磯馴松
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著者名:清水紫琴 

   下

 青き松白き砂、名にあふ舞子の浜のなかも、をしや暮色に蔽はれて、呼はば応へむ、淡路島山の影もやうやく薄墨に、なるとのかなたにほの見えし紀伊和泉のやまやまは、雲かとばかり波に消えつ。鏡のやうなる海面も、どんよりと黒みゆきたれど、波に尾をひく夕日影は、西の海に金色の名残漾はせつ。暮れむとして暮れはてぬ夕景色、夏ならはここ千金の一刻なるべきを、今は都人の花に酔ふ頃なれや、ここらそぞろ歩行(あるき)する人は稀なるに、病をここに養ふやらむ。老若二人の婢にかしづかれて、いづれ身分ある人の奥様と覚しきが、前刻よりこの松原を、ゆきては戻り、人戻りては行きたまふは、晩餐後の運動にもや。奥様はいと沈みたる調子にて、独言のやうに、
 ああわたしは真実(ほんとう)に世が嫌になつたよ。なぜこんなに心細い気がするんだらう。ここへ来た当季は、あンまり景色がいいもんだから、何もかも忘れてしまひて、もとの活々(いきいき)とした身躰に返つたやうだつたが、慣れて来るとまたいろんな事を考へ出していけない。なぜうきうきとした気になられないんだらう。真実に私は自分で自分の身が嫌になつたよ。こんなにくさくさして生きてるんなら、死んだ方がよつぽどましだわ。なぜ死なれないだらう……
 詞の末は半ば消えて、いつしか立止まりたる足の、白く細き爪先にて美しき砂を弄びながら、なほも思ひかねたまひたる様子に、老女はわざと軽くホホと受けて、
 また奥様そんな事を思し召しましては、いよいよお身躰のお毒でござりまする。とかくさうお鬱ぎ遊ばすのが、一ツは御病気なのでございますから、こうして御養生に御越あそばしました限りは、何事もお思ひあそばしませぬが宜しうござりまする。何のあなた、小癪な事を、申し上げるやうではござりまするが、命あつての物種と申すではござりませぬか。何が何でいらつしやいませうとも、御身躰が一番お大事でござりまする。必ず必ずきなきな思し召してはなりませぬ。
 いひかけて四辺(あたり)に気を配り、若き婢(おんな)の三四間後れたるに心を許し、
 何のあなた、旦那様だと申し上げましても、いついつまでもああではいらつしやいますまいー。ほんの一時のお物好きであそばすのでございませうから、あんなもの位にお気をおひけあそばさないで、何でも早く若様でもお嬢様でもお設けあそばすやう、一日も早くお達者におなり遊ばせな。オホホホホそれが何よりのお勝でござりまする。
とはいかなる子細ありてやらむ。奥様はいとどこれにむつがらせたまひて、血の気とてはなき唇を噛みしめたまひ、
 またばアやはそんな気休めばかしいふよ。人を、人をツいつまでも子供のやうに思つて、賺(たら)さうとしてももうだめよ。それよりか一所に泣いてくれた方が、いくら力になるか知れやアしないわ。
 露かあらぬか、奥様のお袖にははらはらと玉散りて、お顔を背けたまふかなたの木影に、しよんぼりと立ちし男の子、田舎にも珍しきまでむさげなるが、これもしくしく泣きゐる様子に、奥様は我を忘れて、いぢらしがりたまひ、
 ばアや、何だらうあの子供は、可愛さうに泣いてるぢやアないか。聞いて御覧、連れにでもはぐれたんぢやアないか。
 老女も御機嫌損ねたる末のよきつき穂と、
 オヤさやうでございますねー。承つてみませう、どう致したのでございますか。
 いひながらかの子の傍へ立寄りて、優しく問ひ掛けしに、子供心にも人の深切身にしみじみと嬉しくてや、忍び泣きの急に切迫して、泣きしやくり上げながらのとぎれとぎれ、
 ああおらアおツ母アを探しに、須磨まで行つて来たんだ。ちやんがお酒ばかし飲んで、構はないもんだから、おツ母アは去年の暮にどこかへ行つてしまつたんだ。
 ヲヤお前のやうな可愛い子を置いてかえ。
 ああだからおらアそれから毎日おツ母アを探してたんだ。それでもまるツきり知れないから、おらアいくらちやんに、おつかアを呼んで来てくれろツて、頼んだか知れやアしないんだ。
 さうだらうともさうだらうとも
 するとちやんが怒つたアな、あんなおつかアがそんなに恋しきやア、おつかアの所へうせろツて。おらアおつかアの処へ行かれる位なら、始めツからちやんを頼みやアしないや。それからおらア……
といよいよ泣声になり、
 おつかアに逢ひたくツても、ちやんが怖いから何もいやアしないんだ。おつかアの事をいふと直ぐ叱るから。
 オヤマア可愛さうに、さうかい。
と老女は復命代はり奥様の方を振向きぬ。奥様は傍らの松の幹にもたれて、余念なく聞き入れたまふを、老女の瞳につれてこなた向きし子は、不意に奥様を認めて、その神々しきまでと蒼白く美しく、高尚(けだか)きに気を打たれ、円き眼を瞠(みは)りて見詰めゐたりしが、再び老女に、
 それからどうおしだえ。
と問はれて我にかへりたれど、なほも奥様の方を気にして、我知らず着ものの前など掻き合はせながら、
 だけれどちやんが正月から煩ひ出して、仕事にもゆかず、好きなお酒も飲まないで、寐てるんだ。おらアほんとにどうしやうかと思ふと、またおつかアの事を思ひ出したんだ。でもちやんはもう叱らないよ。おつかアの事をいつても……。ねえ伯母さんちやんはもうおつかアの事は怒つてゐないんだらうか。ねえさうだらうね。だからおらアまたそこら中聞いて歩行たんだ。おつかアを連れて来やうと思つてよ。
 実(げ)にもとうなづく老女の顔を見て安心し、またそつと奥様の方をぬすみ見るに、目睫(めまじ)もせで我が顔をまもりゐたまふに気後れしてや、しばし行きつまりてまた覚束なき語句をつづけ、
 するとおつかアは須磨の村雨亭といふお茶屋にゐると教へてくれたんだ。近所の桂庵の婆さんがよ。
 怨めしさうに声顫はせて、
 そりやア先から知つてたんだけれど、おつかアがいつちやアいけないといつたから、それで言はなかつたんだと。でもちやんが煩つてるものだからツて、内証で教へてくれたんだ。それも今朝の事よ。だからおらア直ぐその足で須磨まで行つて来たんだ。
 エ須磨まで行つたのかえ、よくまア独りで行かれたね、可愛さうに。
と老女目をしばたたきて更に奥様の方に向ひ小腰を屈(かが)めて、
 何でございますとね、これが独りで須磨まで参つたのでござりますと。
 奥様も聞きゐたまふことを改めて伝達するも、あまりの事に感心してなるべし。奥様もしばしばうなづきたまひ、始めて優しきお声にて、
 さう、そして分つたかえ。
 老女に聞くともなく、かの子に聞かずとしもなく問ひたまへば、
 ああ分つたよ、分つた事は分つたんだけれど……
 大粒の涙をポトリポトリと落としながら、
 おツかアは疾(と)くに大坂へ行ツちまつたとさ、何でも大坂から養生に来てた、金持の旦那に連れられて、行つたんだと。
 この一句に老女は端なくも奥様と顔見合はせて胸轟かせつつ、忙(せは)しく子供に向ひ、
 フム不思議な事もあるものだね、ではお前のおツかアの名は何といふの。
 おおあツかアはお千代て云ふんだ、おらア松坊サ。
 家はどこだえ。
 明石なんだ。
 オヤと老女振向きて、そと奥様のお顔色を窺ひしに、奥様は色も変はらせたまはねど、老の僻目か、御目の底少しきらめきし様にも覚えて、よしなき事を聞き出せし何となく心安からぬに、子供は何の心もつかず。またも無邪気に老女を顔を見上げながら、
 なぜおツかアは大坂へなぞ行つたんだらう。大坂はよツぽど遠ーい処ぢやアねえか、なア伯母さん。だからおらア何しに行つたんだと聞くと、茶屋の奴め大変に笑やアがつて、知れた事だツて、教へてくれねえんだ。だつて伯母さん、誰だつても聞かなきやア分らないぢやないか。でもおらアあンまりいまいましいから、それツきり飛び出したんだ。で早く帰らうと思つてここまでせつせつと歩行て来たんだけれど、あんまり足が痛くなつたから、少し休んでる内に日が暮れかかつて来て、ああ淋しいなと思ふと、またおツかアに逢ひたくなつたのだ。だから今泣いてたんだよ。どうしやうねえ伯母さん、おツかアはもう帰らないんだらうか。おツかアが帰らなきやア、おらア一人で煩つてるちやんを、どうする事も出来ねえから。おらアはやく大きくなりてえや。
 かかる折には他人ながらも、その人たのもしく思はれてや、彼はまた老女の顔を覗き込みて、
 ネ伯母さん、家へ帰つても、ちやんは怒りやアしめえか、何ともいはないで来たんだから。エ、エ、……
 しばしば問へど、老女はとかく奥様の、お顔色のみ窺ひて、とみには慰めかねたるを、もどかしとや奥様の自ら進み出でたまひて、勿躰なや美しき手にも汚き子供の頭撫でたまひ、
 お案じでない、今私がいいやうにしてあげるから。
 老女に何か囁きたまへば、老女は心得て若き婢を招き、仰せを伝へたりと覚しく、彼は小走りしていづかたへか行きたるが、やがて小(ささ)やかなる革提(かばん)携へ来りしを、奥様は力なき手にそれを開き、中より幾片かの紙幣(さつ)とり出でて老女に渡したまひしかば、老女は万事その意を得て、これを子供の肌へ、落ちぬやうに手拭もて括り付けながら、
 ほんとにお前は仕合せものだよ。お慈悲深い奥様に、たんとお礼を申し上げないでは済まないよ。奥様がこの夥しいお金を、お前にお恵み下さるんだから。落とさないやうに持つてお帰り。さうすればちやんも怒らなからうし、また一月や二月は、お父ちやんもお前も、これで楽々と御飯が戴けるんだから。きつと落とさないやうに気を注けるんだよ。奥様も今ではここにいらつしやるけれど、やはりお家は大坂なんだから……
といひかかるを、奥様目顔で制したまへば、老女は本意なげに口を鉗(つぐ)みたれどさすがに老の繰言止め難くや、更に詞を更(あらた)めて、
 時節が来たらお前のおツかアも、おつつけお暇が出やうから、その時はまた明石へ帰らないものともいへないわね。どうせ茶屋小屋に居た女が、いつまでも御大家に居て、奥様を蔑(ないがしろ)にしてゐる訳にもゆくまいから。ね、だからもしひよつと、この後お前おツかアに逢ふ事があつたら、忘れないでいふんだよ。何時(いつ)何日(いつか)頃舞子へおつまといふ婆がお附き申して、御養生にいらツしつた、それはそれはお前よりはよツぽど美しい奥様の、お救ひを戴いたといふ事をね。きつと忘れないで話すんだよ。それがお前、奥様への何よりの御恩報じなのだよ。
 子供ながらも、あまりに人の情の訝しく、奥様と老女の顔をのみながめゐるを、これも奥様のお心添にて、途中心もとなしとや、宿やの車にて送らせたまひぬ。

 その後五六日を経て明石の町より、天ぷら蒲鉾など小さき荷籠に入れて、舞子のあたりまで売り歩行(ある)く子供あり。雨の朝も風の夕べも、この子の呼声聞こえぬ事なければ、人々の殊勝がりて、年もゆかぬにと、その身の上尋ぬれば、
 おらアおつかアは居ないんだけれど、よその美しい奥様に、たアんとお金を貰つたから、それでかうして稼げるやうになつたんだ。ちやんも塩梅が直つたら、お酒も飲まないで稼ぐといつてるから、おらの許(とこ)は、今に金持になつてみせらア。金持にせへなりやア、おツかアはどんな遠い処に居たつても、帰つて来るんだとちやんがいつてるよ。だからおらア何でも稼いで金持にならなきアならないんだ。
 威勢よく答ふるに評判売れて、今もそのあたりに肴屋の松坊松坊とてもてはやさるるはこの児なりとか。されどかの病みて美しき奥様と、健かにて忠実(まめやか)なる老女とは、今なほそこに在りやなしや。難波江も、名には聞かねば、知るよしなきぞ憾(うら)みなる。(『女学雑誌』一八九七年三月一〇日)




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