人口論
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著者名:マルサストマス・ロバート 

 クリスト教徒に対する租税についても同じやり方が行われ、すなわちこの租税は同様にして、最初に定められた三、五、及び十一ピアストルから、三十五、及び四十ピアストルに引上げられ、そのためにこれを課せられた者は極貧に陥り、ついにこの国を立去らざるを得なくなるのである。かかる請求は最近四十年間に急速に増大し、その時以来、農業の衰頽、人口の減少、及ひコンスタンチノウプル正金送附量の減少が起っている、と云われている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. p. 376.
 農民の食物は、ほとんどあらゆる所において、大麦製の小形煎餅すなわちドウラと葱と扁豆(ひらまめ)と水だけになってしまっている。穀物を一粒も失うまいとして、彼らはあらゆる種類の野生の穀粒を穀物の中に入れたままにしておくので、これはしばしば悪い結果を生ずる。凶作の際には、彼らはレバノンやナブロウスの山中で、樫の実を集め、これを煮たり灰の中で焼いたりして食べている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. p. 377.
 かかる窮乏の当然の結果として、耕作技術は最も哀れな状態にある。農夫はほとんど農具をもたず、そしてもっていても極めて貧弱なものである。その鍬はしばしばまた木の下から切取った樹枝に過ぎず、しかも輪車もなしに使っている。土地は驢馬と牝牛とで、また稀れには牡牛で、耕耘されるが、これは贅沢すぎる場合である。パレスチナの如くアラビア人の襲撃に曝されている地方では、農民は銃を手にして播種しなければならず、そして穀物は黄色に熟さないうちに刈取られて、地下の穴倉に隠匿される。種穀としては出来るだけ少量しか用いないが、それは、農民は自分の生存に必要なもの以上にはほとんど播種しないからである。彼らの全勤労は、その直接の欲望充足に限られる。そして少量のパンと少量の葱と一枚の青シャツと僅少の羊毛を得るには、多くの労働を必要としないのである。『従って農民は困窮の生活をしている。しかし農民は少くともその暴君を富ましめず、そして専制主義の貪婪(どんらん)は自らを罰するのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. p. 379.
 以上はヴォルネエがシリアにおける農民の状態について記した描写であるが、これはこれらの地方を旅行したすべての旅行者により確証されているようである。そしてイートンによれば、これはトルコ領の大部分の農民の境遇を極めてよく表わしているものである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。一般にあらゆる名称の官職は公売に附され、またあらゆる地位の処分を決定する宮廷内の謀議においては、万事は賄賂で決定される。その結果として、諸州に送られるパシャは極度にその請求の権力を発揮する。しかしパシャは常にその直属部下に出し抜かれ、その部下はまたその配下に誅求(ちゅうきゅう)の余地を残すのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Eton's Turkish Emp. c. viii. 2nd ed. 1799.
 2) Id. c. ii. p. 55.
 パシャは、貢納を支払い、また彼れの地位の買収費を償い、その威厳を保ち、そして事故の場合に備えるために、貨幣を徴集しなければならない。そして文武双方の一切の権力は、サルタンの代表者たることにより彼れの一身に集中しており、そして手段は思うままになるのであるから、最も早いのが最上策と常に考えられている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。明日のことはわからぬのだから、彼は自分の州を単なる一時的所有物として取扱い、多年の収穫を出来れば一日で刈り取ろうとし、その後任者のことや、また彼が永久的収入に及ぼすべき損害などは、少しも顧慮するところがないのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Voy. de Volney, tom. ii. c. xxxiii. p. 347.
 2) Id. p. 350.
 耕作者は必然的に都市の住民よりもかかる請求により多く曝されている。耕作者はその職業の性質上一定地点に定住しており、また農業生産物は容易には隠匿され得ない。その上、借地権及び相続権は不確実である。父が死ぬと、遺産はサルタンに戻り、そして子供は多額の金を出さなければ相続権を買い戻すことが出来ない。かかる考慮から当然に土地財産に対し冷淡の風が生ずる。地方は荒廃し、各人は都市に逃亡しようと望むが、都会では彼は啻に一般により善い待遇を受けるのみならず、貪婪な支酎者の眼からより容易に隠匿し得る富を獲得する望があるのである。
 1) Voy. de Volney, tom. ii. c. xxxvi. p. 369.
 農業の破滅を全たからしめるものとして最高価格が多くの場合に定められており、そして農民は都市にその穀物を一定の価格で供出させられている。すべての大都市で穀価を低くしておくことは、トルコの政策の公理となっているが、これは政府の弱体と、大衆暴動蜂起の恐怖とから発するものである。凶作の場合には、少しでも穀物を所有しているものは一定の価格でそれを売ることを強制され、従わぬものは死刑に処せられる。そして近隣に穀物がない場合には、他地方から徴発される1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。コンスタンチノウプルが食糧不足になれば、これに供給するためにおそらく十州が飢えさせられるのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。ダマスカスにおいては、一七八四年の凶作のとき、人民は一ポンドのパンに対しわずか一片四分の一を支払っただけであるが、他方村落の農民は絶対的に餓死しつつあったのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. tom. ii. c. xxxviii. p. 38.
 2) Id. xxxiii. p. 345.
 3) Id. c. xxxviii. p. 381.
 かかる政治制度が農業に及ぼす影響は多言を要しない。生活資料の減少の原因は明白すぎるほど明白である。そしてかかる減少しつつある資源の水準に人口を抑圧している妨げは、これとほとんど同等に確実に辿り知ることが出来るのであり、すなわちそれは知られている限りのほとんどすべての罪悪及び窮乏を含むものなることが分るであろう。
 クリスト教徒の家族は、一夫多妻が行われているマホメット教徒の家族よりも子供の数が多い、と一般に云われている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。これは驚くべき事実である。けだし一夫多妻は女子の不平等な分配を生ぜしめるので、全国の人口にとっては当然不利であるけれども、多数の妻を養い得る個人は、事の性質上当然に、一人の妻しかもたぬ者よりも、多数の子供をもつはずである。ヴォルネエはこれを主として、一夫多妻の慣行と非常な早婚によりトルコ人は若年で老衰し三十歳で生殖不能なのはごく普通だということで、説明している2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。イートンは不自然な罪悪が少なからず平民の間で行われていると述べ、そしてこれをもって人口に対する妨げの一つと考えている3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。しかし彼が列挙している人口減少の五大原因は次の如くである。
一、この帝国が今まで完全に免れたことのない疫病(ペスト)。二、少なくともアジアにおいては、疫病(ペスト)にほとんど常に伴生する恐るべき数の疾病。三、アジアにおける伝染病及び風土病、これは疫病(ペスト)そのものと同様の恐るべき暴威をたくましくし、そしてしばしば帝国のこの地方を襲うものである。四、飢饉。五、最後に、常に飢饉に伴生し、しかもこれよりも大きな死亡を生ずるところの、数々の疾病4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。 1) Eton's Turkish Emp. c. vii. p. 275.
 2) Voy. de Volney, tom. ii. c. xl. p. 445.
 3) Eton's Turkish Emp. c. vii. p. 275.
 4) Id. p. 264.
  彼は、その後に、帝国各地方における疫病(ペスト)の暴威をもっと詳しく述べ、そして結論を下して、もしマホメット教徒の数が減少したとすれば、かかる結果を生ずるには、この原因一つだけで十分なのであり1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、そして事態が現状のままに進むとすれば、トルコの人口は一世紀経てば絶滅してしまうであろう、と云っている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。しかし、この推論と、それに関する計算とは、疑いもなく誤っている。死亡率の高い期間と期間との中間期における人口増加は、おそらく彼が気がついているよりも大であろう。同時にまた、農民の勤労がその必要な欲望の充足だけに限られており、農民は単に餓死を免れるためにのみ播種し、そして何らの剰余生産物をも蓄積し得ないような国においては、人民の大きな喪失は容易には恢復されるものではなく、けだし人口の減少より生ずる自然的結果は、勤労が栄え財産が安固な国におけると同じ程度には、感ぜられ得るものではないから、ということも、述べておかなければならぬ。
 1) Eton's Turkish Emp. c. vii. p. 291.
 2) Id. p. 280.
 ペルシアの立法者ゾロアスタアによれば、樹木を植え、畑を耕し、子供を産むのは、讃(ほ)むべき行為である。しかし旅行家の記述からすれば、下層階級の者の多くは、この後に挙げた種類の名誉は容易には得られそうもないようである。そしてこの場合は、他の無数の場合と同様に、個人の私的利害が立法者の誤謬を是正する。サア・ジォン・チャアディンは、ペルシアにおいては結婚は非常に金がかかり、従って財産家のほかは破産をおそれて、結婚をあえてしない、と云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。ロシアの旅行者もこの記述を確証するかの如くであり、すなわち、下層楷級のものは結婚をおそくまで延期せざるを得ず、また早婚が行われるのは富者の間だけである、と云っている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Sir John Chardin's Travels, Harris's Collect. b. iii. c. ii. p. 870.
 2) D□couv. Russ. tom. ii. p. 293.
 ペルシアが数百年もの間不断に悩まされている恐るべき動乱は、この国の農業に対し致命的であったに違いない。外戦と内乱から免れた期間は短くその数は少なかった。そして申し分のない平和な時期においてすら、辺境諸州は絶えず韃靼人の蹂躪に身を委ねていたのである。
 かかる事態の結果は予期し得る通りである。ペルシアにおける未耕地の耕地に対する比例は十対一であるとサア・ジォン・チャアディンは云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。ペルシア王の官吏及び私的所有者がその土地を農民に貸出す仕方は、最もよく勤労を鼓舞するが如きものではない。ペルシアの穀作はまた、降雹、旱魃、及び蝗その他の虫害によって駄目になることが非常に多いが、このことはおそらく、むしろ土壌の耕作に資本を用いることを妨げる傾向があるであろう。
 1) Chardin's Travels, Harris's Collect. b. iii. c. ii. p. 902.
 2) Id.
 疫病(ペスト)はペルシアには及んでいない。しかしロシアの旅行者の云うところによれば、天然痘が著しく蔓延しているという1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) D□couv. Russ. tom. ii. p. 377.
 ペルシアにおける人口に対する妨げについてこれ以上詳しく述べる必要はなかろう。けだしそれはいまトルコ領のところで述べたものとほとんど等しいように思われるからである。トルコにおける疫病(ペスト)の優勢な破壊力と対照するものは、おそらく、ペルシアにおいては内乱がより頻々と起るということであろう。
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    第十一章 印度及び西蔵における人口に対する妨げについて

 サア・ウィリアム・ジォウンズが飜訳し『ヒンズウ法典』と名づけた印度の立法者マヌウの法典では、結婚は非常に奨励されており、そして男系相続人は第一の重要性を有つものとされている。
『息子によって人は万人に勝を占める。息子の息子によって人は不死を享受する。そして後、かの孫の息子によって人は天に達する。』
『息子はその父をプトと名づける地獄から救い出す故に、梵天自身によりプトラと呼ばれた1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Sir William Jones's Works, vol. iii. c. ix. p. 354. レイナル僧正はインドの法律を論じて曰く、『人口増加は原始的義務であり、結婚を便ならしめるためには欺瞞し虚言し偽誓することさえ法が認めるほど神聖なる自然の秩序である。』Hist. des Indes, tom. i. l. i. p. 81. 8vo. 10 vols. Paris, 1795.
 種々異る婚礼につき、マヌウはその各々に特定の品等を与えている。
『ブラアミイすなわち第一位の婚礼による妻の息子は、徳行をなせば、十人の祖先、十人の子孫、及び二十一人目たる自己を、罪障から贖う。』
『ダイバの婚礼による妻から生れた息子は、尊族卑族各七人を贖い、アルシャの婚礼による妻の息子は各三人を、プラアジャアパチャの婚礼による妻の息子は、各六人を、贖う1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Sir Wm. Jones's Works, vol. iii. c. iii. p. 124.
 家政者は最優位にあるものとされている。『聖者、霊魂、神々、妖精、及び賓客は、家長のために福祉を祈る1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』弟よりも以前に結婚しなかった兄は、特に忌むべき人間として述べられている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. p. 130.
 2) Id. p. 141.
 かかる法令は当然に、結婚を宗教的義務として考えせしめるであろう。しかもかくも熱望されている目的物たるものは、多数の子孫たるよりはむしろ男系相続者の継続であるように思われる。
『一人の息子を産んだ父は自身の祖先に対する負債を弁済する。』
『その出生により父が負債を弁済し、またそれを通して父が不死を得る息子のみが、義務の観念より生れたるものである。残余の一切は、賢人によって、快楽の愛好より生れたるものと看なされる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. vol. iii. c. ix. p. 340.
 寡婦は、ある場合には、死んだ夫の兄弟またはある指定された親族によって、一人の息子を産むことは許されるが、しかしいかなることがあっても二番目は許されない。『指定の第一の目的が法に基づいて達せられれば、この兄と妹は父と娘の如くに睦じく共棲しなけれぱならぬ1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. p. 343.
 マヌウの法典のほとんどあらゆるところで、あらゆる種類の肉欲満足は力強く排斥されており、そして貞節は宗教的義務として訓(おし)えられている。
『人は肉欲的快楽に愛着すれば罪過を招き、これを全く克服すれば天の悦楽を得る。』
『いかなる人がこれら一切の満足を獲得するにせよ、またいかなる人がそれを全く抛棄するにせよ、一切の快楽の抛棄はその獲得よりも遥かに善い1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. vol. iii. c. ii. p. 96.
 かかる章句はある程度、前述せる増加に対する奨励を打消す傾きがあり、そして若干の宗教心の厚い人をして、一人の息子をもてばそれ以上に耽溺を控えさせ、またはかかる法令のない場合よりも喜んで未婚の状態に止まらしめるものと、考えてよい。厳格な絶対的な貞節は、実際、子孫を持つという義務に打克つように思われる。
『無数の婆羅門は、幼時から肉欲を避け、その家族に一人の子供も残さなかったが、しかも彼らは天国へ昇った。』
『しかしてかかる禁欲男子と同様に、有徳の妻は、子供がなくとも、主人の死後敬虔な厳粛に身を捧けるときは、天国に昇る1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. c. v. p. 221.
 兄弟または他の親族が死んだ夫のために相続人を設けることが許されると前に述べたが、これはただ奴隷階級の女子にだけ行われることである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。上流階級の女子は、他の男の名を口にすることさえ出来ぬばかりでなく、『死があらゆる罪障を恕(ゆる)すまで、辛い義務を履行し、あらゆる肉欲的快楽を避け、かつ悦んで比類なき道徳律を実践しなければならぬ2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. c. ix. p. 343.
 2) Id. c. v. p. 221.
 情欲の統御に関するかかる厳格な教義の外に、なお他の事情が、おそらく、結婚を奨励する律令が十分にその効果を挙げることを、妨げているのであろう。
 人民は階級に分たれており、同山家族は同一職業を世襲するので、この事情は各個人に、生計に関する将来の見通しを明白に指示することとなり、そして父の収益から見て、同じ職業で家族を養っていけるか否かを容易に判断し得ることであろう。そして彼れの階級に適する職業で生活が出来ない時には、ある制限の下で、他の職業に生活を求めることは許されているが、しかしこの便法に頼る時にはある種の恥辱が伴うように思われる。そして、かくの如くにその階級から脱落し、このようにはっきりとその生活条件を低下しなければならぬことが確実にわかっていながら、なおかつ多数のものが結婚するとは、考えられぬことである。
 これに加うるに、妻の選択は非常に困難な点であるように思われる。男子はかなりの間未婚でいなければ、立法者が規定しているような伴侶がなかなか見附からぬであろう。ある種類の家族は、それがいかに豪家であっても、またいかに牝牛や、山羊や、羊や、金や、穀物に富んでいようとも、努めてこれを避けなければならぬ。髪が少なすぎるかまたは多すぎる娘、おしゃべりのすぎる娘は、いずれも排斥される。そして選択が必然的に、『その姿体に欠点がなく、良い名前をもち、フェニコプテロスまたは若仔象のように優雅に歩み、髪や歯は量から云っても形から云っても適度であり、体躯は何とも云えず柔軟な1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]』娘に落附かなけれぱならぬというのであってみれば、この選択はある程度の制限を受けることがわかるであろう。
 1) Id. vol. iii. c. iii. p. 120.
 適当な配偶者を見出すに最大の困難がある時ですら、奴隷階級の女子が婆羅門またはチャトリアの妻として挙げられたことは、どんな昔の物語にも載っていないと記されているが、これはかかる困難が時々起ることを意味するように思われる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. p. 121.[#「.」は底本では欠落]
 印度人の習慣から生ずるもう一つの結婚の障害は、結婚しない兄は、云わば彼れの他の弟達全部を同一の状態に閉じ込めるらしいということこれである。けだし兄よりも先に結婚する弟は、恥辱を招き、そして忌むべき者の中に入れられるからである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. p. 141.
 立法者が印度の女子の行状と性行につき画いている性質は、はなはだ好ましからぬものである。彼はあまねく峻烈に表現しているが、その中で曰く、『男子に対するその情欲、その移り気、その固き愛情の欠乏、及びその片意地な天性により、女子はいかに現世においてよく保護されても、まもなくその夫から疎んぜられる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. c. ix. p. 337.
 この性質がもし本当であるとすれば、それはおそらく彼女らが決して最少の自由すら許されていないこと1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、及び一夫多妻制の実行によりその境遇が堕落したのによって、生じたものであろう。しかしそれはともかくとして、かかる章句は、法律が姦通を禁じているにもかかわらず、両性間の不義が頻々と行われていることを、有力に示す傾向をもつものである。これらの法律は、公(おおや)けの舞踊手や歌手の妻、またはその妻の姦淫によって生活するが如き下等な男の妻に関するものではない、と記されているが、これは2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、かかる性行が稀(めずら)しいことではなく、またある程度まで認められていることの、証拠である。これに加うるに、富者の間における一夫多妻の実行は3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、時に下層階級のものが妻を得ることを困難ならしめ、そしてこの困難はおそらく、奴隷状態に陥れる人々の上に特に辛く落ちかかることであろう。
 1) Id. c. v. p. 219.
 2) Id. c. viii. p. 325.
 3) Id. c. ix. p. 346, 347.
 以上一切の事情を一緒にしてみると、印度における人口に対する妨げの中にはおそらく予防的妨げが参加していることであろう。しかし人民の間に広く行われている習慣や思想から見ると、早婚の傾向はなお常に優勢であり、そして一般に一家を養い得る望みが少しでもあるすべての者に結婚を促していると信ずべき理由がある。このことの当然の結果として、下層階級の人民は極貧に陥り、最も質素稀少な生活法を採用するを余儀なくされたのである。この質素という風習は、それが顕著な徳と見做されることによって、更にますます増大し、そしてある程度上流階級にまで拡がった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。人口はかくして緊密に生活資料の限界に圧迫され、そして国の食物は人民の大多数に、生命を維持し得る最少限度に割り当てられることになったのであろう。かかる事態においては、季節の不順による不作があるごとに、それは最も苛酷な被害を及ぼすこととなろう。そして印度は、当然予想される如くに、あらゆる時代に、最も恐るべき飢饉を経験して来ているのである。
 1) Id. c. iii. p. 133.
 マヌウの法典の一部分は、明かに、因窮時の考慮に当てられており、そして種々の階級に対しかかる時期に採るべき行為につき指示が与えられている。飢饉と欠乏とに悩む婆羅門のことはしばしば述べられてあり1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、また不浄不法の行為をしたけれど、しかし立法者がそれは窮迫にせまられたのであるから恕すべきものと看做したところの、ある昔の高徳な人格者のことが述べてある。
 1) Id. c. iv. p. 165 ; c. x. p. 397.
『アジイガルタは餓死に瀕して、その息子を数頭の牛を得るために売り、もって息子を滅ぼそうとした。しかし彼はいかなる罪過にも当らない。けだし彼は単に飢饉から免れようとしたに過ぎないからである。』
『善悪をよく弁(わきま)えたヴァーマデエヴァは、飢餓に迫られたとき、犬の肉を食べたいと思ったけれども、しかし決して不浄とはされなかった。』
『徳と罪との差別を何人よりもよく知るヴィスワアミトラもまた、餓死しようとしたとき、一人のチョウダアラから受取った犬の腰肉を食う決心をした1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. c. x. p. 397, 398.
 もしすべての人が援助すべき義務を負うかかる最高階級の大人物高徳者ですらかかる窮迫に陥ることがあるのであるならば、吾々は容易に、最下層階級の苦難がいかなるものであるかを推察することが出来るのである。
 かかる章句は、これらの法典の起草された初期の時代に、最も過酷な困窮の季節が存在したことを、明かに証明するものである。そして吾々は、それがその時以来不規則に時々起ったと考えるべき理由をもっている。ジェスイット僧の一人は、彼が一七三七年及び一七三八年の二ヵ年の飢饉の間に目撃した惨状は、筆紙に尽し難いと云っているが1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、しかし、彼がこの飢饉とそれがもたらした死亡率とについて述べているところは、それだけで十分人を戦慄せしめるものである。もう一人のジェスイット僧はもっと一般的に次の如く云う、『毎年吾々は一千名の児童に洗礼を施すが、彼らはその両親がもはや養うことが出来ず、または死にそうなのでこれを手離そうとして母親が吾々に売るものである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Lettres Edif. tom. xiv. p. 178.
 2) Id. p. 284.
 人口に対する積極的妨げは、もちろん、主としてスウドラ階級に、及び一切の階級から追放され町の中に住むことさえ許されないいっそう悲惨な人々に、主として落ちかかるであろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Sir Wm. Jones's Works, vol. iii. c. x. p. 390.
 この人口部分に対しては、赤貧及び栄養不足の結果たる伝染病と、幼児の死亡とは、必然的に大きな暴威を振うであろう。そして無数のかかる不幸なる人々は、不作の時にはおそらく、社会の中流階級が著しい欠乏に少しも襲われぬうちに、一掃されるであろう。レイナル僧正は(何の典拠によってかは知らないが)、米が不作の時には、これらの貧乏な追放者の小屋に放火し、そして逃亡する住人は、生産物を少しも消費しないように、土地の所有者によつて射殺される、と云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Hist. des Indes, tom. i. liv. i. p. 97. 8vo. 10 vols. Paris, 1795.
 社会の中流及び上流階級のものすら、家族を養うことが困難であるために、またはその階級から下落することを恐れて、印度のある地方の人民は、多数の子供が生れないようにするために、極めて惨酷な手段をとるに至っている。ベナレス州の一地方ジュナポオルの辺境のある種族に、女児を殺す習慣のあることは、十分に証明されている。母親は彼らを餓死させるのを余儀なくされた。人々はかかる惨酷な習慣の理由として、その娘に適当な配偶者を得るには、非常な費用がかかることを挙げていた。これにはただ一つの例外の村があったが、そこには数人の老嬢がいた。
 かかる原則によれば当然に種族は永続し得ないということになるであろう。しかしこの一般原則に対する特殊の例外と他の種族との通婚が、種族維持の目的には十分であった。東印度会社はこれらの人民に、この非人道的な慣行を継続しないという約束を無理にさせたのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Asiatic Researches, vol. iv. p. 354.
 マラバアル海岸地方では、ネイル族は正則の婚姻を行わず、そして相続権は兄弟の母に属するか、または姉妹の息子に属するが、それは子供の父は常に不確実ということになっているからである。
 婆羅門の間では、一人以上の兄弟がある揚合には、そのうち長兄のみが結婚する。かくして独身生活を送る弟達は、ネイル族風の結婚をせずに、ネイル族の女子と同棲する。長兄に息子がいない場合に、はじめて次兄が結婚する。
 ネイル族の間では、一人のネイル女子が二人または四人またはおそらくそれ以上の男性と契るのが習慣である。
 大工、鍛冶屋、その他の如き下層階級は、その上層者を模倣しているが、違うところは、血統に間隙が生ずるのを防ぐ目的で一人の女子に対する共同関係を兄弟及び血縁男子に限っている点である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. vol. v. p. 14.
 モンテスキウは、マラバアル海岸地方の、ネイル族のこの習慣に注目し、そしてこれを、この階級の者が兵士としてより自由にその職務の要求に応じ得るよう、その家族的紐帯を弱めんがために採用されたという過程に基いて、説明している。しかし私としては、特にこの習慣は他の階級もこれを採用しているのであるから、大家族から生ずる貧困の恐怖から発生したと考えるのが、より妥当であると考えたい1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Esprit des Loix, liv. xvi. c. 5.
 西蔵に関するタアナアの記述によれば、この国ではこの種の習慣が一段に広く行かれている。タアナア氏は、これが起原の問題に絶対的な結論を与えようとはせずに、それは、瘠せた国にとり人口が過大になることを恐れて生じたものであるという、仮説をとっている。東方を広汎に旅行したのであるから、彼はおそらく、過剰人口より必然的に生ずる結果を観察するようになり、その結果としてこれらの結果を正しく看取する極めて少数の著者の一人となっているのである。彼はこの問題につき極めてはっきりと自見を述べているが、右の習慣に関して曰く、『瘠せた国における過剰の人口は一切の災難の中で最大のものでなけれぱならず、そして永久の闘争または永久の欠乏を生むことは確実である。社会の中で最も活動的な最も有能な部分が、移住して、運命の戦士または好運の商人となるか、しからざれば彼らが故国に留る場合には、彼らはその乏しい収穫にある不時の不作が起った結果として飢饉の餌食となるかの、いずれかを余儀なくされなければならぬ。かくの如くに家族全体を一緒に婚姻の絆に結びつけることによって、過度に急速な人口増加はおそらく妨げられ、そして、地球上における最も肥沃な地方にも拡がることが出来、また世界中で最も富んだ、最も生産的な、そして最も人口稠密な国にさえ最も非人道な最も不自然な慣行を発生せしめることの出来る、恐怖が防止されたのである。私はここに支那帝国を暗示するが、ここでは母親は、多人数の家族を養育する見込がないので、生れたばかりの幼児を畠に棄てて殺すのである。これはいかに憎むべき罪悪であるとしても、確かに決して稀れではないのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Turner's Embassy to Tibet, part ii. c. x. p. 351.
 地球上のほとんどあらゆる国において、個人は私的利益の考慮に導かれて、人口の自然増加を抑圧する傾向ある習慣を帯びざるを得ない。しかし西蔵はおそらく、かかる習慣があまねく政府によって奨励され、そして人口を奨励するよりもむしろ抑圧することが公の目的であるように思われる唯一の国であろう。
 ブウティアは、生涯の始めに、独身状態を続けて出世をするようにすすめられる。けだしいかなる婚姻もほとんど確実に、地位の向上または政治的に重要な職への昇進の障害となるからである。人口はかくの如くして、野心と宗教との二つの有力な障害によって妨げられる。そして全く政治的なまたは宗教的な職務に没頭する上流階級のものは、農民や労働者に、畠を耕しまたその勤労によって生きるものに、種族の増殖に専心することを委ねるのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. c. i. p. 172.
 かくて宗教的隠遁は頻々と行われ1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、また僧院や尼僧院の数は非常に大である。最も厳重な法律が、女子がたまたま僧院の内部で、または男子が尼僧院の内部で、一夜を過すのを防ぐために、存在している。そして、凌辱を防ぎ、また両性の聖職に対する尊敬を確立するために、規則が完全に出来ているのである。
 1) Id.
 国民は二つのはっきりと分れた階級に分割されているが、それは現世の仕事を行うものと、天上との交渉を管掌するものとである。いかなる俗人の干渉も、決して、僧侶の定まった職務を妨げることはない。僧侶は、相互の契約によって、一切の霊界の仕事を掌(つかさど)り、そして俗人はその労働によって国家を富まし人口を繁殖せしめるのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. c. viii. p. 312.
 しかし、俗人の間ですら、人口増殖の仕事ははなはだ冷淡にしか行われていない。一家族のすべての兄弟は、年齢や数に制限なしに、一人の女子とその運命を結びつけるが、この女子は長兄の選んだものであり、家の主婦と考えられている。そして兄弟の別々の職業の利潤がどれだけであろうと、その結果は共同の財産に流れ込むのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. c. I. p. 348, 350.
 夫の数は明かには定められておらず、また何の制限も設けられていない。時には小家族に男が一人しかいない場合もある。そしてその数は、タアナアの云うところによれば、テシュウ・ルウムブウの身分のある一人の土人が、当時五人の兄弟が一人の女と同一の結婚をして、極めて幸福に共棲していることを指摘したが、この数を越すことは滅多にないであろう。この種の共棲関係は下層階級にのみ限られているものではなく、しばしば最も富める家庭にも見られるところである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. c. x. p. 349.
 かかる習慣は、かくも多数の僧侶の独身生活と相俟って、最も有力に人口に対する予防的妨げとして作用しなければならぬことは明かである。しかし、この過度の妨げにもかかわらず、土壌の自然的不毛に関するタアナア氏の記述から見るに、人口は生前資料の水準にまで圧迫されていることがわかるであろう。そしてこれはテシュウ・ルウムブウにおける乞食の数によって確証されるように思われる。これらの乞食や彼らを養う慈善に関するタアナア氏の記述は、月並なものではあるが、しかも極めて正常かつ重要なものであり、従って何度反復しても過ぎることのないものである。
 彼は曰く、『かくて私は意外にも、私が絶えず平穏な規則的な世の動きを見て来たところに、私が考えてみたこともない貧窮と怠惰の大衆を発見した。しかし、無差別な慈善の存在する場合には常にその恩恵の対象物に事欠くことはなく、与うべき施物以上に多数の希望者を常に寄せ集めるものなることに考え至った時、私はこれに少しも驚かなかった。テシュウ・ルウムブウでは人間は誰も欠乏に悩むことは出来ない。おそらく世界中で最も大きな最も逞ましい体躯をもつムッスルマン族の大衆ですらが、哀れな生活を辛うじて維持するだけのものに頼っているのは、人間のこの性向に基づくものである。そしてこの外になお、私は三百人を下らない印度人、ゴザイン族、及びサンニアス族が、毎日この場所で、ラマの恩恵で養われる、と聞いたのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Id. c. ix. p. 330.
[#改ページ]

    第十二章 支那及び日本における人口に対する妨げについて

 支那の人口に関して最近与えられている記述は極めて驚くべきものがあり、ために多くの読者の信念を驚かし、そして彼らをして、言葉を知らぬためにある偶然の誤謬が計算の中に潜入したに違いないか、またはサア・ジョオジ・スタウントンに情報を与えた宦官が、お国自慢に誘われて(これはどこにもあることだが、しかし支那では特に甚だしい)、彼れの国の力と資源とを誇張するに至ったのに違いないと想像せしめるものがある。この二つはいずれも非常に有り得ないことでないことを認めなければならない。同時にまた、サア・ジョオジ・スタウントンが述べていることは、十分信ずるに足る他の記述と、本質的に違ってはおらず、そして少しでも矛盾を含んでいるどころか、この国を訪れたすべての著述者が一致している支那の肥沃度のことを振返ってみるならば、いかにも本当らしいことが、わかるであろう。
 デュアルドによれば、康□帝の治世の始めに行われた戸口調では、戸数は一一、〇五二、八七二戸、兵役可能の男子は五九、七八八、三六四であることがわかった。しかも皇族や宮廷の官吏や宦官や兵役済の兵士や進士や挙士や博士や僧侶や二十歳以下の青年や、また海上生活者や河で小舟に生活する多数の者は、この数字の中に含まれていないのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Duhalde's Hist. of China, 2 vols. folio, 1738, vol. i. p. 244.
 一国の兵役適齢男子数が全人口に対する比率は、一般に一対四と見積られている。そこで五九、七八八、三六四に四を乗ずると、結果は二三九、一五三、四五六となる。しかしこの問題に関する一般の計算では、青年は二十歳未満でも兵役に堪えるものと考えられている。従って吾々は、右の数字に四以上の数を乗じなければならぬはずである。この戸口調から除外されたものは、社会のほとんどすべての上層階級、及び極めて多数の下層階級を含むように思われる。これら一切の事情を考慮に入れるときには、デュアルドによれば、全人口はサア・ジョオジ・スタウントンが挙げている三三三、〇〇〇、〇〇〇よりも著しく少いものではないことが、わかるであろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Embassy to China, vol. ii. Appen. p. 615. 4to.
 兵役可能の男子の数に比較して戸数の少ないのは、デュアルドのこの記述の顕著な点であるが、これは、サア・ジョオジ・スタウントンが、支那においては一般的であると云っている習慣によって説明される。一個の住宅に属する囲いの中に、三代に亙る家族全部が、各々の妻子全部と共に一緒にいるのがしばしば見られる、と彼は云っている。一つの部屋が各家族の全員用に充てられ、各人は、わずかに天井から垂れた茣蓙(ござ)で区劃された別々の寝床に寝るのである。一つの共通の部屋が食事のために用いられる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。支那では、その外になお莫大な数の奴隷がいるが2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、彼らはもちろんその属する家族の一員と考えらるべきであろう。これら二つの事情は、おそらく、右の記述における一見矛盾と思われる点を、説明するに足るであろう。
 1) Id. Appen. p. 155.
 2) Duhalde's China, vol. i. p. 278.
 この人口を説明するためには、支那の気候は何らか特別に子供の出生に好都合であり、そして女子は世界の他のいずれの地方におけるよりも多産的であるという、モンテスキウの仮説1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]に頼る必要はないであろう。かかる結果を生ずるに主として寄与した原因は次の如くであると思われる。
 1) Esprit des Loix, liv. viii. c. xxi.
 第一に、自然的の土壌の優秀、及び温帯中最も温暖な地方に占めるその有利な位置、すなわち土地の生産物に最も好都合な地勢、がそれである。デュアルドは、支那中に見られる豊饒について長い一章を充てているが、その中で彼は、他の王国が提供し得るほとんど一切のものは支那で見出すことが出来、また支那は他のどこでも見られないものを無数に産出する、と云っている。この豊饒は――と彼は云う――土壌は深く、住民はあくまで勤勉であり、また国土を灌漑する多数の湖水や運河によるものと、され得よう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Duhalde's China, vol. i. p. 314.
 第二に、この国の初まり以来農業に対し与えられている非常に大きな奨励があるが、これは人民の労働を最大多量の人類の生活資料の生産に向けて来ているものである。デュアルドは云う、これら人民をして、土地の耕作にかかる信じ得ざるほどの労苦を払わせるものは、単に彼らの私的利害のみではなく、またむしろ農業に対する彼らの尊敬、及びこの国の初まり以来皇帝自身が常にそれに対し払い来った崇敬の念である、と。最も名声ある皇帝は、農民の地位から帝位に即いた。他の一皇帝は、その時まで水で覆われていた数箇所の低地方から運河によって水を海に吐き出し、そしてこの運河を土壌を肥沃ならしめるために利用する方法を、発見した1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。彼はそのほかになお、土地を施肥し耕耘し灌漑することによって土地を耕作する方法について数冊の書物を書いた。その他多くの皇帝は農法に対する熱意を示し、またそれを促進するために法律を制定した。しかし農業を最も尊重したのは紀元前一七九年に統治した文王である。この王は、自己の国が戦争のために荒廃したのを見て、その宮殿に附属する土地を自ら耕作して手本を示し、その臣下に自己の土地を耕作させることにしたので、宮廷の大臣や大官はこれに倣わざるを得なかった2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. p. 274.
 2) Id. p. 275.
 これが起原となっていると思われている一大祭典が、毎年あらゆる支那の都市で、太陽が宝瓶の十五度に入る日に、厳かに行われるが、支那人はこの日をもって立春としている。皇帝は、自らの手本によって農民を鼓舞せんがために自ら臨御し、荘重に数歩の土地を耕作する。そしてあらゆる都市の宦官は同一の儀式を行う1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。皇族やその他の顕紳は皇帝に倣って鋤をとるのであるが、この儀式の前には春の犠牲が捧げられ、これは皇帝が祭主としてその人民のために豊富な収穫を得んがために上帝に捧げるのである。
 1) Id. p. 275.
 デュアルドの時代に統治した皇帝は、非常に荘厳にこの祭典を行い、また他の点で農民に対する異常な配慮を示した。彼らの労働を奨励するために、彼はすべての都市の総督に命じて、各自の管轄内で農業に従事する者で、農業に熱心で、立派な評判をもち、一家が和合し、隣人と相和し、節倹を旨とし、一切の浪費をしないという点で最もすぐれた者を、毎年皇帝に報告させることとした1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。宦官は各自の州において、勤勉な耕作者を表彰し、また士地を放置する者を譴責したのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. p. 276.
 2) Lettres Edif. tom. xix. p. 132.
 政治の全部が家長的性質をもち、そして皇帝が人民の父及び教化の源泉として尊敬される国においては、農業に払われるこれらの尊敬は有力な効果をもっと考えて差支えない。階級の順位においては、農民は商人または工人の上に置かれている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そして下層階級のものの野心の大目的は、一片の土地を所有するようになることである。支那では、製造業者の数は、農民の数に比較して極めて小である2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。そして極小の例外を除いて、この帝国の全表面は、人間の食物の生産のみに当てられている。牧草地は全くなく、また牧揚は極めて少ない。そして、いかなる種類の家畜にしろ、家畜を養うための燕麦(えんばく)や豆や蕪菁(かぶ)を作っている畑もない。道路にとられる土地はほとんどなく、道路は数が少なく、また狭く、主たる交通は水路によっている。共有地もなければ、また大地主の怠慢や気迷や遊猟のために荒蕪に委ねられている土地もない。耕作し得る土地で休耕地となっているものはない。土壌は、熱い恵みの太陽の下で、大抵二毛作が出来る。これは土壌[#「壌」は底本では「譲」]に改良を加え、また客土、施肥、灌漑、及びあらゆる周到適切な勤労によって土壌の欠陥を補う結果である。富者や権力者の奢侈に奉仕し、または何の実益もない仕事に従事するために、人間の労働が農業からそらされることはほとんどない。支那軍の兵士ですら、短期間の衛兵服務と訓練その他時折の任務の時の外は、大抵農業に従事する。生活資料の分量は、また、他国では通常用いないような動物や植物を食物に充てることによっても、増加されるのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Duhalde's China, vol. i. p. 272.
 2) Embassy to China, Staunton, vol. ii. p. 544.
 3) Id. p. 545.
 サア・ジョオジ・スタウントンが与えている以上の記述は、デュアルドや他のジェスイット僧によって確認されているが、彼らはいずれも、土地の施肥、耕耘、灌漑に当っての支那人の倦まざる勤勉と、人間の莫大な生活資料を生産する上での彼らの成功とを、叙説する点で、一致している1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。かかる農業制度が人口に及ぼす影響は明白でなければならない。
 1) Duhalde, chapter on Agriculture, vol. i. p. 272 ; chapter on Plenty, p. 314.
 最後に、結婚に対し与えられている著しい奨励があるが、これは、国の莫大な生産物を極めて少額に分割するという結果をもたらし、またその結果として、支那をして、世界中の他のいずれの国よりも、その生活資料に比例して人口稠密な国たらしめているのである。
 支那人は結婚に二つの目的を認めている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。第一は先祖の祭りを絶やさないということであり、第二は種の増殖である。デュアルドは、両親に対する子供の尊敬と服従とはその政治の大原則であるが、これは死後にまでも続くものであり、この義務はあたかも生ける人に対する如くに行われる、と云っている。かかる原理の結果として、父親は、その子供を全部結婚させてしまわないと、一種の不名誉を感じ心安からず思うのである。そして兄は、父から何も相続しなくとも、弟妹を養いこれを結婚させなければならぬのであるが、これは、もって家が廃絶し祖先がその子孫から当然受くべき尊敬と奉仕を受け得なくなるのを、避けんがためである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Lettres Edif. et Curieuses, tom. xxiii. p. 448.
 2) Duhalde's China, vol. i. p. 303.
 サア・ジョオジ・スタウントンは、何事であれ強力に推奨され一般に実行されるものは、遂には一種の宗教的義務として考えられるに至るものであり、従って支那では、将来の家族を養う見込みが少しでもありさえすれば、結婚はかかる宗教的義務として常に行われる、と述べている。しかしながら、この見込みは常に必ずしも実現されず、その場合には、子供はそのあわれな両親に遺棄される1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかし両親が子供をかくの如く遺棄することを許されるという事実ですらが、疑いもなく、結婚を容易にし人口増加を奨励する傾向をもつこととなるのである。すなわちこの最後の手段が前もって考慮に入っているから、結婚することはそれほど恐れられていないし、そして親たるの感情が働くので、常に、最もひどい必要に迫られた場合を除き、かかる手段は避けることとなるであろう。その上、子供達特に息子達はその両親を養う義務があるのであるから2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、貧乏人にとっては結婚は慎慮に発する手段なのである。
 1) Embassy to China, vol. ii. p. 157.
 2) Id. p. 157.
 結婚に対するかかる奨励の結果として、富者の間では、財産が分割されることとなるが、これはそれ自身として人口を増殖させる有力な傾向を有っている。支那においては、人々の地位の不平等よりも財産の不平等の方が少い。代々の父親がその息子達に平等に財産を分って遺贈するので、土地所有の分割は極めて適度である。死んだ両親の全財産をただ一人の息子が相続するようなことは、ほとんど全くない。そして早婚が一般に行われているので、この財産が傍系相続により増加するということは余りない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。これらの原因は絶えず富を均等化する傾向をもつ。従って、自分自身それを増加するために少しも努力しなくてもよいほどの富の蓄積を相続するものはほとんどない。支那人の間では、三代以上も同じ家で大きな財産が続くことは滅多にない、とよく云われている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. p. 151.
 2) Id. p. 152.
 結婚の奨励が貧民に対し及ぼす結果は、労働の報酬を能う限り低くしておき、従って彼らを極度の赤貧状態に圧迫抑止するということ、これである。サア・ジョオジ・スタウントンは、労働の価格は一般に、食料品の価格に対し、どこにおいても、普通人が耐え得る最小限度であり、そして、食堂の兵士の如くに大家族をなして一緒に暮すことから利益を得、またかかる食堂が[#「が」は底本では「か」]経営に最大の節約を実行しているにもかかわらず、彼らは植物性食物をとるだけで、何らかの動物性食物は極めて稀れでありかつ少量である、と云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Id. p. 156.
 デュアルドは、支那人の悲痛な勤勉と、彼らが生活資料獲得のために頼るところの、他国には知られぬ諸々の工風考案を記述した後、曰く、『しかし、支那住民の非常な真摯と勤勉とにもかかわらず、彼らの中の莫大の数の者がひどく窮乏に苦しんでいることを、告白しなければならぬ。彼らの中のある者は、貧しくてその子供に普通の必要品を与えることが出来ないので、これを街頭に遺棄する。』………『北京や広東の如き大都市においては、この恐るべき光景は日常のことである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Duhalde's China, vol. i. p. 277.
 ジェスイット僧プレマアルは同教団の一友に書簡を送って曰く、『私はあなたに、逆説的に見えるかもしれないが、絶対に真実な、一つの事実を告げよう。それは、世界中で最も富み最も繁栄せるこの帝国は、ある意味においては、あらゆる国々の中で最も貧しい最も惨めな国である、ということこれである。この国は、いかに面積が大で肥沃であるにしろ、その住民を養うに足りない。彼らを安楽にするには、四倍の領土が必要であろう。広東だけでも、誇張なしに、百万以上の人間が居り、また三、四リイグを距(へだ)てた一都市にはこれ以上の人間がいる。しからば誰がこの省の住民を数え得ようか。しかし、そのいずれもが同じくらいの人口を有つ十五大省を包含する全帝国に比すれば、これくらいが何であろうか。かかる計算はそもそも幾何に達するであろうか。しかもこの限りない人口の三分の一は、適当に生きて行けるだけの米をほとんど見出し得ないであろう。
『極度の窮乏が人民を駆って最も恐るべき蛮行に走らせることは周知の事実である。支那にあって事物を綿密に検討する観察者にとっては、母親がその子供を殺したり遺棄したりし、両親がわずかの金でその娘を売り、また人々は利己的で、盗賊の数は多いという事実を見ても、驚きはしないであろう。驚くことはむしろ、これ以上更に恐るべきことが起らず、そして、この国では非常に頻々と起る飢饉の時に、数百万の人間が、吾々がヨオロッパ史上で実例を見るような恐るべき蛮行に訴えることなく、餓死して行く、という事実である。
『ヨオロッパにおける如くに、貧民は怠惰なのであって、働きさえすれば生活資料が得られるのだ、とは支那では云い得ない。これらの貧民の労働と努力とは想像に絶する。支那人は、時には膝まで水に入って、土を掘り、そして晩には小匙一杯の米を食い、またそれを煮た不味い水を飲んで、喜んでいる。これが一般に彼らが食う全部である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Lettres Edif. et Curieuses, tom. xvi. p. 394 et seq.
 この記述の大部分はデュアルドの中で繰返されている。そして若干の誇張があるにしても、これは、支那において人口がいかなる程度に無理強いに増加させられているかということと、及びその結果たる困窮の状況とを、はっきりと示している。土壌が肥沃であり農業が奨励されているために当然に生じた人口は、真正にして望ましいものと考え得ようが、しかし結婚の奨励によって附加された全人口は、啻にそれ自身においてそれだけの純然たる窮乏の附加であるばかりでなく、更に他の人が享受し得べかりし幸福を全く奪ったものである。
 支那の面積はフランスの面積の約八倍と見積られている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。フランスの人口がわずかに二千六百万としても、その八倍は二〇八、〇〇〇、〇〇〇となろう。そして上述の人口増加の三大原因を考慮すれば、支那とフランスとの人口密度比例が、三三三対二〇八、すなわち約三対二であるといっても、信じられぬこととは思われないであろう。
 1) Embassy to China, Staunton, vol. ii. p. 546.
 人口増加の自然的傾向はどこにおいても極めて大であるから、あるいずれかの国の人口が到達している高度を説明することは一般に容易であろう。それよりももっと困難な、もっと興味ある研究点は、人口のそれ以上の増加を停止せしめている直接的原因を辿ることである。増殖力は、支那の人口を、アメリカ諸州の人口と同様に容易に、二十五年にして倍加するであろうが、しかし、土壌はかかる追加人口を明かに養い得ないから、かかることのあり得ないことがわかるのである。しからばこの強力な増殖力は支那ではどうなっているのであろうか。そして人口を生活資料の水準に抑止しておく抑制の種類や、幼死の形態は、いかなるものであろうか。
 支那における異常な結婚に対する奨励にもかかわらず、吾々は、人口に対する予防的妨げが働いていないと想像するならば、おそらく誤謬に陥るであろう。デュアルドは、僧侶の数は遥かに百万を超え、そのうち北京には独身者が二千おり、そのほか勅許によって各地に建立された寺院に三十五万おり、また文人の独身者だけで約九万いる、と云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Duhalde's China, vol. i. p. 244.
 貧民は家族を養い得る見込みが少しでもあればおそらく常に結婚するであろうし、また殺児が許されているからこの点の大きな危険を喜んで冒すであろうが、しかし彼らは疑いもなく、その子供を全部遺棄し、または自分自身や家族を奴隷に売らざるを得ないことが確実であれば、結婚を躊躇するであろう。そして下層階級の人口の極貧により、右の確実性はしばしば実現するであろう。しかしデュアルドによれば、人口に対する予防的妨げが主として作用するのは、支那において窮乏の結果その数が莫大に上るところの奴隷自身の間のことである。人は時に、非常に安い価格で、その子供を、また自分自身や妻をさえも売る。普通の方法は、買戻条件付での身売りであり、かくて多数の下僕下婢が一家族に結合されることとなる。ヒュウムは、古代人の間における奴隷制の慣行を論ずるに当って、一般に、奴隷を子供から育てるよりも成人の奴隷を買った方が安いと云っているが、これはその通りである。この言葉は支那人に特に当てはまるように思われる。すべての著述家は、支那に不作が頻々と起ることを、一致して述べているが、かかる時期には、おそらく多数の奴隷がほんの生きるだけの代償で売られることであろう。従って一家の家長にとっては、その奴隷に出産を奨励するのは大抵不得策であろう。従って吾々は、支那ではヨオロッパと同様に、召使の大部分は独身である、と想像し得よう。
 1) Id. p. 278.『この帝国の窮乏と大人口とは、そこにこの莫大な奴隷を生ぜしめる。一家のほとんどすべての下男、及び概してすべての下女は、奴隷である。』Lettres Edif. tom. xix. p.145.
 罪悪的な性交から生ずる人口に対する妨げは、支那では非常に多くはないように思れれる。女子はおとなしくひかえ目で、姦通は滅多にないと云われている。しかしながら蓄妾は一般に行われており、大都市では公娼が登録されている。しかしその数は多くなく、サア・ジョオジ・スタウントンによれば、未婚者や家族から離れている夫の少数者に釣合っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
 1) Embassy to China, vol. ii. p. 157.
 疾病による人口に対する積極的妨げは、かなり著しいけれども、予想されるほどは大ではないように思われる。気候は一般に非常に健康的である。宣教師の一人は、疫病(ペスト)や伝染病は、一世紀に一度も起らぬとまで云っているが1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、しかし、他の人々はそれは決してそれほど稀ではないように云っているから、これは疑いもなく誤りである。一般に一定の墳墓をもたない貧民の埋葬に関する宦官へのある訓令には、伝染病が流行する時には、遠距離まで空気が感染されるほど道路が屍体で蔽われる、と述べられている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。そして伝染病の年に関する説明が3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、そのすぐ後に出ているが、これはいわばそれが稀でないことを意味するように思われる。毎月一日と十五日とに宦官は集合し、その人民に長い講話をするが、その際各知事は家族の者に訓示する家父の役割をする4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。デュアルドが示しているかかる講話の一つには次の如き章句がある、『伝染病が穀物の不作と相俟って到る処を荒廃させる年が時々発生するが、かかる年に気をつけなければならぬ。かかる際における君らの義務は、君らの同胞に憐愍の情をもち、そして手離し得るものは何でも手離して彼らを援助するにある5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Lettres Edif. tom. xxii. p. 187.
 2) Id. tom. xix. p. 126.
 3) Id. p. 127.
 4) Duhalde's China, vol. i. p. 254.
 5) Id. p. 256.
 通常そうであるように、おそらく伝染病は子供の上に最も激しく落ちかかるであろう。ジェスイット僧の一人は、親が貧しいために生れると同時に殺される嬰児の数を論じて、曰く、『北京の諸々の教会堂で、この種の子供で洗礼をうけるものの数が、五、六千を算せぬ年は、滅多にない。この数は、吾々の維持し得る牧師の数によって多くもなれば少くもなる。もし吾々が十分の数を有っていれば、彼らの仕事は、遺棄されて死に瀕している嬰児の世話にのみ限られる必要はない。彼らにとってその熱意を発揮すべき機会は他にもあろうし、なかんずく天然痘や伝染病が信じられぬほどの数の子供を奪い去る時期において然りである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』実際、下層階級の人々の極端な窮乏によって、その両親があらゆる困難をおかして育てようと企てる子供の大部分を殺してしまう傾向のある疾病が生み出されぬと想像することは、ほとんど不可能である。
 1) Lettres Edif. tom. xix. p. 100.
 実際に遺棄される子供の数に関しては、ほんの推測をしてみることすら困難である。しかしもし支那人の著述者自身を信頼するならば、この慣行はごく一般的であるに違いない。政府は、たびたびこれを止めようと企てたが、しかし常に失敗に終った。人道と叡智とをもって聞えたある宦官の著わした前記の教訓書では、自己の管区に捨児養育院を設置することが提議されており、また今日では廃止されている同種の昔の施設1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]のことが述べてある。この書物には、頻々たる小児遺棄と、それを促す恐るべき貧困とが詳しく述べてある。彼は曰く、『吾々は、彼ら自身の子供に必要な養分を与え得ないほど貧しい人民を見る。かくも多数を彼らが遺棄するのはこの故なのである。帝都や省の首府や最も商業殷賑な箇所においてその数は最も著しいが、しかしそれほど人の繁くない地方や田舎においてすら、多くの遺棄が見られる。都市では家屋が密集しているので、この慣行はいっそう目につくが、しかし到るところでかかる憐れな不幸な子供は救助を必要としているのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。』
 1) Ibid. p. 110.
 2) Id. p. 111.
 同書には、小児の溺殺を禁止する勅令の一部が次の如く載っている、『生れたばかりのいたいけな嬰児が無慈悲にも波に投ぜられる時、生の享受がはじまるや否や直ちにそれが失われる時、母は生を与え、子は生を受けたと云い得ようか。両親の貧困がこの罪の原因である。彼らは自らを養うに足るものすらほとんど持たず、いわんや子守に支払いかつ子供の養育に必要な費用をととのえることはいっそう出来ない。かくて彼らは絶望に陥る。一人を生かさんがために二人が苦しむに耐えずして、夫の生命を保たんがために、母はその子供を犠牲とするに同意する。
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