太陽系統の滅亡
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著者名:木村小舟 

 受話器を耳にしたる一技師は、須臾(しゅゆ)にしてその顔色土のごとく、答うる口さえ慄いがちとなった、様子如何にと待ち構えたる聴衆は、非常信号の内容を聞くべく、再び喧擾し始めたが、突如として壇上に現れたる、老博士を見るや、期したるがごとく静まり返った。
 老博士は信号技師に依って報告せられたる、所謂(いわゆる)最後の通告を彼らに向って与えんとして、しかも幾度か躊躇したのである、けれどもこの場合となって、もはや一刻も猶予することは出来ぬ、彼は実に畢生(ひっせい)の勇気を鼓して、おもむろに宣告した。
「敬愛なる満場の諸君子、予はここに終に悲むべき結果を諸君に報告せざるを得ぬ、不運なる場合に立ち至った、只今大天文台よりの非常信号は、月の軌道が俄然地球に接近したという一事である、これ正しく地球の滅亡を意味すべきものだ、吾々はもはや最後の手段を採るの外、何らの策をも知らないのである、過日来の同盟会議が、殆ど無用に属し、一の得る所もなかったのは、予の衷心悲む所である、ああ敬愛なる諸君、諸君は各自自由の行動を採り給え、吾々はここに同盟会を解散すべき運命に陥ったのである」
 老博士は毅然として言い終った、失望落胆に沈んだ聴衆は号泣して屋外に走ったが、この時月の引力に依って起った大海嘯(かいしょう)は、たちまちにしてその半数以上の人命を奪い、次で宏大なる同盟会議所も、又激浪の呑む所となって仕舞ったのである。
 と見れば月は朦朧たる影を以て、宛然(さながら)魔神のごとき顔して、今にも地球に衝突を試むべく、刻々相近接して来る、その勢の猛烈なる、その表面の猛烈なる、とても再びとは見られぬ図だ。
 生き残りたる人民は、せめて最後までとの覚悟を以て、高山の頂きにと攀(よ)じ登った、海水は百丈千丈の大濤をたてて、万雷一時に落下するがごとく、叫喚の声は絶えず四方に起りつつあるが、波濤のひびき高ければにや、それすら聞えないのである。
 翻って太陽の有様は如何と見るに、これ又末期の近付いた故か、曩(さき)の煌々たる光はどこへやら、地球の人民のそれと等しく、僅かに大塊の一部分から、微弱なる光熱を放射するに過ぎぬ、ああ数千億年の昔しより、常に宇宙の一辺に覇(は)たりし太陽も、時勢の力に打ち勝つ能わず、見苦しき亡骸(なきがら)を残さんとするか。
 地球面の大洋は、たちまちにして波の音たえ、全く氷塊を以て閉されて仕舞った、陸上は次第に薄暗くなって、悲風頻りに吹き、樹木また凍結し、動物は食つきて、その残骸は、地の表面を被わんばかり。
 最後まで残りたる一人の天文学者は、少数の人民に向って、せめてもの思い出にと、自己の専攻せる太陽系の滅亡に就いて物語った。
「諸君はもはや悲みを忘れたであろう、吾々の同胞は、いずれも安き眠に就いた、吾々もまた相次いで亡ぶであろう、かくいわば諸君は、いうべからざる淋しみを感ずるかも知れぬが、しかし決して憂うることはない」
 と、これを聞いた二、三人の者は、淋しい笑いを浮べて、
「先生よ、吾々は最後まで生き残ったものの、もはや生命を全うしようなどという、希望は、毫(ごう)も有りません、淋しい苦しい世界を脱して、一時も早く他の楽しい所へ行きたいと思うのです」
「よく言われた、君らは充分に安心してよいのだ、学問上宇宙のすべての物は、如何なる微塵子といえども、一秒も進化という目的を忘却せぬ、つまり吾々の世界が、今滅亡しようとするのも、その実滅亡ではなくて、進化の一現象に過ぎぬのだ、しかし物体の不滅則は、何人も否定し得ない以上は、吾々の肉体は決して滅亡すべきものではない、またエネルギーが不滅なものであるからには、吾々の活動的精神も滅びない事は解っているだろう」
「して見れば先生よ、吾々は一時地球とともにその形態を変化する迄で、決してこれきり亡びるのではない事を知りました、この上は吾々は大なる慰安の下に、彼ら同胞の跡を追うことが出来るのです、ああ先生の教訓は、吾々をして、大善智識の化導と同様なる、愉快を与えられた事を謝します」
 彼ら二、三の同志は、心からなる感謝を学者に捧げたが、学者はすでに慰安を以て瞑目し、その体は氷よりもさらに冷たくなっている、されど彼の顔は、愉快なる微笑さえ浮んだのが見らるる。
 残れる者どもは、これを見て敢て驚きもせず、また悲しとも思わなかった、蓋(けだ)し死は分秒を争うに過ぎぬからである。
 かかる悲惨極まる有様の下に、地球の生物は刻々に亡び、太陽は一分毎に光りを失い、月はますます地球に接近する、そしてその月が、恐ろしい音響を以て地球と衝突し、遂に二体合一せる刹那(せつな)の物凄い有様は、何人も見たものがなかった、故にそれは未来数億万年後に、新しき世界に人として生れ来る者も、想像に描く能わざるべく、地球の末期(まつご)は、かくて永久に神秘の内に閉さるるであろう。
(「冒険世界」明治四〇年五月号)



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