詩集夏花
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著者名:伊東静雄 

トその愛撫を裏切られて
小鳥を力まかせに投げつけた。
小鳥は奇妙につよく空(くう)を蹴り
翻り 自然にかたへの枝をえらんだ。

自然に? 左様 充分自然に!
――やがて子供は見たのであつた、
礫(こいし)のやうにそれが地上に落ちるのを。
そこに小鳥はらく/\と仰けにね転んだ。
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 夜の葦


いちばん早い星が 空にかがやき出す刹那は どんなふうだらう
それを 誰れが どこで 見てゐたのだらう

とほい湿地のはうから 闇のなかをとほつて 葦の葉ずれの音がきこえてくる
そして いまわたしが仰見るのは揺れさだまつた星の宿りだ

最初の星がかがやき出す刹那を 見守つてゐたひとは
いつのまにか地を覆うた 六月の夜の闇の余りの深さに 驚いて
あたりを透かし 見まはしたことだらう

そして あの真暗な湿地の葦は その時 きつとその人の耳へと
とほく鳴りはじめたのだ
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 燈台の光を見つつ


くらい海の上に 燈台の緑のひかりの
何といふやさしさ
明滅しつつ 廻転しつつ
おれの夜を
ひと夜 彷徨(さまよ)ふ

さうしておまへは
おれの夜に
いろんな いろんな 意味をあたへる
嘆きや ねがひや の
いひ知れぬ――

あゝ 嘆きや ねがひや 何といふやさしさ
なにもないのに
おれの夜を
ひと夜
燈台の緑のひかりが 彷徨(さまよ)ふ
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 野分に寄す


野分(のわき)の夜半(よは)こそ愉(たの)しけれ。そは懐(なつか)しく寂(さび)しきゆふぐれの
つかれごころに早く寝入りしひとの眠(ねむり)を、
空(むな)しく明くるみづ色の朝(あした)につづかせぬため
木々の歓声(くわんせい)とすべての窓の性急なる叩(のつく)もてよび覚ます。

真(しん)に独りなるひとは自然の大いなる聯関(れんくわん)のうちに
恒(つね)に覚めゐむ事を希(ねが)ふ。窓を透(すか)し眸(ひとみ)は大海(おほうみ)の彼方(かなた)を待望まねど、
わが屋(や)を揺するこの疾風(はやて)ぞ雲ふき散りし星空の下(もと)、
まつ暗き海の面(おもて)に怒れる浪を上げて来し。

柳は狂ひし女(をんな)のごとく逆(さかし)まにわが毛髪(まうはつ)を振りみだし、
摘まざるままに腐りたる葡萄の実はわが眠(ねむり)目覚むるまへに
ことごとく地に叩きつけられけむ。
篠懸(すゞかけ)の葉は翼(つばさ)撃(う)たれし鳥に似て次々に黒く縺れて浚はれゆく。

いま如何(いか)ならんかの暗き庭隅(にはすみ)の菊や薔薇(さうび)や。されどわれ
汝(なんぢ)らを憐まんとはせじ。
物(もの)皆(みな)の凋落の季節(とき)をえらびて咲き出でし
あはれ汝(なんぢ)らが矜(ほこり)高かる心には暴風(あらし)もなどか今さらに悲しからむ。

こころ賑はしきかな。ふとうち見たる室内(しつない)の
燈(ともしび)にひかる鏡の面(おもて)にいきいきとわが双(さう)の眼(まなこ)燃ゆ。
野分(のわき)よさらば駆けゆけ。目とむれば草(くさ)紅葉(もみぢ)すとひとは言へど、
野はいま一色(ひといろ)に物悲しくも蒼褪(あをざ)めし彼方(かなた)ぞ。
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 若死 N君に


大川(おほかは)の面(おもて)にするどい皺がよつてゐる。
昨夜(さくや)の氷は解けはじめた。
アロイヂオといふ名と終油(しゆうゆ)とを授かつて、
かれは天国へ行つたのださうだ。

大川(おほかは)は張つてゐた氷が解けはじめた。
鉄橋のうへを汽車が通る。
さつきの郵便でかれの形見がとゞいた、
寝転(ねころ)んでおれは舞踏(ぶたふ)といふことを考へてゐた時。

しん底(そこ)冷え切つた朱色(しゆいろ)の小匣(こばこ)の、
真珠の花の螺鈿(らでん)。
若死をするほどの者は、
自分のことだけしか考へないのだ。

おれはこの小匣(こばこ)を何処(どこ)に蔵(しま)つたものか。
気疎(けうと)いアロイヂオになつてしまつて……。
鉄橋の方を見てゐると、
のろのろとまた汽車がやつて来た。
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 沫雪 立原道造氏に


冬は過ぎぬ 冬は過ぎぬ。匂ひやかなる沫雪(あわゆき)の
今朝(けさ)わが庭にふりつみぬ。籬枯生(まがきかれふ)はた菜園(さいゑん)のうへに
そは早き春(はる)の花(はな)よりもあたたかし。

さなり やがてまた野いばらは野に咲き満(み)たむ。
さまざまなる木草(きぐさ)の花は咲きつがむ ああ その
まつたきひかりの日にわが往(ゆ)きてうたはむは何処(いづこ)の野べ。

…… いな いな …… 耳傾けよ。
はや庭をめぐりて競(きそ)ひおつる樹々のしづくの
雪解(ゆきど)けのせはしき歌はいま汝(なれ)をぞうたふ。
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 笑む稚児よ……


笑(ゑ)む稚児(ちご)よわが膝に縋(すが)れ
水脈(みを)をつたつて潮(うしほ)は奔(はし)り去れ
わたしがねがふのは日の出ではない
自若(じじやく)として鶏鳴をきく心だ
わたしは岩の間を逍遙(さまよ)ひ
彼らが千の日(ひ)の白昼を招くのを見た
また夕べ獣(けもの)は水の畔(ほとり)に忍ぶだらう
道は遙に村から村へ通じ
平然とわたしはその上を往(ゆ)く
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 早春


野は褐色と淡(あは)い紫、
田圃(たんぼ)の上の空気はかすかに微温(ぬる)い。
何処(どこ)から春の鳥は戻る?
つよい目と
単純な魂と いつわたしに来(く)る?

未(ま)だ小川は唄ひ出さぬ、
が 流れはときどきチカチカ光る。
それは魚鱗(ぎよりん)?
なんだかわたしは浮ぶ気がする、
けれど、さて何を享(う)ける?
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 孔雀の悲しみ 動物園にて


蝶はわが睡眠の周囲を舞ふ
くるはしく旋回の輪はちぢまり音もなく
はや清涼剤をわれはねがはず
深く約せしこと有れば
かくて衣光りわれは睡りつつ歩む
散らばれる反射をくぐり……
玻璃なる空はみづから堪へずして
聴け! われを呼ぶ
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 夏の嘆き


われは叢(くさむら)に投げぬ、熱(あつ)き身とたゆき手足(てあし)を。
されど草いきれは
わが体温よりも自足(じそく)し、
わが脈搏(みやくうち)は小川の歌を乱しぬ。

夕暮よさあれ中(なか)つ空(そら)に
はや風のすずしき流れをなしてありしかば、
鵲(かさゝぎ)の飛翔の道は
ゆるやかにその方角をさだめられたり。

あゝ今朝(けさ)わが師は
かの山上に葡萄を食(しよく)しつつのたまひしか、
われ縦令(たとひ)王者にえらばるるとも
格別不思議に思はざるべし、と。
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 疾駆

われ見てありぬ
四月の晨(あした)
とある農家の
厩口(うまやぐち)より
曳出さるる
三歳駒を

馬のにほひは
咽喉(のど)をくすぐり
愛撫求むる
繁き足蹈(あしぶみ)
くうを打つ尾の
みだれ美し

若者は早
鞍置かぬ背に
それよ玉揺(たまゆら)
わが目の前を
脾腹光りて
つと駆去りぬ

遠嘶(とほいなゝき)の
ふた声みこゑ
まだ伸びきらぬ
穂麦の末に
われ見送りぬ
四月の晨




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