人口論
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著者名:マルサストマス・ロバート 

 1) 私がここで道徳的という言葉をその最も限られた意味に用いていることがわかるであろう。道徳的抑制とは、慎慮的動機に発する結婚の抑制で、この抑制の期間中厳重に道徳的な行為を行うことを、意味するものと理解されたい。そして私は意識的にこういう意味から離れたことはないのである。その結果と関係のない結婚の抑制を云おうと思う時は、私はそれを、慎慮的抑制と呼ぶか、または予防的妨げの一部――たしかにこれは予防的妨げの主たる部分である――と呼んでいるのである。
 私は、各種の社会段階を通観しているところで、人口を防止する上において道徳的抑制に十分の重要性を認めていないといって、攻撃されている。しかしここで述べたところの、この言葉の限られた意味を観るならば、この点について私は大きな誤(あやま)ちは犯していないことがわかると思う。私が誤っているのなら私は非常に嬉しい(訳註――この註は第三版より現る)。
 乱交、不自然な情欲、婚床の冒涜(ぼうとく)、私通の結果を隠蔽するための不当な術策は、明かに罪悪の部類に属する予防的妨げである。
 積極的妨げの中、自然法則から不可避的に起ると思われるものは、もっぱら窮乏と呼び得よう。そして、戦争、不節制、その他多くの吾々の力で避け得るものの如き、吾々が明かに自ら招来したものは、混合的性質を有っている。それは罪悪によってもたらされ、そしてその結果は窮乏である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き、「1」が底本では欠落]。
 1) 罪悪の一般的結果は窮乏であり、そしてこの結果が一行為が罪悪と呼ばれる正確な理由なのであるから、ここでは窮乏という言葉だけで十分であり、両者を用いるのは、余計なことだ、と思われるかもしれない。しかし罪悪という言葉を拒否すると、吾々の言葉と観念とに大きな混乱が起ることとなろう。吾々は特に、その一般的傾向が窮乏を生み出し、従って創造者の命と道徳論者の戒律によって禁ぜられている行為――もっともその直接のまたは個人的の結果においては、それはおそらくその正反対を生み出すであろうが――を、区別したいのである。吾々の一切の情欲の満足は、その直接の結果においては幸福であり、窮乏ではない。そして個人的な場合には、その遠い結果でさえ(少くともこの世においては)おそらく同じ名称の下に属するであろう。両当事者の幸福を増加ししかも何人をも害することなき、婦人とのある私通があったこともあろう。従ってかかる個人的行動は窮乏の部類の下に属することは出来ない。しかしそれでもなおそれは罪悪である、けだし明かな戒律を破る行動は、その個人的結果がどうあろうと、それが窮乏を生み出す一般的傾向ある故に、このように名づけられるのであるから。そして何人も、両性間の私通が社会の幸福を害する一般的傾向を疑うことは出来ない。
 これら一切の予防的並びに積極的妨げをまとめた合計が人口に対する直接的妨げをなすものである。そして全生殖力の発揮が許されないあらゆる国においては、予防的妨げと積極的妨げとは反比例的に動かなければならぬことは明かである。換言すれば、その原因の何たるを問わず、自然的に不健康であるか、または大きな死亡のある国では、予防的妨げはほとんど行われないであろう。反対に、自然的に健康であり、予防的妨げが大きな力で働いているのが見られる国では、積極的妨げはほとんど行われず、または死亡は極めて小であろう(訳註)。
〔訳註〕このパラグラフ全部は第三版より現る。
 あらゆる国においては、これらの妨げのあるものは、その力の大小こそあれ、絶えず働いている。しかしそれが広く普及しているにもかかわらず、生活資料以上に増加せんとする人口の不断の努力のない国はほとんどない。この不断の努力は、同じく不断に、社会の下層階級を困窮に陥らしめ、その境遇の何らかの永久的大改善を妨げる傾向があるのである(訳註)。
〔訳註〕これに該当する文が第一版にあることは、この前四つ目の訳註を参照。
 かかる結果は(訳註)、社会の現状においては、次の如くして生み出されるように思われる。吾々はある国の生活資料が、その住民を容易に養うにちょうど等しいものと、仮定しよう。最も罪悪の多い社会ですら作用していることが見られる人口増加へ向かっての不断の努力は、生活資料が増加しないうちに人口を増加せしめる。従って、以前には一千百万を養った食物は今度は一千百五十万に分たれなければならぬ。貧民の生活はその結果としていっそう悪くならなければならず、そしてその多くは極貧に陥らなければならぬ。労働者の数もまた市場における仕事の比例以上になるので、労働の価格は下落する傾向がなければならず、他方食物の価格は同時に騰貴するであろう。従って労働者は、前に稼いだと同じだけを稼ぐために、より多くの仕事をしなければならぬ。この困窮期には、結婚の阻害と一家を養う困難とは極めて大となり、ために人口の増進は遅延させられるであろう。しかるに、労働の低廉と労働者の豊富と彼らが勤労を増加しなければならぬ必要とは、耕作者を奨励して、新地を開き既耕地をより完全に施肥し改良するために、より多くの労働をその土地に投ぜしめ、かくて遂に生活資料は人口に対して、出発点の時期と同じ比例となるであろう。労働者の境遇はこの時にはまたもかなりよくなり、人口に対する抑制はある程度緩められる。そして、短期間の後に、幸福に関しての同じ後退前進の運動が繰返されるのである。
〔訳註〕本章のこれ以下の部分については、cf. 1st ed., ch. II., pp. 29 et seq.
 この種の擺動はおそらく普通の人にははっきりと見えないであろう。そして最も注意深い観察者にとってすら、その時期を計ることは困難であろう。しかし、古国の大部分では、この種のある交替運動が、私がここに述べたよりは遥かに不明瞭かつ不規則ではあるが、存在することは、この問題を深く考察する思慮ある人のよく疑い得るところではないのである。
 この擺動が、当然予想されるほどは今まで述べられておらず、またそれほどはっきりは経験によって確かめられていない、一つの主要な理由は、吾々が所有する人類の歴史が一般に単に上流階級のみの歴史であるからである。吾々は、人類のうちでかかる後退前進の運動が主として起る部分の行状と習慣とについて、当てになる記述はたくさん有っていない。一つの民族、一つの時代につき、この種の満足な歴史をつくるためには、多数の注意深い観察者が、不断の細心の注意をもって、社会の下層階級の状態とそれに影響を及ぼした原因とに関する、地方的なまた一般的な記述を行うことが必要であろう。そしてこの問題に関して正確な推論をひき出すためには、かかる歴史家が数世紀に亙(わた)って続いて出ることが必要であろう。この方面の統計的知識は、近年、ある国々において取扱われている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そして吾々は、かかる研究の進歩から人類社会の内部構造をもっとはっきり知り得るに至ることを期待し得よう。しかしこの科学はなおその幼年期にあり、そしてそれに関する知識を得ることが望ましい諸題目の多くは、取扱われていないかまたは十分正確に述べてないかである。かかるものとして数え得るものとしては、結婚数に対する成年数の比例、結婚の抑制の結果として悪習が普及している程度、社会の最も困窮している部分の子供ともっと楽に暮している者の子供との死亡率の比較、真実労働価格の変動、一定の期間の異る時期における、安易と幸福とに関しての、社会の下層階級の境遇の、眼に見える相違、及びこの問題において最も重要なものたる出生、死亡、及び結婚の非常に正確な記録である。
 1) サア・ジョン・シンクレイアが蘇格蘭(スコットランド)で配附した適切な質問と、彼がこの地方で集めた貴重な報告とは、彼に最高の名誉を与えるものであり、そしてこれらの報告は、永久に、この蘇格蘭(スコットランド)僧侶の学識、良智、教養の偉大な金字塔として残るであろう。隣接諸教区がこれと一緒になっていないのは遺憾なことであるが、もし一緒になっていたら、特定教区の状態を理解する上にも想起する上にも記憶に役立ったことであろう。この中にあらわれている反覆や前後矛盾する意見は、私の見解によれば、それほど非難するに当らない。けだしかかる調査の結果はいかなる個人の調査の結果よりも信頼し得るものであるからである。ある練達の士がかかる結果を引き出すとすれば、なるほど多くの貴重な時間は節約されるであろうが、その結果はそれほど満足なものではないであろう。もしこの仕事が附属的事項について若干手を加えられ、過去一五〇年に亙る正確完全な記録簿を含んでいたならば、それは測り知れぬ価値を有ち、そして一国の内部的状態に関し今まで世界にない完全な姿を表現したことであろう。しかしこの手を加えるという最後の最も重要な仕事は、いかに骨を折っても出来なかったことであろう。
 かかる細目を含んだ忠実な歴史があるならば、それは人口に対する不断の妨げがいかに働くかを大いに明かにする傾向を有ち、そしておそらく、上述の逆転進転の運動の存在を立証するであろう。もっともその振動の時期は多くの介在的原因によって必然的に不規則たらしめられざるを得ない。かかる原因とは、例えば、ある工業の興起または衰頽、農業の企業精神の普及の多少、年の豊凶、戦争、疾病流行期、貧民法、移民、その他類似の性質の諸原因が、それである。
 この擺動を普通の人の眼につかぬようにするにおそらく最も寄与した事情は、労働の名目価格と真実価格との相違である。労働の名目価格が普遍的に下落するというのはごく稀である。しかし、食料品の名目価格が徐々として騰貴して来ているのに労働の名目価格がしばしば依然同一であるという風な場合を、吾々はよく知っている。このことは実際、商工業の増大が、市場に投じ込まれる新らしい労働者を雇傭し、かつその供給の増加によって貨幣価格が低下するのを妨げるに、足るという場合には、一般的に起ることであろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかし、同一の貨幣労賃を受取る労働者数の増加は、必然的にその競争によって、穀物の貨幣価格を騰貴せしめるであろう(訳註1)。これは事実上労働の価格の真実下落であり、そしてこの期間中は、社会の下層階級の境遇は徐々として悪化して行かなければならぬ。しかし農業者と資本家とは、労働の真実低廉によって富んで行く。彼らの資本が増加するので、より多数の人間を雇傭し得るようになる。そして、人口はおそらく、一家を養う困難の増加によってある妨げを蒙ったであろうから、労働に対する需要は、一定の期間後には、供給に比例して大となり、そしてその価格は、その自然的水準に帰着するに委ねられるならば、もちろん騰貴するであろう。かくの如くして、労働の労賃は、従ってまた社会の下層階級の境遇は、労働の価格が名目上は少しも下落しなかろうとも、進転逆転の運動をすることであろう(訳註2)。
 1) もし年々市場に投じ込まれる新らしい労働者が、農業以外に雇傭口を見出さないならば、彼らの競争は労働の貨幣価格を下落せしめて、もって、人口の増加がより以上の穀物に対する有効需要をもたらすのを、妨げるに至るであろう。換言すれば、もし地主及び農業者が、彼らが生産し得る生産物の追加分と引替えに単に農業労働量の追加しか得られないならば、彼らはこれを生産しようとは企てないであろう(訳註――この註は第五版より現る)。
〔訳註1〕『このことは実際……騰貴せしめるであろう。』は第五版より現る。
〔訳註2〕ここの所には第一版からのかなりの訂正削除がある。第一版では次の如し、――
『労働の名目価格が普遍的に下落するというのはごく稀である。しかし、食料品の名目価格が徐々として増加して来ているのに労働の名目価格がしばしば依然同一であるという風な場合を、吾々はよく知っている。これは実際上労働の価格の真実下落であり、そしてこの期間中は、社会の下層階級の境遇は徐々としてますます悪化して行かなければならぬ。しかし農業者と資本家とは労働の真実低廉によって富んで行く。彼の資本の増加によって前よりも多くの人手を雇傭することが出来るようになる。従って仕事は多くなり、その結果として労働の価格は騰貴するはずである。しかし、教会法のあるためか、または富者は団結し易いが貧民はそれが困難であるというもっと一般的な原因かのために、多かれ少なかれどの社会にもある、労働市場における自由の欠除のために、おそらく凶作の年が起り、叫声は余りにも声高となり必要は余りにも明かとなってもはや抗し得なくなるまでは、労働の価格は右の当然騰貴すべき時期にも騰貴せず、その上しばらくの間依然として低いままになっているのである。
『かくして労働の価格騰貴の原因は隠蔽される。そして富者は、その騰貴を許したのは、凶作のことを考えて憐憫と恩恵から行ったことだとする。そして豊作の年がまた来るとその価格が再び下落しないという最も不合理な不平を並べ立てる。しかし彼等が少しでも考えてみたら、彼等自身の不正な陰謀がなければそれは遥か以前に騰貴していなければならなかったはずであることが、わかることであろう。
『しかし富者が不正な団結をしてしばしば貧民の困窮を長びかせるに役立っているとはいえ、しかもいかなる形の社会でも、不平等の社会では人類の大部分にまた万人が平等の社会では万人に及ぼすところの、窮乏のほとんど不断の作用を妨げることは出来ないであろう。』
 規則的な労働の価格の存在しない蒙昧社会にも、同様な擺動が起ったことはほとんど疑い得ない。人口がほとんど食物の極限まで増加した時には、すべての予防的及び積極的妨げが当然にその働く力を増加する。性に関する悪習はいっそう一般的となり、子供の遺棄はその頻度を増し、そして戦争と伝染病の機会と惨禍とは著しく増大するであろう。そしてこれらの原因は、おそらく、人口が食物の水準以下に低下するまで、その作用を続けるであろう。そしてその時には、食物が比較的豊富になるので人口増加が再び始まり、そして一定期間後、そのより以上の増加はまたも同一の原因によって妨げられるであろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) サア・ジェイムズ・スチュワアトは、極めて適切にも、蕃殖力を、可変的な重りを載せられた発条に喩えているが(Polit. Econ. vol. i. b. i. c. 4, p. 20.)これはもちろん上述したと全く同種の擺動を生ずるであろう。彼は、その『経済学』の第一篇において、人口問題の多くの部分を極めてよく説明している。
 しかし、種々なる国におけるかかる進転逆転の運動を確証するためには、明かに吾々が所有しているよりも詳細な歴史が必要なのであり、また文明の進歩は当然にこの運動を緩和する傾向があるものであるが、吾々はここではこの運動を確証しようとは試みず、ただ次の命題を証明しようと思う、――
一、人口は必然的に生活資料によって制限される。二、人口は、ある極めて有力にして顕著なる妨げにより阻止されぬ限り1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、生活資料が増加する場合には普(あまね)く増加する。三、これらの妨げ、及び優勢な人口増加力を抑圧し、その結果を生活資料と平衡せしめる妨げは、すべて、道徳的抑制、罪悪、及び窮乏のいずれかとすることが出来る。 1) 私はこのような用心深い表現法を採ったが、けだし私は、人口が生活資料の水準に達しない若干の場合がある、と信ずるからである。しかしこれらは極端な場合である。したがって概言すれば、次のように云い得よう、
 二、人口は生活資料が増加する場合には常に増加する。
 三、優勢な人口増加力を抑圧しその結果を生活資料と平衡せしめる妨げは、すべて、道徳的抑制、罪悪、及び窮乏のいずれかとすることが出来る。
 ここに生活資料の増加とは、社会の大衆をしてより多くの食物を支配し得せしめる如き増加の意であることを、観られたい。特定社会の現実の状態において、下層階級には分配されず、従って人口に対し何らの刺戟も与えないような、増加が、確かに起り得よう(訳註)。
〔訳註〕この註は第三版より現る。ただし『ここに生活資料の増加とは』以下は第五版より現る。
 なお右に現れた三命題は第一版では次の形で現れている、――
『人口は生活資料なくしては増加し得ないということは、極めて明かな命題であって何らの例証をも必要としない。
『人口は生活資料がある場合には常に増加することは在来のあらゆる民族の歴史が十分にこれを証明するであろう。
『そして、優勢な人口増加力は罪悪または窮乏を生ぜずしては妨げられ得ず、人生という杯に盛られたこのたっぷりとした苦味とそれを生じたと思われる物理的原因の永続性とは、余りにも確実な証拠を有っている。』
 これらの命題の第一はほとんど例証を必要としない。第二と第三とは、過去及び現在の社会状態における人口に対する直接的妨げを通観すれば、十分に確証されるであろう。
 この通観が以下の諸章の主題である。
[#改丁]

    第三章 人類社会の最低段階における人口に対する妨げについて(訳註)

〔訳註〕第二版以後の形における『人口論』の全四篇の中、その前半の二篇は、人口原理の存在とその作用とを過去及び現在の事実から実証しようとする部分であって、いわば歴史篇とも呼ばるべきものである。この歴史篇はしばしば第二版以後からはじめて現れたものの如く説かれているが、なるほどそれは第二版以後著しく増補されはしたけれども、決して第二版をまってはじめて現れたものでは決してなく、既に第一版にも明かに現れているところである。この歴史篇は、少くとも第一篇の関する限りでは、第二版以後は極めて僅少の附加が加えられているだけであるから、比較は主として第一版と第二版以後との差異に関して行われるべきである。そこで便宜上、第一篇の範囲に属する第一版の総括的記述のうち、人類の最低段階に関する記述をここに掲げることとし、第二段階に関しては第一版の記述は第二版以後では第六章に再現するから、これはそこにゆずり、その他個々の文に関しての比較は、各々関係の場所に訳註を附することとする。第一版における右に該当するものは次に如くである、――
 第三章――『狩猟が主たる職業であり唯一の食物獲得法となっている人類の最も蒙昧な状態にあっては、生活資料は広大な地域に散在しているので、人口は必然的に比較的稀薄でなければならない。……
『しからば吾々は、以上の概観から、またはむしろ狩猟民族に関して参照し得る記述からして、次の如く推論し得ないであろうか、すなわち彼らの人口は食物が不足なために稀薄であり、もし食物がもっと豊富にあるならば、それは直ちに増加すべく、また蒙昧人では、罪悪を別とすれば、窮乏が、優勢なる人口増加力を圧縮しその結果を生活資料と等しくしておく妨げである、と。少数の地方的な一時的の例外を別とすれば、この妨げが現在不断にあらゆる蒙昧民族に対し働いていることは、実際の観察と経験とが吾々に物語るところであり、そして理論は、これは一千年の昔にも現在とほとんど同じ力で働きまた一千年後もほぼ同じほどであろうということを、指示しているのである。』
 ただし第一版では狩猟状態に関する事実はアメリカ・インディアンのものが大部分を占めるのであり、右の引用も大体インディアンに関する総括をなすものである。
 ティエラ・デル・フエゴの惨めな住民は、あまねく旅行家により、人類の最低水準にあるものとされている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き、「1」が底本では欠落]。しかしながら、彼らの家庭的習慣や行状を記したものはほとんどない。彼らの荒凉たる国と悲惨な生活状態は、かかる知識を伝うべき彼らとの交渉を妨げている。しかし吾々は、その外貌そのものが半ば餓死の姿を示しており、寒さにふるえ垢と虱とに蔽われながら世界中で最も悪い気候の中に住み、しかもその厳しさを緩和し生活をいくらかもっと楽しくする便宜を自ら備えるの智恵を有たない、蒙昧人における、人口に対する妨げが、いかなるものであるかは、これを知るに当惑しないのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Cook's First Voy. vol. ii. p. 59.
 2) Cook's second Voy. vol. ii. p. 187.
 これに次いで、智恵と資源ではこれとほとんど等しく低いものとして、ヴァン・ディーメン島の土人が挙げられている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかし最近の記述の示すところによると、東洋のアンダアマン諸島には、これよりもっとみすぼらしい蒙昧人が住んでいる。従来旅行家が蒙昧人の生活について述べているあらゆることも、この種族の野蛮さには及ばないと云われている。彼らの時間は全部食物の捜索に費やされる。そして彼らの森林は動物をほとんどまたは全く産せず、また食用植物もほとんど産しないので、彼らは岩を攀(よ)じ登ったり、あてのない魚肉を探すために海辺を徘徊したりすることを、主な仕事としているが、それも暴風雨の季節にはしばしば全く無駄になってしまう。彼らの身長は滅多に五呎(フィート)を超えず、その腹は膨れ上り、肩は高く、頭は大きく、そして四肢は不釣合に瘠(や)せている。彼らの容貌は、極端な窮状、飢餓と獰猛との恐るべき混合を現わしており、そして彼らの瘠せかつ病んだ姿態は、明かに、健康な食物の不足を物語っている。この不幸な人間中のある者は、飢餓の最終段階に瀕していることが見出されたのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Vancouver's Voy. vol. ii. b. iii. c. i. p. 13.
 2) Symes's Embassy to Ava, ch. i. p. 129, and Asiatic Researches, vol. iv. p. 401.
 これより一段階進んだ人類としては、吾々は、ニュウ・オランダの住民を挙げ得ようが、その一部については、久しくポオト・ジャクソンに住んでいて、その習慣や行状をしばしば実見する機会を有った一人の人から、信ずるに足る報告を得ている。キャプテン・クックの第一航海記の報告者は、ニュウ・オランダの東海岸では極めて少数の住民しか見られず、その荒廃せる状態からしてこれ以上の人間を養うことは明かに不可能である、と述べた後、曰く、『この地方の住民がどうして現在養っているような人口に減らされたのかは、おそらくなかなか推断しにくい。それがニュウ・ジイランドの住民のように、食物を争って相互の手で殺し合ったのか、偶発的の飢饉で一掃されたのか、または種族の増加を妨げる何らかの原因があるのかの判定は、将来の探検家に委ねられていることでなければならぬ1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Cook's First Voy. vol. iii. p. 240.
 コリンズ氏がこの蒙昧人について述べているところは、思うに、ある程度まで満足な答を与えるものであろう。それによると彼らの身長は一般に高くなく、身体はがっちりともしていない。彼らの腕や脛や腿は瘠せているが、それは彼らの生活様式が貧弱なためである。海岸に住むものは、食物としてはほとんど全く魚肉にたより、時に小さなゴム樹の幹の中にいるかなり大きな蛆を見出してほっとしている。森林には動物が非常に少く、それを獲るには非常に大きな労働がいるので、奥地の土人も海岸のものと同様に貧しい境遇にある。彼らは蜜や、むささび、袋鼠のような小動物を求めて、非常に高い木に登らざるをえない。幹が非常に高くしかも枝のない時には――これは密林での通例であるが――これは非常に骨の折れる労働であり、左手で木を抱きながら、一歩ごとに順次その石斧で刻目を作って、登るのである。その最初の枝に達するまで八十呎(フィート)の高さに至るまでもこのようにして刻目をつけられた木が見られたが、ここまで登らなければ、飢えた蒙昧人はこれほどの骨折りに対する何らかの報酬を手に入れることを望み得なかったのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Collins's Account of New South Wales, Appendix, p. 549. 4to.
 森林は、そこで時に見出される動物を別とすればほとんど食物を与えない。少しばかりの漿果(しょうか)、やまいも、羊歯(しだ)の根、種々な灌木の花が、植物性食物の目録の全部をなすものである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. Appen. p. 557. 4to.
 子供づれの一人の土人がホオクスベリ河の岸で、我国の移民にびっくりして、独木舟で逃げ去ったが、その後に彼れの食物と彼れの胃の腑の繊細加減を示す見本を残して行った。彼は、穴だらけの水に濡れた木の一片から、大きな虫をほじり出して食っていたのである。虫とその居場所とのにおいはこの上もなく臭気のはなはだしいものであった。かかる虫はこの土地の言葉ではカアブロオと呼ばれている。そして奥地に住む土人の一種族は、この胸の悪くなる虫を食うところから、カアブロガアルと呼ばれている。森林の土人もまた、羊歯の根と大小の蟻をまぜて作ったねり物を食っており、また産卵期には蟻の卵も加えている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. Appen. p. 558.
 食物としてこんなものに頼らざるを得ず、動植物の食物の供給がかくも乏しく、それを得るための労働がかくも苦しい土地では、人口が地域に比較して非常に稀薄に散在していなければならぬことは明かである。その最大限は非常に狭くなければならぬ。しかし吾々は、これらの人民の奇妙な野蛮な風習、彼らの女子に対する残酷な取扱、及び子供を養う困難を注意して見ると、その人口がこの限界を突破することがもっとしばしば起らぬことに不審を抱くよりは、むしろかかる貧弱な資源ですらかかる境遇の下に成長し得るすべての人口を養って余りあるものとさえ、考えたくなるのである。
 この国における恋愛の序曲は暴力、しかも極めて残虐な暴力である。野蛮人は、思う妻を異る種族から、一般に彼れの種族と敵対している種族から選ぶ。彼は、その保護者のいない間に女を盗み出し、そしてまず棍棒か木刀で女の頭や背中や肩を血だらけにするまでなぐりつけて気を失うや、それを片手で引ずって、途中の石ころや木片などにかまわず森の中をひきずり、ただその獲物を無事に自分の仲間の所まで運ぼうと急ぐのである。このような取扱いを受けた女は彼れの妻となり、彼れの種族の一員となるのであるが、この男をすてて他の男のところへ行くことは滅多にない。こんなひどい目にあっても女の親族は憤慨せず、ただ出来るときには今度は自分も同じことをして復讐するだけのことである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. Appen. p. 559.
 両性の結合は早期に行われる。そして非常に若い少女が男によりひどい恥しい凌辱を受けているのは我国の移住民がよく見るところである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. Appen. p. 563.
 その一人または二人以上の妻に対する夫の処置は、この奇怪野蛮な求婚様式と性質が似ているようである。女性はその頭に男の優越の痕を止めており、これは、男がその腕に打つ力を見出すや否や直ちにそれを発揮してこしらえたものである。かかる不幸な女のあるものは、その刈り込まれた頭の至る所に数え得ないほどの傷痕をもっている。コリンズ氏は感傷的に曰く、『これらの女の境遇はあまり悲惨なので、私は母の肩におぶさっている女の子を見ると、その子の将来の悲惨なことを予見して、それを殺してしまった方が慈悲であろうとしばしば考えた1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』他の場所では彼は分娩中のベニロングの妻のことについて曰く、『私は今この記録の中に、ベニロングがあることに腹を立てて、分娩直前の朝この女を激しくなぐったという覚書を見出した2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. Appen. p. 583.
 2) Id. Appen. note, p. 562.
 このように獣的に取扱われる女は、必然的にしばしば流産せざるを得ず、またおそらく、前に述べたような、非常に若い少女の凌辱が普通に行われ、また両性の結合が一般にあまりに早く行われれば、女性の生殖力は減殺されるであろう。一妻よりも多妻の場合の方が一般であるが、しかし驚くべきことには、コリンズ氏は二人以上の子供のある場合は一度以上は思い出せないのである。彼はある土人から第一の妻は夫婦関係の独占権を有つものとされているが、第二の妻は単に両人の奴隷であり召使に過ぎない、と聞いたのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. Appen. p. 560.
 夫婦関係に対し第一の妻が絶対独占権を有つということはありそうもないことである。しかし第二の妻がその子供を育てることを許されないということは、あり得ることである。とにかく、もし右のことが一般的に正しいとすれば、多くの女には子供がないのであり、これは、彼女らの激しい苦難、またはコリンズ氏には知られなかったある特別な習慣に起因するものであることを、証明するものである。
 もし乳児の母が死ねば、この頼りなき幼児は生きたまま母と同じ墓に埋められる。父親自身が生きている子供を母の死骸の上に置き、それに大きな石を投げ込むと、他の土人がすぐ墓を埋めてしまうのである。我国の移住民によく知られているコーレーベーという土人が、この恐ろしい行為をしたが、彼はこのことを訊ねられたときに、この子供を育てる女はどこにも見出すことは出来ず、従ってこうして死を与えなければもっとひどい死に方をしなければならないはずだと云って、その行為を弁解した。コリンズ氏は、この風習は一般に行われていると信ずべき理由があると云い、それがある程度人口の稀薄の理由をなすものであろう、と云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き、「1」が底本では欠落]。
 1) Id. Appen. p. 607.
 かかる習慣は、それ自身としてはおそらく一国の人口に大きな影響を与えるものではなかろうが、蒙昧人の生活で子供を育てることの極めて困難なることをよく物語るものである。その生活習慣上絶えず居住を変え、その夫のために絶えず苦役に服せざるを得ない女は、ほとんど同じ年頃の二三人の子供を育てることは絶対に出来ないように思われる。上の子供が独り立が出来て母に歩いてついて行けるようになる前に、もう一人子供が出来れば、世話が行届かずに二人の中一人はほとんど必然的に死ななければならない。このような放浪的な苦労の多い生活では、たった一人の子供でさえこれを育てることは非常に厄介な苦しい仕事に相違ないのであるから、母たるの強い感情に刺戟されないくらいの女でそれを引受けるもののあり得ないのは、驚くに当らぬことである。
 生れて来る人間を力ずくで抑圧するこれらの原因の外に、なお結果においてこれを殺すに寄与する原因を挙げなければならぬ。すなわちこれら蒙昧人の他の種族との頻々(ひんぴん)たる戦争と相互間の不断の闘争、深夜の殺人を促がししばしば無辜(むこ)の流血を惹き起す不思議な復讐心、醜悪な皮膚病を発生させるような彼らのみじめな住居の煤や汚物、及びあわれな生活様式、なかんずく多数の人間を一掃する天然痘の如き恐るべき伝染病がこれである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) See generally, the Appendix to Collins's Account of the English Colony in New South Wales.
 一七八九年に彼らはこの悪疫に見舞われたが、これは天然痘の一切の特徴と猛烈さとをもって、彼らの間に猖獗(しょうけつ)を極めた。それがもたらした荒廃はほとんど信じ得ないほどである。彼らが最も姿を見せた湾や渡場には、ただの一人も生きた人間は見られなかった。砂上にはただの一つの足跡でさえ認められなかった。死骸は更に死骸で蔽われた。岩間の穴は腐った屍体で満たされ、また多くの地方では道は骸骨で蔽われた1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. Appen. p. 597.
 コリンズ氏は上述のコーレーベーの種族は、この恐るべき病気の結果、たった三人になってしまい、この三人は全滅を免れるため他の種族と合体せざるを得なかった、と聞いたのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. Appen. p. 598.
 かかる人口減退の有力な原因があるのであるから、吾々は当然に、この国の動植物生産物が稀薄な人口のの周囲に次第に増加し、その上、海辺からは魚の供給もあるのであるから、食物は消費に対して余りあるものと考えたくなる。しかし全体として、人口は一般にほとんど、食物の平均供給と一致しているので、不順な天気やその他の原因からわずかの欠乏を生じてもすぐ困窮が生じなければならないように思われる。住民が非常な欠乏に遭遇しているように思われた特殊な場合は稀らしくないと云われているが、かかる時にはこの土人のある者は骨ばかりになり、またほとんど餓死しようとしているのが見られたのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. c. iii. p. 34, and Appen. p. 551.
[#改丁]

    第四章 アメリカ・インディアンにおける人口に対する妨げについて

 吾々は次に、広大なアメリカ大陸に目を転じよう。その大部分の土地には、ニュウ・オランダの土人とほとんど同様に、自然から与えられるままの生産物を得て生活している、小さな独立した蒙昧種族が、住んでいる。土地はほとんどあまねく森林で蔽われ、南洋諸島に豊富に成長する果実や食用植物はほとんどない。狩猟種族のあるものが知っている極めて粗雑な不完全な耕作によって得られる生産物は、狩猟により獲られる食料の補助と考えてよいほど、わずかである。従ってこの新世界の住民は、主として狩猟と漁撈によって生活しているものと考えてよい1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そしてこのような生活様式に対する限界の小なることは云うまでもない。漁撈から得られる食料は、湖水や河や海の近くにいる者が手にし得たのみである。そして慎慮の足らぬ蒙昧人の無智と怠惰とのために、これらの食料を、実際に手に入れた時よりも後日のためにとっておくことはしばしば出来なかった。この狩猟者を養うためには、広大な地域が必要であることは、しばしば述べられまた認められているところである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。彼らの手に届く野獣の数、並びにそれらの獣を殺すか捕えることの難易によって、社会の人口は必然的に制限されなければならぬ。だから狩猟民族は、その生活様式で彼らが似ている野獣と同様に、土地の上に極めて稀薄に散在するであろう。野獣のように、彼らはあらゆる敵を逐い払うか、またそれから逃げるかしなければならず、そして互いに間断なく争っていなければならない3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Robertson's History of America, vol. ii. b. iv. p. 127, et. seq. octavo edit. 1780.
 2) Franklin's Miscell. p. 2.
 3) Robertson, b. iv. p. 129.
 かかる事情の下において、アメリカがその面積に比例して極めて人口が稀薄なのは、人口はそれを養うべき食物なくしては増加し得ないという明かな真理の、例証でしかない。しかしこの問題のうちに私が特に読者の興味を惹きたいと思っている面白い点は、人口がいかにしてこの乏しい供給の水準まで抑止されるかということである。人民に対する食物供給の不足は、常に飢饉という形でだけ現れるものではなく、他のもっと永続的な困窮の形で、時に生れてから殺すよりも生れる前に人口を妨げる方に大きく働く習慣を生み出すという形で、現れるということを、見逃すことは出来ない。
 アメリカ人の女は多産的でないと一般的に云われている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。この少産性は、その女に対する男の情熱が足りないという、アメリカの蒙昧人に特有と考えられている特徴の一つから起るのだと、あるものは云っている。しかしながらそれはこの種族のみに特有なことではなくて、食物が貧弱で不十分であり、そして絶えず飢饉または外敵により襲われる不安の中に生活している、すべての野蛮民族に、おそらく大きな程度に存在しているものである。ブルウスはしばしばこれに注目し、特にアビシニアの辺境の蒙昧民族たるガラ族及びシャンガラ族について述べている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。またヴァイヤンはホッテントット族の人口稀薄の主原因としてその冷淡な気質を挙げている3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。これは、性的情欲から注意を奪ってしまう蒙昧生活の艱難と危険によって起るもののように思われる。そしてアメリカ土人の情熱不足の主たる原因は、その体質から来る絶対的欠陥ではなく、かかる事情がその原因であるということは、かかる原因が緩和されまたは除去される程度にほとんど比例して、この傾向が減少して行くことから、本当らしく思われる。アメリカの諸地方のうち特殊な地の利またはそれ以上の改良上の有利な事情から、蒙昧生活の苦労がそれほどはげしくは感ぜられない地方においては、両性間の情欲はもっと熱烈である。河岸に位置を占め魚の貯蔵の十分にある種族、または鳥獣に豊富な地方やまたは農業が大いに進歩している地方に住んでいる種族の間では、女はもっと尊重され大事にされる。そして情欲の満足に対してはほとんどいかなる抑制もないから、その風俗の紊乱(びんらん)は時に過度に達している4)[#「4)」は縦中横、行右小書き](訳註)。
 1) Id. b. iv. p.106. Burke's America, vol. i. p. 187. Charlevoix, Hist. de la Nouvelle France, tom. iii. p. 304. Lafitau, M□urs des Sauvages, tom. i. p. 590.
 本章では私はしばしばロバトスンと同じ引用をするが、しかし自らこれを調べ確かめなかったことはない。そうすることが出来なかった場合には、私はロバトスンのみを引用した。
 2) Travels to discover the Source of the Nile, vol. ii. pp. 223, 559.
 3) Voyage dans l'Int□rieur de l'Afrique, tom. i. p. 12, 13.
 4) Robertson, b. iv. p. 71. Lettres Edif. et. Curieuses, tom. vi. pp. 48, 322, 330; tom. vii. p. 20. 12 mo. edit. 1780. Charlevoix, tom. iii. pp. 303, 423. Hennepin, M□urs des Sauvages, p. 37.
〔訳註〕このパラグラフについては、Cf. 1st ed., pp. 39-40.
 ところで、もし吾々がアメリカ土人のこの情熱不足を彼らの体躯の自然的欠陥と考えずに、単なる一般的の冷淡であり、情欲衝動が余り来ないからであると考えるならば、吾々は一家族に対する子供の数に影響を与えるものとして、それに重きをおく気にはならないであろう。そしてむしろこの少産性の原因を蒙昧状態における女子の境遇と習慣に求める気になるであろう。そしてかくすれば、吾々は問題の事実を説明すべき十分な説明を見出すことになるであろう。
 ロバトスンは正しくも次の如く述べている。『男子が技術や文明の進歩によって改良されたかどうかということは哲学者の間で矢釜(やかま)しく論ぜられて来ている問題である。ところで女子の境遇の幸福な変化がその洗練された優雅な挙措に負うものであることは、疑をいれえない点である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』世界のあらゆる地方において蒙昧人に最も一般的な特徴の一つは、女性を軽蔑し貶すことである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。アメリカの種族の大抵においては、女子の境遇は余りにひどすぎて、奴役という言葉はその悲惨な状態を表すには、やわらかすぎる。妻は牛馬と同じである。男がその日を怠惰と安逸に送っているとき、女は絶えず労役に服している。仕事は容赦なく彼らの上に課せられ、そして奉仕は満足も感謝もなしに受入れられる3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。アメリカのある地方では、こうした悲惨な状態が余りひどいので、母親はその女児を、こうした悲惨な奴隷の運命に陥るにちがいないこの世から、速かに救い出すために殺したのである4)[#「4)」は縦中横、行右小書き](訳註)。
 1) Robertson, b. iv. p. 103.
 2) Id. b. iv. 103. Lettres Edif. passim. Charlevoix, Hist. Nouv. Fr. tom. iii. p. 287. Voy. de P□rouse, c. ix. p. 402. 4to. Lodon.
 3) Robertson, b. iv. p. 105. Lettres Edif. tom. vi. p. 329. Major, Roger's North America, p. 211. Creuxii Hist. Canad. p. 57.
 4) Robertson, b. iv. p. 106. Raynal, Hist. des Indes, tom. iv. c. vii. p. 110. 8vo. 10 vol. 1795.
〔訳註〕このパラグラフについては、Cf. 1st ed., p. 41.
 蒙昧生活の不可避的な困難に加えての、この圧迫と不断の労働の状態とは、一般に子供を産むという仕事には非常に都合が悪いのは当然である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そして結婚前の女子の間で一般に行われている不品行は、堕胎の習慣と相俟って、必然的に彼らを後に至り子供を産むに適しなくさせる2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。宣教師の一人はナッチェツ族の間でその妻を取り換える一般の習慣があることを述べて、もしその妻に子供がないならば、と附言しているが、これはこれらの結婚の多くは子供を産まないことの証拠であり、そしてこれらは、彼が前に述べている3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]結婚前の不品行な生活から説明され得よう。
 1) Robertson, b. iv. p. 106. Creuxii Hist. Canad. p. 57. Lafitau, tom. i. p. 590.
 2) Robertson, b. iv. p. 72. Ellis's Voyage, p. 198. Burke's America, vol. i. p. 187.
 3) Lettres Edif. tom. vii. p. 20, 22.
 シャルルボワがアメリカ土人の女の不姙の原因としているものは、彼らの子供に数年間授乳している間その夫と同棲しないこと、彼らがどんな状態にいても常に服しなければならぬ過度の労働、及び多くの地方で樹立されている所の、若い女子に結婚以前に売淫を許す習慣、などである。これに加うるに、これ等の人々は時に極貧に陥るので、子供を持とうという欲望を全く失うに至る、と彼は云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き、「1」が底本では欠落]。もっと蒙昧の種族のあるものでは、子供を二人以上も産んで自分の足かせになるようにはしないというのが、公理となっている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。双生児が生れると、母が二人を育てることは出来ないので、その一人は普通棄てられる。そして子供に授乳中に母が死ぬ時には、子供はその命を保つ望みはなく、そしてニュウ・オランダにおける如くに、それは母と同じ墓に埋められる3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Charlevoix, N. Fr. tom. iii. p. 304.
 2) Robertson, b. iv. p. 107. Lettres Edif. tom. ix. p. 140.
 3) Robertson, b. iv. p. 107. Lettres Edif. tom. viii. p. 86.
 親自身がしばしば欠乏に曝されるのであるから、その子供を養うの困難は時に極めて大となり、ために彼らは子供を棄てたり殺したりするの止むなきに至る1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。不具の子供が棄てられるのは非常に一般的である。そして南アフリカの種族のあるものでは、その労働に能く堪えない母の子供は、親の弱点を遺伝するかもしれぬという恐れから、同じ運命を分つのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Robertson, b. iv. p. 108.
 2) Lafitau, Moeurs des Sauv. tom. i. p. 592.
 アメリカ土人の間に不具者が著しく少ないことの原因を、吾々はこの種の原因に帰しなければならぬ。たとえ母がその子供達を区別なしに育てようと努めたとしても、全体のうちある比例のものは、蒙昧生活の運命たる峻烈な試練の下に死んでしまうのであり、その結果としておそらく、本来の虚弱や欠陥をもちながら働くものは、何人も成年になるまで生きることは出来ないのである。もし彼らが生れるや否や殺されないとしても、彼らを待つ苛酷な試練があるのであるから、久しくその命を保つことは出来ない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。インディアンがこれほど苦しい労働生活をせず、そして子供を殺すことを妨げられている、スペイン領地方では、彼らの数多くは不具者で、小人で、手を欠いており、盲目で、聾である2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Charlevoix, tom. iii. p. 303. Raynal, Hist. des, Indes tom. viii. l. xv. p. 22.
 2) Robertson, b. iv. p. 73. Voyage d'Ulloa, tom. i. p. 232.
 一夫多妻はアメリカ土人の間では一般に許されていたようであるが、しかしこの特権は、カシイク及び酋長、または生活資料がもっと容易に得られる南方の肥沃なある地方でその他のものが時々用いる外は、滅多に用いられたことはない。一家を養う困難は人民大衆をして一人の妻に満足せしめたが1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、しかもこの困難は一般に知られかつ認められているので、父親は娘を嫁にやることを承諾する前に、求婚者に、狩猟の熟練、従って妻子を養う能力について、明確な証拠を要求したのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。女は早く結婚しないと云われている3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。そしてこれは、宣教師やその他の著者が再三留意している結婚前の彼らの不品行によって、確かめられるようである4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Robertson, b. iv. p. 102. Lettres Edif. tom. viii. p. 87.
 2) Lettres Edif. tom. ix. p. 364. Robertson, b. iv. p. 115.
 3) Robertson, b. iv. p. 107.
 4) Lettres Edif. passim. Voyage d'Ulloa, tom. i. p. 343. Burke's America, vol. i. p. 187. Charlevoix, tom. iii. p. 303, 304.
 右に挙げた習慣は、主として家族の扶養に伴う困難から生じたものと思われるが、これは、その親が彼らを救おうとする最上の努力にもかかわらず蒙昧生活の困難の下において必然的に多数の子供が死ななければならぬということ1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]と相俟って、疑いもなく、新しく生れて来るものを力強く圧迫しなければならぬのである。
 1) クリュウクシュウスは、ほとんど三十人に一人も成年に達しない、と云っている(Hist. Canad. p. 57.)が、これは確かに大きな誇張に違いない。
 若い蒙昧人がその少年期の危険を無事に通った時には、これに劣らぬ恐るべき他の危険が成年になろうとする彼を待ち構えている。蒙昧状態においてかかる疾病は、数は文明社会よりも少いが、その激しさと、致命的なことでは、文明社会にある疾病よりももっと甚しい。蒙昧人は不思議なほど不慎慮であり、そして彼らの生活資料は常に不安なものであるから、彼らは、獲物の多寡、または季節の生産物の多少によって、しばしば極端な欠乏から法外な豊富へと移行する1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。一方の場合における彼らの無思慮な大食と、他方の場合におけるその極端な節食は、人類の体躯に等しく有害である。従って彼らの気力はある季節には欠乏によってそこなわれ、また他の季節には過食と消化不良による疾病によってそこなわれる2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。これは彼らの生活様式の不可避的結果と考えられようが、これによって多くの者は働き盛りに死んでしまう。彼らは同様に、極度に肺病や肪膜や喘息や麻痺性の病気にかかるが、これは彼らが狩猟や戦争に当って蒙る甚しい困苦と疲労、及び彼らが絶えず曝されている険悪な気候によって、もたらされるのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Robertson, b. iv. p. 85.
 2) Charlevoix, tom. iii. p. 302, 303.
 3) Robertson, b. iv. p. 86. Charlevoix, tom. iii. p. 364. Lafitau, tom. ii. p. 361.
 宣教師は、南アフリカのインディアンについて、彼らが治療法を知らない病気に絶えずかかると云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。最も簡単な薬草を用いることも、またはその粗雑な食事を変えてみることも知らず、彼らは数多くこれらの病気で死んでしまう。ジェスイット僧のフォークは、彼が旅行した各地ではどこでも老人はただの一人も見なかったと云っている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。ロバトスンは、蒙昧人の寿命は、よく整った勤勉な社会におけるよりも短いと断定している3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。レイナルは、蒙昧生活をしばしば擁護しているにもかかわらず、カナダのインディアンについて、もっと整った安穏な生活方法をしている吾々国民ほど長生きするものはほとんど無いと云っている4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。そしてクックとペルウズは、アメリカの西北海岸の住民のあるものについて述べているところで、これらの意見を確認しているのである5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Lettres Edif. tom. viii. p. 83.
 2) Id. tom. vii. p. 317, et seq.
 3) Id. b. iv. p. 86.
 4) Raynal, b. xv. p. 23.
 5) Cook's Third Voy. vol. iii. ch. ii. p. 520. Voy. de P□rouse, ch. ix.
 南アメリカの大平原においては、広い沼や雨期に続く洪水に焼けつくように照りつける太陽は、時に恐るべき流行病を惹き起す。宣教師は、インディアンの間にしばしば伝染病が起り、そして時々その部落に大きな死亡率を生ずると云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。天然痘は至る処に猖獗を極めるが、それは注意が足りずまた住居が狭いので、これに罹った者は、ほとんど全く恢復しないからである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。パラグアイのインディアンは、ジェスイット僧が世話や注意を払っているにもかかわらず、非常に伝染病に罹ると云われている。天然痘と悪性熱病は、それがもたらす惨害からして、悪疫と呼ばれているが、これはしばしば盛んな伝道を駄目にしてしまうのであり、そしてウロアによれば、伝道が始まって以来の時間と彼らの非常に平和な生活とに比例してそれがその勢を増さないのは、この原因によるのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Lettres Edif. tom. viii. p. 79, 339; tom. ix. p. 125.
 2) Voyage d'Ulloa, tom. i. p. 349.
 3) Id. tom. i. p. 549.
 かかる流行病は啻に南方のみに限られるものではない。それはもっと北の民族にも稀しくないかの如き記述が行われている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そしてキャプテン・ヴァンクウヴァは、アメリカ西北方海岸の、最近の航海記において、明かにこの種のある疾病から起った極めて異常な荒廃を、報告している。ニュウ・ダンジェネスから海岸を百五十哩(マイル)彼は通過したが、前と同じ数の住民を見たことは一度もなかった。人影のない部落がしばしばあったが、それはいずれも、以前にこの地方に散らばっていた蒙昧人を全部収容するに足るほど大きかった。彼が行った色々の地方で、特にポオト・ディスカヴァリ附近では、人間の頭蓋骨、肋骨、脊髄骨、その他種々の人体の遺物が滅茶苦茶にたくさん散乱していた。そして生き残ったインディアンの身体には戦の傷痕は何もなく、また恐怖や不安の特別な徴候は何も認められなかったのであるから、この人口減少は流行病により生じたに違いないと考えるのが最も当然である2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。天然痘はこの海岸地方におけるインディアンでは普通であり、致命的なものであるように見える。その消し難いあばたは多くの者に見られ、また若干はそれにより一眼の視力を失っていたのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Lettres Edif. tom. vi. p. 335.
 2) Vancouver's Voy. vol. i. b. ii. c. v. p. 256.
 3) Id. c. iv. p. 242.
 一般的に云えば、蒙昧人は、その極端な無智、その身体の不潔、その小屋のつまって汚れているところから1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、通常人口稀薄な地方に伴う利点、すなわち人口稠密な地方よりも流行病から免れうるという利点を、失っている。アメリカのある地方では、家屋は多くの異った家族を容れるように作られる。そして八十人も百人もが同じ屋根の下に群居している。家族が分れて暮している場合には、その小屋は極度に小さく、つまっており、みすぼらしく、窓は無く、そしてその入口は非常に低くて、そこに入るには手と膝で這わなければならない2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。アメリカの西北岸地方では、家屋は一般に大きい。そしてミイアスは、ヌウトカ・サウンドに近いある酋長に属している非常に大きな家のことを記しているが、そこでは、八百人の人間が食事をしたり、坐ったり、寝たりするのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。すべての旅行者は、この海岸地方の人民の住居の不潔と身体のきたなさについては見解が一致している4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。キャプテン・クックは、彼らが群をなす虱を摘まみ取って食うと書いており5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]、また彼らの住居の状態を最大の厭悪をもって述べている6)[#「6)」は縦中横、行右小書き]。ペルウズは、彼らの小屋は世界中の既知のいかなる動物の洞窟とも比較しえない不潔と臭気を有っている、と云っている7)[#「7)」は縦中横、行右小書き]。
 1) シャルルヴォアは、アメリカ人の小屋の極度の不潔と悪臭とを語るに最も強い言葉を使っている。曰く、『病気にかからずにその小屋の中に入ることは出来ない。』またその食事の不潔について曰く、『身の毛がよだつ、』と。Vol. iii. p. 338.
 2) Robertson, b. iv. p. 182. Voyage d'Ulloa, tom. i. p. 340.
 3) Meares's Voyage, ch. xii. p. 138.
 4) Id. ch. xxiii. p. 252. Vancouver's Voyage, vol. iii. b. vi. c. i. p. 313.
 5) Cook's Third Voyage, vol. ii. p. 305.
 6) Id. c. iii. p. 316.
 7) Voyage de P□rouse, c. ix. p. 403.
 かかる事情の下において、流行病がひとたび彼らの間に現れる時には、いかに恐るべき荒廃を作り出さねばならぬかは容易に想像し得よう。そして、彼らの家の空気は最も混雑した都会の空気よりも澄んでいることはあり得ぬのであるから、上に述べた程度の不潔がこの種の疾病を作り出すべきことは、当然のことと思われる。
 幼年期の危険と疾病から免れた者は絶えず戦争のおそれに曝らされている。そしてアメリカ土人の戦争行動は極度に用心深く行われるにもかかわらず、しかも、平和な時期はほとんどないのであるから、戦争で失われる彼らの数は大きなものである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。アメリカ土人の中最も野蛮なものでも各団体が自分の領土に対して有つ権利のことはよく知っている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。そして他の団体が自分達の猟場の獲物を殺すのを防ぐのは最も重大なことであるから、彼らはこの民族的財産を最大の注意をもって番をする。かくて無数の戦争原因が必然的に起る。隣り合う民族は互に不断の敵対状態にある3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。一種族における膨脹行為は、まさに近隣者に対する侵略行為となる。けだしその増加した人を養うためにはより以上の領域が必要であろうからである。この場合においては、当然に、双方の損害によって勢力の均衡が回復されるか、または弱い方の団体が絶滅され、またはその土地から駆逐されるまで、続けられるであろう。敵の侵入が彼らの耕地を荒廃し、または彼らをその猟場から駆逐する時には、彼らは滅多に持運び得る貯えを有たないのであるから、一般に極度の欠乏に陥れられる。侵略された地域の全人民はしばしば森林や山の中にのがれなければならないが、この森林や山は彼らに生活資料を何も与えることが出来ず、従ってそこで多くの者は死んでしまうのである4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。こうして逃げる場合には自分を守る者は自分だけである。子供はその親を離れ、親はその子供達を他人と考える。人情の絆はもはや働かない。父親は一つのナイフや一つの斧でその息子を売る5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。あらゆる種類の飢饉と窮乏とが、剣を免れた人間を完全に滅ぼしてしまう。かくして全種族がしばしば絶滅されてしまうのである6)[#「6)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Charlevoix, Hist. de la Nouv. France, tom. iii. 202, 203, 429.
 2) Robertson, b. iv. p. 147.
 3) Id. b. iv. p. 147. Lettres Edif. tom. viii. p. 40, 86, and passim. Cook's Third Voy. vol. ii. p. 324. Meares's Voy. ch. xxiv. p. 267.
 4) Id. b. iv. p. 172. Charlevoix, Nouv. France, tom. iii. p. 203.
 5) Lettres Edif. tom. viii. p. 346.
 6) Robertson, b. iv. p. 172. Account of North America, by Major Rogers, p. 250.
 かかる事態は、一般に蒙昧人に、またなかんずくアメリカ土人に見られる、かの獰猛な戦闘精神を醸成するに有力に寄与したものである。彼らの戦闘目的は征服ではなくして殺すことである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。戦勝者の生命は敵の死に依存する。そして敵が恨みと復讐心をもって追いかけているので、彼は絶えず打負かされた場合の窮状のことばかり考えているようである。イロクォイ族の間では、敵に戦をしかける決意を示す言葉は、『行こう、そしてあの民族を食おう』というのである。もし彼らが近隣の種族の援助を仰ぐ場合には、その敵の肉で作った汁を食うように招待する2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。アブナアキイ族の間では、その戦士の一団が敵地に入った時には、それは一般に三十人または四十人から成る若干の部隊に分れ、そして酋長はその各々に云う、『お前はあの村を食ってよい、お前はあの村』等、と3)[#「3)」は縦中横、行右小書き、「)」が底本では欠落]。こういう表現法は、戦争で得た捕虜を食う習慣がもはや存在しない種族の言葉に残っている。しかしながら食人の風は、疑いもなく新世界の多くの地方に広く行われていたのである4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。そして、ロバトスン博士の意見とは反対に、私は、この習慣は後になって他の動機により継続されたということもあろうが、その起源は極端な欠乏に違いない、と考えざるを得ない。この恐るべき御馳走を、必要に迫られたのでない悪(にく)むべき情欲に帰し、最も人道的な文明的な人民の間ですら時に他のあらゆる感情に打克つところの自己保存の大法則に帰しないのは、人性と蒙昧状態に対する余りよいお世辞ではないようである。
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