次郎物語
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著者名:下村湖人 

「あのまん中の大きく書いたところから読むんだよ。」
 佐野は立ちあがって掛軸のそばに行き、一字一字、指で文字をたどりながら読んでやった。それによると、
「いかにして まことのみちに かなはなむ ちとせのなかの ひとひなりとも」
 というのであった。これには落款があり、左下の隅っこに変った形の朱印が一つ押してあった。
「意味はわかるだろう、だいたい。」
「ええ、わかります。」
 恭一の感化もあって、次郎にもこの程度の和歌なら、字づらだけの意味はどうなりわからないこともなかったのである。
「良寛の歌だってさ。」
「良寛?」
「知らないかい。面白い坊さんだよ。その本箱の中にも、良寛のことを書いたのが何冊かあるんだがね。」
 二人はすぐ本箱の前に立って、それをさがしはじめた。
「これがいい、これが一等面白いんだ。」
 佐野が、そう言って次郎の手に渡したのは、「良寛上人」という、四六判の、あっさりした装幀の本だった。
 次郎はすぐそれを読み出した。そのうちに、会員が五六名も部屋を出たりはいったりしたが、それが誰だったかもわからなかったほど、彼は熱心にそれに読みふけった。佐野もいつの間にかいなくなっていた。もううす暗くなっている部屋の中にたった一人坐っている自分を見出して、彼はやっと未練らしく立ち上り、本を本箱にかえした。まだ半分も読み終ってはいなかったが、本は一切室外には持出さない約束になっていたのである。
 翌日も、彼はさっそくこの部屋にやって来た。その日は、めずらしく彼一人だった。彼は昨日読みのこした部分を一気に読み終った。そしてほっと大きなため息をもらし、あらためて掛軸に見入った。昨日以来、「良寛上人」を読んでいるうちに、何か不思議な世界につれこまれていたといった気持だったのである。彼は、子供たちを相手に隠れん坊をして遊んでいるうちに、おいてきぼりを食った良寛の姿を、夢を追うような気持で心に描いた。それは、まるで合点(がてん)の行かない、それでいて否定してしまうには惜しくてならない、なつかしい姿だった。「焚くほどは風がもて来る落葉かな」――そんな句も、妙に彼の心にこびりついていた。本に説明してあることだけでその意味がはっきりつかめたというのではむろんなかったが、なぜか、良寛とは切りはなせない句のような気がしてならなかったのである。
 彼は、いつの間にか、掛軸にある「まこと」という言葉は、これまで修身の時間などで教わった「まこと」とは意味がちがうのではないか、という気がし出した。しかし、ただぼんやりそんな気がするだけで、どうちがうのか、それをはっきりさせる手がかりはまるでつかめなかった。彼は、ただ、何度も何度も、掛軸の文字に眼を光らせるだけだった。
「おや、きょうはたったお一人?」
 奥さんが、いつの間にはいって来たのか、次郎のすぐうしろから、声をかけた。次郎はびっくりしたようにふりむき、体を横にねじってお辞儀をした。
「なに読んでいらしたの?」
「これです。」
「ああ、良寛上人、――それ、あたしもついこないだ読みましたわ。いい本ね。面白かったでしょう。」
「ええ。」
「あの掛軸、良寛の歌ですわ。読めて?」
「昨日、佐野さんに教わりました。」
「そう? あの額の方は?」
「字の読方だけ教わったんです。」
「意味は自分で考えてみるんだって、言われたんでしょう。」
「ええ。」
「考えてごらんになって?」
「まだ、あまり考えていません。」
「考えようにも、ちょっと、どう考えていいかわかりませんわね。白い鳥が芦の花の中にはいるって、ただそれだけなんですもの。禅の文句なんて、まるで謎(なぞ)みたいなものですわ。」
 次郎は、世間で、わけのわからぬ言葉を禅問答みたいだ、というのを、これまでよく聞いたことがあったが、こんなのが禅の言葉かな、と思った。
「だけど――」
 と、奥さんは、にっこりして、
「意味はわからなくても、いい気持のする文句でしょう?」
 次郎は、ふと、自分の生れ故郷の、あの沢辺の晴れた秋景色を想像した。そこには芦が密生していて、銀色の穂波がまばゆいように陽に光っている。一羽の真白な鳥が、ふわりと青空を舞いおりて、その穂波に姿をかくした光景は、何ともいえない美しさだった。
「どう? 次郎さんは何とも感じません?」
「美しいと思います。」
「美しいというよりか、すがすがしいといった方がぴったりしなくって?」
「ええ。」
 次郎は、彼がこれまでに接したいかなる女性にも――亡くなった母にさえも――見出せなかったものが、この奥さんの言葉の中からしみ出て来るのを感じた。
「先生はね、――」
 と、奥さんは、今度は掛軸の方に眼をやりながら、
「良寛のあの歌にある“まこと”というのは、この額の文句と同じような気持だろうって、よくそう仰しゃっていますの。」
 次郎には、しかし、その二つがどんな点で結びつくのか、まるでわからなかった。彼は、けげんそうな眼をして奥さんの顔を見ながら、
「すると、白鳥芦花に入るっていうのは、誠という意味ですか。」
「そう言ってしまっても、いけないでしょうけれど、煎(せん)じつめると、そうなるかも知れませんわ。」
「どうして、そうなるんです。」
「そこを次郎さんが自分で考えてみるといいわ。」
 奥さんは、そう言って微笑した。が、しばらくして、
「でも、このままじゃ、あんまり手がかりがなさ過ぎるわね。……あたし、先生に叱られるかも知れないけれど、その手がかりだけ教えてあげますわ。」
 次郎は、それをきくのがちょっと卑怯なような気がしないでもなかった。しかし、その気持は奥さんの好意に甘えてみたい気持をおしつぶすほどに強くはなかった。彼は、いくぶん顔をあからめて、奥さんの言葉を待った。
「芦の花って真白でしょう。その真白な花が一面に咲いている中に真白な鳥が舞い込んだっていうのですわ。」
 奥さんは、それだけ言うと、また微笑した。そして、
「もうこれでおしまい。ほほほ。」
 と、謎のような笑い声を残して、階下におりて行ってしまった。
 次郎は、それから小半時も、掛軸と額とを見くらべながら、ひとりで考えこんだ。しかし、いくら考えても、彼の頭では、「白鳥入芦花」と「まこと」とを結びつけることが出来なかった。彼は、芦原の中に、きょとんとして立っている良寛の姿を想像したりして、何だか馬鹿にされているような気がするのだった。

    九 自己を掘る

 次郎が「白鳥入芦花」の意味をどうなりつかみ得たように思ったのは、それからふた月以上もたって、彼が二年に進級したあと、はじめて白鳥会が開かれた晩のことだった。
 その晩の話題は、期せずして、新五年生の下級生に対する態度に関係したことに集中され、とりわけ、大沢が級会において、多数の五年生を相手に猛烈な論争をやったことが、興奮と感激とをもって語られた。
「じっさい、大沢君の論鋒(ろんぽう)は鋭かったよ。痛快だったね。」
「やつらがいきり立てばいきり立つはど、大沢君、落ちつくんだからね。すっかり感心しちゃったよ。」
「しかし、汝ら罪なき者彼らを打て、という文句を引き出して、やつらを睨みまわした時には、大沢君もさすがにちょっと興奮していたようだったね。」
「あの時、誰か隅っこの方から、アーメンなんて野次った奴がいたぜ。」
「あんなのが一番下劣だね。真正面からぶっつかって来る奴は、まだ脈があるんだが……」
「しかし、大沢君が、おしまいに、大の字なりに寝ころんで、下級生を鉄拳制裁する代りに、おれを踏むなり蹴るなりしろ、と呶鳴った時には、どうなることかと心配したよ。」
「あの時は、さすがに奴らもしいんとなってしまったね。」
 佐野や恭一や、そのほかの新しい五年生たちが、代る代るそんなことを言った。大沢はただにやにや笑って聞いていた。朝倉先生も、腕組をしたまま、默々として聞き入っていたが、急に、大沢に向って、
「で、結局、どう落ちついたんだ。」
「お流れです。しかし、僕、最初っから僕たちの考えにまとまるとは考えていなかったんです。お流れになれば成功でしょう。」
「うむ――」
 と、朝倉先生は、しばらく考えて、
「しかし、このままではいけないね。このままでは、どうせ鉄拳制裁の悪風はやまんよ。」
「しかし、そういうことを五年生全体の特権のように考えていたことだけは、これで破ることが出来たと思います。」
「その代り、病気を深部(しんぶ)に追いこんだことになるかも知れんね。」
「はあ?」
 と、大沢はその大きな眼をぱちぱちさした。すると、先生の澄んだ眼が、かすかに笑って、
「君もまだ、案外、形式主義者のようだね。」
 大沢は、すっかりあわてて、膝を立て直した。ほかの生徒たちも、これは案外だという顔をしている。
「むろん、五年生全体の名において、下級生に鉄拳制裁を加えることが、これまで当然のことのように考えられていたのは、この学校の一番の悪風だ。だから、君が、今度五年生になったのを機会に、それを打破しようとしたのは、決して間違いではない。ただその方法に問題があるんだ。何だか、いま聞いたところでは、化膿(かのう)した盲腸を叩きつぶして、腹膜の原因を作った、といった恰好ではないかね。」
「そんなことになるんでしょうか。」
「どうも、そうなりそうだね、鉄拳制裁の好きな連中は、これから、こそこそ勝手な行動に出るよ。ちょうど盲腸からとび出した膿(うみ)のように。」
 大沢は、少し眼を伏せて考えこんだ。
「なるほど、五年全体の名において大っぴらにそれがやれなくなれば、形式としては前よりはよくなるわけだ。しかし、実質的には一層始末に終(お)えないものになるかも知れん。実は、学校として、そのことで、これまで五年生に強圧を加えなかったのも、そうなるのを恐れたからなんだ。」
「すると、いつまでもこのままにして放って置かれるつもりだったんですか。」
「そうではない。君らの眼にはどう映っていたか知らないが、大垣校長が、赴任されて以来、内々最も苦心されて来たのは、そのことなんだ。幸い、葉隠の四誓願が、そのまま校訓同様のものになっていたし、校長は、あの大慈悲という言葉を強調して、じりじりと辛抱づよく今日まで努力してこられたんだ。もうそろそろまる四年になるね。校長が赴任されたのは今の五年生が一年の二学期をむかえたときだったんだろう。」
 朝倉先生は、そう言って、感慨深そうに、みんなの顔を見まわしていたが、
「吉田松陰の言葉に、天下は大物だ、一朝の奮激では決して動くものではない、それを動かそうと思えば、誠を積まなければならない、といったような意味のことがあるが、一つの学校を動かすにも、やはり同様だね。校長が辛抱強く誠を積んで来られたればこそ、君らのように、進んで校風刷新のために戦おうという生徒も何人かあらわれて来たんだ。君らほどの熱意はなくても、心の中では、君らに味方したいと思っていた生徒が、きっとほかにも沢山あるだろう。四五年前とはたしかに全体の空気が変って来ているよ。この分で、もう二三年も努力すれば、自然に悪風もなくなるだろうと、いつも校長とお話していたところだったがね。」
 大沢は、いつになく、首を垂れて聴いていたが、
「すると、僕、校長先生のお考えをぶちこわすようなことをしてしまったんでしょうか。」
「ぶちこわしたというほどでもないだろう。しかし、校長は、五年が二派にわかれて争うようなことになってはならないって、いつもそれを心配していられたんだ。生徒には、もともと善玉も悪玉もない。それが、はっきり善玉と悪玉とにわかれてしまって、学校が、やむを得ず善玉のあと押しをしなければならんようになっては、教育もおしまいだ、というのが校長のお考えでね。実は、私も、そのお言葉をきいた時には、はっとしたよ。わざわざあんな下手な字なんか書いて、この会の名をそれに因(ちな)んでつけることにしたのも、そのためだったんだ。」
 次郎は眼をかがやかした。
「とにかくはっきりした対立的な情勢を作ったのは、君の失敗だったよ。白鳥芦花に入る気持がほんとにわかっていたら、もっとほかに方法が見出せそうなものだったがね。」
 大沢は、しきりに首をふった。ほかの生徒たちも、お互いに顔を見合わせて默りこんでいる。朝倉先生は、にこにこして、しばらくその様子を眺めていたが、
「こないだ、ある本を読んでいたら、こんな話が書いてあった。それは、支那の何とかいう禅宗の坊さんの話だがね。その坊さんが自分の弟子をほかのお寺にしばらく修行に出してやった。何年かたって、その弟子が帰って来たので、何か得るところがあったのか、とたずねると、弟子は默って地べたに円を描いて見せたそうだ。円が何を意味するのか、われわれ素人にはわからんが、とにかく何か悟りを開いたという意味なんだろう。ところで、そのあとが面白い。その円を見た師匠の坊さんは、たったそれっきりか、と呶鳴りつけたんだ。すると弟子は、今度はその円をさっさと消してしまった、というのだ。どうだい、大沢、円を消してしまったところが非常に面白いではないかね。」
「はあ――」
 大沢は少しも面白そうな顔をしていない。
「君も、どうなり、五年生相当な円を描くことは出来るようになったらしいが、まだその円を消すところまでは行っていないようだね。」
「はあ――」
 大沢は、また「はあ」と答えた。今度は、しかし、何か思いあたるところがあるといったような返事の仕方だった。朝倉先生は、たたみかけて、
「君が、大の字なりに寝転んで、たんかを切ったところなんか、まるで円の上を三角で上塗りしたようなものだったね。それじゃ、せっかくの円も台なしだよ。」
「すみません。」
 大沢は、その大きな肩をすぼめて、右手で後頭部をおさえた。
 次郎は、さっきから、二人の対話に一心に耳を傾けていたが、大沢がすっかり弱りきっているのが、ふしぎでならなかった。彼は七つ八つの子供のころ、「饅頭虎」と「指無し権(ごん)」という二人のならず者が、酒の座で喧嘩をはじめ、父の俊亮がその仲裁にはいったときの光景を思い起していた。父は、その時、両肌をぬいで二人の間に割って入り、「それほど喧嘩がしたけりゃ、おれを片づけてからにせい。おれの眼玉の黒いうちはお互いに指一本ささせないぞ。」といったようなことを大声でどなり、すぐ二人を平身低頭させたが、その時の感激は今に忘れられない。大沢のやったことも、それと同じではないか。自分の身をなげ出して不正を防ごうとしたことが何で悪いのだろう。次郎には、そんな気がしてならなかったのである。で、彼はいきなり先生にたずねた。
「大沢さんのやったこと、どうして悪いんですか。」
 先生は、しばらく返事をしないで、まじまじと次郎の顔を見ていたが、
「君には、ちょっとむずかしいかな。」
 と、またしばらく言葉を切って、
「君は、あの額の意味を考えてみたのかい。」
「考えてみました。しかし、わかんないです。」
「ふむ――じゃあ、今日はいい機会だから、ひととおり話しておこう。はじめての人はよくきいておくんだ。」
 そう言って、朝倉先生は説明をはじめた。しかし、その説明は、最初のうち、額に書いてある文字には少しもふれなかった。話は、先ず、先生がこのごろよく座談会などに出かけて行く近在の村の事から始まった。
 その村には、三十台ぐらいの若い人たちが、二十数名集まって、一つの団体を作り、いつも村のことを研究し、熱心に村生活の調和と革新とを図(はか)っている。しかし、世間普通のそうした団体のように、正面切って改革を叫んだり、集団行動に出たりするようなことはほとんどない。団員は、月に何回となく集まって、意見を出しあい、議をねり、計画を定め、その実現を誓いあうが、それをその団体の決議だなどといって、大ぴらに発表したりすることは決してない。彼らは、それがめいめいに出来ることだったら、默って率先躬行するし、村全体でやらなければならないことだったら、めいめい自分の近しい人から、茶飲み話の間に角立てないで説き伏せて行く。そんなふうで、いつの間にやら、村の気風を改め、世論を指導して行くので、大ていの人は、そんな団体の存在をはっきり知らないし、知っても気にとめない。いわば村の地下水となって村民の生活の根をうるおしているようなものだ。こういうのが、ほんとうの意味で公共に仕える道ではないか。――
 次郎も、話がそこまで進むと、「白鳥芦花に入る」が、何だかぼんやりわかって来たような気がした。
「それにくらべると――」
 と、先生は、ちらと大沢を見た眼を次郎の方に転じながら、
「大沢のやりかたには、やはり足りないところがある。むろん、自分を売るといったような不純な気持が大沢に少しでもあったとは私は思わない。大沢も、もうそこいらはとうに突きぬけているよ。しかし、とにかく大沢という人間が、けばけばしく出過ぎて、古い型の英雄になってしまった事はたしかだ。いわば、真黒な鳥が白い芦の花の中に飛込んだようなものだね。」
 みんなが思わず笑い出した。大沢は、顔をまっかにしながら、
「わあっ、今日は、僕、台なしだな、次郎君も、もう僕を弁護するのはよしてくれよ。」
 それで、また、一しきり笑い声が賑やかだった。その笑い声がしずまるのを待って、先生は次郎に言った。
「どうだ、もうたいてい意味だけはわかったろう。真白な鳥が、真白な芦原の中に舞いこむ、すると、その姿は見えなくなる。しかし、その羽風のために、今まで眠っていた芦原が一面にそよぎ出す、というのだ。お互いに、この白鳥の真似がしてみたいものだね。しかし、なかなかむずかしいぞ。それがほんとうに出来るまでには、よほど心を練らなくちゃならん。自分の正しさに捉われて、けちな勝利を夢みているようでは、とても白鳥の真似は出来るものでない。良寛のような人でも、「千とせのなかの一日なりとも」と歌っているくらいだからね。」
 次郎は、頭に蔽(おお)いかぶさっていたものを、一時にとり去られて、青い空を仰ぐような気持だった。が、同時に、朝倉先生が、いつの間に自分の心をこれほど深く見ぬいたのだろう、と、何か恐ろしい気もした。彼は、思わず部屋じゅうの人たちの顔を、そっと見まわした。すると、いつの間にはいって来たのか、部屋の入口の、円座から少しさがったところに、奥さんがつつましく坐って、こちらを見ていた。その眼は、次郎の眼をとらえると、にっこり笑ったが、
「ね、わかったでしょう。」
 と、そう言っているような眼だった。
 次郎は、これまで、白鳥会というものを、ただ、真面目な生徒たちの集まりだ、というふうに、ぼんやり考えていたが、この晩の集まりで、先生の心のなかには、もっとはっきりしたねらいがあるということに気がついた。しかも、そのねらいは、誰に向けられているよりも、より多く彼自身に向けられているような気さえしたのである。彼は、それ以来、本を読むにも、人に接するにも、何かこれまでとはちがった角度に立って、ものを見るようになった。ことに、伝記物などを読んでいて、以前なら感心したであろうと思われるところに、あまり感心しなかったり、大して注意をひかなかったであろうと思われるところに、かえって深い興味を覚えたりした。また、おおかた一年近くも、彼の幼い思想の、唯一の拠りどころとなっていた「無計画の計画」という言葉にも、彼は自分で知らない間に、新しい意味をつけ加えていた。それは、もはや彼にとって、単に彼をとり囲む運命の神秘を意味するだけではなく、彼自身の心を、もっと自然な、作為のないものにするための指標として役立つようになっていたのである。
 次郎の幼年時代をくわしく知っている読者なら、誰でも気づいたであろうように、そのころ彼は、精力の半ば以上を、周囲の人々の彼に対する気持を推しはかることに費していた。かつて、私は、「次郎にとって何の自制心も警戒心も必要としないただ一人の相手、嘘であろうと、誇張であろうと、そのままにうけ入れてくれるただ一人の相手、そして、かりに腹を立てあうにしても、腹を立てあうことそのことが愛のしるしでさえあるようなただ一人の相手、それは乳母のお浜だけであった。」というような意味のことを書いたが、じっさい彼は、お浜以外の人のいるまえで、作為のない自然な行動に出たことは、めったになかった。彼は、人目をぬすんで火薬を弄(もてあそ)び、大怪我をして苦しんでいた時ですら、周囲の人々の驚きや、心配や、同情の程度をひそかに測定することを忘れず、彼の過失に対する非難がどうやら彼のうめき声で帳消しになったらしいのを知って喜んだくらいである。彼の悪行も、善行も、純粋に彼自身のものであることは極めてまれであった。それを刺戟したものは、たいていの場合、周囲の人々の思わくだったのである。彼が、「愛せられる喜び」から「愛する喜び」へ心を向けかえようと努力したのも、そうした自分の弱さや醜さに嫌悪を覚えたからであったが、しかし、それとても、まだほんとうに純粋なものだったとはいえなかった。やはり、彼の心のどこかには、病床にあった母のために、自分の小遣いから、少しばかりの牛肉を買って戻ったころのほめられたい気持が、まだしみついていたのである。彼は、白鳥会の仲間、とりわけ大沢や新賀の、物ごとに渋滞(じゅうたい)しない、率直な態度を見るにつけ、それがはっきり自覚されて来た。「無計画の計画」という言葉が、彼にとって新しい意味をもつようになったのも、そのためだったのである。
 はた目にはいかにもあれ、彼が白鳥会の一員となってからの内面的闘争には、涙ぐましいものがあった。「円を描いて円を消す」――「白鳥芦花に入る」「無計画の計画」――「誠」――そうした言葉は、会の集まりの席ではむろんのこと、家庭でも、学校でも、そのほかどんは場所ででも、彼の心を往復した。彼の一言一行は、そうした言葉のどれかを思い起すことによって、用心ぶかく選まれ、そして省みられたといっても、言いすぎではなかったのである。しかも、それで彼の言動の自然さがいくらかでも取りもどせたかというと、決してそうではなかった。それどころか、それらの言葉がいつも彼の頭にこびりついていることが、却って彼の心を束縛し、彼の言動の自然さをぶちこわすことにさえなるのだった。彼は作為すまいとする作為によって、手も足も出ないことがあった。それは、彼にとって大きな矛盾(むじゅん)であったにちがいない。しかし、彼自身では、少しもその矛盾には気がついていなかったのである。
 だが、彼がこの矛盾に気がつかなかったということは、彼の前途にとって、必ずしも不幸なことではなかったであろう。というのは、円を消すには先ず円を描かなければならないし、無計画の計画は、計画をつきぬけた人だけにしか出来ないことだからである。次郎は青年期に入ってまだ間もない人間だ。幼年時代にうけた心のきずは、そう早く枯れてしまうものではない。そのきずが深ければなおさらのことだ。なるほどそれにこだわるのは、見た目に決していいものではない。本人も、むろん苦しかろう。だがこだわりにこだわって、こだわりぬいたところに、ほんとうにこだわらない道がひらけるのだ。私たちは、そう思って、朝倉先生と共にゆっくり彼の将来を見まもって行きたいのである。

    一〇 淋しき別離

 それから約一年が過ぎた。次郎も、もう三年生である。
 大沢と恭一とは、卒業後そろって高等学校の文科にはいった。大沢は政治に志し、恭一は文学に志していたのである。
 白鳥会も、その間に少しずつ人数を増して行って、三十数名になったが、みな、それぞれの学年で粒よりのものばかりだった。一般の生徒からは、少し変り者扱いにされ、かげでは、「鵞鳥」とか、「あほう鳥」とか、「孔子の枯糞」とか呼ばれることもあったが、それでいて、何とはなしにみんなに尊敬されているといったふうであった。それには大沢の在校中の言動があずかって力があったことはいうまでもない。ことに、彼が鉄拳制裁問題で闘って以来、彼の下級生からうけた信望は大したものであった。それがやがて五年生の大部分にも反映して、朝倉先生が心配したように、彼らが二派にわかれて争うというようなことにもならないですんだ。こうして彼の存在が生徒たちの眼に大きく映るにつれて、白鳥会員全体が、何か犯しがたい力をもっているもののように思われて釆たのである。
 次郎の心境も、この一年あまりの間に、たしかにいくらかの進歩を見せた。周囲の思わくにこだわるくせからは、まだすっかりぬけ切ってはいなかったが、こだわったあとで、それを取り繕ったりするような二重のこだわりは、よほど少くなっていた。それだけに、彼自身の気持もいくらか軽くなり、周囲の人々も、彼が次第に快活になって行くのを喜んだ。
「本田も、このごろ、いくらかすべりがよくなったようだね。しかし、上滑りは禁物だ。」
 朝倉先生は、白鳥会の集まりの時に、一度そんな事を彼に言った。――白鳥会では、恭一がまだ在校していたころは、恭一を「本田」と呼び、次郎を「次郎君」と呼ぶならわしだったが、恭一の卒業後は、いつとはなしに次郎が「本田」と呼ばれるようになっていたのである。
 宝鏡先生と彼との関係は、それ以来少しも発展しなかった。一年級の終りまでは、――といっても、事件後僅か一ヵ月あまりだったが、――教室でおたがいに多少気まずい思いをしながらも、事なくすんだ。次郎の学年成績の通信表に記された数学の点は七十五点で、彼の出来栄え相当であった。ただ、彼は内心いくらか不満に思ったのは、第一、第二学期とも甲であった操行評点が乙にさがっていたことであった。しかし、彼は、それを宝鏡先生のせいにする気には不思議になれなかった。操行評点は学級主任が原案を作ってそれを職員会議にかけて決定する、ということをかねて聞いていた彼は、罪は小田先生にあるような気がしていたのである。
 二年に進級すると、数学の受持の先生が変って、次郎は、宝鏡先生とはほとんど顔をあわせる機会がなくなった。彼はそれでほっとした気にもなったが、また一方では、先生が二年級について来なかったということが、全く自分のせいででもあるような気がして、何かすまない気持だった。そして、式や何かの場合には、彼はいつも、講堂の隅っこの席に行儀よくかしこまっている先生の姿を、遠くから注意ぶかく眺めていた。彼の眼には、先生の姿がいつもしょんぼりしているように見えた。人なみはずれた巨大な体躯であるだけに、それが一層淋しく思えるのだった。そんな時、彼がきまって思い出すのは、朝倉先生の「課題」だったが、それは時として彼を物悲しくさえさせるのだった。
 こうして、とうとう彼は三年に進んだが、その第一学期の試験も明日で終るという日の朝、彼が校門をはいると、すぐ右手にある掲示場の前に、十四五名の生徒がたかって、やんやと何かはやし立てていた。中には、遠方にいる生徒たちを大声で呼んだり、手招きしたりしているものもあった。彼も、ついそれに誘われて、急いで近づいてみると、そこには黒塗の掲示板が二枚かかっており、まだ十分に乾ききれない白堊の毛筆書きで、その一方には、「教諭心得宝鏡方俊、願ニ依リ本職ヲ免ズ」とあり、もう一方には、「明○○日第一学期終業式後宝鏡先生ノ送別式ヲ行ウ」とあった。次郎は、それを見た瞬間、妙に胸をしぼられるような気がした。そして、しばらくは白堊の文字を見つめたまま、ほかの生徒たちの騒ぎの中に、じっと突っ立っていた。
「とうとうやめたのか。」
「しかし、よく辞職したね。」
「論旨(ゆし)さ、むろん。」
「論旨って何だい。」
「論旨退学の論旨だよ。」
「先生にもそんなことがあるんだね。」
「あるとも、それがなくって自分からやめる先生なんて、ありゃせんよ。」
「しかし、ホウキョウ・ホウシュン、かわいそうだな。はやく転任でもすりゃいいのに。」
「転任したって、またすぐ駄目になるさ。」
「どうせ引きうける学校もないだろう。」
「やっぱり山伏をやる方が似合っているよ。」
 生徒たちは、そんなことを言っては、笑ったり手をたたいたりした。次郎は、聞いているのがつらくなり、急いでその場をはずした。
 教室に入ってみると、もうそこでも、宝鏡先生のことでみんながわいわいさわいでいた。そして、次郎の顔を見ると、
「やあ、本田が来た、来た。」
「掲示を見たか。」
「どうだ、痛快だろう。」
 などと、くちぐちに次郎に祝意を表するようなことを言うのだった。
 次郎は、しかし、にこりともしないで自分の席に腰をおろした。そして、雑嚢を机の上に置くと、そのまま頬杖をついて、眼を黒板の方に注いだ。
「どうしたい、本田。」
 と、二三人が彼の方によって来た。それでも彼は返事をしない。みんなの視線は、自然と彼の方に集まった。
「ホウキョウ・ホウシュン、やめたぜ。」
 と、誰かが隅の方からどなった。
「知ってるよ。」
 次郎はふりむきもしないで答えた。それから、のそのそと立ち上って、あっけにとられているみんなの顔を一巡見まわしたあと、默って教室を出て行ってしまった。
 次郎が出て行くのとほとんど入れちがいに新賀がはいって来たが、彼は、次郎の机の上の雑嚢を見ると、すぐ隣の席の生徒にたずねた。
「本田はどこへ行ったい?」
「知らんよ。たった今出て行ったんだが、何だか変だったぜ。」
 新賀はちょっと考えた。が、すぐ自分の雑嚢を机の上にほうりなげ、あたふたと次郎のあとを追った。
 間もなく、新賀は次郎を見つけたらしく、二人は、例の銃器庫のかげで、始業の鐘が鳴るまで何か話しあっていた。

     *

 翌日の第一学期終業式の校長の訓辞はごく簡単ですみ、引きつづき宝鏡先生の送別式が行われた。
「宝鏡先生は、今回○○県の○○高等女学校に転任されることになりまして……」
 校長は、先ずそんなふうに紹介の言葉をはじめた。すると、生徒たちは、「おや」という眼をして一せいに顔をうごかした。無資格教師には出向辞令が出ないということを知らなかった彼らは、宝鏡先生は退職したとばかり思いこんでいたのである。次郎もその一人だったが、彼はその瞬間、これまで伏せていた眼をあげて、思わず宝鏡先生を見た。宝鏡先生は、いつもとちがって、職員席の最前列の、しかも、校長席のすぐ隣に、仁王のように厳めしく立っていたが、その汗を浮かしているらしい額も、次郎には、その時、あまり苦にならなかった。
 校長の言葉は、ほんの二三分で終った。そうした場合、事実とちがった月並の讃辞をのべたてるようなことは、これまで校長の決してやらないことだったが、宝鏡先生についても、校長は、ただ次のようなことを述べたきりだった。
「先生が御在任中、ただの一時間も授業を休まれないで、諸君の教育に当って下すったことは感謝にたえない。これは、先生の御健康のたまものであるが、また私事をもって公事をおろそかにされない先生の御精神が然らしめたものだと思う。私は、それを先生が本校に遺された最大の教訓として、諸君と共に有りがたくおうけしたいと思う。」
 次郎は、宝鏡先生がそれだけでも校長にほめてもらったことが、何かうれしかった。しかし、とりわけ彼の心にしみたのは、校長がそのあとにのべた言葉だった。
「諸君は、今後、いつ先生と再会の期があるかわからないが、一たび結ばれた師弟の縁は永久に消えるものではない。それは親子の縁が永久であるのと同様である。諸君が将来、社会的にどんな高い地位につこうと、或はその反対に、どんな逆境に沈もうと、宝鏡先生はやはり諸君の先生として、諸君を見て下さるだろう。私は、諸君が将来どこかで先生の膝下に参じ、過去の思い出を語りあい、更に何かとお教えを乞う機会があることを確信する。」
 次郎は、変に悲しいような気持になって、首を垂れた。
 やがて宝鏡先生が校長に代って壇に立ったが、その顔はいくぶん蒼ざめて硬(こわ)ばっていた。先生は、先ず手巾(ハンカチ)で顔の汗をふき、どこを見るともなく、その大きな眼をきょろきょろさせた。それから、だしぬけにどなるような声で挨拶をはじめたが、それには順序も何もなかった。ただ、不思議に言葉だけは滔々(とうとう)とつづき、しかも「授業を一時間も休まなかった」とか、「私事をもって公事をおろそかにしなかった」とかいうような、校長のほめ言葉を何度も自分でくりかえしては、やたらに謙遜(けんそん)したり、感激したりした。
 次郎はきいていてはらはらした。近くの生徒たちの中には、可笑しさをこらえて、肱でつっつきあったりする者もあった。先生たちの顔も変にゆがんでいる。その中で、いつもと少しも変らない顔をしているのは、校長と朝倉先生だけだった。校長の眼は厳粛で、しかも温かだった。朝倉先生の眼はふかぶかと澄んで静かだった。次郎は、二人の眼を見た瞬間、何か大事なことを教えられたような気がした。彼の注意は、それから、二人の顔にすいつけられて、宝鏡先生の言葉がほとんど耳にはいらなかった。
 宝鏡先生が壇をくだると、生徒席の方から、五年生の一人が進み出て、送別の辞を述べたが、これは紋切型で、しかも一分とはかからなかった。最後に体操の先生から、宝鏡先生の出発の日取りや汽車の時刻が発表され。休暇中だからそろってお見送りは出来ない、市内の者で出来るだけお見送りするように、との注意があって、送別式はともかくも無事に済んだ。
 次郎は、何かほっとした気持で、講堂を出た。すると、新賀が彼と肩を並べながら、言った。
「どうだい、今すぐ行こうか。」
「うむ。」
 二人は、その足で、いっしょに生徒監室に行き、朝倉先生の机のそばに立った。次郎はいくぶんはにかみながら、
「先生、僕、宝鏡先生にお会いして、あやまって置きたいと思います。」
「ほう。――」
 と、朝倉先生は、何か書類を読んでいた眼を次郎の方に転じて、しばらくその顔を見つめていたが、
「うむ、そうか。それはいいね。しかし、いっそあやまるんなら、もう学校でない方がいい。お宅をお訪ねしたらどうだい。あと三四日は間があるんだから。」
 次郎は新賀の方をふりむいた。二人はすぐうなずきあった。
「新賀は?」
 と、二人の様子を見ていた朝倉先生は、不審そうにたずねた。
「僕も、本田君といっしょに行くんです。」
「どうして? 本田一人ではいけないのかい。」
「僕もあやまることがあるんです。」
 朝倉先生はちょっと考えていたが、
「そうか。うむ、うむ。」
 と、いかにも感慨(かんがい)深かそうにうなずいて、
「よかろう。じゃあ、二人で行きたまえ。」
 二人は、すぐお辞儀をして、歩き出そうとした。すると、先生は、
「しかし、あやまるったって、今さら何もかしこまって、あの時のことを言い出す必要はない。あの時のことにはふれないで、何か荷造りのお手伝いでもしてあげるんだな。」
 二人は、それから、いったんめいめいの家に帰ったが、夕飯をすますと、そろって宝鏡先生をたずねた。形式ばってあやまらなくてもいい、という朝倉先生の注意が、二人を非常に気軽な気持にさせているらしかった。
 宝鏡先生の家は、町はずれに近い、間口二間の古ぼけた店屋のあとで、玄関も何もなかった。二人がその土間にはいった時には、まだそとは明るかったが、蚊のうなりがぶんぶん聞えていた。宝鏡先生は、糊気のない、よれよれの浴衣の襟をはだけ、胸毛をのぞかせて出て来たが、土間に立っている生徒の一人が次郎だとわかると、ちょっといやな顔をした。そして、次郎よりもずっと体格のいい新賀がそのうしろに突っ立っているのを、うさんくさそうに見たあと、
「本田と新賀じゃな。何しに来たんじゃ。」
 と、いくぶん身構えるような態度で言った。
 二人は、少からず面喰らった。しかし、どちらも、それで腹を立てたような様子はなかった。次郎はぴょこりと頭をさげて、
「新賀君と二人で、お荷物のお手伝いに来ました。」
 先生は、拍子ぬけがしたように、二人の顔を見くらべた。しかし、まだ安心がならぬといった眼をして、
「荷物の手伝い? それはもう人をやとってあるんじゃ。」
「そんなら、何か使い走りでもさして下さい。何でもやります。」
 今度は、新賀が言った。
「うむ。――」
 と、先生は、急に二人から眼をはなした。同時に、首をそろそろと垂れはじめたが、垂れ終ったところで、何かを払いのけるように、二三度それを横に振った。
 蚊のうなりが、その時、異様に高くひびいて三人を包んだ。しばらくして、
「よう来てくれたな。」
 と、先生は首を垂れたまま、両手を帯のあたりに組みあわせた。
 そのあと、また、かなり永いこと沈默がつづいたが、
「まあ、二階にあがってくれ。話があるんじゃ。」
 二人は先生のあとについて、二階にあがった。八畳の、天井の低い部屋で、床の間はあったが、軸物一つかかっていなかった。安物の机が一脚と、その上に四五冊の数学の参考書を立てた木立が置いてあるきり、部屋中ががらんとしていた。窓のそとはすぐ隣の屋根で、あいだには青い葉一つ見えなかった。
 三人は座蒲団なしで坐ったが、坐るとすぐ、宝鏡先生はもう一度、
「よく来てくれたな。」
 と、いかにも嬉しそうに言って、二人にあぐらになるようにすすめた。それから、
「わしのうちに生徒がたずねて来てくれたのは、君らがはじめてじゃ。君らがはじめての終りじゃな。」
 と、わざとらしく笑ったが、その声はうつろで淋しかった。
 次郎も新賀も、返事のしようがなくて、默って首をたれていると、先生は一人でいろんなことを喋り出した。
「わしゃ、頭がわるい。じゃが、今日校長先生が言われたように、真心はあるんじゃ。」とか、「今度行く学校は女学校じゃが、そこでは数学だけでなく、受持の組の修身もやることになっているんじゃ。」とか、くすぐったいような言葉があとからあとから出て来たが、かんじんの次郎との一件には決してふれようとしなかった。二人はあくまで神妙な顔をして聞いていた。しかし、いつまでたってもきりがない。で新賀がついにたずねた。
「先生、お手伝いはいつがいいんでしょう。」
「そうじゃな。」
 と、先生はちょっとまごついたような顔をして、答をしぶった。そして大きな指を折って日数を読んでいたが、
「試験の答案がまだ残っているんじゃ。受持の組の通信表はほかの先生がやって下さることになっているんじゃが、それでも、荷物の片づけは明後日までは出来んじゃろ。」
 二人は間もなく先生の家を辞したが、先生は二人をおくって階段をおりると、奥の方に向かって叱るように言った。
「学校の生徒がたずねて来てくれたんじゃよ。お茶も汲まんでどうしたんじゃな。」
「おや、まあ。」
 そうこたえて出て来たのは、肺病ではないかと思われるほど、顔色の悪い、やせた女だったが、わざわざ土間におりて二人を見おくった。二人は門口を出ると、むせるように蚊やりの煙の流れている町を、沈默がちに歩いた。

     *

 さて翌々日の夕方、二人はもう一度宝鏡先生を訪ねて行ったが、驚いたことには、家はもう空家になっており、閉された戸に一枚の半紙が貼りつけてあって、それには郵便物の転送先の学校名が記されていたのだった。
「どうしたんだろう。」
 二人は、その半紙を見つめて、しばらく立ちすくんだあと、すぐその足で朝倉先生をたずね、事情をきいてみた。しかし、朝倉先生も何も知らなかったらしく、二人の話で、しきりに首をかしげていたが、
「じゃあ、もう多分たたれたんだろう。学校の方には私から知らしておく。しかし、あさっては、君ら二人だけでもいいから、念のため示された時刻に駅に出てみるがいいね。」
 翌々日、二人は、言われたとおり駅に出てみた。駅には先生も生徒もまだ一人も見えていなかった。少しおくれて体操の先生があたふたとやって来たが、二人を見ると、
「宝鏡先生の見送りなら、もう帰ってもいい。一昨日たたれたそうだから、途中でほかの生徒にあったら、そうつたえてくれ。」
 二人は、それでも、発車時刻になるまで駅の前あたりをぶらぶらしていた。そのうちに白鳥会員が四五名やって来たが、二人の話をきくと。
「なあんだ、馬鹿にしてらあ。」
 と、あっさり帰って行ってしまった、そのほかには生徒は一人も見えなかった。むろん宝鏡先生も見えなかった。
 発車のベルが鳴ると、新賀は改札口の方を睨みつけるようにして言った。
「しようのない先生だったなあ。」
 次郎は、しかし、いやに淋しい気がした。
(僕たちは、恐らく、もう永久に宝鏡先生に会う機会がないだろう。これは無計画の計画とも少しちがうようだ。)
 彼は、その時、そんなことを一人で考えていたのである。

    一一 上酒一斗


 次郎は、四月以来、恭一と大沢から、熊本城や、阿蘇山や、水前寺などの絵はがきを、何枚も受取っていた。書いてあったことはいずれもごく簡単だったが、二人の愉快そうな生活の様子は、その間からもうかがわれた。次郎はそれを一枚残らず大事に机の抽斗にしまいこんで、おりおり取り出しては見るのだった。
 六月末頃になって、恭一からはじめてかなり分厚な手紙が来た。それには学寮生活の様子がこまごまと記してあり、
「ここでは舎監と生徒との関係よりも、生徒相互の関係が重要だ。つまり、生徒がお互いの工夫と努力とで共同生活を建設して行くところに、中学校の寄宿舎などでは味わえない興味がある。こういう生活をやり出してみると、僕らが白鳥会員であったということは、いよいよ大きな力になって行くようだ。大沢君といつもそのことを話している。」
 などと感想がつけ加えてあった。
 次郎はむさぼるようにそれを読んで行った。しかし、何よりも彼の心を刺戟したのは、手紙の最後になって次のような文句を見出したことだった。
「この頃、お父さんに変ったことはないか。店の商売の様子はどうだ。もし変ったことがあれば、かくさず知らせてくれ。どういう事でも、僕は決して驚かないつもりだ。いよいよとなれば、大沢君にも相談した上で、夏休みには帰らないで、出来るだけの用意をして置きたいと思っている。」
 次郎は、それを読んだ瞬間、これまであまり気にもとめないでいた一つの出来事を思い出して、異様な不安に襲われた。それは、開店以来店に坐っていた番頭の肥田が、恭一が熊本にたつ間際に、売掛代金や何かをさらって、急に姿を消してしまったことである。
 肥田は、俊亮が村にいたころ、青木医師についで親しくしていた人の末弟にあたる人だが、生来しまりのない男で、方々でしくじったあげく、俊亮の店開きのことを聞きこんで泣きついて来たのを、俊亮が例の侠気(きょうき)と大まかさから、店に使ってやることにしたのだった。そうした事情はいつの間にか次郎にもわかっていたし、それに、肥田が姿を消した時のお祖母さんの騒ぎようはずいぶんひどかったにも拘らず、俊亮自身は割合(わりあい)落ちついており、肥田の兄にそのことを知らしてやったきり、強いて本人の行方を捜そうともしなかったので、彼は、それをさほどの大事件とも思わず、肥田がいなくなって、父はかえって安心したのだろう、ぐらいにしか考えていなかったのである。
 彼は、しかし、恭一の手紙で、新たにそのことを思い出し、なお、その後の店の様子などを考えているうちに、このごろ、麦洒(ビール)や日本酒の罎詰をならべた商品棚ががらんとなって来たことや、夕方の忙しくなければならない時間に、二人の小僧たちがぼんやり腰をおろしている様子などが眼に浮かんで来て、不安はいよいよつのって行くはかりだった。
 で、彼は、その後、毎日学校の行きかえりに、店の様子にとくべつ注意を払うようになった。すると、気のせいか、さびれは日にまし目立ち、掃除までが行きとどいていないような気がするのだった。ただ、いつもと変らないのは、土間につみあげてある七八本の四斗樽だったが、それも、ある日彼が学校の帰りがけに小僧たちと冗談を言いながら、それとなく指先でたたいてみると、どれもこれも空ばかりのようだった。
 彼は、思いきって父に恭一の手紙を見せ、事情をたずねてみようかと考えた。しかし子供のくせにさし出がましいと思われそうな気もし、また、たずねたためにかえって父にいやな思いをさせそうにも思えたので、つい言い出しそびれてしまった。そして、恭一には、それから五六日もたってから、自分の見たままのことを書いて、一先ず返事を出しておいたのである。
 そうこうするうちに、一学期も押しつまり、試験の準備に時間をとられたり、宝鏡先生の転任で気をつかったりして、とうとう夏休みを迎えたわけだったが、その間、ともかくも、店の仕事はつづけられ、また、たまには罎詰の数がいくらかふえたり、新しい四斗樽が何本か運びこまれたりしたのを見たので、彼も当初ほどには店のことを気にかけなくなり、何もかも恭一が帰って来た上でのことだという気になっていた。
 ところが、恭一は、八月の五六日頃になっても帰って来なかった。それを心配していろいろ言い出したのは、まずお祖母さんだった。次郎もむろん内々心配はしていたが、俊亮の顔色をうかがうだけで、口に出してはそれと言わなかった。俊亮は、ただ、
「どこか、山登りでもして来るんでしょう。」
 と、いかにも無造作に言って、なるべくお祖母さんの相手にならない工夫をしているらしかった。
 お祖母さんがやいやい言い出してから二日目の夕方、ちょうどみんなが食事をしている時に、恭一から次郎にあてたはがきがついた。それにはこうあった。
「今度の休みは、はじめてのことでもあり、帰ってお土産話をしてみたい気もするが、結局帰らないことに決心した。大沢君も僕と行動を共にしてくれるそうだ。有りがたいと思っている。くわしい事は、お父さんにこないだ手紙を出しておいた。お父さんからの返事はまだもらわないが、むろん許して下さるだろうと思う。……君は、これまでに、強くなる修業をすでに十分つんで来たが、僕はこれからはじめるのだ。いずれ、また近いうちに便りをする。」
 次郎は読み終ると、ちらと父の顔を見たが、すぐそ知らぬ顔をして、はがきをズボンのかくしに突っこんだ。しかしお祖母さんの方が、もうさっきから、ちゃぶ台ごしに、そのはがきに眼をつけていたのである。
「恭一からじゃないのかい。」
「ええ。――」
 と、次郎はなま返事をして、また父を見た。
「何といって来たんだえ。はがきなんかよこして、まだ帰らないつもりなのかね。」
「今度の休みには、帰らないんですって。」
「なに、帰らない? どうしてだえ。」
「大沢さんも帰らないんですって。」
 次郎の返事はとんちんかんだった。
「大沢さんは大沢さんだよ。恭一はどうして帰らないんだね。……どれお見せ、そのはがきを。」
 次郎は、父の顔をうかがいながら、気まずそうに、少し皺(しわ)になったはがきをちゃぶ台の上に置いた。
 そのあと、俊亮とお祖母さんとの間に、どんな会話がとりかわされ、どんな感情の波をうったかは、省いておく。とにかく、次郎は、二人の言葉で、彼が想像していた以上に店の運転がきかなくなっていることや、恭一が学資の足しを得るために、新聞配達だか、家庭教師だかの仕事を見つけようとしていること、或いはすでに見つけたかも知れないということなどを、あらまし知ることが出来たのである。
 その晩、彼は、蚊にさされながら、恭一に長い手紙を書いた。それには、彼が観察したかぎりの家の事情を述べ、恭一の決心と大沢の友情をたたえ、最後に、自分もこの夏休中は店の小僧になって仂いてみるつもりだ、という意味を書きそえた。
 彼は、実際、翌日からそのとおりに実行しはじめた。今では番頭格の、徴兵検査を二三年まえにすました仙吉という小僧に教わって、客足のない朝のうちに、彼はまず酒の量(はか)り方を熱心に稽古した。また元桶の酒を売場の甕(かめ)に移すやり方や、水の割りかたなども一通り教わった。そして、午後になると、自分と同い年の文六というもう一人の小僧といっしょに、襯衣(シャツ)一枚になって、徳利を洗ったり、得意先に酒を届けたり、そのほかいろいろの雑用に立ち仂いた。
 俊亮も、お祖母さんも、それを見て、いいとも悪いとも言わなかった。しかし二人とも内心喜んでいる様子は少しもなかった。俊亮は、「正木のお祖父さんも、大巻のお祖父さんも、お前の夏休みを楽しんで待っておいでだったがね」と言い、お祖母さんは、俊亮のそんな言葉にも、ただにがりきっているだけだった。
 お芳は、例によって、どんな気持で次郎を見ているのか、さっぱりわからなかった。番頭の肥田がいなくなって以来、俊亮の留守のおりには、ちょいちょい店の見張りに出て、何かと店のことも心得ていたせいか、わざわざ次郎の仂いているところにやって来て、自分の気のついたことを教えてやったりするのだったが、それにとくべつの意味があるとも思えなかった。
 弟の俊三も、もうそのころは中学の二年だった。――彼は入学試験に次郎のようなしくじりがなかったため、年は二つちがいでも、学校は一年しかちがっていなかったのである。――頭もよく、学校の成績などは、兄弟のうち誰よりもすぐれていたが、末っ子の気持はまだぬけていず、次郎にすすめられても、白鳥会にもはいらなかったぐらいで、家の事情などには、まるで無頓着(むとんちゃく)でいるらしかった。で、次郎が急に店で仂き出しても、「あんなこと面白いんかなあ」といったぐらいの感想をもらすだけだった。
 次郎が店の手伝いをやろうと思い立った直接の動機は、むろん恭一の決意に対する同感だった。何だかじっとして居れないというのが、彼が恭一にあてた長い手紙を書いた時の気持だったのである。しかし、理由はただそれだけではなかった。彼には、店の事情をもっとはっきり知りたい、という考えがあった。また、自分が手伝ったために、店がいくらかでもよくなるのではないか、という希望もあった。そうした考えや希望の底に、彼の幼年時代からの好奇心と功名心が全くひそんでいなかったとはいえなかったかも知れない。しかし、彼としては、自分でめったに経験したことのないほど懸命な気持だったのである。
 だが、ほんの五六日も仂いているうちに、彼はもう絶望に似たものを感じはじめた。というのは、売場の酒は、特上、上、中、下と、四階段にもわけてあるのに、もとになる酒はほんの一種で、ただ水の割りかたをちがえてあるばかりだったし、それに、そのもとになる酒というのが、必ずしも一定した酒ではなく、始終銘が変っている、ということを発見したからである。彼は、それでも、最初それを知った時には、酒というものはそんなものかしら、とも思い、そっと仙吉にたずねてみたのだった。すると仙吉は、にやにや笑いながら、
「以前にはこんなことはなかったんですよ。何しろこの頃のように仕入れがうまく行かなくなっちゃ、こうでもするより仕方がないでしょう。」
 そしていかにも皮肉な調子で、
「しかし、酒の味のわからない家では、今でも買いに来てくれるんですから、ありがたいものですよ。」
 次郎は、そうきくと顔から火の出るような気持だった。そして、もうそれで何もかも見透しがついたように思い、仂く元気もなくなったのであるが、さればといって、僅か五六日でよしてしまう気にもなれず、朝倉先生に話してみたらどう言われるだろうか、とか、正木や大巻ではもう知っているだろうか、とか、いろんなことを考えながら、相変らず手伝うことだけはやめずにいた。
 すると、それからなお一週間ほどたったある日のこと、変にしゃがれた声で、
「今日は。」
 とあいさつして、やけに喉のあたりを扇であおぎながら、店に這入って来た女があった。でっぷり肥った五十前後の白あばたのある女で、小さなまげを結(ゆ)っていた。
 ちょうど午過ぎの、暑いさかりで、ひっそりした店では、仙吉が帳場の机のそばで居眠りをして居り、文六の姿は見えず、次郎が、空樽に腰かけて雑誌を読んでいるところだった。次郎は、顔をあげてその女を見ると、すぐ、どこかで見たことのあるような女だと思った。
「まあ暑いこと。」
 女はそう言って、無遠慮に店先に腰をおろした。そしてじろじろとあたりを見まわしていたが、仙吉がねぼけた眼を自分の方に向けたのを見ると、
「ほほほ、のんきそうだこと。結構なお身分だわ。」
 仙吉の顔はやにわに緊張した。そして、
「いらっしゃいまし。」
 と、いかにも冷淡に言って、膝を立て直した。すると、女は、扇をたたんでそれを帯にはさみ、その代りに何か書付けみたようなものをひっぱり出しながら、
「今日は、こないだの次のぶんを頂戴にあがったんですがね。もうあれから半月以上にもなるし、こちらのご都合もちょうどいい頃かと思って。」
「今日は、あいにく、旦那が留守で、私じゃどうにもなりませんがね。」
 と仙吉は、うわべは恐縮しながら、その中にどこか突っぱなすような調子をこめて答えた。――俊亮は実際留守だったのである。
「旦那がお留守でも、お酒はあるんでしょう。」
「そりゃ、あるにはありますが、何しろ――」
「何しろ、どうなんですの。お酒があれば下さりゃいいじゃありませんか。」
「それが実は……」
「ふふ。この暑いのに、何しろ、と実はを聞きに来たんじゃありませんよ。上酒一斗正に預り候也、――ほれ、この通りちゃんと預証をもって来ているんじゃありませんか。私は、お預けしたお酒を受取りに来たまでなんですがね。」
 女は、帯の間から引き出した書付をひろげて、仙吉のまえに突き出した。
 仙吉はちらとそれに眼をやったが、すぐそっぽを向いてしまった。
「おや。」
 と、女は、その大きな腹を突き出すようにして、少しのけぞりながら、じっと仙吉の横顔を見すえていたが、
「お前さん、まさか、知らん顔をしようというのではないでしょうね。これはお酒の預証なんですよ。上酒一斗を、こちらのお店で預り下すったその証拠なんですよ。」
「わかっていますよ。」
 と、仙吉は相変らず、そっぽを向いて、
「しかし、それじゃあ、旦那があんまりお気の毒じゃありませんか。肥田さんの尻ぬぐいも、もう沢山だと私は思いますがね。」
「じゃあ、この預証は、お店には関係がないというわけですね。」
「そうじゃありません。そりゃこちらの店の判が捺してある以上、知らないとは言いませんよ。それだからこそ、旦那もこれまで苦しいのを我慢して、泥棒に追銭みたいなことをして来たんじゃありませんか。しかし、正直のところ、あんたの方でもそうとことんまで搾(しぼ)りあげなくったってよさそうに思いますよ。あたりまえにお金をいただいての預証と、肥田さんの遊興費とは、だい一わけがちがいますし、それにこちらの事情もまるでおわかりにならんことはないでしょうからね。」
 仙吉は次第に雄弁になって来た。彼は、もうとうに店には見切りをつけているらしかったが、俊亮の人柄には心から敬服して居り、そのために、強いては暇ももらわず、これまで何かと心をつかって、店のやりくりをして来ただけあって、こうした場合、おとなしくばかりはしていなかったのである。
 しかし、相手の女は、仙吉などにやりこめられるほど、なまやさしい女ではないらしかった。彼女は、仙吉に言わせるだけ言わせてしまうと、
「あんたも、若いに似ず、理詰めで来たり、人情にからんだり、なかなか隅に置けないわね。旦那もさぞ心丈夫でしょう、ほほほ。……だけど、どう? 預証はもうこれでおしまいなんだから、いっそさっぱりなすっちゃ。そりゃあ、こちらの旦那としちゃあ、すいぶんご迷惑でしょうともさ。私だって重々お察しはしていますよ。お察ししていればこそ、こうして十日おきとか、半月おきとかに、ぼつぼつお願いして来たんじゃありませんか。それがおしまいの一枚になって、お預けしたものをお返し下さらんということになれば、私の方はとにかくとして、第一、旦那の名折れじゃありませんかね。」
 その声色めいた調子が、ねっとりと仙吉の耳にからみついて行った。仙吉は急にうまい言葉が出て来ないらしく、相手を見つめて、変に口を尖(とが)らした。
 次郎は、さっきから、まばたきもしないで二人の対話をきいていたが、だしぬけに仙吉に言った。
「仙さん、さっさとやっちまったらどうだい。」
 仙吉は、しかし、何か眼で合図(あいず)したきり、返事をしなかった。すると、女が次郎の方を向いて、
「そう、そう。小さい小僧さんの方がよっぽど物わかりがいいわ。じゃあ、あんた、すぐお酒を量って下さいね。」
 と、いかにもおだてるように言って、腰を浮かした。
「お内儀(かみ)さん――」
 と、仙吉は、妙に沈んだ声で、
「それは小僧じゃないんです。こちらの坊ちゃんで、何もご存じないんですがね。」
「坊ちゃん?」
 と、女はちょっといぶかるような顔をしたが、
「坊ちゃんなら、なおいいじゃありませんか。旦那に代って、ああ言って下さるんだから。」
「ところが、実はね。お内儀さん――」
 と仙吉は、いよいよ沈んだ調子で、
「差上げようにも、上洒の方は一斗なんてはいっちゃいませんがね。」
 女は、ぎろりと眼を光らして、売場の甕(かめ)から、土間につんだ四斗樽までを一巡見まわした。そして、
「空(から)なんですね、あれは。」
 と、四斗樽の方にあごをしゃくった。
「実は、そうなんで。」
 女は、立っていって樽をたたいてみるまでのことはしなかった。さればといって、べつに同情するようなふうもなく、何かしばらく考えていたが、
「上酒が足りなきゃあ、足りない分は悪い方で我慢しますよ。とにかく、今日は、さっぱりしてもらおうじゃありませんか。」
「その悪い方も、実は――」
 仙吉は、そう言って首をたれた。すると女は、急に居丈高(いたけだか)になって、
「馬鹿におしでないよ。
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