次郎物語
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著者名:下村湖人 

 次郎は、はっとしたように、首をもたげた。
「で、どうでした。やっぱり次郎さんがあやまりなすったんですか。」
「あやまろうにも向こうがてんで相手にしないんだ。芝居だっていうんだよ。尤も、最初にこちらの肚を話してやりゃあ、お内儀も安心して、あいそよく次郎を相手にしてくれたかも知れないがね。しかし、それで次郎をごまかしてしまっちゃせっかくのあいつの真心が恥をかくよ。」
「なあるほど。しかし、次郎さんがあやまらなくてすんだのはよかったですね。実際、あんな奴にあやまるのは、もったいないですよ。」
「はっはっはっ。まあ、しかし、とにかくこれですんだんだ。ついでに店も、ここいらでおしまいにしようかね。お前にいつまでもいやな苦労をかけてもすまないし。」
「店を?……そうですか。」
 と、仙吉の声は、急に低くなった。
「いずれしまうからには、一日も早い方がいい。仕入の方も一つ二つ話をかけていたところだが、今日にも断っておこう。店の方は、ご苦労ついでに、お前の手でしめくくりをつけてみてくれ。どうせ大したこともあるまいが。」
「承知しました。」
「じゃあ、私は、この足で一二相談したいところをまわってくるから、頼むよ。」
 そう言って、俊亮は表の方に行きかけたらしかったが、
「うちの者には、私から話すから、そのつもりでね。それから、次郎はどうした、帰って来たのかね。」
「ええ、二階においででしょう。」
「そうか。……じゃあ、行って来る。」
 次郎は、その時、父のあとを追いかけて、何ということなしにわびたい気持だった。さっき父を疑ってみた気持などもうどこにも残っていなかった。そして、自分はやっぱり素直でない、素直でない頭で、物ごとをひねりまわして考え過ぎるんだ、という気がした。
 だが、それにもかかわらず、彼が「実社会」というものに対してさっき抱いた感じは、まだ決して消えてはいなかった。「幻滅」という言葉の意味も、やはりある力をもって彼にせまっていた。ただ、彼には、もういくらかの心のゆとりが出ていた。春月亭の門のまえで、唾を吐いた時の、あの興奮した気持が、今は、幾日かまえのことのように省みられるのだった。そして、そのゆとりのある気持が、彼に、例の「無計画の計画」という言葉を、ひとりでに思い起させた。
(やっぱり、これも無計画の計画の一つではないだろうか。)
 彼は、今日の事件を、いろいろとその言葉に結びつけて考えてみようとした。しかし、彼の頭ではどう考えても、それがうまく結びつかなかった。無計画の計画どころか、あべこべに、せっかくの計画が無計画の結果に終ったとしか考えられなかったのである。
 こうして、彼の考えのいつものよりどころであったこの言葉も、彼の幻滅感をやわらげ、実社会に対する彼の疑惑を消し去るには、何の役にも立たず、かえって、そんな言葉をよりどころにしていた自分に、ある不安を感ずるような結果にさえなって行くのだった。
 彼は、父が家にいないのを、これまでになく淋しく感じた。父と今日のことをもっと語りあってみたら、きっとこんないやな思いから救ってもらえるだろう、という気がしてならなかったのである。そして、机のまえに坐ったまま、昼飯時になってお芳に階下から呼ばれても、なかなかおりて行こうとしなかった。
 しかし、しぶしぶお膳について飯をかきこんでいるうちに、彼は、ふと朝倉先生をたずねてみょうという気になり、箸をおろすと大急ぎでそとに飛び出した。

    一五 鑿

 次郎が、朝倉先生の玄関の前に立つと、すっかり建具をはずして見透しになっている茶の間から、奥さんが小走りに出て来て、
「あら本田さん、お珍らしいわね。お休みになってから、ちっともお見えにならないものだから、どうなすったのかと思っていましたわ。」
 次郎は、胸の奥に、急に凉しいものを感じた。しかし、顔付は相変らずむっつりして、
「僕、先生にお目にかかりたいんですけれど。」
「そう? 先生は、いま、畑ですの。しばらく二階で本でも読んでいらっしゃい。あたし、先生にすぐそう申して置きますから。」
 次郎は、しかしそう聞くと、
「じゃあ、僕、畑の方に行きます。」
 と、すぐ中門から庭を横ぎって畑に行った。畑は庭つづきで、間を低い生垣で仕切ってあったのである。
 胡瓜や、茄子や、トマトなどのかなりよく生長している中に、朝倉先生は、猿股一つの素っ裸でしゃがみこみ、しきりに草をむしっていたが、次郎が挨拶をすると、かんかん帽をかぶった頭をちょっとねじむけて、
「やあ、本田か。」
 と、言ったきり、また草をむしり出した。
 次郎の張りきって来た気持は、それでちょっと出鼻をくじかれた恰好だったが、先生は、むしった草をかきよせながら、間もなくたずねた。
「ひとりで来たんかい。兄さんは。」
「まだ帰って来ないんです。」
「まだ? ……高等学校はもうとうに休みのはずだがね。」
「今度の休みには帰らないかも知れないって、手紙でいって来ました。」
「帰らない? そうかね。どこかに旅行でもするのかい。」
「そうじゃないと思います。」
「ふうむ?」
 と、先生は、今まで地べたばかり見ていた眼をあげて、次郎を見た。
 次郎は、今日自分がたずねて来たわけを話し出すには、いいきっかけだと思ったが、いざとなると、切り出すのがいやにむずかしくなった。で、
「大沢さんも帰らないそうです。」
 と、つい遠まわしにそんなことを言ってみた。
「大沢も? そうか、じゃあ、二人で大いに頑張って勉強でもする気なんだろう。」
 次郎は、期待に反して、そんなふうにごく無造作に話を片付けられてしまったので、いよいよ切り出しにくくなり、しばらく默って突っ立っていたが、とうとう思いきったように、言った。
「先生、僕……今日は先生に聞いていただきたいことがあるんですが……」
 朝倉先生は、すると、やにわに立ち上った。そして次郎の顔をじっと見おろしたあと、
「そうか。……じゃあ、凉しいところに行こう。」
 二人は、畑と風呂小屋との間に大きく枝を張っている柿の木の陰に腰をおろした。
 次郎は、先生と二人で、こうして腰をおろしてみると、これまで胸につまっていたものが自然に溶けて行くような気がして、話し出すのが何か気恥しく感じられた。しかし、今更默っているわけにも行かず、先す恭一と大沢のことから店の事情、自分が店で仂いてみる決心をしたこと、昨日から今日にいたるまでの春月亭のいきさつ、と、ひととおり彼相応に順序を立てて話して行った。
 話して行くうちに、彼はさすがに自分の感情がひとりでに興奮して来るのを覚えた。そのために、言葉がもつれたり、とぎれたりすることも、しばしばだった。朝倉先生は、しかし、はじめからしまいまで、ほとんど無言に近い静けさできいていた。めったに合槌さえうたなかった。次郎の言葉が、もつれたり、とぎれたりしても、彼の方に顔をふりむけることさえしなかった。その眼は、いつも地べたの一点を凝視しているかのようであった。次郎は、興奮しつつも、先生のその静けさが変に気になった。むろん先生は、ふだんからそう口数の多い方ではない。よほどのことでないかぎり、生徒が話し終らないうちに、中途で口を出すようなことをしないのが、先生の一つの特徴にさえなっていたのである。しかし、それにしても、今日の沈默ぶりはまた格別である。いつものそれとはまるで意味がちがっているらしい。次郎にはそんな気がしてならなかった。そして、それが、彼の興奮する感情をおさえおさえして、話の筋道をみだすことから、どうなり彼を救っていたのである。
 次郎の話が終ってからも、朝倉先生は、
「そうか。……ふむ。」
 と、返事とも、ひとりでうなずいたともつかない言葉を発したきり、しばらくは姿勢もくずさなかった。次郎は、最初手持無沙汰の感じだったが、沈默が永びくにつれて、それが、しだいに気味わるくさえ感じられて来た。彼は何度も先生の横顔をのぞいたり、足もとの草をむしったりした。風呂小屋と背中合わせになっている鶏小屋で、昼寝からさめたらしい鶏の声が、くっくっときこえて来たが、それで沈默がいくらかでも破れたのが、彼には、何かほっとする気持だった。
 鶏の声がきこえ出すと、朝倉先生も、急にいましめを解かれた人のように、手足の姿勢をくずして、顔を次郎の方にねじむけた。その澄んだ眼には、次郎の全く予期しなかった微笑がうかんでいた。同時に、その奥に、あるきびしい光が沈んでいたことも見のがせなかった。
 先生は、ごく静かな、しかし感情のこもった声で言った。
「本田、君は、ちょっとの間に、すばらしい経験をしたものだね。」
 次郎には、しかし、先生の言った意味がすぐにはのみこめなかった。酒甕に水をぶっこんで自分の短慮と卑劣さを暴露し、春月亭をたずねて自分の良心的行為に侮辱を与えられ、いわゆる「実社会」が幻滅の世界以外の何ものでもない、ということを学んだことは、彼にとって、実際、たえがたいほどのみじめな経験でこそあれ、すばらしいなどとは少しも思えないことだったのである。
 彼は、先生に冷やかされているのではないかという気がして、何か憤りに似たものさえ感じた。そして、じっと先生の顔を見あげていると、先生の眼からはしだいに微笑が消え、今まで底に沈んでいたきびしい光がその代りに表面に浮かんで来た。
「だが――」
 と、先生は、その眼で次郎の眼を射返すように見ながら、
「君のさっきからの話しぶりでは、せっかくのすばらしい経験も、まるで台なしになりそうだね。」
 次郎には、この言葉の意味も、よくは通じなかった。しかし、「すばらしい経験」と言われたのが、決して先生の冷やかしではなかった、ということがわかって、意味はわからぬながらも、何か心強い気もした。同時に、それが「台なしになりそうだ」と言われたのが、新しい不安となって、彼の頭を困惑させたのである。
「私の言っていることがわかるかね。」
「わかりません。」
 二人は、眼を見あったまま、ぽつんとそんな問答をとりかわした。そして、それからしばらくは、鶏のくっくっと鳴く声だけが聞えていた。
「君は、いま、狭い崖道を歩いているんだよ。」
 次郎にとって、そんな言葉は、むろんもう少しも珍らしい言葉ではなかった。彼は、しかし、先生の語気や顔付にただならぬものを感じて、汗ばんだ額の下に、大きく眼を見張った。
「君は、これまで、永いあいだ苦労をして険(けわ)しい道をのぼって来たようだが、その道は、これからの踏み出しよう一つで、君をもつと高いところに導いてくれる道にもなるし、君を見る間に破滅させる道にもなるんだ。そして、その大事な踏み出しは、――」
 と、朝倉先生は、しばらく考えてから、
「一口に言うと、信か不信かでそのよしあしがきまるんだ。わかるかね。」
 次郎にはさっぱりわからなかった。彼は眼を地べたにおとして考えるふうだった。先生は、無理もない、という顔をして、
「信というのは、悪魔の足でも、洗ってやればそれだけきれいになる、と信ずることだ。その反対に、どうせ悪魔の足だ、きれいになるはずがない、と思うのが不信だ。君は、どうやらその不信の仲間入りをしようとしているようだが、そうではないかね。」
 次郎は、やっと、先生の言っている意味がぼんやりながらわかったような気がした。そしてそういう意味でなら、自分が不信の仲間入りをしようとしていると言われても仕方がない、と思った。しかし、悪魔の泥だらけの足が、あまりにも大きく彼の前にのさばっているような気がして、それを洗わないからといって、自分が非難される道理がない、という気も同時にしたのである。彼は返事をしなかった。
 朝倉先生は、彼の気持を見すかすように、
「むろん、世の中には無駄な努力ということもある。また、無駄な努力はしない方が賢明だ、というのもあながち間違いではない。しかし、人間の世の中をてんから疑ってかかって、何をするのも無駄だと考えるようになると、もうその人は崖をふみはずした人間だ。そして、そういう人間になるのも、もともとその人が卑怯だからだ。」
 次郎は、またわけがわからなくなった。七つ八つのころから、自分の最も嫌いだった「卑怯」という言葉が、こんな場合にもあてはまるなどとは、彼の夢にも思っていなかったことなのである。彼は伏せていた眼をあげて先生を見た。
「卑怯というのは、言葉をかえて言うと、自信が足りない、ということだ。一滴の水にも一粒の砂を洗い落す力はあるんだから、それを信ずる人間なら、悪魔の足がどんなに汚れていようと、あとへは引かないはずだ。砂一粒でも落せば、それだけ悪魔の足がきれいになるはずだからね。」
 次郎の頭には、その時、ふと、昨日天満宮のまえで人間の弱さということについて考え、何か眼に見えないものにへり下りたい気持になったことを思いおこした。そして、その気持と、今先生が言った自信という言葉との間に、何かそぐわないものを感じたが、それをどう言いあらわしていいかわからないままに、先生の言うことに耳を傾けていた。
「とにかく人間は絶望するのが一番悪い。料理屋のお内儀に相手にされなかったぐらいのことで、幻滅を感じるなんて、もってのほかだ。」
 朝倉先生の言葉は、これまでになく烈(はげ)しかった。が、すぐ、もとの静かな調子にかえって、
「もっとも、君ぐらいの年頃では、真面目であればあるほど、そんな気持になりたがるものだ。私にも、そんな経験がある。だが、そこを切りぬけるのが、ほんとうの真面目さなんだよ。いつかも白鳥会でみんなに話したとおり、誠は積まなきゃならない。一滴の水の力を信じて、次から次に辛抱づよく一滴を傾ける。そしてそういう人が二人になり、三人になり、十人になり、百人になる。そこに人生の創造があるんだ。」
 次郎は、「真面目であればあるほど、そんな気持になりたがるものだ。」と言った先生の言葉を、決して聞きのがしてはいなかった。それが「もっての外だ」と叱られたあとだけに、一層つよく彼の胸にひびいたのである。そして、そのせいか、そのあとの先生の言葉が、割合にすらすらと、胸に収まるような気がした。
「ミケランゼロという伊太利の彫刻家がね、――」
 と、先生は、いくぶんゆったりした調子になって、
「ある日、友人と二人で散歩をしていた時に、路ばたの草っ原に大理石がころがっているのを見つけた。彼は、しばらくその黒ずんだ膚(はだ)を見つめていたが、急に友人をふりかえって、この石の中に女神が擒(とりこ)にされている、私はそれを救い出さなければならない、と言った。そして、その大理石を自分のアトリエに運びこませ、それから毎日丹念に鑿(のみ)をふるっていたが、とうとう、それを見事な女神の像に刻みあげてしまったそうだ。この話は、何でもないと言ってしまえば、何でもない話だ。彫刻家が自分の気に入った大理石を見つけ出して、それを彫刻するのは、何も珍らしいことではないからね。しかし、考えようでは、人生のすばらしい真理がその中に含まれているとも言えるんだ。どうだい、この話をきいて何か感ずることはないかね。」
 次郎は、ちょっと首をかしげていたが、
「女神が擒(とりこ)にされている、と言ったのが面白いと思います。」
「面白いって、どう面白いんだ。」
 次郎には、説明は出来なかった。彼は、ただ、何とはなしにその言葉が面白く感じられただけだったのである。朝倉先生は微笑しながら、
「その擒にされた女神を救い出さなければならない、と言ったのも、面白いだろう。」
「はい。」
「さすがはミケランゼロだね。」
 そう言われても、ミケランゼロを知らない次郎には、返事のしようがなかった。
「千古の大芸術家だけあって、そんな簡単な言葉の中に、人生の真理を言い破っているんだ。」
 次郎はただ先生の顔を見つめているだけであった。
「わからないかね。」
 と、朝倉先生は、柿の木の根もとに投げ出してあったかんかん帽をかぶり、猿股の塵を払いながら、のっそり立ち上った。そして、
「じゃあ、これは宿題だ。君自身の問題と結びつけて、よく考えてみることだね。」
 次郎は、しかし、そう言われると、何もかも一ぺんにわかったような気がした。彼はやにわに立ち上って、先生のまえに立ちふさがるようにしながら、
「先生、わかりました。」
「どうわかったんだ。」
「人間の世の中は、草っ原にころがっている大理石のようなものです。」
「うむ。」
「その中には、女神のような美しいものが、ちゃんと具わっているんです。」
「うむ、それで?」
「僕たちがそれを刻み出すんです。」
「君が春月亭に行ったのもそのためだったんだね。」
「そうです。」
「しかし、君の鑿はすぐつぶれてしまったんじゃないか。」
「僕、もう一度研(と)ぎます。」
「研いでもまたつぶれるよ。」
「つぶれたら、また研ぎます。」
 次郎は意気込んでそう答えた。
「そうか。しかし、そう何度もつぶしては研ぎ、つぶしては研ぎしていたんでは、かんじんの鑿がすりきれてしまいはせんかね。」
 朝倉先生は、そう言いながら、笑っていた。次郎はちょっとまごついたふうだったが、すぐ、決然となって、
「僕、間違っていました。僕は決してつぶれない鑿になるんです。」
「しかし、つぶれない鑿なんて、あるかね。」
「あります。」
「どんな鑿だい。」
「それは、先生がさっき仰しゃったように、信ずることです。自分が努力さえすれば、それだけ世の中がよくなると信ずることです。」
「うむ、その通りだ。人間の心の鑿は、彫刻家の鑿とはちがって、そうした信の力さえ失わなければ、決してつぶれるものではない。いや、堅いものにぶっつかればぶっつかるほど、かえって鋭くなって行くのが、人間の心の鑿だ。むろん、人間には過ちというものがある。また、自分のせっかくの真心が通らないで、かえってそのために侮辱をうけることもある。それは君が現に春月亭で経験したとおりだ。過ちを犯せば悔みたくもなるだろうし、侮辱をうけたら腹もたとう。しかし、それはそれでいいんだ。そのために信の力がくじけさえしなければ、後悔の涙も怒りの炎も、そのまますばらしい力となって生きて来るんだ。」
 朝倉先生は、そう言って、両手を次郎の肩にかけ、強くゆすぶりながら、
「いいかね。……あぶないところだったよ。」
 と、いかにも慈愛にみちた眼で次郎の眼に見入った。
 次郎の眼も、しばらくは先生の眼を見つめたまま動かなかった。しかし、その視線はそろそろと先生の裸の胸をすべり、しまいにがくりと地べたに落ちていった。そして、もうその時には、彼の汗ばんだ制服の腕が、その眼からこぼれ落ちるものを拭きとろうとして、急いで顔におしあてられていた。
 朝倉先生は、かなり永いこと同じ姿勢(しせい)で立っていたが、やがて次郎の背をなでるようにして両手をはなし、「君がこれから真剣に考えなけりゃならん問題は――」と、いかにも考えぶかい調子で、
「もしお父さんの事情がそんなふうだとすると、君自身の将来をどうするか、という実際問題だ。さっきからの君の話では、兄さんはもう自分で何とか考えているらしいね。兄さんには大沢という友達もいるから、きっとうまく切りぬけて行くだろう。君も、自分でしっかり考えてみるんだよ。」
 次郎はいそいで涙をふいた。そして、いくぶん恥しそうに顔をあげたが、ただ、
「はい。」
 と答えたきり、また顔をふせた。
「むろん、中学を出るぐらいのことは、何とかなるさ。しかし、そのあとは、そう簡単にはいかんからね。兄さんだって、大沢がついていなけりゃ、ちょっと心配だよ。」
「僕。まだ志望をきめてないんですから、これからよく考えます。」
「うむ、何もいそぐことはない。しかし、あまりぐずぐずもしておれんね。それに、自分の一生に関する実際問題をじっくり考えてみるのは、いい修行だ。春月亭のお内儀なんかと取っくむよりゃ、ずっと取っくみ甲斐があるよ。はっはっはっ。」
 次郎は思わず頭をかいた。朝倉先生は、かんかん帽をとりあげて、
「じゃあ、そろそろまた畑の手入をはじめるかな。どうだい、本田、君も少し手伝わないか。畑にだって、女神が擒にされているかも知れんよ。」
「はい、手伝います。」
 と、次郎は、急いで上衣をぬいだが、下には膚着も何も着ていなかった。色の浅黒い、あまら肉附のよくない胸が、じっくり汗ばんで、柿の葉の濃いみどりの陰にあらわだった。
「しかし、少し喉が乾くね。麦湯のひやしたのがあるはずだから、君、とって来てくれないか。」
「はい。」
 次郎は、風呂小屋をまわって台所の方に走って行ったが、間もなく奥さんと二人で何か楽しそうに話しながら帰って来た。奥さんは手製らしい寒天菓子を盛った小鉢と、コップ二つとを盆にのせて持っており、次郎は、一升入りのガラスびんを抱くようにして持っていた。ガラスびんからは冷たい雫がたれていたが、その中にいっぱいつまった琥珀(こはく)色の液体をすかして、次郎の胸がぼやけて見えた。
「ここの方がよっぽど凉しゅうございますわ。やっぱり木陰ですわね。」
 と、奥さんは、盆を柿の木の根元におろすと、ちょっと梢を仰ぎ、鼻の下の汗を手巾でふいた。
「そりゃあ、家の中より凉しいさ。しかし、今日はここで本田と少し熱っくるしい話をしたんで、案外喉が喝いてしまったよ。」
 朝倉先生は、次郎がなみなみとついでくれたコップに手をやりながら、そう言って笑った。
「そう?」
 と、奥さんは、うなずくとも、たずねるともつかない眼付をして、次郎を見た。次郎は、自分のコップに、ちょうど麦湯をつぎ終ったところだったが、ちらと奥さんの顔をのぞいたきり、きまり悪そうに視線をおとした。
「いかが、本田さん。これ、おいしいのよ。」
 と、奥さんは菓子を盛った鉢を次郎の方にちょっとずらしながら、
「いずれ、そのお話、あたしも白鳥会の時に伺わせていただきますわ。」
「ううむ――」
 と、朝倉先生は、考えていたが、
「白鳥会の話題にするには少し工合がわるいね。問題としては実にいい問題なんだが、本田の家の内輪の事情にも関係があるんだから。」
「そう? じゃあ、あたしも伺わない方がようございますわね。」
 奥さんは、そう言って、いかにも心配そうに次郎を見た。
「いや、お前には知っていて貰った方がいいだろう。これからは、私がいなくても、急に本田の相談相手になって貰わなきゃならん場合もあるだろうからね。」
「あたしがご相談相手に?……どんなことでしょう。あたしに出来ますことか知ら。」
「くわしいことはあとで話すよ。……本田、どうだい、小母さんにだけは話してもいいだろう。」
「ええ。」
 次郎は、少し顔を赧(あか)らめて答えた。彼は、朝倉先生がどんなつもりで奥さんだけに今日の話をしようというのか、その真意は少しもわからなかった。しかし、とにかく、自分のことを何もかも奥さんに知ってもらうことに少しも異存はなかったし、むしろそれにある悦(よろこ)びをさえ感じているのだった。
 朝倉先生は、コップをのみほして、その底を手のひらで撫(な)でながら、奥さんに向かって、
「それはそうと、こないだお前と話していたミケランゼロの話ね。」
「ええ。」
「あの話を今日本田にもきかしてやったんだよ。ちょうどぴったりするものだからね。」
「まあそうでしたの? そんなにぴったりしたんですの?」
 奥さんは、少しはずんだ調子で、どちらにたずねるともなくたずねた。しかし、答えはどちらからもなかった。二人はただ微笑しているだけだった。
「それで、本田さんは、あの意味、ご自分でお解きになりましたの?」
「そりゃあ解いたとも、さすがに苦しんだだけあって、お前なんかのように二日も三日もひねりまわしてはいないよ。そこが遊びと血の出るような体験とのちがいでね。」
「まあ、遊びだなんて。」
 と、奥さんは、心からの不平でもなさそうに笑いながら言ったが、急に眉根をよせて、
「でも、本田さん、そんなにお苦しみになりまして?」
「そりゃあ、本田の年頃にしちゃあ相当の苦しみだったろうよ。とにかく料理屋のお内儀を相手に鑿をふるおうというんだからね。」
「鑿を?」
 奥さんは眼を円くして次郎を見た。
「はっはっはっ。鑿って、さっきのミケランゼロの話だよ。本田は、つまり、そのお内儀を女神に刻みあげてやろうというわけだったんだ。」
「あら、そう。あたし、すっかりほんとうの鑿かと思って、どきりとしましたわ。ほほほ。」
「まさか、ごろつきではあるまいし、ねえ本田。」
 と、朝倉先生は、また大きく笑った。
 次郎は、しかし、少しも笑わなかった。彼は、むしろ、いくぶん暗い顔をして二人の話に耳を傾けていたが、先生の笑い声がしずまると、だしぬけに言った。
「先生、僕は春月亭のお内儀を女神にしようなんて、そんなことちっとも考えていなかったんです。僕は、ただ、僕の悪かったことをあやまろうと思っただけなんです。」
「ふむ――」
 と、朝倉先生は、空になったコップの底を見入るように、しばらく眼をふせていたが、
「そりゃそうかも知れん。しかし、それでいいんだ。いや、それがいいんだ。そんなふうに自分を反省して、へり下る気持になることが、相手を清めることになるんだ。自分の力を信ずるといっても、自分が一段高いところに立って、人を救ってやるというような気持になったんでは、人を救うどころか、却って世の中をみだすだけだ。要するに人間はめいめいに真剣になって自分を磨けばいいんだよ。もともと、自信というのは、決して自分を偉いと思いこむことではなくて、自分を磨きあげる力が自分に備わっていると信ずることなんだからね。」
 次郎は、かつて「葉隠」の中で読んだことのある、「人に勝つ道は知らず、我に勝つ道を知りたり」という剣道の達人の言葉を思いおこした。しかし、自分が自分をどんなに磨いても、その結果、春月亭のお内儀のような人間を少しでも美しくすることが出来ようとは、どうしても思えなかった。
「しかし、先生――」
 と、彼は、いくぶん口籠(くちごも)りながら、
「世の中には、どんなに真心をつくしても、それの通じない人間もあるんじゃありませんか。」
「例えば春月亭のお内儀のように、と言うんだね。」
「はい。僕は、あんな女にも女神が擒にされているなんて、とても思えないんです。」
「そんなことを言えば、話はまた逆もどりするだけだ。」
「しかし、例外ということもあるんでしょう。」
「人間に例外はない。人間の本心はみな美しいんだ。」
 朝倉先生の言葉はきっぱりしていた。次郎がびっくりしたように眼を見張っていると、
「人間の心に例外があると思うのは、そう思う人自身の心がまだ十分に磨かれていないからだ。同じ大理石を見ても、ミケランゼロにはその中に女神が見出せたし、彼の友達にはそれが苔だらけの石にしか見えなかったんだからね。」
 しばらく沈默がつづいた。次郎は地べたを、朝倉先生は次郎の横顔を見つめていた。奥さんはうしろから、二人を等分に見くらべていたが、心から次郎をいたわるように言った。
「ほんとうに大事なことですけれど、あたしたちにはむずかしいことですわね。」
「そりゃあ、誰にだってむずかしいことだよ。こんなことを言っている私自身にも、毎日、人間の汚ないところばかりが眼について、いいところはなかなか見えないんだ。学校にいても、どうかすると、生徒がみんな駄目なような気がして、逃げ出したい気持になることがあるよ。」
 次郎は、おずおずと先生の顔を見上げた。先生はちょっと笑って見せたが、すぐ真顔になって、
「しかし、私は決して逃げ出しはしない。逃げ出すまえに自分を省みるんだ。そして生徒の心に神を見ることが出来ないのは、自分の心に神が育っていないからだと思うんだ。そう思うと、ひとりでに謙遜にならざるを得ない、教えるとか、導くとかいう傲慢(ごうまん)な心は、いっぺんに消しとんで、ただ生徒のために祈りたい気持になって来る。何か大きなものに、祈って、祈って、祈りぬいて、自分を捧げきってしまいたい気持になって来る。ところが、そうなると、不思議に胸の奥から何とも知れない力が湧いて来るんだ。そりゃあ、自分ながら変な気がするよ。しかし考えてみると、私が、これまでどうなり学校というものに絶望しないで勤めて来たのは、そうした、反省というか、へり下るというか、或は祈るというか、とにかく自分というものを何とかしようと骨を折って来たおかげなんだ。」
 次郎は、昨日天満宮のまえで味った気持をもう一度思いおこした。そして、それが先生の言っているのと同じ気持ではないだろうか、という気がして、異様(いよう)な興奮を覚えたが、やはり、口に出しては何とも言いかねた。すると、先生は、急に笑い出し、
「いや、話がつい自分のことになってしまって、ますかったね。熱っくるしい話は、今日はもうこれで打切りだ。」
 と、コップを置いて立ち上りかけた。
「貴方、お菓子はいかが。」
「そうか、お菓子があったんだね。どうだい、本田さっさと平らげて畑をやろうじゃないか。」
 次郎は、それでやっと麦湯をのみ、菓子をつまんだ。
 その日、奥さんは、畑をしまって帰ろうとする次郎に、夕飯を振舞おうとしたが、次郎は、なぜか逃げるようにして帰った。そして、家に帰りつくまでに、彼は、自分にとってはやはり何もかもが「無計画の計画」だったと思った。しかし、この言葉は、最近彼が何かで覚えた「摂理」という言葉と結びついて、一層彼の胸に深まりつつあったようであった。
「運命」――「無計画の計画」――「摂理」――この三つの言葉が、彼の心の中で、殆んど同義語と思われるまでに近づいて来たということは、同時に彼の対人生の態度が、我執と反抗から一歩一歩と謙抑と調和への道を辿りつつあった証拠だといえないだろうか。

    一六 新しい出発

 次郎は、中学校にはいってから、恭一にすすめられて、ずっと日記をつけて来た。日記帳はべつにきまっていなかった。最初の一年は小形の当用日記をつかったが、かえって不便な気がして、あとでは、普通のノートをつかうことにしたのである。彼の日記には、かなりむらがあり、書きたいことがあれば、何枚でも夜ふかしをして書く代りに、日によっては一行か二行かですますこともあった。また、他人が見ては何のことだか想像もつかないほど主観的な感想をならべたところがあるかと思うと、皮肉なほど冷たい客観的描写をやっているところもあった。それに、二年の半ばごろからは、和歌や、詩などを記した頁も、しだいに多くなって来たのである。
 彼の詩心については、「次郎物語第二部」のなかでちょっとふれておいたが、それは、運命的に彼の胸の底を流れている哀愁の感情が、恭一に対する、これも運命的な競争意識に刺戟されて、最初芽を出したものであった。それだけに、彼の書いたものには、恭一のそれのような素直さや温かさはなかった。しかし、どこかに、人の心をつく感情の鋭さと、機智のひらめきとがあった。そして、年三回刊行される校友会の文苑欄(ぶんえんらん)には、きまって彼の名が見出されるようになり、たいていの生徒は、「本田白光」という彼の筆名を覚え、文芸に興味をもっている上級生の一部では、彼を天才視するものさえあったのである。
 彼の日記のなかで、分量からいっても、内容からいっても、最も目立っている部分は、何といっても白鳥会を中心とするものであった。彼の白鳥会に対する心酔ぶりは――それは朝倉先生に対する心酔ぶりといった方が、一層適切であるかも知れないが、――ほとんど無条件的で、実は彼の筆名も、最初は「白鳥」の二字をそのまま使っていたのであるが、恭一に、それではあまりあからさま過ぎると言われ、すいぶん考えた末、やっと「白光」とあらためたくらいだったのである。また彼は、自分の手で、心ゆくまで白鳥会を礼讃(らいさん)した詩を書き上げたいという野心をさえ、人知れず抱いているのである。
 しかし、ごく最近の彼の日記は、さすがに、閉店にからんだ家庭のことが大部分をしめている。そしてその記述は、どちらかというと客観的であり、彼が、自分の周囲の現実を、出来るだけ落ちついて見究(みきわ)めようとする態度が、その中にかなり鮮明にあらわれて居り、同時に、彼が主としてどういう点で自分を反省しているかも、おおよそそれでうかがえるように思える。で、私は、これから、閉店後十日あまりの彼の日記を抜書きすることによって、しばらく私自身の記述の労を省きたいと思う。これは、彼が中学三年――あたりまえだと四年の年齢だが――の青年にしては、多少ませ過ぎていることを、彼自身をして証明させるためにも、実は必要なことなのである。

     *

 八月二十一日
 父は起きるとすぐ、自分で、閉店の貼紙(はりがみ)を店のガラス戸に貼りつけた。貼りつけてしまって笑っている。こんな時になぜ父が笑ったのか、僕にはよくわかるような気がした。しかし、僕はべつに笑ってもらいたくはなかった。笑ってもらったために、かえって淋しい気さえしたのである。
 貼紙を出したあと、僕はいやにその貼紙が気になった。半紙一枚に、候文でかなりながい文句が書いてあるので、あまり人目をひくものではなかったが、それでも気になってしようがなかった。この暑いのに、店戸をおろしたままにしてあったためかも知れない。僕は午前中、思い出しては格子の中から外をのぞいて、道行く人たちの顔に注意した。自分でつまらないことだと思いながら、どうしてもそれを制しきれなかったのである。子供のころの自分が思い出されて、つくづくいやになった。
 道行く人は、誰も小さな閉店の貼紙なんかには気をひかれないらしかった。たいていは見向きもしないで通って行った。たまに店戸がおりているのに気がついて、ふり向く人もあったが、貼紙を読むために立ちどまった人はほとんどなかったようだ。ただ、近所の人たちだけが、ちょっと眼を見はって貼紙を読んだ。しかし、それも大して驚いた様子はなく、中には変な微笑さえもらしたものがあった。
 僕は、この冷淡さに、最初はかえってほっとする気持だった。しかし、あとではたまらない腹立たしさを感じて来たので、午後からは一度ものぞいて見なかった。
 仙吉も文六も、奉公先が見つかったらしい。或は、もうとうに見つかっていたのかも知れない。父は、給料のほかに金一封ずつを包んで二人に暇をやった。夕飯には、二人の送別会をかねて、何か御馳走があるはずだったが、二人共それを断って、午飯をすますとすぐおいとまをした。僕は、しかし、この二人が道行く人達のように冷淡であったとは思いたくない。
 父が家のものみんなに閉店の決心を話してから、もう今日で四日になるが、昨日まで飯時にさえなると泣いたり怒ったりしていた祖母が、今日はふしぎに静かだった。疲れたのか、あきらめたのか、僕にはわからない。しかし、考えてみると、誰よりも打撃をうけたのは祖母だろう。祖母はもう間もなく七十だ、いたわってやらなければならないと思う。だが、僕の胸のどこかに、過去の思い出を清算しきれない[#「きれない」は底本では「きれいな」]気持がまだいくらか残っていはしないか。
 兄に手紙を書く。祖母は、兄に閉店のことを知らせてはいけない、と言った。しかし、僕はこれには絶対不賛成だ。今はお互いに事実をかくすことが何よりもいけないことなのだ。

 八月二十二日
 父は朝早くからどこかに出かけた。父が出かけると間もなく母も出かけた。父は夜になって帰って来たが、母は三時頃にはもう帰っていた。
 二人の留守中、祖母は僕と俊三とを呼んで、「母さんが今日出かけたことは、父さんに默っておいで。」と言った。
 それから、さんざん父をけなしたあと、「こんなふうではどうせ学校どころのさわぎではないよ。どうだえ、次郎、早く思いきって一本立ちになる気はないのかえ。」と言った。聞いていてあまり愉快ではなかったが、さほどに腹も立たなかった。僕はただ、「考えてみます」と答えただけだった。俊三はべつに問われもしなかったので、答えもしなかった。
 僕はまだ祖母をほんとうには愛しきれないようだ。以前のように、そう憎いとは思わないが、愛しているとは絶対にいえない。僕は、昨日、道行く人々の冷淡さに腹を立てたが、僕自身、祖母に対して冷淡でないといえるだろうか。それを思うと、僕はまだ十分に運命に打克ってはいないのだ。
 夜、頭のはげた老人が父をたずねて来た。店の道具一切をそのまま譲りうけて、この家で酒屋を引きついで行く人がきまったということは、こないだ父にきかされていたが、この老人がその人だったのだ。ちょっと見るとやさしいようで、実はずるそうな人だった。
「お引越先がおきまりまでは、私の方はいつまでもお待ちします。」と言うかと思うと、「こちらの家主さんとも、じきじきお会いして、話はもう何もかもつけてありますので、へへへ。」と手をもみながら変な笑い方をした。春月亭のお内儀さんなんかより、こんな人の方がほんとうにいけない人なのかも知れない。それは、こんな人にはどこから「鑿」をあてていいのかわからないからだ。
 この老人のような人間が、世の中にはかなり多いのではあるまいか。いや、どうかすると、たいていの人間がそうであるかも知れない。そう思うといやになる。――しかし、僕はこんなことを考えてはいけなかったのだ。朝倉先生は、「人間に例外はない、人の本心はみんな美しいのだ」とはっきり言われたのではなかったか。

 八月二十三日
 今日は珍しく父も外出しなかった。しかし、家の中にいなければならない用事もなかったらしく、一日中、おちつきはらって何か本を読んでいた。祖母にはその落ちつきが気に入らなかったらしい。口では何とも言わなかったが、父を見る眼はいつも光っていた。
 母のほがらかな顔と無口とは、いつものことだが、今日はそのほがらかな顔がとくべつ祖母には目立ったらしい。祖母の母を見る眼は。父を見る眼よりも一層とがっていた。しかし、口に出しては、やはり何とも言わなかった。
 家中のものが、こんな時に、一日中ほとんど口をききあわないというのは、いやなものだ。僕は母が無口であることを、今日ほど物足りなく思ったことはない。
 僕は、その沈默を破りたいと思って、夕方俊三と二人で二階で歌を歌い出したが、すぐ祖母に「やかましい」と言って叱られた。

 八月二十四日
 昨夜は寝てから前途のことを考えてみたが、ちっとも考えがまとまらなかった。ほんとうに行き詰ったら、祖母の言うとおり、学校をよしてどんな仕事でもするんだ、と強いて考えてみたが、気持は少しも落ちつかなかった。そして、なぜか、お浜のことが思い出されてならなかった。
 今日は起きるとすぐ、お浜に手紙を書いた。やはり店のことを知らした方がいいと思ったからだ。お浜はびっくりするかも知れない。しかし、僕がいよいよ学校をやめなければならないようになってから知らせたら、なおびっくりするだろう。
 今日も父は在宅。朝から寝ころんで、やはり本を読んでいる。何の本かと思ってのぞいて見たら、養鶏の本だった。どうしてそんな本を読むのか、たずねてみたかったが、父が一日にこりともしないので、その機会がなかった。みんなが口をききあわないこと昨日に同じ。祖母は何度も父の枕元をとおって仏間に行き、鉦をならして念仏を唱えたりした。
 祖母が仏間に行く気持は決して純粋なものではない。しかし、それだけに、かえってあわれに思える。そうは思えるが、僕自身から進んで慰める気にはならない。強いて慰めてみても僕の言葉はきっと嘘になるだろう。
 愛から出た嘘ならいい。しかし嘘の愛は僕にはもうたえがたい苦痛だ。真実の愛よ、わが胸に甦(よみがえ)れ。
 家に居ると息苦しいので、午飯をすますとすぐ、俊三と二人で鮒(ふな)釣りに行くことにした。中学校に入ってから、一度も釣をやらないので、道具からそろえねばならなかったが、針だけ買って、あとは何とか間に合わせた。どこがいいのか、場所の見当もつかなかったが、俊三が、天神裏の池が涼しいと言うので、すぐそこに行った。
 餌をつけて針を沈め、うきを見つめているうちに、正木にいたころの記憶が楽しく甦(よみがえ)って来た。間もなくうきが動き出したが、それを見て胸がわくわくした気持も、以前と少しも変っていなかった。釣りあげた鮒はかなり大きかった。
 それから三十分ばかりの間に、僕は大小五尾ほど釣りあげたが、俊三には一尾もつれなかった。うきもほとんど動かなかったらしい。俊三はそれで何度も場所をかえたりしていたが。やはり駄目だったらしく、また戻って来て、釣竿を投げ出し、日蔭にねころんでしまった。
 寝ころんだまま、俊三は、何と思ったか、だしぬけに言った。
「お祖母さんのいけないこと、僕にはよくわかったよ。」
 僕は何と返事をしていいのかわからなくて、默っていた。すると、俊三は、
「一昨日、母さんがどこに行ったのか、知っている?」
 と、急に起きあがって、僕のそばによって来た。僕が、知らない、と答えると、俊三はいかにも大きな秘密でもうちあけるように、
「大巻のお祖父さんとこさ。お祖母さんに言いつかって行ったんだよ。」
 僕は一昨日のことが何もかもわかったような気がして、祖母のことを話すのがいやになった。僕は、だから、
「お祖母さんはかわいそうな人だよ。」
 とだけ言って、じっとうきを見つめていた。俊三も、すると、それっきり何とも言わなかった。
 祖母は、父には秘密で、母を利用して大巻に何か無心を言わせている。母は、言われるままにそれに従っているのだ。きっと、大巻には、それが祖母の意志であることも、言うのを禁じられているだろう。母はそれにも従っているのかも知れない。――僕は、そんなことを考えてうきを見つめていたが、今度は、そんなことを考える自分がいやになって来た。そして、うきももう動かなくなったので、すぐ帰り支度をした。
 帰りがけに、ふと、いつも朝倉先生が、「自分をごまかすのが一番いけないことだ」と言われていたことを思い出した。さっき、祖母をかわいそうだと言ったのが、胸にひっかかっていたからだろう。僕は、それを言い直すつもりで、歩き出すとすぐ俊三に言った。
「しかし、お祖母さんよりも、母さんの方がもっとかわいそうだね。」
 俊三は「うん」と強くうなずいた。俊三がうなずくと、僕は、なぜか、やっぱり祖母もかわいそうだという気がしみじみした。祖母はほんとうに一人ぼっちなのである。
 家に帰ってみると、正木の祖父と青木さんが来ていて、座敷で父と何かひそひそ話をしていた。僕たちがお辞儀をしに行くと、祖父は默ってお辞儀をかえしただけだったが、青木さんは、僕に、
「竜一が、夏休みになってから、相手がなくて淋しがっているよ。ちと遊びにやって来たまえ。」
 と言った。竜一君のことはこのごろあまり思い出しもしなくなっていたが、何だかすまない気がした。
 座敷の話はいつまでもつづいて、夕飯時になり、酒が出た。店に残っていたわずかばかりの酒を、びんにつめて台所にしまってあったが、その一本があけられたのである。僕たちの釣って来た鮒も、すぐ酢味噌になって役に立った。何だか家の中が久方ぶりに明るくなったように感じられた。
 酒が運ばれるにつれて、青木さんの声がしだいに大きくなったが、時々、「村長」と言っているような声がきこえた。
 そのうちに、大巻の祖父が徹太郎叔父と二人づれでやって来た。多分打合わせてあったのだろう。二人が来ると座敷は一層にぎやかになった。大巻の祖父の高声につりこまれて、青木さんの声が一層高くなり、いつもしずかな正木の祖父の声までがいくらか高くなった。それで注意してきいていると、あらましの話の筋がわかった。
 青木さんは、父に村に帰って来て村長をやってもらいたいと言っていた。それに対して、正本の祖父は、今では村の人も父を歓迎はしているが、いったん家まで売って立退いた村だから、将来何かと都合の悪いこともあるだろう、と心配しており、大巻の祖父と徹太郎叔父とは、村長なんかうるさい、それに村長の収入だけでは子供たちがかわいそうだ、とあからさまに反対して、その代りに養鶏をやれ、とすすめていた。
 大巻の祖父の言うことをきいていると、母は漬物が上手なばかりでなく、養鶏の経験もあるらしい。僕たちの母になる前には、独身でとおすつもりで、ぼつぼつそれをやりはじめて、五六十羽は飼っていたそうだ。僕はそれをきいて、母には案外偉いところがあるような気がした。そして、話が養鶏の方にきまるのを心ひそかに望んでいたが、とうとうどちらともきまらないままにみんな帰っていってしまった。
 あとで、祖母と父との間に、こんな問答があった。
「どうおきめだえ。」
「二三日考えることにしました。」
「村長さんになるのはいいけれど、今さら村に帰るのはどういうものかね。」
「それで、私も養鶏の方にしようかと思ってるんです。」
「でも、それには資金がいるんじゃないのかい。」
「養鶏ときまれば、青木だって、正木だって、資本の相談には乗ってくれるでしょう。」
「大巻さんはどうだえ。」
「大巻の方では、土地を使ってくれと言うんです。お芳がもと養鶏をやっていたところを拡げても、相当使えるらしいのです。」
「その土地というのは、どこにあるんだえ。」
「大巻の家とすぐ地つづきだそうです。」
「すると、住居の方はどうなるんだえ。」
「大巻の家が広すぎるから、当分いっしょでもいいし、それで都合が悪ければ、仕切ってもいい、と言うんです。」
「すると、住居まで大巻さんのお世話になるわけだね。」
「当分仕方がありませんね。」
「それでお前はいいのかえ。厚かましいとは思わないのかえ。」
「今さら痩(やせ)我慢を出してみたところで仕方のないことですから、思いきって好意に甘えてみるのもよくはないかと考えているところです。しかし、お母さんがおいやなら、むろん止します。」
 祖母は默りこんでしまった。母は、そばでこの問答をきいていたが、相変らずほがらかな顔をしていた。僕はいよいよ母を尊敬したい気持になって来た。――しかし、僕自身、何と母に似ていないことだろう。そして何と祖母にばかり似ていることだろう。

 八月二十五日
 父は、朝飯をすますと、すぐ外出した。僕も、そのあと、朝倉先生をたずねた。村長になるのと養鶏をやるのと、先生はどちらに賛成されるか、訊ねてみたかったからである。
 先生は、しかし、「村長も理想をもってやれば面白いだろうね。」と言ったり、「養鶏のことはよくわからんが、家族みんなで仂けて面白いかも知れんよ。」と言ったりするだけで、どちらに賛成だかわからなかった。
 午後は、俊三と天神裏にまた鮒釣りに行った。今日は俊三も二尾釣った。僕は五尾。
 釣をしながら、俊三に、村長と養鶏とどちらがいいか、とたずねてみたら、俊三は、「父さんが村長さんになるなんて可笑しいや。」と、ほんとうに可笑しそうに笑った。
 父が帰ったのは、夜十時過ぎだった。父は、帰るとすぐ、祖母に、「話はあすにしましょう。」と言って、ねてしまった。

 八月二十六日
 朝食後、父は、
「お母さんさえおいやでなければ、やはり養鶏の方にきめようかと思いますが、……」
 と切り出した。祖母は、
「あたし一人で反対してもなりますまいしね。」
 と、変に皮肉な返事をしたが、心から反対しているようには見えなかった。しかし、すぐそのあとで、
「やっぱり住居は大巻さんの方かえ。」
 と、それがあくまで不服らしかった。父は、
「実はそのことで、昨日は篤(とく)と大巻にも相談したんですが、ちょうど工合よく川っぷちに空家がありましたので、そこを借りたらということになりました。古い百姓家ですが、相当広いうちです。」
 すると母が、
「あっ、そうそう。あの家がまだあいていましたわね。ちょうどあの裏に父の地所が少しばかりありますから、じゃあ、養鶏場もそこにしたらいいと思いますわ。」
 と、めずらしくはしゃいだ口をきいた。
 そのあと、相談はなめらかに進み、さっそく引越しの準備にとりかかることになった。僕は、急に気持が軽くなった。
 しかし、いよいよ家財道具の始末をやり出すと、六年まえに村の家が没落した時の光景がまざまざと思い出されて、妙に悲しくなって来た。あの時の売立には、今から考えると、美しい鍔(つば)のついた刀やら、蒔絵(まきえ)の箱やら、掛軸やら、宝物らしいものが沢山あったようだ。それにくらべると、今は何という貧弱さだろう。
 そういえば、僕が正木の家に預けられたのは、あの売立のあった晩だった。正本の祖父が、だしぬけに僕を預ると言った時のことは、今に忘れられない。その時には、なぜ祖父が僕を預ると言い出したのかわからなかったが、今になってみると、よくわかる。――僕には、僕の気づかない危機が何度あったか知れないが、そのたびに僕を救ってくれた人があったのだ。
 危機に誘いこまれるのも運命、危機から救われるのも運命。そして、人間の運命の大部分を支配するものは愛憎の波だ。僕は、すべての人間の運命のために、このことを忘れてはならない。しかし、その愛憎そのものもまた運命だとすると、僕はどう考えていいかわからなくなる。
 僕は、がらくたばかりのような家具を祖母に指図されて棚からおろしながら、そんなことを考えた。

 八月二十七日
 今日も朝から家具の始末で忙しかった。仏壇の取片付けにも手伝ったが、亡くなった母の位牌(いはい)はもうかなり古びいていた。淋しい色だった。僕は、汗ばんだシャツの上から、それをちょっと胸に押しあててみた。その時、縁側で書類をよりわけていた父が僕の方を見たが、すぐ眼をそらして、何とも言わなかった。
 母は午後から、今度引越す家の掃除をしておくと言って、出かけていった。
 あすはいよいよ引越である。夜、父は近所に挨拶してまわった。

 八月二十八日
 荷物は馬力三台で十分だった。昼まえにその積み込みを終り、人夫たちといっしょに握り飯を食った。父は、祖母に、俊三をつれて一足先に行くようにすすめたが、祖母はなぜか自分は一番あとから行くと言ってきかなかった。それで父が俊三といっしょに先に行き、僕は祖母と二人であとに残ることになった。
 二人が出て行くと、祖母はがらんとした家の中を一わたり見てまわり、それから僕に戸じまりを命じた。
 荷馬車が動き出したのは一時過ぎだった。いよいよ二度目の没落行だ。むろん家に未練はない。ただ兄弟三人が机をならべていた二階にかすかな愛着があるだけだ。その点では気が楽だった。しかし、祖母と二人、照りつける日の中を、荷馬車のあとから、汗と埃(ほこり)になって歩く姿は、あまりにもみじめな没落行ではなかったろうか。
照りかわく
ほこり路(じ)に
七十路(ななそじ)の
人の影
いともちいさし
ちさきまま
消えやらぬ
そのかげよ
愛憎は
げにも果てなし

 僕は、歩きながら、こんな詩を作った。自分ながらいやな詩である。
 こんどの家は、なるほど古い百姓家だ。しかし、すぐそばに北山から流れて来る水のきれいな小川がある。小川の土手には松の並木もある。近くに土橋がかかっており、その袂には栴檀(せんだん)の古い木があるので、その橋を栴檀橋というのだそうだ。僕にはその名称も気に入った。それに家が古いといっても、建てかたは頑丈で、土間は馬鹿に広いし、おまけに総二階だ。二階に天井がなく、煤(すす)けた藁屋根の裏がまる見えなのが欠点だが、その代り、松並木や青田が広々と見渡せる。町の店屋なんかよりいくら気持がいいか知れない。
 大巻の祖母と徹太郎叔父が手伝ってくれたので、道具は日のくれないうちにあらまし片づいた。夕食も大巻から運んでくれた。大巻の家までは、ほんの二三分である。

 八月二十九日
 大巻の祖父が村の大工をつれて来て、父と養鶏場設計の相談をはじめた。母もそれにはめずらしく進んで自分の考えをのべた。父はこないだから読んでいた養鶏の本をひろげて、鶏舎の図面などを見ていたが、あまり意見をのべず、たいていは母の考えに従った。そして、「何事も経験だからな」と言った。祖母もそばで相談をきいていたが、あまり機嫌はよくなかった。

 八月三十日
 朝、俊三と二人で土手をあるき、栴檀(せんだん)の古木を見に行った。思ったほど大きな木ではなかった。木の陰に茶店があったが、中から女の人が出て来て、
「あんた達は本田さんの坊ちゃんでしょう。」
 と言った。そうだと答えると、
「まあおはいりなさい。」
 と言って、駄菓子などを盆にのせてくれた。横の壁に「栴檀茶屋」という額がかかっている。奥の方にはかなりりっぱな座敷があるらしい。僕には、その女が何だか料理屋なんかにいる女のように見え、変なうちだという気がしたので、すぐ帰ろうとした。すると、
「昨日は主人が留守だったものですから、お手伝いもしませんですみませんでした。お母さんによろしく言って下さいね。」
 と、駄菓子を袋に入れて、無理に俊三の手に握らせた。
 帰ってから、母にその話をすると、その茶店の主人が僕たちの家主だということだった。夫婦とも百姓ぎらい、それに子供がないので、あんなところに茶店だか別荘だかわからない家を建てて、気楽に暮らしているのだそうだ。
「あの小母さんは慾がなくて面白い人だよ。だけど、気に障(さわ)ると誰にでもくってかかる人だから、用心してね。」
 と母は言った。
 兄とお浜とに引越をした報せを書く。まだ安心してはならないという気もしていたが、僕の手紙の文句はひとりでに明るくなってしまった。
 夜はみんな大巻におよばれ。鰻(うなぎ)[#「鰻」は底本では「饅」]の蒲焼が沢山出た。

 八月三十一日
 今日でいよいよ夏休みも終る。休みのうちに家のことが一先ず片づいたのは大いによかった。学校がかなり遠くなったが、一時間ぐらい歩くのは何でもない、行きかえりには詩でも作ろうと思う。白鳥会の日に帰りが晩(おそ)くなるのがちょっと不便だが、それも大したことではない。
 新しい出発だ。学校も、家庭も、そして僕自身の心も。
 だが、この新しい出発にきっかけを作ってくれたものは何だろう。僕はそれを考えて今さらのように驚いた。春月亭のお内儀が、いや、番頭の肥田が、間もなく鶏に新しい卵を生ませようとしているではないか!
「世に悪しきものなし」――僕は何かで見たそんな言葉を思い起した。そして「摂理」のふしぎさについて詩を書いてみたいと思ったが、急にまとまりそうにもなかった。

    一七 すべてよし

 日記の抜書きはこの程度で終る。次郎は、ともかくもこうして、かなり明るい希望を抱いて新学期を迎えることが出来た。そして、彼のこの希望は、少くとも父の新しい事業に関するかぎり裏切られたとはいえなかったようである。
 ぽつぽつとではあったが、鶏舎はしだいに拡張され、その年の暮までには、だいたい当初のもくろみどおりのものが完成した。そして翌年の春には、どの鶏舎にも白色レグホンやミノルカがさわがしく走りまわるようになり、生まれる卵の数も日に日に多少ずつ殖(ふ)えて行った。また養鶏のほかに、菜園も耕され、その一部には草花の種も蒔かれた。そして、おいおいには、広い土間や二階を利用して、養蚕もやってみたい、という話さえ出るようになったのである。
 俊亮とお芳とは、ほとんど朝から夕方までいっしょになって仂いた。お芳は最初のうち、自分で煮炊きまでやっていたが、鶏舎の増築につれて次第に手がまわらなくなり、とうとう、お金ちゃんという近所の小娘を雇い入れて、台所のことを手伝わせることにしたのだった。俊亮は、お芳といっしょに仂きながら、彼女にふしぎな能力があるのを発見して、驚くことがしばしばだった。彼女は何事にもとくべつに頭をつかって考えたりするふうはなかった。また、どんなに忙しい時でも決して急ぐことがなく、足どりさえいつものとおりだった。それでいて、同じ鶏舎の仕事をやっても、俊亮よりは無駄がなく速いし、急所をはずしたことなどめったにない。彼女がいつも無口でほがらかな顔をしているだけに、俊亮にはそれが一層ふしぎに思えたのである。
(経験というものは恐ろしいものだ。)
 俊亮は、はじめのうち、そんなふうに思っていた。しかし、よくよく考えてみると、お芳のそうした能力は養鶏のことばかりにあらわれているのではない。これまでだってべつに気をつかって整理しているようなふうでもないのに、箪笥の中にせよ、戸棚の中にせよ、いつもきちんと片づいており、お芳に任かされた限りは、どんな小さいものでもその在りかがすぐわかった。気のきかない女だと他人にも思われ自分でもそう信じているらしい彼女のどこに、そうした能力がひそんでいるのだろうか。俊亮はおりおりそんなことを考えて首をふった。そしてこの頃になって、彼はやっとそれを彼女の正直さに帰するようになったのである。
 お芳は、実際、腹のどん底まで正直な女だった。その正直さが彼女の顔に無表情なほがらかさ――それはなみはずれて大きな笑くぼのせいでもあったが――を与え、彼女の唇から自己弁護のための饒舌さを奪い、彼女を一見気のきかない女にしてしまったらしい。そして、もし彼女自身でも、自分を気のきかない女だと信じていたとすれば、それもやはり彼女の正直さのゆえだったにちがいないのである。
 明敏という言葉と、愚鈍(ぐどん)という言葉とは、それぞれ二つの意味をもっており、その一つの意味では、神の国において同義語であり、もう一つの意味では、悪魔の国において同義語であるが、お芳が世間の眼から見て愚鈍な女だったことに間違いはないとしても、それはたしかに前者の意味においてであったのである。
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