智恵子抄
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著者名:高村光太郎 

  人に

いやなんです
あなたのいつてしまふのが――

花よりさきに実のなるやうな
種子(たね)よりさきに芽の出るやうな
夏から春のすぐ来るやうな
そんな理窟に合はない不自然を
どうかしないでゐて下さい
型のやうな旦那さまと
まるい字をかくそのあなたと
かう考へてさへなぜか私は泣かれます
小鳥のやうに臆病で
大風のやうにわがままな
あなたがお嫁にゆくなんて

いやなんです
あなたのいつてしまふのが――

なぜさうたやすく
さあ何といひませう――まあ言はば
その身を売る気になれるんでせう
あなたはその身を売るんです
一人の世界から
万人の世界へ
そして男に負けて
無意味に負けて
ああ何といふ醜悪事でせう
まるでさう
チシアンの画いた絵が
鶴巻町へ買物に出るのです
私は淋しい かなしい
何といふ気はないけれど
ちやうどあなたの下すつた
あのグロキシニヤの
大きな花の腐つてゆくのを見る様な
私を棄てて腐つてゆくのを見る様な
空を旅してゆく鳥の
ゆくへをぢつとみてゐる様な
浪の砕けるあの悲しい自棄のこころ
はかない 淋しい 焼けつく様な
――それでも恋とはちがひます
サンタマリア
ちがひます ちがひます
何がどうとはもとより知らねど
いやなんです
あなたのいつてしまふのが――
おまけにお嫁にゆくなんて
よその男のこころのままになるなんて

明治四五・七[#改ページ]

  或る夜のこころ

七月の夜の月は
見よ、ポプラアの林に熱を病めり
かすかに漂ふシクラメンの香りは
言葉なき君が唇にすすり泣けり
森も、道も、草も、遠き街(ちまた)も
いはれなきかなしみにもだえて
ほのかに白き溜息を吐けり
ならびゆくわかき二人は
手を取りて黒き土を踏めり
みえざる魔神はあまき酒を傾け
地にとどろく終列車のひびきは人の運命をあざわらふに似たり
魂はしのびやかに痙攣をおこし
印度更紗(サラサ)の帯はやや汗ばみて
拝火教徒の忍黙をつづけむとす
こころよ、こころよ
わがこころよ、めざめよ
君がこころよ、めざめよ
こはなに事を意味するならむ
断ちがたく、苦しく、のがれまほしく
又あまく、去りがたく、堪へがたく――
こころよ、こころよ
病の床を起き出でよ
そのアツシシユの仮睡をふりすてよ
されど眼に見ゆるもの今はみな狂ほしきなり
七月の夜の月も
見よ、ポプラアの林に熱を病めり
やみがたき病よ
わがこころは温室の草の上
うつくしき毒虫の為にさいなまる
こころよ、こころよ
――あはれ何を呼びたまふや
今は無言の領する夜半なるものを――

大正元・八[#改ページ]

  涙

世は今、いみじき事に悩み
人は日比谷に近く夜ごとに集ひ泣けり
われら心の底に涙を満たして
さりげなく笑みかはし
松本楼の庭前に氷菓を味へば
人はみな、いみじき事の噂に眉をひそめ
かすかに耳なれたる鈴の音す
われら僅かに語り
痛く、するどく、つよく、是非なき
夏の夜の氷菓のこころを嘆き
つめたき銀器をみつめて
君の小さき扇をわれ奪へり
君は暗き路傍に立ちてすすり泣き
われは物言はむとして物言はず
路ゆく人はわれらを見て
かのいみじき事に祈りするものとなせり
あはれ、あはれ
これもまた或るいみじき歎きの為めなれば
よしや姿は艶に過ぎたりとも
人よ、われらが涙をゆるしたまへ

大正元・八[#改ページ]

  おそれ

いけない、いけない
静かにしてゐる此の水に手を触れてはいけない
まして石を投げ込んではいけない
一滴の水の微顫も
無益な千万の波動をつひやすのだ
水の静けさを貴んで
静寂の価(あたひ)を量らなければいけない

あなたは其のさきを私に話してはいけない
あなたの今言はうとしてゐる事は世の中の最大危険の一つだ
口から外へ出さなければいい
出せば則(すなは)ち雷火である
あなたは女だ
男のやうだと言はれても矢張女だ
あの蒼黒い空に汗ばんでゐる円い月だ
世界を夢に導き、刹那を永遠に置きかへようとする月だ
それでいい、それでいい
その夢を現(うつつ)にかへし
永遠を刹那にふり戻してはいけない
その上
この澄みきつた水の中へ
そんなあぶないものを投げ込んではいけない

私の心の静寂は血で買つた宝である
あなたには解りやうのない血を犠牲にした宝である
この静寂は私の生命(いのち)であり
この静寂は私の神である
しかも気むつかしい神である
夏の夜の食慾にさへも
尚ほ烈しい擾乱(じようらん)を惹き起すのである
あなたはその一点に手を触れようとするのか

いけない、いけない
あなたは静寂の価を量らなければいけない
さもなければ
非常な覚悟をしてかからなければいけない
その一個の石の起す波動は
あなたを襲つてあなたをその渦中に捲き込むかもしれない
百千倍の打撃をあなたに与へるかも知れない
あなたは女だ
これに堪へられるだけの力を作らなければならない
それが出来ようか
あなたは其のさきを私に話してはいけない
いけない、いけない

御覧なさい
煤烟(ばいえん)と油じみの停車場も
今は此の月と少し暑くるしい靄(もや)との中に
何か偉大な美を包んでゐる宝蔵のやうに見えるではないか
あの青と赤とのシグナルの明りは
無言と送目との間に絶大な役目を果たし
はるかに月夜の情調に歌をあはせてゐる
私は今何かに囲まれてゐる
或る雰囲気に
或る不思議な調節を司(つかさど)る無形な力に
そして最も貴重な平衡を得てゐる
私の魂は永遠をおもひ
私の肉眼は万物に無限の価値を見る
しづかに、しづかに
私は今或る力に絶えず触れながら
言葉を忘れてゐる

いけない、いけない
静かにしてゐる此の水に手を触れてはいけない
まして石を投げ込んではいけない

大正元・八[#改ページ]

  からくりうた

(覗きからくりの絵の極めてをさなきをめづ)
国はみちのく、二本松のええ
赤の煉瓦の
酒倉越えて
酒の泡からひよつこり生れた
酒のやうなる
よいそれ、女が逃げたええ
逃げたそのさきや吉祥寺
どうせ火になる吉祥寺
阿武隈(あぶくま)川のええ
水も此の火は消せなんだとねえ
酒と水とは、つんつれ
ほんに敵(かたき)同志ぢやええ
酒とねえ、水とはねえ

大正元・八[#改ページ]

  或る宵

瓦斯(ガス)の暖炉に火が燃える
ウウロン茶、風、細い夕月

――それだ、それだ、それが世の中だ
彼等の欲する真面目とは礼服の事だ
人工を天然に加へる事だ
直立不動の姿勢の事だ
彼等は自分等のこころを世の中のどさくさまぎれになくしてしまつた
曾(かつ)て裸体のままでゐた冷暖自知の心を――
あなたは此(これ)を見て何も不思議がる事はない
それが世の中といふものだ
心に多くの俗念を抱いて
眼前咫尺(しせき)の間を見つめてゐる厭な冷酷な人間の集りだ
それ故、真実に生きようとする者は
――むかしから、今でも、このさきも――
却て真摯(しんし)でないとせられる
あなたの受けたやうな迫害をうける
卑怯(ひきよう)な彼等は
又誠意のない彼等は
初め驚異の声を発して我等を眺め
ありとある雑言を唄つて彼等の閑(ひま)な時間をつぶさうとする
誠意のない彼等は事件の人間をさし置いて唯(ただ)事件の当体をいぢくるばかりだ
いやしむべきは世の中だ
愧(は)づべきは其の渦中の矮人(わいじん)だ
我等は為(な)すべき事を為し
進むべき道を進み
自然の掟(おきて)を尊んで
行住坐臥我等の思ふ所と自然の定律と相もとらない境地に到らなければならない
最善の力は自分等を信ずる所にのみある
蛙のやうな醜い彼等の姿に驚いてはいけない
むしろ其の姿にグロテスクの美を御覧なさい
我等はただ愛する心を味へばいい
あらゆる紛糾を破つて
自然と自由とに生きねばならない
風のふくやうに、雲の飛ぶやうに
必然の理法と、内心の要求と、叡智(えいち)の暗示とに嘘がなければいい
自然は賢明である
自然は細心である
半端物のやうな彼等のために心を悩ますのはお止(よ)しなさい
さあ、又銀座で質素な飯(めし)でも喰ひませう

大正元・一〇[#改ページ]

  梟の族

――聞いたか、聞いたか
ぼろすけぼうぼう――

軽くして責なき人の口の端
森のくらやみに住む梟(ふくろふ)の黒き毒に染みたるこゑ
街(ちまた)と木木(きぎ)とにひびき
わが耳を襲ひて堪へがたし
わが耳は夜陰に痛みて
心にうつる君が影像を悲しみ窺(うかが)ふ
かろくして責なきは
あしき鳥の性(さが)なり

――きいたか、きいたか
ぼろすけぼうぼう――

おのが声のかしましき反響によろこび
友より友に伝説をつたへてほこる
梟の族、あしきともがら
われは彼等よりも強しとおもへど
彼等はわれよりも多弁にして
暗示に富みたる眼と、物を蔵する言語とを有せり
さればかろくして責なき
その声のひびきのなやましさよ
聞くに堪へざる俗調は
君とわれとの心を取りて不倫と滑稽との境に擬せむとす
のろはれたるもの
梟の族、あしきともがらよ
されどわが心を狂ほしむるは
むしろかかるおろかしきなやましさなり
声は又も来る、又も来る

――きいたか、きいたか
ぼろすけぼうぼう――

大正元・一〇[#改ページ]

  郊外の人に

わがこころはいま大風(おほかぜ)の如く君にむかへり
愛人よ
いまは青き魚(さかな)の肌にしみたる寒き夜もふけ渡りたり
されば安らかに郊外の家に眠れかし
をさな児のまことこそ君のすべてなれ
あまり清く透きとほりたれば
これを見るもの皆あしきこころをすてけり
また善きと悪しきとは被(おほ)ふ所なくその前にあらはれたり
君こそは実(げ)にこよなき審判官(さばきのつかさ)なれ
汚れ果てたる我がかずかずの姿の中に
をさな児のまこともて
君はたふとき吾がわれをこそ見出でつれ
君の見いでつるものをわれは知らず
ただ我は君をこよなき審判官(さばきのつかさ)とすれば
君によりてこころよろこび
わがしらぬわれの
わがあたたかき肉のうちに籠(こも)れるを信ずるなり
冬なれば欅(けやき)の葉も落ちつくしたり
音もなき夜なり
わがこころはいま大風の如く君に向へり
そは地の底より湧きいづる貴くやはらかき温泉(いでゆ)にして
君が清き肌のくまぐまを残りなくひたすなり
わがこころは君の動くがままに
はね をどり 飛びさわげども
つねに君をまもることを忘れず
愛人よ
こは比(たぐ)ひなき命の霊泉なり
されば君は安らかに眠れかし
悪人のごとき寒き冬の夜なれば
いまは安らかに郊外の家に眠れかし
をさな児の如く眠れかし

大正元・一一[#改ページ]

  冬の朝のめざめ

冬の朝なれば
ヨルダンの川も薄く氷りたる可(べ)し
われは白き毛布に包まれて我が寝室(ねべや)の内にあり
基督(キリスト)に洗礼を施すヨハネの心を
ヨハネの首を抱きたるサロオメの心を
我はわがこころの中に求めむとす
冬の朝なれば街(ちまた)より
つつましくからころと下駄の音も響くなり
大きなる自然こそはわが全身の所有なれ
しづかに運る天行のごとく
われも歩む可し
するどきモツカの香りは
よみがへりたる精霊の如く眼をみはり
いづこよりか室の内にしのび入る
われは此の時
むしろ数理学者の冷静をもて
世人の形(かたちづ)くる社会の波動にあやしき因律のめぐるを知る
起きよ我が愛人よ
冬の朝なれば
郊外の家にも鵯(ひよどり)は夙(つと)に来鳴く可し
わが愛人は今くろき眼を開(あ)きたらむ
をさな児のごとく手を伸ばし
朝の光りを喜び
小鳥の声を笑ふならむ
かく思ふとき
我は堪へがたき力の為めに動かされ
白き毛布を打ちて
愛の頌歌(ほめうた)をうたふなり
冬の朝なれば
こころいそいそと励み
また高くさけび
清らかにしてつよき生活をおもふ
青き琥珀(こはく)の空に
見えざる金粉ぞただよふなる
ポインタアの吠ゆる声とほく来(きた)れば
ものを求むる我が習癖はふるひ立ち
たちまちに又わが愛人を恋ふるなり
冬の朝なれば
ヨルダンの川に氷を噛(か)まむ

大正元・一一[#改ページ]

  深夜の雪

あたたかいガスだんろの火は
ほのかな音を立て
しめきつた書斎の電燈は
しづかに、やや疲れ気味の二人を照す
宵からの曇り空が雪にかはり
さつき□(まど)から見れば
もう一面に白かつたが
ただ音もなく降りつもる雪の重さを
地上と屋根と二人のこころとに感じ
むしろ楽みを包んで軟かいその重さに
世界は息をひそめて子供心の眼をみはる
「これみや、もうこんなに積つたぜ」
と、にじんだ声が遠くに聞え
やがてぽんぽんと下駄の歯をはたく音
あとはだんまりの夜も十一時となれば
話の種さへ切れ
紅茶もものうく
ただ二人手をとつて
声の無い此の世の中の深い心に耳を傾け
流れわたる時間の姿をみつめ
ほんのり汗ばんだ顔は安らかさに満ちて
ありとある人の感情をも容易(たやす)くうけいれようとする
又ぽんぽんぽんとはたく音の後から
車らしい何かの響き――
「ああ、御覧なさい、あの雪」
と、私が言へば
答へる人は忽ち童話の中に生き始め
かすかに口を開いて
雪をよろこぶ
雪も深夜をよろこんで
数限りもなく降りつもる
あたたかい雪
しんしんと身に迫つて重たい雪が――

大正二・二[#改ページ]

  人に

遊びぢやない
暇つぶしぢやない
あなたが私に会ひに来る
――画もかかず、本も読まず、仕事もせず――
そして二日でも、三日でも
笑ひ、戯れ、飛びはね、又抱き
さんざ時間をちぢめ
数日を一瞬に果す

ああ、けれども
それは遊びぢやない
暇つぶしぢやない
充ちあふれた我等の余儀ない命である
生である
力である
浪費に過ぎ過多に走るものの様に見える
八月の自然の豊富さを
あの山の奥に花さき朽ちる草草や
声を発する日の光や
無限に動く雲のむれや
ありあまる雷霆(らいてい)や
雨や水や
緑や赤や青や黄や
世界にふき出る勢力を
無駄づかひと何(ど)うして言へよう
あなたは私に躍り
私はあなたにうたひ
刻刻の生を一ぱいに歩むのだ
本を抛(なげう)つ刹那の私と
本を開く刹那の私と
私の量は同(おんな)じだ
空疎な精励と
空疎な遊惰とを
私に関して聯想してはいけない
愛する心のはちきれた時
あなたは私に会ひに来る
すべてを棄て、すべてをのり超え
すべてをふみにじり
又嬉嬉として

大正二・二[#改ページ]

  人類の泉

世界がわかわかしい緑になつて
青い雨がまた降つて来ます
この雨の音が
むらがり起る生物のいのちのあらわれとなつて
いつも私を堪(たま)らなくおびやかすのです
そして私のいきり立つ魂は
私を乗り超え私を脱(のが)れて
づんづんと私を作つてゆくのです
いま死んで いま生れるのです
二時が三時になり
青葉のさきから又も若葉の萌(も)え出すやうに
今日もこの魂の加速度を
自分ながら胸一ぱいに感じてゐました
そして極度の静寂をたもつて
ぢつと坐つてゐました
自然と涙が流れ
抱きしめる様にあなたを思ひつめてゐました
あなたは本当に私の半身です
あなたが一番たしかに私の信を握り
あなたこそ私の肉身の痛烈を奥底から分つのです
私にはあなたがある
あなたがある
私はかなり惨酷に人間の孤独を味つて来たのです
おそろしい自棄(やけ)の境にまで飛び込んだのをあなたは知つて居ます
私の生(いのち)を根から見てくれるのは
私を全部に解してくれるのは
ただあなたです
私は自分のゆく道の開路者(ピオニエエ)です
私の正しさは草木の正しさです
ああ あなたは其(それ)を生きた眼で見てくれるのです
もとよりあなたはあなたのいのちを持つてゐます
あなたは海水の流動する力をもつてゐます
あなたが私にある事は
微笑が私にある事です
あなたによつて私の生(いのち)は複雑になり 豊富になります
そして孤独を知りつつ 孤独を感じないのです
私は今生きてゐる社会で
もう万人の通る通路から数歩自分の道に踏み込みました
もう共に手を取る友達はありません
ただ互に或る部分を了解し合ふ友達があるのみです
私はこの孤独を悲しまなくなりました
此(これ)は自然であり 又必然であるのですから
そしてこの孤独に満足さへしようとするのです
けれども
私にあなたが無いとしたら――
ああ それは想像も出来ません
想像するのも愚かです
私にはあなたがある
あなたがある
そしてあなたの内には大きな愛の世界があります
私は人から離れて孤独になりながら
あなたを通じて再び人類の生きた気息(きそく)に接します
ヒユウマニテイの中に活躍します
すべてから脱却して
ただあなたに向ふのです
深いとほい人類の泉に肌をひたすのです
あなたは私の為めに生れたのだ
私にはあなたがある
あなたがある あなたがある

大正二・三[#改ページ]

  僕等

僕はあなたをおもふたびに
一ばんぢかに永遠を感じる
僕があり あなたがある
自分はこれに尽きてゐる
僕のいのちと あなたのいのちとが
よれ合ひ もつれ合ひ とけ合ひ
渾沌(こんとん)としたはじめにかへる
すべての差別見は僕等の間に価値を失ふ
僕等にとつては凡(すべ)てが絶対だ
そこには世にいふ男女の戦がない
信仰と敬虔(けいけん)と恋愛と自由とがある
そして大変な力と権威とがある
人間の一端と他端との融合だ
僕は丁度自然を信じ切る心安さで
僕等のいのちを信じてゐる
そして世間といふものを蹂躪(じゆうりん)してゐる
頑固な俗情に打ち勝つてゐる
二人ははるかに其処(そこ)をのり超えてゐる
僕は自分の痛さがあなたの痛さである事を感じる
僕は自分のこころよさがあなたのこころよさである事を感じる
自分を恃(たの)むやうにあなたをたのむ
自分が伸びてゆくのはあなたが育つてゆく事だとおもつてゐる
僕はいくら早足に歩いてもあなたを置き去りにする事はないと信じ 安心してゐる
僕が活力にみちてる様に
あなたは若若しさにかがやいてゐる
あなたは火だ
あなたは僕に古くなればなるほど新しさを感じさせる
僕にとつてあなたは新奇の無尽蔵だ
凡ての枝葉を取り去つた現実のかたまりだ
あなたのせつぷんは僕にうるほひを与へ
あなたの抱擁は僕に極甚(ごくじん)の滋味を与へる
あなたの冷たい手足
あなたの重たく まろいからだ
あなたの燐光のやうな皮膚
その四肢胴体をつらぬく生きものの力
此等はみな僕の最良のいのちの糧(かて)となるものだ
あなたは僕をたのみ
あなたは僕に生きる
それがすべてあなた自身を生かす事だ
僕等はいのちを惜しむ
僕等は休む事をしない
僕等は高く どこまでも高く僕等を押し上げてゆかないではゐられない
伸びないでは
大きくなりきらないでは
深くなり通さないでは
――何といふ光だ 何といふ喜だ

大正二・一二[#改ページ]

  愛の嘆美

底の知れない肉体の慾は
あげ潮どきのおそろしいちから――
なほも燃え立つ汗ばんだ火に
火竜(サラマンドラ)はてんてんと躍る

ふりしきる雪は深夜に婚姻飛揚(ヴオル・ニユプシアル)の宴(うたげ)をあげ
寂寞(じやくまく)とした空中の歓喜をさけぶ
われらは世にも美しい力にくだかれ
このとき深密(じんみつ)のながれに身をひたして
いきり立つ薔薇(ばら)いろの靄(もや)に息づき
因陀羅網(いんだらもう)の珠玉(しゆぎよく)に照りかへして
われらのいのちを無尽に鋳る

冬に潜(ひそ)む揺籃の魔力と
冬にめぐむ下萌(したもえ)の生熱と――
すべての内に燃えるものは「時」の脈搏と共に脈うち
われらの全身に恍惚(こうこつ)の電流をひびかす

われらの皮膚はすさまじくめざめ
われらの内臓は生存の喜にのたうち
毛髪は蛍光(けいこう)を発し
指は独自の生命を得て五体に匍(は)ひまつはり
道(ことば)を蔵した渾沌のまことの世界は
たちまちわれらの上にその姿をあらはす

光にみち
幸にみち
あらゆる差別は一音にめぐり
毒薬と甘露とは其の筺(はこ)を同じくし
堪へがたい疼痛(とうつう)は身をよぢらしめ
極甚の法悦は不可思議の迷路を輝かす

われらは雪にあたたかく埋もれ
天然の素中(そちゆう)にとろけて
果てしのない地上の愛をむさぼり
はるかにわれらの生(いのち)を讃(ほ)めたたへる

大正三・二[#改ページ]

  晩餐

暴風(しけ)をくらつた土砂ぶりの中を
ぬれ鼠になつて
買つた米が一升
二十四銭五厘だ
くさやの干(ひ)ものを五枚
沢庵(たくあん)を一本
生姜(しようが)の赤漬(あかづけ)
玉子は鳥屋(とや)から
海苔(のり)は鋼鉄をうちのべたやうな奴
薩摩(さつま)あげ
かつをの塩辛(しほから)
湯をたぎらして
餓鬼道のやうに喰(くら)ふ我等の晩餐

ふきつのる嵐は
瓦にぶつけて
家鳴(やなり)震動のけたたましく
われらの食慾は頑健にすすみ
ものを喰らひて己(おの)が血となす本能の力に迫られ
やがて飽満の恍惚に入れば
われら静かに手を取つて
心にかぎりなき喜を叫び
かつ祈る
日常の瑣事(さじ)にいのちあれ
生活のくまぐまに緻密(ちみつ)なる光彩あれ
われらのすべてに溢れこぼるるものあれ
われらつねにみちよ

われらの晩餐は
嵐よりも烈しい力を帯び
われらの食後の倦怠は
不思議な肉慾をめざましめて
豪雨の中に燃えあがる
われらの五体を讃嘆せしめる

まづしいわれらの晩餐はこれだ

大正三・四[#改ページ]

  淫心

をんなは多淫
われも多淫
飽かずわれらは
愛慾に光る

縦横無礙(むげ)の淫心
夏の夜の
むんむんと蒸しあがる
瑠璃(るり)黒漆の大気に
魚鳥と化して躍る
つくるなし
われら共に超凡
すでに尋常規矩の網目を破る
われらが力のみなもとは
常に創世期の混沌に発し
歴史はその果実に生きて
その時劫(こう)を滅す
されば
人間世界の成壌は
われら現前の一点にあつまり
われらの大は無辺際に充ちる

淫心は胸をついて
われらを憤らしめ
万物を拝せしめ
肉身を飛ばしめ
われら大声を放つて
無二の栄光に浴す

をんなは多淫
われも多淫
淫をふかめて往くところを知らず
万物をここに持す
われらますます多淫
地熱のごとし
烈烈――

大正三・八[#改ページ]

  樹下の二人

――みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ――
あれが阿多多羅山(あたたらやま)、
あの光るのが阿武隈川。

かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、
うつとりねむるやうな頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。

あなたは不思議な仙丹(せんたん)を魂の壺にくゆらせて、
ああ、何といふ幽妙な愛の海ぞこに人を誘ふことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔もののやうに捉(とら)へがたい
妙に変幻するものですね。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫(さかぐら)。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡つた北国(きたぐに)の木の香に満ちた空気を吸はう。
あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又あした遠く去る、
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いてゐます、
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教へて下さい。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

大正一二・三[#改ページ]

  狂奔する牛

ああ、あなたがそんなにおびえるのは
今のあれを見たのですね。
まるで通り魔のやうに、
この深山のまきの林をとどろかして、
この深い寂寞(じやくまく)の境にあんな雪崩(なだれ)をまき起して、
今はもうどこかへ往つてしまつた
あの狂奔する牛の群を。

今日はもう止しませう、
画きかけてゐたあの穂高の三角の屋根に
もうテル ヴエルトの雲が出ました
槍の氷を溶かして来る
あのセルリヤンの梓川(あづさがは)に
もう山山がかぶさりました。
谷の白楊(はくよう)が遠く風になびいてゐます。
今日はもう画くのを止して
この人跡たえた神苑をけがさぬほどに
又好きな焚火(たきび)をしませう。
天然がきれいに掃き清めたこの苔(こけ)の上に
あなたもしづかにおすわりなさい。

あなたがそんなにおびえるのは
どつと逃げる牝牛の群を追ひかけて
ものおそろしくも息せき切つた、
血まみれの、若い、あの変貌した牡牛をみたからですね。
けれどこの神神しい山上に見たあの露骨な獣性を
いつかはあなたもあはれと思ふ時が来るでせう。
もつと多くの事をこの身に知つて、
いつかは静かな愛にほほゑみながら――

大正一四・六[#改ページ]

  金

工場の泥を凍らせてはいけない。
智恵子よ、
夕方の台所が如何に淋しからうとも、
石炭は焚かうね。
寝部屋の毛布が薄ければ、
上に坐蒲団をのせようとも、
夜明けの寒さに、
工場の泥を凍らせてはいけない。
私は冬の寝ずの番、
水銀柱の斥候(ものみ)を放つて、
あの北風に逆襲しよう。
少しばかり正月が淋しからうとも、
智恵子よ、
石炭は焚かうね。

大正一五・二[#改ページ]

  鯰

盥(たらひ)の中でぴしやりとはねる音がする。
夜が更けると小刀の刃が冴(さ)える。
木を削るのは冬の夜の北風の為事(しごと)である。
煖炉に入れる石炭が無くなつても、
鯰(なまづ)よ、
お前は氷の下でむしろ莫大な夢を食ふか。
檜の木片(こつぱ)は私の眷族(けんぞく)、
智恵子は貧におどろかない。
鯰よ、
お前の鰭(ひれ)に剣があり、
お前の尻尾に触角があり、
お前の鰓(あぎと)に黒金の覆輪があり、
さうしてお前の楽天にそんな石頭があるといふのは、
何と面白い私の為事への挨拶であらう。
風が落ちて板の間に蘭の香ひがする。
智恵子は寝た。
私は彫りかけの鯰を傍へ押しやり、
研水(とみづ)を新しくして
更に鋭い明日の小刀を瀏瀏(りゆうりゆう)と研ぐ。

大正一五・二
  夜の二人

私達の最後が餓死であらうといふ予言は、
しとしとと雪の上に降る霙(みぞれ)まじりの夜の雨の言つた事です。
智恵子は人並はづれた覚悟のよい女だけれど
まだ餓死よりは火あぶりの方をのぞむ中世期の夢を持つてゐます。
私達はすつかり黙つてもう一度雨をきかうと耳をすましました。
少し風が出たと見えて薔薇(ばら)の枝が窓硝子に爪を立てます。

大正一五・三[#改ページ]

  あなたはだんだんきれいになる

をんなが附属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか。
年で洗はれたあなたのからだは
無辺際を飛ぶ天の金属。
見えも外聞もてんで歯のたたない
中身ばかりの清冽(せいれつ)な生きものが
生きて動いてさつさつと意慾する。
をんながをんなを取りもどすのは
かうした世紀の修業によるのか。
あなたが黙つて立つてゐると
まことに神の造りしものだ。
時時内心おどろくほど
あなたはだんだんきれいになる。

昭和二・一[#改ページ]

  あどけない話

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。

昭和三・五[#改ページ]

  同棲同類

――私は口をむすんで粘土をいぢる。
――智恵子はトンカラ機(はた)を織る。
――鼠は床にこぼれた南京(ナンキン)豆を取りに来る。
――それを雀が横取りする。
――カマキリは物干し綱に鎌を研ぐ。
――蠅とり蜘蛛(ぐも)は三段飛。
――かけた手拭はひとりでじやれる。
――郵便物ががちやりと落ちる。
――時計はひるね。
――鉄瓶(てつびん)もひるね。
――芙蓉(ふよう)の葉は舌を垂らす。
――づしんと小さな地震。
油蝉を伴奏にして
この一群の同棲同類の頭の上から
子午線上の大火団がまつさかさまにがつと照らす。

昭和三・八[#改ページ]

  美の監禁に手渡す者

納税告知書の赤い手触りが袂(たもと)にある、
やつとラヂオから解放された寒夜の風が道路にある。

売る事の理不尽、購(あがな)ひ得るものは所有し得る者、
所有は隔離、美の監禁に手渡すもの、我。

両立しない造形の秘技と貨幣の強引、
両立しない創造の喜と不耕貪食(どんしよく)の苦(にが)さ。

がらんとした家に待つのは智恵子、粘土、及び木片(こつぱ)、
ふところの鯛焼はまだほのかに熱い、つぶれる。

昭和六・三[#改ページ]

  人生遠視

足もとから鳥がたつ
自分の妻が狂気する
自分の着物がぼろになる
照尺距離三千メートル
ああこの鉄砲は長すぎる

昭和一〇・一[#改ページ]

  風にのる智恵子

狂つた智恵子は口をきかない
ただ尾長や千鳥と相図する
防風林の丘つづき
いちめんの松の花粉は黄いろく流れ
五月晴(さつきばれ)の風に九十九里の浜はけむる
智恵子の浴衣(ゆかた)が松にかくれ又あらはれ
白い砂には松露がある
わたしは松露をひろひながら
ゆつくり智恵子のあとをおふ
尾長や千鳥が智恵子の友だち
もう人間であることをやめた智恵子に
恐ろしくきれいな朝の天空は絶好の遊歩場
智恵子飛ぶ

昭和一〇・四[#改ページ]

  千鳥と遊ぶ智恵子

人つ子ひとり居ない九十九里の砂浜の
砂にすわつて智恵子は遊ぶ。
無数の友だちが智恵子の名をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
砂に小さな趾(あし)あとをつけて
千鳥が智恵子に寄つて来る。
口の中でいつでも何か言つてる智恵子が
両手をあげてよびかへす。
ちい、ちい、ちい――
両手の貝を千鳥がねだる。
智恵子はそれをぱらぱら投げる。
群れ立つ千鳥が智恵子をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
人間商売さらりとやめて、
もう天然の向うへ行つてしまつた智恵子の
うしろ姿がぽつんと見える。
二丁も離れた防風林の夕日の中で
松の花粉をあびながら私はいつまでも立ち尽す。

昭和一二・7[#改ページ]

  値(あ)ひがたき智恵子

智恵子は見えないものを見、
聞えないものを聞く。

智恵子は行けないところへ行き、
出来ないことを為(す)る。

智恵子は現身(うつしみ)のわたしを見ず、
わたしのうしろのわたしに焦がれる。

智恵子はくるしみの重さを今はすてて、
限りない荒漠の美意識圏にさまよひ出た。

わたしをよぶ声をしきりにきくが、
智恵子はもう人間界の切符を持たない。

昭和一二・七[#改ページ]

  山麓の二人

二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は
険しく八月の頭上の空に目をみはり
裾野とほく靡(なび)いて波うち
芒(すすき)ぼうぼうと人をうづめる
半ば狂へる妻は草を藉(し)いて坐し
わたくしの手に重くもたれて
泣きやまぬ童女のやうに慟哭(どうこく)する
――わたしもうぢき駄目になる
意識を襲ふ宿命の鬼にさらはれて
のがれる途(みち)無き魂との別離
その不可抗の予感
――わたしもうぢき駄目になる
涙にぬれた手に山風が冷たく触れる
わたくしは黙つて妻の姿に見入る
意識の境から最後にふり返つて
わたくしに縋(すが)る
この妻をとりもどすすべが今は世に無い
わたくしの心はこの時二つに裂けて脱落し
闃(げき)として二人をつつむこの天地と一つになつた。

昭和一三・六[#改ページ]

  或る日の記

水墨の横ものを描きをへて
その乾くのを待ちながら立つてみて居る
上高地から見た前穂高の岩の幔幕(まんまく)
墨のにじんだ明神岳(だけ)のピラミツド
作品は時空を滅する
私の顔に天上から霧がふきつけ
私の精神に些(いささ)かの条件反射のあともない
乾いた唐紙(からかみ)はたちまち風にふかれて
このお化屋敷の板の間に波をうつ
私はそれを巻いて小包につくらうとする
一切の苦難は心にめざめ
一切の悲歎は身うちにかへる
智恵子狂ひて既に六年
生活の試練鬢髪(びんぱつ)為に白い
私は手を休めて荷造りの新聞に見入る
そこにあるのは写真であつた
そそり立つ廬山(ろざん)に向つて無言に並ぶ野砲の列

昭和一三・八[#改ページ]

  レモン哀歌

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

昭和一四・二[#改ページ]

  亡き人に

雀はあなたのやうに夜明けにおきて窓を叩く
枕頭(ちんとう)のグロキシニヤはあなたのやうに黙つて咲く

朝風は人のやうに私の五体をめざまし
あなたの香りは午前五時の寝部屋に涼しい

私は白いシイツをはねて腕をのばし
夏の朝日にあなたのほほゑみを迎へる

今日が何であるかをあなたはささやく
権威あるもののやうにあなたは立つ

私はあなたの子供となり
あなたは私のうら若い母となる

あなたはまだゐる其処(そこ)にゐる
あなたは万物となつて私に満ちる

私はあなたの愛に値しないと思ふけれど
あなたの愛は一切を無視して私をつつむ

昭和一四・七[#改ページ]

  梅酒

死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒(うめしゆ)は
十年の重みにどんより澱(よど)んで光を葆(つつ)み、
いま琥珀(こはく)の杯に凝つて玉のやうだ。
ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
これをあがつてくださいと、
おのれの死後に遺していつた人を思ふ。
おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
もうぢき駄目になると思ふ悲に
智恵子は身のまはりの始末をした。
七年の狂気は死んで終つた。
厨(くりや)に見つけたこの梅酒の芳(かを)りある甘さを
わたしはしづかにしづかに味はふ。
狂瀾怒濤(きようらんどとう)の世界の叫も
この一瞬を犯しがたい。
あはれな一個の生命を正視する時、
世界はただこれを遠巻にする。
夜風も絶えた。

昭和一五・三[#改ページ]

  荒涼たる帰宅

あんなに帰りたがつてゐる自分の内へ
智恵子は死んでかへつて来た。
十月の深夜のがらんどうなアトリエの
小さな隅の埃(ほこり)を払つてきれいに浄め、
私は智恵子をそつと置く。
この一個の動かない人体の前に
私はいつまでも立ちつくす。
人は屏風(びようぶ)をさかさにする。
人は燭(しよく)をともし香をたく。
人は智恵子に化粧する。
さうして事がひとりでに運ぶ。
夜が明けたり日がくれたりして
そこら中がにぎやかになり、
家の中は花にうづまり、
何処(どこ)かの葬式のやうになり、
いつのまにか智恵子が居なくなる。
私は誰も居ない暗いアトリエにただ立つてゐる。
外は名月といふ月夜らしい。

昭和一六・六[#改ページ]

  松庵寺

奥州花巻といふひなびた町の
浄土宗の古刹(こさつ)松庵寺で
秋の村雨(むらさめ)ふりしきるあなたの命日に
まことにささやかな法事をしました
花巻の町も戦火をうけて
すつかり焼けた松庵寺は
物置小屋に須弥壇(すみだん)をつくつた
二畳敷のお堂でした
雨がうしろの障子から吹きこみ
和尚(おしよう)さまの衣のすそさへ濡れました
和尚さまは静かな声でしみじみと
型どほりに一枚起請文(きしようもん)をよみました
仏を信じて身をなげ出した昔の人の
おそろしい告白の真実が
今の世でも生きてわたくしをうちました
限りなき信によつてわたくしのために
燃えてしまつたあなたの一生の序列を
この松庵寺の物置御堂(みどう)の仏の前で
又も食ひ入るやうに思ひしらべました

昭和二〇・一〇[#改ページ]

  報告(智恵子に)

日本はすつかり変りました。
あなたの身ぶるひする程いやがつてゐた
あの傍若無人のがさつな階級が
とにかく存在しないことになりました。
すつかり変つたといつても、
それは他力による変革で
(日本の再教育と人はいひます。)
内からの爆発であなたのやうに、
あんないきいきした新しい世界を
命にかけてしんから望んだ
さういふ自力で得たのでないことが
あなたの前では恥しい。
あなたこそまことの自由を求めました。
求められない鉄の囲(かこひ)の中にゐて、
あなたがあんなに求めたものは、
結局あなたを此世の意識の外に逐(お)ひ、
あなたの頭をこはしました。
あなたの苦しみを今こそ思ふ。
日本の形は変りましたが、
あの苦しみを持たないわれわれの変革を
あなたに報告するのはつらいことです。

昭和二二・六[#改ページ]

  噴霧的な夢

あのしやれた登山電車で智恵子と二人、
ヴエズヴイオの噴火口をのぞきにいつた。
夢といふものは香料のやうに微粒的で
智恵子は二十代の噴霧で濃厚に私を包んだ。
ほそい竹筒のやうな望遠鏡の先からは
ガスの火が噴射機(ジエツトプレイン)のやうに吹き出てゐた。
その望遠鏡で見ると富士山がみえた。
お鉢の底に何か面白いことがあるやうで
お鉢のまはりのスタンドに人が一ぱいゐた。
智恵子は富士山麓の秋の七草の花束を
ヴエズヴイオの噴火口にふかく投げた。
智恵子はほのぼのと美しく清浄で
しかもかぎりなき惑溺(わくでき)にみちてゐた。
あの山の水のやうに透明な女体を燃やして
私にもたれながら崩れる砂をふんで歩いた。
そこら一面がポムペイヤンの香りにむせた。
昨日までの私の全存在の異和感が消えて
午前五時の秋爽(さわ)やかな山の小屋で目がさめた。

昭和二三・九[#改ページ]

  もしも智恵子が

もしも智恵子が私といつしよに
岩手の山の源始の息吹(いぶき)に包まれて
いま六月の草木の中のここに居たら、
ゼンマイの綿帽子がもうとれて
キセキレイが井戸に来る山の小屋で
ことしの夏がこれから始まる
洋々とした季節の朝のここに居たら、
智恵子はこの三畳敷で目をさまし、
両手を伸して吹入るオゾンに身うちを洗ひ、
やつぱり二十代の声をあげて
十本一本のマツチをわらひ、
杉の枯葉に火をつけて
囲炉裏の鍋(なべ)でうまい茶粥(ちやがゆ)を煮るでせう。
畑の絹さやゑん豆をもぎつてきて
サフアイヤ色の朝の食事に興じるでせう。
もしも智恵子がここに居たら、
奥州南部の山の中の一軒家が
たちまち真空管の機構となつて
無数の強いエレクトロンを飛ばすでせう。

昭和二四・三[#改ページ]

  元素智恵子

智恵子はすでに元素にかへつた。
わたくしは心霊独存の理を信じない。
智恵子はしかも実存する。
智恵子はわたくしの肉に居る。
智恵子はわたくしに密着し、
わたくしの細胞に燐火を燃やし、
わたくしと戯れ、
わたくしをたたき、
わたくしを老いぼれの餌食(ゑじき)にさせない。
精神とは肉体の別の名だ。
わたくしの肉に居る智恵子は、
そのままわたくしの精神の極北。
智恵子はこよなき審判者であり、
うちに智恵子の睡る時わたくしは過(あやま)ち、
耳に智恵子の声をきく時わたくしは正しい。
智恵子はただ□々(きき)としてとびはね、
わたくしの全存在をかけめぐる。
元素智恵子は今でもなほ
わたくしの肉に居てわたくしに笑ふ。

昭和二四・一〇[#改ページ]

  メトロポオル

智恵子が憧れてゐた深い自然の真只中に
運命の曲折はわたくしを叩きこんだ。
運命は生きた智恵子を都会に殺し、
都会の子であるわたくしをここに置く。
岩手の山は荒々しく美しくまじりけなく、
わたくしを囲んで仮借しない。
虚偽と遊惰とはここの土壌に生存できず、
わたくしは自然のやうに一刻を争ひ、
ただ全裸を投げて前進する。
智恵子は死んでよみがへり、
わたくしの肉に宿つてここに生き、
かくの如き山川草木にまみれてよろこぶ。
変幻きはまりない宇宙の現象、
転変かぎりない世代の起伏、
それをみんな智恵子がうけとめ、
それをわたくしが触知する。
わたくしの心は賑(にぎは)ひ、
山林孤棲(こせい)と人のいふ
小さな山小屋の囲炉裏に居て
ここを地上のメトロポオルとひとり思ふ。

昭和二四・一〇[#改ページ]

  裸形

智恵子の裸形をわたくしは恋ふ。
つつましくて満ちてゐて
星宿のやうに森厳で
山脈のやうに波うつて
いつでもうすいミストがかかり、
その造型の瑪瑙(めのう)質に
奥の知れないつやがあつた。
智恵子の裸形の背中の小さな黒子(ほくろ)まで
わたくしは意味ふかくおぼえてゐて、
今も記憶の歳月にみがかれた
その全存在が明滅する。
わたくしの手でもう一度、
あの造型を生むことは
自然の定めた約束であり、
そのためにわたくしに肉類が与へられ、
そのためにわたくしに畑の野菜が与へられ、
米と小麦と牛酪(バター)とがゆるされる。
智恵子の裸形をこの世にのこして
わたくしはやがて天然の素中(そちゆう)に帰らう。

昭和二四・一〇[#改ページ]

  案内

三畳あれば寝られますね。
これが水屋。
これが井戸。
山の水は山の空気のやうに美味。
あの畑が三畝(せ)、
いまはキヤベツの全盛です。
ここの疎林がヤツカの並木で、
小屋のまはりは栗と松。
坂を登るとここが見晴し、
展望二十里南にひらけて
左が北上山系、
右が奥羽国境山脈、
まん中の平野を北上川が縦に流れて、
あの霞んでゐる突きあたりの辺が
金華山沖といふことでせう。
智恵さん気に入りましたか、好きですか。
うしろの山つづきが毒が森。
そこにはカモシカも来るし熊も出ます。
智恵さん斯(か)ういふところ好きでせう。

昭和二四・一〇[#改ページ]

  あの頃

人を信ずることは人を救ふ。
かなり不良性のあつたわたくしを
智恵子は頭から信じてかかつた。
いきなり内懐(うちふところ)に飛びこまれて
わたくしは自分の不良性を失つた。
わたくし自身も知らない何ものかが
こんな自分の中にあることを知らされて
わたくしはたじろいだ。
少しめんくらつて立ちなほり、
智恵子のまじめな純粋な
息をもつかない肉薄に
或日はつと気がついた。
わたくしの眼から珍しい涙がながれ、
わたくしはあらためて智恵子に向つた。
智恵子はにこやかにわたくしを迎へ、
その清浄な甘い香りでわたくしを包んだ。
わたくしはその甘美に酔つて一切を忘れた。
わたくしの猛獣性をさへ物ともしない
この天の族なる一女性の不可思議力に
無頼のわたくしは初めて自己の位置を知つた。

昭和二四・一〇[#改ページ]

  吹雪の夜の独白

外では吹雪が荒れくるふ。
かういふ夜には鼠も来ず、
部落は遠くねしづまつて
人つ子ひとり山には居ない。
囲炉裏に大きな根つ子を投じて
みごとな大きな火を燃やす。
六十七年といふ生理の故に
今ではよほどらくだと思ふ。
あの欲情のあるかぎり、
ほんとの為事(しごと)は苦しいな。
美術といふ為事の奥は
さういふ非情を要求するのだ。
まるでなければ話にならぬし、
よくよく知つて今は無いといふのがいい。
かりに智恵子が今出てきても
大いにはしやいで笑ふだけだろ。
きびしい非情の内側から
あるともなしに匂ふものが
あの神韻といふやつだろ。
老いぼれでは困るがね。

昭和二四・一〇[#改ページ]

  智恵子と遊ぶ

智恵子の所在はa次元。
a次元こそ絶対現実。

岩手の山に智恵子と遊ぶ
夢幻(ゆめまぼろし)の生の真実。

フレンチ平原に茸(きのこ)は生えても
智恵子の遊びに変りはない。

二合の飯は今日のままごと。
牛のしつぽに韮(にら)を刻む。

強敵糠蚊(ぬかが)とたたかひながら
三畝の畑にいのちを託す。

あばら骨に錐(きり)は刺され
肺気腫(はいきしゆ)噴射のとめどない咳(せき)。

造型は自然の中軸。
この世存在のシネ クワ ノン。

一切は智恵子a次元の逍遙遊(しようようゆう)。
遊ぶ時人はわづかに卑しくなくなる。

昭和二六・一一[#改ページ]

  報告

あなたのきらひな東京へ
山からこんどきてみると
生れ故郷の東京が
文化のがらくたに埋もれて
足のふみ場もないやうです。
ひと皮かぶせたアスフアルトに
無用のタキシが充満して
人は南にゆかうとすると
結局北にゆかされます。
空には爆音、
地にはラウドスピーカー。
鼓膜(こまく)を鋼(はがね)で張りつめて
意志のない不生産的生きものが
他国のチリンチリン的敗物を
がつがつ食べて得意です。
あなたのきらひな東京が
わたくしもきらひになりました。
仕事が出来たらすぐ山へ帰りませう。
あの清潔なモラルの天地で
も一度新鮮無比なあなたに会ひませう。

昭和二七・一一[#改ページ]

  うた六首


ひとむきにむしやぶりつきて為事するわれをさびしと思ふな智恵子

気ちがひといふおどろしき言葉もて人は智恵子をよばむとすなり

いちめんに松の花粉は浜をとび智恵子尾長のともがらとなる

わが為事いのちかたむけて成るきはを智恵子は知りき知りていたみき

この家に智恵子の息吹(いぶき)みちてのこりひとりめつぶる吾(あ)をいねしめず

光太郎智恵子はたぐひなき夢をきづきてむかし此所(ここ)に住みにき
[#改ページ]

  智恵子の半生


 妻智恵子が南品川ゼームス坂病院の十五号室で精神分裂症患者として粟粒(ぞくりゆう)性肺結核で死んでから旬日で満二年になる。私はこの世で智恵子にめぐりあつたため、彼女の純愛によつて清浄にされ、以前の廃頽(はいたい)生活から救ひ出される事が出来た経歴を持つて居り、私の精神は一にかかつて彼女の存在そのものの上にあつたので、智恵子の死による精神的打撃は実に烈しく、一時は自己の芸術的製作さへ其の目標を失つたやうな空虚感にとりつかれた幾箇月かを過した。彼女の生前、私は自分の製作した彫刻を何人よりもさきに彼女に見せた。一日の製作の終りにも其(それ)を彼女と一緒に検討する事が此上(このうえ)もない喜であつた。又彼女はそれを全幅的に受け入れ、理解し、熱愛した。私の作つた木彫小品を彼女は懐に入れて街を歩いてまで愛撫(あいぶ)した。彼女の居ないこの世で誰が私の彫刻をそのやうに子供のやうにうけ入れてくれるであらうか。もう見せる人も居やしないといふ思が私を幾箇月間か悩ました。美に関する製作は公式の理念や、壮大な民族意識といふやうなものだけでは決して生れない。さういふものは或は製作の主題となり、或はその動機となる事はあつても、その製作が心の底から生れ出て、生きた血を持つに至るには、必ずそこに大きな愛のやりとりがいる。それは神の愛である事もあらう。大君の愛である事もあらう。又実に一人の女性の底ぬけの純愛である事があるのである。自分の作つたものを熱愛の眼を以て見てくれる一人の人があるといふ意識ほど、美術家にとつて力となるものはない。作りたいものを必ず作り上げる潜力となるものはない。製作の結果は或は万人の為のものともなることがあらう。けれども製作するものの心はその一人の人に見てもらひたいだけで既に一ぱいなのが常である。私はさういふ人を妻の智恵子に持つてゐた。その智恵子が死んでしまつた当座の空虚感はそれ故殆ど無の世界に等しかつた。作りたいものは山ほどあつても作る気になれなかつた。見てくれる熱愛の眼が此世にもう絶えて無い事を知つてゐるからである。さういふ幾箇月の苦闘の後、或る偶然の事から満月の夜に、智恵子はその個的存在を失ふ事によつて却て私にとつては普遍的存在となつたのである事を痛感し、それ以来智恵子の息吹を常に身近かに感ずる事が出来、言はば彼女は私と偕(とも)にある者となり、私にとつての永遠なるものであるといふ実感の方が強くなつた。私はさうして平静と心の健康とを取り戻し、仕事の張合がもう一度出て来た。一日の仕事を終つて製作を眺める時「どうだらう」といつて後ろをふりむけば智恵子はきつと其処(そこ)に居る。彼女は何処(どこ)にでも居るのである。
 智恵子が結婚してから死ぬまでの二十四年間の生活は愛と生活苦と芸術への精進と矛盾と、さうして闘病との間断なき一連続に過ぎなかつた。彼女はさういふ渦巻の中で、宿命的に持つてゐた精神上の素質の為に倒れ、歓喜と絶望と信頼と諦観(ていかん)とのあざなはれた波濤(はとう)の間に没し去つた。彼女の追憶について書く事を人から幾度か示唆(しさ)されても今日まで其を書く気がしなかつた。あまりなまなましい苦闘のあとは、たとひ小さな一隅の生活にしても筆にするに忍びなかつたし、又いはば単なる私生活の報告のやうなものに果してどういふ意味があり得るかといふ疑問も強く心を牽制(けんせい)してゐたのである。だが今は書かう。出来るだけ簡単に此の一人の女性の運命を書きとめて置かう。大正昭和の年代に人知れず斯(か)ういふ事に悩み、かういふ事に生き、かういふ事に倒れた女性のあつた事を書き記して、それをあはれな彼女への餞(はなむけ)とする事を許させてもらはう。一人に極まれば万人に通ずるといふことを信じて、今日のやうな時勢の下にも敢て此の筆を執らうとするのである。
 今しづかに振りかへつて彼女の上を考へて見ると、その一生を要約すれば、まづ東北地方福島県二本松町の近在、漆原といふ所の酒造り長沼家に長女として明治十九年に生れ、土地の高女を卒業してから東京目白の日本女子大学校家政科に入学、寮生活をつづけてゐるうちに洋画に興味を持ち始め、女子大学卒業後、郷里の父母の同意を辛うじて得て東京に留(とど)まり、太平洋絵画研究所に通学して油絵を学び、当時の新興画家であつた中村彜(つね)、斎藤与里治、津田青楓(せいふう)の諸氏に出入して其の影響をうけ、又一方、其頃平塚雷鳥女史等の提起した女子思想運動にも加はり、雑誌「青鞜(せいとう)」の表紙画などを画いたりした。それが明治末年頃の事であり、やがて柳八重子女史の紹介で初めて私と知るやうになり、大正三年に私と結婚した。結婚後も油絵の研究に熱中してゐたが、芸術精進と家庭生活との板ばさみとなるやうな月日も漸く多くなり、その上肋膜(ろくまく)を病んで以来しばしば病臥(びようが)を余儀なくされ、後年郷里の家君を亡(うしな)ひ、つづいて実家の破産に瀕(ひん)するにあひ、心痛苦慮は一通りでなかつた。やがて更年期の心神変調が因(もと)となつて精神異状の徴候があらはれ、昭和七年アダリン自殺を計り、幸ひ薬毒からは免れて一旦健康を恢復(かいふく)したが、その後あらゆる療養をも押しのけて徐々に確実に進んで来る脳細胞の疾患のため昭和十年には完全に精神分裂症に捉(とら)へられ、其年二月ゼームス坂病院に入院、昭和十三年十月其処でしづかに瞑目(めいもく)したのである。
 彼女の一生は実に単純であり、純粋に一私人的生活に終始し、いささかも社会的意義を有(も)つ生活に触れなかつた。わづかに「青鞜」に関係してゐた短い期間がその社会的接触のあつた時と言へばいえる程度に過ぎなかつた。社会的関心を持たなかつたばかりでなく、生来社交的でなかつた。「青鞜」に関係してゐた頃所謂(いはゆる)新らしい女の一人として一部の人達の間に相当に顔を知られ、長沼智恵子といふ名がその仲間の口に時々上つたのも、実は当時のゴシツプ好きの連中が尾鰭(をひれ)をつけていろいろ面白さうに喧伝(けんでん)したのが因であつて、本人はむしろ無口な、非社交的な非論理的な、一途(いちず)な性格で押し通してゐたらしかつた。長沼さんとは話がしにくいといふのが当時の女友達の本当の意見のやうであつた。私は其頃の彼女をあまり善く知らないのであるが、津田青楓氏が何かに書いてゐた中に、彼女が高い塗下駄をはいて着物の裾を長く引きずるやうにして歩いてゐたのをよく見かけたといふやうな事があつたのを記憶する。そんな様子や口数の少いところから何となく人が彼女に好奇的な謎(なぞ)でも感じてゐたのではないかと思はれる。
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