六号室
著者名:チェーホフアントン
然(しか)るに這麼臭(こんなくさ)い玉菜(たまな)の牛肉汁(にくじる)などでは駄目(だめ)だ、又(また)善(よ)い補助者(ほじよしや)が必要(ひつえう)である、然(しか)るに這麼盜人計(こんなぬすびとばか)りでは駄目(だめ)だ。
而(さう)して死(し)が各人(かくじん)の正當(せいたう)な終(をはり)であるとするなれば、何(なん)の爲(ため)に人々(ひと/″\)の死(し)の邪魔(じやま)をするのか。假(かり)にある商人(しやうにん)とか、ある官吏(くわんり)とかゞ、五年(ねん)十年(ねん)餘計(よけい)に生延(いきの)びたとして見(み)た所(ところ)で、其(そ)れが何(なん)になるか。若(もし)又(また)醫學(いがく)の目的(もくてき)が藥(くすり)を以(もつ)て、苦痛(くつう)を薄(うす)らげるものと爲(な)すなれば、自然(しぜん)茲(こゝ)に一つの疑問(ぎもん)が生(しやう)じて來(く)る。苦痛(くつう)を薄(うす)らげるのは何(なん)の爲(ため)か? 苦痛(くつう)は人(ひと)を完全(くわんぜん)に向(むか)はしむるものと云(い)ふでは無(な)いか、又(また)人類(じんるゐ)が果(はた)して丸藥(ぐわんやく)や、水藥(すゐやく)で、其苦痛(そのくつう)が薄(うす)らぐものなら、宗教(しゆうけう)や、哲學(てつがく)は必要(ひつえう)が無(な)くなつたと棄(すつ)るに至(いた)らう。プシキンは死(し)に先(さきだ)つて非常(ひじやう)に苦痛(くつう)を感(かん)じ、不幸(ふかう)なるハイネは數年間(すうねんかん)中風(ちゆうぶ)に罹(かゝ)つて臥(ふ)してゐた。して見(み)れば原始蟲(げんしちゆう)の如(ごと)き我々(われ/\)に、切(せめ)て苦難(くなん)てふものが無(な)かつたならば、全(まつた)く含蓄(がんちく)の無(な)い生活(せいくわつ)となつて了(しま)ふ。からして我々(われ/\)は病氣(びやうき)するのは寧(むし)ろ當然(たうぜん)では無(な)いか。
恁(かゝ)る議論(ぎろん)に全然(まるで)心(こゝろ)を壓(あつ)しられたアンドレイ、エヒミチは遂(つひ)に匙(さじ)を投(な)げて、病院(びやうゐん)にも毎日(まいにち)は通(かよ)はなくなるに至(いた)つた。
(六)
彼(かれ)の生活(せいくわつ)は此(かく)の如(ごと)くにして過(す)ぎ行(ゆ)いた。朝(あさ)は八時(じ)に起(お)き、服(ふく)を着換(きか)へて茶(ちや)を呑(の)み、其(そ)れから書齋(しよさい)に入(はひ)るか、或(あるひ)は病院(びやうゐん)に行(い)くかである。病院(びやうゐん)では外來患者(ぐわいらいくわんじや)がもう診察(しんさつ)を待構(まちかま)へて、狹(せま)い廊下(らうか)に多人數(たにんず)詰掛(つめか)けてゐる。其側(そのそば)を小使(こづかひ)や、看護婦(かんごふ)が靴(くつ)で楝瓦(れんぐわ)の床(ゆか)を音高(おとたか)く踏鳴(ふみなら)して往來(わうらい)し、病院服(びやうゐんふく)を着(き)てゐる瘠(や)せた患者等(くわんじやら)が通(とほ)つたり、死人(しにん)も舁(かつ)ぎ出(だ)す、不潔物(ふけつぶつ)を入(い)れた器(うつは)をも持(も)つて通(とほ)る。子供(こども)は泣(な)き叫(さけ)ぶ、通風(とほりかぜ)はする。アンドレイ、エヒミチは恁云(かうい)ふ病院(びやうゐん)の有樣(ありさま)では、熱病患者(ねつびやうくわんじや)、肺病患者(はいびやうくわんじや)には最(もつと)も可(よ)くないと、始終(しゞゆう)思(おも)ひ/\するのであるが、其(そ)れを又(また)奈何(どう)する事(こと)も出來(でき)ぬので有(あ)つた。
代診(だいしん)のセルゲイ、セルゲヰチは、毎(いつ)も控所(ひかへじよ)に院長(ゐんちやう)の出(で)て來(く)るのを待(ま)つてゐる。此(こ)の代診(だいしん)は脊(せ)の小(ちひ)さい、丸(まる)く肥(ふと)つた男(をとこ)、頬髯(ほゝひげ)を綺麗(きれい)に剃(そ)つて、丸(まる)い顏(かほ)は毎(いつ)も好(よ)く洗(あら)はれてゐて、其(そ)の氣取(きど)つた樣子(やうす)で、新(あたら)しいゆつとりした衣服(いふく)を着(つ)け、白(しろ)の襟飾(えりかざり)をした所(ところ)は、全然(まる)で代診(だいしん)のやうではなく、元老議員(げんらうぎゐん)とでも言(い)ひたいやうである。彼(かれ)は町(まち)に澤山(たくさん)の病家(びやうか)の顧主(とくい)を持(も)つてゐる。で、彼(かれ)は自分(じぶん)を心窃(こゝろひそか)に院長(ゐんちやう)より遙(はるか)に實際(じつさい)に於(おい)て、經驗(けいけん)に積(つ)んでゐるものと認(みと)めてゐた。何(なん)となれば院長(ゐんちやう)には町(まち)に顧主(とくい)の病家(びやうか)などは少(すこ)しも無(な)いのであるから。控所(ひかへじよ)は、壁(かべ)に大(おほ)きい額縁(がくぶち)に填(はま)つた聖像(せいざう)が懸(かゝ)つてゐて、重(おも)い燈明(とうみよう)が下(さ)げてある。傍(そば)には白(しろ)い布(きれ)を被(き)せた讀經臺(どきやうだい)が置(お)かれ、一方(ぱう)には大主教(だいしゆけう)の額(がく)が懸(か)けてある、又(また)スウヤトコルスキイ修道院(しうだうゐん)の額(がく)と、枯(か)れた花環(はなわ)とが懸(か)けてある。此(こ)の聖像(せいざう)は代診(だいしん)自(みづか)ら買(か)つて此所(こゝ)に懸(か)けたもので、毎日曜日(まいにちえうび)、彼(かれ)の命令(めいれい)で、誰(だれ)か患者(くわんじや)の一人(ひとり)が、立(た)つて、聲(こゑ)を上(あ)げて、祈祷文(きたうぶん)を讀(よ)む、其(そ)れから彼(かれ)は自身(じしん)で、各病室(かくびやうしつ)を、香爐(かうろ)を掲(さ)げて振(ふ)りながら廻(まは)る。
患者(くわんじや)は多(おほ)いのに時間(じかん)は少(すく)ない、で、毎(いつ)も極(ご)く簡單(かんたん)な質問(しつもん)と、塗藥(ぬりぐすり)か、蓖麻子油位(ひましあぶらぐらゐ)の藥(くすり)を渡(わた)して遣(や)るのに留(とゞ)まつてゐる。院長(ゐんちやう)は片手(かたて)で頬杖(ほゝづゑ)を突(つ)きながら考込(かんがへこ)んで、唯(たゞ)機械的(きかいてき)に質問(しつもん)を掛(か)けるのみである。代診(だいしん)のセルゲイ、セルゲヰチが時々(とき/″\)手(て)を擦(こす)り/\口(くち)を入(い)れる。『此(こ)の世(よ)には皆(みな)人(ひと)が病氣(びやうき)になります、入用(いりよう)なものがありません、何(なん)となれば、是(これ)皆(みな)親切(しんせつ)な神樣(かみさま)に不熱心(ふねつしん)でありますから。』診察(しんさつ)の時(とき)に院長(ゐんちやう)はもう疾(と)うより手術(しゆじゆつ)を爲(す)る事(こと)は止(や)めてゐた。彼(かれ)は血(ち)を見(み)るさへ不愉快(ふゆくわい)に感(かん)じてゐたからで。又(また)子供(こども)の咽喉(のど)を見(み)るので口(くち)を開(あ)かせたりする時(とき)に、子供(こども)が泣叫(なきさけ)び、小(ちひ)さい手(て)を突張(つツぱ)つたりすると、彼(かれ)は其聲(そのこゑ)で耳(みゝ)がガンとして了(しま)つて、眼(め)が廻(まは)つて涙(なみだ)が滴(こぼ)れる。で、急(いそ)いで藥(くすり)の處方(しよはう)を云(い)つて、子供(こども)を早(はや)く連(つ)れて行(い)つて呉(く)れと手(て)を振(ふ)る。
診察(しんさつ)の時(とき)、患者(くわんじや)の臆病(おくびやう)、譯(わけ)の解(わか)らぬこと、代診(だいしん)の傍(そば)にゐること、壁(かべ)に懸(かゝ)つてる畫像(ぐわざう)、二十年(ねん)以上(いじやう)も相變(あひかは)らずに掛(か)けてゐる質問(しつもん)、是等(これら)は院長(ゐんちやう)をして少(すくな)からず退屈(たいくつ)せしめて、彼(かれ)は五六人(にん)の患者(くわんじや)を診察(しんさつ)し終(をは)ると、ふいと診察所(しんさつじよ)から出(で)て行(い)つて了(しま)ふ。で、後(あと)の患者(くわんじや)は代診(だいしん)が彼(かれ)に代(かは)つて診察(しんさつ)するのであつた。
院長(ゐんちやう)アンドレイ、エヒミチは疾(とう)から町(まち)の病家(びやうか)を有(も)たぬのを、却(かへ)つて可(い)い幸(さいはひ)に、誰(だれ)も自分(じぶん)の邪魔(じやま)をするものは無(な)いと云(い)ふ考(かんがへ)で、家(いへ)に歸(かへ)ると直(す)ぐ書齋(しよさい)に入(い)り、讀(よ)む書物(しよもつ)の澤山(たくさん)あるので、此(こ)の上(うへ)なき滿足(まんぞく)を以(もつ)て書見(しよけん)に耽(ふけ)るのである、彼(かれ)は月給(げつきふ)を受取(うけと)ると直(す)ぐ半分(はんぶん)は書物(しよもつ)を買(か)ふのに費(つひ)やす、其(そ)の六間(ま)借(か)りてゐる室(へや)の三つには、書物(しよもつ)と古雜誌(ふるざつし)とで殆(ほとんど)埋(うづま)つてゐる。彼(かれ)が最(もつと)も好(この)む所(ところ)の書物(しよもつ)は、歴史(れきし)、哲學(てつがく)で、醫學上(いがくじやう)の書物(しよもつ)は、唯(たゞ)『醫者(ヴラーチ)』と云(い)ふ一雜誌(ざつし)を取(と)つてゐるのに過(す)ぎぬ。讀書(どくしよ)爲初(しはじ)めると毎(いつ)も數時間(すうじかん)は續樣(つゞけさま)に讀(よ)むのであるが、少(すこ)しも其(そ)れで疲勞(つかれ)ぬ。彼(かれ)の書見(しよけん)は、イワン、デミトリチのやうに神經的(しんけいてき)に、迅速(じんそく)に讀(よ)むのではなく、徐(しづか)に眼(め)を通(とほ)して、氣(き)に入(い)つた所(ところ)、了解(れうかい)し得(え)ぬ所(ところ)は、留(とゞま)り/\しながら讀(よ)んで行(ゆ)く。書物(しよもつ)の側(そば)には毎(いつ)もウオツカの壜(びん)を置(お)いて、鹽漬(しほづけ)の胡瓜(きうり)や、林檎(りんご)が、デスクの羅紗(らしや)の布(きれ)の上(うへ)に置(お)いてある。半時間毎(はんじかんごと)位(くらゐ)に彼(かれ)は書物(しよもつ)から眼(め)を離(はな)さずに、ウオツカを一杯(ぱい)注(つ)いでは呑乾(のみほ)し、而(さう)して矢張(やはり)見(み)ずに胡瓜(きうり)を手探(てさぐり)で食(く)ひ缺(か)ぐ。
三時(じ)になると彼(かれ)は徐(しづか)に厨房(くりや)の戸(と)に近(ちか)づいて咳拂(せきばら)ひをして云(い)ふ。
『ダリユシカ、晝食(ひるめし)でも遣(や)り度(た)いものだな。』
不味(まづ)さうに取揃(とりそろ)へられた晝食(ひるめし)を爲(な)し終(を)へると、彼(かれ)は兩手(りやうて)を胸(むね)に組(く)んで考(かんが)へながら室内(しつない)を歩(ある)き初(はじ)める。其中(そのうち)に四時(じ)が鳴(な)る。五時(じ)が鳴(な)る、猶(なほ)彼(かれ)は考(かんが)へながら歩(ある)いてゐる。すると、時々(とき/″\)厨房(くりや)の戸(と)が開(あ)いて、ダリユシカの赤(あか)い寐惚顏(ねぼけがほ)[#ルビの「ねぼけがほ」は底本では「ねぼけがは」]が顯(あら)はれる。
『旦那樣(だんなさま)、もうビールを召上(めしあが)ります時分(じぶん)では御座(ござ)りませんか。』
と、彼女(かのじよ)は氣(き)を揉(も)んで問(と)ふ。
『いや未(ま)だ……もう少(すこ)し待(ま)たう……もう少(すこ)し……。』
と、彼(かれ)は云(い)ふ。
晩(ばん)には毎(いつ)も郵便局長(いうびんきよくちやう)のミハイル、アウエリヤヌヰチが遊(あそ)びに來(く)る。アンドレイ、エヒミチに取(と)つては此(こ)の人間計(ひとばひとか)りが、町中(まちゞゆう)で一人(ひとり)氣(き)の置(お)けぬ親友(しんいう)なので。ミハイル、アウエリヤヌヰチは元(もと)は富(と)んでゐた大地主(おほぢぬし)、騎兵隊(きへいたい)に屬(ぞく)してゐた者(もの)、然(しか)るに漸々(だん/\)身代(しんだい)を耗(す)つて了(しま)つて、貧乏(びんばふ)し、老年(らうねん)に成(な)つてから、遂(つひ)に此(こ)の郵便局(いうびんきよく)に入(はひ)つたので。至(いた)つて元氣(げんき)な、壯健(さうけん)な、立派(りつぱ)な白(しろ)い頬鬚(ほゝひげ)の、快活(くわいくわつ)な大聲(おほごゑ)の、而(しか)も氣(き)の善(よ)い、感情(かんじやう)の深(ふか)い人間(にんげん)である。然(しか)し又(また)極(ご)く腹立易(はらだちツぽ)い男(をとこ)で、誰(だれ)か郵便局(いうびんきよく)に來(き)た者(もの)で、反對(はんたい)でもするとか、同意(どうい)でも爲(せ)ぬとか、理屈(りくつ)でも並(なら)べやうものなら、眞赤(まつか)になつて、全身(ぜんしん)を顫(ふる)はして怒立(おこりた)ち、雷(らい)のやうな聲(こゑ)で、默(だま)れ! と一喝(かつ)する。其故(それゆゑ)に郵便局(いうびんきよく)に行(ゆ)くのは怖(こは)いと云(い)ふは一般(ぱん)の評判(ひやうばん)。が、彼(かれ)は町(まち)の者(もの)を恁(か)く部下(ぶか)のやうに遇(あつか)ふにも拘(かゝは)らず、院長(ゐんちやう)アンドレイ、エヒミチ計(ばか)りは、教育(けういく)があり、且(か)つ高尚(かうしやう)な心(こゝろ)を有(も)つてゐると、敬(うやま)ひ且(か)つ愛(あい)してゐた。
『やあ、私(わたし)です。』
と、ミハイル、アウエリヤヌヰチは毎(いつも)のやうに恁(か)う云(い)ひながら、アンドレイ、エヒミチの家(いへ)に入(はひ)つて來(き)た。
二人(ふたり)は書齋(しよさい)の長椅子(ながいす)に腰(こし)を掛(か)けて、暫時(ざんじ)莨(たばこ)を吹(ふ)かしてゐる。
『ダリユシカ、ビールでも欲(ほ)しいな。』
と、アンドレイ、エヒミチは云(い)ふ。
初(はじ)めの壜(びん)は二人共(ふたりとも)無言(むごん)の行(ぎやう)で呑乾(のみほ)して了(しま)ふ。院長(ゐんちやう)は考込(かんがへこ)んでゐる、ミハイル、アウエリヤヌヰチは何(なに)か面白(おもしろ)い話(はなし)を爲(し)やうとして、愉快(ゆくわい)さうになつてゐる。
話(はなし)は毎(いつ)も院長(ゐんちやう)から、初(はじ)まるので。
『何(なん)と殘念(ざんねん)なことぢや無(な)いですかなあ。』
と、アンドレイ、エヒミチは頭(かしら)を振(ふ)りながら、相手(あひて)の眼(め)を見(み)ずに徐々(のろ/\)と話出(はなしだ)す。彼(かれ)は話(はなし)をする時(とき)に人(ひと)の眼(め)を見(み)ぬのが癖(くせ)。
『我々(われ/\)の町(まち)に話(はなし)の面白(おもしろ)い、知識(ちしき)のある人間(にんげん)の皆無(かいむ)なのは、實(じつ)に遺憾(ゐかん)なことぢや有(あ)りませんか。是(これ)は我々(われ/\)に取(と)つて大(おほい)なる不幸(ふかう)です。上流社會(じやうりうしやくわい)でも卑劣(ひれつ)なこと以上(いじやう)には其教育(そのけういく)の程度(ていど)は上(のぼ)らんのですから、全(まつた)く下等社會(かとうしやくわい)と少(すこ)しも異(ことな)らんのです。』
『其(そ)れは眞實(まつたく)です。』と、郵便局長(いうびんきよくちやう)は云(い)ふ。
『君(きみ)も知(し)つてゐられる通(とほ)り。』
と、院長(ゐんちやう)は靜(しづか)な聲(こゑ)で、又(また)話續(はなしつゞ)けるので有(あ)つた。
『此(こ)の世(よ)の中(なか)には人間(にんげん)の知識(ちしき)の高尚(こうしやう)な現象(げんしやう)の外(ほか)には、一(ひとつ)として意味(いみ)のある、興味(きようみ)のあるものは無(な)いのです。人智(じんち)なるものが、動物(どうぶつ)と、人間(にんげん)との間(あひだ)に、大(おほい)なる限界(さかひ)をなして居(を)つて、人間(にんげん)の靈性(れいせい)を示(しめ)し、或(あ)る程度(ていど)まで、實際(じつさい)に無(な)い所(ところ)の不死(ふし)の換(かは)りを爲(な)してゐるのです。是(これ)に由(よ)つて人智(じんち)は、人間(にんげん)の唯一(ゐいつ)の快樂(くわいらく)の泉(いづみ)となつてゐる。然(しか)るに我々(われ/\)は自分(じぶん)の周圍(まはり)に、些(いさゝか)も知識(ちしき)を見(み)ず、聞(き)かずで、我々(われ/\)は全然(まるで)快樂(くわいらく)を奪(うば)はれてゐるやうなものです。勿論(もちろん)我々(われ/\)には書物(しよもつ)が有(あ)る。然(しか)し是(これ)は活(い)きた話(はなし)とか、交際(かうさい)とかと云(い)ふものとは又(また)別(べつ)で、餘(あま)り適切(てきせつ)な例(れい)では有(あ)りませんが、例(たと)へば書物(しよもつ)はノタで、談話(だんわ)は唱歌(しやうか)でせう。』
『其(そ)れは眞實(まつたく)です。』と、郵便局長(いうびんきよくちやう)は云(い)ふ。
二人(ふたり)は默(だま)る。厨房(くりや)からダリユシカが鈍(にぶ)い浮(う)かぬ顏(かほ)で出(で)て來(き)て、片手(かたて)で頬杖(ほゝづゑ)を爲(し)て、話(はなし)を聞(き)かうと戸口(とぐち)に立留(たちどま)つてゐる。
『あゝ君(きみ)は今(いま)の人間(にんげん)から知識(ちしき)をお望(のぞ)みになるのですか?』
とミハイル、アウエリヤヌヰチは嘆息(たんそく)して云(い)ふた。而(さう)して彼(かれ)は昔(むかし)の生活(せいくわつ)が健全(けんぜん)で、愉快(ゆくわい)で、興味(きようみ)の有(あ)つたこと、其頃(そのころ)の上流社會(じやうりうしやくわい)には知識(ちしき)が有(あ)つたとか、又(また)其社會(そのしやくわい)では廉直(れんちよく)、友誼(いうぎ)を非常(ひじやう)に重(おも)んじてゐたとか、證文(しようもん)なしで錢(ぜに)を貸(か)したとか、貧窮(ひんきゆう)な友人(いうじん)に扶助(たすけ)を與(あた)へぬのを恥(はぢ)としてゐたとか、愉快(ゆくわい)な行軍(かうぐん)や、戰爭(せんさう)などの有(あ)つたこと、面白(おもしろ)い人間(にんげん)、面白(おもしろ)い婦人(ふじん)の有(あ)つたこと、又(また)高加索(カフカズ)と云(い)ふ所(ところ)は實(じつ)に好(い)い土地(とち)で、或(あ)る騎兵大隊長(きへいだいたいちやう)の夫人(ふじん)に變者(かはりもの)があつて、毎(いつ)でも身(み)に士官(しくわん)の服(ふく)を着(つ)けて、夜(よる)になると一人(ひとり)で、カフカズの山中(さんちゆう)を案内者(あんないしや)もなく騎馬(きば)で行(ゆ)く。話(はなし)に聞(き)くと、何(なん)でも韃靼人(だつたんじん)の村(むら)に、其夫人(そのふじん)と、土地(とち)の某公爵(ぼうこうしやく)との間(あひだ)に小説(せうせつ)があつたとの事(こと)だ、とかと。
『へゝえ。』
とダリユシカは感心(かんしん)して聞(き)いてゐる。
『而(さう)して可(よ)く呑(の)み、可(よ)く食(く)つたものだ。又(また)非常(ひじやう)な自由主義(じいうしゆぎ)の人間(にんげん)なども有(あ)つたツけ。』
アンドレイ、エヒミチは聞(き)いてはゐたが、耳(みゝ)にも留(とま)らぬ風(ふう)で、何(なに)かを考(かんが)へながら、ビールをチビリ/\と呑(の)んでゐる。
『私(わたし)は奈何(どう)かすると知識(ちしき)のある秀才(しうさい)と話(はなし)を爲(し)てゐることを夢(ゆめ)に見(み)ることがあります。』
と、院長(ゐんちやう)は突然(だしぬけ)にミハイル、アウエリヤヌヰチの言(ことば)を遮(さへぎ)つて言(い)ふた。
『私(わたし)の父(ちゝ)は私(わたし)に立派(りつぱ)な教育(けういく)を與(あた)へたです、然(しか)し六十年代(ねんだい)の思想(しさう)の影響(えいきやう)で、私(わたし)を醫者(いしや)として了(しま)つたが、私(わたし)が若(も)し其時(そのとき)に父(ちゝ)の言(い)ふ通(とほ)りにならなかつたなら、今頃(いまごろ)は現代思潮(げんだいしてう)の中心(ちゆうしん)となつてゐたであらうと思(おも)はれます。其時(そのとき)には屹度(きつと)大學(だいがく)の分科(ぶんくわ)の教授(けうじゆ)にでもなつてゐたのでせう。無論(むろん)知識(ちしき)なるものは、永久(えいきう)のものでは無(な)く、變遷(へんせん)して行(ゆ)くものですが、然(しか)し生活(せいくわつ)と云(い)ふものは、忌々(いま/\)しい輪索(わな)です。思想(しさう)の人間(にんげん)が成熟(せいじゆく)の期(き)に達(たつ)して、其思想(そのしさう)が發展(はつてん)される時(とき)になると、其人間(そのにんげん)は自然(しぜん)自分(じぶん)がもう已(すで)に此(こ)の輪索(わな)に掛(かゝ)つてゐる遁(のが)れる路(みち)の無(な)くなつてゐるのを感(かん)じます。實際(じつさい)人間(にんげん)は自分(じぶん)の意旨(いし)に反(はん)して、或(あるひ)は偶然(ぐうぜん)な事(こと)の爲(ため)に、無(む)から生活(せいくわつ)に喚出(よびだ)されたものであるのです……。』
『其(そ)れは眞實(まつたく)です。』
と、ミハイル、アウエリヤヌヰチは云(い)ふ。
アンドレイ、エヒミチは依然(やはり)相手(あひて)の顏(かほ)を見(み)ずに、知識(ちしき)ある者(もの)の話計(はなしばか)りを續(つゞ)ける、ミハイル、アウエリヤヌヰチは注意(ちゆうい)して聽(き)いてゐながら『其(そ)れは眞實(まつたく)です。』と、其(そ)れ計(ばか)りを繰返(くりかへ)してゐた。
『然(しか)し君(きみ)は靈魂(れいこん)の不死(ふし)を信(しん)じなさらんのですか?』
と俄(にはか)にミハイル、アウエリヤヌヰチは問(と)ふ。
『いや、ミハイル、アウエリヤヌヰチ、信(しん)じません、信(しん)じる理由(りいう)が無(な)いのです。』と、院長(ゐんちやう)は云(い)ふ。
『實(じつ)を申(まを)すと私(わたし)も疑(うたが)つてゐるのです。然(しか)し尤(もつと)も、私(わたくし)は或時(あるとき)は死(し)なん者(もの)のやうな感(かんじ)もするですがな。其(そ)れは時時(とき/″\)恁(か)う思(おも)ふ事(こと)があるです。
這麼老朽(こんならうきう)な體(からだ)は死(し)んでも可(い)い時分(じぶん)だ、とさう思(おも)ふと、忽(たちま)ち又(また)何(なん)やら心(こゝろ)の底(そこ)で聲(こゑ)がする、氣遣(きづか)ふな、死(し)ぬ事(こと)は無(な)いと云(い)つて居(ゐ)るやうな。』
九時(じ)少(すこ)し過(す)ぎ、ミハイル、アウエリヤヌヰチは歸(かへ)らんとて立上(たちあが)り、玄關(げんくわん)で毛皮(けがは)の外套(ぐわいたう)を引掛(ひつか)けながら溜息(ためいき)して云(い)ふた。
『然(しか)し我々(われ/\)は隨分酷(ずゐぶんひど)い田舍(ゐなか)に引込(ひつこ)んだものさ、殘念(ざんねん)なのは、這麼處(こんなところ)で往生(わうじやう)をするのかと思(おも)ふと、あゝ……。』
(七)
親友(しんいう)を送出(おくりだ)して、アンドレイ、エヒミチは又(また)讀書(どくしよ)を初(はじ)めるのであつた。夜(よる)は靜(しづか)で何(なん)の音(おと)も爲(せ)ぬ。時(とき)は留(とゞま)つて院長(ゐんちやう)と共(とも)に書物(しよもつ)の上(うへ)に途絶(とだ)えて了(しま)つたかのやう。此(こ)の書物(しよもつ)と、青(あを)い傘(かさ)を掛(か)けたランプとの外(ほか)には、世(よ)に又(また)何物(なにもの)も有(あ)らぬかと思(おも)はるる靜(しづ)けさ。院長(ゐんちやう)の可畏(むくつけ)き、無人相(ぶにんさう)の顏(かほ)は、人智(じんち)の開發(かいはつ)に感(かん)ずるに從(したが)つて、段々(だん/\)と和(やはら)ぎ、微笑(びせう)をさへ浮(うか)べて來(き)た。
『あゝ、奈何(どう)して、人(ひと)は不死(ふし)の者(もの)では無(な)いか。』
と、彼(かれ)は考(かんが)へてゐる。『腦髓(なうずゐ)や、視官(しくわん)、言語(げんご)、自覺(じかく)、天才(てんさい)などは、終(つひ)には皆(みな)土中(どちゆう)に入(はひ)つて了(しま)つて、旋(やが)て地殼(ちかく)と共(とも)に冷却(れいきやく)し、何百萬年(なんびやくまんねん)と云(い)ふ長(なが)い間(あひだ)、地球(ちきう)と一所(しよ)に意味(いみ)もなく、目的(もくてき)も無(な)く廻(まは)り行(ゆ)くやうになるとなれば、何(なん)の爲(ため)に這麼物(こんなもの)が有(あ)るのか……。』冷却(れいきやく)して後(のち)、飛散(ひさん)するとすれば、高尚(かうしやう)なる殆(ほとん)ど神(かみ)の如(ごと)き智力(ちりよく)を備(そな)へたる人間(にんげん)を、虚無(きよむ)より造出(つくりだ)すの必要(ひつえう)はない。而(さう)して恰(あたか)も嘲(あざけ)るが如(ごと)くに、又(また)人(ひと)を粘土(ねんど)に化(くわ)する必要(ひつえう)は無(な)い。あゝ物質(ぶつしつ)の新陳代謝(しんちんたいしや)よ。然(しかし)ながら不死(ふし)の代替(だいたい)を以(もつ)て、自分(じぶん)を慰(なぐさ)むると云(い)ふ事(こと)は臆病(おくびやう)ではなからうか。自然(しぜん)に於(おい)て起(おこ)る所(ところ)の無意識(むいしき)なる作用(さよう)は、人間(にんげん)の無智(むち)にも劣(おと)つてゐる。何(なん)となれば、無智(むち)には幾分(いくぶん)か、意識(いしき)と意旨(いし)とがある。が、作用(さよう)には何(なに)もない。死(し)に對(たい)して恐怖(きようふ)を抱(いだ)く臆病者(おくびやうもの)は、左(さ)の事(こと)を以(もつ)て自分(じぶん)を慰(なぐさ)める事(こと)が出來(でき)る。即(すなは)ち彼(か)の體(たい)を將來(しやうらい)、草(くさ)、石(いし)、蟇(ひきがへる)の中(うち)に入(い)つて、生活(せいくわつ)すると云(い)ふ事(こと)を以(もつ)て慰(なぐさ)むることが出來(でき)る。
『其(そ)れとも物質(ぶつしつ)の變換(へんくわん)……物質(ぶつしつ)の變換(へんくわん)を認(みと)めて、直(すぐ)に人間(にんげん)の不死(ふし)と爲(な)すと云(い)ふのは、恰(あだか)も高價(かうか)なヴアイオリンが破(こは)れた後(あと)で、其明箱(そのあきばこ)が換(かは)つて立派(りつぱ)な物(もの)となると同(おな)じやうに、誠(まこと)に譯(わけ)の解(わか)らぬ事(こと)である。』
時計(とけい)が鳴(な)る。アンドレイ、エヒミチは椅子(いす)の倚掛(よりかゝり)に身(み)を投(な)げて、眼(め)を閉(と)ぢて考(かんが)へる。而(さう)して今(いま)讀(よ)んだ書物(しよもつ)の中(うち)の面白(おもしろ)い影響(えいきやう)で、自分(じぶん)の過去(くわこ)と、現在(げんざい)とに思(おもひ)を及(およぼ)すのであつた。
『過去(くわこ)は思出(おもひだ)すのも不好(いや)だ、と云(い)つて、現在(げんざい)も亦(また)過去(くわこ)と同樣(どうやう)ではないか。』
と、彼(かれ)は其(そ)れから患者等(くわんじやら)のこと、不潔(ふけつ)な病室(びやうしつ)の中(うち)に苦(くる)しんでゐること、杯(など)を思(おも)ひ起(おこ)す。『未(ま)だ眠(ねむ)らないで南京蟲(なんきんむし)と戰(たゝか)つてゐる者(もの)も有(あ)らう、或(あるひ)は強(つよ)く繃帶(はうたい)を締(し)められて惱(なや)んで呻(うな)つてゐる者(もの)も有(あ)らう、又(また)或(あ)る患者等(くわんじやら)は看護婦(かんごふ)を相手(あいて)に骨牌遊(かるたあそび)を爲(し)てゐる者(もの)も有(あ)らう、或(あるひ)はヴオツカを呑(の)んでゐる者(もの)も有(あ)らう、病院(びやうゐん)の事業(じげふ)は總(すべ)て二十年前(ねんまへ)と少(すこ)しも變(かは)らぬ。窃盜(せつたう)、姦淫(かんいん)、詐欺(さぎ)の上(うへ)に立(た)てられてゐるのだ。であるから、病院(びやうゐん)は依然(いぜん)として、町(まち)の住民(ぢゆうみん)の健康(けんかう)には有害(いうがい)で、且(か)つ不徳義(ふとくぎ)なものである。』
と、彼(かれ)は思(おも)ひ來(きた)り、更(さら)に又(また)彼(か)の六號室(がうしつ)の鐵格子(てつがうし)の中(なか)で、ニキタが患者等(くわんじやら)を打毆(なぐ)つてゐる事(こと)、モイセイカが町(まち)に行(い)つては、施(ほどこし)を請(こ)ふてゐる姿(すがた)などを思(おも)ひ出(だ)す。
其(そ)れより又(また)彼(かれ)は醫學(いがく)の此(こ)の近(ちか)き二十五年間(ねんかん)に於(おい)て、如何(いか)に長足(ちやうそく)の進歩(しんぽ)を爲(な)したかと云(い)ふ事(こと)を考(かんが)へ初(はじ)める。
『自分(じぶん)が大學(だいがく)にゐた時分(じぶん)は、醫學(いがく)も猶且(やはり)、錬金術(れんきんじゆつ)や、形而上學(けいじゝやうがく)などと同(おな)じ運命(うんめい)に至(いた)るものと思(おも)ふてゐたが、實(じつ)に驚(おどろ)く可(べ)き進歩(しんぽ)である。大革命(だいかくめい)とも名(なづ)けられる位(くらゐ)だ、防腐法(ばうふはふ)の發明(はつめい)によつて、大家(たいか)のピロウゴフさへも、到底(たうてい)出來得(できう)べからざる事(こと)を認(みとめ)てゐた手術(しゆじゆつ)が、容易(たやす)く遣(や)られるやうにはなつた。今(いま)では腹部截開(ふくぶせつかい)の百度(たび)の中(うち)、死(し)を見(み)ることは一度位(どぐらゐ)なものである。梅毒(ばいどく)も根治(こんぢ)される、其他(そのた)遺傳論(ゐでんろん)、催眠術(さいみんじゆつ)、パステルや、コツホなどの發見(はつけん)、衞生學(ゑいせいがく)、統計學(とうけいがく)などは奈何(どう)であらう……。』
我々(われ/\)ロシヤの地方團體(ちはうだんたい)の醫術(いじゆつ)は如何(どう)であらうか、先(ま)づ精神病(せいしんびやう)に就(つ)いて云(い)ふならば、現今(げんこん)の病氣(びやうき)の類別法(るゐべつはふ)、診斷(しんだん)、治療(ちれう)の方法(はうはふ)、共(とも)に皆是(みなこれ)を過去(くわこ)の精神病學(せいしんびやうがく)と比較(ひかく)するならば、其(そ)の差(さ)はエリボルスの山(やま)の如(ごと)き高大(かうだい)なるものである。現今(げんこん)では精神病者(せいしんびやうしや)の治療(ちれう)に冷水(れいすゐ)を注(そゝ)がぬ、蒸暑(むしあつ)きシヤツを被(き)せぬ、而(さう)して人間的(にんげんてき)に彼等(かれら)を取扱(とりあつか)ふ、即(すなは)ち新聞(しんぶん)に記載(きさい)する通(とほ)り、彼等(かれら)の爲(ため)に、演劇(えんげき)、舞踏(ぶたふ)を催(もよほ)す。
彼(かれ)は又(また)恁(か)く思考(かんが)へた。
現時(げんじ)の見解(けんかい)及(およ)び趣味(しゆみ)を見(み)るに、六號室(がうしつ)の如(ごと)きは、誠(まこと)に見(み)るに忍(しの)びざる、厭惡(えんを)に堪(た)へざるものである。恁(かゝ)る病室(びやうしつ)は、鐵道(てつだう)を去(さ)ること、二百露里(ヴエルスタ)の此(こ)の小都會(せうとくわい)に於(おい)てのみ見(み)るのである。即(すなは)ち此所(こゝ)の市長(しちやう)並(ならび)に町會議員(ちやうくわいぎゐん)は皆(みな)生物知(ゝまものし)りの町人(ちやうにん)である、であるから醫師(いし)を見(み)ることは神官(しんくわん)の如(ごと)く、其(そ)の言(い)ふ所(ところ)を批評(ひゝやう)せずして信(しん)じてゐる。例(たと)へば、溶解(ようかい)せる鉛(なまり)を口(くち)に入(い)るゝとも、少(すこ)しも不思議(ふしぎ)には思(おも)はぬであらう。が、若(も)し是(これ)が他(た)の所(ところ)に於(おい)ては如何(どう)であらうか、公衆(こうしゆう)と、新聞紙(しんぶんし)とは必(かなら)ず此(かく)の如(ごと)き監獄(バステリヤ)は、とうに寸斷(すんだん)にして了(しま)つたであらう。
『然(しか)し其(そ)れが奈何(どう)である。』
と、彼(かれ)はパツと眼(め)を開(ひら)いて自(みづか)ら問(と)ふた。
『防腐法(ばうふはう)だとか、コツホだとか、パステルだとか云(い)つたつて、實際(じつさい)に於(おい)ては世(よ)の中(なか)は少(すこ)しも是迄(これまで)と變(かは)らないでは無(な)いか、病氣(びやうき)の數(すう)も、死亡(しばう)の數(すう)も、瘋癲患者(ふうてんくわんじや)の爲(ため)だと云(い)つて、舞踏會(ぶたふくわい)やら、演藝會(えんげいくわい)やらが催(もよほ)されるが、然(しか)し彼等(かれら)をして全(まつた)く開放(かいはう)することは出來(でき)ないでは無(な)いか。而(し)て見(み)れば、何(なん)でも皆(みな)空(むな)しい事(こと)だ、ヴインナの完全(くわんぜん)な大學病院(だいがくびやうゐん)でも、我々(われ/\)の此(こ)の病院(びやうゐん)と少(すこ)しも差別(さべつ)は無(な)いのだ。
然(しか)し俺(おれ)は有害(いうがい)な事(こと)に務(つと)めてると云(い)ふものだ、自分(じぶん)の欺(あざむ)いてゐる人間(にんげん)から給料(きふれう)を貪(むさぼ)つてゐる、不正直(ふしやうぢき)だ、然(け)れども俺(おれ)其者(そのもの)は至(いた)つて微々(びゞ)たるもので、社會(しやくわい)の必然(ひつぜん)の惡(あく)の一分子(ぶんし)に過(す)ぎぬ、總(すべ)て町(まち)や、郡(ぐん)の官吏共(くわんりども)でも皆(みな)詰(つま)り無用(むよう)の長物(ちやうぶつ)だ。唯(た)だ給料(きふれう)を貪(むさぼ)つてゐるに過(す)ぎん……而(さう)して見(み)れば不正直(ふしやうぢき)の罪(つみ)は、敢(あへ)て自分計(じぶんばか)りぢや無(な)い、時勢(じせい)に有(あ)るのだ、もう二百年(ねん)も晩(おそ)く自分(じぶん)が生(うま)れたなら、全然(まるで)別(べつ)の人間(にんげん)で有(あ)つたかも知(し)れぬ。』
三時(じ)が鳴(な)る、彼(かれ)はランプを消(け)して寐室(ねべや)に行(い)つた。が、奈何(どう)しても睡眠(ねむり)に就(つ)くことは出來(でき)ぬのであつた。
(八)
二年(ねん)此方(このかた)、地方自治體(ちはうじちたい)はやう/\饒(ゆたか)になつたので、其管下(そのくわんか)に病院(びやうゐん)の設立(たて)られるまで、年々(ねん/\)三百圓(ゑん)づつを此(こ)の町立病院(ちやうりつびやうゐん)に補助金(ほじよきん)として出(だ)す事(こと)となり、病院(びやうゐん)では其(そ)れが爲(ため)に醫員(いゐん)を一人(ひとり)増(ま)す事(こと)と定(さだ)められた。で、アンドレイ、エヒミチの補助手(ほじよしゆ)として、軍醫(ぐんい)のエウゲニイ、フエオドロヰチ、ハヾトフといふが、此(こ)の町(まち)に聘(へい)せられた。其人(そのひと)は未(ま)だ三十歳(さい)に足(た)らぬ若(わか)い男(をとこ)で、頬骨(ほゝぼね)の廣(ひろ)い、眼(め)の小(ちひ)さい、ブルネト、其祖先(そのそせん)は外國人(ぐわいこくじん)で有(あ)つたかのやうにも見(み)える、彼(かれ)が町(まち)に來(き)た時(とき)は、錢(ぜに)と云(い)つたら一文(もん)もなく、小(ちひ)さい鞄(かばん)只(たゞ)一個(ひとつ)と、下女(げぢよ)と徇(ふ)れてゐた醜女計(みにくいをんなばか)りを伴(ともな)ふて來(き)たので、而(さう)して此女(このをんな)には乳呑兒(ちのみご)が有(あ)つた。彼(かれ)は常(つね)に廂(ひさし)の附(つ)いた丸帽(まるばう)を被(かぶ)つて、深(ふか)い長靴(ながぐつ)を穿(は)き冬(ふゆ)には毛皮(けがは)の外套(ぐわいたう)を着(き)て外(そと)を歩(ある)く。病院(びやうゐん)に來(き)てより間(ま)もなく、代診(だいしん)のセルゲイ、セルゲヰチとも、會計(くわいけい)とも、直(す)ぐに親密(しんみつ)になつたのである。下宿(げしゆく)には書物(しよもつ)は唯(たゞ)一册(さつ)『千八百八十一年度(ねんど)ヴインナ大學病院(だいがくびやうゐん)最近(さいきん)處方(しよはう)』と題(だい)するもので、彼(かれ)は患者(くわんじや)の所(ところ)へ行(い)く時(とき)には必(かなら)ず其(そ)れを携(たづさ)へる。晩(ばん)になると倶樂部(くらぶ)に行(い)つては玉突(たまつき)をして遊(あそ)ぶ、骨牌(かるた)は餘(あま)り好(この)まぬ方(はう)、而(さう)して何時(いつ)もお極(きま)りの文句(もんく)を可(よ)く云(い)ふ人間(にんげん)。
病院(びやうゐん)には一週(しう)に二度(ど)づつ通(かよ)つて、外來患者(ぐわいらいくわんじや)を診察(しんさつ)したり、各病室(かくびやうしつ)を廻(まは)つたりしてゐたが、防腐法(ばうふはふ)の此(こゝ)では全(まつた)く行(おこな)はれぬこと、呼血器(きふけつき)のことなどに就(つ)いて、彼(かれ)は頗(すこぶ)る異議(いぎ)を有(も)つてゐたが、其(そ)れと打付(うちつ)けて云(い)ふのも、院長(ゐんちやう)に恥(はぢ)を掻(か)かせるやうなものと、何(なん)とも云(い)はずにはゐたが、同僚(どうれう)の院長(ゐんちやう)アンドレイ、エヒミチを心祕(こゝろひそか)に、老込(おいこみ)の怠惰者(なまけもの)として、奴(やつ)、金計(かねばか)り溜込(ためこ)んでゐると羨(うらや)んでゐた。而(さう)して其後任(そのこうにん)を自分(じぶん)で引受(ひきう)け度(た)く思(おも)ふてゐた。
(九)
三月(ぐわつ)の末(すゑ)つ方(かた)、消(き)えがてなりし雪(ゆき)も、次第(しだい)に跡(あと)なく融(と)けた或夜(あるよ)、病院(びやうゐん)の庭(には)には椋鳥(むくどり)が切(しき)りに鳴(な)いてた折(をり)しも、院長(ゐんちやう)は親友(しんいう)の郵便局長(いうびんきよくちやう)の立歸(たちか)へるのを、門迄(もんまで)見送(みおく)らんと室(しつ)を出(で)た。丁度(ちやうど)其時(そのとき)、庭(には)に入(はひ)つて來(き)たのは、今(いま)しも町(まち)を漁(あさ)つて來(き)た猶太人(ジウ)のモイセイカ、帽(ばう)も被(かぶ)らず、跣足(はだし)に淺(あさ)い上靴(うはぐつ)を突掛(つツか)けたまゝ、手(て)には施(ほどこし)の小(ちひ)さい袋(ふくろ)を提(さ)げて。
『一錢(せん)おくんなさい!』
と、モイセイカは寒(さむ)さに顫(ふる)へながら、院長(ゐんちやう)を見(み)て微笑(びせう)する。
辭(じ)することの出來(でき)ぬ院長(ゐんちやう)は、隱(かくし)から十錢(せん)を出(だ)して彼(かれ)に遣(や)る。
『これは可(よ)くない』と、院長(ゐんちやう)はモイセイカの瘠(や)せた赤(あか)い跣足(はだし)の踝(くるぶし)を見(み)て思(おも)ふた。
『路(みち)は泥濘(ぬか)つてゐると云(い)ふのに。』
院長(ゐんちやう)は不覺(そゞろ)に哀(あは)れにも、又(また)不氣味(ぶきみ)にも感(かん)じて、猶太人(ジウ)の後(あと)に尾(つ)いて、其禿頭(そのはげあたま)だの、足(あし)の踝(くるぶし)などを□(みまは)しながら、別室(べつしつ)まで行(い)つた。小使(こづかひ)のニキタは相(あひ)も變(かは)らず、雜具(がらくた)の塚(つか)の上(うへ)に轉(ころが)つてゐたのであるが、院長(ゐんちやう)の入(はひ)つて來(き)たのに吃驚(びつくり)して跳起(はねお)きた。
『ニキタ、今日(こんにち)は。』
と、院長(ゐんちやう)は柔(やさ)しく彼(かれ)に挨拶(あいさつ)して。
『此(こ)の猶太人(ジウ)に靴(くつ)でも與(あた)へたら奈何(どう)だ、然(さ)うでもせんと風邪(かぜ)を引(ひ)く。』
『はツ、拜承(かしこ)まりまして御坐(ござ)りまする。直(すぐ)に會計(くわいけい)に然(さ)う申(まを)しまして。』
『然(さ)うして下(くだ)さい、お前(まへ)は會計(くわいけい)に私(わたし)がさう云(い)つたと云(い)つて呉(く)れ。』
玄關(げんくわん)から病室(びやうしつ)へ通(かよ)ふ戸(と)は開(ひら)かれてゐた。イワン、デミトリチは寐薹(ねだい)の上(うへ)に横(よこ)になつて、肘(ひぢ)を突(つ)いて、さも心配(しんぱい)さうに、人聲(ひとごゑ)がするので此方(こなた)を見(み)て耳(みゝ)を欹(そばだ)てゝゐる。と、急(きふ)に來(き)た人(ひと)の院長(ゐんちやう)だと解(わか)つたので、彼(かれ)は全身(ぜんしん)を怒(いかり)に顫(ふる)はして、寐床(ねどこ)から飛上(とびあが)り、眞赤(まつか)になつて、激怒(げきど)して、病室(びやうしつ)の眞中(まんなか)に走(はし)り出(で)て突立(つゝた)つた。
『やあ、院長(ゐんちやう)が來(き)たぞ!』
イワン、デミトリチは高(たか)く叫(さけ)んで、笑(わら)ひ出(だ)す。
『來(き)た々々! 諸君(しよくん)お目出(めで)たう、院長閣下(ゐんちやうかくか)が我々(われ/\)を訪問(はうもん)せられた! 此(こ)ン畜生(ちくしやう)め!』
と、彼(かれ)は聲(こゑ)を甲走(かんばし)らして、地鞴踏(ぢだんだふ)んで、同室(どうしつ)の者等(ものら)の未(いま)だ嘗(か)つて見(み)ぬ騷方(さわぎかた)。
『此(こ)ン畜生(ちくしやう)! やい毆殺(ぶちころ)して了(しま)へ! 殺(ころ)しても足(た)るものか、便所(べんじよ)にでも敲込(たゝきこ)め!』
院長(ゐんちやう)のアンドレイ、エヒミチは玄關(げんくわん)の間(ま)から病室(びやうしつ)の内(なか)を覗込(のぞきこ)んで、物柔(ものやは)らかに問(と)ふので有(あ)つた。
『何故(なぜ)ですね?』
『何故(なぜ)だと。』と、イワン、デミトリチは嚇(おど)すやうな氣味(きみ)で、院長(ゐんちやう)の方(はう)に近寄(ちかよ)り、顫(ふる)ふ手(て)に病院服(びやうゐんふく)の前(まへ)を合(あは)せながら。
『何故(なぜ)かも無(な)いものだ! 此(こ)の盜人(ぬすびと)め!』
彼(かれ)は惡々(にく/\)しさうに唾(つば)でも吐(は)つ掛(か)けるやうな口付(くちつ)きをして。
『此(こ)の山師(やまし)! 人殺(ひとごろ)し!』
『まあ、落着(おちつ)きなさい。』
と、アンドレイ、エヒミチは惡(わ)るかつたと云(い)ふやうな顏付(かほつき)で云(い)ふ。
『可(よ)くお聽(き)きなさい、私(わたし)は未(ま)だ何(なん)にも盜(ぬす)んだ事(こと)もなし、貴方(あなた)に何(なに)も致(いた)したことは無(な)いのです。貴方(あなた)は何(なに)か間違(まちが)つてお出(いで)なのでせう、醜(ひど)く私(わたし)を怒(おこ)つてゐなさるやうだが、まあ落着(おちつ)いて、靜(しづ)かに、而(さう)して何(なに)を立腹(りつぷく)してゐなさるのか、有仰(おつしや)つたら可(い)いでせう。』
『だが何(なん)の爲(ため)に貴下(あなた)は私(わたし)を這麼(こんな)ところに入(い)れて置(お)くのです?』
『其(そ)れは貴君(あなた)が病人(びやうにん)だからです。』
『はあ、病人(びやうにん)、然(しか)し何(なん)百人(にん)と云(い)ふ狂人(きやうじん)が自由(じいう)に其處邊(そこらへん)を歩(ある)いてゐるではないですか、其(そ)れは貴方々(あなたがた)の無學(むがく)なるに由(よ)つて、狂人(きやうじん)と、健康(けんかう)なる者(もの)との區別(くべつ)が出來(でき)んのです。何(なん)の爲(ため)に私(わたし)だの、そら此處(こゝ)にゐる此(こ)の不幸(ふかう)な人達計(ひとたちばか)りが恰(あだか)も獻祭(けんさい)の山羊(やぎ)の如(ごと)くに、衆(しゆう)の爲(ため)に此(こゝ)に入(い)れられてゐねばならんのか。貴方(あなた)を初(はじ)め、代診(だいしん)、會計(くわいけい)、其(そ)れから、總(すべ)て此(こ)の貴方(あなた)の病院(びやうゐん)に居(ゐ)る奴等(やつら)は、實(じつ)に怪(け)しからん、徳義上(とくぎじやう)に於(おい)ては我々共(われ/\ども)より遙(はるか)に劣等(れつとう)だ、何(なん)の爲(ため)に我々計(われ/\ばか)りが此(こゝ)に入(い)れられて居(を)つて、貴方々(あなたがた)は然(さ)うで無(な)いのか、何處(どこ)に那樣論理(そんなろんり)があります?』
『徳義上(とくぎじやう)だとか、論理(ろんり)だとか、那樣事(そんなこと)は何(なに)も有(あ)りません。唯(たゞ)場合(ばあひ)です。即(すなは)ち此處(こゝ)に入(い)れられた者(もの)は入(はひ)つてゐるのであるし、入(い)れられん者(もの)は自由(じいう)に出歩(である)いてゐる、其(そ)れ丈(だ)けの事(こと)です。私(わたし)が醫者(いしや)で、貴方(あなた)が精神病者(せいしんびやうしや)であると云(い)ふことに於(おい)て、徳義(とくぎ)も無(な)ければ、論理(ろんり)も無(な)いのです。詰(つま)り偶然(ぐうぜん)の場合(ばあひ)のみです。』
『那樣屁理屈(そんなへりくつ)は解(わか)らん。』
と、イワン、デミトリチは小聲(こゞゑ)で云(い)つて、自分(じぶん)の寐薹(ねだい)の上(うへ)に坐(すわ)り込(こ)む。
モイセイカは今日(けふ)は院長(ゐんちやう)のゐる爲(ため)に、ニキタが遠慮(ゑんりよ)して何(なに)も取返(とりかへ)さぬので、貰(もら)つて來(き)た雜物(ざふもつ)を、自分(じぶん)の寐薹(ねだい)の上(うへ)に洗ひ浚(あらざら)ひ廣(ひろ)げて、一つ/\並(なら)べ初(はじ)める。パンの破片(かけら)、紙屑(かみくづ)、牛(うし)の骨(ほね)など、而(さう)して寒(さむさ)に顫(ふる)へながら、猶太語(エヴレイご)で、早言(はやこと)に歌(うた)ふやうに喋(しやべ)り出(だ)す、大方(おほかた)開店(かいてん)でも爲(し)た氣取(きどり)で何(なに)かを吹聽(ふいちやう)してゐるので有(あ)らう。
『私(わたし)を此處(こゝ)から出(だ)して下(くだ)さい。』と、イワン、デミトリチは聲(こゑ)を顫(ふる)はして云(い)ふ。
『其(そ)れは出來(でき)ません。』
『如何云(どうい)ふ譯(わけ)で。其(そ)れを聞(き)きませう。』
『其(そ)れは私(わたし)の權内(けんない)に無(な)い事(こと)なのです。まあ、考(かんが)へて御覽(ごらん)なさい、私(わたし)が假(かり)に貴方(あなた)を此(こゝ)から出(だし)たとして、甚麼利益(どんなりえき)が有(あ)りますか。先(ま)づ出(で)て御覽(ごらん)なさい、町(まち)の者(もの)か、警察(けいさつ)かが又(また)貴方(あなた)を捉(とら)へて連(つ)れて參(まゐ)りませう。』
『左樣(さやう)さ/\其(そ)れは然(さ)うだ。』と、イワン、デミトリチは額(ひたひ)の汗(あせ)を拭(ふ)く、『其(そ)れは然(さ)うだ、然(しか)し私(わたし)は如何(どう)したら可(よ)からう。』
アンドレイ、エヒミチはイワン、デミトリチの顏付(かほつき)、眼色(めいろ)抔(など)を酷(ひど)く氣(き)に入(い)つて、如何(どう)かして此(こ)の若者(わかもの)を手懷(てなづ)けて、落着(おちつ)かせやうと思(おも)ふたので、其寐薹(そのねだい)の上(うへ)に腰(こし)を下(おろ)し、些(ちよつ)と考(かんが)へて、偖(さて)言出(いひだ)す。
『貴方(あなた)は如何(どう)したら可(よ)からうと有仰(おつしや)るが。貴方(あなた)の位置(ゐち)を好(よ)くするのには、此(こゝ)から逃出(にげだ)す一方(ぱう)です。然(しか)し其(そ)れは殘念(ざんねん)ながら無益(むえき)に歸(き)するので、貴方(あなた)は到底(たうてい)捉(とら)へられずには居(を)らんです。社會(しやくわい)が犯罪人(はんざいにん)や、精神病者(せいしんびやうしや)や、總(すべ)て自分等(じぶんら)に都合(つがふ)の惡(わる)い人間(にんげん)に對(たい)して、自衞(じゑい)を爲(な)すのには、如何(どう)したつて勝(か)つ事(こと)は出來(でき)ません。で、貴方(あなた)の爲(な)すべき所(ところ)は一つです。即(すなは)ち此處(こゝ)に居(ゐ)る事(こと)が必要(ひつえう)であると考(かんが)へて、安心(あんしん)をしてゐるのみです。』
『いや、誰(たれ)にも此處(こゝ)は必要(ひつえう)ぢや有(あ)りません。』
『然(しか)し已(すで)に監獄(かんごく)だとか、瘋癲病院(ふうてんびやうゐん)だとかの存在(そんざい)する以上(いじやう)は、誰(たれ)か其中(そのうち)に入(はひ)つてゐねばなりません、貴方(あなた)でなければ、私(わたくし)、でなければ、他(ほか)の者(もの)が。まあお待(ま)ちなさい、左樣(さやう)今(いま)に遙(はる)か遠(とほ)き未來(みらい)に、監獄(かんごく)だの、瘋癲病院(ふうてんびやうゐん)の全廢(ぜんぱい)された曉(あかつき)には、即(すなは)ち此(こ)の窓(まど)の鐵格子(てつがうし)も、此(こ)の病院服(びやうゐんふく)も、全(まつた)く無用(むよう)になつて了(しま)ひませう、無論(むろん)、然云(さうい)ふ時(とき)は早晩(さうばん)來(き)ませう。』
イワン、デミトリチはニヤリと冷笑(わら)つた。
『然(さう)でせう。』と、彼(かれ)は眼(め)を細(ほそ)めて云(い)ふた。『貴方(あなた)だの、貴方(あなた)の補助者(ほじよしや)のニキタなどのやうな、然云(さうい)ふ人間(にんげん)には、未來(みらい)などは何(なん)の要(えう)も無(な)い譯(わけ)です。で、貴方(あなた)は好(よ)い時代(じだい)が來(こ)やうと濟(すま)してもゐられるでせうが、いや、私(わたくし)の言(い)ふことは卑(いやし)いかも知(し)れません、笑止(をか)しければお笑(わら)ひ下(くだ)さい。然(しか)しです、新生活(しんせいくわつ)の曉(あかつき)は輝(かゞや)いて、正義(せいぎ)が勝(かち)を制(せい)するやうになれば、我々(われ/\)の町(まち)でも大(おほい)に祭(まつり)をして喜(よろこ)び祝(いは)ひませう。が、私(わたし)は其迄(それまで)は待(ま)たれません、其時分(そのじぶん)にはもう死(し)んで了(しま)ひます。誰(たれ)かの子(こ)か孫(まご)かは、遂(つい)に其時代(そのじだい)に遇(あ)ひませう。私(わたくし)は誠心(まごゝろ)を以(もつ)て彼等(かれら)を祝(しゆく)します、彼等(かれら)の爲(ため)に喜(よろこ)びます! 進(すゝ)め! 我(わ)が同胞(どうばう)! 神(かみ)は君等(きみら)に助(たすけ)を給(たま)はん!』と、イワン、デミトリチは眼(め)を輝(かゞや)かして立上(たちあが)り、窓(まど)の方(はう)に手(て)を伸(のば)して云(い)ふた。
『此(こ)の格子(こうし)の中(うち)より君等(きみら)を祝福(しゆくふく)せん、正義(せいぎ)萬歳(ばんざい)! 正義(せいぎ)萬歳(ばんざい)!』
『何(なに)を那樣(そんな)に喜(よろこ)ぶのか私(わたくし)には譯(わけ)が分(わか)りません。』と、院長(ゐんちやう)はイワン、デミトリチの樣子(やうす)が宛然(まるで)芝居(しばゐ)のやうだと思(おも)ひながら、又(また)其風(そのふう)が酷(ひど)く氣(き)に入(い)つて云(い)ふた。
『成程(なるほど)、時(とき)が來(く)れば監獄(かんごく)や、瘋癲病院(ふうてんびやうゐん)は廢(はい)されて、正義(せいぎ)は貴方(あなた)の有仰(おつしや)る通(とほ)り勝(かち)を占(し)めるでせう、然(しか)し生活(せいくわつ)の實際(じつさい)が其(そ)れで變(かは)るものではありません。自然(しぜん)の法則(はふそく)は依然(いぜん)として元(もと)の儘(まゝ)です、人々(ひと/″\)は猶且(やはり)今日(こんにち)の如(ごと)く病(や)み、老(お)い、死(し)するのでせう、甚麼立派(どんなりつぱ)な生活(せいくわつ)の曉(あかつき)が顯(あら)はれたとしても、畢竟(つまり)人間(にんげん)は棺桶(くわんをけ)に打込(うちこ)まれて、穴(あな)の中(なか)に投(とう)じられて了(しま)ふのです。』
『では來世(らいせい)は。』
『何(なに)、來世(らいせい)。戯談(じやうだん)を云(い)つちや可(い)けません。』
『貴方(あなた)は信(しん)じなさらんと見(み)えるが私(わたし)は信(しん)じてます。ドストエフスキイの中(うち)か、ウオルテルの中(うち)かに、小説中(せうせつちゆう)の人物(じんぶつ)が云(い)つてる事(こと)が有(あ)ります、若(も)し神(かみ)が無(な)かつたとしたら、其時(そのとき)は人(ひと)が神(かみ)を考(かんが)へ出(だ)さう。で、私(わたくし)は堅(かた)く信(しん)じてゐます。若(も)し來世(らいせい)が無(な)いと爲(し)たならば、其時(そのとき)は大(おほ)いなる人間(にんげん)の智慧(ちゑ)なるものが、早晩(さうばん)是(こ)れを發明(はつめい)しませう。』
『フヽム、旨(うま)く言(い)つた。』
と、アンドレイ、エヒミチは最(い)と滿足氣(まんぞくげ)に微笑(びせう)して。
『貴方(あなた)は然(さ)う信(しん)じてゐなさるから結構(けつこう)だ。然云(さうい)ふ信仰(しんかう)が有(あ)りさへすれば、假令(たとひ)壁(かべ)の中(なか)に塗込(ぬりこ)まれたつて、歌(うた)を歌(うた)ひながら生活(せいくわつ)して行(ゆ)かれます。貴方(あなた)は失禮(しつれい)ながら何處(どこ)で教育(けういく)をお受(う)けになつたか?』
『私(わたくし)は大學(だいがく)でゝす、然(しか)し卒業(そつげふ)せずに終(しま)ひました。』
『貴方(あなた)は思想家(しさうか)で考深(かんがへぶか)い方(かた)です。貴方(あなた)のやうな人(ひと)は甚麼場所(どんなばしよ)にゐても、自身(じしん)に於(おい)て安心(あんしん)を求(もと)める事(こと)が出來(でき)ます。人生(じんせい)の解悟(かいご)に向(むか)つて居(を)る自由(じいう)なる深(ふか)き思想(しさう)と、此(こ)の世(よ)の愚(おろか)なる騷(さわぎ)に對(たい)する全然(ぜん/\)の輕蔑(けいべつ)、是(こ)れ即(すなは)ち人間(にんげん)の之(こ)れ以上(いじやう)のものを未嘗(いまだかつ)て知(し)らぬ最大幸福(さいだいかうふく)です。而(さう)して貴方(あなた)は縱令(たとひ)三重(ぢゆう)の鐵格子(てつがうし)の内(うち)に住(す)んでゐやうが、此(こ)の幸福(かうふく)を有(も)つてゐるのでありますから。ヂオゲンを御覽(ごらん)なさい、彼(かれ)は樽(たる)の中(なか)に住(す)んでゐました、然(け)れども地上(ちじやう)の諸王(しよわう)より幸福(かうふく)で有(あ)つたのです。』
『貴方(あなた)の云(い)ふヂオゲンは白癡(はくち)だ。』と、イワン、デミトリチは憂悶(いうもん)して云(い)ふた。『貴方(あなた)は何(なん)だつて私(わたくし)に解悟(かいご)だとか、何(なん)だとかと云(い)ふのです。』と、俄(にはか)に怫然(むき)になつて立上(たちあが)つた。『私(わたくし)は人並(ひとなみ)の生活(せいくわつ)を好(この)みます、實(じつ)に、私(わたくし)は恁云(かうい)ふ窘逐狂(きんちくきやう)に罹(かゝ)つてゐて、始終(しゞゆう)苦(くる)しい恐怖(おそれ)に襲(おそ)はれてゐますが、或時(あるとき)は生活(せいくわつ)の渇望(かつばう)に心(こゝろ)を燃(も)やされるです、非常(ひじやう)に人並(ひとなみ)の生活(せいくわつ)を望(のぞ)みます、非常(ひじやう)に、其(そ)れは非常(ひじやう)に。』
彼(かれ)は室内(しつない)を歩(ある)き初(はじ)めたが、施(やが)て小聲(こゞゑ)で又(また)言(いひ)出(だ)す。
『私(わたくし)は時折(ときをり)種々(いろ/\)な事(こと)を妄想(まうざう)しますが、往々(わう/\)幻想(まぼろし)を見(み)るのです、或人(あるひと)が來(き)たり、又(また)人(ひと)の聲(こゑ)を聞(き)いたり、音樂(おんがく)が聞(きこ)えたり、又(また)林(はやし)や、海岸(かいがん)を散歩(さんぽ)してゐるやうに思(おも)はれる時(とき)も有(あ)ります。何卒(どうぞ)私(わたくし)に世(よ)の中(なか)の生活(せいくわつ)を話(はな)して下(くだ)さい、何(なに)か珍(めづ)らしい事(こと)でも無(な)いですか。』
『町(まち)の事(こと)をですか、其(そ)れとも一般(ぱん)の事(こと)に就(つ)いてゞすか?』
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