがまさか、お前(まえ)を分限者(ぶげんじゃ)だとは思(おも)うまいがの」
「兄(にい)さんは、あたしを囮(おとり)にして、よその若旦那(わかだんな)から、お金(かね)をお借(か)り申(もう)したのでござんす」
「ほう、何(な)んとして借(か)りた」
「いやがるあたしに文(ふみ)を書(か)かせ、その文(ふみ)を、二十五両(りょう)に、買(か)っておもらい申(もう)すのだと、引(ひ)ッたくるようにして、どこぞへ消(き)え失(う)せましたが、そのお人(ひと)は誰(だれ)あろう、通油町(とおりあぶらちょう)の、橘屋(たちばなや)の徳太郎(とくたろう)さんという、虫(むし)ずが走(はし)るくらい、好(す)かないお方(かた)でござんす」
「そんなら千吉(きち)さんは、橘屋(たちばなや)の徳(とく)さんから、その金(かね)を借(か)りて。――」
「はい。今頃(いまごろ)はおおかた、どこぞお大名屋敷(だいみょうやしき)のお厩(うまや)で、好(す)きな勝負(しょうぶ)をしてでござんしょうが、文(ふみ)を御覧(ごらん)なすった若旦那(わかだんな)が、まッことあたしからのお願(ねが)いとお思(おも)いなされて、大枚(たいまい)のお宝(たから)をお貸(か)し下(くだ)さいましたら、これから先(さき)あたしゃ若旦那(わかだんな)から、どのような難題(なんだい)をいわれても、返(かえ)す言葉(ことば)がござんせぬ。――お師匠(ししょう)さん。何(なん)としたらよいものでござんしょう」
 まったく途方(とほう)に暮(く)れたのであろう。春信(はるのぶ)の顔(かお)を見(み)あげたおせんの瞼(まぶた)は、露(つゆ)を含(ふく)んだ花弁(かべん)のように潤(うる)んで見(み)えた。
「さァてのう」
 腕(うで)をこまねいて、あごを引(ひ)いた春信(はるのぶ)は、暫(しば)し己(おの)が膝(ひざ)の上(うえ)を見詰(みつ)めていたが、やがて徐(おもむろ)に首(くび)を振(ふ)った。
「徳(とく)さんも、人(ひと)の心(こころ)の読(よ)めない程(ほど)馬鹿(ばか)でもなかろう。どのような文句(もんく)を書(か)いた文(ふみ)か知(し)らないが、その文(ふみ)一本(ぽん)で、まさか二十五両(りょう)の大金(たいきん)は出(だ)すまいよ」
「それでも兄(にい)さんは、ただの二字(じ)でも三字(じ)でも、あたしの書(か)いた文(ふみ)さえ持(も)って行(い)けば、お金(かね)は右(みぎ)から左(ひだり)とのことでござんした」
「そりゃ、いつのことだの」
「ゆうべでござんす」
 おせんがもう一度(ど)、顔(かお)を上(あ)げた時(とき)であった。突然(とつぜん)障子(しょうじ)の外(そと)から、藤吉(とうきち)の声(こえ)が低(ひく)く聞(きこ)えた。
「おせんさん、大変(たいへん)なことができましたぜ。浜村屋(はまむらや)の太夫(たゆう)が、急病(きゅうびょう)だってこった」
 おせんは「はッ」と胸(むね)が詰(つ)まって、直(す)ぐには口(くち)が听(き)けなかった。

  夢(ゆめ)


    一

 子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)、巳(み)、――と、客(きゃく)のない上(あが)りかまちに腰(こし)をかけて、独(ひと)り十二支(し)を順(じゅん)に指折(ゆびお)り数(かぞ)えていた、仮名床(かなどこ)の亭主(ていしゅ)伝吉(でんきち)は、いきなり、息(いき)がつまるくらい荒(あら)ッぽく、拳固(げんこ)で背中(せなか)をどやしつけられた。
「痛(いて)ッ。――だ、だれだ」
「だれだじゃねえや、てえへんなことがおっ始(ぱじ)まったんだ。子丑寅(ねうしとら)もなんにもあったもんじゃねえ。あしたッから、うちの小屋(こや)は開(あ)かねえかも知(し)れねえぜ」
 火事場(かじば)の纏持(まといもち)のように、息(いき)せき切(き)って駆(か)け込(こ)んで来(き)たのは、同(おな)じ町内(ちょうない)に住(す)む市村座(いちむらざ)の木戸番(きどばん)長兵衛(ちょうべえ)であった。
 伝吉(でんきち)はぎょっとして、もう一度(ど)長兵衛(ちょうべえ)の顔(かお)を見直(みなお)した。
「な、なにがあったんだ」
「なにがも、かにがもあるもんじゃねえ、まかり間違(まちが)や、てえした騒(さわ)ぎになろうッてんだ。おめえンとこだって、芝居(しばい)のこぼれを拾(ひろ)ってる家業(かぎょう)なら、万更(まんざら)かかり合(あい)のねえこともなかろう。こけが秋刀魚(さんま)の勘定(かんじょう)でもしてやしめえし、指(ゆび)なんぞ折(お)ってる時(とき)じゃありゃァしねえぜ」
「いってえ、どうしたッてんだ、長(ちょう)さん」
「おめえ、まだ判(わか)らねえのか」
「聞(き)かねえことにゃ判(わか)らねえや」
「なんて血(ち)のめぐりが悪(わる)く出来(でき)てるんだ。――浜村屋(はまむらや)の太夫(たゆう)が、舞台(ぶたい)で踊(おど)ってたまま倒(たお)れちゃったんだ」
「何(な)んだッてそいつァおめえ、本当(ほんとう)かい」
「おれにゃ、嘘(うそ)と坊主(ぼうず)の頭(あたま)ァいえねえよ。――仮(かり)にもおんなじ芝居(しばい)の者(もの)が、こんなことを、ありもしねえのにいって見(み)ねえ。それこそ簀巻(すまき)にして、隅田川(すみだがわ)のまん中(なか)へおッ放(ぽ)り込(こ)まれらァな」
「長(ちょう)さん」
「ええびっくりするじゃねえか。急(きゅう)にそんな大(おお)きな声(こえ)なんざ、出(だ)さねえでくんねえ」
「何(なに)をいってるんだ。これがおめえ、こそこそ話(ばなし)にしてられるかい。おいらァ誰(だれ)が好きだといって、浜村屋(はまむらや)の太夫(たゆう)くれえ、好(す)きな役者衆(やくしゃしゅう)はねえんだよ。芸(げい)がよくって愛嬌(あいきょう)があって、おまけに自慢気(じまんげ)なんざ薬(くすり)にしたくもねえッてお人(ひと)だ。――どこが悪(わる)くッて、どう倒(たお)れたんだか、さ、そこをおいらに、委(くわ)しく話(はな)して聞(き)かしてくんねえ」
 どやしつけられた、背中(せなか)の痛(いた)さもけろりと忘(わす)れて、伝吉(でんきち)は、元結(もとゆい)が輪(わ)から抜(ぬ)けて足元(あしもと)へ散(ち)らばったのさえ気付(きづ)かずに夢中(むちゅう)で長兵衛(ちょうべえ)の方(ほう)へ膝(ひざ)をすり寄(よ)せた。
「丁度(ちょうど)二番目(ばんめ)の、所作事(しょさごと)の幕(まく)に近(ちけ)え時分(じぶん)だと思(おも)いねえ。知(し)っての通(とお)りこの狂言(きょうげん)は、三五郎(ろう)さんの頼朝(よりとも)に、羽左衛門(うざえもん)さんの梶原(かじわら)、それに太夫(たゆう)は鷺娘(さぎむすめ)で出(で)るという、豊前(ぶぜん)さんの浄瑠璃(じょうるり)としっくり合(あ)った、今度(こんど)の芝居(しばい)の呼(よ)び物(もの)だろうじゃねえか。はねに近(ちか)くなったって、お客(きゃく)は唯(ただ)の一人(ひとり)だって、立(た)とうなんて料簡(りょうけん)の者(もの)ァねえやな。舞台(ぶたい)ははずむ、お客(きゃく)はそろって一寸(すん)でも先(さき)へ首(くび)を出(だ)そうとする。いわば紙(かみ)一重(え)の隙(すき)もねえッてとこだった。どうしたはずみか、太夫(たゆう)の踊(おど)ってた足(あし)が、躓(つまず)いたようによろよろっとしたかと思(おも)うと、あッという間(ま)もなく、舞台(ぶたい)へまともに突(つ)ッ俯(ぷ)しちまったんだ。――客席(きゃくせき)からは浜村屋(はまむらや)ッという声(こえ)が、石(いし)を投(な)げるように聞(き)こえて来(く)るかと思(おも)うと、御贔屓(ごひいき)の泣(な)く声(こえ)、喚(わめ)く声(こえ)、そいつが忽(たちま)ち渦巻(うずまき)になって、わッわッといってるうちに、道具方(どうぐかた)が気(き)を利(き)かして幕(まく)を引(ひ)いたんだが、そりゃおめえ、ここでおれが話(はなし)をしてるようなもんじゃァねえ、芝居中(しばいじゅう)がひっくり返(かえ)るような大騒(おおさわ)ぎだ。――そのうちに頭取(とうどり)が駆(か)け着(つ)ける、弟子達(でしたち)が集(あつ)まるで、倒(たお)れた太夫(たゆう)を、鷺娘(さぎむすめ)の衣装(いしょう)のまま楽屋(がくや)へかつぎ込(こ)んじまったが、まだおめえ、宗庵先生(そうあんせんせい)のお許(ゆる)しが出(で)ねえから、太夫(たゆう)は楽屋(がくや)に寝(ね)かしたまま、家(うち)へも帰(けえ)れねえんだ」
「よし、お花(はな)、おいらに羽織(はおり)を出(だ)してくんねえ」
 伝吉(でんきち)は突然(とつぜん)こういって立上(たちあが)った。

    二

「お前(まえ)さん、どこへ行(ゆ)くんだよ。真(ま)ッ昼間(ぴるま)ッからお見世(みせ)を空(あ)けて出(で)て行(い)ったんじゃ、お客様(きゃくさま)に申訳(もうしわけ)がないじゃないか。太夫(たゆう)さんとこへお見舞(みまい)に行(ゆ)くなら、日(ひ)が暮(く)れてからにしとくれよ。――ようッてば」
 下剃(したぞり)一人(ひとり)をおいて出(で)られたのでは、家業(かぎょう)に障(さわ)ると思(おも)ったのであろう。一張羅(ちょうら)の羽織(はおり)を、渋々(しぶしぶ)箪笥(たんす)から出(だ)して来(き)たお花(はな)は、亭主(ていしゅ)の伝吉(でんきち)の袖(そで)をおさえて、無理(むり)にも引止(ひきと)めようと顔(かお)を窺(のぞ)き込(こ)んだ。
 が、伝吉(でんきち)は、いきなり吐(は)きだすようにけんのみを食(く)わせた。
「馬鹿野郎(ばかやろう)。何(なに)をいってやがるんだ。亭主(ていしゅ)のすることに、女(おんな)なんぞが口(くち)を出(だ)すこたァねえから黙(だま)って引(ひ)ッ込(こ)んでろ。外(ほか)のことならともかく、太夫(たゆう)が急病(きゅうびょう)だッてのを、そのままにしといたんじゃ、世間(せけん)の奴等(やつら)になんていわれると思(おも)うんだ。仮名床(かなどこ)の伝吉(でんきち)の奴(やつ)ァ、ふだん浜村屋(はまむらや)が好(す)きだの蜂(はち)の頭(あたま)だのと、口幅(くちはば)ッてえことをいってやがるくせに、なんてざまなんだ。手間(てま)が惜(お)しさに見舞(みまい)にも行(ゆ)かねえしみッたれ野郎(やろう)だ、とそれこそ口(くち)をそろえて悪(わる)くいわれるなァ、加賀様(かがさま)の門(もん)よりもよく判(わか)ってるぜ。――つまらねえ理屈(りくつ)ァいわねえで、速(はや)く羽織(はおり)を着(き)せねえかい。こうなったり一刻(こく)だって、待(ま)てしばしはねえんだ」
 お花(はな)の手(て)から羽織(はおり)を引(ひ)ッたくった伝吉(でんきち)は、背筋(せすじ)が二寸(すん)も曲(ま)がったなりに引(ひ)ッかけると、もう一度(ど)お花(はな)の手(て)を振(ふ)りもぎって、喧嘩犬(けんかいぬ)のように、夢中(むちゅう)で見世(みせ)を飛(と)び出(だ)した。
「待(ま)ちねえ、伝(でん)さん」
 長兵衛(ちょうべえ)は背後(うしろ)から声(こえ)をかけた。
「何(な)んの用(よう)だ」
「用(よう)じゃァねえが、おかみさんもああいうンだから、晩(ばん)にしたらどうだ。どうせいま行(い)ったって、会(あ)えるもんでもねえンだから。――」
「ふん、おめえまで、余計(よけい)なことはおいてくんねえ。おいらの足(あし)でおいらが歩(ある)いてくんだ。どこへ行(い)こうが勝手(かって)じゃねえか」
「ほう、大(おお)まかに出(で)やァがったな。話(はなし)をしたなァおれなんだぜ。行(ゆ)くんなら、せめておれの髯(ひげ)だけでもあたッてッてくんねえ」
「髯(ひげ)は帰(けえ)って来(き)てからだ」
「帰(かえ)って来(き)てからじゃ、間(ま)に合(あ)わねえよ」
「間(ま)に合(あ)わなかったら、どこいでも行(い)って、やってもらって来(く)るがいいやな。――ええもう面倒臭(めんどうくせ)え、四の五のいってるうちに、日(ひ)が暮(く)れちまわァ」
 前つぼの固(かた)い草履(ぞうり)の先(さき)で砂(すな)を蹴(け)って、一目散(もくさん)に駆(か)け出(だ)した伝吉(でんきち)は、提灯屋(ちょうちんや)の角(かど)まで来(く)ると、ふと立停(たちどま)って小首(こくび)を傾(かし)げた。
「待(ま)てよ。こいつァ市村座(いちむらざ)へ行(ゆ)くより先(さき)に、もっと大事(だいじ)なところがあるぜ。――そうだ。まだおせんちゃんが知(し)らねえかもしれねえ。こんな時(とき)に人情(にんじょう)を見(み)せてやるのが、江戸(えど)ッ子(こ)の腹(はら)の見(み)せどこだ。よし、ひとつ駕籠(かご)をはずんで、谷中(やなか)まで突(つ)ッ走(ぱし)ってやろう」
 大(おお)きく頷(うなず)いた伝吉(でんきち)は、折(おり)から通(とお)り合(あわ)せた辻駕籠(つじかご)を呼(よ)び止(と)めて、笠森稲荷(かさもりいなり)の境内(けいだい)までだと、酒手(さかて)をはずんで乗(の)り込(こ)んだ。
「急(いそ)いでくんねえよ」
「ようがす」
「急病人(きゅうびょうにん)の知(し)らせに行(ゆ)くんだからの」
「合点(がってん)だ」
 返事(へんじ)は如何(いか)にも調子(ちょうし)がよかったが、肝腎(かんじん)の駕籠(かご)は、一向(こう)突(つ)ッ走(ぱし)ってはくれなかった。
「ちぇッ。吉原(よしわら)だといやァ、豪勢(ごうせい)飛(と)びゃァがるくせに、谷中(やなか)の病人(びょうにん)の知(し)らせだと聞(き)いて、馬鹿(ばか)にしてやがるんだろう。伝吉(でんきち)ァただの床屋(とこや)じゃねえんだぜ。当時(とうじ)江戸(えど)で名高(なだけ)え笠森(かさもり)おせんの、襟(えり)を剃(あた)るなァおいらより外(ほか)にゃ、広(ひろ)い江戸中(えどじゅう)に二人(ふたり)たねえんだ」
 伝吉(でんきち)が駕籠(かご)の中(なか)で鼻(はな)の頭(あたま)を引(ひ)ッこすってのひとり啖呵(たんか)も、駕籠屋(かごや)には少(すこ)しの効(き)き目(め)もないらしく、駕籠(かご)の歩(あゆ)みは、依然(いぜん)として緩(ゆる)やかだった。

    三

 床屋(とこや)の伝吉(でんきち)が、笠森(かさもり)の境内(けいだい)へ着(つ)いたその時分(じぶん)、春信(はるのぶ)の住居(すまい)で、菊之丞(きくのじょう)の急病(きゅうびょう)を聞(き)いたおせんは無我夢中(むがむちゅう)でおのが家(いえ)の敷居(しきい)を跨(また)いでいた。
「お母(っか)さん」
「おやおまえ、どうしたというの、何(なに)かお見世(みせ)にあったのかい」
 今(いま)ごろ帰(かえ)って来(こ)ようとは、夢(ゆめ)にも考(かんが)えていなかったお岸(きし)は、慌(あわただ)しく駆(か)け込(こ)んで来(き)たおせんの姿(すがた)を見(み)ると、まず、怪我(けが)でもしたのではないかと、穴(あな)のあく程(ほど)じッと見詰(みつ)めながら、静(しず)かに肩(かた)へ手(て)をかけたが、いつもと様子(ようす)の違(ちが)ったおせんは、母(はは)の手(て)を振(ふ)り払(はら)うようにして、そのまま畳(たたみ)ざわりも荒(あら)く、おのが居間(いま)へ駆(か)け込(こ)んで行(い)った。
「どうおしだよ、おせん」
「お母(っか)さん、あたしゃ、どうしよう」
「まァおまえ。……」
「吉(きち)ちゃんが、――あの菊之丞(きくのじょう)さんが、急病(きゅうびょう)との事(こと)でござんす」
「なんとえ。太夫(たゆう)さんが急病(きゅうびょう)とえ。――」
「あい。――あたしゃもう、生(い)きてる空(そら)がござんせぬ」
「何(なに)をおいいだえ。そんな気(き)の弱(よわ)いことでどうするものか。人(ひと)の口(くち)は、どうにでもいえるもの。急病(きゅうびょう)といったところが、どこまで本当(ほんとう)のことかわかったものではあるまいし。……」
「いえいえ、嘘(うそ)でも夢(ゆめ)でもござんせぬ。あたしゃたしかに、この耳(みみ)で聞(き)いて来(き)ました。これから直(す)ぐに市村座(いちむらざ)の楽屋(がくや)へお見舞(みまい)に行(い)って来(き)とうござんす。お母(っか)さん、そのお七の衣装(いしょう)を脱(ぬ)がせておくんなさいまし」
「えッ、これをおまえ」
「吉(きち)ちゃんが、去年(きょねん)の芝居(しばい)が済(す)んだ時(とき)、黙(だま)って届(とど)けておくんなすったお七の衣装(いしょう)、あたしに着(き)ろとの謎(なぞ)でござんしょう」
「それでもこれは。――」
「お母(っか)さん」
 おせんは、部屋(へや)の隅(すみ)に立(た)てかけてある人形(にんぎょう)の傍(そば)へ、自分(じぶん)から歩(あゆ)み寄(よ)ると、いきなり帯(おび)に手(て)をかけて、まるで芝居(しばい)の衣装着(いしょうつ)けがするように、如何(いか)にも無造作(むぞうさ)に衣装(いしょう)を脱(ぬ)がせ始(はじ)めた。
「お止(よ)し」
「いいえ、もう何(な)んにもいわないでおくんなさい。あたしゃお七とおんなじ心(こころ)で、太夫(たゆう)に会(あ)いに行(ゆ)きとうござんす」
 ばらりと解(と)いたお七の帯(おび)には、夜毎(よごと)に焚(た)きこめた伽羅(きゃら)の香(かお)りが悲(かな)しく籠(こも)って、静(しず)かに部屋(へや)の中(なか)を流(なが)れそめた。
「ああ。――」
 おせんはその帯(おび)を、ずッと胸(むね)に抱(だ)きしめた。
「おせんや」
 お岸(きし)は優(やさ)し眼(め)をふせた。
「あい」
「おまえ、一人(ひとり)で行(い)く気(き)かえ」
「あい」
 衣装(いしょう)を脱(ぬ)がせて、襦袢(じゅばん)を脱(ぬ)がせて、屏風(びょうぶ)のかげへ這入(はい)ったおせんは、素速(すばや)くおのが着物(きもの)と着換(きか)えた。と、この時(とき)格子戸(こうしど)の外(そと)から降(ふ)って湧(わ)いたように、男(おとこ)の声(こえ)が大(おお)きく聞(きこ)えた。
「おせんさん、仮名床(かなどこ)の伝吉(でんきち)でござんす。浜村屋(はまむらや)の太夫(たゆう)さんが、急病(きゅうびょう)と聞(き)いて、何(なに)より先(さき)にお知(し)らせしてえと、駕籠(かご)を飛(と)ばしてやってめえりやした。笠森様(かさもりさま)においでがねえんでこっちへ廻(まわ)って来(き)やした始末(しまつ)。ちっとも速(はや)く、葺屋町(ふきやちょう)へ行(い)っとくンなせえやし」
「親方(おやかた)、その駕籠(かご)を、待(ま)たせといておくんなさい」
「合点(がってん)でげす」
 おせんの声(こえ)は、いつになく甲高(かんだか)かった。

    四

 人目(ひとめ)を避(さ)けるために、わざと蓙巻(ござまき)を深(ふか)く垂(た)れた医者駕籠(いしゃかご)に乗(の)せて、男衆(おとこしゅう)と弟子(でし)の二人(ふたり)だけが付添(つきそ)ったまま、菊之丞(きくのじょう)の不随(ふずい)の体(からだ)は、その日(ひ)の午近(ひるちか)くに、石町(こくちょう)の住居(すまい)に運(はこ)ばれて行(い)った。
 が、たださえ人気(にんき)の頂点(ちょうてん)にある菊之丞(きくのじょう)が、舞台(ぶたい)で倒(たお)れたとの噂(うわさ)は、忽(たちま)ち人(ひと)から人(ひと)へ伝(つた)えられて、今(いま)は江戸(えど)の隅々(すみずみ)まで、知(し)らぬはこけの骨頂(こっちょう)とさえいわれるまでになっていた。他目(はため)からは、どう見(み)ても医者(いしゃ)の見舞(みまい)としか想(おも)われなかった駕籠(かご)の周囲(まわり)は、いつの間(ま)にやら五人(にん)十人(にん)の男女(だんじょ)で、百万遍(まんべん)のように取囲(とりかこ)んで、追(お)えば追(お)う程(ほど)、その数(かず)は増(ま)して来(く)るばかりであった。
「ちょいとお前(まえ)さん、何(な)んだってあんなお医者(いしゃ)の駕籠(かご)に、くッついて歩(ある)いているのさ」
「なんだ神田(かんだ)の、明神様(みょうじんさま)の石(いし)の鳥居(とりい)じゃないが、お前(まえ)さんもきがなさ過(す)ぎるよ。ありゃァただのお医者様(おいしゃさま)の駕籠(かご)じゃないよ」
「だってお辰(たっ)つぁん、どう見(み)たって。……」
「叱(し)ッ、静(しず)かにおしなね。あン中(なか)にゃ、浜村屋(はまむらや)の太夫(たゆう)さんが乗(の)ってるんだよ」
「浜村屋(はまむらや)の太夫(たゆう)さん。――」
「そうさ。きのう舞台(ぶたい)で倒(たお)れたまま、今(いま)が今(いま)まで、楽屋(がくや)で寝(ね)てえたんじゃないか。それをお前(まえ)さん、どうでも家(うち)へ帰(かえ)りたいと駄々(だだ)をこねて、とうとうあんな塩梅式(あんばいしき)に、お医者(いしゃ)と見(み)せて帰(かえ)る途中(とちゅう)だッてことさ」
「おやまァ、そんならそこを退(ど)いとくれよ」
「なぜ」
「あたしゃ駕籠(かご)の傍(そば)へ行(い)って、せめて太夫(たゆう)さんに、一言(こと)でもお見舞(みまい)がいいたいンだから。……」
「何(なに)をいうのさ。太夫(たゆう)は大病人(だいびょうにん)なんだよ。ちっとだッて騒(さわ)いだりしちゃァ、体(からだ)に障(さわ)らァね。一緒(しょ)について行(ゆ)くなァいいが、こッから先(さき)へは出(で)ちゃならねえよ」
「いいから退(ど)いとくれッたら」
「おや痛(いた)い、抓(つね)らなくッてもいいじゃないか」
「退(ど)かないからさ」
「おや、また抓(つね)ったね」
 髪結(かみゆい)のお辰(たつ)と、豆腐屋(とうふや)の娘(むすめ)のお亀(かめ)とが、いいのいけないのと争(あらそ)っているうちに、駕籠(かご)は更(さら)に多(おお)くの人数(にんず)に取巻(とりま)かれながら、芳町通(よしちょうどお)りを左(ひだり)へ、おやじ橋(ばし)を渡(わた)って、牛(うし)の歩(あゆ)みよりもゆるやかに進(すす)んでいた。
 菊之丞(きくのじょう)の駕籠(かご)を一町(ちょう)ばかり隔(へだ)てて、あたかも葬式(そうしき)でも送(おく)るように悵然(ちょうぜん)と首(くび)を垂(た)れたまま、一足毎(あしごと)に重(おも)い歩(あゆ)みを続(つづ)けていたのは、市村座(いちむらざ)の座元(ざもと)羽左衛門(うざえもん)をはじめ、坂東(ばんどう)彦(ひこ)三郎(ろう)、尾上(おのえ)菊(きく)五郎(ろう)、嵐(あらし)三五郎(ろう)、それに元服(げんぷく)したばかりの尾上松助(おのえまつすけ)などの一行(こう)であった。
 いずれも編笠(あみがさ)で深(ふか)く顔(かお)を隠(かく)したまま、眼(め)をしばたたくのみで、互(たがい)に一言(ごん)も発(はっ)しなかったが、急(きゅう)に何(なに)か思(おも)いだしたのであろう。羽左衛門(うざえもん)は、寂(さび)しく眉(まゆ)をひそめた。
「松助(まつすけ)さん」
「はい」
「お前(まえ)さんは、折角(せっかく)だが、ここから帰(かえ)る方(ほう)がいいようだの」
「なぜでございます」
「不吉(ふきつ)なことをいうようだが、浜村屋(はまむらや)さんはひょっとすると、あのままいけなくなるかも知(し)れないからの」
「ええ滅相(めっそう)な。左様(さよう)なことがおますかいな」
 そういって眼(め)をみはったのは嵐(あらし)三五郎(ろう)であった。
「いや、わたしとて、太夫(たゆう)に元(もと)のようになってもらいたいのは山々(やまやま)だが、今(いま)までの太夫(たゆう)の様子(ようす)では、どうも難(むず)かしかろうと思(おも)われる。縁起(えんぎ)でもないことだが、ゆうべわたしは、上下(じょうげ)の歯(は)が一本(ぽん)残(のこ)らず、脱(ぬ)けてしまった夢(ゆめ)を見(み)ました。情(なさけ)ないが、所詮(しょせん)太夫(たゆう)は助(たす)かるまい」
 羽左衛門(うざえもん)はそういって、寂(さび)しそうに眉(まゆ)をひそめた。

    五

 夢(ゆめ)から夢(ゆめ)を辿(たど)りながら、更(さら)に夢(ゆめ)の世界(せかい)をさ迷(まよ)い続(つづ)けていた菊之丞(はまむらや)は、ふと、夏(なつ)の軒端(のきば)につり残(のこ)されていた風鈴(ふうりん)の音(おと)に、重(おも)い眼(め)を開(あ)けてあたりを見廻(みまわ)した。
 医者(いしゃ)の玄庵(げんあん)をはじめ、妻(つま)のおむら、座元(ざもと)の羽左衛門(うざえもん)、三五郎(ろう)、彦(ひこ)三郎(ろう)、その他(た)の人達(ひとたち)が、ぐるりと枕許(まくらもと)に車座(くるまざ)になって、何(なに)かひそひそと語(かた)り合(あ)っている声(こえ)が、遠(とお)い国(くに)の出来事(できごと)のように聞(きこ)えていた。
「おお、あなた。――」
 最初(さいしょ)におむらが、声(こえ)をかけた。が、菊之丞(きくのじょう)の心(こころ)には、声(こえ)の主(ぬし)が誰(だれ)であるのか、まだはっきり映(うつ)らなかったのであろう。きょろりと一度(ど)見廻(みまわ)したきり、再(ふたた)び眼(め)を閉(と)じてしまった。
 玄庵(げんあん)は徐(しず)かに手(て)を振(ふ)った。
「どなたもお静(しず)かに。――」
「はい」
 急(きゅう)に水(みず)を打(う)ったような静(しず)けさに還(かえ)った部屋(へや)の中(なか)には、ただ香(こう)のかおりが、低(ひく)く這(は)っているばかりであった。
 玄庵(げんあん)は、夜着(よぎ)の下(した)へ手(て)を入(い)れて、かるく菊之丞(きくのじょう)の手首(てくび)を掴(つか)んだまま首(くび)をひねった。
「先生(せんせい)、如何(いかが)でございます」
「脈(みゃく)に力(ちから)が出(で)たようじゃが。……」
「それはまァ、うれしゅうござんす」
「だが御安心(ごあんしん)は御無用(ごむよう)じゃ。いつ何時(なんどき)変化(へんか)があるか判(わか)らぬからのう」
「はい」
「お見舞(みまい)の方々(かたがた)も、次(つぎ)の間(ま)にお引取(ひきと)りなすってはどうじゃの、御病人(ごびょうにん)は、出来(でき)るだけ安静(あんせい)に、休(やす)ませてあげるとよいと思(おも)うでの」
「はいはい」と羽左衛門(うざえもん)が大(おお)きくうなずいた。「如何(いか)にも御(ご)もっともでございます。――では、ここはおかみさんにお願(ねが)い申(もう)して、次(つぎ)へ下(さが)っていることにいたしましょう」
「それがようござる。及(およ)ばずながら愚老(ぐろう)が看護(かんご)して居(い)る以上(いじょう)、手落(ておち)はいたさぬ考(かんが)えじゃ」
「何分共(なにぶんとも)にお願(ねが)い申上(もうしあ)げます」
 一同(どう)は足音(あしおと)を忍(しの)ばせて、襖(ふすま)の開(あ)けたてにも気(き)を配(くば)りながら、次(つぎ)の間(ま)へ出(で)て行(い)った。
 暫(しば)し、鉄瓶(てつびん)のたぎる音(おと)のみが、部屋(へや)のしじまに明(あか)るく残(のこ)された。
「御内儀(ごないぎ)」
 玄庵(げんあん)の声(こえ)は、低(ひく)く重(おも)かった。
「はい」
「お気(き)の毒(どく)でござるが、太夫(たゆう)はもはや、一時(とき)の命(いのち)じゃ」
「えッ」
「いや静(しず)かに。――ただ今(いま)、脈(みゃく)に力(ちから)が出(で)たようじゃと申上(もうしあ)げたが、実(じつ)は他(た)の方々(かたがた)の手前(てまえ)をかねたまでのこと。心臓(しんぞう)も、微(かす)かに温(ぬく)みを保(たも)っているだけのことじゃ」
「それではもはや」
 おむらの、今(いま)まで辛抱(しんぼう)に辛抱(しんぼう)を重(かさ)ねていた眼(め)からは、玉(たま)のような涙(なみだ)が、頬(ほほ)を伝(つたわ)って溢(あふ)れ落(お)ちた。
 やがて、香煙(こうえん)を揺(ゆる)がせて、恐(おそ)る恐(おそ)る襖(ふすま)の間(あいだ)から首(くび)を差出(さしだ)したのは、弟子(でし)の菊彌(きくや)だった。
「お客様(きゃくさま)でございます」
「どなたが」
「谷中(やなか)のおせん様(さま)」
「えッ、あの笠森(かさもり)の。……」
「はい」
「太夫(たゆう)は御病気(ごびょうき)ゆえ、お目(め)にかかれぬと、お断(ことわ)りしておくれ」
 するとその刹那(せつな)、ぱっと眼(め)を開(あ)いて菊之丞(きくのじょう)の、細(ほそ)い声(こえ)が鋭(するど)く聞(きこ)えた。
「いいよ。いいから、ここへお通(とお)し。――」

    六

 初霜(はつしも)を避(さ)けて、昨夜(さくや)縁(えん)に上(あ)げられた白菊(しらぎく)であろう、下葉(したは)から次第(しだい)に枯(か)れてゆく花(はな)の周囲(しゅうい)を、静(しず)かに舞(ま)っている一匹(ぴき)の虻(あぶ)を、猫(ねこ)が頻(しき)りに尾(お)を振(ふ)ってじゃれる影(かげ)が、障子(しょうじ)にくっきり映(うつ)っていた。
 その虻(あぶ)の羽音(はおと)を、聞(き)くともなしに聞(き)きながら、菊之丞(きくのじょう)の枕頭(ちんとう)に座(ざ)して、じっと寝顔(ねがお)に見入(みい)っていたのは、お七の着付(きつけ)もあでやかなおせんだった。
 紫(むらさき)の香煙(こうえん)が、ひともとすなおに立昇(たちのぼ)って、南向(みなみむ)きの座敷(ざしき)は、硝子張(ギヤマンばり)の中(なか)のように暖(あたた)かい。
 七年目(ねんめ)で会(あ)った、たった二人(ふたり)の世界(せかい)。殆(ほと)んど一夜(や)のうちに生気(せいき)を失(うしな)ってしまった菊之丞(きくのじょう)の、なかば開(ひら)かれた眼(め)からは、糸(いと)のような涙(なみだ)が一筋(すじ)頬(ほほ)を伝(つた)わって、枕(まくら)を濡(ぬ)らしていた。
「おせんちゃん」
 菊之丞(きくのじょう)の声(こえ)は、わずかに聞(き)かれるくらい低(ひく)かった。
「あい」
「よく来(き)てくれた」
「太夫(たゆう)さん」
「太夫(たゆう)さんなぞと呼(よ)ばずに、やっぱり昔(むかし)の通(とおり)り、吉(きち)ちゃんと呼(よ)んでおくれな」
「そんなら、吉(きち)ちゃん。――」
「はい」
「あたしゃ、会(あ)いとうござんした」
「あたしも会(あ)いたかった。――こういったら、お前(まえ)さんはさだめし、心(こころ)にもないことをいうと、お想(おも)いだろうが、決して嘘(うそ)でもなけりゃ、お世辞(せじ)でもない。――知(し)っての通(とお)り、あたしゃどうやら人気(にんき)も出(で)て、世間様(せけんさま)からなんのかのと、いわれているけれど、心(こころ)はやっぱり十年前(ねんまえ)もおなじこと。義理(ぎり)でもらった女房(にょうぼう)より、浮気(うわき)でかこった女(おんな)より、心(しん)から思(おも)うのはお前(まえ)の身(み)の上(うえ)。暑(あつ)いにつけ、寒(さむ)いにつけ、切(せつ)ない思(おも)いは、いつも谷中(やなか)の空(そら)に通(かよ)ってはいたが、今(いま)ではお前(まえ)も人気娘(にんきむすめ)、うっかりあたしが訪(たず)ねたら、あらぬ浮名(うきな)を立(た)てられて、さぞ迷惑(めいわく)でもあろうかと、きょうが日(ひ)まで、辛抱(しんぼう)して来(き)ましたのさ」
「勿体(もったい)ない、太夫(たゆう)さん。――」
「いいえ、勿体(もったい)ないより、済(す)まないのはあたしの心(こころ)。役者家業(やくしゃかぎょう)の憂(う)さ辛(つら)さは、どれ程(ほど)いやだとおもっても、御贔屓(ごひいき)からのお迎(むか)えよ。お座敷(ざしき)よといわれれば、三度(ど)に一度(ど)は出向(でむ)いて行(い)って、笑顔(えがお)のひとつも見(み)せねばならず、そのたび毎(ごと)に、ああいやだ、こんな家業(かぎょう)はきょうは止(よ)そうか、明日(あす)やめようかと思(おも)うものの、さて未練(みれん)は舞台(ぶたい)。このまま引(ひ)いてしまったら、折角(せっかく)鍛(きた)えたおのが芸(げい)を、根(ね)こそぎ棄(す)てなければならぬ悲(かな)しさ。それゆえ、秋(あき)の野(の)に鳴(な)く虫(むし)にも劣(おと)る、はかない月日(つきひ)を過(す)ごして来(き)たが、……おせんちゃん。それもこれも、今(いま)はもうきのうの夢(ゆめ)と消(き)えるばかり。所詮(しょせん)は会(あ)えないものと、あきらめていた矢先(やさき)、ほんとうによく来(き)てくれた。あたしゃこのまま死(し)んでも、思(おも)い残(のこ)すことはない。――」
「もし、吉(きち)ちゃん」
「おお」
「しっかりしておくんなさい。羞(はず)かしながら、お前(まえ)がなくてはこの世(よ)の中(なか)に、誰(だれ)を思(おも)って生(い)きようやら、おまえ一人(ひとり)を、胸(むね)にひそめて来(き)たあたし。あたしに死(し)ねというのなら、たった今(いま)でも、身代(みがわ)りにもなりましょう。――のう吉(きち)ちゃん。たとえ一夜(や)の枕(まくら)は交(かわ)さずとも、あたしゃおまえの女房(にょうぼう)だぞえ。これ、もうし吉(きち)ちゃん。返事(へんじ)のないのは、不承知(ふしょうち)かえ」
 一膝(ひざ)ずつ乗出(のりだ)したおせんは、頬(ほほ)がすれすれになるまでに、菊之丞(きくのじょう)の顔(かお)を覗(のぞ)き込(こ)んだが、やがてその眼(め)は、仏像(ぶつぞう)のようにすわって行(い)った。
「吉(きち)ちゃん。――太夫(たゆう)さん。――」
「お、せ、ん――」
「ああ、もし」
 おせんは、次第(しだい)に唇(くちびる)の褪(あ)せて行(ゆ)く菊之丞(きくのじょう)の顔(かお)の上(うえ)に、涙(なみだ)と共(とも)に打(う)ち伏(ふ)してしまった。
 隣座敷(となりざしき)から、俄(にわか)に人々(ひとびと)の立(た)つ気配(けはい)がした。

    七

 二代目(だいめ)瀬川菊之丞(せがわきくのじょう)の死(し)が報(ほう)ぜられたのは、その日(ひ)の暮(く)れ方(がた)近(ちか)くだった。江戸(えど)の民衆(みんしゅう)は、去年(きょねん)の吉原(よしわら)の大火(たいか)よりも、更(さら)に大(おお)きな失望(しつぼう)の淵(ふち)に沈(しず)んだが、中(なか)にも手中(しゅちゅう)の珠(たま)を奪(うば)われたような、悲(かな)しみのどん底(ぞこ)に落(お)ち込(こ)んだのは、菊之丞(きくのじょう)でなければ夜(よ)も日(ひ)もあけない各大名(かくだいみょう)や旗本屋敷(はたもとやしき)の女中達(じょちゅうたち)だった。
 殊(こと)に、この知(し)らせを受(う)けて、天地(てんち)が覆(くつが)えった程(ほど)の驚愕(きょうがく)を覚(おぼ)えたのは、南町奉行(みなみまちぶぎょう)本多信濃守(ほんだしなののかみ)の妹(いもうと)お蓮(れん)であろう。折(おり)から夕餉(ゆうげ)の膳(ぜん)に対(むか)おうとしていたお蓮(れん)は、突然(とつぜん)手(て)にした箸(はし)を取落(とりおと)すと、そのまま狂気(きょうき)したように、ふらふらッと立上(たちあが)って、跣足(はだし)のまま庭先(にわさき)へと駆(か)け降(お)りて行(い)った。
 二三人(にん)の侍女(じじょ)が、直(す)ぐさまその後(あと)を追(お)った。
「もし、お嬢様(じょうさま)。お危(あぶ)のうござります」
「何(なに)をするのじゃ。放(はな)しや」
「どちらへおいで遊(あそ)ばします」
「知(し)れたことじゃ。これから直(す)ぐに、浜村屋(はまむらや)の許(もと)へまいる」
「これはまあ、滅相(めっそう)なことを仰(おっ)しゃいます」
「何(なに)が滅相(めっそう)なことじゃ、わらわがまいって、浜村屋(はまむらや)の病気(びょうき)を癒(なお)して取(と)らせるのじゃ。――邪間(じゃま)だてせずと、そこ退(の)きゃ」
「なりませぬ」
「ええもう、退(の)きゃというに、退(の)かぬか」
 手荒(てあら)く突(つ)き退(の)けられた一人(ひとり)の侍女(じじょ)は、転(ころ)びながらも、お蓮(れん)の裾(すそ)を確(しか)と押(おさ)えた。
「お嬢様(じょうさま)。お気(き)をお静(しず)め遊(あそ)ばしまして。……」
「いらぬことじゃ。放(はな)せ」
「いいえお放(はな)しいたしませぬ。今頃(いまごろ)お出(で)まし遊(あそ)ばしましては、お身分(みぶん)に係(かか)わりまする。もしまた、たってお出(で)まし遊(あそ)ばしますなら、一応(おう)わたくし共(ども)から御家老(ごかろう)へ、その由(よし)お伝(つた)えいたしませねば。……」
「くどいわ。放(はな)せというに、放(はな)さぬか」
 夢中(むちゅう)で振(ふ)り払(はら)ったお蓮(れん)の片袖(かたそで)は、稲穂(いなほ)のように侍女(じじょ)の手(て)に残(のこ)って、惜(お)し気(げ)もなく土(つち)を蹴(け)ってゆく白臘(はくろう)の足(あし)が、夕闇(ゆうやみ)の中(なか)にほのかに白(しろ)かった。
「もし、お嬢様(じょうさま)。――」
 池(いけ)を廻(まわ)って、築山(つきやま)の裾(すそ)を走(はし)るお蓮(れん)の姿(すがた)は、狐(きつね)のように速(はや)かった。
「それ、向(むこ)うから。――」
「あちらへお廻(まわ)り遊(あそ)ばしました」
 男気(おとこけ)のない奥庭(おくにわ)に、次第(しだい)に数(かず)を増(ま)した女中達(じょちゅうたち)は、お蓮(れん)の姿(すがた)を見失(みうしな)っては一大事(だいじ)と思(おも)ったのであろう。老(おい)も若(わか)きもおしなべて、庭(にわ)の木戸(きど)へと歩(ほ)を乱(みだ)した。
 が、必死(ひっし)に駆(か)け着(つ)けた庭(にわ)の木戸(きど)には、もはやお蓮(れん)の姿(すがた)は見(み)られなかった。
「お嬢様(じょうさま)。――」
「お待(ま)ち遊(あそ)ばせ」
 しかも、年(ねん)に一度(ど)も、駆(か)けたことなどのないお蓮(れん)は、庭木戸(にわきど)を出(で)は出(で)たものの、既(すで)に脚(あし)が釣(つ)るまでに疲(つか)れ果(は)てて、口(くち)の中(なか)で菊之丞(きくのじょう)の名(な)を呼(よ)びながら、今(いま)はもはや堪(た)えられない歩(あゆ)みを、いずくへとのあてもなしに、無理(むり)から先(さき)へ先(さき)へと運(はこ)んでいた。
「――浜村屋(はまむらや)、待(ま)ちや。わらわを置(お)いて、そなたばかりがどこへ行(ゆ)く。――そりゃ聞(き)こえぬぞ。わらわも一緒(しょ)じゃ。そなたの行(ゆ)きやるところなら、地獄(じごく)の極(はて)へなりと、いといはせぬ。連(つ)れて行(ゆ)きゃ。速(はよ)う連(つ)れて行(ゆ)きゃ」
 二十一で坂部壱岐守(さかべいきのかみ)へ嫁(とつ)いで八年目(ねんめ)に戻(もど)って来(き)た。既(すで)に三十の身(み)ではあったが、十四五の頃(ころ)から早(はや)くも本多小町(ほんだこまち)と謳(うた)われたお蓮(れん)は、まだ漸(ようやく)く二十四五にしか見(み)えず、いずれかといえば妖艶(ようえん)なかたちの、情熱(じょうねつ)に燃(も)えた眼(め)を据(す)えて、夕闇(ゆうやみ)の中(なか)を音(おと)もなく歩(ある)いてゆく様(さま)は、ぞッとする程(ほど)凄(すご)かった。

    八

 いずこの大名(だいみょう)旗本(はたもと)の屋敷(やしき)に、如何(いか)なる騒(さわ)ぎが持上(もちあが)っていようとも、それらのことは、まったく別(べつ)の世界(せかい)の出来事(できごと)のように、菊之丞(きくのじょう)の家(うち)は、静(しず)かにしめやかであった。
 座元(ざもと)をはじめ、あらゆる芝居道(しばいどう)の人達(ひとたち)はいうまでもなく、贔屓(ひいき)の人々(ひとびと)、出入(でいり)のたれかれと、百を越(こ)える人数(にんずう)は、仕切(しき)りなしに押(お)し寄(よ)せて、さしも豪奢(ごうしゃ)を誇(ほこ)る住居(すまい)も所(ところ)狭(せま)きまでの混雑(こんざつ)を見(み)ていたが、しかも菊之丞(きくのじょう)の冷たいむくろを安置(あんち)した八畳(じょう)の間(ま)には、妻女(さいじょ)のおむらさえ入(い)れないおせんがただ一人(ひとり)、首(くび)を垂(た)れたまま、黙然(もくねん)と膝(ひざ)の上(うえ)を見詰(みつ)めていた。
 ふと、おせんの固(かた)く結(むす)んだ唇(くちびる)から、低(ひく)い、微(かす)かな声(こえ)が漏(も)れた。
「吉(きち)ちゃん。おかみさんや、ほかの人達(ひとたち)にお願(ねが)いして、あたしがたった一人(ひとり)、お前(まえ)の枕許(まくらもと)へ残(のこ)してもらったのは、十年前(ねんまえ)の、飯事遊(ままごとあそ)びが、忘(わす)れられないからでござんす。――みんなして、近所(きんじょ)の飛鳥山(あすかやま)へ、お花見(はなみ)に出(で)かけたあの時(とき)、いつもの通(とお)り、あたしとお前(まえ)とは夫婦(ふうふ)でござんした。幔幕(まんまく)を張(は)りめぐらした、どこぞの御大家(ごたいけ)の中(なか)へ、迷(まよ)い込(こ)んだあたし達(たち)は、それお前(まえ)も覚(おぼ)えてであろ。絵(え)にあるような綺麗(きれい)な、お嬢様(じょうさま)に何(なに)やかやと御馳走(ごちそう)を頂戴(ちょうだい)した挙句(あげく)、お化粧直(けしょうなお)しの幕(まく)の隅(すみ)で、あたしはお前(まえ)に、お前(まえ)はあたしに、互(たがい)にお化粧(けしょう)をしあって、この子達(こたち)、もう小(こ)十年(ねん)も経(た)ったなら、きっと惚(ほ)れ惚(ぼ)れするように美(うつく)しくなるであろうと、お世辞(せじ)にほめて頂(いただ)いた、あの夢(ゆめ)のような日(ひ)のことが、いまだにはっきり眼(め)に残(のこ)って……吉(きち)ちゃん。あたしゃ今こそお前(まえ)に、精根(せいこん)をつくしたお化粧(けしょう)を、してあげとうござんす。――紅白粉(べにおしろい)は、家(いえ)を出(で)る時(とき)袱紗(ふくさ)に包(つつ)んで持(も)って来(き)ました。あたしの遣(つか)いふるしでござんすが、この紅筆(べにふで)は、お前(まえ)が王子(おうじ)を越(こ)す時(とき)に、あたしにおくんなすった。今では形見(かたみ)。役者衆(やくしゃしゅう)の、お前(まえ)のお気(き)に入(い)るように出来(でき)ますまいけれど、辛抱(しんぼう)しておくんなさい。せめてもの、あたしの心(こころ)づくしでござんす」
 北(きた)を枕(まくら)に、静(しず)かに眼(め)を閉(と)じている菊之丞(きくのじょう)の、女(おんな)にもみまほしいまでに美(うつく)しく澄(す)んだ顔(かお)は、磁器(じき)の肌(はだ)のように冷(つめ)たかった。
 白粉刷毛(おしろいばけ)を持(も)ったおせんの手(て)は、名匠(めいしょう)が毛描(けが)きでもするように、その上(うえ)を丹念(たんねん)になぞって行(い)った。
 眼(め)、口(くち)、耳(みみ)。――真白(まっしろ)に塗(ぬ)りつぶされたそれらのかたちが、間(ま)もなく濡手拭(ぬれてぬぐい)で、おもむろにふき清(きよ)められると、やがて唇(くちびる)には真紅(しんく)のべにがさされて、菊之丞(きくのじょう)の顔(かお)は今(いま)にも物(もの)をいうかと怪(あや)しまれるまでに、生々(いきいき)と蘇(よみがえ)った。
 おせんは、じッとその顔(かお)に見入(みい)った。
「吉(きち)ちゃん。――もし、吉(きち)ちゃん」
 次第(しだい)におせんの声(こえ)は、高(たか)かった。呼(よ)べば答(こた)えるかと思(おも)われる口許(くちもと)は、心(こころ)なしか、寂(さび)しくふるえて見(み)えた。
「――あたしゃ、これから先(さき)も、きっとおまえと一緒(しょ)に、生(い)きて行(ゆ)くでござんしょう。おまえもどうぞ、魂(たましい)だけはいつまでも、あたしの傍(そば)にいておくんなさい。あたしゃ千人(にん)万人(まんにん)の人(ひと)からいい寄(よ)られても、死(し)ぬまで動(うご)きはいたしませぬ。――もし、吉(きち)ちゃん。……」
 ぽたりと落(お)ちたおせんの涙(なみだ)は、菊之丞(きくのじょう)の頬(ほほ)をぬらした。
「これはまァ折角(せっかく)お化粧(けしょう)したお顔(かお)へ。……」
 おせんはもう一度(ど)、白粉刷毛(おしろいばけ)を手(て)に把(と)った。と、次(つぎ)の間(ま)から聞(きこ)えて来(き)たのは、妻女(さいじょ)のおむらの声(こえ)だった。
「おせんさん」
「は、はい。――」
「お焼香(しょうこう)のお客様(きゃくさま)がお見(み)えでござんす。よろしかったら、お通(とお)し申(もう)します」
「はい、どうぞ。――」
 あわてて枕許(まくらもと)から引(ひ)き下(さ)がったおせんの眼(め)に、夜叉(やしゃ)の如(ごと)くに映(うつ)ったのは、本多信濃守(ほんだしなののかみ)の妹(いもうと)お蓮(れん)の剥(は)げるばかりに厚化粧(あつげしょう)をした姿(すがた)だった。

 おせん (おわり)




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