農民自治の理論と実際
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著者名:石川三四郎 

         一

 私の今から申し上げやうとすることは政談演説や労働運動の講演会といふ様なものではなくて、ごくじみな話であります。初に農民自治の理論を話して、次にその実際を話したいと思ひます。
 理論としては第一に自治といふことの意義、第二に支配制度、政治制度の不条理なこと、第三に土地と人類との関係、即ち自治は結局は土着生活であること、土着のない自治制度はないこと、土民生活こそ農民自治の生活であることを述べたいと思つてをります。実際としてはこの理論の実行方法とそれへの歩みを述べるために、第一社会的方法、第二個人的方法に分けてお話いたします。

         二

 地上の全生物は自治してをります。単に動物だけではなく植物もみな自治生活を営んで居ります。
 蟻は何万、何十万といふ程多数のものが自治協同の生活をしてをります。蟻の中には諸君も御存知のやうに戦争をするのもありますが、それでも自分たちの仲間の間では相互扶助的な美くしい生活をしてをります。春から夏へかけて一生懸命に働いて沢山の食糧を集め、冬越の用意をいたします。土の下に倉庫を造り、科学的方法で貯へて、必要に応じてそれを使ひます。お互の間には礼儀もあり規律もあり、その社会制度は立派なものであります。しかし他部落の者が襲撃して来た時などには勇敢に戦争をいたします。私はその戦争をみたことがあります。
 丁度フランスにゐた時のことであります。
 フランスの家はみな壁が厚くて二尺五寸位もあります。あの千尺も高い絶壁の様な上に私どもの村がありました。そこのある一軒の家に住つて百姓をしてをりました。その頃は忙しい時には朝から夜の十二時頃までも働いて居りました。ある夜、遅く室に帰つて来て床につきましたが、何だか気持がわるいので起きてランプをつけてみると大へん。十畳ばかりの室の半分は真黒になつて蟻が戦争をして居ります。盛んに噛み合つてゐる有様は身の毛がよだつばかりでした。蟻を追ひ出さうと思つてにんにくを刻んで撒いたがなか/\逃げない。翌日も戦ひ通してゐましたが、その噛み着いてゐる蟻の腹をつぶしてみても、決して離さないで、噛みつかれた方は其敵に噛みつかれた儘かけ廻つてゐた位であります。然しその翌朝になると戦がすんだと見えて、一匹残らず退いてしまひ、死骸もみんな奇麗に片づけてしまひました。蟻は支配のない社会生活を営み乍ら、協同一致して各自の社会の幸福と安寧をはかり、その危険に際しては実に勇敢に戦ひます。
 蜂の社会に支配者はありません。暖い日には一里も二里も遠く飛び廻り、足の毛に花粉をつけては持つてかへつて冬越の為に貯へます。かうして皆がよく働いて遊人といふものがありません。但し生殖蜂といふものがありますが、これは目的を達した後には死んでしまつて、後には労働蜂と雌蜂とだけが残ります。「働かざる者食ふべからず」といふことは人間社会では新しい言葉のやうに言つてゐますが、動物社会には昔からあつたことであります。
 進化論者は人間は最も進歩したものだといふが、蟻や蜂の方が遙に道徳的であつて、人間は悪い方へ進歩して居ります。殊に此頃では資本家だとか役人だとかいふ者が出来て、この人間社会を益々悪い方へ進歩させて居ります。蜂は巣の中においしい蜜を貯へて居りますが、他の群から襲はれる時には実に猛烈に戦つて、討死するも省みないのであります。マーテルリンクは『蜂の生活』といふ本を書きましたが、その中には蜂の愛国心、或は愛巣心といふべきものが如何に強いものであるかを詳に説いて居ります。これは我々にしてみれば愛郷心、愛村心ともいふべきものであります。然るにそれ程までに死力をつくして守つた巣も、自分たちの若い子孫にゆずる時には、蜜を満してをいて自分たちの雌蜂を擁護して、そつと他の新しい場所へ出ていきます。人間社会によくある様に「俺の目玉の黒い中は……」なんて親が子に相続させないで喧嘩する様なことはありません。
 此外、鳥にしても他の動物にしてもみな同じことで、美くしい社会組織をもつて自治生活をつゞけてをります。
 単に自分たちの種類の中だけではなく、他のいろ/\な種類とも共同生活をして居るのもあります。中央アメリカ旅行者の記録によると、人間に家の周囲は恰も動物園の如き有様ださうであります。主人と客とを見分け、自分の家と家族の人たちをよく覚えてをります。他人が来ると警戒して喧しく鳴き立てます。又、狼、豹等も住民に馴れてゐるし、小鳥は樹上で囀つてゐる、殊に若い娘はよく猛獣と親しみ、その耳や頭の動かし方、声の出し方などでその心理を理解するし、動物もよく娘の心理を理解します。かうして野蛮人の家が丁度動物園の如き奇観を呈し、動物と人との共同の村落生活を実現してゐるさうであります。
 植物の自治生活については私の申し上げるまでもありません。春は花が咲き、秋には実り、自らの力で美くしい果実を実らせます。そしてだん/″\自分の種族を繁殖させます。
 七八十年来、進化論が唱へられ、生存競争が進化の道であると言はれて居ります。この進化論はワレスやダーウヰンが唱え出したものでありますが、之に対してクロポトキンは相互扶助こそ文明進歩の道であるといふことを唱へて居ります。生存競争論では強い者が勝つて、他を支配するといふのであります。しかし支配といふことは動物社会には事実存在しないことであります。他の団体に餌を求めていくことはあつても、その団体を支配することなどは事実としてはないことであります。
 今、植物の例にうつります。桃の木を自然の生育に委せてをくと多くの花が咲きますが、その三分の一ばかりが小さな実を結びます。それから成熟して立派な実となるのは、又その三分の一ばかりであります。進化論者はこれも生存競争の為だといふかもしれませんが、それは一の既定概念による判断に過ぎないのであります。見方によつては生存競争といふよりも、むしろ相互扶助の精神の現はれと考へることも出来ます。林檎や梨の木も同様であります。
 皆さんも御存知の通り木の皮の下には白い汁が流れて居ります。あの液汁が余りに盛んに下から上へ上ると花は咲きません。たゞ木が大きくなり葉が茂るばかりであります。今その枝を少し曲げて水平にすると花が咲き、又多く実ります。これは光線と液汁との調和が取れるからであります。この時に落ちていく花は競争に負けたのではなくして、太陽の光線との調和の為めに多く咲き、後には他を実らす為に犠牲になつたと考へたいと思ひます。多く咲くのは調節のためであります。戦争に於て第一線に立つて金鵄勲章をもらふ者のみが国防の任に当るのではなく、後方の電信隊、運搬者、農夫等も必要な任務をつくしてゐると同様に、実つたもののみが使命をつくしてゐるのではなく、落ちた花にも使命があると考へたいのであります。戦争の時に第一線の者だけが勇者で、人知れぬ所で弾丸に当つて斃れた者が勇者でないとするやうな考へ方には共鳴出来ません。しかるに今の社会組織が生存競争主義になつてゐるから、殊に其様に間違つた考へ方、間違つた事実が生ずるのであります。
 日露戦争当時、私はある事件で入獄してをりましたが、その時にある看守はこんな事をいひました。「お前たちは幸福なものである。我々は毎日十六時間づゝ働いてゐる。而も二時間毎に二十分づゝ腰掛けることが出来るだけで、一寸でも居眠でもすると三日分の俸給を引かれる。然るにお前たちは毎日さうして読書してゐることが出来る。実に幸福なものである」といつて我々を羨むのでありました。そういひ乍ら我々を大切に世話してくれます。彼等からいふと我々は商品の様なものであります。司法大臣でも廻つてくる時に少しでも取扱方に落度があればすぐに罰俸を喰ふのであります。
 さて或る時お上からお達しが監獄へ来て、「戦争の折であるから倹約をせよ」といつて来ました。そこで監獄の役人たちはいろ/\と相談を致しましたが、囚人の食物を減ずることも出来ないので、看守の人員を減ずるより仕方ないといふことになり、百五十人を百人に減じました。看守さんたちは眠いのを辛抱して以前にも増して働きましたが、その結果として典獄さん一人が表彰されたのみで他の看守さんたちは何一つも賞められなかつたのであります。その典獄さんは実際よい人でありました。私やその当時隣の室にゐた大杉などを側へ呼びよせて「お前たちは立派な者だ、社会のために先覚者として働いて貴い犠牲となつたのだ」とて、大そう親切にしてくれました。この典獄さんが表彰されたことはお目出たいことでしたが、「俺たちは太陽の光で新聞を読んだことがない」といつてゐる看守たちが少しの恩典にも浴することが出来なかつたのは何としたことでせうか。賞与をもらはなかつた看守も国家のためになつてゐることは明かですが、生存競争主義で組織された世の中であるから上の者だけが賞与にあづかるのも己むをえないのであります。こゝに来てゐらつしやる巡査さんもこのことはよく御承知の筈だと思ひます。
 このごろ東京では泥棒がつかまらないので巡査を何千人か増員するといつてをりますが、下の巡査が能率をあげれば上の人が褒美をもらふまでゞあります。これは単に警察や監獄の中だけではなく、会社でも、学校でも、銀行でも、又農村でも到る所同様であります。だから皆が何でも偉い者にならうとしてあせつて、一つづつ上へ/\と出世をしたがります。平教員よりも校長に、巡査よりも部長にといふのが今の世の中の総ての人々の心理であります。
 然し上の位の人だけが手柄があるのかといふとさうではありません。どんなに下の位の者でもみなそれ/″\の働きをしなければ、いくら上の人が命令をしても何一つまとまつた仕事は出来ないのであります。然るに今日の生存競争の考へからすれば馬鹿と悧※[#「りっしんべん+巧」、429-3]とが出来るのであるが、人といふ見地からすれば一人で総てを兼ねることは出来ません。どんなに馬鹿と見えても必ず誰にも代表されない特長を持つてゐるものであります。特別の体質と性質とを持つてゐて、そこに個人としての特別の価値を持つてをります。悧※[#「りっしんべん+巧」、429-6]とか馬鹿とかいふが甲の国で悧※[#「りっしんべん+巧」、429-6]な人、必ずしも乙の国で悧※[#「りっしんべん+巧」、429-6]とは限らず、乙の時代に悧※[#「りっしんべん+巧」、429-7]な人、必ずしも丙の時代に適するとは限らないものであります。この通り、総ての動物総ての植物に至るまで、みなそれ/″\の使命を持つてゐることは人間におけると同様であります。

 こゝで人間社会のことを考へてみませう。だが近代社会のことは言はぬことにいたします。それはあまり悪現象に充ち満ちてゐるからであります。太古、ヨーロツパ文明にふれない野蛮人の生活についてゞあります。
 モルガンといふ社会学者はアメリカに渡り、土着人の社会生活を研究して『古代社会』といふ本を書いてをります。彼の研究によると、米国の一地方に住居したエロキユアス人種といふのは支配なく統治なく、四民平等の自治協同の生活をしてをつたといふことであります。この人たちはある事柄を決するのに皆が決議参与権を持つて居ります。日本では今頃になつて普通選挙などゝ騒いでゐるが、この人種は既に全部の人が参与権を持つて居りました。そして村は村として一つの独立の団体であつて、決して大きな全体の一機構ではなかつたのであります。
 フランス革命の時には自由、平等、博愛を標語として叫びましたが、この土人たちはとつくの昔から其を実行してゐたのであります。人間が誤つた思想や学問に支配されない前には、みんな自由、自治の生活をしてをつたのであります。これはアメリカだけではなくしてヨーロツパでも、アジアでも太古の社会はみなさうでありました。支那の昔、唐の時代の詩人に白楽天といふ人がありました。彼の詩にはよくこれが現はれてゐます。「朱陳村」といふ詩などには軍隊も警察もなく、而もよく自治して生を楽しんでゐる村の有様が現はれてをります。フイリツピンのルソン島も今のように征服されない以前には自由、平等、博愛の社会を造つてをりました。巡査なども不必要であつたことは勿論であります。尊ばれるものは武器を携へてゐる人ではなくて長老であります。長老は知識があり経験があつて、村落生活を助け導いてくれることが多いからであります。しかし長老たちは権威をもつて支配するやうなことはありません。文明社会には元老院、枢密院などいつて老人が権威を振ふ場所がありますが、其昔にはありませんでした。然るに此社会はアメリカ人の為に滅されて了ひました。
 次に日本自身について考へてみます。天照大神に関する神話の中、素盞嗚尊(すさのをのみこと)の行為についてはいろいろの解釈があり、社会学上でいへば一の社会革命であるが、神話のまゝで見れば暴行であります。兎に角その暴行のために天照大神が天の岩戸の中に隠れてしまはれたので世間が暗闇となりました。そこで八百万(やほよろづ)の神々は一大会議を開いて、素盞嗚尊を流刑にすることゝ天照大神に出ていたゞいて世間を明るくすることゝを決議しました。その神々の間には位の上下等もなく、皆平等であつて、皆が決議権を持ち、階級的差別はありませんでした。その時に八罪といつて八つの重な罪を決めましたが、不思議なことには盗みや詐欺等私有財産に関する罪といふものがありません。想ふにその頃は部落共産制であつて私有財産といふものが無かつた為に盗みなどといふこともなかつたのであらうと思ひます。日本の古典として最も貴重な『古事記』に現はれた日本の国体はこれであります。先刻述べましたエロキユアスと同様な社会生活であつて、統治なく支配なき社会でありました。八百万神とは今でいへば万民であります。万民が一所に集つて相談をしたのであります。人間本来の生活はみな之であります。総ての民族が太古にはこうした生活を続けて来たにも関はらず、何故に支配といふことが出来てきたか。これは重要な問題であります。
 故に私は茲に支配制度の発生について考へてみたいと思ひます。
 バビロンの歴史は今を去る四五千年前のものでありますが、その遺物に王様の像の彫刻があります。又、バビロン人の出る前にはアツカド人、スメリヤ人などといふ人種があつて、前者は高原に後者は平原に住んで居りましたが、彼等の遺物の中にも王様の像があります。但し王様の像といつても別に金の冠をいたゞいてゐるわけではなく、多くの人と共に土を運んでゐるのであります。たゞ他の人より大きな体に刻んであるのと、その側の文字によつてそれと想像出来るのであります。その頃の王様とは総代又は本家といふ様なものであつて、支配する人といふ意味はなかつたのであります。王様であると同時に労働者の頭であり、自らも労働する人であつたのであります。労働の中心人物が王様であつたのであります。その後二三百年乃至五六百年たつてからの王様の像をみますと、共に土を運ぶ様なことはなく、労働者の側にあつて測量器械の様なものを持つてをります。
〔以下五百二十字分原稿空白〕
 その間の変化を考へてみると極めて興味ある事実が潜んでゐます。最初は天文も分らなければ暦も無かつたことは言ふまでもありません。だん/″\日が短くなる、寒くなる、天気は毎日陰気になる。人々はどうなることかと心配してゐる。こんな時に経験に富んだ老人があつて「何も心配することはない。もう幾日位辛抱しろ。すると又暖い太陽がめぐつてくる」と教へて人々の不安を慰めたとする。又、作物の種子を播く時期や風の方向の変る時期、或は大風の吹く時期なども老人は知つたでせう。二百十日もかうして人々に知られるようになつたと思ひます。かゝる長老は村の生活になくてはならぬ人で村人に尊敬をされるのは自然であります。村人は或は彼を特別の才能ある者と思ひ、或は天と交通ある者と考へるかもしれません。そこで長老は喜んで自分の経験を多くの村人に伝へないで、自分の子孫、或は特別の関係ある者にのみ伝へて秘伝とするやうになります。村人はその秘伝の一族に贈物、或は捧物をして御利益を受けやうとする様になります。そこで彼等は労働しないでもその秘伝のお蔭によつて生活が出来る様になります。彼等は毎日遊んでゐて専ら自分の研究を続けることも出来れば、他のいろんな高等な学術の研究に没頭することも出来る様になります。徳川時代までは薬や剣術等にこの秘伝、或は一子相伝などが多かつたことは皆さんが御存知の通りであります。
 こんな現象が永続すると自然に特別の階級が出来て、特権を持つと同時に、閑もあるし資力もあるから知識が進歩して益々自分達の生活に都合のよいことを考へる様になるでありましやう。初めは民衆の為であつた知識が後には自分のためとなり、初めは民衆のためになるから尊敬されたものが、後には単に之を所有するが故に尊敬される様になり、遂には偉くない者でも其秘伝を受けついだものは搾取が出来るやうになり、全く無意義なことになりました。
 階級の確立、支配者の出現が社会生活に及ぼした影響をみるに、第一、経済や政治の組織の中に無益なことが生じて来ました。第二には道徳的には非常な不義が行はれる様になり、悪事が世を支配する様になりました。第三には人々が自然に対する美を感じなくなり、美的生活から離れて行きました。今その一つづゝについて詳しく話して見ましやう。
 第一、経済的無益について。
 あるものが他を支配する結果として、即ち生存競争の結果としてこんな事が生ずるのであります。国際的の例について考へてみるに、英国は紡績事業に於ては世界の産業を支配してをります。印度の綿をマンチエスターへ持つて帰つてそれを綿布に造ります。そして又これを印度へ持つていつて印度人に売りつけて搾取をしてをりますが、これは印度征服の結果であります。印度で産する綿は印度の土地で印度人の手によつて綿糸、綿布等として、印度人のために用ふればよいと思ひます。支那で出来る綿は支那人のために、日本で出来る綿は日本人のために用ひてこそ当然なのであります。然るに日本も支那で出来る綿花を内地へ持つて来て日本の女工を虐待し、多くの石炭や人間や機械力を費して更に之を輸出してをります。これは資本家の搾取、支配慾の発揮であります。然しこれが永続きをするとは思はれません。此頃は印度人が自ら工場を建て、自らの機械、自らの技術を用ひて経営する様になりました。英国人も亦、印度に英国人の工場を建てる様になりました。支那に日本の工場が出来だしたのも同じ理由からであります。これはよい一つの例ですが、之に類似したことで幾多の経済的無用事が行はれてゐることは数へることも出来ない位であります。それに目ざめて来てか英国の各属領は殆んど独立自治国となつてしまひました。
 国内における小さな例をあげてみます。家を建てる為には、その土地に存在する材料を使つて、その土地の人が造れば経済でありますが、事実はさうではありません。東京の東の端に家を建てるのに西の端から大工さんが行き、南のはてから材料を運んで行きます。なぜそうなるか、其れはみな「俺が利益しやう」といふ野心があるからであります。この様な不経済は大したものであります。仮りに一人の大工さんが其為に一時間づゝ無駄に費すとすれば五十人では五十時間の無駄が出来るわけであります。もし人々が真に土着して自治するならば、こんな無駄も出来ない筈であります。

 第二に美くしさの失はれたことを申します。昔はどんな村にでも組合制度があつて、冠婚葬祭等を協同でやつたものであります。然し支配制度が徹底するにネ国粋ではなくして郷土精神に基づく国粋であつたならば、其郷土がどんなに住み心地よくなるか分らないのであります。
 以上は人間が地理的事情に支配されるといふことを説いたのでありますが、次には歴史的事情の方から考へてみたいと思ひます。
 我々は日本といふ地理的の土地に支配されてゐると共に、歴史的の諸事情にも支配されてゐます。
〔以下六十字分原稿空白〕
 歴史的にみるに土着精神が強烈であつた国家社会ほど健全でありました。すると土着精神の高揚を説く農民自治会が盛んになることは、とりも直さず日本の社会の健全な発達を促すわけになります。
 例へばギリシヤであります。高原から下りて来てスパルタやアデン((ママ))に移住して来た殖民の始めた文化が、ギリシヤ文明として華を開いたのであります。彼等は土地平分を行ひましたが、それが各人の所有となつて土地を愛する心が生じ、こゝに土着心が盛んになつたのであります。この土着心があつて初めてギリシヤ文化の華が開いたのであります。然るに後に到りギリシヤ人が土着を嫌ふやうになつて遂にローマに亡ぼされてしまひました。
 ギリシヤには貴族等の唱へた共産主義の思想もあつたが、あのさん然たる文化の華を開いたのはそれよりも土地平分が基礎となつてをります。
 モンテスキユといふフランスの学者は、三権分立を唱へた人で、其思想は日本の明治改革にも多大の影響を与へてゐます。そしてその著書に『ローマ盛衰記』といふのがあります。その中に「ローマ人は少数の人種であつた。それが広大な領土を支配したのは、その土着精神の旺盛によるものである」といつてをります。今日の学者の意見では、どんな国でもその人口の百分の一以上の軍隊を備へつけては国が立ちゆかないといふことを言つてをります。然るにローマでは人口の八分の一以上の軍隊を維持してをりました。それが出来たのはローマでは兵士に土地を平等に配分したからであります。所謂土着兵であるから、自分の土地を守るのに命がけで戦ふから強いのであります。然るにローマ文明の旺盛になるに従つて、土着精神が商工者に卑しめられ、貴族は都会に集つてデカダンの生活に陥入いる[#「陥入いる」はママ]様になつて来ました。この時、蛮人に攻められて遂に滅亡したのであるが、よく考へてみるとローマを滅ぼしたものは蛮人ではなくて、ローマ人自身であります。都会主義に陥入つた羅馬人自身であります。日本も今のまゝでいけば滅亡してしまひます。
〔以下原稿なし〕




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