無人島に生きる十六人
著者名:須川邦彦
川口は、近ごろはじめて、胸をそらして、
「うあっ、はっはっ」
と、雷声でごうけつ笑いをした。それがまた、とてもうれしそうだったので、十五人も声をそろえて、
「うあっ、はっはっ」
と、大笑いをした。
食後、運転士から、一同に、
「的矢丸の人たちが、ここへ上陸するまでに、ズボンだけでもはいておけ。はだかは、もうおしまいだ」
と、注意した。
さらば、島よ、アザラシよ
かくて、この日の午後、的矢丸は本部島の沖に近よって、伝馬船(てんません)一隻(せき)と、漁船三隻をおろして、乗組員は、十六人をむかえにきた。
的矢丸の船員は、島のあらゆる設備を見て、ただ感心するばかりであった。かめの牧場におどろきの目を見はり、われらの友アザラシの、頭やおなかをさすってみた。川口は「鼻じろ」を的矢丸の人たちに紹介した。
的矢丸船員も手つだって、龍睡丸(りゅうすいまる)の伝馬船と、的矢丸の四隻の小船とは、何べんも、島と的矢丸との間をおうふくして、荷物を運んだ。その荷物が、ふうがわりなもので、引っこし荷物のほかに、的矢丸の糧食にするため、たくさんの海がめと、石油缶(かん)につめた貴重な雨水が、三十缶、料理用たきぎとして、流木をまきにしたものが、八十五束もあった。
国後(くなしり)、範多(はんた)、川口をはじめ、アザラシととくべつ仲よしの連中と、もう、ふたたび見ることのできないアザラシたちとのわかれは、見る人々の心を動かした。
十六人が島から引きあげることを、アザラシどもは察したのであろう。伝馬船のあとをしたっておよいだりもぐったりして、沖の的矢丸までついてきた。
的矢丸の長谷川(はせがわ)船長は、ほろりとしつつ、いった。
「野生のアザラシでも、こんなになつくのですなあ。はじめて知りましたよ。これはいい報告の材料になりました」
夕方、的矢丸は、ようやくふきつのった風に帆をはって、本部島をはなれた。われら十六人は、目になみだをいっぱいためて、いつまでも、このなつかしい島を見送った。
ミッドウェー島に、うつり住むとばかり思っていた十六人は、思いがけなくも、そのまま的矢丸で、航海をつづけることになったのだ。それには、つぎのようなわけがあった。
はじめ、私たちが救いをたのみに的矢丸に漕(こ)ぎつけたとき、十六人の島生活の話をきいた、的矢丸の水夫や漁夫たちは、
「えらいもんだなあ」
と、すっかり感心してしまった。そして、伝馬船が島へむかって出発したあと、十六人のうわさばかりしていた。そこへ、日がくれてから、水夫長が、水夫部屋へとびこんできた。
「おい、みんな聞いたか、あす、十六人をミッドウェー島へ移すのだとさ」
「どうして、本船に乗せないのです」
「糧食と飲料水の心配なら、わしら、いままでの半分でも、四半分でも、がまんします。どうか、本船に乗せてあげてください」
「そうだとも。十六人は、わしらのお手本だ」
「船長に、みんなで、お願いしよう」
こんなわけで、一同の願いがきき入れられて、十六人は、的矢丸に乗り組むことになったのだ。船長も、はじめから、こうしたかったのだ。しかしそうすれば、乗組人数は、これまでの二倍になる。米は、数ヵ月よぶんによういしてあるからだいじょうぶだが、水タンクの大きさにはかぎりがある。飲料水は、いままでの一人一日の量を半分にしても、こののち幾日も雨が降らず、水がえられないと、さらに三分の一にも、へらさなくてはなるまい。これを、部下の船員が、はたしてしんぼうするだろうか。この心配から、気のどくではあるが、十六人に、ミッドウェー島で待っていてもらうことを考えたのであった。
母国の土
的矢丸は、できるだけ水を節約しつつ、愉快な航海をつづけた。十六人が乗り組んでから、船内は、いっそうほがらかに、的矢丸乗組員は、たいへん勤勉に、そして、規律正しくなった。それは、十六人が恩返しに、的矢丸の仕事に、まごころをつくして働くのを、見ならったからだ。
島の教室は、的矢丸船内にうつされた。そこでは、的矢丸乗組員の一部もくわわって、学習がはじまった。こうして龍睡丸(りゅうすいまる)乗組員は、勉強のしあげができた。また、的矢丸も、りっぱなせいせきで、遠洋漁業をすませて、故国日本へ帰ってきた。
明治三十二年十二月二十三日。十六人は、感激のなみだの目で、白雪にかがやく霊峯(れいほう)富士をあおぎ、船は追風(おいて)の風に送られて、ぶじに駿河湾(するがわん)にはいった。そして午後四時、赤い夕日にそめられた女良(めら)の港に静かに入港した。
十六人は、的矢丸の人たちに、心の底から感謝のことばをのこして、「よし、やるぞ」の意気も高らかに、なつかしい母国の土を、一年ぶりでふんだ。そして、すぐその足で、女良の鎮守(ちんじゅ)の社(やしろ)におまいりをした。
島で勉強したかいがあって、いままで、ろくに手紙もかけなかった漁夫や水夫のだれかれが、りっぱな手紙を出して、両親や兄弟を、びっくりさせたり、よろこばした話もある。また、四人の青年は、翌年一月、逓信省(ていしんしょう)の船舶職員試験に、みごときゅうだいして、運転士免状をとった。これだけでも無人島生活はむだではなかったと、私はうれしい。
その後、しばらくして十六人は、また海へ乗り出して行った。
中川船長の、長い物語はおわった。ぼく(須川(すがわ))は、夢からさめたように、あたりを見まわした。物語のなかに、すっかりとけこんでいたので、よいやみせまる女良の鎮守の森の、大枝さしかわすすぎの大木の根もとに、あぐらをくんでいるのだと思っていたが、この大木は、練習船琴(こと)ノ緒(お)丸(まる)帆柱で、頭上にさしかわす大枝は、大きな帆桁(ほげた)であった。
見あげる帆桁の間からは、銀河があおがれた。夜もふけて、何もかも夜露にぬれ、帽子からぽたりと落ちた露といっしょに、なみだがぼくの頬を流れていた。
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