一商人として
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著者名:相馬愛蔵 URL:../../index_pages/person1148

 この鶏舎は初め甲府市外の素封家河野氏邸にあって、令息豊信氏がシェパード犬を愛育する傍ら鶏を飼って居られたものです。豊信氏は安雄とはシェパード犬研究のお仲間で親交あり、中村屋の仕事をよく理解して趣意に賛成せられ、私どももついにこの方に中村屋鶏舎場の場主兼経営者として、協同協力をお願いすることになったのです。その後仕事が大きくなって千葉地方の広い所に鶏舎を移し、ますます新しい研究へと目夜精進されています。両親の愛と物質的にも恵まれて世の辛酸を知らず成長したいわゆるお坊ちゃまは、たいてい肉体的勤労を厭い、白き手を誇る傾きがある中に、氏が現代の科学的立場に立ち、自ら土に親しんで実生活に邁進(まいしん)されるのはまことに頼もしい限りです。
 元来軍鶏は喧嘩鶏といって、絶えず仲間同志蹴合いをする特異性を持っていますが、喧嘩に勝った鶏は揚々として首を高くもたげて四辺を睥睨(へいげい)し、あたかも凱旋将軍の如くでますます飼主に重んぜられる。これに反し敗れた鶏は意気消沈して、一時に肉が落ち味も劣ってしまう。それゆえ鶏が闘って敗れればそれはもう中村屋の使用鶏にはなれないのです。たちまち二位三位に落とされてはねのけられ、もう一等級には入れられないで、他へ売られて行くのです。
 だから飼主は鶏に喧嘩をさせないように、絶えず注意しなければならない。大風が吹いて樹木がざわざわする夜などは飼主の心配は一通りでない。神経質で気のあらい軍鶏は荒天に刺激されて鶏舎の中で大騒ぎをはじめる。そして鶏は肉痩せ、大風の後には相当の損害を覚悟せねばならないのです。
 餌は科学的研究によって各種のものを選び、ヴィタミンE補給のために日光によく曝してから与える。容器その他の物ことごとく清潔に洗い、鶏舎の内外塵一つ落ちていないほど清掃が行きとどいています。たまにはあなた方も誘い合わせて、千葉県木更津にこの鶏舎を見学するとよいと思います。

 中村屋牧場は乳牛十数頭を飼えるだけの最も小規模なものですが、自家製品の原料または飲用としての牛乳を得るに恥かしくないだけの自信を持っています。警視庁の調査によると中村屋牧場の牛乳には、普通乳の百分の一しか黴菌を含んでいないこと、脂肪率も三・八くらいありと証明され、しばしばお褒めに預っている。脂肪の多いのは餌が良いからで、黴菌の少ないのは搾乳の前に乳房と乳首とをよく拭いて消毒し、清潔にしてしぼるからです。しかしどんなによく乳首を消毒しても、最初に搾った五勺ぐらいの乳は有菌ですから捨てなければならない。この最初の乳が全体の乳にまじると、その黴菌はたちまち繁殖して、幾百万という菌になるのです。
 牧場主任の和田武夫氏は「黙移」の中に書いている通り一風変った経歴を持ち、なかなか面白い人物ですが、この人のいうところによれば、牛を飼うには人間に対すると全く同じに慈悲と親切をもってしなければならない。それでこそ牛も初めて素直になり、穏やかに人間の意に従う。実際牧夫が乳房を搾っても牛は乳量をたくさんに出さないが、主任が手をかけて搾ると気持よさそうに眼を細め、じいっとしていて濃厚な良い乳を多量に出します。牡牛は気が荒くてなかなか牧夫のいうことを聞かないものですが、もしこちらで腹を立てて打ちなどすると、その一度だけで、もう良い牛にはなりません。中村屋の牡牛が牝牛のように柔和従順であるのは、ひとえに和田主任の愛育によるものであることを知らなければならない。
 中村屋牧場はこうしてたしかに牛の平和郷ですが、ここにもいたましい犠牲を出すことがあります。それは生れた牛が牡牛であると、しばらく飼い育てた上、食用として人手に渡さねばならない。また怪我をしたり、子を生まなくて乳牛の用をなさぬようになればこれも屠殺場に送られる(病牛や斃死した牛は食用として許されません)のです。
 こう考えて来るとあなた方の胸にも、人に栄養を提供してたおれて行く生物のいたましさを感じるでしょう。年々増上寺における動物供養は、私どもの生物に対する追善の心よりするのであって、皆さんもどうか当日は心から合掌礼拝してその霊を慰め、冥福を祈って下さい。
 三河の国では年に一度百姓たちが集まって、虫供養ということをするそうです。これは平常田や畑へ出て働くうち、鋤鍬の先に触れて死ぬ虫を憐み、また作物を育てるためには害虫駆除をして思わぬ殺生をするので、百姓たちの心に自ずからこの仏心が生ずるのだとききました。私たちもまことに同感です。

    現れた力と潜んでいる力

 江戸ツ児は総じて早熟で、敏捷で物わかりが宜しいから、入店するやただちに何かしら役に立ちます。しかし惜しいことに根気がなくて物事長つづきしません。目先のきく割合に大成しない傾向があるのです。これに反し、地方出の少年はすべて鈍重で物わかりがわるく、したがって急には役に立たないが、辛抱強くて指導さえ宜しければ[#「宜しければ」は底本では「宣しければ」]必ずよい店員になります。それをみわけて誤らぬように常に注意するのが主人や先輩のつとめであり、誰もその責任は充分感じているのですが、現れた才にはつい眩惑され勝ちなものです。
 店員の間に、誰は無能なのに高給を食んでいるなどと不平をいうものもありそうだが、一見無能力者のようでも真直な人は、一家にも一商店にも一団体にも重きをなすものだということを、普通の人は知らないのかと思います。
 メーテルリンクという人の脚本の中には、きっと老い朽ちた老人が、ぼんやりと椅子に腰をかけていねむりをしているのが出ています。そして血気盛りの若者たちが瞬間の後に襲って来る一家の不幸を知らずに笑い興じている時、そのいねむりをしている老人だけは予知していて、自ずと暗示に富んだ独白をする場面がある。正直な無能力者は眼に見えて有能なものより、かえって一段上のつとめをすることがあるのです。これはむろん頂門の一針、主人側の注意すべきことです。

    新製品を売り出すまで

 世間には自分の店で販売する品を、絶えずあれかこれかと変える人があるようです。中村屋では新しい製品を売り出すまでには、数年少なくも三、四年の月日を研究のためにかけている。例えば松の実にしても主人と二度朝鮮に行ったばかりでなく、これをいかに用いるべきかを研究するのに三年かかり、約一ヶ年というもの松の実の試験を右川学士に依頼し、そこでようやく現在のような製品を得て、自信をもって売り出すことが出来たのです。黒光餅、黒光かきもち、かりんとう、駄菓子、塩釜など、いずれも思いついてから数年を費して研究したもので、最近では蜜豆、しる粉なども相当長い時を経てようやく売り出した次第です。にわかに思いつきで店に出したようなものは一種もないというところですが、ただ一つあります。それは毎年晩春の頃柏餅に次いで売り出す葉桜餅です。これは主人が書いている通り、にわかの註文取消しから莫大の損失を招くところを、主人の機智で危いところを救われ、期せずして加えられた記念すべき品です。これぞ禍いを変じて福となした好適例で、長く店にいい伝え、あなた方の心構えに備えたいものです。
 しかしこの葉桜餅は全く異例であって、いつもかように突発的に新製品を出しても売れるものと思ったら、たいへんな間違いです。軽率に店頭に出して一向に顧みられず、やむを得ず後退させるようなことがあれば、それは一代の不面目、あたかも戦いに敗れて兵を退(ひ)くのと同じ恥辱であります。それなればこそ前もって種々の方面から研究し、遺憾なく準備する必要があるのです。よく売れる品には売れるだけの苦心が前に払われていることを、繰り返し言っておきます。

    自分の仕事に自信を持つこと

 先年店員の中に、仕着せの縞物(しまもの)を嫌い、絣(かすり)を自弁でつくったり、あるいは店服のルバシカを脱いで詰襟を借着して学生風を装うものなどがあって、私どもは大いにその不見識を戒め、そんな心がけでは何をしても成功おぼつかないと懇々説き聞かせたことでしたが、こういうことをするのは自分の選んだ職業を恥ずるものと認めなければならない。いやな仕事ならば断然止めて好む道に進むがよいのです。人身の売買など正しからぬことを業とするならばともかく、いやしくも商売に上下貴賤の差別はない。私は自分の仕事を神聖なものとして尊重し、一生をこれに打ち込んで恥じません。

    あくまで独創的に

 私たちは人々から折々妙な質問を受けます。それは『どういう方法で今日の繁栄をかち得たか』『商売のこつを教えてくれ』などと言われるのですが、いつも返答に窮し、あまりに世間の人の心持のちがいを知らされて、何ともいえぬ淋しさを感じます。
 私たちは最初からどうすれば繁昌するかなどと考えて商売に着手したのではない。もし私たちが商家に生れて、いわゆる商法に通じて家業を継承したのならば、あるいはこの質問に対して答える用意があったかもしれないが、私たちの発足はそれとはまるで違うのですから、コツなんていうものは全く知らない。しかしなおも答を求められるならば『私たちは全くの素人でしたから世間の伝統によらないで、自ら前人未踏の茨の道を大胆に開拓しました。素人だから本格的な商人の真似をせず、いっさい独創的に思いのままに仕事をして迷わなかった。今日はただその独創をもって貫いた結果というだけで、何が当った、こういうことで成功したなどとお話し出来るものは何もありません』と。しかし今一つ加えなければならぬことがあります。それは『金を儲けようとして商売をしなかったこと』です。
 中村屋で修業した人で、現在独立して店を持ち、相当にやっている人もかなりあって、非常に結構なことと喜んでいますが、中村屋の真の精神を会得している人は甚だ稀れです。人真似はいけない、何事も独創でなければならないことを中村屋の経営によってよく知っている筈なのに、さて独立して見ると他店を真似ないまでも、主人のしていることを形だけそっくり真似ているのです。中村屋式というのは人の書を額にして掲げ、その書に何らか背景のあることを示し、それをよりどころとするようなものではありません。自己の性格を生かして、あくまでも独自の道を歩むことであるのをまだ心づかないのはどうしたことかと思います。
 いついかなる場合でも正しきところに立ち、商人として充分おとくいの立場にもなって、なるべく薄利で商うようにすれば、志あれば道ありで、自ずからいかにすべきかを会得するでしょう。

    月給袋を入れる時

 我が中村屋では、いわゆる規則なるものを設けず、よかれあしかれ何事につけても主人対店員の間で解決し進行して、長い間いささかも不都合がなかったのでしたが、近年事業の拡張とともに人員増加し、したがって大小の事件頻々として起り、秩序が失われて思いもよらぬ弊害があらわれるようになりました。やむを得ず、私どもの最も嫌いな規則を立てて統制するという、まことに悲しい現象を見るに至りました。『こういう小むずかしい規則は昔はなかったのに』と、当時店員たちの間で不平の声がきかれたのも無理からぬことであります。
 最近に至っては出勤時間を記入する設備さえ出来て、機械そのものが正確に出勤時間を記入するので、庶務係に向かって時間の割引をせよなどと文句をいう必要がなくなりました。販売部、製品部、仕入部等々一々分業的に秩序正しく整理され、お役所のようだなどと皮肉を言われるくらいになった。しかしそうでもなければ二百七十名の従業員と、一日平均少なくも八千人のお客とを収容しなければならぬ現在、どうも治まりがつかぬ、何かしら規律統制を設けてそれによるほかないのです。
 その面倒な規則を守ってあなた方は正確に出勤する。最も早出は午前三時半までに。冬の朝、この寒天にと私は店の方を思いやり、白い息を吐きながら工場に駆けつける皆さんの姿を眼にえがくのです。次は午前七時、九時、正十二時と数回に別れてそれぞれ出勤し、仕事の終るまでは傍目もふらずに車輪になって活動する。あなた方の働きには森厳といおうか悲壮といおうか、真に言語に絶するものを感じ、私はその尊さに涙が溢れて来るのです。それがどの部も同様で、一人だってのらくらしている者はいない。時々おとくい先から店員が手間どって不都合だとお叱りを蒙るけれど、私はそういうお方に一度あなた方の仕事振りを見て頂きたいとさえ思うのです。
 甲乙のない皆さんの勤労に対して、不公平のない報酬を定めるということは難事中の難事です。渡された月給の袋の中を調べて見て、予期した以上の内容に微笑することはないであろう。が、こちらもその月給をおろそかにはその袋には入れません。毎月二十五日の夜から翌二十六日の午後まで、各部からの報告全部が集まって来る。その月の総売上げと大入袋の金額と回数、その他の材料を大卓上にならべておき、あなた方に渡す手当の明細書の各項目に一つ一つ書き込む。貯金幾何、これは独身者に限るものです。遅刻何回、事故休み何回、病気休み何回は規則に従って差し引き、俸給幾何(いくばく)、家持手当、子供老人手当、夕食代、これは所帯持ちに、配当、ボーナス等々合計○○○何々殿、年月日、と一人一人異なる事情と計算を書き上げる。
 これまでは千香子の仕事の領分として、だいたい書き上げたものを、主人と主婦がいま一度目を通して、誤りの有無、公平を欠くことはないかを調べる。遅刻と欠勤は理由の如何にかかわらず、必ず若干差し引かれる規定ではあるけれど、実際一家の働き手が病気した時は、見舞いという名義をもって補給してやらねばならぬ。そしてこれは単なる事務として他の家族に命ずる仕事ではないから、必ず主人自ら行います。こうして念には念を入れて公平を期するよう努力はしているけれど、それでも目こぼしや不行き届きがあるもので、あなた方から見れば定めし不平も不満もあるでしょう。
 全員ことごとく奮闘してくれるけれど、その中でも特に性質も善良、技術を懸命に研究する模範店員もあり、また同輩ばかりでなく、おとくいからもお小言を頂くような者もたまにはあるけれど、主人から見れば同じ吾が家の者、心得が宜しくないからといって、その者にばかり薄くするわけにはいかず、また優秀な者にばかり賞を与えることが出来ない場合もあり、与えるものの側にも相当の苦心と考慮のあるものだということを、あなた方もよく理解してもらいたいのです。
 こういう心持で、毎月質素な茶色の袋に、私たちの満腔の感謝と希望と祝福とをこめて月給を入れ、一つ一つ押し戴くようにして封をする。この時は誰も室に入ることを許さず、主人と私とただ二人で『有難う』を繰り返しながら仕事を終るのです。
 不徳な私たち、必ずしらずしらずの間にたくさんの不行き届きもあろうけれど、これは寛大な心をもってあなた方もゆるしてくれるでありましょう。

(「一商人として」岩波書店・昭和十三年初版刊)



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