奇巌城
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著者名:ルブランモーリス 

「ルパンのことだから、その漁船の間だってついと逃げてしまうかもしれません。」
「その時は大砲で沈めてしまうばかりだ。」
「大砲を用意するんですか。」
「そう、水雷艇(すいらいてい)が私の電報一本で、すぐ応援に来てくれることになっている。」

            水雷艇

 次の日になった。二人は約束の時間に逢った。二人とも平気な風を装おっていたが、顔色は真蒼であった。
 まわりにたくさんの警官を見張りさせ、海には十二艘の漁船が待ち受けた。ガニマールとボートルレは十人ばかりの部下を引き連れて、どやどやと洞穴(ほらあな)に入った。ボートルレは例の十字を押した。するとがたっと音がしてこの前のように開いた。
 懐中電灯で照(てら)してみると、中に階段が現われた。ボートルレがその階段を降りながら数えると、四十五段あった。
「畜生!」と先へ進んでいったガニマールが叫んで立ち止まった。一枚の頑丈な扉があって先へ行かれない。少年は暗号の紙切を出した。それには左の端(はじ)に点のある三角形が書いてある。扉を調べると、三角形の鉄の小板(こいた)が四隅にある。そしてその板には大きな釘が打ちつけてある。左の端(はじ)の小板の釘を動かしてみたが、それは違うのか、扉は開かない。少年は数字の44というのに気づいた。自分たちが今立っているのは四十五段目である。少年は探偵に注意して一段後戻りさせて、また前のように三角形の小板の釘を動かした。
 果して重い鉄の扉はぎーと開いた。洞穴(ほらあな)の中に一筋の明(あか)りが差し込んでいる。それは巌の裂目(さけめ)で、そこへ近づいてみると、傍(かたわら)につっ立っている奇巌城が見える。ガニマールは指(ゆびさ)していった。
「ほら!ずっと沖の向うに黒い物が見えるだろう。あれが水雷艇だ。あれがあるんだもの、ルパンの奴逃げ出したが最後、海へ沈み込まれてしまうのさ。」

            意外の招待

 次にまた階段があった。三百五十八段であった。そこにも鉄の扉があって三角形の鉄板が四隅にあった。それは前の方法で難なく開いた。次はたいそう長いトンネルである。天井に吊(つ)るされたランプが薄暗く、中を照らしている。壁はしっとりと濡れてぼたぼたと水が落ちる。おおかた今は海の底を歩いているのであろう。広い洞穴(ほらあな)のところへ出て、それから上へのぼる段があった。
「いよいよエイギュイユへのぼり始めるのだな。」とガニマールがいった。その時一人の部下が、
「こっちにも段があります。」
「ははあ、こっちからのぼれば、こっちから逃げる考えだな。」
 みんなはそこで迷ってしまった。しかし別れて進むのは、みんなの力が弱くなるというので、先に一人だけ調べに行くことになった。
「僕が行きましょう。」とボートルレがいった。
「では、頼む。もしこっちの段から逃げてきたらここで捕まえるから。もし変ったことがあったら知らせたまえ。」
 ボートルレは一人でのぼっていった。段は三十段あった。上に普通の木の扉がある。それはすぐそのまま開いた。
 中の室はなかなか広くて、たくさんの荷物がおいてある。机や椅子や戸棚が、乱暴に投げ込んであるばかりだ。そこにまた左右に段がある。少年は探偵に知らせようかと思ったが、そのまま上へのぼり始めた。三十段あった。扉がある。下の室より小さい。また三十段階段がある。扉がある。今度はまた室が小さくなっている。
 少年は、奇巌城の中の有様を見ることが出来た。奇巌城は先へ行くほど尖っているから、室がだんだん小さくなるのだ。四番目の室はもう電灯も点いていない。穴から見ると、眼の下十米(メートル)ばかりの所に蒼い海が見える。少年は初めて、ガニマール探偵たちと遠去かったことに気づいて心細くなった。もう今度で止そうと思ってまた次の階段をのぼった。そして恐る恐る扉を開けた。この室は他の室とは違っている。壁には肘掛(ひじかけ)の布(きれ)があり、床(とこ)には絨氈が敷いてある。立派な食器を入れた二つの大きな戸棚がおかれ、外へ突き出た巌の裂目には硝子を[#「硝子を」は底本では「消子を」]嵌めて、小さい窓が出来ている。
 室の真中に、美しい食卓があって、レースの卓子(テーブル)掛が掛けてあり、その上には、果物皿や、菓子皿や、お酒の壜や、眼も覚めるような美しい盛花(もりばな)などがおいてある。そしてそこには三人分の皿がおいてある。少年が近づいてみると、その坐る場所に名前を書いた札がおいてある。
 初めのを読むと、「アルセーヌ・ルパン。」
 それと向き合って、「アルセーヌ・ルパン夫人。」
 三人目のを見ると少年はあ!と驚いて飛び上った。驚いたのも無理はない。その名前は、
「イジドール・ボートルレ君!」

            意外、意外、現われたその人は

 その時、さっとカーテンが開かれた。
「やあ、こんにちはボートルレ君、たいへん遅いじゃないか。お昼に一緒に御飯を食べようと思って待っていたんだよ。おや、君はなぜ僕ばかり見ているんだよ。」
 ルパンとの闘いの間にはもう幾度となく驚かされているので、いよいよ最後にはどんなことが起るかと覚悟はしていたものの、これはまた意外にも意外、余りに思い掛けないことである。
 少年の眼の前に現われた人、その人は他ならぬバルメラ男爵ではないか。バルメラ男爵!かのクリューズ県のエイギュイユ城の持主(もちぬし)であったバルメラ男爵!、少年が父を救い出すために力を貸してもらったバルメラ男爵!、その城へルパンを捕えに警察の者を案内したバルメラ男爵!
「あなたが……あなたが……じゃああなたなんですか!」とボートルレはおろおろ声。
「そうさ、今度こそ本物のアルセーヌ・ルパン、どうぞよく見てくれたまえ。」
「では、あの令嬢は?」
「そうそう、たしかにそうだ。」とルパンはまたカーテンを開けて合図をした。すると出てきた夫人は、
「アルセーヌ・ルパン夫人!」
「あ!、レイモンド嬢。」と少年は口もきけない。
「いやルパン夫人だよ。バルメラ夫人でもよろしいがね。立派に結婚式を挙げた我輩の妻だ。それもボートルレ君、君のおかげだよ。」
と、ルパンは少年の前に手を差し出した。
 少年はこの時不思議に、何の腹立ちも起らなかった。少年はルパンの偉さに感心してしまった。二人は親しげに手を繋ぎ合った。給仕が食事の仕度が出来たといってきた。三人は食事をし始めた。少年がレイモンド嬢を見ると、彼女はすっかりルパンを信じ、頼っている。しかし何事か心配しているようだ。下にガニマールが来ているのも知らぬげにと、種々(いろいろ)話していたルパンは、ふと彼女の心配げな顔を見て話を途中で切った。
「ね、下に何か音がしますわね、聞えるでしょう。」
「何、何でもないよ。浪の音だよ。」
「いいえ、違いますわ、あの音は。」
「違っても構わないよ。」とルパンは笑った。そして給仕に向って、「おい、お客様のいらしったあとの扉は、ちゃんと閉めておいたろうね。」
「はい、ちゃんと閂(かんぬき)まで掛けておきました、」ルパンは立ち上った。そして何事か夫人に耳打ちして、給仕と一緒にあのカーテンの影から、夫人を出ていかせた。
            山なす宝
 下の方の音は次第に大きくなってくる。ボートルレは心の中で、「ガニマールがとうとう待ち切れずにのぼってきたな。」と思った。ルパンは平気に落ちつき払って、下の騒ぎなど聞えないか[#「聞えないか」は底本では「聞えなかい」]のように語りつづけた。
「我輩がこの城を発見した時は、そりゃ荒れ果てて、とてもひどかったのだよ。それを修繕するのにはずいぶん骨が折れたよ。」
 叩く音は次第に激しくなった。ガニマールは第一の扉を打ち破り、第二の扉に掛ったらしい。それがしばらくして止むと、いっそう近くでまた叩き始めた。今度は第三の扉だ。もはやあと二つしか残っていない。
「実に喧(やかま)しい!」とルパンが叫んだ。「さあ、上にのぼろうじゃないか。エイギュイユ城の見物も面白いよ。」
 二人は上へのぼった。その室にも扉がある。ルパンは扉に閂を掛けて、
「これは我輩の絵画陳列室だ。」
 壁という壁は絵で覆われている。ボートルレはその絵を見て驚いた。世界に名高い名画ばかりである。それはみんな偽物とおき代えて、ルパンがここへ持ってきた物ばかりなのだ。
「いつかは偽物ということが分るだろう。それらの偽物の絵の裏には、我輩の名前が書き入れてある。これがジェーブル伯爵邸にあった四枚の名画だ。」
 扉を打ち破る音が巌の中に響く。
「喧しくてたまらん。上へ行こう。」
 そこは美しい織物の室である。次は時計の室、書物の室、目まぐるしいほどの宝物(ほうもつ)ばかり積まれてある。これらの物はみんなおおかたルパンが集めた物であった。のぼるにつれて室はだんだん狭くなっていく。
「これがお終いの部屋だ。」とルパンがいった。そこはもう余り高くて誰も覗くものはないので、ちゃんと窓がこしらえてある。日の光が室いっぱい差し込んでいる。その室には王様の金の冠や、世界に二つとない宝石や、実に立派な物ばかりであった。下の音が少しずつ近くなってくる。窓から見ると漁船が盛んに活動している。水雷艇の影も見える。
 少年は口を開いて、
「それでは仏王に伝わった宝物(ほうもつ)は?」
「ああ、君はそれが知りたいんだね。」
と、いって足をあげて床をどんと蹴る。すると床の一部が跳ね返った。それを引き上げると穴がある、中は空虚(から)だ。またどんと蹴る。穴がある。空虚(から)だ。そして三番目もまた空虚(から)であった。

            怪侠盗の真面目(しんめんぼく)

 ルパンは嘲笑うように、
「へん、成ってやしない。もとはこの穴は空虚(から)じゃなかったんだ。ルイ十四世とルイ十五世の時、とうとうこの宝物(ほうもつ)を費(つか)っちゃったんだよ。しかし第六番目は空虚(から)じゃない。ここはまだ誰も手をつけていない。見たまえ!ボートルレ君。」
 と、いいながらルパンは身を屈めて蓋を持ち上げた。穴の中に金庫がある。その金庫をルパンは鍵で開けた。
 見ると目もくらむかと思う、宝石、青い玉、紅い玉、緑色の玉、金色の玉……。
「[#「「」は底本では欠落]見たまえこの宝玉を!みんな女王たちの持ち物であったものだ。しかしボートルレ君、我がアルセーヌ・ルパンは決してこの宝石に手をつけなかった。これは仏蘭西(フランス)王家の宝物(ほうもつ)だ。これは国宝だ。我輩は決してこれを自分の物にはしなかった。」
 階下ではガニマールが急ぎに急いでいる。叩く音が近くに聞えるのから考えると、もうすぐ下に迫っている。
「我輩はこの景色のいい住家(すみか)を捨てていくのは残念だ。我輩はこの奇巌城(エイギュイユ)の頂(いただき)から全世界を掴んでいた。ほらね、その金の冠を持ち上げて見たまえ。電話が二つあるだろう。一つはパリへ、一つはロンドンへ通じている。ロンドンから、アメリカでも、アジヤでも、オーストリーでも思いのままに話が出来る。これらすべての国には我輩の事務所がある。我輩は実に魔法の国の王であった。」
 すぐ下の扉が破られて、ガニマールとその部下が探し廻っている音がする。ルパンはつづける。
「だが我輩は、レイモンド嬢と結婚してから、すべて今までの生活は捨てようと決心した。君がいつか令嬢室(ドモアゼルむろ)で見た通り、部下はそれぞれ宝物(ほうもつ)を配(わ)けて逃がしてやった。」
 ガニマールが階段を駆け上って、どんと扉を打ち始めた、今は一番お終いの扉である。
「喧しい、まだ我輩の話はすまない!」
 扉を叩く音はますます激しくなった。ルパンはどこへ逃げるつもりだろう?レイモンド嬢はどこへ行ったろう?
「ルパンは、もはや盗みをしない、正直な人間となって、静かに日を暮す考えなのだ。」
 ルパンはそういって、赤色の白墨で壁に大きく字を書き始めた。
「アルセーヌ・ルパンは、エイギュイユ・クリューズの中の宝物(ほうもつ)を、全部仏蘭西(フランス)国家に贈る。」

            壮烈な肉迫戦

「ああ、これで我輩は安心した。」
 この時扉の板が破れて、にゅーっと一本の腕が出て、鍵を開けようとする。
「畜生!喧しい、も少し静かにしろ。ところでボートルレ君にもお暇乞(いとまごい)をしよう。君はなかなか偉い、とうとうここまで発見したんだからね……」
 ルパンはそういいながら油絵の右の端(はし)を開くと、小さな戸が現われた。ルパンはその握りを押えながら、
「御苦労々々々ガニマール君、お忙しいところを御苦労!」
 どん!と銃声が響いた。ルパンはすぐ身を引いて、
「あははは、大(おお)べら棒!」
「御用だ!ルパン、神妙にしろ!」
 扉はぐらぐらと揺れている。ルパンはガニマールの扉の方にいるので撃つことが出来ない。ガニマールは呶鳴った。
「ボートルレ君、加勢だ!構わん、撃て!」
 ボートルレはどうすればいいか分らなかった。しかし今となっては撃たなければならないのだろう。少年はピストルをとり上げた。その時いきなりルパンは駆けてきて、少年の身体を軽々と持ち上げた。そして少年の身体を楯にしてその後(うしろ)に自分の身を隠した。
「ほら、こうして逃げますよ。ルパンはいつもちゃんと逃げ道があるんだ、はいさようなら……」
 ルパンは素早く少年の身体を抱えたまま、油絵の陰に入って戸を閉めた。恐ろしく急な坂が眼の前にある。ルパンはボートルレを前に押しやるようにしながら、その坂を駆け降り始めた。
「さあ、陸の方は打ち破った。急いで逃げるんだ逃げるんだ……」
 二人はまるで転がるように坂を駆け下りていく。二人は降りた。降りた。途中でルパンは立ち止まって、岩の裂目から海を覗き、
「ははあ、水雷艇の御出張、わざわざ恐れ入るね、ほう駆け出した。なかなか速いぞ。」
 二人が坂を降りると、下で人声がした。

            潜航艇で海底を逃走

 一箇の人影が飛び出してきた。
「早く、早く、私、ずいぶん心配しましたわ。何していらっしたの?」
「何大丈夫だよ、船は用意したかい?」
「はい、用意してあります。」と部下が答えた。
「じゃあ、出発だ。」
 そこへまもなく船の来る音がした。ボートルレがよく暗(やみ)をすかして見ると、そこはちょうど船着場のようになっている。三人は乗り込んだ。
「よし、出発だ!」とルパンは部下へ合図した。船はすっかり蓋が閉じられた。それは海の底を走る潜航艇である。
 艇は海の底を辷(すべ)るように走る。海草がゆらゆらと動く、長い黒い影がさっと通った。
「あれは水雷艇だ、大砲の音が聞えるぜ。」
 船は矢のように走る。おおかたの魚(うお)は驚いて逃げてしまうが、中には傍へ寄ってきて、硝子のところからぎょろりとした眼玉で覗く奴もある。
「やあ、こいつは面白いや、まるで海底見物だ!」

            魔の黒雲

 艇はもう大丈夫だと思って上へのぼり始めた。そしてドイエップから少し離れた一つの小さな湾へ来てから、静かに浮び上った。
「ルパン湾!」とルパンが叫んだ。
 ルパンは少年とレイモンドを助けながら上陸させ、部下にはエイギュイユ城へ様子を見にやった。ルパンはいった。
「ボートルレ君、我輩はここで農園を開いて、妻と母と共に、バルメラに成りすまして、平和な生活を送ろうと思うのです。紳士強盗はもはや死んだ。紳士百姓として生きるんだ。」
 ルパンには始終つきそっているヴィクトワールという乳母があった。ルパンはその乳母をいつも母と呼んでいたのであった。
 一人の男が向うから来て、叮嚀におじぎをしながら、怪しい英国人がこの町をうろついていたと告げた。
「ショルムスじゃないかな、もしそうだとすると、少し危いぞ、先生まだ怒っている最中だから。」
 少し歩いていくと向うに建物が見え始めた。ルパンがこれから平和な生活を送ろうとする家であろう。その時一人の女が息を切って駆けてくる。
「あら、何か起ったのよ。」とレイモンドが叫んだ。
「何だ、何か起ったのか。」
「男が、今朝の英国の男が来て、……あなたのお母様を……」
 その時あれ!という声がした。レイモンドは苦しげに声を絞って、
「あら!お母様よ……」

            血の雨、血の涙

 ルパンはふとレイモンドに飛び掛るようにして引き立てながら、
「おいで、逃げよう……お前真先に……」
 が、ルパンはすぐ立ち止まった。
「いや、そうは出来ぬ、ちょっと待ってくれ。母が可哀想だ。レイモンド、ここにいてくれ。ボートルレ君、あとを頼む。」
 一人の男が先頭で、その後に二人の男が老婦人を曳いてくる。老婦人は救いを求めている。
 その先頭の男はショルムスであった。老婦人はもう髪の毛は真白(まっしろ)であった。顔色が真蒼である。
 四人は近づいてくる。
 その時、つかつかと現われたルパンはぴたりとその行手に立ち塞がった。
 怪人と巨人!それは物凄い有様である。二人は眼と眼で睨み合った。どちらも動かない。
 ルパンは恐ろしいほど落ちついて口を切る。
「その婦人を放せ!」
「ならん!」
 そのまま二人はまたしばらく睨み合っている。レイモンドはそれを見て、気が狂いそうに心配する。その腕をボートルレはしっかりと押えている。
 しばらくしてまたルパンが繰り返した。
「その婦人を放せ!」
「ならん!」
 もう仕方がない、ルパンはポケットに手を入れてピストルを掴んだ。その時早く、ショルムスもまたピストルをルパンの眼の前に突きつけた。その時ふとショルムスは、傍に立っているレイモンドの姿を見てはっとした。
 この油断を見たルパンは、手をあげたと思うと、撃(ぶ)っ放した。
「しまった!」と叫んだ。ショルムスは腕を撃たれてどっと倒れながら、部下に向って叫んだ。
「撃て!撃て!、あいつを撃ち殺せ!」
 ルパンはその時早くも二人に向ってピストルを撃った。一人は胸を、一人は顋(あご)をくだかれて倒れた。
「さあ、ショルムス、貴様と俺との闘いだ!」
と、いい切らぬうちに、ぱっと身を屈めた。
「あ!畜生!」
 ショルムスが左手にピストルを握って撃ったのだ。
 どんと一発……あ!という声、レイモンドはよろよろと倒れ掛ったが、血の迸(ほと)ばしる喉を押えつつ、ルパンの方に身体を廻して、ルパンの足元に倒れた。
「レイモンド!レイモンド!」
 ルパンは、彼女を両腕に抱き上げたが、
「死んだ!」と一声……。
 ショルムスも今は自分の過(あやま)った手元に困ったような顔をしている。
「うぬ!畜生!」とルパンはショルムスに飛びついて咽喉(のど)を絞(し)め上げた。ショルムスは苦しさに身をもがくばかり。
「まあ、そんな手荒なことを。」と老婦人はうろうろする。ボートルレも驚いて走り寄る。
 この時ルパンは相手から手を放し、その傍に突伏(つっぷ)して、息も絶え絶えに声を呑んで男泣きに泣いた。
 ああ、とうとう悲劇は来た。
 巨人ルパンがすべてを捨てて、平和に日を送ろうという望みは破られて[#「破られて」は底本では「破らてれ」]しまった。
 まもなくルパンは起き上り、死んだレイモンドを軽々と背に負うた。
「行こう!ヴィクトワール。」
「行きましょう。」と老婆がそれに従う。
「さようなら、ボートルレ君!」
 ルパンと乳母の姿は海岸の方へ寂しく消えていった。
(おわり)



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