次郎物語
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著者名:下村湖人 

「次郎さんの板木の打ちかたには、行事の性質や、そのときどきの必要で、少しずつちがった調子が出ますわね。あたしは、それがいいと思いますの。それでこそ、そのときどきの気分が出るんですもの。板木だって、打ちかた次第(しだい)では芸術になりますわ。あたし、次郎さんの板木の音をきいていると、いつもそう思いますのよ。先生には叱(しか)られるかもしれないけれど、今朝の打ちかただって、頭かぶせにわるいとばかりいえないんじゃないかしら。」
 次郎は、それで安心する気にはむろんなれなかった。しかし、夫人がそんなことを言って自分をなぐさめるために、わざわざ自分の室にやって来たのだと思うと、何か心のあたたまる思いがした。そして、その日のかれの日記の中に、そのことが、今朝からのできごととともに、大事に書きこまれていたことは、いうまでもない。

   七 最初の日曜日

 最初の日曜が来た。開塾(かいじゅく)の日がちょうど月曜だったので、まる一週間になる。
 この一週間は、塾生たちにとっては、まったく奇妙(きみょう)な感じのする一週間だった。朝倉先生夫妻も、次郎も、生活の細部の運営については、自分たちのほうからは、何ひとつ指図(さしず)をせず、また、塾生たちから何かたずねられても、「ご随意(ずいい)に」とか、「適当に考えてやってくれたまえ」とか、「みんなでよく相談してみるんだな」とかいったような返事をするだけだったので、とかくかれらはとまどいした。中には、それをいいことにして、ずるくかまえるものもないではなかった。その結果、むだとへまとがつぎつぎにおこり、かれらの共同生活のすがたは、見た眼(め)には決していいものではなかった。時には、不規律と怠慢(たいまん)だけが塾堂を支配しているのではないか、と疑われるような場面もあり、もし学ぶことよりも批評することにより多くの興味を覚えている参観者がたずねて来たとしたら、その人は、批評の材料をさがすのに、決して骨は折れなかったであろう。
 朝倉先生は、しかし、どんな悪い状態があらわれて来ても、すぐその場でそれを非難することがなかった。すべてをいちおう成り行きにまかせ、行くところまで行かせておいて、あとで、――たとえば食後の雑談や、夜の集まりなどの際に、――それを話題にして、みんなといっしょに、その原因結果をこまかに究明し、その究明をとおして、共同生活の基準になるような原則的なものを探求する、といったふうだったのである。
 塾生たちのある者にとっては、朝倉先生のそうしたやり方が、非常に皮肉に感じられた。
「気がついているなら、すぐそう言ってくれたらよかりそうなものだ」と、そんな不平をもらすものもあった。また中には、「先生は要するに指導者でなくて批評家だ」などと、したり顔に言うものもあった。しかし日がたつにつれて、しだいにかれらの間に取りかわされ出したのは、「ひまなようで、いやに忙(いそが)しい」とか、「しまりがないようで、変にきびしい」とか、そういったちぐはぐな気持ちをあらわす言葉だった。
 かれらの大多数は、まだむろん、人間生活にとっての自由の価値や、そのきびしさについて、ほんとうに目を覚(さ)ましていたわけではなく、友愛塾というところは一風変わった指導をやるところだぐらいにしか考えていなかった。しかし、それにしても、そうした言葉が、しだいにかれらの間にとりかわされるようになったということは、たしかに一つの進歩であり、混乱と無秩序(むちつじょ)の中で、不十分ながらも、何か自主的創造的な活動が始まっている証拠(しょうこ)にはちがいなかったのである。
 日曜日は、特別の計画がないかぎり、朝食後から夕食前まで自由外出ということになっていた。東京見物を一つの大きな楽しみにして上京して来た塾生たちは、最初の夜の懇談会(こんだんかい)で、ほとんど議論の余地なく、満場一致(いっち)でそれを決議していたのだった。
 事務所にそなえつけてあった何枚かの東京地図は、すでに二三目前から各室で引っぱりだこだった。土曜日の晩には、炊事部(すいじぶ)はみんなの弁当の献立(こんだて)をするのに忙しかった。次郎が道順の相談のために、各室に引っぱりこまれたことはいうまでもない。そして、いよいよ日曜の朝食がすむと、二十分とはたたないうちに、塾内はもの音一つしないほど、しんかんとなってしまったのである。
 みんなが出はらってしまうと、次郎も一週間ぶりで解放された時間を持つことができた。いつもだと、さっそく読書をやるか、空林庵(くうりんあん)に行って、朝倉先生夫妻とゆっくり話しこむかするはずだったが、今日は、事務室の隣(とな)りの自分の部屋で、机によりかかったまま、ながいことひとりで考えこんでいた。
 机の上には、二三日まえ、兄の恭一(きょういち)から来たはがきが、文面を上にしてのっていた。それには、
「朝倉先生にもしばらくお目にかかっていないので、近いうちに、ぼくのほうから訪ねたいと思っている。塾がまたはじまったそうだから、先生も君も日曜でなければひまがないだろうと想像(そうぞう)して、だいたい今度の日曜を予定している。ぼくのほうはたぶん変更(へんこう)の必要はあるまいと思うが、君のほうでさしつかえがあったら、すぐ返事をくれたまえ。さしつかえなければ返事の必要はない。」
 とあった。
 次郎は、その中の「ぼくのほうはたぶん変更はあるまいと思うが」という文句が気になった。もし恭一だけの考えで日取りがきめられるものだったら、そんなあいまいな言いかたをするわけがない。これはだれかほかの人の都合を念頭においてのことらしい、もしそうだとすると、それは道江(みちえ)の着京の日取りにちがいないのだ。
 では、なぜそれならそれとはっきり書かないのだろう。道江の名を書くのがきまりわるくて、暗々裡(あんあんり)にそれをほのめかしたつもりなのだろうか。あるいは、予告なしに道江をつれて来て、自分をおどろかすつもりなのだろうか。いずれにしても、自分にとっては、あまり愉快(ゆかい)なことではない。何といういい気な、甘(あま)っちょろい兄だろう、と軽蔑(けいべつ)してやりたい気にさえなる。
 もっとも道江にたいして自分の抱(いだ)いている気持ちに、兄がまだまるで気がついていないらしいのは、ありがたいことだ。しかし、だからといって、二人がむつまじくつれだってやって来るのまでを、ありがたく思うわけにはいかない。痛いきずは、どんなに用心ぶかくさわられても痛いのに、まして、そのきずに気がつかないで、無遠慮(ぶえんりょ)にさわられては全くたまったものではないのだ。
 しかし、兄はおそらく道江をつれて来る。いや、かならずつれて来る。そして、無意識な残酷(ざんこく)さで自分の痛いきずにさわろうとしているのだ。二人はあらゆる好意にみちた言葉を自分になげかけるだろう。二人のむつまじさを三人にひろげることによって、二人は一そう深いよろこびを味わおうとつとめるだろう。二人はいろいろと過去の思い出を語るにちがいないが、その思い出の愉快さも不愉快さも、三人に共通するものとして語られるにちがいない。自分は、二人のそうした無意識な残酷さにたいして、いったいどういう態度をとればいいのか。いや、どういう態度をとりうるというのか。
 かれには、まったく自信がなかった。白鳥会時代の心の修練も、友愛塾の助手としての現在の信念も、こうした場合の態度を決定するには、何のたしにもならなかった。かれがこれまで信奉(しんぽう)もし、実践(じっせん)にもつとめて来た、友愛・正義・自主・自律・創造、といったような、社会生活の基本的徳目(とくもく)は、今のかれには、全く力のない、空疎(くうそ)な言葉の羅列(られつ)でしかなかった。そしてそこに気がつくと、かれはいよいようろたえた。
 道江という一女性が、間もなく、自分の目のまえに現われるという小さなできことの予想、――大きな人間社会の運行(うんこう)の中では、まったくどうでもいいような、そうした小さなできごとの予想(よそう)が、どうしてこれほどまでに自分をまごつかせ、自分の不断の心の修練を無力にするのか。どうして、現在友愛塾におおいかぶさっている深刻な問題以上に、自分の心をなやますのか。女性とは、恋愛(れんあい)とは、いったい何だろう。それは、これまで自分が考えて来た人間生活の秩序とは、全く次元のちがった秩序に属するものだろうか。
 そんなはずはない!
 かれは心の中で強く否定した。しかし、否定した心そのものが、やはり、ふだんの秩序を失った心でしかなかったのである。
 事務室の柱時計(はしらどけい)がゆっくり、十時をうった。次郎はかぞえるともなくその音をかぞえていたが、かぞえおわると、やにわに立ちあがった。
 二人が午前中に来るとすれば、もうそろそろ来るころだ。めいった顔は見せたくない。いっそ門のそとまで出て愉快に自分のほうから迎(むか)えてやろう。あとはあたって砕(くだ)けるまでのことだ。――かれは冒険(ぼうけん)とも自棄(じき)ともつかない気持ちで、自分自身をはげましたのだった。
 すると、ちょうどその時、事務室に人の足音がして、仕切りの引き戸を軽くノックする音がきこえた。
「どなた?」
 次郎が、いぶかりながら戸をあけると、そこには大河無門が立っていた。
「おや、外出しなかったんですか。」
 次郎は大河の顔を見ると、救われたような、こわいような、変な気になりながら、つとめて平静をよそおってたずねた。
「ええ、べつに出る用もなかったので……」
「でも、道案内によく引っぱり出されなかったことですね。」
「やんやと頼(たの)まれましたが、断わることにしました。」
「うらまれやしませんか。」
「ふ、ふ、ふ。」
 大河はとぼけたような顔をして、笑った。
「どの方面の希望者が多かったんです。」
「たいていは二重橋を見て、それから銀座に行きたがっていたようでした。」
「相変わらずですね。」
「いつもそうなんですか。」
「ええ、最初の日曜は、きまってそんなふうです。」
「二重橋のつぎが、銀座というのは、しかし、おもしろいじゃありませんか。」
「ええ、ちょっと皮肉ですね。しかし、今の日本の青年としては、おそらくそれが正直なところでしょう。」
 二人はいつの間にか、火鉢(ひばち)を中にしてすわりこんでいた。大河はまじめな顔をして、
「それは、しかし、青年ばかりではないでしょう。本職の軍人だって、正直なところは、たいていそんなものですよ。銀座みたいなところの魅力(みりょく)は、超時代的(ちょうじだいてき)というか、本能的というか、とにかく人間の本質にこびりついたものでしょうから、非常時局のかけ声ぐらいでは、どうにもならないでしょう。」
「そんなことを考えると、時代の力なんていっても、たいしたものではありませんね。」
「ええ、本質的なものに対しては、結局無力かもしれません。せいぜいできることは、お体裁(ていさい)を作るために形をかえでそれを満足させることでしょう。しかし、だからといって、時代の力は軽蔑(けいべつ)はできませんよ。うそを本気でやらせる力もあるんですから。」
「うそを本気で?……それはどういうことです。」
「早い話が、今の時代がそうじゃないですかね。このごろ時局だ時局だと叫(さけ)んでいる人たちはむろんのこと、それにおどらされている人たちも、自分では本気のつもりなんですよ。本気でなくちゃあ、あんな気ちがいじみたまねはまさかできないでしょう。ところで、その本気が、冷静に物事を考え、自分の心をどん底までたたいて見た上での本気かというと、決してそうではありません。たいていは時局のかけ声に刺激(しげき)されて、自分でも気づかないうちに、本心にないことを本気で言ったり、したりしているだけなんです。そうは思いませんか。」
「なるほど、そう言われるとそうですね。ここの塾生たちの中にも、入塾当初には、そんなのがざらにいますよ。」
「その意味で、銀座に行くのは、正直でいいじゃありませんか。少なくとも、うそを本気でやるよりはいいことでしょう。」
「かといって、正直だとほめてやるほどのこともなさそうですね。」
 二人は声をたてて笑った。次郎は、しかし、笑いながら、道江のことでなやんでいる自分が何かあわれなもののように感じられて、いやにさびしかった。
 かれはふと、思い出したように、
「何か用事じゃなかったんですか。」
「ええ、今日はみんなが帰るまでに、風呂(ふろ)をわかしておきたいと思ったもんですから。」
「風呂? 今日は、やすむことになっていたんじゃありませんか。」
 最初の日曜に、風呂当番だけが外出できなくなっては気の毒だというので、みんなの相談でそうきめていたのである。
「ええ、しかし、わかしておいてもいいんでしょう?」
「そりゃあ、むろん、いいどころじゃありませんよ。わかしてくれる人がありさえすれば……」
「じゃあ、ぼく、やっぱりわかしておいてやりましょう。……わくのに何時間ぐらいかかりますかね。ぼく、まだ、ここの風呂のぐあいがわかっていないんですが。」
「時間はまだゆっくりでいいんでしょう。しかし、いったい、どういうわけなんです。風呂なんか……」
「べつにわけなんかありません。ただ、ひまなので、風呂でもわかしておいてやろうかと思っただけなんです。みんなは、今日はほこりをかぶって来るでしょうし、それに、今夜はお国自慢(じまん)の会をやって遊ぶ予定でしょう。風呂でもあびて、さっぱりしたほうがいいんじゃありませんか。」
 大河無門は、そう言ってにっと笑ったが、すぐ、
「おじゃましました。」
 と、ぴょこりと頭をさげた。そしてのっそり立ちあがると、そのまま室を出て行ってしまった。
 次郎は、ぽかんとして、そのすんぐりしたうしろ姿を見おくっていたが、戸がしまったあとまで、大河のにっと笑った顔が、あざやかに眼に残っていた。その笑顔(えがお)は、こないだの板木(ばんぎ)一件以来、これで二度目だったのである。
 かれは、いつまでもその笑顔にとらわれていた。まんまるな顔の輪郭(りんかく)、近眼鏡のおくにぎらりと光る眼、真赤な厚い唇(くちびる)、剃(そ)りあとの真(ま)っ青(さお)な頬(ほお)の肉、そうしたものが、組みあわさってできあがる大河の笑顔には、一種異様な表情があった。それは、決して冷たい皮肉だとは受け取れなかった。かといって、単なるあたたかい親愛感の表現と受け取るには、その奥(おく)に何かきびしすぎるものが感じられたのである。
 次郎は、その笑顔を思いうかべながら、風呂をわかすことについての大河との問答を心の中でくりかえした。そして、大河が最後に言った言葉まで来ると、われ知らず肩(かた)をすくめ、吐息(といき)をついた。
(やはり、どこか突(つ)きぬけたところのある人だ。ものごとにとらわれない、あの自然さは、ぼくなんかとは、まるで段がちがう。)
 かれは、それからもながいこと、机の上にほおづえをついて、大河の笑顔と言葉との意味を心の中でかみしめていた。かれの臂(ひじ)の下には、恭一から来たはがきがあった。
 と、だしぬけに、窓のそとから、給仕の河瀬(かわせ)の声がきこえた。
「本田さん、朝倉先生がお呼びです。空林庵のほうにおいでくださいって。」
 次郎が窓をあけると、
「どなたかお客さんのようですよ。」
「お客さん?」
 次郎の眼には、つい忘れかけていた恭一と道江の顔が、大河の顔に代わって、やにわに大きく浮(う)かんで来た。
「どんなお客さんだい。」
「大学生のようでしたが。」
「ひとり?」
「いいえ、女の人がいっしょです。」
「そうか、いま来たんかい。」
「ええ、たった今でした。」
 河瀬はにやにや笑っている。次郎は、自分がどんなおろかな問答をくりかえしているかには、まるで気がついていないらしく、
「今すぐ行くよ。」
 と、ぶっきらぼうに言って、窓をぴしゃりとしめた。
 かれは、しかし、容易に立ちあがろうとはしなかった。そして、机の上にあったはがきに、かなりながいこと眼をこらしていたが、いきなりそれをとりあげると、両手でもみくちゃにし、屑(くず)かごの中に投げこんだ。そのあと、やっと思いきったように、立ちあがるには立ちあがったが、それでもすぐには室を出ようとせず、うつろな眼を戸口に注(そそ)いだまま、立ちすくんでいた。
 かれが空林庵の玄関(げんかん)をはいったのは、それからおおかた、十分ほどもたったあとのことだったのである。
 先生の書斎(しょさい)からは、にぎやかな話し声がきこえていた。かれは、しいて自分をおちつけながら、玄関をあがり、書斎のふすまをあけたが、その瞬間(しゅんかん)、みんなの顔がピントのあわない写真のようにかれの眼にうつった。
「何かお仕事でしたの?」
 朝倉夫人がたずねた。
「ええ、……ちょっと。」
 次郎は、突っ立ったまま、どもるようにこたえた。
「めずらしいお客さまでしょう。」
「ええ。」
 次郎は、しかし、道江のほうは見ないで恭一に向かってわざとらしく、
「やあ。」
 と声をかけ、自分のすわる場所を眼でさがした。
「どうぞ、あちらに。」
 朝倉夫人に指さされた座ぶとんは、恭一と道江との間にはさまれていた。入り口に近いほうに夫人と道江、床(とこ)の間(ま)に近いほうに先生と恭一とが席を占(し)めていたのである。
 かれがまだ尻(しり)をおちつけないうちに、
「次郎さん、しばらく。」
 と、道江が座ぶとんを半分すべって、あいさつをした。
「やあ、しばらく。」
 次郎も、すぐあいさつをかえしたが、道江の顔をまともには見ていなかった。かの女(じょ)の羽織(はおり)や帯の色が、美しい雲のように、うずを巻いて、眼のまえに浮動(ふどう)するのが感じられただけだった。
「道江さんにお会いするのは、私も家内も今日がはじめてなんだよ。君のお父さんからのお手紙や何かで、お名前だけは、すこし前から存じていたんだがね。」
 朝倉先生が次郎に言った。次郎は、固くなって、
「はあ。」
 とこたえたきりだった。しかし、心の中では、父が朝倉先生にあてた手紙に道江のことを書いたとすれば、それは恭一との婚約(こんやく)に関係したことにちがいない。それ以外のことで、道江のことなんか書く必要はすこしもないはずなのだから、と思った。
「うちで、白鳥会の連中が先生の送別会をやった時には、道江さんもいたんじゃなかったかな。」
 恭一が道江にたずねた。
「あの日は、あたし、お台所でお手伝いをしていましたの。」
「お給仕には出なかった?」
「ええ、おばさんに出るように言われたんですけれど、あたし、とうとうしりごみしちゃって。……でも、あの時は、男の学生ばかり、三十人もならんでいらしったんですもの。」
「すると、先生がたのお顔も今日がはじめてなんだな。」
「そりゃあ、お顔だけは存じていましたわ。あのとき拝見したんですもの。」
「のぞき見したの? どこから?」
「はしご段のところからですわ。ほほほ。」
 みんなが笑った。次郎も笑ったが、苦しそうだった。何でもない会話ではあったが、そうした対話が、自分を中にはさんで、二人の間にすらすらと取りかわされるのをきいていると、次郎は平気ではいられなかったのである。
 そのあと、話は、そのころの思い出で、つぎからつぎに花が咲(さ)いた。共通の話題は、いつまでたってもつきなかった。次郎をのぞいては、だれもが雄弁(ゆうべん)だった。そして、次郎がとかくだまりこみがちになっても、それは全体の話の流れには何のさまたげにもならないかのようであった。
 道江の言葉づかいは、以前に変わらず素直(すなお)で、すこしも才走(さいばし)ったところがなかった。それが、かつては、次郎に道江を平凡(へいぼん)な女だと思わせた一つの理由だったが、今はまるでちがった感じだった。素直さが、そのまま知性的に高められて、この上もない美しい品格を作っているように思われたのである。かれは、その感じが深まるにつれ、恭一が上京以来しばしば、かの女のためにいろいろの本を選択(せんたく)して送ってやっていたことを思い出し、これまでに覚えたことのない、異様なねたましさを覚えたのだった。
 朝倉夫人は、話の途中(とちゅう)で、みんなの昼飯の用意をするために、本館の炊事場のほうに行ったが、行きがけに次郎に言った。
「これからどんなお話がでるか、よく覚えていてくださいよ。あとできかしていただきますから。」
 次郎には、夫人のそんな言葉までが、何かとくべつの意味があるような気がして、平気では受け答えができないのだった。
 そのあと、話は主として朝倉先生と恭一との間にとりかわされた。道江は、女の話相手を失って、口を出す機会が自然に少なくなったのである。次郎は、そうなると、いよいよ気がつまり、舌がこわばった。
 道江は、朝倉先生と恭一とが話している間に、たびたび次郎の顔を見て、何か話しかけたいような様子を見せた。次郎は、むろん、それに気がついていた。かれは、しかし、あくまでも眼を先生と恭一とのほうにそそぎ、熱心に二人の話に聞き入っているかのように装(よそお)った。
「ねえ、次郎さん――」
 と、道江が、とうとう身をすりよせるようにして、小声でいった。
「お手紙、どうして一度もくださらなかったの?」
 次郎はちらっと道江の顔を見たが、その眼はまたすぐ恭一のほうにそそがれていた。そして、かなり間をおいて、
「べつに用がなかったからさ。」
 と、ほかの人にきこえるのをはばかるような、ひくい声でこたえ、頬を紅潮(こうちょう)させた。
 まもなく朝倉夫人が玄関口までもどつて来て、言った。
「おひるは本館のほうに用意しておきますわ。あと三十分ほどでしたくができますけれど、それまでに、お二人に館内をご覧いただいたら、どうかしら。恭一さんも、まだ本館のほうはよくご存じないんでしょう。次郎さん、すぐご案内してくださいよ。」
 次郎はふすまを半分あけて夫人にこたえたが、むろん気はすすんでいなかった。かれは夫人の足音が消えると、恭一を見て、
「本館を見る? もうたいてい知っているだろう。」
「くわしくは知らないよ。いつも、塾生たちのじゃまをしてはいけないと思って、先生の室と、君の室よりほかには、はいったことがないんだ。」
「そうだったかな。」
 次郎は、そう言いながら、やはりぐずついていた。すると、朝倉先生が、
「恭一君はいつでも案内できるが、道江さんはそうはいかない。ぜひ見ておいてもらいたいね。案内するなら、早いほうがいいよ。午後になると、塾生たちが帰って来るかもしれないからね。」
 次郎は、それで、しかたなしに立ちあがり、二人を本館に案内した。案内したといっても、大して説明することもなかった。かれが口をきかないと、道江のほうから、何かと話しかけた。それがかれには気づまりだったが、まるで相手にならないわけにもいかなかった。
「次郎さんは、すっかり以前とはお変わりになったようね。」
「そうかな。」
「ご自分では、お変わりになったこと、お気づきにならない?」
「そりゃあ、中学時代とは、ちっとは変わっているだろうさ。もうそろそろ四年近くになるんだもの。」
「ちっとどころじゃないわ。」
「そうかな。」
 次郎は、うわの空らしくよそおって、そっぽを向いたが、つぎの瞬間には、ぬすむように恭一の顔をうかがっていた。
「あたし、今日は何だか次郎さんがこわいような気がしますわ。」
「こわい? どうして?」
「だって、おそろしく、かまえていらっしゃるでしょう? あたしなんか、まるで相手にならないっていうふうに。」
「そんな……」
 と言いかけたが、次郎の舌は、それっきり動かなかった。
「あたし、さっきから考えていますの。塾生活なんかなさると、自然そんなふうにおなりなのじゃないかしらって。」
 道江はひやかしているのか、腹をたてているのかわからないような調子で言った。それが、次郎の胸にはひどくこたえた。かれはそのあと、ろくに塾の説明もできなくなったのだった。
 しかし、よりいっそう大きな打撃(だげき)をかれにあたえたのは、一通り案内を終わって、最後にかれの居室(きょしつ)をのぞいたとき、それまでほとんど口をきかないでいた恭一が、まじまじとかれの顔を見つめながら言ったことだった。
「今日は、君、たしかにどうかしてるね。ぼくの眼にも、いつもと非常に違(ちが)っているように見えるよ。何か苦しんでいることがあるんじゃない? もしそうだったら、打ちあけて朝倉先生に相談するがいいじゃないか。むろん、ぼくでよかったら、いくらでも相談にのるがね。」
 次郎は、恥(は)ずかしさと腹だたしさとで、顔中が引きつるような気持ちだった。
「何でもないよ。」
 と、かれはおこったようにいって、すぐ二人を、食卓(しょくたく)の準備されている広間に案内した。
 食卓は、日ざしのいい窓ぎわに据(す)えられており、朝倉先生夫妻のほかに、大河無門がもう卓について、三人がはいって来るのを待っていた。
「大河さんがおひとりで居残(いのこ)っていらしって、お風呂に水をいれていただいていたものですから、ごいっしょにお食事をしていただくことにしましたの。」
 夫人は、次郎にそう言ってから、恭一と道江を大河にひきあわした。そのあとで、朝倉先生は微笑(びしょう)しながら、恭一に言った。
「大河君は、普通(ふつう)の塾生とはちがって京大を出た人だよ。専門は哲学(てつがく)だ。しかし概念(がいねん)の哲学者じゃない。孔子(こうし)とかソクラテスとかいった型の、いわゆる哲人だね。今日は居残っていてもらってちょうどよかった。大いに教えてもらうんだな。」
 ごちそうはさつま汁(じる)だった。あたたかい日ざしの中でそれをすすっていると、汗(あせ)をかきそうだった。食後の蜜柑(みかん)が、舌にひやりとして甘(あま)かった。
 朝倉夫人が食卓のあとかたづけをはじめると、道江がそれを手伝った。そのあとは、またいっしょになって話がはすんだ。話題は、ひる前の空林庵での懐旧談(かいきゅうだん)とはちがって、人生論めいたことを中心に、民族とか、国家とか、階級とかいうことにまで及(およ)んだ。おもに口をきいたのは、先生と恭一と大河の三人だった。中でも大河が主役の観(かん)があった。それは、朝倉先生も、恭一も、大河を相手に話しかけがちだったからである。
 次郎はほとんど聞き役だったが、かれの関心の中心もやはり大河だった。かれはまず第一に、大河の頭が論理的にもすばらしく緻密(ちみつ)であるのにおどろいた。しかし、いっそうおどろいたのは、その緻密な論理の中から、間歇的(かんけつてき)に、気味わるいほどの激(はげ)しい情熱と強い意力とがほとばしり出ることだった。大河は、いつも半ば顔を伏(ふ)せ、眼をつぶるようにして、ぼそぼそと、落ち葉をふむ足音のような声で話すくせだったが、何か大事だと思う話の焦点(しょうてん)にふれだすと、その眼は、やにわにぎらぎらと光って相手をまともに見つめ、その厚い真赤な唇からは、青竹をわるような澄(す)んだ調子の高い声が、つづけざまに爆発(ばくはつ)するのだった。
 次郎が、その日感銘(かんめい)をうけた大河の言葉は、一つや二つではなかったが、とりわけ心に深くしみたのは、つぎの言葉だった。
「先生は、さっき、ぼくを、孔子やソクラテス型の哲人だなんて持ち上げてくだすったんですが、ぼくは、実は、そんなふうに言われると、悲観するんです。悲観するというのは、そんな偉(えら)い人たちと、ぼくとの間に距離(きょり)がありすぎるからばかりではありません。そういう事とは別に、ぼくにはぼくの考えがあるからなんです。生意気なことを言うようですが、孔子やソクラテスは凡俗(ぼんぞく)の上に立って凡俗を教えた人たちではありましたが、凡俗といっしょに暮(く)らした人たちではなかったと思います。その意味で、ぼくの今の気持ちには、何かぴったりしないところがあるんです。ぼくは、今のところ、教える人になりたいとは、ちっとも考えていません。自分も凡俗の一人として、凡俗といっしょに暮らしてみたい。おたがいに凡俗のまごころをつくして暮らしてみたい。ただそう思うだけなんです。これは、あるいはまちがっているかもしれません。しかし、現在のぼくは、それよりほかに、気持ちよく生きて行く道がないような気がしているんです。」
 この言葉には、次郎だけでなく、みんなも強い刺激(しげき)をうけたらしかった。ことに、朝倉先生は、その言葉をきくと、何かにおどろいたように目を見張り、しばらくして、うむ、うむ、と何度もうなずいたり、ながいため息をもらしたりしたほどであった。
 恭一と道江とが帰ったのは、四時近いころだった。次郎は門のそとまで二人を見おくって出たが、わかれぎわになって、ふと思い出したように恭一に言った。
「ぼく、今度の期間を終わったら、ひょっとすると、ここの助手をやめるかもしれないよ。」
「え?」
 と、恭一は、しばらく穴のあくほど次郎の顔を見つめていたが、
「何か失敗した?」
「失敗なんていうことはないけれど、ぼく、もっと考えてみたいことがあるんだ。」
「塾がいやになったんじゃないだろうね。」
「そんなことないさ。そんなこと――」
 と、次郎はいかにも心外だというように、口をとがらしたが、
「要するに、ぼく、今のままじゃあ、不適任だという気がするんだ。」
「どうして?」
「どうしてって――」
 と、次郎は目をふせたが、その視線の中には、白い足袋(たび)をはいた道江の足がはっきり浮(う)かんでいた。かれは、あわてたようにそれから眼をそらし、
「ぼく弱すぎるんだ。自信がなくなったんだ。だから、もっと自分を鍛(きた)えてみたいんだ。」
「自分を鍛えるのに、助手をやめる必要はないだろう。やめたら、かえって――」
「ぼく、孤独(こどく)になってみたいんだよ。」
「孤独に?」
「ぼく、実は、大河君がうらやましくなったんだ。大河君には、ぼくとちがって、朝倉先生のような、先生らしい先生がなかったらしい。大河君の力は孤独から生まれた力なんだ。ぼくはこれまで、あんまり先生をたよりすぎて来た。だから、ぼく自身でぼくを始末する力がないんだ。」
 恭一は、複雑な表情をして、しばらくだまりこんでいたが、
「しかし、塾を出て、どこへ行くんだい。」
「それは、これから考えるさ。」
「君に去られたら、先生がお困りじゃないかね。」
「助手には大河君をつかってもらえば、かえっていいと思っているんだ。大河君も、たのめばきっと喜んでやってくれるだろう。」
「ふむ――」
 と、恭一は、もう一度考えこんだが、
「しかし、大事なことだ。もっとおたがいに、考えて見ようじゃないか。いずれ近いうちにまたやって来るよ。できれば、今度は大沢(おおさわ)君をさそって来る。三人でゆっくり話しあってみよう。朝倉先生に話すのはそのあとにしたらどうだい。……また話してはいないんだろう。」
「むろん先生にはまだ話してないさ。こんなことを考えたの、今日がはじめてなんだから。」
「今日がはじめて? なあんだ、そうか。」
 と、恭一は笑いかけたが、その笑いは、急に何かに払(はら)いのけられたように消えた。そしてつぎの瞬間には、かれの聡明(そうめい)そうな眼が、しずかに次郎と道江との間を往復していた。
 道江は、二人の話を心配そうにきいているだけで、ひとことも口をきかなかった。しかし、いよいよわかれる時になると、遠慮(えんりょ)ぶかそうに次郎に言った。
「次郎さんは、今でもやっぱりどこかに一途(いちず)なところがあるのね。どんなわけだか知らないけれど、短気をおこさないでくださいよ。何ていったって、次郎さんは朝倉先生のおそばにいらっしやるのが一ばんいいと、あたし思うわ。」
 次郎は、そっぽを向きながら、悲しいような、腹だたしいような気持ちで、それをきいていた。返事はむろんしなかった。そして、二人にわかれて、自分の室にかえると、机の前にすわりこんで、いつまでも動かなかった。
 塾生たちの大多数は、時間ぎりぎりに帰って来た。早めに帰って来たものは一人もなく、中には夕食に間にあわなかったものも幾人(いくにん)かあったので、ちょっと心配されたが、それでも食卓をかたづけるころまでには、どうなり全部の顔がそろった。
 入浴は、みんなの帰りがおそかったので、夕食後になり、一時に殺到(さっとう)したため、かなりこんだ。しかし、大河のおかげで、予期しなかった入浴ができたのを、みんなは心から喜んだ。かれらにとっては、大河は、最初の朝の板木一件以来、いわば、いい意味での一種の変人であり、何かしら人の意表に出るような親切をやって喜ぶ性質(たち)の人であった。かれらはいつの間にか、大河を「さん」づけで呼ぶようになっていたが、それは、そうした変人に対するかれらの親しみの情をこめた敬称だったのである。
 入浴がすむと、いよいよ待望の「お国自慢(じまん)の会」がはじまった。
 広間にあつまったみんなの顔は、つやつやと光って晴れやかだった。
「今夜は何だか銀座の匂(にお)いがするようだね。」
 朝倉先生は、座につくと、すぐそんなしゃれを飛ばした。
「銀座の匂いは、もう風呂で流してしまったんです。」
 だれかがすかさず応酬(おうしゅう)した。つづいて、
「おみやげに、すこし残しておくところだったね。」
 そんなふうで、最初から笑いが室内の空気をゆりうごかしていた。
「お国自慢の会」は、一面「郷土を語る会」であり、他面「郷土芸術の発表会」であった。あるものは演説口調(くちょう)で郷土の偉人(いじん)や、名所旧蹟(きゅうせき)や、特殊(とくしゅ)の産業などを紹介(しょうかい)し、あるものは郷土の民謡(みんよう)や舞踊(ぶよう)を披露(ひろう)した。かれらは決して各府県青年の代表という資格で集まって来ていたわけではなかったが、たいていは、立ちあがるとすぐ、力(りき)みかえって「ぼくは○○県を代表して」などと、前口上(まえこうじょう)をのべるのであった。かれらを、日本の青年に通有な、そうした無意味な構え心から脱却(だっきゃく)させようとしても、それは、友愛塾の一週間ぐらいの共同生活では、どうにもならないことだったのである。
 注目されていた飯島は、徹頭徹尾(てっとうてつび)演説口調で、村を語り、郡を語り、県を語ったが、話の内容は、とかく政治勢力の問題にふれ、地についたところがほとんどなかった。田川は白鉢巻(しろはちまき)をして勇壮(ゆうそう)活発(かっぱつ)な剣舞(けんぶ)をやった。青山は民謡をうたったが、その声は美しくさびて、おちついていた。大河は、飯島とはちがった意味で、やはり注目されていた一人だったが、自分の順番が来ると、くそまじめな顔をして、のそのそと窓のほうに行き、そこの柱にしがみついた。そして、
「ぼくの村には、夏になると、こんな声を出して鳴く蝉(せみ)が、たくさんいます。――みいん――みいん――みいん――」
 と、蝉の鳴き声をたて、その声にあわせて、ぶるぶるとからだをふるわせた。声だけは、いかにも蝉らしかったが、からだのほうは、まるで小牛が身ぶるいしているような格好(かっこう)だった。みんな腹をかかえて笑った。その笑い声の中を、大河は、相変わらず、くそまじめな顔をして自分の席にもどり、とぼけたようにあたりを見まわした。それでもう一度笑いが爆発した。
 この席には、炊事夫の並木(なみき)夫婦(ふうふ)や、給仕の河瀬も加わっていて、みんなそれぞれに何か一芸をやった。最後に、次郎と朝倉先生夫妻の三人だけが残されていた。
「本田さん、まってました。」
「先生、お願いします。」
「小母(おば)さんも、どうぞ。」
 塾生たちがほうぼうから叫(さけ)び、拍手(はくしゅ)が何度も鳴りひびいた。
 いつもなら、次郎がすぐ立ちあがって何かやるところだったが、今日は変に立ちしぶっていた。すると、朝倉先生が、急にいずまいを正し、謡曲(ようきょく)でもやりだしそうな姿勢になった。みんなは急にしんとなって、片唾(かたず)をのんだ。
「猛虎(もうこ)一声、山月高し――」
 朗々(ろうろう)たる詩吟(しぎん)の声が流れた。ところが、詩吟はそれっきりで、そのあと先生は、ひょいと畳(たたみ)に両手をついて四つんばいになった。そして首を前につき出し、しばらく塾生たちのほうをにらめまわしていたが、いきなり、その咽(のど)から、
「うおーっ」
 と、窓ガラスを振動させるような、すごいうなり声がほとばしり出た。これは先生がいつもやるたった一つのかくし芸だったが、はじめての塾生たちの中には、虚(きょ)をつかれて、思わず首をちぢめたり、「ひやッ」と叫び声をあげたりするものもあった。今夜もそうだった。しかし、あとは笑い声と拍手の音がながいこと室内にうずをまいた。
 笑い声がしすまりかけると、塾生のひとりが言った。
「先生、それは先生の郷土芸術の一つですか。」
「まあ、そんなものだ。」
「何だか、あいまいですね。」
「私は、子供のころ、父が転任ばかりして、ほうぼううろついていたものだから、実は、郷土というほどの郷土を持たないんだ。今のところ、しいて郷土を求めるとすれば、この塾の近所がそうかな。」
「じゃあ、ここいらの民謡でも。」
「そいつは無理だ。ここに落ちついてから、まだながくならんのでね。それに、第一、こんなに東京に近いところでは、民謡なんか、残っているはずがないよ。」
「今度は小母さんの番だ。お願いしまあす。」
 だれかが夫人のほうに鋒先(ほこさき)を向けた。
「あたしも郷土芸術はだめ。」
「何でもいいんです。」
 すると、すみのほうから、
「猫(ねこ)の鳴き声。」
 と、小声で言ったものがあった。笑いがまた爆発した。朝倉夫人も笑いながら、
「猫の鳴き声なんか、陰気(いんき)じゃありません? それよりか、ここには友愛塾音頭(おんど)というのがありますから、あたしそれをご披露(ひろう)しますわ。」
 一せいに拍手がおこった。夫人は、
「では、本田さん。」
 と、次郎に目くばせした。次郎は自分のそばにおいていたガリ版刷りを塾生たちに渡(わた)した。それには音頭の歌詞(かし)が印刷してあったのである。
 ガリ版刷りがみんなにゆきわたったころには、次郎は、もう、室の隅(すみ)に据(す)えてあったオルガンの前に腰(こし)をおろしており、先生夫妻と、炊事(すいじ)の並木夫妻と、給仕の河瀬の五人が、室の中央に輪を作って立っていた。
 やがて、オルガンにあわせて、五人は歌をうたいながら、踊(おど)りだした。手ぶりや、足のふみ方や、ぐるぐるまわって行進したり、あともどりしたりするところなど、すべては盆踊(ぼんおど)りそっくりだった。歌の文句は朝倉先生と次郎の合作(がっさく)で、つぎの四節から成っていた。

板木(ばんぎ)鳴る、鳴る。浄(きよ)めの朝だ。
こころしずめて打つかしわ手は、
わかい日本の脈音だ。
くぬぎ、赤松(あかまつ)、ほのぼの白みゃ、
さあさ、世界のあけぼのだ。

板木鳴る、鳴る。張りきる胸だ。
咲(さ)いたつつじが照る日に燃えりゃ、
わかい日本の血の色だ。
真理(まこと)もとめて走ろか、友よ。
さあさ、世界の駈(か)けくらだ。

板木鳴る、鳴る。そら飯時(めしどき)だ。
色は黒ろても、半つき米は、
わかい日本の持ち味だ。
腹ができたら、ひと汗(あせ)かこか。
さあさ、世界の地固めだ。

板木鳴る、鳴る。日暮(ひぐ)れの杜(もり)だ。
一風呂(ひとふろ)あびて円坐(えんざ)を作りゃ、
わかい日本のいしずえだ。
語れまごころ、歌えよのぞみ。
さあさ、世界の平和(やわらぎ)だ。

 五人の中で、朝倉先生の踊りが目だってぎごちなかった。しばしば手のふり方や、足のふみ方をまちがえて、前後の人を面くらわせ、時には鉢合(はちあ)わせしそうになることもあった。そのたびに、塾生たちは手をたたき、腹をかかえて笑った。
 朝倉夫人は、手振(てぶ)りのあい間あい間に、おりおり塾生たちを手まねきしては、踊りの輪に加わらせようとした。はじめのうちは、みんな尻(しり)ごみして、笑ってばかりいたが、踊りに自信のできたらしい塾生が、二三名、思いきって飛びこむと、あとは、つぎつぎにその数がふえて行った。
 踊りはいつまでもつづき、時がたつにつれてその輪が大きくなり、あとでは、輪を二重にしなければ、室が狭(せま)すぎるほどになった。そして、そのころになると、まだ輪に加わらないでいる塾生は、ほんの四五名にすぎす、その四五名も、そうなると、すわっているのがかえってきまりわるくなったらしく、とうとう頭をかきかき、一人のこらずたちあがった。その四五名の中には田川や飯島がいた。大河や青山は、もうとうに踊りはじめていたのだった。
 踊りの輪が大きくなり、二重になるにつれて、全体としては、しだいに熟練の度をまして行った。しかし、朝倉先生のように、いつまでたってもじょうずにならないものもあり、また新加入者があるごとに、かならず二度や三度は何かのへまをやったので、爆笑の種は容易につきなかった。
 最も多く爆笑の種をまいたのは大河無門だった。かれの不器用(ぶきよう)さは朝倉先生どころではなく、その手振りはまるで拳闘(けんとう)でもやっているような格好であり、その足の運びには、四股(しこ)をふむ時のような力がこもっていた。しかも、かれ自身は、どんなへまをやっても微笑一つもらさず、いつも真剣(しんけん)そのものといった顔つきをしていたのである。
 次郎は、その晩は、最後まで、心から愉快(ゆかい)にはなれなかった。みんなが愉快になればなるほど、変にいらだつような気持ちになり、オルガンをひきながら、大河無門の不器用な踊りを見ていても、たださびしく笑うだけだった。そして、その晩の集まりが友愛塾音頭を打ちどめにして終わったあと、自室に引きとってからも、ともすると、大河の踊っている時の顔が眼に浮かんで来た。それは、かれの今朝からのにがい思い出を茶化しているような顔にも思え、また真剣に憂(うれ)えているような顔にも思えるのだった。
 かれは、ふと、何と思ったか、このごろしばらく手にしなかった「歎異抄(たんにしょう)」を本立からひき出して机の上にひらいた。しかし、かれの眼は、その中にしるされた文字に深くはいっていくようではなかった。かれは何度か髪(かみ)の毛をむしり、ため息をついたあと、ばたりと「歎異抄」をとじ、その上に顔をふせてしまったのである。

   八 手紙

 それから四日目の、昼食後の休み時間のことであった。次郎が、葉の落ちつくしたくぬぎ林の、日あたりのいい草っ原で、四五人の塾生(じゅくせい)たちを相手に雑談をしていると、郵便物当番の塾生がやって来て、かれに一通の分厚な封書(ふうしょ)を渡(わた)した。見ると恭一(きょういち)からの手紙である。
 同じ東京に住むようになってからは、しばしば顔を合わす機会も得られたので、これまで、恭一との間の通信は、おたがいに葉書ぐらいですませており、長い手紙など、一度もやりとりしたことがなかったし、それに、先日道江(みちえ)といっしょにたずねて来てもらった時のいきさつもあったので、次郎はその分厚な封書を受け取ると、心にかなりの動揺(どうよう)を感じ、もう落ちついて雑談などしておれなくなった。かれは、しかし、しいて平気をよそおいながら、無造作(むぞうさ)に手紙をかくしに突(つ)っこんだ。それから、立ちあがって背のびをしたり、両腕(りょううで)をふりまわしたりしたあと、一人でぶらぶらと赤松(あかまつ)の林のほうに歩きだした。そして、林をすこしはいって、人目のとどかないところまで来ると、いそいで手紙の封をきり、むさぼるように読み出した。
「……直接会って話すほうが誤解がなくていいと思ったが、しかし、話しているうちに、おたがいの感情がもつれあって、かえって誤解を招くような結果になりはしないか、というふうにも考えられたので、やはり手紙を書くことにした。ぼくは手紙を書くことによって、だれにもさまたげられないで、ぼくの考えていることを、その正否は別として、いちおうピンからキリまで君につたえることができると思うのだ。もっともこの手紙を書くことになった動機は、現在の君の心境についての、ぼくの一方的な判断――むしろ想像といったほうが適当かもしれないが――にあるのだから、その判断がてんで見当ちがいだとすれば、この手紙は全然、無意味だということになるだろう。いや、無意味だけですめばまだいいが、あるいは君の怒(いか)りを買うようなことになるかもしれない。しかし、ぼくとしては、結果がどうであろうと、ともかくもいちおうこの手紙を書かないではおれないような今の気持ちなのだ。会って話をすれば、事情がはっきりして、一方的な判断で、無意味な、あるいは危険な手紙を書いたりする必要がないではないか、と君は言うかもしれない。それはその通りだ。ぼく自身、一応も二応もそう考えてみないではなかった。しかし率直(そっちょく)に言うと、ぼくは実は、会って話をすると、君が君の本心をいつわって、ぼくの君にたいする判断を、頭から否定してかかるのではないか、と心配したのだ。もしそういうことになれば、ぼくは二の句がつげなくなる。むろん君の否定が真実であれば、ぼくが二の句がつげないのは当然なことで、ぼくはただ君に対して陳謝(ちんしゃ)するほかはない。しかし、万一にも、ぼくの心配があたっているとすると、ぼくが二の句がつげないということは、あるいはぼくたち二人にとって一生の不幸を意味することになるかもしれないのだ。真実を語ればかえって物ごとの解決が困難になるという場合、それを語らないのは、むろんいいことにちがいない。しかし、真実がわかりさえすれば、わけなく解決の道が発見されそうに思えるのに、それをかくしておいて、一生の不幸を見るということは、何というばかげたことだろう。ぼくはそういう気持ちで、一方では君の怒りを招くという危険をおかしながらも、思いきってこの手紙を書くことにしたのだ。つまり、ぼくは君にはひとまず物を言わせないで、言いかえると、君の本心をいつわる機会を君に与(あた)えないで、ぼくの言いたいことだけを言ってしまう方法として、この手紙を書くことにしたのだ。だから、そのつもりで、ともかくもいちおう最後まで眼(め)をとおしてもらいたい。」
 次郎には、そうした前置きがもどかしくもあり、気味わるくも感じられた。恭一がふれようとする問題が、道江のことにちがいないという気もしたし、また一方では、まさかという気もしたのである。まさかという気がしたのは、自分が道江に対して抱(いだ)いている気持ちを恭一が知っていようはすがない、と思っていたからである。
 しかし、恭一の手続は、そのつぎの行では、残酷(ざんこく)なほどあからさまだった。
「君は道江を愛している。これが、ぼくの君に対する判断だ。ぼくはまずそのことをはっきり言っておきたい。」
 いきなりそんな文句があった。その文句を見た瞬間(しゅんかん)、次郎は、眼のまえに炎(ほのお)が渦巻(うずま)くような気がして、しばらくはつぎの文字を見ることができなかった。
「この判断には、しかし、たしかな根拠(こんきょ)はない。ただ、先日君をたずねたあとで、直観的にそう判断したまでのことだ。しかし、ぼくだけでは、この直観にあやまりはないという気がしている。むろん、ぼくは、あの日最初から君をそう思って観察していたわけではない。じつは、君に塾内を案内してもらっていた間に、君の道江に対する態度のあまりにもよそよそしいのに気がつき、なぜだろうと思ったのがはじまりで、そのあと、ぼくはかなり注意ぶかく君の一挙一動を見まもっていたのだ。すると、君にはまるで落ちつきがなかった。君は何の原因もないのに、いつもおどおどしていた。かと思うと一人で何かに腹をたてているようにも思えた。君はただの一度も君のほうから道江に言葉をかけなかったばかりか、まともに道江の顔を見ることさえしなかった。ぼくたち兄弟のなかでだれよりも道江に親しかったはずの君が、何年ぶりかで会ったというのに、あんな態度に出るからには、何かよほど重大な理由がなければならない。ぼくは、あの時、そう思わないわけには行かなかったのだ。しかし、あの日君とわかれるまで、その理由が、何であるかには思いあたらなかった。ただぼんやり、道江が何かひどく君を怒らせるようなことをしたにちがいない、と考えていたのだ。もっとも、別れぎわになって、君が急に友愛塾をやめたいというようなことを言いだしたときには、理由はそんな単純なことではない、という気がしないでもなかった。しかし、それも、君のそうした考えが以前からのものではなく、その日の急なでき心だと知ると、やはり道江と結びつけて考えてみないではいられなかったのだ。――」
「で、ぼくは帰る途中(とちゅう)、道江にそれとなく、君との間に何かいきさつがありはしなかったか、とたずねて見た。そして、あの時の道江の答えによって、ぼくは非常におどろかされたのだ。道江の言うところでは、君は、上京以来、郷里のいろんな人たちに、かなり多くの通信をしているにかかわらず、道江に対してだけは、葉書一枚も書いていないし、道江のほうから通信をしても、受け取ったという返事さえ出していないというではないか。もし事実その通りだとすると、これほど変なことはない。というのは、ぼくの知っているかぎりでは、君は上京のその日まで道江とは十分親しくしていたし、まさか君が汽車に乗って東京につくまでの間に、仲違(なかたが)いをするような原因が発生するとは思えないからだ。そこで、ぼくは、君の道江にたいするこの変な仕打ちの意味を真剣(しんけん)に考えてみた。その結果、ぼくの下(くだ)した判断はこうだ。君は道江を深く愛している。しかし、それはある事情によって実を結ばない。だから君は永久に道江とわかれる決心をした、そしてその機会を上京に求めたのだと。ぼくは、実は今になって思うのだが、君が卒業間近になって中学を退学しなければならなくなったのを、あんがい平気でしのび得たのは、それが道江からのがれる一つの機会を君に与えることになったからではあるまいか――」
 次郎の心は、一瞬、強く反発(はんぱつ)した。かれにとっては、退学の問題と道江の問題とは何の関係もないことで、正義感によって動いた自分の行動を、一女性に対する私の感情と結びつけて考えられるのは全く心外だったのである。しかし、道江にわかれた時のかれの気持ちが、未練以外の何ものでもなかったことに気がつくと、むしろ、恭一に自分が高く評価されたような気もして、その反発はすぐ羞恥(しゅうち)と自嘲(じちょう)に代わった。
「むろん、ぼくは、君が喜んで道江と別れたとは思わない。君にとっては、それはおそらく退学などとは比べものにならないほどの大きな苦痛であったろうと想像する。それにもかかわらず、君はそれをしのんで道江とわかれる決心をした。そして、その原因になった事情が、おそらくぼく自身に関係したことであるだろうことに思い到(いた)ると、ぼくはいても立ってもいられないような気がして来たのだ。今さら何をいうのか、と君はあるいは怒るかもしれない。しかし、もしあの当時、君の道江にたいする気持ちに、ぼくが、少しでも気がついていたとしたら、君にこんな苦痛をなめさせないでもすんだにちがいない。そう思うと、ぼくは実際たまらなくなるのだ。ぼくは誓(ちか)っていうが、あの当時、道江にとくべつな関心をもっていたわけではなかった。ぼくの道江に対する気持ちは、親類のおとなしい女の子という以上には出ていなかったのだ。また、婚約(こんやく)のことにしたところで、まだ何も正面切っての話があっていたわけではなかった。なるほど、父(とう)さんからは、たった一度だけ、それもごくぼんやりと、ぼくの気持ちをきかれたことがあるにはあった。しかし、その時も、ぼくは、結婚(けっこん)はまだずいぶん先のことだし、ゆっくり考えておきましょうぐらいな、いいかげんな返事をしたにすぎなかったのだ。むろん、ぼくは、はっきり道江をきらいだとは言わなかった。しかし、それは、あんなやさしい子をそんなふうに言う気がしなかったからで、決して異性として、将来の結婚の相手として、いくらかでも心をひかれていたからではなかった。要するに、ぼくは、親類のやさしい女の子として、道江を十分愛しもし、尊敬もしていたが、道江がだれと結婚しようと、その相手がいい人でさえあれば、それは、その当時、ぼくにとってはどうでもいいことだったのだ。では、今はどうか。これがおそらく君にとっても、ぼくにとっても最も大事な問題だと思うが、それについても、ぼくははっきり言うことができる――」
 次郎は思わず息をのんだ。
「道江は、今でも、ぼくにとっては、親類の愛すべき女の子以上の存在ではない。ただその当時と、いくぶんちがっている点があるとすると、それは、彼女(かのじょ)がこの数年の間に読書によってその当時よりはるかに尊敬すべき女性に成長しているということだ。――」
 次郎は、のんだ息を大きく吐(は)いた。そのあと、深い呼吸がしばらくとまらなかった。
「こう言うと、君は、今度はぼくのほうが本心をいつわっていると思うかもしれない。しかし、その疑いを解くのはさほど困難ではない。そのたしかな証拠は、もし君がちょっと骨折ってそれをさがす気にさえなれば、すくなくとも二つは見つかるはすだ、その一つは、先月はじめ、ぼくが父さんに出した手紙であり、もう一つは、それから少しおくれて朝倉先生に出した手紙だ。どちらも、道江との婚約問題についてぼくの考えをたずねられたのに対する返事だが、父さんあての返事には、婚約は、相手のいかんにかかわらず、自分が社会的に独立する目あてがはっきりするまでは絶対にやりたくない。もし道江がそれまで自由な立場にあれば、その時になって、あらためて考えてみることにしたい。しかし、そういうことを先方に通じて、それが少しでも道江を拘束(こうそく)することになっては困るから、いちおうこの話は、打ち切ってもらいたい、という意味のことを書き、朝倉先生に対しては、ごく簡単に、当分結婚のことは考えたくない、という返事を出しておいたのだ。もっとも、ぼくはこの二つの手紙を書きながら、道江自身の気持ちをおしはかってみないのではなかった。そして、もし万一にも、道江自身がぼくとの結婚を希望し、それがこの話の糸口になっているとすれば――と、そう考えると、道江がいじらしくてならないような気もしたのだ。しかし、これは、同じような立場に立たされた女性に対してだれでもが感じうる人間的感情を、ぼくがいくぶん強く感じたというまでのことで、断じて恋愛(れんあい)というべき性質のものではない。君はこの点についてもぼくを信じていいのだ。――」
 次郎は信ずるよりほかなかったし、また、信じたくもあった。しかし、それを信ずるということは、この場合、かれにとって何の慰(なぐさ)めにもなることではなかった。
(道江は恭一を愛している、それはちょうど自分が道江を愛しているように。)
 このことは、道江の今度の上京の意味を考えてみるまでもなく、かれにとっては、あまりにも明瞭(めいりょう)なことだったのである。
 恭一の手紙は、しかし、かれの気持ちに頓着(とんちゃく)なく、しだいに論理的になって行った。
「さて、君が道江に対していだいている気持ちについてのぼくの判断に誤まりがなく、そして、ぼくが道江に対していだいている気持ちについてぼく自身のいうことを君が信じてくれるとすると、残る問題で最も重要なことは、道江自身の気持ちはどうか、ということだ。君は、おそらく、それはもうわかりきったことだ、と言うだろう。今の君としては、無理もないことだ。そう思っていたればこそ、これまで一人で苦しんで来たのだろうから。……しかし、もし、ぼくの将来の結婚の相手として、道江のことが内輪話(うちわばなし)の種になっていたのを、君がたまたま耳にして、それだけで、すぐ道江の気持ちまでを決定的なもののように君が思いこんでしまったとすると、それはあまりにも軽率(けいそつ)だったと言わなければなるまい。それでは、道江が第一気の毒だし、ぼくも非常に迷惑(めいわく)する。だいたい、この話は、双方(そうほう)の老人たちの軽い茶話の間から生まれたことで、もともと道江の気持ちにもぼくの気持ちにも全くかかわりのないことだったのだ。それが多少真剣な話になって来たのは、つい半年ばかり前からのことだが、それでも、その中に道江の気持ちが反映しているとは思えない。というのは、そのことについての父さんからの最初の手紙に、若い女の心をきずつけてはならないから、お前の肚(はら)がきまらないかぎり、道江本人には絶対秘密にするように、双方で固く申合わせてある、と書いてあったからだ。おそらく現在でもこの秘密は守られていることだと思う。要するに、道江のぼくに対する気持ちということと、ぼくに婚約の話が持ちかけられたということとは、最初から全然無関係のことだし、今でもやはり無関係だとぼくは信じている。この点をまず君に了解(りょうかい)してもらいたいと思う。――」
 次郎は、ふんと鼻を鳴らし、冷笑とも苦笑ともつかぬ変な笑いを口元にうかべた。しかし、その目は、むさぼるように先を読みすすんでいた。
「もっとも、こういうことは、いくら秘密にしても、周囲の空気で何とはなしにわかることもあるし、何かのはずみで、話の片鱗(へんりん)ぐらいは耳にはいらないものでもない。だから、道江がまるでこのことに感づいていないとは断言できないだろう。
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