我が人生観
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著者名:坂口安吾 

そこに狸を祭った祠があって、そこから山の中へ谷に沿うて曲りこむのである。私は里の人に狸のホコラ、狸のホコラ、と聞きながら歩きすすんでいたから、怪しい顔でジロジロと見られ、とうとう巡査がドシャ降りをついて自転車で追っかけてきた。私から事の次第をきいて納得し、狸のホコラまで案内してくれたが、彼は自転車をひっぱりながら急ぎ足で突き進むから、重い荷を背負った私は、彼に足を合せるために疲れきってしまった。すでに狸のホコラまでで精根つきた感があった。
 ここから、いよいよ山中にはいる。谷に沿うて行くと丸木橋が渡してある。それを渡って登ると、彼の山小屋へ辿りつける筈なのだが、このドシャ降りで丸木橋が流失したということを、気付くのがおそすぎた。
 谷に沿うて小径を登りつめると、山径は谷と区別がつかなくなる。道自体が岩であるから、ドシャ降りが山から流れて径を流れ落ち、道だか谷だか分らない。そして、そのうち、まったく、谷になってしまう。やむなく、径の岐路まで戻ってきて、別の一方を登りはじめる。これも道だか谷だか分らなくなって、しまいに谷以外の何物でもなくなる。
 すべての道はローマに通じなくとも、里から里へ、いずれは人の居るところへ通じるのが当り前だが、山の径だけは、ダメです。木コリだけの歩く径が主で、どこにも通ぜず、山の奥で自然消滅するのである。どの径を歩いても丸木橋は現れず、径は山中で自然消滅してしまうから、私もようやく、丸木橋が流失したと悟った。しかし、丸木橋のあった場所の対岸に小径があるはずだから、それを探せば山小屋へ行けると気がついたが、この対岸の小径は彼だけの私用の径で、木コリも通らず、一年半も留守にしているから、径の姿を失っていたのである。だんだんタソガレがせまってきた。私の精根はつきた。そして、アッと思った時には、足をふみすべらして、深い谷底へ墜落してしまった。
 私は谷底へ落下しながら、アア、いよいよ死ぬのか、なんだ、死ぬ時は、こんな気持なのか、と一瞬のうちに思った。私の頭に閃いたことは、それだけだった。そして、なんでもないもんだナ、と思った。なんでもない筈である。疲労コンパイ。その極に達して、あらゆる力を失ったというアゲクに自然に谷底へ落ちたのである。
 ところが、私は死ななかった。それどころか、怪我一つしなかった。十貫目のリュックサックのオカゲである。私は岩の上へ落ッこったが、実はリュックサックの上へ落ッこったような結果になった。落ッこったところから傾斜がはじまり、次に私はその傾斜をゴロンゴロンと、ひどくユックリと谷底までころがって行った。私に少しでも精根があれば、傾斜の途中でいくらでも止ることができたのだが、まったくもう一片の意志も抵抗も浮びあがらないのである。今度こそ死ぬな。なんでもないもんだな、死ぬ時というものは、と私は又思った。そしてゴロンゴロンところがり、最後に再び一丈ほど墜落して、谷川へはまってしまった。
谷の岩と岩の間の深間のところへスッポリ落ちたのである。
 又、死ななかった。一尺でも場所が狂うと、私は死んだのであるが、実に巧いところへ落ちたもので、岩と岩の間にリュックサックがつまって、私の鼻から上だけが水の上にでているのである。私は完全に無抵抗状態であるから、鼻が水上にでていなければ、自分で起き上って鼻をだす精根も分別もなかったのである。ふと気がつくと、私は息をしているし、鼻から上だけ水の上へ出ているのだ。オヤオヤ、死ななかったのか、と私は気がついた。
 ジッとしていると、次第に意識が戻ってくる。尿意を催してきた。私の手も胴も足も水の中にある。私は水中でズボンのボタンを外した。そして小便しようとすると、意外なことが起った。いくら手さぐりで探しても、放尿すべきホースがないのである。ホーデンもなければペニスもない。いくら手探りしてもノッペラボーである。
 疲労その極に達すると、みんな腹中にもぐりこんで、こんな風になるものだそうだ。おまけに私は谷川の中につかっているのだから、それが一そうひどかったらしい。当時はそうとは知らないから、このときの私のオドロキというものは、話の外である。私はもがいて起き上ろうとしたが、どッこい、そう簡単には起き上れぬ。まだ、それだけの精根は戻らない。落下しつつ死ぬナと思った時にはいささかも慌てなかったが、一物の消滅にはことごとく慌てふためいたのである。
 私ははじめて自分の身体に怖るべき異常が起ったことを認めた。水中から手をだして、目の前にかざしてみると、まったく暗い紫の色である。斬り落した鬼の手を眺めているようで、人間の皮膚の色として、想像しうる色ではない。爪の色も同じ暗紫色に変っている。私はもう男でもなくなったし、常の皮膚の色まで永久に失ったのかと早呑みこみをしたほど悲しかったのである。そのうちに、腹の中から生あたたかい尿水が流れでたので、ようやく一縷の勇気、希望をとりもどした。疲労コンパイのアゲク、一時的にこうなっているのかも知れないと思うことができたからであった。
 こうして水中にジッとつかっているうちに、谷はたそがれ、ようやくいくらかの精根が戻ってきた。とても上の径まで登る力はないと生還をあきらめていたのであったが、精根が戻ってくると浮世の才覚も戻ってきて、ナニ、上の径まで登らなくッとも、谷川ほど確実な径はない。山の径はたまたま自然消滅して人里へ通じてくれない場合があるが、谷川というものは、必ず人里へ通じるものである。これぐらい確かな道はない。おまけに谷川を渉りつつ、目を皿にして対岸を吟味して行けば、丸木橋のかかっていた径の跡を発見することができるだろう、と判断がついたのである。そして、勇をふるッて岩と岩の中から身を起し、ついに、とっぷり暮れようとする寸前に山小屋へ辿りつくことができたのである。翌朝、目を覚すと、私の全身はいたるところ大きなコブをつけたように腫れあがり、殆ど身動きもできなかった。砂糖や塩や味噌は原形を失い、ドロドロになっていたが、それらが私の一命を助けてくれたものとして、なんとも有難く、いじらしく見えた。一日二日は身動きできず、そのドロドロをなめながら、ケダモノの穴ゴモリのような気持で一陽来復を待っていたのであった。
 私は、しかし、この小屋に長くはとどまらなかった。ちょうど、この豪雨で、小屋のうしろの崖がくずれて、小屋に異常はなかったが、便所だけつぶれてしまった。その異変のためにネグラを失ったのかも知れないが、毎晩一匹の蛇が小屋の梁に巻きついているのである。日中はいなくなるが、夕方になると、巻きついている。よく見ると、どうもマムシらしい。夜中にマムシに襲撃されては困るから、蚊帳をつり、蚊帳の裾を百冊ぐらいの書物で隙間なく押えて眠ることにした。そんなことがあって、山の生活も、それほど気楽なものではないと分ったので、山中隠遁をあきらめて下山した。
 この小屋は後に同郷のコンミュニストで山添という人が、出獄後、遁世して住みつき、数年、もしくはより長く住んでいたらしいが、彼の奥さんは、とうとうマムシに噛まれたそうである。しかし、生命には別状なかったそうだ。
 谷川岳は美しい山だ。私の故郷はあの山の向う側にあるので、その往復に車窓から眺めながら、季節々々にいつも美しい山の姿に見とれることが多かった。とりわけ冬は美しいが、それはあらゆる山がそうなのだろう。目には親しい山であるが、私はまだこの山に登ったことはない。
 私は自分がいち早く、青梅近在の名もない山の入口で非常に気楽に死に損って、その印象があざやかで、なつかしいせいか、人々が山で死んだという話には、なんとなく清涼な感慨を覚えて、人の死について感じるような暗さを知らないのである。
 しかし、今度の場合は、生還した女性が一人いて、その人の報告によると、何者かが道標の方向を逆に変えていたために遭難したのであるという。まことに由々しい話である。
 私は犯罪には興味をもっている。人間について興味をもてば、犯罪に興味をもつのは自然のことだ。そして、犯罪というものは、ともかく当人がギリギリに追いつめられてセッパつまった感があるから、救いもあるし、憎めないところもあるのが普通である。ハタの目から見れば、そうまでセッパつまらなくとも、ほかに身をかわす手段はありそうに思われるのは当然だが、当の本人はそうは自由に冷静な目で八方に目が配れるものではない。感情のモツレというようなものは、どんなに理に勝った人でも、理だけで捌けるものではないのである。
 罪というものは、本人が悔恨に苦しむことによって、すでに救われている。悪人の心は悲しいものである。ところがここに善人の犯罪というものがあって、自ら罪を感じない場合がある。大官を暗殺して、天下国家を救うつもりであったと豪語し、罪人どころか、ひそかに自ら救国の国士英雄を気どるような連中は云うまでもなく、教え子、使用人、子供などをセッカンする教師、上役、親父の類に至るまで、善人の犯罪は甚だ少くない。
 主人や親に抵抗するのを悪事と見るのは、古来の風習であるが、召し使われる者や子供にも悲しく切ない理のあるもので、カサにかかって理を理として執りあげることを忘れて特権をふり廻す。だから、感情はモツレにモツレ、抑圧に抑圧を重ねることとなり、主殺しとか、親殺しというものには、最も殺して然るべき理由があるのが通例なのである。この理をわきまえずに、主殺し、親殺しを重く見るのは封建遺制にとらわれて正しい判断を失した者の云うことである。はじめから主や親に加担した法律などというものは、文明開化の世に在りうべきものではない。過去の妖怪にすぎないのだが、日本の法律は未だに妖怪のまま君臨しているという悲しむべき状態なのである。
 出征した良人が外国から外国婦人をつれて帰還した。内地で待っていた妻と、外国婦人にとっては、その去就まことに真剣な問題であるが、昔同じような立場に立って良人と離婚したことのある婦人代議士が日本人の妻の方を訪ねて、私がそうであったように、あなたも身をひきなさいと忠告したということなども、婦人代議士は善意と親切のツモリで自分の罪を感じていないのだから、やりきれない。自分と人は違うものだ。人間関係も環境も、まったく人によって別々なのが人間というものの在り方で、したがって人間関係を解く公式というものは永遠に在り得ない。めいめいが自分の一生を自分で独自に切り拓くべきものである。それぐらいの理も弁えずに、自分がこうだから、あなたもこうしろという思いあがった善良さは、まことに救いがない。善人の罪というものは、やりきれないものだ。
 無邪気の罪も同じことで、道標のムキを変えるというイタズラは、その結果についての怖るべき罪をさとらぬ無智のせい、悪意はなくとも、無智ということ自体が罪だ。悪意がないだけ、救いがない。
 しかし、今回の谷川岳の道標事件は、永遠に犯人は分るまいと思いのほか、まるで筋のよく出来た探偵小説を読まされたように、次から次へ謎がとけて、その結末も谷川岳の美しい姿にふさわしく、一抹清涼の感をともなって幕を閉じたようである。
 この結末も、結局は無智の生んだ罪であるが、身につまされて、悲しい罪ではある。
 法師温泉の主人公が、本人はさとらずに、道標を書きちがえていたのである。彼は矢印の形をした道標に、先ず、矢印を左にして左書きに、仙の倉平標と書いた。さて、その板を裏返しにして、又、左書きに、仙の倉平標を書いた。板を同じ方向のまま裏返しにすれば字が上下逆さまになるから、上下逆さまにならないように裏返して、左書きに書いた。ところが、上下逆さまにならない代りに、今度は左右逆さまになることを彼は気がつかなかった。つまり表を左書きにしたから、裏は右書きにしなければ、表裏同じ方向を指さないのだが、彼はそこまで気がつかずに、上下逆さまにならないことにだけ注意して、どっちも左書きにしてしまったのである。その結果、次のような道標ができたのである。

 即ち、表と裏は矢印の方向に全く逆を指し合っているのである。道標を立てる位置をまちがえたというのは当らない。この道標は、天下のどこへ立てても完全に通用しない。なぜなら、表裏アベコベを指しているからだ。もとより、法師温泉の主人に悪意のあろう筈はない。彼は、両面上下をそろえて左書きの結果が、アベコベを指し合うことを気付かなかったのであろう。
 この怖ろしい事実が判明したとき、私はふと、私の義兄である村山紅邨という、越後山中の造り酒屋の主人公の歌人のことを考えた。彼はその山中に六百年ほど代のつづいた旧家の主人で、雑学の大家でもある。だいたい田舎の旧家には、雑学の大家が多い。こんな山中にと思うところに、案外にも、西洋の大学の卒業生だの、十年も西洋で暮してきたというようなヒマ人が、ほかに仕方がないから出る新刊を次々と取り寄せてヒマにあかして読んだり寝たりしているのである。私の義兄(私の長姉が細君)紅邨もヒマにあかした雑学家で話の泉のお客ぐらいは楽につとまる物識りであるが、田舎の雑学の大家に共通していることは、大事の心棒が一本足りないということだ。大事なカンドコロ、理づめの理の心棒が欠けている。つまり、谷川岳の道標を書かせると、上下が逆さまだというのに気がついて、頭だけ逆さまにならないようにそろえるまでは気がついても、今度は左右逆の方向から書かないとアベコベの方向を指してしまうということまでは気がつかないような脆さがある。
 幸い彼の住む山中は、まことに山も深く、雲も雪も深い山中ではあるが、附近に都人士が来り登るような名山がない。もしも谷川岳が彼の附近にあれば、土地の青年団とか世話人とかが、道標を立てるについて、その文字を書いてもらいにくるのは、彼のところにきまっている。と、彼は、大いに注意深く、熱心に書いたあげく、ついに登山家を死に至らせるような、天下どこに立てても通用しない表裏アベコベを指し合っている道標を書くようなことになったかも知れない。
 私は彼でなくて良かったと思ったが、彼ならば同じマチガイをしたかも知れぬと思うと、身につまされて、やりきれなかった。
 私がこの道標を書いたなら、マチガイは起さなかったであろう。しかし、それは程度の問題である。この道標の場合にはマチガイは起さぬけれども、これ以上複雑な、又、盲点をつかれる事情があった場合には、私も必ずマチガイを起す。私ばかりではない。あらゆる人が、マチガイを起す可能性があるのである。盲点のない人間は存在しないのだ。
 これも無智の罪ではある。しかし、子供が道標の向きを逆にするようなイタズラとちがって当人は精一ぱい誠実であり、ミジンもイタズラ気がないのであるから、悲しい。アベコベの道標は、たしかに五人の生命を奪っている。怖るべき無智の罪ではあるが、あらゆる人間にまぬがれがたい悲しい罪でもある。自分はそのような罪を犯していないというのは怖れを知らぬ言葉で、いつ、どこで、これに類する罪を犯すか、のみならず、当人は犯した罪には気付かないのだ。
 谷川岳のような人の多く死ぬ山で、人死にを少くする設備が殆ど施されていないらしいのが奇妙であるが、県の観光課とか日本登山家協会とかその専門の方面が責任を持って道標を立てずに、地元の民間人にそれを任せて済ませておくというのが第一の手落ちであろう。その手落ちは咎めることができるが、道標を書いた民間人の、悲しい罪は、どうにも、憎めない。わが身の拙さ、わが身の悲しさに思い至り、身につまされて、やりきれなくなるばかりである。人はどんなに善意をつくしても、このような切ない罪からまぬがれることは不可能なのである。この罪からまぬがれる唯一の方法は、一生何もしない、ということだけだ。
 原子バクダンの発明以来、文明はその極限に来たかのような考え方が少からず行われているようであるが、原子バクダンなどというものは人を叩きつぶすだけの道具で、人を殺すぐらいカンタンなものはありやしない。人間が全然無智蒙昧な半獣人のころから、丸太ン棒一本あれば人を叩き殺すぐらい面倒はいらなかったものだ。
 しかし、人のイノチを助け、病気を治すという方面を考えると、殆ど文明などというものは、未だによそを吹く風ではないかどいう気がする。人体の機能すら、いまだに正体は判然としていやしない。ゼンソク持ちはタクサンいるが、その正体も判然とせず、特効薬も未だしである。肝臓の機能は? 脳味噌の機能は? それも判然とはしない。貧乏人をなくする方法は? それも判然とはしない。文明などというものには、まだ大そう道が遠いのである。法律ですら、まだ親殺しという特罪が残っているような実状である。
 私はしばらく帰省しないので、谷川岳の姿にも久しく接していないが、今回の事件であの秀麗な山容を思いだし、なつかしむこと頻りであった。人間の拙さ、無智と、その悲しい罪が、あの清涼な山のごとくに、身にしみる。五人の霊と共に、人間の拙さも、同じように、あわれまれてならない。
 新年号であるから、風流について一席談じてくれということであったがこれが風流譚かどうか、まことに、おはずかしい次第です。
 末尾ながら、明けまして、おめでとう。ウソつけ。今日は何日だ。そうか。いつだって、明けまして、おめでたいや。アバヨ。




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