奇巌城
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著者名:ルブランモーリス 

「いいえ、違いますわ、あの音は。」
「違っても構わないよ。」とルパンは笑った。そして給仕に向って、「おい、お客様のいらしったあとの扉は、ちゃんと閉めておいたろうね。」
「はい、ちゃんと閂(かんぬき)まで掛けておきました、」ルパンは立ち上った。そして何事か夫人に耳打ちして、給仕と一緒にあのカーテンの影から、夫人を出ていかせた。
            山なす宝
 下の方の音は次第に大きくなってくる。ボートルレは心の中で、「ガニマールがとうとう待ち切れずにのぼってきたな。」と思った。ルパンは平気に落ちつき払って、下の騒ぎなど聞えないか[#「聞えないか」は底本では「聞えなかい」]のように語りつづけた。
「我輩がこの城を発見した時は、そりゃ荒れ果てて、とてもひどかったのだよ。それを修繕するのにはずいぶん骨が折れたよ。」
 叩く音は次第に激しくなった。ガニマールは第一の扉を打ち破り、第二の扉に掛ったらしい。それがしばらくして止むと、いっそう近くでまた叩き始めた。今度は第三の扉だ。もはやあと二つしか残っていない。
「実に喧(やかま)しい!」とルパンが叫んだ。「さあ、上にのぼろうじゃないか。エイギュイユ城の見物も面白いよ。」
 二人は上へのぼった。その室にも扉がある。ルパンは扉に閂を掛けて、
「これは我輩の絵画陳列室だ。」
 壁という壁は絵で覆われている。ボートルレはその絵を見て驚いた。世界に名高い名画ばかりである。それはみんな偽物とおき代えて、ルパンがここへ持ってきた物ばかりなのだ。
「いつかは偽物ということが分るだろう。それらの偽物の絵の裏には、我輩の名前が書き入れてある。これがジェーブル伯爵邸にあった四枚の名画だ。」
 扉を打ち破る音が巌の中に響く。
「喧しくてたまらん。上へ行こう。」
 そこは美しい織物の室である。次は時計の室、書物の室、目まぐるしいほどの宝物(ほうもつ)ばかり積まれてある。これらの物はみんなおおかたルパンが集めた物であった。のぼるにつれて室はだんだん狭くなっていく。
「これがお終いの部屋だ。」とルパンがいった。そこはもう余り高くて誰も覗くものはないので、ちゃんと窓がこしらえてある。日の光が室いっぱい差し込んでいる。その室には王様の金の冠や、世界に二つとない宝石や、実に立派な物ばかりであった。下の音が少しずつ近くなってくる。窓から見ると漁船が盛んに活動している。水雷艇の影も見える。
 少年は口を開いて、
「それでは仏王に伝わった宝物(ほうもつ)は?」
「ああ、君はそれが知りたいんだね。」
と、いって足をあげて床をどんと蹴る。すると床の一部が跳ね返った。それを引き上げると穴がある、中は空虚(から)だ。またどんと蹴る。穴がある。空虚(から)だ。そして三番目もまた空虚(から)であった。

            怪侠盗の真面目(しんめんぼく)

 ルパンは嘲笑うように、
「へん、成ってやしない。もとはこの穴は空虚(から)じゃなかったんだ。ルイ十四世とルイ十五世の時、とうとうこの宝物(ほうもつ)を費(つか)っちゃったんだよ。しかし第六番目は空虚(から)じゃない。ここはまだ誰も手をつけていない。見たまえ!ボートルレ君。」
 と、いいながらルパンは身を屈めて蓋を持ち上げた。穴の中に金庫がある。その金庫をルパンは鍵で開けた。
 見ると目もくらむかと思う、宝石、青い玉、紅い玉、緑色の玉、金色の玉……。
「[#「「」は底本では欠落]見たまえこの宝玉を!みんな女王たちの持ち物であったものだ。しかしボートルレ君、我がアルセーヌ・ルパンは決してこの宝石に手をつけなかった。これは仏蘭西(フランス)王家の宝物(ほうもつ)だ。これは国宝だ。我輩は決してこれを自分の物にはしなかった。」
 階下ではガニマールが急ぎに急いでいる。叩く音が近くに聞えるのから考えると、もうすぐ下に迫っている。
「我輩はこの景色のいい住家(すみか)を捨てていくのは残念だ。我輩はこの奇巌城(エイギュイユ)の頂(いただき)から全世界を掴んでいた。ほらね、その金の冠を持ち上げて見たまえ。電話が二つあるだろう。一つはパリへ、一つはロンドンへ通じている。ロンドンから、アメリカでも、アジヤでも、オーストリーでも思いのままに話が出来る。これらすべての国には我輩の事務所がある。我輩は実に魔法の国の王であった。」
 すぐ下の扉が破られて、ガニマールとその部下が探し廻っている音がする。ルパンはつづける。
「だが我輩は、レイモンド嬢と結婚してから、すべて今までの生活は捨てようと決心した。君がいつか令嬢室(ドモアゼルむろ)で見た通り、部下はそれぞれ宝物(ほうもつ)を配(わ)けて逃がしてやった。」
 ガニマールが階段を駆け上って、どんと扉を打ち始めた、今は一番お終いの扉である。
「喧しい、まだ我輩の話はすまない!」
 扉を叩く音はますます激しくなった。ルパンはどこへ逃げるつもりだろう?レイモンド嬢はどこへ行ったろう?
「ルパンは、もはや盗みをしない、正直な人間となって、静かに日を暮す考えなのだ。」
 ルパンはそういって、赤色の白墨で壁に大きく字を書き始めた。
「アルセーヌ・ルパンは、エイギュイユ・クリューズの中の宝物(ほうもつ)を、全部仏蘭西(フランス)国家に贈る。」

            壮烈な肉迫戦

「ああ、これで我輩は安心した。」
 この時扉の板が破れて、にゅーっと一本の腕が出て、鍵を開けようとする。
「畜生!喧しい、も少し静かにしろ。ところでボートルレ君にもお暇乞(いとまごい)をしよう。君はなかなか偉い、とうとうここまで発見したんだからね……」
 ルパンはそういいながら油絵の右の端(はし)を開くと、小さな戸が現われた。ルパンはその握りを押えながら、
「御苦労々々々ガニマール君、お忙しいところを御苦労!」
 どん!と銃声が響いた。ルパンはすぐ身を引いて、
「あははは、大(おお)べら棒!」
「御用だ!ルパン、神妙にしろ!」
 扉はぐらぐらと揺れている。ルパンはガニマールの扉の方にいるので撃つことが出来ない。ガニマールは呶鳴った。
「ボートルレ君、加勢だ!構わん、撃て!」
 ボートルレはどうすればいいか分らなかった。しかし今となっては撃たなければならないのだろう。少年はピストルをとり上げた。その時いきなりルパンは駆けてきて、少年の身体を軽々と持ち上げた。そして少年の身体を楯にしてその後(うしろ)に自分の身を隠した。
「ほら、こうして逃げますよ。ルパンはいつもちゃんと逃げ道があるんだ、はいさようなら……」
 ルパンは素早く少年の身体を抱えたまま、油絵の陰に入って戸を閉めた。恐ろしく急な坂が眼の前にある。ルパンはボートルレを前に押しやるようにしながら、その坂を駆け降り始めた。
「さあ、陸の方は打ち破った。急いで逃げるんだ逃げるんだ……」
 二人はまるで転がるように坂を駆け下りていく。二人は降りた。降りた。途中でルパンは立ち止まって、岩の裂目から海を覗き、
「ははあ、水雷艇の御出張、わざわざ恐れ入るね、ほう駆け出した。なかなか速いぞ。」
 二人が坂を降りると、下で人声がした。

            潜航艇で海底を逃走

 一箇の人影が飛び出してきた。
「早く、早く、私、ずいぶん心配しましたわ。何していらっしたの?」
「何大丈夫だよ、船は用意したかい?」
「はい、用意してあります。」と部下が答えた。
「じゃあ、出発だ。」
 そこへまもなく船の来る音がした。ボートルレがよく暗(やみ)をすかして見ると、そこはちょうど船着場のようになっている。三人は乗り込んだ。
「よし、出発だ!」とルパンは部下へ合図した。船はすっかり蓋が閉じられた。それは海の底を走る潜航艇である。
 艇は海の底を辷(すべ)るように走る。海草がゆらゆらと動く、長い黒い影がさっと通った。
「あれは水雷艇だ、大砲の音が聞えるぜ。」
 船は矢のように走る。おおかたの魚(うお)は驚いて逃げてしまうが、中には傍へ寄ってきて、硝子のところからぎょろりとした眼玉で覗く奴もある。
「やあ、こいつは面白いや、まるで海底見物だ!」

            魔の黒雲

 艇はもう大丈夫だと思って上へのぼり始めた。そしてドイエップから少し離れた一つの小さな湾へ来てから、静かに浮び上った。
「ルパン湾!」とルパンが叫んだ。
 ルパンは少年とレイモンドを助けながら上陸させ、部下にはエイギュイユ城へ様子を見にやった。ルパンはいった。
「ボートルレ君、我輩はここで農園を開いて、妻と母と共に、バルメラに成りすまして、平和な生活を送ろうと思うのです。紳士強盗はもはや死んだ。紳士百姓として生きるんだ。」
 ルパンには始終つきそっているヴィクトワールという乳母があった。ルパンはその乳母をいつも母と呼んでいたのであった。
 一人の男が向うから来て、叮嚀におじぎをしながら、怪しい英国人がこの町をうろついていたと告げた。
「ショルムスじゃないかな、もしそうだとすると、少し危いぞ、先生まだ怒っている最中だから。」
 少し歩いていくと向うに建物が見え始めた。ルパンがこれから平和な生活を送ろうとする家であろう。その時一人の女が息を切って駆けてくる。
「あら、何か起ったのよ。」とレイモンドが叫んだ。
「何だ、何か起ったのか。」
「男が、今朝の英国の男が来て、……あなたのお母様を……」
 その時あれ!という声がした。レイモンドは苦しげに声を絞って、
「あら!お母様よ……」

            血の雨、血の涙

 ルパンはふとレイモンドに飛び掛るようにして引き立てながら、
「おいで、逃げよう……お前真先に……」
 が、ルパンはすぐ立ち止まった。
「いや、そうは出来ぬ、ちょっと待ってくれ。母が可哀想だ。レイモンド、ここにいてくれ。ボートルレ君、あとを頼む。」
 一人の男が先頭で、その後に二人の男が老婦人を曳いてくる。老婦人は救いを求めている。
 その先頭の男はショルムスであった。老婦人はもう髪の毛は真白(まっしろ)であった。顔色が真蒼である。
 四人は近づいてくる。
 その時、つかつかと現われたルパンはぴたりとその行手に立ち塞がった。
 怪人と巨人!それは物凄い有様である。二人は眼と眼で睨み合った。どちらも動かない。
 ルパンは恐ろしいほど落ちついて口を切る。
「その婦人を放せ!」
「ならん!」
 そのまま二人はまたしばらく睨み合っている。レイモンドはそれを見て、気が狂いそうに心配する。その腕をボートルレはしっかりと押えている。
 しばらくしてまたルパンが繰り返した。
「その婦人を放せ!」
「ならん!」
 もう仕方がない、ルパンはポケットに手を入れてピストルを掴んだ。その時早く、ショルムスもまたピストルをルパンの眼の前に突きつけた。その時ふとショルムスは、傍に立っているレイモンドの姿を見てはっとした。
 この油断を見たルパンは、手をあげたと思うと、撃(ぶ)っ放した。
「しまった!」と叫んだ。ショルムスは腕を撃たれてどっと倒れながら、部下に向って叫んだ。
「撃て!撃て!、あいつを撃ち殺せ!」
 ルパンはその時早くも二人に向ってピストルを撃った。一人は胸を、一人は顋(あご)をくだかれて倒れた。
「さあ、ショルムス、貴様と俺との闘いだ!」
と、いい切らぬうちに、ぱっと身を屈めた。
「あ!畜生!」
 ショルムスが左手にピストルを握って撃ったのだ。
 どんと一発……あ!という声、レイモンドはよろよろと倒れ掛ったが、血の迸(ほと)ばしる喉を押えつつ、ルパンの方に身体を廻して、ルパンの足元に倒れた。
「レイモンド!レイモンド!」
 ルパンは、彼女を両腕に抱き上げたが、
「死んだ!」と一声……。
 ショルムスも今は自分の過(あやま)った手元に困ったような顔をしている。
「うぬ!畜生!」とルパンはショルムスに飛びついて咽喉(のど)を絞(し)め上げた。ショルムスは苦しさに身をもがくばかり。
「まあ、そんな手荒なことを。」と老婦人はうろうろする。ボートルレも驚いて走り寄る。
 この時ルパンは相手から手を放し、その傍に突伏(つっぷ)して、息も絶え絶えに声を呑んで男泣きに泣いた。
 ああ、とうとう悲劇は来た。
 巨人ルパンがすべてを捨てて、平和に日を送ろうという望みは破られて[#「破られて」は底本では「破らてれ」]しまった。
 まもなくルパンは起き上り、死んだレイモンドを軽々と背に負うた。
「行こう!ヴィクトワール。」
「行きましょう。」と老婆がそれに従う。
「さようなら、ボートルレ君!」
 ルパンと乳母の姿は海岸の方へ寂しく消えていった。
(おわり)



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