人口論
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著者名:マルサストマス・ロバート 

 シャルルボワは宣教師が蒙る不便と窮状とを述べているが、その中で、彼がこれまで述べた害悪よりももっと大きな害悪が一再ならず起るが、それに比べれば一切の他のものは何でもないと云わねばならぬ、と云っている。これは飢饉である。なるほど――と彼は云う――蒙昧人がその飢餓に堪える忍耐力は、飢餓に対する不用意と匹敵するが、しかし彼らは時にその維持能力以上のひどい目にあうのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Hist. N. Fr. tom. iii. p. 338.
 アメリカ土人の大部分では、農業上若干進歩しているものでさえ、一年のある季節には森林の中に散らばり、一年の食料の主要部分として狩猟の獲物で数ヵ月暮すのが、一般の習慣である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。その部落に残っていれば彼らは確実に飢饉に会わなければならぬが2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、森林へ行ったからとて、必ずしもそれから確実に免れるとはきまっていない。鳥獣に不足のないところですら、最も優れた猟人でさえ時に獲物の得られぬことがある3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。しかもこの獲物のないときには、狩猟者や旅行者は、森林の中で最も惨酷な欠乏に曝されるのである4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。インディアンは狩猟に出掛けている時には時に三、四日も食物なしで過さざるを得ない5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。そしてある宣教師は、あるイロクォイ族について、それがちょうどこういう場合に遭遇し、自分の持っていた皮や、靴や、樹皮を食った後、遂に困った挙句、仲間の一部を犠牲にして残りのものを救った、と述べている6)[#「6)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Lettres Edif. tom. vi. p. 66, 81, 345; ix. 145.
 2) Id. tom. vi. p. 82, 196, 197, 215; ix. 145.
 3) Charlevoix, N. Fr. tom. iii. p. 201. Hennepin, M□urs des Sauv. p. 78.
 4) Lettres Edif. tom. vi. p. 167, 220.
 5) Id. tom. vi. p. 33.
 6) Id. tom. vi. p. 71.
 南アメリカの多くの地方では、インディアンは極度の窮乏生活を送っており1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、そして時に絶対的な飢饉で亡ぼされる2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。島々は肥沃のように見えるけれども、その生産物の水準まで人口が一杯になっていたのである。もし少数のスペイン人がいずれかの地方に定着するならば、そのわずかの余りの人口の増加でさえ、直ちにひどい食料の欠乏を惹き起した3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。栄えたメキシコ帝国もこの点では同じ状態であった。そして国会はしばしば、その少数の兵士のために食糧を獲得するのに最大の困難を感じたのである4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。パラグアイの布教区のように、ジェスイット僧があらゆる配慮と用心とを払っており、またその人口が頻々たる流行病により低く保たれている所でさえ、欠乏の圧迫が全然存在せぬわけでは決してない。聖ミカエル教会の布教区のインディアンは一時非常に増加して、その附近の耕作し得る土地の生産は、それを養うに必要な穀物の半ばにしか当らなかった、と云われている5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。長期の旱魃はしばしば彼らの家畜を殺し6)[#「6)」は縦中横、行右小書き]、凶作を起した。そしてかかる場合には、教区のあるものは最も甚しい窮乏に陥り、その近隣のものの援助がなければ飢饉で亡びてしまったことであろう7)[#「7)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Lettres Edif. tom. vii. p. 383; ix. 140.
 2) Id. tom. viii. p. 79.
 3) Robertson, b. iv. p. 121. Burke's America vol. i. p. 30.
 4) Robertson, b. viii. p. 212.
 5) Lettres Edif. tom. ix. p. 381.
 6) Id. tom. ix. p. 191.
 7) Id. tom. ix. p. 206, 380.
 アメリカ西北岸地方への最近の航海記は、蒙昧生活における頻々たる欠乏の圧迫に関するかかる記述を確証し、そして一般に自然のままで与えられる食物収獲として最も豊富な漁撈も、不確実な資源でしかないことを、示している。ヌウトカ・サウンド近海は、住民が漁業の出来ないほどに凍ることはほとんどまたは全くない。しかし、彼らが極めて用心深く冬の用意に魚を貯え、そして注意深く寒い季節の用意に、出来るものならいかなる食物でも調理し貯蔵する事実から見ると、かかる時期には海で魚が取れないことは明かである。そして彼らはしばしば、寒い季節には、食糧の不足から非常な困難を蒙るように思われる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。マッケイ氏という人が、一七八六年から一七八七年に至る間ヌウトカ・サウンドに滞在していた間に、冬の寒さが長く続き厳しかったので、飢饉が発生した。乾魚の貯えはなくなってしまい、そして新しい魚はどんなものも取れなかった。従って土人は一定の配給で我慢しなければならなくなり、そして酋長は我国人に毎日、規定の食糧、乾鰊の頭七個を持って来た。ミイアズ氏は、この紳士の報道を熟読すれば、人道心を有つ人は何人も戦慄を感ずるであろう、と云っている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Meares's Voyage, ch. xxiv. p. 266.
 2) Id. ch. xi. p. 132.
 キャプテン・ヴァンクウヴァは、ヌウトカ・サウンド北方の人民のあるものは、松の木の内皮と海扇貝(ほたてがい)とで作った練りものを食って非常に悲惨な生活をしている、と語っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。ボオトに乗って出たある時、一隊のインディアンに出会ったが、彼らは若干の比目魚を持っていたので、非常に高い価格を申し出たけれども、一匹も分けてはくれなかった。これはキャプテン・ヴァンクウヴァの云うように、珍しいことであり、非常に食糧の乏しいことを物語るものである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。一七九四年にヌウトカ・サウンドでは魚が非常に欠乏して、べらぼうな高価になった。季節が悪かったか不用意であったかして、そのために住民は冬の間食物の欠乏により最大の窮状に陥ったのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Vancouver's Voyage, vol. ii. b. ii. c. ii. p. 273.
 2) Id. p. 282.
 3) Id. vol. iii. b. vi. c. i. p. 304.
 ペルウズはポオト・フランソアの近隣のインディアンは、夏の間は漁撈により最も豊かに暮すが、しかし冬には欠乏により死滅に瀕する、と述べている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Voyage de P□rouse, ch. ix. p. 400.
 従って、ケイムズ卿が想像しているように、アメリカ土人の種族は、牧畜または農業状態をして彼らに必要ならしめるに足るほど増加したことがない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、というのではなくて、何らかの原因によって、かかるより豊富な食物獲得方法を十分に採用せず、従って人口稠密になるほど増加しなかったのである。もしも飢餓のみで、アメリカの蒙昧種族の習慣がかくの如く変り得るのであるならば、私は、狩猟民族や漁撈民族が一つでも残っているとは考えられない。しかしこの飢餓という刺戟に加うるに、ある好都合な一連の事情が、この目的のためには必要なのであることは、明かである。そして疑いもなくかかる牧畜または農業という食物獲得手段は、おそらく、まず、それに最も適した土地において、そしてその地の自然的肥沃度が、より多くの人間が一緒に住むことを許すことによって、人間の発明力を発揮させるに最も都合の好い機会を与えた土地において、発明され改良されることであろう。
 1) Sketches of the History of Man, vol. i. p. 99, 105. 8vo. 2nd edit.
 吾々が今まで考察して来た所のアメリカ土人の大部分にあっては、極めて高い程度の平等が行われているので、各社会の全成員は、蒙昧生活の一般的困難と随時的飢饉の圧迫とをほとんど等しく分け合っているのである。しかし南方諸民族の多く1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、例えばボゴタにいるもの、ナッチェス族2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、特にメキシコやペルウにおいては、大きな階級差別が行われていて、下層階級は絶対的隷従の状態にあるので3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、おそらくは、生活資料が欠乏する時には、かかる階級が主として被害を受け、そして、人口に対する積極的妨げはほとんどもっぱらこの社会部分に働くのである。
 1) Robertson, b. iv. p. 141.
 2) Lettres Edif. tom. vii. p. 21. Robertson, b. iv. p, 139.
 3) Robertson, b. vii. p. 109, 242.
 アメリカ・インディアンの間に起った極めて異常な人口減少は、ある人にとっては、ここに樹立せんとする理論と矛盾するように見えるかもしれない。しかしこの急速な減少の原因は、すべて、上述の人口に対する三大妨げに帰することが見られるであろう。そしてこれらの妨げは、特殊の事情によっては異常な力で作用するが、ある場合には、人口増加の原理よりもより強くはありえないであろう、とは主張されていないのである。
 インディアンの酒精飲料に対する飽くことを知らぬ愛好は1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、シャルルボワによれば、表現しようのない烈しいものであるが2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、これは彼らの間に、しばしば死に至る争闘を絶えずひき起し、また彼らの生活様式からいって闘うことの出来ない新しい一系列の疾病に彼らを曝らし、かつ生殖能力をその本源そのものにおいて死滅させるのであるから、これだけで現在の如き人口減退を生み出すに足る罪悪と考え得よう。これに加うるに、ほとんどあらゆる所において、ヨオロッパ人とのインディアンの接触は、インディアンの意気を喪失させ、彼らの勤労心を弱めまたは誤った方向に向け、その結果として生活資料の源泉を減少する傾向のあることを、考えなければならない。サント・ドミンゴにおいては、インディアンはその残酷な圧制者を飢え死にさせるために、故意にその土地の耕作を放棄した3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。ペルウ及びチリイにおいては、土人の強制労働は、地面の耕作ではなく地下の穴掘へと、致命的な転化をさせられた。そして北方種族においては、ヨオロッパの酒精飲料を買おうという極度の願望から、彼らの大部分のものの勤労は、ただこれとに交換のために収穫増加に向けられることとなったが4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]、その結果として、彼らの注意をより収穫の多い生活資料の源泉へは向けず、同時に狩猟の生産物も急速に破壊するという傾向を有ったことであろう。アメリカの既知のすべての地方の野獣の数は、人間の数よりも以上に減少している5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。農業に対する注意は至る処でヨオロッパ人との接触から最初に期待された如くに増大するよりもむしろ稀薄となった。南アメリカであろうが北アメリカであろうが、そのいずれの地方においても、その数が減少した結果非常に豊かに生活するようになったインディアン民族があるという話は、聞かない。従って、現在ですら、上述のあらゆる有力な破壊原因があるにもかかわらず、アメリカ民族の平均人口は、ほとんど例外なしに、彼らの現在の勤労状態において獲得し得る平均食物量と、均等になっている、と云っても、大きな間違いはないであろう。
 1) Major Roger's Account of North America, p. 210.
 2) Charlevoix, tom. iii. p. 302.
 3) Robertson, b. ii. p. 185. Burke's America vol. i. p. 300.
 4) Charlevoix, N. Fr. tom. iii. p. 260.
 5) インディアンの間に火器が一般に採用されたことが、おそらく、大いに野獣を減少したことであろう。
[#改丁]

    第五章 南洋諸島における人口に対する妨げについて

 レイナル僧正は、ブリテン諸島の昔の状態と、島嶼民一般について語って、曰く、『人口の増進をおくらせる無数の奇妙な制度の起源を、吾々はこれらの人民の中に見る。食人、男子の去勢、女子の陰部封鎖、晩婚、処女の奉献、独身の称揚、余りに若く母となる少女に対し行われる処罰等がこれである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』島嶼における人口の過剰により起ったかかる習慣は、大陸にもたらされ、大陸の学者は今日なおこれが理由の発見に努めている、と彼は云っている。僧正は、敵に囲まれたアメリカの蒙昧種族や、他国に取巻かれてそれと同じ地位にある開けた人口稠密な国民は、多くの点で島嶼民と類似の境遇にあるものであることに、気がついていないように思われる。大陸では、島ほどには、人口のより以上の増加に対する障壁ははっきりとは劃されておらずまた普通の観察者にわかるわけではないけれども、しかもそれはほとんど打ち超え難い障害をなしている。そして、自国における窮情に我慢出来ないで国を去って外国に移った人も、そこで確実に救われるとは限らない。生産物がもうこれ以上増加されえないという国は、おそらくまだ知られていない。これは地球全体について云い得る全部である。大陸も島嶼も、その現実の生産物の点まで人口で充たされている。そして地球全体はこの点では島嶼と同様である。しかし、島嶼における人口の限界は、特にその面積が小さい時には、極めて狭くかつはっきりしているので、誰でもこれを眼にし承認しなければならないから、最も確かな記録がある島嶼の人口に対する妨げに関する研究は、現下の問題を極めてよく例証する傾(かたむき)があろう。ニュウ・オランダの稀薄に散在している蒙昧人について、キャプテン・クックの第一航海記の中で問われている疑問、すなわち『いかなる仕方で、この国の住民はそれが養い得るだけの数に減らされるのか2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、』という疑問は、南洋における最も人口稠密な島々、またはヨオロッパ及びアジアにおける最も人口の多い国々についても、等しく正当に発せられうる疑問である。この疑問を一般的に適用すれば、それは私に非常に興味あるものに思われ、そして人間社会の歴史上最も曖昧な、しかしながら最も重要な問題の闡明(せんめい)へと、導くように思われる。かくの如く一般的に適用されたこの疑問に答えるための努力なのだというのが、本書の最初の部分の目標を最も簡単明瞭に現わした言葉なのである。
 1) Raynal, Histoire des Indes, vol. ii. liv. iii. p. 3. 10 vols. 8vo. 1795.
 2) Cook's First Voyage, vol. iii. p. 240. 4to.
 ニュウ・ギニア、ニュウ・ブリテン、ニュウ・カレドニア、及びニュウ・ヘブリデス諸島というような大きな島については、確実にはほとんど何事も知られていない。そこにおける社会状態は、おそらく、アメリカの蒙昧民族の多くの間にあるものと、極めて類似していることであろう。そこには、互いに頻々と闘っている多数の異る種族が住んでいるように思われる。酋長はほとんど権力をもたず、従って私有財産は不安固であるため、食糧はそこでは滅多に豊富ではない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。ニュウ・ジイランドの大島については吾々はこれよりはよく知っているが、しかしそれはその住民らの社会状態につき快い印象を与えるが如きものではない。キャプテン・クックが三つの異なれる航海記の中でえがいている描写は、人性の歴史において遭遇する最も暗い影を蔵している。これら人民の各種族が互いに絶えず闘っている闘争は、アメリカのいかなる地方の蒙昧人の場合よりもいっそう顕著である2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。そして食人という彼らの習慣、及び彼らがこの種の食物を愛しさえしていることは、疑問の余地なきほどにはっきりしている3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。キャプテン・クックは、蒙昧生活の罪悪を誇張する傾向は少しもないのであるが、それでさえ、クウィーン・シャアロット・サウンドの近隣の土人について、次の如く曰う、
『もし私が、吾々のすべての自称友人の忠言に耳を傾けていたならば、私は全種族を絶滅させたことであろう。けだし各村々の土人は、代る代る私に他の村を滅ぼすことを頼んだからである。このあわれな人民がこれほど分裂生活をしている実証を聞いても、人はこれをほとんどありえないことと思うであろう4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。』また同じ章の先の方で曰く、『私自身の観察と、タウェイハルウアの話からすれば、ニュウ・ジイランドの土人は互いに殺されはしないかという絶えざる不安の中に生きているに違いない、と私には思われる。彼らの考えるところによれば、ある他の種族から被害を受けたことはないと考える種族はほとんどないのであり、ために彼らは絶えず復讐をしようと見張っている。そしておそらく、人肉の御馳走にあずかりたいという欲望も、少なからぬ刺戟となっていることであろう。……彼らがその恐るべき計画を遂行する方法は、夜中ひそかに敵を襲うことである。そしてもし敵が警戒を怠っているのを見ると(しかしこれは滅多にないことと信ずるが)、彼らはあらゆるものを無差別に殺し、女や子供でも見逃さない。殺戮が終ると、彼らはその場で祝宴を催してたらふく食うか、または死骸を出来るだけ数多く運び去り、家でそれを言葉で現わせぬほど残忍な仕方で食う。……助命したり捕虜にするということは軍律にはなく、従って敗北者は逃げる以外に助かる方法はない。この不断の戦争状態と破壊的戦闘方法とは、習慣的な警戒を生ぜしめる極めて有力な作用をするのであり、従って、昼といわず夜といわず、ニュウ・ジイランド土人が警戒を解いているのを見ることはほとんどないのである5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Histoire des Navigations aux terres Australes におけるニュウ・ギニア及びニュウ・ブリテンに関する各種の記述、及び Cook's Second Voyage, vol. ii. b. iii. におけるニュウ・カレドニア及びニュウヘブリデス諸島に関するそれを参照。
 2) Cook's First Voyage, vol. ii. p. 345. Second Voyage, vol. i. p. 101. Third Voyage, vol. i. p. 161, etc.
 3) Cook's Second Voyage, vol. i. p. 246.
 4) Id. Third Voyage, vol. i. p. 124.
 5) Id. p. 137.
 右に述べたことは最後の航海記にあるのであり、最後の航海記では従前の記述の誤は訂正されたことであろうし、そしてここでは不断の戦争状態が、ニュウ・ジイランドの人口に対する主たる妨げと考え得る程度に行われているのであるから、この問題に関してはここで加える必要はない。女子の間で人口増加に都合の悪い習慣が行われているか否かについては、吾々は聞くところがない。もしかかるものが知られたら、それはおそらく非常な困窮の際の外には行われないことであろう。けだし各種族は当然に、その攻防力を増大するためにその人口を増加しようと希(ねが)うであろうからである。しかし南洋諸島の女が送る放浪的な生活と、不断の危急状態とは、絶えず武装して旅行したり働いたりすることを余儀なくさせるから1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、疑いもなく姙娠には非常に都合が悪く、家族が多くなるのを著しく妨げるに違いない。
 1) Cook's Second Voyage, vol. i. p. 127.
 しかしかかる人口に対する妨げは有力であるとはいえ、欠乏の季節が囘起(かいき)するところから見れば、それは人口を平均的生活資料以下に引き下げることは滅多にないことがわかる。『かかる季節があるということは、』(とキャプテン・クックは曰う、)『吾々の観察によれば疑問の余地がない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』魚は彼らの主食であるが、それは海岸で、しかもある時期に2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、取れるだけであるから、常に極めて不確実な食物源泉でなければならない。かかる不断の危急状態にある社会状態において、たくさんの魚を乾かして貯えることは極度に困難なことでなければならぬ。殊に魚の最も豊富な湾や入江は、最もしばしば、食物を探し求めて放浪している人民達の執拗な争闘目標となることと考えられるのであるから3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、植物性生産物は、羊歯の根、山芋、クラム、及び馬鈴薯である4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。後の三者は耕作によって得られ、従って農業がほとんど知られていない南方諸島では滅多に見られない5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。これらの乏しい資源が季節の不順のため時に不作になった時にその困窮が恐るべきものでなければならぬことは、想像に難くない。かかる時期には、御馳走を食いたいという欲望が復讐の欲望に力を加え、彼らをして『餓死に代る唯一の方法として絶えず暴力により殺し合う6)[#「6)」は縦中横、行右小書き]』ということになるのは、あり得ないことではないと思われる。
 1) Cook's First Voyage, vol. iii. p. 66.
 2) Id. p. 45.
 3) Id. Third Voyage, vol. i. p. 157.
 4) Id. First Voyage, vol. iii. p. 43.
 5) Id. vol. ii. p. 405.
 6) Id. vol. iii. p. 45.
 ニュウ・ジイランドの稀薄に散在せる住民から、オウタハイト及びソサイティー諸島の人口稠密な海岸地方に眼を転ずるならば、これと異る光景が展開される。ヘスペリデスの園の如くに、豊饒であると云われている国からは、一切の欠乏の不安は消え去っているように思われる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかしこの第一印象はちょっと考え直してみれば直ちに誤りであることがわかる。幸福と富裕とは常に人口増加の最も有力な原因と考えられている。快適な気候の下にあり、病気はほとんどなく、女が苛酷な労苦を少しもしない所において、どうしてこれらの原因が、もっと恵まれぬ地方ではその類を見ないほどの力で、働かないであろうか。しかしこれらの原因が働いたとすれば、かかる狭く限られた限界内でこの人口は一体どこに余地と食物を見出し得るであろうか。周囲四〇リイグもないオウタハイトの人口が、二十万四千人にも上ってキャプテン・クックを驚かしたとすれば2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、一世紀を経て、二十五年ごとに人口を倍加すると仮定してそれが三百万以上に達したら、それをどこに始末したらよかろう3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。この群に属する島はどの島も同様の状態にあるであろう。一つの島から他の島に移るのは、場所の変更にすぎず、困窮の種類の変更ではないであろう。有効な移民または有効な輸入は、この諸島の状況とその住民の航海状態からして、全く考慮に入れ得ないことであろう。
 1) Missonary Voyage, Appendix, p. 347.
 2) Cook's Second Voyage, vol. i. p. 349.
 3) この増加率は、あらゆる妨げが除去されたと仮定した場合に実際に生ずべきものよりも、遥かにおそいものであることを、ほとんど疑わない。けだしオウタハイトには、その現在の生産物をもって、わずか百人の人間しかおらず、男女の数は同数であり、一人の男子は一人の女子を守るとすれば、引続き六、七代の間人口増加は未曾有に上り、おそらく十五年以下で倍加すべきものと考えざるを得ないのである。
 ここでは困難な事態は極めて狭い範囲に圧縮されており、極めて明瞭、確実かつ強力であるから、吾々はそれから逃れることは出来ない。これは移民を論じたり、より以上の耕作を論じたりする、日常の生温い方法では、応じ得ないものである。今の場合では、前者は不可能であり、後者は明かに不適当であることを、吾々は認めざるを得ない。この群の島がその人口を二十五年ごとに倍加し続け得ないことは、絶対に間違のない事実である。従って吾々は、そこにおける社会状態の研究に立入らないうちに、不断の奇蹟が女子を不姙にしているのでない限り、人民の習慣の中に、人口に対するある極めて有力な妨げを辿り得るであろうことを、確信し得るはずである。
 オウタハイトとその近隣の諸島に関して吾々が得ている数多の報告によって見れば、文明諸国民の間にかくも大きな驚駭(きょうがい)をひきおこしたエアリイオイ社1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]なるものが存在することには、疑問の余地がない。これについては今までたびたび述べられているから、乱交と殺児とがその根本律であるらしい、という以外には、ここでは述べる必要はない。それはもっぱら上流階級から成り、『そして』(アンダスン氏によれば2)[#「2)」は縦中横、行右小書き])『この淫蕩な生活方式は非常に彼らの性向にむくので、最も美しい両性は通常その青春の日をかくの如くして費やし、最も蒙昧な種族といえども恥辱とするような極端な行いをしているのである。……エアリイオイ社の女が子供を産むと、水にひ[#「ひ」は底本では「び」]たした布を鼻と口に当てて窒息させるのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。』キャプテン・クックは曰く、『かかる社が、その成員をなす上流階級の増加を大いに妨げることは確実である4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。』この言葉が本当であることには疑はあり得ない。
 1) Cook's First Voyage, vol. ii. p. 207, et seq. Second Voyage, vol. i. p. 352. Third Voyage, vol. ii. p. 157, et seq. Missionary Voyage, Appendix, p. 347. 4to.
 2) アンダスン氏はクックの最終航海に博物学者及び外科医として働いた。キャプテン・クック及びこの探検に参加した士官は、彼れの才能と観察眼に非常に敬意を払った。従って彼れの記述は最高の権威あるものと考えてよかろう。
 3) Cook's Third Voyage, vol. ii. p. 158, 159.
 4) Id. Second Voyage, vol. i. p. 352.
 これと同じ性質を有つ特別の制度は下層社会には見出されないけれども、その最も顕著な特徴をなす罪悪は、ただ余りにも一般に拡がっている。殺児はエアリイオイに限られない。それはすべての者に許されている。そしてそれは、上流階級の間に広く行われているので、それは一切の悪名を、貧の誹りを、除かれるに至っているから、おそらくそれはしばしば必要手段たるよりはむしろ流行として採用され、そして平気でかつ何の遠慮もなく行われているようである。
 ヒュウムが、殺児の認容は一般に一国の人口増加に寄与する、と云っているのは非常に正しい1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。家族が多くなり過ぎるという恐れをなくするので、それは結婚の奨励となる。しかも両親は、力強い愛の情にひかされて、極端な場合の外はこんな残酷な方法に頼れなくなる。オウタハイトとその近隣の諸島におけるエアリイオイ社のやり方は、これをこの観察の例外たらしめているかもしれない。そしてこの習慣はおそらく反対の傾向を有つことであろう。
 1) Hume's Essays vol. i. essay xi. p. 431. 8vo. 1764.
 下層階級の人民の間に広く行われている放逸と乱交は、ある場合には誇張されているかもしれないが、大体疑問の余地なき証拠で明かにされている。キャプテン・クックは、オウタハイトの女を余りにも一般的な淫行から救ってやろうと、はっきりと努力したのであるが、その際彼は、この島には他のいずれの国よりもこうした性行が多いことを認め、同時に、女はかかる行いをしてもいかなる点でも社会の地位は下落せず、最も淑徳なる人達と無差別に交っているのであると、最も明白に述べているのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Cook's Second Voyage, vol. i. p. 187.
 オウタハイトにおける通常の結婚は、男から娘の両親へ贈物をする以外には、何の儀式もない。そしてこれは、妻に対する絶対的契約であるよりはむしろ、娘をためしてみる許可に対する両親との取引であるように思われる。もし父がその娘に対し十分の支払を受取っていないと考えるならば、彼は少しも躊躇せずに娘に男と別れさせ、もっと気前のよい男と同棲させるのである。男はいつでも自由に新しい妻をもらうことが出来る。彼の妻が姙娠でもすれば、彼はその子供を殺し、しかる後好むがままに、母と関係を続けるか、または彼女を去るのである。彼が子供を取り上げこれを養う面倒を見る時にのみ、両者は結婚状態にあるものと看做される。しかしその後もっと若い妻が初めの妻の外に加わることもあろう。しかしこれよりも関係が変るのがはるかに一般的であり、平気でこれを話すほどに日常茶飯なのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。結婚前の不品行はこの種の結婚に対しては結局何の障害でもないように思われる。
 1) Cook's Third Voyage, vol. ii. p. 157.
 かかる社会状態による人口に対する妨げは、それだけで、最も好適な気候と最も豊富な食物のもたらす結果を相殺するに足ることがわかるであろう。しかしこれらが全部ではない。異る島の住民の間の戦争、及び彼ら自身の間の内争は、頻々とあり、そして時にはそれは非常に破壊的である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。戦場における人命の浪費に加えて、戦勝者は一般に敵の領土を荒し廻り、豚や家禽を殺したり、運び去ったりし、そして将来の生活資料を出来るだけ減少してしまう。一七六七年と一七六八年に、豚と鶏に充ち満ちていたオウタハイト島は、一七六三年には、それが非常に少くなり、いかなるものを提供しても所有主はこれを手離そうとはしなかった。キャプテン・クックは、これは主として、その間に起った戦争によるものであるとした2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。一七九一年にキャプテン・ヴァンクウヴァがオウタハイトを訪れた時には、一七七七年に別れた友人は大抵死んでしまっており、すなわちその時以来たびたび戦争があり、ある戦争ではオウタハイトの両方の酋長が敵に加わったので、王は長期間完全に惨敗し、そしてその領土は全く荒廃に帰したことを、見出した。キャプテン・クックが残して行った動植物の多くは戦禍のためになくなっていたのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Bougainville, Voy. autour du monde, ch. iii. p. 217. Cook's First Voyage, vol. ii. p. 244. Missionary Voyage, p. 224.
 2) Cook's Second Voyage, vol. i. p. 182, 183.
 3) Vancouver's Voy. vol. i. b. i. c. 6. p. 98. 4to.
 オウタハイトで頻々と行われる人身御供(ひとみごくう)は、それだけでこの土人の性格に野蛮という汚点を印するに足るものではあるけれども、おそらくは人口に著るしく影響を及ぼすほど数多くは行われるものであるまい。そして疾病は、ヨオロッパ人との接触により恐ろしく増加したけれども、以前には奇妙なほど軽く、またそれ以後でもしばらくの間は、異常な死亡を示すことはなかった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き、「1」が底本では欠落]。
 1) Cook's Third Voy. vol. ii. p. 148.
 かくて、人口増加に対する大きな妨げは、乱交、殺児、及び戦争の三罪悪であることがわかるが、その各々は非常に大きな力で働いているのである。しかしかかる原因が、生命を予防し破壊する上にいかに大きな力をもつとはいえ、それらは常に人口を生活資料の水準に保っていたわけではない。アンダスン氏によれば『この島は極度に肥沃であるにもかかわらず、飢饉はしばしば起り、その際には多くのものが死ぬと云われている。これが季節の不順によるか人口過剰によるか(それは時にはほとんど必然的に起らなければならないが)、または戦争によるかは、私はまだこれを決定することが出来ない。もっとも事の真相は、彼らが、食物が豊かな時でさえこれを非常につつましく用いることから、十分推察することが出来ようが1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』ウリイティアで酋長と会食した後、キャプテン・クックは、一同が席を立った時に、平民が大勢下に落ちたパン屑を拾いに雪崩れ込んで来て、細かいかけらまで余さず探し廻っているのを見た。彼らのうちのある者は毎日船にやって来、そして殺した豚の内臓を貰うために屠夫の手伝いをした。一般に屑の外はほとんど彼らの手には渡らなかった。キャプテン・クックは曰く、『彼らがあらゆる種類の食糧を極めて注意深く取扱い、そして人間の食い得る物は、なかんずく肉と魚は、少しも無駄にしないことを、認めなければならない2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Cook's Third Voyage, vol. ii. p. 153, 154.
 2) Id. Second Voy. vol. i. p. 176.
 アンダスン氏の述べているところによれば、動物性食物は極めて少量しか下層階級のものの手に入らず、しかもそれですら、魚かうにかその他の海産物かである。けだし彼らはほとんどまたは全く豚肉は食わないから。王か主だった酋長だけがこの贅沢を毎日することが出来るのであり、下位の酋長は、その富に応じて、一週か二週か月に一囘(かい)ずつである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。犬や鶏が戦争や過度の消費によって減少すると、これらの食品に禁令が下され、これは時に数ヵ月または一、二年も施行され、そしてこの期間にこれらは非常に急速に増加し再び豊富になるのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。この諸島の重だった人民に属するエアリイオイのものの普通食事でさえ、アンダスン氏によれば、少くとも十分の九は植物性食物からなる3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。そして階級差別が非常に強く定められ、下層階級の人民の生命と財産とが絶対に酋長の意思に依存しているらしいのであるから、これらの酋長がしばしば豊かに暮しているのに、その臣下や僕婢は欠乏に悩むということは、吾々の十分に想像し得るところであろう。
 1) Cook's Third Voy. vol. ii. p. 154.
 2) Id. p. 155.
 3) Id. p. 148.
 伝道航海記にあるオウタハイトに関する最近の記録によれば、上記の人口減少の原因は、キャプテン・クックの最後の訪問以来、極めて異常な力をもって働いていることがわかるであろう。この期間一時の間、破壊的な戦争が引続いて頻々と起ったことは、キャプテン・ヴァンクウヴァがその間にここを訪問した際注意を引いている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そして伝道師によれば、女の割合が小さいとあるから2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、女児が前より数多く殺されたものと推論し得よう。この女の少いことは当然に乱交の悪弊を増加し、そしてヨオロッパの疾病と相俟って、人口に根本的な打撃を加えることであろう3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Vancouver's Voy. vol. i. b. i. c. 7. p. 137.
 2) Missionary Voyage, p. 192 and 385.
 3) Id. Appen. p. 347.
 おそらくキャプテン・クックはその計算の基礎たる資料によって、オウタハイトの人口を過大に見積り、またたぶん伝道師達はそれを過度に低く見積ったのかもしれない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかし私は、相異る時代の、人民の経済に関する習慣についての相異る記述からして、キャプテン・クックの訪問以来、人口が著しく減少したことを疑わない。キャプテン・クック及びアンダスン氏は、彼らがあらゆる種類の食物に対して非常に注意深いことを一致して述べている。そしてアンダスン氏は、明かにこの点に関する非常に綿密な調査の後、飢饉が頻々と囘起することを述べている。伝道師達は反対に、フレンドリ諸島及びマアクイサス諸島におけるこの原因による困窮は力説しているけれども、オウタハイトの生産物は最も豊富であると云い、そして祝宴やエアリイオイ社によって恐ろしい浪費が行われるにもかかわらず、欠乏は滅多にない、と云っている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Missionary Voyage, ch. xiii. p. 212.
 2) Id. p. 195. Appen. p. 385.
 これらの記述によれば、オウタハイト島の人口は現在、平均的生活資料よりも著しく下に圧迫されていることがわかるが、しかし将来久しくこれが続くであろうと結論するのは早計である。キャプテン・クックがたびたびここを訪問した際に認めたこの島の状態の変動は、その繁栄と人口とにおいて顕著な擺動があることを証明するように思われる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そしてこれは吾々が理論上まさに想定すべきことなのである。吾々は、これらの島のいずれかの人口が過去久しく一定の数に停止していたとか、またはいかに徐々たるものであろうと何らかの比率で規則的に増加し得たとは、想像することが出来ない。大きな変動が必ずあったに相違ない。人口過剰は常に蒙昧人の生来の戦争癖を増大するであろう。そしてこの種の侵害によって惹き起された敵意は、それを促した本来の故障が消滅して後も、久しきに亙って引続き荒廃の手を拡げるであろう2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。以前には非常な節約をして生活し、そして食物の限界を緊密に圧迫していた、密集人口が、一度か二度不作により困窮に陥る時には、かかる社会状態においては、殺児や乱交3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]がいっそう甚しく広がることであろう。そしてこれらの人口減少の原因は、同様に、これらを悪化させた事情が終了してから後もしばらくは加速度で働き続けるであろう。事情の変化によって徐々として生み出されるある程度の習慣の変化は、まもなく人口を旧に復せしめ、そしてこの人口は、最も甚しい暴威なくしては、久しくその自然的水準に保たれ得ないであろう。ヨオロッパ人との接触がオウタハイトにおいて、どれだけこの最も甚しい暴威をもって働き、そしてそれが以前の人口に囘復するのを妨げたかは、経験のみがこれを決定し得ることである。しかしこれが事実であるとすれば、私は、その原因を辿ってみれば、それが罪悪及び窮乏の加重であることを見出すのを、疑わないのである。
 1) Cook's Second Voy. vol. i. p. 182, and seq. and 346.
 2) Missionary Voy. p. 225.
 3) 私は、これらの過剰人口の予防的原因について誤解をうけて、ただその結果を述べたからといってそれを少しでも是認したものと、考えてもらいたくない。ある特定の害悪を防止すべき原因でも、その害悪そのものよりも比較にならぬほど悪いものもあり得よう。
 太平洋における他の島々に関しては、吾々はオウタハイトほど詳しい知識を有たない。しかし吾々の有っている知識だけによっても、その主な群島のすべてにおける社会状態が多くの点において著しく似ていることを、確信することが出来る。フレンドリ諸島及びサンドウィッチ諸島の土人の間には、オウタハイトと同じ封建制度と封建的紛乱が、同じ酋長の異常な権力と下層社会の窮情が、そしてまたほとんど同じ人民大部分の間の乱交が、広く存在していることが見出されているのである。
 フレンドリ諸島においては、王の権力は無限であり、人民の生命財産は彼れの意のままであると云われているが、小主権者のような行動をする他の諸酋長が存在し、王のやり方を邪魔するので、王はしばしばこれを喞(かこ)っていた。『しかしいかに』(とキャプテン・クックは云う)『この有力者が王の専制的権力から独立しているとはいえ、吾々は、下層階級の人民が、各自その属する酋長の意のままになる外には、何らの財産も身体の安全も有たないということを証明するに足る事例を吾々は見たのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』酋長はしばしば下層者を極めて無慈悲になぐりつける2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。そして彼らの誰かが船で窃盗を働いて捕えられた時には、その主人は彼らをとりなすどころかしばしば彼らを殺すようにすすめるのであるが3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、このことは、酋長自身が窃盗罪を大して恐れていないように思われるのであるから、かかる貧民の生命はほとんどまたは全く価値がないものと彼らが考えるところからのみ起り得るものであろう。
 1) Cook's Third Voy. vol. i. p. 406.
 2) Id. p. 232.
 3) Id. p. 233.
 キャプテン・クックは、最初にサンドウィッチ諸島を訪れた時には、外戦と内乱とが土人の間に非常に頻々とあると信ずべき理由をもった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そしてキャプテン・ヴァンクウヴァは、それより後の記録の中で、これらの諸島の多くがかかる原因により恐るべき荒廃を来したことを、力説している。キャプテン・クックの訪問以来、絶えざる争いがあって色々の統治者が変った。この訪問の際知った酋長でたった一人だけが生きていた。そして調べてみると、自然に死んだのはほとんどなく、その大抵の者はかかる不幸な争いで殺されたものであることがわかった2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。サンドウィッチ諸島における下層階級の人民に対する酋長の権力は、絶対的であるように思われる。他方において人民は彼らに完全に服従し、そしてこの隷従状態は彼らの心身に明かに大きな悪影響を有っている3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。ここでは他の島よりも階級差別は更にはっきりきまっているように思われる。けだし上流の酋長は下層のものに対して、最も傲慢な圧制的な行動を採っているから4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Cook's Third Voy. vol. ii. p. 247.
 2) Vancouver, vol. i. b. ii. c. ii. p. 187, 188.
 3) Cook's Third Voy. vol. iii. p. 157.
 4) Id.
 フレンドリ諸島やサンドウィッチ諸島で殺児が行われているかどうか、またオウタハイトのエアリイオイ社に似た組織が作られているかどうかは、知られていない。しかし売淫が広く普及しており、下層階級の女の間に著しく行われていることには、間違ない証拠があるようであるが1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、これは常に人口に対する極めて有力な妨げとして作用するに違いない。その時間の大部分を酋長の身辺に仕えて送る召使たるトウトウ2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]がしばしば結婚しないというのは、間違のないことらしい。そして上流人に許される一夫多妻が、下層階級における乱交の罪悪の風を大いに助長し加重する傾向があるに違いないことは、明かである。
 1) Cook's Third Voy. vol. i. p. 401. Vol. iii. p. 130. Missionary Voy. p. 270.
 2) Id. vol. i. p. 394.
 もし、太平洋のより肥沃な島では、貧困や食物の欠乏に苦しむことはほとんどまたは全くないということが、確実な事実であるとすれば、かかる気候における蒙昧人の間でかなりの程度の道徳的抑制が行われるとは期待し得ないであろうから、この問題に関する理論は当然に、戦争を含んでの罪悪が、彼らの人口に対する主たる妨げである、との結論に達せしめるであろう。これらの島々に関し吾々の有つ記録は、有力にこの結論を確証する。上述した三大群島においては、罪悪が最も顕著なものであるように思われる。イースタ島においては女に対して男が非常に比例がとれていないのであるが1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、これから見ると、航海者の誰にも知られていないけれども、殺児が広く行われていることには疑いはあり得ない。ペルウズは、各地方の女は、その地方の男の共有財産であると考えているらしい2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。もっとも彼れの目にふれた子供の数は3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、むしろこの意見を否定するものの如くであるが。イースタ島の人口は、ヨオロッパ人との交渉によっては大きな影響を受けたはずはないけれども、ロツゲワインが一七二二年にこれを最初に発見して以来、極めて著しい変動を示しているようである。ペルウズの記すところによれば、彼がそれを訪れた時には、それは、おそらく旱魃か、内乱か、または極度の殺児と乱交の流行かの、いずれかの原因により、非常に少なくなっていたその人口を、恢復しつつあるように思われた。キャプテン・クックが第二の航海でそれを訪れた時には、その人口を六、七百と見積ったが4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]、ペルウズは二千と見積った5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。そして彼れの見た子供の数と、建築中の新らしい家の数からして、彼は人口は増加しつつあると考えたのである6)[#「6)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Cook's Second Voy. vol. i. p. 289. Voyage de P□rouse, c. iv. p. 323; c. v. p. 336. 4to. 1794.
 2) P□rouse, c. iv. p. 326; c. v. p. 336.
 3) Id. c. v. p. 336.
 4) Cook's Second Voy. vol. i. p. 289.
 5) P□rouse, c. v. p. 336.
 6) Ibid.
 マリアナ諸島においては、ゴビアン教父によれば、極めて多数の1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]若い男が、オウタハイト島のエアリイオイ社の成員のような生活を送りながら、独身生活を送り、そして類似の名前で他のものから区別されていた2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。台湾島では、女は三十五歳以前には子供を産むことを許されない、と云われている。もしその前に懐姙(かいにん)するならば、巫女により堕胎が行われ、そして夫が四十歳になるまで妻は引続き父の家で暮し、ただ密かに会うだけである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。
 1) 『無限の青年』――Hist. des Navigations aux Terres Australes, vol. ii. p. 507.
 2) Cook's Third Voyage, vol. ii. p. 158, note of the Editor.
 3) Harris's Collection of Voyages, 2 vols. folio edit. 1744, vol. i. p. 794, この話は、忠実で相当聞えたドイツの旅行家のヨオン・アルベルト・デ・マンデスレーの伝えるところであるが、この場合は彼はモンテスキウが引用している(Esprit des Loix, liv. 23, ch. 17.)オランダの著者からこの記述をとったものだと思う。このような奇妙な慣習があることを確証するにはおそらくこの典拠は不十分であるが、私は全然あり得ないこととは思われないと思う。同じ記述の中には、これら人民の間には境遇の相違はなく、また彼らの戦争は流血を伴わず従ってただ一人の死がおおむね戦争を決定する、と述べてある。非常に気候が健康的であり、人民の習慣は人口増加に好都合で財貨の共有が樹立されているところでは、大家族から生ずる格別の貧困を恐れる理由は個人にはないのであるから、政府は何らかの方法で法律により人口を抑圧せざるを得ないであろう。そしてこれはあらゆる自然的感情の最大の蹂躪(じゅうりん)であろうから、財貨の共有に対するこれ以上の有力な反対論はあり得ないのである。
 その他若干の島々にはちょっとした訪問が行われただけであり、従ってそれに関する記述は不十分であるから、吾々としては、その習慣について詳しく述べることは出来ない。しかし、上述した限りにおいては、これらの習慣は一般に類似していることからして、吾々は、これらの島のあるものには上述の如き甚しい蛮行のあるものがないとはいえ、女子に関する悪習と戦争とが、その人口に対する主たる妨げである、と考える理由を有つのである。
 しかしながらこれが全部ではない。南洋諸島の土人の生活について伝えられている食物豊富な幸福な状態の問題について、私は、この楽天地について時に過大のことが云われるため、吾々の想像は真実以上の点まで行きすぎているものと、考えたい気がする。オウタハイトにさえ欠乏の圧迫が珍しくないというキャプテン・クックの最終航海記の叙述は、一切のこれらの島々のうちで最も肥沃なものに関して吾々の蒙を啓くものである。そして伝道航海記から見ると、パン果の実らない季節には、すべてのものが一時的欠乏に悩むのであることがわかる。マアクイサス諸島に属するオハイタフウにおいては、この欠乏が飢饉と化し、動物ですら食物の欠乏により死に瀕したのである。フレンドリ諸島の主島たるトンガタブウにおいては、豊富な食物を確保するために酋長が他の島にその住居を移し1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、そして時には多くの土人が欠乏に大いに苦しんだ2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。サンドウィッチ諸島においては、長期の旱魃が時に起り3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、豚と山芋はしばしば極めて少くなり4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]、そして訪問者はオウタハイトの贅沢な気前のよさとは大いに異って、ひどい虐待を受けるのである。ニュウ・カレドニアでは住民は蜘蛛を食って生きており5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]、そして時には、飢の欲求を鎮めるために、大きな滑石を食うまでに至るのである6)[#「6)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Missionary Voy. Appen. p. 385.
 2) Id. p. 270.
 3) Vancouver's Voy. vol. ii. b. iii. c. viii. p. 230.
 4) Id. c. vii. and viii.
 5) Id. ch. xiii. p. 400.
 6) Voyage in search of P□rouse, ch. xiii. p. 420. Eng. transl. 4to.
 これらの事実は、ある時期にこれらの島の生産物がいかに豊富であることが見られるとしても、または彼らがいかに無智、戦争及びその他の原因によって妨げられるとしても、その平均人口は、一般的に云えば、平均食物の限界を緊密に圧迫していることを、有力に証明するものである。下層階級の人民の生命が上流者によってほとんどまたは全く価値を有たぬものと考えられているように思われる社会状態においては、吾々が表面上の富裕について極めて欺かれ易いことは明かである。そして吾々は、容易に、主だった所有者階級はたくさんの豚や山菜をヨオロッパの商品と交換したかもしれぬが、他面その家来や奴隷は甚だしく欠乏に悩んでいるものと、容易に考え得るであろう。
 蒙昧生活の名の下に分類され来っている人類社会部門に関するこの概観を終るに当り、私は、それが文明生活に優っている利点で私の認め得る唯一のことは、人民大衆がより大なる程度の閑暇をもつ点であるということを、述べないではいられない。為すべき仕事はより少なく、従って労働はより少ない。文明社会の下層階級が不断の労苦に運命づけられていることを考えると、これは吾々には著しい利点と思われざるを得ぬ。しかしそれはおそらくはるかにより大きな不利益によって打ち消されて余りある。生活資料が容易に獲得される一切のこれらの地方には、極めて圧制的な階級差別が行われる。財産の打撃と侵害は当然のことのようであり、そして下層階級の人民は、文明圏において知られているよりもはるかに低い隷属状態にある。蒙昧生活の中平等が大なる程度に行われている部分においては、食物獲得の困難と不断の戦争の苦労とは、文明社会の下層階級の人民の行う労働に劣らぬ程度の労働を必要ならしめる、――もっともその労働は文明社会でははるかに不平等に分配されているけれども。
 しかし吾々は、人類社会のこれら二階級の労働を比較することは出来ようが、彼らの辛苦や苦悩は比較を許さないであろう。この点を最もはっきりさせてくれるものは、アメリカの蒙昧人のより低級な種族における教育の全方針であるように私には思われる。最も甚だしい苦痛や不幸の下にあって最強の忍耐心を教えるに役立つあらゆるもの、心情を硬化し同情心の一切の源泉をとざす傾向あるあらゆるものこそが、蒙昧人に最も熱心に教え込まれる所である。文明人はこれと反対に、害悪が起った時には忍耐をもってこれを堪え忍ぶことを教えられはしようが、しかし常にそれを予期するようには教えられていない。剛毅の外になお他の徳の発揮が要求される。彼は、困窮に際し、隣人のことを、またはその敵のことさえ、同情するように、その社会的感情を促進し拡大し、そして一般的に云えば、愉快な情緒の領域を拡張するようにと、教えられている。これら二つの異る教育法から明かに推論し得ることは、文明人は楽しむことを希望し、蒙昧人はただ苦しむことだけを予期するということこれである。
 非常識なスパルタ式訓練法や、私的感情を公けの関心の中に吸収させてしまうことは、不断の戦争から絶えざる困苦と辛労とに曝されている人民や、絶えざる境遇逆転の怖れの下にある状態においてでなければ、決して存在し得なかったであろう。私はかかる現象をもって、スパルタ人の気質における剛毅と愛国心とのある特有の傾向を指示するものとは考えずして、単に、スパルタ及び一般的には当時のギリシアの、悲惨なほとんど蒙昧の状態を力強く指示するものと考えたい。市場の商品と同様に、最大の需要のある徳は最多重に生産されるであろう。そして苦痛と辛苦の下における忍耐力及び行き過ぎた愛国的犠牲が最も要求される場合には、それは人民の窮乏と国家の不安固とを示す、憂鬱な指示なのである。
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    第六章 ヨオロッパ北部の古代住民における人口に対する妨げについて

 人類の初期の移動と定住の歴史、並びにそれを促した動機は、極めて顕著に、生活資料を越えて増加せんとする人類の不断の傾向を例証するであろう。かかる性質をもつある一般法則がなければ、世界に決して人間が住むようにはならなかったように思われるであろう。いそがしい活動の状態ではなく、懶惰(らんだ)の状態が、明かに人間の自然的状態であるように思われる。そしてこのいそがしい活動の志向は、必要という強力な刺戟がなければ生じ得なかったであろう。もっともそれは後になって、習慣や、それから作られる新しい連合や、進取の精神や、軍事的栄誉欲によって、持続されたということもあろうけれども。
 話によれば、アブラハムとロトとは家畜を非常に豊富に有っていたので、土地は二人を倶(とも)に居らしめることは出来なかった。そこで彼らの牧者の間に争いが生じた。そしてアブラハムはロトに分離を提議し、そして云った、『地は皆爾(なんじ)の前にあるにあらずや。爾もし左にゆかば我右にゆかん。また爾もし右にゆかば我左にゆかん1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』と。
 1) 創世紀第十三章
 この単純な言葉と提議とは、人間を全地球に散布し、時が進むにつれて、地球上の比較的不運な住民のある者を、抵抗し難い圧迫に追われつつ、アジア及びアフリカの燃え立つ沙漠や、シベリア及び北アフリカの氷結地方に、乏しい生活資料を求めるべく追いやった所の、活動の大発条を、見事に例証するものである。最初の移住は当然に、その土地の性質以外の障害は見出さなかったであろう。しかし地球の大部分が稀薄にせよ人が住むようになった時には、これらの地方の所有者は、闘争なしにはそれを譲ろうとはしなかったであろう。そして比較的中心地のいずれかの過剰な住民は、最も近い隣人を駆逐するか、または少くとも彼らの領土を通過しなければ、自分のために余地を見出すことが出来なかったが、これは必然的に頻々たる闘争を惹き起したことであろう(訳註)。
〔訳註〕第三章の訳註の中に引用した第一版の文に続くパラグラフは次の如くである、――
『人類の次の状態たる牧畜民族の間に行われる行状や習慣については蒙昧状態のことよりもっとわからない。しかしこれら民族が生活資料の不足から生ずる窮乏の一般的運命を免れ得なかったことは、ヨオロッパや世界のあらゆる文明国が十分に説明している。スキチアの遊牧民を駆って、餌を尋ねる多数の餓狼の如くに、その生れ故郷を捨てさせたものは、欠乏に外ならなかった。このあくまでも強力な原因によって動かされて、(訳註――ここのところから二文は本章の後の方に再現する。その個所の訳註を参照。)雲霞の如き野蛮人は北半球のあらゆる地方から集ると見えた。彼らは進むにつれて新らしい暗黒と恐怖とを集め、その大群は遂にイタリアの太陽を覆い、全世界を永遠の暗黒に沈めたのである。世界中の文明国がかくも久しくまたかくも深刻にあまねく蒙ったこの恐るべき結果は、生活資料に比しての人口増加力の優越という簡単な原因に辿ることを得るであろう。』
 そしてこの次のパラグラフは次の語ではじまり、その後五つのパラグラフは大体第一版からの書き写しである。
『牧畜国は農業国ほど多数の住民を養うことが出来ないことは、周知のことである。けれども牧畜民族をしてかくも恐るべきものたらしめるものは、………』
 ヨオロッパとアジアの中緯度地方は歴史の初期に牧畜民族によって占有されたように思われる。ツキヂデスは自分の意見として、彼れの時代においてヨオロッパとアジアの文明国は、結合したスキチア人に抵抗することが出来ない、と述べている。しかし牧畜国は農業国ほど多数の住民を養うことは出来ない。けれども牧畜民族をしてかくも恐るべきものたらしめるものは、彼らが一団となって移動する力を有ち、また彼らの畜群に新しい牧場を探すためにしばしばこの力を発揮しなければならぬ、ということである。家畜をたくさん有っている種族は即座の食物に豊富である。絶対的必要の際には親家畜さえ食うことが出来よう。女は狩猟民族よりも安楽に暮し、従ってより多産的である。男は、団結の力を得て気強くなり、また場所を変えればその家畜に牧場を与えることが出来ると信じているので、おそらく家族扶養上の心配はほとんど感じないであろう。これらの原因は合してまもなくその自然的不変的結果たる人口増加をもたらす。もっと頻繁な急速な場所の変更が必要となる。もっと大きなもっと広汎な土地が順次に占有される。より広大な荒廃が彼らの周囲に拡がって行く。欠乏はより不運な社会員を苦しめ、遂にはかかる人口を支持して行くの不可能は余りにも明かにして抗し難きものとなる。そこで若者達は親の仲間から追われ、彼ら自身の剣で新らしい土地を探検し、彼ら自身のためのより幸福な居所を獲得せよと教えられる。
『世界はすべて彼らのえらぶがままにまかされた。』
 現在の困窮にせき立てられ、より明るい将来の希望に輝き、そして敢為進取の精神に駆り立てられて、これらの勇敢な冒険者は、これに抗するあらゆる者にとり恐るべき敵となりがちである。平和な商業や農業に従事している、久しく定住された国の住民は、かかる有力な行動の動機に促されている人間の力にしばしば抗し得なかったことであろう。そして彼らと同一の境遇にある種族との頻々たる闘争は、いずれも生存のための闘争に外ならないのであり、従って、敗北の罰は死であり勝利の賞は生であるという反省に促されて、決死的な勇気をもって戦われたことであろう。
 かかる蒙昧な闘争において、多くの種族は完全に絶滅したに違いない。多くのものはおそらく困苦と飢饉とで死滅したことであろう。しかし指導者がもっとよい指導をした他の種族は、大きな有力な種族となり、そしてみずから他に居所を求める新しい冒険者を送り出した。これらのものは最初は親の種族に恭順を致したことであろう。
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