愚助大和尚
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著者名:沖野岩三郎 

「今日はね、お釈迦様の隣りに、イエス・キリスト様を描(か)くんです。此の人もお釈迦様と同じやうに、ダビデ大王といふ偉い王様の子孫でしたが、ユダヤ国の王様にならないで、貧乏人や病人のお友達になつて、親切を尽したので、何にも悪い事をしないのに、悪い人に嫉(そね)まれて殺されたのです。其のイエス・キリスト様が右の手を高くあげて、壺の中を覗(のぞ)いてゐる絵をお描きなさい。終り。」
 画家はびつくりしました。
「それで終りですか。」
「さうです。それで此の掛軸は元の通りに出来るのです。」
 画家は、これでおしまひだといふので、一所懸命にキリスト様の絵を描きました。
 五日間で、立派な絵が出来上りました。そこで村の人達は町から表具屋を傭つてきて、それを掛物にしました。
 二十日目に出来上つた、掛軸は、高さ三メエトル、幅二メエトルでした。書院の床の間に掛けますと、実に立派なものでした。
 村の人達は、此の掛軸の説明を愚助に願ひますと、愚助は、
「宜しい、明日の朝までに見て置くから、明日の朝、お寺の鐘が鳴つたら、村の人達は、男も女も子供も、一人残らず集つていらつしやい。」と、申しました。
 村の人達は、愚助が、此の掛軸の説明をした書物を見るのだと思ひました。しかし愚助は、蒲団の中で眼を閉ぢて、和尚に教へられた説明を考へて見たのでした。
 鐘が鳴りました。村中の人は、一人のこらず集つて来て、本堂の縁側まで、ぎつしり一杯に坐りました。
 愚助は石油箱を持つて来て、其の上に登りました。そして先(ま)づ孔子と老子と釈迦とキリストの履歴を詳しく話しました。
 それは和尚に教はつた通り、一言も間違はないで話したのです。
 村の人達はみんな驚きました。
 それから愚助は、一段と声を張り上げて、
「皆さん、この絵は、四聖吸醋之図(せいきふさくのづ)と申しまして、四人の聖人が、お醋(す)を嘗(な)めてゐるのです。」と、言つた時、多勢は一度にどつと笑ひました。
「お待ちなさい。笑ひ話ではありません。右の端の孔子様は、此の壺の中のお醋を嘗めてみて、これは酸つぱいと申しました。すると其の隣りの老子様は、酸つぱいものを酸つぱいといふのは夫れは常識である。しかし能(よ)く味(あぢは)つて見ると、此のお醋は少しく淡(あは)い。水つぽい味がすると申しました。それを聞いたお釈迦様は、醋を酸つぱいといふのは道理だ。酸つぱいが少し淡いと云ふのも最もだ。しかし、よくよく味つてごらん、此のお醋には甘い所があると申しました。そこで最後にキリスト様は、醋は酸つぱいものだ。それに此の醋は淡い。水つぽい。のみならず少し甘い。これは腐敗しかけてゐるのだ。これは打(ぶ)ちまけて、新しく醸(つく)り直すがよい。と、申しました。諸君、抑(そもそ)も此の四聖の言葉は……」
 愚助は二時間あまり詳しく説明しました。さあ、それを聴いた村の人達は、大変感心しまして、俄(には)かに愚助を「愚助大和尚」と崇(あが)め奉つて、こんな大和尚様を、こんな古寺に置くのは恐れ多いと云つて、早速お寺の改築に取かかりました。
 三年経(た)つて、お寺が立派に改築出来ました時、和尚様は、ひよつこり帰つて来ました。
 和尚様は持つて出た大きな掛物を、やつぱり肩げてゐました。
 それは何処へ持つて行つても、大き過ぎると言つて買つてくれる人がなかつたからです。
 和尚様は、お寺が立派になつたわけと、愚助が大和尚様と崇(あが)められてゐるわけとを聞いて、腹を抱へて笑ひました。
 愚助は和尚様が帰つて来たので、又た元の小僧さんになつて、小学校へ通ひました。そして毎日忘れて、毎晩思ひ出して、はつきり覚えるのでした。
 村の人達は、また愚助が、馬鹿だか賢いのだか、解らなくなりました。




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