新劇運動の二つの道
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著者名:岸田国士 

 われわれの仕事を目して、或は築地小劇場に対抗するものとなし、或は、「新しさ」に於てこれに及ばずと貶し去るものがあるが、築地には築地の本領があり、新劇協会には、新劇協会の本領がある。それぞれ、その本領を発揮すればよいのであつて、その一つを失ふも、日本の劇壇に取つては惜むべきことである。
 新劇協会四月の公演について今日まで決定した出し物を見るがよい。先づ、久保田万太郎氏の『短夜』である。久保田氏自身の監督――此の一事だけでも築地小劇場と趣を異にしてゐる。恐らく、築地に於ても、『短夜』を「築地流」の舞台にかけることがあるかもわからない。われわれは、その何れをも同じ興味を以て見ることができやう。
 次は、ジュウル・ロマンの『クノック』――訳者岩田豊雄氏の監督並びに装置である。これも新劇協会独特の上演法である。岩田氏は、長く仏国にあつて演劇の研究に没頭し、将来舞台監督として、将又装置家として、わが劇壇にその手腕を示すであらう一個の得難き才能である。氏は先づ、その籠手調べとして此の「紹介的演出」を行ふのであるが、実際的経験の浅さに於て、或は多少の「思惑違ひ」を見せはしても、純仏蘭西式舞台の味を日本の観客に「味はせる」だけの自信はあるらしい。
 最後に、もう一つ何を据えるか。出演俳優の関係でまだ決定には至らないが、これも、ほかの舞台では見られない「或るもの」をお目にかけられるだらうと思ふ。

 少し長々と新劇協会について語り過ぎた。尤も、その必要がなければ、此の標題は選ばなかつたかも知れない。
 新劇運動の二つの道――その一つを歩む新劇協会の仕事を理解する人は、そこに足らないものを云々する前に、他に求められないのをそこに発見して満足すべきである。いや、満足せよとは云はぬ。しばらくそれで我慢すべきである。
 先駆的精神は、何ものか、「既に在るもの」の上に築かるべきである。「何ものもない」といふ見方が、現在のわが劇壇に於ては許されるやうな気がする。その「何もの」かを作るだけでも、既に「一つの仕事」ではないか。




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