次郎物語
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著者名:下村湖人 

 道江――それが彼女の名であった――は、女学校の二年に通っていた。彼女は姉の結婚式後、しばらく大巻の家に顔を見せなかったが、正月をむかえてからはたびたび一人で来るようになり、ことに、学校がはじまると、その帰りには、よく寄り道をして、ちょっとでも姉に会って行くといった工合であった。そして大巻に来ると、三度に一度は本田にも寄り、時には母に言いつかったと言って、卵をゆずってもらったりすることもあった。そんなふうで、次郎や俊三も、いつの間にか彼女と親しく言葉を交わすようになり、大巻の家でいっしょにご飯をよばれたりすることも、まれではなかった。
 彼女には、これといって目立った特徴はなかった。「すなおな子」というのが、彼女に対する本田や大巻の人たちの一致したほめ言葉であった。それにはお祖母さんも心から同意していたらしく、俊亮にむかって、おりおり「年頃も恭一にちょうどいいようだね。」などと言ったりした。
 次郎は、お祖母さんのそんな言葉を耳にしても、はじめのうちは、べつにどうという感じも起らなかった。ただ、ぼんやり、彼女を家族の一員として迎えることにある喜びを感ずる、という程度でしかなかった。そして、彼が彼女を知ってから、およそ一年ばかりもたったころには、彼は現実にも、また夢の中でも、彼女に自分の好きな本を貸してやったり、またその内容について話しあったりするほどに彼女との親しさを加えていたとはいえ、もし彼が、彼女の身辺につきまとっている一人の青年のいまわしい眼を発見しなかったとすれば、彼の彼女に対する感情は、彼の日記の中で、「聰明で静かな少女」という文字を書いたり消したりした程度にとどまっていたのかも知れない。そして、かりに何年かの後に、お祖母さんの希望どおり、彼女と恭一との結婚が事実となってあらわれたとしても、もし彼がどこかの上級学校にでもはいっていれば、そこから彼は、過去の思い出からしみ出る言いしれぬ淋しさを胸に抱きつつも、恭一にあてて心をこめた祝賀の手紙を書くことが出来たであろう。
 だが、「運命」と「愛」と「永遠」とは、おたがいに完全な握手が出来るまでは、決して中途半端な握手はしないものである。「運命」の手は、まだ容易に次郎を「永遠」の手に渡したがらない。「愛」もまた彼のまえにさまざまの迷路を用意している。次郎が、一青年のいまわしい眼を道江の身辺に発見したということは、それがあとになって彼自身に「無計画の計画」と感じられようと、あるいは「摂理」の至妙な計画と感じられようと、彼が「永遠」の門をくぐるために、一度は耐えなければならない試煉だったのである。私は、これから、次郎がどんな工合にその試煉にたえていったかを物語りたいと思う。
 しかし、次郎がたえて行かなければならない試煉は、ただそれだけではなかった、実は、彼の前には、すでに、そうしたわたくし事とはくらべものにならない、大きな試煉が待ちかまえていたのである。それは「時代」の試煉であった。次郎という個人にだけでなく、国家と民族とにおもおもしくのしかかって来る「時代」の試煉であった。私は、これまで、次郎が、家庭や、学校や、せまい範囲の師友の間に生活する姿だけを記録して来たが、彼がそうした大きな時代を迎えることになったとすれば、そして、とりわけ、時代というものに最も敏感であり、情熱的であるべき年齢において、それを迎えることになったとすれば、私は、もはや、時代をぬきにして彼を描くわけにはいかない。かりに、道江を中心とした問題が、本来、時代とはかかわりのない大きな浪であったとしても、それが、事実、一層大きな、ほとんど無限ともいうべき大きな時代の浪の中での一波瀾(はらん)であったとすれば、単にそれだけを切りはなして描いただけでは、彼のほんとうの生活を描いたことにならないであろう。私は、だから、この二つの浪を同時に描かなければならない。いや、一つの浪をもう一つの浪の中にとらえ、その浪がしらに漂う次郎の眼と、唇と、呼吸と心臓と、手足の動きとをつぶさに記録して行かなければならないのである。しかし、それにはまだかなりの時間と紙とがいる。で、私は、読者が次郎を気遣うあまり、気短かすぎる読者にならないことを切に希望して、一先ず次郎の青年前記の記録をここで終りたいと思うのである。
(昭和十九年十一月)



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