奇巌城
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:ルブランモーリス 

 二人は礼拝堂の前を通っていた。ボートルレは立ち止まって、
「判事さん、あなたはそれを知りたいんですか。」
「もちろん知りたいです。」
 ボートルレは太い杖を持っていたが、突然その杖を振り上げて、礼拝堂の扉を飾っている数個の彫像の一つを発止(はっし)と打った。
「ど、どうした、君は気でも違ったか?」判事は思わず、飛び散った彫像のかけらの方に駆け寄りながら叫んだ。「これは実に立派な物……」
「立派な物!」ボートルレはまたつづいてその次のマリヤの彫像を打ち壊しながら叫んだ。判事はボートルレに組みついて、
「君、馬鹿なことをしてはいけない!」
 その次の老王(ろうおう)の像も、基督(キリスト)の像も飛び散る。

            神秘の土窟(どくつ)

「その上動いたら撃つぞ。」ジェーブル伯もそこへ駆けてきてピストルを差し向けた。ボートルレは声高く笑った。
「伯爵、偽物です!」
「何だって?」二人は叫んだ。
「偽物です、つくり物です、中は空っぽです!」
 伯爵は彫像のかけらを拾ってみた。するとどうだろう、立派な大理石はただの漆喰に変っているではないか。そこにある彫像はまたとない実に立派な彫像なのであった。それがただの石膏細工(せきこうざいく)[#「石膏細工」は底本では「石豪細工」]に変ってしまっていた。
「ルパンです。実に偉いではありませんか。この偉大な礼拝堂はルパンによってみんな奪い去られてしまいました。一個年にたくらんだ仕事はこれです。実にルパンは偉い、何という恐ろしい天才でしょう。そしてこの礼拝堂の中には我々の知らない隠れ場所があります。ルパンは礼拝堂の中で仕事をしている間(あいだ)にそれを見つけ出したのです。ルパンはもし死んでいるとすれば、その隠れ場所にいるでしょう。」
 三人は礼拝堂の扉を鍵で開けて中へ入った。ボートルレはまた調べてみた。礼拝堂の中も立派な物はみんな偽物に変っていた。ボートルレは伯爵の持ってこさせた鶴嘴(つるはし)で階段のところを壊し初めた。ボートルレの顔色は気が引き締(しま)っているためにまっ蒼であった。突然、鶴嘴は何かに当(あた)ってはね返った。この時内側で何か墜落するような音が聞えたが、それと共に鶴嘴を当てた大石が落ち込んで大きな穴があいた。
 ボートルレは覗いてみた。一陣の冷めたい風が彼の顔に当った。下男が持ってきた梯子を掛けて、判事は蝋燭を持って降りていった。伯爵もそれにつづいた。ボートルレも最後に降りていった。穴倉の中は暗黒(まっくら)であった。蝋燭の火がちらちらと動いてわずかに探り見られた。しかし底に降りると恐ろしい胸のむかつくような臭気が鼻をついた。と、突然ボートルレの肩を押えた手があったが、それはぶるぶる慄(ふる)えていた。
「どうしたのです。」
「ボートルレ君、い、居た。何かある!」
「え!どこに?」
「あの大石の下に、あれ、見たまえ!」
 彼は蝋燭をとり上げた。その光は地上に横たわっているある物の方へ投げられた。
「あ!」ボートルレは思わず恐ろしさに声を挙げた。三人は急いで覗いてみた。実に恐ろしい痩せた半ば裸の死体が横たわって[#「横たわって」は底本では「横はたって」]いた。溶け掛けた蝋のような青みがかった腐れた肉が[#「肉が」は底本では「肉か」]、ぼろぼろに破れた服の間からはみ出ている。しかし一番恐ろしいのはその頭である。大石に打ちくだかれたその頭、ぐちゃっと圧しくだかれて、目鼻も分らないほど崩れてしまったその頭……
 ボートルレは長い梯子を四飛びに飛んで、明るみの空気の中へ逃げ出した。
 判事はあの死体はルパンに違いないとすっかり安心してしまった。ボートルレは何事か考え込んでしまった。判事宛に二通の手紙が来た。一つはショルムスが明日来るという知らせであった。一つは今朝海岸に美人の惨死体が浮(うか)び上ったという知らせであった。たいへん死体は傷ついていて、とても顔は見分けられなかったが、右の腕にたいへん立派な金の腕輪をつけているということだった。レイモンド嬢もたしか金の腕輪を嵌めていたはずだったのでその死体はレイモンド嬢に違いないと判事はいった。
 ボートルレはまたしばらくすると自転車を借りて近くの町へ急いだ。そこで彼は役場へ行って何事かを調べた。
 ボートルレは大満足で唱歌を唱いながら自転車でまた元来た道を帰ってきた。と伯爵邸の近くへ来た時、彼はあ!と声を上げた。見よ前方数間(すうけん)のところに一条(ひとすじ)の縄が道に引っ張られてあるではないか。自転車を止める間もなくあなやと思う間に自転車は縄に突き当って、ボートルレの身体は三米突(メートル)ばかり投げ出され、地上に叩きつけられた。しかし全く幸(さいわい)なことに、たったわずかのところで、路(みち)ばたの大石の前で止まった。その大石に頭を打ちつけでもしたら、ボートルレの頭はめちゃめちゃになるところであった。しばらくの間彼は気を失っていたが、ようやくにしてすり剥いた膝を抱えて起き上り、あたりを眺めた。曲者は右手の小さな林から逃げたらしい。ボートルレは起き上ってその縄を解いた。その縄を結びつけてある左手の樹に一枚の小さな紙切がピンで止めてあった。それには、
「第三囘の通告、そしてこれが最後の忠告である。」

            解かんとする謎の記号

 ボートルレは血だらけになって邸へ着くと、すぐ少し下男たちに何か尋ねてから判事に逢った。判事はボートルレを見ると、傍にいた書記に外に出ているようにと命令(いいつ)けた。判事は少年の血のついたのを見て叫んだ。
「あ! ボートルレ君一体どうしたのです。」
「いえ、何でもないんです。しかし判事さん、この邸の中でさえも僕のすることを見張っている者があるんですよ。」
「え! 本当かね、それは。」
「そうです。そいつを見つけるのはあなたの役です。しかし僕は思ったより以上に調べを進めました。それで奴らも本気になって仕事をし出したらしいのです。僕のまわりにも危険が迫ってきました。」
「そんな……ボートルレ君。」
「いえ、とにかくそれよりも先に、あのいつか血染の襟巻と一緒に拾った紙切のことですが、あのことは誰にも話してはいらっしゃらないでしょうね。」
「いや、誰にも、しかしあんな紙切が何か役に立つのですか?」
「え、大いに大切なのです。僕はあれに書いてあった暗号の謎を少し解くことが出来ました。それについて申し上げますが。」
と、いいかけたボートルレは、ふいにその手で判事の手を押えて聞き耳を立てた。
「誰か立ち聞きをしている。」砂利を踏む音に少年は窓に走った。しかし誰もいない。
「ねえ、判事さん、敵はもうこそこそ仕事をしてはいません。大急ぎで申し上げましょう。」
 少年は紙切を卓(テーブル)の上において説明を始めた。ボートルレはこの間からこの紙切について一生懸命考えていたのであった。そして少年はやっとその数字がア・エ、イ・オ、ウ、の字を表(あら)わしていることを考えついた。つまり数字の1は、最初のア、を差し、2は次のエを指しているのであった。それを頼りに、点のところへ、言葉になりそうな字を入れていった。その結果少年は、第二行から(令嬢(ド・モアゼル))という言葉を拾うことが出来た。
「なるほど、二人の令嬢のことだね」と判事はいった。少年はまたその他に、(空に(クリューズ))という言葉と(針(エイギュイユ))という言葉を見つけた。
「空(うつろ)の針、それは何だろう。」と判事がいった。
「それは僕にもまだ分りません。しかしこの紙切の紙はずっと昔のものらしいのですが、それが不思議です。」
 この時ボートルレはふと黙った。判事の書記が入ってきたのであった。書記は検事総長が到着したと告げた。判事は不思議な顔をした。
「何だろう、おかしいな。」
「ちょっと、下までおいで下さいといって、馬車をまだお降りになりません。」
 判事は首をかたむけながら降りていった。この時怪しの書記は室(へや)の中から戸を閉じて鍵を掛けた。

            美少年の重傷

「あ!なぜ戸を閉めるんです!」とボートルレは叫んだ。
「こうすれば話がしいいというもんだ。」と書記は嘲笑った。万事は分った。奴の仲間、それは書記だったのだ。
 ボートルレはよろめきながらどっと腰を下(おろ)して、
「話せ、何が望みなのだ。」
「紙切さ、あれを渡せ。」
「僕は持っていない。」
「嘘をつけ、俺はちゃんと見たんだ。」
「それから?」
「それから。手前は少しおとなしくしろ、手前は俺たちの邪魔ばかりしやがる。手前は手前の勉強をすれやいいんだ。」
 書記に化けた曲者は、ピストルを少年に差し向けながら進んできた。
 ボートルレは動かなかった。恐ろしさに顔は真蒼(まっさお)であったが、しかもなお少年は、この場合どうすればいいかと考えていた。ピストルは眼の前に迫っている。太い指が引金(ひきがね)に掛っている。それを引けばそれまでだ。
「やい!出さねえか、……うぬ!出さねえな!」
「これだ。」と少年はいって、懐から紙入を出してそれを渡した。書記は引ったくるようにその紙切をとった。
「よし、手前は少しは物が分るよ。さあ用がすんだら退却としよう。さよなら。」
 男はピストルを懐へ収めて、窓の方へ歩みを向けた。廊下に判事の帰ってくる足音、男はふと思いついたらしく立ち止まって、渡された紙片(かみきれ)を調べた。
「あ!畜生、あの紙切はない、よくも騙しやがったな!」と室内へ飛び込んだ。と二発の銃声、今度はボートルレが自分のピストルを出して撃ち放ったのだ。
「当るかい、畜生!」
 二人は引っ組んだまま床の上を転がった。
 外からははげしく扉を叩く。二人はすさまじい格闘をつづけたが、とうとうボートルレは次第に弱ってたちまち組み敷かれてしまった。それでお仕舞いだ。さっと振り上げられた手には短劒が閃(ひら)めいた。と発止!打ち下された。激しい痛みを肩に覚えて、少年は思わず握った手をゆるめる。
 上衣(うわぎ)のポケットを探られて、紙切を持ち去られるように思ったが、そのまま気を失ってしまった。
 翌日の新聞は伯爵邸の珍事でいっぱいであった。礼拝堂の隠れ穴、ルパンの死体発見、レイモンド嬢の惨死体発見、ボートルレの災難。
 それと同時にまた驚くべき別のことが知らされた。それはガニマール探偵の行方不明と、ロンドンの真中(まんなか)で、しかも真昼間(まっぴるま)に起った誘拐事件、それは英国の名探偵ヘルロック・ショルムスの誘拐事件であった。
 こうしてルパンの残党は、十七歳の天才少年にすべてを見破られようとする時、この少年を倒し、またルパンの二大強敵、ショルムス及びガニマールは見事に負けてしまった。今やルパンの一味は天下に敵なしとなった。かの大胆不敵のルパンに当ることの出来る者は天下に一人もなくなったのだ。

        四 侠少年対怪盗
            真相発表近し

 ボートルレ少年の負傷は初め幾日かの間は危いとさえいわれた。
 事件はすべてルパンの死んだことによって終ったようであった。しかし少年ボートルレがまだ終ったといっていない以上は、この悲劇はまだ終ったのではないのだ。どんなことがまだ終っていないのかそれは誰も知らない。ただボートルレ少年だけがそれを説明することが出来るのだ。
 世間の人がボートルレ少年の負傷を心配するのは大変なものであった。やっともう心配はないと医者が発表した時には、人々は大喜びをした。
 その後傷はたいへん良くなった。少年が判事に話し出そうとした(空の針(エイギュイユ・クリューズ))の本当のことはまもなく世間に知らされるだろう。エイギュイユ・クリューズ!果してこれにはどんな秘密が隠されているのであろう。
 それはまもなく知れようとしている。ボートルレが近いうちにまた来(きた)るべきことを新聞は書き立てた。闘いはまさに始められようとしている。今度こそ少年は怨みの復讐に燃えて決心が堅い。一つの新聞に大きな字で次のようなことが書いてあった。
「ボートルレ君は、まだどこにも知られていないジェーブル伯邸の事件真相を、明日我が新聞に発表されることを承知せられたり。」

            ルパンの再現

ボートルレは一通の手紙を受けとった。まだ傷が治ったばかりで幾分顔色のよくない少年の顔は、その手紙を読んでいくうちにさっと蒼くなった。彼はしばらく眼をつぶって考えていたが、やがて何事かを決心したようであった。
 その夜少年は、一人の紳士に案内されて一つの部屋へ入った。紳士は一言(いちごん)も口をきかず重々しい態度で室内の電灯をみんな点けた。室内にはたちまち明るい光がいっぱいに流れた。この時二人は始めて眼と眼を見合せた。その眼光の鋭さ、らんらんと燃ゆるような四つの眼は、お互(たがい)の胸の底まで見抜こうとする物凄いものであった。
 その紳士の顔付(かおつき)は逞しく、長い髪の毛は茶褐色で、髯は左右に分れていた。身装(みなり)はちょうど英国の僧侶のように黒い物ずくめで、見るからに自然と頭の下(さが)るような、いかめしさと重々しさとをそなえていた。やがてその紳士は口を開いた。
「ボートルレ君、我輩(わがはい)はまず君に、君が我輩の手紙を見て気持よく逢ってくれたことに、御礼を申し上げなければならない。」
「そして、あなたが?……」とボートルレはいった。紳士はじっとボートルレを見ながら静かにいった。
「そう、我輩です、アルセーヌ・ルパンです。ボートルレ君。」
 アルセーヌ・ルパン!おお彼巨人アルセーヌ・ルパンは再び姿を現わした。かの僧院の陰惨な土窖(つちあな)の中に苦しみ悶え、ついに無惨な死を報ぜられたアルセーヌ・ルパン!彼はやはり生きていたのであった。しかも今見る彼ルパンの元気溢れていることよ!彼はボートルレ少年に逢い、何をしようとするのであろうか。
「我輩は……」とルパンは笑いながらいった。
「我輩はとにかく出来る限り活動するのです。そのためには種々(いろいろ)な手段もとらなければならない。我輩はもう君が、自分の身の危険には構われないということを知りました。残るところは君のお父さんです。……君がまたたいへんお父さん思いであるということを知っているので、だから我輩は最後の手段をとろうとするのです。」
「だから僕、ここへ来たんです。」とボートルレは微笑んだ、「手紙の中にある嚇し文句も、私のことなら何でもないのですが、それが私の父のことなんですからね。」
「まあ、椅子へ掛けましょう。」とルパンはいった。
「とにかくその前にボートルレ君、あの判事の書記が君に乱暴したことを僕は謝らなければならない。」
「いや、実際あれには僕も少し驚きました。だってルパンのやり方ではないんですもの。」
「そう、実際、あれは我輩の少しも知らないことだった。あの部下はまだ新米なので、我輩の命令に背いて勝手にしてしまったことなんだ。我輩はあの部下を厳しく罰しておいた。君の蒼い顔を見てはいっそうお気の毒です。勘弁してくれますか。」
「あなたは今日僕をこんなに信用して下すったんだから、それでもうあの書記のことは忘れましょう。だって僕がそうしようと思えば警官を連れてきて、あなたを捕縛することも出来たんですもの。」とボートルレは笑いながらいった。
 ボートルレは絶えず美しい無邪気な微笑(ほほえみ)を浮べ、親しげな、それでいて丁寧な態度をとっている。少しもその態度には偽りがない。
 ルパンはこの無邪気な愛くるしい少年に対して、少(すくな)からず困っているようであった。彼は自分のいいたいことを、どういう風にいい出そうかと迷っているようであった。
 その時玄関の呼鈴がなった。ルパンは急いで立っていった。
 彼れは一通の手紙を持って戻ってきた。
「ちょっと失礼。」といいながら手紙の封を切った。中には一本の電報が入っていた。彼はそれを読んだ。とみるみるその様子は変ってきた。その顔色は輝き出した。彼はすっくと立った。彼はもはや、常に争い闘い、何物をも支配しようとする巨人、人類の王であった。
 彼はその電報を卓子(テーブル)の上に披(ひろ)げて、拳を固めてどんと卓子(テーブル)を打って叫んだ。
「さあ、今じゃあ、ボートルレ君、君と我輩との相討(あいうち)だ。」

            勝つものは誰か

 ボートルレは改まった態度をとった。ルパンは冷(ひや)やかな厳しい口調で語り出した。
「おい!君、お体裁は止めよう。我々はお互に、どうしたら勝てるかと相争う敵(かたき)同士だ。もうお互に敵として談判を始めよう。」
「え!談判?」とボートルレは吃驚(びっくり)したような調子でいった。
「そうだ、談判さ。俺は君に一つの約束をさせなけりゃ、この室(へや)を出ない決心だ。」
 ボートルレはますます驚いたような調子だった。彼はおとなしくいった。
「僕はそんなつもりはちっともしていませんでした。なぜそんなに怒っているんです。境遇が変っているから敵(かたき)だというんですか、え、敵(かたき)って、なぜです?」
 ルパンは多少面喰(めんくら)った態であったが、
「まあ、君、聞きたまえ、実はこうだ。俺はまだ君のような対手(あいて)に出っ会(くわ)したことがない。ガニマールでもショルムスでも俺はいつも奴らを嬲(なぶ)ってやったんだ。だが俺は白状するが、今は俺の方が君に負けていると見なければならない。俺の計画した仕事は見事に破られた。君は俺の邪魔だ。俺はもうたくさんだ、我慢が出来ん!」
 ボートルレは頭を挙げて、
「では、あなたは僕にどうしろというんです。」
「人は自分々々の仕事があるものだ。それより余計なことはしないようにするものだ。」
「そうすると、あなたはあなたの好き勝手に強盗を働き、僕は勝手に勉強ばかりしていろというんですね。」
「そうだ、君は俺を放っておけばいいんだ。」
「では、今あなたは何がいけないというんですか。」
「君は白(しら)ばっくれるな、君は俺の最も大切な秘密を知っている。君はそれを発表してはならん。君は新聞に約束した。明日(みょうにち)発表することになっている。」
「その通りです。」
 ルパンは立ち上り拳を振(ふる)って空を切りながら呶鳴った。
「そいつは発表ならん!」
「発表させます!。」とボートルレは突然立ち上った。
 とうとう二人は対立した。ボートルレは急に偉大な力が彼の全身に燃えたかのようであった。ルパンの眼は猛虎のそれのように鋭く閃(ひら)めいていた。
「黙れ、馬鹿!」とルパンは吼えた。「俺を誰だと思っているんだ。俺は俺の思った通りにするんだ。貴様は新聞の約束を取り消せ!」
「嫌だ!」
「貴様は別のことを書け、世間で思っている通りのことを書いてそれを発表しろ!」
「嫌だ!」
 ルパンの顔は怒りのために物凄く、顔色は真蒼になった。彼は今まで自分のいうことを断られたことはなかった。彼は始めてこの年若な一少年の頑固な抵抗(さからい)に出会って気狂(きちが)いのように怒った。彼はボートルレの肩を掴んで、
「やい、貴様は何でも俺のいう通りにするんだ。やい、ボートルレ!貴様はあの僧院の土窖の中で発見された死体はアルセーヌ・ルパンに相違ないと書くんだ。俺は、俺が死んでしまったものと世間の奴らに思わせなければならないんだ。貴様は今俺がいった通りにしろ!もし貴様がそうしないな……ら」
「僕がそうしないなら?」
「貴様の親父は、ガニマールやショルムスがやられたと同じように、今夜誘拐されるぞ!」
 ボートルレは微笑した。
「笑うな!……返事をしろ!」
「僕は、あなたの思うようにならないのは気の毒とは思うんですが、僕は約束したんだから話します。」
「今俺がいった通りに話せ!」
「僕は本当のことをそのまま話します。」とボートルレは悪びれもせずに叫んだ。「あなたにはこの本当のことをいう誰はばからずそのままのことを高い声でいう、この喜びこの心持(こころもち)よさは分らないでしょう。僕は僕の頭の中で考えた通りのことをいうだけです。新聞は僕の書いた通りに発表発表されるんです。そうすれば世間ではルパンが生きていることも知ります。ルパンがなぜ死んだと思わせなければならないかも分ります。」彼は落ちつき払って、「そして僕のお父さんは誘拐なんぞされません!」
 二人はお互に鋭い眼光で睨み合って、物もいわず油断なく構えて、今にも血腥(ちなまぐさ)き[#「血腥き」は底本では「血醒き」]ことが起りそうに見えた。ああこの恐るべき闘争に勝つ者は誰ぞ。

            悲痛の打撃

 ルパンはやがて呟いた。
「今夜、午前三時、俺の中止命令がなければ俺の部下二名が、貴様の親父の室へ入り、言葉で欺(だま)すか、力ずくでやるか、どちらにしても親父をさらって連れ出し、ガニマールやショルムスがいる所へ送り込むことになっているんだ。」
と、言葉も終らぬうちにボートルレは高々と笑い出した。
「はははは大盗賊のくせに、僕がそんな用心はもう遠(とお)にしているということぐらい分らんかなあ、ははは、僕はそんな馬鹿じゃありませんよ。はははは」
 少年は両手をポケットへつっ込んで室の中をあちこち歩きながら、鎖につながれた猛獣にからかっているいたずらっ子のように気楽に力んでいる。彼はなお静かにつづける。「ねルパン君、君は君のやることなら間違いはないと思っているんですね。何という己惚(うぬぼ)れでしょう、君がいろんなことを考えるように、他の者だってやはり考えをめぐらしているんですよ。」
 少年は今こそ巨盗のあらゆる憎むべき行(おこない)に対して、痛烈に[#「痛烈に」は底本では「通烈に」]復讐の言葉を浴びせている。彼はなお、
「ルパン君、僕のお父さんは、あんな寂しいサボア県なんかにはいやしないんだよ。聞かせてあげようか、お父さんは、二十人ばかりの友人に守られて、シェルブールの兵器庫の役人の家にいるんです。夜になると堅く門を閉め、昼間だってちゃんと許しを受けないと入ることの出来ない兵器庫の中ですよ。」
 少年はルパンの面前で立ち止り、子供同志がべっかんこをする時のように、顔を歪めて嘲(あざけ)った。
「え、どうです先生!」
 しばらくの間ルパンは身動きもせずに立っていた。彼は何を考えているのであろう。今にも少年に飛び掛るのではないかとさえ思われた。
「え、どうです、先生?」とまた少年は嘲笑った。
 ルパンは卓上にあった電報をとり上げて少年の眼の前に差しつけながら、凄い落ちつきを見せていった。
「ごらん、赤ちゃん、これをお読み!」
 ボートルレは、ルパンのその態度にたちまち真面目になって電報を開いたが、顔を上げて不思議そうに、
「何のことだろう?僕には分らない……」
「電報を打った所の名をよくごらん、そらシェルブールとあるだろう。これでもすぐ分ることじゃないか。」
「え!、なるほど、分る……シェルブールだ、それから?」
「ニモツニツキソッテイク、メイレイマツツゴウヨロシ、もう分ったろう。馬鹿だなあ、ニモツとは君のお父さんのことだ、まさかボートルレ氏父とも書けないじゃないか。二十人の護衛者がついていても、俺の部下の方ではツゴウヨロシといって俺の命令を待っている。え、どうだい、赤ちゃん?」
 ボートルレは一生懸命我慢しようとつとめた。しかしその唇はみるみる慄えてきて、両手で顔を覆ったと見る間に、大粒の涙をはらはらと流して泣き出した。
「ああ!お父様……お父様」
 思い掛けないこの場面、この可憐な、無邪気な、胸から湧き出るような泣き声にルパンは少からず面喰った。彼は一度帽子をとってその部屋から出ようとしたが、また思い返して一足一足少年の方へ帰ってきた。そして身を屈めて静かな声でいい始めた。その声の中にはもう悔(あなど)りの調子も、勝ち誇った調子もなかった。優しい同情のある声であった。
「もう泣くな君、こんな闘争の中に飛び込んでくれば、このくらいのことは覚悟していなければならない。前にもいうた通り我々は敵(かたき)同士ではないのだ。俺は初めから君が好きであった。だから俺は君を苦(くるし)めたくないけれども、君が俺に敵対する以上はやはり仕方がない。ね君、どうだい、俺に敵対するのは止めないか。君は俺に勝てると思っているかもしれない。決して君を馬鹿にするのではないが、しかし君は俺というものを知らないのだ。俺にはどんなことでも、やれないことのないほどの資本(もとで)がある。それは誰も知らないことなのだ。たとえばあの紙切の空の針の秘密(エイギュイユ・クリューズ)、君が一生懸命に探ろうとしているあの秘密の中には、大きな大きな宝があるかもしれない。また人の眼に見えない驚くような隠れ家があるかもしれない。俺の力というものは、そんな大秘密の中から引き出してくるのだ。ね、だから君はどうか俺と争うことを止めてくれ、……そうでないと俺は心にもなく君を苦しめなければならない。ね、どうか止めてくれ。」

            悲劇の真相

 ボートルレはやがて顔を上げた。少年は何事か考えているようであったが、
「もし僕があなたのいうようにするなら、お父様を赦してくれますか。」
「それはいうまでもなく赦す、部下は君のお父さんをある田舎の町へ自動車で連れていくことになっているが、もし新聞に出ていることが僕のいう通りになっていたら、俺はすぐ部下に電報を打って、君のお父さんを赦すように命ずる。」
「では僕はあなたのいう通りにいたしましょう。」とボートルレはいった。
 こうして少年は巨賊(きょぞく)ルパンに負かされてしまった。ボートルレはつと立ち上って、帽子を握りルパンにおじぎをして室を出ていった。
 翌朝の新聞にいよいよ怪事件の真相は堂々と発表された。少年はルパンの言葉通り、ルパンは死んだものとして発表したのであろうか?、否、新聞には次のような意外な[#「意外な」は底本では「以外な」]新事実が発表された。順々に書いてみよう。
 一番初めに、ルパンは銃で撃たれて倒れた時、ルパンは自分が僧院の中で仕事をしている頃見つけておいた例の隠れ穴の土窖の中までどうにかして逃げようとしたのだった。がその時足音がしてレイモンド嬢が現われた。ルパンはもう仕方がないとあきらめたが、彼は早口にドバルを殺したのは伯爵で、自分ではないことをレイモンド嬢にうったえた。レイモンド嬢は同情深い人だったので、初めドバルの仇討(あだうち)をしようと思って銃を撃ったのがドバルの殺害者ではないと分ると、その倒れている男が可哀想になった、すぐルパンの傷口にハンカチを割いて繃帯をしてやり、ルパンの持っていた僧院の鍵で、僧院の扉を開け、ルパンを中へ入れてやって、そして知らない風をして下男たちと他を探し廻っているうちに、ルパンは隠れ穴の土窖の中へ隠れてしまった。それであとになってから僧院の中を探した時には、もうルパンの姿は見つからなかった。
 レイモンド嬢は自分の隠してやった賊を、そのまま放っておいたら飢死(うえじに)をしてしまうだろうということが心配になった。そして彼女はどうにも仕方がなく、それから毎日食事や薬を僧院の隠れ穴へ運んでやるようになったのである。
 思い掛けなく賊の味方をするようになったレイモンド嬢は、判事の取調べの時にも偽(いつわり)をいってしまった。二人の令嬢が犯人の人相のことで、違ったことをいったのがこれで分る。ルパンの傷が重いから手術をしなければならないと、仲間の者に知らせてやったのもレイモンド嬢であった。例の皮帽子をとり替えてやったのもレイモンド嬢である。ボートルレをわざと怪しく思わせるために、その前の日にボートルレを小門の前で見たといったのも、やはりレイモンド嬢の考えた偽であった。しかしこの偽のために、ボートルレはレイモンド嬢を怪しいと思い初めるようになったのだった。
 こうして四十日も掛って、レイモンド嬢はルパンを全快させた。ルパンが死んだら、レイモンド嬢に仇討をするという脅迫の紙切は、やはりレイモンド嬢が考えて書かせたものであった。
 ジェーブル伯邸で起った事件の不思議な一つ、傷ついたルパンがどうしても発見されなかったわけがこれで分った。ルパンはやはり僧院の中にあって、レイモンド嬢の親切な看病を受けて全快したのである。
 それでは何故(なにゆえ)にレイモンド嬢を誘拐したのであろうか? 四十日の間レイモンド嬢の優しい看病を受けたルパンは、レイモンド嬢と結婚したいという望みを持つようになった。しかしレイモンド嬢は、ルパンの傷が治っていくごとに、土窖の中へ訪ねてくるのが少なくなった。ルパンの傷がすっかり[#「すっかり」は底本では「すっから」]治ってしまったら、もうレイモンド嬢に逢うことは出来なくなるであろう。
 それでとうとうルパンは土窖の中を出ると、種々(いろいろ)の仕度をととのえて、レイモンド嬢を誘拐してしまったのであった。
 しかし誘拐しただけではレイモンド嬢を探し出そうとするに違いないと思ったルパンは、レイモンド嬢は死んでしまったように思わせなければならない。
 また一方ルパンも死んでしまったように思わせるために、僧院の土窖の中へ死体をおいた。そしてその死体はちょうど大石が落ち込む下のところにおき、その頭は大石の下になって人相が分らないようにくだけてしまうような仕掛けになっていた。それと同時に海岸にはレイモンド嬢の死体が打ち上げられた。その死体も同じように人相は見分けられないほど腐っていた。ただ腕輪がレイモンド嬢のであったから、レイモンド嬢の死体だろうと思われたのであった。
 この二つの事件からボートルレは考えついたことがあった。それはちょうどその四五日前に、ある宿屋に泊っていた若い夫婦が毒を飲んで死んだことが新聞に出ていた。そしてその二人の死体は、親類の者だという者が出てきて引き取っていったのであった。いつかボートルレが自転車を飛ばしてある村の役場を調べに行ったことがあった。その時に、ボートルレはこれらのことを調べてきたのであった。そしてこの死んだ夫婦の親類というのは、ルパン一味の者に違いないということを、ボートルレはたしかめたのであった。
 こうしてルパンとレイモンド嬢の身替りをつくって、すべての世間を欺いた。
 しかしガニマールとショルムスとボートルレの三人は欺くことが出来ない。でとうとうルパンはガニマールとショルムスを誘拐し、ボートルレに傷を負わせたのである。
 しかしただ一つ分らないことがある。あの不思議な暗号の紙切、エイギュイユ・クリューズ(空の針)の秘密が隠されているあの紙切を、烈しい勢でボートルレの手から奪っていったのは何故(なにゆえ)であろうか? ボートルレの頭の中にはもうあの暗号はすっかり覚え込まれている。それともあの紙切に記してある暗号よりも、あの紙切が大切なのであろうか。
 紙切のことはしばらくそのままにしておいて、ジェーブル伯邸に起った事件の真相はついに発表せられた。ルパンに脅迫されながらもボートルレはとうとう黙っていることが出来なかった。発表された真相は余りに思い掛けないことであった。人々は今更のように驚いた。
 この真相発表のあった日の夕方の新聞に、ボートルレのお父さんが誘拐せられたという記事が出た。
 これにはさすがのボートルレもぼんやりとして、しばらくはどうすればいいのか分らなかった。負けず嫌いのボートルレ少年はとうとうルパンの言葉に従わなかったのだ。しかしあの厳しい兵器庫の中にたくさんの人に守られている父親を、いかにルパンだって誘拐することは出来まいと思っていたのだった。少年の父親は、決して一人では外へ出さないようにし、またよそから来る手紙なども他の人が見てからでないと渡さないことにしてあった。
 その厳しい警戒の中を、どうして誘拐していったのであろうか。ルパンの恐ろしい力にはどうしても勝てないのであろうか。
 やがて少年は、どうしても父親を探し出そうと決心した。少年は兵器庫のあるシェルブールへ向う汽車に乗った。

            不思議な一枚の写真

 シェルブールの停車場には、父を預けておいた兵器庫の役人のフロベルヴァルが、十二三歳になる娘のシャルロットを連れて少年を迎(むか)いに出ていた。
「どうしたんです。」とボートルレはいきなり叫んだ。
「どうも私たちにも分らないんです。」とフロベルヴァルは溜息をつくばかりであった。
 少年は二人を近くのコーヒー店にさそって、あれこれと尋ねた。
 その話によると一昨日は少年の父親は一日部屋にいたというのである。娘のシャルロットが夜の御飯を持っていってやったのだった。それだのに翌(あく)る朝の七時にはもうその姿が見えなくなっていた。寝床も室の中もきちんとなったままであった。
「机の上にはいつも読んでいらしった本がおいてあって、本の中にはあなたの写真がはさんでありました。」とフロベルヴァルがいった。
「どれお見せ下さい。」
 フロベルヴァルから渡された写真を一目見たボートルレは、はっと驚きの色を浮べた。それはなるほど自分の写真には違いない。ジェーブル伯邸の僧院の側(そば)に立っている自分の写真である。しかし少年は僧院の前などで写真を写した覚えはない。
「分りました。」と少年は叫んだ。「この写真は私の知らないものです。きっと判事の書記が私の知らない時に写しておいたのでしょう。そしてこの写真でうまうまと父親をおびき出したのです。父は写真を見てきっと私が外に来ているものと思ったのでしょう。」
「しかし誰が、誰が私の家の中へ入ってきたのでしょう?」
「それは分りませんね、だが父がこの写真で騙されたのはきっと本当です。港へ大急ぎで行って、誰かに尋ねて調べてごらんなさい。」
 フロベルヴァルは全く驚き入ったというような目つきでボートルレの顔を見ていたが、帽子を握って、
「シャルロット、お前も一緒に港まで行くかい?」
「いや。」ボートルレはそれをさえぎって、「僕はお嬢さんに種々(いろいろ)話し相手になってもらいたいことがありますから。」

            少女の罪

 フロベルヴァルは出ていった。ボートルレと少女とは室の中に二人きりになった。少年と少女は眼を見合わした。ボートルレは優しく少女の手をとった。少女はしばらく黙ってそれを見ていたが、急に両腕の間に顔をうずめて泣き出した。ボートルレは言葉静かに、
「ね、みんなあなたがしたのでしょう、よその知らない男が、あなたにこの写真を持っていってくれって頼んだんでしょう、そしてその男はリボンでも買えってお金をくれたんでしょう、ね、あなたは写真を父のところへ持っていってやり、外出の仕度もしてやったんでしょう。」
 少年は静かに少女の手を開かせてその顔を上げさせた。あわれな少女の顔は涙に濡れて、不安と後悔の色が流れていた。
「さあさあすぎたことは仕方がありません。僕は決して怒りはしません。その代り男たちがどんなことを話していたか、知っているだけ話して下さい、僕のお父様を何で連れていって?」
「自動車よ……」
「何かいっていましたか?」
「何だか、町の名をいっていたのよ。」
「どんな名前?」
「シャート……何とかいってよ。」
「シャートブリアン?」
「いいえ……」
「シャートールー?」
「そそ、そうよ、シャートールーよ。」
 ボートルレはそれを聞くと、フロベルヴァルの帰りも待たず、驚いて眺めている少女にも構わずに、そのコーヒー店を飛び出して、停車場へ駆けつけ、ちょうど発車し掛けていた汽車に飛び乗った。
 ボートルレは一度パリで降りて、友達の家へ入り、そこで上手に変装した。見たところ三十歳くらいの英国人、服は褐色の弁慶縞、半ズボンをはき、鳥打帽子(とりうちぼうし)をかぶり、顔を上手に染め、赤い髯を鼻の下につけていた。
 シャートールーへ着いて調べてみると、二つばかり証拠があがった。パリへ電話を掛けた男があること、一台の自動車がシャートールー村へ入ってきて、森の近くで止まったことなど。
 ボートルレは種々(いろいろ)考えた。そして父親はきっとこの附近にいるに違いないと思った。

            父の手紙

 少年は猛烈に活動し出した。地図を頼ってそのあたりを歩き廻ったり、百姓家へ入って種々(いろいろ)と話してみたり、お神さんたちとしゃべってみたりした。少年は一日も早く父を探し出さなければならない。父だけではない、ルパンのために誘拐されたみんなの人、レイモンド嬢もいるし、ガニマールもいる。またエルロック・ショルムスもいるかもしれない。
 しかし少年は二週間ばかり一生懸命に探し廻ったが、その後何も分らない。少年はもう駄目なのかしらと思って心配し出した。父はもっと遠い所へ行ってしまったのではないだろうか、少年はもう帰ろうかとさえ[#「かとさえ」は底本では「とかさえ」]思った。
 するとある朝、パリから、切手の張ってない手紙が廻されてきた。その封筒の字を見て、あっと驚きの声を上げた。もしや敵の策略ではあるまいか、開いてみてがっかりするのではあるまいか?
 思い切って、さっと封を開いてみると、嬉しや間違いもなくそれは父の書いたものであった。その手紙には、
「この手紙がお前の手に入るかどうか分らないとは思うが、とにかく書きます。私は誘拐せられたその日の夜中に自動車で連れられてきました。しかし目隠しをされているのでどこやらさっぱり分らない。私の今いるのは[#「いるのは」は底本では「いのるは」]あるお城です。室は二階にあって、窓が二つあります。一つの窓は蔓草に覆われています。
 思い掛けなくこの手紙を書くことが出来ました。いい折があったら、この手紙を小石に結びつけて城の外へ投げようと思っています。通り掛りの百姓などが拾ってくれて、パリへ送ってくれるかもしれないと思っているのです。
 しかし私のことは心配は入りません。毎日庭の中を散歩する時間もあります。とりあつかいもたいへん叮嚀(ていねい)です。ただ私のことでお前に心配を掛けるのをすまないと思っています。父より。」 ボートルレは急いで封筒の消印を調べてみた。それには「アントル県、クジオン局」としてあった。
 アントル県?この県こそ少年が汗水たらして尋ね廻ったところではないか!
 少年は早速今度は労働者に姿を変えて、クジオン村へ出掛けていった。そして村長を訪ねてありのままを話して何か手懸りはないかと尋ねてみた。人の好さそうな村長は急に思い出したように大声で、「ああ、そういえば心当りがありますよ。この村にシャレル爺さんという研屋(とぎや)を商売にして村中を廻って歩く爺さんがありますがね、この前の土曜日でした。村はずれでそのシャレル爺さんに逢ったんですよ。すると、シャレル爺さんが私を呼び止めてね、村長さん、切手の張ってない手紙でも宛名のところへ届きますかって聞くんでしょう、そりゃ不足税をとられるが、届くことは届くよっていって聞かせたんですがね。」
 ボートルレは大喜びで早速そのシャレル爺さんの家へ、村長に連れていってもらった。
 その家は高い樹に囲まれた寂しい中にぽつんと一軒だけある茅屋(かやや)であった。番犬を繋いである犬小屋があったが、二人が近づいても犬は吠えもしなければ、身動きもしない、ボートルレが走り寄ってみると、犬は四肢を突張(つっぱ)って死んでいた。
 二人は急いで家の中へ入った。すっぽりと服を着込んだ老人が横たわっている。
「シャレル爺や!……やっぱり死んでいる!」と村長は叫んだ[#「叫んだ」は底本では「叫だん」]。
 しかしシャレル爺さんはまだいくらか息が通っていた。二人は医者を呼んできて一生懸命に看病した。何か強い眠り薬を飲まされているのであった。その日の真夜中頃からやっと少しずつ息が強くなって、翌朝はいよいよ起きて平常のように飲んだり食ったり動き廻った。しかし身体は動いても、頭の中はまだ眠りから覚めないと見えて、少年が何を尋ねても返事をしなかった。
 その翌日、爺さんはふとボートルレを見てこんなことをいい出した。
「あなたは全体何をしてござるのかね、え、もし?」
 爺さんは初めて、自分の傍に知らない少年がいるのに気づいて驚いたのであった。

            秘密の古城

 こうして爺さんの頭は少しずつものが分るようになった。しかしボートルレ少年が、ああして眠ってしまったすぐ前のことを種々(いろいろ)と尋ねてみるが、何を聞いてもその時だけは爺さんはけろりとしている。実際爺さんは今度の長い眠りの時間をちょうど境にして、その前のことはすっかり忘れてしまっているらしい。
 ボートルレ少年にはこんな不幸なことはない。事件はすぐ手近に現われようとしている。この爺さんの手があの父の手紙を拾い、この爺さんの両眼がその城を見たのに違いないのに……
 ボートルレ少年の父親が手紙を城の外に投げたことを知り、早速そのたった一つの証人であるこの爺さんの口を閉じさせて[#「させて」は底本では「さてせ」]しまったこれは、あのルパンでなくては出来ない離れ業である。
 しかしボートルレ少年は堅く決心して、毎日シャレル爺さんを訪れた。しかしまたルパン一味の者に見つけられては何にもならないので用心に用心をした。
 ある日ボートルレは途中でシャレル爺さんに逢った。少年は爺さんの跡をつけた。すると少年はまもなく、爺さんをつけているのは自分だけでないのに気づいた。一人の怪しい男が少年と爺さんとの間に現われて、爺さんが休めば自分も休み、爺さんが動き出せばまた同じように動き出す。
「ははあ、爺さんが城を覚えていて、城の前で立ち止まるかどうか調べているんだな。」とボートルレは考えた。
 一時間の後、シャレル爺さんは一つの橋を渡った。すると怪しい男は橋を渡らずに、しばらく爺さんを見送っていたが、そのまま他の小道へ歩き出した。ボートルレはしばらく考えていたがすぐ決心して、その男の後をつけることにした。
 少年の胸はおどった。父の隠されているその城へ近づいているかもしれない。
 怪しい男はこんもりと繁っている森の中へ入ってしまったが、やがてまた森を出て明るい道へ姿を現わした。
 ボートルレ少年が森の中を通ってふと前の道へ出ると驚いた。男の影も形もなくなっている。きょろきょろあたりを見まわした少年は、たちまちあ!と叫んで元の森の中へ飛んで帰って身を隠した。見よ!少年の右手の方に大きな塀で囲まれた、巨大な古城が聳え立っているではないか。
 これだ!これだ!父が閉じ込められている城はこれだ!ルパンがその誘拐した人を閉じ込めている牢屋はとうとう見つけ出された。
 少年は自分の身体を見られないように用心しながらその城を見ていた。そしてその日はそれで止めた。よく落ちついて考えてから仕事に掛らなければならない。
 少年は戻り掛けた。途中で二人の田舎娘に逢ったので早速尋ねてみた。
「あの、森の向(むこ)うにある古いお城は何という城ですか?」
「あれはね、エイギュイユ城っていうのよ。」
 少年はその答えを聞いてはっと驚いた。
「え!エイギュイユ城ですって……ここは何県ですか?アントル県ですね、たしか?」
「いいえ、アントル県は川の向う岸よ。ここはクリューズ県ですよ。」
 ボートルレは全く驚いてしまった。エイギュイユ城!クリューズ県!エイギュイユ・クリューズ!古い紙片(かみきれ)の暗号はこれ!ああ今度こそきっと少年の勝利に違いない!

            古城の主

 ボートルレはすぐに決心した。今度は一人でやろう、警察に知らせるとかえって騒がしくなるばかりで、ルパンにすぐ感づかれる恐れがある。
 ボートルレは役場へ行ってエイギュイユ城の持ち主を調べた。持ち主はバルメラ男爵という人で、今はその男爵はエイギュイユ城には住んでいない、ということが分った。
 少年はすぐその足でパリへバルメラ男爵を訪ねた。そしてすっかり自分の考えやら、父が閉じ込められているらしいことなどを話した。バルメラ男爵の話によると、その城はバルメラ男爵がまたアンフレジーという人に貸しているものだということであった。そのアンフレジーという人は、眼つきが鋭く、髪の毛は茶褐色で、髯はカラーの辺まで垂れてそれが二つに別れている。ちょっと英国の僧侶というような風采だということだった。
「彼奴(きゃつ)です。」とボートルレはいった。
「アルセーヌ・ルパンに違いありません。」
 バルメラ男爵はその話をたいへん面白がって聞いていた。バルメラ男爵も新聞で見て、ルパンとボートルレとの闘いは知っていた。
 ボートルレはその決心を男爵に打ち明けた。夜中(やちゅう)に一人でその壁を乗り越えて、少年は父を救い出す決心なのである。バルメラ男爵はいった。
「あなたはそう何でもないようにいいますが、あの壁はそうたやすく乗り越せるものではなく、よしや壁を越えたとしても、城の中へはどうして[#「どうして」は底本では「どうへして」]入ります?それに城の中だって八十も室(へや)があって、とても分るものではありませんよ。」
「じゃ、どうぞ僕と一緒に来て下さい。」とボートルレはいった。
 初めは断っていたバルメラ男爵も、とうとうボートルレ少年と一緒にその城に忍び込むことになった。男爵はその翌日真赤(まっか)に錆びた鍵を持ってきてボートルレに見せた。
「これは叢(くさむら)の中にうずもれている小さな潜戸(くぐりど)を開ける鍵です。」
 ボートルレはあわてて口を挟(さしはさ)んだ。「ああ、いつか僕がつけた男が消えたのは、その叢の中の潜戸ですね、よし、勝利は私たちのものです、お互に力を協(あ)わせてやりましょう。」

            夜陰の城へ

 二人は種々(いろいろ)と考えをめぐらし、支度を整えた。バルメラ男爵は馬方に、ボートルレは椅子直しに変装した。二人の他にボートルレの学校の友達が二人、その二人も同じように椅子直しに身を変えた。そして四人はいよいよ城のあるクロザンへ入り込んだ。
 みんなは三日間その村にいて古城のまわりを密かに調べながら、月のない暗い夜を待った。
 四日目の夜、空は真黒(まっくろ)な雲に覆われた。バルメラ男爵はいよいよ今夜忍び込むことに決めた。
 四人は忍びながら林の中を通りすぎて例の叢の小門(しょうもん)に近づいた。ボートルレは鍵を挿し込んで静かに□した。戸は幸に音もなく開いた。二人の友達を外に見張りさせて、ボートルレとバルメラ男爵は庭の中へ入り込んだ。その時空の雲が途切れて月の光が芝生の上に流れた。二人はその蒼い月の光で古城をあおぎ見ることが出来た。それはたくさんの針のように尖った屋根が、真中に聳え立っている櫓を囲んで厳(いか)めしく見えた。エイギュイユ(針)というこの城の名は、きっとこうした形からついたものであろう。窓という窓は灯影もなく、しーんと静まりかえっている[#「かえっている」は底本「かえている」]。
「左手の川に向った窓が少し壊れているはずです。外からでも開けられると思います。」とバルメラ男爵がいった。
 二人がそこへ着いて窓を開けると、バルメラ男爵のいった通り、その戸は何でもなく開いた。二人は露台を乗り越えて城の中へ入ることが出来た。
 二人は手を繋ぎ合って廊下を探り探り伝わって、側にいるお互の足音さえも聞えないほどに気を付けて進んだ。大広間の方へ進んでいく時、向うの方にかすかな灯りが点いているのが見えた。バルメラ男爵は恐る恐る窺ってみると、一人の番人が立って銃を負(しょ)っている。
 夜番の男は二人を見たのであろうか、きっと見たに違いない、何か怪しいと思ったから銃をかついだのに違いない。
 ボートルレは植木鉢の蔭に身を屈めて隠れたが胸が、どきどきとはげしく波打っている。夜番の男は何も物音がしないので銃を下においた。しかしなおも怪しんでこちらの方に頭を差し出している。ボートルレの額から冷汗(ひやあせ)がぽたりぽたりと落ちると、番人はランプを持ってこちらへ近づいてくるらしく、光が自分の方に動いてくる。
 ボートルレはバルメラ男爵に縋ろうとしてふと見ると、驚いたことにはバルメラ男爵は、闇黒(くらがり)を忍び忍び先へ進んでいる。しかも番人の男のすぐ近くまで進んでいっている。
 ふいにバルメラ男爵の姿が消えたと思うと、突然一個の黒い影が夜番の男の上におどり掛った。ランプが消えた。格闘の音がする。二つの黒い影が床の上に転がった。ボートルレがはっと跳ね上って近よろうとすると、一声の唸(うめ)き声が起った。一人の男が立ち上って少年の腕を握った。
「早く……行こう。」
 それはバルメラ男爵であった。

            開かれた城の門

 二人は二つの階子(はしご)をのぼった。「[#「「」は底本では欠落]右へ……左側の四番目の部屋。」とバルメラ男爵が囁く。
 二人はすぐにその部屋を見つけた。少年の望みは今遂げられた。父はこの扉一枚の中に閉じ込められているのだ。ボートルレはしばらく掛ってその鍵を破り、室屋(へや)の中へ入った。少年は手探りで父の寝台へ進んだ。父は安らかに眠っている。少年は静かに父を呼んだ。
「お父様……、お父……僕です、ボートルレです。早く起きて下さい、静かに静かに……」
 父は急いで着物を着て、部屋を出ようとする時、低い声で囁いた。
「この城の中に閉じ込められているのは私ばかりではない……」
「ああ、誰?ガニマール?ショルムス?」
「いいえ、そんな人は見たことがない。若い令嬢だ、」
「ああ、レイモンド嬢です、きっと。どの部屋にいらっしゃるか知っていますか。」
「この廊下の右側の三番目。」
「青い部屋です。」とバルメラ男爵がいった。
 すぐに扉を破り、レイモンド嬢は救い出された。
 みんなは元の小門へ出て、学生たちの張番(はりばん)しているのと一緒になり、無事に古城から逃れ出ることが出来た。
 ボートルレは宿へ着くと、種々(いろいろ)とルパンのことを父や令嬢に尋ねた。その話によると、ルパンは三四日目ごとに来て、父と令嬢の部屋を必ず訪ねた。その時のルパンは優しく叮嚀であった。ボートルレとバルメラ男爵が城へ忍び込んだ時には、ちょうどルパンはいなかった[#「いなかった」は底本では「いかなった」]。
 ボートルレは早速警察へ古城のことを報告した。警察からはたくさんの警官が古城へ向った。ボートルレとバルメラ男爵はその案内役になった。
 遅かった!正門は真一文字に開かれて、城の中に残っているものはいくつかの台所道具ぐらいであった。
 ああ、ボートルレ少年はとうとう勝った。レイモンド嬢は救い出され、ボートルレの父もまた救い出された。しかもエイギュイユ(針)の秘密は明らかになった。
 一少年はとうとうルパンに勝った。巨人ルパンもボートルレ少年には兜をぬがなければならなかった。ボートルレは父とレイモンド嬢を連れて、ジェーブル伯とシュザンヌ嬢とがいる別荘へ出掛けた。二三日経つとバルメラ男爵が母を連れて遊びに来た。こうして心から親しみ合っている人々が、平和な日をその別荘に送った。

            戦勝の祝

 十月の初めにボートルレはまた学校へ帰って勉強を始めた。
 こうしてもう何事もなくこのまま静かにすごされるであろうか?ルパンとの闘いはもうこれでお終いになったのであろうか?
 ルパンはもうあきらめてしまったものか、自分が誘拐した二人の探偵、ガニマールとショルムスをまた送り返してきた。それはある朝であった。二人の名探偵は手足を縛られて眠り薬を飲まされ、警察の前に捨てられてあった。それを通り掛りの紙屑拾いに拾われたのであった。八週間ばかりの間二人は全く眠ったままであった。やっと考えがはっきりしてから、その話すところによれば、
 二人は汽船に乗せられて、アフリカ近くを見物して歩いたそうだ。しかし二人は捨てられた時のことは何にも知らなかった。
 それからまたまもなく、ルパンの負けたことがもっとはっきりする事件が起った。それはバルメラ男爵とレイモンド嬢とが結婚することになったことである。世間の人たちは、ルパンがきっと黙ってはいないであろうと思って心配した。果して怪しい男が二度三度別荘のまわりをうろついていた。ある夕方、バルメラ男爵は一人の酔っぱらいに突き当られて、あ!と思う間にどんと一発のピストルで撃たれた。幸(さいわい)なことに弾丸(たま)はバルメラ男爵の帽子に穴をあけただけであった[#「であった」は底本では「あでった」]。そしてとうとうバルメラ男爵とレイモンド嬢は無事に結婚式を挙げた。ルパンが結婚したいと望んでいたレイモンド嬢は、バルメラ男爵夫人となった。
 もはや、何から何までルパンの負けとなった。それだけにまた一方ボートルレ少年の勝利は大変なものである。
 ある日ボートルレ少年の勝利の祝が開かれた。我も我もとその祝の会に集まったものは三百人以上であった。十七歳の少年は今日は凱旋将軍であった。ボートルレの得意と喜(よろこび)はどんなであったろう。
 しかし少英雄ボートルレは、やはり平常の無邪気なボートルレであった。少年は決して自分の勝利を自慢するような風をしなかった。しかし人々の少年を褒める言葉は大変なものであった。ジェーブル伯爵や、ボートルレのお父さんや、またバルメラ男爵なども、少年のこの祝の会に来ていて共に喜んでいた。
 ところが、突然にこの少年の勝利が破られてしまうようなことが起った。会場の片隅がにわかに騒がしくなって、一枚の新聞を振り廻している。新聞は人々の手から手に渡って、それを読む人は、みな驚きの声を上げている。
「読みたまえ!読みたまえ!」と向う側で叫ぶ。
 ボートルレ少年の父がその新聞を受けとって少年に渡した。
 少年は、人々をこんなに驚かせることは何であろうと思い、新聞を声高く読み始めた。しかしその声はだんだんと読んでいくうちに怪しく[#「怪しく」は底本では「怪くし」]乱れて慄えてきた。そのはずであった。少年が苦心した結果、エイギュイユ城が発見されて、紙片(かみきれ)の謎は解けたと思っていたのに、エイギュイユの秘密は、少年の考とはまるっきり違い、少年の勝利は間違ったものとなったのである。巨人ルパンはやはり少年に負けたのではなかった。ルパンはどこかで少年を嘲笑っていることであろう。
 その新聞の記事は、マッシバンという文学博士が書いたものである。博士は歴史の書物を読んでいるうちに、思い掛けなく「エイギュイユ・クリューズ」の秘密は大昔に起ったものであることを発見したのであった。
 それは仏蘭西(フランス)国王ルイ十四世の時であった。(今から二百四十年ばかり前)ある日名も知らぬ立派な青年が宮殿へ来て、重だった大臣たちに一冊ずつ小さな本を渡し始めた。その本の題は「エイギュイユ・クリューズの秘密」としてあった。ようやく四冊だけ配り終った時、一人の大尉が来てその青年を国王の前に連れていき、すぐさま、先ほど配られた四冊の本はとりあげられ、残りの百冊ばかりの本も全部とりおさえられた。そして厳重にその数を調べて、国王だけがその一冊を残しておおきになり、他はみんな国王の眼の前で火の中にくべられてしまった。そして本を配った青年は、鉄の面を被(き)せられて、一生寂しい島の牢屋に閉じ込められた。
 その青年を国王の目の前に連れてきた大尉は、その本が焼かれる時、ふと国王が傍見(わきみ)せられた隙に、手早く火の中から一冊を抜きとって懐中(ふところ)へ隠した。しかしその大尉もまもなく町の真中に死骸となって横たわった。その時大尉の服のポケットの中に、立派な珍しいダイヤモンドが入っていた。
 エイギュイユ・クリューズの秘密は仏蘭西(フランス)国家に伝わる一大秘密なのであった。代々国王がお亡くなりになった時にはきっと「仏蘭西(フランス)国王に与える」という封をした一冊の本が枕元においてあった。この秘密こそ仏王(ふつおう)に伝わる巨万の宝物(ほうもつ)の隠してある場所を教えてあるものなのであった。
 その後百年ばかりすぎて、大革命の時獄屋(ごくや)に閉じ込められた仏王ルイ十六世は、ある日密かにその番人の士官に頼まれた。
「士官よ、……私がもし亡くなったならば、どうぞこの紙片(かみきれ)を我が女王に渡してくれよ。エイギュイユの秘密であるといえば、女王はすぐに分るであろう。」
 そして一冊の本の暗号を写した一枚の紙片(かみきれ)を四つ折りにして封をし、それをその士官に渡された。そしてその一冊の本は焼き捨ててしまわれた。
 その士官は、ルイ十六世が断頭台にのぼせられてお亡くなりになった後、その紙片(かみきれ)を女王マリー・アントワネットにお渡(わたし)した。しかしその時はもはやその巨万の宝物(ほうもつ)は何にもならなかった。女王は「遅かった。」とかすかに呟かれた。そしてその紙片(かみきれ)を読んでいられた聖書の表書(ひょうし)と覆いの間に隠された。そして女王もまもなくまた断頭台の上で亡くなられた。
 その後になって、クリューズ河のほとりで針のように尖った屋根のある城が発見せられた。それはエイギュイユ城という名であった。そしてその城はあの百冊の本を焼かれたルイ十四世が命令して築かれたものであった。このことをよく考え合せてみると、ルイ十四世は国家の大秘密が知れ渡ることを気づかわれて、エイギュイユという城をつくって、エイギュイユ・クリューズ[#「クリューズ」は底本では「クリーュズ」]の秘密はこの城であるかのように見せかけようと思われたのであった。王のこの策略は見事に当った。
 そして二百年以上経った今、ボートルレ少年はその策略に掛ったのである。
 なおまた博士はいっている。
次ページ
ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:122 KB

担当:undef